2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その番外編1
ここらで、実用情報を記しておきたいと思います。ちょっと早い番外編ですが、今後の展開に関係してくるので…。
というのも、実は、宿泊初日に、えらい目にあってしまったんです。虫、です。
わたしは、皮膚が結構デリケートみたいで、これまで、結構あちこちで虫の被害にはあっているんですが、これほどひどいのは、初めてでした。
初日のホテルは、写真もありませんが、以下となります。
Premiere Classe Macon Sud
Zac Des Bouchardes, 114 Rue de Bresse, Chaintre
Single Euro 42.70 + Breakfast Euro 5 + Tax Euro 0.75
イタリアでもそうですが、車でのアクセスに便利な町の郊外にある、モーテルの一つです。フランスは、このパターンが、実に多いし、フランス発の格安モーテル・チェーンって、多いですね。
これは、向かいにあったCampanille。これも、どこの町にでもあります。私の宿泊したホテルは、そういうモーテルの中でも、かなり格安度の高いチェーンです。お値段を見たら、わかりますよね。でも初日は、遅い時間に空港インで、基本、翌日からの旅に備えて、寝るだけ、というのもあったし、同時に、この辺り、適当なホテルが少なくて、いずれにしてもこういうモーテルタイプしか見つからなかったのです。それならどこも一緒だろう、と思ったんですよね。
部屋は普通で、特に不潔感も感じなかったんです。朝食も、フランスとしてはかなり安い値段設定ですが、結構ちゃんとしていました。
Buffalo Grill
Zac des Bouchardes, Chaintre
近所に、これまたどこでもあるファミレスみたいなレストランがあり、リーズナブルな夕食をいただきました。イタリアだと、RoadHouseに当たるのかな。文字通り、ファミレスが、家族連れがわんさかいて、子供がうるさい、ってそういうタイプの店です。
ステーキがメインなんですけれど、お肉を選ぶと、サラダとか付け合わせがしっかり自動的についてくるのが、フランスっぽくて、お得感がありました。
で、まぁ、簡便な宿泊地として、よかったよかった、と思っていたんですが、翌日の昼頃から、なんだか全身のあちこちにかゆみが出てきまして…。
夕刻、シャルドネに着いた頃には、すでにあちこち水膨れ状態で、かゆみがひどいことになっていまして…。
あまりのひどさに、写真も見せられませんが、それはそれは悲惨なことになっておりました。
一体何が起こったのかわかりませんでしたが、どう考えても、ホテル以外にはありえないわけです。
よくよく考えると、ペット連れ込み可能なホテルでした。そして、部屋は閉めきり構造なので、空調が命というような状態で、夜も、クーラーをガンガンに効かせて寝るしかないからか、毛布があったんです。
どうやら、毛布にノミとかダニとか、その手のものが生息していたのではないか、と思います。パジャマで覆われていた身体の中心はセーフで、むき出しの脚とか腕とか、そのあたりが中心だったのも、原因特定の理由です。
とにかく、ひどかったです。手の甲とかまで水膨れで、ほとんど危ない病気の人みたいな状態…。それもいやですが、とにかく気が狂いそうにかゆい…。
幸いといえば、それ以上の症状がなかったことでしょうか。ということは、命にかかわるようなものではないということで、ほっとしました。ネット検索したところ、マダニとか、マジやばいらしいですよ。
ちなみに、後日、予約をしたBooking.comに書き込みをしましたが、すぐに返信があり、真面目な対応は、好感が持てました。予約をするときは、評価を確認するし(なるべく分母の大きいもので評価点8以上が基準です)、コメントなど結構目を通しますが、このホテルについては、評判は良かったので、たまたま私の身体が過剰反応したものと思いますが、ダニ系に弱い方は、避けた方がよいかもしれませんね。
シャルドネの宿は、一泊目を抑えた分、ちょっといいところにしており、救われました。
Le Chardon
Place du Millenaire, Chardonnay
Single Euro 75 + Tax 0.50 (朝食込み)、夕食Euro 20
レベッカとニックという英人夫妻が経営する宿で、このときほど、英語が通じる宿を選んだ自分に感謝しました。
それにしてもシャルドネという村には、びっくりです。シャルドネは、この村発祥なんでしょうから、ワイン・ツーリズムとか、そういう賑わいがあると思っていたのに、なんと、村における商業活動は、この宿と、そのレストランのみ!
