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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

どこを切ってもおいしい教会(エスパリオン12-アヴェイロン、その2)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その30

解説を読んでいて、なるほど、と思ったのが、ロケーションです。
コンクをコピーするほど、ある意味力の入った教会のくせに、町はずれの墓地にあるというのが、ちょっと不思議な気がしませんか?
教会と町の位置関係は、こんな感じになっています。

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教会、今は墓地にあるわけですが、小高い丘になっていて、周囲は何もない感じ。村に向かう道の途中から、民家が出てきますが、墓地ですから、ほんと、何もない。
例によって、怪しいフランス語ですから、正しい理解をしているかどうか不明ですが、なんか、創建時11世紀には教区教会で、12世紀にかけて、人口が増えたことで、大型化したことで、なんかつぎはぎ的な作りになってしまったそうなんですが、ということは、この辺りに、本来は村の中心だったのか、と。
13世紀に、上の地図で、ちょうど中心に、Pont-Vieuxってわかると思うのですが、この橋ができたことによって、川向うとの行き来が盛んになり、村の中心がそっちに移ったということらしいんです。

私が入店拒否されたレストランとか、少し歩いた道は全部川のこっち側で、私は川向うにはいかなかったんですが、グーグルで見ると、川向うの方が新しい町っぽくて、こっち側とは雰囲気が違うように思えました。そういうことなんだ~。

地図を出したついでに、意外と忘れてしまいそうな見学ポイントについても、触れたいと思います。
何かというと後陣。
というのも、墓地では、後陣全体を見ることができないんです。でも、素敵な教会だけに、外せないですよねぇ。現場に、何か書いてあったのかもしれませんが、私は気付かず、ロケーションからいって、結構違う場所からしかアクセスできないと見極めました。
で、下に印をつけたところから入る小路が怪しい!とにらんだんです。

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そこまでは車で移動したのですが、ここから、地図で見て右の方に入る道、かなり狭いんです。それも、現場でこの地図を見ていたわけじゃないので、どのくらいの距離になるのか、ちょっとわからない。
車を降りて思案していると、自転車で通りすがりのおじさんに声をかけられたんです。
教会の後陣を見たいんだけど、ここから行けるか、どのくらいかかるか、つたないフランス語で尋ねたところ、なぜかスペイン語で返答されました~。ひどいフランス語に、イタリア語なまりがあって、おじさんにはそれがスペイン語圏の人のフランス語に聞こえたとか、そういうことなのかなぁ。謎でしたが、とにかく、すぐそこだし、車で全然行けるし!と太鼓判を押されたので、しずしずと車で進みました。

たったの1分もかからず、到着しました。歩いても問題なかったです、笑。

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緑の中に、赤い石が映えます。ピンク砂岩ということでしたが、この辺りで取れる石なんでしょうね、きっと。墓地と比べると、緑ぼうぼうの大自然という場所で、この写真よりももっと高い位置にあるような印象を受けました。

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フランスには、後陣が円筒じゃなくて、こんな風にごつごつしたスタイルが、結構ありますね。個人的には、円筒の方がずっと好みですけれども、ここはやっぱり頑張って回り込む意味があったと思います。
なぜか、こんなに誰も来そうもない場所だというのに、わざわざ説明版が何枚も並べられていたのが、謎でした。

よくある村のコンテクストとして、一番高い場所に教会があり、その周辺の斜面に村が並ぶ、というような村だったのかなぁ。

また、墓地の方に戻ります。

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奥の方に見える下界が、撮影ポイントです。
こっちからは、後陣の手前までしかアクセスできませんでした。
シンプルでかわいい植物系柱頭。

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それから、軒持ち送りがたくさんあります。時代は混じっているように感じられますが、なかなかかわいいですよ。

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なんてこった!と思いっきり困っているおやじと、間抜け面の馬面。はみまで噛んでるというのが、妙にリアルな馬です。

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ラブラブの二人。なんかちょっと異教的な、埴輪的な感じがします。髪型とかのせいかな。後、お洋服がすっごく中正な様子で良き…。靴が、お気に入りです。それにしても、グイっと手首握りの肩抱き寄せ、男がぐいぐい、と思いきや、女性の手が、ちゃんと背中を回って男性を抱いていますね、笑。

