2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その99
シャンポリオンに会えなかったフィジャック、次に訪ねたのは、本来の目的だった教会です。坂道や階段の連続、本当にアップダウンの激しい町です。真夏の昼下がりに来るべき町ではなかったです。

やっとたどり着いても、こんな様子ですから、達成感なし。

サン・ソヴェール修道院教会Abbatiale Saint Sauveur。
上に行きたくてたまらなかったフランスでは、土台は古いものの、上に積み上げたんですよね、できる限り。そのために、なんか全体のプロポーションが変なものになったり、支え構造が全体の様子をかえちゃったり。
この教会も、創建は、クリュニー派修道院たちによる者らしく、それなりの古さがあるようですが、外からのぱっと見では、ロマネスクとは思いにくい様子になっています。
いずれにしても、修道院の教会であったことから、規模はそれなりのものを持っていたようです。土台部分は、当時のまま。

天井が低かったら、それなりにこじんまり感もあるだろうとは感じられます。それに、ステンドグラスがはまっている窓がなかったとしたら、相当薄暗いわけですから、なるほど、ロマネスクになりますよね。
入ってすぐ、事前にチェックしていたものに遭遇しました。

柱頭がひっくり返されて、聖水盤の台になっています。こういうのって、ある意味すごい使いまわしです。他から円柱を持ってくるのも、工事規模として感心しますが、なんかこういう無茶苦茶な感じも、感心するというかあきれるというか。この柱頭、文字も入っているので、なんかあまりに柱頭ぶりが明らかなため、ますます困惑します。
その上、これ、お対になっているんですよ。

左側のはこんな感じ。
オーブンに入れる前のパンみたいですね。焼きあがったら、どんな形になっているかな、なんて想像してしまいました。

シンプルな洗礼盤もありました。地味にかわいいですね。

では、ステンドグラスが美しく反射している側廊を行きながら、柱頭を見ていきます。ステンドグラスは、私の興味の対象外ではありますが、ちょうどよい時間やお天気の具合では、実に美しい光の遊びに遭遇することがあり、確かに教会の装飾として、これ以上ピッタリくるものはないとも思います。荘厳なイメージに浸りやすいというような。

前回紹介した、ノートルダム教会と、同時代のものと、それよりも古い時代のものとが混じっているような印象です。実際のところはわかりませんけれど。

植物文様を、手の込んだ編み込みみたいに彫ったものは、まるでビザンチンの影響でもあるかのような様子ですけれど、ここにビザンチンはないですよねぇ。

かと思うと、オーブン前のパン種もありますしね。
この下のなども、全体の様子が、かなりプリミティブですよね。緻密な植物文様のやつとは、絶対に手も時代も違うです。

それぞれの柱頭の置かれた場所が分かるような撮影をしていないため、定かではないのですが、もしかすると、これら、ちょっと時代が古そうなやつは、後陣にあったものかなと思います。身廊の方は、スタイリッシュなタイプで、時代がちょっと下るやつ。こっちは、創建当時の古いやつとかそういう感じかな。
必ずしも、古くはないのかというきもしますけれど。


本堂内部なのに、あちこち軒持ち送り状の装飾もありました。

でも、全体に結構傷んでいるようでしたし、モチーフ的にあ、あまり惹かれるものはなかったです。

今回は、記事を分けるほどの内容ではないと思い、一気にまとめましたが、それぞれのアイテムを追っかけると、結構な数、ありましたね。長くなってしまいましたが、全体は、やはり地味で、ここは行くか行かないか、と迷う場合は、無理に行かなくてもいい場所の一つかな、とは思います。
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- 2021/05/30(日) 13:05:51|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その98
さて、次に訪ねたのは、ロマネスクよりなにより、世界レベルで有名な人を生んだ町で、その方の業績にちなんだ博物館が、おそらく観光的には最も有名な場所だと思います。でも、ロマネスク以外、視界に入らない私には無用の長物なので、勿論、完無視したんですが、今が今、再び行くことはなかろうと思うと、ちょっと後悔を感じています。四年もたって、まさに後悔先に立たず、というやつですな、笑。
修行旅は、ほぼロマネスクのみを目指して駆けずり回るので、正直ほとんどの観光的施設は無視せざるを得ないという事情はあるとはいえ、これは見といて損はなかったろうよ、とね。

フィジャックFigeacです。
ピンとくる方は、世界史好きかな。ロゼッタストーンの解読をしたシャンポリオンという方がこの町の出身で、その博物館が、私が無視したものです。
エジプトは、いつか行きたいと思っていた場所の一つですが、ロマネスクにうつつを抜かすうちにそういう世俗の気持ちって、あまり感じなくなっていて、昔だったら、必ず行ったであろう場所も、こうして平気で無視できてしまうようになりました。ロゼッタストーン本体があれば、間違いなく行きますけど、あれは大英博物館ですしね。覚えちゃいないけど、あそこは何度もいっているので、きっと見たことがあるはずです、笑。

この町、それなりの規模なので、事前に駐車場のあたりはつけていたのですが、町に入ってすぐに駐車場の表示があり、素直に従っていくと、大きな無料駐車場に到着できました。上の地図の、上の、Le Foirailというところになります。
土地勘がないので、本当にここでいいのかわからないため、そこらにいた女性に尋ねたところ、無料の上に旧市街まですぐだから、ここがベストと保証してくださいました。実際、良い場所だと思いますので、お勧めします。
地図だと分かりにくいのですが、この駐車場のある場所は、結構な高台になっていて、坂道を下りながら、教会を目指す感じになります。
事前に調べていたのは、地図上で、一番下の方に見えているSaint-Sauveurだけだったのですが、そこに向かう途中に、もう一つ教会があったため、立ち寄ってみることにしました。