一応、立派なシャトーらしきものもあったのですが、夏休みでクローズ。
ワインの販売所があるわけでもなく、そのやる気のなさには、茫然としました。
何もしなくても、名前で売れるからいいんでしょうかね。ワイン・ツーリズムは、アグリツーリズムも含めて、イタリアの方がずっと進んでいますし、楽しいですね。
こんな愛らしいものが、ホテルの前にありましたけれど、これはきっとホテルのご夫妻が勝手につけたんじゃないかと思います。
ニューヨーク6000キロとか、東京10000キロとか。なんかこの一角だけ、かわいい村でした。このご夫婦、いろいろな経緯があって、ここにホテルを作ったというお話を伺いましたが、これがなかったら、本当に色のない村でした。
ホテルは、テレビすらないシンプルなお部屋で、その割には割高感がなくもなかったですが、このときも私は、英語で色々アドバイスいただくこともできたので、ただありがたさだけが嬉しかったです。
それに、ここはレストラン併設なので、車で出る必要もなく夕食をいただけるのも、このときはいつも以上にありがたかったです。
メニューになっていて、お酒抜きで20ユーロは、まぁまぁリーズナブルです。旦那さんが作っています。
二日とも、こちらでいただきました。前菜とメイン。フランスらしい、きれいなお皿でした。
日中は暑くても、夜は涼しくなり、屋外のテーブルでいただくのがちょうどよい気候。涼しくなると、上着を羽織っていても変じゃないし、薄暗い屋外テーブルなら、水膨れも見えにくく、そういう意味でも、ありがたかった~。
勧められて、食後種までいただきましたが、おまけが一切ないのが、フランスらしいのか、イギリス式なのか、イタリアでは考えられないしっかりぶりでした。ちなみに、メニューにはデザートもついていましたが、デザートは限りなく英国式のドサドサ系というか、笑。おいしかったですけどね。
英国とフランスは近いとはいっても、それでも、土地に縁もゆかりもない人たちが、こうやって商売をしていたり、そこへ、イタリアに暮らす東洋人が来たりとか、そういうのって、何かドラマですよね。
このホテルの前身、こんなお店屋さんだったんですかね。
この時代には、外国人がこういう風に出会うなど、めったにないことだったでしょう。
こちらには二泊お世話になり、トゥールニュの薬局も教えてもらえました。旧市街の真ん中に、おじさんが片言の英語を話す薬局があります。これは助かりますよね。
そこで塗り薬と飲み薬をもらって、毎日ぬりぬりして過ごしました。
お天気が崩れて、涼しくなって、こんなに嬉しかったことはありません。だって、上着が着られますから。それほどあちこちの水膨れがひどかったんです。
結局、出発間際に、ふと入れた薄手の長そでのブラウスが大活躍で、毎日そればかり着ていました。毎晩宿に着くなり洗濯して、翌日、生乾きでもなんでも着る。ズボンも、半ズボンははけず、同じ薄手の長ズボンを毎日はいて…。
結果、持ち歩いていた洋服のほとんどに手を通すことなく、旅が終わりました。旅って、こんなにわずかな服でいいんだ、というのは、すごい発見でした。そして、Tシャツよりも、薄手のブラウスの方が、乾きが早くて便利だということも。
何が役に立つかわかりませんよ、笑。
では、ホテル情報は、今後の番外編2へと続きます。
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2019/06/24(月) 02:33:03 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その12
サクサクとアップする気持ちはあるのですが、なんだかんだと忙しく、どうしても間遠になってしまいます。こんなんじゃ、あれもこれも、紹介したいたくさんのロマネスク、どうなってしまうのか…。
別にどうにもならないんですけれど、笑、気持ちだけは焦っております。だって、もはや、今年の夏休みもすぐそこで、すでに徐々に計画に入っているわけでして。気長にやるしかないですが、きっと、いろんなことが忘却の彼方になっていて、唖然とするんだろうなぁ。
さて、地味な村の続きです。
村へは簡単にたどり着いたのですが、街道沿いに家が並んでいるだけの村です。入り口からすぐ、教会の表示が出ていたのを横目で認めたのですが、ついつい道なりに進んでしまいました。で、あっという間に村が終わってしまったので、おそらく表示のところを入るのだろう、と思い、仕方なく引き返しました。
途中、家の手入れをしていたおじさんがいたので、一応聞いておこう、と話しかけたのですが、なぜか出てきたのがスペイン語、笑。
過去にも何度か書いたことがあるかもしれませんが、こういう混乱、結構あります。イタリアに暮らしているので、日常語の筆頭はイタリア語で、そういう状態における外国語の引き出しは、英語、スペイン語、フランス語となるわけですが、ラテンの国を回る時、英語ではないな、という頭があるため、選択肢としてはスペイン語かフランス語か、ということとなり、それが時々混乱するらしいんですよね。語学力的にも、限りなく低いという意味では、ほぼ同じようなレベルにあるのも、混乱の原因かもしれません。
で、なんだかスペイン語で話しかけていたところ、「お~、スペイン語しゃべるのか~」と、おじさん、スペイン語堪能で、スペイン語で答えてくれました。返ってよかった、みたいな。
そういうわけで、最初に気付いた表示のところまで戻り、ちょっとした坂道を上りました。おじさんが教えてくれたように、素晴らしい風景が広がる丘の上です。空気が澄んでいる季節には、モンブランまで見ることができるんだ、とおじさんは自慢していましたが、モンブランって、相当の距離があります。ほんとかなぁ?
ぶどう畑が広がり、かなり遠くまで見晴るかすことができて、風も気持ちよい、素敵な場所でした。そこに、昔の墓地があるのでした。
ビュルジーBurgyのサン・ジャン・バプティスト(洗礼者ヨハネ)教会Eglise Saint Jean Baptiste。
墓地のところが、かなりしっかりした壁に囲われているので、全体を捉える写真が撮りにくい教会でした。
地味な、でも美しいたたずまいの教会です。嫌味なく、修復されていますよね。墓地としては、積極的に使っているのかどうかよくわからなかったのですが、でも、これだけきれいにケアしているということは、ちゃんと機能しているのでしょう。
とはいえ、場所が場所だけに、勿論クローズでした。
さっきのおじさんのところに聞きに行けば、カギのありかとかもわかったかもしれませんが、まぁ、何が何でも入りたい、と思わせるようなものではなかったので、そこまではしませんでした。
置かれていた説明版によれば、Burgyの住人は117名。それならこの規模の墓地で間に合いそうです。そして、やはり比較的最近、修復が行われたようでした。
ここは、お得意のアレ。
鍵穴撮影。後陣、ぬりぬり系みたいですね。
壁は石積みで、よい感じです。
いずれにしても、外側同様、装飾的なアイテムはなさそうな様子です。
ここは、たたずまいとロケーションを楽しむ場所ですね。
というわけで、動画も撮影したのですが、さて、これはうまく貼り付けることができるのでしょうか。
Burgy さて、この日も、この教会で無事終了。
小さな場所が多いとはいえ、ずいぶんたくさんの場所を回り、それぞれ、地味ながら印象も強くて、楽しいスタートとなりました。
で、この日の宿泊地に選んだのは、白ワイン種の名前そのままの村です。
ホテルの話は、別途記すとして、実はこの村にも、小さなロマネスク教会があるのでした。
シャルドネChardonnayのサン・レミ教会Eglise Saint Remy。
