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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

よくぞよくぞ待っててくれました(ピウロ)

(2019年10月訪問)

この辺りに出かけた時は、友人と一緒だったし、明日どっか行こうよ、と唐突に出かけたこともあって、あまりちゃんと調べてなかったんです。で、キアヴェンナの洗礼盤のところで、あら、こんなものがあるんだ、とびっくりして、足を延ばしました。

2020 piuro 014

アウローゴ・ディ・ピウロAurogo di Piuroのサン・マルティーノ教会Chiesa di San Martinoです。

私が気付いてなかっただけで、ロマネスク的には、それなりに有名なはず。私が愛用しているJaca Bookのロンバルディア・ロマネスクの本にも、ちゃんと出ていました。
ただ、この辺りは、いつか行かねば、と思っていたものの、いきなり訪ねることになっちゃったんで、事前に調べもしなかったんですよね。ここだけを目指すのはちょっと辛い場所なので、キアヴェンナで絵葉書を売っていたおかげで気付くことができて、本当に感謝です。さらに、とりあえず、あるものすべてチェックする自分の宝探し習慣に感謝です、笑。

実はこのあたり、山中で、小さな村が続くのですが、Piuroだけでは出てこないんですよね。今は、スマホで教会の名前を入れれば、ナビゲーションアプリが自動的に連れて行ってくれますが、ナビやグーグル・マップのない時代、たどり着くだけで大変だったろうな、というような場所です。

2020 piuro 015

道は簡単で、キアヴェンナの洗礼堂の人が口頭で教えてくれた通りで、村までは、ナビを見るまでもなかったのですが、教会の正確な場所はちょっと迷いました。

トップの写真で、奥の方に、もう一つ鐘楼が見えるのがわかるでしょうか。ピウロと思って、路肩にあった駐車場に入った村の、鐘楼なんです。鐘楼は結構古そうなたたずまいでしたが、本堂は絶対に違うし、スマホを確認したら、まだ先に進め、というので、半信半疑ながら、先に進み、結局、目指す村が、川向うということがわかりました。

美しい山々をバックに、絵画的なたたずまいで、なんでこんな素敵な場所、今まで調べてないんだ、オレ、と、大いに反省しました。
なんといっても、このロマネスク感バリバリの鐘楼は、うっとりしますよねぇ。

2020 piuro 016

それに比して、教会本体は、遠目にも、かなり修復が激しいことがわかると思います。
実はここ、1618年に、激しい土砂崩れに襲われて、かなりの損害を受けた村だそうなんです。教会は、その多くの部分が、幸いにも損壊を免れたものの、無傷というわけには、行かなかったこと、また、村人にとっては常に現役の教会であったことから、度重なる修復や改修を受けたことから、外観は、ロマネスク部分がほとんどなくなってしまったということなのですが、この鐘楼は、ロマネスク的には、ほとんど無傷ですよね。

2020 piuro 017

天辺の三角屋根まで見えると、全体にすっきりと細い感じになります。
ずっと二連窓が続いていますが、上に行くほど、ちょっと広くなっているようにも見えますが、どうでしょうか。アップで確認しても、同じサイズに見えます。
それにしても、石の質感と言い、素朴な装飾と言い、久しぶりに、美しいロンバルディアの鐘楼にあったな、と思いました。

2020 piuro 018

二連窓の中央に置かれた小円柱の、かわいらしい渦巻き柱頭。何とも愛らしいシンプルさです。シンプルながら、それぞれ微妙に違うんです。

2020 piuro 019

ちなみにこの鐘楼、ファサードに組み込まれて立ち上がっているスタイルです。

2020 piuro 020

逆光で見にくいですが…。本堂がほぼ新しくなってしまっているのが残念です。
このスタイル、この後訪ねる著名教会と同じなので、そちらで記すこととしますが、アルプスの向こう側でよく見られるClocher-porcheとなります。

思わず長くなってしまいましたが、実はここを訪ねた目的は、これじゃなかったんです。鐘楼は、おまけみたいなものだったんですが、思いっきり食いついてしまう美しさでしたから、期待が高まります。

しかし、あいているんだろうか、という杞憂がありましたが、幸い、お掃除の人がいらしていました。

2020 piuro 021

一見すごく新しいし、目的のアレがどこにあるのかもわからず、え?ここじゃなかった?と焦りました。ぐるぐる見回して、右上のアーチの上に気付きました。

2020 piuro 022

こんなところに~!これは、あれか、もともとの構造がないがしろにされて、新しい構造になっちゃったけど、フレスコ画は消されずに無視されちゃったというやつか。アオスタの教会がそんなのでしたよね、確か。
この部分は、オリジナルでは南壁に当たる場所。福音書家ヨハネのエピソードが描かれているようです。
後陣に近い方のアーチ部分。

2020 piuro 023

西側のアーチ部分。

2020 piuro 024

1700年代に作られたヴォルトで、多くの部分が隠されてしまっていますが、11世紀と考えられているフレスコ画。
最初のやつは、エルサレム入場らしいです。
二番目のやつの、左端は、文字が見えるので、ラザロの復活ぽい。
その他、姦淫の許しとか、盲人の快癒とかあるのですが、わかりますか。

ファサードの裏側部分にもあったようですが、これはもうほとんどわかりません。
人々が横並びで正面に向かって立っている様子からは、ビザンチンのイメージ(ラベンナのモザイクのイメージ)も感じられますが、どうでしょうか。

2020 piuro 025

これが、後陣側から、南壁、ファサード側の眺めです。

2020 piuro 026

今、向こう側に新しいスペースを作ってしまったために、壁が壊されて、アーチになっちゃったわけですが、オリジナルの教会は、ここに壁がある一身廊の小さな建物だったのです。そして、この壁全体に、このようなフレスコ画があったと。素晴らしいですよね。手前の方にも、わずか残されたものがありますから、壁も後陣も、フレスコで覆っていたのでしょう。
研究によれば、チヴァーテのフレスコ画と同じマエストロがかかわっているということ。確かに同時代、距離も近いですから、さもありなん。

北壁は、教会が捧げられたサン・マルティーノの生涯ということですが、かなり難しい。

2020 piuro 027

今は、石壁がむき出しとなっていますが、勿論こちらも、上にべったりと漆喰が塗られていたものです。修復で、フレスコ画見つかったので、全部はがしたのでしょうが、それでも、これだけしか救えなかったのですね。残念です。
これだけで、サン・マルティーノのエピソードだとわかったのは、この、むち打ちのシーンがあるかららしいです。

2020 piuro 028

サン・マルティーノは、カロリング時代、ロンバルディアで人気のある聖人だったようです。なぜかというと、どうやらサンタンブロージョと同時代の人で、親交があったとかそういうことらしいですが、どうなんでしょう。

2020 piuro 029

残念なところもあるわけですが、それにしても、よくぞこれだけでも残ったものだし、見つけてくれたもんです。1970年代の修復で見つかっていますから、かなり最近なんですよね。そこで発見されて修復されて、この姿ですから、今見るべき丁度よい時だったのかもしれません。

たまたま開いておりましたが、いつも開いているとは思えません。でも、お掃除されていたのは、ご近所の方っぽかったので、鍵は村にありそうです。声をおかけしたのですが、非常に迷惑そうで、ほぼ無視されました、涙。何かお話を聞ければ、と思ったのですが、インフォメーションなら、そこに冊子があるから、とすげなく…。
確か、絵葉書はありましたけど、リゾート系の冊子しかありませんでした…。

ここね、そういう土地なんですよね。近所に、立派なあれが。

2020 piuro 030

アクアフラッジャの滝Cascate dell'Acquafraggioという有名な滝があって、これは結構観光地になっているようでした。特に興味がないので、車窓から撮影したのみです。

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  1. 2020/03/29(日) 20:48:30|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

衝撃的に印象的なMezzorilievo(キアヴェンナ)

(2019年10月訪問)

そういうつもりではなかったんですが、今や世界でもトップクラスのホットな土地、ロンバルディア特集になっていて、なんだか複雑…。
ご心配くださっている皆様方には、どうぞご安心くださるようにお願いします。元気に生きております。1週間に1回、スーパーへの買い出ししか外出できない生活も3週目ですが、人間、慣れるものです。

ロンバルディアは、誰でも知ってるロンバルディア帯だったり、コモの石工だったり、ロマネスク芸術には多くの貢献をしている土地ですから、ロマネスクの遺構はたくさんあるんです。どれもが比較的地味なんですけれど。
中でも、コモ湖周辺は、宝石箱をひっくり返した状態で、小さな教会が散らばっています。どこも行きにくいので、住んでるからこそ、気軽に訪ねられるわけでもあるのですが、実は、ミラノからも、結構行きにくい。というか、遠いんです。
コモ湖畔最大の町は、ミラノ寄りのコモだと思いますが、そこまでは、車で40分程度だし、高速並みの国道ですから、快適ドライブなんです。しかし、コモ湖の北部は、湖畔の道を延々必要があり、前回記事にしたサン・フェデリーノあたりだと、2時間ほどもかかってしまい、同じ時間を南に進めば、ボローニャまで行けてしまうというような、そういった場所なんです。というわけで、このところご紹介している数々は、これまでなかなか行けていなかった場所なんです。

2020 chiavenna 001

訪ねたのは、キアヴェンナChiavennaという町です。アルプスが迫る山のリゾートといった風情の町となります。ここは、鉄道駅もあり、それも町中なので、電車アクセスも可能です。車であれば、鉄道駅の駐車場が便利です。

