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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

リベンジでいきなり見逃し疑惑(ローマ、サン・ロレンツォ教会その1)

2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その1

次は何をまとめていこうかと考えましたが、やはり忘却が最大の敵、と思い、古い順番にやっていくことにしまして、久しぶりにイタリアに戻ります。2017年師走に訪ねたローマです。

この時、旅の直後に、プロローグとして、頭出しをしていたようなんですが、まだブログのプラットフォームが今は亡きヤフーだったり、当時はホームページも健在だったりという事実が分かり、なんだか感慨深いというか、デジタルの世の中って、目まぐるしいですよね。

そういうリズムに逆行するようなブログやってますけれど、ま、それはそれ、しょせんアナログ人間ですからね。

当時のブログも、現在の場所にまんま移動していますので、ローマの中世のスレッドで、過去記録も見ることができます。が、当時は、ホームページにまとめる前段階という位置づけだったため、ブログの記事はかなりあっさりしていて、ホームページをキープしなかったことが、今更ながら悔やまれます。

さて、プロローグに記したように、初めてローマを中世という切り口で回ったのが2009年で、この2017年の旅は中世特化としては二度目となります。最初の旅で見ることができなかった場所への再チャレンジや、近郊の村も含めて、結構盛沢山なスケジュールでした。

まずは、始めてしまいましょう。おいおい、おなじみ珍道中ぶりにも触れていくこととしましょう。

この時は、公共の交通機関利用の旅で、早朝のFreccia RossaでローマINです。このイタリア版新幹線なら、在来線で6時間ほどもかかっていたミラノ‐ローマ間が3時間ほど。技術の進歩ってすごいもんですよね。ただし、イタリアあるあるの列車の遅延はなくなることはなく、この時も20分ほど遅れました。
確か遅れが30分を超えると、一部返金があるんですが、その境目になると、なんだか猛烈なラストスパートで遅れを取り戻す、みたいな感じで、大抵返金には至らないことになっているようで…。
しかし、コロナで人の移動が減って、国鉄だって経営は大変なんでしょうね、今や。

しょっぱなから脱線しています。
遅れのために、予約してあった駅前のホテルまで走って、チェックインもせずに荷物だけ放り込んで、向かった最初の目的地がこちらです。

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サン・ロレンツォ教会Basilica di San Lorenzo fuori le Mura(7時半-12時/16時-18時半。テルミニ駅近くから、バス71または492)。

ここは、以前の旅では、うまく訪問時間が合わせられず、日暮れに訪ねたところ、大きな目的の一つであった回廊が、「そこの扉からアクセスできますよ」と言われたものの、真っ暗闇で、アクセスどころじゃなかったという経験をしており、再訪を期していた教会なんです。そう、しょっぱなからリベンジですね。

というわけで、まずは回廊に向かいます。結構時間はたっていたわけですが、勝手知ったる感じで、迷いなくアクセス。

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はは、意外とさっぱりときれいにお手入れが行き過ぎていて、一見中世的な面影薄いですが、とにかく8年越しのリベンジですから、ここに来られた事実がすごく嬉しかったです。

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今では、こんな二階建てで、本来の姿じゃないんですが、この変容こそ、この教会の長い歴史を物語るものかもしれません。
回廊そのものの構造というより、おそらく見所は、回廊部分の壁に所狭しと置かれているやつらかも。

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こんな感じで、あらゆる古そうな石片がびっしりなんです。これはたまげました。あらゆる時代のあらゆるタイプのものがあります。

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どれも、おそらくこの教会の長い歴史の中で、実際に教会の一部であったものと思われます。そのくらい、この教会って、歴史そのものって感じなんです。こういうの、すごくローマって感じがします。
ローマの中世に関しての研究は、ローマ帝国時代に比すると、ないも同然ではないかと思われるのですが、この町は中世的にもすごく面白いんですよね。なぜなら、ローマの終わりと、初期キリスト教時代と、そして何より、キリスト教の歴史の舞台でもあったわけで、聖人がそこここで足跡を残していたり、どの時代でもこの地域の中心であったための跡というのがすごい。

この教会だって、サン・ロレンツォに捧げられているわけですが、実際にサン・ロレンツォのお墓があったということで、出自も分からないようなしょぼいレリックがあるからとか、有名だから捧げちゃったとか、そんなちょろいもんじゃないんですね、笑。

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そのロレンツォご当人は、キリスト教が迫害されていた皇帝バレリアーノ時代に、その命により、多くの司教や聖職者たちとともに、258年8月10日に殉教した聖人。伝説によれば、彼は、大きなグリルで焼き殺されて、その遺体はVia Tiburtina沿いに埋葬されたとされています。
そういえば、グリルで焼かれている図って、ラベンナのモザイクとか、ロマーニャの小さな礼拝堂のタンパンの彫り物とか、なんか記憶にありますが、あれはサン・ロレンツォだったのね。いや、グリル殉教は他にもいるかもしれませんが。

その後、巡礼者の増加に伴って、皇帝コンスタンティヌスが、その墓所を整えたとかで、それが、今の教会の基礎になっているのは、間違いないようです。6世紀に、あまりに巡礼者が多いために、その便宜のためにも、より大きな教会が建てられることになったようです。それが、12世紀にさらに拡張され、今に至っていると。

3世紀に亡くなった方のことが、真実どうかは置いといても、亡くなった日や葬られた場所が正確にわかるって、なんかすごくないですか。ローマって…って思っちゃうわけです。

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薄い石碑は、カタコンベ状の墓の蓋に見えるし、上の立派な彫り物は、石棺ですかね。ローマ以降中世にかけては、ローマの遺物の再利用も多いですから、起原がローマのものもたくさんありそうです。

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いきなり、こんな場所があり、びっくりしました。
立ち入り禁止の柵が立っており、この時は、工事でもしていたのか知れませんが、この写真を見るまで、すっかり忘れていました。

フランス修行をまとめるにあたって、結構資料を読む癖がついてしまって、今もお手軽にネットで検索しながらやっているんですが、この、サンタ・チリアカS.Cyriacaeのクリプタは、本来、本堂左身廊の突き当りに、入り口がある、と書かれていたんです。それを見て、行ってないどころか、当時、気付きもしなかったと思いました。ただ、その記事で言及されたいたクリプタは、チリアカさんの墓所みたいだったし、13世紀以降に装飾された様子で、特段見なくても問題ないような状態の写真でしたが、こちらは、カタコンベで、どうやらロレンツォさんも埋葬されている場所、ということのようなんです。この写真を見たら、当時は公開していなかったかな、と思いつつも、残念な気持ちがしました。でも、事前に調べたときも、こんな場所、全然出てこなかったと思うんですけどね。
ちなみに、チリアカさんは、この辺りの地所を所有していた金持ちのご婦人みたいです。でも聖人だから、それを寄進したとかそういうことなのかな。

この時の旅は、改めて、という気持ちでアッピア街道にあるカタコンベ訪問もしたので、この情報を事前に入手できなかったのはかなり残念です。

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多くの部分が再建されている様子ではありますが、たまに、こういう古そうな、明らかに再利用だよね、というような円柱もありました。いずれにしても、構造的な面白みは薄い回廊でしたね。

次回、本堂も改めてじっくり見ます。

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  1. 2021/06/26(土) 12:04:00|
  2. ローマの中世
  3. | コメント:0

煩悩にまみれて、やっとこさ、最終回です(モワサック その7-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その108(最終回)

最後に、もうちょっとだけ、モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。

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天井が印象的な塔から、本堂へ。

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本堂は、全体構造が新しいですから、見るからに、何もないなぁ、と思ってしまうんですが、平気で重要なものを見忘れる私なので、一応ガイド的なものを確認して、やっぱり危ないところだった、と思った次第です。

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解説によれば、「ピレネー地方産の大理石で作られた石棺。中世初期、4世紀ごろの作とされている。1245年に亡くなった修道院長Raymond de Montpezatの棺として再利用された。中央部に、クリスモン。キリストChristの最初の文字を表すX(CH)とR。そして、アルファとオメガは、ギリシャのアルファベットで最初と最後の文字となり、それは、神は、すべてにおいて、最初であり最後である。棺は、初期キリスト教時代の柱頭の上に載せられ、一つのグラスから水を飲む鳥が彫られている。それは、古く聖体の秘蹟のシンボルである。」

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イタリアではいたってありがちな石棺。初期キリスト教も、普通な感じですが、フランスではやはり珍しいですよね。このプリミティブな感じの彫り物は、つぼです。クリスモンの円も、ちょっとぐらぐらしている線が、結構好み。
そもそもクリスモンの意味なんてすぐ忘れちゃうので、久しぶりにわかりやすい解説で、助かりました。こうやって、何度も何度もドリルのように繰り返して読んでいかないと、本当に忘れちゃうから、もうびっくりです。公文ロマネスクバージョンとかないもんか?

