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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

当時の古典志向ってあるのかな(サンタ・マリア・アッスンタ教会-ボミナコ、その2)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その9

ボミナコBominacoのサンタ・マリア・アッスンタ教会Chiesa di Santa Maria Assunta、続きです。

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内部に入ります。

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写真というのは、結構現場の感覚と違って撮れちゃったりするもので、これ見ると、それなりの規模感が感じられるかもしれないと思うのですが、すでに紹介したカザウリアやカラマニコなど、すでに見てきた教会に比べると、かなりこじんまりした規模となります。
そして、この写真は、ファサード側の扉全開状態で撮影していますが、すでに薄闇が訪れつつある状態でしたので、現場では、かなり暗いと感じておりました。

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後陣側からのこちらの方が、実際の様子に近いですね。暗いんですよ。

最初の印象は、こじんまりしている中で、プロポーションとしては太めの円柱のインパクトが強く、それによって支えられている柱頭のサイズも大きくて、またそのシンプルで力強い彫り物が、肉眼でよく見える高さ近さにあるだけに、とても魅力的でした。

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1700年ごろ、当時はやりのバロック様式が採用されたものの、幸い表面的な変容だけにとどまったようなんです。要は、内壁にそれらしいごてごてした絵画が描かれたり、柱頭が金ぴかに塗られたり、ということだったのだと思います。1930年から40年にかけて、それらが取り払われて、中世当時の姿が取り戻されたということで、バロックが激しく好まれたらしいイタリアに典型的な人生、というか、建築生?とたどった教会のようです。

柱頭は、先述したようにシンプルなのですが、デザインが非常に初期ロマネスク的で、私は大好物なタイプです。

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うすぼんやりとした明りを頼りに、見学時間も押せ押せで焦っていた割には、ここの柱頭はよく撮れたものだと思います。自画自賛。やはり好物だけに、集中できたのかな。

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シンプルな全体のデザインを、ディテールで埋め尽くしたりして、技術はある石工さんだったのでしょうね。
外側の装飾的な彫りものもそうでしたが、植物中心で、ロンゴバルド・テイスト、つまり中世初期的なデザインへの志向が強い石工さんだったのではないかというような気もします。教会の創建は、10世紀頃ではないか(11世紀または12世紀という説もあるようです)、とも言われているようなので、だとすると、当時の同時代的にはやっていたモチーフでもあるかと思いますけれど。
でも、同時代だと、例えば、上の葉っぱを単純化したような彫りの場合、葉っぱの中にこれほどのディテールを彫りこむ、というのは珍しいと思います。

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どれもこれも、ちょっとひと手間、的な何かを感じます。そしてね、全部違う、と思います。そのどれもが、とても保存状態良いです。ネックは、暗いだけ、笑。

そんなわけで、私は、この柱の雰囲気と、数々の柱頭が、この教会のお気に入りですが、その他にも見るべきアイテムがいくつかあります。ぱっと見、かなり地味目な様子なんですが、それぞれ独立したアイテムとして重要度の高いものが、実は複数あるって、なんかすごいですね。

その一つが、入り口から一番遠い奥に置かれている司教座です。

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地味と言えば超地味ですね。
ここはもともと修道院教会なので、修道院長が腰かけるための椅子ということになります。
ジョバンニさんという修道院長が、1184年に注文したものだそうです。

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脇に、司教杖を持った司教が彫られていますが、これも注文の内容のようです。修道院の自治制をあえて強調する意図があったのではないかというように解釈されています。この後紹介する説教壇と、同じ職人さんの作品のようです。
反対側には、文字が刻まれていて、もちろんラテン語なんで、私には理解できません。雰囲気からは、杖が語るように、修道院長が皆を引っ張っていくような、そういう意味なのかなあ、と思いました。

それにしても、暗さが分かっていただけますよね。
ちょっと前にゲットしたヘッドランプ、この夏の修行旅で大活躍しましたが、この時はまだ自前の明かりがなかったんですよね。なぜ、もっと早く明りを入手しなかったか、今更ながら悔やまれます。もう、ヘッドランプなしには、教会訪問は考えられません。

そして、司教座と信者席の間には、チボリオがあります。

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1223年と彫られているようです。何枚か撮影した写真を見てみたのですが、どこにあるかはわかりませんでした。おそらく、その年に教会が竣工して、祭壇、または教会そのものの奉納がされた年ではないかということです。

上部は、1700年のバロック化の際に、取り去られてしまったそうなのですが、その後、1930年からの修復工事の際、一部の柱などが見つかったことから、再建されたということ。だから、なんとなく上部には新しさ感が漂っているのですね。

そして、このチボリオの前には、こちらのアイテムです。

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イースターのろうそく立てと言われるやつ。
これはそういえば、北部では、ほとんど見ないアイテムではないでしょうか。ローマではいくつかの教会で見たと思うし、あとは、南にもあるように思いますが、北イタリアでは、思い出せないなぁ。
なので、というわけでもないですが、このアイテムもまた、チボリオ同様、私の中では位置づけが分かりにくくて、えっと、必要なんだっけ?みたいに思っちゃうというのか、そういう感じです、笑。

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棟梁、かなり力入ってるな、という様子なんですよ、これ。一番上は、ろうそくを立てる台だと思いますけれど、なんだか透かし模様とか取り入れた柱頭規模の彫り物になっていますし。それも、石が、黒っぽくて、他と違うものですよね。

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で、ちょっとなんというかなまめかしいようなネジリン棒を背負っているのが、この、けなげ感満載なライオン君ですよ。プロポーション的には、ちょっと小さ過ぎね?というサイズのライオン君が、前脚に力入れて、ちょっと今大変なんで、話しかけないでくれる?という様子でこっち見ています。けなげ過ぎません?

というわけで、普段はなんとなく「なんなんだっけ」くらいでスルーしてしまうことも多いアイテムですが、ここではライオン君にやられましたね。

残りは、アブルッツォではお約束のあれ。

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繊細な彫り物が特徴的な説教壇です。
1180年と彫られていて、司教座を発注したジョバンニさんが関係しているようです。ジョバンニ修道院長、一般的な志向として、修道院長押しを装いながら、実はオレ押しだったのかもなぁ。

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文字が見えると思いますが、ずらりと壇を取り巻くように彫られています。ジョバンニさんの碑文、とあるのですが、彼が書いた文ということなのかな。

彫りの様子もモチーフも、これまでの他の教会にあったものと酷似していますよね。そして、この教会では、柱頭とのテイストの違いが明らかですし、なんとなく説教壇専門、それも結構同じものを売りにしている石工さんがいたのかなぁ、とも思わされます。

ボミナコでは、本を買っており、一応斜め読みしながら書いているのですが、ちゃんとは読んでいないので、今後加筆修正ありそうです(つまり、色々嘘八百書いてる可能性あり、ということです、笑)。

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  1. 2021/10/31(日) 18:27:44|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

すっきりとゴタゴタ(サンタ・マリア・アッスンタ教会-ボミナコ、その1)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その8

