オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)9(最終回)
本日は、Zoomを使ったビデオ宴会初体験。東京とイタリアから接続でしたが、この三人で集うなんて、何十年ぶりのこと。無料だと40分しか接続できないんですね。落語の「お直し」じゃないですが、笑、何度も何度も、はい、お直しね!という感じで、結局3時間くらい、楽しい午後を過ごしました。
確かに電話より臨場感もあるし、人と会って話した感が強いです。自分からはなかなか積極的にできないことですが、ありだと思いました。Zoomは、評判よくないみたいですが、類似のアプリはたくさんあると思うので、ビデオ宴会、このご時世には仕方ないし、たまにはいいかもしれないですよ。
さて、オランダの旅、やっと最後の美術館。
ヴァン・ゴッホ美術館Van Gogh Museumです。
実際に、旅の最後に訪ねた美術館です。ここは当然のように、事前予約をしたのですが、いろいろな可能性を想定して、最終日としました。大正解だったと思います。
昔訪ねた時は、結構小さい建物一個だったのが(上の写真の左奥にある建物だったというような記憶)、今はすごいことになっていますね。人の数も、周辺含めてすごいです。
でも、ここでも、なんだかシステムが分かりにくくて、アバウトなオランダ式っていうか。
予約時間より、ずいぶん早く到着してしまったのですが、すでに結構な行列が出来ています。予約があるのに、なぜ?と思いつつ、律義に並ぶと、まず予約チケットをチェックされ、「うーん、ちょっと早いけど、ま、いいでしょう」と、列にいることが許された様子。とすると、行列は、やはり予約があっても並ぶもののようですね。
建物内で、駅の自動改札のような場所があり、チケットをかざして通過するのですが、我々のMuseum Cardは、冒頭の記事で書いたように、すでに無効になっているので、当然止められてしまいました。
係員が見に来て、これは予想通り、と、前夜に大騒ぎして登録したことを確認するメールを、黄門様のご印籠状態で、偉そうにかざしました。ほら、ちゃんと登録してるから!と、自信満々で宣言しつつ…。
係員の男性は、ちょっと哀れむような目線で、ちらとご印籠に目をやりましたが、「Museum Cardは、事前に申し込んで、オリジナルを持っていない限りは、5館までしか見学できないんですよ…。でも、特別展の予約もされているし、まぁいいでしょう。でも、次の館では、こうはいかないかもしれませんよ。」と言いながら、入館を許可してくれました。
え~!堂々のおばさんコンビ、一瞬絶句で、ショボーン、赤面、みたいな。だって、堂々とご印籠しちゃったんですから、恥ずかしかったですよぉ。
ま、何はともあれ、入場できて、本当によかったです。もし拒否されていたら、最後にとっといた大好物を、するっと誰かに食べられちゃう感じっていうか、やるせなかったと思います。それに、今となっては、再訪がかなうかどうかもわからないわけだし、さらに、お兄さんに感謝の気持ち。
広々としたホワイエ。ここも、お土産は充実していました。高いものも多いですが、お手頃価格の実用品もあり、本当にお土産に困らない国。
しかし、ここでまたオランダ式。
このショップの手前側がクロークになっているんですが、なんというか、無秩序。フォーク並びもなくて、受付ごと、5本くらいの行列が出来ていて、ぎゅうぎゅうとまるでイタリア的なカオスでした。でも、受付の人たちは笑顔ですっごく感じよくて、なんかアンバランス。これなら、コインロッカーの方が、効率がよいと思うんですが、どこも、基本、人が対応するクロークのみ、の方が多かったと思います。
地下から入って、上に登っていくような展示となっています。
ここでも、オーディオガイドは、チケット代に含まれているので、日本語版を借りました。本来、ガイドは好きではないので、借りることはないのですが、超過料金もない上に日本語だと、ついつい借りてしまいます。そして、借りてしまえばやはり聞いてしまいます。
全部の絵について説明があるわけではないですが、それでも、自分で好きにみれば、好きな絵を探してじっくりとか、自分のペースで見られるところが、ガイドがあるとどうしてもその順路に従ってしまうので、ペースが作れない。ガイドのペース。
その上、すごい量の絵…。
結果、すごく疲れました。それに、見学者の数がすごいので、常にざわついている中をかき分けるようにして見なければいけないので、なおさらです。
有名な絵の前は、常に人だかりがしていて、なかなか正面からは見られず、大抵、斜めです、笑。
ガイドの解説は、蘊蓄が面白いものもありますが、ほとんどはいらんかな、と思いました。そう思いながらも、聞いてしまう。次回があれば、借りずに、自分のペースでみたいです。
ゴッホは好きです。
でも、好きな絵が好き。つまり、ほとんどの絵が有名で、すでに自分の好きな絵が決まっているから、やはりその絵を見たい。極端な話、その絵が見られればいい、という感じ。
ここにあるので一番好きなのは、寝室の絵と、椅子の絵かな。アーモンドの花、アイリスも。それだけを、もうちょっと少なめの見学者の中で見られたら、最高ですね。でも、そんな日は、住んでいない限りは、ないでしょうね。私が訪問するときは、祝日だったり週末だったり、どうしたって、人が多い時なわけですから。
世界のあちこちで、様々なキュレーターが、展覧会を企画するわけですが、なるほど、企画展の意味ってあるな、ということもすごく感じました。
もうずいぶん前になりますが、仕事でロンドンに行ったときに、たまたまゴッホ展をやっていたので、夜間開放の日に見に行ったことがあるんです。それはゴッホからテオへの書簡をテーマにした展覧会で、展示している絵には地味なものが多かったのですが、ストーリーが見えてくるような展覧会で、ひどく面白かったのですね。その直後に、ゴッホの書簡集、買ったくらいです(イタリア語版、結局積読、笑)。
これだけの数を、人生を追うように並べられて、そりゃ作家を俯瞰的に見るには正しいことでしょうが、疲れちゃいました。本当に疲れました。
実年齢としては短い人生だったかもしれないけれど、絵画的には、普通の人の何倍も生きた人だったかも。
遺された絵でも、これだけ人を疲れさせるエネルギーを持っているんだから、実在の人としては、多分、疲れる人だったのだろうなぁ、とか、そういうことを考えさせられたのは、個人にささげられた美術館だからこそかな。ゴーギャン、大変だったと思います。あの人は、結構普通の人だったぽいし、笑。
そんなわけで、美術館巡り、というテーマに関しては、本当に充実堪能の旅でした。
食事については、次回はもうちょっと調べていかないといかんな、と思っています。また、アムステルダムを拠点としなくてもよいことも分かったので、次回は、空港からいきなり他の土地に移動もありだと思っています。
最後に、そういえばクリスマスだったので、北の国らしい充実したイルミネーションなどを期待していたんですが、これまた、オランダ的なアンバランス感満載というか…。
最初の晩に、頑張って中心部の広場まで行ってみたんですが、え?これだけ?というしょぼさ。上の写真だと、ちょっときれいに見えますかね。
実際は、かなり寂しい暗さで、ミラノといい勝負…。いや、ミラノはDuomoのおかげで、印象は結構華やかだからなぁ。
飾りは、この広場にちょびっとと、あとは、周辺の主要お買い物ストリートにちょっとで、我々が歩くホテルまでの長い道のりのほとんどは、普通の人同じ、地味で暗いものでした。ミラノの方が、もうちょっと地元の商店街も、しょぼいながらやってるよなぁっていう感じ。びっくりしました。そういえば、クリスマスマーケットが盛んなのは、ドイツだから、オランダは、クールなのかな。
家々も、カーテンもない大きなガラス窓が多いのですが、そういえば、クリスマスの飾りは、積極的にやっている様子はなかったですね。
クリスマス感かけらもなし、ですが、アムステルダムは、こんな家並みが、一番美しいものかもしれませんね。
今年、再訪できるかできないか。Covid次第です。頼むぜ!
