2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その18
サンタ・マリア・マッジョーレからかなり近所に、これまで気に留めたこともない教会、ピックアップしていました。古い時代のフレスコ画があるという情報を得たからなんです。
サン・シルベストロ・エ・サン・マルティーノ・アイ・モンティ教会Basilica di San Silvestro e San Martino ai Monti(8-12/16-19)。ここも早起きな教会です。
そうそう、ここもファサードでひるんではいけないやつです、笑。
とはいえ、中に入ると…。
こりゃあかんやろ?ってやつでした。
残念ながら、目的のものは、絶賛工事中、涙。
さすが、世界の観光地ローマで、工事の案内までイタリア語英語二か国語表記ですよ。悪いけど、この教会に観光で来る人は、ほとんどいないと思うんですけど、親切ですね。
ちなみに、訪れたのは、2017年12月頭ですが、見学再開予定は2017年12月20日となっていました。日付まで限定していますが、この時の様子では、とても2週間ほどで再開できそうな様子はなかったです。
右側の身廊全部に鉄骨骨組みがあって、ファサード前も、掘りまくり。
身廊の外側部分まで鉄骨建ってました。
地下に何があるかというと、ローマ時代の住居跡と、3世紀の教会があるとありました。わたし的には現在の教会のもととなって古い神殿または前身の教会跡があり、そこにフレスコ画がある、というように考えていたわけですが、ローマのドムスの方のフレスコ画の可能性もありそうです。
現地には、こんな写真が置かれていました。
創建当初は、多くの無名の殉教者を祭る礼拝堂で、どうやらその当時の遺構が地下にあり、今の教会のクリプタという位置付けになっているというようです。
ネット検索してみると、いくつかサイトも出てきますので、今は無事修復も終了して、訪問可能なようです。が、フレスコ画は、ほとんどなさそうでした。
ローマっぽい薄いレンガの積み上げられた建物となっており、装飾系は限りなく少なそうなので、ローマを偲ぶタイムマシン的なクリプタ、ということかと思います。
いずれにしても、将来的にローマに行く際には、ちゃんと訪ねてみたいと思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
2021/08/29(日) 12:10:47 |
ローマの中世
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その17
ローマって、すっごい観光都市なわけですが、同時に、すっごい宗教都市でもあるんですな。バチカンのおひざ元だし、当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。
だからってこともないのか、だからなのか、勤勉な教会比率が高いような、というより、教会が多すぎるのか、おそらく。
何が言いたいかというと、6時から開けられていたりする教会が、結構あるんですよ。
そんなわけで、早朝に訪ねたのがこちら。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会Basilica di Santa Maria Maggioreです。
見るからに敬遠しちゃいそうなやつですが、ローマに関しては、とにかく入ってみないことには、判断できないんで、簡単に敬遠しちゃいけないんですよ。
こんな状態。
全体がキラキラしていて、ちょっと~、これはやはりタイプではないでしょう~と思われそうですが、モザイクラバーの方は、ポイントだけを見るようにしてくださるとよいのです。
それが、下になりますよ。
1.後陣、2.勝利のアーチ、3.中央身廊の側廊との区切り壁の上部
後陣は、例によって、ごてごてと装飾過多なチボリオに遮られて、正面から全体を眺めることができず、これは非常に残念な状態です。横の方から見学及び撮影せざるを得ず、どうしてもゆがんでしまいます。
さて、こちらでは聖母の戴冠が、キラキラの黄金背景で描かれています。
聖母とキリストが大きな玉座に腰掛けていますが、その椅子は、オリエントのテイスト。足元には、月と太陽、天使の合唱している様子。左側の方に、サン・ピエトロ、サン・パオロ、サン・フランチェスコ、法王ニッコロ4世(写真では撮れていません…)、右には、洗礼者ヨハネ、福音書家ヨハネ、サンタントニオ、寄進者コロンナ司教(この方は、聖人に比べて、半分くらいのサイズですね、ひっそりと。とはいえ、寄進者をきちんと入れるところが、やはりビザンチンって感じになるのかな)。
下の段には、マリアの一生が並べて描かれているようです。
個人的には、月と太陽の様子、結構好きかも。
太陽はプラズマ爆発してる様子だし、月にはちゃんと影が表されています。ウサギさんではなさそうだけど…。当時から、ちゃんと天文研究している人たちはいたし、地球が丸いことは、自明の理って感じだったらしいですよね。
知識というものは、古代から宗教発というところがあると思いますが、キリスト教にしてもイスラム教にしても、長きにわたり多くの知を蓄積してきて、でも同時にファナティックな科学的根拠を伴わない愚行も多くやってきて、考えたら矛盾した世界でもありますね~。
上で上げた2の勝利のアーチですけれど、ここは、四つの段から構成されています。
といっても、ほとんどちゃんと撮影してないのが、ちょっと~。
この教会は、それこそ、何度か分からないくらいたくさんの数、訪ねては来ているのですが、実は、ちゃんとモザイクを見たことなかったんですよね。大抵いつも暗くて、見えにくい、ということもありましたし、全体のバロック系の装飾過多で、一気にうんざりして、まじめに見学する姿勢に欠けていたっていうのかな。特に、身廊上のモザイクなんて、この時まで気付いていない有様です…。
でも、せっかく解説を読んでみたので、記しておきたいと思います。
「上部の左から、受胎告知、ここでマリアは、ローマのお姫様のような衣装を身に着けている。ジュゼッペへのお告げ、マギの贈り物、幼児虐殺。この部分で注目すべきは、他の女性に背を向け青いマントをつけているフィギュアだろう。それは、サンタ・エリザベッタで、腕に抱いたサン・ジョバンニと逃げる場面。
右には、神殿の奉献、エジプト逃避、など。最後の場面は、マギ。
アーチの根元には、ベツレヘムとエルサレムが置かれている。ベツレヘムが、キリストが生まれその最初のエピファニアを迎えた町なら、エルサレムは、キリストが死に、そして復活した町」。