ノートルダム・デュ・ピュイ教会Eglise Notre-Dame-du-Puyです。高台にあります。

スタイルはロマネスクですが、規模は大きいし、後代の手が入っているのは明らかだし、あまりそそられませんが、やはり念のため、見ていかないと。
外観は、スタイル以外は、往時のものがほとんど目に付きませんが、ちょっとだけ。

ヤギさん三人連れ。
仲良く何か食べているような様子ですが、ちょっと珍しいですね。三匹って、なかなか見ないように思います。お隣にある、すでになんだか得体のしれないものになっちゃっている棒状のものも、三本あります。まさか三位一体とかいうんじゃないよね?
中はどうかというと、想像通り。

いいんですけど、それにしても、この黄色とオレンジの中間的な色、内装に使うの好きですよね、フランス。あちこちの地域で、この色べた塗りって、結構見る気がするんですけど。なんか意図があるんでしょうか。
まぁ、こんな様子になっちゃってはいるんですけれど、名残はちゃんとあるんです。

いくつかの柱頭が、傷みはあるものの、ちゃんとオリジナルの姿で残されていました。でもね、そもそも論として、教会の創建は、13世紀も後半のようなので、彫りの様子も、そういう感じみたいです。

すっきりとまとまって、わやわやな様子が薄いっていうか。
こういうシンプルなモチーフでも、あ、これは古いよね、というようなロマネスク的なプリミティブ感が薄いですよね。

だから何、というわけではなく、私の好物はそういったものの方はもんだというだけのことです。
人のフィギュアもありました。

寓意的な様子ですが、さて、どういったものなんでしょうか。
右奥にいる人の持っているカバンみたいのが、よく守銭奴のアイテムに使われるものに似ているので、そういう何かがあるのかも。
でも、中央にいる人は聖職者に見えるし。

分かる方、どうぞ教えてくださいね(調べる気なし)。
では、坂道及び階段を下って、本来の目的の教会にむかいます。
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- 2021/05/29(土) 16:50:23|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その97
ボーリュー・シュル・ドルドーニュBeaulieru-sur-Dordogneのサン・ピエール修道院教会Abbaye Saint-Pierre、続きです。

扉周りの装飾を、もう少し見ていきたいと思います。半端な形ではありますが、ネットで得た情報を、イタリア語訳で読んでみました。
グーグル翻訳、最近はかなり良くなっていて、普通の文なら、まぁまぁの訳が出てくるのですが、さすがこういった特殊な内容になると、フランス語イタリア語という、ルーツがほぼ一緒の派生言語間でも、なかなか。なんせ、美術用語って、かなり異なるのですよね。例えば、タンパンは、辛うじて出てきますが、トリュモーなどは、ツールの辞書には入っていないと思います。そもそもイタリアではほとんどないアイテムなので、正直イタリア語にあるのかどうかも知りませんけれど。
でも機械翻訳って、分からなければ、原語のままにしといてくれればいいのに、勝手に変な言葉を引っ張ってきたりするんで、翻訳した後、イタリア語だけ取り出すと、わけのわからないことになります。
というわけで、今回学んだのは、ウエブのページ全体を、自動的に翻訳してはいけないということ。面倒でも、必要箇所を取り出しながら、一文ずつ訳すのが最適ということです。
ちなみに、日本語直は絶対無理だと思って、試しもしないのですが、どういう結果になるんでしょうか。
というわけで、そのトリュモー。

大きな扉の真ん中にある柱構造です。詳しくはないですが、非常にざっくりと見たところ、ここへの装飾はゴシック期に分類されているようなので、構造そのものはロマネスク期からあるとはいえ、装飾ようなスペースとされ始めたのは、ゴシック期、ということのようです。
ロマネスク期の場合柱があっても、装飾的な彫りものはないようです。
考えたら、ロマネスク初期の技術では、窓すら作れなかったわけですから、これほど大きな扉を支えるのは無理なわけで、それでも徐々に技術が進んで、徐々に大きな扉が開けられるようになって、初期は、建築的な意味で支えの柱が必要だった、ということになるのでしょうかね。そして、あ、ここにも装飾できるじゃん、と気付いた人がいるということですかね。

久しぶりに、昔買った本の用語解説なんかを見ていたんですが、すごく納得できました。
確かに、彫り物の様子も、私の好みではなく、時代が進んでいるんだな、という印象だったのです。フランスは、ゴシックへの移行が早く進みましたから、12世紀でもどんどん時代を先取りしちゃってたところが多いんですね。
さて、ご覧のように、このトリュモー、3メートルの砂岩の、おそらく塊なんでしょうね。その三面に、男性像やアクロバットの人の姿が同じような図像で彫られています。かなりの深彫りで、ほぼ彫刻ですね。
なぜか柱はなみなみの縁取りをつけられて、そのスペースに合わせるようにして、全員が身体をくねらせて、自らを痛めつけ、さらに天を支える苦行に身を投じています。辛そう。

も、もう、許して…、と聞こえてきそうな…。

扉の両脇部分に、教会がささげられているサン・ピエトロとサン・パオロがいます。上の写真で印を入れたところは、ピエトロ、つまりピエールさん。カギのおかげで見分けがつきやすく、ピエトロさん、有難し。
アップにしてみますと。

実は、扉全体、すごいんですけれど、一つ一つのアイテムは、あまり好みではなかったために、私にしては写真の数が非常に少ないです。ピエトロさんも、単独アップなしでした、笑。
いずれにしても、結構摩耗しています。
トリュモーは、やけにピカピカですが、実はそれ以外の部分の傷みは、全体に相当激しいんです。砂岩って、本来強いですが、やはり雨風に千年からさらされていると、どうしてもだめですよね。
そのため、一部の彫り物は、本堂内のガラスケースに展示されていたと思います。でも、展示となった時点で、すでに行っちゃってますから、多くの人が、ほとんどポンペイの人たち状態なんです。