2020 chiavenna 002

山あいに広がる、中世の町という風情。中世の地味な塔が、ありました。
さて、でも目的はこれじゃなくて、こっち。

2020 chiavenna 003

サン・ロレンツォ教会Chiesa di San Lorenzoです。
どう見ても、中世じゃないじゃん、なんですけど、実はここにお宝があるんですよ。もうずっと行きたいと思いながら、道のりの遠さにひるんでいた場所。こんな変に半端に新しい入れ物になっているとは知らず、場所を特定するのに、ちょっと手こずりました。

イタリアだと、どうしても資料に目を通してしまうし、素通りできないので、他の国のケースと違って、饒舌になりがちですみません。今回も、だらだら書いてしまいます。

このキアヴェンナ谷Valchiavennaは、イタリアから北部へとつながる交通上の要衝だったことから、かなり古い時代から、人々の定住があったものとされています。しかしながら、キリスト教が定着した時代や状況については、詳細は不明なんだそうです。ロマネスク期に、定住者が増えたから教会も爆発的に増えたのか、その前から、同じように多くの定住者がいたのかどうか、ということなんでしょうけれど、考えるに、ロマネスク様式が広がったのは、人の行き来が盛んになったからなわけで、10世紀ころから、往来が増えるとともに、定住者が増え、町村としての体裁が整ってきたということなんでしょうね。
コモ湖の西側は、Viale Regina女王街道という古い道があり、それ沿いの村々に、ロマネスク教会があります。一方東側は、土地の関係でしょうか。西側に比べると町村が少ないのですが、立派な修道院(ピオナ修道院)が、今も残っていますね。

で、キアヴェンナに話を戻すと、このサン・ロレンツォ教会も、11世紀前半には、すでに教会があったという記録があるようです。また、12世紀初頭に洗礼堂が付け足されたという記録もあります。
しかしながら、16世紀前半に、火事で焼失、その後、後期ルネサンス様式で再建されたために、私などが行っても、感動がない外観になってしまったというわけです。

では何を見に行ったかというと、こちらになります。

2020 chiavenna 004

洗礼盤Fonte Battesimaleなんです(3月/5月および10月/12月:土日祝9-12/14-17、6月/9月:毎日9-12/14-18)。
立派でしょう。すごく大きくて、びっくりしました。

この地域で産出するOllareという石の塊から、掘り出されたもののようです。
オラーレという石は、初めて聞いたと思うのですが、まさにこの地域特産の石で、加工が容易なのに、火に強い性質を持ち、主に、オープンやストーブ、また鍋や鉄板などの調理器具にも使われるものなのだそうです。ということは、今も石切り場があるということなんでしょうね。

1699年、もともとこの洗礼盤が置かれていた八角形の洗礼堂が、新しい構造物をつくるために壊された際、洗礼盤は、新しい建物に置かれることとなりました。しかし、なんということか、移動する際に、今は、階段状になっている台で支えられていますが、本来、支えとなっていた福音書家のフィギュアが壊れて失われたしまったということです。今残っているものだけで、もうびっくりするくらい素晴らしいのですが、これが、猫脚状態で、福音書家のフィギュアに支えられていたとしたら、かわいらしくて、叫んじゃいそうですよ。残念。

円周6メートルもあり、なぜそんなに大きいかというと、イースターおよびペンテコステの際に、キアヴェンナだけでなく、この地域一帯の新生児の洗礼を実施するためだったんだそうです。17世紀になって、地域のあちこちの教会で洗礼が可能になると、この洗礼盤の役割が終わり、ここでも、より小さな洗礼盤が用いられるようになったということです。

せっかくなので、浮彫の全体を、じっくりと。
テーマは、古代の洗礼儀式を描いたものということです。洗礼の本来の主役である水、聖水を祝う儀式ということで、キリスト教と古代宗教の混ざったイメージのテーマになっているんでしょうか。お水を祝うって、ふと、お水取りとか浮かんだんですけれど、水は、どの宗教でも重要なんですね、きっと。人にとって重要なもの、という背景がやはりあるんでしょうか。人が、水から生まれてくるからでしょうか。

彫り物では、浅浮彫Bassorilievoというスタイルが多いですが、これは中浮彫Mezzorilievoというスタイル。ほとんど、飛び出す絵本状態で、彫刻との差は紙一重ですね。Mezzorilievoと明確にされているケースは、非常に少ないため、これまで、浅くないよな、と思いながら、浮彫は全部Bassorilievoと認識していました。いい加減にみているので、いつでも新鮮な学びがあります、笑。

2020 chiavenna 005

主人が、洗礼を受ける子供を抱き、イースターのろうそくを持つ待祭。祭司ら、助祭が支える典礼書を読みながら、洗礼の祝福の祈りを行っている。

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他の助祭が、三角帽をかぶり、司祭の十字架を持っている。

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それに続いて、火のついたろうそくを載せた燭台を持つ副助祭。この副助祭、ライトセーバー持ってる風で、イケメンですね。

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三人の使徒が釣香炉と聖なる油の入った小瓶をもって続く。

2020 chiavenna 009

儀式には、三人の儀式には直接関係ない人々が彫られています。

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城で働く鍛冶屋、塔の上で見張りをする兵士、鷹を持った優美な騎士。
これらは、当時の生まれつつある社会における階層、つまり、職人、普通の人々、貴族を表したものとも、イースターの祝祭に参加する皇帝の代理人(騎士)、キアヴェンナのシンボル的な代理人、そして自由都市の自尊心を表すフィギュア(鍛冶屋と兵士)という解釈も。

2020 chiavenna 011

浴槽の淵には、1600年代に彫りこまれた分があり、そこには、キアヴェンナおよびこの一帯の人々の望みで、1159年3月に、この洗礼盤ができた旨、記されています。

作品は、場所から言っても、当然コモの石工のものですが、かすかにモデナで活躍したマエストロWiligelmoの影響がみられるということです。それは、背景がすっきりすべすべで、余計な彫りこみがないことや、人物がシンプルな線を基本にして彫られていることなどだそうです。モデナの大聖堂にある素晴らしい彫り物絵巻を、改めて写真で確認してみないといけませんね。
しかしなぜ、Wiligelmoの影響があるのでしょうか。当時、コモの石工の技術は引っ張りだこでしたから、当然有名マエストロの工房には、コモ石工さんがいないわけがないですね。それで、マエストロと仕事をした経験のある石工さんが、どうやらこの彫りにも関わっていたのでは、という推測ができるのです。
コモの石工さんは、ヨーロッパ中を歩いて、その技術を伝承するとともに、各地で異なる技術を得て、融合して、どこかで実現して、ということをやっていたのかもしれませんね。それって、すごくロマンですねぇ。

2020 chiavenna 012

今は、こんな風ですが、オリジナルは、浴槽だったのでは。
一部失われたのは残念ですが、実に素晴らしい洗礼盤です。よくぞ、これだけでも保存してくださった、と感謝の念でいっぱい。

2020 chiavenna 013

ちなみに、ここは、門番さんがいますけれど、入場無料。
一方、お隣に宝物館があり、そちらは有料となります。ロンゴバルド細工的な、キラキラの聖遺物入れとかあるようなんですが、このときは、入りませんでした。
一人じゃないと、若干見学にも制約があるんですよね。でも、また行けばいいと思っています。良い季節に行けば、気持ちの良い場所だし、一度訪問済みだと、様子がわかるので、気楽に行きやすくなります。
とにかく早く、遠出がしたいです!

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  1. 2020/03/28(土) 03:17:38|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

待って待って、出会えた喜び(サン・フェデリーノ2)

(2018年9月訪問)

さて、前回は、Samolacoの村から歩き出してすぐ、廃墟に出会いましたが、そこまでは、平坦で気持ちの良い林道でした。しかし、そこからは、徐々に踏み分け道状態となります。

2020 sanfedelino 014

岩肌に、植物が茂っていて、山奥みたいな状況になります。
ワイルドな…。

2020 sanfedelino 015

落雷でもあったのか、ぼっきり、見事に道をふさいでいます。割れた部分が、みずみずしい肌色だったので、かなり最近のことらしい。
時々、Mezzolaの湖が見えます。鉱物などが溶けているような色をしている湖です。ほとりに、砂利の工場なのか、そういったものがあったので、石があるのではないかと思いました。

2020 sanfedelino 016

左手に湖、右手に岩肌を見ながら、かなり道なき道状態となっている藪を行きます。

2020 sanfedelino 017

最後の方で、岩がゴロゴロしている登りを、もう這いつくばるようにして進みます。この辺りは、写真を撮る余裕もなしです、笑。Civateは、登りはそこそこきついとはいえ、整備された山道なので、ここを行けばいいんだな、という安心感がありますが、ここは、勿論行きつく場所は一つ、というロケーションではあるとはいえ、若干不安になるような道。これは、一人では絶対に来られないです。
炭焼き窯のあったところから、かなりのアップダウンを経て、約50分。岩場から転げだすような感じでたどり着いた、湖のほとり。
到着です!