前回のカラマニコ・テルメの後、スマホで手早く調べて、近所の村のレストランを目指したのですが、思いっきりクローズでした。仕方なく、次の目的地と決めたカペストラーノCapestranoという村を目指し、道中に見つけたしょぼいバールで、超簡単なランチとトイレ休憩をして、道を続けたのですが、なぜか全然たどり着けず…。
まぁ、道に迷うのは、私にとってはお約束なんで、驚くことでもないのですが、この時は、行ったりきたり、通りすがりの人に何度も尋ねたのに、らちが明かず、という状態で、結構まいりましたよ。

こういうのも、どこで方針を切り替えるのか、決め時が難しいところもあります。執着しすぎると、時間の無駄にもなりますしね。
この旅は、11月初頭で、すでに夏時間が終わっていますから、日暮れも早く、午後になってくると時間との戦いが始まります。そのため、おそらくかなり近くにいたことは間違いないのですが、そして、1時間近くもうろうろしていたと思うのですが、気持ちを切り替えて、目的を変えました。

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そう、カペストラーノを通過して、その先のボミナコBominacoという村に向かいました。結果的には、非常にラッキーでした。
とはいえ、到着した時は、ラッキーどころか、一体何が起こっているの?という状態で、一瞬途方に暮れました。
というのも、教会のある開けたスペースにある広大な駐車場が、なぜかキャンピングカーでいっぱいになっている上に、奥の方から、キャンピングカーがキャラバン状態で、数珠つなぎで下ってくるんですよ。

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非常なカオスでしたが、なんとか駐車スペースを見つけ、この草地の奥の方にある教会へ、徒歩でアクセスしました。
バス停みたいなところに、にゃんこがバス待ちしている様子だったので、笑、撮影などしながら、とてものんびりとしていたんです。

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ここの状況はよくわからなかったのですが、まず手前に、小さな礼拝堂がありました。

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閉まっているなあ、と思いつつ、先を行くと、このちょっと先に鉄柵があるんです。でも開いていたので、そこを進むと、この後陣。

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これが目的の教会に違いないと思ったら、こちらに来る人たちがいます。教会は開いているのか聞くと、そのうちの一人の女性が、鍵番さんだったんです。他二名は見学者で、見学を終えて、降りてきたところだったのですね。
それなら、行きましょう、ということで、他二名の見学者は帰られて、私は鍵番さんと二人で、教会へ。
その時自分がいかにラッキーだったかわかったんですが、その時点で、教会のオープン時間が、すでに過ぎていたんですよ。彼女が、時間過ぎてますけど、せっかくだからお見せします、と言ってくださったので…。

後から自分のノートを確認したら、ちゃんと調べてありましたよ。それも、開いている時間であっても、おそらく鍵番さんに電話して、鍵を持ってきてもらうシステムらしかったのです。だから、ダブルでラッキーということだったのですね。
カペストラーノで、あとちょっとでも迷っていたら、もうアウトだったので、決断は重要だと、つくづく思ったことでした。

改めて。

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ボミナコBominacoのサンタ・マリア・アッスンタ教会Chiesa di Santa Maria Assuntaです(毎日9-12:30/14-16。鍵番は近所の住人がやっており、扉に電話番号の記載あり。わたしが調べたときは、Doraさん0862-93765及びChiaraさん0862-93764でしたが、これはその時々で変わっていると思います。原現地で購入した本でも、他の方の電話が記載されていました。今ではプライバシーがうるさいですから、どうなんでしょうか)。

ちなみに、先ほど通り過ぎた礼拝堂的な建物との位置関係は、こんな様子になっています。

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左端の方に駐車場があって、草地のようなところを歩いて、最初にアクセスするのが、サン・ペッレグリーノ礼拝堂Oratorio di San Pellegrinoとなり、教会へは、後陣側からぐるりと回りこむようにして、アクセスします。
赤く印をつけたところに鉄柵があり、閉まっていると、おそらく後陣の一部が見える程度で、ファサード側にも近寄れないようになっています。
また、礼拝堂の方も鉄柵が囲まれており、こちらも鍵番さんなしで開けているとは思えません。

最初の方に書いたかもしれませんが、この時の旅で訪ねた教会の多くが、鍵を頼まないと入れないシステムでした。アブルッツォって、観光的には地味だし、教会なども、ミサ以外は、訪ねる人も少ないからだと思いますけれども、鍵の手配は結構厄介な気持ちでした。
というのも、個人の車での旅だし、事前にこの日の何時に行く、とは決めにくいわけですから、情報は調べるだけ調べて、もちろん事前に電話で切るところはしてみたりはしたのですが、最終的には行き当たりばったりにならざると得ない状態で行ったので、どれだけ訪問できるんだろう、と危惧していました。結果的には、ほとんどが、こういう地元の人たちの管理であり、電話すれば快く来てくださるため、思った以上の訪問ができたんですよ。

教区教会、つまり、大きな町の教会が集中管理したり、また役場が管理したりで、電話一本で鍵が見つかることも、どんどん少なくなっているのが、イタリアのみならず、フランスやスペインでも現実と思います。そういう中で、今でも近所の人たちがカギを管理していることも含めて、田舎の良さ全開、というのが、このアブルッツォの魅力でもあります。

前置き、長い…。
実際の見学は、時間の関係で、超急ぎ足だったんですけどね、笑。

外側は、ほとんど駆け足撮影会でしたが、改めて見てみます。
上の写真で分かるように、全体にさっぱりしていますが、それなりに彫り物装飾はあるんです。
まず、扉上のアーキボルトとアーキトレーブです。

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非常に装飾的な浅浮彫がずらりと並べられています。植物文様ずらずらの中に、いきなりソロ・ライオンちゃんって、珍しいように思います。全体の装飾性は、この後訪ねる他の教会とも共通するテイストがあるので、他のアイテムも含め、アブルッツォのロマネスクの典型でもあるのかな。
典型っていうか、おそらくですが、ある程度限定的な数の石工さんや工房が、この地域を回っていたということになるのではないでしょうかね。

植物文様は、ちょっとロンゴバルドのテイストまで感じられて、私は好きなやつです。
ファサードに向かって左、つまり、後陣が東向きなら北側の壁になる部分にも、小さな扉があるのですが、そこの装飾も、ファサードとテイストは同じで、かなりのっぺらぼうの壁の中に、やはり彫り物があります。

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アーキボルトがお花です。そして、上の方のが、またかわいらしいんです。

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繊細な植物モチーフで、そんでもって〆は動物ですよ。しっぽがつるにつながっているという可愛さ。植物と動物たちとのコラボ、カザウリアでもカラマニコ・テルメでも同様でしたよね。

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いわゆる、ぶさかわいい、というカテゴリーですかね、笑。顔をしかめてるというのか、攻撃的になっているというのか、それでも可愛さ全開。そして、おしっぽと植物つるの結びが、なんか蝶結びみたいのあって、これまたやられるわ~。

植物モチーフも、オリジナリティ高くて、なんだか楽しいんです。数は少ないし、ここもまた落書き的に、なんか考えてやってるのか、思い付きで彫ったものを飾っちゃったのか分からない感じにはめこまれているのも含めてね。
下のは、やはり北壁の、上の方にある開口部の部分です。蕨満開的な。