ピエトロさんと対になる位置、向かって右側にパオロさん。
こちらは日が差していたので、より見えやすいし、この人は、単独撮影していたので、写真も少しマシですね。
この彫りも、壁主体の浮彫というよりはもはや彫刻に限りなく近い深彫りです。
お年寄りの姿となっていますが、それにしてもスタイル抜群。色気すら感じさせるポーズですね。
傷みで細部はわからないながら、表情とか上半身の雰囲気は、慈悲とか哀悼とか、そういうイメージをすごく感じるのですが、下半身のクネリが、どうも不思議な…。ついかっこいいポーズでフォトジェニック狙っている人、的なポーズになっていませんか。
彫っていく中で若干の配分間違いがあり、スペースとかプロポーションの関係で、こういうクネリポーズになったのか、または、最初からこういうポーズになっていたのか。わたしは前者だったように思い、勝手に面白がっています。

そして、扉から突き出している部分、ここも左右両側に、彫り物があります。上で印をつけたのが向かって左側ですが、右側も同じような構造になっているわけです。
しかし、遠目でも分かるように、この部分の傷みは激しく、こんなになるまで放置されたのが、残念ですね。

どこかほかにあったものが、ここに置かれたということなのかな。唐突です。
分かる人がいると思いますが、実はこれ、再建です。ちょっとわざとらしさがありますよね?これ、本堂の壁に掛けられていたものがあるので、それがオリジナルと思います。

ね、残念なありさま。
あれだけ再建したということは、絵とか資料があった可能性が高く、とすると、傷みは、経年劣化ということではなく、比較的最近に破壊されたという可能性もありますね。

扉に向いている壁の部分の彫りは、天上、地上、地獄を表したもののようです。

これ、真ん中だけ黒い円柱。素敵な石ですが、なぜここだけ、と気になりました。そしてここでも、撮影を期待しているような映えポーズを決めている人が、ちょっと目に付きました、笑。

好みではないとは言いつつ、解説を読みながら見直すと、面白い気づきがたくさんあるものです。結果、好きではないと言いつつ、再訪したいと思っている自分に気付き、苦笑を禁じ得ないところ。
いや、ここは、実は再訪したいと思う気持ちがそもそもありまして。

後陣、こんな様子だったんです。主後陣が絶賛修復中で、基本的な見学は問題なかったのですが、ここ、なんせ軒持ち送りは大変好みでしたしね。それに、北側の方は、かなりじめじめ苔など生えまくりで、ヒトも来ないようなスペースになっていたので、この工事で、そういったことも変わったのではないか、と思います。すでに、訪問から4年ですから、おそらく工事も完了したことでしょうし、やはり再訪、したいものです。
ふぅ。やっと次に進みます。
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- 2021/05/29(土) 10:52:17|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その95
ボーリュー・シュル・ドルドーニュBeaulieru-sur-Dordogneのサン・ピエール修道院教会Abbaye Saint-Pierre、続きです。

立派な扉口から、外に出ます。
で、有名な扉口は、とりあえず通過して…。

建物は、すでにロマネスクのテイストが薄くて、さほど惹かれるものがないんですが、それでもなめるように見ると…。気付きますよね、病気のあなたなら!

そうです!
これこれ、軒持ち送り、Modillonです!
ここ、建物が巨大なんですが、軒持ち送りびっしりで、見ごたえ十分。実は、有名な扉口よりは、私の興味はこちらでした。美術的には、扉に行かないとダメなんでしょうけれど、ここに来るまでに、スイヤック、カルンナック、とすごいのが続いているので、あ、また、こりゃすごい、とひけてしまうものもあったんですよね、おそらく。
現場の時と同様に、こちらでまとめるにあたっても、図像をどうしても見てしまって、解説を探そうとしてしまって、結構大変だったりするおそれから、まったく同様な気持ちというか、ただ楽しめる軒持ち送りに、気持ちが流れております、笑。
ま、研究者でもないし、好きなものを好きなように楽しむお気楽なロマネスク愛好家ですから、あるあるですね。
全部は載せられませんので、楽しいやつ中心に並べてみますね。

頭がトンスラっぽくて、修道士と見受けられるんですが、明らかに変顔してます。見方によっては、にらめっこ、または赤ちゃんをあやそうとしているようにも。

ところが、横並びにあるこれを見ると、あ、修道士ではないのか、と思わざるを得ないです。それにしても、すごい歯並び主張です。お隣のモンスター系と、歯磨きのコマーシャル系ですね。

これは、18禁系のやばいやつかな。適度に汚れと傷みがあるので、生々しさはないですが、ポーズがちょっと…。それにしても、いくらマッチョでも、いやはや。
お、これはまともな鳥では、と思いきや。

何ですかね、いやん、という感じで頭がないのか、後ろに向いているのか…。同じ並びに、変に写実的なヤギとかシカ系の動物の頭があるんですが、これは、全体プリミティブさも漂う可愛さがあるけれど、ポーズが変ですね。

そしたらまたこんな。
これはマッチョとは全く異なる、怪しい人の怪しいポーズで、さらに怪しいです。目の休まる暇がありません。
この人に至っては…!

ポーズは体育座りで、うんうん、これなら良い子にもよろしかろ、というやつなんですが、なんでしょう、この顔。ハート型なのにかわいくないって、ありえなくないですか。アフリカとかのプリミティブアートに影響を受けた現代アートのレベルですよ、これ。

言葉を失いますよね、こうなると。何でしょう、ここを請け負った石工さんの頭はどうなっていたんでしょう。

完全に稲垣足穂の世界っていうか、ハンプティダンプティっていうか、もはや中世じゃないです。
建物の扉がある側は、広場にも面しているし、地面もきれいだし、別に教会に来ない人も往来する繁華街的な場所になっているんですが、その反対側は、なんかじめじめとした苔なんかも生えていることになっていて、いきなり放置状態な様子で、二面性がすごかったんですが、もちろんそちら側にも、軒持ち送りはずらりです。