向かえてくれる教会の、愛想のないお姿、笑。

2020 sanfedelino 018

サン・フェデリーノ小寺院Tempietto di San Fedelino。
オープンは、4月から10月末の週末、14時から17時。それ以外の時期の見学についての連絡先は、以下となります。

Agriturismo Val Codera
Localita' Giavere, Novate Mezzola
tel 333 780 7686 & 346 224 6391
www.agriturismovalcodera.it

後で触れますが、実は、歩き以外に、この民宿から船で来ることができるのでしたよ。ご興味があるけれど、とても岩山歩きは無理、という場合は、この民宿にコンタクトすれば、すっごく簡単快適に来られます。

そして、そうやってアクセスした方が、インパクトのあるかわいらしいお姿と出会えることができます。

2020 sanfedelino 019

ねね、素敵なロンバルディア様式の、ミニミニ後陣。よいお姿ですよねぇ。

さて、この教会、サン・フェデーレさんに捧げられたものですが、フェデーレさんという聖人、どういう方だったのか。
ローマ軍の兵士だったのですが、キリスト教者となりまして、同様の仲間とともに、284年(私が有する本では、298年となっていました)、迫害を逃れるために、駐留していたミラノから逃げ出したんだそうです。最後は一人となって、この辺りに逃れ込むのですが、結局追いつかれてしまい、改宗を迫られるのに、頑として拒否したことから、首切りされて、埋まられたのが、この場所だったということになっています。
その後、この地域の住民が、殉教者の亡骸を祭るために、小さな礼拝所を建てたのが、教会の起源ということです。
蛮族が押し寄せてきたころ、建物は損壊してしまいます。そんなある日、フェデーレを信仰していた近郊在の女性の夢に現れ、自分が実際に埋葬された場所を告げます。女性は、すぐにコモの司教Uboldoに知らせると、司教はすぐに駆け付け、遺骸を、コモのサンテウフェミアへと運んでいきました。それが10世紀のお話ということです。

2020 sanfedelino 020

そういう経緯のある建物ですので、今ある建物の下には、古い建造物があるそうですが、それが、実際には何に使われていたものかはわかっていないようです。
それにしても、どうして、こんな人里はなれた場所に、という疑問もわきますよね。隠遁所とかそういう性質のものだったのか?

実はここ、岩が採掘されている土地のようなのです。なので、おそらく古い時代から、石を掘り出す人々はいたようなのですね。そういう人たちの祈りの場だったり、集会所だったりするような礼拝所が、あったのではないか、ということらしいです。

今ある、このかわいらしい姿は、10世紀の後半のものとされています。

しかし、到着したのは13時半ごろ。持参のおにぎりをいただいて、カギを待ちましたが、来ません。わたしは、そういうことは日常茶飯事、慣れているのですが、同行者は、ロマネスク病でもないですし、「14時と書くなら14時に来るべきだろう!」とイライラしています。
14時半になっても現れないので、上にも書いた電話に問い合わせると、もうしばらくしたら行きます、ということでした。
仕方なしに、近辺をウロウロします。
北方角と反対側に行くと、すごい岩場が。

2020 sanfedelino 021

斜面に、延々とゴロゴロした大岩が並んでいます。これはすごい昔からこういう状態らしく、このゴロゴロの中に、歩く道があるんですよ。こちらから、岩山に登って、元に戻る道、別方向に行く道にアクセスできるということですが、登山靴でもはいてないと、ちょっと無理。

さらに林を進むと、湖に出ました。

2020 sanfedelino 022

岩ゴロゴロの道を登ると、この正面の岩山の天辺に向かう道に出て、コモ湖の方に降って行く道があるのだそうです。
青緑で、美しい湖の色でした。

まだ来ない…。
おにぎりをいただいたベンチに戻って、ぼーっとしていると、川遊びをしている若者たちが、寄ってきました。

2020 sanfedelino 023

筋肉美の美しい若者でしたが、すっごく感じがよくて、しばらくおしゃべりしました。おばさんになると、なんか変な色気もなくて、色々気楽になることがありますねぇ、笑。きれいだったんで、目がハートになっていたかもしれませんけれど。
昔、ヌードデッサンをやっていたんですけど、その時、男性のヌードも美しいものだなぁ、と気付いて以来、美しい筋肉には、純粋にぼーっとしちゃうんですよ、へへ。

そうこうするうち、もう15時過ぎですかね。鍵の御一行様がやってきました。
そう、このときわかったんですよ。船で来られることが。4、5人のリゾートスタイルのお客さんを連れて、調子のいいおやじでした。
待ちに待った入場です。

2020 sanfedelino 024

淡いパステル調で、大変美しく清潔感にあふれるフレスコ画。
かつてはほぼ全面にあったと考えられていますが、今は後陣部分とそれ以外に、ちょっぴり残っているだけ。

2020 sanfedelino 025

テーマは、祝福するキリスト。キリストの両脇に、天使の姿。彼らの手が、赤い布で隠されているのは、神に対する絶対的な信仰を意味するものです。
下の方には、十二使徒。キリストに比して、非常に小さく描かれています。中央には、聖母がいたのではないかと考えられていますが、窓になっています。ということは、この窓は、後付けのものということですね。

長年にわたる湿気と、人による損害などで、失われてしまった部分が、どういうものだったのか、残念なことです。

2020 sanfedelino 026

修復は、相当頑張ったと見えますが、傷みがひどくて、これ以上は無理だったんでしょう。
時代が下る絵も、あるような気がしました。

2020 sanfedelino 027

持っている書籍に、興味深いことが書いてありました。実は、性格にはどの絵のことなのかわからないんですが、アイルランド起源の装飾ではないかと考えられているものがあると。

2020 sanfedelino 028

アイルランドには、ケルズの書とか、中世の美しい書籍がありますよね。そういう書籍装飾に使用された装飾的な表現様式が伝わってきたもの、とあるんです。
この場所、今では忘れられたような土地ですが、湖のほとりだし、北部との交通の要衝と言えないこともない場所ですから、いろいろな伝播を受け止めている可能性はある土地なんですね。

それにしても、この小さい空間が、全面フレスコ画だったとしたら、あたかも天国に迷い込んだような、トリップし放題、みたいな場所だったかもね。

うまくアップできるのか不明ですが、Youtubeに動画を張ってみました。

San Fedelino

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  1. 2020/03/23(月) 00:36:39|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

泥に埋もれた廃墟(サン・フェデリーノ1)

(2018年9月訪問)

前回のCivateの最終回の記事に、ちょっとだけ加筆しました。クリプタのフレスコ画にご興味がある方は、どうぞ、のぞいてみてくださいね。

さて、まだまだ過去の、まとめたいものがたくさんあるのですが、せっかくロンバルディアに戻ってきたので、たまっている地元ロマネスクを、この際やってしまおう、と思っています。地元は、Civateのように有名な場所もありますが、ほとんどはかなりマイナーで、行きにくい場所も多いので、逆にご興味を持つ方がいらっしゃるかもしれません。

今回は、ずいぶん昔から気になっていたものの、行き方すらわからず途方に暮れていた教会です。昨年、Civateにご一緒した友人が、実は、そのあたりに詳しく、行ったことがある、というので、私がCivateにお連れする代わりに、こちらは、彼女が連れて行ってくれるということになりました。

どこかというと、こんな場所です。

2020 sanfedelino 001

これは、ミラノの北の、いわゆる湖水地方。下の方の大きいのがコモ湖です。で、目的は、印が付いた場所ですけれど、実は、道がないんです。このグーグル・マップだと、割と近くに黄色い道があるし、拡大すれば、道があるだろう、くらいに見えるんですが、20万分の一の紙の道路地図だと、完全に道がない場所です。なので、いったいどうやってアクセスするのか、わからなかったんです。

ミラノからだと、コモ湖を、右側から北上して、まずは、Novate Mezzolaという町を目指します。アルプスの足元、と言ったロケーションなので、山が一気に迫ってきます。

2020 sanfedelino 002

その村は、教会から最も近い村となるのですが、実は、教会は村からは川向うに当たるため、村を通り過ぎて、結構先まで進む必要があります。是非グーグルで確認してみてくださいね。村から4,5キロ先に、やっと橋がありますので、そこを渡って、Samolacoという村に駐車して、そこからは歩きとなります。
そう、Civate同様、ここも、通常は歩きでのアクセスとなります。

2020 sanfedelino 003

歩く道がたくさんある、山のリゾートですね。長閑な田舎ですよ。

2020 sanfedelino 004

ここは、村はずれなので、まだ人家があります。田舎っぽいよねぇ、のどかでいいよねぇ、などおしゃべりしながら歩いていたら、この、ピンクのお家に、バンがやってきて、庭に出ていた奥さんと会話しながら、ごそごそしていました。ちょっと笑っちゃったんですが、これ。

2020 sanfedelino 005

庭先に置かれた、この鳥小屋状のもの、なんだと思います?
なんと、パン配達用のボックスでした!バンで来たのはパン屋さんで、ここに大きなパンを二つ入れて、去っていきました。
こんなのは初めて見たので、すごくびっくりしました。パン・ボックス。

この先は、すぐに林となります。

2020 sanfedelino 006

村はすぐそこですが、ここまで来ると、かなり山で、一人だとちょっと怖くて、来られそうもないですね~。
さて、歩き出してすぐ、この茂った林の中に、教会らしき建物の廃墟がありました。

2020 sanfedelino 007

サン・ジョバンニ・アッラルケット教会Chiesa di San Giovanni all'Archettoの廃墟です。目的の教会ではありませんが、興味深い廃墟でしたよ。
後陣側、こんな風になっています。

2020 sanfedelino 008

え?びっくりしますよね。
この教会、建てられた当時は、湖のほとりというロケーションだったそうです。上の地図で見ていただけると、今は川になっている部分が、当時は、相当北の方まで湖だったようですね。創建は、見た通りにロマネスク時代で、16世紀ごろに、内部にフレスコ画が施されたということなので、長い間、教会として機能していたようです。しかしながら、その後度重なる洪水で損害を受け、また、洪水によって、おそらく土地が泥沼化してしまったなどがあるようで、結局ずぶずぶの沼に半分埋まった状態になった、とそういうことらしいです。
20世紀になって、残った部分を修復して、後陣の屋根など、きれいにしたようですが、すごいですよね。教会として使用する可能性もないものですから、放置する方が普通だと思うんですが…。頑張った地元の人たちがいたんだろうなぁ、と思います。

