2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その51
次に向かう途中で、また道端の看板に引っかかってしまいました。
モアサックMoissacの教会です(7月8月は毎日10時から18時まで、6月と9月は土曜日曜だけ、他は、休日の日のみ、と書いてありました)。
モアサックといっても、有名な、あのモアサックではないんですが、どうやら同じつづりのようです。
スペインのそうですが、フランスも、同名の町村が、結構多いので、県や州を押さえておかないと、とんでもないことになったりしますね。
ここは、事前のチェックもしていないような小さな村の、小さな、名もなき教会です。
サンチャゴ巡礼者の墓、そして12世紀の教会、と書いてあります。
そして、こんな小さな教会なのに、ちゃんと開けているのはすごいです。
でも、閉まっていても、ロマネスク的には、さほど残念に思うこともないようです。
でも、ちゃんと12世紀の風情は残されていますから、こんな小さな村の教会ですら、その時代の様式を踏襲している、ということを感じる面白さはあります。ここは、巡礼者の墓があるようですから、巡礼の道ではあったのでしょうし、それは当然なのでしょうけれど。
それにしても、小刻みにアップダウンがある土地ですから、歩きでの移動は、厳しいものがあったと想像します。この辺りで、力尽きて、ということもあったのかもしれませんねぇ。
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シンプルですが、正統派ロマネスク植物モチーフって感じですよね。
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うっすらとした彩色が、古色蒼然感を醸し出して、ちょっといい感じです。
これはまた古そうなアイテムです。右の石臼上のものは、おそらく洗礼盤なんでしょうが、左は、石棺の蓋でしょうか。シンボルめいた浮彫が、ちょっとかわいらしい感じ。もしかすると、巡礼のシンボルかな。そうか、それで、巡礼者の墓、と案内されていたのですね、きっと。
本当に特筆すべきものはない教会だったのですが、トップの写真でわかるように、上に登れる階段があって、アクセスできたんですよ。
馬鹿となんとかは、というやつで、登れるものなら、必ず登るようにしています、笑。
そして、また、気持ちの良い緑の風景を楽しむことができました。
もちろんこれは鐘楼へのアクセス階段ですから、鐘楼の近くにも寄れました。
小ぶりでかわいらしい鐘が並んでいます。右のが、一番小さいやつで、左に向かってサイズが大きくなり、全部で四つ。全部を鳴らすのは難しそうですが、一人でやっていたのかなぁ。
去年の夏、山の教会で、鐘番を任されて、それはそのうち記事にするんですけれど、小さい鐘でも、うまく鳴らすのはかなり体力勝負だということが身にしみてわかりましたので、4つもあったら大変だろうよ、と体感できます、笑。
ファサードにいた、不思議な子。
今でもこうやって巡礼の表示が立っていますから、やっぱりちゃんと巡礼の村なんですね。
そのせいかな。清潔な公衆トイレもあり、大変助かりました。
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2021/01/31(日) 07:15:19 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その50
カンタルの旅、続きます。
早朝、寒いし、とりあえず近場で開いているところ、と向かったのがこちら。
サン・フルールSaint-Flourのサン・ピエール大聖堂Cathedral Saint-Pierreです(住所17 bis place d'armes。周辺が、無料の駐車場になっています)。
確かに、宿泊した村から至近で、教会は8時半から、とあったように、ちゃんと開いていました。でも、これ、どう見ても違うよね。
でも、リストアップしてあるわけだし、何かあるのかなぁ、と入場。
ステンドグラスは美しかったですが、中もすごく新しくなっていて、目を皿のようにしたけれども、これといったものはなし。
フレスコ画があったけど、そんな古い時代じゃなさそうだし、そもそも、好みではなし。
なぜ、リストアップしたのか謎のまま、あっという間に見学終了。でもね、無駄じゃなかったです。というのは、早朝から活気に満ち溢れた商店街で、こじんまりとした紅茶のお店を発見して、紅茶好きの友人へのお土産をゲットできたんです。
イタリアは、やはりエスプレッソ、コーヒーの国で、そうは言いながら紅茶好きって結構いるのですが、自国での紅茶生産はほとんどなくて、高級紅茶は、ほとんどフランス産となっています。KusumiとかDamman Freresは、ミラノの中心部にかわいらしいショップも展開していて、とても高い!
フランスは、そういう意味で、紅茶の国でもあって、そういう有名メーカー以外にも、町村に、ちょっとした茶葉のショップがあって、少量を量り売りで買えるのが、紅茶好きには良い国です。
私自身は、ほとんど飲まないので、おいしさはわからないのですけれども、紅茶は、なんせ軽いので、お土産に優れものの一品です。
それにしても、活気のある商業都市だったな。
ちょっと覚えてなかったのですが、教会でも物品販売していたようです。しっかりした教会信者さんの組織があるんでしょうね。
お次は、得意の(笑)山道を5キロほど北上します。
アンデラAndelatのサン・シルゲ教会Eglise Saint-Sirguesです。
村の、一番高い場所にあり、ロケーションが最高です。教会の周りも、美しく整備されていますし、そこからの眺めが、絶景です。
カンタルの田舎は、どこもここも実に美しくて、癒される風景が至る所にある感じです。ドライブでしか移動は難しいでしょうが、まさにドライブには最高な土地かもしれません。
残念ながら、到着した時、鍵は閉まっていました。
教会のすぐ横の家のマダムが目に付いたので、その人が鍵守りだといいなぁ、と期待して尋ねたところ、私じゃなくて、その前の家のムシューが持っている、ということで、連れて行ってくださいました。親切~!
