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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ムデハルの町でも、まずはコウノさん(ケリャー1)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その18(2016年夏の旅)

ムデハル様式を見たい、と思って訪ねたのが、ケリャーCuellarという町です。




スペインらしい写真ではないですか。北アフリカ辺の砂漠というか荒野に囲まれた村というようにも見えますよね。

ここらでちょっと地図に登場願います。




小さくて、詳細が見えないかもしれませんが、例によって、紙もの地図。
囲ってある町村は、すべて、何らかのロマネスクまたは中世の遺構があるはずなんです。これまでの記事で何度か書いたように、また紹介したように、遺構といっても、ほとんど何もなかったりするものが多いのは残念なことですが、しかし、これだけの町村に、現実に遺構がある、という事実がすごいですし、同時に、私ごとき素人が、ちょっとネットを回るだけで、何らかの情報を補足できてしまうのもすごいと思います。

これまた何度か書いたことと思いますが、ネット情報レベルで言えば、おそらくスペイン中世の情報が一番充実しているんです。今までのところ、私の訪問対象は、イタリア、フランス、スペインに限定されているので、その三つの中で、ということですけれど。
検索は各国語で行いますが、イタリアやフランスは、スペインほど、ほぼどの地域についても、網羅的な情報が出てくることはないと感じています。
記事の最後に、インスタグラムのアカウントもリンクしていますが、インスタグラムでも、中世やロマネスク関連で圧倒的に多いのは、スペイン人愛好家なんですよ。
というわけで、私の感覚では、学術研究が最も進んでいるのがフランスで、好事家の多いのがスペイン。

で、困るのは、情報量が多すぎて、取捨選択が難しいという、いわゆる嬉しい悩みに陥るということですかね。

ま、そんなわけで、このときの旅でも、行き先の選定には、結構苦労したんです。

地図に戻りますが、このあたり、平地ではないのがわかるかと思います。




ケリャーの近くにも川が流れているため、渓谷があったり、結構高低差のある地形になっていて、ケリャーも、いわゆる丘の町なんです。だから、町の中も、坂道だらけで、この日はアフリカ並みの暑さだったので、まさに修行でした。




町の地図ですが、右下の30とある教会の近くで駐車して、左上の6とある教会まで、市内をぐるぐるしながら、さまよいました。
ラッキーだったのは、水が欲しくて、バールの前に駐車したのですが、たむろっているおやじたちに町のことを尋ねたところ、数人のおやじが先を争うようにしていろいろと教えてくれた上に、町の地図までくれたんですよ。
田舎はいいよねぇ。そして、こういう暇なおやじたち、助かるよねぇ。

目的の教会はわかっているので、地図があれば最強。坂道にもめげず、歩き出した、という次第です。

それにしても、この町に残る教会の数は驚異的です。歩きながらも、次々と遺構に出会ってしまうのです。




塔だけが残っているサンタ・マリーナTorre de Santa Marine。ムデハルですね~!
このレンガ積みは、好みもあるのでしょうが、いかにもイスラムらしい緻密さで幾何学装飾的な効果を出しており、私は今回結構気に入ったんです。時代が下ると、どんどん装飾性を増していって、そうなると、あまりにイスラム臭が強くなって、きれいだけどちょっとなぁ、と感じるのですが、この時代の、ただレンガ積み、というのがいいと思います。

道を進んでいくと、さりげなく教会。




サン・ミゲル教会Iglesia de San Miguel。
これも創建は古いものですが、ほとんど変容しちゃっているので、さらりと通過。

また別の塔。




実は、もうずいぶん時間がたつのに、写真の整理をしてなくて、どれがどれやら解明するのに、相当手こずりました。これはもしかすると、サン・エステバンの塔かも、とも思われますが、確信ありません。
この塔で、目を引かれたのは、いつものやつら。




コウノさんです!
嬉しくて、ついバカ面してみてしまうのは、いつもの通り。

飛行中の雄姿は、めったに撮影できません。




年末進行(?)しないといけないのに、例によって遅れてますので、次回から一気にケリャー、アップします。

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  1. 2017/12/17(日) 20:38:07|
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失礼だけどこんな村で、博識のお嬢さんに出会えるとは(ニエヴァ)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その17(2016年夏の旅)

あまりに地味な、その上アクセスもできないような場所が続いたので、さすがに嫌になってきて、場所に見切りをつけ、ちょっと方向性を変えてみよう、と向かったのが、ニエヴァNievaという、セゴビアからは、北西方向にある村です。




サン・エステーバン教会Iglesia de San Esteban教会。

イスラムと混じったムデハル様式の教会で、これはたたずまいがよかったです。
村の真ん中が、こんなにだだっ広い広場になっていて、その一角に建っているんです。




見た感じでわかるように、かなり激しく修復をされてしまっているのですが、それでもなお、11世紀の時代の名残が感じられる教会です。




写真で見るより、現地では、もっとしみじみした様子です。
ポルティカーダの方、南側になりますが、構造そのものは、完全に後付けのものですが、修復の賜物で、柱頭が、美しいんです。




南壁、正面から見ると、こういう様子です。この、飛び出している部分は、明らかに後代に付け足された構造物。本来のポルティカーダ構造や柱頭の保存状態が良いのは、この廂のせいもあると思います。

ポルティカーダの柱部分は、今は、建物に取り込まれてしまっていて、アーチにはガラスがはめ込まれて、壁と化しています。




柱頭、立派ですよ。
おなじみダニエルさん。




ライオンの毛並みが、ぐりぐり文様となっているのが、個性的。ダニエルさん、サーカスの調教師みたいになっていますね。

グリフィンも、毛並みや翼の彫りが細かいです。




おちり(お尻)側。




角っこで双頭になっていないし、おちりも顔も独立していて、意匠としては個性的かもね。

こちらも珍しい意匠です。




角角の騎乗の騎士が戦っているのか、試合なのか。このような戦う騎士、柱頭では初めて見たような気がします。騎士だから、ちょっと後の時代になるんですかね?