後陣、内側がどうなっているかというと、こんなです。

2020 sanfedelino 009

半分どころか、3分の2くらいは埋まっていますね。
こちらは勝利のアーチだったりするのかしら。すごく立派。

2020 sanfedelino 010

廃墟好きには、結構たまらない遺構になっているかもしれません。
なんだか楽しくなってきました。
この辺りは、まだ平らな道で、秋晴れの9月ですから、暑かったですけれど、茂った木々のおかげで太陽も遮られて、結構買い的な散歩です。

ちょっと進むと、今度はまた、いかにも人工的な石積みが。

2020 sanfedelino 011

ブラタモリで、タモリが、クエスチョンマークを出すようなやつ、笑。
なんだと思ったら、炭焼き用の窯でした。16世紀のもので、この辺りに炭によい木が沢山あったようです。

2020 sanfedelino 012

こんな人が誰も来ないようなところなのに、きちんと説明が置いてあるんですよ。さすが金持ち地域、と感心です。地域の歴史を学ぶ、子供の遠足とかがあるのかもしれません。なかなか立派なものです。

2020 sanfedelino 013

これを超えたあたりから、まさかの山道となります。
続きます。

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  1. 2020/03/21(土) 03:13:50|
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ロンゴバルドもビザンチンも(チヴァーテ4)

再び、チヴァーテCivateのサン・ピエトロ・アル・モンテ教会Basilica di San Pietro al Monte、続きです。

過去にホームページに掲載したとき、結構調べて、たくさん書いた気がしていましたが、今見返すと、たいしたことなかったですね。ここは、一つ一つアイテムごとに見ていくと、本当に突っこみ所がたくさんあるし、調べれば調べるほど、いろいろな資料も出てきてしまうし、きりがないようです。が、改めて面白いな、と思っています。
今回も、とても読み切れないし、芸術作品のみを、それも自分が気になった一部のみを書くわけですが、こうなると、定期的に訪問して、その度に何かを発見して、資料を当たる、というような形で、少しずつ、理解を深めていくしかなかろう、という気持ちです。

2020 civate 034

今の後陣側は、構造はがらんとしていて、その真ん中に、チボリオがあります。チボリオは、通常、後陣にある装飾類を隠してしまうことが多いし、その構造そのものが、あまり好きではないのですが、ここでは、これ以外の装飾がない場所ですので、問題なし。
2007年に訪問したときは、チボリオを含む全体を修復中だったと思います。それに、前述のように、あまり好きなアイテムではないので、ほとんど細部までは見ていなかったように思います。

(自分のHPからの引用)「身廊の中央部、一段高くなった祭壇部分に、Ciborio(聖体用祭壇)があります。美術史上、このバジリカでもっとも重要性が高いと思われます(個人的には、フレスコ画や漆喰模様の方が好みですが)。装飾的にも 建築学的にもミラノのサンタンブロージョにあるものと非常に似ているのだそうです。屋根の破風部分に、キリスト教教義の要点が表されていて、キリストの死、復活などの場面が、漆喰装飾で 表されています。左は、入り口に向いた正面部分。教会に入ってくる人に向けた第一のメッセージで、ビザンチン起源の図像、勝利するキリストのイメージに従った十字架のフィギュアということです。キリストは穏やかな顔をしており、脇で苦悩する聖母、使徒ヨハネがいます(この辺の感覚は、勉強不足でよくわからないのです)。北側(正面から右)は、復活(マグラダのマリアが、空っぽの墓の前にいる場面)、西側は、キリストがサン・ピエトロに本を、サン・パオロに鍵を与えている場面、南は、二人の天使に支えられたアーモンドで囲まれた玉座に座るキリストで、これは昇天を表しているもの。四隅の 円柱の柱頭上には、鷲、ライオン、牛、人と、四人の福音書家のシンボルの像がつけられています。内部は、クーポラの四隅に、黙示録の四大天使、そして18人の聖人に囲まれた子羊(キリスト)が中央に おかれています。」

ふふ、当時からチボリオ嫌い、笑。この後も、あちこちで目にしているアイテムですが、好きになれないままです。
今回資料を見ると、どうやら、上物や柱頭は、再建臭いです。ちゃんとした再建だと思いますが、なんかゴシック臭もあり、あまり好きになれなかった理由が腑に落ちます。

このチボリオが注目されるのは、ミラノのサンタンブロージョ教会にあるチボリオとの共通性です。ミラノのは、これ。これも、2018年同時期に訪ねました。久しぶりのサンタンブロージョ。

2020 civate 035

ほぼ同時代の作品らしいのですが、教会の規模が違いますから、まず、大きさはかなり違います。そして、経済力と土地の性質から、マテリアルも相当違うようです。当然のことながら、サンタンブロージョは、より高価な材質を多用していると。一方、チヴァーテでは、地域で手に入るものしか使えないわけです。
また、当然石工さんの技術力も違いますね。ミラノでは、工賃を気にせず発注したくらいのものがあると思いますが、チヴァーテの山の上で、おこもりしてくれる石工さんは、限られたでしょうからねぇ。

では、この相似はなぜか、と言うと、同時代、まずこちらサンタンブロージョのチボリオがあったのを、どうやら真似したんでは、ということらしいです。結構単純で下世話、笑。サンタンブロージョからは声がかからない石工さんが、俺だって、と思ったのかどうか…。でも、コピーって、ちょっと寂しい気もします。

先述したように、以前訪ねた時は、修復中だったこともあり、よく見られなかったのが、上物の内側です。

2020 civate 036

これは、きれいでした。ライトアップされているので、よく見えますし、全体にパステルカラーで、すがすがしく美しい。描かれているのは、HPからの引用通り。
四隅にいるのは大天使だったのですね。とてもかわいいんですよ。

2020 civate 037

喜びいっぱいで踊ってる感じ、どうです?
どの大天使もこういうポーズで飛び跳ね感満載です。

この部分の装飾は、ミラノのチボリオにはないものです。が、もしかすると、オリジナルはあったのかもしれませんね。または、材質も技術もいまひとつな中、何かできないか、と考えた結果の装飾かもしれません。

さて、もう一カ所、訪ねるべきはクリプタとなります。

2020 civate 038

ロンゴバルドとか、ビザンチンとか、この土地を通過した文化が、少しずつ残っている、今残っている建物の中で、最も古い時代の構造となります。
不ぞろいの柱は、もともとは、漆喰による装飾で覆われていたもの。長年にわたる湿気などで傷み、すべてはがれてしまったのです。

このクリプタは、冬季や、夜間の祈りなど、気温の低い時期に使われていたもの。そういう時に、多くの人々が入ることで、熱や湿気、はたまた二酸化炭素の影響などもあったんでしょうかね。そう考えると、よくも、これだけ残っていたものだと感心もします。
柱頭もまた、ストゥッコ装飾ですが、こちらは、結構ちゃんと残されています。

惜しいのは、それよりも、壁面を覆っていたであろう、多くのストゥッコ・レリーフが失われてしまったことです。残されている一部を見ても、素晴らしいもので、きっと、他の壁面にも、新約聖書のエピソードがあらわされていたものと考えられます。
祭壇の左に、「幼子の神殿奉献と、シメオンの賛歌」があります。

2020 civate 039

これだけじゃ、私など、解説なしにはさっぱり。本来は、右側に、ジェズを抱えたマリアがいるはずなんでしょう。左側にいるのは、シメオンとアンナ。シメオンが、広げた布の上に、幼子を抱き取ろうとしているところです。
その前に置かれた円柱的な祭壇みたいなものは、ユダヤ教の祭壇にも見え、また、古代ローマの祭壇にも見えるようにあらわされているそうです。彼らの背後にある建物は、エルサレムの神殿で、当時こういうものであろう、と考えられていた様式であらわされているそうです。
こういうのって、中世期の表現には結構あって、面白いと思う点の一つ。風聞だったり、時代が違う人を表しても、自分の時代の衣装を着けちゃったり。

祭壇のところは、エピソードが二段構えになっています。

2020 civate 040

ちなみに、この両脇にあるつけ柱の装飾ですが、おそらくこういう漆喰装飾が、すべての柱を覆っていたものと思われます。豪華なクリプタだったのですね。

下段には、キリスト磔刑図。残念ながら、キリストのお姿が傷んでいます。これは、かつて、ろうそくの火からボヤが起こって、この部分だけが、傷んでしまったということなんです。もしかすると、当時、キリストが身を挺して、自分の身体だけで被害を抑えた、とか伝説ができたりしたかもしれないですね。

ここでも、昨年、一昨年、どちらの訪問時もガイドをしてもらい、面白い話をたくさん聞いたのですが、メモが見つからないので、涙、きいた話で、印象的だったことを一点だけ記しておきます。
この、磔の十字架部分に注目です。

2020 civate 041

渦巻き状の模様が彫られているのがわかるでしょうか。これは、十字架の木が芽吹いている様子なんです。十字架にされた時点で、木は成長をやめて死んだものとなるはずなんですが、芽吹く様子を描くことで、復活を表しているという話。
プーリアの洞窟教会でのビザンチン絵画を見学したときも、同様の表現があり、感心したのですが、これは、ビザンチンの図像学となるのでしょうか。またはカトリックも同様なんでしょうかね(でも、今回紐解いた書籍には、「宝石のちりばめられた十字架」、とありますので、真偽は不明)。