しかし、さらに残念なことに、ムシューは留守でした。がっかりです。
仕方なく、外観の見学を。
改築や増築や、なんだか無秩序にいろんな手が入ってる感じで、一体何なの、この建物、という様相になっています。でも、遠目にも軒持ち送りに期待しますよね。
いました、いました。歯並びを自慢するげなやつ。
この人も、ある意味歯並び自慢?いや、微妙ですね。
目の表現が、動物も人っぽいのも同じですね。歯も。歯にこだわりのある石工さんだったのかな。歯医者に新車以上のお金を使ってきている私とは、もしかすると話が合う人かもしれない…、笑。
この人もぎょろ目。
そして、歯ではなく髭自慢みたいですね。
扉部分の装飾は、アーキボルトにお団子並びと、大変地味なんですが、しかし、この古色蒼然とした切り石積みには、そそられますね。
構造としては、この辺りがオリジナルとなるのでしょうね。
妙にデザイン的な彫りものが、側柱に施されていました。
開口部の上部にも、モダンな浅浮彫が見られました。
地味だけど、どうせ通過するなら、立ち寄って損はなかったかな。
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2021/01/31(日) 06:18:56 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、番外編その2
番外編、ちょっと早いのですが、カンタル地域の一泊目のホテルがとても良かったので、ここだけで記事にしたいと思います。そのくらい、楽しい一夜を過ごすことができたのです。
この日は、コンクを出発してから、小さな教会中心に、かなりの町村を回りました。最初から最後までの距離も、結構ありますし、グーグルでは、単純に走っても3時間半とありますから、いちいち駐車して、再出発して、ということを繰り返して、見学の時間も含めて、一日に回れる限界に近い行程だったと思います。
宿泊は、最後の見学地ロフィアックから20分程度の距離にあるポーラックという村です。
La Freneraie
Ribeyrol, Paulhac
Michel&Jocelyne
到着した時は、驚愕しました。というのも、ポーラックの町の郊外の住宅地という場所で、およそ、食事をとれそうな店が近くになさそうだったからす。Booking.comで予約して、シャンブルドットChambre d'hoteということすら、気付いていなかったと思います。
しかし、幸いにもこの宿、お食事可能なタブルドットTabled'hoteだったんです。到着早々に、今夜のごはんのことを聞かれて、当然否やはなく、何はともあれほっとしました。だって、日中、ほとんど飲まず食わずですから。
しかし、同時に、ちょっと気が重くなったのも確かです。
というのは、この手の宿のお約束は、昔々の日本のユースホステル形式とでも言いましょうか、泊り客が皆で夕食を囲むことになっているんですよねぇ。
前にも書いたと思うのですが、このフランス文化の不思議。基本的に、コミュニケーション能力、というより、おそらく交流したいという思いが、イタリア人に比べると、表立って出てこない人たちだし、道を聞いても、お店でも、楽しい交流なんてめったに持てないお国柄だと思うのですけれど、なぜか好きなんですね、こういうシチュエーションでの交流が。
イタリアでも、民宿的な位置づけでは、アグリツーリズモという形態がありますが、食事時に、他人と相席、という習慣はありません。その代わり、何かのきっかけでおしゃべりが始まるということは、普通にありますけれど、相席会食で、否が応でも、というのはありません。
フランス語がある程度できれば、楽しいこともあるかと思いますが、イタリアにおけるイタリア語のケースよりも、フランス語で会話に参加するハードルはずーーーっと高いですから、楽しむまで行くのは大変です。
ま、そういうわけで、ちょっと気が重かったのですが、他にどうしようもありませんので、言われた時間に降りていきました。
まずは、上の写真のお庭で、アペリティフ・タイムです。
自家製の果実酒などが、種々提供されます。先客は年配のフランス人カップルで、フランス人を絵にかいたようなコミュ能力でしたので、さらに気が重くなってきました。
ミシェルさん、ジョスリンさんというオーナーご夫婦は、気を使ってゆっくりと話してくださいますが、なんせ私のフランス語の能力が低すぎて…。
これは気まずいし困ったなぁ、と思っていたところ、どやどやと他のお客さんが来ました。若い二組のカップルでしたが、彼ら、なんとイタリア語を話していたんです。地獄に仏とはこのことです~。もしかして、涙目だったかもしれません、私…、笑。
昔のイタリア人は、学校で学ぶ第一外国語がフランス語というケースがほとんどでしたが、今は英語になっていますから、この若者四人組も、流ちょうなフランス語を話すのは、女性一人だけでした。他二人は片言の旅行者程度、一人は私同様ほぼダメ、という状況。それでも、イタリア人は、とにかく会話したいので、片言でも冗談はいうわ、大盛り上がりです。そういうノリは、慣れている分乗りやすいので、私も違和感なく溶け込めます。
いずれにしても、オーナーご夫婦もほっとした様です。
いい加減飲んで、準備万端で、テーブルに着きます。
いい感じに、バーベキュー的な火が燃え上がっています。
最初は、遠慮がちだったので、あまり写真がないのですが、前菜があり、その後、ケバブのような焼肉だったと思います。
野菜とタンパク質のバランスも良く量もたっぷり、供された赤ワインも、こういうところで飲んだ中では、一番おいしかったです。カラフで出されたので、おそらく大量に買っている地元ワインとかだと思うのですが。この時のメンバー全員、よく飲んだので、かなりの量を消費したと思います。
確か、夕食は、一人25ユーロくらい。ワインなしなら20ユーロだったかな。でも、みんな飲む!ということで、全員ワイン付き。
