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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

アゼルバイジャンの伝統楽器にうっとり。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その17(最終回)

ホテルで荷物をピックアップして、鉄道駅に向かう道すがら、何かあれば見ていこうと思いながら歩き出した途端、あっという間に、「なにか」に遭遇。




Republic of Azerbaijan Pavilion
Under One Sun – The Art of Living Together by Hypnotica, Elvin Nabizade

なんと、ホテル至近の広場に面した、ベネチア風の素敵な建物が、アゼルバイジャンのパヴィリオンとなっていました。
建物に入ると、すぐ、ビデオ中心のスペース。




こういうのは、かつての流行りっていうか、近未来SF映画的なっていうか、今はもう、ちょっと終わっているコンテンツのような気もしますが、決して嫌いではないのです。

建物は、上階部分も使っていて、二階に上ってびっくり。




楽しいうつわ、楽器がずらり~!
一階とのあまりの違いに、なんで~?という印象でした。
マンドリン風の楽器ですが、おそらくアゼルバイジャン固有の楽器なのでは、と思われます。展示の仕方が独特で、建物の雰囲気、窓の外の借景も含めて、素晴らしい美しさでした。




そして、その先にも。




私の写真では、決して伝わらないと思いますが、これは美しい作品でした。それぞれの楽器の美しさ、そして、全体の調和。音のないオーケストラとでも言ったような響きが聞こえるような視覚作品です。優れたコンテンポラリー・ダンスを見て、音を聞くような、そういう感じっていうのか。




すべて、伝統的な楽器と思うのですが、とにかくフォルムと言い、色彩や装飾的な部分すべてが宝石のような美しさです。職人さんの粋がつまっていますね。それを現代アーティストが、別の美しい作品に仕上げる。幸せなコラボです。
いや、楽器の本性は、音を奏でることなんだから、本当は方向性が違うのでしょうけれど、奏でられなくても音を感じるように思えるなら、それはそれで、本性が生かされていますよね。

その奥にしつらえていたのは、アゼルバイジャンのお家インスタレーションでしょうか。




ますます、音が聞こえますね。

すっかり満足して、パヴィリオンを出たら、同じ広場の片隅で、今度は音の聞こえるパフォーマンスに出会いました。




グラスの淵をこすって音を奏でるグラスなんとかってやつですね。これは、ビエンナーレ協賛ではないでしょうけれど、グラスの数が半端なく、素晴らしい演奏でした。

広場を出きらないうちに、また、「なにか」あり。




Imago Mundi - Luciano Benetton Collection
Great and North – 759 Artists from Eastern and Western Canada, the Inuit and Indigenous artists of North America

ベネトン総裁のルチャーノ・ベネトンのコレクション展示が、サテライト企画として展示されていました。




はがき大くらいの作品が、ずらりと並んでいて、これは、なかなか面白い展覧会でした。あまり時間がないので、ゆっくりとみていることはできなかったのですが、ちょっと面白い。
ベネトン、洋服屋さんとしては、すっかり影が薄くなって、今何を商売にしているのかよくわからないのですが、健在なんですねぇ。

やっと広場を抜けようというところで、また「なにか」。




Objection
The Pavilion of Humanity by Michal Cole, Ekin Onat

こういうサテライト企画は、その出どころとかよくわからないですけれど、建物が素敵だし、立ち寄りたい誘惑に勝てず。




いきなりあるのは、黒いテーブル。
とても普通に住宅、という展示会場で、ダイニングに置かれたテーブル。でもそれが、真っ黒で、現実的じゃない。シュールなんです、全体に。
その奥には、また別のシュールな部屋が。




これは、すっごいきれいでした。全部、シルクのネクタイなんですよね、どうやら。シルクのつやつや感が美しくて、そして、これだけ色が氾濫しているのに、全体の調和があって、なんというのか、貴族的な、高級感?面白いです。
確か、靴をビニールで覆うなどすれば、部屋に足を踏み入れることができるようになっていたと思うのですが、時間がないので断念。ソファに座って、部屋に沈み込んでみたかったな。入り口からのぞき込むのとは、違う眺めだと想像します。

二階にも上れました。




さらに、普通の住宅感満載で、等身大の人のフィギュアまで。乱れたベッドが、とても現実的かつシュールな空間でした。
借景が、普通の住宅からの窓の風景だけに、何とも不思議ですよね。建物全体が面白いものになっていて、感じるものはありました。感銘は受けないけどね。

ということで、今回のビエンナーレの旅、やっと終了です。
全体として、私には、低調ではありましたが、常に身近に見ることができるわけじゃない現代アートを、二日にわたってどっぷり味わえるのは、いつだって特別で楽しいひと時です。そういう意味では、今回も、いつも同様、楽しめました。友人とのランデブーでもあったので、その楽しみもありましたしね。

この週末は、毎年恒例のショート・トリップ。またまた寄り道です。
でも、来週以降、ロマネスクも再開しますので、またよろしくお願いしますね~!

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  1. 2017/10/27(金) 05:19:17|
  2. ヴェネチア・ビエンナーレ
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初めてのルイ・ヴィトン財団、さすがやな~。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その16

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
本会場脇にある別館、思いの外、充実したスペースとなっています。




Turkey Pavilion
Cin by Cevdet Erek

でも、大規模だから面白いか、というと、そういうことはないんですよね。これは、バスケットボールのコートのような感じで、町角にこういう施設がありそうな雰囲気なんだけど、なんか周囲を歩くんです。
奥にある階段の先に並んでいるのは、フラットな形のスピーカーで、耳を近づけると、かすかに、いろんな音、雑音的な音が聞こえてきます。でも、だからなに?の典型かもね。

そんなものより、こんな小品の方が、ずっと楽しかったりします。




Peru Pavilion
Land of Tomorrow by Juan Javier Salazar

ここは、大変地味な作品ばかりでしたが、でも、好みでした。




今更、絵画作品って、陳腐で面白みがないって、特にビエンナーレの会場では、いつも思ってしまうのですが、時として、あ、絵もいいよな、と思うときがあります。この人の絵は、そういう絵でした。




これが欲しいか、家に飾りたいか、というと、違うんですけれど、何か感じさせるものがあるというのか、目が引き寄せられるものがあるっていうのか、そういう感じ。

こちらは、ちょっと面白かった作品。




Republic of Macedonia Pavilion
Red Carnival by Tome Adzievski

パヴィリオンと言っても、スペースのほんの一角を使った小さなものです。その上、マケドニア共和国なんて言っても、日本人にはピンとこないかもしれませんね。

イタリアに住みだした頃、お隣のバルカン半島では大騒ぎがあり、結果としてユーゴスラヴィアが崩壊し、もともとばらばらの国が、ばらばらに戻ったわけですが、その一つがマケドニア。
ミラノに来る前に、イタリア語を学んでいたペルージャでは、スロベニアの人も、クロアチアの人も、マケドニアの人もセルビアの人もいたのですが、ここにいれば、いがみ合うこともないけれど、でも、国に帰れば、どうしてもなじめない、理解しあえない気持ちになると言っていたクロアチア人の友人がいました。無理やり、ユーゴという国に統一されたものの、結局、文化も教育も統合され交わることもなく、人々はばらばらのまま、生活していたということなんでしょうね。
昨今、スペインでカタルーニャが大騒ぎしていますが、ことほど左様に、ヨーロッパの民族問題とは、難しく複雑で、島国の日本では、いろいろな意味で分かりにくいものだと、改めて思いました。

