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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

深く深く掘りこむのも、興味はあるんですが(モットラ4)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その6

洞窟教会ツアー、サン・ニコラ教会、続きです。
ガイドのマリアさんによる、熱の入ったガイドが続き、我々もついていこうと必至。熱量が高まるばかりです。

前回は、かつては聖職者たちだけがアクセスすることのできた、イコノスタシスの内部の後陣部分に、いきなり迫りましたが、イコノスタシスのこっち側、つまり、入り口に近い一般信者向けのスペースにも、かなりたくさんのフレスコ画が残されています。




こちらが入ってすぐの右壁です。

あ、フレスコ画に行く前に、この写真に写っている、小さな開口部について、ちょっと触れておきたいと思います。
上の写真の、右よりに開いている穴のことです。




これはマリアさんが、私の説だけど、と説明してくれたことで、真相はわからない、ということです。
こういう穴って、普通は、後代に、明り取りとして、唐突に開けられるケースが多く、多くの場合、フレスコ画なども気にせず、明かりを優先して開けられたりしますが、彼女は、これは、もともと開けられていたと思うというのです。
この穴を通る丸い光は、春分の頃に、後陣に描かれた聖人の姿や、中央後陣の祭壇にも、ぴったりと到達するので、そういう効果を計算して、教会と同時代に、開けられたものだというのです。

研究者の多くは、後代に開けられた明り取りまたは空気穴とみなしているそうですが、そんな穴からの光が、偶然、後陣に到達するというのは、納得できないので、自説を確信しているそうです。
実際、彼女ほど頻繁に現場を訪問している人はいないと思います。あらゆる季節や時間に来ているからこその説だと思うので、それはきっと正しいのだと思います。

私は、次々と新しい場所を訪ねて、勉強も何も間に合わない、というのを繰り返して、研究は老後の楽しみ、とかうそぶいていますが、そうやって一つの場所、一つの教会について、深く深く掘り下げるというのも、非常に有意義で面白いアプローチだと思いました。

さて、フレスコ画に戻りましょう。
最初の写真は、右壁、つまり右身廊部分と、身廊を区切る柱のフレスコ画になります。
13世紀終わりから14世紀にかけての、比較的新しいフレスコ画になるようです。




騎乗のサン・ジョルジョ。ドラゴンから娘を救ったという伝説の人ですが、洞窟教会の図像では、大変好まれたフィギュアだそうです。
彼もまた、赤いマントで、縁取りの付いた光背を背負っていますね。光背縁取り付き、お約束みたいです。どこまでも装飾的なのが、ビザンチンらしいと思います。

ビザンチンのお約束として、発注者又は製作者の名前が記されています。

そのお隣は、サン・ピエトロと、法王サン・レオーネが仲良く並んで、一つの額縁内に描かれています。




これは、全体の雰囲気からは、さほど古いものには見えないのですが、もともとは11世紀ごろの作品とされているようです。ただし、13/14世紀に加筆されているので、なんかちょっと、私が苦手とするにおいが感じられるのですね、笑。
このお二方の光背も、キラキラ縁取り付きです。
サン・レオーネは、トンスラみたいですが、トンスラは、ビザンチンの図像では珍しいそうです。この絵も、足元に、発注者の名前が記されています。

上の写真では、手前の柱の陰になってしまって、その部分が見えないんですけれど、法王の右側に、小さな絵があります。




これは、中世の衣装を着て、灯されたろうそくを持つ二人の女性の姿で、当時、深い信仰を表すフィギュアとして描かれたものだとか。これにも、当然発注者がいたということなのでしょうね。
ちなみに上部のアップでは、右側の法王と、左側のサン・ピエトロの足元がよく見えますが、使徒は通常はだしで描かれ、聖職者は、ちゃんと高価そうなスリッパをはいているんだろうですね。そんな細かいところまで、毎回見ているわけではないので、今回ガイドツアーで、次回からはきちんと確認しよう、という注意ポイントのヒントをたくさんいただいたように思います。
と言って、次回まで覚えていられるかというと、心もとありませんが。

その左には、やはり二人仲良く、の一枚で、サンタ・エレナと司教。サンタ・エレナは、例の黄金伝説の人ですね。さすがに豪華な王冠を付けています。
右側の人物は、印から司教と判別可能だけれども、名前までは不明なんです。ちょっと不思議ですよね。
それにしても、手、でかいな。

さらにその左、後陣に一番近くには、またもやサン・ジョルジョ。




左側の壁。




写真で、奥の方が、入り口の脇となります。つまり、後陣側から見た様子です。




写真で、一番手前にいるのが、どうやらサン・ニコラ。サン・ニコラって、バーリにそのレリックがある、例の二コラさんですね。

正面からは、こういう感じになります。




真ん中は、聖母。ビザンチン風ですが、「永遠の救いの聖母」と呼ばれる図像なんだそうですよ。難しい、図像学…。
その左側に見えるのは、サン・バジリオ。カッパドキア生まれで、強烈なカトリック推進者だった方なんだそうですね。

後陣の方から見た写真の正面に、聖母子がうっすら見えるかもしれませんが、そのお隣のアーチの根元部分に、サンタ・ルチアがいます。




王冠をいただき、刺繍が施された豪華な衣装に身を包んでいます。右手に十字架、左手は広げて胸に置いていますが、これは殉教のシンボル。
サンタ・ルチアは、両目をくりぬかれたことから、両目を入れた容器とともに描かれることも多い聖女。この絵では、美しい目をしていますね。
こちらでは、サンタ・ルチアと言えば、一年で昼が最も短い日のことですが、目の伝説によるのでしょう。

女性では、もうお一方、素敵なフレスコ画があります。




サンタ・パラシェヴェという名前は、聞いたことのないものです。西側では、ヴェネルディアと呼ばれるそうですが、それすらも、聞いたことありません。
彼女も、右手に十字架、左手は開いて胸に置いていますから、やはり殉教した人なのでしょう。
豊かなキリスト教徒の家庭に生まれましたが、その資産をさっさと売り払って、貧者に恵み、そのキリスト教徒的な行為を非難されて拷問され、最後は首を落とされて殉教したというのが、彼女のストーリー。パラシェヴェというのは、金曜日という意味なんだそうです。なぜそう呼ばれるかというと、彼女が、聖金曜日、つまり、イースター前の金曜日に当たるんですかね、その日に生まれたという伝説があるそうです。

ここで、注目しておきたいのが、唇の描き方。




解説では、燕のしっぽのような、とか、掛け金のような、とあったのですが、何とも独特ですよね。これがさらに不思議な形になっている唇を、この後訪ねたマテラの洞窟で、見ることになるんです。
マテラでは、全体に絵が大きくて、唇などという細かいところまで気付き、変だな、と思ったのですが、ここでは、見るべきものが多すぎ、聞くべき話が多すぎ、という状況もあったのですが、同時に、絵のスケールが小さいため、そこまでは気づきませんでした。
今、写真を見ながら、共通性を感じて、なるほど、と思った次第です。




もっともっと写真を撮ったつもりでしたが、意外と少なくて、なんで、ここ撮ってないんだよ!という絵が多数あったようです。
でも、いずれにしても、解説を見ながら、写真を確認して、という作業は、かなり大変で、これが限界。
興味のある向きは、是非是非、現地を訪ねてほしいです。

