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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

写実うろこ系石工さん(ロデズ12 その1)

写実うろこ系石工さん(ロデズ12 その1)
2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その10

移動初日の最後は、宿泊地に向かいます。
ホテルに直接向かうには、若干早いので、教会のオープン時間はわからないものの、とりあえず、町を目指しました。
気付いたら、どんどん町中に入ってしまい、こ、これは、ほぼ旧市街の中心部ではないか、というような広場に迷い込んでいました。そろそろと走っていると、路肩に数台駐車できるスペースがあり、私の目の前で一台が出ていきました。
そういう時、だからと言って、すっと駐車できる技量にかけるんですが、時間もないことから、いわゆる火事場の馬鹿力的なアドレナリンのおかげで、うまい具合に駐車できたのは、我ながら驚きでした、笑。

今って、グーグルのおかげで、撮影した写真などから、結構どこにいたのかがわかったりして、面白いもんですね。今、改めて地図を確認したら、駐車したのは、Place-de-Bourgという場所だったと分かりました。グーグルにも、駐車場が写っていて、懐かしくなりましたよ。よくこんなところまで入り込んだもんだわ。
目的の教会は、目と鼻の先でした。

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ロデズRodezのサンタマン教会Eglise Saint'Amansです。
幸いなことに、扉は開いておりました。ここも、前回同様、中に入れないと、ロマネスク観点からは意味のない教会なので、ありがたかった~。

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中はこういう様子なので、一瞬ひるみますね。
それにしても、Covidを生きている今の目で見ると、椅子のびっしりさにびっくりしますね。本来はこんなだったんですよねぇ。今はきっと、椅子の数がこの10分の1くらいに減らされているんでしょう…。

さて、この教会を訪ねた目的は、柱頭なんです。
ただ、暗いのと、背が高い柱に乗っているせいで、あまり良い写真は撮れませんでした。ブレブレご容赦くださいね。

三面にわたって、アダムとイブの楽園追放がありました。丁寧にストーリーを彫りこんでいますが、あまりかわいくないです、笑。努力賞。

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デザイン性が半端ないキメラ。これ、すっきり感といい、完璧なコピー感といい、デザイナーの仕事っぽいですよねぇ。

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がんじがらめ系、二種。

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今、久しぶりに組みひもモチーフをハンコで彫ろうと思って格闘中なんで、そっちの目から見てしまったりしますが、ひも状のモチーフって、やはり交互重なりになるのが自然なんだなぁ、と変な関心をしています。組みひも、と呼ばれる所以というか、そんなことが、今すとんと理解できた感じ。
それにしても、組みひもって難しいんですよ。交互に組んでいくのって、数学的な頭と技能がないと、本当にややこしいんです。

このひもは、しかし蛇なんですよねぇ。思いっきり鷲掴みで、でも耳ガジガジの局部ぬらぬらって、なんかすごいモチーフです。

トップに挙げたアダムとイブの蛇のくねくねぶりとうろこぶりを見ても、なんだか蛇の写実に並々ならぬ情熱を込めた石工さん作って感じがします。

開いててよかった、の教会でした。

このロデズの町には、実はもう一つ訪ねたい場所がありました。博物館なんですが、この教会の後に行ってみたところ、あと15分でクローズという時間だったし、受付で尋ねると、どうやら中世のものは、さほど数もなさそうだったので(フランス語会話だったので、すべてがあいまいだったんですけれども)、15分で目的だけ見て、というのもなんだかいやだったんで、この日はあきらめたんです。
その上、翌日の予定はすでにびっしりなので、これは縁がなかったんだな、と思ったんですが、後日、思わぬ形でロデズに戻ってくることとなり、結局何かしら縁があったらしいです。

というわけで、次回はロデズの博物館です。

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  1. 2020/10/31(土) 20:27:35|
  2. ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
  3. | コメント:2

赤い村の親切な人々(クレルヴォー・ダベイロン12)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その9

この時の旅は、目的地のそれぞれが、想像以上に素晴らしかったことが一番の理由だと思うのですが、何かしら驚いたり、冒険だったり、あちこちでいろんな印象的な出会いや出来事があったことが、他の旅に比べて、格段に記憶が残っている理由だと思います。そういう出来事に結び付くと、不思議と教会の姿や、また教会のある町のたたずまいなどが、鮮明に思い出されたりするんですよねぇ。私の乏しい記憶能力では、教会だけをポイントで覚えていることはできないみたいです、笑。
しかしながら、そういうケースの場合、教会内部の詳細は、写真なしでは思い出せなかったりはしますから、記憶力って色々侮れませんね…。

次に向かった教会については、向かうまでの道や、町についてから、お世話になった地元の人々のことが、実は教会以上に印象深かったりしますし、そういうことも含めた素敵な村の素敵な教会でした。

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レスキューダルビジョワの後、というよりも、そもそもトゥールーズからの出発が予定より遅れていたので、その日の宿泊地ロデズRodezに直行するというプランAが微妙な時刻となっていました。というのも、同地では、教会と美術館の見学を予定していたんですが、遅く着いたらどちらも見られず、結局、やけに早い時間にホテルに行くしかないという、時間の無駄遣いになりかねなかったからです。
というわけで、急遽プランBに切り替えて、上の地図にあるように、クレルヴォー・ダベイロンClairvaux d'Aveyronに向かうこととしたのです。

本来の行程としては、Rodez経由で、さらに東、つまり地図でいえば右の方へ進む予定でしたので、このクレルヴォーは、行程からいえば外れており、Rodezから往復するしかない場所。遠くはないですが、往復して見学して、と考えると、2時間くらいかかる場所だったので、予定通りであれば、おそらく行くことはなかったと思います。結果的には、行けてよかったので、何が幸いするかわからないですね。こういうのが一人自由旅の楽しさです。