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なぜか、南壁の方には、何もないのです。もしかして方角違う?と思いましたが、後陣は、ちゃんと東向きのようです。

後は、後陣の開口部周囲に、素敵な浮彫があります。

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ここも、全体はすっきり無装飾に見えるタイプですよね。でも、開口部まわりの浅浮彫は、相当凝っています。

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全体のっぺりだし、浅い彫りだから、遠目にはほとんど見えないと思うんだけど、細かいし、かなりごちゃごちゃしていますよね。
この時は、いつにもまして駆け足見学でしたから、望遠鏡で見るなどという余裕もなく、今ちゃんと見ているような状況なんですが、ほら、上の方には、お顔と変なやせたツチノコみたいのまでいますよ。

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こちらと。

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こちらは、文字まで入ってますね。

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ちゃんと形がなっているから、文字もオリジナルなんでしょうねぇ。
こんなにはっきり書いてあるのに、なんと書いてあるか分からないんですよ、私ときたら。情けないわねぇ。Virginiは見えますが、聖母のことかな。
解説には非常に簡単に書いてありましたが、被昇天の聖母を寿ぐ言葉が書いてあるようです。教会がささげられていますもんね、被昇天のマリア様に。

華やかな植物モチーフの中に、またぶさかわ系が!と思ったら、ぶさかわというより双頭の怖いタイプかも。

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いや、双頭のくせにウサミミだし、やっぱりかわいいやつでした。

次回、入場します。

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  1. 2021/10/26(火) 17:02:10|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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石工さんの性格分析(サン・トンマーソ・ベケット教会-カラマニコ・テルメ、その3)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その7

カラマニコ・テルメCaramanico Termeのサン・トンマーソ・ベケット教会Chiesa San Tommaso Becket、続きです。

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やっとファサードの番です、笑。

さてこちらは、長年にわたり、色々な理由で、様々な変化を遂げてきており、オリジナルの名残はかなり少ないようです。
近年では、1706年、地域を襲った大地震による損害で、その後、かなり手が入ったということです。地震頻発地域ではないものの、まったくないわけではなく、数百年のリターンピリオドがあるということなんでしょうね。近年、リターンピリオドがかなり短くなっているのかもね。

創建時の計画では、柱で支えられたポルティコが設けられるというものだったそうですが、とうとう実現はしなかったのだそうです。どうやら計画倒れの名残が、扉の両脇にある角柱だと思われます。
考えると、こういう形で柱があるファサードって、結構見ている気がしますが、場合によっては、計画倒れのポルティコとか、損壊したポルティコの名残、という可能性もあるということなのかな。新たな発見だわ。

内部の構造に呼応して、ファサードには三身廊につながる三つの扉があります。

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両脇の扉それぞれの上の方に、開口部がありますが、向かって左の方が、オリジナルの計画通りに作られたものだそうです。つまり、オリジナルは、無装飾の開口部、ということだったのかな。
右の方は、かわいらしい彫り物が施されている華やかな開口部です。

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最も注目すべきは、扉上部のアーキトレーブにある彫り物と思いますが、解説では、このファサード全体に、工事を急いだ結果が表れているが、中でもこのアーキトレーブに顕著だとあります。

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かなり深い浮彫で、玉座で祝福するキリストと、使徒たちが並んでいる図です。
もともとは、もっと横長の扉のために準備された図だったそうなんです。そのために、人物間のスペースなどが、ちょっとガタガタのプロポーションになってしまったりしているということです。

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これさ、深彫りもすごいし、好き嫌い置いといて、まぁ保存状態がよろしいのはびっくりしますね。

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全体のテイストは好きなタイプじゃないけど、とにかく保存状態に感動します。そして繊細さと、なんというか、生真面目さっていうのかな。この石工さん、絶対すっごい生真面目っていうかくそ真面目タイプの人ですよね?単なるイメージですけれど。
なんか、ポーズとか、絶対にモデル立たせてデッサンして、それで彫ったでしょう?と感じさせられるんですが、どうですか?
躍動感の反対で、限りなく作ったポーズを静止のまま表した様子。

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服のひだも、完全に固まってますしね。
それでいて、あ、目線こっちにちょうだい!的な視線集中。もしかして、これって集合写真的な?みんな並べて、一人ずつポーズ決めて、全部決まった時に、はい!目線ちょうだい!チーズ!みたいな、ちょっとそんな感じに見えるんですよ。
だから、ごめん、キリストの祝福が、まさにピースに見えちゃうよ。
なんなら、ちょっと笑いをこらえている風にも…。

何人かの使途はとても美しいお顔をしています。

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アップにして気付いたのですが、耳の後ろあたりについているハチの巣みたいのは何ですかね?何人かについているんですけど…。

さて、このアーキトレーブの上のリュネッタには、赤土で描かれた聖母子と二人の天使がうっすら見られますが、これは下絵で、とうとう実現しなかった絵なんだそうです。

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きれいな絵ですね。時代は、創建よりはずっと後に下るものだと思います。

扉脇の柱柱頭を含む扉周りは、主に植物系の彫り物で装飾されています。
両脇扉についても同様で、主に植物ですが、ちょっとね、かわいいんですよ。最初が。向かって左の扉上。

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かわいいですよね~。
キメラっぽい動物が口から緑を吐いていて、グリーンマン的な図になっているわけですが、この辺、やはり異教の名残があるらしいですね。そしてこんなところにも、カザウリアのサン・クレメンテとの共通項があるわけです。
右の方だって、負けちゃいない可愛さです。

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こっちはドラゴンみたいなんですが、なんか固まっちゃってるドラゴン。やばいレベルの可愛さじゃないですか。
こちらも、植物の彫り物には、異常な几帳面さというか、粘着質系というか、そういう人なんですけど(決めつけ、笑)、このドラゴン見たら、全部許す、となりますよねぇ。なにを許すか分からないですけど。

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さて、本堂内部でも言及したんですが、この教会、あちこちに落書き的な彫りものがはめ込まれていて、ファサードも例外ではないのです。というより、ファサードの落書きぶり、すごいんですよねぇ。最初は、扉周りとか王道の見学をしているわけですが、途中で落書きに気付いて、すっごく楽しくなりました。こんな宝探しも珍しいと思います。

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これは、左扉のさらに左に置かれたもので、一番密で、一番よく残っている落書きたちかも。
それぞれがちゃんとしたテーマで彫られているので、これはどういう位置付けなのか、ちょっと分からないんですよね。他の場所に使われていた古い時代のアイテムを、修復とかの際にはめ込んだとかそういうことなのか、それとも、本当に落書き的にこういう風にあったのか。解説を複数読んでみたんですが、あまり明確な言及はないので、後者なのかと思えます。

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一番左端に見えるのは、グリーンマンでした。
それから、右端のが、ちょっと解説が気になったやつ。

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トウモロコシです。
もし、教会の創建が13世紀初頭だとすると、まだアメリカの発見はなく、トウモロコシはなかったはず、とあったんです。で、もしかすると、十字軍帰還の騎士によってもたらされたものか?とか。