それにしても、でかい柱頭を足にしたもんで、なんというか、石棺とのバランス悪くて、ダサくなってませんか。美意識的には、石棺の彫り物を生かして、台はシンプルにしてほしかったですね。13世紀のテイストがこうだったのかな。ゴシックに行こうという頃だから、とにかく飾り立てるトレンドだったのかな、とか、余計なことを想像してしまいます。

他にも何かありそうな気がして、皿目状態でうろつきますと、こんなものが高みからこんにちはしてました。

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ちょっと後の時代になるのでしょうけど、遊びっぽくてかわいい。

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というわけで、最後に一番しょぼい本堂の紹介となり、尻つぼみな感じですが、そして本当は、回廊をもうちょっと紹介したいとも思ったのですが、もうきりがないし、体力もないので、ここで終了とします。
なんと、通算の記事数も、108って、すごく煩悩な数字だし、笑、ある意味、なんかきりがありますね。煩悩だけど私は好きな数字なんで、なんかいいことあるかも。

日本は、千秋楽という言葉もあるように、舞台でも最終日に向けて盛り上がる的なものがある気がするんですが、こちらではなんといっても初日が重要で、初日にすべてをぶつけた結果が、舞台の成功につながるっていうか、最終日に向けて、逆にどんどん盛り下がるっていうか、ちょっと逆な感じがあります。
で、私の旅の記録も、どっちかというとイタリア的に、最初ぶち上げ、どんどん疲れてきて、端折ったりいい加減になったり、そんなトレンドですね、っていうか、そうなってしまいます。

今回は、旅から時間がたっていることもあり、ずいぶんと忘れてしまっている場所もありました。写真を見ながら、思い出せる場所や出来事などもありますから、そういう意味で、ブログは記憶のブラッシュアップとしての役には立っているんですけれど、ちょっとね、4年は長すぎですわ。それでも、ブログに残したいと思うのは、いつか絶対、ほとんど忘れてしまうに決まっているので、その時に見返したら自分が楽しいだろうなと思うのと、もちろんまだしばらくは修行を続けるので、今後の修行のための記録という意味を持っています。

この時の旅は、飛行機でトゥールーズに入り、9泊10日、レンタカーで2100キロ超を走破し、60超の町村をめぐりました。
まさか、近い将来に、外国に行けないとか、予約しなければ博物館にも入れないとか、そんなことが起こるなんて、夢にも思っていないとき。これまでのすべてがそうですが、やりたいと思うことは、やりたいと思ったときに実行すべし、ということが、今ほど実感される時代はないですね。フランス詣でも、ある時思い立って、不安ながら実行したことが、こうしてつながってきて、あの時、不安に引きずられずに、頑張ってよかったなぁ、としみじみ。

今後はどうなるか、今のところ、分かりませんが、フランスもスペインも、まだ行けてないところがたくさんあるので、何とか近い将来に、元のように普通に旅ができるようになることを祈るのみです。
今しばらくは、地元イタリアを地味に回りつつ、過去の修行の記録を続けていきます。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。

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  1. 2021/06/25(金) 17:35:31|
  2. ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
  3. | コメント:2

目が泳いでいます(モワサック その6-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その107

モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。

改めて、解説を読んでみると、前回の記事でも触れた点が出てきました。
「柱頭は、明確な意図をもって並べられているというより、時として装飾的な内容で並べられたり、時としてテーマを同じくするものを並べたり、という様子であるが、いずれにしても、その一般的なデザインは、偶然ではなく、意図的なもので、信仰に必然なテーマについては、きちんと置かれている。」

感覚的に、普通はもうちょっとまとまった並びをしているよなぁ、と思ったのは、間違いではなかったみたいです。よかった、見当違いなことじゃなくて、笑。

それにしても、私も、もうちょっと撮影の順番を明確に記録するなりしとけよ、と反省しました。あまりの数で、おそらく全部の柱頭は撮影できなかったようなのですが、撮影対象があちこちうろうろするので、解説本があってもなかなか判別が難しくて。
ま、そういう性格なんで、仕方ないですけどね。例えば本堂見学でも、右側からぐるりと回る、みたいなルールを漠然と決めているのですが、パッと見たときにすごかったりすると、もうルールなんか完全無視で、蜜を求めてふらふらするちょうちょとかミツバチのようになってしまって、どういう順番で撮影したのかなんて、全然わからなくなってしまいます。
ま、研究者じゃないし。というお決まりの言い訳、笑。

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ここの柱頭は、動物とか植物モチーフなんかは、私には魅力的なものが多かったのですが、聖書のエピソード系は、傷みも多かったし、細かすぎるのが、正直インパクト薄くて、エピソードを理解しようという気持ちについて、若干おざなりになったところもあったかもしれません。
とにかくあり過ぎるの、問題です、笑。

一旦、他の場所に行きます。ポルティコの上にある塔部分です。

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12世紀の建造物となり、全体でいうと、下の絵図が分かりやすいですよね。

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11世紀の半ばまで、教会は、身廊があり、そこにナルテックスが続くスタイルでした。ナルテックスは、イースターや葬式などの儀式に使われるスペースでした。そういったナルテックスのスペースは、多くのケースで、その上部に礼拝堂を作られる場所となり、大抵、サン・ミカエルと天使に捧げられたようです。
モワサックでは、この工事が、おそらく1110/1115年に開始されたとされています。サン・ブノワ・シュル・ロワールとか、同時期みたいです。これは、2019年の旅になりますが、さて、いつアップできますか。サン・ブノワのこの構造物は、すっごくでかかったですね。でも、あそこは入れなかったのではなかったかな。

モワサックに戻りますと、ほぼ、四角形のプランで、下の階から、四本の堅牢な角の角柱が置かれ、大きなアーケードとなっています(現在は、西及び北部分が埋め込まれてしまっています)。

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この部分、修復もかなり丁寧に行われている様子で、アクセスしたとき、12世紀の構造物とは思えないものでした。
こういうリブがすごい強調されている構造の建物って時々ありますが、かなり時々…。それぞれが、円柱につながっているのも、すごく印象的です。
ここに置かれた柱頭は、回廊にあるものとはテイストが違うとあります。で、例として、これが挙げられています。

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サムソンとライオン。
聖書のヒーローの姿は、善と悪のシンボルとして使われるとあります。が、ここでは、古い時代のモチーフにインスパイアされたスタイルになっていて、なんと、ここでもミトラ神が出てきました。ミトラが雄牛をいけにえにする場面を、ここでは、雄牛の代わりにサムソンにつきもののライオンにした、ということらしいです。

確かにこの図像、すっごくミトラ神の図像に近い感じします。サムソンと言われてももちろんサムソンなんだけど、そうかミトラ入っているのかって、結構発見ですね。サムソンは、大抵イケメンに表されることが多いし、長髪をなびかせて勇敢な様子で、かなり好きなんですが、ここのサムソンは、なんか壮年の、熟女ならぬ成熟した男性の魅力ムンムン系?私の好みは、もっと若々しい、おバカだけどかっこいいのよ、という軽薄感も漂うタイプなんで、ちょっと違います。いや、それどうでもいい、という告白ですね。

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確かに、ダイナミズムっていうか、全体の印象、回廊にある繊細な人物たち満載の柱頭とは、かなり異なります。

