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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

おにぎりついでのカテドラル訪問?(ヴォルテッラ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)5

前回紹介した洗礼堂の遺構のあるサンタッピアーノのあたりには、他にもいくつか訪ねたい教会があったのですが、この日は、タイヤ交換で午前中を無駄に使ってしまっており、洗礼堂も、一般的にはインパクトの少ない場所であったことから、開いてもいない教会を訪ねるのはちょっと遠慮して、同行者が希望していた町に行くことにしました。

最も興味があったのは、これまで未訪のチェッダCeddaという村にある教会です。

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上の地図で、印のついたのがチェッダです。上の方に、サンタッピアーノがあります。このチェッダとか、そのすぐ下にあるタルチョーナTalcionaに行きたかったのですが、チェッダは、事前に教区に尋ねたところ、「いつもはカギが近所の家にあるから頼めばよいが、今はCovidのため、クローズとしている」ということでした。
もしカギがあるなら、そうはいっても、行けば開けてもらえるのではないか、という希望的な推測もしたのですが、しかし、チェッダにしても、タルチョーナにしても、基点から一本道で、通り抜けできず、行ったら引き返してくるしかない、といったロケーションなので、距離は大したことなさそうではあるのですが、それぞれに時間がかかりそうです。
同行者の希望もあるので、これらの理由から、まずはあきらめ、帰り道に時間が余ったら、タルチョーナだけでも行きたい、ということで、先に進みました。
行先は、ヴォルテッラVolterraです。

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丘の上の中世の町です。それなりに観光地として有名で、私も昔から知っているのですが、そういえば、訪ねるのは、今回が初めて。昔の私にとっては、それなりに興味のある町だったはずですが、それっきりになってしまって。今回は、エトルリアが目的ではあったのですが、この日は、タイヤのこともあり、同行者ともども、遺跡を歩くような気分ではなく、「今日はヴォルテッラを観光できたし、良かったね」と思いたいくらいの気持ちで向かいました。なんというんですかね、無駄な午前中を過ごした分、それなりに充実させたい、みたいな気持ちです。

強い興味はなかったですけれど、私の場合、行くなら見るべきものは、まず必ずといいほどあるので、一応見るべきものについては、メモしていました。
便利なもので、今はスマホで、駐車場なども事前に検索できますから、助かりますよね。
この町、結果的には観光的には大したことないじゃん、と思ったんですが、笑、観光政策が結構しっかりしていて、旧市街を取り巻くように、有料駐車場が、たくさんありました。その分、無料の駐車は、見つけにくいようです。丘の上だから、そうやりやすいし、有料といっても1時間とか1時間半で2ユーロ程度の話なので、それでよいのですけれど、かなりしっかりしていたので、びっくりしたのと、また駐車場がかなり混雑していたのもびっくりでした。ちなみに、駐車場はP1で、中心部がすぐで、便利でした。

町の中心の広場、たぶんプリオーリ広場(Piazza dei Priori)は、かなりの人込みで、マスクを着けていない人も多数で、辟易としました。まずは、おにぎりランチの場所を探していたのですが、人込みを避けていたら、自然とカテドラルのある広場に出ました。ここには洗礼堂も建っていますが、びっくりするくらい、人は少なかったです。

カテドラルの鐘楼のふもとに突き出したベンチ上の石段で、すっかり遅くなってしまった、おにぎりランチとしました。風が通って、かなり気持ちの良いスペース。あれほどの観光客は、一体どこに行ってしまったのか、不思議な気持ちで、まずは、花より団子。

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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta(画像、またお借りしています)。

実は、ほとんど期待していなかったんですが、かわいかったんです!なんと、私の好きなピサ様式でした。ひし形の開口部や、はめ込み装飾、うっとりです。そして、横の方にも、また垂涎物が…。
ニコラ・ピサーノによるものとされているようです。まさにピサ!

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これまた大好きなつけ柱が…。
このファサード右手、つまり南側ということになるのでしょうが、ここの壁だけ古い部分が残されていたのですが、それはうっとりするような古びたつけ柱でした。
こんなマイナーな部分、同行者がよくぞ撮影してくれた、とびっくりしたんですが、たぶん、私がすっごく興奮していたから、そんないいものか、とか思って、撮影してくれたのではないか、と想像します、笑。これに興奮する人って、あまりいないはずだし…。

よく見るとね、上の方にも、浅浮彫があるんです。陽光が強烈で、肉眼では見えにくかった分、かなりの枚数の写真を撮ったと思います…。

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写真が少ないので、愛するつけ柱も、ちょっとズームして。

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中には、12世紀の説教壇があるということで、入りましたが、それ以外はピカピカのキラキラです。

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これ自体も、全体は、結構時代下っている印象だし、あまり好みではありませんでした。緻密な浮彫、というより彫刻も、すでにロマネスク出ちゃってる感が強くて。

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ファサードと向き合う形で洗礼堂がありますが、こちらは、カテドラルより後の13世紀の建造物。オリジナルは、10世紀とからしかったです。

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サン・ジョバンニ洗礼堂Battistero di San Giovanni。

面白味は、ありませんでした。一応、全面、確認したけれど、特に楽しい発見はなかったと思います。

もともとは、異教の教会があった場所に建てられたものだそうです。相当古いってことですけど、今は、13世紀のものしか残ってなさそう。中もキラキラです。

カテドラルにも洗礼堂にも、大理石が使われているのは、さすがカッラーラ近くということでしょうかね。
地味ですが、訪ねることができてよかった。

この町にすっごく興味があった同行者、マスクなしの観光客にひるんだのと、意外と大したことのない街並みに、あっという間に満足して、たぶん、1時間程度でサヨナラとなったと思います。おにぎりを食べるために行ったみたいな感じでしたが、それもよし!