思わずググってしまいました。
やはりアメリカ大陸原産で、コロンブスがヨーロッパに持ち込んだというのが定説らしいですね。で、広まったのはせいぜい15世紀とあるようなんです。だとすると、このアブルッツォにまで来るのは結構先になるはずなんで、十字軍による流通というのはあり得るかもしれませんね。いや、十字軍というより巡礼かな。
歴史の面白さ発見的なやつ。
現場で見ても、さすがにそれは考えもしなかったです。

これよりも中央扉より、というか中央扉のすぐ左側には、人物のうっすら浮彫があります。

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すっきりしたお顔の様子からは、アーキトレーブの石工さんとの共通性を感じるので、同じ人かもね。
小さなサイズで、司教べラルドBerardoさんです。アゴスティーノ派の修道士で、杖に手を置き、もう一つの手には、教会のモデルを持っているようです。同人について、左側の扉に碑文で触れています。この教会が、サン・トマス・ベケットに捧げられることを望んだアゴスティーノ派の思いから生まれたことが記されています。

それにしても、司教の杖が、かわいいって、ありえないですよね。くるりんとしたところにかわいらしい動物のお顔が見えます。まじめなのに、落書き的な遊び心がある、不思議な石工さん集団です。

改めて写真を見ていて、もしかすると、全部の落書きは探せなかったのかもしれないという気がしてきて、うずうずと帰りたくなってきました。こういうタイプ、そそられますねぇ。

後陣にも回ってみます。

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教会で最も古い部分ということですが、修復が行き届きすぎているのか、そういう感じもありませんね。
開口部が一つあり、両脇に二人の人物像が置かれていたようなんですが、多分、壊れていたと思うんです。というのも、この写真しかないのです。

像は、大天使ガブリエルと聖母で、受胎告知の場面を描いたものとあったのですが、ガブちゃんは、手に棕櫚を持っているとまであったので、一部は残っていたのかしら。わたしはここまで言っているのに、気付けませんでした、シュン…。

いずれにしても、写真整理で二度おいしい教会です。やっぱりもう一度行きたいな。

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  1. 2021/10/25(月) 19:12:34|
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三越系ライオンが守る暗闇(サン・トンマーソ・ベケット教会-カラマニコ・テルメ、その2)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その6

しっかりを投票を済ませてから、この週末は、久しぶりにエミリアの教会巡りをしてきました。目的は、エミリアに暮らすお友達との二年ぶりの再会だったのですが、教会もしっかり堪能することができて、充実の週末となりました。

さて、カラマニコ・テルメCaramanico Termeのサン・トンマーソ・ベケット教会Chiesa San Tommaso Becket、続きです。
前回紹介しきれなかった本堂内のもう一つは、こちら。

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クリプタです。
とても狭くて小さな階段を下るのですが、階段は両脇ではなくて、ドカンと中心部にあるのが、特徴的です。
そして、こんなにこじんまりした様子なのに、しっかりと両脇にライオンがいるのが、これまた特徴的というか、すごいです。それも、かわいい系じゃなくて、三越系(笑)の写実系ライオン。

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ライオンと言えば、ちょっと前後というか、行ったり来たりで恐縮ですが、実は本堂にはもう一対、いらっしゃるのですよ。

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前回の記事に出てきた、フレスコ画のある柱の根元に、ファサード側を向いています。
お向かいにももちろん。

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こっちは口を開けて、阿吽みたいになっていますね。
もともとは、違う場所にあったものと思われますが、こっちを向いている姿勢なので、ファサードに置かれるものではなさそうです。

前回の記事でも掲載した図解ですが、ライオンの位置を水色で記してみました。

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この教会、入り口入った部分と後陣の間に、もう一つ異なるレベルがあるんです。図解の中で、横線が、段差を表すもので、二つ見えますよね。
ライオンのすぐ手前に、段差があるので、ライオン部分は、わずかに高いんです。よくわからないのですが、もしかすると、古い教会ならスコラ・カントラムで仕切られる聖職者スペースなのかな?と思ったりしますが、さて、どうなのでしょうか。もしそういう意味があるなら、ここにライオンがいるのも納得できる感じ。

クリプタに戻ります。
ここね、残念ながら、真っ暗でした。明りのスイッチはあったのですが、電球が切れていたようで、何度ぱちぱちやってもダメでした。
あまりに暗くて、大した距離ではない階段を下りすのすら、怖い感じなんです。
さすがに、手探りでフラッシュ撮影しました。

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この、奥の丸いものは、見たまんま井戸。
今でも水が出ているそうです。いわゆる地下礼拝堂、というものではないですね。

こういうものが地下にあって、今にも残っていることから、勘の良い人は、もしや、と思うかも。どうやら、異教の神殿がもともとあったのではないかと考えられているようです。
教会の歴史ですが、おそらくそういう古い信仰地であった場所に、カンタベリー大司教だったトマス・ベケットが1173年に亡くなった直後、着工されて、1202年までには完成したことが分かっているそうです。スポンサーは。ノルマン出身の、地区の豪農だそうです。

まんま英語名前の聖人って、他に知らないくらい珍しいので、最初に名前を知った時、何か勘違いかと思いました。でも、彼に捧げられた教会って、結構散発してるっていうか、あちこちに唐突にありますよね。あ、フレスコ画などもそんな気がします。

教会は13世紀に、アゴスティーノ派の修道院となり、その後ベネデット派に鞍替えしつつも、17世紀には活動停止というものだったようです。

ほんのわずかの滞在、というより、真っ暗闇で何一つ見えなかったクリプタですが、降りてみると、意外と深いこともわかります。

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地下礼拝堂の体裁もとっていないのに、このように立派な階段とライオンを作ったのは、なぜだったのかしら。

長くなってしまうので、次回ファサードです。

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  1. 2021/10/24(日) 17:28:51|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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落書きといってよさそうな(サン・トンマーソ・ベケット教会-カラマニコ・テルメ、その1)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その5

プランBで始まった旅ですが、カザウリアの修道院教会をじっくり堪能することができて、まずは良いスタートでした。次に向かうのは、南方向半時間ほどの村です。

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カラマニコ・テルメCaramanico Termeのサン・トンマーソ・ベケット教会Chiesa San Tommaso Becketです(9-17時)。

ここも、カザウリア同様、素直にカラマニコ・テルメを目指してはいけないので、ご注意くださいね。サン・トンマーソというのは、カラマニコ・テルメの町の役場の管理下にある村と言う位置付けで、イタリアでは、Frazioneという単位の村となります。Frazioneだと、独自の役場を持たない単位ということになるのだと思います。
でもね、この教会も、検索で出てくるのは、カラマニコ・テルメのサン・トンマーソ教会、となるので、単純にカラマニコ・テルメ、目指しちゃいそうですよね。

でも、距離にして6キロ近く離れた村ですので、思い込みでカラマニコ・テルメを目指すと、わけのわからないことになります。

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田舎で人口が少ないからなのかな、とにかく一つの役場の管轄範囲がすごく広いみたいですね。住所でも、Frazioneというのは表立って出てこないので、厄介です。

さて、教会は、町はずれの、わずか高台になっているロケーションにあります。
現地に、見所早わかり、みたいな1/120の図解がありました。

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これはいいですね。すべての教会がこういうわかりやすい図解を置いてくれると、色々助かりそうです。アブルッツォ、地味な割に、ナイスな情報開示!