しかし、まずは道に苦労しました。
レスキュールからバラクエビルBaraquevilleという町までは、国道のきれいな道ですいすいでしたが、どこかの時点で、いきなりナビが止まってしまいました。おそらく、新しい道ができていたとか、ナビに入ってない状況になったんだと思います。古いナビで、まったくアップデートしていませんでしたから。
仕方ないので、路肩に止めて、紙の地図を見て、方向を確かめたものの、いずれにしても、ほぼ一本道のため、先に進むしかありませんでした。そして、いくつか村を通り越して、気付いたら、かなりの山道…。
うわ、どうしよう!とある時点で突然認識して、焦ったところで、幸いにも、向こうから歩いてくるおじさんがいたので、呼び止めて、道の確認をしました。
その時には、ナビも機能を再開していて、あと25分とはなっていたのですが、おじさんは、「え?クレルヴォー・ダベイロンに行くの?なんでこんなとこ走ってるの?」と大げさに驚くので、ひええええ…となりました。
そのあと、ロデズで宿泊というと、さらに、「え、まだ先に進むの?そりゃ大変だ!」というわけで、とても丁寧に道を説明してくれました。
おじさんが、驚いた時点で、もうあきらめて引き返そうかと思ったのですが、せっかく熱心に説明してくださったし、頑張ることとして、先に進みました。ちなみに、会話はフランス語でしたが、アドレナリンのおかげですかね、地名も含めて、結構よく理解できていたのが驚きです。

ドキドキしながら、山道を進み、おじさんが、この村が見えたらもう一息だから、と教えてくれたブルエジュールBruejoulsに入った時には、すごい達成感に満たされました。
その村、全体が赤くて、なんだかとても美しい村で、時間に余裕があれば、ちょっと散歩したくなるような家並みでしたが、目的のクレルヴォー・ダベイロンも、そういう村でした。

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鉄分が含まれている石なんでしょうか。一見レンガとも見紛う赤さですね。村中の家が、この石で建てられています。隣村もそうなんですから、この地域で産出される石ということでしょう。凝灰岩の一種かなぁ。

というわけで、目的の教会も、やはり赤いです。

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クレルヴォー・ダベイロンのサン・ブレース教会Eglise Saint-Blaiseです(Place-de-l'Eglise)。村の真ん中の小さな広場に建っています。

外側は、ほぼ再建状態で、面白さがないですよね。ここは入れないと、正直訪ねる意味がないと思います。でも、見ての通り、扉は固く閉ざされています。実はここでもまた、地元の人に大いに助けられるのですが、まずは教会をご案内します。

内部も、かなりすっきりきれいになっています。この雰囲気だと、あまり多くを期待できない様子もありますよね。

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しかし、ありがたいことに、柱頭はしっかりと残されているんです!それも、傷みはありますが、きれいにお掃除されています。

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かわゆい!
如何にも、地元の石工さん作、という感じです。技術と、道具の問題があったんだと思いますけれど、テイストがすごいです。こういうロマネスクでしかありえない、ある意味ピカソ的なテーストやモチーフを、一体どうやって作り上げることができたんでしょう。

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こういうのは、逆にわかりやすいです。どっかで見て、真似してみました、みたいなタイプ。単純な市松モチーフくらいは、俺だって行けるぜ、みたいな。

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これは、もうちょっとわかりやすいフィギュア。でも、稚拙さがとにかくかわいい。
全体に、かなり溶けちゃっている感じもあり、それぞれ、できたての頃は、彫りの線もシャープだったりして、かなり違う印象があったんだろうな、と想像します。

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千年の年月による傷みが、愛らしさを逆に増している部分もあるかもしれない。

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時代が混じっていたりするのかな、と、この柱頭は思わせます。副柱頭のモチーフは斬新で、保存状態も良いことから、かなり後付に再建された市松ヴァリエかな、とか、思ってしまいます。

個人的には、冒頭にあげたシュール系のフィギュア柱頭がダントツですね。

それにしても、外観からは、想像しにくい素敵な柱頭の数々で、大満足でした。冒険的山道を恐れず、頑張ってよかった、としみじみ思いました。
そして、実は教会に入れたことも、大変幸運だったんです。

教会は、猫の額ほどの旧市街の真ん中にありますので、その外側に車を停め、旧市街に足を踏み入れたのですが、どうも、教会とは一番遠い場所から村に入り込んだ感があり、狭い村ながら、建物びっしりで、教会がどこにあるかさっぱりわかりませんでした。
たまたま通りかかった女性に尋ねると、あそこに塔が見えるでしょう、と方向を教えてくださいました。お礼を言い、そちらに向かい歩き出すと、その方、「教会、普段は開いていないから、鍵をもらう必要があるわよ。お隣にあるお家が…」と追いかけるように貴重なことを教えてくださるのでした。これまたフランス語なので、途中からよくわからなくなって、おそらくそういう顔をしていたのでしょう。
「いいわ、すぐそこだし、ご一緒しましょう。カギを預かっている方は、友達だし、借りてあげるわ」と言いながら、一緒に来てくださったんです。うぉ~親切すぎる~!

教会までの短い道々、自分のフランス語力が情けなくなりましたが、こういうコミュニケーション能力に優れた方に出会い続ければ、結構上達するだろうに、とも思いました。イタリア語はそうやって学んだけれど、フランスでは、なかなかまともにフランス語で対応してもらえないので、長く旅していても、得るものが少ないんですよねぇ。

まさに教会のお隣の家にすむおばあちゃんが、鍵守りさんでした。彼女は、勝手知ったる、という感じで、ノックしながらどんどん家に入り込んでいきましたが、一人ではとても無理だったなぁ。田舎だけに、鍵も閉めてないし、呼び鈴もなかったような。それもおばあさん、耳も遠そうだったから、声かけても難しかったよね。
同行してくれた女性がカギをもらってくれて、開けてくれて、では、見学が終わったら、きっちりと閉めて、彼女にかえしてね、と笑顔で去っていきました。
こんなわけのわからない東洋人に、鍵を預けてくれる田舎の度量。フランスも、いい人いるじゃん、という当たり前のことに気付くというか。

本当に、いろんな意味で思い出深い教会。ロマネスク的には、とても小さな出会いだけど、この村に行けたことが、すごくよかったです。プランB万歳。

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  1. 2020/10/24(土) 18:51:22|
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研究の切り口?(レスキュール・ダルビジョワ31 その2)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その8

レスキュール・ダルビジョワLescure d'Albigeoisのサン・ミシェル教会Eglise Saint Michel、続きです。

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中入ってびっくり。なんか、地域のアーティストなのか、または素人のグループ展なのか、なんか展覧会中。ここって、もう教会じゃないのか?
教会としての機能をなくして、こういうイベント会場になっているケースは、決して珍しくないですが、墓地の教会でこれは、珍しいように思いました。
しかし、展示品のあるおかげで、ライトが明るくて、見学には助かりました。風情はないですけどね。
そして、熱心に柱頭を見ていたら、おばあさんが寄ってきて、非常に立派な教会の冊子をプレゼントしてくれました。写真も美しくて、売っていてもいいようなものですよ。最後に、ちょっぴり小銭を献金してきました。