上の写真の一番下の方にあるのが、エルサレムと書かれているようなので、下のが、ベツレヘムと思われます。
ぱっと見、後陣モザイクと、ちょっとテイストが違うようです。解説にも言及がある通り、こちらは、当地在住の職人さんたちがメインで作られたモザイク、という可能性がありますよね。ついローマ風の衣装を着せてしまうなどは、フレスコ画でもそうですが、現地の職人さんたちがやってしまうことだと思います。一方で、後陣の黄金のモザイクは、ビザンチン直の職人さん作、ということになるのかと。
そして、3の側壁上部ですが、この位置、ラベンナのサンタッポリナーレでしたか、同様に並んでいましたよね。それも内容が面白いのに、遠すぎてよく見えないのも同様、笑。
内容は、旧約聖書の四つのストーリーを描いたもので、アブラハム、ジャコッベ、モーゼ、ジョスエそれぞれの生涯が、時系列無視で物語られているようです。
訪問時、オペラグラスは持っていたので、時間の許す限り一枚一枚を見ていきましたが、暗いし、なかなか厳しい見学でした。じっくりと構えて撮影すれば、それなりには撮れたのですが、見ることを優先したため、結果的にはほとんどブレブレですし、内容は不明です。
上記した四名の人生をたどっていると、これはあれだな、ってわかるのでしょうけど、とてもとても。
左壁の勝利のアーチの近くから開始、Melchisedekの犠牲から描かれている、と解説にありましたが、そもそもそのエピソード知らないし、笑。時系列無視のため、その次に、この何とかの犠牲よりも古い時代の、アブラハムの人生が描かれているということ。時系列無視、ますます解読が難しいですね。
ちなみに、この部分も、勝利とアーチ同様、ローマテイスト爆発ということで、確かに、ローマっぽいです。
次回があれば、強力なヘッドランプ持参して行きたいと思います。
床は、13世紀のコズマ―ティということです。
デザイン的で、とても素敵な幾何学模様です。やはりコズマ―ティだと、新しいですね、保存状態も良好。
最後にですが、ここは、ローマにある四つの法王直轄教会の一つで、唯一、その初期キリスト教時代の構造をそのまま残しています。伝説によれば、聖母その人が、この場所に建てろ、というお告げをしたことにより、創建されたとか。
といっても、創建時の建物については、現在、何らの遺構も残されていません。地下部分を発掘した際に、ローマ時代の壁の一部などが出てきたそうで、それらはどこぞの博物館に収められているようですが、建物は痕跡なし。
ロマネスク様式の鐘楼は、高さが75メートルあり、ローマで一番ののっぽさんだそうです。
今回、日暮れ時にも通ったので、夜景。
ローマ一のっぽな鐘楼へのライトアップは、まるでシンデレラ城みたいで、大きな広場に面して、全体を眺めることがでいるため、すごいランドマークになっていました。
そういえば、当時はテロがお盛んだったので、入場はカバンと身体検査で、結構めんどうだったのを思い出します。テロが静まったと思ったらコロナで、やはり行動制限。もうそういう世の中になってしまったんだなぁ。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/29(日) 11:12:39 |
ローマの中世
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その16
サンタ・プラッセーデ教会Basilica di Santa Prassede、続きです。
本堂の後陣や、それに続くアーチのモザイクもそりゃすごいんですが、もう一つ必見のモザイクがあります。ここは何度訪ねても、何度でも感動してしまえる場所の一つなんで、やっぱり改めてアップしておこうと思った次第。
サン・ゼノーネ礼拝堂Il Sacello di San Zenone。後陣向かって右側、入り口のすぐ近くにある礼拝堂です。
ローマにおけるビザンチン遺構の中でも、最も重要とされている場所の一つです。殉教者であるゼノーネさんに捧げられた礼拝堂ですが、その内壁のすべてに、きらめくような美しいモザイクが施され、「天国の庭」とも評されているとか。
こじんまりとした空間に合わせて、他の場所でも表されている同じテーマが、小ぶりな様子で見られます。その上、場所が小さいために、距離感が圧倒的に近いので、逆に迫力があります。
この、天球のキリストを持ち上げる天使たちの図も、すぐ頭上で、鮮やかな水色やきらめく黄金がふりそぞいてくる気持ちになりますよ。
この礼拝堂は、パスクワーレ1世が、9世紀に、その母親テオドラを偲んで作り、サン・ゼノーネに捧げたものです。
サン・ゼノーネに関しては、ほとんど資料がないようで、レリックが収められているのかどうかなどの基本的なことも分からないようです。
トップの写真は、本堂側の入り口上に置かれたモザイク。開口部を取り巻くような帯の中央には聖母子が置かれ、その両隣は、サン・ヴァレンティーノとサン・ゼノーネとされています。その他も聖人と考えられますが、どなたかは特定できないようです。
その上には、祝福するキリスト、両脇には十二使徒が並んでいます。
上部角に置かれたお顔は、おそらくモーゼとエリア、下部の角にはパスクワーレI世と、その後継者エウジェニオII世ではないか、とされています。
礼拝堂内部に入ると、壁の上部から天井すべてが、素晴らしいモザイクでおおわれており、我を忘れるほどです。数度訪れているので、もはや気持ちの準備ができていますから、落ち着いて撮影できるようになりましたけれど、その美しさに呆然とする気持ちは、相変わらずです。
ここは、テーマがどうの、誰がいるのではなく、ただその美しさ、そしてこれほどの保存状態で残されている事実への感謝、そんな気持ちで楽しむことを優先するべき場所ではないかと思います。
ここだけではないのですが、ローマには、ビザンチン系の中世モザイクが実はたくさんあるのです。2009年に、初めてローマの中世を歩いた時、とても驚いたんですよね。イタリアにおけるビザンチン・モザイクは、まずラベンナであり、そしてシチリア、という知識しかなかったのです、当時。
ローマは何度も訪ねていますが、どうしても帝国遺構の見学に偏り、中世的な視点は、まったく欠けていましたからね。
実際は、少なくとも私にとっては、ラベンナの次に来るモザイクはローマとなりました。シチリアのモザイクは、黄金がすごいし、規模の大きな教会に施されているためにインパクトはあるのですが、描かれている内容は聖書エピソードで、ほとんどの場合、斬新さはなくて形式的な内容になっているんですよね。唯一の例外がルッジェーロ宮のモザイクだと思います。
