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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

芸術における二千年(タルクイニアその2)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その17

このところ、厄年?と思うほど、ついてなくて、挙句に、買って一年しかたってない新車が故障しました。なんとガソリンタンクに水が入っていたことが理由…。そんなことがあり得るのか?と、愕然としました。
車が原因だったら、修理は補償されていますが、ガソリンが問題だから、修理は自己負担で、泣きそうでしたが、まぁ車そのものの不具合よりは、外的な事情の方が安心はできるので、良しとしないといけません。それにしても日本の誇るメーカーさんの車にしたのは、故障しないことが最大の理由だったので、いずれにしても、想定外の出来事です。出費も想定外ですが、コロナでディーラーさんも大変だったでしょうから、業務貢献できたかもね。ということを慰めにしますかね。
そして、とにかく走ってはガソリンを足して、ということをやっていくしかないようなので、毎週絶対にドライブしないといけないという事態で、しばらく休んでいた近郊の教会訪問に拍車がかかりそうで、これはよいことかもしれません。ポジティブシンキング、重要ですよね。

あ、そういうわけで、またまた更新が遅れ気味となっていたわけです。言い訳でした、笑。

さて、前回訪問したエトルリアの墳墓遺跡のある町、タルクイニアです。
この町にあるエトルリア博物館は、エトルリアの博物館としては、ローマのヴィラ・ジュリア国立博物館を双璧をなすものです。と言っても、ろーなに比べると、規模はずいぶんと小さいですけれども、なんせ、素晴らしい遺跡がすぐそこにある立地なので、臨場感としては、こっちの方が圧倒的です。

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タルクイニア国立考古学博物館Museo Archeologico Nazionale di Tarquinia。

エトルリアと言えば、まずはこの石棺。蓋の上に、だれもが同じ横座り姿勢で、寝そべっている姿をさらしているんですよ。勿論こんな石棺に収められたのは、お金持ちの人たちだけで、庶民は、ただの甕棺などだったようですが。
こんなやつ、多分。

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これは、前回の記事で紹介した、Monterozziの遺跡内にずらりと並んでいたやつ。キノコみたいで、ちょっとかわいかったりしますね。

こちらはガラスの中だったので、反射して醜いですが、字が彫られているのが見えるでしょうか。

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エトルリアの文字は、右から左に書いたんだったと思います、確か。つまり、今の欧州言語と違って、右から読むようになっています。

お棺の彫り物も、勿論金がかかることなので、それなりの身分の人のお棺にしかありませんが、当人の人生を切り取ったような内容が彫られていたようです。この人は、軍人だったのでしょうかね。

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それにしても、紀元前10世紀とかから、中世の時代まで、2千年超のときが流れているわけですが、2千年、感じにくいですね。変化しているとすれば、おそらく道具の発達によって、石がまっすぐに切れるとかそういう部分で、アートな側面は、この時代に、もうここまで、という感じ。

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エトルリアが好きだと思うのは、その表現芸術に、ロマネスクに通じる部分がすごくあると感じるからなんです。同時代のギリシャのシュッとした様子とも、その後のローマの均整の取れたすきのない様子とも違って、なんか味のある遊びのある表現だな、と感じるんです。

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変な生き物の登場も多いのです。

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それが、一番楽しめるのは、ブロンズで作られた日用品への遊び装飾でしょうか。
こんなやつ。香炉かな。

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ここに顔をつけなくてもよいと思うんだけど、遊ばないではいられないっていうのか。

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その他、鏡も大好きなアイテムです。

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これはもう、アイテムとしてはかなりの数発掘されており、エトルリア部門がある博物館なら、一つ二つは必ず見ることができます。浅い彫りの線画が施されていることが多いのですが、その絵が、とっても今風で、びっくりしちゃうんですよ。
初めて見た時は、コクトーを髣髴としちゃいました。コクトー、絶対パクっていると思います、笑。