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  1. 2020/08/31(月) 01:25:35|
  2. トスカーナ・ロマネスク
  3. | コメント:2

柱だけが目的というのも、いかにも地味で…(サンタッピアーノ-バルベリーノ・ヴァル・デルザ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)4

旅の二日目の午前中は、タイヤの交換で終わってしまいましたが、のんびり旅なので、そんな顛末も楽しみながら、焦ることもなく、意外と早く何とかなった、という感謝の気持ちでホテルを後にしました。ホテルのおじさんには本当にお世話になったので、わずかですが、お礼をしたら、大変喜んでくれました。こういう時、イタリア人っていい人たちだよなぁ、と素直に思います。

この日の予定は大雑把なものだったので、予定に沿う形で、まずは、ホテルから南下する位置にあるロマネスクを目指しました。

バルベリーノ・ヴァル・デルザBarberino Val d'Elsaという町の郊外に当たるサンタッピアーノSant'Appianoという村にあるサンタッピアーノ教会の洗礼堂の遺構が見たかったのです。

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ここは、同行者が一枚も撮影していないため、やむを得ず、ネットから拝借することとします。要は、ロマネスクに特別の思いがない場合、撮影をするほどのインパクトがないものである、というわけですね、笑。
これはちょっと面白い判断基準になりますね。そういう人にとってどういうものかって、わかりにくいですから。もちろん、一人ひとり好みが違いますから、わかりませんけれど、確かに、ここは、ちょっと地味だと思います。

そもそも、興味の対象は、教会本体の前にある、四本の柱です。地味さがさらに増しますよね、笑。
教会の創建は、地域でも最も古い時代にさかのぼるらしいのですが、でも、結構改変改築が激しくて、今ある本堂は、あまり興味を持てない姿に変容してしまっています。創建時の古いたたずまいを髣髴とさせるものは、この四本の柱だけといってよいのだと思います。

これは、洗礼堂の名残なんです。教会のファサード前に、結構でかい洗礼堂、というプランは、ロンバルディアでも、いくつかありますから、特に11世紀あたりには、割と作られたスタイルなのかな。ここの場合は、ファサードと洗礼堂の距離が、20メートルくらいあったような記憶があります。ミラノ周辺で、二つほど思いつきますが、どちらも、ファサードにくっつかんばかりの位置関係だったと思います。土地のあり方とかに関係するのか、思想的な意味があるのか、どうなんでしょうか。

洗礼堂は、なんと4世紀にさかのぼるものだそうです。ロマネスクどころか、初期キリスト教の時代のものですね。とすると、洗礼も、全身水に浸かって行われていた時代、とすると、立派な浴槽があったのですね。だから、柱も、こんなに立派なのかな。この立派な柱の真ん中に、立派な洗礼の浴槽があったんですかね。

残念なことに、洗礼堂は、1805年の地震で倒壊したそうなんです。
この辺りは、そう何度も来ていないので、地域の歴史には疎いですが、1805年に大規模な地震があったのですね。
イタリア中部は、最近たびたび地震に見舞われていますが、実は、過去にもあったということなんだ、とびっくりしました。北部では、建物が倒壊するほどの規模の地震は、12世紀ごろにさかのぼると思うのですが、トスカーナでは19世紀にあったのですね。つまり100年周期くらいということなのかも。怖いな。

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かなり立派なサイズの柱で、それぞれ、素朴な彫りが施された柱頭が乗っかっています。

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これも、初期キリスト教なのか、またはロマネスクとかの時代になってからなのか、どうなんでしょうね。素朴さからは相当古そうな印象ですけれど。

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車では、ぐるりと後ろの方について、後陣側から回り込んでアクセスしましたけれど、実はこの教会の場所は高台になっていて、道から、立派な階段がありました。

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かなりの高さです。私は、もちろん、階段を下りて、また上がるという愚行というか、普通の人はわざわざやらないよね、的な怪しい行動、もちろんしましたとも。
階段上って、アクセスがどうなのかな、と興味があったからです、もちろん。

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もし、洗礼堂が今でもちゃんと立っていたら、この階段からアクセスした場合、教会は、まったく見えないことになるみたいです。高台にあって階段でアクセスって、すごく結界的な感じがして、神聖さが増す印象で、洗礼堂として大いにありですけど、最初のアクセスで教会が見えない位置関係というのも、ちょっと不思議ですね。

ちなみに、この教会のお隣に、考古学博物館があり、そちらの入り口に、おっさんがどっかりと座っていました。博物館の方は、週末の夕方だけ開くように、事前に見ていたし、特に興味はなかったのですが、一応おっさんに、鍵を訪ねたところ、にべもなく、ほとんど無視するようにして、建物の中に入ってしまいました。
うーん。愛想のない人だって、イタリア人にもいるとはいえ、かなり激しく愛想がなくて、びっくりしました。
その代わりというわけでもないでしょうが、やけに人懐こい猫がいて、しばし、そこらの雑草を使って遊びました。
また、写真を撮りには行きたいけれど、ここは、再訪、あるかなぁ。確信なしです、笑。

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  1. 2020/08/30(日) 02:08:09|
  2. トスカーナ・ロマネスク
  3. | コメント:0

こんな小さな博物館に、はるばるカベスタニー。(サン・カシアーノ・イン・バル・ディ・ペザ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)3

移動日でもあった初日の最後に訪ねたのは、こちらです。写真がほとんどないので、こんなものまでアップしちゃいます、笑。

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サン・ジュリアーノ・ゲッリ博物館 Museo San Giuliano Ghelli
Via Lucardesi 6 and/or Via Roma 37(普段は、どちらからでもアクセスできるようですが、Covidの今は、Via Lucardesiからだけのようでした。旧市街にあり、表示もあるので、迷いようはありません。)
サン・カシアーノ・イン・バル・ディ・ペザSan Casciano in Val di Pesa
木曜/日曜10-13 16-19 入場料3ユーロ
駐車は、旧市街すぐ外の、Piazza Repubblica、Via Giuseppe Garibaldiに止め放題です。

ずいぶん以前に、ロマネスク修行仲間に教えてもらったお宝があり、長い間、行きたいと思っていた場所です。
それが、これ。

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ロマネスク修行者なら、一目でわかりますよね。そう、カベスタニーなんです!トスカーナの、こんな田舎の小さな博物館に、なぜかカベスタニーがあるんですよ。

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写真を撮らない同行者が、珍しくこのカベスタニーは、3枚も撮影していて、感涙です(私は、おそらく30枚くらい撮影したと思いますが、笑)。

この博物館、意外と新しくて、2009年に開館したばかりだそうです。まさに地元の博物館という位置づけで、地域で見つかった先史時代の遺構から、地域出身の現代美術作品に至るまで、さまざまなものを少しずつ展示しています。
私は、このカベスタニーを目指して突進したのですが、一応全部目を通しました。小さいけれど、頑張ってやっているな、という意気込みは感じられる入れ物でしたよ。現代美術が好きな人がいるんじゃないか、という印象を受けました。というのは、つい最近、ミラノで見た展覧会の展示作品があったんですよ。それは、地元の作家の作品ではなく、外国人だったと思うんですけれど。