ローマのモザイクは、非常にラベンナを彷彿とさせるものが多く、装飾的なモチーフにも凝っていて、面白さがあります。
ただ、ローマはラベンナの何倍も広くて、教会が点在しているので、すべてを見学するのは、なかなか骨が折れます。
でも本当に価値があるので、帝国だけでなく、中世的な観光がもうちょっとフューチャーされるといいなぁ、と思います。
祭壇上のニッチには、モザイクによる聖母子がありまず。
これだけ、他とはちょっとテイストが違うので、職人や時代が違うように思います。新しいのかな。テッセラもやけになめらかですよね。
そして、ここに来ると上ばかり見てしまうので、この時も一切撮影していませんが、この礼拝堂の床は、古い時代の多色大理石による床モザイクとなっています。
コズマ―ティではなく、もっと古い時代のもの。
今回、カンパニアのとある教会で親切にガイドをしてくださった方が、コズマ―ティが有名になってから、床モザイクは何でもかんでもコズマ―ティにされてしまうことに憤っていらっしゃいましたが、同感です。というか、私も、コズマ一家の活躍を知ってから、それまでとそれ以降の区分けが付きにくくなって、コズマ的床モザイクを見ると、反射的にコズマ―ティと思ってしまう癖がついてしまっていたんですよね。例えば、ベネチアの古い教会も、床モザイクすごいんですけど、あれは、コズマ以前の時代ですから、コズマ、まったく関係ないんですけどね。
そんなことも、ある意味ローマの中世を彩るお話。本当に邪険にされていますけれど、ローマの中世は学ぶ価値あると思っています。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/28(土) 10:11:29 |
ローマの中世
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その15
今回は、前回の記事で紹介したプデンツィアーナさんの姉妹であるプラッセーデちゃんに捧げられた教会再訪です。
サンタ・プラッセーデ教会Basilica di Santa Prassede(7-12/16-18;30)です。
相変わらず、へ?どこが教会?と目が点になるような入り口となりますね、笑。初めて来たときは、本当にびっくりしました。
それなのに、入ったらいきなりこれですからね。
ここでたまげない人はいないでしょう。
そして、モザイクラヴァ―は、絶対に訪ねるべき教会です。
どっちが姉で妹か分からないんですけど、イタリア語、いや、英語でも他の欧州原語でも、日本語のように、兄弟の順が簡単に分かるようになってる言葉って、多分ないですよね?兄弟(Fratelli)と姉妹(Sorelle)という言葉はあっても、兄、弟、姉、妹、という一語は不在。
イメージとしては、プデンツィアーナが姉で、こちらが妹。調べればわかるでしょうが、そういうイメージです。
いずれにしても、同時代に生きた二人ですが、こちらの教会は、5世紀にプラッセーデさんに捧げられた礼拝堂かなんかがあった場所に、9世紀にたてられた教会ということで、サン・プデンツィアーナより創建は後となるようです。
でも、後代の手がかなり入っているので、構造的なアイテムもオリジナルとはずいぶんと変わってしまっているようです。例えば、創建時は12本の円柱だったのが、今は半分は角柱になっているとか、そういうところ。
ここはモザイクがすごいんで、この時などは上ばっかり見てしまってうっかりしましたが、例のコズマさんの床モザイクなども、創建よりは後に施された装飾だと思います(下の写真は、2009年訪問時のもの)。
多分、この一番手前にあるモザイクの大きな円形の場所(赤紫の蛇紋岩が使われている)が、伝説に出てくる井戸の場所かと思います。伝説では、まだキリスト教が迫害されていた時代に、殉教者の遺骸を、家の敷地にある井戸に葬ったことにより、姉妹ともども殺されたということになっています。
その姉妹は、後陣に置かれたモザイクで、キリストの両脇に描かれています。
それぞれが、ピエトロさんとパオロさんに肩を抱かれて励まされているような様子に見えますが、さて、どっちがどっちか分かりますでしょうか。
左側にいるのがピエトロさんで、プラッセーデさんをお隣にしているようです。
こっちがパオロさんとプデンツィアーナさんかなぁと思うんですが、どうでしょうか。
なんか、プラッセーデちゃんは、木っとしたとっても意志が強い様子で、一方プデンツィアーナさんは、ホンワカした様子で、お二方全然タイプ違う感じ。やっぱり気の強そうなプラッセーデちゃんが妹ってきがします。
クリプタは墓所となっており、今もこの二人の姉妹の遺骸が葬られているようですが、アクセスはできなかったと思います。そっか、これまで知らなかったけど、今でもそこに眠っているって、なんかすごいですね。
モザイクは重層的な装飾で、実際これでもか状態。明りがともっても、ちょっと薄暗い教会なので、雰囲気は抜群ですが、モザイクの細部を見るのは大変です。首もきついですし、笑。今愛用しているヘッドランプをもって、是非再訪したいところですが、明り代を徴収する教会だし、常に係員がいるし、観光客も多いので、怒られるかもしれませんね。
後陣につながるアーチ部分と、その手前にあるいわゆる勝利のアーチの部分に、細かいモザイクがあります。どちらも、黙示録をテーマにした内容となっています。
後陣の方には、例によって、老人がずらりです。
左右にきっちり12人ずつ、ぎちぎちに並んでいます。
勝利のアーチの方は、こんな感じ。
細かい装飾的な部分も、人の顔の部分も、大変繊細で、よくぞここまで残ってくれた、と感涙です。
天国を表すアイテムは、いつも赤いポピーのような花ですね。これは、ビザンチンから来ているということなのかな。
それにしても、このテッセラの細かさが分かってもらえるでしょうか。
絵を囲む装飾的な帯の宝石っぽいアイテムとか、人々の衣装の華やかな装飾とか、実にビザンチンだし、市気合も豊かならキラキラ感が半端なし。モザイクは、大変な仕事ですから、お金もかかるもので、誰でもどこでもできたわけではなく、ビザンチンでも、多くの教会はフレスコ画になってしまった中で、イタリアでは、ラベンナがあり、シチリアがあり、そしてローマがあり、モザイク好きにはたまらないことです。
数年前にテッサロニキに行きましたが、このレベルでのモザイクが残っている教会はなく、モザイク世界で一番に来るのはラベンナのようでしたから、実際、本場よりもこっち、という状況なのかもしれません。すごいですよねぇ。
そして、モザイクの人物って、なんかイケメン率が高いんですよ!