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エトルリアの重要アイテム、真ん中に出っ張りのついている円盤状のお皿。

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これ、お食事用のお皿だったと思います。石棺の上にあるように、貴族の方々は、ゆったりと寝そべりながら、お食事などをされたらしく、このお皿は、真ん中のぽっちが、裏側でへこんでいて、確か指を入れて支えることができるとか何とか、そういう仕組みだたと思います。
エトルリア人の必需品で、富の象徴でもあったもの。これは、装飾的なので、使う用というよりも、観賞用?どうなんでしょうか。

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これは、この博物館の目玉品で、今回行ったら、特別の部屋の高い壁に展示されていて、前回より格上げされた展示になっていました。
これは、巨大な神殿の破風のあたりにあしらわれたテラコッタ製の巨大な天馬。かなりの大きさかつ、すごく繊細な作りで、どうやってこんなもんが作れたの、と感心します。

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エトルリア人って、すごい技術を持っていたんですね。だからローマに目の敵にされちゃって。おそらく、技術者は、ローマでも重用されて、大きな仕事をしたかもね。

考古学博物館なので、ローマや中世の展示もありますが、全部見ても、コンパクトです。モンテロッツィの遺跡に行かれた際には、是非こちらの訪問もお勧めします。

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  1. 2020/06/15(月) 01:54:09|
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改めてうっとり、エトルリアの死後の世界(タルクイニアその1)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その16

一回、うっかりクローズの日に訪ねてしまいましたが、改めて、訪ねたエトルリア遺跡の中でも、最重要かつ、最も楽しめる遺跡ではないか、と考えられるこちらです。

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モンテロッツィ・エトルリア墳墓遺跡(カルヴァリオ部)Necropoli Etrusca dei Monterozzi, Settore del Calvarioです(タルクイニアTarquinia郊外。オープン時間:月曜以外、冬季8時半から日没1時間前まで、夏季8時半から19時半。関連サイトwww.etruriameridionale.beniculturali.it www.tarquinia-cerveteri.it )。

え?これが、楽しめる遺跡?
と思わず気抜けする写真を冒頭に掲げましたが、理由は、発掘前は、おそらくまさにこういった、何もない草原の広がる土地だったと思うからなんです。
ネクロポリ、つまり死者の町=墳墓遺跡なので、遺跡があるのは地下であり、今では地下への入り口となる上物が点々と建てられているわけですが、発掘される前は、ただの平地だったはずなんですよ。

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こんな感じで、敷地内にある多くの墳墓が公開されています。地下の石棺が置かれた部屋には、素晴らしいフレスコ画が施されており、多くの墓は、そのフレスコ画の内容を名称にしています。
例えば、「曲芸師の墓Tomba dei Giocolieri」では、曲芸の場面が描かれているといったように。

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また、ちょっと真面目なお話です。退屈だったら、飛ばしてくださいね。

墓への絵画装飾は、エトルリアでは多く見られるものですが、これほどの規模また期間で行われたのは、タルクイニアに限られます。紀元前7世紀から3世紀まで、要は、タルクイニアにおけるエトルリア定住の全期間に渡って、行われていたそうです。
なぜタルクイニアでこれほど多く行われていたかという理由は、おそらく、町として豊かであったことに加え、地質的な理由、つまり墳墓内部が、石灰岩であること。絵画をしやすい土台となるそうです。なんとなく分かりますよね。フレスコ画的に、絵の具を吸い込みそうです。

とはいえ、絵画装飾は、現在わかっている内容では、全部で6000にもなるだろう墳墓の3%に過ぎません。このような装飾は、実行するだけの財力や権力のある貴族階層に限られていたのです。それはそうですよね。

墓は、石をくりぬいた埋葬室と、そこに降りる通路からなっています。確か、親族が、お参りに訪れることができるようになっていたはず。もともと地面から埋葬室までは、つながっていたから、おそらく多くの発掘ができたのでしょうし、見学用に整えることも容易にできたのかもしれません。