炭火焼のお肉は、本当に美味で、ワインがさらに進みました。
しめは、もちろんチーズです。
どかんどかん、というサイズで圧倒的。
何度もフランスを旅していると、イタリアよりも、食べられるチーズが多いのがわかってきます。特に、熟成系のものでも、癖が薄いタイプが結構あるので、私でもいただけるんですよね。この時も、二種類くらいいただき、さらにワインが…笑。
とにかく盛り上がりました。そんなに夜遅くまでではなかったと思いますが、気が重いはずの夕食が、こういうことになるなんて、びっくり。
ちなみに、イタリア人四人組は、バイクツーリングの人たちで、トリノからここまで来ているということでした。バイク旅行者は、圧倒的にドイツ人が多くて、イタリア人と会うことは稀です。
このお宿、もちろんお部屋もとても素敵でした。
とても広々とした部屋で、清潔感もばっちり。60ユーロくらいだったので、一人で泊る私には、田舎の宿としては決して安くはないですが、二人だったら格安ですよね。それも、あの飲み放題食べ放題状態の夕食が25ユーロとか、ありえない安さだと思います。
ただ、そうやって夜更かしするためもあるのか、朝は遅めで、普通は早くても8時半ということでした。わたしは申し訳ないけれど、8時にお願いしました。
実は、普段の習慣から、早く起きてしまったので、近所を散歩してびっくりしました。すっごく寒かったんですよ、確か。いくら朝でも、8月半ばですから、なぜこんなに寒いんだ、と思っていたんですが、理由が分かりました。
家並みが切れた先に、見えたのが、雲海。
一瞬目を疑いました。
なんと、この村、標高が1000メートル以上あったんです。寒いわけだわ~。
というわけで、私のシャンブルドット史上最高の宿の紹介でした。
また来たい、けれども、その時はフランス語を話せるようになっていないと、と思ったものですが、フランス語、一年半ほどもさぼっているうちに、ほぼ忘却の彼方です。先日、ふと、再開しよう、と思って、キクタンを聞き出しましたが、忘却が激しすぎで…。
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2021/01/24(日) 02:13:54 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その49
早朝から始まった長い一日の、最後を締めたのは、こちらです。
ロフィアックRoffiacのサン・ガル教会Eglise Saint-Galです。
実は、そろそろこの日の宿泊地に向かった方がよさそうな時間ではあったのですが、もう一つくらいなら、と無理無理訪ねたのですが、ブルドンからは迷いようのない一本道で、教会は、村に入ってすぐの街道沿いという願ってもないロケーションで、時間のロスが全くなく、到着することができました。
人の運転だとダメですが、自分で運転とナビをやっていると、そういう記憶は結構残るものですね。ここの教会の記憶は、街道の右側にあったことなど、よく覚えています。
外観は見ての通り、いかにものフランス的な感じで、修復改築もされており、一見、さして魅力は感じないですが、何はともあれ、入ってみることにします。
ちなみに、ファサード側が広場になっており、駐車もし放題というありがたさです、笑。私のように、走っていて突然目的を発見するとどうしてよいやらわからずに、とりあえず通過する、ということになってしまうような、運転技術に欠ける人間でも、広場になっていると、楽々停車できます。
さて、内部もまた、フランス的に、ちょっと小ぎれいな様子で、塗りたくってあるタイプです。
でも、こじんまりとしたサイズなので、全体にかわいらしいという印象で、決してやり過ぎとは思いませんでした。それは、おそらくこういうやつらがいたからだと思うんですけれど…。
つけ柱の下についている顔なんですけど、人形劇的に言えば、これは盗賊の頭ですよねぇ。
そうなんです。ここは、久しぶりに、全彩色それも定期的に塗ってます系の柱頭教会だったんですよ。
え~( ゚Д゚)って、効果音的に言ってくれてます、下の人、笑。
ここでも、二股人魚が横に並んで、しっぽを交差させている図像となっています。
それにしても、このバタ臭い人魚。ジョンボンジョヴィに似ていると思います。古いか。尾っぽの細さが、とてもデザイン的ですねぇ。先っちょには、植物系の何かがくっついているし、人魚がテーマなのか、こういう繰り返し図像のフリーズの開発なのか。
激しい彩色です。
ただね、この教会、実に暗かったんです。お天気はあまりよくなかったと思うけれど、夏の夕刻なので、昼間状態なんですが、それでも本当に暗くて、普段は決して炊かないフラッシュ撮影をしたのが、上の写真なんです。フラッシュしないと、下のような状況でした。
これはこれで味があるのですが、実際に見ているのとは違う様子になるので、フラッシュ撮影もしたのです。幸い、他に誰もいなかったですし。
これだけ暗いと、もし彩色がなければ、ほとんど彫りの形も浮いてこないと思いますから、実は彩色の意味がすごくあるんですよね。彩色は、暗い中でも、彫りの内容がわかりやすくなる、という利点があると思います。
昔は、教会の中が、常にこんなような暗さだったと思うので、彩色は芸術性よりも必要性かも、と思ったりもするんですが、どうなんでしょうね。
これだけでも、まぁまぁ来てよかったなと思いつつ、外側を見ます。
後陣のブラインドアーチに並ぶ小さいサイズの柱頭に注目です。
で、いきなりガツン!ですよ。
これ、戦う大天使ミカちゃんですよね?
坊主頭なのが、私的にはいまいちなんですが、でも、なんとかわいらしい💛
変にこだわった感じで、細かく彫られたあんよとおててがツボです。
翼の彫り方も、独特で面白いですよね。
ライオンに食われながらも微笑んで体をくねらしているこの方も、大変良い味です。食われているから、ダニエルさんではないですよね?