その方、こっちが苦労してフランス語で質問をしたところ、さらりと英語で答えてくれたんで、正直すごくびっくりしました。フランスは、お隣の国でもありますし、ずいぶん昔から定期的に訪ねているわけですが、近年、徐々に英語力が高まってきたと肌で感じます。それでも、フランス愛が強すぎるのとコミュニケーション能力及びコミュニケーションしたい気持ちの欠如で、イタリアに比べると、英語普及率が遅いように思いますし、特に若者には何度もがっかりさせられた経験がありますけれども、そうは言いながら、やっぱり少しずつは変わってきているのですね、きっと。

おっと、つい脱線してしまいますが、この教会、小さいけれど、なかなか立派な柱頭がたくさんあり、保存状態も良いのです。

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私が大好きなモチーフの一つ、ライオンの穴のダニエルさん。
ライオンが重なって、わざと怖そうなふりをしている感じが、チャーミングです。ダニエルさんの手が、縮尺無視の大きさなのも、なんか好きです。
そして、副柱頭と壁につながる例のチェッカー帯。うっとり。

角っ子からライオンをフューチャーすると、こういう感じ。ヒールを演じている感がたまらないです。見方、ゆがんでますかね、笑。

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こちらは、ダニエルさんと向き合って、いわゆる勝利のアーチみたいな位置の根元にあるものです。

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いただいた冊子があるから、説明は簡単です。いや、フランス語なんで、一応辞書なんか要るんですけれども。
ヤコブとエサウの会見とあります。恨みつらみにまみれて一度は別々の人生を送った双子の兄弟が、おそらく多くの葛藤ののちに再会するというお話、あれでしょうかね。握手しているから、和解したシーンなんでしょうね。

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双子なんだけど、微妙に違う横顔。なかなかドラマを描き出す石工さんです。

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こちらは、犬の柱頭とされているやつと思いますが、あまりわんこには見えないかもね。正直、可愛さ今一つです。
こっちも、可愛さはないけど、もうどう見たってしこ踏んじゃってますっていう姿勢が、思わず、ぷぷっと…。

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こっちは、何だろう。ドラゴンと思ったら、角っこで二枚舌の変な怪物になっている。顔が重なりきってないんですね。

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角で腕が置かれている下にあるのは、顔みたいですね。

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これは結構怖いやつらかも!

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これは、ごちゃっとしてわかりにくいけれど、アブラハムの犠牲の場面。
この教会、変な者たちと、こういう聖書の場面が、結構バラバラな配置で置かれているのが、なんか独特。

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これ、いただいた冊子にあるプランなんですが、それぞれの柱頭も番号を振って、解説してくれています。本当に親切な冊子。
配置がね、12がダニエルで、向かいの15が双子の邂逅。これはまぁ、内陣の入り口ということで、聖書エピソードね、と納得ですが、アブラハムのごちゃごちゃしたヤツは、7に置かれているんですよね。
そういう配置の意味までは、とても分からないし、分かろうとしたこともないし、そもそもこういうとても親切な紙ものでもないと、確認もできませんし。でも、きっとそういうところの意味を考え続けている人なんかもいるのかもねぇ。

ということで、規模は小さいながら、なかなか充実の教会です。

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  1. 2020/10/21(水) 04:57:49|
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自動的に墓地へご案内(レスキュール・ダルビジョワ31)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その7

トゥールーズの見学を終えた足で、空港に舞い戻り、レンタカーを借りる予定でした。トゥールーズの見学が予定より早めに済んでしまったので、レンタカーの予約時間より1時間強前についてしまいました。早めに手配してもらえることを期待して、カウンターに行ったのですが、「予約時間にならないとダメ!」とにべもない対応でした。なぜ、早めに予約しておかなかったんだ、オレ、としょぼん。
仕方なく、空港の高くてまずいランチをいただき、予約時間の20分前に戻ると、長蛇の列…。たぶん、飛行機がついた時間だったのでしょう。
そういうことは事前にわかっているはずなのだから、1時間程度早くても、手続きしてくれた方が、お互い徳だったのに、と逆切れの気持ちになりました、笑。
結局40分ほど待って、やっと手続きとなりました。予約時間より半時間ほど損した勘定になります。

こういうことを避けるには、多少高くても、大手レンタカー会社のメンバー登録をして、毎回同じ会社で借りるなどすると、優先に案内してもらえるなどの特典があるようですが、年に一回のことだし、大手は高いし、結局こういう不具合というか、むかつくケースに遭遇することは仕方ない、ということになります。もちろん、とっても感じのよい会社もありますし、おそらく、その時のカウンタースタッフ次第と思います。この時のスタッフは、まったくやる気の感じられない若者で、同僚とのおしゃべりばかりが目立っていましたし。たとえ、言葉の全部はわからなくても、仕事の話か個人的なおしゃべりかぐらいの区別はつきます。

さて、こうして、やっとレンタカーを借りたのですが、いざ出発しようとしたら、なんと今度はナビの不具合。この時は、自分のトムトムを持参していましたが、何度行先を入力しても、自宅を目指してしまって、800キロとかわけのわからないことを…涙。
仕方なくスマホでつなごうとしても、そっちはそっちでまったく接続不能でした。

ことにしました。なんだか、ほんの数年前は、紙の地図だけで動いていたんですから、大したことではないのに、ナビに慣れちゃうと、ナビなしでは心もとなくて、途方に暮れちゃうんですね。
幸い、目的の町まではスムーズに到着、さて、どこかで道の名前を入力しようか、と思った矢先に、目的の教会の表示が出てきて、それを頼りに進むと、迷うことなく到着してしまいました。

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レスキュール・ダルビジョワLescure d'Albigeoisのサン・ミシェル教会Eglise Saint Michelです(Chemin du Pont、墓地教会)。

簡単な説明版によれば、もともとはベネディクト派の修道院にあった10世紀の教会が起源ということのようです。今は墓地になっているのですが、もともとは修道院があったのですね。レスキュールの町は、修道院の門前町として栄えたのかもしれないですね。修道院は、17世紀ごろになくなったようです。

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こじんまりとした規模ですが、ファサード側の扉口、立派です。トゥールーズのサン・セルナンと同時期の1110年ごろのもの。

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びっしりとつけられたの気持ち送りのスタイルとか、ちょっとスペイン風だったりしますね。石がまぶしいくらいに白いです。