今、気付いたのですが、これは地上階の部分にあったのですね、どうやら。例によって、撮影の順番から類推しているのですが、解説も翻訳しながら読んでいるので、なんだか本当にわかりにくくてすみません。
つまり塔の下の部分は、あの派手な扉から続く部分になるわけです。

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本堂を見下ろす位置関係で、狭い階段を下りていき、下にアクセスする構造です。あルートとしては逆かな。
で、この部分は、12世紀の構造物になるわけですが、回廊とは彫り物のタイプが違うわけで、サムソンの他も、やはりちょっとテイスト違いますね。

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線が明確で、きっぱりしています。そして、モチーフも表現方法も、すごく違う感じ。

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このにょろにょろの上に顔出すやつとか、なんでしょう。オリジナリティはありますが、可愛さが全然なくてすごい。
そう、大胆で可愛さゼロ。新しいな。

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下が、本堂への入り口で、クローバー型がかわいい。

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この前何か読んでいて、このクローバーは、やはり三位一体の三つを表しているのかな、とふと気づいたんですが、絶対そういうのありますよね。いつもいつも、かわいいとか面白いとか、目の前にあるものを素直にピュアに見てしまって、信仰のことを忘れがちで、写真を見返しても、基本はそういう感じなんですけど、表現美術って、近代に来るまで、すべて意味があったんですもんね。
これだけロマネスクやっていても、いまだにそういう複合的な見方になれないっていうのも、なんなんだ、と思いますけれど。

半端ですが、どうまとめたらいいのか分からないので、ちょっと考えて、次回を最終回にします。

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  1. 2021/06/25(金) 16:37:23|
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自慢気な職人さんたちの仕事(モワサック その5-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その106

モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。

回廊、前回は、角っこに注目しましたが、今回は、ずらりと並ぶ柱部分を見ていきます。

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ぱっと見でも、ボリューム感って、分かりますよね。
東西南北の四面、それぞれにずらりと円柱が並ぶこと、何本になるのでしょうか。柱頭は、合計で76ということですが、円柱は、シングルとダブルが交互に置かれているので、76本よりは相当数が多いことになります。

それら円柱は、おそらく古代遺跡から持ってきた素材の再利用ということらしいです。このサイズ感なら、再利用もやりやすいはず。灰色、ピンク、紫、緑または白の大理石ということです。普通に考えれば、ローマの遺跡なんだろうかと思うのですが、それぞれの起源がたどれれば、面白そうな気がします。全部が一か所からきているということはないでしょうし、もちろん地域原産の大理石もありそうな気もしますしね。そういう研究をしている人はいるんだろうな。

さて、話を戻しまして、柱頭ですが、これは、石灰岩または大理石が素材となっています。円柱がシングルの場合とダブルの場合で、柱頭の様子は違ってきます。

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柱が一本だと、そこがきゅっとしまったシャープな逆三角形になり、二連柱の場合は、底辺がゆったりした台形になるということです。
いずれにしても、普通の柱頭のイメージよりは逆三角形のインパクトが強く、一つの解説には、「モワサック独特のもの」とありましたが、この結構シャープな逆三、私は南チロルのチロル城を彷彿としました。
チロル城は、お城ですが、ロマネスク時代の彫り物のすごいのがたくさんあって、窓に置かれた円柱状の柱頭が、もうちょっとゆりかご的な丸みがあったかもしれませんが、逆三角形的なスタイルだったのでは。
研究者に反論するわけではないですが、そして他の記事でも言及したかと思いますが、フランスは中世研究が最も進んでいる国ですが、自国にあるもの中心で、なんでも、フランス起源とか、ここにしかないとか言いたがる傾向が強いようなので、あまり当たり前のように、「モワサック独特」とか言われると、眉唾な気がしちゃう天邪鬼なわたくし、というわけです、笑。

また、話を戻しまして、全柱頭76のうち46に、聖書や聖人のエピソードが表されているということです。
手元に、回廊図とそれぞれの柱頭のテーマが書かれた図版があるのですが、なんか、置かれ方が順不同な様子もします。そんなこともないのかな。

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本堂から最初にアクセスするのは、西北角となりますが、その西側回廊。最初にアブラハムの犠牲があり、そのいくつか後にあるのが、ダニエルさん。このダニエルさん、手、特に指の部分が、縮尺的にやけにでかいですよね?もしかして、シザー・ハンズ状態の何かかと思って、拡大で見直してしまいました、笑。普通に手、でした。指の繊細さを強調したかったのかな。
もとい、裏側には、羊飼いのお告げ。

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解説によると、この二つの場面が、一つの柱頭の面に彫られているのは、御托身の謎について考えるよういざなうもの(托身、受肉=三位一体の子なる神が、キリストという人間性を取ったこと)、ということです。ダニエルの人生は、キリストのそれの前兆で、ダニエルが預言した救世主の出現が、天使によって羊飼いに告げられました。
このお告げで、天使が、十字の記された円盤みたいな、なんというか、おはじきの大きいやつっていうか、なんかそんなのを差し出しているんですよね。受肉したキリストの出現を具現化する印とかなんとか。そういうもんなんですね。

かと思うと、こんな柱頭があります。

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解説「人と幻獣。裸の男の姿は、図像学的には古代の彫像を彷彿とさせる図像だが、二羽の鳥を別々に抱え込んでいるが、それら鳥の尾じゃ、まるで蛇のように、ぐるぐるしていて、男に巻き付ています。シンメトリーは完璧で、図像の構図が、柱頭のスペースにぴったりしています。ぎっしりと彫りこみがあるわけではなく、何もない背景と彫りこみ部分のバランスも良く、この前にある一連の柱頭とは異なるテイスト。」

聖書とか無関係で、寓意的なものを、柱頭のスペースを考慮して、デザイン的に施した職人的な仕事だということになるのかな。

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職人的な仕事といえば、このタイプなんか、典型ですよね。すごい技術力を誇っている様子です。

なんとなく、普通はもうちょっと、旧約があって、新薬があって、変な内容のがあって、みたいなイメージなんですが、ここは、割と順不同な様子が感じられたわけなんですが、全体で見ると、それなりに統一感はあるのかなぁ。
数があり過ぎるから、どうしても植物モチーフとかもたくさん入れないと、無理、みたいなこともあったのかなぁ。

細かく見ていくと、この項、一生終わらないと思うので、ちょっと気になるようなやつだけ、アップします。

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これは副柱頭の部分だと思いますが、独創的です。このぷっくりした顔はなに?
多分、同じ柱頭の他の面ですかね、副柱頭では、やはりぷっくりした顔を持つ天使がいて、本体は、これ、なんでしょう。アレクサンダーの昇天とかあるやつかな。殉教の図になるのかな、もしかして。

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ちょっと派手な演出で、やっちゃった感も感じられるんですけど。

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この副柱頭的な場所に置かれた天使ペア、他にもあって、なんかよい味です。
この柱頭は、「窯の中の三人のユダヤ人」というテーマで、各面、同じ様子なんですけれども、ダニエル書に書かれたエピソードらしいです。「三人のユダヤ人の若者が断罪され、生きたまま焼かれるという刑を王から受けたが、祈りによって救われた。中央には天にも届く火があり、火の脇に、祈る若い殉教者のあげられた手がある。天はまるで劇場の幕が上がるように現れ、アーモンドや王冠を持った天使が、現れる。この世の試練に打ち勝って、神への信頼を守り抜いたものには、永遠の命が授けられる。スタイルが、サン・セルナンで活躍した石工のものに酷似しており、とすると、11世紀後半のものとなろう。」

なんだかんだ、ここは、サン・セルナンと共通するものがたくさんあるということらしいです。
前回紹介した角っこの使徒の彫り物も、その後、サン・セルナンの浮彫を確認したところ、確かにまったく同じタイプでした。石工や工房の共通なのか、その時その時代に流行していたモチーフや技術だったのか、さてね。モワサックとトゥールーズ、距離的にはかなり近いですから、同じ人たちが働いていた可能性は、いずれにしても相当高いと思われます。