あ、話それましたが、これは、そういうこととは、関係なくて。いや、関係ないのかどうか、わかりませんが、この車は、ジェームス・ボンドのボンド・カーです。




ね。




脇に立っている見学者の視線の先には、ビデオ作品があります。
車の周りに若者が押し寄せて、みんなしてポスターをべたべた貼っていく、というパフォーマンスをするビデオ。その結果が、この車、という作品です。
べたべた貼られているポスターが、映画のものだったり、政治的スローガンみたいなものだったりするところに、意図が隠されているというとこでしょうか。




Mexico Pavilion
The Life in the Folds by Carlos Amorales

これは、最初、この、テーブルにずらずら並べられた不規則な形の物体が何だかわからなくて、???だったんですが、コンセプトが面白かったです。




多分、この形一つ一つが伝達手段となっていて、音符にもなれば、文字にもなるっていうようなことなのではないか、と思います。




流れているビデオのキャプションも、これで書かれているし、新聞状の冊子が積まれていたのでもらってきましたが、文も絵も、すべてこの記号的なもので、表されていて、面白いんです。私の好きな、かなり壮大な無駄な作品に近いですね。
ただ、展示が地味なのと、訴えるインパクトが小さくて、評価はいまひとつかな。

さて、やっとここまで来ました。
この他に、いくつか、見学したものの、記事からは省いた展示もあります。それにしても、宿泊しただけあって、いつもの日帰りからは想像もつかないくらいにゆっくりじっくり見ることができ、満足です。

実は、二日目は、アルセナーレだけでは、絶対に時間が余るので、久しぶりに、グッゲンハイムや、プンタ・デッラ・ドガーナに立ち寄ってもいいな、と考えていたのですが、結局アルセナーレの見学は、10時過ぎから、20分強ランチ時間を割いた以外は、ずっと見学し続けて、終了は、15時ちょっと前。驚きました。
帰りに汽車の時間の関係で、16時過ぎには、ホテルに荷物を取りに戻りたかったので、他の美術館に立ち寄る時間は無くなりました。

ぶらぶらと歩きながら、ホテルに向かう途中で、気付いた展示会場。




Fondazione Lous Vuitton – Espace Louis Vuitton Venezia
Pierre Huyghe

この道は、何度か行き来したものの、この手前の赤い看板しか見えていませんでした。よく見ると、その後ろに、地味な白い看板が出ていたんですね。なんと、ルイ・ヴィトンの展示スペースも、ビエンナーレに協賛していました。
いつもは、駅とジャルディーニを結ぶコースを歩くだけなので、いつから、ルイ・ヴィトンが参加しているのか、まったく知らないのですが、考えたら、彼らは、パリに財団経営の、素晴らしい現代美術館を持っていますね。フランク・ゲイリー設計の美術館は、いつか絶対訪ねてみたい場所です。そんなブランドが、参加してないわけもないですよね。
イタリアのブランドで、最も美術にお金を使っているのは、プラダだと思っていますが(ミラノ市内に美術館を二つ、ベネチアにも一つ持っています)、ルイ・ヴィトンはそのフランス版になるのかな。逆か。

というわけで、立ち寄ってみることに。




展示スペースは、勿論店舗のあるビル。看板の建てられた角から裏道に入ります。華やかなショーウィンドウのある表通りから、一歩入っただけですが、こんな小路で、あまりの落差にびっくりしますよね。これがベネチアの不思議なところ。

鉄道駅から、リアルト橋やサン・マルコ広場へ向かう道は、人一人歩くのがやっと、というような小路も含めて常に大混雑で、歩くのも大変なのに、そういう幹線から一歩外れると、人っ子一人いない小路や広場に出会うことができるんです。どんな時でも。
だから、いつか、ベネチアに滞在して、時間に追われずに、さまよってみたいと、いつも思っています。

おっと、すぐ話がそれます。
展示会場は、この小路にある、ヴィトンの会社ビルの最上階にありました。受付もいない入り口を勝手に入り、エレベーターで会場まで。




広いオープンスペースで、ビデオを流しているだけの作品でした。南極だか北極だかのペンギン風景。ペンがいるのは南極ですかね。
椅子も何もないスペースで、数人が床に座り込んで、ぼーっと見ていました。疲れていたら、ちょうどいいよね。場所も超繁華街で、お休みどころ。笑。
もう一つも、同じような作品だったと思います。ほとんど通り過ぎただけで、出てしまいました。私の苦手とするビデオだったし、面白さも見いだせず、また、ゆっくり過ごす時間もなかったことですし。

会場を出るには、自動的に店の方の階段を降りることになり、めったに入ることのない、というより、ベネチアでこんなお店、入ったことも入ろうと思ったこともない高級仕様かつ現代アート仕様の内装に、目を奪われました。




ビエンナーレ組と、本来のヴィトンのお客様と、客層が、あまりにも分かれているのが、結構面白かったです。お店が偉いと思ったのは、ビエンナーレ組に対しても、大変丁寧で、にっこり笑顔の店員さんばかりだったことです。勘違いする店員さんもいっぱいいますからね。




ちなみに、フライヤーも、とても素敵でした。

もうちょっとだけ、続きます。

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  1. 2017/10/26(木) 05:49:05|
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東西の宗教観を見るような。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その15

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
やっと、イタリア館。




Italia Pavilion
Giorgio Andreotta Calo', Roberto Cuoghi, Adelita Husni-Bey

ドッグのすぐ脇なのですが、ノルド会場を優先したため、遅い見学となりました。かなりの混雑です。
今回は、大型の作品が、どーん!という展示でした。




Senza Titolo (Fine del Mondo) by Giorgio Andreotta Calo'(ベネチア、1979年生)

ベネチア生まれ、ベネチア育ちの作家さんの、無題(世界の終わり)というタイトル。かなり暗くて、全体像はぼんやり。暗闇が苦手な私には、辛い作品です。でも、真っ暗闇ではないので、他の見学者同様、行けるところは行かねば、と恐る恐る階段を登ります。一応、係員の人が、監視していますので、ちょっと安心感があります。




やっと上に上ったものの、暗闇過ぎて、全体を把握するのはほぼ無理。
説明を読むと、横にも縦にも区切りをつけることで、世界の分断やら同時性や並行性、対局やら何やらを表現している云々、とありましたけれど、ここまで暗くしちゃったら、見えないやないか~!と、なぜか関西弁で悪態をつきたくなる作品でした。もっと、正々堂々と、白日の下で主張しろ~!