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
2020/04/27(月) 01:56:14 |
海外旅行
| コメント:0
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)8
エッシャーにしろ、ミッフィーのディック・ブルーノさんにしろ、また、ミッフィー関連で、レオレオニさんもオランダ生まれだったことを知りましたが、オランダって、意外に、というのも失礼ですが、著名アーティストを輩出しているのですねぇ。考えたら、日本の鎖国時代とか、オランダが唯一の外国だった時代があったりもするんですよねぇ。
その頃のオランダが、いかに豊かであったか、そして、チューリップが有名ですが、繁栄の象徴として、投資投機が盛んだったということで、ひいては、芸術家を養う余裕があったということなのでしょう。
まさにそういう時代のアムステルダムに生きたのが、この人ですね。
レンブラント博物館Museum Het Rembrandghuis。彼の住まいが、博物館になっています。
ここも、昔は、普通にお家に入る感じだったと思いますが、今はちゃんと、お隣に美術館らしい扉と受付スペースがあります。そして、ここも、それなりに見学者が多く、私の見学時、今だったら、ソーシャル・ディスタンスを保てないくらいの人がいました、笑。
当時、かなりブイブイ言わせていた巨匠のひとりだったようですが、その割には、お住まいは結構こじんまりとしています。上は、中二階、階段の途中に開けられた窓から、玄関ホールを見下ろしたところ。玄関ホールは天井が高くて、雰囲気はあります。
オランダは、とにかく、窓が大きいですね。
レンブラントの時代も、現代も、ほぼ同じような作りで、通りに面した壁は、ほとんど窓、それも、カーテンすら吊るさずに、丸見え、というお住まいも多いのが、驚きます。
イタリア的視点だと、まず、不用心、と思ってしまいます。
アンネの項でも触れましたが、当時のオランダ人がいかに小さかったかは、このお家でも分かります。やはり台所が分かりやすいのですが、調理台の高さは、アンネの家同様に、日本人にとっても低すぎるくらいでした。
驚いたのが、ベッドです。
男性二人が経っている場所がベッドなんですが、箱型で、とても小さいんです。なんと、この当時の人たちは、横たわって寝ることはよくないので、背中は立てて座った姿勢で寝たんだそうです。これは、本邦初の知識でした、笑。
昔と違うのは、どの美術館でも、オーディオガイドがあって、大体チケット代に含まれているということです。それも、日本語が必ずあったと思います。どこか一カ所はなくて、イタリア語で聞いたような気も…。ここだったかも。
私の好きなレンブラントは、なんといっても銅版画なんです。奥様のサスキアさんをササっと描いた銅版画が大好きなんですが、もしかすると、ここで出会ったのだったか。
30年ほど前の訪問のときに、あまりに好きで、小さなポスターを買って帰ったことは、よく覚えています。探せば、今も押し入れに入っていると思います。
以前来たときは、もっと版画の展示があったように思うのですが、今回は、絵は少なくて、より当時の生活の再現的な展示になっていた気がします。まぁ、私の記憶ほどあてにならないものはないので、当時からこんな感じだったのかもしれません。
ただ、銅版画にずっとあこがれていて、もうずいぶん昔になりますが、教室に通って、三年ほど楽しんだんですけれど、あの憧れの出発点は、ここだったのではないか、と思うんですよ。
銅版画は、薬品を使うし、刷るためにかなり大掛かりなプレス機がいるので、よほど豪邸でもない限り、自宅でやるのはちょっと骨なんです。通っていた近所の教室が、職業訓練コースみたいのに組み込まれてしまって、週に3回も通うのは無理でやめざるを得なかったんですが、あれは本当に楽しかったし、自分には合っていたように思います。でも、趣味を長く続けようと思ったら、やはり一人で自力でできるもの、とならざるを得ないですね。自画自賛状態で恥ずかしいですが、自分の作品を家に飾っていたりします、笑。
さて、上階の方は、アトリエです。
自分が働く場所があり、さらに上の方には、工房の弟子たちのスペースがあります。中世~ルネッサンス時代のように、工房で、多くの作品を仕上げていたらしく、弟子たちの力量は重要でした。
ガイドで、結構面白い話を色々聞いたのに、ほとんど忘れちゃってます。レンブラントに興味のある方は、是非現地で、ガイドを聞いてくださいね。レンブラントのレッスン料は安かったとかなんとか言ってたような。でも、理由を忘れてしまいました、笑。
興味深かったのは、たくさんのオブジェ。
本当にすごい量の、いろんな種類のオブジェが所せまし、なんです。やはり絵を描くための資料として、稼いでいる人ほど、こういったオブジェへの投資を怠らなかったとか。やはり当時は写実絵ですし、現物を再現すればするほどの時代ですから、目の前にマチエールがあることが、非常に重要だったのでしょうね。
貝などの海もの資料など、あきれるほどの量でした。
彫刻類に加えて、模写するための絵も、どっさりと綴じられていました。
将来絵で身を立てたい若者は、こういったものがたくさんある工房を、基準に選ぶ人もいたかもしれないですね。考えたら、本一つだって、簡単に買える時代じゃないし、今そこにあるモデルさんとか、食卓以外は、正確な資料がなければ、描くのも大変なことですからねぇ。
今と違って、照明も、ほぼ自然光がメインですから、いろいろと工夫したそうです。
上は、レンブラント自身が、作業するときに一番よく使用したスペースだったと思いますが、窓の位置、そして、光をうまく反射させるように、白いカーテンというか、幕というか、そういうものをレフ版のように使うとか、そういったことがすごく考えられていたようですよ。
そういうことを考えていると、当時の画家の暗闇と光の表現力が卓越していることも、なんとなく、そりゃそうだよね、って気がしてきます。
というわけで、アムステルダムの産んだ巨匠のひとりでした。次回、もう一人。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/24(金) 02:00:20 |
海外旅行
| コメント:2
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)7
ここらで一つ、旅のお約束の話題を…。
知ってはいましたよ。昔々、イタリアで学生しているときに、オランダ人の学生もいましたからね、ほんっとに、食に興味ないっていう傾向はね。だから、基本的には期待してなかったものの、一応、何が食べられるのか、何を食べたらいいのか、については、ちょっとは調べてみたんです、事前に。
で、やはり、これはちょっと期待しにくいのでは…、とほぼ確信はしておりましたね。そもそも、クリスマス時期でもあり、閉まっているお店も多いだろうことも、予想はできましたし。
到着した日、まさにクリスマス当日ですから、そういう意味で、どこかで食べられればミ見っけもの、くらいの気持ちで、ホテルのチェックアウトをした後、美術館に向かいました。そしたら、意外と、人がうろうろしているし、さすが、世界に誇る観光地だし、クリスマスと言えども、きっと何かあるはず、という期待が…。
しかし、道端のお店はどこもクローズです。
やっと開いていたお店は、オムレツ屋さんでした(Omelegg-de Pijp)。事前に調べたオランダ名物の一つが、まさにオムレツですから、いきなり当たりじゃん!とのぞくと、大混雑でした。
でも、他に待っている人もいなそうだし、すぐ開くわよ、メニューでも見ながら待って、と言われたので、メニューをもらって待つことに。
しかし、待てど暮らせど声はかからないし、メニューにも、あまりそそられない。中に入って、まだ当分待つのか聞いてみると、「あなたたちの前に一組いるし、順番はまだだから、外で待ってろ」と、投げつけるように言われました…。
クリスマスのアムステルダムですから、寒いんですよ、昼間とは言え。それに、さっきは、すぐって言ったくせに…、と腹が立ち、やめました。お店の様子は悪くなかったですが、なんか手際悪そうだし、感じ悪かったです。考えたら、クリスマスで、他が閉まっているだけに混んでいて、もしかすると、臨時の従業員とかもいたかもだし、お店の人たちも、お手上げ状態だったのかもしれませんけれどね。
で、先に進み、マクドナルドが見えたところで、いきなりマックかぁ、と思ったところ、パンケーキという看板が目についたのです。
メニューを見ると、塩系もありそうだったので、あまり深く考えないで入りました。
Mr.Stacks – Bubble Tea and Pancake
Govert Flinckstraat 122, Amsterdam
店内は、半分型埋まっていたと思いますが、やれやれと座った途端に、お隣のテーブルに料理が運ばれてきたのを見て、かなり後悔が押し寄せました。どう見てもおいしそうじゃない…。あれがパンケーキとは思えない、という代物…。
メニューを見て初めて分かったのですが、ビーガンの店でした。完全菜食…、我々とは関係ない世界に飛び込んじまった…。隣の人のお皿、生っぽいエノキとかも載ってるし…。
でも、パンケーキ、オランダ名物ですよ!そう、これも事前で調べた時に、名物に入っていたのです。
観念して、この際、塩系メニューの一番安いやつとしました。飲み物は、ビールすらないので、パスして、手持ちのミネラルウォーターをひそひそと飲むことに…。無駄金を使いたくない気持ちが共有できる友人でよかったよ!