旅は、まだまだ続くのですが、ここで、しばらく中断します。
明日より、再び一時帰国で東京なので、2週間強、お休みです。
半端なところで中断は申し訳ありませんが、どうぞ、次回をお楽しみに、よろしくお願いします。

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  1. 2018/02/16(金) 07:08:28|
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病気の人達の熱気むんむん(モットラ3)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その5

洞窟教会ツアー、次に向かったのは、サン・ニコラ教会です。




ここもまた、結構近くまで車でアクセスできるということでしたが、ちょっと離れた道に車を置いて、徒歩で近づきました。
両側を、最初はオリーブ畑、そして、次には大きなサボテンのある石垣の道を、ずっと進みます。




そのあと、さらに荒れ地に踏み込むようにして、たどり着いた先は、グラヴィーナが見えるところ。そこに、教会を示す印がぽつんと立っています。




これは、期待が高まります。とにかく素晴らしいロケーションですし、このサン・ニコラは、この地域の洞窟教会のシスティーナ礼拝堂とも呼ばれる遺構なんですよ。

この標識の先に、比較的最近作られた石段と人口の階段があり、そこを降りていきます。と言っても、2~3程度の階段ですが。




降りたところにあるのが、サン・ニコラ教会。




純粋な洞窟というよりは、岩盤の下側を彫りだしたスペースで、今でもマテラなどに見られる洞窟住居サッシと同じような作りなんだと思います。
上の写真の入り口が、下の図解で、右下にある部分となります。




内部は、三身廊、三後陣というスタイルになっています。そして、ビザンチン特有のイコノスタシスで、信者と聖職者のスペースが、しっかりと分割されています。扉側にあるのが、一般信者スペース。
これだけ、ビザンチン当時のスタイルがしっかりと残されている教会構造は珍しく、その点でも、この教会の重要度は高いのです。

この教会、道さえ知っていれば、ここまでは、誰でもアクセスできます。地元の人じゃないと、なかなか道がわからないとは思いますけれど。その上、大変親切なことに、扉は鉄柵ですから、一部のフレスコ画を見ることもできます。

でも我々は、嬉しいガイドツアーなので、ガイドのマリアさんが、鉄柵のカギを、いざ、オープン!




中央後陣のデイシスが、いきなり目に飛び込んできます。

マリアさんは、ここにきて、さらにガイドに熱がこもります。さんざん訪ねているけれども、常に発見があり、自分がそうではないか、と考えたことなどもたくさんあって、とにかくすべてを伝えたい、わかってほしい、というそういう情熱がほとばしらんばかりです。
でも、自分自身が、興奮に目移りしてしまって、彼女の話だけに集中するのも難しく、このときの洞窟内の熱量は、かなりのものではなかったか、と思います。

オリジナルの教会は、おそらく、壁面や多くの天井部分も、フレスコ画で覆われていたものと想像できます。今は、左右の壁、柱の一部、そして、後陣に、フレスコ画が残っていますが、保存状態は良好。そのために、システィーナにもたとえられるというわけですね。
歴史的には、もっとずっと古いのだから、よくもこれだけ残っているものだ、というすごさがあります。
サンタ・マルゲリータもそうですが、入り口は鉄柵だけで、空調をしているわけではないので、気候が、保存に適しているということなのでしょう。

デイシスをアップします。




中央のキリストのプロポーションが、聖母やヨハネに比べると、超巨大です。
赤いマントにブルーのチュニック。あ、ここのマリアも、やはり赤いマントですね。
三者ともに、すごい目力です。
こうやって写真で見ても、こっちをきっ!と見つめていて、思わず、「す、すいません…」と恐縮したくなるような迫力じゃないですか?

この青と灰色の混じった背景色は、解説によれば、ビザンチン絵画に典型的な彩色ということです。そしてこの絵は、11世紀終わりごろのものとされているそうです。よくもこれだけ見事に残っているものですね。

キリストだけ、下半身がカットされている様子がわかるでしょうか。上の方に置いた、遠くからの写真だと、マリアとヨハネは足まで描かれているのがわかると思います。
なぜかというと、おそらくですが、オリジナルの祭壇が、もっと背の高いもので、キリストは、祭壇のすぐ上から描かれているものだったようです。

そういえば、ロマネスク教会での後陣は、普通半円になっていて、フレスコ画が描かれる面は、カーブしていますが、どうやらビザンチン教会では、こういう、まっすぐな壁になっているケースが多いのか、または、この地域の洞窟教会の特徴なのかな。他も、まっすぐ壁ですね。

このデイシスのある天井に、十字架が描かれています。




これは、ビザンチンの、聖像破壊主義時代のものとされているようです。
最近、ビザンチン芸術の本を読んでいて、偶像禁止のことも、そういう歴史、そういえばあったんだよな、と思っているところですが、キリストや聖人の姿を表せなかったときに、十字架が多用されたということなんですね。
そういえば、ラベンナでも、十字画だけがやたら大きくあらわされているモザイクがありますが、あれはそういうことだったんだ、と今更納得しています。

これは、右の後陣。




ここでまず目を引かれたのは、天井のぐるぐるした彫りです。




他の教会でも目にしますが、これは、何ともかわいらしい装飾で、とても好みです。前の記事でも触れましたが、掘って作った構造物ということで、エトルリアなどの古代墳墓などを飾った装飾に触発された可能性はないのか?と、その関連を探りたいところです。

祭壇の奥のフレスコ画は、福音書家ヨハネの姿だそうです。




迫りくる死を予期して、すでに石棺の中に片足、いや、ほぼ全身突っ込んじゃっているお姿ですね。
その右側の壁には、大天使ミカエル。




うっすらとしていますが、思いっきりドラゴンをふんずけていますね。
それにしても、何とも優しくて美しいピンク色。これは何から採取した色なんでしょうかね。ビザンチンの衣装を身に着けていますが、このミカエル、サンタンジェロ・イン・フォルミスの絵と酷似しているということで、12世紀後半のものではないかとされているようです。サンタンジェロ・イン・フォルミス、行ってみたいなぁ。

左側の後陣には、サント・ステファノ。




ステファノを天の国に迎え入れ、祝福するべく、その前にキリストが現れたというシーン。ステファノはすがるような思い詰めた表情で、堂々としたキリストを見つめていますね。
区切られた外側に描かれたケルビムは、天の国のシンボル。なるほどね。
光背が、いちいち縁取りキラキラなのが、ビザンチンっぽい感じ。お、ステファノ、よく見るとトンスラ?