カベスタニーの彫りが入った円柱状のものは、この博物館に展示された教会美術の中では最も古く、キリストの誕生の場面を四つのシーンで表したものです。言わずもがなですが、12世紀後半、スペイン北部、フランス南部地域中心に活躍した石工さんがカベスタニーのマエストロと呼ばれています。トスカーナにも、なぜか散見されるのですよね。有名なのは、トスカーナ中部のサンタンティモ教会Basilica di Sant'Antimoにある柱頭です。
ここに展示されたカベスタニーは、Suganaにあるサン・ジョバンニ教会Pieve vecchia di San Giovanni in Suganaで、1800年代に、聖水盤として使われていたものだそうです。形から、聖水盤の支えだったのでしょうね。ただ、実際の出自については、まさに、柱頭のあるサンタンティモにあったものではないか、と考えられているそうです。

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実際に見るまで、サイズ感がわからなかったのですが、かなり小さいんです。確かに聖水盤とか、支えるとしてもその程度のものに向けたサイズです。でも、どういう風に置かれていたのか、ちょっとわかりにくいです。前面に彫りがありますから、壁付けではないですしね。直径が15/20センチくらい、高さは50センチ程度でしょうか。

サンタンティモにも驚きますが、これも驚きです。
地中海の港は近いですから、いわゆるカタラン地域と、船での交流があったのではないか、と考えられますけれど、それにしても、サンタンティモだけ、これだけ、というのも、不思議なんですよね。

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アンジェにあるノートルダム寺院のタンパンの彫り物も、飾られていました。オリジナルから型取りしたもののようです。
ずいぶん前に、一度訪ねたリョー・ミネルヴォアの柱頭もありました。

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本当に特徴的で、間違えようのない表現力ですよねぇ。目と手がね、すっごく印象的で。

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なんか、あんまり強いから、好悪が分かれるとか、あったかもしれないですねえ。なんでもありのロマネスクだから、大いにありではありますが、全部これだったら、疲れちゃう、くらいの濃さがあります。
私は、カベスタニーのことよく知らないし、すっごくファンというわけでもないですが、現存している数が少ないこともあり、また、こうしてすごくわずか、トスカーナで発見されていることで、興味はあるんです。寡作だけど、時代を超えて熱狂的なファンもいて、多くが散逸したとかそういう可能性もゼロじゃないしねぇ。

それにしても、こういう、地方の小さな博物館に、これを見たいがために、極東の国の人たちが、時々訪ねてきているんだと思うと、なんだか、すごいなって思ってしまいました。私は、ミラノに住んでいるから、割と当たり前のことをしていると思うんですが、この博物館を目指して、日本からくる人たち、すごいわ。自分も、相当激しい修行をしたりはしますが、いやはや、そういう方たちの情熱には太刀打ちできないとしみじみ。

いずれにしても、行けてよかったです。

しかし、代償が大きかったです、涙。
なんと、この町に到着した時、車の前輪に大きな釘のようなものが刺さっているのを発見。博物館見学の後、ホテルまでは行けましたけれど、翌朝、ぺしゃんこになっていました。
自分の盗難の項でも触れましたが、この時期、毎日夏休みでクローズになる店が増えているときですから、町の修理屋は全部クローズ。保険や車の販売店に電話してもらちが明かず、最後はホテルの人がネットで探しまくって見つけてくれた店まで20キロほどのドライブをして、タイヤ交換に成功した次第です。
半日潰れてしまいましたが、それだけで、旅を続けることができたのは、文字通り、不幸中の幸いでした。

自分の盗難の前に、こういう不幸があったので、自分の車のパンクも、自然のことかと反射的に思ってしまった不幸もあるんですけどね。
ちなみに、本日、無事、タイヤ交換できました。免責があるのでわずかですが、保険から返金もありそうで、ちょっとだけ救われた気持ちです。

最後に、とってもかわいらしかったので、博物館に併設されている図書館の看板を張っておきます(Via Romaには、この看板です)。写真、ないものですから…、何でもかんでも、笑。

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  1. 2020/08/27(木) 05:24:15|
  2. トスカーナ・ロマネスク
  3. | コメント:0

リベンジできたのに…涙(キアンニ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)2

チェッロレで、遅いランチを済ませて、次に向かったのは、これまた懐かしい教会です。
2010年の旅は、10年も前ではありますが、車での単独修行旅としては、初めての旅だったので、やはり印象が強かったのだと思います。そういえば、この旅のために、カーナビも初めて買ったのでした。
スマホが当たり前の世代には、想像できないことかもしれませんが、当時は、カーナビもGPS頼り、スマホはなし、Wi-Fiもなし。今のように、グーグルに教会名を入れれば、地図が出てくるなんてことはあり得ません。そして、教会にかかわる情報も、いくら検索してもなかなか出てこないし、問い合わせの電話番号すら探せない、ということも多かったと思います。まぁ、私が、そこまでやらなかった、というのもあるんですけれど。
カーナビは、紙の地図よりはずいぶんと役立つことも多かったですが、逆に変な場所に連れ込まれることも多く、最後は常に紙の地図が頼り、という感じだったなぁ。カーナビなしで動いた時代がある人は、個人的な印象ですが、今でも紙の地図がよりどころで、必ず、持っていますね。実際、ロマネスク旅だと、全体の俯瞰は欠かせないので、グーグルの地図では絶対に無理というのも現実ですが。

そんなわけで、次に向かう教会のロケーションは、鮮明に覚えていました。
この教会、残念ながら、今回の写真はないんです。過去の写真を使いますね。

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キアンニのサンタ・マリア教会Pieve di Santa Maria di Chianni
Strada Provinciale Volterrana 33, Gambassi Terme (ガンバッシ・テルメの町を、北東方向に向かう県道沿い)
照会:イタリア0571639006(Gambassi Terme観光局)駐車場:教会前にあり。

事前に照会したところ、教会のわきにある宿泊施設(Ostello San Sigerico)がカギを持っており、その施設は毎日15時からオープンということでしたので、15時過ぎに訪ねました。
これも、10年前の記事がありますので、左のスレッドから、遡ってみてくださいね。

この訪問で、当時の焚火の意味が分かったと思います。
上の写真の、ファサード右側部分ですが、これは修道院時代の僧房などの部分だったと思うのです。ここが、なんと、巡礼宿となっていたわけなんです。それが、現在カギを管理しているサン・シジェリコ宿泊所というわけです。