ライオンの横の方では、乳房を蛇に噛まれているお方が。
とすると、怖い場面で戒め的な柱頭ということかな。
それにしても、小さなサイズによくぞびっしりと。中の柱頭とは、ちょっと違いますよね。イメージだけですが、イタリア南部のプーリアあたりの、細かい彫りを髣髴としてしまいました。
こんな小さな教会なのに、立派な石工さんが働いた様子で、不思議な気もします。
小さな教会ですが、ミカちゃんに会えただけで、幸せ。訪ねた甲斐が、大いにありました。
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2021/01/23(土) 20:53:31 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その48
前回の記事で書いたコルティーヌが閉まっていて、鍵を入手できる時間に再度訪問する必要があったため、このあたり、行ったり来たりする羽目になったのですが、その際、道端で、「11世紀の教会」という看板が目についてしまいました。まったくのノーマークだったのですが、11世紀というのは、好物のタイプであることも多く、無視できませんでした。
こんな感じで、すごく目についてしまいました。
ブルドンBredonsの修道院教会Eglise Prieurale de Bredonsです(月曜以外の毎日14時から17時。1時間ごとに30分の無料ガイド・ツアーもあるようです)。
村に入ると、さらに奥の方の、ここも小高い丘の上のような、地図で見ると、森の中にあるような、素晴らしいロケーションです。
修道院教会となっているわけですから、かつては修道院があったということで、まさに修道院にうってつけの土地と見えます。
いくら看板が出ていたといっても、この人里離れた感満載のロケーションですから、開いているかどうかについては期待せずに行ったのですが、遠目にも、扉が開いている様子が見えたので、嬉しかったです。
この時も、ガイドツアーがあったのか分かりませんが、毎日開けていて、開いている時間にはしっかりとガイドツアーを組むくらいですから、地域の管理が、大変しっかりしているということですね。びっくりです。
何はともあれ扉をくぐりました。
天上が高くて、がらーんとした空間が広がっています。奥には、まるでスペイン顔負けの、黄金の巨大祭壇が鎮座しています。なにこれ~、とびっくりしつつ、目を皿のようにして、さっそく宝探ししたところ、黄金の陰に隠れるように、ひっそりと、おとなしくしている人たち、発見。
ひっそりというのが、とてもぴったりするお顔並び。表情もまた地味な感じで、とにかくひっそり黙ってそこにいる。
教会の長い歴史にわたって、今ある場所から考えると、積極的に大切にされなかった時代もあるような境遇で、それでも、文句も言わず、ひそかに教会とともに歳を重ねてきた人たち。千年の間、何を見てきたのかと考えてしまいます。石だけど、笑。
昔々、大好きなファンタジー系のマンガで、石に手を当てると、その石の眺めてきた長い歴史の中の風景を見ることができる主人公がいました。映画にもなったスティーブンキングの小説では、主人公が相手に触れると、相手の未来が見えてしまうというのがありましたが、石の過去を見ることができるという設定に、ひどくひかれたものです。石は、風雪にもまれてさざれ石になっちゃったりするけど、例えば遺跡となっている巨石の見てきた風景を見ることができたら、どれだけ面白いでしょう。
この石にしても、こうやって教会の建材に使われる前の人生もあったのでしょうから、見てきた風景は千年どころではないですね。でも、建材に使われたことで、もしかして小石にならずに生きながらえてきたかもしれない…。
石が好きだと思うとき、私はそんなことも考えているのです。病気ですねぇ、笑。
他の柱頭は、大変シンプルな植物モチーフで、古さを感じます。
線が、極限までシンプルで、ある意味デザイン性を高めているのがすごいと思います。
凝った彫りの柱頭も複数あったようです。
グリーンマン的なフィギュアが、大量の緑を吐き出していて、グリーンマンとしては、独創性が高いようにも思います。
<追記>記事をアップした後で、現地で入手したフライヤーを発見しました。それによりますと、この、ちょっと凝った彫りの柱頭は、現在の教会の前の教会、サン・ティモテSaint-Timotheeに捧げられた教会にあったもので、なんとなんと、カロリング時代のものだということです。
最後に、落ち着いて入り口をじっくり。
トップに、楽し気な人がおりました。
にっこり度がすごいです。誰なんだろうか。
大好きな市松フリーズのアーキヴォルト、その下の、シンプルなコッペパン並べフリーズも併せて、良い感じです。
全体として再建も多く、ロマネスク美術的な価値はあまり高くないのかもですが、美しいロケーション、楽しい人たち、思い切って行ってみてよかったと思います。
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2021/01/20(水) 05:50:01 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その47
まだしばらく、ある意味カンタルらしいかもしれない、地味目の教会が続きます。
コルティーヌColtinesのサン・マルシアル・エ・サン・ヴァンサン教会Eglise Saint-Martial et Saint Vincentです。
ここは、大変わかりやすいロケーションの上、教会前が広々とした駐車場になっているので、見学には大変便利です。
が、私が訪ねた時はクローズでした。
確か、教会の裏側に接しているお家のお庭で、お食事会中の方々がいたので、鍵のありかを訪ねると、お隣のお店で管理している、ということだったと思いますが、お店は昼休み中で、開くのは16時とありました。その時15時だったので、他を回った後で、戻ってきて、見学を果たしました。
