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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

大戦を超えて生き残ったからには(カサラーノ3)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その24

カサラーノCasarano、サンタ・マリア・デッラ・クローチェ教会Chiesa di Santa Maria della Croce続きです。

ビザンチンの遺構としては、モザイクに加えて、この教会には、フレスコ画も残されているのです。




カルピニャーノ・サレンティーノなど、同地域に遺されたビザンチンのフレスコ画と比較して、この教会に遺された、最も古い時代のフレスコ画は、10/11世紀に遡るとされています。
また、他の多くのビザンチン時代のフレスコ画のように、ここでも、発注者や制作時期が、署名のようにあるので、それで、多くのことがわかったりするようです。




ペッレグリーノ教授が、指さして、説明してくださっているところ。
この書き込みによって、この、角柱に描かれたフレスコ画(全体像は、トップの写真)が、サンタ・バルバラのお姿だということがわかります。

ビザンチン時代に描かれたフレスコ画では、聖人の実際に生きた時代にかかわらず、ビザンチン的な衣装で描かれます。バルバラさんも、宝石や縫い取りが施された豪華な衣装で、また、ビザンチンらしいキラキラのアクセサリー満載で描かれていますね。

お顔のアップ。




鼻輪?と思っちゃいましたが、鼻の下の溝っていうか、それを強調しているんでしょうね。顔の造作を、全体に強調するのがビザンチン風だと思うのですが、やはり東方が入っているから、目鼻立ちのはっきりした、西欧の白い人たちとは違う造作の人のイメージが強かったせいなんですかね?大体、眉毛とかも、すっごくクッキリですよね。目力も半端なし。

傷んじゃっている聖母子。




これも、角柱に描かれているものです。後代に、上塗りされてしまったのでしょうね。こうやって、小さく均等に傷つけるのは、漆喰のノリをよくするためのものだと聞いたことがあります。でも塗りこめられると、発見されれば、逆に保存状態が良いケースもあるのです。

マリアが幼顔を抑える様子や、ジェズの祝福の仕草が、ギリシャ式と。




ジェズのお顔が、幼顔には見えないのも、ビザンチン風でしょうか。

実は、ここでも、説明を伺うのに忙しくて、写真はあまり撮影していなくて、今更ながら、なんで~?という気持ちになっています。現地ではもちろん、現物を見ながら説明を伺うのが第一で、その幸運のために印象が強いのですが、時間を立つと威力を発揮するのが、写真です。それが、足りない…。

壁や天井には、もうちょっと時代の下るフレスコ画が見られます。




おそらく、創建当時から10/11世紀ごろまでは、内陣部分はモザイクで、それ以外の場所は、フレスコ画で、全体が覆われていたのでしょう。その後、モザイクはそのままに、柱のフレスコ画は、後代のフレスコ画で、上塗りされてしまったのかもしれません。

天井部分は、かなりのものが、戦前までは残っていたのだそうですよ。
ペッレグリーノさんが、子供の頃は、全体にフレスコ画があったということですが、戦争で建物が壊されたりして、多くの部分が剥落してしまったということ。残念ですね。




12世紀から14世紀にかけて、描かれたもので、異なるストーリーが見られるようです。上の写真でも、下段は、最後の晩餐のようですから、聖書のストーリーですが、上段は、別の聖人のお話が描かれているようです。




相当色あせていますが、オリジナルは、かなりヴィヴィッドな色彩だったのではないでしょうか。時代が12世紀以降になっても、ビザンチン的な表現で、リンゴのほっぺたがかわいらしい聖人たち。

上段には、この時代に大変信仰されていたサンタ・カテリーナとサンタマルゲリータの殉教のお話が描かれているようです。




サンタ・カテリーナが拷問されている様子が見えます。痛々しい。

マルゲリータさんが、ひっとらえられた場面。




絵の中に、ちゃんと重要人物の名前が記されているのは、ビザンチンの影響なんでしょうかね?
確か、マルゲリータさんは、意に染まない結婚を強いられて、それを断ったがために首を落とされて、殉教したというような話を、ペッレグリーノさんに伺ったと思います。走り書きのメモも、走り書きすぎて、書いた本人が、解読不能です!