開いているので、まずはすかさず入場です。

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シンプルですが、カザウリアのように真っ白じゃないし、地味な雰囲気がなかなかよろしいです。

まずは、親切な図解で指摘してくれている見所を押さえていきましょうかね。一応、事前の情報だと、フレスコ画がなかなかよさげということですが…。

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後陣に向かって左側、真ん中辺の柱の、信者の方を見守るような面に、サン・クリストフォロさんがいらっしゃいます。クリストフォロさんは、いつだって巨人で、肩に子供を乗せている姿で描かれるのですが…。

それにしても、名前の由来が、キリストを肩に乗せて運んだことだったとは、知りませんでした。旅人の守護聖人になっていると記憶していますが、そんな由来からなんでしょうかね。または世界を放浪したからなのかな。
とすると、コロンボ、つまりコロンブスの名前がクリストフォロって、なんかすごくない?と気付いてしまいました。あれは、本名なんですかね?またはサン・クリストフォロにあやかって、自称していたのかも?

お顔がかわいらしかったので、クローズアップ。

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そしたらなんと、お子さんを手で持っていらっしゃいました!
大国主命みたいな髪型で、心優しき力持ちみたいな…。

さて、向かいの柱の方は、ファサード側に向かって、キリストの生涯の場面が描かれています。

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一番上に磔刑。中央に埋葬、下には、辺獄への降下。

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その辺獄では、悪魔を踏みつけ、アダムとイブを、辺獄の外へと導いているようですが、手を引っ張っているのがアダムらしいです。
確かに、ちゃんと名前が記されているみたいです。

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それにしても、アダム、じいさんですね?
肌つやはよさそうなんで、いわゆる若白髪の人をモデルにした?
そんで、なんかアダムの手が引っ張っている陰で、イブが、私もつれてってくれるのよね?と疑心暗鬼な顔をしているのが、印象的。

これらのフレスコ画は、1200年代のものとされているようですが、もしかしたら結構後半かもしれない的なテイストも感じるものの、何かしら愛らしいし、ヘタウマ・テイストもちょうどよい感じに盛り込まれていて、ツボでした。

次に見るべきは、入り口入ってすぐ右側にある柱です。

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トップの全体写真でも、この柱の特異さは目立つと思います。
これ、聖なる円柱Colonna Santaと呼ばれるもので、長年にわたり、巡礼者の祈りを受け止めてきた代物ということです。下の方がすり減っているのは、巡礼者が触ったりこすったりしながら祈っていたことの結果。子供を授かることにも効果あり、という伝説もあって、多くの女性も触りに来たそうです。今は、ガラスで囲まれて、直接触れることはできなくなってしまいました。
なぜ、聖なる柱とされていたのか、確たる理由は不明なようですが、他の柱とまったく違う様子。そして、重厚な壁を支えるには細すぎるのではないかと感じさせる角柱のサイズ感によるのではないでしょうか。
実際、1600年代に、この柱の上部に、力を分散させるために、大きな開口部が開けられたそうです。

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確かにすごいほっそり感。
それに柱頭も、ここのこれだけ、他とはタイプが違うんですね。

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他の柱頭は、植物文様など、ごく一般的なモチーフだし、形もそうなんですが、この柱頭は、結構違いますよね。
柱頭も、柱も、土台も、すべてが起源の異なるアイテムを、組み合わせて作ったものとされているようです。そんなことから、天使と信者たちが力を合わせて、これらをここに運び込んだという言い伝えもあるようで、それもまた、聖なる柱の根拠になっているようです。

では、他の柱頭はどんなか、というと。

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こういう柱と一体化したタイプとか。
柱の表面に、浅浮彫、見えるでしょうか。この教会、なんかこういうものが、あちこち見られるんです。これは、宝探しとして、結構好きなアイテムっていうか、楽しいですよね。外側にもありますので、追って紹介しますが、見逃しなきよう。

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これも、柱頭というよりおは、柱の装飾がですけれど、ここでも、壁に色々落書きみたいな遊びが見られます。かわゆし。

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これは、やっといわゆる柱頭ですね!モチーフは、やはりシンプルに植物です。
適度に繊細さも見られる植物モチーフで、柱と一体型多数、という感じ。

やはり聖なる柱の柱頭だけ、タイプがちがうのが明らかです。

内部には、もう一つ見るべき、なのかどうか、一応紹介するものがありますが、一旦切ります。

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  1. 2021/10/21(木) 21:09:57|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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職人さんには、頭下がります(サン・クレメンテ修道院-カザウリア、その4)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その4

カスティリオーネ・ア・カザウリアCastiglione a Casauria(トッレ・デ・パッセリTorre de Passeri)のサン・クレメンテ修道院Abbazia di San Clemente、続きです。

本堂の中央扉の続きですが、紹介した以外の部分にも、激しく装飾的な彫り込みが沢山あるんですよね。

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両脇の扉のリュネッタ部分には、大天使ミカエルとか。

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聖母子像とか。

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見るからに、時代が混じっているし、どう対応したらいいのやら、という装飾過多にも近いようなところがあります。
これ、ロマネスクの右も左もよく分からないけど、とりあえず行ってみる、的な状態で来てしまうと、結構おどおど、どうしたらいいの?え?ロマネスクなの?みたいな混乱状態に陥りそうです。
だからどう、ではないのですが、このサン・ミケーレとか聖母子は、どう見ても時代が下るようで、私の好みではないので、さらりと流せますけれど、そうはいっても時代的には12世紀後半ということになっているようなので、決してロマネスクを逸脱している時代ではないわけで、ええっと、どうしようかな、とこういう時悩んでしまう自分がいた頃も確かにあった、みんな違ってみんないい、みすず、みたいな気持ちになったりもします。笑。

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ポルティコには、立派な柱頭もあり、えっと、どう見たらいいんだっけ、と自問自答するような立派さだったりするんで、ほんと戸惑いますよ、ここ。

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でも、別にね、好き嫌いでいいわけで。わたしは、それほど惹かれる彫り物ではなかったのです。

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自分の好き嫌いを分ける要因が、とても小さな取るに足りないような部分にあるのは認識しているんですけどね、かわいいとかかわいくないとか、そういうところだったりね、でもそういう感覚、美術鑑賞では大事だと思っています。意外と本質とらえてたりしますからね。
古代でも中世でも現代でも、評論家でもないなら、美術鑑賞に一番大切なのは、自分の感覚で、好き嫌いでいいんですよね。現代は難しくて、意味が分からないから、じゃなくて、まずはピュアに見てみたらいいだけなんですけどね。

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おっと、また脱線アラート、現地にゃんこのシャー。
確か、プロローグ(三年前)でも言及したのではないかと思うのですが、アブルッツォ、いい意味で本当に田舎で、多くの教会で、フリーダムな犬猫にお出迎えされることが多かったんですよね。猫はともかく、ワンコも、かなりフリーダムに、飼い犬なのか野良犬なのかも不明な状態の方々が、とてもフレンドリーにいらっしゃる。本来犬が苦手で、どんな小型犬でも怖い私にすら、警戒心を抱かせないワンコたち。田舎、いいなぁ、としみじみ思いましたよ。