ここでガラスから中をのぞくと、内部の構造はもうピカピカ状態なんですが、洗礼盤が見えました。




ガラスが光ってしまって、わかりにくい写真ですが、かなり地味な、装飾性のないもの。でも、古そうな様子です。
内部も、一部、漆喰を塗らずに、ムデハル様式のレンガ積みの部分をむき出しに残しているようです。




北側の扉は、そこだけきれいにレンガ積み。階段が必要な高さでもあり、構造的には、確かにここに扉がこうあってもいいのかな、と思われますが、こっち側からのアクセスはなかった可能性もありますので、オリジナルかどうかは不明。




ムデハルの後陣、なんだか気に入りました。




なかなか気に入ったので、気持ちが持ち直しました。その勢いで、この村の地域にあるらしい隠遁所ヌエストラ・セニョーラ・デ・ポソ・ビエホErmita de Nuestra Senora de Pozo Viejoがどこにあるかを、通りすがりのおやじに尋ねる元気が出てしまいました。
回復早いよ、我ながら。

かなり反射的に聞いてしまっただけど、よく考えたら、隠遁所はどうせ行きにくい場所にあるし、わかりにくいし、もういいよ、とついさっきまで思っていたんだった。
でもおやじは、かなり親切で、自分は知らないけど、そこのバールの子が詳しいから、聞いてみたら、とほぼ拉致されて、バールに先導されてしまいました。

バールの若い女の子、本当に詳しかったんです。
隠遁所のことはもちろん、地域のこういった遺産のことは、ほとんど知っているようで、あそこはどうだ、ここはこうだ、ロマネスクならどこそこがいい、もしエル・グレコに興味があれば、そこの教会もいい、など、とどまるところを知らず、知識ぶり。これにはびっくりしました。こんなに詳しい若者に会うことって、初めてだと思います。

でもおかしかったのが、実は彼女、教会のカギを預かっていたんです。要はカギ番さんだたわけです。さんざん自分の知識を披露して、私が歩いてきたメモなども見ながら、でもね、教会は17時にしか開けられないの、ということで、頑としてそこは譲ってくれませんでした。
すごかったなぁ。記念に、写真でも撮らせてもらえばよかったですね、今思えば。

いずれにしても、このムデハルが気に入って、次の行き先を決めました。

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  1. 2017/12/15(金) 06:53:54|
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行けども行けども、救いはコウノさんのみ(ナバス・デ・リオフリオ、ラ・ロサ、マドローナ)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その16(2016年夏の旅)

この当たり、結構狭い地域にロマネスクが点在していますが、なんせ田舎。なんせ地味。というわけで行けども行けども、見つけにくい上に、見つけても、これなんだっけ?というような地味なプレゼンスです。

ナバス・デ・リオフリオNavas de Riofrioという村に向かいました。「冷たい川のほとり」という名前の村ですが、住宅地はやけに広がっていて、またもやうろうろです。
だらだら広がっている村って、なんか距離感がわかりにくい。道を教えてもらっても、「すぐ次を曲がって」とか言われても、すぐ次が、数キロ先だったりするんですよねぇ。どうも、車移動の距離感覚が身についていないので、車生活が基本の田舎道は、困ります。
それでも何とかたどり着いた、村の辻みたいな場所。道の両側にバール。そして、一角にそれらしいものがあります。

教会に見えるものの、ロマネスク?どうだろう?というたたずまいだったので、とりあえず片一方のバールに入り、カフェ休憩ついでにバールの人に尋ねたのですが、「私たち、この村に来て浅いし~、教会の名前?わからないな~」とばっさり。




インマクラーダ・コンセプシオン教会Iglesia de Inmaculada Concepcion。

この教会の後陣に沿って道がカーブしてますので、突き当りみたいになっていますが、手前左手と、右手にバールがあります。私が駐車したのは、やはり道なりに右側のバールだったんですが、あとから事前準備したメモを見たら、「近所のバールがカギを保管」とありました。手前に椅子やテーブルを出している、左側のバールが、おそらくそうだったんでしょうね。後の祭りでした。

わんこがうろうろしていたので、一瞬躊躇したのですが、こちらにまったく注目せず、悠々とうろうろしていたので、アクセス(右下、塔の陰にいます)。




建物からして期待できないうえに、思いっきりカギがかかっている様子ですよね。でも、鉄柵のところまではアクセスできたので、辛うじて、扉口を見ることができました。
そして、ちょっと驚きました。




扉周りの装飾、きれいに残っているし、修復というかお掃除というか、やりすぎだろう、というレベルで真っ白になっています。
アーキボルトの浮彫、時代が混じっているとは思いますが、面白いです。




太陽と月。




縁取りのポチポチと控えめな市松帯もなんだかかわいらしい。
稚拙な感じもありながら、シンプルな思いっきりのいい線が現代にも通じるものがあったり。でもやはりプリミティブ、と言った方が正しいのかな。