ともかくも、そういった殉教のお話が、聖人昇天の場面まで、自分が子供の頃にはあったんだ、ということは、大変印象的に伺いました。

千年の間保存されていたものが、近代の戦争で、一瞬にして失われてしまうむなしさ。
個人的には戦争は絶対に反対。ですから、憲法の改正にも疑問を持っております。そういう立場を置いといても、千年保たれたものを、何の正当な理由もなく壊すようなことは、やはり正しいとは思えないですね。
自然で朽ちていくもの、朽ちてしまうものは仕方ないし、ここだって、地元の人々の継続的なケアがなければ、戦争を待たずとも朽ちていた可能性が高いのです。それなのに、ケアがあって、千年大切にされてきたものを、壊す行為は、やはり正しくない。

現代の生き証人のようなガイドさんに出会い、そして、その情熱や愛を感じて、本当に素晴らしい、得難い訪問となりました、カサラーノ。
ペッレグリーノさんのガイド、是非多くの人に経験してほしいし、自分も、また帰りたいです。

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  1. 2018/06/25(月) 05:29:07|
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ナイル川の赤、シリアの青(カサラーノ2)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その23

カサラーノCasarano、サンタ・マリア・デッラ・クローチェ教会Chiesa di Santa Maria della Croce続きです。




前回紹介したペッレグリーノ教授にいざなわれて、いざ、内部のお宝とのご対面です!
まずは、やはり、後陣の筒型ヴォルト部分に残っている、素晴らしい中世のモザイク。




これ、すごいです。こうやって小さい写真で見ると、衝撃が伝わりにくいかもしれませんが、そして実際に、さほど大きいものじゃないですが、色の鮮やかさ、細かいテッセラ、そして複雑な幾何学模様の迫力は、まさに息をのむという表現がぴったりのモザイクです。オートラントの床モザイクのおおらかさに、ある意味あきれた直後ですから、その繊細さには、さらに打たれました。これこそ、ビザンチンの技術を使ったモザイク。

こういう形で残されています。




遠目には、絵にしか見えない細かさ、繊細さですが、フレスコ画だったら、ここまで鮮明に残ることはありえないので、よくぞモザイクだった!と感動します。
ラベンナのモザイクもそうですが、ビザンチンのモザイクは、装飾性が高く、中心のフィギュアを囲む額縁のような役割の帯装飾や、メインのフィギュアの背景などが、最も面白く、魅力的だと、個人的には思っています。




ここのモザイクは、まさにその典型というか、見事としか言いようがないですね。
幾何学的な装飾は、奇をてらったものではありませんが、どれも色遣いが独特で素晴らしいです。上の、組紐模様の、グラデーションでもない、異なる色の組み合わせ。

この辺り一帯で、最も古い時代のモザイクとされています。
モザイクは、建物と同時に作られるので、そういう考えから、このモザイクは、5/6世紀のものとされています。ラベンナの、有名なガッラ・プラチディア霊廟と同時代。
この部分しか残されていないのが、つくづく残念です。おそらく、古い時代の建物は、この部分だけの小さな礼拝堂的な建物で、ガラ・プラチディアのように、全体がモザイクで覆われていた可能性があります。
もちろん、これだけでも残ってくれたから、そういう想像もできるわけですが、いやはや、全体にこういうすごいものがあったとしたら、なんて色彩にあふれる派手やかな内部だったことでしょう。
薄暗いところを、照らしだすような、そういう明るいモザイクですから、訪れた人々は、目がくらむような思いで、天上を見上げたのではないでしょうか。

材料は、白や赤など色石、ガラスが混じっているようです。赤い石は、ナイル奥地から、また、美しい水色のトルコ石はシリアからもたらされたそうです。レンガのかけらなども使われているそうで、それは、早くとも5世紀以降であることの証拠になるそうです。

図像は、ヴォルト全体を撮影した写真でわかるように、左右対称となっています。どちらも、メインのフィギュアは、動物たちなのが、楽しいです。




鳥のフィギュアなどは、ラベンナで見られるモザイクとも酷似していると思います。ということは、ビザンチンのモザイク職人がかかわっていると考えられますよね。直接か、または教えを受けた現地の職人さんの作品か、そのあたりはわかりませんが、素晴らしい技術の持ち主だったことは確かです。また、ビザンチン世界の図像にも忠実だったのでしょう。

左上の果物は、確かイチジクとおっしゃっていたように記憶します。




この写真の、上の方にある野菜は、そら豆だと。前の日に、宿泊したアグリツーリズモの夕食で、そら豆をお腹いっぱい食べたばかりだったので、納得です。ずっと昔から、ここにはそら豆があったということですよね。そら豆、もしかすると、ビザンチン世界からもたらされた野菜なのかな。

そういう卑近な素材が描かれたかと思うと、やはり同じ上の写真の、額縁部分の、組紐の内側に並んでいる四角いハンコのようなモチーフは、なんと彗星を図像化したものだというんです。




確かに、背景は紺色で、星がちりばめられている様子です。
それにしても、なんて独創的な、そして不思議に現代的なデザインでしょうか。驚嘆しました。全体で見ると、すごく鮮やかですが、一つ一つは抑えた色合いで、それぞれの組み合わせも独創的ですよね。