もひとつは、結構衝撃的な作品で、ニュースでも見ていて、気になっていたやつ。




Imitazione di Cristo by Roberto Cuoghi(モデナ―ミラノ、1973年生)

「キリストの変容」というタイトルで、実際に、キリスト像というのか、人の身体が変容、というより、死後の姿を具象化しちゃっている作品で、腐臭まで漂う衝撃が、ニュースになっていたんですよね。

ちょっとグロテスクな絵が続きますので、注意してくださいね。




中世的なキリストの変容をテーマにしつつ、現代科学や文化を混ぜ合わせて、なんたらかんたらを表現してるってやつですが、とにかく、作品は壮大で、ばかばかしいですね。




映画ETで、ETを「捕獲」するために作った臨時のビニールハウス的な構造物とか、フランケンシュタインの、得体のしれない機械類とか、そういうイメージの、巨大構造物、そして、その中に、様々に変容した人型が置かれています。
私が見学したときは、腐臭のようなものは感じられませんでした。悪評でやめたんかな。それともプロジェクト段階でやめたのかな。




無宗教な私にとっては、スタートが陳腐なテーマだと思うし、気持ち悪いし。でも、この大規模スケールのばかばかしさは、かなり好みでした。




好き嫌いがわかれそうですが、それも含めて、久しぶりにインパクトのあるイタリア館だったと思います。

さて、会場を入り口に向かって遡りながら、本館脇で、これまた年々スペースが拡張している別館へ。ここ、今回は、かなり見ごたえありました。というか、展示が増えて、いったいどういう構造になっているのかわかりにくく、行ったり来たり、登ったり下りたり、疲れました。

まずは、インパクト大のこちら。




Argentina Pavilion
Horse Problem by Claudia Fontes

レオナルドの馬もかくや、の巨大馬。タイトルが、なんかいいよ、馬の問題って!確かに問題だわ、この馬の激しさは~!
アルゼンチンの建国においては、馬なしではありえない、という歴史をベースにした作品だとか。でもそれがどうしようもない、ウマくいってないっちゅーようなことなんですかね。
下着姿のような女性が、ドウドウしてるのも、たぶんシンボリックなのでしょうね。

この、粉々のものが吊り下げられているのも、同じ展示場所。写っている影がポイントなんだと思うんだけど。




ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート美術館協賛スペースもありました。




Display – between art and arts and craft

ビクトリア・アンド・アルバート美術館って、インテリアとかクラフトとか系だったんだっけね。でも、意図するところは、全然わからなかったです~、てへ。




これは、中国人の作家さんの作品で、いろんな家らしい建造物が、いろんなロケーションに建てられているっていうのか、そういう計画模型的な作品がずらり。
ちょっとさ、これも建築とかサローネ的な作品だよね。どうなっちゃってるんだろう。




Rodan Kane Hart(南アフリカ、1988年生)

壁にずらりと銀色フォイル的な素材の仮面。アルミホイルがくしゃくしゃなっているとしか見えないんだよねぇ。

これは好きだった!




Singapore Pavilion
Dapunta Hyang:Transmission of Knowledge by Zai Kuning

7世紀ごろから、今の東南アジア一帯を統一したSrivijayan帝国というのがあって、時の王様が、巡礼(仏教)のために、2万人もの兵士が操る船を作ったとか、そういうお話がもとになった作品のようです。
土地の木材を使い、蜜蝋でつなぎ合わせて、作った巨大な船形。




蜜蝋が、展示中に、ぽたぽたと滴り落ちて、鍾乳石のようになっています。




背景にストーリーがあることで、さらに壮大な夢を感じさせる作品になっているような気がしました。そもそも、東南アジア一帯の中世史って、何も知らないなぁ、と思ったのも、ある意味ショックでした。本当に、何も知らない。ご近所のはずなのに。

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  1. 2017/10/24(火) 04:44:48|
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魔法使いの弟子とか、ペット・セメタリーとか、小粒続き。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その14

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
ノルドから、本島に戻り、見学を続けます。アルセナーレの、最も奥の地域で、数年前から、展示スペースとしての使用が始まった場所。公園の中をさまようように歩くのが、結構楽しいものです。




片隅に遺された倉庫のような建物は、扉ごとに展示会場となっています。もとは、掃除用具とか、消防用具とか、そんなものの置き場になっていたようで、実にそっけないスペース。




Printing my steps by Fiete Stolte(ドイツ―ベルリン、1979年生)

足跡に光があたっているだけの、こんなそっけない展示が、意外とマッチします。

こんなシンプルな作品も、場所のイメージにピッタリなインスタレーションとして、評価します。いや、私に評価されても、嬉しくもなんともないだろうけれど、笑。




Doorway by Vadim Fiskin(ロシア―リュビヤナ、1965年生)

奥の壁に、開いたり閉まったりするドアの映像が映し出されているだけの作品です。結構パタパタと短時間で閉まったり開いたり。開いた時のあふれんばかりの光が、ぐっと来ます。

先にある別の建物は、このような内装にされていました。




どう見ても、ナチのユダヤ人収容所。作品は、この奥の方に展示されていた不思議な時計だったのですが、この構造の方が気になってしまい、怖くて、すぐに出てきてしまいました。

その先には、壮大な無駄、的な作品が堂々と展示されています。




Shipyard by Michael Beutler(ドイツ―ベルリン、1976年生)

アルセナーレがもともと造船所であったことに対するオマージュとして作られた作品ということです。
建物の中には、四つの大きな水槽が置かれ、そこに浮かんでいるような構造物があります。




水槽の水の微妙な揺れで、天井とつながっている構造物も、微妙に揺れているようです。動くかと思って押してみると、相当の重みですが、動いたようでした。

このような木の構造物は、日本の技術などを使っているような気もします。外壁部分、面白いです。




木なのに、互い違いに組み合わされて。これは日本またはアジアの木の家の人たちの技術ですよね。
それにしても、これは、どちらかというと建築ビエンナーレでの展示の方が、しっくりくるような作品でした。

緑の小道を行くと、どこからともなく、いろいろと混ざり合った音が聞こえてきます。




Composition for a Publice Park by Hassan Khan(英国―カイロ、1975年生)

自然の音ではありえないけれど、最初、どこからどう聞こえてくるのか、わかりませんでした。よく見ると、道端に、黒いスピーカーがありますね。

先の、開けた場所に、ずらりとスピーカーが並んでいて、スピーカーの小道となっていました。間を歩くと、歩くにつれ、様々なサウンドが聞こえてくる仕掛け。




でもね、つまんない。
この辺りは、すでに相当疲れていますから、よほどのものじゃないと、興奮もせず、面白さも見いだせないテンションです。

そうは言いながら、ちまちましたこういう、割と正当な現代美術然、とした作品は、食いついてしまいますねぇ。




この一角、同じ作家さんの一連の作品が並べられていましたが、ギャラリーの展示的な、ちょっと買っちゃおうかな、と思わせる、そういう規模でテイストの、至極普通の作品たち。




Pet Cemetary by Erika Verzutti(ブラジル、1971年生)

でも、テーマはペットのお墓だったんですね。




Foret de Balais by Michel Blazy

ディズニーのファンタジーを髣髴とするホウキの集団。タイトルはまんま、「ホウキの林」ですが、ちょっとひねってもよかろうよ、と思いました。




A Circle for a Venezian Garden by Takesada Matsutani(日本―パリ、1937年生)

具体のメンバーだった人みたいですが、なぜ、いまこのような作品を選ぶのかは、私には全く不明です。何か、感じるところ、ありますかね。

本会場の方に戻りつつ、行に見ていない展示を拾いながら歩きます。まずは、以前とは内装が大いに変わってしまった中国パヴィリオン。以前は、元から置かれていたボイラーのような機械類がそのまま残されたスペースで、それを利用する面白さがある場所でしたが、今は、それらが取り払われた、大きなスペースになっています。




China Pavilion
Continuum – Generation by Generation(不息)
Tang Nannan, Wu Jian'an, Wang Tienawen, Yao Huifen




映像や、工芸品的なものが、雑多に並べられていて、今一つ、統一感がなく、訴えるものがわかりませんでした。ところどころ、面白いものはあるんだけど。

この後、いよいよイタリア館。
いよいよ、ということもないけれど、一応主催国であるだけに、力は入っているので。

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  1. 2017/10/23(月) 01:36:50|
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初上陸で見た夢は…。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その13

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
会場の北端で、渡し船に乗船です。




ほんの2分ほどの乗船で、アルセナーレ・ノルドに初上陸!