しかし、ここでもまた、待てど暮らせど出てこない。マクドナルドにしなかったことを、心底後悔しました。
待ち時間30分が過ぎたところで、あと5分内くらいで出てこないなら、美術館の予約に間に合わなくなるので、出ます、と言ったところ、なんと、4分半で出てきました。ダメなレストランの典型…。多分順番を二組くらいすっ飛ばして、こっちに来たような気がします。
で、出てきたのが、これです、涙…。
衝撃的なピンクでした。それもこんもり、パンケーキを覆って山を作っているんです。確か、ビーツで色が付いたひよこ豆系のものだったと記憶しています。味は、実は悪くなかったんです。いや、むしろ味そのものはおいしいと言ってもよいソースだったかも。でも、ご飯って、見た目大事。多分ですが、特に食事を大切にする日本人やイタリア人にとっては、目で食べる部分も大きいと思うんです。いや、実際、味はおいしいと味覚が訴えるのですが、どうしても、視覚が許さないという状態で、感覚が狂うような異常な状態で、いただきました。
後から復習で知りましたが、名物と言われるパンケーキは、クレープ状のもの。ここのパンケーキは、日本で言うところのパンケーキの形状(直径10センチくらいの円形で、高さが1.5センチくらいある)で、しかしふわトロではなく油で揚げているような固さかつ重たい代物。
味覚的にはそれなりにおいしくいただいたわけですが、実際かなり空腹だったので、量もしっかりいただいたのですが、この日は夜中まで持たれている状態でしたから、やはり油かと。
立て続けに名物に出会いながら、どうもしっくりしない食体験スタートとなりました。
夕食も、同じような状況で、旧市街からずっと歩いて探したのですが、たまに開いていれば満員などが続き、結局ホテルにかなり近い一角に並ぶレストランの一つで、スープとサラダ、という軽食にしました。
Toetanchamon
Europaplein 67, Amsterdam
看板からはエジプト料理なのかイタリア料理なのか、皆目見当がつかなかったんですが、すいているし、感じはよかったし、スープとサラダだけなのに、文句も言われないし、グラスワインはなみなみ注いでくれたし、満足感ありました。ちなみに、スープは、コショウが異常にきいていました。エジプト系なのか?もたれた胃に刺激になって、よかった気がします。
初日にこういう経験をしたこともあり、翌日以降は、ホテルの朝食時に、携帯食を用意することにしました。ホテルのバイキングはなかなかすごくて、やはり北の国では朝食を大切にするんだろうという感じです。暖かいもの冷たいもの、中国人が多かったせいか、おかゆまでありました。
あの頃はまだ、Covid問題なかったですが、今思えば、かなりの中国人がいたので、リスクはあったのかもしれません。
朝食スペースもだだっ広いため、特に隠す必要もなく、堂々と立派なサンドイッチを作り、バナナやミカンもいただいて、満足感のいく携帯食。これで、続く三日間、一食分を浮かしました。実際、移動日には、列車の中でいただくことができて、お金に加えて時間の節約にもなりましたし、少なくとも、初日にいただいたパンケーキよりは、よほど健康にもよくておいしいご飯でした、笑。
二日目の夜は、地図サイトで調べた日本食にしました。ホテルからは、10分弱で、日本人経営のようでした。事前に電話したところ、予約なら20時過ぎと言われてしまったのでしなかったのですが、19時過ぎに行ってみたところ、問題なく入れました。
博多せん八
Wielingenstraat 16, Amsterdam
店内は、ほとんど日本の居酒屋でした。お客さんは、現地人と東洋人が半々ってところ?日本よりは若干高いのかもしれませんが、ミラノのこの手の居酒屋よりは、ずいぶんと安いお値段設定でした。焼き鳥やらサラダやらの後、しめはラーメン。ここでやっと、ハイネケンビールをいただくことができました。
そう、アムステルダムは、ハイネケンの本場。おそらくもともと工場があった場所に、今もハイネケンはあり、ビアホールとか、見学用の見せる工場になっているようです。毎日、脇を通って、町とホテルの往復をしていました。
最後の夜は、ちょっと豪勢に行こうよ、ということで、唯一、名物としてまともな食事、ステーキを目指しました。これまた相当歩いたのですが、パッとした店がないんですよね。
いや、ほんと、おいしいまずいの前に、まず店が少ないんですよ。
カフェはたくさんあります。有名な葉っぱのためのコーヒーショップも含めて、笑、カフェは多い。
でも、レストランは、すごく高い店か、または朝食的なメニュー中心の店しかない感じなんです。オランダ人は、一杯飲んでおしゃべりはしても、食にお金かけるような文化なさそうだからじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょうか。
で、さんざん歩いて、ふと通り道にあったお店。道に面してガラス張りで、そういう外から丸見えな席で食べている人たちがいたのですが、どれどれ、とのぞき込んでいると、入ってこいとジェスチャーを受けちゃいました。
確かにステーキだし、もういいか、と素直に入りましたが、その人たち以外は誰もいなくて、若干不安が…、笑。
De Staalmeesters B.V.
Kloveniersburgwal 127, Amsterdam
内装は、パブっぽくて、上品な奥様がサービスしていました。
確か、300グラムくらいのを、シェアしたんだと思うんですが、正直、今一つでした。
ステーキって、やはりある程度の塊で焼かないとおいしく焼けないということで、昔、肉牛のアグリツーリズモ行ったとき、確か最低で250グラムくらいじゃないと、と言われた記憶があります。なので、あえて大きめの肉をシェアした方がおいしいかも、と思ったのですが、なんと、塊ではなくて、すでに二枚で焼いてきてたし…。お値段はなかなかよかった割には、満足感はちょっと…。グラスワインも高い上に、一杯がちょびっとでした、笑。
見た目は、オランダ的というか、洗練されていませんが、デザートのチョコレートケーキは、なかなかでしたけど。
こっちの選び方も半端なんだとは思いますが、でも、全体に、バランスが悪いというか、なかなか満足感が得にくい食生活の国。一番、バランスよし、コスパ良しだったのは、もしかすると、最後の人のランチだったかも。
ゴッホ美術館の見学を終えて、近所で探した挙句、お総菜屋さんの店先のイートインでいただきました。
多分、ですが
Small Talk
Van Baerlestraat 52, Amsterdam
同名のカフェ・レストランの並びが、お総菜屋さんで、地元の人たちがひっきりなしに、お惣菜を買いに来る店でした。
指さしで選んだものを、チンしてくれます。
キャベツみたいな野菜がたっぷり入ったポテトサラダとミートボール。ボリューム感もあり、サラダは、庶民的な下世話的なおいしさがあり、きっとこういう簡単な家庭料理の国なんだなぁ、と思った次第。
あ、勿論、お総菜屋さんですから、お値段は大変良心的でした。
名物として、絶対に試したかったものもありました。自動販売機のコロッケです。
FEBOというチェーン店で、アムス市内にいくつかあります。おやつを食べる時間って結構難しいのですが、たまたまちょうどよい時間に、通り道にあった、というより、無理やり通り道にしたんですけどね、行ってみたんです。
笑っちゃう。自販機というには無理があるシステムでした。
お店の一角が自販機になっていて、でも、裏側は厨房。数がはけていくと、厨房から揚げたてを入れていくという原始的システムな自販機です、笑。
目的のコロッケは、肉系で、固くて、でかくて、一個2ユーロもします。味は濃いし、なんか、日本人の考えるコロッケとは、まったく違うものでした。アツアツだし、まずいとは言わないけれど、おいしいとも思わないし、二度はいらないかな。
そういう中、唯一期待を裏切られなかったのは、アップルケーキです。
いつどこで食べられるかワクワクしつつ、タイミングが難しいと思っていたのですが、ミッフィーに会いに行ったユトレヒトのセントラル美術館のカフェで、無事遭遇しました。
これ、ほとんどリンゴ、それも甘さ控えめで、すっごくおいしかったです。一切れと言わず、食事的に食べれちゃうくらいのものでした。
この美術館のカフェは、雰囲気も昭和的なゆったり感があり(ルノワール的なスペース感)、お休みどころとして、とてもお勧めです。
是非もう一度いただきたい、と最後の日に、ずいぶんと歩いて、何とか無理やり遭遇を絞り出した感のある、もう一つのアップルケーキは、アムステルダムの市内のカフェ。
Cafe' George
Leidsegracht 84, Amsterdam
これは、アイスクリームまでついている、レストランのオシャレなデザートでした。この店、手前はカフェですが、奥はレストランでしたし。
ドカンと、リンゴ一個を丸煮したもの。これまた甘さ控えめで、ミッフィーのケーキとは全然違うタイプで、でもやっぱり激うまでした。
相当うろうろした挙句に、何とかたどり着いたカフェなので、探しても行けそうもない、と思いましたが、今地図と見ると、意外とゴッホ美術館からも遠くはなさそうです。
というわけで、食を目指して行く国ではないと思いますが、アップルケーキは絶対のお勧めです。
順番が逆になりましたが、お花も、一応、笑。
冬は、お花市場も規模が小さいですが、球根の、「買わなきゃソンソン」的な攻撃力はすごかったです。友人宅のチューリップは、先週あたり満開になったそうです。オランダのものは、発芽率がいいと思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/22(水) 05:29:50 |
海外旅行
| コメント:0
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)6
ユトレヒトにも、脚を伸ばしました。オランダって、国が小さいから、どの都市もとても近いし、電車が発達しているため、アクセスが簡単です。電車賃は、あまり安くなりし、往復割引とかそういったもんもないようでしたが、イタリアと比べるのはちょっと違うかもね。イタリア、特急料金とかは高くなりましたが、ローカル線の電車賃は、相変わらず、安いですからね~。
ユトレヒトの目的は、こちら。
ミッフィー美術館Nijntje Museumです(ちなみに、ミッフィーのオランダ語オリジナルの名前は、”ナインチェ”。正直、全然かわいくないサウンドだと思ったのですけど、オランド語的には、愛らしい響きということなんですかね)。
いや、これ、一人の旅だったら、多分行かなかったです。ユトレヒト、他に何かあればともかく、ウサ子ちゃんのためだけに遠征はしなかったです。同行者が絶対行く場所のリストに入れていたんで、行っただけなんです。
けど、ごめんなさい、結果から言えば、すっごくよかった。ディック・ブルーノ、知らなかったよ~、すまん。
しかし、ちょっと笑えたです、おばさんの行動。
この美術館、対面に町のメイン美術館がありまして、チケットはそこで発券です、ということでした。そこでチケットをもらって(ここも、Museum Cardにより無料)、こちらに戻ってきたんですよ。
そしたら受付のおばさんが、「お子さん…、いないのね?ここは、子供のためのスペースなので…、大人の方は…。まぁ、見ていってくださいね。でも、玩具や調度は子供のためのものなので、見るだけでよろしくね」と、クスクスしながら注意してくれて。
なんでそんな注意を?ミッフィー美術館って、みんな、特にかわいいもの好きな日本人はここを目指してくるんじゃないの?と不思議な気持ちで、乳母車がたくさん置かれているロッカールームで、めっちゃくちゃかわいいロッカーに荷物を預けて、いざ。
めっちゃくちゃわかった、オバサンの注意の意味、笑。ここね、親子で遊べる児童館的な?そういうスペースだったんです。ブルーノの絵を基にした、こんな電車があったりして、小さい子供が乗っているんです。そりゃ子供も連れてないおばさん、いたたまれないし!