波型文様は、海に近い土地で、よく使われるモチーフで、浮彫でもよく見られます。それを、こんなはっきりとした紅白という色であらわしてしまうって、すごい大胆です。
一方で、宝石が並べられた帯は、宝石のわりに、規則的で意外と地味な様子が、面白いですね。

この筒形ヴォルトモザイクの、ちょっと本堂寄りに、クーポラが持ち上げられていて、そこには、また趣の違う絵があります。




これを見たら、天上全体が、同じようなモザイクでびっしり覆われていたであろうことが、想像できますよね。手前の方が、クーポラになります。




このクーポラの真下に、現在使われている何の変哲もない祭壇があるのですが、ペッレグリーノさんが、カメラをここに(指で正確に置く場所を示してくれて)上向きにおいて、シャッターを押してごらんなさい、というので、最初、何をおっしゃっているのかわからなかったんですが、クーポラ全体を、ぶれる心配なく撮る技術を伝授してくださったんです。
その通りに撮影したら、見事に、全体が撮れました。

こちらは、青の美しさが印象的です。




ペッレグリーノさんの説明によれば、外周は、虹の七色、そして、濃い青の層、薄い青の層、が 置かれて、全体で円が九層になっています。真ん中に置かれた黄金の十字架が天井で、天井までは九層の天を超えていかなければならないという教えを表したものだということでした。

説明を読むと、青が三層あって、それが三位一体を表すものだ、とありました。確かに、濃い青と水色の間に、灰色っぽく、もしかしたら変色した色があります。

天井を取り囲むのは、宝石の帯と、植物の帯。




これは、やはり地上との境目を表しているのでしょうね。
それにしても、なんという仕事。これだけのテッセラを作ること、はめ込んでいく作業を考えると、気が遠くなるような作品です。そして、どれだけの時間がかかったのかを考えてもまた、気が遠くなりそうな忍耐力ですね。昔の職人さんってすごいなぁ。
コスト・パフォーマンス、無関係ではないとはいえ、現代と比べたら、無関係と言えるくらいのレベルでしょうから、こういうことができたってことなんでしょうね。

写真を見直して、改めて感動しました。
また行きたくなってきました。

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アンドレア・ペッレグリーノ教授の情熱(カサラーノ1)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その22

オートラントのサン・ピエトロをあきらめて向かったのは、カサラーノCasaranoという町です。

この一連の記事の最初の方で紹介した、今回の旅のよすがとした、数年前のプーリア修行の際にゲットしたプーリアの洞窟教会のビザンチンの冊子にも、写真入りで言及されていたモザイクがあったのですが、斜め読みばかりしているいい加減な私は、そのモザイクが、関連で言及されているラベンナのモザイクと思い込んでいて、この地に、そういったものがあるとは、夢にも考えていなかったのです。
幸いにも、今回の同行者が、この旅にジョインしてくださるにあたって、大きな興味を抱いてらしたということで、初めて冊子をちゃんと読んで、ありゃあ、ラベンナじゃないし~!と茫然とした次第。なんていい加減で間抜けなのか、と我ながら、深くあきれました。

ネットで調べたところ、週末は開いているようだ、ということになり、なんとしてでも行かねば、ということで向かった次第です。

町の様子がわからないので、停車できるところに車を置いて、徒歩でアクセスしました。
しばらく歩くと、広場の向こうに見えてきました。




サンタ・マリア・デッラ・クローチェ教会Chiesa di Santa Maria della Croce。
なんという地味な姿でしょう。
これは、後陣が東向きだとすると、北側の壁になります。今の入り口ですが、この辺りの建築は、かなり近代の鉄筋コンクリートですね。

後陣側に回っても、風情はありません。




創建はかなり古いものなので、もともと円筒形の後陣スタイルであったはずはないのですが、それにしても、構造的には、中世の面影はあまり感じられません。
ファサードは、入り口からは右の方に回り込みます。




素朴なバラ窓を取り囲んだ一部に、古い構造物の石組みの後を残しているようですが、全体は、後代のものとなっています。イメージは、ロマネスクのようにしていますが、原形はないと言ってもよい様子です。

そういう状況の中、よく、このバラ窓だけでも残されたものだ、と、ありがたさが感じられます。




素朴ながら浮彫が施され、相当古いものだと思われますし、これが置かれてしかるべきファサードだったのだ、と想像するよすがになりますから、あるとないでは、建物としての価値が、全然違うと思います。

さて、建物はともかくとして、教会に着いた時、扉は固く閉ざされていました。
事前に得た情報だと、土日の16/18時に開いているとあったのですが、ちょうどその時間に来ているのに、開いておりません。
あとから考えたら、確かに日曜日でしたが、イースターの日曜日なので、他の週末とは事情が違うのですが、自分の方は修行スイッチ入ってますから、そんな世間の事情と無縁状態。
なので、遠慮会釈もなく、記されている電話番号にかけてみたのです。