そして、この左側にも、大天使ミカエル。




つまり、右後陣の右壁と、左後陣の左壁に、それぞれミカエル。で、ミカエルが向き合っているんですね。
でも、描き方は、かなり違いますよね。どちらも衣はピンク色でビザンチン風だけど、こちらのミカエルの衣装は、より豪華な感じで、キラキラ度が高いし、様式的なスタイルに見えます。
でもどちらも、ユリの花の縁取りに囲まれた、豪華な額縁付きで、やはり特別な存在として扱われたのでしょうし、是非ミカエルを描いてほしい、という発注者が、二人いたということなのかな。
あれ、でもここは、サン・ニコラ教会でしたね。二コラはどこかな。

続きます。

ちなみにですが。
ざっくりと斜め読みした解説文と、あまりの興奮に、目移りして、ばらばら行き当たりばったり状態で撮影した写真を見比べながら、全体を読み解くの、結構大変で、もしかしたら、間違っているかもしれませんので、そこはご容赦くださいね。ま、毎度のことですね。
それにしても、やはりガイドもあったし、いつもだったらここだけで数百枚撮っていてもおかしくないのに、写真、意外と少なくて、今、がっかりしているところです。

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  1. 2018/02/14(水) 06:51:26|
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垂れ乳でべそで誘惑とは(ジュネーブ)。

あっちこっちと、とっ散らかった感じですみませんが、いきなりジュネーブです。
ここ、2016年4月に、フィギュアスケートのショーを見るために訪ねました。ジュネーブの中世を記事にすることもなく、あっという間に時間がたってしまい、そうこうするうちに、昨年同時期にも、同じショーが再演されるということだったんです。
ショーのチケットはもちろん、列車のチケットやホテルの予約も早々に完了。後は行くだけ、ということになったので、では、ジュネーブの記事は、その後にまとめて書きましょう、と思っていたのですが、なんとなんと、ショーはドタキャンされてしまったのでした。

結果、ジュネーブの記事を各タイミングを失ってしまったまま、また一年がたとうとしているというわけです。今年こそ、ショーの再演がある、という噂はあるのですが、今のところ具体的な話は目にしていません。
だからと言って、日の目を見ないのもかわいそうなので、ちょっとジュネーブ、寄り道記事になります。




サン・ピエール大聖堂Cathedrale Saint Pierre。
このファサードを見たら、中世ラバーとしては、決して入ろうとは思わないですよね。でもこの教会、起源は4世紀と古くて、その歴史を物語るローマや初期キリスト教時代の遺跡が、地下にあるんです。

ふふ、どこに行くにも、とりあえず中世情報だけは仕入れます。




脇の方に回ると、ちょっと中世の名残を感じられるたたずまいも垣間見えます。




地下に降りると、有料の博物館になっています。順路が示された立体図。結構広い範囲を歩けるようになっていますが、建物構造的には、自分がどこにいるのか、まったくわからなくなってしまいます。




導入部分で、CGが、とってもわかりやすく、この場所の成り立ちを説明してくれます。
でも、きっとフランス語だったんだろうなぁ。

ケルト人が定住を始めたのが、どうもこの土地の始まりらしいです。北から南下してくれば、湖沿いの風光明媚な、気候も穏やかな(北に比べれば)、素晴らしい場所だったでしょうね。
そこで、まずは異教の神殿が建てられ、その後4/6世紀、初期キリスト教時代に、キリスト教の教会になったようです。

この辺りは、そういった歴史の降り積もり、いずれにしても基部がむき出しにされているだけなので、教会だか何だかも不明な遺跡状態です。




修道院機能もあったようですが、定住はどんどん進んで、結構早い時期から、街並みに埋没するようになってしまったようですよ。




寺町みたいなものに発展していったんでしょうね。なんせ水は豊富だしね。

構造物は、ほとんど、壁や門の土台とか、井戸とか、そういったもんしかないんですが、おそらく破片ではいろいろ見つかっているはずで、そういうのを頑張ってつなげたアーチとか。




11世紀には、洗礼機能も持ち、クリプタも備えた立派なカテドラルになったそうです。




左側の手すりの先にある穴が、おそらく洗礼の浴槽です。




この模型、すごくわかりやすい。4にあるのが、洗礼の場所なので、洗礼をしていない人は、その先に進めなかったということですね。時代とともに、どんどん拡張された感が見えますね。




さらに順路を進んでいくと、これは相当古い時代っぽい浮彫なんかも見られます。




たいしたものがなくても、地下探検は楽しい~、なんて言っていたら、発掘品が展示されていて、ますます楽しくなりました。




これは愛らしいライオンです!明らかにロマネスクの時代のものですけれども、なんと、管かなにかを通すためでしょうが、顔半分に大穴。昔の人って大胆ですよね。東京オリンピックのために、何が何でも状態で、昔の風情を無視して、ばっこんばっこんと、新しい建造物を作りまくった東京のような…。まぁ、価値を見出していなかったんですよね、当時はロマネスクなんて。




きっとかわいらしいものが、たっくさんあったんだと思います。残念ですね~!

クリプタのあともありましたけれど、柱の基部すらなく、ただ、半円の構造だけでした。




11/12世紀の構造物ということなので、同時代で、今にちゃんと残っているクリプタはたくさんあることを考えると、ここは、あっという間に新しい時代へと移行した教会なのですね。おそらくお金持ちが多かったということなんでしょう。
金持ちの象徴的に、床モザイクが、結構残されています。




司祭が訪問者を受け入れるスペースで、床暖房も完備していたそうです。確かに、ローマの家や浴場の遺跡で見られる床下にお湯が流れる構造が見られました。




こんな感じです。
博物館を出た後、一応本堂の方へも。




すごくすっきりしちゃっていて、中世的な魅力には乏しいですが、でも構造的には中世の名残も残されていますね。そして、よく見ると、こんな柱頭があるんです。




やはり、起源が古い教会は、どんなに往時の姿を失っていても、ちゃんと確かめないと危ないですね、笑。




これなど、ダニエルさんでしょうねぇ。




再建っぽいものもありましたが、ちゃんとロマネスクを基本としていました。これなんかね。




うーん。なんだろう。垂れ乳、でべそ。誘惑?うーん。

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  1. 2018/02/12(月) 01:08:32|
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2017年12月2018年1月に読んだ本、備忘録

この時期は、日本語本がかなり豊富に手元にありますが、一方で年末年始の忙しさで時間がないというジレンマにも襲われます。で、読み飛ばし本中心。

「聖女の救済」東野圭吾(文春文庫)
「虚ろな十字架」東野圭吾(光文社文庫)
「ルパンの消息」横山秀夫(光文社文庫)
「春から夏、やがて冬」歌野晶午(文春文庫)
「しゃばけ」畠中恵(新潮文庫)
「愚行録」貫井徳郎(創元推理文庫)
「恵比寿家喜兵衛手控え」佐藤雅美(講談社文庫)
「お文の影」宮部みゆき(角川文庫)
「果てしなき渇き」深町秋生(宝島社文庫)
「残虐記」桐野夏生(新潮文庫)

どれも、駅のキオスクで売ってそうなラインナップです、笑。
しゃばけの人、たぶん、名前は見たことあるけど初めて読んだ気がする。蟲師っぽくて、ちょっと面白かったかも。
時代小説の書き手も多すぎて、なかなか名前が覚えられない今日この頃。

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  1. 2018/02/11(日) 23:43:37|
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七夕状態の再会、毎度嬉しく。

2017.10.グラッパ合宿、ピエモンテ編4、最終回

最終日は、よくお土産を目的に行く、お城へ。




グリンツァーネ・カブール城、ピエモンテ州エノテカ
Castello di Grinzane Cavour e Enoteca Regionale Piemontese Cavour
Grinzane Cavour (CN)