ここは、宿泊地でなければ、決して訪ねることのない教会だったと思います。全体はほとんど新しくなってしまっていて、見どころはわずかです。
唯一楽しかったのは、妙に繊細なミニアチュール的な軒持ち送りです。
なんかね、すっごく丁寧な仕事、という感じでした。
ご丁寧に、入り口は鉄柵になっていて、中を見られるようになっているんですが、見られなくてよかったよね。
こういうところも、石のまんま、構造もヴォルトとかそのまんまだったりすれば、それなりに好きだと思うんだけど、こうなっちゃうとねぇ。ダメです。
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2019/06/24(月) 01:17:14 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その11
マイナー度満載の小さな教会が続きます。
クレッセClesseの教会Eglise Notre Dama(住所Rue Sainte Marie)。事前のメモでは、一応サンタ・マリーという名前をゲットしておりましたが、現地では、教会としか表記がないんですよ。そもそも、なぜ、わざわざこんなに小さいところまで、丹念に回ったんか、今となっては謎みたいなひと時です。
本当に、通り過ぎそうになっちゃうような小さな村でしたが、看板を見ると、ほらね。
教会は、「12世紀の教会」と出ているだけで、ワインのカーヴ中心でした。ワイン生産者さんがひしめく土地なのですね。
通り過ぎそうな位置に建っているのですが、その古いたたずまいは、見逃せません。
ね、ね。
ファサードにある超素朴なブラインド・アーチの並び、うっとりします。1090年建立、とあり、その、11世紀の古さを見事に体現している教会。魅力的です。
残念なことに、修復中のようで、全体が柵で囲われていました。もう、工事の様子はなかったので、あとちょっとで完了、柵も取り払われるとか、そういうタイミングではなかったかと思われ、残念です。
小さな村の中心に当たると思うのですが、教会の前に、印象的なバス停がありました。「Eglise(教会)」という簡潔かつそのものずばりのバス停の名前も印象的なら、その運行時間も非常に印象的でしたよ。
行きと帰りと、路線を一日一往復するだけのバスのようでした。
突き当りが、そのバス停です。
こういう村は、おそらく二度と来ることもあるまい、と思ったように思いますが、なんだか、またいつか通りかかって、あらら、再訪しちゃった、ということになりそうな予感もあります。
この勢いで、お隣の村、Crayにあるサン・ピエール教会Eglise Saint Pierreも探しました。上に、中心部だけの地図をアップしましたが、北の方にちょっと進んだところに、村の名前が出ているくらいに近い場所のはずだったんです。
墓地だということもわかっていたし、ウロウロしようもないような場所なのに、それでも何度も行ったり来たりしたんですが、結局教会らしい姿は見当たらず、尋ねようにも通りすがりの人もおらず、すごすご敗退しました。
別に無理して訪ねる予定にもしていない場所だったので、それでも問題ないのですが、ちょっと意地になっていた気がします。
諦めて、ちょっとだけ西に入った村へと進みます。
美しく整備された道を、気持ちよくドライブして、村にたどり着きますが、村は、その幹線道路から、ちょっと入った方に広がるようだったので、まずは、幹線道路沿いに駐車して、徒歩でアクセスすることとしました。
ペロンヌPeronneという村。ここは、駐車した、確か市庁舎とかがある新市街的な場所です。
緩やかな坂を上っていくと、どん詰まりに教会がありました。
サンタ・マリー・マドレーヌ教会Eglise Sainte-Marie-Madeleine。
教会脇の家の人が、どうやら夏休みで一族が集まっていて、一斉に車に乗り込むところで、忙しない空気が流れていて、車を離れたところに置いてきた正解だった~、とほっとしたことをよく覚えています。そんな些細なことが、記憶の呼び水になって、このたたずまいなどを、くっきりと思い出せたりするので、どうでもいい記憶も重要ですよね。
全体のたたずまいは、比較的新しくなっていて、面白みがないのですが、ちょっとしたものがあります。
一見、なんの面白みも感じられない南壁ですが、かつては扉があったであろう場所、右手の後陣に近い方になりますが、そこです。
変な顔した二人がごっつんこしていました。
建物がどんどん変わっていく間、いつも二人で、千年ごっつんこしているって、なんだかうっとりしました。病気ですね。
後ろ足の間から尻尾をクルリンと出しているスタイルはよくありますが、それにしても、この子たち、そうは見えないながらライオンでしょうけれど、足が細くて長い、独特のスタイルです。
ファサード寄りに、今入り口となっている扉がありますが、そちらの方にも浮彫が。
これは、全体の印象から、もしかして比較的新しい浮彫なのでは、と感じたのですが、そんなことなくて、現地にあった説明によれば、ケルトの影響を受けた雄鶏であろうということでした。雄鶏は、太陽の光を象徴するシンボルであると。
今、それが置かれている扉は、あとに開けられた扉っぽいので、この雄鶏君は、別の場所にあったのかもしれないですね。
ここは、扉全開でした。
入ると、一瞬にして萎えるタイプ…。
こういう風にきれいにしちゃうの、本当に好きですよね、フランス人。
でも、幸いなことに、後陣部分は、一部、漆喰ぬりぬりを避けたか、近代になってはがしたか、という状態で、石色がむき出しになっているんです。
ぼんやりしちゃっているけど、何となしにかわいらしいやつらが、ひっそりといました。
この人のいる柱は角柱で、柱にも装飾彫りが施されていて、かなり古い時代の再利用感がありましたし、柱頭も、とっても稚拙でシンプルな感じが、古さを醸し出していますよね。猿なのかなぁ。Xメン的でもあります、笑。
全体はつまらないけれど、それでも、入れてやっぱり嬉しい。
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2019/06/19(水) 05:23:14 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その10
Maconの後は、地味な教会が続きます。まずは、マコンから緩やかに続いているような村と思っていたこちら。
サンセSance'のサン・ポール教会Eglise Saint-Paul(住所131Impasse de l'EgliseまたはPlace de l'Eglise)
確かに隣村というか、地図で見るとつながってる感じなんですが、結構、一旦町が途切れた他の村でした。
お隣の建物との接近はともかくとして、ちょっとした高台、というか、盛り土的な状況になっているたたずまいで、ちょっといい感じです。
かなり整備された住宅街の中にあって、教会そのものも整備が行き届いている様子で、風情はあまり感じられませんが、ありがたいことに、開いておりました。
中もずいぶんと整備されておりますが、大きい切石の床のすべすべ具合は、結構好きでした。光を反射して、つやつやする感じって、結構ぞくっとします。結構床フェチな傾向がありますんで、笑。
内部に、装飾的なものは、あまりなかったのですが、かすかに。
彩色の名残なんかも、それもいやらしくない色合いで残っているのが、好感度高いやつ。
どうやら、福音書家が勢ぞろいしていたようです。ルカちん。ということは、鳩にしか見えない上のやつも、福音書家か?