にゃんこにシャーされつつ、後陣側へ。

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ほぼ、往時の面影希薄な状態でした。
でも、その辺掘ったら、色々出てきそうな状況でした。

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ポルティコに戻りまして、その一角にある博物館にも入場します。4

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ここから出てきた色々が展示されているので、ここは必見です。

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解説も丁寧なので、ここで説明版を読んで、改めて見直す、というのもありましたよ。

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色々ある中で、ちょっと感銘を受けたのがこれ。

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感銘って大げさですかね。
でもさ、これ、柱頭なんですよね。結構高い位置に置かれているはずのもの。なのにさ、葉脈?なんか、絶対に下からはよく認識できないような細かさ、小ささでこういうのを彫るって、毎度ね、感心しちゃうんですよ。だって、見えないですよ、下からでは。
でも、本当のところ、見えないところをどれだけきちんとするか、って、職人仕事では、おそらくすごく大切なところなんですよね。これは美術というよりも職人的な視点だと思うんですけど。例えば、縫物でも、ひっくり返したら見えないけれど、端っこの始末をどれだけきちんとするかで、最終的な出来栄えが全然違う、見たいな、そういうところって大きい。
この葉脈なんかはそれよりもっと高度な部分の、見えなくてもやることで全体が変わってくる、といったタイプの仕事だと思っちゃうんです。大げさかな。

現場主義なんで、博物館美術館は、いっそ見なくてもよし、というタイプなんですが、ちゃんと見たときに感心するのは、大抵そういう部分です。中世は、まだ職人さんの世界ですから、なおさら。

博物館のおかげで、ポルティコのファサード部分も確認。

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ここにも、たくさんの職人仕事が見られます。

のっけから、いきなり装飾過多気味の教会に出会い、アブルッツォ、どうなることやら、でした。
それにしても、ここ、開いていない時って、こんな手前から鉄柵で閉ざされてしまうんでしょうか。相当厳しいですね。

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  1. 2021/10/16(土) 21:00:48|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

最近の手仕事、ノート編とおまけ

ハンコは、自己流ですし、彫りたい対象が次々と出てきてしまうので、彫り方を極める、ということができず、ハンコのクオリティは初心者をやっと抜け出したくらいのところまでしかたどり着けないということが分かってきたあたりで、次なるハンコ活用アイディアが…。

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既存のノートに、自分のハンコを押せば、あっという間にオリジナルノートに!
これね、マニラ紙風の拍子で、中も無地、というフライング・タイガーで販売されているミニ・ノートのおかげです。A6の一回り小さいサイズです。
ついでに、かなり厚みがあってお安く売っているポストイットを小分けにして、それぞれ画用紙で表紙をつけてっていうのも考案。

どっか他でも、無地のノートがないか探しまくったのですが、日本の百均でも、ミニ・ノートには、必ず罫線が入っているんですよね。見つかった無地ものは、ピリピリと切り取れるようになっているノートくらいでした。
それなら、とそれらを束にしてピリピリして、台紙と表紙をつけてみました。

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個人的には、ミニ便箋として、かなり重宝していますが、使用が限られている感がありますので、やはりちゃんとしたノートの方がいいなぁ、という中で、やっと、自分で作っちゃえ、と思いついたわけです。

最初は、和綴じから。

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便利な世の中になったもんで、和綴じだって、ネットで検索すれば、なんとか習得できるんですよね。最初はなかなかうまくいかなかったのですが、自分なりの工夫も加えて、なんとかこんな感じに。
サイズはA7で、表紙と台紙は折り紙です。中にも、表紙に張ったと同じキャラのハンコが各ページにペタペタと押されていて、なかなかかわゆいです。

でも、和綴じは開きが悪いし、使い勝手は今一つなので、やはりちゃんと綴じたノートにしたいと思って、製本などのワードで検索、綴じ方を探しました。
しかし、綴じ方は、かなり苦労しました。
ホッチキスでバチンと綴じる、という方法で、作っていらっしゃる方は多いのですが、製本となるとやけに本格的だし、手ごろなやり方、なかなか見つけられず。やっと見つけても、試行錯誤の連続でした。

で、やっと形になった…。

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昔々、もう10年以上前になりますけれど、一度ある教室で、小さなノートの製本を教わったことがありました。その時のノート、とってあったので、バラしたりしてね。でもそれは、かなりしっかりしたノートだったので、私のイメージとはちょっと違っていて、変にもっさりしちゃったりしてね。
で。最終的には、なんとか綴じて、普通の80グラムくらいの無地の色コピー用紙と、補強用の折り紙で、外を作ってみました。

その後は、しおりにも凝りだして、細いリボンとか、各色のコットンヤーンとか、先っぽにつけるチャームも、ビーズとか、スパンコールとか、ポンポンとか…。日本の百均とか、ミラノの中国人の雑貨屋さんに、大いにお世話になりました。

そうこうするうちに、もうちょっと大きなサイズのノート、例えばA6くらい、作りたいと思うようになりまして、そうすると、外紙が、普通のA4サイズだと、紙の無駄がすごいので、さて、と考えて思いついたのが、手元に大量にある様々な紙類の再利用でした。

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当ブログをよく見てくださっている方にはおなじみですが、わたし、ベネチアのビエンナーレとか、ミラノのフオリサローネが大好きで、毎年あちこち徘徊しています。そして、そういう展覧会的なイベントでは、素敵なフライヤーだったり、ポスターだったりの紙類が大量にゲットできるんです。時々、面白いカードになっていたりとか凝ったものもあるので、いつも大きな袋に一杯抱えてくるっていうことになっていて、素敵なものは、保管していたんですよね、工作用に、と思って。
でも、実際には全然使ってなかったわけで、それの再利用、なんか目からうろこっていうか。

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これで、世界で一個だけ、感がさらに強まりました、笑。実際、同じものは一つとしてできないわけですからね~。場合によって、外紙は同じでも、なんと呼ぶのか、表紙の裏側、裏表紙?