この会場図では、下が北となっていて、今のアルセナーレ・ノルドの図は、下側で、上部が本当のアルセナーレ会場となっています。
ノルドは、この数年、少しずつ使えるスペースを増やしてきているものと思います。これまで、時間の関係で、渡る余裕がなかったのですが、過去にも、展示があったのは知っています。

本島の会場を眺めると、左側に、Kishio Sugaさんの作品が展示されていたドッグが見えます。




まずは取るものもとりあえず、手近にあった会場へ。




Lebanese Republic Pavilion
Samas by Zad Moultaka

と言っても、ここの写真は、入り口しかないんです。というのも、入ると真っ暗。
私の直前に入ったイタリア人三人組と一緒に、暗闇で説明を受けます。懐中電灯を持った係員が誘導するので、それについて歩いてほしい、ということでした。
三人組は、若い娘たちで、物おじすることなく、どんどん歩き出しますが、私は、暗闇がかなり本気で苦手。懐中電灯の誘導は、あっという間に視界から消えて、ちょっと遅れて歩いている娘の一人の後をついていくのがやっとという状況です。
おそらく、部屋を横切った向かいの壁のところに、ぼんやりと灯りがあてられた作品らしきものが見えるのですが、それ以外は闇なので、もう怖くて怖くて、作品鑑賞どころではありません。指針となる娘さんの姿を見失わないように、ただそれだけに必死になって、何とか出口にたどり着きました。
もう、コンセプトも何もわからないし、どうでもよし。転びもせず、出られただけで良し!と、変な達成感はありましたが、どっと疲れました。
ぼんやりと見えた作品は、すごくつまらなかったし。
今、入り口を見ると、Soleil Noir Soleilとありますね。太陽、黒い太陽?夜の太陽?なんか、作品はキラキラとゴールドだったし、あれはもしかすると暗闇に見える太陽だったのか。日食?
なんだかもう、すごく陳腐な発想しかできんわ。

お隣は、またもや中国。




Memory and contemporaneity – China Art Today

これは中国パヴィリオンではなく、あくまで中国の現代アート、というサテライト展です。かなり大きなスペースを使っていました。

中国臭の強い、工芸作品的なものは、元来興味の対象外でしたが、最初に引き込まれてしまったのが、巨大スクリーンに映された、これは紫禁城なのかしらん。




遥か外側の入り口から、どんどん奥にカメラが進んでいくのですが、十畳、いやもっと大きいのか、壁全体がスクリーンになっている上に、ドローン的な視線で、カメラがすごい勢いで進んでいくので、自分が高速歩く歩道になってその場を飛んでいるような感覚に襲われます。どこまで進んでも、どこまでもさらに奥があるというのもすごい。CGで作っているとも思うのですが、実際を知らないし、中国四千年の歴史は侮れないと思っているので、現実的にみてしまいましたね~。




床部分も映像なので、こうやって、実際に現場に佇んでいる状態になります。
新味はないけれど、こういう巨大さやスピードっていうのは、なかなかお目にかかれる規模ではないので、やはりワクワクする要素ではあります。

広いスペースを使っただけあって、巨大作品が他にも並べられていて、もひとつよかったのが、これ。




Different Dreams on the bed by Song Dong

四角の建物で、どの壁も、様々な窓枠や扉で囲まれています。こちら側と反対側に、のぞき込めるように扉があけ放されています。




のぞき込むと、アンティークっぽい、ベッドというよりも寝台、と言った方が似つかわしい家具が、所せましと並べられ、積み重ねられていて、それだけでも、いいなぁ、と思ってしまったのですが、上を見て、さらにびっくり。




絶句!予想外の美しさに出会って、絶句でしたよ。
数知れないランプが下がっていて、ここで初めて、鏡面の遊びに気付くのです。




壁も天井も床も、全部鏡面になっているのですね。だから、すべてが無限。
そして、すべてがアンティーク。たぶん、本当のアンティークなんじゃないのかなぁ。

私は古いものが好きで、家を買った時も、アンティーク屋さん巡りは結構したのです。家を買った当時は、普通以上に貧乏になっているのに、でも、普段ありえない金額を使っていることで、すでに金銭感覚狂ってますから、机と、ランプシェードは、本気で探したんです。
でも、幸いにも、大きさやデザインで、これというものが見つからないうちに時間切れとなり、普通の家具やでかなり普通のものを購入することになったのです。金銭感覚が戻ってから、つくづく、幸いだった、と安堵したものです、笑。

それにしても、この人のセンス、いいわぁ。

この、外壁の作りだって、相当好き。




上の方の、家の作品の左側に映りこんでいるのも、巨大な作品。




United nation's man & space by Gu Wenda

地味な色彩で、各国の国旗が作られていて、発想は結構斬新。思わず、日本はどこだ?と探しちゃうのが、やはり一般人だなぁ、オレ。




地味な場所に、地味な感じで置かれておりましたが、デザインが単純な分、目立ちますね、やはり。
これ、素材は何だろう、と思うでしょ。こうやって遠目に眺めていると、わかりにくいんですが、近づいて、思わず引けました。




もしや、髪の毛では…?
タイトルからして、もしかすると各国出身者から髪の毛を集めたとか?
これはちょっと、物理的に嫌だったな。展示する人も、触るの嫌だったんじゃないか、とか勝手に同情。

で、逃げるように次の展示へ。




Hyper Pavilion

ここは、まったくよくわからなかったんです。
とにかく人が少ない。だだっ広い。薄暗い。怖い。




異空間に紛れ込んでしまったことを楽しめばよいのかもしれないんですが、のめりこめるほど面白い展示もなく、ただ、唐突な段差とかで転ばないようにしないと、とか、余計な保身ばかり考えながら、歩いていました。




見事に人がいない。やはり渡し船に乗ってまで来る人は、少ないんです。本当の混雑が嘘みたい。
ただ、作品もねぇ。ハイパーというからには、デジタルとか現代的な要素をメインにした作品館、というようなコンセプトだったようなのですが、デジタル映像を、巨大スクリーンに流しているだけのものが、ハイパーかと言われれば、?、とも思うし。




「蟲氏」を髣髴としてしまった映像。
いや、過去と現代ハイパーという意味でも、面白さ、美しさでも、蟲氏が勝つわ。笑。

あっという間に見学終了。

ノルデまで足を延ばして、とりあえず、初上陸はよかったし、もう一つよかったのは、見学者が少ないけれど、バールはちゃんとオープンしていて、のんびりとランチをいただけたことです。本島ではどこのバールも、異常に混雑していて、ついお昼時を逃していたので、ちょうどよかったし、これはまさに穴場。

穴場ですよ、皆さん。ノルドのバール!