これはまた強烈な…。

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人魚って彫りたいんだけどさぁ、ほらよくあるじゃん、でも、どうなってるんだっけ?みたいな状態で彫り出しちゃった感がありあり…。どう見ても未完成だけど、もういいよ、これで、って投げちゃってますよね。

動物系は、きりがない感じ。それにしても、なんでこんなにでっかいものをガジガジさせたかったんだろう。歯が変にリアルで怖いです。

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こちらは、遠目にはフクロウに見えたのですが…。

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でも、しぐさは、自己犠牲的ポーズのペリカン的イメージを髣髴とさせますね。くちばしの様子は、ちょっとフクロウじゃない…。猛禽類?

軒持ち送りは、いくら見ても面白いけど、本当に首が痛くなりますよね。ずっと見ていたいけれど、身体的に無理、となることも多いです。

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こんな物語的な動きのあるものも、隅っこに彫られていました。

そうそう、扉口の上の方に、とっても素敵なのがあるのを忘れちゃいけません。

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マギです!マギも、大好きなテーマの一つ。

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大切な贈り物を、本当に大切そうに抱えている様子が、微笑ましくなるよね。

どこを見ても楽しくなる教会。
続きます。

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  1. 2020/12/10(木) 05:51:30|
  2. ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
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コンクの粗悪コピー商品?(エスパリオン12-アヴェイロン)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その29

ごみ捨てのおばさんに撃退された村からすぐ、次の目的地です。

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エスパリオンEspalionのサンティラリアン・ド・ペルス教会Eglise Saint'Hilarian de Perse、現地の説明版には、単純に「ペルスのロマネスク教会Eglise Romane de Perse」とありました。

見ての通り、墓地の中にある教会で、規模もこじんまりとしたものですが、ここはすごいです!わたし的には、この旅でたずねた教会のトップ3に入る教会です。自分の好みという意味では、トップかもしれない。

というわけでもないですが、じっくりとご紹介したいと思います。
じらすわけではないのですが、例によって記憶のよすがとなる周辺事情から。興味ない方は、どうぞすっ飛ばして、下の方に行ってください(次の写真の下まで進んでください)。

実は、ここに向かう途中からぽつぽつと雨が落ちてきて、墓地に到着した時は、割と降ってきていたんです。
それでも一応教会にはアクセスして、ざっと見学はしたのですが、この雨では、外側の撮影が難しいと思ったことと、また、教会は昼に閉まることもなく開いていることが分かったので、村に行って、軽くお昼を取るか、という気持ちになったのです。
時間的にはランチぎりぎりで、今を逃すと、もう昼抜き決定、という状態でもあったので。

幸い、村の方の駐車場も調べてあったので(Rue du Foirail)、首尾よく駐車して、村に向かいました。
テラス席も中も満員状態でにぎわっている気軽そうなお店があったので、入ったところ、なんとサン・コームの二の舞?
にべもなく、もうお食事時間は終了しました!と入店拒否されてしまいました。13時45分だから、イタリアではありえないけれども、フランスなら、ありえないこともない微妙な時間。

それにしても、満員状態の人々が、現在進行形で食べているわけですから、にわかには理解できず、しばらく立ち尽くしていましたが、おばさんからは完全無視されるし、お客さんたちの視線も突き刺すようだったので、仕方なく引き返し、駐車場に一番近いカフェに入り、何か食べるものはあるか尋ねました。
「残念ながら、うちは食べるものはないんだけど、ランチ?食べてないの?まだ時間的には大丈夫だから、この先に行くとレストランがあるよ」と大変親切なおやじ。いやいや、まさに今行ったんだけど、もう終わりといわれたので、とちょっと泣きそうな気持で訴えると、では、こっちのその道を行くと、ハンバーガーのお店があるから、あそこならいつでも開いてるし、手作りのおいしいハンバーガーだから、そこに行きなさい!とほぼ命令状態、笑。

昼抜きは慣れているので、カフェオレでいいや、と思っていたのだけど、ここまで言われては、従わないわけにいかず、ハンバーガー屋さんに行ったとさ。

でもさ、おじさんが、同じレストランを教えてくれたのは明らかだったんで、やはり入店拒否だったんだな、と悲しい気持ちになりましたねぇ。いい人といやな人が激しく混在している土地。フランスに対しては、全土的にそういう印象なんですが、この時の波は激しかったです。