お城は、お城としての見学コースもあるようですが、何度も行っているのに、そちらは試したこともなく、いつも行くのは、併設のエノテカです。




ピエモンテ中のワインや物産がありますし、お手頃なお土産を求めるにはちょうど良いお店なんです。
有料ですが、ワインやグラッパの試飲もできます。




ワインはもちろんなんですが、試飲できるグラッパの種類も半端なく、さすが酒どころ、というカウンターになっています。
こういうニュートラルな場所で、醸造所や蒸留所の情報をゲットして、直接訪ねてみる、というのも、結構あり。

今回は、日本への一時帰国向けのお菓子、アマレットとクネージ(お酒を練り込んだチョコ)を購入。ソフトなアマレットは、ミラノではあまり売っていないのですが、たいていの日本人のお口に合う上に、包装がかわいいのもお土産にピッタリです。




それから、ラベル買いで、ワインも購入しました。




一番左のが、それ、ネッビオーロ。ラベルがとってもかわいかったし、ビオワインだったし、なんと言っても、お安かったんで。真ん中の日本は、アグリツーリズモのワインで、激安。右のは、同行者からのプレゼントだったと思います。

我々が着いた時も、すでに相当の人出だったのですが、かろうじて駐車できました。しかし、帰る時は、恐ろしいほどの人が押し寄せていて、みな駐車場を探してうろうろしている有様。トリュフ祭りの集客力は、相変わらずすごいです。




お城は、丘の上にあり、周辺のブドウ畑が色づいていて、紅葉狩りに最適な場所でもあります。

買い物のあとは、満を持して、我々グラッパ倶楽部一同が愛する蒸留所へ。




ベッカリスBeccarisです。
合宿の度、ここは絶対に欠かさず訪ねています。
行けば必ず新しい味にであるし、何より、情熱をもって働いているスタッフさんたちのサービスが気持ちよいんです。

しかし、お客さんがひっきりなしで、我らの専属スタッフ?キアラさんは、団体さんたちに拘束されっぱなし。




待つことは何でもないのですが、キアラさんが気を使って、今回はおっさんのサービスとなりました。




でもこの方のサービスもなかなかで、やはり、いい生産者さんだなぁ、と思います。
かなりの数、試飲させていただきましたよ。その上、グラッパ漬けの果物とかも出てきちゃったり。




これは強烈です。グラッパがしみ込んで、飲むよりもガツンとくる感じ。




お手頃価格のものから、高級品まで、惜しみなく試飲させてくださいます。これが、本当に嬉しいものです。これだけ回っていると、惜しむ生産者さんもたくさんいることを知っていますからね。ここでは、チョコレートとかおつまみも必ず出してくださるので、本当に太っ腹だと思います。

今回は、1本は決めていました。




一番最初に訪ねた時に、あまりのおいしさに購入したこの1本。創業から60年記念に売り出した逸品。それを、ちょっと前に開けてしまったので、これは買おうと思っていました。今のラベルはこうなっていますが、お値段は、数年前と同じだったような。




そして、左にあるのが、今回初めて購入したシリーズの、モスカート。
ラベルがかわいくて、その上、お値段激安。なんて良心的なんだろう、と感心の一本です。

団体さんの接客を終えたキアラさんとも談笑の機会を得て、今回もまた、満足感いっぱいで辞去しました。来年も楽しみです。

解散前最後のスケジュールは、ランチ。今回は、ベッカリスのキアラさんお勧めの店に行ってみることにしました。




Ristorante La Riserva del Gusto
Strada Canelli 57
Nizza Monferrato (AT)
www.lariservadelgusto.it

ちょっとした丘の上に建つ、普通のお家みたいな設えのレストラン。
中も、普通のお家のサロンのような広さで、こじんまりとして、雰囲気、大変良かったです。




サービスも行き届いているけれども、押しつけがましくなくて。穏やかな空気が流れる、素敵なレストランです。
お皿も、素敵な器に、美しい盛り付けで、食欲がそそられます。




生肉好きにはたまらない前菜。生肉、好きと言っても、このくらいのポーションがちょうどよいですね。
そして、パスタ系。




家庭的な詰め物パスタ。こういうお皿って、盛りが少なく見えますが、実はどっさりでびっくりしました。

リゾット好きな同行者の頼んだリゾットも、同様です。




どれもおいしいし、ワインは地元のバルベラ・ダスティにしましたが、リーズナブルでおいしい。そして、ラベルもかわいい!




というわけで、またまた大満足の中、合宿終了です。
寄り道、お付き合いありがとうございました。
また、ロマネスクに戻ります。

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  1. 2018/02/11(日) 00:58:44|
  2. グラッパ
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ちょっと切ないツアーのあとは、これだこれだ!のアグリツーリズモごはん

2017.10.グラッパ合宿、ピエモンテ編4

ゆったりとしたランチの後は、またちょっとしたロングドライブで、新規蒸留所へ。




Grappa Barile, Distilleria Artigiana Grappa di S.De Palo e L.Barile
Via Roccagrimalda 13, Silvano D'Orba (AL)

住宅街の中に埋もれたようにある、歴史の長い蒸留所です。
入ると、いきなり事務所で、いきなり子樽がいっぱいです。




訪問者が次々とやってくるので、なんとなく、という感じで、ガイドツアーが始まりました。御年85歳になるバリラさんが、若かりし頃に、盟友のデ・パロさんと、冒険的に始めた蒸留所。




今は、バリラさんだけになってしまったけれど、盟友の等身大のパネルが、貯蔵庫に置いてありました。なんだか切ないような、昔のお話も交えたガイドツアーでした。今は、何代目かの若手が仕切っている蒸留所も多いので、こういうところは初めてかも。
どうやら跡継ぎはいない感じだったので、もしかすると彼の代で終わってしまうのかもしれない、という寂しさも感じました。今年は、いろいろあって、仕込みができなかったというお話も、切ないです。

蒸留所は、歴史遺産のような建物でした。




建物も器械も窯も、すべてがアンティークめいていますが、実際に蒸留をしてるっていうんですから、あきれるほどの驚きです。




夢の名残、的な雰囲気満載。
でも、バリラさんは、かくしゃくとして、まだまだいけそうではありました。
そうそう、去年再訪したバレストリーノ蒸留所のおやじと同年代だなぁ。彼も頑張っていたけれど、跡継ぎなしだったし、そこはかとない寂しさが漂っていましたねぇ。一方で若手に引き継がれて、発展していく生産者さんがあり、他方で、こうやって、遅かれ早かれなくなってしまうだろう生産者さんがある。そういうもんだろうけれど、寂しいですね。
こういった職人さん的な蒸留所の設備も、もし引き継ごうとしても、若手には使いこなせないでしょうし、消えていくのでしょうねぇ。

熱を込めて、窯の説明をされるバリラさん。




ツアーのあとは、試飲です。若々しい奥様がサービスしてくださいます。




そういう蒸留所だけに、買っときたいものなんですが、高いんです!バリックものがおいしかったけれど、最低40ユーロというレベルでは、手が出ません。唯一買えると思ったのは、ビアンカの25ユーロでした。