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そこも、広告紙などを使うこともあれば、おしゃれな包装紙を使ってみたりもするので、同じものを作る方が難しいくらいです。
最近では、ノートの綴じ糸としおりの色合わせをしたり、変な凝り方までしてきて、リミットなしです。

ピリピリと破りながら使うレポート用紙タイプのメモ帳も、自作するようになりました。

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紙の一方の辺に、何度ものりを塗るので、綴じるのより時間がかかりますが、これはこれで楽しい。こちらのタイプには、ゴム止めをつけてみました。このゴムについては、何かもう一工夫欲しいところです。
ちなみに、上の写真の、右下の小さいサイズについては、外紙の代わりに、マスキングテープを貼ってみたもの。すごくずっしりしてしまうのですが、これはこれで、マスキングテープの組み合わせを考えるのも楽しいし、出来上がりもポップな感じで、思ったよりかわいいものになりました。

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そんな作ってどうするの?と思われそうですが、初期は、友人にもらってもらったり、失敗作を自分で使ったりで、それなりに消化していました。そして、年に一度、ミラノ日本人会のイベントで販売しています。残念ながら、イベントは、去年はなく、今年もおそらくないようです。

自分でも使っているのでわかるのですが、このノート、作りは素人ですけれど、ページが全開するし、ページ数も多すぎず少なすぎず、結構使い勝手いいんですよ。わたしは、旅のノートとして活用しているのですが、無地なのも書き込みに便利で、自画自賛状態ですが、気に入っています。

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というわけで、売るチャンスはなくても、作っていて楽しいため、常に少しずつ改良しつつ作っているわけです。実用品なので、差し上げれば、たとえ押しつけがましくても、それなりに使ってもらえそうですしね。

一方で、このところ、久しぶりにチクチクにも回帰していて、こちらもやたら作っていました。

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スマホクッションです。
在宅でビデオ会議の際、スマホで接続することが多く、支えが欲しかったことから、作ったら、なかなか便利だったので、友人にもプレゼントしています。三角は簡単だけど、それだけだと面白みがないので、先日、ノート用のポンポンをつけてみました。
そいから、変形で、こんなのも作ってみました。

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にゃんこ型は、検索しても出てこなかったので、試行錯誤して、三回目で、なんとか形になりまして、左側が最新の改良型です。
立体裁断って聞いたことあるけれど、三次元を二次元で形にしていくのって、本当に難しいことだ!とびっくりしました、こんな簡単そうな形ですら。
頭と指先を使うので、ボケ防止にもなってるかもね。

ちなみに、なんの役にも立たないどころか、場所ふさぎになりかねないしっぽ付きです、笑。

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というわけで、在宅ライフもなんのその。つくづくしみじみインドア人間だなあ、と思います。
ノートの次は、何が始まりますかね?

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  1. 2021/10/16(土) 15:37:25|
  2. 日曜大工、手芸
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有難いガイドさん(サン・クレメンテ修道院-カザウリア、その3)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その3

カスティリオーネ・ア・カザウリアCastiglione a Casauria(トッレ・デ・パッセリTorre de Passeri)のサン・クレメンテ修道院Abbazia di San Clemente、続きです。

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ファサード、といっても、ポルティコに隠れちゃっていて、ファサードのぱっと見は、地方のちょっとしたお屋敷みたいな位風情になっちゃっていますが、そこは無視して、実際の本堂入り口部分を、じっくり鑑賞しなければなりません。

扉は三つ並んでいますが、中央扉を取り巻く、というか、扉そのものも含めて、なかなか激しく装飾されております。

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見るべきは、聖堂の扉、リュネッタ、アーキトレーブ、そして、隅切りの柱や柱頭と盛りだくさんです。こうなるとね、興味が分散するというのか、ちょっと興奮気味になって、視線が定まらないというのか、まぁ、おなじみの状態ですけれど、そういう自分のアワアワ状態を反映するかのように、撮影もかなりさまよい状態となってしまって、こうして整理する段階になると、本当に厄介です。
もっと冷静に、研究者の目を持てる人なら、ひとまず落ち着いて深呼吸とかして、まずは、扉、次にリュネッタ、とか順番を決めて、他に視線がさまようのも我慢して、きっと集中して撮影ができて、結果、撮り残しのリスクも減るのではないか、と想像しますが、私の場合は、ハイテンションになっちゃうと、完全にその真逆に行っちゃうんで、何度も同じ部分のクローズアップを撮っているかと思うと、そのすぐお隣は、場面が切れちゃっているようなものしかなかったり、情けない限りです。

言い訳はともかく、まず、聖堂の扉。72の部分に分割されているんですが、これ、なかなか興味深いです。

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とってもデザイン的な内容になっているんです。72枚の各部分、同じモチーフが複数並べられています。そして、内容は、幾何学的な模様が主で、アラブとかビザンチンの影響が明らかなデザインとされています。

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聖堂の扉を、パネルに分割して、聖書のエピソードなどを彫りこむスタイルは、ヴェローナとかピサとかモンレアーレであって、かなり好きなアイテムなんですが、こういう、まるで石の浅浮彫のようなものを彫りこむのって、とっても現代的な発想というか、物語性と対極にある感じで、珍しいと思いました。
ちなみに、お城のアイコンが沢山あるのは、この修道院傘下の町村一つ一つがはめ込まれているとか、そういうことだったように記憶します。

というのは、このファサード見学の時、インスタ仲間で、事前に色々情報をくださった方がお電話をくれて、なんと電話越しに大変丁寧なガイドをしてくれたのです。空港を出るときに、雨が降ってきたこともあったので、行先を一緒に検討してくれて、ここに来ることは知っていたのですが、私が超の付く方向音痴で、必ず道を間違えることなど知る由もないのに、びっくりするほど絶妙なタイミングの電話だったので、驚愕したのを覚えています。
脱線、笑。

取っ手の部分は、12世紀ロマネスク風になっています。

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この扉の上に展開されるリュネッタ部分は、細かい彫り物がぎっしりです。
うかつにも、構造全体を撮影してなかったのですが、解説によれば、リュネッタを大きく取り囲むアーチが、ちょっととんがり気味で、それは、ロマネスクからゴシックへの変容時期のあかしとあります。
全体に、12世紀とありますが、おそらく後半ということになるのでしょう。

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まずリュネッタですが、中央にいるのがサン・クレメンテさんのようです。そして左にその信者であるサン・コルネリオとサン・エフェボという、私が全く知らない聖人がいます。右側で教会の模型を差し出しているのは、修道院長のレオナーテさんという方だそうです。

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石工さん、すごく親切で、というより、おそらくそうしてください、という注文があったんでしょうけど、それぞれちゃんとお名前が彫りこまれているんですね。それで、こんなに詳しく簡単にわかっちゃうというわけです。
このリュネッタの彫りは、なんとなく時代が下る様子もありますね。法王サン・クレメンテさんにしても、修道院長にしても、モデルがいそうな実在感がある上に、妙にイケメン、笑。修道院長のサイズが妙にでかいのも、なんか人となりがわかるような様子で、ちょっと笑っちゃいます。

特筆してあったのが、一番左端、二人の信奉者のさらに左なんですけど、バラと、そして野ウサギを抱え込んでいる鷲がいます。

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人の生命の移ろいを表すもの、とあります。お花は枯れちゃうし、生き物の明日も知れず、いわゆる「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮に白骨となって郊原に朽ちぬ」ってやつですかね。
とかさらりと言ってますが、こんな言葉、よく出てきたもんですよね。グーグル先生のおかげではあるんですが、高校の時とかに習ったことが、きっと折々に触れることでうろ覚えレベルに過ぎないけれど、記憶にあるということ、脳ってすごいな。

さて、リュネッタの下のアーキトレーブ。ここはなかなか充実した浅浮彫が並んでいます。

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前回の記事で、本堂内にあるチボリオの一面にも、同じストーリーが彫られているのを見ましたが、これは、サン・クレメンテ法王のレリックが、アドリアーノさんからルドヴィコII世に寄贈される場面、ぺスカラの谷を行く運送場面、修道院の建設のための土地の購入、最初の修道院長ロマーノの任命が、描かれます。