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とてもよくお手入れされていますが、相当朽ちているのが残念です。でも、こうやって現場にあるからこその時間の視覚化というところもあるので、これはもう致し方ないことですね。次の千年は持たないと思いますが、おそらくそのころには地球が終わっていそうだから、ま、いいか。

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スペインっぽいですが、ここでは変な人たちの台になっている部分が、鉋屑なのが、やはりフランスかも。

扉両脇の柱頭も、それぞれ立派なものですが、朽ちてしまっていて、完成直後はどういうタイプの彫りだったのか、わかりかねます。
アダムとイブですねぇ。すでに蛇と木が溶け合ってしまっている感じ。

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右側にあるこれは、イサクの犠牲かなぁ、と思われます。

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チェッカー模様が素敵なクリスモンがあったり、アーキヴォルトにも細かな装飾が施されています。

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彫りの深いものは、比較的よく残っていますが、麻浮彫、それも、超浅的なものは、かなり消えかかっているように思います。

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今、写真で見れば、うっすら見える部分も、肉眼ではほぼ識別不能だった浮彫、いくつもあると思います。全部を覚えているわけではないのですが。例えば、扉上に並んでいるの気持ち送りの突き出たやつら、それぞれの間に(お花の下の部分)、何か浮彫があったような様子ですが、もう消えかかっています。

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後陣に回りますと、トップのは写真でわかるように、こちらもの気持ち送りがずらりと並んでいます。

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チェッカーフリーズの下にぐるり。市松ラブの私には、それだけで、すでにちょっとうれしい装飾です。
鉋屑、見当たらないみたいですね。

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全体に朽ちていますが、いくつか、保存状態の良いものもあります。いずれにしても、楽しいのがたくさん。トゥールーズで、これでもか状態の彫りをたくさん見た後では、こういった小規模の教会の、素朴系彫り物の楽しさが、いっそう楽しく感じられます。

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一気に、と思ったのですが、写真が多くなってしまったので、一旦切ります。次回内部へ。

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  1. 2020/10/18(日) 19:56:33|
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サロメもびっくり、ヘロデ王の顎クイ(トゥールーズ31、その6)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その6

オーギュスタン(またはデゾーギュスタン?)博物館Musee des Augustins、続きです。
ここのすごさは、その展示の作品数もなのですが、なんといっても、ほぼ目の前の高さで、身近に彫り物が見られる、ということに尽きると思います。

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カテドラル・サン・テティエンヌの扉口を飾っていた12世紀の柱頭。
扉口なら、まぁまぁ近いとはいえ、実際に現場にあれば、やはり細かいところまで肉眼で見るのは無理です。特に、この柱頭のように細かい彫りだと…。
それが目の前に置かれているのですから、葉っぱのすじすじやライオンの鬣が一筋ずつ確認できちゃう。

これも、カテドラルの扉口にいらっしゃった、ピエトロさんとパオロさんだと思います。

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現場だと、全体は見るし、顔とか手は注目しても、例えばこの足元の細かいタイルみたいなのは何だろう、とか、そこまでは気付かないと思うんですよね。
同じ手によると思われる、別の聖人カップル。シュッとした柔らかい曲線の、とてもスペースに合わせた感が、いいですねぇ。

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こっちは、やはりカテドラルですが、回廊にあった柱頭のようです(確かではないようです)。

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サロメですよね!
なんか、すごく物語性を感じさせます。ある意味劇画チックなシーンの切り取り方で、びっくりします。

こちらは、サン・セルナンにあったもの。

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西側の扉口にあったもので、1120年ごろとされています。
それにしては、表情から何から、もっとずっと後の時代のもののような新しさが感じられます。
これ、向かって左の人がライオンを、右の人が子羊を抱えています。これの意味するところは、長い間、ジュリアス・シーザーの時代の伝説を具現化したものだとされていました。トゥールーズの二人の処女が、キリストの審判の予兆として、一人はライオンを、一人は羊を生み、高潔さは、羊のような優しさで、その逆が、ライオンの残忍さであらわあれているといったもの。
しかし、現実にはその伝説は、14世紀以降に流布したもので、まさにこの浮彫によって生まれたものらしいです。ふふ、思いっきり眉唾状態なんですね。
羊もライオンも、結局はキリストのシンボルなので、単純に信仰の図像化ということで、今は収まっているそうです。でも、なんか意味深だし、絶対意味があるよね、と思っちゃう二人組ですよね。

ちなみにこういうことは、ちゃんと読んでないけど、現地で購入した本で、見ています。ありがたいことに、英語版があったんですよ。でも、英語でも難しいな。

これは、サン・セルナンの回廊にあったとされるもの。

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彫りが細かくて、すごいです。サン・セルナンは、今ある本体だけでも、900くらいの柱頭があるとあったですが、回廊にもこんなのがずらりと並んでいたんだとしたら、さぞや壮観だったでしょうね。

展示の中で、一番多かったのが、たぶん今はなくなってしまっている修道院La Daurade出自のものだったと思います。購入した書籍での紹介も、ここのが一番多い。

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12世紀後半というのは、他二つの教会のものより、ちょっと時代が後になるみたいですが、これまだドラマなものが多かったです。

これは、ヨブの物語らしい。

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私は、いまだに聖書のお話をしっかりと頭に入れてないんですけれど、ヨブさんは、忍耐の代名詞になっている方なんですね。
これは、ヨブが悪魔に皮膚病にされて、三人の友達が訪ねてきたところなのかな。細かい彫りですねぇ。副柱頭部分の装飾的な彫りも、素晴らしいです。

副柱頭部分は他の柱頭でも、こういった装飾的なフリーズが彫られていて、遊び心満載です。

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こんなかわいい子が、こっそりと彫られているんです。
一方で、こんなすっきり系の柱頭もあり。

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ミカエルかジョルジョと思ったら、キリストに自ら悪魔征伐らしい。なんか、仏教の、鬼を踏んづけるやつ、ほうふつとさせる図柄ですね。ほら、金剛像が、よく踏んづけてますよね。態勢が同じ、笑。

こちらは、柱頭をぐるりと、キリスト降架の物語になっていたはず。

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この、何ですかね、ハチの巣みたいになってるところ。もしかして全部背景やりたかったけど、できなかったのかな。ちょっと半端な、それにしても細かさがすごい。
なんかこういう物語性のあるものを一つの柱頭にまとめて描き出すとか、なんかすごいなぁ、としみじみ感心したのを覚えています。これも、目の前にあって、簡単にぐるぐるして、全部を見ることができるからわかることだと思うんですが、この空間に一つの物語を封じ込めるために、マエストロはすごく考えるんだろうなって思えたんですよね。
彫るのは、技術が向上すれば、どの職人でも彫れると思うんだけど、こういうシーンを作っていくのは、彫る以上に難しい作業だろうな、と。