そういうわけで、最初は、記念的にこんな写真を。
ロマネスクやってる人には同意していただけるかと思いますが、こうやってカギを探して、自分で開ける喜びって、格別ですよね。普通に開いているところを入るときよりも、わくわくドキドキ、胸が高鳴っちゃいますよね。
それが、こんな重厚な扉だったりすると、ほんとにもう幸せいっぱいな気持ちになりますね。
ただ、時々、うまく開けられなかったり、そういえば中に閉じ込められてしまったこともありますし、結構リスクもありますけれども、笑。
中は、デジャブ―感ですかね。これまでの教会にも似た、外も中も、新しくされている様子が、まず飛び込んでくるタイプの教会です。一部、内陣に向かって、注目すべき柱頭があります。
ここの彫りは、太い線で一気に、とでもいった、非常に大胆でおおらかな構図のものです。素朴、というよりは、大胆。迷いのない線的な意思を感じます。
これは、良き羊飼いだったりするのかなぁ。
惜しむらくは、暗かったんですよね、ちょっと。肉眼ではあまりよく見えない程度の暗さで、この石色がグレーで、暗闇に沈む感じで、あまり識別できなかった、というのが、正直なところです。
近々ヘッドライトみたいのを購入しようと思っているので、そういうサポートがあれば、見え方も、印象もずいぶん違ったことと思います。実際、こうやって写真で改めて見ると、かなり好物的な彫りなのに、見学時は、あまり強い印象を受けませんでした。
次は、ちょっと強烈でした。
シャステル・シュル・ミュラChastel-sur-Muratのサンタントワーヌ礼拝堂Chapelle Saint-Antoineです。
ここね、びっくりしましたよ。
村にたどり着く前に、幹線道路から、丘の上に見えるんですよ、この礼拝堂が。まさかあれじゃないよな、あんなところ登れなそうだよ、車で、と思いながら村に入ると、村にはそれらしいおのが何もない。事前のメモを確認すると、「村の南側外れ、何もない場所」と書いてあったので、やはりあれかも、とそちらの方に移動して、車を降りてうろうろしていたら、ウォーキング中的な中年カップルがやってきたんです。
尋ねると、この丘の上にあるのが、私が目指す礼拝堂で、あそこは徒歩しか行けないから、車はここにおいて、この道を登るんだよ、と。彼らは、毎日ウォーキングで、礼拝堂まで上り下りをしているのだそうです。
どうしてもどうしても行きたい、という分類はしていないし、顔にためらいが出ていたのでしょう。15分程度だし、その靴ならまったく問題ないよ、と勧めてくれ、では、僕らは行くから、とすたすたと登りだしました。
こんな木立の道ですから、一人では躊躇して行けなかったと思いますが、こういう方がいるなら安心なので、ついていくことにしました。
実際は10分足らずののぼり道だったようです。
登ってよかったと思ったのは、まずは、これ。
距離は大したことないのですが、結構な急坂なので、見事なパノラマが360度広がり、絶景でした。気持ちよかったです。
礼拝堂は、絶対開いてないんだろうと思っていました。
建物も、外側は見るものもないし、でも、絶景があったからいいか、と思っていたのです。が、なんと。ちゃんと開いているではないですか。
小さな祈りの場ですが、今も美しく保存されているのは、驚きです。
こういうこじんまりとした石の雰囲気は、大変好みです。スタイルが完璧でなくとも、こういうロケーションだからこその静謐さや、祈りの思いが感じられます。
外の地面から、ずいぶんと下に降りるようになっているのですが、これは、外の地面が高くなったということなのかもしれません。外側構造はずいぶんと新しいし、この扉口あたりもそうですしね。
礼拝堂は12世紀で、両脇にチャペルが増設されたのが15世紀とあり、この扉口も、そのころのものらしい。
壁全体への絵画装飾も、15世紀のものということのようです。
構造は、柱頭も含めて、ロマネスク時代となるのですね。かわいい内陣です。
柱頭は、植物モチーフ中心ですが、この、ニコニコした様子の童子っぽいのは、もしかすると、聖アントワーヌなのかな?アントワーヌって、アントニオ?ウーム、名前すら識別できないのが、困ってしまいます、相変わらずのフランス語音痴、笑。
なかなか風情があって、後代の絵も、退色が程よくて、邪魔しないんです。
予想外に、中まで入れたので、登ってきた甲斐がありました。美術的観点からは、さしたる重要性はないかもしれないのですが、こういう場所って、なかなか着にくいわけで、たまたま地元の人がいてくれて、本当によかったと思いました。
でも、最後に試練が待っていました。
今年の主役たちですが、笑、確かに上るとき、登り口の近辺にいたんですよ、一団が。しかし、降りてきたときは、山道から車が停めてある場所までをふさぐ感じに、さらに多くの方々が広がって草を食んでいたんです。
これには弱りました。彼らを完全に避けようとすると、すごい藪を進む必要があり、少しでも藪のない場所を行くには、どなたかのそばをすり抜ける必要があり…。
乗馬のおかげで、馬は多少知っていても、牛は未知なので、反応がわからない分怖いんですよねぇ。走ると結構早かったりするのを知っていたり、半端な知識がありますからね、これまでの経験で。
考えると、田舎に行くと、フランスでもスペインでも、牛は結構いるので、もうちょっと牛の性質は知っていても損はないのかもね、と改めて思います。
こわごわ、かつ、素早く、何とか複数の方のわきをすり抜けて、車にたどり着きました。完全に無視されていたので、おそれは杞憂でしたが、用心に越したことなしです。
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2021/01/18(月) 02:34:24 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その46