なんという幸運か、イースターのお休みだというのに、ちゃんと答えてくださる方がいたのですが、自分はカギを持っていないから、カギを持っている人に連絡してみる、と言ってくださいました。細かいやり取りは、すでに忘却の彼方なのですが、最終的には、カギを持っている方の名前と電話番号を教えていただき、自分で電話します、ということになったと思います。
この辺りでも、なお、傍若無人の私。迷わず電話したところ、ちょっともごもごした話し方の男性が応え、「今、教会前?では、10分くらいで行くから待っていてください」といううれしい対応だったのです。

そして、本当に10分足らずで、駆けつけてくださったのが、この方。




アンドレア・ペッレグリーノ教授Dott.Andrea Pellegrino、その人です。
と言ったところで、勿論有名でも何でもない方なんですけれど、おそらくこの教会を訪ねて、この方のガイドを受けられた人は多数いらっしゃると思います。そして、感銘を受けない人はいないと思います。
それほど、情熱と思いを込めて、ガイドしてくださる市井の研究者です。

この日も、おそらくこの時まで、イースターのランチを楽しみ、のんびりと過ごされていたと思うのですが、まさにそういった正装されていましたしね。でも、小さなフィアットを飛ばして、来てくださり、いきなり説明に力が入っています。

この正装を見て初めて、イースターの夕べに、電話で呼び出すとは、何事ぞ、と自分の行動にあきれたわけなのですが、彼に感謝する暇もなく、熱の入ったガイドに引きずり込まれる次第となりました。
この方、1931年生まれで、御年80歳を超えられて、だから、お電話ではちょっともごもごされていたのでしょうが、かくしゃくとされていて、しゃべりにもまったく問題なく、そのお年とは思えない素敵な紳士でした。




一緒に写真を撮りましょう、ということで、右隣で手をつないでいるのは、私ですが、寝、素敵な方…。
ガイド内容も素晴らしかったのに、ここでも、録音という手段を思いつかず、ほとんどのことは忘れてしまって、バカです、本当に。
また訪ねる機会はあるかもしれませんが、ペッレグリーノさんに会えるチャンスは…、と思うと、大後悔です。

この方にしても、カルピニャーノ・サレンティーノの友の会の方々にしても、また、モットラのマリアさんにしても、このときの旅では、こういった地元の宝を愛し、研究し、それを訪問者に知らせたい、伝えたい、という思いの強い人々に、これでもか、というような出会い方をして、そういう意味でも、本当に稀有な修行旅でした。
どれもが、学術的な研究という側面からは、あまり取り上げられていない傾向が強く、だけれども、実際は美術史上、とても重要なものばかりで、研究する価値が大いにあるものばかり。でも、世間の研究者は、勿論、どれにでも手を出すわけではないので、これらは、地元の人々の愛で、守られ、語られることがなければ、忘れられ、損壊し、という運命だったかもしれないんですよね。

というわけで、実は隠れ目的なオートラントの床モザイクだったのですが、正直言って、それ以外があまりにすごくて、オートラントの方が付け足しのようになってしまったんです。この日は、つくづくそう感じさせられました。

教会の美は、次回。

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久しぶりにカギを求めて…(オートラント3)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その21

オートラントには、もう一つ訪ねるべき教会があります。サンピエトロ教会Chiesa di San Pietro。




海に近いカテドラルは、その床モザイクの著名度もあって、すごい賑わいですが、住宅街を縫うようにしてアクセスして、実際に住宅街に埋もれた様子で、唐突に佇むこちらの教会に来る人はまばら。

このたたずまいからも、わかる人はわかると思いますが、教会としては大変古い上に、建物に、後代の手があまり入っていないのです。それで、この地におけるビザンチンの遺構、としては、大変貴重な存在になっているのです。でも、人は来ない…。




この見るからに古そうなたたずまい。
ロマネスクと言っても、特に初期が好きで、傾向としては、あとよりも前の方の時代、初期キリスト教からロンゴバルドを経て、たどり着く辺りのロマネスクが好きな私にとっては、もう行為たたずまいだけで、ワクワクします。

この教会の由来や、実際の建築時期については、長年論争の的でもあったようですが、近年の研究の結果、おおよそ9/10世紀のものであろう、ということで落ち着いたようです。
建物の構造や、フレスコ画、そして、ギリシャ語による碑文が決め手だったそうです。

そして、内部には、10世紀以降、15世紀にわたる、フレスコ画が残されているのです。興味があったのは、勿論10世紀のものとされるフレスコ画で、それは、こういったものらしいです。