キリストの磔刑像の両脇にいるのは、洗礼者ヨハネとマリア。あれ?デエシス?とか思ったり、そうすると、やはりビザンチンか?
いやいや、これ、普通の図像みたいですね。

全体像に戻ると、ヨハネとマリアそれぞれの近くに小さく描かれたのは、兵士。オリジナルでは、それぞれが槍と棒を手に持ち、その先にお酢をしませたスポンジをさしていた、とあるのですが、お酢?死に際のキリストに、のませようとする人がいたということらしいですが、お酢というより、ダメになったブドウ種なのかな。
なんでそんなことがわかるかというと、右側の兵士の腰に、そういう容器がぶら下げられているからだそうです。エピソードの細部まで知らないと、そんなのわかりませんよね。

でも、しょっちゅう教会に行って、いろんな図像を見ているんですけど、聖書そのものを読み込んでいないし、なかなかエピソードが頭に入らない。毎度、情けなくなるのですが、この槍を持った兵士が、有名なロンギヌスなのですね。ロンギヌスの槍って、そういえばアルメニアにあるみたいです(アルメニア、この夏に行こうと思って、いろいろ調べていたのですが、コロナで無理になりましたので、とても残念です)。

さて、上部は、聖母被昇天図となります。

2020 civate 042

右側でぎゅうぎゅうしているのが、天の国の人たちで、マリアの昇天を今か今かと嬉しく待っています。先頭で、十字架付きの立派な光背を背負って、祝福しているのは、キリストその人。
左側で片手を頬に充てる嘆きのポーズをとっているのは、地上の人々です。
天使が、マリアの魂を持ち上げている上部に描かれた町は、勿論天の国。

皆、極限的な歯痛を我慢しているような憂鬱さ前回の地上の人たち。

2020 civate 043

それに対して、美しいお顔を引き締めて、早く俺たちのもとに!と言わんばかりの自信満々、強権発動的な天の人々。キリストそのものの、きかんきな有無を言わせぬ様子、ただ事じゃないです。

2020 civate 044

ジェズのエピソードから磔刑までですから、主だった新約聖書のエピソードが、ちりばめられていたはずですよね。残念です。

もう一つ触れておきたい装飾は、フレスコ画。
クリプタのトップの写真、全体増で、右側の壁面(南壁)に見えるものです。

2020 civate 045

クリプタは、先述したように、もともと冬場とか夜間とか、暗い時に使用されることが多く、暗闇では、凹凸があるレリーフ装飾の方が、目に見えやすく、意義があったであろうし、また、少ない光で増幅されて、効果的であったろうという説、理解できます。でも、このクリプタが作られた当時は、結構光が入ったはずで、特に、このフレスコ画が並んでいる側には、自然光が入り、フレスコ画装飾の意味もあったはず、ということらしいです。
で、その光を寿ぐように、数人のフィギュアが描かれています。
いずれも、油を入れた容器がぶら下がったたいまつを持っている図。
そのうち、最もよく全身像が残っているのが、サンタニェーゼSant'Agnese、聖アグネス、上の写真です。

(2020.03.20.加筆)
いつも訪問いただく方から、このフレスコ画のモチーフについての疑問を伺っていたのですが、お答えになる文ではなかったので、加筆します。
この、Civateをケアしている団体の見解としては、建設当時の構造では、このフレスコ画の描かれた面には、外光がよく差し込んでいたことから、光を祝う儀式がモチーフになっているということなのです。たいまつを掲げた複数の人の並ぶ姿が、それであると。
一部で、「賢い乙女」がモチーフではないか、という説も、確かにあるようです。油つぼとたいまつですから、確かにそれも納得はできるものです。
ただし、描かれている人物には、男性も混じっており、全員が同じようにたいまつを掲げているようなので、単純に賢い乙女というのも、違うようにも思われます。
アニェーゼについては、何とも言えませんが、後付けの可能性もありますが、ルチアの名前も見られるようですから、人気聖人コスプレ、笑、みたいな発想だったかも知れませんよ。
(加筆終わり)

アニェーゼは、確か10歳くらいで殉教した少女だったと思います。ローマに、彼女にささげられた立派な教会があり、その後陣モザイクに、美しいお姿を見ることができます(ローマの中世書庫で、見ていただくことができます)。
ここで、念のため聖人辞典を調べてみたところ、なんとアニェーゼは、二人いることがわかりました。一人は、私も知っていたローマの少女。もう一人はギリシャ出身の大人の女性で、神殿で衣服を脱ぎ棄て裸身になったところで、生贄になるのを拒んだところ、神の望みで髪の毛が伸びて裸身を隠し、白い衣服をまとっていたと。
なんだか、かなり異なる二人ですが、どうも、この二人が一緒くたになったのが、アニェーゼという神格のようです。
ローマのアニェーゼはローマに実際に住んでいた少女のようなので、教会モザイクも彼女のものと思いますが、アニェーゼという名前はギリシャ起源で、純粋とか純潔を表す者等いことなので、ここでも何らかの混乱というか、入り組んだ様子です。
ビザンチン世界では、大人のアニェーゼ信仰がありそうですね。

あんまりかわいいんで、ちょっと貼っときますね。

2020 civate 046

ま、最後はアグネスちゃん、となってしまいましたが、チヴァーテ、面白さがわかっていただけたでしょうか。登山はちょっときついですが、登る価値は大。もう体力的に登れない方には、一年に一度、ヘリでのアクセスも可能ですので、是非。

2020 civate 047

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  1. 2020/03/16(月) 02:32:35|
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珍しく超真面目な話です(チヴァーテ3)

このとんでもない世の中で、皆様におかれては、お元気でお過ごしでしょうか。また、別途記事にしたいと思いますが、ここミラノは、連日、クリスマスの朝のように人の姿が見当たらず、ニュースはコロナ一辺倒。ご近所さんも、いるのかいないのか、全体にしーんとしていて、自分だけが知らないうちに世界が終わっているみたいな、まるでSFのような…。

というわけで、今日は、ちょっと関連書籍を斜め読みなどもしておりましたよ。チヴァーテCivateのサン・ピエトロ・アル・モンテ教会Basilica di San Pietro al Monte、続きです。

前回は、入り口部分で終わってしまいました。今回は、一歩中に入って、扉方向を振り向くところからです。

2020 civate 025

この、あまりにも印象的なフレスコ画。サン・ピエトロで、最も多く取り上げられる内部装飾は、やはりこの絵ではないでしょうか。

(自分のHPからの引用)「黙示録に言及して、悪は常に待ち伏せしているという事実を図像化したものとか。左下に表された女性と、生まれようとしている子供を襲おうとしている巨大な赤いドラゴンが、その悪の象徴。大天使ミカエルに先導された天使の一群が、ドラゴンを傷つけています。教会を去る人々に対して、善は常に悪に勝つという メッセージを伝えるもの。通常中世の教会では、ファサードの裏側部分(西側方向)には、 最後の審判が描かれ、それが、教会を去る人々に対する信仰への警告的説諭となっているのですが、 ここでは、キリストの救いのおかげで、悪はどんなに恐ろしく強力なものであっても、勝利する ことがないという信仰の希望とでもいえる前向きなメッセージとなっています。」

このときは、結構シンプルな解釈だけを載せていましたが、今回は、昨年現地で求めた本を、ざっくりと読んでみました。実際に日々、ガイドをしている方が書かれた本なので、おそらく研究者の本なども多数勉強されて、まとめられた内容のものではないかと考えます。

興味深いと思ったのは、まず、フレスコ画だけを取り上げずに、その絵が置かれている全体を見る必要があるとしていることでした。現地に行くと、どうしてもフレスコ画に注目してしまって、その細部は結構見るし、ガイドの説明も、絵の内容の言及がほとんどだったように思いますが、絵を取り巻く装飾や、明り取りの開口部の配置すべてが、フレスコ画とともに考えられているのが、中世装飾のあり方だとありました。

そういわれれば、絵を縁取る、いかにもロンドバルド的な装飾的な帯装飾、これまで注目したことはなかったです。でも、確かにこれはオリジナルで、常にフレスコ画とセットであったものなんですよね。
ロンゴバルド芸術で有名なCividale di FriuliのTempiettoなどでは、フレスコ画の保存状態が悪いこともあり、どっちかというとフリーズなども含むストゥッコ装飾に目が行きますが、ここはフレスコ画がすごすぎるので、ストゥッコ、ちょっと分が悪いっていうか、笑。

2020 civate 026

確かに、すごくロンゴバルドな帯です!
この、半円のフレスコ部分と、その上部の建築的に四角になっている部分をつなぐのが、神の子羊っていうやつ。二つの異なるスペースを途切れさせず、また、フレスコに描かれた黙示録における勝利を強調しているとか。
背景が、今はうっすらと水色だけど、きっとすごく鮮やかな色だったんだとしたら、なんか、ポイントとして印象的だったろうな、と想像できる子羊。

さて、フレスコ画は、ヨハネの黙示録を描いています。皆さんは、知っていらっしゃるでしょうか。黙示録の中の12章となります。

2020 civate 027

12章 女と竜「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。

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竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、紙の用意された場所があった。

2020 civate 029

さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
”今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発するもの、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証の言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。この故に、もろもろの天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。”
竜は、自分が地上へ投げ落とされたとわかると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んでいくためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証を守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。(新約聖書、新共同訳)」

珍しく真面目に、笑。
でも、ちゃんと読むと、このフレスコ画が、実に忠実に黙示録を描いているか、わかりますよね。なので、真面目に引用してみたんです。

内容は、そういうことですが、技術的な部分に、触れておきたいと思います。
まずはなんといっても、修復ですね。
写真が悪いですが、わたしが最初に訪問した2007年は、こんな状態でした。