はっ。
一生終わらないといったばかりなのに、また解説を読んでいました。
もうやめて、自分の印象だけ、つづります。本当に一生終わらなくなるので。

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西郷どんに似た人。おなかの出具合も程よし。それにしても、柔軟性はすごいですね。こう見えて、開脚18度行けますよね、このおやじ。

おなじみの動物たちも、ちんまりとした彫りで、あちこちにいて、これは、拡大で見ると楽しいです。

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こういう細かいところを見ていくと、伝統的なものと、割とデザイン性の高いシンプルな線のものと、混じっていますね。柱頭の方も、そういう感じで分かれるようですし、これは、時代が結構混じっているということでもあるのか。色々謎もありますね。

ちょっと写真の数が多すぎて、とてもまとまりませんので、一旦切ります。これじゃ半端過ぎて終われません…。

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  1. 2021/06/20(日) 12:19:09|
  2. ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
  3. | コメント:0

大きければいいってもんじゃなかろうもん!みたいな気がしてきました…(モワサック その4-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その105

モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。
この教会は、ロマネスク美術史上の金字塔の一つとなるのかとも思いますが、かといって、ここもまた他の多くの教会同様、すべてがロマネスク時代のものではないのですね。

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ちょっと見えにくいかと思いますが、黄緑の部分が、最も古い時代9世紀のものと、近代のものが混在しているらしい場所、薄いピンク(回廊の内側の四角形部分になります)が、11世紀から13世紀、赤が12世紀、水色は15世紀となっていました。
というわけで、見学すべきは回廊、そしてずんぐりとした鐘楼の部分となります。

前夜、ナイトツアーをあきらめた回廊、翌日のこの日は、時間もたっぷりあるので、朝から入場して、じっくりと堪能することができました。

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見学しがいのあるボリューム感が、見て取れるような壮観な眺めですよね。正直、あり過ぎだろう、と思います。ここまであるとね、もうどうしていいかわからず、とりあえず、足が止まってしまうというか、ひるむっていうんですかね。そして、次の瞬間にはやにわに覚醒して、アワアワ脈絡もなく撮影を始めたりしてしまうわけです、毎度です。
でも、ここはある程度冷静に行かないと、何が何だか分からなくなりますから、よゐこの皆さんは、焦らず落ち着いて、取り組んでください、笑。

上の写真は、回廊という表示に従って、最初にアクセスするポイントだと思います。このころ、インスタでよく、こういう角度の写真を拝見していたもんで、まねて撮ったやつです。

時間かかっちゃうんですが、読んでます、解説。ということで、受け売りで行きますね。今回は、ロマネスク知識欲を満たす記事となります、珍しくね。

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この回廊は、当時のヨーロッパでも最大級のもの(38mx41m、回廊は5m幅)。
北西の角に、大理石の水槽も持つ泉が置かれていたが、1780年には姿を消してしまったということです。回廊には、水場がつきもので、よくあるパターンは、中央部の井戸ですね。そして、中庭は、ハーブ園などの植物栽培に使われていたのではないでしょうか。
水場は、修道院にとっても必須のアイテムですから、考えたら、そこに置かれる回廊は最重要なスペースという位置づけにもなるんでしょうかね。

それにしても、これだけ広大なスペースだと、瞑想しながら過ごす修道僧が何人いても、交差することもなく瞑想にふけることができそうです。

この回廊は11世紀のものとなっていますが、これ以前に、おそらくより小さいサイズの回廊があったということのようです。サイズが違うということは、完全にスクラップ&ビルドということなんでしょう。
石灰岩、または大理石で作られた円柱、角柱、柱頭が、ロマネスク時代のもので、その後13世紀、時代はゴシックになった頃に手が入り、レンガによるアーチ構造が作られたということです。

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この、柱頭の上の部分だと思うんですが、この際、どういう形で工事が行われたのかは不明、となっています。
もともとの構造は、おそらくレンガではなかったんでしょうけれど、でも構造的にはやはりアーチでしかありえないわけで、でも、なぜそれほど大規模な工事をしたかったんでしょうかね。
さて、その後は、近代になり、革命とか戦争の時代、宗教とは無関係な使われ方をした時代もあったそうです。硝酸工場とか、騎馬軍団の宿舎とか…。広さがよかったということなんでしょうけれど、当然そういった使い方によって、傷みが進んだということ。19世紀後半から20世紀に、それぞれ大規模な工事があり、戦後の20世紀における工事で、かなりオリジナルの姿が取り戻されて、今がある、というのが、大まかな歴史ということになります。

まずは、構造のかなめとなる、四つの角にある角柱部分から。
ここには、回廊の方に向けて、それぞれ二人ずつのペアで、使徒の姿が彫られ、計八体のフィギュアを見ることができます。

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これは、サン・アンドレア、北西角の北側にいます。そしてお隣には、サン・フィリッポ。

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御親切にも、各フィギュアの上に、ちゃんとお名前が記されているので、私でも分かるようになっているんです。見学の時に、いちいちちゃんと計算しながらとかできないもんで、あとから認識できず困ることも多くて、大いにありがたい石工さんですね。

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北東部の東を向いているこれはサン・ジャコモ、つまりサン・ヤコブさん、大きい方のヤコブです。そしてお隣はサン・ジョバンニ、つまりヨハネ。こちらは両人ともはだしで、立派なおみ足ですね。

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現地で、英文のガイドも買ったのですが、サン・ジェームスとか、サン・ジョンとかって、ちょっとなじまないですね、びっくりしちゃう。しっくりくるイタリア語を多用して申し訳ないのですが、聖人の名前って、どうしても英語読みは無理。

その昔、英国に英語を学びに行ったとき、まだイタリア語のイの字も知らない頃ですが、イタリア人のクラスメートがパオロというんで、「パオロってなんだよ、ポールだろ?パオロなんて発音するだけで気恥ずかしいわ」とか、ルチアという友人にも、ルーシーだろよ?と思ったもんですが、イタリア語になじんだ今となっては、英語発音が気恥ずかしくなるという逆転現象が起きております。不思議なもんですね。

さて、その他、東南の角には、東向きのピエトロさんと、パオロ。そして西南の角の西向きにバルトロメオ、お隣にマッテオ、というコンビでたたずんでいます。もれなく撮影したつもりでいましたが、どうやらそうでもなかったようです。

あ、バルトロメオさん、発見しました。

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とすると、お隣はマッテオさんですね。螺髪感がちょっとすごい。大きすぎてお饅頭サイズみたいになっていますが。

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この8名以外の使徒三名、については、どうやら、今は消失してしまった泉の場所に彫られていたそうです。あ、シモンは、西側の真ん中にいました。

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こう見ると、どうやら12使徒の名前もうろ覚えだな、オレ、という事実に気付かざるを得ません…。やはりもう少し聖書知識、必要ですな、反省!

えっと、使徒が置かれた順番は、マルコの福音書に出てくる順番ということになっています。伝統に従って、パオロがユダと入れ替わっているということですが、手元の聖書を調べてみても、意味が不明…。

さて、この人物フィギュア、扉の預言者たちじゃないですが、ほぼ実際の人と同じサイズとなるようです。どこもここもすごいですな、壮大で。で、私が、ちゃんとフランス語を理解できているのかどうか、若干疑問が残るところなのですが、出自は、近場にあった墓所の石棺に彫られていたもの、とあるんです。石工または工房は同じということです。
石工さんまたは工房が同じというのは、明らかですよね。
解説に指摘されていますが、誰もが、顔半分の、ほぼ横顔、右手を挙げていて、足はぶらぶらしているような様子、という同じポーズを取っています。彫りの深さは3センチか5センチ。これを浅いとするのか、深いとするのか、私などにはわかりませんが、中間的な深さのようですね。

解説では、トゥールーズのサン・セルナン教会の周歩廊の壁にはめ込まれている浮彫との共通性を指摘し、カロリングの象牙細工とか、金細工による祭壇装飾を彷彿とさせるものである、としています。
なんとなくのっぺりとした様子は、確かにサン・セルナン風ではありますが、ここのフィギュアは、それほどの装飾性を持っていませんし、全体にはあまりうなずけないような…。

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彫りは細かく、技術力はありますが、類型的な様子もあります。線もすっとシンプルだし、余計なものを排除したミニマリズムの感じで、石棺のために、もしかして量産されていたような既定のデザインのやつ?とかいう疑惑も…。

ただ、南側の真ん中に置かれた、この修道院長らしい浮彫を見ると、ちょっと似た感じも…。

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確かに共通性を感じますよ。正面向いているから、というのも大きいですが、これだけスタイルが異なるような。これは修道院長という特定のモデルがいるからですかね。やはり他は定型作品ですかね?