ずらりと並ぶ中には、こんなありがちなかわいいやつもいて、嬉しくなっちゃったわけなんですが。

イタリア在住30年を超える私が、やけに注目したのは、こちら。

これ、まんまフジッリFugilliというショートパスタの姿なんですよ。メーカーによって、変わるんですが、ぐるぐる巻きというコンセプトが同じで、これはもうそのまま。
ショートパスタ型のフィギュアは、初めてであったと思いますので、非常に印象深かったです。

とにかく、数が多いのもあって、インパクトすごいです。背が高いので、距離はかなりあるし、扉口への注目がすごすぎて、軒持ち送りに目をやる人は、自分の見学中には見かけなかったのが、大変残念です。
「独創的な軒持ち送り大会」があったら、表彰台確実だと思います。
続きます。
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- 2021/05/22(土) 19:04:52|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その96
ボーリュー・シュル・ドルドーニュBeaulieru-sur-Dordogneのサン・ピエール修道院教会Abbaye Saint-Pierre、続きです。

扉口、行ってみましょう。
これまで見てきたタンパン同様、なんだかすごいことになっています。遠目で見ても、「なんだこりゃあ」と自然とつぶやきが漏れるようなやつ、笑。

前回の記事で紹介した軒持ち送りに見られる、かわいさとか、独創性とか、得体の知れなさとは対極な感のあるタンパンです。石工さん、全力投球で、とにかくこのスペースを埋め尽くそうとするそのエネルギーからして、すでに脱帽。
こういうのを見ると、デザイン力というか、空間構成能力っていうか、高度な技術
を持つ石工さんには、考えられないほど多くの能力及び技術が求められたのだろうなぁ、ということが、よくわかりますね。一つ一つの独立したフィギュアを彫る軒持ち送りなどとは、全然違うものです。
ざっと言うと、タンパンは三つの部分に分かれていて、巨大キリストのいる部分が天上。全能のスタイルのキリストが、数えきれないくらいの数の天使や聖人に囲まれている状況です。

でもキリストは、堂々と、周囲の大騒ぎをよそに、ただどっしりと手を広げて座っていますね。変に写実的で、正直ちょっと怖い。プロポーションとかもすごくちゃんとしているから、写実性を感じるのでしょうね。

ね、ね。
鎖骨からあばらのくっきり度合とか、装飾的な髭の形はともかく、鼻の穴も含めて造作が全体にすごくでかくてくっきりしていて、こういう人いるよ、いる!というような顔とか、腕の筋肉のつき方とか、いや、怖いですよ、これ。っていうか、もう時代が、先に進んでいると思います。本当に正確にこれが彫られた時代ということではなく、この石工さんたちが、すでに先に行っていると思います。
つまり、私の好物ではないと、笑。
脇で、終末のラッパを吹いているのは大天使たちでしょうか。これもまた、八頭身の完璧なスタイルで、遊びゼロ。いじれません、これでは。

無理やりいじる必要はないですけれど、無理やりいじるとすれば、やはり、あるsペースにはめ込む必要があるので、この辺はすごくロマネスク的ですが、どうしても、変な格好になっちゃうということでしょうか。
ラッパの持ち方辛そうだし、左手は置き場がなくて、ぶりっ子女子みたいになっているし、上半身と下半身のポーズが、なんか変ですよね。こんな格好続けてたら、ぎっくり腰になりそうですよ。

使徒たちにも、その傾向はみられますね。
全体にシュッとして、
プロポーションには無理がないんですが、はめ込みの無理がちょっとあって、大事にカギを抱えたピエトロさんなど、おばさん走りっていうのか、なんかこう歩幅狭く腕を振って走るやつみたいなポーズになってませんか。いじり過ぎでしょうか、笑。
下二段は、地上と地獄とされています。
地上では、審判を待つ多くの死者、そしてすでに審判を受けたものたちが、怖そうな動物にやられています。え、これも、地獄に見えるんですけど。

地獄には、ヤマタノオロチみたいな、七つ頭のドラゴンが火を噴いていたり。

幻獣たちも、いかにも顔つきが悪いやつばかりで、可愛さのあるやつは、一人としていないですね。愛嬌なし。
同じようなテーマの他のタンパンとの違いは、ここでは、魂を図る場面が、きちんと表されていないとありました。そういや、そうですね。
簡単ですが、タンパンはこの程度で許し下さいね。
一気にやりたかったですが、扉口のその他の部分は、次回。
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- 2021/05/22(土) 18:19:16|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その94
この辺り、ロマネスク的には、絶対に外せない教会が、かなりぎっしりなんですが、観光地としての押しは弱いというか、どこもここも結構田舎っぽくて、駐車も割とどこでもできちゃったりするんで、驚きました。何度か書いてると思いますが、フランスは、国土が広くて人口も分散しているとか、それで土地が余計にあったりするせいもあるのか知りませんが、車関係、かなり鷹揚だと思います。あ、イタリアと比較して、ということですけれど。
ちなみに、この日の行程は、こういう感じです。

最終目的地であるモアサックのすぐ南が、出発点のトゥールーズとなる位置関係。つまり、もう旅の終わりが近い一日となります。
トゥールーズから、地図上でいえば、右の方に向かって、また左に戻るようにして、凸凹の円を回る感じの行程でした。
さて、今回の教会は、こちらとなります。

ボーリュー・シュル・ドルドーニュBeaulieru-sur-Dordogneのサン・ピエール修道院教会Abbaye Saint-Pierreです(9時-18時)。
ここも町の中心部の、かなりごちゃごちゃした狭めの広場にあります。修道院教会ということですから、ここもまた門前町ということになりますが、前回のカルンナックよりは、町としてはかなり規模が大きいです。
この姿に出会ったとき、ほとんど昼時だったんですが、めっちゃ暑かったです。暑くて暑くて、とにかく、まず見るべきファサードは置いといて、すぐに本堂に駆け込んだことを覚えています。
教会、特にロマネスクの教会って、有難いことに、夏は涼しいことが多いのですよね。天井が高くて、壁が厚くて、開放感もあって、密にならない、考えたら、このCovid下では、理想的な訪問地かもね、笑。
というわけで、まずは中から行きましょう。