顔、なんかみんな、デッサン用ののっぺらぼう人体みたいになっていますけれど、ちゃんとうっすらは彫ってあるんです。




なんだか全体にミステリアスな雰囲気なんです。




ね、面白いですよね。手がポイント。

扉に一番近い、最も内側のアーキボルトには、ここでもまた装飾的な浮彫がびっしり。




地域の共通項がこれだけ顕著なのは、やはり狭い地域に立て込んでいるからでしょうね。同じ工房や石工さんが、いくつもの教会で仕事をしていたかもしれません。

というわけで、地味なりに楽しめるディテールがあって、よかったです。

ちなみに、場所は、セゴビアの南部郊外という位置関係です。不親切ですが、よかったらグーグルマップご参照ください。

同じような地域で、次にラ・ロサLa Losaに向かいました。ここは小さな、文字通り村という状態の上、目的はサン・ペドロ隠遁所Ermita de San Pedroなので、村にあるわけもありません。
車を降りて、パンを抱えたおやじに尋ねると、かなり考え込んでから、ゆっくりと道を指示してくれました。一応わかって気になって歩き出したら、後ろの方から、そっちじゃなくてあっち!みたいな指示をくれたのですが、もしかして、私が徒歩で行くつもりだとその時わかったらしく、改めて、歩きだと片道30分くらいかかるよ、と教えてくれました。
往復で1時間は長いし、かといって、指示された道は、そこから未舗装の凸凹道ですから、車を乗り入れる気にもなれません。
というわけで、潔くあきらめました。




村の教会。見るものもないけれど、唯一救いだったのはこいつ。




何はなくとも、コウノさんがいてくれると、何かしら嬉しい気持ちになります。
しばらくこのコウノさんを眺めてから、気を取り直して、セゴビア南部マイナー巡り、続けます。

次の村、Madronaは、ちょっと印象深かったです。
この地域、本当に地味だし、はずればかりで、回っているときはうんざりと疲れてしまいましたが、今、当時のメモを見ると、探す苦労に振り回されたりしている自分の姿を思い出して、思わずニマニマしてしまいます。特にこのマドローナは、なんだかやけになって探した感じだったな。ここらで何か見ないとやってらんない!と必死になってたんだった、多分。




ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・セルカ教会Iglesia de Nuestra Senora de la Cerca。

このマドローナ、ちょっといい村だったんです。村の中心が、かなりの高台になっていて、そこにこの教会がそびえているというロケーション。でも、結構な高台なので、階段のついている一方向からしか、その姿が見えないんです。
ところが、その階段のある入り口、鉄扉があるんですが、無情にも施錠されていました。

階段脇の部分は、こんな高い塀になっていて、全然外観すら拝めない。




軒持ち送りもありそうだし、こうなるとやはり近づいてみたくなりますよね。
それで、高台の下にあったバールでたむろしているおやじたちに、カギのことを尋ねてみました。「鍵ならミラグロスが持ってるよ」ミラグロス!なんと事前調査のメモにも、「カギはミラグロス」と書いていました。どこかのサイトで得た情報だと思います。
これはラッキーと思い、一人のおやじが指さしてくれた、教会至近のアパートに向かいました。

しかし、アパートですから、インターホンは四つほどあり、名前が書かれていませんので、どれがミラグロスのアパートのベルなのか、わかるわけもありません。仕方ない、といい加減にならしてみると(この辺りが、何か見ないと帰れない、と追い詰められていた様子ですよね、我ながら)、年配の女性の声で、ミラグロスの家は1番だけど、今、彼は留守のはずだということでした。
念のため1番のベルを押してみましたけれど、やはり反応なしでした。

あーあ、とがっかりして、すぐ近くの公園で一服していると、たぶん先ほど答えてくれた女性が、わざわざやってきて、ミラグロスはいないわよ、と改めて教えてくれました。
インターホンでも、明らかに外人だし、不信に思ったんだと思います。そりゃそうだ。
私が車に乗って立ち去るまで、彼女には観察されていたように思います。超怪しい東洋人…笑。

そんなわけで、相当頑張ったけれど、ダメだった、残念な教会です。




望遠で少しだけ、撮影しましたが、現地では、遠すぎて、認識不能でした。




相当痛んでいますね。でも、やはり近くから見たかったな。

ポルティカーダは、結構新しそうです。でも、見えないところに、古い柱頭なんかがありそうな風情ではあります。




このポルティカーダに扉があるはずだし、つくづく残念。ここでも、慰めはコウノさんでした。




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  1. 2017/12/14(木) 06:48:49|
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牛糞とオリーブの間に(レベンガ)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その15(2016年夏の旅)

セゴビアを後にして、向かったのは、レベンガという村です。
ここには驚きました。
目指すのはEremita、つまり隠遁所とでもいった礼拝所なので、村の中にないのは想像していましたが、どこに行けばいいのか、検討もつきません。
通りすがりの人に聞く度に、近づいている様子はありますが、もう3人目くらいに聞いたのが、地元の清掃車のおやじ二人。
その道を行くと、先の方にあるよ、と教えてくれたものの、なんとアスファルトのない土の道です。でも、ここに来るまでも相当苦労したので、思い切って行ってみることにしました。
ところがすぐに鉄扉に阻まれてしまいます。車の中でしばし悩んだものの、「この先にあるよ」と断言されたわけだから、やはり行くしかない、しかし鉄扉がある以上は、やはり車はここにおいて、徒歩でアクセスすべきか?と車は路肩に寄せて、鉄扉を開けた途端、いかにも地元の農民、というおやじが、ボロボロのジープでやってきて、車で行けるよ~、と言いながら、彼自身も、ジープを飛ばして先に行ってしまいました。
それなら、思い切っていくか、とまた車上の人となり、デコボコの道をそろそろと進みますが、とうとう、土の道を通り過ぎて、その先のアスファルトの道に出てしまいました。
どう考えても、これでは来すぎ、と感じたので、また後戻りして、もしかしてあれか?と思われる建物を遠くに認め、なんとか、徒歩でアクセスできそうな路肩に駐車しました。




こんな道が延々と続くのです。悩むでしょう、これは。
お日様さんさんだし、怖いイメージは全くなかったんですが、あとから考えたら、あんな人も歩いていないような場所、よく行ったもんだ、というところです。