教えてもらったハンバーガー屋さんのハンバーガー美味しかったです。でも、いわゆる地元のファストフードで、お持ち帰り専用の店だから、トイレもなくて、仕方なく教えてもらった公衆トイレに行く羽目に。
フランスは、公衆トイレ、かなり清潔にしているし、ほとんど問題ないんだけど、ここのは、残念なことに手洗い場がなかった…。なんてこった!
フランス人は手を洗わないというのはよく聞く話で、実際に、あ、そうなんだ、と思ったことも複数ありますが、この時は心底、「せめて手は洗おうよ、みんな」と訴えたくなりました。洗面台一個つけるのが、そんなに面倒かなぁ。
というわけで、ぜいたくにも、お店で買ったミネラルウォーターで手洗いをして、町を流れる川沿いで、のんびりとランチといたしました。この日朝から、ずっと一緒のロット川です。

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お城のある美しい村です。心優しい人と、やさしくない人のいる村です、笑。

さて、休憩後、余裕で墓地へと戻ります。

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遠目からでも、これは絶対に大好物なやつだ、とわかる面構えの扉口。
説明版には、これがルエルグ地域のロマネスクの典型だとありますが、そうだとしたら、ルエルグのロマネスクが、私の好物ということになりますね。

詳細を見だしたら、きりがないほど、たくさんのアイテムがあります。こういうタイプが好物な人は、興奮した犬状態になること必至。目が泳いじゃうってやつですよ、どこをどう見たらいいのかわからなくて。
今、改めて写真を見ても、感心するし、山ほど撮影したつもりでしたが、とても足りない、ここも見たかった、あそこも見たかった、というように感じてしまいます。

何はともあれ、まずは、タンパンですね。教会の南側に開いております。

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久しぶりに、まじめに、現地で購入した本を読んでみましたよ。この地域全般を取り扱った本なので、この教会に関する記述はわずかしかなく、それで読んでみる気になりましたが、もう駄目ですね、フランス語。完全に忘却の彼方です。
大した量じゃないのに。辞書片手に、えらい苦労しました。

上の写真でぼんやりとわかるでしょうが、タンパンは、三段に分かれていて、それぞれ、テーマが異なります。

まず、一番上の段は、ペンテコステ。炎が降りそぞいています。

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両脇、向かって左が太陽で、右が月のフィギュアのようです。
太陽は、ギザギザの彫られたわっかが、太陽を表すようですが、光背を背負った人物が、光線を図像化した細い棒の束を持っているフィギュア。
お月様の方は、光背ではなく月を背負っていて、何ともコスプレっぽいユーモラスな感じです。
これらフィギュアは、古代、つまり異教時代の図像だと解説されていました。確かに、太陽と月、というと、すぐに思い出すのが、スペインの西ゴート系の彫り物だったりします。

中段には、中央に聖母、両脇に5人ずつ使徒が並んでいます。

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使途によっては、やたら顔が出かかったりして、なんか面白い。

そして、一番下の段が、最後の審判となります。

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全般に、ご近所にあるコンクのタンパンの影響を受けているタンパンとなっているようですが、影響というより、コピー商品、笑。それも、かつての中国製品とか日本製品的な粗悪コピー商品、という位置づけのようですよぉ。
解説によれば、まずは彫りの技術がダメダメ、そして、図像の配置や表現がダメダメ、ということらしいです。

でもさぁ、コンクと比べたら、かわいそうだと思うんだ。だって、村の規模は変わらないかもしれないけど、教会の規模は全然違うし、かけられたお金だって全然違ってて、石工さんにしたら、コピーする以外、どうしろっていうの?という気持ちで、切羽詰まってコピーしちゃったんじゃないのかなぁ。
ただ、キリスト教教義への無理解とかそういうのは、やはり本来あってはいけないことなんだろうなぁ、とは思います。いっそ、自分のわかるエピソードでも並べとけばよかったんだろうけど、俺たちの村にも、ああいう壮大なもんが欲しいよなぁ、とか主張する見栄っ張りの一派が金主だったりしたんじゃなかろうか。