マルコらしきお姿もあるし、実は、マッテオ君もいたんですよ。
どういう彩色だったのかなぁ。なんか、ちょっと想像つきにくい残り方。
一応史跡的に、看板もありましたが、この辺りの細かい解説は一切なし。
開いていただけで、ありがたい、というような教会かな。
現代風の素敵なステンドグラスは、かわいかったです。
そして、次に向かったのが、こちら。
レゼLaizeのサンタントワーヌ教会Eglise Saint Antoine(住所Rue de l'Eglise)。
ここは、教会の場所はわかったものの、いったいどこに駐車したらよいのやら、とびくびくするくらい、周囲が急坂で、昔暮らしたトスカーナのシエナの、古いシトロエンだと登れないくらいの急坂地域を思い出しました。
塔の上に変なもんが乗っかっちゃっているのは、ご愛敬というところですが、たたずまいは、実に、好みのタイプです。というのも、オリジナルは11世紀と古いもので、そういう片鱗が、ちょっと残っているのですね。
この、ちょっと押しつぶされたような、シンプルなスタイルの後陣。ブラインドアーチに、素朴極まりないつけ柱。そして、石をそいだ瓦。佐多氏が好きすぎるアイテム満載です。なんでこんなものが、そんなに好きなのかわかりませんが、ラヴ!具体的な理由が説明できないラブです。
後陣と鐘楼が一体化しているのですが、そこに、なんと。
階段付き!
勿論登れるところまで、興奮して登りました。だから何ってわけでもないですが、なんか興奮してしまうんですよね、こういう構造そのものに。
しかし、鐘楼などは、かなり修復激しいことが、よくわかりました。
そして、石をそいだ瓦は、こういう感じ。まさに石なんですよね。
なにこれ?っていう写真ですが、後塵の円錐屋根部分を覆っている瓦を、階段に上って、見下ろした画像です。これにワクワクした人、危ないですよ(いないと思いますが、笑)。
ここね、外だけで満足した方がいいのかもね。でも開いてたんで、勿論入ります。
こういうのって、別の意味で衝撃ですよね。見事なピカピカぶり。こういう風にしたかったんですよね、ある時期のフランスは特に。
幸いなことに、外で見た後陣部分は、一応、一部、古い状態で残されてはいるのでした。
一番上の、半円部分ですね。他は全部ピカピカにしちゃいましたが、そこだけはロマネスク時代のスタイルと残してはくれたっていうか、おそらく後陣壊すの面倒だし、倉庫みたいな場所として、使ってきたんだと考えられますね。
でも、16世紀以降のフレスコ画があって、それ以外は漆喰ぬりぬりパターンなんです。それでも、構造は、古いままではあります。
しかし、石がむき出しというだけでも、かなり雰囲気があるでしょうけれど、ここは、16世紀以降のフレスコは削れない、という結論の修復だったんですね。そのあたり、イタリアなどは、もっと思い切って、ロマネスク回帰した修復が多いような気もしますけれど、なんとなくこういう漆喰系が、フランスの好みのような気がします。
ピカピカの本堂で、何かあるんじゃないか、と目を皿のようにして探しましたが、唯一認められたのは、この聖水盤。
何かを転用したものでしょうけれど、浮彫にロマネスク的なテイスト、満載です。
情報として載せておきますが、ファサード側はこんな感じで、すっかり新しいです。こっちからアクセスしたら、見逃しますね。
心残りないように、開いていればラッキーと思うわけですが、かえって心を残した方が、気持ちが残る教会、というのは、実は結構あるかもしれないです。
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2019/06/18(火) 05:30:16 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その9
前回のトランブリーTramblyから、ほぼ真東に半時間、出発地点に戻るような感じで訪ねたのが、次の目的地です。
マコンMaconの、サン・ヴァンサン大聖堂Cathedral Saint-Vincentです(Place Lamartine)。
大聖堂といっても、博物館のようになっている廃墟状態の教会で、オープン時間は、月曜日曜祝日が14-18、それ以外が10-12/14-18となっています。受付がありましたが、入場料は無料でした。
ちなみに、マコンはそこそこの町なので、教会近くまで車でアクセスするのは難しかろうと考え、事前に、駐車できる場所を調べておきましたが、正解でした。私が駐車したのは、教会から数百メートルの、旧市街の入り口とでもいった様子の場所で、住所は325Rue de Parisです。
日影のほとんどない時間帯、暑い中を7,8分歩いて、上の写真の姿が見えた時は、え~!でした。これは、驚き、失望、どっちかというとネガティブの「え~」です、笑。
だって、そもそもロマネスクじゃないですもんね。そしてその上に、廃墟。こんなところに、わざわざ来る価値があるんだっけ?と、自分の事前情報を大いに疑いましたよ。
6世紀に建てられた教会の上に、なんそうにもわたって、異なる時代の建物が積み重なった場所のようです。
そんなことが記されている看板を眺めていて、まず気になったのが、建物に向かって左側の、かなり高いところにある窓。上の写真でも、小さく映っていますけれど。
廃墟にくっついている、元は教会の建物だったはずの場所ですが、大型の犬が、窓からほとんど乗り出すようにして、吠えていたんです。
かなり高い位置なので、落ちないでよぉ、と思うとともに、ああいう犬がいるってことは、おそらく一般の家になっているんだろうなとか思って、しばらく眺めてしまったんです。この廃墟、今は国有または州の所有になっているようなんですが、いつの時代かに、隣接する建物は、一般に払い下げになったのか、または、占有権を主張して、勝手にわがものにしてしまった人がいるのか。イタリアでは日常茶飯事的な状況ですが、フランスでもそうなのかなぁ、とか、日本ではなかなかありえないような現実を考えてしまって。
それもこれも、ここまで来ても、なんだか興味が沸かない建物だったからでしょうね。
さて、入場です。
むむ?これはいったいどういう構造なのだ?と、事前準備が足りない私は、悩みました。塔の側から入って、すぐにこじんまりしたスペースに出ますが、ぐるりと開口部となっています。今はガラスでふさがれていますけれど。
そして、入ってきた方を振り返ると…。
あ~!そういうことなんですね。ここ、本来はファサードの前のナルテックスに当たる場所ということらしい。この、タンパンあるのが、ロマネスク時代の教会の扉に当たるらしい。
これを見に来たんですね、私。
いつも事前の勉強がいい加減なんで、こういうことって意外と多い。こうやって、見逃しようのない場所はよいけれど、わざわざ知っていて、見に行かないと見逃す場所は、やっちゃってます。イースターに訪ねたアルザスでも、思いっきりやってます、笑。
さて、タンパンです。浮彫です。
これ以上ないっていうくらいシンプルで、でもわかりやすい図解がありました。これはいいですね。
全体には、傷みも激しいですが、このような廃墟であることを考えると、よくぞ残ったものだ、というレベルではあります。彫りは細かいし、技術的にも構図的にも、しっかりしたものだと思います。
アーモンドは空っぽだし、その周辺の痛みはひどいのですが、残っている部分を見ると、さぞやきちんとした彫りだったのだろうと想像できます。
下は、アーモンドの右手(向かって左)にいる天使ですが、このお手々、かわいいんです!