俺が俺が系ラベルで、顔のイラストなんかは行っちゃって、怖いんだけど~笑。でも、たとえおいしくなかったとしても、ああいう情熱を見せられちゃうと、買わずにはおれませんでしたね。いや、おいしいですよ。高いってだけで。
ツアーの参加者は、結構買われていたようだったので、ほっとしました。




この日の、超絶美しい夕焼け。
前回紹介したアグリツーリズモ・ベッキオ・トルキオAgriturismo Vecchio Torchioのお食事について、ちょっと記録しておきましょう。




二泊しましたが、結局二泊とも、こちらで夕食をいただくことにしました。
アグリツーリズモとしては、適当な大きさのレストラン。満員だと結構な人数入れるし、勿論宴会にもピッタリで、大きなグループもいましたが、テーブルの配置は割とゆったりしていて、うるさいことはなかったです。
とにかくスタッフが感じよくて、サービスもよかったですね。

お食事は、決まったメニューで、とにかくどっさり、というのはアグリツーリズモの定番ですね。

前菜は、ハムとチーズの盛り合わせ、ニョッコ・フリットとか。




ペペローネの、サルサ・ヴェルデみたいなやつとか。




このサルサはおいしかったので、瓶詰をお土産に買いました。そういえば、まだ食べてない!どこに置いたかしらん。

これは、カボチャのふわふわのケーキみたいなやつだったかな。




もちろん、外せない生肉!




そして、同行者の一人の大好物、子牛のツナソースは、とっても素朴で家庭的なソースでした。




パスタは、メインにまでたどり着くためには、限りなくお味見程度に抑えて。でもおいしくて、ツルツル入っちゃうんですよねぇ、手打ちのパスタは…。




ちなみにこれ、二日分のお皿を適当にピックアップしていますんで、一回でこれだけ全部いただいたわけじゃないですよ。




ちょっぴりでも多すぎるくらいなのに、それでもツルツル入っちゃうって、やはりおいしいってことですよね。麺って怖いわ~。




メインのお肉は、もう本当にちょっぴり、なんだけど、付け合わせのジャガイモが妙においしかったりして、お腹はいっぱいなのに、口だけが食べたがるというやつで。




ローマ人が、美食のために、鳥の羽を使って、げえげえ吐きながら、だらだら食べていたという気持ちも、わからないではないですねぇ、こうなると、笑。

何とかデザートまで行けましたよ。そして、素朴な家庭的な手作り感満載のデザートも、ペロリ、で、自分の胃が怖かった~!




こうなると、食後酒として消化を助けるはずのグラッパ、本領発揮。おお、合宿の神髄、違うか。

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  1. 2018/02/07(水) 06:43:30|
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情熱の職人さん、なぜに妖精…?

2017.10.グラッパ合宿、ピエモンテ編3

秋の合宿では、高揚したブドウ畑を楽しむことができます。
一夜明けて、美しい朝。




どこまでもどこまでもブドウの葉が色づいていて、絵も言えぬ美しさでした。

さて、この日は、初めて訪ねる蒸留所が、最初の目的地となります。




Distilleria Castelli Giuseppe
Corso L.Einaudi 55, Cortemilia (CN)
www.distilleriacastelli.com

看板の脇に、狛犬のような立派な獅子がすっくと立っていますが、実際は普通のお家みたいな。




玄関口は開いていましたので、こんにちは~、と言いながら入った中も、なんだか普通のお家の、ちょっと雑然とした居間のような。




誰も出てこなくて、困ったな~、と思っていると、ずいぶん経ってから、あ、いらっしゃい、とオーナーさんが出てきました。




かなり忙しそうで、出たり入ったり、試飲も、手酌で勝手にやってくれる?みたいな、おおらかな対応でした。数種類、試飲させてもらったのですが、アルコールがガツン!と来るタイプで、残念ながら、我々にはちょっと合わなくて…。同行者は、訪問記念で1本購入しましたが、私は空手で辞去。

面白かったのは、あとから出てきた奥様。
トップの写真をよく見てもらうと、グラッパに混じって、というより、テーブルの中央に置かれているのはタイヤです。
この部屋の一角にも、レーサーのスーツとか、ラリーの車の写真などが展示されていたんです。
このあたり、結構有名なラリーなんかも開催されている地域ですから、もしかして身内に関係者がいるのかと思い、尋ねてみると、奥様頬を染めて、「私、このレーサーの追っかけやってるんです~!」ということでした。それはそれはうれしそうで、グラッパのことよりも、ラリーの話をしたそうな様子でした。
何かに夢中になっている人って、親近感を覚えて、それだけでうれしくなっちゃうな~。
でも、グラッパ、残念でしたけど。

この次は、結構ロング・ドライブをして、これまた初めての蒸留所に向かいます。




Distileria Sancarlo
Strada Morandino 5/6, Celle Enomordo (Asti)
www.distilleriasancarlo.com

住居の敷地内に、離れのように建っている、超ミクロな蒸留所ですが、ここのオーナーさんの情熱にはやられました!




足の踏み場もないという状態なんですが、樽やホースや蒸留器の間を縫うようにして、作業をしています。生産量はさほどじゃないようですが、色々と新しいトライアルなどもしていて、商売というよりも、趣味の延長でやっているような、そういうタイプの蒸留所。ガイドと言っても、そこで見渡せばおしまい、というような場所ですが、熱心に丁寧に、作業工程をレクチャーしてくれました。




どの隙間にも、何かしらぎっしりという場所なのですが、手すりがアールヌーボー調だったり、内装にも凝っているのが、印象的でした。隠れ家みたいに素敵な蒸留場所です。

蒸留器械に取り付けられていたプレート。




「職人技術に従って、我々は、サンカルロ蒸留所のためだけに、この設備を手作りで実現しました」という、シエナにある器械製造者によるプレートみたいです。シエナのモンテリッジョーニ(中世の小さな小さな村です)に、こんなものを作る工場があるなんて。なんかしっくりしすぎです。




10月末でしたが、クリスマス向けの瓶詰を始めているところでした。かわいい!




でも、普通のボトルはこういう形で、ラベルが、改良の余地あり、と思われました。どれも、妖精っぽいフィギュアと花、っていう子供の絵本のようなイラストなんですけれど、グラッパに子供の絵本的イラストはどうよ?と思いますし、作り手の情熱が伝わらないような気がしました。奥さんの趣味かなぁ。

生産量が少ないだけに、お値段設定は若干高めです。ということで、1本だけ購入。




ね、こういうラベル、ちょっと違いますよねぇ。
バローロのバリックもの(5年くらい)ですよ。それにこの妖精ちゃんはないだろう?と、思うんですが。
お会計も良心的で、お値段もおまけしてくれちゃいました。

そして、ちょうど昼時だったので、近所のレストランをお伺いして、辞去しました。




Ristorante Da Mariuccia di Strocco Franco e Valente Maria
Strada Protomorone 38
Frazione Protomorone, Tigliole d'Asti

田舎のレストランにあり勝ちの、だだっ広くて、大家族の集まりもオウケイ(実際、大家族が大きなテーブルを囲んで食事していました)、結婚式もオウケイといったタイプのレストラン。内装にこれといった特徴もありませんが、清潔感漂うお店です。

バルベラ・ダルバで、乾杯です。




バルベラは、モンフェッラートの方が庶民的で飲み口は軽いのですが、やはりアルバのものがおいしいです!
軽く前菜をいただいて、同行者は赤ワインのリゾット。




そして私はポルチーニのタヤリン。




日本だったら、少なくとも二人前、下手すると三人前行けそうな盛り!でもおいしくて、ぺろりといただいてしまいました。
食後に、ブネを一人分頼んだら、これまたどっさり!