内部は、特筆するようなものはあまりない、というより、タンパン部分が有名すぎて、検索しても、そちらの解説とかばかりに偏っていて、そういうのはちょっと残念ですね。ここは、手元にも資料がないのです。
この教会、というより修道院なのかな。起源は9世紀終わりごろと古いようです。当時地域で有力な資産家の尽力があったということで、多分、お金にあかせて贖った、そこそこ知名度のある聖人の遺物をまつったことで、巡礼などの集客にも成功して、さらに栄える、というような修道院だったようです。
キリスト教が教会宗教になったことで、キリスト教会は組織になったわけですよね。修道院はグループ会社みたいな縦割り管理で、修道院長は社長さん。純粋に、宗教的な意図から移動する修道士と、会社組織として見極めをして移動する修道士と、色々いたんじゃないかなぁ、とか考えるとその辺も結構面白い側面だと思うんですよねぇ。
この土地は、結構狭い地域に、それなりの規模の修道院が林立していて、それぞれが、争うかのようにタンパンなどの装飾に力を入れていたわけですが、その関係性はどうなっていたのでしょう。スイヤックも、カルンナックも、そしてこのボーリューも、石工さんのタイプ、というより、同じ人、同じ工房であった可能性が高いので、それぞれが競うというよりは、当時のトップ技術を、我も我も贖ったということになるのでしょうか。

聖遺物があったわけですから、周歩廊があります。祭壇に聖遺物箱が置かれていたのでしょうね。祭壇前のスペース、十字型の中央部がドームとなっているスタイル。背が高いです。

上には伸びても、横幅は狭めで、この狭い側廊というのも、フランスではおなじみですね。
上に伸びることに、強くひかれたいたのですね。とにかく細くてもいいから、上に伸びたい伸びたい、という構造を目指す率が非常に高いですよね。

周歩廊の上部が、二階建てでちゃんと歩けるようになっていそうです。大変背の低いかわいらしい二連窓がずらりと並んでいます。

周歩廊を支える一階部分も、二連窓の二階部分も、柱頭はのっぺらぼうですけれど、これはもともとそうだったのか、それとももうちょっと装飾的な彫りものがあったのか。
結構柱頭彫り物ありますので、もともとは色々な彫り物の柱頭ではなかったかと、想像します。分かりませんけれども。

これは、なんでしょう。道路工事のドリルみたいですけど、笑。膝をべちゃっと曲げた女の子すわりみたいなのが、楽しいです。それでいて、頭はターバン状態だし、胸筋とかもりもりそうな…。いや、どうしてもドリルからの連想しちゃってるな。
ところどころに、めっちゃ可愛いやつ、います。

小さい扉の上に置かれていますけれど、扉はそれほど古くなさそうなんで、後付で、そこに置かれたものではないかと思います。
それにしても、なんです、この楽しさ。
一瞬ダニエルかとも見えるんですが、左の子が、もっとちっさい子をガジガジしてるんですよね、ヒトのフィギュアとの間で。

この人、右手には剣を持ちつつ、左手では玉をもって、ライオン手なずけてるんですよね。ウーム。

お足元にも、シンプルながら個性的な彫りものがあります。

この辺り、周歩廊のお足元彫り物なんですが、やはり、足元までこれだけ飾るなら、柱頭がのっぺらぼうは、本来なさそうですね。

これは見たまんまアトラスですかね。

もう傷んでしまっているけれど、もともとは顔もちゃんと彫られていた様子があります。残念。

ここにもまたかわいらしいやつ。
これはダニエルさんだと思います。
こちらは、彩色があった様子ですね。
全体に、足元の方が、保存状態が良いようでした。モチーフが単純だからか、単に改修などの影響を受けなかったということなのか不明です。
いずれにしても、創建当時の本堂には、もっとたくさんの彫り物があったものと思います。その時代の名残は、やはり外側の方に多くみられるように思います。

では、続きます。
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- 2021/05/17(月) 00:43:34|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その93
カルンナックCarennacのサン・ピエール修道院教会Eglise Ancienne Prieure Saint-Pierre、続きです。
色々解説を読みだすと、どうしても長くなってしまいますし、脱線も多くて、最近、一つの記事を書くのに、えらい時間がかかる⇒面倒になる⇒パソコンを開けるのも嫌になる⇒結果、記事のアップが遅れ、記事の内容がどんどん古いものになり、新しいものがアップできない⇒さらに面倒になってくる、という悪循環に陥っています。
Covidのために、昨年から大きな移動が不可のため、ロックダウンが開ければ、近場にちょこちょこ出かけることを繰り返してきたので、自分でも整理したい写真が溜まってきているのですが、いやはや。
さて、やっと中に。

内部は、創建の11世紀当時の柱頭が残っており、それらは、タンパンのあるファサード部分より、若干古いものとなります。

今更ですが、この教会が最初に文書で言及されているのは932年。その時は、ボーリューBeaulieuの修道院の下にあったようですが、その後クリュニー派のカオールの下に(ちなみに、この後、そのどちらも訪ねていきます)。
11世紀終わりから12世紀にかけて、多くの寄付によって、豊かになっていったと。それによって、おそらく、今タンパンのあるファサード部分が作られたようです。また、そうした豊かさのためか、修道院の所有が、オーヴェルニュからリムーザンへ、さらに他へと目まぐるしく変わっていったそうです。そういう歴史がある割には、大きな変更もなく、しっかりと古い時代のものが残っているのは、もしかすると後代には発展がなかったということなのかもしれないですね。
ボーリューとかカオールは、もっと町の規模も大きく、それぞれ教会としての発展がみられますが、このカルンナックは門前町ということもあり、修道院の景気に左右されてしまったことが、結果、古いものが残り、私たちを楽しませてくれている、ということになりそうです。
教会のみならず、村のたたずまいも、規模も家並みも中世の名残が色濃く、魅力的なものとなっていますから、何が幸いするかはわかりませんね。
トップの写真を見ると、天井が結構高い様子ですが、もしかすると、上の方は、後付のものかもしれないと思いました。柱頭は30ほどあるようです。