らしいです、というのは…。
そう、勿論、開いていなかったんですよ、ここ。

カテドラルからここまでは、急ぎ足で5分強くらいの距離でしたでしょうか。
旅の前に調べたところでは、「閉まっている場合は、カテドラルで頼めば、開けてくれる」とあったので、同行の中では一番の若手である私が、急ぎ足でカテドラルに戻り、ブックショップ、というほどでもないですが、教会内部のお土産スペースに人がいたのを覚えていたので、観光客をかき分けてたどり着き、ぜえぜえしながら、「サン・ピエトロを訪ねたいのですが、閉まってるんですけど…!」と訴えたのです。

でっぷりどっかりとしたおやじ、聖職者というより、教会守の人だったと思いますが、ああ、確かに閉まってますよね。もうしばらくすると、カギを持った人が来る予定なんですけれどね、それを待つしかないですね、とつれない返事です。

実は、この後、できれば訪ねたい教会が、もう一つあり、カギを待つか、さっさとあきらめてそちらに移動するか、の選択を迫られました。
でも、カギは、いつ来るか、正確には不明。もし遅れてきたら、もう一つの教会訪問は難しくなります。
ならば、とここはあっさりと諦めました。

でっぷりおやじのところで、ガイド本を購入して、良しとすることにしました。




パラパラと写真を眺めただけで、まだまったく読んでいませんが、プーリアのビザンチンは、もう一回くらい攻めるつもりでいますので、将来役に立つかと期待しています。
この中にある写真だと、内部の雰囲気はかなりいい感じです。
まぁ、予定通りに行かないことは、すり込み済み。そもそも、イースター時期で、あちこち開いていたことの方が幸運だったので、一つくらい、仕方ないです。

というわけで、ほとんど現地に着いてから、行くことを決めた町に、勇んで向かうこととなりました。

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生クリーム絞り出し文様?(オートラント2)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その20

オートラント大聖堂Cattedrale di Otranto、続きです。
ここ、床モザイクに加えて、もう一つ、必ず訪ねるべき場所があります。




今ある教会は、後代に改築改変されて、こんな風になっちゃって、中世当時のオリジナルの姿のほどんどが失われてしまっています。かといって、創建以来、本当にずっと現役だったかというと、若干疑問もあります。というのも、本当にそうだったら、床なんかも、もっとダメになっちゃって、今のようにちゃんとは保存されていなかった可能性も高いからです。おそらく、結構最近、この辺りにバロックが押し寄せたころに、結構ダメになっちゃっている教会を、バロック風に改築して復活!みたいなストーリーなんじゃないかと、勝手に思ってしまいます。

それはともかく、今ある後陣の姿からは、予想もできないんですが、ここ、すごいクリプタがあるんです。ファサード側を、左に回り込んだ側壁に、入り口があります。




知らないと、結構気付かずに、帰っちゃうような、そういうたたずまいだし、取り扱いです。
ここは、入ると、一瞬げんなりするような全とっかえ状態の激しい修復の後が、まず目に飛び込んできます。




床も天井もすっかり新品状態。もしかして、本堂をバロックにしたときには、ここも、もっと金ぴかにしていたか、または、こちらには手が回らなくて、崩壊のままに彫っておかれたかのどっちかですね。
でも、がっかりすることはなくて、それどころか、お宝、満載。




柱頭です!
この彫り物だけは、見事に中世の息吹を伝える状態で、しっかりと残されているんです。

こういう、地味の代表選手みたいな植物文様、大変惹かれます。




これなんかも、石工初心者の習作みたいな。「とにかく渦巻きとアーカンサスは絶対に忌避音に忠実に、美大入試には必至ですよ」みたいな作品っていうか、笑。




一方で、石工の力技とでも言ったらいいのか、柱身に、素朴系とはいえ、びっしり彫り物したものなんかもあります。




これは、どこでも見られるものではないですよね。やはりそれなりのお金と時間をかけて、装飾した教会なのだな、と思わされます。




これなんかは、ちょっとラベンナ風を髣髴とするような。要はビザンチン的なモチーフというか。やはり、それなりに参考にできる過去の遺構があったということなんでしょうか。