ここは、超が付くほどの地味目が続きます。
まずは、こちら。
キュサCussatのサン・アマン教会Eglise Saint-Amandです。墓地教会です。
見所は、教会の立つちょっとした高台からの眺め、かもしれません。
並んでいる屋根が、村のすべて、というような村です。何ならグーグルのストリートビューで、確認できます。すごくカンタルの田舎の村っていうイメージそのままの、美しい田舎です。
そんな田舎の教会ですが、昼時なのに、扉は開いているからびっくりです。墓地だから、ということもあるのでしょうね。
でもね、開いてなくても、あまりがっかりしなくてもよいです。
こういう感じですから、中。
わたしのイメージは、メリーゴーランド。
石のままだったら、おそらくシンプルこの上ない柱と柱頭が、こんなキャンディーバーみたいになっています。
柱頭などは、多くが彩色されていた説がありますし、多くのケースで本当にそうだろうと思うのですが、それにしても、今なお、作り立ての様子を再現したくて、定期的に彩色するというのは、フランス独特ですよね。
考えたら、日本の寺院なども、中国から来ているから、オリジナルはかなり派手な彩色が施されていた寺院が多いのでしょうが、現代日本人は、時間を経て、枯れて退色した様子を好む気がします。わびさび文化の影響などもあるのかもしれませんが。
一方で、中国とかタイなどは、再現派じゃないでしょうか。常にキラキラつやつやを再現し続ける。
宗教が生きているかそうでないかの違いもありそうですが、ちょっと面白い考察ではないでしょうか。同じラテンの国でも、イタリアやスペインでは、それほど彩色の再現にこだわっていないようなので。
ちなみに、この村が、ランチ時間の限界でしたが、なんとお店があったんです。グーグルで写っているBARかもしれません。村に到着するなり目に付いたので、取るものもとりあえず、覗いてみたんですが、もう終わりました、とにべもなく。デジャブ―でした、笑。
まだ13時47分(記録してありました)だったけれども、テーブルが二つくらいの小さな店だし、お客さんはきっと決まった数しかないような土地ですし、何より、おかみさんの態度は申し訳なさそうだったので、入店拒否ではなかったと思いますが、田舎を回り続ける旅でのランチは、本当に難しいです。
この時は、用心にキープしておいたホテルのパンがあったので、それで命をつなぎました。夏は、暑さもあり、体力の消耗が激しいので、非常食は必携です。
先に進みます。キュサから北へ15分強、また地味なこちらです。
ヴァリュエジョルValuejolsのサン・サトゥルナン教会Eglise Saint-Saturninです。
ここも、全体に地味な様子で、外側に見るべきものはなさそうです。幸い、扉は開いています。
うーん。こりは、中もダメかな。という様子ですね。
この教会、歴史は相当古いようです。現地にあった説明盤によれば、10世紀には、すでにサン・サトゥルナンにささげられた教会があったことがわかっているそうです。12世紀に、ロマネスク様式の本堂が建てられ、14世紀に、ゴチック様式への改築が実施され、ヴォルトなど多くの部分が今のようなスタイルになったとのこと。その後も、チャペルの増築とか、鐘楼とか、19世紀まで、色々な工事があったということなので、常に現役教会として、機能してきたということですね。
我々ロマネスク病者にとっては、「常に現役」というのは、痛しかゆし、な部分もありますね。どうしても、改築や増築が伴うケースが多いので、ロマネスク部分の消失につながったりもするわけで。でも、放棄されてしまえば、荒れることもあるわけですから、なかなか、千年の歴史動向というのは、大変なことです。
何か残っているか、宝探しです。
変なやつら、いました!
二股人魚の横並びですかね?
ハート型の顔面した真ん中の子、何でしょう。かわいすぎ。
お向かいにも、同じような組み合わせの柱頭が並んでいます。
こっちの横並びは、ちょっと違いますよ。
それでもやはり、二股人魚バリエなのかな。先っぽにお花で、何だろう、より装飾性がすごくて、面白すぎ。
やっぱりハート顔したグリーンマン。すごく素朴です。
かと思うと、お顔が今風の、現代作家の彫刻という様子もあるやつも。
教会には、増築されたチャペルの説明などはきちんとあったのですが、ロマネスク時代についての説明はなかったのです。これら変なやつらだけが、その時代を生き延びてきたものなのかと思います。
ちなみに、説明を見ていたら、12世紀のビザンチンのキリスト像というのがありました。そのほか、ロマネスク時代の洗礼盤も。
チャペルに置かれていたようなので、完全に見逃してしまいました。
お昼休みもとらずに、朝からずっと動いていて、このあたり、肉体的にも精神的にも疲れがピークだったようで、集中力にかけた見学となってしまったようです。疲れたなら休めばいいのに、どうしても思いつめたように動いてしまうのは、病気の所以ですが、そういう時に、起死回生の一発!みたいな、一見して見所満載の教会に出会えると、一気に元気が回復するものなのですが、この辺りは、行っても行っても、せいぜいが宝探し状態で、しんどい修行でした。
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2021/01/16(土) 21:03:20 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その45
前回の村から、東方面に半時間ほど走ったところが、次の目的地です。
ブルゾンBrezonのサンティラリー教会Eglise Saint Hilaireです(ネットで確認したところ、年間を通じて、8時から18時までオープン。カギは、レストラン前に住むマダムManhesという方が持っているようです)。