図像への無理解は、例えば、ペンテコステの場面に、太陽や月を置いちゃいかん、とか、なんで聖母と使徒なんだ、それも、使途が10人って何だ、とか、天使と悪魔が魂を奪い合ってるとは何事ぞ、とか、そういうことらしい。
一部理解できますが、一部理解できない。わたしも、教義も図像も全然無理解の人だから~笑。

解説では、当時、こういう間違った図像を堂々と掲げられた門をくぐる、信仰篤い信者や聖職者は、なんと思ったのだろう、とあったけど、ロマネスクの時代って、めちゃくちゃ性的な部分を強調した彫りものとか平気で飾っちゃうパンクなところもあったから、反面教師的な意図があるんだろうとか、結構普通に受け入れられちゃったのでは、とか思ったりもしますが、どうなんだろうか。

上の写真だけだと小さすぎるので、以下、クローズアップしますね。

太陽さん。

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本を読んでいて、感心したんですが、バゲットBaguetteって、フランスパンのことだけじゃなくて、こういう細い棒的なものの総称だったんですね。図像にまったく関係ないけど、勉強になりました。

そして、お月さん。

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この三日月の置き方は、ちょっと駄目だよね。変な人にしか見えないもん。

ところで、下段の最後の審判図は、左に地獄図、右に天国の図となっており、コンクとは逆ですが、これも、ダメダメな理由だったりするのだろうか。

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アップして気付いたんだけど、地獄図の魂を飲み込む怪物風は、コンクとそっくり。
そして、今気づいた次第で情けないのですが、前回紹介した私有地にある門だけのタンパンの怪物も、似ていますね。この地域で一世を風靡したモチーフだったんだ!
ちなみに、私有地の扉では、コンク同様に、右手の方にありました。
ここのは、わざわざひっくり返した意匠で、コピーじゃないもん、ほら、うちとこのは、右向きだし、とか言い訳を考えてたのかな?

この怪物、フランス語では、グールとなっていて、グールって、「食獣の口」とあるんですが、食獣という単語が初めて出会った。そして、グールって、イメージとして、ゾンビ的なものだったんだけど、どうやらグールっていうのは、昔からあるイメージなんですね。
そして、この口は、悪魔を吐き出す口で、食べてるんじゃなかった。大いなる勘違い、いわゆる無理解、でした、笑。

天国側の、端っこの方に、アーモンドの玉座に座り、四人の福音書家に囲まれたキリストがいます。

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なんか、素朴でかわいいけども、行き当たりばったりに彫ってる感も、かなりにじみ出ているような様子も感じられます。アーモンド、というより、キリストがゆがんでるかも?

アーキボルトには、天使がずらり。

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こういうの見ると、それなりの技術を持っていた石工さんも参加してたんでは、とか思っちゃいますが、石彫りのことを何も分かってない素人イメージなんですかね。

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まだまだ沢山のアイテムがあるので、一旦切りますね。続きます。

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  1. 2020/12/08(火) 20:55:26|
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にべもなく、そしてけんもほろろに(サン・コーム・ドルト/ルヴァナック12-アヴェイロン)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その28

次に向かったのは、サン・コーム・ドルトSaint-Come-d'Oltというロット側沿いの村です。

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扉口だけが見どころという情報は持っていたものの、それがあるのは村の教会なんだと思い込んでいて、とりあえず、村まで行きました。
ロット側にかかる橋を渡ると村なんですが、私が訪ねた当時は、そのあたり一帯大工事中で、何が何やら状態。およそ先に進める様子がなかったので、目に付いた路肩に駐車し、通りすがりの女性に、確認したところ、駐車は問題なさそうだったので、徒歩で、村に入り込みます。

しかし、教えられた先にあった教会は、こういうやつでした。

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サン・コーム・エ・サン・ダミアン教会Eglise Saint-Come-et-Saint-Damien。ばっりばりのゴシックじゃないですか。
でも、もしかしたら創建がロマネスクで、何かあるのかも、と一応中にも入りましたが、どう考えても違う…。

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そもそも、扉口が違うわけだから、ここじゃないに決まっています。すごすごと、どうしようかなぁ、と思案しながら来た道を引き返したところ、駐車した車の近くで立ち話している中年のカップルがいました。
なんとなく感じがよさそうな人たちだったので、声をかけてみると、ロマネスクの門が…というあいまいな質問に対して、すぐに理解してくれて、その上、とても丁寧に行き方を教えてくれたんです。ご夫婦だったようですが、夫の方が、少しイタリア語を分かるということで、つたないイタリア語でしたが、使えることが嬉しかったのか、熱心に説明してくださいました。奥様はフランス語で、ゆっくりと丁寧に補足してくださり、車に乗ってからも、何度も、繰り返し、説明してくださいました。親切~!