見た目は、ちょっとなんですが、おいしいブネでしたよ。
たいしたオーダーはしてないとはいえ、三人分、ワイン1本で、お会計42ユーロ。これはミラノではありえないお値段で、感激しました。

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  1. 2018/02/06(火) 06:44:51|
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まさかの十五連発!気前いいにもほどがある?

2017.10.グラッパ合宿、ピエモンテ編2

ランチの後に向かったのは、超有名蒸留所です。




シボーナAntica Distilleria Domenico Sibona S.p.A.
Via Castellero 5, Piobesi d'Alba

ここも、2年ぶりの訪問です。
一番最初に立ち寄った時は、完全にクローズで取り付く島もない状態でした。
週末だったら、開いてないのも普通ではあるのですが、この時期は、アルバでトリュフ祭りがおこなわれていることもあり、この地域の観光客の数は半端なく、そのために、トリュフ祭りの期間だけは、週末でも開けているお店も多いんです。それに、仕込みの時期でもあり、どうせ、誰かはいる時期でもあるので、そういう意味でも、訪問者を受け入れてくれる醸造所は多いのですが、ここは、そういうことなく。

ただ、予約をすればオウケイということだったので、ちゃんと事前に予約をして、二年前に初めて訪ねたわけです。

受付から、早速ガイドツアーの始まりです。




今回案内してくださったお嬢さんは、前回のお嬢さんと、金髪とか背格好がかぶるので、一瞬同じ人?と思いました。仲間でひそひそと、同じ人だとすると、何かあって、こんなに変わったのかしら?成長したのかしら?とか、勝手な噂をしていましたが、発言内容からも、絶対違う人、という結論に達し、後日過去の写真を確認して、やっぱり違う人だった、とわかりました。

前回も、ガイドツアーは悪くなかったんですが、でも、なんかクールで、情熱のないガイドで、全然盛り上がらなかったんですよ。




でもこの方は、今まさに仕込み中のアルコール臭が充満している中、こちらが求めている情熱を発しつつ、ガイドしてくださいました。




蒸留所は、手作り感のある工場、という雰囲気があり、とっても楽しいんです。蒸留の器械が、年代ものだったり、銅製だったりすることもあるのでしょうね。この、かなり大手のシボーナであってすら、とても職人的な雰囲気が漂います。




そして、半年ごとに、どこかしらでガイドをしていただくというのに、なかなか言葉も覚えないし、製法もうろ覚えで、情けなくなります…。毎回新鮮って、困ったもんですよね。

で、一通りの案内が終わり、試飲室に。




ここでは、前回購入したアルネイスが、異常といっていいほどおいしかったので、今回買うべき一本はもう決まっています。おいしければ、他にも、と思いつつ、試飲開始。

香りのいいモスカートや、熟成させていないビアンカから。




どんどんと勧めてくれます。お酒の瓶と、試飲グラスがずらずら並びだしました。壮観です。




ここで、この人は、前回の人とは別人である、という確信に至りました。というのも、前回はほとんど試飲をさせてもらえず、なんだかがっかりしちゃったんですよね。この人は、もう次々に、そんなに勧めちゃって、大丈夫ですか、というくらいに、出してくれます。




琥珀色が濃くなってくると、樽での熟成が長いもので、ブランデーや、ウィスキーにも並ぶ奥深い味わいになってきます。ボトルも、四角っぽいタイプは、高いやつです、笑。
もうこの辺りは、我々は至福を通り越して、やばいんじゃないか、という状態。

飲んだも飲んだり、グラス、ボトルが15本並んでいます。




我々は三人ですが、一種類につき、グラス一個分を分け合って試飲しますが、それにしても、15杯味わうと、いくらひとなめといっても、相当なアルコールを摂取していることになるかと。これは、記録じゃないか。




こんなにいただいて、ちょっとしか求めないのは申し訳ないと思いつつ、やはり、自分の飲酒量には限界があるので、結局、もともと決めていたアルネイスと、おいしさとお値段のバランスの良かった5年物をゲットしました。
アルネイスは、シボーナおなじみのボトル。これ、飲み終わった後は、カラフとして使えるような体裁になっていて、かわいらしいんです。




5年物の方も、同じタイプのボトルですが、ちょっとお高いだけあって、箱もかわいい。
これは、もったいなくて、しばらく開けられないけれど、そういえばアルネイス、飲みたくなってきたな。
不思議。アルネイスは、この地域特産の白ワインなんですが、実は、ワインは好きじゃないんですよ。でも、グラッパだと、かなり好き。そういうタイプのブドウ種ってある気がします。




試飲でいい気持になってしまった後、熟成のグラッパが置いてある場所へ、ツアー再開です。




さすが大手。樽の数は半端ありません。
大きいのから小さいのまで、この樽だけでもひと財産だと思います。

すっかり満足して、次回の訪問を約して、辞去しました。

そして、今回のお宿へ。




Agriturismo Vecchio Torchio
Reg.S.Antonio 151,Canelli (AT)
www.vecchiotorchio.eu

ここは、いわゆる秘密にしておきたいタイプのアグリツーリズモです。というのも、お値段は安いし、食事はおいしいし、スタッフは感じいいし、その上、猫好きの私にはにゃんこがたくさん、犬好きの同行者にはわんこがたくさん、というおまけつき。
さらに加えて、ここからの眺めです!




農作物もやっているようですが、ワインも作っている農家さんなので、見渡す一帯、この農家さんのブドウ畑です。
この同じ眺めが、翌日の夕焼け時には、信じられない色に染まりました。




この日と、この翌日の夕焼けは、イタリア各地で驚異的な美しさだったようです。




実際、ミラノに戻る高速で、渋滞に巻き込まれたんですが、その時の空は、見たこともない夕焼けが広がり、驚嘆しました。オーロラみたいな、不思議な様子でしたよ。

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  1. 2018/02/05(月) 03:42:50|
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寒い宵にピッタリなお酒です

2017.10.グラッパ合宿、ピエモンテ編1

また恒例の寄り道です。
すっかり遅くなってしまったのですが、グラッパ倶楽部の記録係としては、アップしとかないわけにはいかないので、春の旅の前には…、ということで、ここらで。

最近は、合宿の軌跡がわかりやすいように、絵日記にまとめますが、それはすでにちゃんとできています。今回の合宿は、こんな感じでした。




この秋もまた、今年のグラッパが仕込まれる時期、そして、アルバでトリュフ祭りが催されている時期のピエモンテです。グラッパの旬でもあり、食い倒れの季節でもあるのも、またいつものことです~。