これも、すごく感心した一つ。

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魚はもちろんキリストのシンボルですよね。しかし、こんな堂々と、グリル状態で彫られるというのは、独特ですねぇ。
そして、すごく写実的でうまい。
写実のローマから見ると、なんかすごく下手くそで、デッサンできなくて、何かが劣るみたいな風に考えられがちだけど、こういうの見ると、決してそういうことではなく、私も好きなヘタウマみたいなのって、表現の方向性が違うっていうことだとしみじみ思います。

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下はすっごく聖書の場面なのに、副柱頭では、アクロバットの人がいたりする斬新さは、ロマネスクならではの表現ですよね。こういうのが好きなんだよなぁ。

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ほら、これも本体と副柱頭で、違う世界が展開されている。いいなぁ。
こんな柱頭がこれでもか状態です。
この修道院、なんでなくなっちゃったんだろう。保存しておいてくれたら、その方がよかったよね。これら、回廊の柱頭ということなんで、あまり高いところにあるものじゃないし。今もそのままあったら、本当にすごい回廊だったろうね。

というわけで、きりがないので、この辺で。

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  1. 2020/10/17(土) 01:39:25|
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トゥールーズのお宝(トゥールーズ31、その5)

トゥールーズのお宝(トゥールーズ31、その5)
2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その5

トゥールーズで、ロマネスク目的で訪れた場合、もう一か所、何が何でも行くべき場所が、こちらです。

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オーギュスタン(またはデゾーギュスタン?)博物館Musee des Augustins
21 Rue de Metz, Toulouse
(2017年当時は、入場料5ユーロ。フランスは、総じて博物館の入場料が安いと感じます。)

例によってフランス語の発音はよくわからないのでいい加減に書いていますが、おそらく町一番の博物館でしょうから、迷うことはないでしょう。
こちら、ロマネスクのコレクションがすごいから、絶対に訪ねるよう、友人にも言われていたんです。
なんせ現場が好きなんで、美術館博物館は、いい加減に端折っちゃうことも多い私。でも、結果として、ここを訪ねずにトゥールーズのロマネスクは語れないな、と超納得でした。

ここ、ゴシック時代を起源とする修道院の建物全体が使われています。街中にありますけれど、かなり大きいです。

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その構造をそのままにしているので、回廊もあるし、回廊の中庭には、今でも薬草というか、ハーブ類を育てていました。

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修道院ライフに思いをはせるには、大変良い場所だと思うのですが、この時はあまり時間もないため、そういうことは思いっきり端折って、目的的に急ぎます。しかし!

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なんだかいきなり、こういう部屋が続くんです。18/19世紀あたりの絵画作品中心に、いかにもフランス的な展示っていうか、どかどかずらずら、おそらくそれなりに重要な作品もあるんだとは思いますが、そうそう、カミーユ・クローデルの塑像なんかもあったりして、時々足を止めちゃったりもしたんですが、正直、見に来ているのはこれじゃないから、正直焦りました。
もしかして、ここじゃなかった?と…。
だってね、なんか行けども行けども状態だったんです。
今、家で落ち着いてフロアプランを見れば、入場してすぐに左に行けばよかったのに、順路に従って右に行っちゃったんで、結局回廊をぐるりと取り囲む建物部分の一番最後にあった目的のスペースにたどり着くまで、全展示を見ることになった、というわけだったんですよ。
落ち着いてフロアプランを検討すればいいのにね、笑。

やっと、ロマネスク・エリアにたどり着いて、表示を見たときは、勘違いじゃなかった、ということで、まずは安堵しました。そして、一歩展示スペースに足を踏み入れて、目が点に。

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なんというか、斬新な展示…・。
今、改めて写真で見ても、すごく不思議な感じですよねぇ。ちょっとさ、イカ釣り漁船のイメージを抱いてしまいます。

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なんでイカ釣り?と考えたら、この、明りのシェードの雰囲気が、イカ釣りに使う疑似餌?ゴム状のポヨポヨしたヤツ、あの感じがするんですね、たぶん、笑。そして、この写真だからこそだと思うんですが、煌々とした明りの雰囲気が、夜の海の遠くの方に浮かぶイカ釣り漁船的な…。

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現場では、あまり説明もよく読まずに、とりあえず撮影しておく、ということが多いのですけれど、今回もそうしちゃったんで、現場では、すぐに並んでいる作品に食いついちゃいましたが、せっかくの振り返りなので、展示にも触れたいと思いました。
というのも、こうして3年もたってから説明版を読んでみると、ちょっと興味深かったからなんです。
この展示、キューバの現代アーティストJorge Pardoという方の作品らしいんです。この方、この展示のために招かれて、2年間トゥールーズに住みながら、この展示を完成させたそうで、これは、2018年まで、展示されるものとありました。つまり、今ここを訪ねると、違う形の展示になっているということなのかな。

ランプは、三種類の色があるんですが、それは、展示されている作品の出自ごとに色が分けられているということ。
そうなんです。ここには、三つの異なる場所から持ち込まれた作品が展示されているんです。その三つの場所とは、サン・セルナン、サン・テティエンヌ(カテドラル)、そして、La Dauradeという今はない教会それぞれの回廊です。

イカ釣りじゃなかったです。
次回の記事で、作品を紹介します。

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  1. 2020/10/16(金) 23:33:24|
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テロの時代の怖さと…(トゥールーズ31、その4)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その4

トゥールーズって、中世には本当に栄えた町だったようで、当時の教会が複数あるんです。サン・セルナンは当時、修道院教会で、今ある姿になるまでは、きっと、こっちの方が大きかったんじゃないんでしょうかね。司教座もあるわけだし。

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サンテティエンヌ大聖堂Cathedarl Saint-Etienneです。
今は、ほとんど往時の姿が残っていないんですけどね。それも、ちょっと町はずれ感のある場所で、完全にサン・セルナンの後塵を排している感じ。