展示はかわいいけれど、美術館ではなく遊ぶ場所という位置づけだから、鑑賞するものもなく、ただかわいいというだけで…。え、これを見に来たんだっけ?と同行者ともども、「?????」でした。
ここまで来たんだし、必然的にメインの美術館も見ていこうということになりました。
ユトレヒトのセントラル美術館Centraal Museumです。
何があるんだろう、と館内案内図を見たら、ミッフィーの作者、ディック・ブルーノのアトリエが再現されたスペースがメインのようでした。
そういえば、彼は、割と最近亡くなって、結構なニュースになってたよな、とこの時点で初めて、作者への思いが沸いてきました。
で、美術館の最上階に再現されたアトリエ。感動しちゃいましたよ。何がって、その普通さっていうのか。アーティストというより、この方、限りなくグラフィックデザイナーなんですね。いかにもそういう理路整然としたスタジオで、すっごく普通の文具があったりして。
うちにもあるスティックのりとか、オルファのカッターとか、ロットリング、スコッチ…。お家感すごいですよねぇ。思いっきり食いついちゃいました。
お部屋を再現した場所などもあり、ビデオも多種流されていました。ミッフィー以外は知らなかったので、あれこれ見て、書籍の装丁を主にやっていたとか、知らなかった話多数。
有名な推理小説シリーズの装丁を多数手がけていて、洒落たものだし、ミッフィーとは全く違う世界観の作品で、びっくりしました。本人的にも、なんでこんなに人気出ちゃって、という感じだったようです。ミッフィーの人、になってしまって、当初は必ずしも大満足、というのでもなかったけど、だんだん、楽しくなってきた、みたいな感じでした。
わたしは、子供もいないし、ミッフィーの絵は、ちょっと無機質な感じで、好きと思ったことないんですが、ミッフィー以外にも、たくさんのキャラクターがいて、どれもすっごくかわいいのですね。
シンプルな絵ですが、絵を描くところのビデオもあって、フリーハンドでまっすぐの線を引いて、色を塗って、すごい完成度で、それもまた感銘を受けてました。この線を、迷いなくまっすぐって、なかなか引けるもんじゃないです。
色も、あえて、同じ色を、最低限の組み合わせで使うようにしていたそうです。
この美術館、他にも何かしら展示がありましたが、目的はここだったんで、結局この再現アトリエだけで、1時間半くらい見学してましたかね。行かなくても別に、と思ってた割には、すごい食いついたもんです、笑。
で、ミッフィーは、この美術館だけで終わりませんよ。
見えるかな、ポールのてっぺんに、ハートを抱えた子がいるんです。
これは、美術館を出てすぐのところなんで、容易に見つかったんです。こういうディック・ブルーノさんフューチャーのものが、点在している町なんですよ。
一応事前に調べたミッフィーのクッキーを作っているお店は、残念ながらクリスマス休暇でお休みでしたが、これは、遠回りして、見に行きました。
激かわ~💛
しかし、撮影は困難を極めました、笑。信号ですからねぇ。それも、車の往来がかなり激しい大通りなんですよ。
床面も、虹色でかわいい。ここを行ったり来たり、何往復したでしょうか。ほんと、花火や電飾物の撮影は、難しいです。
青は、成功せず。
あほな日本人のおばさん状態でした。撮影している人は、勿論他に誰もいなかったです。
昼過ぎから遠征してきたんで、見学が終わった時はすっかり夕方。ユトレヒトの駅はとってもキラキラしていました。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/20(月) 01:21:47 |
海外旅行
| コメント:2
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)5
デンハーグには、もう一つ、必見の美術館があります。
エッシャー美術館Escher in Het Paleis。
事前に、せっかくデンハーグに遠征するなら、他にもないかと探しておいた美術館でしたが、これって、「エッシャーと言えばここ」というような位置づけの美術館だったのですね~。
実は、彼が、オランダ出身なんてことすら知らなかったんです。てっきりスイス人だと思い込んでいましたが、スイスは、人生の後半に住んでいただけだったことも、今検索して知りました。
エッシャーは、おそらくですが、安野光雅さんの絵から入って、知ったように思います。だから、イメージとしてはイラストレーターとかグラフィックデザインの人で、画家と思ったことはなかったかも。でも、絵は大好きで、数年前にミラノで展覧会があった時も、じっくりと鑑賞しました。
この美術館は、Museum Cardのネットワークに入っていないため、別途入場料を払う必要があり、また同行の友人は、特段興味があることもない、というより、ほぼ知らない状態だったので、どうかと思いましたが、結果的には、私はもとより、友人も大変楽しんだので、本当に調べておいてよかったです。デンハーグまで行って、ここを見なかったら大損ですので、今後いかれる方は、どうぞ、マウリッツハイス美術館に加えて、ここも必ず行ってみてください。
驚いたのは、昼過ぎの時間だったと思いますが、なんとチケット売り場には、結構な行列が出来ていました。狭いホワイエに、ぎっしり。今だと、ソーシャル・ディスタンスが保てないような様子でした、笑。
ここもまた、立派なお屋敷を入れ物として使っています。
イメージとして、オランダってなんとなく近代的な様子を思い描いていましたが、意外とどこもここもこういう感じなんですね。入れ物によさげな、大型の金持ちのお屋敷がたくさんあったということもあるのかもですが。チューリップ投機とかそういう時代の産物なんだと思います。
お屋敷の雰囲気も利用しながら、現代風な調度も置いたりと、ここでもまた、作品に加えて、時代の混ざった楽しさを味わえます。
一応エレベーターはありましたが、とっても小さい後付けのもので、ほとんどの人は、階段を登って、ぐるぐる。本当に立派なお屋敷ですが、やはり階段は幅小さめで急で、今のオランダ人の体格に絶対合わないサイズ感でした、笑。
作品は、今更紹介するまでもないですが、これまで見たことのないものもたくさんあったので、楽しかったです。
イタリアの風景をベースにした作品が多かったのですが、長年ローマに住んでいたのですね。これも知らなかったよ。
見知った絵でも、やはり見れば見るほど楽しくて、細部までじっくりと見ずにはおれない、という作品の目白押し。入り口が込んでいたように、内部もかなりの混雑で、絵によっては近寄れなかったり、長く独占できないこともありましたが、少なくとも静寂の中で鑑賞したい(勿論それがベターですが)、というタイプの絵でもないので、問題なし。
どうしたら、こんな絵を発想できるのか、と、しばし考えこみながら鑑賞しました。そして、アイディアの独創性や構図に、何かハンコ制作に生かせるものはないか、と、お門違いの目線も持って、笑。
組紐の絵一つ、見本を見なければおよそ描くことのできない私とは、明らかに頭の構造が違います。
だれでもが、少なくともその一部は目にしたことがあるだろうメタモルフォーゼの絵は、絵巻物なんですね。すっごく長い横長が、カーブしながら展示されていて、これまた目が釘付けでした。
後日、お隣のお家にお邪魔したら、壁に複製がかけてあって、長いままのポスターが売っているんだ、と驚きました。これは、飽きないタイプの絵だから、家に飾るのは楽しいかも。
そして、最上階だったと思いますが、体験型の展示があって、ここは楽しかった~!
だまし絵の手法を使った実際の屋内セット。これ、誰でも遊べるんです。その場で写真を撮ってくれて、自分ももらえるんじゃないかな。いろんな変なポーズを取ってる人たちの写真が、展示されていました。
この写真だと、あまりよくわからないかもですが、床と天井が歪んでいるとかで、これ、同じ体格の人でも、巨人と小人になるんですよ。右の角の所に立つと、最小になるのかな。カメラの位置によっては、すごい効果です。この二人も、同じような身長です。
これも、壁に唐突に変な線があって、でも、絶対に意味があるはずだから、色々立つ場所を変えたりして、何が見えるかを探しました。奥にある鏡に映っているのが、オレ、笑。
やっと見えたのは、ある一点に立つと立方体が見えて、そこから人が出たり入ったりするような図になるんです。面白かった~!体験型は、いつも楽しい。
この他にも、インスパイアされた他のアーティストによる大迫力の3D映像とか、実験的な積み木みたいなものとか、実際に触れて遊べる仕掛けもたくさんあって、これは人気なわけです。
そんなわけで、たっぷり2時間、堪能しました。
それでも、また行きたいと思います。できれば、もう少し人の少ない時に…。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/19(日) 01:49:50 |
海外旅行
| コメント:0
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)4
前回の記事で、特段興味のないフェルメールということで、アムステルダム国立美術館での「ミルクを注ぐ女」は、限りなくさらりと鑑賞しました。
でもね、何度も言うようですが、根がミーハーですから、せっかくだから見とかないとね、というのはあるわけでして、短い旅ではありますが、フェルメール目指して、近郊遠征もしたんです。
チョイと電車移動をすると、オランダがいかに小さな国かということがよく分かります。今回は、アムステルダムに滞在しましたが、スキポール空港からは、電車が各方面に出ているので、アムステルダムだろうが、ロッテルダムだろうが、さほど時間の違いもなくダイレクトで行けてしまうのですね。
これはちょっとびっくりしました。国土が結構小さいイタリアだって、ミラノの空港はミラノ市の最寄で、他の都市への移動もあるとはいえ、時間もかかれば接続的にも不便ですし、ほとんどの都市ではそういう状態が普通ですよね。
でも、スキポールは、アムステルダムの空港というより、オランダ国の空港、というイメージです。
で、フェルメールを見に行ったのは、デン・ハーグDen Haagです。
ホテルの最寄から、乗り換えしながら行けました。普段、車の移動が多いですが、電車の移動って、なんだか楽しい。異国で、言葉もシステムもわからない中で、乗り換えなどがある緊張感も、ちょっとワクワクしたりして。それに、車窓が、イタリアとは全然違うのも、すごく面白かったです。
デンハーグ、駅は立派でしたが、外に出ると、大開発中という様子で、閑散として、非常にど田舎的なたたずまいでした。まず、どっちに行けばよいのかわからず、しばらくうろうろと看板など見ながらウロウロしていると、こんなトラムが。
スケベニンゲン!