一番下の、説明版によれば、天国と地獄が描かれている場所は、石も違うような感じで、比較的保存状態が良いのですが、どこ人物フィギュアも、手が、細かく彫られていて、それがやけに残り方がよくて、手フェチがいたら、狂喜しそうな状態かもしれません。
または、手フェチ的な職人さんが、後代に、手の部分だけ修復したとか、そんなこともないとは言えないですけどねぇ。
でも、ね、なんか表現力もある職人さんですよね。
保存状態としては、柱頭の方がよかったかも。
戦う大天使ミカエル風ですけど、なんかポーズがすっごくかっこいいです。衣のなみなみもドラマチックな臨場感にあふれています。
構造物にも注目します。
おなじみ、足元もオシャレな柱たち。
装飾的な文様浮彫も、なかなか味があります。どうやら時代が色々混ざっているので、その面白さもあるかもね。
この赤い色は、なんだったのか、よくわかりません。石色とは思えないので、彩色かなぁ。
なんだかんだ言いながら、それなりに楽しんで、外側もぐるりと観察です。
塔の下の方に、ロマネスクっぽい壁構造があります。
ゴシックぽい全体の中で、心ときめくブラインドアーチの群れ、笑。ほっとします。
あ、回ってきたら、わかりました。
古い教会の前の構造物も、ほぼ新しくなっていたのですね。その割に、ナルテックスの構造の基部には手を付けないで、ただ、前にドカンと新しい構造物を付けて、ごまかしたというやつです。
おかげで、こんな怪しいやつも、生き延びたんですね。
それにしても、ここまでごちゃごちゃ状態で、よくぞ遺したもんだ、と感心します。
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2019/06/13(木) 05:35:19 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その9
「ここは行くべきなのかどうなのか」、と悩んだ場所として、結果、前回のサン・ポワンは、それなりに見どころもあり、満足度もありましたが、さて、ご近所のこのふたつは、どうかというと。
トラマイユTramayesのサン・ジャン・バプティスト(洗礼者ヨハネ)教会Eglise Saint-Jean-Baptist(住所Place de l'Eglise, Tramayes)。
到着したとき、開いているのを認めたので、取るものもとりあえず入場しました。しかし。
これは萎えます。それも相当に。本当にキラキラの漆喰ぬりぬりで、風情どころか、何かあるかも、というかすかな期待すら裏切るピカピカです…。
ブルゴーニュのサイトで、それなりに評価されていたのは、おそらく、これのためだと思います。
ファサード側にある、鐘楼の装飾です。本当にわずかな部分ですが、確かに、この辺りのロマネスク教会の様式を踏襲した塔になっています。
でも、こんなになっちゃったファサードの上に、ちょっぴりだけだから、うーん、通過点として有効な場所でもないし、ここは、端折ってオウケイな教会だと思いました、正直。ごめんなさい。
この辺、マイナー教会地域で、全体を端折るか、とりあえず行ってみるか、という選択を迫られる場所で、要は行ってみたわけなんで、当たる確率が結構低いだろうことは想定済みですが、それでも、がっかりはしますよね。
とかなんとか思いながら、来るという選択をした以上、一応回るわけです。
でもね、この辺りは、結構山道で、迷いながらですから、気持ちも迷いつつで、そういうのって、私みたいに、一応欧州に住んでいるから次がある、という部分も含めて、そうするべきかと迷い満載、修行旅の辛いところです。
次の村は、結構迷ったんです。ここっぽいな、と思った場所で駐車場があったので、やっと駐車して、鐘楼のおかげでわかった次第。
村は、斜面に張り付いているようなロケーションなんでしょうね。下の方に駐車場があって、教会が上の方にあるのがわかりました。
地域の幹線道路沿いなんですが、こういう感じなんで、走っていても、なかなかわからなかったりするんですよねぇ。そういう場合、尖頭状になっているケースが多いフランスの鐘楼は、ランドマークとして、かなり有効ですねぇ。四角いだけの鐘楼だと、なかなか遠くからの目視は難しいですが、尖頭だと、結構とんがっていて、見えやすいですからね~!