オリーブの木が並び、牛糞がたくさん落ちている草原を、苦労して歩き、たどり着いたのが、これ。




レベンガRevenga、ヌエストラ・セニョーラ・デル・ソト隠遁所Ermita de Nuestra Senora del Soto。
この姿が見えた時は小躍りの嬉しさでした。さすがに不安を覚えだしていたので。

何もなさそうな草原なんですが、こんな柵に囲まれています。




あとからわかったんですが、というか、牛糞たくさん落ちていたからわかりそうなものですが、ここ、牛の放牧地なんですね。で、この柵は、おそらく牛対策だったんです。
私が近づいた時は、牛は他の場所にいたのでよかったのですが、帰りに車で通り過ぎた他の場所(と言っても、かなり近く)には多くの、でかい牛がいたので、訪ねた時間に、教会の周囲にいなくて、実にラッキーでした。牛だって、近くを通るのは怖いですから、この場所で放牧されていたら、近づけなかったかもしれません。




いかにも隠遁所、という感じのたたずまい。かつてもそうだったように、今も人里離れた場所ですから、往時の雰囲気満載です。
上の写真で見えるメインの扉は、固く閉ざされていましたが、西側に、後付けで作られたらしい扉がありました。




見ての通り、内部をのぞける位置が、ガラスになっているのです。
で、ありがたいことに、中を見ることができました。




びっくりするくらい、きれいに修復されていました。
後陣へのアーチ構造はオリジナルを尊重して、石がむき出しで見えるようになっていますが、あとは、漆喰ぬりぬりタイプ。
それでも、見られることはありがたいですね。心残りがなくなるもんね。ここはさすがに二度訪ねることは無理そうな場所ですしね。

メインの扉は、装飾が傷んでいるものの、雰囲気はあります。




それにしても、扉はかなり新しくて、内部もきれいにしているし、この場所にしてこの整い方はすごいです。私有地のようにも思うのですが、明らかに現役教会だし、いったいどういう位置づけなのか、謎です。そもそも、このような不便な場所でミサを行っても、誰も来ないのではないか、とそういう場所だけに。




一番内側、扉のすぐ外側のアーキボルト装飾は、かなり保存状態のよい彫り物が残っています。




外側のアーキボルトには、個性的なフィギュアなども含まれる彫り物が並んでいますが、こちらは傷みがかなり激しい。
働く人らしいフィギュア。




こちらは、相当想像力を働かせないと、意味が分からないフィギュア。騎乗の人ですかね?ケンタウロスということはないよね?




まぁ、これだけなんですけれど、たどり着くのに苦労したし、苦労が報われる状況ではあったので、かなり達成感が得られる訪問でした。




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  1. 2017/12/13(水) 07:03:12|
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古代から現代まで縦横無尽

2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、プロローグ

ミラノの12月頭は、守護聖人サンタンブロージョの祝日があるため、うまくいくと連休になります。今年は、カレンダーの並びがよくて四連休。というわけで、祝日、特に連休は絶対に無駄にしたくない今日この頃のわたくしですから、勿論有効活用です。
この時期は、どうしても寒いので、基本的に向かうのは南。
というわけで、今回は、久しぶりにローマに行ってきました。




前回、ローマの中世を歩いたのは、なんと2009年。早くも8年が過ぎてしまったのですね。このときの旅は、以下、リンクを張っている「ロマネスクのおと」に、かなりきちんとアップしていますので、よろしかったらご参考にしてください。
このブログを開設したのが2008年ですから、前回の旅は開設直後。かなり忘却の彼方となってしまった当時の様子を知るために、ブログで旅を振り返ったのですが、当時の記事は、かなりさらりと書いていたようです。
というのも、本来このブログは、あくまで覚書的な役割を担っていて、本当にやりたいことは、ホームページ、という当初の思惑を、きっちりとあらわしていたんですね。
今や、ホームページにまとめるのは、老後の楽しみ、とかうそぶいて、ブログが精いっぱいのため、記事も細かく描くようになってしまい、結局、自分の首を絞めているは目にもなり…。何をやっているんだか、となんだかあきれています。




今回の旅は、結構猥雑で、ローマ郊外の町を一つ、そして、ローマでは、2009年の旅では時間が足りずに行けなかったアッピア街道のカタコンベ、やはりその時の旅でアクセスできなかったりした教会を回ること、そして、開業以来ずっと行ってみたかった現代美術館MAXXIの訪問が目的でした。




まさに古代から現代までを行ったり来たりしつつ、中世にも行き当たりばったり的にアクセスするという、かなり混とんとした行程となってしまいました。




それでも、やはりローマは永遠の都。どのように歩いても、何かに当たるので、実に面白いです。今回は、2009年の旅よりは、時間的余裕もあったので、多くの行程を足で稼いで、土地勘がかなり養えました。ミラノに比べると、市域はかなり広いと思うのですが、歩くと、意外とコンパクトなこともわかりました。

実は、2009年後も、日本からのお客様と一緒に、二回、駆け足訪問をしています。勿論、日本からの観光客を、私の中世修行に突き合わせるわけにはいきませんので、自分の見たいものは、わずかしか見ることができませんでした。それでも、回を重ねるごとに、訪問地を増やすことはできて、少しずつでも町の様子がわかってきます。
そして、ローマのような町であっても、いろいろと様子が変わることもありますので、定期的に訪れるのは、重要だと思いました。




今回もまた、自分の晴れ女ぶりに感謝。旅行の前から、今回はさすがにだめだろう、と雨を予想せざるを得ない状況だったにも関わらず、二日目の夕食後に使った以外、傘は開くことなく済んだのは、まさに僥倖でした。