おそらくですが、当時は、まさに、この部分の再開発の工事が始まったところではなかったかと思うのです。教会裏側で、大量の廃材を燃やしており、今宿泊所となっている場所が、まさに工事現場となっていましたので。ちなみに、宿泊所は、8年前から営業しているということでした。ピッタリ合致しますね。

宿泊所にアクセスするように、教会脇や後ろ側も整備されており、教会ファサード前には、駐車場もありました。訪ねた時も、次々と巡礼の方がやってきて、今日歩いてきた道のことなど、お互いに情報交換に余念がない様子でした。

そして、教会は、その宿泊所内部からアクセスするようになっています。

本来ならここで、内部の写真をアップするわけですが、涙、残念ながら、私の脳内にしか、今回は、その映像はないわけですね、笑。

宿泊所の朝食スペースらしい小部屋の、小さな扉からのアクセスで、教会の南側壁に当たります。宿泊所の方がカギを開けてくださあり、淡い明りをつけて回ってくださって、浮かび上がってくる柱頭たち。
薄暗い中にも、立派な柱頭が見え、大変に荘厳なたたずまいでした。
外から見ても、かなり大きい教会ですが、横幅はともかく、背の高さは想像以上でした。柱頭は、植物系のはっきりした大ぶりの彫り物が多かったと思います。

今は、あちこちネット上で、映像をお借りすることもできますが、あえてやりません。再訪の際、自分の目で切り取ってきたものを、いつか載せたいと思いますので、どうぞ、その時までお待ちくださいね。

幸いなのは、宿泊所がある以上、毎日カギはあるということですね。この辺りは、冬でも閉ざされることはなさそうですし。

そして、前回の記事で触れた教会のスタイルのこと。

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この、ちょっと朽ちた様子が、魅力的なピサ様式。
遠くはないけど、いわゆるピサ様式バリバリの土地からはちょっとした距離があるから、へ?と思ったわけですが、巡礼の道で、ほぼ直結していることが、今回の訪問で、明らかになったわけで、なるほどな、と。

ピサ様式は、海を渡ってサルデーニャや、南イタリアにも伝播しているわけですが、一方巡礼の道をたどって、ローマへ向かう道筋に、時々現れるわけですな。
実は今回の旅で、念願の訪問がかなった超有名教会がありますが、そこもまさにピサ様式で、驚愕したんです。
あ、何度か言及していると思いますが、ピサ様式、大好きなんです。特に、こういった朽ちた感が加わると、諸行無常的な印象になって、続々します、笑。

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ちょっと、チェッロレにも通じる感じの浮彫もありますね。

ちなみにですが、10年くらい前は、ブログは、最終的にはホームページにまとめるための覚書という位置づけでやっておりましたので、過去記事も、少ししか文がありません。今はなくなってしまったHPに書いた文面が、以下となります。当時回った際に、10世紀に巡礼の道の記録を残したシジェリコさんのことを知り、大変感銘を受けたこと、思い出します。

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街道に面して建つこの教会のファサードを見たとき、とってもピサだったのでびっくりしました。ピサ様式という のは、実際にピサにある教会中心に見ることで、トスカーナにおけるロマネスクの中でも非常に確立された様式であるということを認識しましたが、ピサから離れた地域でこれほどいかにも、という教会に であったのは初めてだったからです。
 この教会もまた、10世紀のシジェリコさんの旅日記にしっかりと記されたものですが、現在の建物の起源は12世紀。まさに、ピサ様式がエルザ谷にまで波及した 大きな証拠としての存在価値を持ちます。ファサードは、上部に細かいブラインド・アーチ、下部には背の高い大きなアーチで、全体に垂直性が強調されるスタイルとなっています。加えて、 柱頭等の装飾はほとんどないと言えるのですが、アーチと柱だけで華やかなファサードになっていることに驚きます。
 教会右側にはかつての司教館がくっついて建てられており、左側、および後ろ側は、 周囲の建物が迫っている上に大きな木があって、外観を全体として捉えることが難しい立地になっています。翼廊が突き出していて、どうやらバランス的にはかなり大きなものとなっているようです。 残念ながら、内部に入ることはかないませんでしたので、ますますつくりが分かりにくいですね。教会にくっつくようにして、かろうじて作られている細い道沿いに裏に回りました。翼廊にくっついている円柱 (下右端)がありますが、本来はこの円柱のトップが屋根になるような、そういう図面になっていたとか。結局そのプロジェクトが途中で変更されてしまったので、この円柱が、唐突な装飾として残された、 ということらしいです。詳細は不明ながら。いくつかみられる一連窓の装飾も、まさに最低限です。
 一方で、内部には、おそらく再利用の結果としての、サイズの異なる円柱が並べられ、動物や植物 モチーフの、多様な装飾が彫り込まれた柱頭が見られるようです。今回、本来だったらオープンの時間だったにもかかわらず、残念ながら開いておらず、大変残念でした。
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  1. 2020/08/24(月) 18:06:03|
  2. トスカーナ・ロマネスク
  3. | コメント:0

エトルリア再訪と、ロマネスク巡りの旅の始まり(チェッロレ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)

前回の記事で説明したように、旅の終わりに災難に見舞われて、自分の写真はなくなってしまいました。同行者のいる旅だったのですが、同行者は、ロマネスクに強い関心がなく、写真に関心がなく、スマホでの撮影技術にも若干難あり、ということで、同人が撮影した写真は、コピーをいただいたものの、私が撮影した写真の、枚数的には、おそらく20分の一以下であり、今回の旅の目的の一つであるロマネスクに関しては、ほぼゼロという状況です。
それでも、記憶のよすがとはなりますので、ありがたく使わせていただくこととします。

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今回の旅のコンセプトは、本ブログで、ついこの間、レポートのアップを終了したばかりの、2017年のエトルリアを目指した旅の補完と、エトルリアの土地であるトスカーナ及びラツィオに散在する、見残しのロマネスク訪問、の二つ。エトルリアの遺跡については主に同行者が、ロマネスクに関しては私が、事前に情報を集めたり予約を取ったりということで、おおよその旅程を組みました。
全行程、8泊9日のドライブ旅行で、宿泊地は、以下となります。

1 San Casciano in Val di Pesa
2-4 Colonna Grillo
5-7 Viterbo
8 Lucca

1泊目以外は、キッチン付きの滞在施設にして、炊飯器や調味料などを持参しました。イタリアでは、すでにホテルもレストランも普通に稼働していますが、不測の時代はあり得るため、今回は自炊中心、という気持ちでした。
本来、個人的にはバカンス中に自炊、というのは、あまり好みませんけれども、大事をとって。