トランブリーTramblyのサン・パンタレオン教会Eglise Saint-Pantaleon。
駐車場からのアクセスが良くわからなくて、変に遠回りをしてしまったのですが、そのおかげで、最短距離を行ったのでは、おそらく出会わなかったものに、遭遇しました。
遊歩道のような道沿いに、ショーケースが並んでいて、青空博物館とでもいう位置づけなんですかね、化石がずらりと。おそらく、地域で発掘されたものと思われます。化石掘り放題な地域なんですかね。まぁ、実際かなりの田舎だし。
シダ類が多かったようですから、かつて海底だった、ということではなく、ちゃんと陸だったということなのかな。
さて、肝心の教会は、ここでも、こんな感じです…。
漆喰ぬりぬりされると、本当に時代も何も不明となりますから、困ったもんですよ。ただ、ここでは、後陣部分は、一応オリジナルの雰囲気、わずかながら、遺されておりました。
本当にね、わずかで。ただ、基本構造と、小さい円柱と柱頭と。それでも、こういう出会いは、逆にありがたみが増して、心から嬉しかったりします。
ここも、それなりに訪問価値として挙げられるのは、鐘楼だと思います。
後陣側の眺めは、こうしてみると、それなりの風情は保っているかもね。
付け足しみたいな円柱系の塔は、鳩塔かしらん?
後陣には、軒持ち送りも少しだけ、ありました。
こうやっていいとこどりで見ていくと、ギザギザのライオン歯帯にしても、なんか、結構見どころあるじゃん、と思いますね。現場では、あーあ、という気持ちだったの覚えてますけれど、笑。
やっぱり、行ってみないとわからないな、本当に。
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2019/06/11(火) 05:58:39 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その8
ブルゴーニュのロマネスクに関しては、かなり詳細に情報をまとめた百科事典的なサイトがあるので、「ブルゴーニュのロマネスク教会リスト」という意味では、かなりの数の教会をピックアップすることができました。サイトの主催者判断と思うのですが、星を付けて、リストアップされていて、それが、一応の目安にはなると思うのですが、しかし、例えばベルゼ・ラ・ヴィルなど、ロマネスク的に、絶対に訪問すべきいくつかの場所をのぞくと、何を判断基準にするか、というと、かなり主観が入りますから、なかなか難しいわけです。
というわけで、その百科事典的な情報を基として、自分の歩くルートを考えながら、行けそうな場所をピックアップしたわけですが、そしてもちろん、すべてを訪ねることはできないので、移動しながら、さらにピックアップしていくわけで、なんだか、なんでここ選んだんだっけ?ということが段々わからなくなってきます。勿論、見どころと認識した部分は、「扉装飾、柱頭(外と中)」みたいなメモにはしているのですが…。
で、マイナーな場所は、本当に訪ねるまではわからないんですよね。この場所のここに行くなら、こっちに行った方がよかった、という残念なこともままあるわけです。
なんでこんなことを書いているかというと、ブルゴーニュのこの辺りは、本当にそういう意味で大変な地域で、よくご存じの方からしたら、なぜ?というような訪問をしているかもしれないから、言い訳です、笑。
そういう流れで、取捨選択、というより、状況的な結果として訪ねた小さな教会が続きます。
ベルゼ・ラ・ヴィルBerze-la-Villeから、北西の方角、幹線を外れて、丘というより、山の雰囲気となる地域に分け入ります。サン・ポワン村Saint-Pointです。
村に入ってすぐ、高台にある教会を認めたのですが、どこまで車でアクセスできるのかわからなかったので、通りすがりの人に尋ねると、「歩いても5分程度だから、ここに停めた方がいいよ」というので、村の入り口に駐車しました。実際、徒歩5分程度でした。
夏は、日陰に駐車するのも重要ですからね、なるべくそういう場所を選びたいものです。
案内板がありました。同名のお城もあるのですね。Lamartineって、領主?土地の名前?
で、指示された方を進むと、立派なお墓があります。
ラマルティーヌTombeau de Lamartineのお墓とあるので、同じ人。この土地の歴史知りませんが、お城はかなり立派なたたずまいの写真だし(勿論見学していません)、相当ぶいぶい言わせていた家柄ナンデショウネ、ラマルティーヌ家。
ラマルティーヌの教会Eglise de Lamartineという名前になっているんですよ、教会まで!
おそらくサン・ポワンの教会、というだけの教会が、ラマルティーヌ家の教会みたいなことになっていたんじゃないでしょうかね。ラマルティーヌ家は、18世紀辺りに栄えた様子なので、その頃に、教会も色々手が入って姿が変わったけれども、その分、ちゃんとケアされてきたとか、そういう歴史かな、とまたぞろ、資料もあたらず、勝手に考えています、笑。
教会脇にばらばらな感じで佇む墓石や墓碑が、眠ってらっしゃる方に対しては、こんな言い方失礼かもしれませんが、いい雰囲気の無秩序感で、時を感じさせていたように思います。また、高台となるので、美しい風景が広がり、素晴らしい墓所です。今はもう使われていないのでしょうけれどね。
教会に、構造図がありました。小さいのに三身廊。
ちなみに、この図には、「サン・ポワンのロマネスク教会」とありました。そして、城ができた時、城の礼拝堂になった、ということも記されていました。その時から、通称が「ラマルティーヌの教会」となったということでしょうね。
それにしても、この教会、中がすごいんですよ。
何がすごいって、ロマネスクのことではなくて、この変な構造。柱が異常に太くて、ただでさえ小さな本堂の、半分くらいを、柱が占めてる感じなんです。すごい圧迫感。
圧迫感といえば、この信者席のびちびちぶりも、相当なもんですよ。狭い側廊の方も、内陣近くからファサード側まで、余計なスペースは無駄!と言わんばかりにぎっちり並んでいるんです。
内部は、漆喰ぬりぬりだし、全体が新装されちゃっています。後陣にはフレスコ画がありますけれど、相当新しくて、私が苦手なタイプ、時代。
開口部を含む構造も、変えられちゃっていますね、多分。フレスコ画の下に並んでいるかまぼこ上の穴が、もともとのアーチの跡じゃないのかな。
そういう意味では、向かって左側の、小さい後陣が、ちょっとかわいかったかな。
この教会は、やはり外側を愛でるのが正解。
こちらのたたずまいは、創建当時に限りなく忠実な姿を保っていると思います。
そして、この鐘楼は、文句なしに美しいですよね。
地味だけど、印象の良い教会でした。
しかし、この村の真の観光地っぽい城はどこにあったんだろう?