結果的に、前回の旅のリベンジが、結構できたようです。
日常のストレスから思いっきり開放されて、昼から赤ワインを飲んで。旅はいいですね~!
というわけで、アップは当分先になっちゃいそうですが、またローマにお付き合い願います。

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  1. 2017/12/12(火) 06:25:46|
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地ウサギはねる、マルタ騎士団の旗のもと(セゴビア6)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その14(2016年夏の旅)

周辺にある教会の方が気になってきたので、セゴビアじっくり、という計画を捨てた時点で、方向性が変わったのですが、ここだけは行っときたい、という教会が、もう一つだけありました。町からちょっと外れた場所なので、郊外に向かう前に、朝一で向かいましたが、時間が早すぎたため、すぐ近くにある教会を、見ておくことにしました。




サン・マルコス教会Iglesia de San Marcos。
とっても小さな一身廊の教会で、町の壁の入り口付近にあります。

お隣にある建物は、市壁の入り口にある、税関のようなもので、19世紀のもの。外から入ってくるあらゆる生活物資の検閲をしていたそうです。確かに、幹線道路に近い場所だからね。
でも、そのような要衝にある、この小さな教会は、もともとどういうもんだったんだろう。
ミサの時間が書いてあったので、今でも現役で頑張っているみたいで、要は、信者さんがついているんですね。
今残っている税関は19世紀のものだけど、昔からそういう場所で、そういう場所で働く人のために、簡易礼拝所的な教会だったのかもしれませんね。
町はずれとはいえ、市壁内は、今では住居が立て込んで、中心部まで途切れることがないような場所ですが、道路を挟んだ反対側は、いきなり何もない土地になっています。昔もきっと同じような土地だったんだろうと髣髴とさせるものです。

ということで、セゴビア最後の教会は、こちらとなります。




ベラ・クルス(真の十字架)教会Iglesia de Vera Cruz。
背景に見えるのがセゴビアの町で、アルカサルとなります。

形から明らかですが、エルサレムのサン・セポルクロ教会のスタイルで建造された、13世紀の教会です。

現在はマルタ騎士団の管理下にあり、入場料をとる観光地となっていますが、一応教会としても現役と思います。
観光地として、きちんと管理されているのはありがたいことなのですが、なんとオープンが10時半というスペイン時間で、これにはまいりました。夜も、19時クロースと結構早いので、戻りが遅れると入れない可能性があるため、仕方なく朝一番で行きました。
スペインの修行旅で辛いのは、このように、朝が遅いことですね。そのくせ、昼休みは2時間半ありますから、見学のためには、効率が悪いことと言ったら。

時間があるから立ち寄ったサン・マルコスも、ほんの3分ほどで見学が終わってしまうような規模だったため、オープンまで相当の時間をつぶす必要があり、周りをぐるぐると歩いてしまいました。

トップの写真の左側が、谷になっているのがわかるでしょうか。こんな様子。




アルカサルを正面に、右側にベラ・クルスがあるという位置関係ですが、この、結構広々とした谷を見下ろしながらぶらぶらしていたら、何か、ちょろちょろと目に入るんです。目を凝らすと、なんと。




すごい数のウサギが朝ごはん中でした。
野兎というよりは、誰かが飼育している風です。食用かしらねぇ。地鶏ならぬ地ウサギ…。

10時半に近づいたころ、散歩をやめて戻りましたが、誰も来ない。
仕方ないので、外観の見学から。




全体のスタイルはサン・セポルクロを模したらしい円形を基本にした八角形ですが、扉周りは、典型的なスペイン・ロマネスクですね。軒持ち送り。ギザギザのアーキボルト。13世紀ですが、12世紀ごろの風味が満載です。




こういったシンプルなギザギザは、市松モチーフとともに、結構好みの彫り装飾です。




ディテールを見ると、やはり時代が下っている様子はあります。軒持ち送りの彫り物も、あまり面白みはありません。いずれにしても、ここも傷みが激しいです。

サン・セポルクロと言っても、いわゆる円形ではなく、正面扉側は八角形の面になっているし、反対の、いわゆる後陣側は、円筒形のロマネスク・スタイルになっています。




こちら側は、崖が落ち込んでいるので、撮影もおっかなびっくり。いっそ、ウサギの谷間で降りてしまえばよかったのですが、下ったら登らないといけないのが嫌で、横着しました。

塔もかなり新しそうだし、軒持ち送りの彫り物は、見事になくなっています。もともとないのではなく、なくなっているのではないかと思いましたが、本当のところは、わかりません。

一体いつ来るんだろう、と心配になってきたころ、10時45分に、人がやってきて、扉を開けたものの、すぐに出てきて、旗を揚げだしました。




私、待ってるんだけどな~。本当に余裕あるっていうか、自己中っていうか、ストレスないよねぇ、15分も遅れているのにさ。

2ユーロなりを払って、やっと入場したのは、10時48分。




いきなり、漆喰ぬりぬりの、マルタ騎士団の、という感じで、戸惑いますが、これは、外側の通路部分。
どういう構造になっているかというと、やはり円形なんです。




上の旗のある壁は、図で言うと9番とかのあたり。
構造物の真ん中に、まるで別の建物のような構造物が、種のような感じで、そびえたっているという二重構造になっているんです。
その種の部分は二階建て。




階段にいざなわれるように上に上ると、がらんとした礼拝堂のようになっています。




ちょっと秘密基地みたいな面白さがあり、ワクワクします。単に二重になっている、というだけの構造なのに、妙に複雑なもののように感じられてしまいますね。




中央に置かれた祭壇は、ムデハル様式の装飾になっていると。




このギザギザがそうなんだとすると、前回記事にしたサン・ミジャンの柱頭のギザギザも、ムデハルなのかもね。天井も、サン・ミジャンと同じとあるので、あそこと同時代の石工さんが、ここでも働いた様子です。
調度、角っこにあるアーチが、そこだけ馬蹄形になっているのが、興味深いです。