規模やスタイルは、時期に寄って異なります。
初期は、四角い一室で、天井は、傾斜屋根のスタイル。埋葬されるのは、夫婦の単位であり、それにふさわしい比較的狭いスペース。

上にあげた曲芸師の墓は、まさにそういうタイプ。紀元前510年とされています。
ちなみに、この絵は、葬式の様子を描いたもの。葬式で行われた軽業のショーと、それを画面右側に腰かけて見学者的に見守る判事のような人物。写真に撮り切れていませんが、左右の壁にも、やはり曲芸の様子が描かれています。
お葬式に、こういう催しをしていたということなんですかね。そういえば、ロマネスクでも、軽業師のフィギュアというのは、多くの場面でレリーフになっていますけれど、こういった古代文化を関係があるのでしょうか。今まで、なんかピンと来なかったんですが。

話を戻すと、その後ギリシャに影響を受けるようになり、その時代には、家族親族一同が同じ墓に埋葬されるようになったため、規模が大型化します。そのスペースを支えるため、天井も柱が通されるなどのスタイルとなります。

埋葬スペースが、一室にとどまらず、まるで実際のお家のように巨大化したりしています。ここでは、それほど大きいものはないのですが、この「狩りと魚釣りの墓Tomba della Caccia e Pesca」は、二室あります。

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入り口から見ると、奥の方に、区切られた一室があり、そちらが上で、魚とりの場面です。そして、手前の部屋は、狩りをテーマにしています。

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この狩りの部屋の天井は、狩りのときのテントを模しているようです。凝っていますよねぇ。この墓に葬られた人は、こういうことがお好きだったということなのでしょう。

これらの墓の発見はルネッサンス時代にまでさかのぼり、当時200もの墳墓が発見されていたらしいが、発掘されても、多くは、保存のために良かれという理由により埋め戻されたり、長い年月の間に、正確な場所がわからなくなったりなどで、現在では、約60の墓にアクセスできるようになっています。

墓に絵画を描くという行為は、エトルリア人の生死への思いを正確に写す鏡の役割を担っており、また死後の世界についての考えをも移すものとなっているため、非常に重要な意味を持ちます。
初期の時代は、部屋の正面部分に描かれるだけだった絵が、時代が進むにつれて、紀元前4世紀半ばほどから、壁の全面が絵画で覆われるようになり、埋葬されている死者の人生や死をほのめかす内容が大場面で描き出されるようになりました。上記のように、狩猟、音楽やダンスを伴う宴会、葬式の様子等々。
初期の絵の様式からは、作者が、アジア地方から移民したギリシャ東部のアーティスト、つまり外国人であったことがうかがえるそうです。
紀元前5世紀後半から、死へ対する新しい考え方、ギリシャの影響がうかがえるようです。死後の世界に、怪物的な悪魔や、ギリシャ神話に登場するフィギュアが出てくるようになるそうです。

こういった墓の様式は、紀元前3世紀末、タルクイニアが、ローマに下った頃から、減少してしまいます。ここでも、「ちっ、ローマ人め」、という気持ちになりますね、笑。

実は、ここ再訪で、前回死ぬほどたくさん写真を撮った記憶があるので、このときは控えめだったんですが、そういう「写真はもういいや」という気持ちがあったからなのか、ピンボケばかりなんですよねぇ。ちょっと残念です。
せっかくなので、マシだったのをずらりと。

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小花の墓Tomba dei Fiorellini。

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ベッティーニの墓Tomba Bettini(ベッティーニは、これら絵画の保護に尽力した芸術家の名前)。