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2019/06/08(土) 19:49:33 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その7
おいしいブドウの味見をさせていただいたビュシエールBussieresから、ほんの10分程度のドライブでたどり着いたのが、この日のメイン・イベント!というのも変ですが、ここは、2012年のイースターに、駆け足で、初めてブルゴーニュのロマネスク巡りをしたとき、訪ねているのです。
ブルゴーニュ その36という記事で、書いています。
2012年の旅 早朝に行き過ぎて、空振りだったので、次回ブルゴーニュに行くなら、必ず立ち寄らなければいけない、と満を持して、というところでした。6年、長いような短いような。幸い、ロマネスク教会は、数年ぶりに訪ねたところ、写真撮影禁止になったいた、とか、美術館になっていたとか、そういうことはあっても、そうそう様子が変わるものでもないですし、また、ここほど有名な場所は、きっといつまででも待っていてくれるだろう、という安心感もあって、6年の間にも、行こうと思えば行くチャンスはあったにも関わらず、無理やり訪ねることはしませんでした。
今回の旅では、まさに旅の途上にあったので、じっくり雌伏で、正解だったと思います。
ベルゼ・ラ・ヴィルBerze-la-Villeのモワン礼拝堂Chapelles-des-Moinesです。
(4月、メーデーをのぞく5月、10月:9.30-12.30/14-17.30、6月から9月:9.30-12.30/14-18.30)冬は閉まっているようなので、注意、です。入場料は3.5ユーロ。
2012年に訪ねた時は、オープンが10時からだったので、少し早まったのですね。事前の調査でも、10時からとあったし、過去の印象もありますので、あまり早く行っても、と思い、11時頃到着したのですが、観光地的な場所となっているので、おそらく早朝一番、というのが、理想的では、と思います。
入り口を入ると、まず、古い構造物を通り抜けていくようになっていて、そこに、教育的なヴィデオなんかが流されていました。
が、私の目的はフレスコ画ですから、ここじゃない!と一瞥して通過し、先に進みます。
で、また一旦外に出て、階段を上って、木の扉を押し開けると、おおお~!
いきなり目に飛び込んできますから、これはインパクトあります。とっても狭い礼拝堂なんですよ。スペースに比して、フレスコ画に覆われた部分がすっごく広いんで、すごく強烈なんです。
まずは、どうしても、この後陣で、アーモンドに鎮座のキリストに目が引き寄せられます。背景の青が何ともいい味わい。
アーモンドの両脇は、十二使徒で固められているようです。例によってわかりやすいピエトロさんは、向かって右の方で、でっかいカギを持ち、文書を渡されていますね。
左側で、祝福を受けて、頭を垂れている筆頭にいるのが、気難しそうなパオロさんでしょうね。うん、なんか、パオロさんのイメージってこんな感じかも。
キリストさんは、優しいお顔で、目張りがばっちりです。この辺は、もしかすると後代の修復入っているのかもな、と感じます。アップだと、ちょっとオリジナルの顔と違うんじゃないの?という印象受けませんか?
私が気になったのは、上から下がっている神の手。変じゃないですか?妙にたくましくて、吊り輪やってるアスリートみたいで、笑。
下半身もアップ。
はだし?と思って要見たら、ほそーい止め紐付きのサンダル履いてるようです。見えるかな。
それにしても、このひだひだはすごいですね。フレスコは、11世紀初期から、と古いものは古いようですが、やっぱり後の手が入ってるよね。
下の方に下がるにつけ、なんとなくビザンチンの影響とかを感じてきたんですけど、どうでしょうか。
植物モチーフの帯とか、そういう装飾的な部分も、まるでモザイクのような。
柱頭の上の部分には、女性の聖人が、描かれていますが、その衣やアクセサリーなんかも、とってもビザンチン風じゃないですか?開口部を囲む部分の帯は、ラベンナのモザイクを髣髴としますし、柱頭から出ているアーチの縁取りも、宝石をちりばめた感じで、やはりビザンチン的な印象を受けます。
手も複数入っているようだし、時代も、結構長く費やされているように感じます。
フードの聖職者の感じは、パヴィアの古いクリプタで見たフレスコにも通じる様子で、時代が下るのでは、という印象です。
それにしても、よくぞここまで残ったもの。
この距離感は、強烈ですよね。
左上の方に、花が飛び散っているのが見えるでしょうか。
天国のイメージとしての、ケシ的な赤の花畑。これは、ロンゴバルドでも、ビザンチンでも、結構共通したイメージで、面白いですよね。
限りなく美しい場所は、お花の咲き乱れる場所、という約束が、広い範囲であったのでしょうか。コーランとかでも、そういう記述があったんでしたっけ、確か?結構直接的で単純ですね、笑。
祈りのスペースの壁や天井は、今は漆喰だけで、何もなし。おそらく、もともとはすべてフレスコ画で覆われていたというやつでしょうね。ここはなぜ、後陣部分しか残らなかったんだろう。というか、後陣だけがこれほどちゃんと残ったというのは、全部が残ったというよりも、さらに奇跡的なのではないかと思います。
ここは、ネットでも多くの写真を見ることができると思いますが、できれば現場に行きたい場所だと思います。
気に食わなかったのは、監視の意味もあるのでしょうからわからないでもないのですが、この狭い本堂の中に、チケット売り場とショップがあるんです。祈りの場所という体裁を保ちながらも、思いっきりぶち壊しているんですよねぇ。入り口は、ちょっと離れた場所にあるのですが、どうやら、人が入る度に、キンコンとチャイムみたいのがなるシステムがあったようで、かなり耳障りに感じました。大勢が押し寄せることはないのでしょうが、三々五々、一般の観光客も含めて、訪ねてくるので、人の出入りは結構あるんですよ。だから、常にキンコンなってる感じで。
ショップで、英語の冊子もあったのですが、一緒に置かれているフランス語版に比べて、明らかに薄っぺらいので、絶対情報量少ないと思って、あえてフランス語版を買ったため、ざっと読むことができず…。また、勝手なことを書いています。読み流していただければ、幸いです、笑。
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2019/06/06(木) 05:40:33 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
| コメント:8
2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その6
マコン地域の、地味教会、続きです。本当に地味ですが、なんか、回っちゃいましたね、笑。この辺り、小さい場所にひしめいているので、そういうことになっちゃうんですよ。まずは、こちら。
ソルトレ・プイイSolutre'-Pouillyのサン・ピエール教会Eglise Saint Pierre。
近いし、どうせ通り道だし、という感じで立ち寄った場所ではあるのですが、そして、そういうスタンスで立ち寄っていますから、旅の間のメモも、一行どころか一言も書いてないんですが、それなのに、妙に覚えている不思議。
ヒトの記憶って、いったい何に根差しているんですかね?この、ロマネスクの旅をしていると、本当に不思議になりますよ。だって、かなり興奮して、メモなども多数記しているような教会でも、ちょっと時間がたつと、すっかり忘却の彼方、ということがある一方で、こういう、言ってみれば片手間的に訪れた場所のことが、妙に残っていたりするんですから、謎、としか言いようがないですね。
ある意味特筆すべきは、この、現在の地面からのめり込み状態ですかね?