それにしても、訪ねた時は、マシンガンとか持っている軍関係の警備の数が半端なくて、ちょっと怖かったです。ここで、今唐突に何かあれば、思いっきり巻き込まれてしまうんだろうなぁ、とか漠然と、危機感を覚えるような風景でした。
今は、テロこそ鳴りを潜めていますが、Covidも、目に見えないテロみたいなものですね。目に見えないだけに、始末に負えないものでもあります。
テロが頻発していた時期でも、こうやって旅には行ってたのですが、Covid下では、旅もできず、そんなこと、予想もしないで歩いていたんだなぁ、と不思議な気持ちになります。

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全体が、ゴシック以降に大きく変わってしまって、ロマネスク関係の名残は、本当にわずかです。創建は1075年と、サン・セルナンよりも前です。その前に、初期キリスト教時代の古い教会があったというのは、サン・セルナンの歴史とも重なります。
つまり、トゥールーズが。ローマ時代の町で、位置関係を考えても、ローマ時代からすでに、規模の大きい町だっということになります。
17世紀初頭に、大火災で多くを焼失してしまったということです。

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美しいバラ窓は、意匠を見るために、内側から。
ステンドグラスは、最近のものなのでしょうか。モダンな感じです。
バラ窓というアイテムには、実はあまりそそられないのですが、こうして暗闇の中で浮かび上がる姿は、やはり美しいものだと思いました。

確かこのバラ窓の下のあたりに、ロマネスクっぽい遺構がありました。

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全体がつぎはぎだらけの建物で、どのように鑑賞してよいのかもわからず、というところです。先を急ぐ旅でしたので、5分くらいで撤収しました。

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ちなみにですが、あまり時間がたったので、旅の際に収集したフライヤーや書籍の類が見つからないままに、このシリーズ、書き始めていました。が、旅の日記に、「次に訪ねた美術館で本を購入」とありましたので、慌てて、探して、結構な紙類を発見しました、笑。
今更、サン・セルナンの資料もありましたが、後の祭りです。大した資料を入手したわけではありませんが、多少は掘り下げる役に立ちそうです。せっかくの美術館での本、目を通してみたいと思います。3年たって初めて…。

もう一つ、ちなみにですが、改めて確認したところ、回った町村だけで、66あったようです。このペースで記録していくとすると、毎日ひとつアップしても、2か月以上かかるわけですね。ずいぶん回ったもんだと、今更あきれる気持ちです。

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  1. 2020/10/12(月) 00:53:41|
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身内?モデル疑惑のキリスト像(トゥールーズ31、その3)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その3

トゥールーズのサン・セルナン聖堂Basilique Saint-Sernin、続きです。

前回までの記事にも書いたと思いますが、ここ、教会は8時半から19時まで、常にノンストップでオープンしているようですが、内陣部分には鉄柵があり、有料の博物館扱いとなっており、そちらの時間は10時から18時となっています。
そのため、一旦、他の見学をしてから、改めてこちらに戻ってきました。

入場料2.5ユーロなりを支払い、鉄柵の内側へ。
実は私、見るべきものはクリプタにあるものとばかり思っておりました。そのため、鉄柵を超えてすぐ右手にあった階段を、勇んで降りてゆきましたとさ、笑。

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しかし!何もない。変に新しいしつらえだし、11世紀の彫り物なんか、影も形もないじゃないですか。事前に調べたメモでは、「クリプタの壁」としていたのに…。
狐につままれた気持ちで、階段を登って、やっとわかりました。

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自分のメモ、間違いまくり。クリプタじゃなくて、周歩廊の内壁にあったんです。この三つの浮彫、11世紀のもので、Bernard Gilduinという石工さんの作とされているもの。
真ん中の祝福するキリスト、アップ。

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ちょっと怖い馬面系。失礼ですな。
髭がなくて、長髪できれいに整髪されているのが特徴的と。確かに、きれいにくしが入っていますよね。身近な人をモデルにしたんじゃないの?というのが印象です。第一に手が、とってもごつごつしていて、変に写実的で、働いている人の手っていう様子だと思うんです。
お顔も角度によって印象変わりますけれど、堂々と見ると、ある意味エキゾチックというか、色々血が混じっている雰囲気もあります。

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写実の人っていうことですかね、マエストロ・ベルナール。
キリストの左側、つまり向かって右側にはセラフィム。

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この人の髪の毛もきっちり。なんか、ひも状のもので結んでいますけれど、この辺がちょっと違和感あるのかなぁ。鼻筋、ピーン。

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扉口の横顔専門の人たちは、もっと団子鼻なんで、手が違いそうです。
とはいえ、彫りの細かさとか、手のごつごつ写実間には、共通するものが感じられるので、同じ工房の人たちなのかな、やっぱり。

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一方、キリストの右側、つまり向かって左側にいるのは、ケルビムとあります。

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それぞれ、上のアーチに彫り込みがあるのですが、セラフィムの方は、書籍にそう書いてあったのでそうかと思ったまでですがこちらは、同じ伝で、アーチの彫りこみを信じるとすれば、ケルビムのようです。

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この子は、短髪で、天パー(天然パーマ)的な。くしけずり二人の後では、ちょっと新鮮な写実です。ちなみに、天使の階級では、セラフィムが最上級で、ケルビムがそれに次ぐ地位となっているので、天使界のトップに囲まれている、という図になるわけですね。

かなり硬度のありそうな石への彫り物で、こうして改めてみると、とても立派な作品なのですが、個人的にはあまり訴えてくるものがなくて、写真数も最低数でした。

この彫り物を置いても、この周歩廊は、お金を払って見学する価値があります。

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立派な構造と、たくさんの見るべき柱頭があります。

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彩色跡がありますし、天井や柱、壁なども、すべて様々な意匠が施されていた様子が残っています。色がオリジナルの状態だったら、実に驚くべき極彩色な派手派手ですね。

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大好きな市松フリーズも、こういう風に色が入っていたとすると、様相が変わってきます。これはこれで、やっぱりかわいいですけども。

確かこの部分だったと思うんですが、もう一つ、ちょっと古そうな天井フレスコ画があります。

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色が褪せているし、この、白のぽつぽつは、このフレスコ画の上に、もう一枚フレスコ画というか、漆喰が塗られていた跡だと思います。顔は全部なくなっていますし、細部は残っていませんので、前回の記事に乗せたフレスコの方が、保存状態は相当いいようです。上に他の漆喰が載っていたのに、なぜ、顔がないのか不思議。

長くなりましたが、この旅しょっぱなの教会は、実に見所豊富で、アワアワの幕開けとなった次第です。
アワアワは、実はまだ継続します…。

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  1. 2020/10/11(日) 20:26:00|
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彩色柱頭について、なんちゃって考察(トゥールーズ31、その2)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その2