階段のところも、ムデハルと言ってよさそうな浅浮彫装飾。




種の部分の地上階は、床面が、ちょっと古びていて、好感度高し。




切り石で十字架模様にしているようです。十字に入り口があるため、外からの光が入ると、十字が浮かび上がります。

今の入り口近辺の壁に、フレスコ画。




ちょっと詩か残ってないけど、この足、好きかも。しかし、渡された英語の説明版は、旗に関してはびっくりするくらい細かい説明があるのに、こういうものに関しては、「この辺り古い壁」、とかそれでおしまいってどういうこと?
マルタ騎士団の矜持が全開って様子です。




この、真ん中の構造物がなかったら、すっごくつまらない建物だったかもね。
セゴビアで中世というと、おそらくまずはこのベラ・クルスが上がってくると思うんですが、それほどのもんじゃないです。この上のと、この、下の「古い壁」だけですからね、内部で見るべきは。




正直、ちょっと期待外れではありました。

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撮影禁止に、久しぶりのストレス(セゴビア5)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その13(2016年夏の旅)

次に向かったのは、サン・クレメンテにも近い場所にある教会です。
車道から、結構下がった位置にある広場の中心に建っているのですが、この教会が建てられたころは、当然、今ある教会の地面が、道の高さだったのでしょうねぇ。時の流れを感じさせる地形です。




サン・ミジャン教会Iglesia de San Millan。

まずはなんと言っても、この立派なポルティカーダに目が行きますよね。




残念ながら、ここでもディテールは、かなり傷みが激しいです。




軒持ち送りも、半分以上は、すでに失われてしまっています。残されたわずかな装飾から類推すれば、かなり楽しいものがたくさんあったと考えられるだけに、残念なことです。




構造に関しても、相当修復されているから、スタイルとしては残っているものの、オリジナル部分は、決して多くないようにも思われます。




柱頭もしかり。




かなり細かい手で、ストーリー性のある柱頭だと思うのですが、このありさま。




雨風にさらされてきたこともあるでしょうし、排気ガスなどの人為的な要因もありそうです。

そのあたりが、山奥の教会との違いともいえましょうね。
そんな中、下のこれなどは、円柱のギザギザの彫りまで奇跡的に残った逸品です。




ポルティカーダを回り込むと、西側に、地味なファサードがあります。




ポルティカーダの方が入り口になっていますが、こちらにも扉があるのですね。
この扉も、なかなか繊細な彫りが施されていますが、全体のイメージから、時代はちょっと下る様子もあります。




セゴビアの教会は、起源は古くとも、おおよそどこでも13世紀や14世紀まで、進化しながら生き延びたようで、そのために、装飾もいろいろと混ざっています。進化、つまり、その時代時代に適応しながら、現役として生き延びる道を歩んだのですね。
ローマ以降、どの時代にも、それなりの勢力を誇りながら、現代まで続いている町だと思うのですが、ロマネスク前後起源の教会がこれだけあることを考えると、その時代の繁栄が半端なく、その後の時代に、すべての教会を時々の流行りのスタイルに合わせていくのは、無理だったんでしょうかね。
うっちゃられてしまった教会もたくさんあるようなので、このように時代混合のスタイルになっても残ってきている教会というのは、それなりの歴史を背負っているんだろうなぁ、と思います。




西側扉を通り過ぎて、反対側、つまり北側に回り込むと、なんとこちら側にもポルティカーダが!




こっち側の方が、残り方はいいんですが、南側とは、きっと1世紀とかそういう隔たりがあるように思います。部分的に、古そうなものがありますけれど。




そして、何とも浮いた感じの鐘楼があります。




上の方の開口部は馬蹄形をしていて、とってもイスラム的な塔だと思いました。表面の模様も、なんか、いったいどっから来たのか、私には未知の世界です。時代もわかりません。




で、一周して、後陣。




立派な後陣ですが、やはり塔が浮いていますよね。
遠目には、お、軒持ち送り!と一瞬ワクワクっとしますけれど、やはり傷んでいたり、なくなっていたりで、あまり残ってないんです。




一つの開口部の上部には、「R」、つまり、修復の印が入っていました。やっぱりね~。

さて、この教会は、ありがたいことに、オープンしていました。




最初にアクセスしたポルティカーダの奥に、扉があります。もちろん、こちらが本物のオリジナルのロマネスク時代の入り口でしょう。
西側の扉の方は、これと同じ作りにしているけれど、同時代とは限りません。

ここ、内部、特に後陣部分が、かなり良い雰囲気だったんですよ。




でも、入り口に、係員のような人がいる上に、でかでかと、「撮影禁止」とあり…。見なかったふりをするのもつらいほどの堂々たる注意書き。でも、見なかったふりをして、数枚は撮影したのですが、人がいる以上、やはり難しくて…。




これは、かなり残念なことでした。
やはり撮影しないと、細部までは、覚えていられませんもんね~。

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2017年9月10月11月に読んだ本、備忘録

9月10月に2か月でしめようと思っていたのに、読んだ本があまりに少なかったので、1か月追加した次第。
この時期は、相変わらず通勤時にフランス語を聞いていたために、読書時間が少なくて、なかなか。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊也(新潮社)
「黒船」吉村昭(中公文庫)
「横断」ディック・フランシス(ハヤカワ文庫)
「Storia dei Longobardi」Paolo Diacono(Edizioni San Paolo 2008)
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 上下」村上春樹(新潮文庫)
「深川澪通り燈ともし頃」北原亞以子(講談社文庫)