今後行かれる方のために、正確な地図を貼っておきます。
今は、グーグルマップで検索すれば出てきますけれど、それでも、住所がわからないとなかなかすぐにはわからないかもしれませんし。

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地図の中ほどを横に走る道がありますが、サン・コームの町を出て左に走り、最初に出会う十字路をLevinhac方向に行けば、その細い道の正面が、その場所となります。
私は、確かもう少し先の道を左に入るように言われて、そう行きました。つたない共通言語で、よくそんな道の話ができて、ちゃんと理解したものだと感心しますが、やはり伝えたい気持ち、理解したい気持ちが双方にある場合、通じるものなんだと思います。フランスでは、そこまで熱心に伝えたい気持ちを持ってくださる人が、イタリアなどに比べると少ないのが、辛いところなんですよね。
イタリア人は、伝えたい気持ちが勝ちすぎるあまり、あいまいな知識でも伝えようとし過ぎて、結果的にうそになることもあるので、注意も必要ですが、笑。

さて、地図にある一本道は、こういう並木道です。狭い道で、参道のようですかす。

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で、正面に見えるんです。これは、自分では撮影していなかったんで、グーグルからお借りしてます。

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ルヴァナックのロマネスクのタンパンLe Tympan roman de Levinhac。
教会の名前も何も見つけられませんでしたが、何一つ痕跡がないなんて、あるのかしら。

まさに正面に、扉口がありますが、残されているのはそこだけ。そしてここ、個人のお宅です。

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左側の邸宅は、後代の建物そのものですから、扉口だけを残して中世の建物は消滅、草原的な土地になっていたのかな。邸宅は、見た感じ、19世紀のものですかねぇ。扉口が壊されても不思議はないような感じですが、それなりに守られていたということでもあるのか、又は時代的に、こういう過去の遺物を愛でるタイプの住人が続いただけのことなのか、よくわかりませんが、見事に保存されております。
でも、鉄柵からは、結構な距離があります。

実は、たどり着いて車から出たときに、ちょうど、このお宅から、女性がごみを捨てに出てきたのです。これはビッグ・チャンスでは!と、ドキドキしながら、彼女がごみ捨ての場所から戻るのを待ち、恐る恐る、近くから見せてもらえないか聞いてみたんです。

しかし、「にべもなく」という表現がこれほど合う瞬間を知らなかった、と思うほど、にべもなく、「私有地だから駄目です」とけんもほろろ、あ、この言葉も、もうそのままですね、返されて、鉄柵をぴしゃり!という感じで閉められてしまいました。

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どこかにお出かけ準備中の様子で、私がいる間は、ずっと出たり入ったりと車に荷物を積み込んだりしておられたんだから、いいじゃんね~、と恨めしい気持ちでした。先ほど、村で出たったお二人が、すっごく感じよかっただけに、失望感も、普段以上に感じた気がします。

それにしても、自宅にこんな門があるなんて、なんて素敵な生活だろう。

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地味な浅浮彫ですが、とても品があるタンパンです。
遠かったのですが、慎重に撮影したおかげで、結構ちゃんと撮れていました。

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他にも人物フィギュアがあったようにも思えます。いずれにしても、お顔などはずいぶんと傷んでしまっていますが、なんか優しい様子が好ましいです。
その様子と赤いっぽい石で、ちょっとアルザスを髣髴としました。

人物フィギュアの周りに彫られている装飾的な浮彫も、素敵なんです。

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組紐系。こんな風なタンパンの装飾って、ちょっと珍しいですよね。

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右側の方の、お花なのか、こちらの浮彫も、すごく装飾的かつデザイン的。
こっちは、上の方に、ドラマな浮彫もちょっと見えますね。