2020 civate 030

この10年で、相当修復が進んだ、というお話は、ガイドの方にも伺いましたが、一目瞭然ですね。キリストのお身体部分は、ほとんど描いちゃっています。もちろん、何らかの資料に忠実に、ということではあるのでしょうが、加筆感、半端ないですね。

それから、資料を読んで面白いと思った二点。
キリストの顔がなくなっていますが、これは、フランス革命的なものではないんですよ。実は、この顔部分、ストゥッコの上に、描かれていたのではないか、ということ。つまり、強調したいあまり、漆喰でググっと盛り上げて、要は原始的な3D効果を狙っていたのではないか、ということだと思います。当然、張り付け構造だったわけで、長年の湿気などにより、その部分だけ落ちてしまったのだそうです。
痛恨ですよね。これは、レオナルドが、どうしても試したかった新手法を試したがために、劣化が早かった最後の晩餐的な痛恨さです。フレスコ画に、浮彫効果。新しい考えですよね。でも、他で見ることもないですし、やはり、技術的にどうよ、ということだったのでしょう。

もう一つは、左端にいる女の上に描かれた太陽です。

2020 civate 031

黒い太陽って、ちょっと変。黒いくせに燦然としているしね。
これは、経年劣化で、本来の色があせた結果として、こういう色になってしまった、という説と、この場面の暗黒的な状況を表すアイテムの一つとして、わざとこういう暗色を使ったというシンボリズム的な説があり、本当のところはわからないようです。でも、修復はともかくとしても、他部分の色合いからして、これが、鮮やかな黄色やオレンジだったというのは、ちょっとありえないような様子なので、後者が正しそうには思います。

ま、そんなところですか。
なんだかんだ言っても、個人的な見所は、戦う大天使ミカエル。

2020 civate 032

一人甲冑に身を包み、りりしいお姿です。
それから、ロンゴバルド的なフリーズ装飾に加えて、フレスコ画で、まるでモザイクのように描かれた装飾的な帯模様も、好きです。

2020 civate 033

この帯装飾以外にも、天使のお顔など、眉毛つながっちゃってる濃いめクッキリ顔、ビザンチン的なテイスト、入っていますよね。多分、ビザンチン、入ってるんですよね。クリプタにも、そういうのがあります。
けど、疲れちゃったんで、次の記事にします。慣れないことはするもんじゃないです、笑。

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  1. 2020/03/15(日) 03:09:05|
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懐かしいホームページ、一部復活(チヴァーテ2)

前回ご紹介したサン・ベネデットは、どちらかというと付属的な礼拝堂的な施設だったと思われます。なので、ガイド・ツアーに参加すると、本堂サン・ピエトロの後に、ちょろっと訪問する形になります。
ここまで頑張って登ってきたら、やはり本来の目的は、サン・ピエトロ教会となります。

2020 civate 012

Basilica di San Pietro al Monte(夏季の週末のみ、常時オープン。随時有志によるガイド・ツアーあり。トイレあり。飲食施設等はなし。ふもとの村Civateとの往復の登山口に、バール兼レストランあり。)

もともとは修道院教会ですが、長い年月の間に、祭壇の向きが変えられてしまったり、色々の手が入っているのですが、全体構造の基本はそのままとなっており、長い歴史を考えると、特に中の様々な装飾が、よくもこれだけ見事に遺されたものよ、と感動してしまいます。
外観として、こちら側からの眺めが、往時の姿をより残していると思います。
正面は、後付けの不思議な構造物があり、一見、いつの時代のものかわからない状態になっていたり。

2020 civate 013

本体を取り囲むような、大きな二連窓の構造物は、結構後付けの元思います。
でもその向こう側にある、本堂にアクセスする階段は、古い石材を利用したもの。

2020 civate 014

確か、ぽつぽつ開いている穴についてだったか、当時の時代の石材であるということで、何か説明を受けたのですが、記憶にない~!いつか思い出したら、追記します、笑。

この教会については、10年前(2007年)に訪ねた時、当時運営していたホームページに、結構詳しくまとめましたが、残念ながらホームページはなくなってしまいました。ただ、原稿はしっかりとパソコンに保存していましたので、それを引用しつつ、ご紹介してみたいと思います。
実は、訪問したからには、寄付の気持ちで、有志の方が販売している書籍を購入したりして、資料は山ほど持っているのです。でも、読んでまとめるほどの気力がありませんので…。とはいえ、ガイドツアーの中身も、進歩していると思いましたし、何より私自身が、当時から比べれば、その後10年間ロマネスクを訪ねまくっているわけですから、それなりの知識や見識を蓄えた部分もありまして、見る目が変わっているところもあったかもしれません。それに、新たなお宝もあったりして、やはり、こういう常時教会機能を持たず、遺跡的側面もある場所は、定期的に行かねばならぬ、と思いました。

上の階段を上ると、本堂の入り口となります。入り口上部に、うっすらとフレスコ画が認められます。

2020 civate 015

(自分のHPからの引用)「玉座のキリストが、サン・ピエトロに権威の印である鍵を渡し、そしてサン・パオロには福音書を渡している図が描かれています。わたしにはわかりませんが、ラテン語で、この教会が聖ピエトロと聖パオロに 捧げられたものであると、明記されているようです。」

この扉をくぐるとすぐ、素晴らしいものたちに囲まれます。初めて行ったときは、え、え~!みたいな興奮をいたしましたね。
扉を潜り抜けてすぐの天井。

2020 civate 016

(自分のHPからの引用)「大きな花園に水を注ぐ4人の人物が、四分割されたヴォルトに、収まりよく描かれています。 それは地上の楽園であるエデンの園にある四大大河を表しているんだそうです(ティグリス、ユーフラテス、 あと二つ-FisonとGeon-はなんでしょう?)。面白いのは、注ぐ水が、下にある円柱に向かっていて、円柱の模様が、そのまま水の流れのように見えることです。そして、ここがまた凝っていて、言われなければ、おそらく気づかなかったと思うのですが、四本ある柱のうち一本だけが、その柱の模様の渦巻き方向が違うのです(3本は左巻きで、教会内側の、外から見て左の1本が右巻き)。これは、三位一体を表す仕掛けなんだそうですよ(一番右の写真は、内側から撮ったもの)。ヴォルトの中心にある のは、キリストの印であるクリスモンですね。おお、去年スペインで散々目にしたのに、最近見ていなかったな、と思いました(十字架に、ギリシャ語でのイニシャル(X=C、P=R)、そして他二つのギリシャ語α(アルファベットの始めの文字)とω(最後の文字)が組み合わされたもの)。 」

このヴォルトを支える四本の柱、残念ながら、写真を撮っていませんでしたので、2007年の写真を載せますね。これもあまりよくないですが。柱に、ストゥッコでぐるぐる模様が施されているのですよ。一部、見えると思います。

2020 civate 017

あ、ちょっと先走っちゃいました。この四大河の前に、さらに扉近くの天井は、こちらでした。

2020 civate 018

(自分のHPからの引用)「入ってすぐの天井 ヴォルトには、天上の町の姿が表され、その中心に栄光に満ちたキリストの姿が置かれています。町の角には、四大枢要徳(なんのこっちゃ、という言葉ですが、枢要=最も重要、ということで、宗教語? らしいですね)である節制、正義、剛毅、賢明の文字が記されています。キリストの足元に、 あばらが傷ついた子羊が描かれていて、それは、キリストの死と復活、そして生命の泉のシンボルとして描かれているんだそうです。子羊の足元に水がほとばしり、キリストは、それを飲むように勧めていると (キリストが手に持った本に、「喉の渇いたものは、来るがよい」と書かれているそうですよ)。」

背景に使われている緑が、ちょっとNovalesaの素晴らしく保存状態のよいフレスコ画を髣髴とさせる色です。このときは、勿論まだ、ノヴァレーザには行ってなかったはずなので、知る由もないですが。

キリストのあらせられる天井から続く両壁には、現世の場面が描かれています。
まずは入って左側。

2020 civate 019

そして右側。

2020 civate 020

(自分のHPからの引用)「法王サン・ グレゴリオが、一群の人々に向かって、教えを説いている図、右は、法王マルチェッロが、こちらも一群の人々に向かっているけれども、こちらの相手は子供らしいです。この写真のみならず、 正直、子供には見えませんでした…。そして、どちらの絵にも、下部には水に沈んだ魚の絵が 描かれています。これはキリスト洗礼を図像化したもの。そして、いまさらながら、ですが、水は物事を洗い清め、出発点に戻るという意味があると。それで、洗礼、ですね。ここのお魚は、まんまお魚なんですよね。水の中で生き生きしちゃって。 」

フレスコができたての頃は、おそらく相当鮮やかな色であったのでしょうから、今とはずいぶんと印象が違うと思います。Novalesaのものの方が、オリジナル感が強いと思います。
でも、この枯れたパステル調が、すごく場の雰囲気にあっていて、しっとり。

注目すべきは、しかしフレスコのみならずです。お足元にも注意ですよ。
まずは、この怪しいフィギュア。変に写実的な怖いですが、キメラです。

2020 civate 021

(自分のHPからの引用)「目をちょっと下に転じ ますと、四大大河のヴォルトの下には、このようなストゥッコ装飾があります。右がグリフォン、左がキメラ。これらは悪の象徴である怪物。どちらも教会の外に向かって走り去るようなイメージで描かれているのもむべなるかなで、悪はこの場所では受け入れられないために、逃げ出すしかないのだ、という 大変わかりやすい教えが描かれているというわけです。なんか頭上では天国の町とか、人々の 父なるアブラハムとか、幸せな花園とか歌いながら、足元では悪が尻尾を巻いて逃げ出すという、なんともわかりやすいチェック・ポイントなわけですね、この入り口は。なんとなく悪徳にふけったりした人は、どきどきしながら通ったりしたのでしょうかねぇ。あれはやばかったかも知らない、なんて冷や汗を かいたりしながら、キメラをにらんでみたり? 」