結果的には、初日と最終日の夕食以外は、すべて自炊となりました。お昼は、ほぼ毎日、炊飯器でご飯を炊いて、おにぎり持参です。これはナイスでしたよ。ランチに時間を取られるのはもったいないために、自分一人だと抜いてしまうことも多いくらいですから、持参、それもおにぎり、というのは、最高でした。
夕食の自炊も、時間の自由はきくし、一人だったらちょっとわびしいかもだけど、同行者がいるし、おいしいワインも安上がりに飲めるし、と結構気に入りました。

そんな旅です。
とにかく、写真が少ないので、つまらないと思いますが、自分の記録となりますので、ある程度きっちり記しておきたいと思います。

初日は、ミラノからの移動となります。宿は、フィレンツェから半時間程度の場所なので、ミラノからも3時間強となりましょうか。夕方に到着すればよいため、近所のロマネスクをいくつか回ることとしました。

自宅からもおにぎり持参のため、気持ちよくおにぎりをいただける場所としても、田舎の教会は最適なので、お昼をいただく目的もあり、まず向かったのは、開いていないことはわかっていた教会です。

エルミのサン・セポルクロとサンタ・マリア修道院Abbazia del San Sepolcro e Santa Maria a Elmi
Via della Baia 5A, Badia a Elmi (Celtardo西側郊外)

事前に情報収集した際、毎月第一日曜日にガイドツアーがあるが、今はコロナのために、それも停止中ということでした。ここは、個人所有のような状態になっているらしいのですが、10世紀とか11世紀の、かなり古いクリプタがあり、フレスコ画なども残されているらしいのです。
ご興味のある方は、サン・ジミニャーノの教区(Parrocco di San Gimignano)に照会すると、いろいろ教えてもらえます。

外側だけでも、と思って訪ねたのですが、チェルタルドという町は割と大きく、その郊外ですから結構な住宅地状で、検索で得た地図は、そういう土地の中で、未舗装の道をたどった丘の上にあるような様子でした。
未舗装は避けたいし、丘の上は炎天、お弁当を使うような状態とも思えなかったので、停車することもなく、方向転換しました。
秋以降は、また、第一日曜のガイドツアーを再開する予定だということだったので、今後、訪問する際には、それを念頭において、予定を組みたいと思います。

次には、懐かしい場所を目指しました。確実にお弁当を使える木陰がある、という理由で。

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サンタ・マリア教会 Pieve di Santa Maria(毎日8-12:30, 13:30-18)
Localita' Cellole 1, San Gimignano

トスカーナのこの辺りを回るのは、2010年以来、ちょうど10年ぶりとなります。2007年と勘違いしており、まだブログもやっていなかったのか、と絶望的な気持ちでしたが、2010年だと、すでにブログがありましたね。過去記事を下にリンクしておきますね。

前回来たときは、扉は固く閉ざされており、ミサの時にしか開かないということだったのですが、今回は事前に照会した際、いつでも開いているということだったので、すでにびっくりしました。
実際に、訪ねたところ、それ以上に驚いたのは、教会前の林が、かなりさっぱりとオープンになっていた上に、木々が減った分、その場所に巡礼宿とショップが建っていて、一部が駐車場になっていたことです。
当時の記事、簡単ですが、リンクがうまくいかないので、左のスレッドの、トスカーナ・ロマネスクを、2010年ごろの記事までさかのぼると、あります。
記憶のよすがとしてのブログ、重要だなぁ、と感心します。

街道からの道も、すっかり舗装されていて、あまりの様変わりにびっくりです。当時の写真も、あまり全体を撮影したものはないので、様変わりがわかりにくいのですが…。
ただ、印象的な柱頭や彫り物はそのままで、うれしくなりますね。

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このあたり、繊細さはないけれど、大胆な印象的な彫りが目に付く地域です。
これらは、10年前の写真です。

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10年前では考えられないくらい、そこかしこに巡礼の道の表示が掲げられており、特にこの周辺では、巡礼の道のプロモーションが盛んだと感じました。
イタリアの巡礼の道は、Via Francigenaヴィア・フランチージェナといい、英国からの道、フランスからの道が、ローマ、そして聖地エルサレムまで続いています。サンチャゴの道と同様、中世からある道ですが、イタリアの道は、あまりケアされてきてなかったのが、近年のサンチャゴ巡礼人気に引っ張られる形で、どうやら地元が本気で取り組みだした様子。
実際に、巡礼らしい様子で歩いている旅行者、多数目にしました。

話がずれましたが、今回はそういうわけで、扉は全開でした。関係者が、巡礼の若者たちにガイドツアーもやっているようでした。
しかしながら、内部に足を踏み入れても、扉から1メートルくらいの場所に張られたロープで、通せんぼされてしまいます。
関係者(またはパードレ)に聞いてみたら、中へはミサの時しか入れない、コロナ対策、ということでした。後陣の雰囲気、遠目にもかなりよさそうだったのですけどね。ってか、望遠最大で、パシャパシャ撮影したので、自分の写真があれば、結構見ることができたんですけどね、涙。

ま、そんなわけで、ここもコロナが終結したら、再訪しないといけない場所となりましたよ、すでに。

10年って、しかし変わるんですね。

ちなみに、今回撮影タイミングを逃した風景。過去の写真にありましたので、アップしておきます。今も変わらずのお姿でした。

etruria romanica 005

サン・ジミニャーノです。

ちなみに、新しい巡礼宿のベンチで、おにぎりはいただくことができました、にっこり。

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  1. 2020/08/23(日) 20:11:39|
  2. トスカーナ・ロマネスク
  3. | コメント:0

一文無しの夜

やられてしまいました…。30年近くミラノに暮らして、スリや盗難は、結構日常茶飯事的にあったのですが、ここまでのは初めて…、というレベルの盗難に合ってしまいました。
例年に比べて短いながらも、楽しいイタリア中部の旅から帰還中の出来事でした。それも、我が家の前が舞台です…。