ビザンチンの人々って、もしかして当時では、今のイケメン基準の人が多かったということ?みんな彫りが深くて、エキゾチックな様子っていうのか…。地中海世界で結構混血していたとかいうことがあるのかしら。
なんか、とても下世話ですみませんが、イケメン傾向は、テッサロニキのモザイクでも確認済みです、笑。
というわけで、ちょっとサンタ・プラッセーデ、もう一度続きます。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/27(金) 18:28:26 |
ローマの中世
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その14
久しぶりにロマネスクに戻ります。ローマは、長い歴史を反映して、様々な時代の様々なものがありますから、どうしてもごたまぜになってしまいます。永遠の都は、歴史のおもちゃ箱みたいなとこありますね。
MAXXIの後、もう暗くなってはいましたが、ホテルへの帰り道でもあるので、こちら、再訪しました。
サンタ・プデンツィアーナ教会Basilica di Santa Pudenzianaです。
以前訪ねたときは、本堂に入ることがかなわなかったのですが、後陣のモザイクが見たい一心で、再訪したのです。幸い、ミサの直後で、明り付きというおまけで、ラッキーな訪問となりました。
明りを見た途端、超急ぎ足で、飛び込みました。
わき目も降らず、後陣目指して突進です。信者さんがすべてはけていてよかった~。
かなり細かいテッセラの細密系モザイクでした。すっごく細かいから、この距離で見たら、ほとんどモザイクというよりは絵画に近い印象です。これは中世というよりは、もうかなり早い時期、初期キリスト教的な様子ですよね。ここまで絵画的だと、私の好みからは外れる感じです。
今年の干支ということもありますので、ルカさんをクローズアップしてみました。
ね、これだけアップしても、モザイク感、あまりないし、表現力的にもほぼ絵画だと思いませんか。
この十字架で、やっとモザイク感が感じられますかね。
以前訪ねた時の記事は、ほとんど何もうんちくを語っていないので、ちょっとだけ(以前はホームページがあったので、そちらには結構ちゃんと調べたことを書いたとは思うのですが、亡くなっちゃったので…)。
この教会、ローマでは最も古い時期に創建された教会の一つで、もともとプデンツァさんというローマ帝国の議員さんのご自宅だった場所にあります。プデンツァさんは、なんと、あのピエトロさんとパオロさんのサポートを受けて、キリスト教に改宗したということで、キリスト教の初期も初期の信者さんということになります。
もとがご自宅ということなので、地下には、ローマの住居跡がしっかりあるそうなのですが、どこまで発掘されているのか不明ですし、いずれにしても訪問は不可となっています。
後陣のモザイクは、2000年に修復が施されたということなので、それで、この完璧な状態になっているのでしょうかね。以前は8世紀から9世紀のものとされていたそうですが、近年の研究により、410年から417年に作られたもの、と確定されたそうです。どう見たって最初の説、間違ってますよね。一見して、8世紀とかそういう時代とは思えないです。まだローマを引きずっているテイストですもんねぇ。
定説が後代にひっくり返されることもあるわけですから、浅学の私が学説に違和感を感じることが、意外と当たっていることだってあるのかもしれませんよね、笑。古い時代のものは、学説をうのみにしてはいけないという教訓ですね。
その年代特定からいうと、まあにローマ略奪のあった直後に作られたもの。間違いなきよう、改めて「世界史用語集」を確認しておきますと、西ゴート王のアラリックが各地を荒らしながらローマまでやってきて、一時期ローマを占領略奪したのが、歴史上の事件ローマの略奪Sacco di Romaです。そっか、アラリックって、西ゴートの王様だったんだね、今更ですが。
その混乱の戦乱状態の中、当時の法王が、これを作ることで、キリスト教信仰を支えにしようとしたということらしいです。
モザイクは、8世紀から9世紀、その後の時代に多く作られたビザンチン系モザイクのお手本になりましたとさ。キリストを全能者として、その周囲に聖人、四人の福音書家、黙示録の関係者をちりばめるという図像がそうらしいです。
結構ちゃんと説明してくれるサイト見つけちゃったので、図像を見てみますと、キリストの背後に描かれた岩山は、ゴルゴダの丘を表して、その上に、黄金の十字架が置かれていますが、このタイプの十字架がモザイクでなされた最初の例ということです。この後の時代に、ラベンナのサンタポッリナーレSant’Apollinareにコピーされた、とあります。
これがゴルゴダの丘だとすると、キリストの後ろに描かれた町はエルサレムということになります。
両脇で、向かって右側のピエトロさん及び左にいるパオロさんに冠をかぶせようとしている二人の女性は。後代には、サンタ・プデンツィアーナとサンタ・プラッセーデ(後者についてh、他記事で言及します)と考えられていたようですが、これは勝利の具現化した姿として描かれているものということで、冠は月桂樹の葉っぱで作られたもの。
この程度でよろしいでしょうかね。ちょっと疲れました、笑。
それにしても、明りが煌々とともっていたのは、実にラッキーでした。突進したおかげで、撮影もばっちりでしたが、すぐに暗くなりまして。
こんな状態だったら、モザイクはほとんど見えなかったと思います。
辛うじて、柱頭のところは見えました。少しは古そうなものが残っているようです。
外に出たら、ファサードには一切の照明がなかったので、翌朝通りすがりに再訪。
ここも、外観的には鐘楼だけケースに近いです。
扉周囲の彫り物には、中世テイストの精巧なものがはめ込まれています。
ローマは広いし、たくさんの教会があるし、時間は限られているし、こうやって何度も訪ねて、色々な時間で丁寧に見ていくしかコンプリートする手段はなさそうです。この冬、久しぶりに行ってこようかなぁ。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/26(木) 15:26:02 |
ローマの中世
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その13
旅のタイトルに盛り込んだ現代は、主に今日の記事になります。
このブログは主にロマネスク中心なわけですが、それに関連してロマネスク前後の中世、そっから初期キリスト教、ローマをすっ飛ばして古代や先史時代に言及することも多いわけですが、同時に、現代美術が好きなんで、そっちも一つの柱にしています。
しかしコロナのおかげで、昨年は、毎年恒例のベネチア詣でも、ミラノのフオリサローネ巡りもできませんで、現代美術の記事が寂しいことになっています。
ベネチアは、今年もお休みせざるを得ませんし、サローネは、いつもの春ではなく、この9月早々に開催することになっておりますが、どういう形になるのか、フオリサローネはあるのかなど、細かいことは不明ですし、たとえ開催されても、これまでのように簡単にアクセスできるものではないと思いますので、積極的に行くかどうかも不明。自分はワクチン接種済みだし、ミラノの接種率は相当高いと思いますが、それでもあえて密な場所に行くのは、まだまだ避けたいのが本音です。
そんなわけで、現代美術、本当に遠ざかっています。