ファサード側に顕著です。
千年にわたるチリも積もれば、という視覚化が、ロマネスク探訪ほど分かりやすい事例はないと思います。場所によって異なりますが、いずれにしても、千年前の地面と今の地面の標高差が、時間を視覚化してくれるんですから、歴史好き必見。いや、歴史というよりは、地形ファン必見なのかな?
ふふ、どういう場所でも、何か見つけようとする気持ちが、そういうところに行くのかもしれませんが、ここ、本当に地味ですが、そういう時間の視覚化とともに、後陣の姿は、結構美しいのです。
ボリュームの違いはありますが、この辺りの後陣と鐘楼の様子、わずかな数を見ただけでも、共通項が、すでにしてインプットされますよね。
後陣側は、高台に建っていた、おそらく当時のままの雰囲気を残しているように感じられました。
中も、特筆すべきはなかったのですが、それでも、やはり入れることは嬉しいものです。
鐘楼につながる階段でしょうか。木製の天井もそうですが、そういう構造的なものには、何かしら心ひかれるものがあります。木は、往時のものではないとしても、構造は、ほぼ、おそらく当時のままと思いますんで、中世の姿を目の当たりにしているという、ちょっとした興奮はあるんですよね、こういう教会って。
それに、これに関しては、フランスいいな、と思うんですが、これ。
現代モチーフのステンドグラス。
勿論、本当に嬉しいのは、創建当時そのままの、窓というよりはすき間みたいな開口部にはめられたアラバスターの板とかそういうものだったりするんですが、でも、半端に修復されているような開口部なら、いっそ、現代的なステンドグラスが好きです。
さて、車で15分ほど移動して、次の教会へ。
ビュシエールBussieresのサン・ポール教会Eglise Saint-Paul (Rue de l'Abbe Dumont)。
田舎っぽい屋根の様子が、とても好きです。
ここは、道沿いに、わずか高台に上る感じで村があるんですが、道と同じレベルに、結構広い駐車場があって、大変ビジターフリーというか、優しい村です。
確か、公衆トイレもあったような気がします。ありがたいです。そして、周辺の景色も、大変美しい地域です。いまだマコンですからね。ワイン産地ですからね。
ワイン産地って、やはりブドウの緑がふさふさしている時期がいいんですよね。上の写真で、手前がブドウの緑なんですけれど、ブドウ畑って、畑なわけで、葉っぱの緑がないと、茶色の地面なんですよ。
この春、白ワインが有名なアルザスに行ったのですが、まだぶどうの葉っぱがふさふさには程遠い季節だったので、風景がちょっとつまらなかったんです。そんなことで、イメージも変わります。夏に行くと、大抵ワイン産地は、秋の収穫を待って、緑が一番ふさふさしている時期なので、文字通り緑のじゅうたんみたいな風景が広がりますね。
何で、教会そっちのけでそんな話になったかというと、この教会については、教会よりも、ぶどうの印象が、圧倒的に強いからなんです、笑。
教会は、小さな村の中心に立っていて、とても美したたずまいなんですけれど、教会を囲む家の一軒の壁に、ブドウのつるが張っていて、それを熱心に手入れしている女性がいたんです。
一本のつるに過ぎないのに、結構立派なブドウの房がいくつも下がっているので、この人、きっと緑の指を持っているんだなぁ、としばし感心して眺めていたら、「小さいけど、結構おいしいのよ」と、三つぶか四つぶ、お手入れのハサミでパチン!と切って、くださったんですよ。早速いただいたら、本当に甘くておいしいブドウでした。
超片言のフランス語で、教会のたたずまいが素晴らしいし、こういう場所に住まって、こういうブドウを楽しむ暮らしの美しさなどをほめたたえたと思うんですが、本当に、豊かな暮らしだと思います。豊かさって、金でも知識でも業績でもなく、日々の暮らしにありますよね。なんか、そういうことをしみじみ感じさせられました。
教会は、とってつけたようでなんですが、中はもう、なんていうか、漆喰ぬりぬりもいいところだし、今のフランスの人たちが好きなような、すっきりきれいな内装にされちゃっていて、ロマネスク的に見るものもないんです。
ちょっと面白いのは、ここでも、木製の天井かな。
船底天井とかいうんでしょうか。確かに船の底の部分を、ひっくり返したような。これは立派な造作だと思いますし、こんなのは初めて見ました。檜皮葺、とか、そんな言葉を思い出しました。トンネル・アーチになっている間は、薄い木の板をびっしり並べて吹いているような構造ですからね。これは、伝統工法なんじゃないですかね。
山間の村だから、木も豊富だし、おそらく木の職人さんが、多くいるんじゃないかと想像します。構造の各所にも、なんか愛らしい遊びがあって。
ね、かわいいですよね。
どこにあるか、わかりますかね。
小さいながらも、存在感があり、忘れがたい教会二つでした。
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2019/06/04(火) 05:48:06 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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