車で帰宅する途中に、後方から近寄ってきたスクーターに乗った男性が、走行中にも関わらず、信号待ちの際に、私の注意を引こうと二度ほど窓をたたいて何か言っている様子でしたが、うさん臭さがあったので、振り切りたいと思ったのですが、できないでいました。
あと、50メートルほどで我が家に到着するころ、変な感触と同時に音があり、車のダッシュボードに、「タイヤに異変」サインが出ました。その時は非常に素直に、あ、さっきの人は、パンクを教えてくれた親切な人だったのか、と思ってしまいました。
今の車は、まだ7000キロ弱しか走っていませんし、昨夜走った道は、パンクするような道ではなく、本来なら、パンクそのものをおかしいと思うはずなのですが、実は、旅の初日に、同行者の車だったのですが、鋲のようなものを踏んで、見事にパンクしたということもあったために、「まさか私まで?でも、ありえる」、と思ってしまったこともあります。

それでも、自宅前まで走って停車して、まずは車のカギだけ持って下車。スクーターの人が示していた後部右側のタイヤ、つまり運転席から対角にあるタイヤを確認したところ、見事にぺしゃんこ。えええ、まじかよ~、としばし呆然としつつ、まずは旅の同行者に電話をしようとカバンを取ろうとドアを開けた途端、先ほどのスクーター野郎が登場したのです。

開口一番、「僕が異変を教えてあげたのに、なぜ停車しないんだ!」と、いきなり切れて、バイクのエンジンはつけっぱで、タイヤの方によります。その時もまだ、彼を疑っていなかったのですが、コンプレッサーがあれば、僕が手伝ってあげるの何のと、空気入れのキャップを勝手に外してもてあそびだします。
この人、気持ち悪い、と思いつつ、でも、この人が仕組んだとは思っておらず、彼が示す場所を見ようと、タイヤに近づいた時、彼は、バイクを急発進して去りました。
その時初めて、やられた!と気付き、バックを探したところ、もちろん影も形もなく、呆然です。
バッグには、家のカギはもちろん、スマホ二台、うち一つは職場の支給品、デジタルカメラ、お金をおろしたばかりの財布…。ただ茫然として、車のカギだけ持って、近所を徘徊しました。

というのも、こちらでは、ひったくりは現金が目的で、現金を抜き取った後のかばんは、そこらのごみ箱に放り込むことが多いからなんです。

道端のごみ箱を確認しながら、半時間も歩いていたでしょうか。
ハッとして、鍵もないし、今夜どうしたらいいんだっけ?と現実に引き戻されました。ただ茫然としていたので、悔しさや悲しさや情けなさとかはあまりなくて、ただかなり困った状態にいることはわかりました。
一生懸命冷静になって、どうしたらよいのかを考えて、幸い近所に住んでいる友人がいるので、まずはそこに行こう、と決めました。その友人は、もうお休みを終えて、ミラノで仕事していることは知っていましたが、外出していたらアウトですが、他に手段は思い浮かびませんでしたので、歩いて向かいました。
幸い在宅で、すぐに、旅の同行者にも連絡をしてくれて、同時に、鍵を開ける専門家をネットで探してくれました。
実は、先週今週は、ミラノ市内のほとんどのお店がお休みという時期で、そういった人たちも、24時間営業を売りにする人しかいないため、選り好みすることもできないのが現実です。

幸い、その人が9時半ごろ来てくれて、それから1時間近くかかったでしょうか。何とか二つのカギを壊して、家に入ることができました。一つのカギは付け替えてくれたので、とりあえず寝ることはできましたが、なんせすべてのカード類と、スマホのSIMをブロックしなければならなかったため、ベッドに入れたのは1時過ぎだったと思います。

今日はまずは警察に届け出のため、早起きしたところ、7時半過ぎに、会社の同僚が家の固定電話に連絡をくれました。狐につままれたような気持ちで話を聞くと、なんと、盗まれたバッグは、昨夜のうちに、親切な人が回収してくれていて、私がメモ帳に記していた電話に、片っ端から電話をしてくれていたそうなんです。
ひどい人もいれば、素敵な人もいるってことで、救われる気持ちでした。

すぐその方に連絡して、無事、バッグは戻ってきました。
幸い、会社の携帯は無事、旅の記録メモやメモ帳、アドレス帳、そして、イタリアの滞在許可証や身分証明書も無事で、それはありがたかったですが、当たり前のように、新品の自分の携帯や、旅の記録が入ったデジカメは、予備のバッテリーともども、なくなっていました。もちろん現金は、きれいさっぱり。

昨夜は絶食状態で寝てしまい、今朝も段取りを考えるとあまり食欲がわかず、24時間、ほとんどまともに食べていない状態で、どうも元気も出ないのですが、不幸中の幸いがたくさんあって、感謝の気持ちもたくさんあります。
予備のカギを誰かに預けなければ、とこの数年、ずっと考えていたのに、また、家の総合保険を買おうと思いつつ、実行しなかった自分の馬鹿さ加減を呪うしかありません。
身分証明書が戻ってきたのは、本当にありがたいことですが、今回の旅の記録が、まったくなくなってしまったことは、ここだけは心底悔しいです。カメラなど、取られていいのですが、SDカードだけ、返してほしい…。

おそらく、また行けよ、ということだとは思うんですけれどもね。Covidのせいで、いろいろな制約があり、思うような訪問ができない教会も複数ありましたので。それにしても、めったに入ることのできない教会の写真は、本当に悔しいです。

というわけで、今回の旅は、写真がほとんどないのですが、そのために自分の記憶の劣化が激しいはずなので、写真なしで、一応記録は残したいと思います。
お楽しみに、というのもおこがましいですが、写真がないじゃん!と思ったら、これが理由です

イタリアって、本当にね。以前は、悔しいよりも悲しくなったものですが、長く生活していると、こういう国だということは身にしみているので、己を馬鹿だと思うばかり。ある種の悟りがありますな。
傷心で警察に行っても、誰一人親身になんかなっちゃくれない上に、最後にちょっと呼ばれたら、「こいつ、同僚なんだけど、日本が大好きなんだ!ちょっと話してもいい?」と、こっちの傷心思いっきり無視の能天気さだったり、SIMの再発行が無料だったり、なんか、想定の斜め上みたいなことがたくさんあって、結局、仕方ないよね、無料?ありがたいよね、みたいな、小さな幸せに喜びを見出すみたいなことになります。そういう国です。日本とは、方向性が違いますよね。自分、打たれ強いと思います、笑。

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  1. 2020/08/19(水) 02:56:52|
  2. ミラノ徒然
  3. | コメント:5

小さな古いクリプタだけど、電気も来てます!(ブレーメ)

(2020年7月訪問)