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バルトッチーニの墓Tomba Bartoccini。

ここの図解が分かりやすいので、ちょっと載せてみますね。

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もともとこういう感じで、地面からスロープみたいな通路がついていたのだと思います。そして、一室、またはこのバルトッチーニのように、さらに奥や左右に広がっているケースもあります。
今は、このスロープの部分を活用して、もっと急な階段を、地面からおろして、最短で埋葬室にアクセスできるようになっています。そのためかなり急で、この遺跡は、まさに足腰が元気じゃないと見学できないので、興味のある向きは、なるべく元気なうちに訪ねることをお勧めします、笑。
そして、部屋の入り口に、ガラスが張られており、そこからのぞき込むようにして、見学します。

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電気は手動で付けるようになっていたと記憶しています。これは、かなり大きな場所なので、スペースにも余裕がありますが、いずれにしてもガラス部分は、せいぜい二人しかアクセスできませんので、団体だと、見学も大変ですね。
前回はイースター休暇、今回は7月でしたが、ガラガラで、団体さんでも入らない限りは、問題ない感じです。

このときの再訪が、前回から5年はたっていないと思いますが、驚いたのは、主要な墓の入り口に、モニターがあり、ビデオで墓の説明や内部の様子を映し出すようになっていたり、また、前回は見学不可だった場所が、新たに可能になっていたり、今でも発掘が続いていることや、技術の進歩も導入していることです。

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レオパードの墓Tomba dei Leopardi。

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バッケー(酒の神バッカスの巫女)の墓Tomba dei Baccanti。

ふふ、きりがないので止めますが、楽しいでしょう。
これまで多くの遺跡を見てきましたが、ここは、今後も何度でも再訪したいと思う遺跡の一つです。

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  1. 2020/06/07(日) 19:50:38|
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30年前の憧れが現実に(カルカータ)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その15

以前旅したときに振られて、今回もふられたのは、教会ではカステル・サンテリア、そして、遺跡系では、シュトリSutri。週末旅では、月曜日が入ることも多いわけで、そして、遺跡関係は、月曜休みが多いわけで、仕方ないなってとこですが、もうちょっと調べとこうよ、というのもありますな、笑。

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でもさ、観光地なんだから、せめて夏季くらいは、毎日開けてくれても、と思ってしまうけれど、そこは労働組合とか強い国だから、労働者の権利云々で、難しいってことなんだろうなぁ。ある意味、余裕がある国だよねぇ。

さて、次にご案内するのは、昔々にあこがれていた村です。

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それは、カルカータCalcataという、山あいの丘に張り付くように、崩れ落ちるように、しがみつくように、かろうじて存在しているといった風情の村です。
昔々、タルコフスキーという特異な映画監督がおりまして、ヨーロッパ系の映画好きなら、一度ははまるタイプの映画を作っておりまして、この辺りの土地を舞台にした映画があったのです。まだ、イタリアに長期滞在する前の時代でしたが、イタリアに純粋なあこがれをもって、日本でイタリア語を学んでいた時代だったもんですから、その映画に出てくる美しい風景にやられちゃって、いつか行きたいものだなぁ、と漠然と思っていたんです。
でも、実際は、この旅で実際に訪れるまで、長い間、すっかり忘れていました、笑。いくらでも訪問するチャンスはあったと思うのですが、イタリアの厳しい現実に紛れて、そういうはかない憧れって、ずいぶん昔に失ってしまったこともあるのかなぁ。

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村の入り口にある、猫額の小さな駐車場に掲げられた、プロポーション無視のでかい村表示に、なんだかそういう懐かしい憧れが、走馬灯のように…。

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ぶらぶらと散歩したんですが、人よりも猫の数の方が多いんじゃないか、というくらいたくさんの猫がのんびりと寝そべっていて、それだけで、印象アップです。

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首輪をつけた飼い猫だから、ちゃんと飼い主がいるんだろうけれど、人の姿はほとんど見えず。
ちょっと歩くと、すぐに村の端っこに出てしまいます。

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で、こんな断崖絶壁に、柵などあるってことは、ちゃんと人が住んでいてケアしているわけで、何ともすさまじい住まいです。