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こんなの、鉄柵越しの見学では、とても見えませんでした。近くに行ければねぇ。

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柱頭はちょっと傷みが激しいようです。
アーキボルトにも、浅く、様々な彫り物が施されているようですが、これも、今、写真で確認できますが、現場ではとてもとても。

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扉口ですから、反対側には何もないんでしょうが、なんか、何もない場所に向かっている扉口に、立ってみたかったです。

お家の人たちも、こんな風に鉄柵に張り付いて、無理な姿勢で撮影されるよりも、たまたまそこにいるなら、入れてくれて、普通に撮影してくれる方がいいんじゃね?と思いましたが、あのけんもほろろの態度は、過去に何かあったのかもしれないし、あの女性は、もともとこんな扉壊して更地にしたいのよ!と思っているのかもしれないし、私有地である以上は、仕方ないですけどね。
自分が好きだったら、わざわざ訪ねてくる人と共通項があるわけで、そうしたら、見に来てくれるのは嬉しいのではないかと思うので、やはり興味がないんだろうな。
今は文化財保護で、手を付けることはできないはずだから、安心ですが、興味のない人の資産になっているというのは、門にとっても不幸なことのように感じます。

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  1. 2020/12/07(月) 00:59:33|
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15世紀のご先祖様の行いにより(ラスー12-アヴェイロン)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その27

ミラノは、今日から四連休です。

12月8日が国の祝日、その前の7日が、ミラノの守護聖人サンタンブロージョの祝日なので、それが週末とくっつく並びの年は、旅に出ることにしています。今年のように四連休になる場合は、半年以上前から旅の手配をしているのが普通なんですが…。
春の、最初のロックダウンの時は、まさかここまで長引くとは思わず、無駄になってもいいから、出回りだした格安航空券を買ってしまおうか、とも思ったんですが、日が経つにつれ、どうやら長引くのではないか、という気配が強くなってきたために、とうとう何の手配もできないまま、となってしまったのでした。
結果的には、無駄がなくてよかったのですが、それにしてもなんということでしょうか。

サンタンブロージョの祝日が、シーズン初日となるスカラ座の開幕公演も中止されました。戦時中以外、初日がなくなることは初めてだそうです。

お買い物はできるように一部規制が緩和されているものの、クリスマスや大晦日は、夜間戒厳令で外出できず、教会のミサまでも、夜中にできないため、時間を早めて行うなどという、前代未聞の措置が取られるようです。
家庭での集まりも、血縁関係に限られ、また人数にも限りがありますので、どこのお家でも、必然的に、ささやかなイベントになることでしょう。

もはや春のロックダウンから10か月がたち、すでにこういうひきこもり生活が日常化してしまいましたし、お家ライフが大好きな私にとっては、さほど辛いことはないのですが、この状況をどうしても我慢できないタイプの人たちにはつらい日々だろうと想像しています。

さはさりながら、つい数日前、一日の死亡者が千人近くになったという現実もありますので、辛いながらも、規制を受け入れざるを得ない、と多くのイタリア人は納得しているようです。
幸い、感染率はかなり下がっていますし、重症者数は減少の一途なので、今の規制に効果があることは間違いないと思われます。とはいえ、一足飛びにもとに戻ることがないのは、すでに既定の事実ですから、基本ひきこもっているのが原則という日々はまだまだ継続することでしょう。

おっと、長くなってしまいました。
フランスの修行旅に戻りますね。

このあたり、かなり小刻みな移動になります。前回のサン・テウラリー・ドルトから15分ほどの距離にある村が、次の目的地です。

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ラスーLassoutsのサン・ジャック教会Eglise Saint-Jacquesです(村は街道から入った斜面にある感じなので、街道の路肩に駐車するのがお勧めです)。

見た感じ、およそロマネスク的な様子がなく、え?まさかこれじゃないよね?というたたずまいです。
この教会、創建はロマネスク時代のようなのですが、百年戦争の際に、損壊してしまって、今ある建物は、15世紀に再建されたもの、と現場の説明版にありました。