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家の中で大雨、あこがれのグルジア

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その12

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
この会場は、本当に長くて、どこまでも尽きない感じ。その上、年々、展示スペースが拡大しています。狭いベネチア本島ですが、この辺りは、かなりの敷地が、もともと軍関係の造船設備に使われていたせいだと思うのですが、おそらく、結構余裕があるんですね。廃墟化した建物を再利用していますが、私がコンスタントに通うようになったこの10年ほどの間にも、廃屋が次々と展示会場に模様替えされています。




多分、Square by Liu Jianhua(中国、1962年生)
一見、ちょっと目が惹かれる大型の作品ですが、あまり面白みは感じなかったのです。
これよりも、その先にあった、やはり四角い作品の方に、大いに興味をそそられました。




WeltenLinie (One in a Time) by Alicja Kwade(ポーランド―ベルリン、1979生)

これは、何とも面白かった。パッと見あると、ただ、家の基礎みたいな、メタルの骨組みがあるだけなんだけど、近づいた時、向こう側に、あるはずのない扉があり、え?また、新しいスペースができたの?とそちらに向かったところで、ふっと消えたんです。

多分こういう感じだった。




奥の方に、扉があると思うじゃないですか。
実はこれ、骨組みの一部は、実際に骨組みだけなんだけど、ところどころに鏡がはまっている構造なんです。でも、一見しただけでは絶対にわからないの。
あ、ちなみに、上の写真には、私が写ってます~!

実にうまく展示会場を利用した作品で、これは感心しました。骨組みの間をうろうろしても、にわかには素通しなのか、鏡面入りなのかわからず、骨組みを通り抜けるのに、ドキドキしちゃいました。見ていると、多くの見学者が、仕組みに気付いて、控えめに、あ!って驚いている様子なのが、面白かったですね。

実は、この辺りで12時回っています。
9時半過ぎにホテルを出てから、ひたすら歩いていますので、そろそろ疲れも出てきたところで、これは目が覚めるような作品でした。

次のスペースも、おお!でした。




Werken by Bernardo Oyarzun
チリ・パヴィリオンChile Pavilion

奇をてらった作品ではないのですが、見せ方がうまいです。様々な仮面が、ただ並んでいるだけで、醸し出す空気があり、それをうまくとらえたな、というのかな。




見せ方が、作品そのものを生かしも殺しもする、そういう会場でもあるのだろうな、と思います。だから、作品に加えて、どう展示するのか、どう見せるのか、というところに、キュレーターの腕が問われるのかも。作家自身の腕もですけれど。

いくつかつまらない展示を通過して、これも、よかったですね~!




Georgia Pavilion
Living Dog among Dead Lions by Vajiko Chachkhiani

グルジア…!
昔、グルジアの映画を見て以来、グルジアという国にはあこがれているのですが、行ったことはありません。グルジア・アートの作品を見るのも、初めてかも。
奇しくも、まるで映画のような作品でした。

いきなり木造の古い古い家です。かなり高くなっていて、身長160センチの私では、地面のレベルからは中がほとんど見えません。表玄関には、階段があり、そこを上ると、窓から中を見ることができます。上の写真で、赤パンツのおやじがいるところです。

で、中がどうなっているかというと、水浸しなんです。家の中で雨が降っている状態。でも、表側からは、ほんの少ししか見えないんです。家は、明らかに奥の方にまでちゃんと構造物があるのに。
ぐるりと回って、反対側に行くと、こちらは、表の、ちゃんとした階段とは全く違って、近所のいたずら小僧が、のぞき見用に置いた、というような様子のブロックが置いてありました。いたずら小僧、または出歯亀がやったわけはありませんから、やはりこれも演出なんでしょうね。よっこらしょ、とぐらぐらするブロックに乗ったら、カーテンの隙間から、ちゃんと中が見えるようになっていました。




生活用品そのままで、ひたすらびしょぬれ。
すっごくストーリー性を感じます。灯りの様子もぴったり。そしてノスタルジーなアメリカンな空気。ただれた、やるせない空気。
こういう壮大な無駄的な作品は、いいね。なかなか見ることができない規模だけに、ビエンナーレに来た甲斐を感じます。

さて、この辺は、アルセナーレ会場も、かなり奥まってきているので、見学者の数も、かなり減るのです。ここでも、裏側のブロックを発見したときは、一人でした。いい感じです。

奥まった会場の最後には、ニュージーランド館もありました。




New Zealand Pavilion
Emissaries by Lisa Reihana

超横長のスクリーンに、一瞬期待しましたが、グルジアの強烈な作品の後では、お国紹介的なスクリーンの内容に、引けました。これは、万博とかにお国紹介で置くならいいけど、アートのくくりでは、きついな。

で、やっと突端の港に出たところ。




Pars pro Toto by Aljcia Kwade

これも、先ほどのメタル骨組みの作家Aljcia Kwadeさんの作品。本物の石を使った、惑星っぽいオブジェが並んでいます。もしかして太陽系なのかなぁ。この人の作品、好きみたいです。
日によって、ここでパフォーマンスもあったようです。

その先に、すでに記事にした日本チームによる家型筏。




The Play have a House – Arsenale Zig Zag

ベネチアの海でも、流れてみたようで、この家の中に、流れているときの映像が流されていました。能天気な内装の船内で、小さな椅子に腰かけて、ちょっとだけ映像を見ましたけれど、揺れる筏で、「あ~!ぶつかるぶつかる!」とか、至近距離の大騒ぎ映像で、なんだかなぁ、という感じではありました。




アルセナーレ、深奥のドッグ。とても好きな場所。今回は久しぶりに、ドッグにも展示があるということで、楽しみしていました。かなり昔にここで見た展示、素敵なのがあったのですが、最近は使われてなかったので。




でも、超わかりにくい。




Law of Situation by Kishio Suga

なんと、Kishio Sugaさんの作品だったのですね。去年、我が家の近所で、イタリア初という個展が開催されていて、初めて作品にお目にかかった作家さんです。
でもこれは、どう見ても、わかりにくい、というより、見えにくくて、もうちょっと岸に寄せるとか、なんかできなかったのかなぁ。横からでも、正面からでも、建物の壁が水に映るのもあり、作品が見えにくいので、どう判断してよいのやら、というところでした。




これが、正しいあり方なんでしょうけれど、ちょっと物足りない…。

さて、日帰りのいつもなら、そろそろ帰りの列車の時間も気になりだす場所ですが、今回は、一泊だったために、朝からアルセナーレに来られて、まだまだ時間に余裕があります。
だから、いつもなら、相当端折り気味になるこの辺りも、ゆっくりじっくりと見ることができるのは、嬉しかったです。

で、確か前回あたりから始まった、対岸の会場にも、足を延ばせることとなりました。




ドッグの脇にイタリア館がありますが、そちらは後回しにして、対岸への船着き場へ。新しい会場、ワクワクです。

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  1. 2017/10/19(木) 05:51:17|
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まさか、楽しい器だったとは!日本語を知ってるのか?