その他、手が違うとか、時代が下ると思われる柱頭もあります。




手のところだけが、相当後付けで彫られたか修復されたのかな。なんか、ちょっとテイストが違うと思うんですけど。




これは石も大理石っぽくて、ちょっと違いますね。一瞬盆踊り系?とか思うのですが、よく見ると、人が筋骨隆々、腹筋が六つに割れているような体格なんですね。




そういう不思議系なモチーフもたくさんありましたが、ここでは、素朴な植物系の彫り物に、より惹かれました。




ケーキ作りをする人にはおなじみな感じの、生クリーム絞り出してきな彫り物。うにょっという線が、なんか楽しいです。




こうやって見ると、柱もそれぞれが異なっていて、どこかから流用してきたものなのだろうと想像できますね。




天井や床にオリジナルの部分が残っていれば、さぞや味わいのあるクリプタだったであろう、とつくづく残念にも思われますが、でも、これだけの柱頭がそのままに残されている以上、文句は言えませんね~。

こちらを訪ねられる際は、どうぞ、床モザイクに満足しちゃって、忘れて帰らないよう、お気をつけて。

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これほどポップとは!ぶっ飛びすぎ(オートラント1)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その19




サルデーニャに行っても、アストゥリアスに行っても、土地の売りである海に近寄るチャンスは、ほとんどの場合なく、このプーリアの旅でも、唯一海に近づいたのは、ここ、オートラントでした。

美しい青のバリエーション。
そういうものを楽しむバカンスって、長い間してないなぁ、としばしうっとりです。

そう、いつか絶対に行きたい、と長年焦がれていたオートラントのカテドラル、とうとう訪ねる時が来たのです。




オートラント大聖堂Cattedrale di Otranto。

意気込みの割には、がっかりするようなファサードです。
でも、この、のっぺりと改築されてしまったファサードをくぐると、お宝に出会えます。
しかし、入場しても、正直、まず押し寄せるのは、がっかり感。




知ってはいましたが、ここまで訪問者を拒否する状態に置かれているとは、純粋に驚きます。本堂のほとんどの面を覆うようにして、椅子がびっしりと並べられており、スペースを取った中央身廊にも、足を踏み入れることはできません。

両端の狭い通路を通りながら、このような椅子の合間にかろうじて見えるモザイクを、無理やり鑑賞するというスタイル。




これはひどいですね。モザイクが大切なら、そもそも椅子は取り外すべきですよね。一体何を優先しているのか、まったく不明です。世界遺産なんだから、もっと、例えば北部のアクイレイアのように、床モザイク鑑賞のために、思い切った博物館化をすべきなんではないか、と憤る状態です。
これが、寒村で、ほとんど人も来ないような土地なら、やはり土地の宗教観を大切にするからかなぁ、とか素直にうなずけますが、ここは、海のリゾート地であるため、イースター時でも、すでに多くの観光客でにぎわっていて、このカテドラルへの訪問者も、半端な数ではないのです。
それが、狭い通路を、満員電車状態で、うろうろしているというのは、解せない状態です。
まずは、入場料を徴収することから始めるべきだと思いますけどね~。

なんせイタリアはバチカンのおひざ元のせいか、入場料徴収、博物館化、が非常に少ないです。必ずしもそれを推進する派ではないのですが、これほどの遺構を持ち、守るためには、ある程度の博物館化は当然と思うんですよね。
やはり南だから、というのがあるのでしょうかねぇ。




といったようなことは、おそらく素人玄人関係なく、多くの人が言っていることではないかと思いますが、それでも、相変わらずこういう状態なのは、本当に理解不能です。

それはともかく、この床モザイク
本堂全体の床面を使って、ライフ・ツリー、Albero della Vitaを展開しているものです。




12世紀半ばの約二年ほど(1163-1165)に制作されたモザイク。
当時流行りのモチーフを使いまくって、テッセラを張りまくったすごい規模の作品です。
多くの人物が、名前入りで表されているのも、面白いです。




実在や想像上の動物たちがひしめいていたり。




12の円の中に、月々の農作業と時期の星座を表したフィギュアがあったり。




旧約聖書のエピソード(カインとアベル)。
ゴルフ的ですが、笑。




殺人事件前のエピソードもあります。




ちなみに4枚目のモザイクは、アレクサンダー大王ですよ。
解説には、中世期には、アレクサンダー大王の逸話は、最も普及し、よく表されたもの、とありますが、他で見たことがあったでしょうか?思いつきません。

それにしても、どうですか?




どれも面白いんですが、めちゃくちゃ下手!激下手!ヘタウマ極まれり!
じゃないですか?

もともと写真など見ていて、勿論こういうものだと知っていたですが、それにしても、この下手さと、奔放さは、想像以上のものです。
12世紀だし、ここはビザンチンもたくさんいた場所なのに、明らかにビザンチン無関係な代物っていうか。ビザンチンにしたら、あ、あのモザイクは勘弁してくれ!あれ、俺たち無関係だから、そこんとこヨロシク!と知らん顔するだろうっていうか。




大胆と言えば、あまりに大胆なデッサンや構図。でたらめな縮尺や、大雑把な植物等のモチーフ。
この間抜け面の表現力は、明らかに中世ロマネスク時代のモザイク…。




こういった表現は北部のモザイクでも見たことある、知っているタイプですよね~。
それが、ビザンチンのいた地域にあるって、考えたら驚きなんですよね。
ビザンチンの職人技に感銘を受けた地元の職人さんが、我も我も、という感じで、よくわからないままに作っちゃった、みたいなもんなんでしょうか?