昔、タモリ倶楽部だったと思いますが、世界のエッチな地名特集で出てきた地名、まさかこんなところにあったとは。すごくびっくりしました。デン・ハーグを北上した海辺の町のようでした。トラムで行けるのですから、おそらくたいした距離ではないのでしょう。
やっと町の中心部への方向を見定めて、いざ。
徒歩10分ほどで、町に入る感じです。
鉄扉の閉ざされた中に、立派な建物。よく見たら、ライデン大学Univercity Leidenとありました。ライデンというのはおそらく土地の名前ですよね?分校なのかな。何で、かは分かりませんが、結構有名な気がします。
さらに進むと、美しい風景が広がります。
朝いちばんですから、とても清々しかったです。それに、こういうお城スタイルというのは、イタリアにはないので、目に新鮮。
これ、なんだと思いますか。
湖をぐるりと回りこんで、この、建物の湖と反対側に行きます。目的地もそっちなんですよ。で、入り口。
目的地は、この門の手前右手にありますが、開館時間よりも早く到着してしまったので、この立派なお城が何か見に行くことにしました。入り口は、閉ざされていないしね。
ぐるりと建物に囲まれた中庭の真ん中には、教会と司教館的な建物がありました。
散歩している人がちらほらといましたが、クリスマス時期なので、建物は閉まっているし、結局なんだかわからなかったのです。しかし、確か後から、美術館の人が教えてくれたのですが、これ、なんと国会議事堂でした。
国会議事堂って、首都にあると思いますよね?
オランダは、そうじゃないんですって。各都市に機能を分散していて、デン・ハーグは政治の中心としての機能を担っているそうなんです。アムステルダムは、もしかして観光を一心に担っているだけの都市ということですかね。
そういえば、アムステルダムって、大学もないような気がしたんですよね。
先にあったライデン大学とか、ロッテルダム大学とか聞きますが、アムステルダム大学は聞かないですよね?
こういう仕組みもまた、ちょっと独特な国なのかもしれません。
それに、そういう重要な場所であれば、たとえ祝日で機能していなくても、警備ってしてませんか?だれでもアクセスできちゃうんですよ、扉のところまで。警備員なんて、全然いなかったです。これも、独特な気がします。
そんなわけで、また本来の目的から外れたところから始まっていますが、デン・ハーグに行った目的は、ここです。
マウリッツハイス美術館Museum Mauritshuis。
マウリッツハイスという人のお屋敷だったのですかね。お隣の議事堂に比べると、とてもこじんまりとした建物ですが、でも、一家族が住んでいたのだとすれば、なかなかの規模ですね。議事堂は、もともとお城だったのだとしたら、その関係者のお住まいだったのでしょうね。
さて、先にも書きましたが、開館前に到着してしまったわけですが、ウロウロとお城を見学して戻ってきたところ、なんと、日本人の団体旅行者が来ていました!
目的な同じはずなので、嫌な気持ちになったのですが、こうなったら、だれよりも早く入り、誰よりも早く目的の絵を見つけよう、ということで、友人と、スタートダッシュ、やる気満々で、鉄扉が開くのを待ちました、笑。
定刻より数分遅れて鉄扉が開いた途端に、小走りに入場。チケットを持っていない現地の人々は、チケット売り場に行きますが、我々は、持っていますので、カードをかざして入場です。超特急で、クロークにコートや荷物を預けて、脇目もふらずに、絵を目指しました。
ありました!
そう、目的はフェルメールでも、最も有名かもしれない、この真珠のイヤリングの女子に会うことでした!
すっごく感銘を受けました。
やはり本物を見ないとわからないよねぇ、とよく言いますし、本当にそういうことって多々あると思います。自分も、普通にそういう風に思いますけれども、衝撃的なレベルで、それを感じたのは、過去には、リキテンスタイン、そして、この真珠の乙女かもしれない。
今絵の横に置かれたキャプションを見て知りましたが、これ、モデルさんじゃなくて想像で描いているんですってね。そんなことも知らずに見ていたわけですが、もうなんというか、この普通に振り向いた感が、自然で、まるで一瞬を切り取った写真のような、すっごい新鮮な感覚です。ああ、なんだろう。
この時代の絵って、まだ意味を求める描きこみ満載傾向にある中で、この、シンプルな背景は、イメージで描いているから、ますますそういうことができたのかなぁ。いやはや、衝撃でした。この一枚を見たことで、このオランダ旅行は、想像以上に意味のあるものになりました。
絵の衝撃もそうですが、デンハーグまで見に来る人は、少ないというのも、驚きました。フェルメール、ブームと言っても、日本人ほど、頑張っちゃうミーハーな人は、そういないということかな、笑。
同じ部屋には、大きな風景画もあり、これも、とても好きでした。
美しいマットな風景。こういうのは、人気があっただろうなと思います。こういうのが、やっぱり売れる絵だったんでしょうね?
売れそうな絵、という意味では、こういうのも、ちゃんと描いています。
犬がかわいいな、と思うくらいで、特段の感銘はなし。そんなもんです。
しばらく独占状態でお部屋にいて、近くから遠くから真珠の女子と対面して、本当に充分すぎるほど対話して、満足したころに、他の見学者がやってきたので、退去。
他のお部屋も一通り、見学しました。
レンブラントさん。
彼の有名な絵も。こういうのって、教科書に出るレベルの絵。最近、そういう美術鑑賞してないから、妙に感動する。
由緒あるお屋敷だっただろうから、調度もそれ的で、時々そういうとこにも目が行っちゃいます。家を買った時に、すっごくほしかったこれ。
うちは小さいから、すっごく小さいダサいのしか買えなかったけど、このふさふさと、それを引っかけるフックには、本当にすごくこだわったのを思い出します。無駄金を使ったものだわ、笑。
この、超絶な静物は、オランダの作家さんなのかな(Willem Claesz Heda)。いろんな静物バリエがあって、必ず、突起の付いた変なグラスと銀器。自分の技量見せつけ絵画でしょうね。
つい細部まで見入っちゃったのが、この人のシリーズ。このときの企画展だったのかも。
見たことないけど、「家政婦は見た」とか言うテレビドラマ?