暗いので、写真の状態は、例によってあまりよくないです。
いくつか見ると気付くのですが、かなりの浅浮彫です。

時代が遡るにしても、これほどの浅浮彫は、あまり見ないような。

こういう浅彫り、どこで会ったっけな、と考えて、スペイン北部のアストゥリアス地域のプレロマネスクを思い出しました。西ゴート系の、8世紀ごろの彫り物、どれもかなりの浅浮彫でしたね。
ここの解説では、モチーフのシンプルさから、地域の石工さんのさくひんではないか、としており、カロリングの影響が感じられるとありました。

カロリングは、ロンゴバルドとか西ゴートとかにも通じる、ちょっと前の時代ですけれど、実は一番よく分かってないやつなんですよね、私にとっては。接することが圧倒的に少ないので、イメージがよく分かってないんです。せいぜいフレスコ画に、カロリング朝と言われると、なんとなく納得できる程度の知識しかないのです。
だから、カロリングの影響が、どこにあるのかが分からない( ;∀;)。浅いことなのか、モチーフが単純なことなのか、モチーフそのものなのか…。
内部は暗いですが、今、タンパンのある扉口の内側に、教会本堂の入り口があります。タンパンの扉口は、ナルテックス構造の入り口になっている感じです。

地味な扉口ですが、ここと、このナルテックス部分に、いくつかあります。

ここは明るかったので、よく見えますね。浮彫の浅さが分かりやすいと思います。

そして、いかにものロマネスクの奔放さがほとばしっていて、楽しいやつらが生息しています。

前面に置かれたタンパンで、まじめ一本!みたいな真剣勝負をしといて、一歩そこをくぐると、こういうのが、自由に踊っていて。

「みんな違ってみんないい、みすず」、みたいな、笑。
ちなみに、すぐお隣がお城跡を博物館とかにしていて、入場無料で、そこで清潔なお手洗いも借りることができて、ここは、入っていくことをお勧めします。
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- 2021/05/15(土) 20:29:09|
- ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その92
カルンナックCarennacのサン・ピエール修道院教会Eglise Ancienne Prieure Saint-Pierre、続きです。

この素晴らしいタンパンですが、前回、ちょっと見残しているので、そこから。
構図としては、特に新しさとかはないと思うんです。中央にアーモンドのキリスト、その周囲にはおなじみの福音書家四人のシンボル。そして、周囲に、これまたおなじみの使徒たち。
下段、向かって左側に並ぶ使徒たち。

そして右側の方々。

聖書を読み込むなどされている方には、それぞれが持っているものとか位置とかポーズとかで、誰が誰だか分かるのだと思いますが、私はさっぱりです。
信仰の方は置いといて、このタンパン、一番すごいのは、やはりその宝石箱ぶりではないかと思います。
それぞれの衣装の、キラキラぶりは、すでに言及しました。キリストの衣の宝石金糸銀糸は、これでもか状態でしたね。一見清貧な様子に見える使徒たちですら、よく見たら、胸元などに、かなり素敵な装飾が施されているのです。
タンパンの端っこの方にいる脇役的なこの人など…。

裾に素敵な絹の縫い取りが。いや、勝手に絹とか言ってますけどね。ここは、キリストとの対比もあり、宝石なし、金糸銀糸なしで、もうちょっと地味目の絹糸かな、と勝手に思うわけなんですけどね。
そして、各人の椅子が、これまた、なんでしょうね。

アーモンドのキリストの背景には、天の国エルサレムの風景が盛り込まれるようなんで、ここも、キリストはそうかなと思ったんですが、各使徒の椅子にも、どうやら天の国の様子が彫られているのでしょうか。装飾的ですが、これは建築ということなのかしらん。

建築をベースに、宝石的な装飾を付け加えて、椅子的に組み合わせるって、とても斬新。面白いと思います。
さらに、純粋な装飾的アイテムも、とても魅力的だと思うんです。
特に、タンパンの下に走るフリーズ。

いわゆるアーキトレーブに当たるのですけれど、それにしては細くて、本来とはずいぶん違うのです。そして、そこに置かれたモチーフは、屋内のアーチ下とか、この図柄のような感じで、後陣に置かれたモザイクの下とかに置かれることが多いタイプのモチーフじゃないでしょうか。

いわゆる、ラーメン丼のふちにあるようなあの、ぐりぐりとした模様。
ラベンナとかローマとかの写真を徘徊して、どっかになかったかと探したんですが、にわかには見つからず。同時に検索したところ、これ、多分ギリシャ起源のねじれたリボン文様というやつだと分かりました。日本語に訳しづらい…。
一方で、ラーメンどんぶりの模様に通じると感じたので、それで検索したところ、「雷紋」という中国起源のモチーフとありました。日本では、九谷焼あたりから使われるようになったとか。
雷紋は、迷路のようになっていることから、魔物が迷ってしまう、つまり魔除けとしての模様だったらしいのです。それがなぜラーメンどんぶりについているかというと、中国起源のそれらしい文様をつけると中華料理らしさが出るのでは、という理由だったのではないか、という説を見ました。
そこから、ギリシャ雷紋という名称が出てきたので、イタリア語では、Meandroということが分かりました。でも、そうなると、ちょっと違うものになりつつあるような。いずれにしても、ギリシャ起源の文様らしいです。
こういったビザンチン的な装飾性を、石で彫りこんでいるのは、珍しいように思います。この地域でしか見たことがないかも?まぁ、私の記憶ほどあてにならないものはありませんが…、笑。

ここで面白いのは、その文様の中に、やけに写実的な動物を閉じ込めていることです。かなり獰猛な様子のやつらがたくさん。まさに迷路に閉じられている様子になっています。
写実的な動物といえば、扉のアーチ部分の、最も外側、今はほとんど壊れてしまっているので、全容が不明ですが、一部残っている部分にもいるんです。

トップの写真を見ていただくと、どういう状態か分かると思うのですが、左の方にあります。

独特の表現です。羊?