この時のローマでは、数年前にオープンした現代美術館を訪ねることも、目的の一つとしていました。
Museo Nazionali dell’Arti del XXI Secolo(21世紀美術の国立美術館)、通称MAXXI(マキシ)です。
ローマ市内北部の町はずれ、フラミニオという地域ですが、もともと軍関係の施設があった場所。1997年に美術館の建設が決定し、翌年コンペが実施され、273もの応募から選ばれたのが、ザハ・ハディッドZaha Hadidの設計でした。ちなみに、日本の伊藤豊雄さん、妹島さんやレム・クールハースさんなども、最終15案件に残ったみたいです。
2003年に建築プロジェクトがスタートして、落成は2015年。
Zahaさんは、日本ではオリンピックの競技場の件で一躍一般人にも知られることになった建築家と思いますが、こちらでは一般的に有名な人でしたし、私もベネチアの建築ビエンナーレとか、家具やインテリアのデザインもずいぶんと見ていて、なじみの方でしたから、その興味もあり、その時開催されている展覧会とかは無関係に、箱を見に行くことが目的でした。
一帯が公園仕様になっていて、空が広いですが、ぱっと見、意外と小さいな、という印象でした。現代美術は、巨大インスタレーションも多く、高さや広さが必至のため、正直そのこじんまり感は、ちょっと違うんじゃないのか、と思いました。周囲はすっごくのびのび広々なんですけどね。
斬新さもないし、意外と普通というのか。中はどうかと期待はありましたが。
一部吹き抜けで、それなりの天井高をとれるスペースはあったものの、やはり全体にこじんまり感が激しく、ビルバオのグッゲンハイムとか、ロンドンのテートモダンに、初めてアクセスしたときのようなわくわく感は得られず、です。
迷路的で、各所で形や光が変わったりする面白さはあり、全体でインスタレーションをしたり、また展示のやり方で面白さ追求などはあるかもしれないけれど、とにかく天井低くて、こじんまりしすぎている印象。
当然展示されている作品の、小粒っていうか…。わたしは、どっちかというと、ドカンぼこん的な激しいやつが好みなんで~、笑。だからグッゲンハイムのパピーとか、ああいうくだらな系も大好きでー。
あら、これはびっくり。割と最近のフオリサローネで、この蜘蛛の巣やってるブランドあったよね?同じ人だよね、いくらなんでも。フオリサローネの本気アート・トレンド、すごいなぁ、と感心しますね。
常設展の展示は、ビデオ作品が多くて、これも若干うんざりしました。よくできたビデオは、確かに面白かったりもするのですが、基本、好きじゃないんですよ、ビデオをだらだらと見せられるのは。数分で、おっ、と思えるような内容の作品ならいいんですけれど、長いのは、本当に嫌。
プロジェクトの時期的に、もしかすると最もビデオがはやっていた時期かもしれないなぁ、とか思います。ベネチアのビエンナーレも、ビデオばかりでつまらない時期ありましたからね。今はね、そんなことないです。多分。
あ、ザハの椅子。
冬だったから、夕方なのに、もう暮れてしまっていて、黄昏が見えるスペース、きれいでした。
1時間半くらい、本当に急ぎ足の見学だったですから、全部見れたかどうかは分かりませんが、ま、こんな感じで、ちょっと期待外れだったかな。
まぁ、大物をどかどか展示する、というより、地域密着の文化センターとして、様々な発信をしていくことが目的な様子で、例えば子供に対する美術教育とか、そういうことにすごく力を入れているみたいだったから、グッゲンハイムとかをイメージしちゃいけないんですよね、コンセプト、全然違うはず。
周囲の公園も含めて、実際子供多かったし、入場料も安かったし、家族で楽しむ施設になっている様子はありました。
もともと軍関係施設の場所だから、おそらく高い塀に囲まれた場所だったりして、周囲も寂しかったに違いないですが、こういう施設になったことで、人流が生まれて、お店なども増えたでしょうし、地域が活性化したのは間違いないはず。
ビルバオのグッゲンハイムが、町を再生する大きな要因になったことは有名ですよね。わたしは、実際に、美術館ができる前、斜陽バリバリのビルバオに行ったことがあるので、美術館ができて数年後のビルバオを訪ねたときは、心底たまげたものです。美術館で再生なんかできるわけない、という主張が、それまでは結構あったようですが、あの変貌を見れば、文化の力というものを感じざるを得ないと思います。
Maxxiに、そこまでの力があるのかはわかりませんが、そういう予算がおりやすい首都であるローマをうらやましく思います。ミラノは、地方の有力都市に過ぎないため、国立の施設は少ないのです。財力があるから、多くの美術館博物館はありますが、国レベルの入れ物はどうしてもローマに持ってかれてしまう。
日本関係だって、日本文化会館はローマなんですね。日本映画上映したり、様々なイベントも、まずローマ。実際は、ミラノに作った方が、集客も注目度も圧倒的に高いと思うんですけど、やはり首都。ここは、日本の文化的な海外投資する人たちに、モノ申したいところですね~。ローマに投資するのはいいけど、ミラノにもお願いします、と。
ふふふ、こういう小さなことから、南北格差とか差別意識が生まれるのかもね。でもさぁ、南に行くと、バールのエスプレッソ一杯の値段が違うからね。なんか納得できないものがあります、私ですら。
おっとっと、また脱線しました。
現代はこれでおしまい。次回からは中世に戻る予定です。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/25(水) 17:40:28 |
アートの旅
| コメント:2
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その12
サン・セバスティアーノ門からの一本道をさらに進むと、どんどん町化してきます。で、ローマらしい鐘楼が遠くに見えてきました。
ローマはこれまでにも何度か歩いているので、何度も言及していると思いますが、教会本体は、バロック様式に変容してしまったりしていても、鐘楼だけは中世の姿をとどめているというケースが、大変多いのですね、この町は。この教会も、そういったタイプ。
これは、チェックもしていない教会でしたが、検索してみると、サン・シスト・ヴベッキオ教会Chiesa di San Sisto Vecchioという教会で、内部後陣に、中世期のフレスコ画が残されているようです。中世といっても、写真で見た限りでは、明らかに13世紀、または14世紀以降かな、というイメージでした。いずれにしても、事前にノーマークだったため、視界に入ってきた鐘楼だけは注目しましたが、スルーです。
かなり修復されている様子ですが、それでもスタイルはオリジナル。とってもローマっぽくて、よい鐘楼だと思います。各面に開けられた開口部が大きくて、ローマの青空が透けて見えるのがよいですよね。
この教会と道を隔てたところに、中世感を保つ教会があります。
サン・ネレオ・エ・サン・アキッレオ教会Chiesa di SS Nereo e Achilleo(事前情報では、土曜午前中を除く、毎日8時半-12時半/16時-18時、実際に訪問した時には、祝日のぞく火曜及び木曜の9時-12時)です。