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こんな山奥で不便な立地の村、廃村となっても不思議じゃないですが、ちゃんと住人がいるのですよねぇ。ここでも、ピティリアーノのように、お住まいの方のお話を伺うことができたのは、ラッキーでした。
ピティリアーノ同様、地下室に降りる階段が目に留まったんですよ。

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入り口の扉に、「カルカータの典型的な倉庫」という張り紙があったので、見学ができるのかなぁ、とのぞいてみました。張り紙には、「中世時代、家を作るために、地下からTufoを掘り出し、その掘り出した石で住居を建設した。そのため、どの家の地下にもスペースができて、それらは、住居、家畜小屋、ワイン貯蔵庫などとして活用された。」とありました。
のぞき込むと、おやじが出てきて、どうぞ、見ていってください、と中に入れてくれました。

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ピティリアーノのおやじの工房よりも、こちらはかなりきれいに手を入れていて、床もツルツルの素材になっていました。ここのおやじも、オブジェなどを作っているようでした。で、この方のお話が、なかなか面白かったんですよ。
何でも、彼は、このカルカータとは縁もゆかりもない、シチリアはアグリジェント出身。成人してすぐに実家を飛び出して、ローマで20年、ナポリやミラノで4年、5年、と働きながら暮らし、その過程で、たまたまカルカータに出会ったそうです。いつかこの村に暮らすことを目標に、働き続け、20年ほど前に、チャンスがあって、不動産を入手できることになりましたが、当時、この村は、存続を危ぶまれていたそうです。住民はほとんどいなくなっている上に、立ち並んでいる建造物が古過ぎて、耐久性の問題があり、居住に適さないため、不動産は国の差し押さえのような状況になっていたんだそうです。要は、買ってもいいけど、場合によっては居住権を失う可能性がある、という問題物件。そういう中で、もともと住んでいた住民は、ほとんどが追い出されるようにして、他に移り住んでいったのだそうです。
それでも、昔からの夢は捨てがたく、ダメもとで買って、ダメもとでとにかく住み始めたら、意外にもそういう人が他にもいて、その流れから、10年ほど前から風向きが変わり、その微妙なステイタスはなくなり、今では70人ほども住人がいるのだそうですよ。
レストランも10軒ほどもあるということなので、観光地として再生しつつあるということなのでしょう。
すごく興味深いお話で、聞けて良かったです。

私のあこがれのもととなっている映画が撮影されたのは、80年代ですから、そういう政策が実施される前のこととなり、もともとの住民も含む村の姿が、撮影できたのだろうと想像します。

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今では、実際にここの出身の住民は非常に少ないのかもしれませんが、もしかすると、他に出ていた家族が、改めて戻って事業をしているなどということはありそうです。不便は相変わらずのロケーションと思いますが、旅人にとっては、とても魅力的な土地ですし、村が完全に死ぬ前に、このアグリジェントのおやじのような奇特な夢追い人がいてくれて、本当によかったと思います。

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夢を追いたくなるようなたたずまいですよね、確かに。

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  1. 2020/06/02(火) 23:40:02|
  2. 旅歩き
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なぜ現代まで生き延びられなかったのか。たまには歴史を真面目に考えたよ(ヴルチ)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その14

イタリアに住んでいるからには、遺跡とのかかわりは日常茶飯事。ミラノですら、掘ればローマの遺跡が出てくるお国柄です。実際にメトロ工事の際、あちこちから出てきちゃうんで、大変だったとかそういう話がたくさんあります。ローマも、いつまでたってもメトロが拡張できないのは、遺跡が原因ではないか、と思います。
イタリアに来た当初は、やはりローマやルネサンスが、興味の対象であり、あちこちの遺跡を見に行きましたが、エトルリアというのは、前にもふれたように、ずいぶん経つまで気付かなかったし、イタリアに来る前は、私にとっては未知だったので、存在していなかったも同然。観光地としても、まったくチェックが入っていませんでした。
しかし、興味が出ても、華やかな観光施設となっているローマ遺跡と違って、エトルリアの遺跡は、地味なものが多いし、アクセスも良くないので、簡単には行けないという現実もありました。