なんかその手の風刺画的なものなんです。右奥で、女中に言い寄ってる当主をこっそりと見てる女中さんらしき人。あとでゆすりとかしたてのかなぁ、と思わせる、したたかな様子ですよね。
てへっ、という様子で、盗みまで…。
面白いシリーズでした。
そんなわけで、大変充実のマウリッツハイス美術館。お勧めです。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/18(土) 02:25:20 |
海外旅行
| コメント:0
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)3
前の記事で、美術館カードの件は、詳しく書きましたが、市内交通関連については、触れませんでした。オランダ、特に大都市であるアムステルダムには、乗り放題チケットとか、美術館チケットとセットになったものとか、市内交通をお得に乗りこなすためのチケットも各種あるんです。
この旅で利用したホテルは、旧市街から南の方向に離れたロケーションで、主要な美術館が集中する地域からは、3キロくらいでしたか。旧市街内部は徒歩で行けそうだけど、少なくとも旧市街との往復は、トラムかバスに乗ることになるのかなぁ、と事前には同行者と話していたのですが、お互い、ウォーキングが健康法の基本になっているタイプなので、お互い暗黙の裡に「多分、歩いちゃうんだろうなぁ」と考えていたために、市内交通関係は無視したMuseum Cardを購入することに決めたわけです。
ホテルがあったのが、上の地図の印が付いている場所から100メートルくらい南に下がったあたりで、ほぼ真北に進むと、旧市街となります。ゴッホ美術館のあるあたりまでが、3キロ強で、アンネ・フランクの家などは、さらに北なので、5キロくらいもあったでしょうか。
結局、市内交通のお世話には一度足りとならずに、毎日、行きも帰りもてくてくと歩きました。連日、20キロくらい歩いて4日間ですから、これまでもよく歩いてきたものの、これは新記録だと思います。
市内交通は、お得チケットがあっても、ミラノのように安くはないですから、経済的にも健康的にも、ウォーキングは、お勧めです。旧市街の中や近くであれば、すべて歩きで行けます。それも、紙の地図でもオウケイ、笑。スマホは、地図だとすぐに電池がなくなるし、充電器とか持ち歩かないタイプなので、大抵紙で歩いていました。
さて、そういうことで、毎日美術館にたどり着くまでに、すでにかなり運動していることとなりまして、その後美術館内をまた歩く、歩く、歩く…。そりゃ、20キロにもなります。
アムステルダムと言えば、まずこちらに行かねば、という国立博物館は、到着した日に行きました。
Rijksmuseum Amsterdam
歩き回っていたため、あちこちから、その巨大な建物を目にしました。改めて巨大ですよね。
実際、近づくとなんだかすごくて、正式な入り口がどこなのかもよくわからない有様。最後の方では、そういうのもオランダ的なのか、と理解したのですが、秩序だっているようで、かなり無秩序なんですよね、この人たち。
ここも、建物のエントランスは立派なのに、屋内に入る部分は、すごく分かりにくい。
ホワイエというのか、チケット売り場などのあるスペースは、広い割には、整然とした秩序がなくて、クロークには人だかり、チケット売り場は、なぜもっと広々とスペースを活用しないのか?というような、不思議な状態で行列が出来ています。
それでも、窓口の人たちは、大抵笑顔でめちゃくちゃ感じよくて、サービスはいいのが、イタリアとの違いかな。
特別展は、予約していましたが、常設展は、予約なしで入れます。
それにしても、すごい人混み。クリスマス当日ですが、お休みの場所が多いだけに、人が集中していることもあるかもですが、おそらくここは、いつもこんな感じなのでは、と思います。
すごく人がたかっているのは、勿論、フェルメールです。
小さい絵です。人の目線の高さだから、人がたかると、ほとんど見えない。まぁ、みんな長くいるわけではないので、待っていれば、見られますが。
でも、絵というのは、おしくらまんじゅうしてみるものではないですよね。しみじみ思いました。まぁ、私はフェルメールについては、特段興味があるわけではないので、この程度で十分でした。昔来た頃は、今ほどのフェルメール・ブームなどなかったので、この絵の前には、誰一人いなかったと記憶しています。と言って、これを見たかどうかは記憶にないですが、笑。
一方、こちらは、よく覚えています。
レンブラント様ですね。これはその巨大さにたまげた記憶があります。
今は修復中で、ガラス板で囲ってありました。こういう修復って、斬新ですね。昔、ミラノにあるレオナルドの最後の晩餐が修復中のとき、こういう状態で、見せていましたが、あのころから、こういうのが流行りなんですかね。修復の人は、やりにくいのではないかと思いますけれど。
予約の時間に、特別展に移動。
昔のお屋敷を再利用している建物なわけですが、モダンに改装している部分と、往時のまま利用している部分が混在しています。欧州ではよくあるタイプの入れ物。
あ、この絵知ってるな、見たことあるな、という絵がたくさん出てくるんですが、基本、この辺りの時代の絵画はあまり興味がないため、さらさらと見ていきます。
そしたら、あれ、これは好きだな、という一枚があり。
フェルメールでした。こういうマットな様子の風景画、よいですね。
とにかく何でもかんでもあり、すごい量なので、だんだんどうでもよくなってきたりするタイプの美術館です。最近は、読みもしないフライヤーの類を安直にもらって帰らないようにしていますが、写真も、不必要にたくさん撮影するのは控えております。それでも、見ていると、ついつい、というのがあります。
中世もののスペースまであるんですから、ほんと、きりがない感じ。
Carlo Crivelliの美女。
クリヴェッリお好きな方多いようですが、私は、このマグダラのマリアに初めて感銘を受けました。美しいですよね~。すぐ近くから見られますので、ちょっと、磁力が半端ない代物でした。こんな絵が身近にあったら、人生狂わされちゃうんじゃないか、というような。
こんな聖遺物入れの展示まで。
この辺りに来たときは、すでにヘロヘロ疲れていたのですが、気力を振り絞って撮影した感じです、笑。
これは、ちょっと驚きです。
勿論あって不思議じゃないんですが、オランダのロマネスクって聞かないですよね。これ、オランダのなんですよ。12世紀前半、オランダ北部「Egmont修道院教会のタンパン」とありました。カギを持ったピエトロさんの左右に、寄進者の母子が彫られているそうです。
オランダは、現代にいたるまで、何度も激しい洪水被害を繰り返していますから、教会なども、そういう理由で残っていないとか、あるのでしょうか。考えたこともなかったな。
最後に、いただいたパンフをざっとチェックして、一応有名どころは抑えたかどうかを確認。いやいや、これ見てないし、ということで、またうろうろ。
ゴッホなども、きっちりと見逃すところでした、笑。
でもね、全部全部余さず見るなんて、無理。
この日は、閉館が17時と、おそらく若干早めだったんじゃないでしょうか。見学を終えて出た時には、とっぷりと夕暮れでした。
おそらく3時間くらいは見学していたと思います。それでも、見切れない。大きすぎる入れ物は、困ります、本当に。
ちなみに、ショップ、かなり充実しています。つかれていたにも関わらず、結構じっくりと見てしまいました。なんといっても、お手頃なお値段が嬉しく、さすが美術館観光をフューチャーしている国だな、という感じです。お土産にはミュージアム・ショップが一押しですね。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/17(金) 02:40:29 |
海外旅行
| コメント:2
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)2
Museumの記録は、訪問時系列無視で、記事の都合でまとめていきたいと思います。
まずは、アムステルダムと言えばここでしょう、という博物館になります。
アンネ・フランクの家Anne Frank Huis(www.annefrank.org)です。
昔アムステルダムに来た時も、何はなくとも、という気持ちで、ここは真っ先に見学しました。しかし、そういう行動も、今や昔です。今は、ほとんどのMuseumで、予約必至となっており、ここは今回、最も予約に苦労したんです。
予約については、同行の友人と協力して、実際の旅よりもずいぶん前から、どこは必要か、いつ取るか、他とどう組むかなどの研究をしておりました。ただ、あまり早く予約してしまうと、行動に制約ができてしまうため、早すぎる予約はダメ、という認識で、それでも一応、予約サイトは度々チェックしていたのです。
が、出発の2週間くらい前でしょうか。多分12月に入ってすぐくらいのタイミングで、このアンネのお家の予約が、いきなり満員となってしまい、滞在中どの日についても、もう空きがなくなっていたのです。
驚愕でした。
昨今のオーバーツーリズムは、イタリアだけの問題ではないということなんですね。それに、考えたらクリスマス休暇で遊びに行くのは、俺たちだけじゃないだろう、と反省しましたが、とにかく後の祭り。
ただ、アンネの家の予約システムはなかなか素晴らしく、当日券を残していてくれているのですね。キャンセルなども含めて、毎朝Availableなチケットが、9時から予約可能となります。そのため、2週間以上にわたり、仕事を始める前に、毎朝サイトを訪問しては、チケットを確認しておりました。そして、幸い、出発の数日前に、何とか二枚ゲットできた、というものです。
現地で、やはり驚いたし、なるほど、チケットがそれだけはけるわけだよ、と思いました。
この建物の裏側の部分に、アンネ一家は隠れて暮らしていました。昔は、ここから直接入るようなシステムだったと思うのですが、今は、この建物を右側に行き、一家が毎日その鐘を耳にしていたはずの教会の方に回り込んだ場所が、チケット売り場であり、入り口となっているのです。
右側の、ガラス張りの地上階が、エントランスです。
この方向に進むと運河で、右に曲がって数軒目がアンネの家となります。
ガラス張りビルの向かいが、教会です。
この教会そのものに興味は持てませんが、当時もここにあって、この教会の周囲ではいろんなシーンが展開されてのだろうし、その中で、隠れ家が見つかって、連行されていくフランク一家の誰かが、最後にこの教会を見たかもしれないし、などと思うと、歴史の舞台であることが、ひしひしと感じられて、感慨深いものでした。
エントランスからは、まず、事前学習的な展示コーナーができており、さらにいろいろと考えさせられるものでした。オーディオガイドも入場料に含まれており、日本語もありますから、説明は分かりやすいですし、一人でどっぷりと集中できます。
左側が運河に面している、トップの建物部分で、フランク一家は奥の部分に隠れていたのですね。オランダの住居建物は、今もこういうスタイル、いわゆるウナギの寝床的なのですね。ファサード側の窓や扉に税金がかかるとか、そういうことがあったのでしょうかね。
写真の展示も、とてもたくさんありました。この、エントランスの場所と家を見終わってからアクセスする部分。
ここでは、こうなるずいぶん前、近所の人の結婚式がアンネの自宅近くであり、結婚式の動画撮影をした中にたまたま写り込んだというアンネの姿があり、ほんの数秒の映像ですが、非常に生々しかったです。実在なのに、多くの現代人にとっては二次元の世界の人、みたいな印象が強いだけに、映像の持つ力って、こういうのかな、とも思ったりしました。
這いつくばるようにしてしか登れないような、狭くて急な階段。
ただこれは、隠れ家だから、というわけではなくて、オランダの家の構造がこういうものだったのですね。
この他にも、簡易台所の流し台などがあり、驚きましたが、当時のオランダ人の平均身長は、今の日本人並みか、もっと小さかったくらいだそうなんです。流し台など、私でも腰を痛めちゃうわ、という高さでしたよ。
そのくらい小さい人たちだったから、階段もこういったサイズだったようなんです。アパートの入り口も、同じような状態です。
今のオランダ人は、男性の平均身長が190センチほどもあるんじゃないですかね。昔、健康促進のため、水道水にカルシウムなどの栄養剤を入れた、とか聞いた気がするのですが、検索してもそういうことは出てこないのです。急激に身長が伸びた理由、自然淘汰が主な要因となっているんですが、ちょっと待て。戦時中に、平均160センチに満たない人たちが、いきなり戦後50年程度の自然淘汰で30センチも伸びますか?