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その11




アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
ちょっと端折り気味で続けます。というのも、あまりにつまらない作品の連続で、今写真を見返しても、現場を思い出せないような状態なんです。撮影はしたものの、まったく、心に残らない、目の前の作品を見ても、おそらく何も感じなかったということなんでしょうね。




こういった作品が、ここにある意味があるのかな、と漠然とそういう印象が続きます。すべてが斬新である必要はないのですが、でも、より、生活に密着し、かつ商業的なインテリア・デザインの見本市サローネ関連の展示に、すでに似たような製品や提案があったり、という現実にも、思いが行きます。
アートと経済力というのは、切っても切れないものだけど、商業的な成功と、より密接なサローネが先を行っているのだとしたら、それは違うと思いますよね。

そんなスペースで、最近は存在が減っているビデオ作品に、釘付けになりました。




Traces by Nevin Aladag(トルコ―ベルリン、1972年生)

三つのスクリーンが横並びになっていて、それぞれ、音の出るものが、本来とは違う形で音を紡ぎだす様子を、並行して映し出しています。
これは楽しくて、6分程度の全編を見ずにはいられませんでした。




アコーディオンが、ポールと、右左に小刻みに揺れる、遊園地のトロッコみたいな乗り物につなげられていて、ぼわんぼわんと音を奏でたり、風船の口にはめられたリコーダーが、風船がしぼむにつれて、ふわふわと漂いながら、ピーっとなったり。




回転する遊具に、括りつけられたバイオリンが、一カ所に固定した弓に触れる度に、ぎーっと音を出す仕組みとか。




陳腐?ばかばかしい?
でも、とにかく楽しい。幸せになる映像ばかり。本来と違う視点、あるものを違う発想で取り扱うっていうのは、結構基本だと思うんだけど、楽器というとても身近な、誰でもがこれは何か、を知っているブツを、こういう風に取り扱うっていうのが、やっぱりアートかなぁ、と。陳腐でも、ばかばかしくても、発想の転換の視覚化。

それに、書きながら気づきましたが、楽器って、「楽しい器」なんですね。日本語、すごい!楽しい器だわ、本当に。

本来ビデオ作品は好みではないのだけど、本当に好きだったな。
こんなのより、楽しいだけで、いいじゃんね。




なんか、糸針系というか、手仕事系の作品が多すぎるような気がしたけど、どうなんでしょ。職人的作品が好みなのか?




手芸作品の延長みたいのを見せられてもねぇ。
延長ならいっそ、ここまではやってほしい、という好ましさがあったのが、この、色の氾濫。




Escalade beyond Cromatic Lands by Sheila Hicks(USA―パリ、1934年生)

ふかふかの毛糸玉の山って感じで、埋もれたい!と誰もが思うはず。

それにしても、アーティストの出身はいろいろだけど、現在地がベルリン、パリ比率、高すぎでは?偏ってるんでは?
それに、比較的高齢者の方が、面白いもの作ってない?
現代アート、現代のバリバリ若手、どうなの?今の動向というよりも、キュレーターの感性または好みは、若干古いということはないのかな?
私は、ジャルディーニの中央感からずっと、感覚が保守的で古いと感じながら、歩いていました。

これが、長々とウナギの寝床状態のアルセナーレの、最初の突き当りで、この先、左に曲がりつつ、違う構造に続いていきます。
そちらに移動する前に、もう一つビデオ。




Ballones on the sea by Hale Tenger(トルコ、1960年生)

5分程度のビデオだったようですが、ただ、同じ映像で、ゆらゆらしている水面をうつしているだけの作品。でも、結構きれい。よく見ると、上下が反転してるんですね。
なぜか、この部屋には誰もいなくて、アマノジャクの私は、その静寂に、ひと時ほっとしてモノでした。だから、本来以上に、気持ちの良い作品のように感じたような気もします。

曲がった先に、これまた面白いパフォーマンス作品を発見。




One Thousand and One Night By Edith Dekyndt

暗い部屋の中で、床に四角く敷かれた砂のようなものが、キラキラとしているんです。四角く、スポットライトを当てているので、そこだけがキラキラ。周囲に見学者が結構いますが、それが気にならず、作品と自分、という空間が作られています。
その四角い砂の形を、デッキブラシで、ひたすら整える人がいる。




時々、ブラシの先で、わざと埃立つような動きをしながら、ひたすら面と向き合うパフォーマー。こういう変なパフォーマンスは、好きです。
同じアーティストの作品が、いろいろ並んでいたんですが、ジオラマ的でこまごまと、同じテーマ統一で、好きでした。




赤い砂の先の方で、ミクロなおばさんフィギュアが、やっぱり砂を整えています。
青い砂も、同様に、ひそかに整えられています。




こっちでは、男性フィギュアが、石交じりの砂を何とかしようと働いています。




小指の先ほどの小さいフィギュアが巨人国にいるような設え。とにかく、ジオラマ的なものに弱いんですよね。ツボ。笑。

面白いもの、やっぱりあります。
これだけ集めるとね。

まだまだ続きますよ。

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  1. 2017/10/18(水) 06:02:51|
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つまらんと悪態と付きつつ歩くのも、また楽し?

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その10

ロマネスクを待ち焦がれている向きには申し訳ないのですが、まだしばらく、ビエンナーレ記事が続きます。
アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。




団体さんの数も、多かった~!あちこちで、こういうガイド付きの団体さんに出会いました。正直、かなり邪魔。歴史的な建造物とか芸術品の鑑賞の際には、ガイドもそれなりに面白いケースが多かったりしますが、現代アート、いや、普通の展覧会でも、解説ほどうっとうしいものはない、と思っている私には、ただ邪魔なだけ。蘊蓄が好きな向きには失礼ですけれど~。

でも、こういう作品の前で、解説はいらんやろう?と思ってしまうんですよねぇ。




Cantico del Discenso I-XI by Cynthia Gutierrez(メキシコ、1978年生)
なんかさぁ、メキシコって、結構現代あると思うんですが、これはなぁ、違うよなぁ、って思いました。こういうのをちまちま集めるキュレーター、やはり、話、合わんよなぁ。

この、ハデハデの葬式の献花のような、花輪ずらずらも、どうかと思った。




Good Intentions by Irina Korina(ロシア、1977年生)
ロシアねぇ。色彩的には、若干わからないでもないけど、かなり大上段に構えたインスタレーションのメインが、この花輪かよ、と思ってしまいましたねぇ。
このインスタレーション、ちょっと高台になっているんですが、そこから見えたブツは、ちょっと気になりました。




人形、というのか、遠目でも印象的な。若干後戻り状態でしたが、かぶりつきから鑑賞。




Francis Upritchard(ニュージーランド―ロンドン、1976年生)
後付けで、この展示は、結構注目されていたと知りましたが、いや、近くから見たら、全然面白くなくて。
思想的なバックがありそうなイメージは大いに伝わってきたので、それだけでも、表現としての力があったのだと思うけれど、受けたイメージは、「なんか、いや」だったので、わたし的には、ダメでした、笑。

そういう合間に、こういった、かなり普通の作品に、意外と引き寄せられたりね。




Teresa Lanceta(スペイン、1951生)
チクチクしている作品。手仕事好きには、訴えるものがあります。
ビエンナーレ訪問当時よりも、今、たいした時差はないものの、独立騒動前と後、という意味での今、バルセロナで活躍しているアーティスト、ということで、今、どうなの?という気にはなります。




遠目では、全体像しか把握できないけれど、近づくと、手仕事系のチクチクが思いっきり見える、という作品のコンセプトが、結構好き。

自分のツボにはまる、そういう傾向として、これも、説明的に好きだった展示。




Visible Labor y Gabriel Orozco(メキシコ、1962生)

パッと見、あまりに地味だし、なんなの、これ?としか思えないんだけど、壁にかけられた説明を見ると、あらら、それだったら、もうちょっとちゃんと見ないと、と思ってしまうないようなわけです。