2020 civate 022

こちらがグリフィンですね。
愛嬌のある様子であらわされることも多い、この二つの幻獣。ここでは、結構こわもてで、そういう役割を背負わされているようです。ロンゴバルド起源だから、ということもあるのかな。

さて、ここまでで、入り口から入って3メートル、いや、2メートル?くらいしか進んできてない状態です、笑。これで、やっと本堂の中ということになります。
で、すぐ左右の小さな礼拝堂です。入って、奥に向かって右手にあるのが、聖人の礼拝堂。

2020 civate 023

そして、左型が、天使の礼拝堂となります。

2020 civate 024

昨年今年とも、同行者がいたせいもあるし、過去にもたくさん撮影していると思ったので、撮影を抑え気味にしてしまって、肝心、ここに掲載したい場面が撮れていません。大体2007年の写真などは、パソコンを変えた際にCDなどに入れたっきり、今でも見られるのかどうか不明ですし、もっと取ればよかったです。ま、また行けや、ということかな。

(自分のHPからの引用)「この部分はかなり暗くて、写真は難しかったのです(ちなみにフラッシュ撮影禁止でした)。聖人の 礼拝堂では、後陣ドームのほとんどに、キリストの姿が描かれています。そしてその下の段には、聖人が三人ずつ六つのグループになって表されています。それらグループの上に、Patriarchi(父祖)、Profeti (預言者)、Apostoli(使徒)、Evangelisti(福音書家)、Martiri(殉教者)、Pontefici(教皇)、
Anacoreti(隠遁者)の文字が書かれています。そして小さな身廊の壁には、二つの殉死の場面が描かれて います(残念ながら聖人の礼拝堂の写真はなしです)。一方天使の礼拝堂は、後陣が、ケルビム (智天使)とセラフィム(し天使)に支えられた円の中に、万物を支配するPantocratore(全能者)としてのキリストの姿が表されています(左下)。セラフィムは6枚の翼を持つ、天使界でもっとも高い位置にある 天使で、ここではその翼にたくさんの目が描かれています。その下の段には、三人の天使が 7つのグループで表され、ケルビムやセラフィム以外の階層の天使の姿となっています(それぞれの名称が 付されています)。天使界も厳しいのですね。へぇぇ、と思ってちょっと調べると、いわゆるエンジェル、平天使の上に、なんと8階層もの階級、つまり全部で9つの階級に分かれているということなんですね。大天使は平天使の上に過ぎず、その上に、権天使、能天使、力天使、主天使、座天使、そして智天使、し天使となっています。」

この天使の話は、このとき調べていて、初めて知ったことでした。サイトを作るときは、結構資料を当たったし、色々派生することなども調べたりして、この頃が一番勉強していたかもしれません。まだ、行くべき場所もよくわかっていなかったので。その後は、現場主義中心で、笑、出かけてばかりで、全然勉強してません…。反省。

一旦切ります。

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  1. 2020/03/14(土) 02:39:19|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

ミラノのコロナウィルス事情、ご報告

コロナの件で、日本在の友人知人にご心配おかけしていると思います。多くの方からご連絡をいただき、ありがたいことでございます。
元気に過ごしておりますので、どうぞご心配なきよう、お願いします。

ミラノでは、2月22日の週末に、劇的に状況が悪化し、2月24日月曜日より、学校閉鎖、多くの会社で在宅勤務の強制または奨励という事態になりました。とりあえず1週間、というものでしたが、翌週も続き、明日からの週も、続行です。
私の勤務する会社では、今のところ通勤可能ですが、いざとなれば、在宅勤務の体制は整っています。
そういう状況ですから、24日から、通勤の地下鉄は、まるで正月かクリスマス状態のがらすき状態となっています。先週後半は、ちょっと戻りが感じられましたが、この数日の動きにより、明日からはまたがらすき、いや、さらに人出が減るであろうと想像しています。

しかしながら、日常生活の支障は、今のところありません。昨日もスーパーに買い物に行きましたが、棚には商品があふれており、普段の週末とほぼ変わるところのない風景でした。ただ、保存食品の棚が、若干品薄かも?という状況、そして、牛乳は確実に品薄でした。たまたま、だったかもしれませんし、実際に、品薄だったのかもしれず、そのあたりは、不明です。日本でも、勿論イタリアでも、ミラノのスーパーからものが消えているという映像が流れたことがありますが、正直、ミラノで、そういった光景を見た人は、身近には誰もいませんでした。また、明らかに買いだめしている人も、私は目にしていません。一応、ミラノに人たちは、クールに対応している印象です。
ちなみに、アジア人差別も、私は受けることは一切ありませんでした。これもミラノ所以と思いますけれど。っていうか、アジア人云々の前に、ロンバルディア人とかイタリア人が差別される事態になってしまった、ということもあるかもしれませんが、笑。

このような状態がすでに二週間続いているので、今更、パニックが起こるとは考えにくいですが、ただ、感染者が劇的に増え続けている現状から、買いだめなどは、今後起こらないとは言えないと考えてはいます。
同僚の一人が、ミラノに隣接する町に暮らしているのですが、その町で一人感染者が出て、感染者の住むアパートが隔離されました。同僚は、自主的隔離で、その日から在宅勤務をしています。そういう事態を想定すると、ちょっと買いだめしとく?という心理にはなるかもしれません。

いずれにしても、多くの人が、自主隔離で自衛していますし、アパートの隔離などは、自治体がスピーディに決めています。
かなり積極的な防疫対策をしていると思うのですが、それでも減らないのです。

イタリアは初動を誤った、という批判があったようですが、そして、当初はそれもあるのかもな、と思っていましたが、実際に日々のニュースを見て、人々の生活を見て、今は、それがすべてではないと感じています。どこで起こったとしても、初動は間違えも何もない、わからないのですから、どういう正しい処置も取れなくて当たり前だと思うのです。
誤った部分があったかもしれませんが、仕方のないこと。その後は、関係者一同が不眠不休に近い状態で働いており、感心しています。

イタリアでの感染者が6000人にも迫ろうとしている、いや、もうそうなっちゃったのかもしれませんが、そういう状態で、ではなぜ、日本が、あれだけ感染者が出ないのか。
多くの人が気付いていると思いますが、そんなはずはありませんよね。コロナ、感染力が強いんですから。これは、単純に、検査数、そして、モニター実施の有無によるものだと思います。
イタリアや韓国は、徹底的な検査、モニターを実施して、実態を把握していますが、日本は、どう見ても放置。イタリアや韓国並みの検査を実施したら、おそらく感染者数は、公になっている数の数十倍になるでしょう。検査やモニターをしても、解決にはならないわけですが、でも、実態の把握は、長い目で見たら、絶対に有効だと思います。

今後どうなるかは全くわかりませんが、少なくともイースターは、どこにも行けないこと、決定です。昨日から、ミラノを含むロンバルディア州は、禁足で、州外には出られなくなったのです。4月初頭までの処置ですから、4月10日からのイースター休暇は、まず無理。
これは衝撃です。
正直、こういう状況になると、もう、どっか行きたいとか、そういう気持ちにもなれなかったりします。旅は楽しいもので、計画も楽しいものなのですが、そういう気持ちになれない。
在宅勤務を強いられている友人も、2週間も閉じ込められてうつ病になりそうだと言っています。今後、こんな状態が長く続くと、メンタルに来そう。
それに、私レベルでも、景気が心配になってきます。人が出ないから、ものが売れない。多くの小売店は厳しいと思います。だからと言って、レストランに行こうとは思えませんしね~。

そんな様子です。
今週は一つの山場かな、と思っています。どうか、在宅強制になりませんように、と祈るばかり。

あ、イタリア旅行をご計画の方は、できるうちにキャンセルされることをお勧めします。来ても、楽しくないです。
また、状況に応じて、アップデートしますね。気になることがあれば、気軽にお問い合わせくださいね。

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  1. 2020/03/09(月) 02:37:10|
  2. ミラノ徒然
  3. | コメント:6

久しぶりにイタリアをご案内します(チヴァーテ1)

2020 civate 001

ミラノ北部に広がる湖水地方は、コモ湖を中心に、日本でも知名度が高い著名リゾート地ですが、ロマネスク観点からも、特にコモ湖周辺は大変興味深い地域となっています。中でも、徒歩でしかアクセスできないチヴァーテCivateにある教会は、ロマネスク病の人であれば、一度は訪ねてみたい、と思う場所の一つであると思います。いや、そうはいっても、「徒歩でしかアクセスできない」というハードルの高さが、ネックにもなっており、イタリアを含めて、ロマネスクをやる以上訪ねなければいけない教会、という位置づけにはなっていないかもしれないですけれど、でも、そのハードルの高さが魅力にもなっている教会です。

10年ちょっと前に訪ねて、その時の記録は今は亡きホームページに詳しくアップしたのですが、残念ながら今は亡き。その時は本当に詳しく調べて、時間が経ってから読んだ時、自分でも感心したものです。それっきり、なんとなく行きそびれていたのですが、2018年夏、日本からロマネスク病仲間がいらっしゃったとき、ご一緒して、ほぼ10年ぶりの訪問がかないました。
その勢いで、昨年2019年にも、ミラノの友人に同行を頼まれて、なんと10年の間を置きながら、二年連続訪問となったのです。

