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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

知識も勉強もついて行けてなくて、辛い…(モットラ2)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その3

前回の記事は、ちょっと思わせぶりになってしまったんですが、あるものが素晴らしく、ガイドさんの説明も素晴らしく、でも、一方で、自分の写真がしょぼい上に、きちんと勉強していないから、ブログにアップするにしても、その素晴らしい現実を反映できそうもない、という恐れから、どうしても、躊躇が先にたってしまって…。
この旅で巡ったビザンチンのフレスコ画は、本当に素晴らしいものばかりなのですが、とにかく自分の知識はついて行けない上に、ガイドをビデオ等で撮影しておけばよかったのに、このときはそういう頭がほとんどなかったもので、直後に、忘れないように、とメモしたわずかな記述しか残っておらず、時間の経過とともに忘却の彼方、というありさまなんですよねぇ。

必ずしも、誰にも興味があるものではないかもしれないし、誰もが簡単にアクセスできる場所でもないのですが、でも、ここは強力にお勧めしたい場所でもあり、とにかく頑張って見ることにします。

マリアさんガイドによるモットラの洞窟教会巡りの最初は、サンタ・マルゲリータ教会です。彼女的には、ここが一押し、ということでしたが、実物見学の後、気持ちが十分伝わってきました。
わたし的にも、ロケーションの特別さ、そして、フレスコ画の印象から、ここは一押しです。




車を路肩にうっちゃって、野の花の咲く美しい土地を、のんびりと10分弱して、たどり着くのが、グラヴィーナの渓谷への崖道です。
緑の草原の脇を、渓谷へ向かって、10段ほど、そして、渓谷の断崖に張り付くように施された階段を同じくらい降りると、この教会への入り口となります。マリアさんはカギを持っているので、問題なく開けて入ることができますが、入り口でもたもたしているのが怖いくらい、背後は急激な渓谷です。




鉄柵の前のわずかなスペースが、唯一普通に立っていられる場所ですが、この後ろは、激しい断崖絶壁で、高所恐怖症の人は、いるだけでぶるぶるしてくるような場所です。

この入り口に下る前は、草原が広がっていて、その向こう側、かなり遠いところにアッピア街道の支流みたいのがあるようだったんですが、それにしても、相当外れた場所です。
古代ローマ起源のアッピア街道は、エルサレムへの巡礼路として、中世にも盛んに活用されていたようですが、そこから相当外れた何もない場所、それも、わざわざ渓谷に降りるような危険な場所です。今は、少なくとも、手すりなどが設けられていますけれど、ただ、階段状のものだあるだけだったとしたら、相当怖い場所です。




右下にある木の柵状のものが、洞窟入り口への階段の手すりになっていますが、その手すりの向こうは、このような断崖絶壁なんです。

そういうロケーションにもかかわらず、中世時代の巡礼の目的地となっていたらしいんですよ。危険さも驚くし、このようにわかりにくい場所だったのに、巡礼地として認知されていた、という事実にも、驚嘆します。
今に残っている、細かい巡礼の記録は少ないですけれど、往時は、それなりの記録が、それなりに流通していた、ということなのかな、と思うと、それはそれで、ちょっと楽しくなります。
要は、トリップ・アドバイザーのようなものが、あったということだと思うんですよね。こんな洞窟、実際に行った人による口コミ情報とかなければ、絶対にアクセスできない場所ですからね。中世の人たちも、すごいな、と感心します。

さて、どこから紹介したものだか。




洞窟の中は、教会で言えば、クリプタのような体裁に整えられています。
ただ、掘って作られたスペースですので、形はゆがんでおり、一定ではありません。資料によれば、幅、というより、奥行きは6.28メートル、最大の長さは9.7メートル、高さは2.5メートルとなっています。
一応教会の体裁は整えており、不ぞろいながら角柱が天井を支える構造となっており、アーチを形作って、後陣を擁する二つの身廊を形作るようになっているようです。

上の写真にある中央左寄りにあるのが、その後陣の一つと思われます。

洞窟に入ってすぐ、左手にあるフレスコ画。




これは聖ニコラウスの逸話が描かれたもので、マリアさんのお話をよく記憶しています。三人の娘の父親が、生活苦から娘たちを娼館に売ろうとしたが、聖ニコラウスが、内緒でお金を置いていったというエピソードらしいです。

この教会は、マルゲリータに捧げられたものです。そのため、洞窟内には、マルゲリータがたくさん描かれています。というか、だから、サンタ・マルゲリータ、というようになったということだと思うんですけれどね。
入って最初に目に留まるマルゲリータ。




マルゲリータは、西側の伝統的な名前に従えば、オリジナルは、サンタ・マリーナとなり、妊婦の守護神なのだそうです。
これは、ビザンチンの伝統的なモチーフで飾られた衣装に身を包んだ、マルゲリータ。
ビザンチンの装束の、なんと豪華なこと。マントの縁取りは真珠だそうですよ。
頭上に置かれた冠もまた、宝石のちりばめられた豪奢なものです。