ここは、ドミティッラのカタコンベにあった教会にまつられていた聖人たちのレリックが、後年移された教会です。詳しい経緯は調べていませんが、カタコンベは遠いから、市内にあえて教会を作り直したとでもいった、単純なことではないかと思います。ここは、中世起源で、古いモザイク(おそらく床)、コズマさんモザイクの祭壇などがあるということで、もともと訪問を予定していましたが、カタコンベで思わぬ追加情報を得たので、さらに楽しみに、訪れたんですよ。
せめて、開いている時間について張り紙があったので、納得しましたけれど事前に収集した情報からはかなり限定的な時間となっていました。これも想像ですけれど、以前はミサも毎日のようにあったのが、信者も減り、運営者も減り、ということで、いまだ教会ではあるようでしたが、ミサの数も激減した結果ではないかと思います。
限定的ではあっても、開けてくださっているのは嬉しいことです。ローマ市内なので、行こうと思えばまたの機会に行けますからね。でも、週半ばの平日って、ちょっと嫌がらせ…笑。
さて、この教会の向こうは、カラカラ帝の浴場Terme di Caracallaとなっています。
かなり規模の大きな浴場で、以前は夏の間、オープンエアの劇場が作られて、私も旅行中にオペラを見たことがあります。また、イタリアに関係するきっかけとなった、イタリアの友人の実家から近かったので、なんとなくファミリア―な気持ちになる地域です。
遥か昔、まだイタリアに住まう前のこと、彼女のご実家に泊まらせてもらったとき、地図で見ると近いので、「ちょっと歩いて行ってくるわ」と一人で出かけようとすると、友人が血相を変えて、「一人で散歩?だめだめ!でも、私は今一緒に行けないし…。あ、ちょっと待って!」と、やはり同居していた弟さんに同行されてしまいました。当時は、イタリア語はできず、彼女とはお互いにつたない英語、彼女の家族とは身振り手振りでやり取りしており、弟さんともほとんどそういうコミュニケーションだったので、なんでこうなるのかわからず、大変困惑のお散歩となったことを思い出します。
後でわかったのですが、このカラカラ浴場は、町はずれで、店は少ない、歩行者は少ないという寂しい場所だったりする上、車の交通量は多いというわけで、当時は立ちんぼ売春婦などが多く出没するポイントだったようなんですよ。それで、友人が心配したということだったらしいです。
いや、なんか懐かしいな、弟君。そんな事情で、あちこちお供に付いてきてくれて、お互い迷惑な状況ながら、おそらく家族あげて、イタリア語も分からない東洋人の娘の心配をしてくれてたんですよねぇ(遠い目)。
当時は、東洋人少なかったし、私などどこでも中学生扱いで、いろんな人に過剰な親切を受けたもんで、今では考えられないことが沢山ありましたねぇ(さらに遠い目)。
ま、そういうことは置いといて、どういう位置関係かと言いますと、こんな場所にいます。ローマ市内に置いての最南端辺りとなります。
このカラカラを外から眺めながら、向かったのは、こちら。
サンタ・バルビーナ教会Basilica di Santa Balbinaです。
丘の上にあって、結構えっちらおっちらです。特に市内だと、地図では高低差わかりませんけど、ローマは本当にアップダウンが激しくて、ミラノを散歩するのとは全く違う負荷がかかり、ウォーキングの効率大ですよ、笑。
さて、この教会、創建は初期キリスト教時代で、ローマに現存する同時代の教会同様、大きな箱って感じの建造物になっています。おそらく、ローマ時代の住居の上に建てられた4世紀の建造物がもともとの教会で、外観の多くは15世紀以降の手がはいっているということです。
中には、11世紀のフレスコ画とか、コズマさんモザイクをふんだんに装飾に使った司教座とか、ちょっと見たいものがあるはずなんですが、残念ながら、入り口の鉄柵が閉まっていたんです。
鉄柵は閉まっているものの、中の扉は全開なんですよ。これも非常につらい、というかストレスを感じさせられるパターン。
見えそうで、でもなんも見えない…。
ま、いつか再訪の機会もあるでしょう。ローマは定期的に行かないと、見切れないくらいのお宝がありますからね。
仕方ないのであきらめて、後ろに回ってみましたが、バジリカスタイルだと、後陣が面白いことはないです。
この教会の後、チルコ・マッシモまで歩いて、長いお散歩終了しました。カタコンベからチルコマッシモまで、せいぜい7/8キロかとは思いますが、とにかくずっと歩きっパ立ちっパですし、その上アップダウンもありますし、運動量的には10キロ歩いたくらいになるのかな。車で回る旅は、違う疲れがありますが、こういう歩きの旅の疲れは、肉体直撃です。歩くのは好きですから、苦にはなりませんし、むしろ楽しく歩けるこういう旅、たまにはいいよなぁ、と思います。
次回は、一気に現代です。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/25(水) 12:12:49 |
ローマの中世
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その11
夏休み第二弾の旅直後で、ちょっと通常運転に戻り切れてない状態ですが、実は、お休みはまだ一週間あるのです。なので、この辺で頑張らないと、と思って、夏休みの旅の写真も、とりあえず、さっさとフォルダにまとめました。
夏休みで、連続三週間というのは久しぶりです。いつもなら冬休みに一時帰国で二週間消費するので、夏にそれほど集中してとることはできないのですが、今年はコロナのおかげで一時帰国ができず、同時に、仕事があまりに忙しくて、夏休み時期になるまで、一日たりとも消化できなかったんです。
その結果、7月に1週間と2日、今月3週間、秋にも毎月数日お休みして消化しなければならないことになってしまったというわけです。
お休みって本当に素敵。
お休みになると、対朝めちゃくちゃいいのも、うれしいことです。つまり、普段はストレスなどで、やはりどっか変になっているんですよね、繊細なんで、笑。
さて、時間が経ってしまいましたが、前回の続きです。
カタコンベが密集するアッピア旧街道を、ローマ市内まで歩きます。一度、そういうアクセスをしてみたかったんです。
で、たどり着いたのは、この立派な門です。
サン・セバスティアーノ門Porta San Sebastianoです(壁博物館Museo delle Mura:月曜休み、9時-14時)。
門、というには、あまりにも立派な建造物ですよね。
ローマ時代の市壁がもとになっていて、長い年月をかけて、複雑な構造物になっていったらしいです。その名残がそこかしこに見られます。
この大きくて不揃いの石積みは、最下層にあるので、ローマのものではないかと思われます。
5世紀初頭に、創建以来最初の手が入って、こんな様子になっていたようですよ。この時点で、レンガが主に使われたようですね。で、かなり修復されている様子でしたけれど、横にずっと壁が残っています。
外側はこういう様子で、中は、アーチが続く通路となっていました。
ちなみにこの建造物、無料にアクセスできる博物館になっていて、清潔なトイレも使い放題という、非常にありがたい施設なのでしたよ。近くにいらしたら、立ち寄る価値大です。
上の方に上ると、ローマの市外、アッピア街道がずっとみえます。
そして、市内の方では、古い門が見下ろせます。
ドゥルーゾの門Arco di Druso。小さいけれど、様式的には凱旋門かな、と思いましたが、実は水道橋の一部だったらしいです。この道の先がカラカラ帝の浴場につながるのですが、そこまで水を引くのに使われていた水道橋だって。