なんと言っても、木村政彦の本で、もうどんだけ時間かかったか、というとこですかね。これは、厚さ4センチくらいですかね、相当時間かけて読みました。今の読書のメインは、寝る前のベッドなんですが、この本を読んでいるときは、毎晩ベッドに入るのが楽しみなくらい、面白いノンフィクションでした。格闘技とかプロレスについて、まったく興味ないのですが、世界最強の男って感じの木村政彦という人物について、ワクワクしながら。
柔道という、正直、オリンピックでしか目にしないし、なんかピリッとしないよな、と思っていた競技に対しても、知らない世界に触れた感じで、いろんな意味で面白かったです。お勧め。

ロンゴバルドの本は、ずいぶん前に購入していた、いわゆる積読を、やっと読んだというところですが、字面を追うのが精いっぱいで、読んだというのもおこがましい読後感。とはいえ、本として面白いかというと、そうでもなくて、ただ、ロンゴバルドの人が、同時代人としてロンゴバルドを記したという事実に敬服するだけで。
なんかね、こういうの読むと、源氏物語の物語性とか雅とか、感嘆するねぇ。

春樹は、実は若かりし頃は読んでいて、この本も、ほぼ出版と同時的に読んでいた、最後の頃の本じゃないかな。ある程度読み続けた後で、いつも同じじゃん、と読むのをやめたんで~。
読ませるよね、話として。でも、結局、この人の人気って、なんか、吉本ばななと共通項あるんじゃないか、と思ったね。
やっぱり、時代物はいいよ。北原亞以子、泣かせるわ~。
本に関しては、ほぼおやじ趣味なので、春樹は響かないわ~。

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観光地にて観光しないという病(セゴビア4)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その12(2016年夏の旅)

ロス・サントス・フスト・エ・パストール教会Iglesia de los Santos e Pastor、一応外側もぐるっと。




基本的に、本堂部分は、再建されちゃっているみたいですね。塔の上の方だけが、オリジナルに忠実なスタイルになっています。




では、地味なファサード側はどうかというと。




細部をよく見ると、やはり再建くさいのでした。
でも、写真を見てて、おや、と思いましたよ。




扉に向かって右側の柱頭になりますが、一見天使、よく見るとハーピーか?の彫りのある柱頭より、扉側の場所に、ウサギのような絵が描いてありました。彫りの下書きなんでしょうかね。
もちろん、そんなに古い時代のものとは思えまあ線が、何ともきもかわいいぶりが、いい感じ。彫られていたら、楽しい作品だったでしょうね。




これは、現場では、まったく気づいてなかったものなんです。何でもかんでも、やはり写真は撮っておくべし、と思いました、笑。

さて、次は、また町の中心の方に戻りまして、と言っても、今残る市壁の外側ではあります。実はこのときのセゴビア訪問、水道橋に近寄ったのが、唯一、いわゆる一般の観光らしい観光で、最も多くの観光客が集まるであろうアルカサル、つまりディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったとも言われるお城や、その周辺には、近寄りもしていません。それどころか、市壁の内側にも入ってないんじゃないかな。
要は、ロマネスクの時代の建造物は、市壁の外側に遺っているんです。中にも、多くの教会がありますが、ほとんど後代の手によって変容しているようだったので、見学にはいかなかったのです。

当初は、旅の最後は、ちょっといいホテルに滞在して、ゆったり観光半分でセゴビア散策、という予定だったのですが、先述した詳細なロマネスク・ガイド本を入手してしまったため、行く予定のなかった場所へも行きたくなってしまったことに寄ります。
というわけで、セゴビアの町に割ける時間も限られてしまい、なかなかよいホテルには滞在できましたが、ゆったり観光というのは、なくなってしまいました。ま、いつものことですね。

向かったのは、こちら。




サン・クレメンテ教会Iglesia de San Clemente。
この教会を見て、改めて、びっくりしました。セゴビア、恐るべしっていう感じです。町中に、こういう様子の教会が、こういう状態で残っているって、なんかすごいです。
この前に見た、サン・フスト・エ・パストール教会は、内部にお宝を隠していましたが、外観は、かなり手が入っていたので、町だし、当然だよね~、くらいに感じていたんですよね。でもここ、外観もいいですよね~。

ただ、残念なのは、近寄れなかったことなんです。
ポルティカーダ側の手前に、鉄柵があり、上の写真が、鉄柵から乗り出すようにしてやっと撮ったもの。ポルティカーダの中に、本堂への扉が見えますが、その扉周りの装飾までは見えませんでした(写真で見る限りでは、かなり地味な様子で、柱頭もたいしたものはなさそうですけれど、酸っぱいブドウ的な…)。

ポルティカーダは、南側にあり、道には、西側、典型的ロマネスクだったらファサードがあるはずの西側面があります。




これだけの高台になっていますから、現在の構造上は、扉があったとは考えにくいのですが、残っている石垣というか石積みの部分を見ると、階段があったようにも見えますね。
どう見ても、しっかりとした扉装飾なので、めくら扉とも思えず、やはり階段でアクセスできる扉があったということなのでしょう。




結構こじんまりとした教会ですから、この扉の立派さは印象的です。
イスラム・テイストが入っているようにも見える、大変繊細な浅浮彫で、アーキボルトが飾られてます。




扉上の軒持ち送りも、様々な彫り物で飾られており、保存状態もなかなかよいですね。




こういうの見ると、やはり何とかもうちょっと近づきたい、と思うのが人情です。脇の方から裏に回りました。やはり鉄柵に阻まれるのですが、幸い、後陣は、近くから拝むことができました。




ここも、かなり手が入っているとはいえ、素朴な植物モチーフの柱頭や、そして、他でもよく見られた、薄目開口部なんかは、しっかり往時の遺構ですね。そういうのって嬉しくなります。この薄目開口部は、この地域全般に普及していたのですねぇ。ここは、開いてもいないようですが。