右手には殉教のシンボルである、掲げられた十字架、そして、左手は胸の上で、手のひらをこちらに向けています。これは、邪神、邪教、悪魔などを拒絶するという意味だそうです。

マリアさんのサイトや、このときのガイド、そして、この場所以外で伺ったお話を断片的にメモしたものを、記していますが、不勉強なもので、間違いも多々あると思います。どうぞ、それは違う、ということがあれば、ご教示願えれば、とてもありがたいことです。

それにしても、ビザンチンの高貴な方の装束の豪華さというのはすごいものですね。ビザンチンと言えば、私の中でのイメージは、ラベンナのモザイクにみる人々の姿なので、このマルゲリータの装束は、大変しっくりとしました。

マルゲリータの描かれた柱のお国も、たくさんのフレスコ画が見られます。




それなりに傷んでもいますが、時代を考えると、ずいぶんとよく残っているものだという感じもします。左手にあるのは、白馬に乗った勇ましいサン・ジョルジョのようですよ。
ドラゴンを、やりで串刺しにしている姿のようです。

かなり傷んでいる中でも、いかにもビザンチン風の顔の表情や、きらびやかな装束は、しっかりと残っていますね。




アーチで区切られた奥の方のスペースにも、フレスコ画がありますが、こちらは、時代がより古いもので、明らかに手も違います。




マルゲリータの一生が描かれている絵巻物的なフレスコ画です。
手は違うながら、やはり衣装には真珠のようなキラキラの装飾がほどこされているようで、やはりビザンチン。




ガイドを聞きながらも、目が移ろってしまう、そういう場所です。




だってもう、その特異なロケーションからして、全身で、特異さを感じるとともに、どのディテールも見たいという気持ちが先走り、収集のつかないことになっているんです。絵の細かい内容もすっごく興味があるし、同時に、どれもこれも写真に収めたいし、あれもこれも聞いてみたいし、同時に、ついイタリア語に走ってしまうので、同行者のためにも適宜通訳もしなければ、等々、本当に様々な気持ちが重層的にアワアワして、なんだか落ち着きなさマキシマム、という状態でした。




ここでは、12世紀から14世紀ごろのフレスコ画が、混ざって描かれています。というか、おそらく重層的に描かれたものが、結果的に、そのいくつかが今残っているという状況で、壁ごとに、時代が異なったりするようです。




そういえば、どちらで耳にしたんだったか、ビザンチンのイコンは、発注者と表現者(つまりアーティスト)の名前がちゃんと残されているとか、そういう話だったような。




これなどは、わざわざ写真を撮ったくらいですから、そういうものが記されている部分だったか。もう、こういう重要な点も、かなり忘却の彼方で~!




全身で情熱を混めて、語ってくださったマリアさん。不勉強な見学者で、今更ながら申し訳ない気持ちになります。




情熱をもって紹介したい、けれども、自分の知識が、紹介できるだけのレベルにないという葛藤、わかってもらえますでしょうか。関係各位に申し訳ない気持ちなんです。
ただ、このように隠されたお宝が、今でも、ちゃんと隠されながらも、私ごときでも、ちょっとだけ頑張れば、ガイドツアーで訪ねることができるというのは、実に素晴らしく、ありがたいことで、もっと多くの人に訪ねてほしい、と切に思っているんです。特にビザンチンに興味がある人には、ある意味、まだ知られざる、的な要素も残っているだけに、お勧めなんですよ。

続きますが、尻つぼみにならないように、頑張ります。

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  1. 2018/01/30(火) 07:09:31|
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洞窟を前に、立ち止まってしまう(モットラ1)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その2

洞窟教会のような特殊な場所は、常に開いているとは思えないため、出発が近づくとともに、ネット検索や、地元の観光客への電話などで、情報収集に努めました。情報収集すら容易ではない中で、非常に気になるサイトに出会いました。

それが、モットラのマリア・グロットラさんが主宰するサイト、 [http://www.visitmottola.com/ ] でした。
まさに、私が求めていた、モットラの洞窟教会をフューチャーするサイトで、バーチャル訪問なども含め、大変によくできたサイトです。
サイト経由で、問い合わせをしたところ、反応も素早くて、信頼に足る感じです。
念のため、同地域在住のブロ友のゆきーなさん 南イタリア便り に、コストやガイド・ツアーの内容に関して、意見を求めた上で、このマリアさんのガイド・ツアーに申し込むことにしました。
こういう時、一人だと、コストも含めていろいろ厳しいのですが、今回は、同行者がいて、総勢三人という賑わいなので、ツアーもお願いしやすくて、本当にありがたかったです。