実に美しいたたずまいで、教会のみならず、村の様子も、変に美しいというのか。
お昼時だというのに、しっかりと開いていましたので、まずは、中を見ることにします。
あまり何もなさそうな。
よく見たら、内陣の方に、少しだけ、名残がありました。
角っこ動物の方は、お掃除と修復で、良い感じに再生できる程度の状態だったのしょうが、下の人物の方は、これが精いっぱい的な様子です。
他も、顔だけずらり状態の、ちょっと面白いものがありますが、私、この時かなり疲れていたようで、あまり真剣に対峙していない様子が、撮影記録にありありです。
普段だったら、こういう柱頭は、一つ一つ丁寧に撮影するのに、ほとんどスルーしていて、この顔ずらりなど、遠景で撮影しているのみ。あまり目に入っていなかった様子です。
この教会で見るべきは軒持ち送り、という頭があり、そっちが見たくてうずうずしていた、ということもあるかとは思いますけれど。
そうは言いながらも、出しなに、扉口も一応確認。
まるでクリスマスみたいなネオンがあるのが不思議ですね。
両脇の側中には、左右まったく同じモチーフの柱頭がありました。
構造はもともとこういうものだったと思われますが、柱頭は、なんとなくかなり再建的な印象です。
真ん中にいる鳥の様子が変だし。これはペリカンっぽいですが、でも、フランスでペリカンってあまりいないですよね。
さて、再び外に出て、待望の軒持ち送りを見ていくことにします。
びっしりです。
早速出たのが、しわしわ系。でも、動物ですね。
そして、いきなり変なおやじ。
髭が激しいです。鼻の穴も、くっきりで、口がゆがんでいるのも、視線が思いっきり自分の左方向によっているのも、印象的です。
手で抱えているのは、性器にも見えるんですが、これは手なのか、前足なのか、何なんでしょうか。
同じポーズを、思いっきり省略のデザイン化したら、こうなるかも、という別のやつ。
髭も、ほら、あるし、笑。
なんか、多くの人の視線の先が気になる感じで、みんな、何かを見つめている様子なんです。
このくるりんは、もしかすると、鉋屑のバリエで、やはりどうしても組み合わせたかったとかそういうことかなぁ。
この子も、どっかは見てるけど、ガジガジするのに集中するあまり、ロンパリになっちゃった、みたいな、笑。
ガジガジに身も心も奪われてますよね。地獄でガジガジって感じなのかな。人型に見えるような気もするので、とすると、これは、あまり強そうじゃないけど、ライオン君か?
後は、装飾的なものも多くて、クローズアップすることもないかな、というところです。
でも、保存状態は良好です。
ちなみに、ここについた時、フランス時間的には、ここを逃すと、ランチなし決定、みたいな時間だったんです。で、教会のことを調べたときに、鍵守りとして出ていた、すぐお隣のカフェに、入ってみました。
何か食べられるか尋ねたところ、にべもなく、何もありません、と断られました。バール・レストランと看板があるのにねぇ。時間も13時過ぎくらいだったのにねぇ。でも、仕方ないですから、すごすごと、先に向かうことにしました。
それにしても、全体に小ぎれいではないですか。カンタルは山間なので、屋根瓦が石なんですが、そのグレーの様子が、大変落ち着いていて、全体にしっとりとした街並みとなっているように感じます。
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2021/01/11(月) 02:00:21 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その44
ジュー・スー・モンジョーJou-sous-Monjouのノートルダム・ド・アソンプション教会Eglise Notre-Dame-de-Assomption(2017年夏季は、9/18時、ノンストップのオープンでした)、続きです。
一見、こんな面白くもなさそうな外観だったりするくせに、実はかわいいやつら満載なことは、前回の記事でわかっていただけたと思いますが、今回は、扉口から、内部の紹介となります。
扉は、南側に、ちょっと引っ込んだ感じに開いています。これは、後代の付け足しがあるから、引っ込んだようになっちゃっていますが、本来は、実にシンプルなスタイルだったのです。
上の、黒い部分がオリジナルで、翼廊みたいな場所は、後代の付け足しのようです。
小さな礼拝堂規模の教会だったのですね。もちろん今でもそういう感じですけれども。それでもね、斜面の街道沿いに人が集まって、自然発生的にできた程度の集落程度の小さな村に、これだけの礼拝堂が作られた、ということは、やっぱり驚きます。この時代って、そういう教会が実に多くて、信仰の力というのか、必要性というのか、こういうタイプの教会ほど、そういった思いの集積、というんでしょうか。いわゆるバチカンが作り出すことになる「教会宗教」と違うところにあるものだと思います。
教会宗教になるにつれ、余計な翼廊なんかをつけちゃったりしがち、笑。
さて、トップの写真に戻りますが、扉口は、木で、補強のような構造物が付けられていました。2017年のことですが、一時的な補強なのか、または補修などがなされて、今はないのか、どうなのでしょうか。かなりきちんとした構造物でしたから、やはり半永久的な状態なのかな。
若干、この構造物に邪魔されるのですが、ここのアーキボルト、絶対に見逃してはいけません。
分かるでしょうか。濃いグレーの石で、楽しいやつらがニコニコと散らばっているんです。何だろう、この幸福感。
ビスケットのお人形のような感じ、または道祖神な感じ?思わず、嬉しくなってしまうこと必至のフィギュアが、パラパラと。この感覚、ないですよ、なかなか。
嬉しい気持ちで中に入れば、さらに嬉しくなっちゃうことも必至です!