なんか、怪しいです、オランダの身長、笑。
それはともかく、階段は転げ落ちるような角度ではありますが、各部屋はまぁまぁの広さがあるのです。ただ、複数の人々が、音を出さないように生活するのは、本当に息がつまるようなものだったでしょう。
そして、感じるのは、助けた人々のことですね。
仕事仲間などが中心となって、計画して実施したわけですが…。私だったらできたのか…。思うのは、やはりそこです。
私が感じたのは、同僚が友達が殺されてしまうかもしれない、それは嫌だから、かくまおう、というすごく自然な感覚で始めてしまって、もしかしたら最初は、それほどやばいこととは思わない思いつきだったのではないかと。だからこそ、結局見つかったのは密告なわけですが、何らかかかわった人が、現実に震えあがって、もう我慢できなくなったということなのではないかと。
身近な人が殺されるかも、というとき、何かしないと、と思うことは自然だと思うんです。そして、このような前代未聞の蛮行に対して、結果としてとんでもないことになる、と本当のところの想像ができなかった可能性もあるかと、思うんです。
ナチは不思議ですね。
見つかった時も、この場で殺すこともせず、協力者に対してもたいした罪に問わず、フランク一家を強制収容所に連れて行っただけ。だからこそ、アンネの日記が残されたのですね。ある意味緩い。そのあたりは、常に不思議に思うこともあります。
で、旅を終えてから、積読になっている「わが闘争」を引っ張りだしました。でも、また最初の数十ページで、挫折して、再び積読になっています。
それと同時に、今年は、この流れで、アウシュビッツに行こうと考えていました。もう、今年は無理になりましたが、海外に出られるようになったら、絶対に行くつもりにしています。負の歴史は見ておかねばならないです。
それにしても、アムステルダムは、アンネのおかげで、なんだかすごい観光資源ができちゃって。その上、人権的な求心力持っちゃって。アンネ・パパのおかげです。観光はともかく、アンネがいなかったら、歴史は勿論として、強制収容所に対する知識や理解や認識は、かなり違うものになっていたのではないでしょうか。
館内は、よくわからなかったんですが、撮影禁止だったようです。他の見学者に注意されたので、撮影はやめましたが、でも、館内には書いてないし、係員も注意するでもなく、なんだかアバウトな国。
そういえば、入り口でも非常にアバウトで、予約時間とかかなりいい加減な感じで入れたり、クロークの受付の行列があるようなないようないい加減さだったり。オランダ人って、なんだか色々分かりにくい人たちだと思いました。
ユダヤ関係では、もう一つ、こちらも訪ねました。
国立ホロコースト博物館Nationaal Holocaust Museumです。
ちょっと町はずれで、美しい住宅地にあります。
ここは、非常にまじめな博物館で、展示も地味ながら頑張っているのですが、本当にまじめで、撮影の気持ちにはなりませんでした。
主に、当時のユダヤ人の子供たちが、どういう扱いをされたかということをメインに展示していました。昨日まで普通の生活をしていた子供たちが、ある日突然集められて、列車に詰め込まれて、そして、強制収容所に入る前に全員殺されるという、戦慄の事実を、淡々と。
疲労困憊の状態で、でも、見られるところは見よう、と頑張って訪ねたのですが、行ってよかったと思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/15(水) 02:33:24 |
海外旅行
| コメント:0
オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)1
イースターの休暇を、おとなしくお家で過ごすなんて、一体いつ以来のことでしょう。少なくとも、この20年ほどは、必ずどこかに出かけていたのではないかと思います。というのも、今の職場では、金曜と月曜がお休みのため(国の祝日は月曜のみ)、必ず四連休となり、お休みの無駄は許せない、もったいない病患者が、動かないわけにはいかないのです。
今年も、ずいぶん前から、トスカーナの旅を企画しており、あとはホテルを決めればオウケイ、という状態で、明らかに無理が見えてきてので、早々に計画放棄しました。
今となっては、イースターどころか、夏休みすら、少なくともイタリアを出ることはできないのではないかという絶望的な状況となっています。
でも、全然めげてません。
メンタルが特に強い自覚はないですが、意外と強いのか?と思ったり。まぁ、イタリアのような国で、長年生きているという事実はありますので、それなりの打たれ強さはあるようにも思いますが、同時に、お家ライフを楽しむツールを、複数持っていることも、要因かもしれません。例えば、トップに置いた消しゴムハンコなどです、笑。
相当古い修行旅もほっぱらかしているので、次はどこをやろうか、と悩んだのですが、とりあえず、サクサクできそうなやつを、この休暇を活用してアップしてしまおう、ということに決めました。昨年クリスマスに遊んだオランダです。
オランダは、過去に一度だけ、アムステルダムを週末旅行したことがあるだけ。それも、ゴッホ美術館が、拡張するずいぶん昔、おそらく30年近く前のこと。
このところ、どうしてもロマネスク中心、というより、それ以外の旅がしにくくなっているのですが、中世目的以外に行きたい場所、また行くべきだけど行けていない場所、というのがいくつかあります。あとどのくらいの期間ヨーロッパにいて、そしてどこにでも行ける体力を保てるのか、そのあたりの兼ね合いも最近考えるようになってきて、そういった場所を、一つずつつぶして行かないとな、という気持ちがあります。
昨年は、クリスマスの祝日の並びが非常に良く、黙っていても六連休だったのです。真冬、それもクリスマスでは、ロマネスクには全く不向きなため、まさに今行かずして!ということで、選んだのがオランダだったというわけです。
目的は、オランダが誇る美術館博物館めぐりで、アムステルダムに三泊四日というスケジュール。出発を、同行者の都合でクリスマス当日としたため、若干手こずりました。というのも、早朝のフライトだったのですが、クリスマスの日は、市内交通が間引き運転の上、朝が遅い!そのため、自宅から、空港バスが出発するミラノ中央駅まで、徒歩で向かうこととなりました。
まだ夜の明けていないミラノの街を、カバンをゴロゴロ引きずりながら、駅に向かったのが、今の状況だと、夢のようにも感じます、笑。
四日間、正味三日半くらいで、回ったMuseumは、以下となります。
<アムステルダム>
国立美術館、アンネ・フランクの家、レンブラント・ハウス、ゴッホ美術館、ホロコースト博物館
<ユトレヒト>
ミッフィー美術館、セントラル美術館
<デン・ハーグ>
マウリッツハイス美術館、エッシャー美術館
オランダには、観光に便利そうなカードが各種あり、どれが最も便利で経済的なのか、事前に色々研究したのですが、最終的には、Museum Cardであろう、ということになりました。ただ、これは現地で買うしかない、ということで、事前の手配はしなかったのですが、これが、大変なことに…。
というのも、どうもある時期から、現地在住者しか買えなくなったとかそういうことになっていて、運用がよくわからないんですよ。ただ、日本人の方の情報などをまとめると、このカードは、一年間有効で、オランダ全国の多くのMuseumに無料入場できる、という代物。カードは60ユーロくらいだったと思います。
(個人情報を色々隠すため、カードの裏側の模様に倣った色合いでぐるぐるしてみました、笑)
わからない中で、最初に訪ねた美術館で、Museum Cardが欲しいというと、居住地を訪ねられ、イタリアならオウケイ、と売ってもらえたので大喜びしたんですが、そこで買えるのは仮のカードで、仮カードでの無料入場は、5つまで、というルールがあったんです。
6つ目に訪ねたホロコースト博物館で、もう5つ、利用していますよね、本来はこれ以上はダメですが…、と言われて、初めてそのルールに気付きました。窓口で、ここにちゃんと書いてありますよね、と指摘されて、確かにその通り…。カードが入っている封筒に、しっかりと記載されていました。
では、本物をゲットするにはどうしたらよいのか、尋ねると、ネットのサイトで、個人情報を入力登録すれば大丈夫、と言われました。翌日、もう一つ行く予定にしていたので、ホテルに戻り次第、ホテルのパソコンを借りて、必至で情報を入力。手数料を引き落とすための銀行情報まで必要で、結構アワアワで、大変でしたが、なんとか、無事完了して、確認メールまで来たので、やれ一安心、となりました。
しかし、翌日行ったゴッホ美術館の入り口でしっかりと止められ、あなた方、もう5つ以上見てますよね、と、通せんぼされてしまったのです。
いやいや、だから、昨日ちゃんと登録して、ほら、確認メールももらっています、と黄門様のご印籠のように、スマホの画面を掲げたのですが、いやいや、カードの本物がないと、本来ダメなんですよ…、でもまぁ、予約もなさっているし…、分かりました、どうぞ、と。
オランダ人、なんかね、ルールは厳格だったりするのに、時々アバウトで親切で、落差が不思議です。
ちなみに、お正月過ぎに、無事、カードが送付されてきました。今年12月まで有効、オランダ中の美術館博物館、入り放題!せっかく作ったからには、是非また行くぞ!と思っていましたが、現在の状況を鑑みるに、今年の再訪は、難しそうです、涙。