というわけで、この日のメイン目的は、このモットラでのガイド・ツアーを目指した移動でした。
ツアーは午後3時からだったので、本来ならランチの時間もあるはずだったのですが、先日の記事のように、どうしてもすき間時間を無駄にできない病気なもので、モットラに到着したのは、すでに14時過ぎ。マリアさんとの待ち合わせは、モットラの観光局。
あまり時間的な余裕がなかったので、観光局の向かいにあるスーパーで、パンとハムやチーズを買って、駐車場の片隅でのにわかピクニックが、久しぶりに再会した友人たちとの旅の、最初の食事となりました。

辺鄙な場所を訪ねることも多いロマネスクの場合、食事をとり損ねることは日常茶飯事なので、こういったしょぼい食事でも、誰一人文句もなく、当然のように受け入れることができる、というのは、望外の喜びです。貧しいながらも、これから始まるツアーへの期待に胸膨らましての、楽しい食事となりました。

15時ピッタリに観光局に行くと、マリアさんもスタンバイしていました。
ツアーは、こちらが運転する車に彼女が同乗するというシステムです。

運転に自信があるわけではないですが、彼女の指示に従って、出発です。

まずは、モットラ郊外で見られるグラヴィーナを見学するところから始まりです。




グラヴィーナGravinaは、この地域に独特の土地を表すものです。
今回のツアーの目的でもある洞窟教会にしても、このグラヴィーナの成り立ちや、グラヴィーナが成り立った土地の性質などを知らずには語れないものがあるため、最初に、紹介してくださったんだと思います。
実は、後付けで、そういうことか、と思ったのですが、最初は、観光的に連れて行かれたと思い、若干疑問に感じたりもしたのですけれど。




モットラMottolaの標識の後ろ側、丘の上に広がっているのが、そのモットラの町。一谷超えてやってきたところに、この地域最大のグラヴィーナがあります。

そのグラヴィーナを見晴らせる場所も含む一帯は、通常は鉄柵で閉ざされており、誰もがアクセスできるわけではないようです。マリアさんは、カギを持っているので、鉄柵の手前に車を置いて、徒歩で、見晴らし台にアクセスします。

美しい緑の中を数分歩くと、見晴らし台に。




グラヴィーナって、渓谷なんですが、他の土地と違って、川のないプーリアでは、渓谷と言っても川が削って作りだした景観ではないんですね。
そもそも、プーリアに川がない、ということ、まったく認識していませんでした。では、なぜそんな水のない土地に定住ができたかというと、地下水をうまく利用したからなんですね。このグラヴィーナの谷底にも、実は地下水が豊富に流れているようなんです。




岩山のような土地を掘って掘って、居住地を作って、同時に雨水や地下水を利用して生活して、というのが、この辺りの成り立ち。
この後、立ち寄るバジリカータのマテラが、洞窟住居では有名ですが、土地的には全く同様で、この辺りも、掘って掘って、洞窟で生活していたのは同じなんです。




緑が多くて、この一連の写真では、実態がわかりにくいのですが、見た感じはまさに渓谷というか峡谷で、断崖絶壁というような土地です。
ただ、岩が掘りやすかったようで、それを掘って、住居や倉庫にして、暮らしていた時代が長かったようです。




そして、そういう眺めが、今では景観として美しくなっているのは、決してマテラのみならず、ということなんだと思います。

グラヴィーナの見学を終え、最初の教会、サンタ・マルゲリータ教会への道の脇には、かなり大規模な石切り場がありました。




グラヴィーナを形作っていると同じタイプの石のようです。石灰岩系の、地中にあるときは柔らかく加工がしやすいが、空気に触れると固くなるとか、そういうタイプの石でしょうかね。
奥の方の白い岩壁の上に、びっしり並んでいる街並みが、モットラの町になります。

車で至近までアクセスも可能だけど、ちょっと歩いてもいいなら、こっちの方が雰囲気を楽しめる、という道をチョイスしたので、ちょっと野道を散策しながら、教会へ向かいます。




春が始まったばかりの季節、美しい緑の中をのんびりと行くのは、大変に楽しいものでした。ガイドのマリアさんも、すっかりトレッキング・スタイルです。

車を停めた道からは、たいした距離ではないものの、なんの表示もされていないので、ガイドさんがいなければ、絶対にわからない場所と思います。




じらすわけではないのですが、さて、どうやって紹介していったものか、思案しています。行く前も後も、ちゃんと勉強していないうえに、現地で伺った貴重なお話のほとんどを忘れていて、なんだかすごくいい加減なことを書いてしまいそうで、ちょっと怖くて。




今見ても、こんな草原の中に、あんな素晴らしいものが、あったんだなぁ、と夢のような気がする教会なんです。




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  1. 2018/01/29(月) 06:42:25|
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まずは軽くジャブ、的な(オーリア)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その1