なんか、ローマってさぁ、すごいよね。永遠の都だよね、やっぱり。もう犬も歩けば状態で、二千年とかそれ以上の歴史がゴロゴロしてるんだから、目が驚くってか、新鮮です。ミラノは、ぱっと見、せいぜい17/8世紀あたりの建物ばかりだから、そりゃ日本とはずいぶん違うかもしれないけれど、でも、でかい建物が視界を遮るという意味では、さして違和感のない眺めが広がるわけなんですよ。
でもローマに来ると、なんだろう、変に空が広いことが多いし、丘の町だから、見た目の風景がすごく複雑になるし、緑はあるし、石はゴロゴロ。
すごいよなぁ、やっぱり。
で、地上から見ると、なるほど、装飾性はないし、確かに水道橋らしいと納得。
さらに市内に向かっていきます。
足元はローマの石畳。車の通る場所は、今風の石畳になっていますけれど、歩く道の多くの石はローマの石ではないでしょうか、この大きいやつ。妙に感動しませんか。
二千年前の石、ある意味ミュージアムピース的な、笑。ローマではありふれ過ぎていて、何とも思わないんだけど、考えたらすごいことですよねぇ。
感心しきりに歩いていると、さらに驚くものが。
残念ながらクローズで、鉄柵の中には入ることができなかったんですけれども、これね、墓所です。誰のかというと、スキピオ(Sepolcro degli Scipioni)…。
スキピオって、あれだよね?カルタゴと戦争した人。ローマ市の結構最初の方に出てくる人。そんな人のお墓が特定できて、そこにあるって、どひゃぁ、と思いませんか。紀元前の人ですよ。わたしは、ちょっとのけぞります。
ローマ史は、もう全然忘却の彼方ではありますが、色々見ていると面白ので、お散歩、もう一回続きます。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/23(月) 12:19:25 |
ローマの中世
| コメント:0
2021年08月夏休み第二弾、カンパニア+ラツィオ+トスカーナ+エミリア、その0
今月8日に出発して、先週の金曜日、ミラノに戻ってきました。11泊12日、かなりごたまぜな内容の旅でしたが、想像以上に充実しまして、満足度は高いです。
7月のフランス行きに比べれば、ずっと以前からターゲットは決めていたのですが、日々刻々変化するコロナの状況もあり、最後の最後まで予定を詰め切れることなく、見切り発車的に出発となりました。いずれにしても必要なのだから、せめてキャンセル可能なホテルだけでもさっさと押さえておけばよかったのですが、出発間際になって、最後の二泊を手配しようとしたところ、ほぼ空きがなく、真っ青になったり、という綱渡りでしたけれども、なんといっても、在住地でのマイカーの旅ですから、いざとなればなんとかなる、という強みがあります。その上、基本自炊と決めていたので、レストランの心配をする必要がないのも、ある意味強みだったと思います。
旅のターゲットは、まず第一に、カンパニア州の中世デビューです。
ナポリを州都とするカンパニア州は、ナポリ始め、ポンペイやカプリ島、アマルフィなど多くの観光地を有していますから、もちろん過去に何度か訪ねているのですが、中世観点から訪ねたことはないのです。近年、北部ブレーシャやチヴィダーレとセットで、ベネヴェントも、そのロンゴバルドの遺構がユネスコの世界遺産に登録されたこともあり、ロンゴバルドへの興味が強くありました。
また、そのベネヴェントや、近郊のサンタガタ・デ・ゴーティなどの地域に、ローマ以前に定住していたサムニウム族の文化も、今何か遺構があるというわけではないのですが、触れてみたい思いがありました。そんなところから、カンパ―ニアまで行こうということに決めたのですが、その過程で、なんと、洞窟教会に出会ってしまったのです。
以前、プーリアに、洞窟教会を目的に行ったことがありますが、なんか勝手に、洞窟はプーリア限定と思い込んでいたんですよね。そしたら、あるサイトに出会って、カンパ―ニアやラツィオに点在する洞窟教会が星の数ほどあることが分かったんです。いやはや、驚きました。
その多くに、フレスコ画が残されているんですよね、主にビザンチン系、つまり、私の好物。
しかし、アクセス情報を探すのは、簡単ではありませんでした。すっごく大変でした。それでも、いくつかの電話番号をゲットして、電話をかけまくっても通じなかったり、の連続です。出発時点で、確実にアクセスできると確信できたのは一つだけでした。
行ったら行ったで、これは本格登山に近いのじゃないかい、というような激しい登りが待っていたり…。一か所は、もしかしたら、日本人初、または二人目とか三人目とかそういう場所かもしれない、と思います。行かんて、あんなとこ。いや、研究者なら行きたかろうけど、1時間20分、這って登る状態の激しい高低差やるのは、おそらく容易ではないはず。
そんなわけで、ふたを開けてみたら、一か所どころか、結構な洞窟にアクセスできて、びっくりです。
今年になって入手したこれ(ヘッドランプ)が、こんなに役立つ日が来るとは。嬉しい驚きでした、笑。
カンパニア州は遠いので、往復で、ラツィオやトスカーナにも立ち寄り、これまでに見られていない教会や、エトルリアの遺跡を楽しみました。そういうわけで、本当にごった煮状態なんですけど、全体通して共通するのは、「いい汗かいたな」でしょうかね。とにかくよく歩きました。
で、昼はおにぎりで、夜はサラダ山盛りですから、とてもヘルシー。
自分自身が苦労したので、情報開示のためにも、早く記事にしたいですが、例によっていつになることやらです、笑。せいぜい忘れないように、色々メモっとこうとは思っています。
もしも、洞窟に興味があって、近い将来行く予定があるなどの場合は、お気軽にご連絡くださいね。持ってるだけの情報をお教えします。ってか、いないやろ、このご時世、そんな方…。
では、通常運転に戻りたいと思います。いや、ちょっとスピード上げたいと思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/23(月) 10:59:26 |
ロマネスク全般
| コメント:0
2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その10
中世世界から、いきなり古代にさかのぼります。
実はこの時の旅の目的の一つは、カタコンベ訪問でした。ちょっと観光っぽいですが、中世に取り組みだしたら、宗教つながりもあって、カタコンベへの興味も中世視点で湧いてきたりしてたんです。
というわけで、ローマの一日、早朝からアッピア街道方面へ繰り出しました。
ドミティッラのカタコンベCatacombe di Domiditta。
(テルミニ駅前のバス乗り場から714番で約20分弱、12個目の停留所Navigatoriで降りて、徒歩7/8分)
ローマのバスはかなりわかりにくいと思うのですが、ここは直行で行けるので、まぁまぁわかりやすいと思いました。とはいえ、イタリアのバスは、リクエストがなければ止まらないので、数を数えていてもよくわからず、どこで降りるか運転手に聞きましたけれども。
9時からオープンということで、一番に入ろうと思ったのですが、早く着き過ぎでした。オープンまで外で待ち、オープンと同時に入場したものの、カタコンベは勝手に入ることはできませんので、結局グループツアーの時間を待つしかありません。
イタリア語は少なくて、最初のツアーが9時25分でした。