オリジナリティは、半端ないです。それはもう、ロマネスクに通じまくりです。
これなんて、もう傑作というしかないです。




象なんでしょうけど、赤ちゃんらしいのは、どう見ても恐竜のちっさいの、笑。
そしてちりばめられた円は?モダンすぎ。
職人さんの意図もわからないし、表現力、アバンギャルドすぎ。

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2018年4月と5月に読んだ本、備忘録

どうも今一つ、本調子になれないので、また寄り道的な記事です。

無駄だと思いながら、最近、また、通勤時にフランス語を聞き出したので、そうすると、読書時間が激減します。なぜか昔のように、休みの日に、朝から晩まで、ノンストップで読書、というようなことが出来なくなっちゃって。一日読書で終わると、なんだかもったいないような気がするようになってしまったのは、なんでしょう。
年を取ると、時間の進み方が劇的に早まってくるので、意味もなく焦りが出てくるみたいな。

「エンド・ゲーム 常野物語」恩田陸(集英社文庫)
「蜩ノ記」葉室麟(光文社文庫)
「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅」村上春樹(文春文庫)
「三四郎」夏目漱石(新潮文庫)
「千鳥舞う」葉室麟(徳間文庫)
「無間人形 新宿鮫IV」大澤在昌(光文社文庫)
「紙の月」角田光代(ハルキ文庫)
「十三番目の人格 Isola」貴志祐介(角川ホラー文庫)
「行方不明者」折原一(文春文庫)
「解錠師」スティーブ・ハミルトン(早川書房)

漫画
「お前はまだグンマをしらない 1-3」井田ヒロト(新潮社)
「この世界の片隅に 上中下」こうの史代(双葉社)
「ポーの一族 春の夢」萩尾望都(小学館)
「ルーブルの猫 上下」松本大洋(小学館)
その他、以下の新刊
「聖お兄さん」「大奥」「三月のライオン」「重版出来」「百姓貴族」「銀の匙」「ちはやふる」

この時期は、日本の複数の友人が、大量に漫画を送ってくれたので、漫画ライフが充実しました。
例えば、私の世代には、超嬉しいポーの一族の新刊。まさか、今更書き継いでくれるなんて、思いもよらない事件ですね。
「この世界の片隅に」は、イタリア語版吹き替えで、映画を見る機会がありましたが、今更ながら、原作漫画の世界を見事に映画にしたなぁ、と感心しました。ちなみに、イタリアの声優さんのレベルはすっごく高いので、吹き替え版もとてもよかったです。
イースターに遊びに来ていた友人が、帰国後に送ってくれた「ルーブルの猫」は、これまたアーティスティックでイラスト的な絵柄と、素敵にファンタジーなお話が、びっくりするくらいうっとりさせてくれるものでした。日本の漫画の世界の幅広さや奥深さには、毎度感動してしまいます。

そういう一方で、珍しく春樹など読んでしまったのですが、なぜこの人がノーベル賞候補などになるのかは、やはり謎だと思うばかり。うまい、と思いますが、どうですかね?どっちかと言えば、普段多くを読まない層に読者が多いのではないか、と思うんですけどね~。
文学的には、漱石の方が絶対好みです。古い文庫本は、活字が小さいので、読むのが大変ですが、なんだろう、この時代の文は好きです。教科書で読む時代より、大人になってからの方が純粋に楽しく読める気がします。

漫画の友が、大好きなシリーズもの文庫本を、これまたどっさり送ってくれたので、読みたい気持ちと、いや、これを読み出すと何も手につかなくなるという気持ちとのせめぎあいの日々です。きっと次回の備忘録に記録することになると思います。

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  1. 2018/06/06(水) 05:25:21|
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気持ち寄り道で、そら豆ピュレなど(ジウリディニャーノ)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その18

カルピニャーノ・サレンティーノの村で、度肝を抜かれるようなビザンチンのフレスコ画に出会い、まだランチ前とは思えないような充実ぶりの一日。実は、この日のメインは、まだこのあとだったんです。

が、その前に軽く、ごはん記事など、笑。
気付かれている方も多いと思いますが、どうも、このところ、ブログがなかなか更新できなくて。書きたい、あちこち紹介したいという気持ちはやまやまなのですが、それ以上にやりたいことがあったりして、時間が足りなくなっちゃって。
というわけで、前回の記事からずいぶん時間がたってしまったので、リズムが…。
というわけで、ジャブ的に…。すみません。