こちらは、割とスタンダードな狛犬系のライオンですね。口が、なんとも。

右の方にもかすかに。
かなり大きめな動物たちですから、これがアーチ全体に彫りこまれた部分が完全に残っていたら、全体の印象が、また違ったものとなっていたことでしょう。

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- 2021/05/15(土) 18:33:44|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その91
修行旅も、いよいよ佳境ですが、このあたり、見所目白押し。いわゆるドルドーニュ地方として、独立していくべき土地だと思うのですが、見られるときにほんのわずかでも見ておいた方が、今後にもつながるので、駆け足で回りましたが、この辺りを重点的に回る修行ができる日が来るのを、期待したいものです。
それにしても、のっけからビビりましたよ。
前夜、在フランスの友人たちと再会し、楽しい夕食。そして、朝食での、一日が終わってしまいそうな勢いのよもやま話にあきれつつ、朝から連れだって教会詣でをして、またの再会を期してお別れし、9時過ぎにはスイヤックを出発しました。
前日、スイヤックに向かった道を、一部遡るような40分余のドライブで出くわしたのは、なんと…。

んん?なんですか?

ひえ~!!!
何ですか、これ?まさかのつり橋?
それも、信号もないけど、一方通行にも見えないけど、大丈夫なのか?の狭さ!
めっちゃくちゃビビりましたわ。
対向車来たらアウトのパターンって、旅の割と最初の方にも、田舎の小さなトンネルでありましたけど、あの時は、引き返したうえに、しばらく待って、様子を見てから、意を決してくぐり抜けたオレ。
こんなんもっとビビるわ。
でもこの時は、この、グーグルからお借りした写真同様に、私のすぐ前を先行する車がいて、躊躇なく橋に入ったんで、私も、必死で後をついていきました。

最初から最後まで、ひたすらまっすぐなので、そして大した距離ではないので、見晴らしは良く、入ったもの勝ち、ということなんでしょうけど、これは、慣れていなければ、車が入っていいのかどうかも躊躇するような橋です。今、念のために、グーグルで確認しましたが、やはり一方通行ではなく、反対側にも信号も何もなし。通過する車の数が少ないんでしょうけれど、ちょっと勘弁してほしいわ~。
このあたり、ロマネスク的には重要なので、ついそれなりに観光地ではないか、と過剰に思ってしまう傾向があるのかもしれませんが、要は、田舎なんですよね、すごく。
この日最初の目的地である村も、中世の雰囲気がばっちり残る美しい村ですが、駐車もし放題な感じで、びっくりです。
イタリアと違って、フランスは国土も広いし、人々がそれなりに分散するとかあるんでしょうか。駐車禁止とか入場禁止とかの交通規制は、いまだに非常に緩いと思います。イタリアでは、今や国中カメラだらけで、スピード違反は、かなりの田舎でも引っかかりますし、田舎の小さな村の中心部は、進入禁止になっているケースも増える一方です。違反すると、しっかりカメラに撮影されてしまうので、絶対に罰金が来ます。そのシステマティックなやり方に、ある意味感心します。
前も書いたかもしれませんが、免許を取ってから、15年ほどは無事故無違反で来た私ですが、そのようにカメラが行きわたった頃、5年から10年ほど前からになりますけれど、それからは定期的に、何らかの違反で罰金を食らっています。(周囲に誰一人走っていない道での)10キロのスピードオーバー、田舎道での赤信号無視と交差点でのスピード違反(これは引っ掛け疑惑があり、ポイントまで取られて腹立たしかったです)、進入禁止違反等々…。
正直、慣れない土地でもあり、土地勘もないフランスでの方が、明らかに自分自身で「しまった」と思うことが多いのですが、フランスでは、まだカメラやスピードガンの設置がイタリアほどではなさそうで、いまだに無傷です。いつかはイタリアのようになるのか、またはフランスは性善説が続くのか。
また脱線。
目的地はこちらです。

カルンナックCarennacのサン・ピエール修道院教会Eglise Ancienne Prieure Saint-Pierreです。
今、写真を見て思い出しましたが、最初、教会の門ではない場所で、ヒトのうちの庭みたいなところからアクセスしてしまい、どうなっているかわからずに、上の写真を撮影したのだったと思います。
この教会、正面ファサードのアクセスが、非常にインパクトあります。教会全体は、ありがちなスタイルで、ふーん、ですけれども。
教会の名称にもあるように、ここもまた修道院があったのですね。そしてこの村は、今でも門前町の名残そのままで、まさに修道院そのものが、そのまま村になり、今町となっているというたたずまいなんです。
壁の中に、住居がぎっしりと軒を並べ、見通しのきかない小路が続きます。最初に教会の姿が見えても、さて、どこから入るのやら、と小路を進みます。

で、さらに進むと、石造りの立派なもんがあり、ひょいっとのぞき込むと、いきなりファサードがあるんです。

写真が今一つですが、これ、手前に門があります。本当に、あ、なんか開いてるなって感じで、まさかいきなりここにあるとは思わずに、気軽にのぞき込んだ感じです。
それなのに、中のスペースがかなり限定的なのに、遠目にも、なんだか恐ろしく手の込んだ様子のタンパンが見えるから、たまげること必至。