さぼりつつも、それなりにコンスタントに記事を書いているつもりではあるのですが、一度ためてしまうとなかなか追いつけなくて、プロローグの記事をアップしてから、ずいぶんと時間がたってしまいました。昨年4月、イースターのお休みを利用して訪問したイタリア南部、プーリアの旅、アップします。

本当は、2016年の旅の残りもまだあるのですが、たまにはイタリアの中世もさらっとかないと、ブログのタイトルもまがい物になっちゃうようなとこもありますので…。

というわけで、プーリアです。

プロローグでも触れましたが、この旅は、前回、2010年にプーリアのロマネスク・カテドラルを巡る旅をした際に、確かバーリの書店で、たまたま入手した、この薄っぺらい本に触発されて企画したものです。




2010年の旅は、電車やバスを使って移動していたので、この本で紹介している、どう考えても町中ではなくて、とんでもない場所にあるだろう洞窟を訪ねる旅など、いつかできる日があるのかなぁ、と遠い目で考えていたものですが、時間はたったものの実現したんだから、感動的です。
そもそもこの本を買っていなかったら、おそらくこういう旅を思いつくことはなかったと確信できますので、やはり出会いは大切だし、興味のある資料は、入手しとくに越したことはないですね。

この本の地図が、シンプルでわかりやすいので、全体図を載せます。




洞窟教会は、地図上で、教会マークのところにあり、プーリア全般に広がっていることがわかります。主に、ビザンチン起源ですが、今に残されている構造やフレスコ画は、10世紀から14世紀ごろと、場所によって幅があります。

今回は、三泊四日という限られた時間のため、全部を回ることはできません。
まずは洞窟教会よりも、中世探訪の観点からは、一度は訪ねたかったオートラントを必至の行き先として、あとは限られた時間で回れるだけ回る、という考え方で、予定を立て始めました。
という前提から、目的地を、プーリアの南部半分地域に絞り、地図で言えば、この辺りを回りました。




まずは、ミラノからブリンディジBrindisiに飛び、はるばるフランスからいらしたロマネスク友達と合流。レンタカーで、向かったのは、オーリアOria郊外です。

オーリアそのものは、中世の町で、それなりの観光地ではあるようだったのですが、町の周辺をかすっただけで、素通り。いつものことながら、観光地無視の修行旅です。

ブリンディジから比較的近くに、サン・ヴィート・デイ・ノルマンニSan Vito dei Normanniという町があり、本来はそこの洞窟教会に興味があったのですが、やっと通じた町の観光協会との電話で、「今は修復中で完全閉鎖しています」ということだったので、そこはあきらめた次第。サン・ヴィートも面白そうなので、いつか訪ねてみたいものです。




マドンナ・ディ・ガッラーナ教会Chiesa di Madonna di Gallana。

田舎のオリーブ畑を縫うような道を進み、ちょっとした集落の一角にある、起源が7世紀とか8世紀とか、相当に古い教会です。
ここは、ネット等で情報を求めたものの、連絡先初め、何一つわからなかったので、当然入れることはありえないと想定していましたが、完全に私有となっているようでした。




後代の手が入っている部分も多いようでしたが、なんとなく古い時代の雰囲気も感じられ、せめてもうちょっと全体像が見えるようになっていれば、と残念な状況です。同じ敷地に住居があるようでしたが、オーナーさんは留守のようでした。

脇の部分の下の方に見えたアーチ。




これは、古い構造のようです。石色も、上部の構造とは違うものとなっていますね。
内部には、フレスコ画があるようですが、14世紀のものということは、それは興味の範疇外ですが、構造は見てみたかったですね。

ほぼ想定内の状況ではあったので、こうやって、すんなりとアクセスできて、外観をちょっとでも拝むことができただけで、割と満足感がありました。




同好の友人たちも、ロマネスクの病気度合いは結構ひどい方々ですから、「なんでこんな地味なところに~?」という疑問や怒りはなくて、何もない中で、何かないのか探そうとするのが、同じスタンスだったので、楽しかったです。

このあたり、これ以外にも、いくつか10世紀より以前の教会があるようなんですが、もしかすると、どこもこういう状態になっているのかも。きれいに保存しているところを見ると、おそらく助成金とか出ている話と思うのですが、それなら公開してほしいもんです。

同じ並びの人の家の庭で、ヒヤシンスみたいな美しい花が満開でした。




同行者が花に詳しくて、確かライラック、と教えてくれたような。
蝶も蜂もぶんぶんして、よほどおいしい蜜があるんでしょうねぇ。

この後、初日のイベント、洞窟ガイドツアーへと移動します。

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  1. 2018/01/28(日) 02:40:17|
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クライマックスにふさわしいたたずまい(ドゥラトン)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その30、そして最終回(2016年夏の旅)

すっかり長丁場になってしまったこのシリーズ、いよいよ最終回となります。マドリッドの空港に向かう前、最後の時間を利用して立ち寄ったのは、ドゥラトンDuratonという村。