知ってはいましたが、改めてびっくりしたのが、自転車比率です。
ホテルから旧市街へと続く道にあった遊園地は、クリスマス休暇ですごい人出だったのですが、多くの人が自転車で来るのですね。
イタリアなら、車移動中心ですから、この数倍のスペースの駐車場がいることになるわけで、自転車なら、コンパクトに収まりますね。経済的にも環境的にも優しいですね。それにしても、すごい数で、やはり驚きます。
とにかくあらゆるところに自転車があります。
町を歩いていても、すごい数の自転車が走っていて、純粋に驚きます。
見えにくいけれど、延々と自転車部隊が走っています。自転車専用路は、歩行者専用路よりも充実している感じで、車よりも歩行者よりも、自転車が王様となっていて、かなり怖いです。すごいスピードで走っているし、信号無視もありで、自転車事故、結構多そうな気がしました。
自転車屋さんのウィンドウでたまげました。
野菜とか入れそうなプラスティックの箱、これ、自転車用に売っているんですね。まさに生活の足、というやつ。
これは中央駅の前。いやはや。
風景全体が、イタリアとは激しく違うので、新鮮でした。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/13(月) 01:05:35 |
海外旅行
| コメント:2
(2019年1月訪問)
この際、なかなかアップする暇がなかった、ちょいとマイナーなご近所も、一気にやってしまいますね。長期休暇の修行以外にも、時々は、ふらふらとご近所に行っているんですよ。実際、訪問できていない場所は、まだ沢山あるのですよね。
自分が持っている数少ない紙の資料だけでも、丹念に見ると、ここもあそこも、まだ行けてない、と焦るほど。
今回の記事も、そういう場所の一つです。
カソレッツォCasorezzoのサンティ・サルバトーレ・エ・イラリオ教会Chiesa di Santi Salvatore e Ilarioです(住所Via San Salvatore, Casorezzo、鍵は、地元お住まいのアントネッラさんが保管しています。電話番号持っていますので、必要があればご教示します)。
見るからに、わざわざ、なぜ?というお姿ですよね。でも、愛用のJaca Bookロンバルディア版に、堂々と写真入りで掲載されている教会です。
いつものように、くだらない前ふりから、笑。
お天気の良い週末に、ふと行こうと思い立ちまして、おおよその場所だけ調べて出発しました。正確な住所は不明だったので、すぐには分からず、何人かに訪ねながら、何とか到着。村の北ハズレに当たります。教会の南側に市街が広がり、北側には草原が広がっています。
たどり着いたものの、扉は固く閉ざされていますし、何も書かれておらず、途方に暮れて、周りをぐるぐるしていました。すると、青年が、犬の散歩に来たのです。トップの、後陣左に見える人です。
慌てて近づき、カギのことを訪ねると、今日は日曜だから人がいるのでは、そこの扉をたたいているといいよ、と。え~、そんなことあるかなぁ、と疑問に思いつつ、何度もノックしたものの、まぁ、当然な感じで、応答はなし。
犬を遊ばせている青年に、再び、いない様子を伝えると、それなら、町の教会に行ったら、何かわかるかもよ、と教会の場所を教えてくれました。
せっかくのお天気なので、車はそこにおいて、徒歩で、教えてもらった道を教会へ。6、7分でしょうか、町の中心に普段使いの教会がありました。
鉄柵が閉まっていのですが、呼び鈴を押す間もなく、丁度人が出てきて、「あれは我々の管轄ではなくて、カギ番がいます」と、カギ番さんの電話を教えてくれたのです。
サン・サルバトーレ教会に戻りながら早速電話をしてみると、「すぐ行きます」と言ってくださいました。嬉しくて、超速足で戻りましたが、結局20分くらい待ちましたでしょうか。アントネッラさんではなく、旦那さんが車でやってきました。
今考えると、昼時で、おそらく奥さんはランチの準備中だったと思います。どこでもかしこでも、我ながら図々しいことをやっているなぁ、と反省中。一年遅いですが、笑。
ここからが本題ですね。
先ほど、どんどんとノックした扉をくぐり、後陣側から入ります。
そう、目的は、フレスコ画だったんです。だから、入らないと、まったく訪ねる意味がなかったため、この日は、しつこく頑張って、カギを求めたのでした。
トップの写真でわかるように、教会の建物はもうほとんど変容してしまって、往時の面影はないも同然なわけですが、そうはいっても、もともと小さな教会であったことに変わりはなさそうです。それでいて、ずいぶんと立派なフレスコ装飾がなされていた様子なのは、ここもまた、立地的にはコモ湖畔にも通じるものがあります。つまり、ミラノからフランス方向へと通じる交通の幹線に近いということです。
1990年代の発掘により、今の後陣が、17世紀に西向きにされたことがわかっています。教会の創建は11世紀とされていますが、両壁は、そのままで、後陣と入り口だけが交換されたというもの。壁は、今は内外とも漆喰ぬりされてしまって、そうは見えないのですが、漆喰の中は、11世紀の石積みそのまま。
鍵番さんは、ガイドもしてくださったのですが、このタイプの小さな開口部がいくつかあるのですが、これらのために、フレスコが残ったのではないかということを話してくださいました。
外側は、一応透明な板が張られていますが、密閉ではないですね。
今ある後陣は西向きなので、そちらから入って右の壁が南となり、それで、南壁に遺された最も古いフレスコ画の意味が分かったということです。
その南壁のフレスコ画、なんといっても、このエリザベツご訪問が、大変良い保存状態で残されています。
フレスコ画が二段で描かれており、赤い帯で区切られています。この赤は、もしかするとすごく鮮やかだったのかもしれないですね。
物語は、南東の上から、つまり、今の入り口寄りの上の方から、ということになりますが、そこから始まり、受胎告知、エリザベツご訪問、ベツレヘムへ向かう場面、生誕場面、マギの図。下の段は、今の扉近くから後陣へ向かって、ほとんど欠落していて正確な内容不明な図(マギの夢とも考えられているようです)、神殿奉献。その後、幼児虐殺、エジプト絵の逃避、神殿でのジェズなど、続いていたと考えられていますが、残念ながら、ほとんどは、ほんのわずかの部分が残されているだけです。
これが、エリザベツ訪問の真下にある神殿奉献で、この二場面だけが、よく残っています。
聖母から差し出されたキリストを、恭しく抱き取ろうとしているのがシメオンさん。ヨゼフが差し出すつがいのハトは、生贄。右の方にいるのは、預言者アンナさんらしいです。忠実な再現図っていう感じですね。人物それぞれに、ちゃんと名前が記されているのも、すごく真面目な画家さんって感じ。または、あれか?ビザンチンの影響があるとか?
今の後陣寄りにも、壁は残されているのですが、もうほとんど内容がわからない状態です。
わずかに残っているのが、この部分ですが、ベツレヘム?何でしょう。
下の方は、ほとんどシノピアだけが残っている様子ですから、剥落しちゃったのでしょうかね。残念なことです。絵の上に傷が浸かられているということは、上に漆喰が塗られていたことだと思うのですが、古い絵が守られることなく、かぶせられた漆喰とともに持って行かれてしまったんでしょうかね。
一番西寄りの部分には、神殿らしい絵が見えます。
これだけの情報から、色々解明する研究者は、やはり偉いですね。
さて、これらは南壁ですが、北壁の方は、西側上から始まり、エルサレム入場などの受難のストーリーが描かれていたようなのですが、もうほとんどの部分は欠落していたことに加えて、16世紀のフレスコ画となっています。
その一連の場面からはみ出す絵もあり、時代が違ったり、いろいろあるようなんですが、下のは、13世紀のもの。若い聖人が十字架を持っていますが、これは、傷もないまま残っている様子からすると、下に、11世紀のフレスコ画があるのかもしれませんね。
その右上にあるのは、一層下の部分で、おそらくこの部分が11世紀ではないかと。なんという集積。
こちらも、11世紀のものが、かろうじて残っています。
場面の縁取りの様子などからも、時代がうかがえるようですね。確かに、時代によって違ったりします。色使いもそうですね。
数は少ないながら、じっくりと拝見したいフレスコ画だったんです。でも、カギを持ってきてもらっているし、それも昼時でしたから、カギ番さんのことを考えなければいけなくて、思う存分というわけにいかないのが、辛いところ。
また、お話をしていただく以上、きちんと聞かせていただきたく、そうするとぱしゃぱしゃと撮影ばかりしているわけにもいかなくて、実はあまりよい写真も取れませんでした。こういう時、一人での見学は、制約が多いです。
この教会に関連して、同時代のフレスコ画がある地域の教会情報も見ましたので、ある日思い立って出かけてみたいと思っています。ある日思い立ってお出かけできる日常に、早く戻りたいものです。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2020/04/11(土) 20:22:31 |
ロンバルディア・ロマネスク
| コメント:0
次のページ