百年戦争、ぼんやりと聞いたことがありますが、とにかく世界史は全般的に疎くて…。こういう時は、手持ちの山川出版社の世界史用語集が、大変便利ですね。
私が受験生の頃は、歴史といえば山川の用語集で、日本史版は特にお世話になったもんです。ネットの時代になっても、紙ものの辞書的な本というのは、簡潔なまとめ方がわかりやすいので、この山川の歴史用語集と、イタリアで求めた中世専門辞書は、かなりお世話になっています。パラパラとめくるだけで楽しいという紙ものの良さもありますし、中世専門辞書も、楽しさレベルは相当高いです。こういうのは日本にはあるのかなぁ。

調べればネットで簡単に出てくることなので、詳細は省きますが、百年戦争の100年とは、14世紀半ばから15世紀前半にかけて、という時代であることだけ記しておきましょう。

さて、こんなに面白みのなさそうなところになぜ行ったかというと、もちろん理由があります。

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この、タンパンの浮彫に会うためです!
どうですか、何とも愛らしいやつら。
ちょっとアップにしてみましょう。

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中央部には、アーモンドの中で祝福のポーズのキリスト、そして、その周りをびちびちな感じで、福音書家それぞれが、動物の姿で取り囲みます。
例によって、スペースありきで、それぞれのフィギュアがはめ込まれている様子が、何とも愛らしいです。それも、手が結構素朴っていうか、空白恐怖
的な様子もあるのだけど、空白の埋め方が素朴で、盛り過ぎ感が希薄なのが、好ましいです。

素朴とはいえ、何かしらスタイルへのこだわりは感じる彫りです。

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よく保存されているキリストのお顔ですが、おぐしとお髭のスタイルとか、「ふんっ」と気合を入れている鼻の穴とお口のかみしめ状態とか、ほとんど見えないだろう光背にも、ちゃんとすじすじが入っていたりとか。

両脇の使徒たち。
まずキリストの右側の三人。

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そして、反対側の三人。

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皆さん、自分を表すアイテムを持っているように見えるのですが、全体に溶けちゃっている感じで、見分けられません。
目がぽっかりと明いているのは、昔は、石でもはめ込んでいたのかしら。
全体を見ると、キリストだけ、違う石で彫ったものをはめ込んだように見えますよね。彫り物は、一枚石に彫られていると書いてあったので、キリストだけ彩色してあったとかそういうことなのかなぁ。

上の方に、ラテン語が彫られているのが、珍しいように思いました。

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PAXは平和ですよね。右側はAVEかな?
ちなみに、上にいるのは、やはりフクロウちゃんっぽいですね。
こういう場所にフクロウって、やっぱりイタリアにはないと思うなぁ。フランスには、フクロウが多かったのかしら。

ファサードには、ロマネスク時代、つまり破壊される前の教会にあっただろう彫り物系がいくつか、はめ込まれていました。
タンパンの両脇に置かれている牛君や馬君風も、おそらく軒持ち送りだったんでしょうね。

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顔が溶けちゃってるのもあって、不気味なんだけど、姿勢が、役所の福祉課担当の人が、熱心に話を聞いている風な感じにしか見えないのが、面白いです。

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この人も、同様ですね。役所の人、大活躍、笑。

ちなみにこの教会の見所は、このタンパンに尽きる、という感じだったので、中は入れなくてもよかったんです。実際、扉の様子から、とても開いているようには見えなかったんですが、そんなわけで、ま、別にいいか、と思っていました。

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そうはいっても、せっかく来たんですから、一応試したところ、普通に開いたんで、びっくりしました。入れなくても、どうってことないもんね、と言い聞かせながらも、やはり入れればうれしいんですよ。

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もしかして彫り物とか柱頭の一つでも、とかすかな期待を抱いたのですが、それはむなしく裏切られました。
でも一つだけ、名残がありましたよ。

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洗礼浴槽です。これは、前の教会のもののようです。

この洗礼浴槽も、タンパンとか軒持ち送りも、きっと前の教会が壊されたときに、誰かが大事に保管したんでしょうね。戦争の最後の方に壊されて、再建も15世紀、同じ世紀内にになされているようなので、気の遠くなるような時間ではなかったのでしょうが、それでも、壊された状態を放置しておけば、彫りもの類などは、散逸したり壊れたりしてしまうわけですし、特にこのように立派なタンパンなどは、意図的に保管していなければ、どこに持っていかれたかわからないわけですから、信仰心にあふれた立派な人たちがいたということですよねぇ。