幹線から、ちょっと入ると、小さな集落がありました。車を停めて見渡しても、教会らしき姿はないし、探しようもないくらいに、奥行きのない村だったんです。
やっと目についた人に尋ねると、教会なら、そっちの道を行くとあるわよ、ということでした。たいした距離じゃないというので、それなら、と車はうっちゃって、歩いてアクセスすることに。




なんかすごい田舎道。こんな道が延々と続くなら、車の方がよさそうだな、と思いながら歩いて数分。前方に石橋らしき姿が。




せいぜい2,3分だったと思いますが、先がどうなっているかわからないときって、人は不安になるもんです。近づくと、確かに石橋。オリジナルは、おそらく結構古いものなのではないでしょうか。




こういうアクセスなら、やはり徒歩の方が感動があります。
そして、石橋の途中から、教会の姿を認め、ますます嬉しくなりました。




ど田舎の風景ですよね。こういう場所に、徒歩でアクセスできる喜び。これはもう遠目でも素晴らしさがわかる、というか、遠目で見るからこそ、周囲の風景とともに愛でることのできる喜び。
例によって、走り寄りたい気持ちと、なんか近づくのが惜しいような気持ちにさいなまれつつも、やはり自然と小走り状態になってしまうのでしたよ。

しかし!
奥ゆかしいというのか、かなり近づいても、木々の陰になって、全貌が見えないというジレンマ…。




ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン教会Iglesia de Nuestra Senora de la Asuncion。




美しすぎるポルティカーダの全貌。
言葉を失いました。まさに、旅の最後に訪ねるにふさわしい堂々たるポルティカーダです。
なんかもう、素敵すぎて、どこから見たらいいのか、とアワアワしたのを思い出します。

背が低くて、ずんぐりしているのに、同時に、装飾があっさりしているせいか、ダサさのないポルティカーダの扉口。




このときだってそうですけれど、遮るものが何一つない荒野みたいなロケーションですから、おひさまさんさんで、彫り物は相当朽ちているのですが、もはや、その朽ちた乾いた様子すら、魅力に変じています。




構造物の修復は、結構行き届いています。




床なども、ちょっと残念になるくらい、きれいに修復してあって、風情が若干消えています。
本堂への入り口。




外壁は、漆喰ぬりまくりでツルツル。これはちょっとやりすぎですよね。まぁ、オリジナルの石が持つでしょうけれど。
扉脇の柱頭。




本堂はクローズでした。村の誰かがカギを持っているのでしょうけれど、ここでは、外観ですっかり満足してしまって、カギを探そうとは、一瞬たりと考えなかったです。
説明版には、西ゴート時代の墓所があった場所とありましたけれど、この修復ぶりでは、おそらく、その時代のものが残っていることはないと思いましたし。
ここは、ロケーション全体を楽しむ教会と思います。




そして、見るべきディテールは、ポルティカーダの柱頭、側壁や後陣の軒持ち送り、ポルティカーダの軒持ち送りと、その下部にある彫り物、各扉口の彫り物です。




朽ちている彫り物も多いのですが、とにかく数が多いし、バラエティーにも富んでいて、面白いですよ。
ここだけで、100枚くらいの写真を撮ってしまいましたからね。




人魚と言えば二股が多いですが、ここらは普通に一本尾っぽの人魚が流行ったんですかね。




ハーピーや、得体のしれない幻獣、エロティック系のフィギュアから、月のシンボルなのか、農作業をしている農民の姿まで。




農作業の人たちの場所に、突然サムソンらしき人がいるから、驚いちゃったりね。




ポルティカーダの柱頭は、可能なものについては、かなり修復がされている様子で、細かいところまで美しくなっています。










キリがないですよね。
ということで、ここは、本当に立ち去りがたい教会でした。
かなり訪ねやすい場所なのに、誰一人来ないのも不思議なくらいでしたし。今思えば、これで中に入れていたら、まさに有終の美でしたけれど、もうこれらたたずまいだけで、大満足で、あとに思いを残すことなく、空港に向かうことができました。

ということで、長々とお付き合いありがとうございました。

カスティーリャのソリア地区から始まって、セゴビア地区まで、想像以上に素晴らしいロマネスクの連続で、過酷な部分もありましたけれど、その甲斐があったというところです。
特にセゴビアでは、あまり知られていないマイナーな場所に、はっとするほど素晴らしい町村や教会があり、いつか再訪したい土地の一つとなりました。

こうやって、実際に分け入って歩き回ると、地図を見る目が変わりますよね。それが、旅のあとの楽しみの一つでもあります。
一連の記事がどなたかの興味を喚起し、実際に訪ねる方がいたら、これ以上の喜びはありません。

長らくフランスやスペインの記事ばかり続いたので、ちょっとイタリアに戻ろうかと思っています。
何が出てくるか、お楽しみに。

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見極めできない(エル・オルモ)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その29(2016年夏の旅)