長靴型のイタリア半島の、かかとにあたる部分一帯が、今回紹介しているプーリア州となりますが、その中でも、さらにかかとに近い部分を回るために、宿泊地としたのは、オートラントの町から数キロというロケーションの、ジウルディニャーノGiurdignanoという村です。




この地図だと、右のやや上の方の端っこにあるのがオートラントで、そこから赤い幹線道路を西に向かって、南に外れた村です。
それにしてもこのあたり、土地が平坦かつ、道がスカスカです、笑。同じ縮尺の地図でも、これが北部の方だと、この5倍くらいの密度で道が走っている感じがしますよ。

そう、何を隠そう、この旅の一番の目的は、オートラントだったんです。
あそこの超有名な床モザイクは、中世をやっている以上、いつかは必ず行かなければならない場所、さらに、モザイク好き、特に中世のモザイク好きであれば、マスト以上にマストは場所なんです。
プーリアには、他にも行きたい場所がたくさんあるのですが、そのほとんどは州の北部の方で、オートラント周辺は、教会といって思いつかなかったんですよね。それで思いついたのが、この洞窟教会群の存在だったというわけです。
そのため、ホテルを決めるにも、なんとなくオートラントのあたり、というような感じで、ここに決めました。

ジウリディニャーノの村には、こんな立派な教会がありますが、街道沿いに家が並ぶ、なんということのない村でした。




そして、ホテルは、この教会の広場から、車でほんの2、3分のところでした。




Agriturismo Il Megalite
SP277, Via Otranto-Giurdignano Snc
Giurdignano

アグリツーリズモなので、全体が広々としていて、それでいて村も近くて便利だし、なかなかよいところです。お値段も、結構リーズナブルなので、この辺りを回るには、お勧めします。

驚いたのは、これ。




アグリツーリズモの名前もメガリテとあるように、このあたり、巨石の遺構が結構ある場所らしいんです。そういえば、自分でもチェックしたりはしていたのですが、結局、どこも見ないで終わってしまい、ちょっぴり残念です。
過去にいくつか訪ねられた方によれば、たいしたことはないそうですが、古代巨石の遺構は、ほとんど見たことがない私なので、おそらく、たいしたことがなくても、結構インパクトありそうな気がします。将来のいつか、訪ねるチャンスがあればいいですが。

農家ですから、周囲は畑とか牧草地とか。駐車場の脇には、自然の花畑状態で、ルーコラの花が、美しく咲き乱れていました。




ルーコラが、こういう菊系の花だとは夢にも思わず、びっくりしました。この時期、車で走っていると、どこでもかしこでも、ルーコラの花。いろんな黄色のバリエで、とてもきれいでした。
ルーコラ好きなので、花までかわいいというのに嬉しくなって、実は、ミラノに戻るなり、種を購入したのですが、結局一年以上、そのままキープしている情けなさです。

このホテルでは、肉も野菜もやっているようなのですが、到着の日の夕食のメインは、なんと、そら豆のピュレでした。




春の息吹満載のそら豆、大好きですが、ピュレを作るまではしませんので、地味ながら嬉しいメニューでした。地味っていうか、身体にいいっていうか。アグリツーリズモで、野菜だけ押しまくりっていうのも、珍しいと思います。




前菜も、ひたすら野菜!野菜好きだから、嬉しかったですが。

翌日は、夕食やらないというので、近所のレストランでいただきましたが、こちらでは、プーリアらしく、お魚中心に。




Il Marsiello
Via Roma,Giurdignano

結構洗練されたお皿でした。エビのお隣にあるクリームみたいの、なんだったかな。なんかやけにおいしかった記憶はあるのですが、メモもなくて…。
おつまみ状態で、いろいろなお皿を少しずついただきました。
三人もいると、そういう食べ方が出来て楽しいです。一人だと、あまり多くのお皿は頼めないですからね~。

カルピニャーノ・サレンティーノでは、地下フレスコ画を楽しんだ後、ガイドの方に聞いて、庶民的なレストランに行くことができました。




Ristorante la Locanda
Via Filzi 23, Carpignano Salentino

なんせ、イースターの日曜日でしたから、家族連れで満員状態。すごい活気でした。




揚げ物盛り合わせとか、南っぽいお皿。カロリー高いけど、おいしいんだよね~!
割と、どこでも超庶民的な地味な食事ばかりでしたが、おいしかったです。さすがプーリア。願わくば、次回はもう少しがっつりとお魚をいただきたいかもね。

というわけで、とりあえず、再開を期しつつ…。どうなることやら。

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