ひゃあ、グラン・フィナーレのモワサック、さらりと終わる予定が、なんだか半端に読み込んで、収拾つかない状態になっています。早く完了して次に行きたいのに、まだ柱頭が山ほど…。
ミラノも一気に暑さがやってきて、集中しにくい季節になってきましたのに、ふぅ。

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  1. 2021/06/13(日) 15:31:29|
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憂愁のエレミアのダンス(モワサック その3-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その104

モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。
モワサックを訪れる多くのロマネスク・ファンが、最も気にしているのは、前回紹介したタンパンではなく、そのタンパンを支える位置に置かれた人の彫像のはずで、正直、私もそっちの方でした。

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ボーリューとか、同じ構造ですよね、この大きな扉を支える真ん中の柱。ここに、彫られている彫刻が、モワサックの教会では、おそらく最も有名なもの。

扉に向かって、左側の面に、サン・パオロさん、そして、正面には、ライオンがたくさん、そして、右側が、その超有名なお方、この人です。

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写真をトリミングしているからますます長く見えますけれど、実際長いんです。こんな柱に一本彫りっていうか、スイヤックなどよりさらに印象的な彫りものになっていると思います。脚、長すぎん?西洋人全般、腰高で脚長いですけど、これはちょっと~…。
これは、旧約世界の預言者エレミアさんとされております。

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この手の、高度な技術のたまものって、もうご存じとは思いますが、私はあまり得意じゃなくて、目が離せないというような気持ちにもなれないんですが、このエレミアさんのすごいのは、とにかく保存状態、めっちゃいい。ほぼ完璧ですよ、コンディション。扉口なんて、それも、手の届き場所にあって、簡単に壊されそうな位置なのに、これはすごいです。まぁ、でかいんで、一部壊せるかと言えば、難しい話ではあるんですが。

解説には、思わずクスリとしながら同意してしまった、著者のとても主観的な文がありました。が、これ、定説なんですかね。
「交差した長い脚で、あたかも、教会からダンスのステップを踏みながら、出ようとしているように見える」。

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どうですか、踊ってますかね。
この文、私が書いたなら、いかにもって感じでしょう。でも、ちょっと変なのは、こう書きながら、そのメランコニックな表情に言及しているわけです。
「頭を傾け、長い髪、そして髭は、繊細な様子で波打ちながら垂れ下がっている。メランコニックな(おそらく、両目が、そして半分閉じられた瞼が、わずかにアシンメトリーなことが、そういうイメージを与える)視線」。
確かに、何とも言えず、憂愁漂う表情しています。なら、ダンスのステップはおかしいだろう、と。
でね、どうせおかしいなら、付け足しときたいですが、この優雅なおみ足に対して、くるんと丸めた左手は何ですか?ということです。
なんなら、えくぼとかあっても不思議じゃないようなふくよかな手の甲で、この肉付きの薄い筋肉、いや、骨と皮的な下半身に対して、えくぼの手はちょっとおかしいのじゃないか、と言いたいわけですよ。って、力を込めても仕方ないですけど。

この憂愁の表情は、無限の解釈があるそうで、エレミアさんの言葉を知らない私には、そもそも想像もできないのですが(数年前に岩波文庫のエレミア書購入済みで、先日発掘。28ページ目にしおりが挟んであったので、そこまでは読んだらしいです、数年前に…)、主な解釈としては、「キリストによる新約聖書を知ることがなかった無念さ、エルサレムで待っている不運の予兆、または、単純に、平和な教会を離れて外の世界の辛さに立ち向かう人々への同情」だそうです。

ちなみに、背中越しの反対側にいるパオロさんの表情はどうかというと。

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目がかっと開かれて、なんかすごく決然とした断固とした様子で、迷いがないです。入り口で信者を向かい入れるフィギュアとして、エレミアの憂愁は、こうなると気になります。なにを言いたかったんだろうか。

正面は、動物フィギュア盛り合わせです。

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ちなみに、人が写っているのでわかりやすいと思いますが、3.52mx0.72m、厚みが0.49mとなります。パオロやエレミアの人物像は、水色シャツのおじさんの頭の位置くらいに足があるような配置なので、ほぼ等身大といってよい大きさとなるようですね。これは大理石の一つの塊を丸彫りということらしいので、石工というより、彫刻家の仕事ですね。三面に彫るって、すごい技術だと思います。

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遠目には、羽みたいにも見えますが、これはライオンたちでした。
「雄と雌のライオンの三組のつがい、注意深い視線、そしてあえいでいる様子の口元。聖所への入り口を守る様子が明らかである」。
ナルテックスの柱を支えるライオンと同じお役目をしているのですね。

それにしても、今気づいたのですが、カップルのからみ方が、エッシャー入っていると思います。三次元なのに二次元に置き換えていて、これはすごく高度な図像なのではないでしょうか。
いろんな意味で、ここの石工さん、やはりただものではなさそうです。

この扉周辺は、かなりの数の彫り物があり、もう全部なんて、とても紹介できないので、あとは適当に行ってみます。
扉の両脇の方に、こっそりとピエトロさんがカギを大事そうに抱えています。

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ボーリューでも同じ位置にひっそりいた感じでしたよね?
対照になる位置には、預言者イザヤがいるようですが、それも同じだったかな?

あと、扉に向いてる横壁構造があって、これもボーリュー同様なんですが、ここは保存状態が、だんちがいにいいです。何で、これほどよく残っているのでしょう
か。

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上の赤で囲った部分です。
西側、上だと左側部分になると思います。

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ラザロと、腹黒い金持ちというテーマの一連の彫り物。
金持ちがアーチの下で、妻と食卓に着いています。食卓は用意され、大きなパンの塊を切り、料理を受け取っています。妻はがつがつと食べ、給仕人がワインを運びます。一方、哀れなラザロは外にいて、身体が膿でおおわれ、死にそうな状態でいます。犬が哀れに思って、ラザロの身体をなめて、慰めています。天使が、その魂を、アブラハムの胸に預けます。

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これは、その下にあったのかな。色欲で、お隣には、貪欲の視覚化があったはず。
毛深く醜い悪魔が、女性の方を向いており、その口からはヒキガエルが飛び出しています。裸の女性は、脚を交差させ、受け入れるポーズ(対照する反対側の位置に、受胎告知の聖母の像が、同じようなポーズを取っています)、同時に、苦しむジェスチャーが見られます(こぶしを握り締めている)。二匹の蛇が、その体に巻き付き、胸にかみついており、またヒキガエルが局部にかみついています。女性と悪魔の間には、イヴを誘惑したと似た蛇がいます。

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なるほど、これが対象となる受胎告知の図ですね。面白い構造になっています。解説を読まなければ、絶対に気付かないことですが、4年後に読んでもなぁ、笑。

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東側の面には、どうやら新約聖書のエピソードが彫られていたようです。

解説を読むのは、確かに面白くて、勉強になります。というわけで、本日も、フランス語を翻訳しながらだったので、えらく時間がかかって、えらく疲れてしまいました。やはり、現場でそのくらいわかると、ふんふん、と面白さが違うのだとは思います、そこまで勉強してみるのも、なんか違うような気もしますし。

解説を読んで、改めて思いましたが、聖書にかかわる内容になると、やはり聖書の内容を熟知すること、それぞれの人々の人生や思想を知ることは欠かせないわけで、そうなると、ちょっと私の方向性とは違うものとなるので、やはりそこまではいいかな、と思いました。
でも、石工さんや棟梁の思想が見える図像とか表現方法というのは、なかなか面白いので、たとえ後付であっても、やはりこうやって見返す意義は大きいです。