ちょっと、これまたサローネっぽいですけどね、なんか、宮大工的な、匠の技を目の前に見せてくれる展示になっているわけです。




こういうのを見ても、あてはまる感じすら思い浮かべられない情けない日本人ですが、なんか、棹継ぎとか、金輪継ぎ、とか、そういう表現だけで、うっとりしちゃうというか。石好きだけど、木はもっと好きだったりするんです。そして、宮大工的な技術には、あこがれています。木を、やすりですりすりするのが大好きです。

これまた、完全サローネの世界。




壁紙ですよ。そういった広範な紙のモチーフ印刷マシンの展示。




All of a tremble(Encounter I) by Anri Sala (アルバニア生―ベルリン、1974生)
これはさ、工芸と美術の境目というか、工芸を美術化したとすると、サローネの世界だし、ビエンナーレに置く作品ではない、と思います。好きだけどもさ。

このあたり、こういう作品が続くので、カット。なんだかな~。




これは、いきなり、テントというか、パオ的な構造物で、靴を脱げば、誰でもこの中に入って、床に寝そべったり、スケスケのその構造物の中の生活を体験できるようになっていたんですが、だからなに?的な、面白くなさが見え見えで、体験型好きな私にしても、わざわざ靴を脱いで、入ろうという気にはなりませんでした。

この辺りは、もうシャーマンがテーマのスペースなのでしょうか。ちょっと変なものが続きます。




Third Lung by Naufus Ramirez-Figueroa(グアテマラ―ベルリン、1978生)
照明も変だし、一見、ちょっと面白かった造形だけど、閉ざされた部屋に入って、しげしげ見てると、だから?と言いたくなる…。

ちょっとフォトジェニックて、もしかすると、現物より写真がいいかも?と危惧したこれも、結局、現物以上のイメージはないです。




Taqiya-Nor by Younes Rahmoun
小粒で、全体としても、これがあるとないで、変わりますか?と言いたくなる。

花をデフォルメしたみたいな作品が、ずらりと壁に並んでいましたが、まさに、壁の花状態なんですが。




Woman did do this in shining when her space threads and vines crimpedm wrinkled in lines could force a clear high shimmer of Bud blue black flower all boney and new will upon will came with withpers with new by Rina Banerjee

タイトル、長っ!
こういうのって、作品も含めて、時代遅れ感、満載、わたし的には。

ちょっと、つまんないよね。
どうしようかな、どこを割愛しようかな、と思いつつ、ついつい。

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  1. 2017/10/17(火) 06:09:35|
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黙々と歩くだけで、語れるものがある。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その9

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
ウナギの寝床状態の会場を、ひたすら先に進みます。とにかく混雑は相当ひどくて、まったくびっくりです。




ハンモック状態のオブジェに、あらゆる紙ものがくっついています。
なんか、ちょっとね、面白くて、こういうのって。ついつい見入ってしまったりします。個人の、非常に個人的なある時期の記憶とでもいったようなものを、ひっそりと覗き見るような隠匿的な感じがあるっていうか。アーティストの意図は、まったくわからないですけど。たぶん、Commonのテーマ地域です。




これは、なんだろう。内と外、みたいな?意味のない教会があるだけで、確かに区切りができてしまうの。区切りの内側に球があります。足を踏み入れてはいけなかったのかどうか、わからなかったけど、確かに、踏み込めない。常識のバリア。
この一連、間違えでなければ、Franz Erhard Waltherというドイツ人の作家さんの作品です。

私、現代美術は、ちょっとは見ているんですが、作家さんの名前って本当に覚えられなくて。それも、ひと昔前の人っていうのは、ほとんど知らない。
で、この方が、超大御所っていうのも、まったく知らず。実は、今回賞を取った方なんですね。80歳近くで活躍しているというのは、いわゆる大御所ですよね。




でも、この出世作?たぶんすごく有名な作品らしいのですが、すっごく、本当にすっごくつまらなくて、なんでこんな作品のために、これだけのスペースを割くのだろう、と思って見ていました。

今回のビエンナーレ、専門家の書いた評を、いくつか見ました。専門家には、それなりの面白さがあったりするようです。これまでの商業主義的な、つまり売れている有名作家中心の展示とは一線を画する点は注目すべき、的な。
私は、この大御所さんも知らないように、有名だろうが無名だろうが、そんなのは興味ないわけで、自分が面白いかどうか、で見てるし、ここに来る大多数はそういう人たちなんじゃないかと思うんですけどね。そういう意見って、批評家中心主義的な感じがして、どうも、いやだな。
批評って、指針としてありなんだろうけれど、基本的に好きじゃないもんで~。

この辺から、Earthがテーマのスペースに入ると思います。




たまにはね、正統派絵画も、面白いと思うんだよ、私でも。




Kananginak Pootoogook
カナダの作家さんでもうお亡くなりになったようですが、とても繊細なペン画がずらりと並んでいました。とっても素敵な絵がずらりと並んでいて、どれも好みでした。

でも、こういう作品が、ビエンナーレにあるべきなのか、というと、どうなんだろう、と思ってしまうのも確かです。
それにしても、世界中にある作品から、テーマに沿って、選ぶって、それはすごいことですね。相当の経験や知識がなければ、できませんよね。だから、どうしても、有名作家や有名作品の偏ってしまう傾向がある、というのは、わかる気はします。

これは、事前にどこかで記事を読んだ気がします。




The Play
日本人グループが、水辺を漂うプロジェクト。
このセーヌ川を流れるのは、2012年の企画ですが、元は、70年前後に、日本でやった企画のようですね。




今回は、家型のボートで、ベネチアの運河を漂ったようで、そのボートが、後程出てきますが、今になって、同じような企画を再び実施する意図が、わかりませんでした。翻意して、何か面白いことをやっているわけでもなく、ただ、今は、ビデオ撮影も容易なため、記録は膨大に残されたようですが、うーむ。




Turtle by Erika Verzutti(ブラジル、1971年生)
あ~、やっと若い人。
でもさぁ、なんかでかいだけで、面白みはない。この作品、手乗りサイズだったら、ほしいと思うけど、このサイズであるべき理由が見いだせず。




Future Fossil Spaces by Julian Charriere(スイス、1987年生)
おお、さらに若い!そして、これはちょっときれいで楽しさがありました。
これね、ウユニ塩湖の塩でできた柱らしい。それだけでも、ちょっとロマンがある。で、ところどころに、透明な水晶的なものがあって、そういうのって、楽しいんだよ。




でも、正直言って、サローネの展示的なイメージの方が強い。芸術というより、工業製品的な。
それにしても、自然の作り出す文様や色というのは、やはり美しいものですねぇ。
あ、Earthテーマね。

これも、土とか地面とか、確かにそうだけどさ。




Collection de Chaussures by Michel Blazy(モナコ―パリ、1966年生)

かなりダメになってるスニーカーがたくさん、鉢になって、植物が植えられてるんだけど。
臭そうだし、なんか、違うなって。こういうのって、会期長いから、実際に水やりして、育ててると思うんだけども、なんかここに植えられた植物、臭かろう、と、かわいそうな気がしちゃって。それもヒトの偏見かぁ。

同じ人の作品らしいんだけど、これは、おお!と感心しました。




Acqua alta by Michel Blazy

わかりにくいと思いますが、台の上に、雑誌なのか、フライヤーなのか、紙がぎっしりと相当の厚みで積んであり、その表面の一部が、水滴で、浸食されつつある、という状態です。なんだかよくわからず、近づくと、水滴の撥ねが感じられたので、水だ、とわかったのですが、え?どこから?天井?