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こんな感じ。コロッセオとかポンペイとか、やはりかないませんよねぇ、笑。

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ヴルチ、自然考古学公園Vulci, parco Naturalistico Archeologicoです。

ここは、以前この地域を回った時は、時間が足りずに寄れなかった場所です。
かなり広大な土地に、かなり地味な遺構が点在していて、相当地味なんですが、それが、民間経営の施設であることに、大変驚きました。
実は、ここを訪れたのは、多くの博物館がクローズとなる月曜日だったかと思うのですが、夏季であることから、開いているはず、という思い込み(ホテルの人も、開いていることには太鼓判を押してくれた…)、他の有名遺跡に向かったのです。そうしたら、見事に定休日でクローズとなっており、このインターネットの時代に、なぜホテルの人の言うことをうのみにして、ネットで調べなかったんだ、と自分たちに腹を立てつつ、急遽プランBとして、向かったのです。

そうしたら、受付には、めちゃくちゃガタイがよくて、それを本人も十分以上に自覚している、あたかもアメリカ人のセレブ御用達パーソナル・トレーナーみたいな兄ちゃんがいて、「うちは民間だから!」と異常に自慢げに説明してくれる、不思議な考古学公園です。開いているのは何よりですが、民間ですからね、それなりの入場料をとられたと思います。

金を払って、炎天下のウォーキング。こういうのって、ちょっとストイックというか、何してるんだっけ、俺?という気持ちになりがち。それも、本当にだだっ広くて、やっとたどり着くと、あるものが地味…。

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(こういう門の一部が、上の石積みとして残っているらしい。)

このヴルチという土地、もともとエトルリアの民が定住して、繁栄していた町なんですが、ローマにやられちゃうんです。エトルリアは、ローマ以前にいた人たちなんですが、強大になったローマが、次々と定住地を征服破壊、乗っ取るというそういう歴史なんですよ。
詳しくは知らないんですが、エトルリアは優れた民で、今やローマの代名詞となっている道とか、水道とかは、エトルリアの民がやっていたことを、ローマが踏襲した、ということらしいです。勿論、ローマは、とんでもない勢いでとんでもない領域まで帝国拡大を実現し、その広範な土地すべてに道や水道を作ったすごさはありますが、アイディアは、人まねらしいんです、笑。
で、ローマは、そういう経緯もあるからか、エトルリアのものは、徹底的に破壊したんだそうですよ。証拠隠滅的な?だから、この遺跡に残っているものも、ほとんどローマの遺構で、それは、実際に訪ねるまで知らなかったので、ちょっとがっかりしました。

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小さな凱旋門的な門が、遺構をベースにして、再建されていました。)

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それにしても、考古学者の想像力というのは、すごいもんです。このゴロゴロの、円柱の輪切りとかから、こういう壮大な建物が建っていたんだ、すごいよなぁ、と感動できる人たちですからね。
私なんて、想像力が乏しいもんですから、コロッセオくらい残っていれば、うんうん、と思えますけれど、このベースの階段と、円柱輪切りゴロゴロでは、あ、なんかあったんだろうね、くらいしか思えないし、すごいよなぁ、と感動はできません…。

エトルリア人は、テラコッタで、装飾的なものを作るのが得意で、上の想像図で、屋根の上に置かれた馬とか、レリーフ的なものは、テラコッタでした。こういう想像図に使われるのは、要は、そういうものが、たくさん発掘されているのです。
後日記事にしますが、考古学博物館に、そういったもののいくつかは展示されています。テラコッタで作ったとは思えないほど、でかくて、また繊細な焼き物で、彼らの技術の素晴らしさには仰天しますよ。