2020 civate 002

徒歩でしかアクセスできないというのは、車用の道が作れない立地だからなんです。登山道は、この10年の間に、ずいぶんと整備が進んだように感じましたが、それでも、結構な斜度なので、たいした距離ではないけれど、なかなかの苦行です。
湖から、斜面に張り付くようにあるチヴァーテの村を出発点に、45分から1時間くらいの歩きとなります(約2.5KM、標高差400メートル)。

2020 civate 003

時々、コモ湖がのぞいたり、楽しい登山ですが、天辺に着いた時には、結構はぁはぁします。
天辺にあるのは、教会だけで、集落はありません。そのため、教会は、いつでも開いているわけではなく、基本的に、教会をケアする地元の有志団体が、開けてくれる夏季週末だけのオープンです。有志の人々は、登山道を整備することから、教会の掃除や、ガイドツアーまでをこなしていらっしゃって、頭が下がります。

昨年登った時、中庭に食事会でもするような用意がされていたので、何のためか尋ねたところ、年に一回だけ、徒歩でサクセスできない人たちを、ヘリコプターで運ぶというイベントがあるそうで、その日の午後がまさにその日だったのでした。事前に申し込む必要があるようですが、足腰に自信のない人も、アクセスできる可能性があるということ、お伝えしておきます。
ちなみに、以下が、有志団体のサイトとなります。

amici di san pietro

天辺からは、このようなコモ湖のパノラマが広がります。
トイレ以外のファシリティーはないため、いつもおにぎりを持って行くのですが、ここでいただくおにぎりは、「日本人でよかった~」とにんまりしてしまう美味しさです。

2020 civate 004

さて、観光案内はいい加減にして、教会です。
天辺で、最初に目にするのは、こちらとなります。

2020 civate 005

サン・ベネデット教会Chiesa di San Benedettoです。小さな小さな教会で、珠玉のロマネスクを表現するとき、イタリア語でもスペイン語でも、「宝石のような」という形容がよく使われますが、この教会ほど、その表現がぴったりするものもないよな、といつも思います。宝石と言っても、キラキラと派手なものではなりませんが、ひっそりとしていながら、絶対に看過できない、そういう教会です。

ここは、ガイドの人がいないと、開けられないシステムになっているようなので、ガイドツアーを待つか、たまたまガイドの人がカギを開けるタイミングを待つか、そういうことになりますが、週末であれば、必ず入れます。

2020 civate 006

まず目につくのは、この祭壇です。前面、両脇にフレスコ画が施されており、その保存状態がかなりよくて、びっくりするような鮮やかな色を拝むことができます。

2020 civate 007

修復もされているものと思いますが、それにしてもよく残っています。山の中であるということ、そして、おそらく温度湿度の条件がよかったというのもあるのでしょうね。

さて、見学のガイドツアーは、見どころのほとんどがつまっているもう一つの教会の方から始まり、このサン・ベネデットは、若干付け足してきな感じになります。特に拘束もないので、教会に特段の興味のない大多数の参加者は、ツアーが進むとともに脱落していって、こちらに来る時には、半分以下になったりします。私にとっては、願ったりかなったり、という状況です、笑。
昨年は、そういう状態のツアーで、ここでガイドの方が説明を始めた時は、すでに5人ほどしか残っておりませんでした。
残っていた人の一人が、建築にかなり興味を持つ方だったようで、構造についての質問が出て、それから、俄然、ツアーが興味深いものとなりました。

2020 civate 008

脇の方は、ヴォルトになっているのに、中央部本体は、木の天井になっていることに注目されたのです。

2020 civate 009

今ある天井は、勿論修復されているものですが、構造自体は、すでに木製天井である構造となっているわけですが、四隅を見ると、付け柱上の柱が、天井間近で、ぷっつり切れているのがわかります。

2020 civate 010

確かに!
ということは、こちらもヴォルトだったのかもしれない。そうすると、この教会の壁面は、すべてフレスコ画で覆われていたことがわかっているので、天井も含めて、すごいことになっていたかもしれない、というような話となり、残っていた数人で、大いに盛り上がったのでした。

2020 civate 011

その時話した色々を、どこかにメモしておいたと思うのですが、例によって見つかりません。シュン。

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  1. 2020/03/08(日) 21:21:12|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
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未来の出会いを夢見ながら(アヴナ69)

2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ、+サントル)の旅その78、そして最終回

なんとなんと、やっと最終回にたどり着きました。
開始したのが、昨年5月早々だったので、他の記事も多少は挟まったとはいえ、丸々10か月かかってしまった計算になりますね~!こんなペースでは、他の旅のアップはどうなるのやら。そして、毎年毎年、修行旅には出ているわけですから…。
老後、生活が暇になったら、ちゃんとホームページにまとめるぞ、という目論見がありますが、なんとブログまで老後の楽しみと化しつつあるということですかね、それはまずいです。

さて、最後に訪ねたのは、私の知識空白地帯、ローヌ・アルプ地域にある教会です。これは、フランス在の友人に教えられて、出発直前、旅の最後に訪ねました。周囲に見るべきものが少なくて、効率よく訪問するのが難しい教会なので、ちょうどよいタイミングを得たと思います。

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アヴナAvenasのノートルダム教会Eglise Notre-Dameです(村の入り口、教会脇にトイレあり。ただし、明かりや紙はないのでご注意)。

アヴナは、結構な山道をくねくねと走って、谷に降りる感じでたどり着く村で、イメージとしては、どん詰まりの村。いや、ちゃんと通り抜けて先に行けるようですけれどね。

教会は村の入り口にあるので、迷うことも探す必要もなく、それは大変助かりますが、ここは、教会の建築には興味がないので、開いていないと意味がないのです。
遠目でも、扉が開いているのがわかったので、とても嬉しかったです。
ドキドキしながら入場します。

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かなり暗い。この日はお天気も悪かったので、さらに暗い感じ。
でも、内陣中央に置かれた、目的のブツは、しっかり見えています!

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そうなんです。ここを訪ねた目的は、ただ一つ、この祭壇です。

2018 france centre 993

ここを勧めてくださった友人に、相当すごいということはきいていたのですが、その話から想像していた祭壇の何倍もすごいものです。

2018 france centre 994

何がすごいって、彫りが、かなり繊細で、その上保存状態が大変良いのですよ。そして、祭壇だから、しゃがめば、その目の前にドカン、と彫られた世界が広がるんです。柱頭のように、双眼鏡で見ないと細部がわからない、というのとは、まったく違うアプローチなんです。
これで、興奮しないロマネスク病の人はいないですよね。

2018 france centre 995

アーモンドの殻感がすごいキリスト像。ここまでアーモンド感満載ってすごいですね。これはやはり近くから見るからますますそういう感じなのかなぁ。あ、今だと、イースターのチョコレートの卵を半割にした感じもあり、笑。
上の方にあると、どうしてもデフォルメが入ったりするし、それを計算して彫っていたりするし、そういうのでずれが出るから、違う様子になるんですかね。これは、正面にあるまま、すごくきっぱりしていて、キリストも、とても厳しそうな様子です。まっすぐ見られちゃっている感じで、ドキッとしますよ。

アーモンドは、福音書家のフィギュアの姿で支えられており、四分割されたそれぞれに十二使徒が並んでいる図像となっています。
福音書家が一番愛らしかったこちら。

2018 france centre 996

ルカの聖書にかかっているあんよがめっちゃ可愛い。
左上には、人の姿のマッテオ、そして、一番キリストよりは、カギを持っているので、ピエトロですね。

2018 france centre 997

各使徒の下には、名前が彫りこまれていたようですが、一部は摩滅してしまっています。

保存という観点から、本当は、よくないことでしょうが、どうしても誘惑に抗しきれず…。

2018 france centre 998

お膝の先っぽだけ、ちょっと触れさせていただきました、笑。

それにしても、手まで焼けてるな。イタリアみたいな国にいると、夏は多少は焼けないと、逆に変だから、あまり気にしないのですが、これが、日本で電車に乗ったりすると、つり革をつかまる手の中で、一人だけ黒くてびっくりします。というか、日本人って、いつから白人になったんだっけ?と、他の人たちの手の、あまりの白さに愕然とします。

2018 france centre 999

ちょっと脱線しましたが、いやはや、こういうものに出会うと、気持ちが焦ります。というのも変なのですが、まだまだ私の知らないものが、たくさんあることを、嫌でも思い知らされるからです。知っていても訪ねていない場所がたくさんあるのに、さらに、知らないものもたくさんあると思うと、勿論、すべてを見ることは不可能なんですけれど、その事実に、焦っちゃいます。
同時に、一抹の寂しさも感じます。
こういったことは、過去にも何度も書いていると思いますけれど、突き抜けて素晴らしいものに出会うと、毎回感じる高揚の後の喪失感。この高揚感は、二度と得られないだろうな、というやつです。ここに、これから初めてくる人がうらやましい、という変な羨望感。
この祭壇は、そういうレベルのものでした。

旅の最後を、こういう素晴らしいもので終えることができて、実に幸せでした。
読んでくださっている方も、すでに忘却の彼方でしょうが、なんせ、5月からですからね、旅の最初に、虫さされ被害で、大変な日々を過ごしたわけです。そんな不吉な始まりだったにも関わらず、大満足で10日間、終了です。
おいおい、10日間を10か月。今、かなりあきれています。

2018 france centre 1000

ちなみに、この旅のシリーズ、上の写真で、丁度1000枚アップしたことになるようです。

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  1. 2020/03/07(土) 22:14:43|
  2. ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
  3. | コメント:2
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