確かに、そういうためらしい単純な装置が認められます。
それにしても、結構な高みからとはいえ、一滴ずつのしたたりが、半年近くで、これだけの浸食を起こすのか、と思うと、感嘆しました。




二作品に共通する、この作家さんのコンセプトというのが、なんとなくうかがい知れるような。いずれにしても、このような作品は、会期が長いからこそ楽しめるもので、ビエンナーレにピッタリ。これは好きでした。

そのあと、私にとっては、面白みのない作品が続きます。







で、久しぶりにビデオ作品。




Of Walkind in unknown by Koki Tanaka

調度疲れてきたころで、ちょっと座りたい気持ちもあったので、この、ビデオの後ろに置かれた写真に、興味を惹かれて、座りました。廃道巡りの記録とか、そういうものかと思っちゃったんですよね。

そしたら、確かに歩く記録ではあったんだけど、内容は全然違いました。作家さんが、自宅のある京都から、最も近い原発まで、ただ黙々と歩いていく記録。




そのところどころで、気になるものを拾って、リュックに詰めて、そしてまた黙々と歩く。原発の入り口で、終了する、それだけの記録です。福島でもない。事故を起こした原発でもない。

内容をわからずに、ただセリフのない映像を見て、考えたのは、日本人にとって近年最も強烈なカタストロフィである東北の震災と、それに続く原発事故というのは、もう絶対に、忘れることができないイベントであるのだな、ということ。そして、何を考える時でも、おそらく、その前と後、という区切りができてしまっているのではないか、ということ。現代アートでも、あの後の作品、なるほどね。あの前の作品、なるほどね。というのかな。

アメリカ人にとっては、9.11がそれにあたるのかもしれない。もうちょっと年代が上がれば、やはり第二次世界大戦なのかもしれない。

それほど多くの人すべてに共通することでなくても、個人的なイベントが、その時を境に、自分の見る世界を変えることもあるかもしれない。

淡々とした映像を見て、そういうことを考えました。
そういう時間を持てるから、だから、ビエンナーレが好きなのかもしれないと思いました。作品と向き合って、何かを考える。向き合わなくても、漠然とした思いをぐるぐるさせることって、日常生活ではなかなかできないことではないでしょうか。

まだまだ続きます。

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台湾人の夢見る盆栽にうっとり。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その8

ジャルディーニ会場を出てすぐ、運河の手前に、バールがあります。ビエンナーレがないときは、クローズするしかない、というような立地ですが、ビエンナーレ開催中に、きっと十分一年分の収入があるだろうな、というような。
普段は、そういうバールに過ぎないのですが、なんと今回は、そのバールの一角までも、パヴィリオンになっていました。




Thailand Pavilion
Krung Thep Bangkok by Somboon Hormtientong

象の彫り物とか、仏像とか、そういった民族的な伝統アートと、今のバンコク、的なプラスティック素材の大量インスタレーションが同居する展示。




上に積んである、カラフルなプラスチックは、かごとか椅子とか、日常のそこらに転がっている代物で、でも、日本ではもはやあまり使われなくなってしまった感じもありますね。私は東南アジアの国を訪ねたことないんですが、まだまだこういう日用品が、日本よりは使われているのではないか、という勝手はイメージを持っているんです、たぶん。だから、なんとなく、しっくり来てしまった。




自己主張が控えめで、さらりとした展示。意外とよかったな~。こういう時、自分のツボって、わからなくなりますけどね。

さて、ここからは、日を改めて、アルセナーレ会場に移動しますよ。




前回、建築ビエンナーレでは、ジャルディーニ会場からここへ移動するときに、チケットを失くしたことに気付いて、真っ青になって到着したアルセナーレ入り口。
今回は、一泊することもあり、その体験から非常に神経質になって、何度もチケットのありかを指さし確認してしまいました。無事、なくさずに到着して、ほっとしました。なんだか、情けないけど。

さて、本会場に入る前に、この通りに、いくつか展示会場がありますので、まずは、そこから見学開始です。




A Bonsai of My Dream(盆栽如夢) by Wong Cheng Pou

これ、面白かった!キモかわいいを体現したようなフィギュア満載!




Hole Man(通心人)
いきなり、実際の人間大の、この不気味なフィギュアの迫力!
なんと、お隣の部屋とつながっていたのです。




何だろう。陳腐と言えないこともないけど、何か感じちゃうよね。




お庭の片隅に、ひっそりと生息してそうな人たち。何だろう、この不気味さと同時の無味乾燥さ。双頭のMr.Yamと、まんまると縦長のEgg Man二人。
作家さんの見る夢を体現したフィギュアのようですが、多くの人が、いろんなものにインスパイアして漠然とイメージするような、普遍的な何かがあるような。アジア人だから?




作家さんは、台湾の方で、結構な大御所と思われる50代半ば。マカオの美術館共催だもん。

お隣も、中国系の展示があります。これも、もう長いことある展示スペース。古い住居跡を使用しているスペースなんですが、とても雰囲気があります。




Samson Young: Songs for Disaster Relief
Hong Kong in Venice

香港パヴィリオン、という位置づけなんですね、きっと。

スペースの雰囲気は相変わらずよいのですが、展示はちょっと…。




さぁ、いよいよアルセナーレ会場へ。
入り口で、思わず目を疑ったのが、これ。





ジャルディーニ会場では、まったく置かれていなくて、係員に聞いても、「ないものはないし」と、あまりにひどい答えだった、あの会場パンフレット、やっぱり売るほどあるじゃんよ~!オーガナイズを疑うわ、まったく。
この朝、会場に向かう途中に、サン・マルコ広場にある観光局で、しっかりゲットしてきたので、もう興味なかったのが、逆に損した気分で、むかついた~。どうでもいいけどさ。

さて、気を取り直して、入場。




なんと~!またこれ!
この巨大スペースでは、ぐっとつかまれて、ぐっとのめりこませてもらいたいんですけどね~。ジャルディーニのセントラル・パヴィリオン同様の、ちまちました展示で、なんだか拍子抜けというか、がっかりしてしまいました。
でも、アルセナーレ会場は、ウナギの寝床で、どこまでも続くので、きっと何かが待っているに違いない、と期待しつつ、さっさと先に進みます。

でも、なんだか小品が続く。




パンの本?なんだよ、これ。
Encyclopedia of Bread by Maria Lai
イタリア人アーティストの作品らしい。しかし、こういうの、いきなりつかみに持ってこられても、戸惑うなぁ。

アルセナーレ会場は、前回の記事にちょっと記した全体構造に従って、メインのスペースが、Common、Earth、Tradition、Dionysian、そしてColorsをテーマとして展示になっていて、入り口から、この順番で、その展示が続くようになっているようです。とすると、この入り口近くは、Commonということになるんですかね。

この、糸巻き巻きは、何を?




壁に無作為に刺さっているのが、色とりどりの糸巻きで、それが机に積まれた服につながっています。で、その机の一方では、東洋人が、針仕事中。




これ、単なる参加型作品で、もしかして、糸針仕事が必要だったり、チクチクしたいだけの人が、勝手にトライアルできるものだったのか、それとも、このチクチクの人はパフォーマーだったのか、その辺、不明。
体験型展示、大好きだけど、これは、ワクワクと、自分も参加したいかも、とは、チクチク好きの私にして、一切感じず。

驚きや発見や刺激ゼロのまま、続きます。




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