丘に張り付いたような、とても小さな村ですから、15世紀くらいまでは簡単に家系をたどれたりするんじゃないでしょうか。当時からずっと住んでいる人たちがどれほどいるのかわかりませんが、きっとそういう行いをした人たちの末裔の一人や二人はいそうです。

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中世ランド的な旧市街(サン・テウラリー・ドルト12-アヴェイロン)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その26

思わぬ途中下車がありましたが、何とか、次の目的地に到着です。
村の入り口に、大きな駐車場があって、なんか、結構な観光地だったんですね、ここは。

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サン・テウラリー・ドルトSainte-Eulalie-d'Oltという村です。

いわゆる旧市街は、わざわざ中世を模して、そこだけ遊園地的に作ったのかしらん、というような趣がある村ですが、実際は、もともとあるものをきちんと保存して、そのまま残しているということなんでしょうね。

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全体に小ぎれいで雰囲気もあるのですが、なぜか張りぼて感というのか、わざとらしい様子に感じられて、単純に、「わ~、かわいい~」とはなりませんでした。何がそう感じさせたのかはわかりませんけれど…。

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狭い旧市街は、観光地に徹している様子で、生活感が極端に薄かったからかなぁ。フランスには、文字通り、「美しい村」というのがたくさんありますが、そして、そういう村に何度も出会いましたが、どの村も、生活感の上に成り立っていて、なおかつ美しい、というのが驚異的だと感じたものですが、ここは、その基盤が弱い感じとでもいうんでしょうか。
町にある観光局はトイレも完備で、ありがたかったですけれども。

さて、そんな旧市街の真ん中に、地味な外観の、目的の教会があります。

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サン・シル・エ・サント・ジュリット教会Eglise Saint-Cyr-et-Saint-Julitteです。
訪ねた時は、教会のある広場のあちこちが掘り返されていて、建築資材もたくさん置かれていて、あまり美しい状況ではなかったです、笑。

創建は10世紀と古いようですが、外観的には、かなり変容してしまっていますね。唯一、歴史を語るものがあるとすれば、この後陣となるのでしょうか。

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見るからに、不思議な様子をしています。

下は、現地に置かれていた説明版の地図です。10と番号がついているところが、教会の後陣部分となるのがわかるでしょうか。
Le Lotとあるのは、川です。川向うに、今も幹線道路が走っており、その道から、細道を100メートルほど分け入って、川を越したところが旧市街となっています。
12世紀に、度重なる外敵の攻撃に対抗する目的で、後陣部分が、要は城塞的な構造物にされてしまったということのようなんです。

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三つの小さな半円後陣部分は、こういう様子だったようですが、その上の構造物が、直接、その屋根部分まで下げられていたとか、なんかそういう守るための構造にされていた時代があったようなのです。英語でも、ちょっとよくわからない説明でした。
おそらく、上の部分は、その後の建造物、ということなのだと想像します。

それでも、火がかけられたこともあり、内部に、火事の痕跡も残っているとか。そんなの、現場では読んじゃいませんから、確認もできてません、涙。

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とても地味な装飾彫り物。久しぶりの鉋屑です。

本来なら、かなり好物の円柱系つけ柱ですが、ここのは小さすぎるのと、全体が張りぼて的でうさん臭かったので、どうも、「いいわ~」とはなりませんでした。

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内部もまた、装飾性という点からは、とても地味です。

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周歩廊構造となっていますが、要塞構造にするために、上部が下げられて、後付ということなのかなぁ。
小さな周歩廊構造は、それでも柱が結構ぶっとくて、みっちりした様子が、なんとはない愛らしさが…。狭い場所で、びちびちしてるのって、なんか惜しくらまんじゅう的で、そういうイメージを持ってしまうんです。

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周歩廊があるということは、当時は、何かしらレリックがあったということですかね。巡礼が、ここにも来ていたと。

あ、ここでも、やはりありました。

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仲良し二人組のやせ形円柱。
やっぱりダクトっぽいかも、笑。

記憶の中でもすでにすっごく地味でしたが、写真を見直しても、やはり地味でした。

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  1. 2020/12/01(火) 05:57:02|
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