以前訪ねた蒸留所を再訪したり、初めての蒸留所にトライしたりで、また出会いと発見がありました。合宿の回を重ねても、新たに出会う蒸留所は尽きることないし、情熱的なグラッパ職人さんとの出会いも、またしかり。
今回は、いつに増して、食に恵まれた感が強く、満足感も高かったです。
特に、宿泊したアグリツーリズモが大変良かったので、来年早々にも、来年の予約をしてしまおうか、という勢いです。

では、サクサクと記録していくことにします。

日程は、10月後半の週末、金曜から日曜まで。他都市在住の友人たちとは、ミラノ南部の田舎町の駐車場で落ち合い、私は自分の車をそこに放置して、彼らの車に同乗して、いざ、出発です。
二年前でしたか。乗り換えの際に、自分の車のキーをトランクにさしたまま出発してしまい(私の車は、トランクを開けるのにキーがいる古いタイプ)、1時間以上も走った後で気が付いて、後戻りした、不吉な記憶のある駐車場なので、指さし確認怠りなく…。

最初に訪ねたのは、二年前に訪ねて以来の、蒸留所、サン・トマソDistilleria San Tommaso Srlです。




Distilleria San Tommaso Srl
Reg.Guatrasone 100, Localita' dell'Arzente, San Salvatore Monferrato (AL)

未亡人、我々のことをなんとなくは覚えていてくださったようです。前回は、上のガラス張りの蒸留所の見学をさせてもらいましたが、今回はそこは端折って、試飲をお願いしました。前回は、倉庫内にある事務所の一角だったのですが、今回は、工場のお隣にあるレストランに案内されました。




前回は、ちょうどお昼時に立ち寄ったので、このレストランを勧められて、ランチをいただきましたが、このレストラン、蒸留所の所有するものだったんです。
すごくお洒落でおいしいお店です。前回の記事は、こちらです。 サン・トンマーソ

建物の前には、樹齢100年にもならんとする洋ナシの木があり、果実がゴロゴロ落ちていました。




一個拾っていただいて、家に帰ってから味見してみましたが、すっごく自然の梨で、そのままではおいしく戴けるものではありませんでした。ジャムとかコンポートにしたら、ちゃんとおいしいと思います。

さて、試飲です。




前回は、3本買って帰り、うち1本を、この頃、ちょうど開けたばかりでした。そして、やっぱりおいしい、と思ったので、何かしらは持って帰りたいけれど、なんせまだほぼ3本が残っているので、控えめに。
試飲の結果、前回は香りがよくて飲み口のいいガヴィやマルバジアをいただいたので、今回は正統派のブドウ種バルベラのビアンカをいただきました。20ユーロなり。




帰宅後、他2本は、立て続けに開けて、簡単に飲み切ってしまいました。丁寧に作っているグラッパ、という感じがします。作り手の皆さんも、とってもソフトで、いい印象を受ける蒸留所です。そういえば、前回は、夫を亡くして沈んでいる印象だった未亡人、今回はすっかり元気で、こちらも嬉しかったです。

さて、この後も、再訪の蒸留所です。




Distilleria Pietro Mazzetti
Via Conte Calvi 31, Montemagno (Asti)

前回の記事。マッツェッティ

2014年に訪ねた時は、記事にあるように、当主のマシンガントーク、結構楽しかったし、作り手としての情熱も感じられて、これから成長していく蒸留所なのかという印象を大いに受けたのですが、今回は、非常に寂しい訪問となりました。

当主のご両親が、最近、老人ホームに入られて、世話もコストも、いかに大変であるかという話から始まり、試飲に至るまで、どうもパッとしない話題ばかりながら、例によってのマシンガントーク炸裂。
やっと試飲をさせてくれることとなったものの…。




長靴グラス~!
これにはまいりました。試飲歴長いですが、チョコレートでも入っていたみたいな長靴グラスの試飲は、ありえないでしょう。いやはや。これだけでも、やる気のなさというか、情熱が違う方向に行っている様子が明らかです。

こういうのも作っている、と見せてくれたのが、スパイス的な香草がたっぷり入っている蒸留酒。




エルメスが、何かの記念のブックを作った際、このボトルの写真が採用されたということで、大事に保管されたそのブックを見せてくださったけれども、なんだか、生産者としては、そこじゃないだろう?というか、商売は大切ですが、モノづくりから離れてしまっている感じが、本当に寂しいものでした。
それでも、商売には熱心で、あそこでああした、ここでこうした、という売り上げに結び付く投資的な話は、次々と出てきます。でも、試飲は、長靴グラス…。

今回は、空手で引き上げました。お邪魔したお礼の意味も含め、同行者が一本購入。もう今後は行くことはないでしょう。こういう変化は悲しいですね。

唯一ありがたかったのは、彼が教えてくれた地元のレストラン。




Osteria L'Antico Granaio di Binello Antonio
Via Roma 81, Calliano
www.osterialanticogranaio.it

入り口を入るとバールのような体裁なので、ええ、これ~?とがっかりしたのですが、レストランは地下にあり、小さいけれど、とてもかわいらしい内装でした。
奥のテーブルにどっかり座っているかなりおデブな方がオーナーシェフのようでしたけれども、その息子さんが給仕をやっていて、とってもしっかりとかわいらしくて、サービスもすごくよかったんです。




ワインリストには、地域のバルベラが、3ページにもわたって並んでいて、困惑する我々に、息子が勧めてくれたのが、このSulinでした。なんと13ユーロという良心的なお値段。バルベラ・ディ・モンフェッラートは、勿論もともとリーズナブルなワインではありますが、レストランで13ユーロという値付けは、嬉しくなりますし、その価格以上においしかったと思います。




私の頼んだイノシシの煮込みポレンタ添え(だったと思います)にも、ピッタリ。どのお皿も、見場はいいし、お味、よい上に、田舎値段で、嬉しいお勧めレストランです。
一発目のランチが、こうやって楽しめると、期待が高まります。

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  1. 2018/02/04(日) 04:23:31|
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二階建ての洞窟探検(モットラ3)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その4

ビザンチンって、たぶん結構好きで、いつか、ギリシャのテッサロニキとか、バルカン半島の内陸を回りたいと思っているくらいなんですが、が、歴史も含めて、本当にわかってないんですよね。
この旅では、あちらこちらでガイドさんのお話を伺う機会があり、中世に関しては、まったくの素人ではない、というような心持で臨んだのですが、ビザンチンに関しては、完全な素人でした。
かといって、ロマネスクだって、数多く見ているというだけで、図像学にしても、ちゃんと勉強しているわけでもないし、本来的な図像の意味とか、そういうことは実はわかってないんです。経験と数で、なんとなくわかったふりをしているだけ…。
ということを、素晴らしいガイドさんたちのお話で、いやになるほど感じ続ける旅でもありました、これは。

洞窟教会のフレスコ画は、ビザンチンの影響が大きいため、ビザンチンの図像学ということで、お話を伺ったわけですが、では、ローマのキリスト教の図像はどうなのか、という知識が乏しすぎて、比較もできないというような状況で、なんだか、記事をアップするのも気が引ける一方なんです。