Covid-19のせいで、生活がいろいろ変わりましたし、数か月はひきこもり生活となったわけですが、それでも何かしら良いことはあるもので。いや、良いかどうかはわかりませんが、なかなか遠方に行けない分、ロックダウン後に、日帰りのお出かけ頻度がアップしました。別にストレスを感じていたわけでもないのですが、単純に外出したい気持ち、そしてまた、ロマネスクに浸りたい気持ちが、どこかにあったせいもあるとは思います。
で、日帰りですと、当然ミラノ近郊となるわけで、そういえば、しばらく近所の訪問をしていなかったなぁ、と気付いてしまいました。
この数年、夏休みなどの長い旅は、フランスやスペインなど外国中心で、そもそもイタリアは、おろそかになっていたし、近郊は本当に行かなくなっていたんですが、考えたら、ロマネスク修行を始めた当初は、日帰り訪問が基本で、情報を探しては、まめに出かけていたのですよね。
それっきり行けてない場所が、実は結構あります。写真も、以前はCDやDVDに保存していたのですが、パソコンが変わるにつれて、そういう媒体を読み込むことができなくなっていたりして、古い写真は、もはや取り出せなかったりもします。だから、今後は、近郊の再訪もして、新たに撮影するのも大いにありだな、と改めて思う今日この頃です。

今回は、そういうロマネスクの一つ。いや、ここは、実は存在は知っていたけれど、なぜかこれまで訪ねるチャンスに恵まれなかった場所だったんです。

2020 breme 001

ある日、ミラノからピエモンテに用事で行くという友人に同行しました。時間もあるし、高速を使わないで行く、ということで、地図をたどりながらののんびり旅。
途中、まだロンバルディア州内ですが、地図に、ずいぶん昔に印をつけた町に気づきました。その地域で、印がついているほとんどの町は訪ねているのに、ここだけは記憶がありません。
せっかくなので、ちょっと立ち寄ってもらうことにしました。

それがこのブレーメBremeという町です。

2020 breme 002

見るからに小さくて、実際も小さい町なんですが、そんな中に、中世の教会と洗礼堂と、そして、他の教会のクリプタがあるんです。びっくりです。なぜ、過去に訪ねていないのかもびっくり。たぶん、当時は、あまり情報が出てこない場所の一つだったのではないかと思います。
ロンバルディア州とピエモンテ州との境目、パヴィア地域となり、米どころゾーンですが、この一帯には、小さくて地味で、でもかわいらしいロマネスクが点在しています。

まずは、今は住宅街に埋もれたようになっている教会。

2020 breme 003

サンタ・マリア・アッスンタ教会Chiesa di Santa Maria Assuntaです。起源は10世紀と古いものの、往時の面影を残す部分は、ほとんどない様子です。でもおそらく、往時も、こういうレンガ造りではなかったかと思います。
中も、全部新しくなってしまっています。

2020 breme 004

なのに、後ろ側、つまり後陣側に位置する洗礼堂は、古い時代の建物が、しっかりと残っているのですよ。

2020 breme 005

そちら側に回り込むと、こういう様子です。

2020 breme 006

こ、こりは…!
すっごく私好みの古さ。私好みのロンバルディア・アーチ、うっとりものです。
8世紀から9世紀とあります。
もともとレンガと、川石をミックスした建材でできていて、三つの後陣を持つ立派な建物だったそうです。お隣の教会とはそれぞれ独立した建物となっていて、ブレーメの人々はもちろん、近郊の人々の先例に使われた、地域唯一の洗礼堂だったのですねぇ。
今は、教会と一体化されちゃって、教会内の礼拝堂のようになっているようです。今回は、残念ながら開いていなかったようですが、まさか礼拝堂のようになっているとは思わなかったので、きちんと確認できていないのは残念ですが、おそらく、また訪ねるチャンスがあると思っています。

2020 breme 007

もう一つ、というより、おそらくもともとこっちの方が気になっていたものだと思いますけれど、修道院Abbaziaです。

2020 breme 008

一部が、今は市役所として使用されているようですが、この正面向かって左側に、結構大きな修道院施設が、おそらくかなりオリジナルに近い様子で残っているのですよ。

2020 breme 009

ロックダウンが終わった直後だし、なんだかいかにも開いてなさそうな施設なのに、とりあえず、鉄扉は開いています。わくわくしながらも、中は閉まっている可能性があるから、過度に期待しないように気持ちをセーブしながら、中へ。 

2020 breme 010

すごくわかりやすい!
その上、閉まっていても驚かないような扉、全開!
この通路を通り抜けた先に、地下に降りる狭い階段があり、なんと親切なことに手動の電灯スイッチまであって、アクセスできました!10世紀のクリプタです。

2020 breme 011

雰囲気、すごく10世紀。レンガ、こういうのって味があります。
床面は新しくなっているし、全体に修復がかなり行われた様子ですが、それでもなお、古い時代の雰囲気が残されており、うれしい邂逅でした。

2020 breme 012

脇に、アクセスはできないけど、覗けるようになっているスペースがありました。

2020 breme 013

アクセスできないようになっているのは、後代の構造で、この、左手に見えているのが、本堂からのアクセス階段なんだと思います。今は、上にあるはずの修道院教会はアクセスできなくなっているので、荒れ果てているとか、いずれにしても、もう教会として使っていない建物のはず。だから、本来のクリプタの構造ではなく、ほんの一部だけが残っているという形なんだと思います。

2020 breme 014

その上物、サン・ピエトロ修道院の、わずかな名残が、この壁部分です。どうやら、屋根も落ちちゃっているんでしょうね。残念。でも、よくぞクリプタが無事に残ったものです。
修道院は、17世紀まで活動していたようなので、没落してからは早くダメになったのですね。教会以外の構造は、結構きちんと残っているので、一体何が起こったのか疑問もありますが、単純に戦時中に損壊したとかいう単純な理由かもしれません。

地味ですが、ミラノから日帰りで行ける範囲、結構数がありますので、すでにブログでも紹介している場所も含めて、今後は再訪が目標です。

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  1. 2020/08/09(日) 00:51:44|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

知らなかった有名人(アスティ、中世以外)

2020.06.ロックダウン明け、ピエモンテ日帰り訪問 その4(最終回)