トイレをお借りしたり、お土産を見たり、時間をつぶしていて、びっくりしたのは、9時25分ぴったりに、イタリア語ツアー始まります!と告げられたことです。やはり外国人が多い施設だからでしょうかね。しかし、時間ぴったりだから驚く、というのも、イタリア在住歴の長さを物語るかもね、笑。
で、受付周辺には、結構な人がいたのですが、はいはいはい!と声を上げたお姉さんのところに近付いたのは、なんと私一人でした。うわ~、まさかのマンツーマンガイド!これは、カニグー以来の幸運かも、と、彼女を二人で地下に降りていくとき、息せき切って男性一人が追いかけてきて、結局ガイド一人に見学者二人、といずれにしてもぜいたくなツアーとなりました。
残念ながら、撮影は禁止。といっても、ここはフレスコ画などはないカタコンベです。ただ、いくつかの碑文などは残されており、各自、一枚だけ撮影許可が下りまして、嬉しかったです。少人数特典。
面白いですよね。ローマ後期とか初期キリスト教時代と思いますが、両手を上げる祈りのポーズは、もうあったのですね。
二人だったので、二枚許されたみたいです。
碑文に鳥が彫りこまれることが結構多く、どれもすごくかわいいです。多くは鳩なのかと思いますが、上野など、ウズラとかにも見えますね。何とも愛らしい。
これらは、大理石に見えますので、結構な富裕な家族の墓でしょう。貧乏人は、テラコッタしか使えなかったので、もう残っていないのでしょうね。大理石にしても、盗掘が繰り返されていますから、今残されているのはわずかなものだけです。
こういうお話は聞いた直後から忘れてしまうんで、メモにしていたものだけ、記しておこうと思います。
キリスト教以前は、火葬にしてお骨というか灰にすることが一般的だったようですが、キリスト教には復活思想があるため、それで火葬が禁止となり、墓所が必要になってきたということなのですね。スペースが不足してきたために、地下に地下に深く掘っていく必要ができて、結果このようなものができたということ。
キリスト教の初期は、迫害のために、地下で祈りをささげることもあったりしたと思うので、なんとなくカタコンベが迫害の象徴的なイメージも持っていたのですが、要は、単なる墓、それもまるで現代の人口過密な大都市と同じでスペースがないことから下に伸びた結果の重層的地下墓地、ということだったんですね。
地上に近い部分には、最後のお別れ儀式をするスペースとかもちゃんとあったようですし、親族の墓にお参りに訪れることも普通にあったそうです。
現代の、アパート型のお墓と同じ感覚なので、時代の先を行っていた感じです。
そんなガイドさんの説明も楽しく、地下ぐるぐる面白かったのですが、ここね、敷地内にバジリカあります。初期キリスト教時代のものですね。今はがらんとしたものだし、残念ながら同様に撮影禁止なんですが、外から、屋根部分だけ見えます。
今は、半地下くらいの状態になっているんですけれど、これ、全体が埋まっていたんだそうです。発掘されたとき、聖人ネレオ及びアキッレオのレリックが発見されて、それは、他の教会に移されたそうです。天井は落ちていたものの、円柱はしっかりと残されています。印象的でした。
かなり面白かったので、どうしようか迷っていたもう一つのカタコンベにも、立ち寄ることにしました。
左下にあるのが、このドミティッラのカタコンベで、そのすぐ上にある13という数字がついているところが、そうで、徒歩で5/6分の距離です。
サン・カリストのカタコンベCatacombe di San Calistoです。
ここは、大学の卒業旅行でローマを訪ねたときに来たことがあって、とても印象深かったので、その懐かしさもあり、再訪してみたい気持ちにもなったんですが、やめといた方がよかったかもしれません、結果的には。
今から運十年前の学生の時でも、すでに日本語のガイドテープの貸し出しをしてくれていたくらいに、観光地化したカタコンベですから、つい目と鼻の先にあるドミティッラとは全く異なり、すごい数の観光客で、各国語のツアーの列が、どの言葉もすごかったです。ただ、ここでもイタリア語は一番少なかったのが、これまた印象的でした。
多くのツアーが同時に地下にいることになるので、それぞれルートを工夫して、かち合わないようにしているようで、なかなか良く考えられた見学手順になっています。観光の歴史が長いだけの蓄積はさすがです。
ここは、フレスコ画がいくつかありますが、撮影は厳禁。ツアーの人数も10人以上いましたから、説明も聞きにくいし、狭い通路を団体で動くというのは、なかなか効率が悪くて、正直楽しめなかったです。
とはいえ、懐かしさもあったし、行ってよかったとは思います。
このカタコンベ密集ゾーンは、ローマ時代のアッピア街道沿いとなり、歴史を踏みしめながら素晴らしい風景を楽しむこともできる場所です。
ところどころ、当時の石畳も残る旧アッピア街道です。ローマから南に向かっている道で、ローマから離れる方向に、霊廟があったり水道宮があったり、お散歩やサイクリングには最適。
ちょっと田舎に向かって歩こうかと思ったのですが、あとの予定も詰まっているので、ローマ方向に歩いて向かうことにしました。そういえば、距離の感覚とかも知りたかったし、そうだ、ここ歩きたかったんだよね、と思い出して。
そうそう、そういえば、ドミティッラでご一緒したイタリア人は、やはり一人旅で来ていた方で、このアッピア街道で再会したんですよ。若い時だったら、そんな再会で盛り上がったりなんかあったかもなぁ、と後からふと思いましたが、今や、自分の見たいもの行きたいことが最優先する、すっかり枯れた女になってしまいました、笑。
ローマ特有の松の姿とか、そこここに当たり前にたたずむ遺跡とか、そんな風景は、ミラノから行くと、大変新鮮で、旅情がそそられる感じです。
そんな旧アッピアをぶらぶらと歩いていくと、あ、これもずっとずっとずっと、何年も気になっていたけど、来たことなかった!という教会に遭遇。
ドミネ・クオ・ヴァディス教会Chiesa ded Domine Quo Vadisです。
地図だとこんな感じで、サン・カリストのカタコンベから1キロ程度です。
この教会はそのエピソードで有名ですよね。
ピエトロが殉死を恐れてローマから逃げ出してきたところ、ここでキリストにバッタリ。ペトロンが、どこに行くのか尋ねると、キリストは、また十字架にかけられるためにローマに行くのだよ、と答えるっていうあれです。で、逃げ出そうとしたことを恥じて、ペトロンはローマにもどるのですが、キリストは姿を消して、その足跡が残った、とまぁ、キリストの怨念的なものが記されているっていう。
でも、教会は中世起源で、今ある建物は、見たとおり、ずいぶん後のものです。だから中世的には、見るべきものはないですけど、なんか、歴史がそこにあるっていうローマの凄みビンビンの場所ではあるんですよね。
もうほんと、なんの変哲もない今どきの教会なんですけど、真ん中の通路の変に、なんだかチーズのような四角いものがあります。近づくとね。
ね、足跡。かなり偏平足っぽい様子で、巨大です。
鉄柵ついてるけど、足のところは開けているの、考えたら良心的?
この先も、ずっと歩いてローマに入場して、12月だというのに大汗かきました。やはりローマは別世界です。
この後も、観光的アイテムが並びます~。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2021/08/07(土) 15:31:29 |
ローマの中世
| コメント:2
次のページ