ポルティカーダ側の軒持ち送りはどうだったかな、とまた戻り。




なんか、抽象的なものが彫られているのか、動物とかなんだけど、溶けちゃって得体のしれないものになっているのか、そんな感じ。
何はともあれ、一つ一つに、何らかの装飾的な彫り物がほどこされていたのは明らかですね。




これらの教会が建てられた時代には、まだアルカサルもなく、市壁もない町だったのでは、と思うのですが、それにしても、同時代にびっくりするくらいの教会が建てられているということは、それだけ富があったということですね。いやはや、セゴビア、恐るべしですねぇ。


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黄金伝説のフィギュア(セゴビア3)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その11(2016年夏の旅)

観光局に向かう道すがらに立ち寄った時はクローズだった教会。




ロス・サントス・フスト・エ・パストール教会Iglesia de los Santos e Pastor。

観光局ですげなく、「いつ開くか?それはカギ番の人しか知らない」と切って捨てられたのですが、再度戻ったところ、今度はなんと、扉が開いておりました。
この教会は、内部に、どうしても見たいものがあったので、実に嬉しかったです。




さっき、固く閉ざされていた扉が、遠目にもはっきりと開いているのがわかり、小躍り気分で、ほとんど走るようにアクセスしました。同病の方には、その時の気持ちが、きっとわかっていただけるものと思います。
外観も興味がありますが、何はともあれ、本堂に飛び込みます。

しかし、中は、ほとんどの部分が漆喰ぬりぬりで、一瞬愕然です。




でも、外観の割にはかなりこじんまりとした後陣部分のフレスコ画は、傷んでいるとはいえ、結構残されています。




おそらく、ここもある時期以降、漆喰で覆われていた、とかそういうことではないかと思います。そのために、残された部分は、結構きれいな彩色のまま。修復も相当されているものとは思いますが、それにしても、よく残ったものですよね。




テイスト的には、13世紀以降、ビザンチン風のスタイルと思います。あんまり、ウマい絵じゃないかも、笑。




先日言及したガイド本によれば、12世紀ということですが、私には、もうちょっと時代が下っているように見えます。感覚ですけども。もしかすると、異なる時代のものが、重なっているのかもしれません。

しかし、私が見たかったのは、これじゃなくて、実は、こっち。




これ、事前に小さな写真を見て、絶対に本物を見たい!と切望していたタンパン。
確か、黄金伝説をモチーフにしたフィギュアだったはず。
黄金伝説って、検索していただくと出てきますんで、詳細は調べてください。って無責任ですが、中世やっている人なら、一度は通る道ですよね、黄金伝説。ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画が有名ですよね。
ローマ皇帝コンスタンティヌスの母親であるヘレナが、ゴルゴダに巡礼して、キリストがはりつけにされたという十字架を見つけたという伝説です。

私も、話の詳細は知らないのですが、おそらくそのエピソードをまとめて印象的な場面を彫りだしているのではないかと思います。
このエピソードが流行ったのは、13世紀以降だったのではないかと思いますが、そうすると、このタンパンもその時代のものとなるのかもね。




彩色されていた様子がありありだし、目には、ガラスとか光る石がはめ込まれていたんでしょうね。繊細な彫りで、期待通りの素晴らしさでした。
タンパンを縁取るアーキボルトの装飾的な彫りも、素晴らしいものです。




よかったなぁ、とうっとりして、他のアイテムも見ることにします。
これまた驚いたのが、これ。




こういう状態で、遺骸が、というのも、ない話じゃないので、一瞬ドキッとした展示。
木彫りのキリスト像なんですが、なんと、11世紀のものだというんです。




修復して、塗りを重ねているにしても、つやつや度がすごいですね。びっくりしました。結構等身大に近いくらい大きいんですよ。




そういえば、どの段階からだったか、正確に覚えていないのですが、途中から、カギ番のおじさんが、ガイドを始めてくれました。もちろんスペイン語で、半分もわからないのですが、ほんのわずかはわかるもので、熱心に聞いていたところ、どんどん熱が入っていって、もう、あれもこれも見せたい!説明したい!と、情熱が止まらなくなってしまいました。
そうなると、ちょっと困ってしまうんですよね。逃げられなくなる…。

幸い、いい加減立った時に、他の観光客が入ってきたので、ほらほら、彼らにも説明してあげるといいよ、とさり気に促し、やっと、また気ままな見学に戻ることができました。ガイドはもちろん楽しいし、役立つ情報をもらえることも多いですが、とまらなくなっちゃう状態まで行くと、ちょっとね~。




漆喰ぬりぬりに惑わされず、細部を丹念に見ていくと、いろんな遺構に出会える教会です。おじさんの親切なガイド、もっとメモするなり、音声とともに動画でも発動しとけばよかったんですが、この日は、日記的なメモもほとんどしてなくて、かなりの部分忘却の彼方へ行っちゃってます。
が、確か、今ある建物の、側廊部分は、あとからの付け足しで、そのために、先ほどのタンパンとか、このアーチ扉とか、本来は、外につながる部分だったというようなことではなかったかと思います。このアーチは、南側なので、南壁にある扉だったのでしょう。

今、ファサード側にある扉周りより、装飾的ですから、本来はこちらがメインだったかもしれません。ガイド本の記述をしっかり読めば、おそらくそういうことも書いてあると思いますが、さすがにスペイン語を斜め読みはできず、その上、この教会に関する記述は多くて、にわかには…。すみません。

しつこくもう一回フレスコ画にご挨拶して、辞去。




セゴビアにこんなロマネスクが?!と驚かれる人、多いかもね。

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  1. 2017/12/01(金) 07:00:32|
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