もう言い訳もしませんが、このさぼり癖のおかげで、ほとんど更新ができないまま、とうとう夏休みになってしまいました。昨日まで、怒涛のように仕事をして、実質的に本日より2週間と一日の夏休みです。そして、いろいろ悩みましたが、明日から、ちょこっとお出かけすることになりましたので、更新については、再開と同時に、また止まってしまいます、笑。
夏休みについては、後日のお楽しみ、ということにします。一応、インスタグラムでは、ちょこちょこのっける予定でいるので、良かったら、下記リンクから、覗いてみてくださいね。今回は、ロマネスクはちょっぴりになりそうですが。

さて、アスティの街。
前回までに中世サイトを紹介しましたが、最後は付け足しになりますけれど、各サイト訪問用の共通チケットを使い倒すということで、訪問可能な場所を紹介しておきます。

2020 asti 036

アルフィエーリ宮アルフィエーリ博物館Palazzo Alfieri - Museo Alfieriano、於ヴィットリオ・アルフィエーリ生家Casa Natale di Vittorio Alfieri(Via Vittorio Alfieri 375 Asti)。

アルフィエーリって、イタリアの主要な町には、結構この名前の通りがある気がします。特に、一時期、仕事でしょっちゅう通っていたトリノの仕事場が、まさにアルフィエーリ通りにあったので、印象が強いのですが、しかし、今までそれが誰なのかについては、まったく知らなかったし、考えたこともなかったんですよね。

ちなみに、イタリアは欧州他国同様、道に名前が付けられていて、それは驚くくらい小さな道でも、私道でも、ちゃんと名前がついています。これは非常に便利で、なぜ日本が欧州式じゃないのか、不思議になります。

ところで、道の名前は、他の町の名前だったり、特定の人物の名前だったりします。どこの都市でも、ほぼ必ずあるのが、ローマとつながっている場所の、ローマ通りとかローマ広場とかそういうやつ。
ローマ時代の道は、もちろん今でも当時の名前のまま、ちゃんと生きてます。サラリア街道とかエミリア街道などですね。多くの主要なローマの道は、今ではそれに沿って高速道路ができている場所が多いですが、ローマの道はそのまま今でも、国道や県道として現役で、エミリア街道などは、高速代を節約するとか、のんびりドライブしたい際、よく走ります、私。

人の名前は、歴史上の著名人とか、功成り名を遂げた人物とか、現代では商業的な命名もありますね。例えば、ローマのトヨタの社屋は、Via Kiichiro Toyotaという住所です。トヨタが新社屋を建てた際、当時のローマ市長が、命名したのを記憶しています。

で、このヴィットリオ・アルフィエーリさんは、つまり歴史上著名な方だったのですね。

2020 asti 037

アスティの名家の出身で、超お金持ちだったために、一生食べるために働く必要のなかった方。いわゆる高等遊民、懐かしい言葉を思い出してしまいましたよ。

でも、無駄に高等遊民していたわけではなく、劇作家及び詩人として、その世界でしっかりと名を残されたそうです。パリやロシアなど、欧州各国で暮らし、今ではなんとフィレンツェで眠っていらっしゃるということです。フィレンツェ市民以外には許されなかった墓が、なんとフィレンツェの由緒正しい格式高いサンタ・クローチェにあるというんですから、当時はぶいぶい言わせてたってことでしょう。それも、カノーヴァによるお墓らしいですよ。そんなすごい人だったなんてねぇ。
でここは、そんな彼の業績を語るような博物館になっており、さらりと見学するのは、発見気分もあり、面白かったです。

それから、意外とこんな場所もあります。

2020 asti 038

ヴァッローニのローマの家Domus Romana del Varroni(Via del Varrone 30 As

この、ちょっとかわいらしいモザイクは、共通チケットのポスターとかにも使われているので、結構期待したんですが、これはちょっとね、誇大でしたよ、笑。Varroneという地区の名前でしょうが、おそらくそのあたりに、ローマ時代の家屋が並んでいたのでしょう。前回に紹介した赤い塔の近くだったと思います。そんな中の一軒、その一部だけが発掘されて公開されているもので、本当にこの一面だけでびっくりしました。
発掘すれば、まだまだ出てくるのではないかと思いますが、現在の住宅事情の問題があったりして、なかなかこれ以上は無理だったとかそういう話かもしれませんね。
そういえば、割と最近、ワイン産地として有名なヴァルポリチェッラの、まさに有名ワイン用のブドウ栽培地、もしかしたら、アマローネかもしれませんが、その地下から、素晴らしい床モザイクが発掘されました。
そこにもともとあることはわかっていたものの、実際にここまで発掘されたのは初めてということだったと思います。細長く数十メートルが彫られて、ニュースでちらりと見ただけですが、素晴らしい保存状態でした。でも、まさに金の生る木がびっしりの畑を、今後、どれだけ掘り返すことができるものか…。悩ましいところですよね。
ローマ時代程度の遺跡は、おそらくまだまだあちこちに眠っているのでしょうが、地域開発で、もう手が付けられない場所もたくさんあるということなのでしょう。イタリアは特にそうなんでしょうね。惜しいけれど、ロマンもありますね。

もう一つは、共通券のチケットを販売している観光局の本拠地となっているマッツェッティ宮です。

2020 asti 039

マッツェッティ宮Palazzo Mazzetti(Corso Vittorio Alfieri 357 Asti)

ここは、1700とか1800年代の絵画などが並ぶ美術館となっていますが、そのあたりの絵画というのは、もう全く門外漢で興味もないので、さらりと見学しましたが、建物が素晴らしいですね。天井のびっくりするような高さとか、ベネチアグラスのシャンデリアとか。
この時代の金持ちの生活を、ちょっとしのぶことができるというか、いやはや、こんなお家での生活、想像もできません。

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紋章付きの地域の地図の部屋があって、地図、大好きなので、そこは食いつきました。バチカンの地図の廊下、懐かしく行きたくなりました。地図って楽しいですよね。やはり全体を俯瞰する紙もの的なものが最高です。今の人はスマホやタブレットの小さい画面で、よく行動できるもんだなぁ、と、好き嫌い置いといても、実用的に、感心しますわ。
私は紙派で、ロマネスク修行の際は、必ず地域の紙ものを買います。でも、おそらく今は販売量も減っているんでしょうね、ナビのおかげで。

こんなところです。
大した内容じゃないのに、たくさん書いちゃいました。さぼっていますが、書くのは好きなんです。いろんなことを派生して思い出したり…。なら、もっと更新しろよ!と思いますが。ペコリ。

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インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
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  1. 2020/08/08(土) 19:38:17|
  2. 旅歩き
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