昨年末に、切りよく終えようともくろんでいたのに、どうしても無理で、間が開いてしまって間抜けですが、あともう少し、過去の修行旅にお付き合いください。

セゴビア地域、そろそろマドリッドの空港に向かいつつ、高速に入る前、最後に通り過ぎる道すがらで、駆け足で訪ねた村、エル・オルモEl Olmo。




ナティヴィダ・デ・ヌエストラ・セニョーラ教会Iglesia de Natividad de Nuestra Senora。

一見すると、もう本当に何の変哲もない教会です。




わざわざ、ここを目指して行ったら、ちょっとがっかりしちゃいそうな、そういう感じ。でも、完全に通りすがりだったし、その上、本当に集落と言っていいような小さな村だったので、教会を探す苦労もなかったため、ふーん、と当たり前のように受け入れることができました。

塔の片隅に、ちょこんとコウノさんのお家が見えますが、残念ながらお出かけ中でした。

期待できそうもないたたずまいなんですが、意外にもかわいいアイテム満載で、立ち寄った甲斐があったんです。




すべてが地味なんだけど、好きなタイプの扉口装飾。
石灰岩系または凝灰岩系ですかね?すすけた感じの黄色い石に、地味な繰り返しモチーフの彫り物が、何となしに好みです。




そして、なんと言っても愛らしい軒持ち送りの数々。




どのフィギュアの周りにも、もれなく一個か二個の燕の巣があって、これは傷む、とわかるんですが、結構それなりにキチンと保存されているところを見ると、おそらく、お掃除しても、毎年必ず巣作りがされちゃうって場所なんでしょうね。びっしりです。




渡り鳥は、勤勉だよね。




そんな勤勉な方々をしり目に、千年から、こういう間抜け面で、ここにいるのか、と思うと、ご苦労様です、とねぎらいたくなるような方々が、こっちもびっしりで、笑。




テイスト的には、時代が13世紀とかに下るのかな、とも感じますが、いずれにしても、一つ一つが、独創的です。




動物の頭部がたくさんあったけど、一様に、顔の真ん中が破損。人のフィギュアの破損はありがちだけど、動物の顔の破損が一様にあるというのも珍しいな。




塔へアクセスする、こういう階段すら、かわいい!




すべてがちまちま小さくて、ダリの家を髣髴とするようなサイズ感なんですよね。人形の家っていうか。塔の入り口も、小さいケースが多いのは、やはり重量に対して、大きな開口部が難しかったということなのかな。今更ですが。




すべて素朴で地味で、プリミティブで、いかにも地元の石工さんや職人さんの作品だと思われるのですが、それが逆に風景ともしっくりして、ここは、楽しかったです。
こういう地味な教会の場合、何が自分の琴線に触れて、好きなのかがっかりなのか、現場に立ってみないと絶対わからないっていうのが、面白いというか、厄介。
同じようなものでも、がっかり感が先にたつケースもありますからね。
ここは、好みでした。めでたし、めでたし。

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結構ちゃんと食べてたかも。

東京、その2

今回、唯一の遠出は、こちら。




東京駅!
正面からの眺めは、駅前広場の工事も終わり、美しくなりました。
後ろの高層ビルがなければ、もっと雰囲気があるのでしょうが、明治的なレンガの建物と、現代的な光あふれる四角いビルとの組み合わせもまた、とても東京らしいかもしれませんね。
駅近くにある書店丸善が好きで、今回も立ち寄り、ロマネスク関連の本を一冊求めました。ここの専門的な蔵書は、やはり都心ならでは、という感じがします。
そういえば、今回立ち寄った大型書店、結局ここだけだったなぁ。

新丸ビルのレストランで、毎年お会いする昔の上司と、信州の日本酒をいただきながら、楽しい一夕を過ごしました。




純米酒を中心に、三種ほどいただきましたが、どのお酒もとてもフルーティで飲み口がよかったです。こういうワイン的なテイストは、海外を意識したものかもしれませんね。本来の日本酒らしい日本酒とは、ずいぶんと違う方向と感じられますが、それが今の日本酒業界の方向性なんでしょうねぇ。

いつもお世話になる実家近所の酒屋さんで求めたお酒も、どちらも微発泡で、そういう傾向のある飲みやすいものでした。




これは濁り酒ですが、しつこさもなく、すいすい飲めちゃう。




こっちは透明ですが、やっぱり微発泡。これだったら、ワイン並みに行けちゃうなぁ。
酒屋さんでは、一年に一回だけのお得意さんですが、10年くらい寝かしたという珍しいお酒を利き酒させてもらったり。




ラベルが、かなりボロボロになっているのが、長年の保存を物語っています。ワインと違って、寝かせたからフルボディになるというのではなく、さらりとしていて、それでいて奥深い、っていう感じ。いつか日本に帰ったら、日本酒三昧したいもんですが、そのころには、量を飲めなくなっているんでしょうねぇ。うう、寂しい。