私の好みは、こういうやつです。

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これほどシリアスな仕事の中に、こっそり、いや、割と堂々といるんだから、本当に嬉しくなってしまいます。

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どういうバランス感覚持っているんでしょうね。

この扉口付近だけでも、相当の枚数の写真を撮影しており、それでも、細部を見だすと、全然足りない、という感覚ではあるのですが、一応解説に沿って、選んだあとで、あ、こんな写真もあった!と見つけては、入れ替えしたりなんだりで、枚数を撮れば撮るほど、まとめる作業がとんでもないことになります。
だんだん面倒になってきて、もうどうでもいいや、と端折ろうとしたんですが、でも、読み始めると、やはりついつい面白くなってきて、本日も、2時間コースでした。将来の自分にとって、面白いものになるだろう、という期待がありますが、どなたかの役にも立てば、さらに嬉しいんですけどね。どうなんだろうか。

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モワサック、まだまだ先長いです。

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またもやミトラ教への興味が…(モワサック その2-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その103

モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。
本日は、特に予定もないのにお休みを取ったので、非常に余裕があり、手持ちの資料に目を通しています。

イタリア、と聞くと、いまだの多くの日本人は、怠け者で食べることと恋愛に夢中で、みたいなイメージがあるかと思うので、ちょっと言っときますが、そのイメージって、日本イコール芸者、サムライというレベルの思い込みに近いと思います。いや、私の知っているイタリアは、主にミラノとその周辺、いわゆる北部イタリアに限るので、それ以外の地域は、若干異なる可能性はあるんですけどね。
ミラノでは、お休みがたまっちゃって、年度末にどんなに忙しくても消化せざるを得ないということは、日常茶飯事なんです。休暇取得は、従業員の権利でもあり、同時に義務でもありますので、既定の有給休暇は、なんとしても取得しなければなりません。私の場合は、年間休暇が29日ありまして、これまではため放題だったのですが、今はちゃんと取得しないと、権利消失の可能性が出てきたのです。とはいえ、今年前半は、あまりの忙しさのため、一日たりと取得できていないので、半年で29日消化しなければならず、それで、プライベートの予定がなくとも、業務上、不在でも問題ない日を優先的に休まないと、とても消化できない、ということになってしまったのです。
この辺のことは、今度まとめて書いておこうかな、と思います。日本とは制度も運用もすごく違うのですが、イタリア人のメンタル、結構日本的なものもあるということは、あまり誰も言ってくれないので…。

おっと、脱線しすぎですね。これも、余裕があるゆえんです、笑。
では、タンパンを解説付きで見ていきたいと思います。

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壮大な作品です。
タンパンが、開口部とほぼ同じ大きさありますね。サイズは、6.5mx3.5m。この大きさは、同時代のタンパンとして最大のものとされているようです(すでに消失しているクリュニーのタンパンが、ほぼ同サイズだったらしいです)。
この大きな作品は、石灰岩の23のブロックがつなぎ合わされたものということで、クローズアップすると、確かに、垂直方向のつなぎ目は、しっかりとわかります。

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いきなりディテールに入りますが、これ、アーキトレーブのすぐ上に並んでいる、長老たちの段です。
二人の長老の両脇に、縦線が見えますが、これがつなぎ目のようです。
水平方向のつなぎ目は、波型の帯装飾を置くことで、隠されています。

で、彫り物はブロックごとに工房でなされて、それを組み立てた、という形なんだそうです。
これだけの作品だと、大体そういう作りになるんですかね。フィギュアがキツキツの中にあると、彫るのも大変でしょうから、その方が細かいところまで行けるように思いますし。

こういう、作成の技術的な話というのは、実は結構好きなのですが、一般的な解説では、美術に偏ることが多くて、そういう土木技術系の話がなかなか出てこないんですよねぇ。そこまで広げられないとはいえ、石の出自とか、運搬経路とか方法とか、そういう話って、さらりとは知りたいといつも思うんですけどね。

さて、このタンパンのテーマはサン・ジョバンニ、つまりヨハネの黙示録です。全体のクローズアップはこういう様子になっています。

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で、長老がずらりと並んでいるわけなんですが、まずはここから見ていきますね。
上の全体像で見ると、下段に14人、中段に6人、そして、てっぺんに近い方に4人。左右シンメトリーな数で配置されています。

一見して、どの人物も類型的な様子ですが、実は、衣についても、態度についても、すべて微妙に異なるという、石工さんの努力が…。

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遠目では見えませんし、実際現場にいても、ここまで見えてなかったし見てなかったと思います。常にオペラグラスを持っていたはずですが、タンパンは、比較的近いので、そこで細部まで観察した記憶なくて…。
でも、こうしてみると、すごいですよね、この細かさ。
他のタンパンでもありましたが、この、まるでビザンチンの宝飾類のようなきらびやかな装飾の彫り物は、改めて驚かされます。

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それが、一人ひとり違うっていうんですから、なんというこだわり!

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長老たちは、手に、グラス、そして、ヴィエールという中世の弦楽器を持っています。これは、弓で弾くものと手回しのものがある楽器だそうです。

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手回しでどう鳴らすのか、想像もつきません。この様子では、ヴァイオリンの原型的な、弓で弾くタイプに見えますが、でも誰も弓を持ってないんですよね。

ちなみにですが、ディテールは本当にすごくて、長老が腰かけている椅子の装飾まで、こんなキラキラです。

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マージナルな部分から入りましたが、タンパン中央部のキリストに行きましょう。

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中央にキリスト、周囲に四福音書家のシンボル、そして、布をひらひらさせた二人の天使、という構図です。いわゆるアーモンドの中の玉座に腰掛けるスタイルですが、ここではアーモンドの形がはっきりとは彫られていません。解説ではバーチャルなアーモンドとあったのですが、頭の方の光背の後ろのとんがった部分だけがあるので、そこをただるように、キリストの周囲にいる四人の福音書家が、身をくねらせて、アーモンドの楕円を描くようにしている様子が、バーチャルな、ということなのかと思いました。

解説によりますと、玉座の縁取り、光背、十字架、翼などのアイテムは、全体に、かなりの浅彫りとなっているが、各フィギュアの頭部だけが、非常に深彫りとなっていて、土台から激しく飛び出しています。
正面の写真だと分かりにくいので、ちょっと横から撮ったもの。

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分かりますかね。確かに、浅彫りと深彫りが混じっていて、特に頭部については、ほとんど独立した彫刻状態になっていますよね。
長老たちは、全身がとても深く彫られていて、頭部についてもそうですが、これは飛び出し効果を狙った石工の表現ではないか、とあります。要は3D効果ということになるんでしょうかね、新しい!

そういう表現を多用しながらも、でも全体の統一感を崩さないように細心の注意が払われているとあるのは、やはり画面を埋めるための装飾性や、邪魔しないための浅彫りということになるのでしょうか。

解説で、えっと思ったのが、ミトラ教への言及です。

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キリストの右下にいるルカのシンボル雄牛ですが、この、弓なりの雄牛の様子が、ミトラ神に捧げられた雄牛を彷彿とさせるとあって、なぜいきなりミトラ神?