その、考古学者の卵たちが、地味に発掘作業にいそしんでいる現場がありました。

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お話を伺ってみたら、アメリカのデューク大学の調査隊で、20人くらいの若者が、数年にわたって、来ているということでした。また、ボランティアで、各国の人々が参加しているのだそうで、お話をしてくれたのは、やはりボランティアで来ているスウェーデンの若者でした。
実は、考古学をやりたいと思ったことがあるのですが、こういう風景を見ていると、絶対無理、と思います。

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ドムス、つまりお家の遺跡などもあります。美しいモザイクが残されています。こういうものは、掘れば、もっともっと出てくるのではないか、と思います。土地は広大だし。ただ、マンパワーがいる作業ですし、おいそれとはできないのでしょうし、どこでもこれだけの形あるものが出てくる保障はないわけですよね。学生のボランティアとかは、ありがたいマンパワーなのかもしれませんね。

ドムスの先には、興味深いものがありました。

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再現図とともに。ミトラ神の像が安置された部屋です。
ミトラはオリエントが起源と言われておりますが、よくは知りません。これは、儀式を行う部屋なのだと思います。寝そべって飲み食いしているのは、これもローマと同じですよねぇ。

ミトラは太陽神で、キリスト教以前のローマに深く根付いていた太陽神信仰で、実は大変興味を持っているものです。
この旅の後、同じ年の12月にローマを歩いたのですが、その際、ミトラ教の礼拝堂のガイドツアーに参加しました。当然、それもいまだに記事にできていないのですが…。それで、ミトラ教を改めて認識したわけです。キリスト教が、ローマ人のミトラ教信仰を利用して、コンフリクトが起こらないように、キリスト教に改宗させようとして、ミトラの祝日をキリストの誕生日にしたりなどの工作をしたらしいなどのお話が、大変興味深くて、その後度々情報を求めたのですが、ネットではほとんど出てきませんし、書籍も、一般書籍はイタリア語でも見当たらないのですよ。金にもならない世界なので、研究者も少ないということなのでしょうが、ミトラ教にしても、エトルリアにしても、またエトルリアの同世代、要はローマ以前の各地の民族についての研究は、ローマ研究に比べるとあまりにおざなりになっているようで、ちょっと寂しいですね。

ちなみに、現場に置かれていたミトラの象は、勿論レプリカです。こんなのが出てきた日には、みな興奮の極みだったでしょうな。

公園の奥の方には、素晴らしい渓谷がありました。

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公園に沿って、ずっと川が流れています。だから定住地だったのですね。でも、なぜ、ローマ以降は、定住がなくなってしまったのか、不思議ですね。旅をすると、あれもこれも知りたいことが次々と出てきますが、優先順位が中世なので、こういったことは後回しになってしまって、3年たった今でも、調べちゃいません( ;∀;)。

さて、この後、確か、公園内にあった施設で、簡単なパスタ・ランチをしたはず。

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定番ちゅうの定番、トマトのパスタですが、これはうまかったなぁ。
で、公園を後にするわけなんですが、実は、公園の外、つまり無料で見学できる場所に、本来求めていたものがあったんです…。

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草原のただなかに、ドンと。この地下がいかにも求めていたエトルリアの遺跡でしたよ。
この部分は、2011年11月が発掘開始ということなので、ずいぶんと最近整備された遺跡です。一帯に、25もの墳墓が発見されたそうです。一部が公開されています。

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ワクワクするような石の扉とか、地下に降りていく階段。

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中は地味ですが、ここでも、天井装飾が見られました。

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線も円もとても正確で、びっくりしますよね。エトルリア人、すごいなぁ、やっぱり。

それにしても、この無料部分見なかったら、エトルリアを探してヴルチに行った価値はないも同然。見逃さなくてよかったです。
ローマはもういいや、という人は、ヴルチの有料公園に入るよりは、こちらがお勧めです。

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