今回は、夜出ることも少なく、ほとんど実家のおさんどんしていたんですが、たまにランチできた時は、家では食べられないものを。




カツ重。とんかつは、ミラノの和食屋さんの昼定食でも、たまにいただくのですが、日本で食べると、やはりレベルが違う気がします。なんでだろうなぁ。
そして、今回初めて食した、本格的なスープカレー。




札幌出身の友人と、下北沢の住宅街にあるお店でいただきました。もともと札幌のお店ということで、味は太鼓判でしたが、彼女によれば、北海道では、もっと野菜がゴロゴロ入っているということでした。いや、これでも十分ごろ頃でしたけどね。鶏肉も、もも肉がどさっと入っているし。
ずいぶん昔、スープカレーが流行っていたことに、一度いただいたことがあるのですが、その時は、「なんでこんなものが流行るんだろう」と思ったくらい、しょぼいお皿でした。今回は、ちゃんとした店で、ちゃんとおいしくて、以前食べたスープカレーは、まがい物だったんだ、ということがわかりましたね~。
でもさ、これって絶対日本で誰かが作り出したものだと思うんだけど、店の内装が思いっきりインド的で、なんというか、不思議な混とんを感じました。こういうのって、すごく日本的かもね。

そうそう、ファミレスにも行きました!




何年ぶり~!?
カキフライとハンバーグの定食というのをいただいたけど、意外とおいしかったな~。でもファミレスって、安いのか高いのか、よくわからないのが不思議。
白玉とあんこの、こんなデザートもいただきました。これって、なんていうんだっけ。白玉ぜんざい?いや、冷たいし、アイス盛りだし。




本来甘味に興味ないのに、なんでこんなもん頼みたかったのかな、と考えたら、ちょっと前に読んだ漫画「三月のライオン」のせいだったのでは、と思いつきました。そんなもんよね。白玉は、ミラノでは作れないし。
いや、作れるのかな。粉売ってるんだろうか。

深大寺の初詣は、平日に行ったので、お気に入りのお蕎麦屋さんも、さほど並ばずに入ることができました。最近は、かなりの人気店で、行列がすごいんですよ。




十割蕎麦もありますが、私は二八の方が好みです。
冷水できっちり冷えていて、本当においしいお蕎麦です。
つまみも、種類は多くないけれど、おいしい上に、お値段が良心的。




この小さいお鍋はあさりがザクザク入っているんですが、わざわざ卓上で火をつけてくれるひと手間をかけてくれるにも関わらず、なんと500円。今回の一押しです。
昨年のフランス以来食べたかったカモ肉も、おいしかった~!カモは、ワインもいいけど、日本酒にも合いますよね。イタリアは、あまり食べないんですよね。カモも家鴨も。

ミラノに戻る直前に、いつもお招きいただく友人宅で、素敵なフレンチ・ディナーをごちそうになりました。




いつもは和食なのですが、今回は、松が明けてからずいぶん経つのにクリスマスに戻って、なんか東京というよりはミラノの雰囲気でしたね。

お魚の前菜に始まって、お魚、お肉、とどっさりのお皿。




お酒も、シャンパンから始まって、白、赤、と、すべてフランスの、よいもの続き。あれ?3本、開いちゃったんですかね?テーブルを囲んだのは3名なんですけど~!




お食事もワインもおいしくて、いい調子でやってしまったようです。毎日おさんどんで嫌気がさしていた分、ついつい…。本当は、早めに辞去する、と決めていたのに、ずいぶんと遅くまで話し込んでしまって。いつものことながら、本当に図々しいもんです。




こんなチーズまでいただいてしまったんですね。ほんと、オーベルニュの、田舎のいいレストラン状態でした。満足~!




というわけで、いつもよりは断然、飲みも少なかったけれど、やっぱり振り返れば、ちゃんと食べてますね。それに、おさんどんしていたので、自分の食べたいものを中心に作れて、それはそれで楽しいものもあったんです。食べたいものって、お豆腐だったり、お稲荷さんだったり、結構普通のものなんですけどね。

そして、自分土産も。




消しゴムハンコ用のスタンプ台。百均の商品も進化していました。でもスタンプ台は、やはり質的に、よいものじゃないと発色がいまいちなので、文房具屋さんを見つける度に立ち寄って、少しずつ。今や、本格的な文房具屋さんも少なくなって、目的的に商品を探すと、見つけにくい世の中になっていますね。
自分自身が、百均のヘビーユーザーなので、百均は本当にありがたいのですが、ある程度以上の品質を求めると、やはり違うんで、文房具屋さんになくなってもらっては困ります。

そして、嬉しいお土産がこちら。




遠藤さんという方の砥部焼の食器。
母が昔からファンで、年末の個展で購入してくれたそうです。遠藤さんとその奥さんの作品で、どちらも素敵~!早速日々のごはんに使っています。
この数年、よいご飯茶碗がほしくて、陶器で有名なファエンツァという町まで探しに行ってみようか、と思っていたのですが、当面、行かなくてもよくなりました。

では、次回からは、またロマネスクに戻ります。
まずは、年末に尻切れトンボになってしまったスペインをコンプリートして、そのあとは、フランスに戻るか、または久しぶりにイタリアのものを紹介するか、思案中ですが、どうぞお楽しみに。
あ、寄り道、という可能性も大です、笑!