トゥールーズのサン・セルナン聖堂Basilique Saint-Sernin、続きです。

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後陣からアクセスして、後陣と南側の見学というか、観察というか、じっくり見ていると、気持ちが焦ってきます。こういう気持ち、よく書いていると思いますが、見るものがあるほど、うれしい半面、すごく困ってしまうっていうか、困惑するっていうか、先にどんどん進んで、早く全貌を見たい気持ちと、気に入ったものをじっくりと見ていたい気持ちのせめぎあいみたいな気持ちで、どっちつかずの引っ張り合いになっちゃうんですよね。

それもむべなるかな、このサン・セルナンは、当時のクリュニーと並ぶロマネスク最大規模の教会だというんですから。

現地で仕入れた書籍を紐解こうと格闘したのですが、フランス語はやっぱりなんとなくしかわからないので、イタリア語情報を頼りにしたところ、今ある教会以前は、すでに4世紀ごろ、最初の教会があったのだそうです。初期キリスト教時代ですね。それはそれで、おそらく私が好むタイプの教会だったに違いないと思いを馳せます。そこに、5世紀になって、聖セルナンのレリックが持ち込まれます。
その後、教会を中心とした修道院が作られ、そこはアゴスティーノ派修道士の管理で、15世紀まで生き延びたそうです。
その間、この地がサンチャゴ巡礼路の主要路となったことで、当時の教会では小さすぎるということから、1070/1080年の間に、教会建設が始まりました。同11世紀の終わりごろに主要な部分(後陣、翼廊)が完成し、その後、徐々に他の部分が完成。また、後代の付け足しや改装も含めて、今の姿になった、ということらしいです。

そういう結果として、ファサードは後代の建築で、ロマネスクばりばりの後陣や南側面にある数々の装飾を見てきた後では、気が抜けます。

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正直、やっと中に入れる、とほっとした気持ちもありました、笑。

こういう壮大な教会ですから、中は、想像通り。

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キラキラ。シャンデリアまで下がっていて、キラキラ感が増しますが、スタイルは、とてもロマネスクな感じです。イタリアだと、この手の、後代、特にバロック時代に手が入った教会では、柱頭が削られちゃったり、彫り物は残されても金箔が張られちゃってキラキラ、というケースが大変多いのですが、フランスはどうだったのでしょう。

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と思ったのは、素晴らしい彫り物が、かなり良い状態で見られたからなんです。
修復もされているでしょうし、もし変な彩色があったとしても、最新の技術できれいにしているということなのかな。

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彩色は見えますね。もともと極彩色だったのかもしれないな。

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柱頭などの彫り物に関しては、全部彩色されていたという説と、必ずしもそうでないという説があると思うのですが、フランスでは、多くの柱頭に彩色の跡が残っているケースが実に多いですね。イタリアでもありますが、彩色跡の残るケースは少ないと思います。金箔はがしも、もしかしたら、少しは関係しているのかしら。

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フランスだと、かなり山奥の辺鄙な教会でも、彩色柱頭が多くみられるから、なんとなく基本がそうだったんだろうな、と思えるんですが、イタリアでは、めったに見ないから、全部彩色説は、フランスに限っての議論かな、とも思います。
金があったとか、材料の有無、そして、美的センス…。

でもさ、彩色の絵の具を化学的に分析しているのでしょうけれど、フレスコ画なんかも、正確な年代を確定するのは非常に難しいという話を聞いたことがあるし、100年や200年の差の区別って、もしかしてすごく難しい可能性があるから、そう考えると、オリジナルに彩色されたのか、例えばゴシック期以降とかの彩色とか、そういうのもわからないかもしれないってことになるよね。

ふふ、色々想像するのは楽しいですね。
先史時代ほど遠くない中世だって、現代の技術の粋を尽くしてもわからないことがあるというのは、やはり歴史はロマンです。

さて、いきなり床に目を転じて、こんなものがあってびっくり。

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これはいつの時代のものなのか。古び度合からいって、さほど新しいものとは思えないし、結構細かいテッセラの本格的なモザイクだから、古そうな気もする。でも、無造作に踏みつけられるし…。

また上に目を転じて、別のお宝発見。

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フレスコ画、12世紀とされていますが、タッチ的には、もうちょっと下がるような気もします。
1970年代に発見されたんだって。それ以前にここを訪ねた人は、見ることができなかったんだね。そういうものって、結構あったりするから、やっぱりロマンだなぁ。
こんな高いところにあるから、細部は肉眼では見えません。

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中も、外と同様、これでもか、状態。
なんと、柱頭なんかは、外側で435個、内部で443個もあるんだそうだ。相当高い位置にあるものも多くて、とても見えませんが、彫りはしっかりしていて、保存状態も良好なので、ドローンとか飛ばして、接写してみたい感じです。

実は、この教会で最も有名なお宝は、これから。教会は早朝からいているけれど、その場所は、有料で、10時から、ということなので、開くまでの時間を無駄にしないため、カテドラルや美術館を先に回って、再び戻ってきました。
いつでもどこでも、小走り状態、笑。

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  1. 2020/10/10(土) 18:44:45|
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100年って長いのか短いのか(トゥールーズ31、その1)


2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その1

プロローグとして頭出ししたのが、旅の直後、2017年の8月なので、プロローグからその1まで、なんと、丸三年以上かかったことになりますね。その間にホームページはなくなるし、ブログの住所も変わるし、三年、結構長いです。
この時の旅は、場所によるのかあったものによるのか、非常に印象が強くて、なかなか忘れない自信があったので、慌てずにほかの修行旅の記録をしていたんですが、さすがに丸三年たっていると思うと、ちょっと心もとないです。
最近、近郊への日帰り修行も多くしているので、そういうシンプルな記録を先にしたい気持ちもあるのですが、それをやっていると、あっという間に四年とかたっちゃいそうなんで、思い切って、重い腰を上げることにしました。どうなることやら、ですが、とりあえず、始めます。

まず、例によってですが、フランスの土地の名前とか、州の名前とか、いまだによくわかってなくて。おそらく、ミディ・ピレネーって、今は使わない名称なのかしらん。Occitanieとなるのかな。
だとしても、もう頭出しで、ミディ・ピレネーにしてしまったんで、書庫はそれで行きますね。数字は、県の数字となり、これだけは変わらず同じなので、場所の目安として記して置くようにします。