ずいぶん前に買ったビザンチンの図像がたくさん掲載されている書物を紐解いたり、日本でビザンチン美術を研究されている方の本を再読したり、なんだかそれでも図像学についての記述はなかなかないし…。

というわけで、ガイドで聞いた話や、どこかでかじったことなどを、間違いも承知で書いていますので、その辺はお許しくださいね。

さて、サンタ・マルゲリータで、長年気になっていた洞窟教会が、想像以上に興味深いものであることを確信し、ツアーが楽しくなってきたところで、次に向かったのは、サンタンジェロ洞窟教会Chiesa rupestre di Sant'Angeloです。




サンタ・マルゲリータからは、車で10分もかからない場所です。道端に、この地域におなじみのマッセリアMasseriaがあり、その向かいが目的地となります。
マッセリアは、16世紀以降に、この地域に多くあった農園のこと。荘園といった方が似合うのかしら。農園の中に、農園主の館や、農民の住居などがある施設で、今に残ったマッセリアの多くは、ホテルやレストランに転用されているようです。
そして、このマッセリア・カサルロットが、サンタンジェロの目印。

道路から入ると、いきなり穴が開いている様子です。




ここは、住居のあとでした。マテラなども、80年代くらいまで、洞窟に暮らす人がいたと記憶していますけれど、ここも、結構最近まで、少なくとも20世紀まで、人々が暮らしていたもののはず。




穴に暮らしているというと、なんだか貧しさとかそういう風に考えがちだと思うんですが、勿論そういう一面もあったとは思いますが、洞窟って、温度も一定だったり、結構暮らしやすい面もあったんじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょうね。なんてったって、掘れば、家になっちゃうんだから、建てるより安上がりだしね。

ま、それはともかく、この住居跡の先に、教会があります。




これは、ガイドさんなしでは、アクセスも難しいし、鉄柵もきっちりと施錠されていて、鉄柵越しでは、ほとんど何も見えません。
しかし、地味な入り口。サンタ・マルゲリータの、峡谷に張り付いたようなロケーションというスペクタクルもないし、と思うでしょうが、入ってすぐ、絶句でした。

にわかには信じられない構造が見えたからです。壁のアーチね、掘ってるんですよねぇ。
それどころか、柱を残して、全部掘ってる、ということが、すぐに迫ってくるんです。




サンタ・マルゲリータも、掘って作ったスペースだったのですが、より単純な構造な上に、ロケーションの激しさから、人工というよりも自然洞窟的な印象を受けていたと思うんです。本当は違うんだけど。




でもここは、まごうかたなく人力の建造物であることがわかるので、ゾクゾクしてしまいました。
それに、ここは、多くの洞窟教会が広がる南イタリア一帯で、唯一の二階建て構造になっているんです。

下に降りる石の階段は、結構危ない状態でしたが、まぁ何とか使用可能。しかし、一部は、完全に探検隊向けな様子になっています。




地下部分は、墳墓が目的だったとされているようです。




6つの墓が見つかっていて、四つは、とっくの昔に盗掘にあっていたそうなのですが、二つは、近代になって発見されたため、出てきたコインから、12世紀前半の墓であることが判明したそうです。
一番大きな墓でも、長さは180センチくらいということで、やはりこの時代の人は小さかったんですね。

さて、この教会も、結構フレスコ画が残っています。といっても、上も下も、傷みが結構激しいので、説明を受けても、わかりにくかったんですけどね。どうやら、本来のフレスコというよりも、石壁の上に、テンペラのような素材で描かれたために、フレスコのようには丈夫なものではなかったらしいのです。
それでも、長い間、土砂に埋まっている状態により保存された部分もあるようですが、様々な時代に起こった人による暴行や、また、湿気によりコケやカビの発生は、停めることができず、ということのようです。

今、壁の表面に見えるフレスコ画は、13/14世紀のものということですが、そういった厳しい環境を考えると、数百年もたって、これだけ残っているのは、奇跡のようなものでもありますね。13/14世紀のフレスコ画は、それより古い時代のフレスコ画の上に描かれているようですが、その重層は、知ることができません。

入り口からすぐの壁。




多分一番右側が、司教の印を持った人の姿。名前は不明なものの、司教であることは確かなんだそうです。真ん中は聖母子みたいですね。ここは、時代の異なる重層が、ところどころ垣間見えているようで、それぞれ、時代も異なるようですよ。

デイシスDeesisが二つあります。




デイシスは、ビザンチンで広く普及した図像で、全能のキリストが玉座に腰かけ、祝福のポーズをとり、その右側(見るものにとっては左側)にマリア、そして左側に洗礼者ヨハネがいるというものです。サンタ・マルゲリータにもありました。
ただ、このデイシスでは、洗礼者ヨハネの代わりに、サン・ヤコブ(San Giacomo)が配置されているんだそうです。確かに、よく見ると、そう書いてあります。




研究者によっては、もしかするとこの教会が、ヤコブに捧げられたものであったのでは、と考えられているということです。この地域でヤコブ信仰が強かったということもあるようですね。図像、意外と柔軟なんですね、洗礼者ヨハネを押しのけて、ヤコブったら。




このマリア、好き。衣もマントも赤ですね。青い衣の印象が強いんですけれど。
ケルビムが、角っこにいます。怖い顔していて、全然天使っぽくありません。




もう一つのデイシスは、相当傷みも激しかったからか、写真をちゃんと撮っていないようです。ダメですねぇ。

一方、下の教会にも、フレスコ画ありますが、かなりの暗闇で、ガイドさん(だったか、または同行者)の持つ明かりが頼りで、その上、やはり相当痛んでいて、全体を把握するのは難しい状態です。




光の当たった部分しか、認識できない暗さです。




こっちの方が、色はよく残っている感じですね。または、湿度で、色が濃くなっているのかもしれません。そういえば、湿度が高いと、壁が洗われたようになるので、色が鮮明になるというお話をされたガイドさんがいたと思います。ここもそうかも。




線がすごくはっきりしていて、かなり新しい絵なのか?という印象もあります。
これも、すっごくビザンチンっぽい。手にしているのは、きっと、イコンの発注者と絵を描いた人の名前が書かれた巻物だと思います。違うかな。




ツルツル滑る階段を、這うようにして、また上の教会に戻り、注目したポイント。




天井なんですけども、こういう装飾があるんです。
これは、ロマネスクのヴォルトを参考にしてなされたものだという解説がありましたけれど、実は私は、エトルリアまたは、同時代、つまりローマ以前の民族の文化が発祥ではないかと勝手に思っています。

というのも、エトルリアも、掘って墳墓を作る文化なんですけれど、天井に、様々な装飾を残しているんですよねぇ。ロマネスクは、あくまで建築で、掘る文化では、やはりエトルリアではないかと。
この地域にはエトルリアはいないんですけれど、同時代、イタリア半島には、多くの少数民族が散らばっていたんですよね。そしてその多くについては、あまり研究が深堀されておらず、あまりよくわかっていないこともたくさんあるんです。

この地域は、巡礼や公益のため、多くの人々が通過する場所であっただけに、石工や職人さんなどにしても、他地域との交流が、様々にあったんじゃないかと想像します。教会等の装飾に関しても、オリエントから北方まで、幅広く…。
ロマンですよ~。

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