ミトラ教は、キリスト教前に非常に普及していたらしい、キリスト教からいえば異教、要は古代宗教の一つ、太陽信仰系のやつらしいんですが、資料が全くないのです。ローマには、主に地下に、ミトラ神殿の遺跡がいくつか残されており、私も数年前に訪ねたことがあります。確かブログにも書いたと思いますが、大変興味深いものでした。キリスト教普及のために、ミトラ信仰を利用するなど、キリスト教のうまさが見えるという意味でも面白いのですけれど…。
ただ、そういう流れから、なんとなくミトラは、イタリア半島に普及していたもの、と勝手に思い込んでいたのですが、半島のみならず、ローマ帝国内で信仰されていたということになるのですね、おそらく。
それにしても、唐突な感じで、よくわかりません。

最後にですが、前回、ライトアップの様子をアップしましたが、このタンパンが彩色されていたことは、規定事実となります。彩色跡が、一部見られます。

これだけの彫りをして、さらに彩色って無駄にも思えますが、当時、絵の具は高価なものだったと思いますから、やはりどれだけ金をかけたかが目に見える施工だったということかとも思います。ロマネスク時代の何でもかんでも、どこでもかでも彩色、というのは、そういう意味ではありえないのだと思っています。彫るのは、地元の石工さんが見よう見まねでもできるけれど、石に彩色できるような絵の具はおそらく簡単には入手できないはず。
そして往時の人にとって見れば、はっきりした色というのは、本当に高価な顔料でなければ出せなかったものと思うし、明確な色であるほど、誇らしかったのかな、と思ったり。
時代が変わるって、多分そういうことでもあって、面白いですね。

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  1. 2021/06/11(金) 11:55:07|
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まずは、観光案内です(モワサック その1-タルン・エ・ガロンヌ82)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その102

予告通り、っていうほどのもんでもないですが、いよいよこの旅の最後、フィナーレ、あれ?フィナーレって、日本語でも言いますよね?でもこれって、イタリア語ですね?
イタリア語、音楽用語にはよく使われますけど、日常的にはそんなに入ってないように思います。30年イタリア暮らしでも、日本語はちゃんとしていると思うのですが、こういうのはちょっと戸惑います。一応、辞書で調べたところ、やはり音楽用語から一般化した単語として、ちゃんと載っていました。

もとい、フィナーレ。

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モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierreです(7時-19時、回廊は9時-19時。火曜に回廊のナイト・ツアー。夏な毎日21時半から、ファサードのライティングショー)。

この町に来たのは火曜日。まさにドンピシャ、ナイトツアーのある日でした。でも、ツアー参加は断念しました。なぜかというと、ツアー開始は20時なんだけど、19時までに入っていなければならないというんです。そうすると、夕食をくいっぱぐれるリスクもあるので、各自夕食持参で、中で食べられますよ、という非常に変則的なものでした。なぜかというと、教会は、一旦19時に、閉門し、外からのアクセスができなくなるから、というある意味非常にお役所的な理由だそうです。
これが旅の始まりや途中なら、それもいいかな、と思ったかもしれませんが、なんせ、旅の最終日。サンドイッチの夕食は寂しすぎるので、移動中にランチをスキップすることはできても、これは譲れない、と断念した次第。それに、19時には行ったら、ツアーの始まる20時には、もう飽きちゃって、出たくなるに決まっていますしね、フランス語の解説聞くのも辛いし。
ナイトツアーなら、いずれにしても、もう少し日が落ちてから、薄暮の中、いや、むしろ、暗闇の回廊に憧れます。

この修道院教会、実に立派ですし、ロマネスク的な見所も数多くあり、現場でもアワアワしてしまうタイプであり、今、写真を見返していても、うわ~、どっから始める?と戸惑う有様です。
大きなポイントは、メインの扉周辺、そして、回廊となります。

自分がこの町に到着したのは、夕食前の時間です。まだ教会は開いており、併設のインフォメーション及びブックショップも開いていたので、情報収集から開始。そこで、先述の、ナイトツアーの情報などを得て、見学方針を決めたのです。
細かい見学は、翌日、たっぷり時間がありますので、この日は、夜間のライトアップショーが、自分にとってのメインでした。

というわけで、いきなり観光的なスタートです。

前回の記事で、夕食のことを書きましたが、夕食は、教会が正面に見えるような位置にあるレストランのテラス席でいただきました。教会を見ながらの、至福のカモ肉と赤ワイン、というわけです。
で、ゆっくり目にいただき、ショーの頃に、教会近くに移動する、という戦略を立てました。見事、予定通りな時間配分で、お会計あたりで、音響調整が始まり、ファサード近くのベンチに移動できました。

お食事を始めたころは、まだ昼日中状態の太陽光でしたが、ショーの時間には、このくらいの暮れ方。

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濃紺、美しい空の色です。
で、このようにファサードの彫り物に、オリジナルはこんなだったはずです、という彩色の様子が、ライトアップで表現されるってやつです。

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これ、チヴィダーレのロンゴバルドの祭壇でも、同じような感じの仕掛けになっていましたけど、こちらは数倍の大規模。でも内容は一緒です。

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毎度驚かされますねぇ。
祭壇レベルなら、実際にフレスコ画が残っているものもありますし、スペースが限られている分、想像もつきやすいのですが、タンパンのように、構造に組み込まれているその一部だけが、このように激しく彩色されていて、周囲は、石色、というのが、非常に想像を難しくする感じです。

中国や日本の寺院のように、外壁含む全体を漆喰塗して、とにかく木を塗りこめるという発想の方が、バランス的には分かりやすいっていうか。

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それも、色がかなり激しいです。
キリストは黄色の衣で、福音書家本体が赤って、ちょっとすごいんですけど。

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ただ暗闇の中では、彩色があると、彫りの内容が見えやすい、というのは経験しているので、彩色の意図はよくわかりますし、より激しい色の方が、より暗闇で浮かび上がるのだろうな、と想像はできます。
松明やランプをもって見上げたら、これほどはっきりではなくとも、キリストだなぁ、福音書家だなぁ、ということが分かるくらいには、見えたのではないかと思います。

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他の部分も見ながら、夕食後のお散歩。
ヘンリー・ムーア的な人影もライトアップになってて、なんだかかわいらしい。

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ということで、次回から本格的に、ガイド本を読んでみましょうかね(←面倒な様子がにじみ出ていますけど)。

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スイヤックとモワサックのホテルと食レポ (番外その4)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、番外その4

そろそろ終了も近いので、最後の方のホテルを記録しておこうと思います。

まずは、在フランスの友人たちとランデブーしたスイヤックです。ここは、中堅どころの町ですが、適当なホテルが結構あったように記憶しています。

Grand Hotel de Souillac
1 Allee de Verninac, Souillac

目的地の教会へも徒歩2分くらいの場所で、周辺にレストランも多く、まぁまぁ便のいい安宿でした。部屋の様子とかは覚えていませんが、特筆すべきものもなかったかと。
ただ、車旅の場合、事前に駐車のことは確認しますが、ここは、駐車できるという話だったはずなんですよね。しかし、ホテルの住所をナビに入れて、そのまま素直に行ってみたら、確かホテルの道は抜けられないような小路だったのではなかったか。ホテルの人に聞いて、ちょっと離れたところに無料の公共駐車場があるから、ということで、結局そこまで車をもっていって、という面倒があったと記憶しています。徒歩でも5分程度の距離でしたけど、でも、ホテルの気持ちもわかりますが、もうちょっと正確に情報を記載してほしいもんです。
運転がうまくて、多少の移動などまったく問題のない運転上級者は、そういうこと気にしないんでしょうけど、もう私など、予期しないことがあるとそれだけでアセアセしちゃうタイプなんで、抜けられない狭い道とか、勘弁願いたいです。

ここに宿泊した時は、フランス語堪能な友人と夕食をご一緒したので、ストレスフリーで、地元料理を楽しめました。

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Le Beffroi
6 Place Saint-Martin, Souillac

結構高級ホテルっぽいやつの前にある小さなレストランでした。例によって、名前など控えてないので、グーグルマップで探してみたんですが、ストリートビューでは、この、テラス席は空っぽのスペースになっていて、看板とかも見当たらず。ストリートビュー、Covid下に、結構撮影を行ったとか聞いたことがあるように思いますが、今は元気に営業再開されていることを祈らずにはおれません。

ここでは、フランスらしく、そしてこの辺りでも名物らしいので、カモを堪能しましたよ。

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メニューを頼んだと思います。前菜とメイン、チーズ、デザートで28.50ユーロと記してありますから、そうだったのかな。夕食については、イタリアよりもずいぶん割安感があります。イタリアでは、メニューという習慣はほとんどないですし、席料だなんだで、お会計になると、なんだかすごく膨れ上がりますが、フランスはメニューに載っている金額ぽっきりだし、お水も大抵は無料の水道水で行けますから、お得感あります。