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  1. 2018/01/19(金) 06:55:02|
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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

東京滞在、その1

昨年末は忙しさと疲れで、最後の最後はブログ更新もできず、ご挨拶もせずに、失礼しました。連日8時出勤で19時まで、ノンストップ、という、通常の私にはありえない状況だったんです。それで、最後の日々は、ブログどころではなくて、なだれ込むように一時帰国となりました。

年末年始の2週間を、東京で過ごしました。
今回は、年末が週末だったので、30日にミラノを出発し、なんと大みそかを東京で過ごすことができました。別に特別なことをするわけではないですが、紅白やゆく年くる年を見ながら、年越しそばをすする、という体験は、何年ぶりのことだったでしょう。このところずっと、年越しは機上だったので、気持ちが、ちょっと安らぐ気がしました。

実は、12月に老母が倒れたということで、この一時帰国は介護、というより家事が主で、最も遠いお出かけは東京駅くらい、あとは自宅周辺で過ごしていました。それでも、最低限お会い人たちにはお会いすることができたので、十分です。

今回、往復とも、東京では羽田空港を利用しました。




着いた時は、クリスマスからそのままお正月飾りに転用したような装飾と、生の合唱に迎えられました。
帰りは、なんだか会津の特集だったようで、赤べこがドカンと。




それにしても、羽田は小さくて、レストランもお店も少なくて、アクセスが楽ながら、ちょっと寂しいものがあります。今回、ミュンヘン経由だったのですが、確かちょっと前までは結構しょぼい空港だったはずなのに、今や巨大になった空港にびっくりしただけに、羽田の狭さは、ことさらに感じられたように思います。なんというか、天井が低かったり、スケール感がね。
それにしても、ANAとの共同運航便で利用したルフトハンザは、サービスもひどいし、食事は激マズで、あきれるほどでした。数年前に利用したときは、サービスに感動した記憶があるのですが、様変わり。ほとんどローコスト航空に近づいている感じです。それでいて、アリタリアほどインパクトのある安さで出すわけでもないし、謎。
ANAも、JALに比べると、やはり色々ダメだなぁ、と思うこと多数。
実は、来月もう一度帰国する予定なんですが、そして、ANAも安いチケットが出ているようなのですが、買う気がしません。

ま、往路は空港で、復路は前日に、席をゲットした割には、ちゃんと通路側が取れたので、もしかすると、サービス低下が原因で、若干乗客に敬遠されている可能性も、なくはないかもね。少なくとも私は、ルフトハンザは当分使いたくないしね。あの激マズはありえない。

東京は、一回ほど雨が降りましたが、あとは好天続きで、気持ちの良い毎日でした。




これは、出発時に羽田空港から見えた富士山。
東京では、電車の車窓から、ビルの窓から、などなど、あらゆるところから、富士山を拝むことができますね。住んでいる人たちにとってはあまりに当たり前で、今更誰も注目しないのでしょうが、私は一年に一回のことなので、見えると、それがどんなに小さくても、なんだか得した気持ちになります。
江戸の人たちが、富士山信仰をした気持ちや、富岳三十六景が人気だった理由、わかる気がします。今よりもっと容易に、あちこちから見えたことでしょうからねぇ。

正月早々はいけなかったのですが、成人の日の連休直後に、恒例の深大寺初詣も、行くことができました。




いつのは参拝客でぎっしりの山門も、このすき具合。返ってよかったような気がします。
本堂前も、この通りのスカスカぶり。




ただ、境内のお土産物屋さんが、ほとんど閉まっていたのは、ちょっと寂しかったです。鬼太郎茶屋もしかりで、それを目当てに来たらしい子供が、ぐずっていました。




でも、この落ち着いた様子、いいですよね。
ちなみに、どうやら、昨年、この深大寺にある白鳳時代の仏像が、国宝に認定されたようですね。あちこちに、「祝」の印があり、気付いた次第。
今回は人も少なかったので、久しぶりに拝んできましたが、何とも美しい像です。8世紀のものなので、こちらではロンゴバルドの後期。オリエントの繊細な技術がいかにすごかったかを、目の当たりにしました。

人が多い時には、目に留まることもない小さな祠も、ゆっくりと見ることができました。




いただいた美味しいものも、記しておきたいと思いますが、次回。

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  1. 2018/01/18(木) 07:14:14|
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