狭いなりにプロポーションは考えられていて、正面からもちゃんと全体が撮影できるサイズでした。
この当時では、中規模の修道院とされていたサイズらしいのですが、かなり豊かな修道院だったようです。川沿いであること、そして土地が豊饒であること。そのために、修道院内部の生活も豊かで、修道士の生活が、外に出る必要が一切ないままに遂行されえる、ある意味完璧な修道院環境だったようです。
タンパンは、モワサック(スイヤックに続き、ここでもモワサックが出てきましたね。やはりこの辺り、同じタイプまたは同じ石工集団が、移動して仕事をしていたということになるのでしょうかね)のものよりも小ぶりですが、保存状態は良好。
中央に、アーモンドの中のキリスト、周囲には、四福音書家のシンボル。

すごく細かいのも印象的ですが、何よりも、保存状態の良さは奇跡的だと思います。
スイヤックの預言者イザヤの衣装も、非常に装飾的でしたが、ここのキリストの衣もすごいです。

光背にも、宝石はめ込みっぽいし、胸の宝石ギラギラ、腕輪もなんだか金に宝石がはめ込まれたような様子になっていますよね。ビザンチン的というか、これはちょっとびっくりします。
衣の裾の方もまた、イザヤ同様、すごい丁寧な宝石はめ込みの金糸銀糸刺繍の様子です。

キリストの左右両側は、各二段になっていて、どうやら使徒たちが、座っておしゃべりしている図。
向かって左には、素敵なカギを抱えてピエトロさんがいますね。

あれ、よく見ると、ピエトロさん、腹が出てるかも?ほかの教会でも、布袋様のように腹が出ている人たち、いましたね。
とすると、向かって右側にいるのは、パオロさんとなるのかな。こちらは、腹は見えず、足を組んだ、やけにおしゃれなポーズを取っているようです。

全体、本当に保存状態がいいのに、ピエトロさんのお隣だけ、見事に消失しています。この状態を見ると、この像は、浮彫というより、浮彫をはめ込んだものなのですね。わたしのイメージとしては、土台の石を、彫り込んでいくものだと思っていたのですが、別に彫ったものをはめ込むというか貼っている様子ですね。

あと、ピエトロさんの右上は、有翼の福音書家マッテオとなりますが、翼に彩色跡が見えるようですね。ここも、往時は、極彩色だったのかもしれません。いや、他の例からも、彩色があったと考える方が、自然ですね、おそらく。
こんなに宝石キラキラ系で、彫りですら、キラキラが見えそうなもの、彩色があったら、なんかすごいものだったかもしれないです。想像すると怖いような、笑。
長くなってきたので、一旦切ります。
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- 2021/05/10(月) 02:06:40|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、番外その3
ここらで、番外、ホテルと食事のことを入れときます。
まずは、カンタルで二泊した宿です。

Auberge de l'Aspre
Le bourg, Fontanges(フォンタンジュ)
とても小さな山間の村で、お食事を提供してくれるオーベルジュというスタイルの宿で、個人的には、修行中の旅のスタイルとしては最も好むところのものです。なかなかないんですよね、このスタイル。ここは、訪問したい場所へのアクセスなどもよく、お値段も受け入れやすいレベルでした(朝晩の二食付きで、211ユーロとなっていますから、私にしては、ちょっと高めですが、二人だったら、もうちょっと割安になるでしょうね)が、古いタイプの宿でした。
何よりびっくりしたのが、この不思議な構造です。

部屋の中が二階建てなんです。
上に、お風呂があります。でも、すごく変な構造で、部屋の扉から入った地階に、ベッドと、そしてトイレがあるんですが、階段下に位置するトイレには、洗面がないんですよ。
以前から、ヒトにも教えられ、自分でも疑惑を持っていましたが、フランス人は、トイレに入っても手を洗わない、ということが、ここで、実感ですよ。
おそらくですが、もともとは部屋しかなかったような古いホテルを天井が高いことを利用して、お風呂を増設。トイレは、もしかするともともとあったかもしれないけれど、だとすると、もともと部屋の中には、洗面がなくてトイレだけ、ということか、またはトイレも後付で、部屋は本当に寝るだけのものだったのかな。
イタリアだと、例えば、トイレが共同でも、部屋の中に洗面台だけある、というスタイルは、古い安宿によくありました。今でも時々、かつてはお風呂がなくて、この洗面台だけだったんだろうな、というタイプのお部屋に遭遇します。
しかし、トイレがあって、洗面台がないというのは、ちょっと…。
トイレが下にあるのは助かるものの、結局手を洗うために階段を登る必要があり、非常に不便でした。現在Covidのご時世では、さらに不便な気がしますね。
お食事は、残念ながら、あまり大したものではなく。確か一日目は定職を頼みました。

素材は悪くないんだと感じたのですが、調理が今一つな感じでした。前菜もメインも。初日はすごく空腹感がすごかったので、それでも食後にチーズまで頼んでしまいました。台車に乗ったたくさんのチーズの中から選べるくらいに考えていたのですが、残念ながら、すでに勝手に選ばれたチーズ三種盛で、半分は食べられず。
そういうことから、この宿のお食事評価は、個人的には、今一つです。

二日目は、定食はやめて、この辺りが産地だという毛の赤いサレール牛のステーキ。

これは、塩コショウで焼いただけですから、思惑通り、美味しかったです。たまには、こういういかにものステーキはおいしいので、これは大正解でした。産地ですしね。
さて、この村。教会ではないんですが、こんな不思議なものが。

フォンタンジュの聖母マリア礼拝堂La Chapelle Notre Dame de Fontanges
上に観音様みたいに、多分マリアですかね。ライトアップが、ちょっと日本のものみたいですね。夕食の後、ぶらぶら散歩がてら、行っていたもの。本当に山奥で、静かな村でした。

岩をくりぬいて、礼拝堂にしているとかそういうものだと思いますが、入り口の装飾は、ロマネスク的なものとなっていました。再建かな。

番外編、もう一つ、最後の方にやります。
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- 2021/05/09(日) 00:38:45|
- オーベルニュ 03-63-15-43
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