前菜は、フォアグラです。
フォアグラは、イタリアでは、焼いたものしかいただいたことなかったので、なんかレバーソテー的なイメージだったのですが、フランスではこういうテリーヌ的な?半生タイプ。レバーも好きな私は、フォアグラも大好きです。めったにいただけませんけれども。
付け合わせのサラダに、カモのハムがのってましたが、これもおいしい。かも、イタリアでは、あまり見かけませんが、逆に日本ではカモって普通に食べますよね。地元近所の、結構ダサい庶民スーパーにでさえ、カモの燻製ハムみたいのありましたんで、びっくりでした。蕎麦屋でもカモは絶対使うし、カモって、日本でも身近だったということですね。
で、フランス行くようになってから、自分がカモ好きだって知ったんです、オレ。

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メインはカモのオレンジ煮。
フォアグラって、アヒルのイメージでしたけど、カモも何ですね。考えたら、アヒルは、家鴨と書きますから、カモを家畜化したものという位置にいるのでしょうか。見た目はずいぶん違うような気がするんですけど。

このお皿、見た目は、どさどさのイタリアっぽさがあり、フランスにしては、かなり家庭的な盛り付け。でも、ちゃんと付け合わせがあるのが、フランスですね。この辺りもリーズナブルな理由です。イタリアは、肉なら肉だけがお皿に乗っていて、付け合わせは別に頼む、というタイプがいまだに多いですからね。

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チーズは、ロカマドゥール産。わたしが食べられるやつでした。デザートはソルベでした。

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そして、ワインはカオールの赤。これは、昔誰かのエッセイに出てきて、それ以来、なんか「カオールの赤」というのが、ちょっとした遠い憧れみたいな響きを持って、私の中に住んでいたんです。
誰ですかねぇ。イタリアに住む前のような気がするので、向田邦子か、檀一雄か…。

さて、そして、最後の日に泊ったのは、かなりしょぼい宿です。

Hotel Le Luxembourg
2 Avenue Pierre Chabrie, Moissac

お値段レベルは、スイヤックのホテルと同程度なんですが、まるで簡易宿泊所のようなホテルでした。到着と同時に、支払いを求められたりして。でも、車は周辺に駐車し放題だし、受付のお兄ちゃんは英語堪能だし、必要なことはしてくれて、不足はなかったので、特に文句もなく。

この日は、目的の教会のナイトツアーへの参加も視野には入れていたのですが、最後の晩餐が勝ちまして、町の中心に数軒並んでいるレストランのメニューを検討して、前夜と重ならないような内容のメニューを選択。

こちらは、写真では特定できるものがなかったので、定かではないのですが、多分ここではないかと思います。

Le Flore
4 Rue de la Republique, Moissac

フォアグラをリピートするのも、ちょっと違うなぁ、と感じたので、前菜は、イタリアでおなじみの生ハムメロンにしてしまいました。

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なんか、イタリアではありえない盛り方です。おしゃれというのか、生ハム、少ないんじゃね?というのか…笑。パプリカだかなんだか、赤い粉がかかっているのも、え?です。
そいから、メインは、またカモ。

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カモのコンフィというやつです。
これは、硬くて、今一つでしたが、味はカモ肉なんで、おいしいのはおいしかったです。メニューも、フォアグラなしなので、19ユーロとかだったと思います。
お店の女の子が、少しイタリア語を話す子で、私がイタリア語スピーカーなのがすぐにばれてしまい、フランス語会話は成り立たず。
自分の得意な言葉が通じるのは、実際的でありがたいことではあるのですが、余裕のある時には、フランス語使いたいんですが、色々難しいですね。そんなわけで、フランス語は、いくらフランス行っても、会話できるチャンスが極端に(イタリアを旅行してイタリア語を使わなければいけない状況に比べると、という比較です)少ないので、なかなか実践で上達するのが難しいです。特に、初心者の場合ですね。

そして、そうこうしているうちに、まったく勉強しなくなってしまったんで、まったく忘れました。今、ブログのおかげで、時々フランス語を読むので、ほんのわずか覚えていることはありますから、ゼロではないと安堵する気持ちもあるのですが、限りなくゼロに近いです。残念。

番外編も、無事終了です。
グランド・フィナーレ、モワサックの記事、お楽しみに。

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  1. 2021/06/05(土) 11:57:17|
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ミラノのワクチン接種事情

唐突ですが、数日前に、ワクチン接種してきました。

当日問診を受けるまでは、どのメーカーのワクチンになるか分からないため、ドキドキでした。イタリアでは、ファイザー、アストラゼネカ、モデルナ、そしてつい最近ジョンソンエンドジョンソンも使用開始されています。
結果的にはファイザーとなり、正直、できればアストラゼネカは避けたいと思っていたので、良かったです。

それにしても問診では、「僕はね、感染が専門でね、このCovidの前にはAIDSの時も大忙しでね」「お、日本人ですか。実は僕の息子は日本が大好きで和食が大好きで、とうとう和食レストランをオープンしちゃったんですよ」「え?レストランの名前ですが。でもここで言うと、宣伝になっちゃうし、それは勘弁してください」「あ、乾杯というんですけどね(なんだかんだ言って、告白)。いや宣伝になっちゃうんで、聞かなかったことにしてくださいね」の挙句に、「あなたは息子と同じ40歳ですね」という流れからのファイザーアサイン。
違います、私40歳じゃないです(もっとずっと年寄りです、笑)、といったときには、すでに問診票に、ファイザーと書かれていました。
いや、その前に、医師の自分語りの合間に、いくつか質問を受けて、原因不明のアレルギーがまれに起こる、という話はしていたので、そっちがファイザーアサインの要因かもしれないんですが、どっちかというと、息子と同年代、という流れだったように感じました。イタリアでは、私の年は、アストラゼネカの確率が結構高いはずなのです。

そんな感じで、問診は、非常にイタリア的だったのですが、会場のオーガナイズは、ある意味、イタリア的な印象からはかけ離れた完璧さで、とても感心してしまいました。
予約についても、よくできたオンラインアプリで、あっという間にできたのですが、もともとオンライン化が進んでいる国なので、そこはあまり驚かなかったのですが、窓口系の業務については、必ずしもうまく回る国ではないので、どうかと思っていましたが…。
アポは9時でしたが、用心して30分ほど前に到着したところ、サクサク流れて、8時50分過ぎには、すべて終了して、接種後の休憩時間に入っていたのです。待ち時間は、最初に呼ばれるまでの3分ほど、その後問診に移るまでの1、2分程度でした。
その上、現場にいたスタッフが、誘導の人も注射する人も、全員がすごく優しくて感じがよくて、一体ここはどこ?と思ってしまうような和やかな雰囲気に満ち満ちていたことにも、感心しました。

ちなみにですが、これはイタリアだけではないと思いますが、ワクチン接種についての是非はありません。接種しないと、夏休みの旅に支障が出る可能性が高いため(接種証明がないと、ホテル宿泊不可や各種施設入場不可があり得る)、老若男女、積極的に摂取しているのが現状です。

接種後ですが、半日ほどたったころから、接種した腕が筋肉痛の症状があり、夜にはわずかに発熱がありました。でも、平熱36度のところ36.7度ですから、微熱も微熱。筋肉痛は、夜には結構激しいレベルの筋肉痛になりましたが、あくまで筋肉痛の域は出ていないので、特段のこともなく。翌日も、筋肉痛の症状は続きましたが、午後にはほぼ消えていた状態です。
二回目の方が、副反応は強く出るケースが多いようですが、個人差が大きいようなので、あまり心配はしていません。実際、自分の周囲では、各メーカー接種者がいますが、これまでのところ、副反応が辛かったというのは、一人だけです。

正直、解放感を感じます。海外への移動も視野に入ってきましたし、国レベルでも制限が、徐々に緩和されていて。
ただ一方で、在宅勤務の意味がなくなるので、遅くとも夏休み明けの9月には、通勤に戻るという方向性が見えてきて、これは、恐怖です。今更通勤とか無理…、勘弁して…、という気持ちでいっぱいです。
在宅でも回ることはわかったのですから、将来的には、通勤と在宅、半々みたいになるといいなぁと思うのですけれどもね。

ということで、夏休みの計画、本格的に始めないと。

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