白い切り石積みが、経年劣化しているタイプで、フランス的な変な整然とした感じではあるんですが、もうここね、前回同様、たまらんやつらがいるんです。
どうですか、これ。
浮かれポンチ(なんか死語っぽい…)にしか見えない人。何ですかね、この人。顔や体に横線が入っているのは、この前の教会でもありましたが、やはりしわなのかなぁ。ボディペインティングということもないでしょうしねぇ。それにしてお、この腹は…。
この柱頭の副柱頭にはラテン語が刻まれています。「Estote ergo sancti quia ego sanctus sum dicit dominus」とあるそうです。
「私は聖だから聖であると主は言った」というような意味になるようですが、ごめんなさい、聖書のお言葉ですかね。
文字のトップには、小さな人物フィギュアが彫られていて、右手は膝に置き、左手は、身体の下から突き出した、長いカールした物体を握りしめています。
前後する上に、暗い写真で申し訳ないのですが、上にアップした浮かれポンチの右側が、こういう絵になっています。
浮かれポンチがあまりに浮いているので、別なものだと思っていたら、どうやら、こちらも含めての場面のようなのでした。浮かれポンチは、左手で角笛を持っていますが、右手には、槍を持っていて、裸の猟師とあります。で、こっち側は、アブラハムの犠牲。
浮かれポンチは、まったくそうではなくて、しわしわの線彫りは、どうやらあばらの浮いたやせさらばえた状態を表し、角笛は終末のシンボルであるということで、最後の審判や終末を暗示する図像ということでした!
ひえぇ、失礼しました!
向かいにある一対の柱頭は、非常に技巧的なものとなっています。
いやはや、面倒ですが、やはり調べないと、まったくわからないなぁ。それにしても、世界の終末を、あんないかれポンチみたいに描くというのは、謎の時代ですなぁ。
ただただきゃわいい~、と見ていたので、なんというか、大いに心を入れ替えて、やはりもう一度行きたいものだと痛切に思います。
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2021/01/10(日) 00:31:18 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その43
この辺りから、山間の町村を小刻みに周遊する旅となります。
前回のヴィク・シュル・シェールから、山間のぐるぐるした道を20分強南下したところが、今回の目的です。
ジュー・スー・モンジョーJou-sous-Monjouのノートルダム・ド・アソンプション教会Eglise Notre-Dame-de-Assomptionです。
村は、街道沿いに家が並んでいるタイプですが、その中心あたり、とにかく街道沿いにあるので、見逃しようがなく、また周辺に広々としたスペースがあるので、いきなり駐車するのが苦手な私ですが、まったく問題なく停止できるロケーションで、まずは、見学先としてのアクセス・ポイント、わたし的には非常に高いです。
そして、ここ、カンタルの田舎の教会の典型というのか、実に実に愛らしいアイテム満載で、改めて写真を見ていたら、居ても立っても居られない気持ちになってきました。今すぐ再訪したい、みたいな、そういう感じです。
ちなみに、教会と道を挟んで反対側の、ちょっと奥まったところにメリーMairie(市庁舎)がありますが、そこでは、清潔でペーパーまで完備のトイレがお借りできます。修行旅には、大変重要なことですので、記しておきます。
フランスの田舎の小さな町村では、市庁舎に併設したトイレがある確率が結構高く、そういったトイレは大抵清潔です。メリーの場所を把握しておくのは、鍵のためにも、有益だと思います。実用メモでした、笑。
街道の方に向いている後陣は、回収の結果でしょうか、または崩壊して再建に近いようなことなのでしょうか。つるんとしていて、残念な様子です。他の部分から考えれば、後陣のぐるりにも、軒持ち送りがあったと考えるのが妥当だと思うからです。
それでも、今残されているものだけでも、かなり満足度は高いです。が、それだけに残念感も増しますね。
まずは、軒持ち送り、行きます
斬新さにびっくりです。
左の人は、遠目には髭にめて、なんとも思わなかったりしますが、手で顎をつかんでるみたいですよね?
こんなモチーフ、私は見たことありません。顔の右側に、何か突起がありますが、それも意味がある者なんでしょうねぇ。江戸時代の判じ絵みたいな感じです。
右は、太陽の子ですかね。ドーナツにも見えますけど、とにかく斬新には違いないです。
こんな感じで、ずらずら面白いものが並んでいます。全体に、保存状態が大変良いです。
もぉ~、こんなの完全に反則の可愛さです!
イチャイチャと同じ壺から水を飲むペアの鳥は、よく使われる図像ですが、壺がハート型だし、イチャイチャしているあんよが~!!!
さらに、両脇にいるのは、装飾的なものかと思いきや、動物ですよね?右側が明らかにウサギ。左側は、なんかわかりませんが、究極のデザイン化された何かの顔らしい、笑。
これは~!
これにときめかない人はいるでしょうか?!
鳥なのか、イルカなのか、なんかくちばしつかんじゃっているのが、もうたまらん。そのうえ、この詰まんなそうな、それでいて、口を片方上げて、笑いをこらえているような…。何ですか、これ。何度でも言っちゃいますが、もうたまらん。
太陽の子に対抗しているのか、この人は。
ツチノコみたいな蛇のイチャイチャぶりもまたすごいですし、何でしょう、この、遠い目の人のはかない様子。おちゃめなんだけど、クールな感じが、やっぱりたまらん。
浮彫までも行かない線画の動物付き。ちょっとさあ、お盆の時の、なすとかキュウリで作るやつに似てるし~。子供のおもちゃ的なもの?何だろう。本当に謎だ。
こういう顔とか人物像がペアになっている図像というのも、割と見かけますけど、なんか変。
髭があるから、じいさんなのかね?変に彫りが深くて、そこにすごいこだわりがあるのに、口は一直線だったりさぁ。
それにしても、右の人、顔長いよね。
これもすっごく好き。
ソロモンの結び目とかいうやつでしたっけ?こんな、ケーキの生クリームを絞り出したようなタイプって、これまた見たことない気がするな~。
それに、何これ。この薄笑いだけど、やけにかわいい人たち。たまらん、本当にたまらん。
やけに写実度の高い、こういう普通のがあると、びっくりしちゃったり、笑。
次回、中でもまた、たまらんリピートです。
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2021/01/07(木) 03:17:14 |
オーベルニュ 03-63-15-43
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