プロローグでも記したように、この時は、トゥールーズToulousの空港に入りました。Covidの今となっては、自由にどこにでも飛べたあの頃が夢のような気がします。

到着は夜で、まずは空港バスで町に入りました。すぐにレンタカーをしてもよかったのですが、トゥールーズの目的は街中の二か所だけ、半日コースであり、車で移動する必要がないどころか、車があると、駐車などかえって厄介なので、車なしでトゥールーズの見学をしてから、改めて空港に戻ってレンタカーするという作戦でした。

そのために、鉄道駅前のリーズナブルなホテルに投宿することにしたのですが、そこそこの規模の町の鉄道駅周辺って、おそらく総じて治安は良くないのですよね。空港バスを降りてから、小走りでホテルにアクセスし、荷物を部屋に放り込んで、22時ごろではありましたが、夜のカテドラルを見に行こうとホテルを出ました。
でも、道は暗いし、駅前から旧市街の中心にあるカテドラルは、どうやら結構な距離です。10分ほど歩きましたが、これは帰りもあるしやばいんじゃないか、と気付いて、あっさりと引き返すことにしました。
ホテル近くのコンビニみたいな店で、缶ビールを買って、缶のまま手にもって出ようとしたら、お店の人に、かばんに入れなさい!と強く言われました。何怒ってんのよ、と思いましたが、もしかすると駅前という場所がら、そういう缶ビールをめがけて襲ってくる人なんかがいるってことなのかも、と後から気付いて、ぞくっとしました。まったくもう。

さすが駅前ホテルで朝は早かったので、翌朝は、8時半過ぎにホテルを出て、まず向かったのは、もちろんこちらです。

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サン・セルナン聖堂Basilique Saint-Sernin(8:30-19:00)
壮大なバジリカです。
まさに、この後陣側からアクセスしたんですけどね、こんな感じ。

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これ、カテドラルだと思い込んでいました。この激しい壮大ぶりは、そう思いますよねぇ。
ちょうど朝日が当たって、きらきらと浮かび上がるような後陣の写真を撮りながら、私の目の前の集団に、目が釘付けになったこと、よく覚えています。

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軍なのか、警察組織なのかわかりませんが、この時は、ライフルみたいな銃を担いだ人たち、あちこちで警備していました。確か、テロが続いていたんですよね。テロ、巻き込まれたらもうどうしようもないけれど、ちょっと朝っぱらから気が引き締まる思いではありました。

せっかくだから、後陣から、見学ですが、すぐに、これはきりがないんじゃなかろうか、と思わされました。

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どこもかしこも、びっしりと彫り物です。時代もいろいろ、また再建部分も交じっているのではないかと思いますが、もう区別する気もなし。
鉋屑背負っているのは、オーヴェルニュですね。背負いぶりが、もう律儀ですごいです。

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ほらほら、どこもかしこもいろいろくっついちゃって。オペラグラスでも、しっかり見ていましたが、お疲れ様でーす、的な言葉がぐるぐるします。
ちょっと面白いな、と思いましたのが、そういえば、ここ、レンガですね。

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半円後陣の下の方に、こんなレンガ装飾がありました。これは再建とか修復されている場所なのかな、と思いましたが、今本で確認したら、石とレンガの組み合わせはオリジナルのようです。イタリアにはよくあるマテリアルですが、フランスでは珍しいような気がします。アーチと三角との組み合わせ、すっごくかわいらしいです。
そして、レンガが細くて、色も多様で、美しいです。

左側に回り込んで、ファサードへ向かいながら、古そうな扉口に気づきました。

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Porte des Comitesと呼ばれる門。伯爵の門?
頼りないフランス語ですが、貴族の墓所に通じる扉とでもいった位置付けのようです。
11世紀の装飾らしく、後陣の彫り物より、断然好みです。

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これは、ラザロの復活らしいです。
双子みたいにそっくりな天使の手が、でかくて、寛大な感じする。

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の気持ち送りの彫り物も、ライオンも、みんな好きな時代の好きなテイストだと思います。貴族のための装飾なのに、別に貴族なんか関係なく、やっぱりありがちなライオンだったり、得体のしれない動物の頭だったり、面白いですよねぇ、そういうとこ。

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しかし一歩進むごとに装飾があって、足が止まっちゃうって、困ったタイプの教会です。先に進めやしない。
特に古い時代のやつは、それがまたかわいかったりするんで、撮影も大変。
先日の、今年の夏休み旅と逆に、こっちは撮影枚数が多すぎて、整理が大変です、笑。

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先に進むと、といっても、まだ南壁面なんですけれど、もう一つ扉があって、たぶんこっちの方が有名なんですよね。

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Porte Miegeville。
どういう意味だろうと思って調べたんですが、辞書にない単語。なんか悔しいのでイタリア語で検索したら、何のことはない、造語みたいなもんですね。Ville、つまり町のMiege、真ん中、という意味になるそうです。この門の開いている先の通りが、かつてはトゥールーズの町の中心を横切る道だったことから、つけられた名前なんだそうです。イタリア語が分かってよかった。すっきりしました。

この門も、先ほどの伯爵の門と、さほど時代は変わらないみたいなんですよ、11世紀の終わりごろ。それなのに、ずいぶんと時代が下る印象です。彫り物担当石工さんの傾向なんでしょうね。
スタイルからいって、ここの装飾は、中の彫り物もしていると同じマエストロです。この人、モダンなセンスの石工さんだったと思われますね。

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ほぼ全員が横顔だったりして、スタイリッシュっていうのかな。あ、エジプトの影響受けてたりするのかな、笑。

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ほら、すごくデザイン的な表現で、びっくりしちゃいます。大きく彫られているキリストだって、横顔だよ。珍しいですよねぇ。

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もしかして横顔専門?と言われたら困るし、と思って、ちゃんと柱頭には三次元的な彫りもしときました、ってやつです。

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それにしても。
こういうの見ちゃうと、直観では絶対に、時代分かりませんね。このあたりの100年200年の違いって、あるのかないのかわからないところあって、不思議です。現代で考えると、100年の違いって、すっごくあるじゃないですか。
あ、でも、今でもゴッホいいね、とか言ってるってことは、100年くらいって、実は歴史の上では、大した時間じゃないってことなのか。

色々考えつつ、長くなり過ぎなので、続きます。
今のところ、やっぱりよく覚えていて、ほっとしてます、笑。

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  1. 2020/10/05(月) 01:35:36|
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