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レリックが寄贈されています。左端にはローマとありますが、サン・クレメンテは法王ですし、もともとローマ出身だったようです。それにしても、書き込みがすごいですよね。

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これは、聖遺物箱が運ばれているシーンですね。この話を聞いて、もしかして、さっき本堂の隅っこに置かれていたあの地味な箱がこれ?と気付いて、再度見に戻ったんですよね。だって、ちょっと感動しませんか。

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これが土地を買っているところ?よくわかりませんが、解説の順番からはそうなります。

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これが修道院長任命の図?だとすると、選挙みたいなことかな。
土地の購入と任命が逆なような気がしたんですけどね。

全体の中央には、修道院の姿が置かれています。

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教会フューチャーが、かなり激しいですね。修道院長の自慢で生まれた装飾的な。
特に好みでもない彫りではあるんですが、ガイド付きだったのもあり、また保存状態が大変良くて、内容が分かりやすいので、楽しめました。

装飾、まだ終わりません。本当にたくさんあったな、のっけから。
ということで、続きます。

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  1. 2021/10/14(木) 22:04:41|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

典型から攻めていく(サン・クレメンテ修道院-カザウリア、その2)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その2

カスティリオーネ・ア・カザウリアCastiglione a Casauria(トッレ・デ・パッセリTorre de Passeri)のサン・クレメンテ修道院Abbazia di San Clemente、続きです。

本堂にある装飾を、さらりと見ていきましょう。

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まずは、後陣に置かれたチボリオです。
チボリオは、アイテムとしては好きだったことがなく、時代もわかりにくいし、いつもどう対応すればよいのか、自分の中で折り合いがつけにくいのです。ここのチボリオも、見るからに、一体いつの?みたいな雰囲気で、困ってしまいます。いや、困ることもないか、笑。

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チボリオに守られるようにして設置された祭壇状のものは、ローマの石棺に見えます。
でも、彫りは、結構中世っぽい様子もあるし、なんか、とってつけたような様子もあったりして、もう全然わかりません。

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チボリオ見ると、どうも勝手に胡散臭い気がして、疑惑視線になっちゃいます。
でも、例によってあまりいい加減なことを書くのも嫌なので、一応ネットで確認したところ、私の感覚も結構捨てたもんじゃないじゃ~ん、笑。チボリオは、全体に、1400年代の再建と考えられている、とありました。本当のところ、どこがどうで、という細かいところまでは分かりませんけれど。

正面の上の方は、横長の帯で、中央に、二人の天使に囲まれた聖母、そして、両脇に、四福音書家のシンボル。

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両サイドは、完全に1900年代の再建らしく、一番奥の面には、修道院創建のストーリー絵巻となっているようです。

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これは、教会正面扉に掲げられたアーキトレーブに、同様の内容の彫り物があり、そちらの方が圧倒的にすごいこととなっていますので、次回、紹介したいと思います。

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どうやら、彩色があった様子ですね。1400年代当時は、かなり派手派手なチボリオだったということかな。
まぁ、再建といっても、チボリオそのものの構造は、オリジナルらしいんですよ。というのも、これらの装飾は、硬質なストゥッコらしいんですが、同じ材質の様々な破片が、教会構造の破損した部分などから見つかっているらしく、一部、チボリオに属するものだったのでは、というものが同定されていたりもするようです。
なんか、やっぱりチボリオは、どう転んでも、面倒なアイテムだと思ってしまいます。

あ、ちなみに上にクローズアップした部分は、前回の記事で紹介した聖遺物入れのようですよ。これは、扉の方の装飾でわかったんですけど、絵に表されているものが、そこに実際あるっていうことが、妙にわくわくして嬉しくて、扉の後、もう一度本堂に戻って、聖遺物入れを再見学してしまいましたよ。

次は、がらんとした本堂の中ほどに置かれた説教壇です。

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これも、ピカピカしちゃっていて、装飾の内容も含めて、好みではないんですよね、困ったことに。

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この、怪しいやつらは、多分お足元だと思うんです。どう考えても、上の方の装飾と様子が違い過ぎるので、違う人の作品ぽいですが、どうでしょうか。説教壇上部の装飾は、ストゥッコに見えます。

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この説教壇、アブルッツォでは、多くの教会で目にします。こうやって円柱で支えられたスタイルが、典型的のようです。
ここも一応調べたところ、1176年作、とありました。アブルッツォでは、割と早い時期、12世紀前半から13世紀半ばを中心に、こういうスタイルの説教壇が取り入れられたそうですが、例えばトスカーナやエミリアロマーニャで、同様のスタイルの説教壇が作られるのは、13世紀以降ということです。そういわれれば、そうかもね。ちなみに、アブルッツォでは、現在32の説教壇が遺っているそうですから、やはり説教壇大好き地域ですね。

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ドラゴンの口からつる草がにょっきり。
ドラゴンに限らずですが、動物から草にょっきりが、アブルッツォでは大変よくみられる図像という解説を読みました。
それは興味深いので、ペアになっているもう一人も、アップしましょう。

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もう一つ、前の記事で言及していた本堂内の装飾アイテムは、イースターのろうそく立てというやつ。

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時々、全身に素敵な彫り物が、というやつがあったりするんですが、これまた、よくわからないアイテムでして…。
まぁ、コズマ―ティモザイクで、キラキラきれいですが、ちょっとね、だから?的なたたずまいだったりします。
というわけで、このろうそく立てフューチャーした写真は、これ一枚こっきりでした、笑。

空港降りたって、最初に訪ねたアブルッツォの教会ということで、どのようにアプローチするのか、理解するのか、なんせいきなりすごいクリプタとか遭遇しちゃうし、ちょっと戸惑いがありますが、一般的にこの教会最大の見どころは、ファサードの装飾とされていると思いますので、次回乞ご期待。
わたし的には、古い時代のクリプタで、いきなりおなか一杯満腹感も感じているんですけどね。

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  1. 2021/10/11(月) 21:31:53|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:4

9世紀というだけで萌えます(サン・クレメンテ修道院-カザウリア)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その1

旅の直後にプロローグを上げて、ほぼきっちり三年たってしまいました。なんと、プロローグの時は、まだヤフーブログだったことを思うと、時の流れを如実に感じますねぇ、笑。

さて、この時の旅は、11月頭の万聖節の連休を利用した三泊四日、実質的な稼働時間は三日という短いものだったうえに、雨にたたられて、結構プランB発動の機会も多く、常に次どうするかを考えながら動くような状況だったのですが、その割には、当初の目的をほぼクリアするという満足度の高い内容となりました。

ミラノ出発時の早朝は豪雨。ぺスカラの空港では辛うじて曇天だったのが、レンタカーの手続きを終えて、出発しようという段階になって、雨が降ってきました。あっという間に豪雨状態になってきたので、いきなりプランB発動しつつ、出発です。

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カスティリオーネ・ア・カザウリアCastiglione a Casauria(トッレ・デ・パッセリTorre de Passeri)のサン・クレメンテ修道院Abbazia di San Clemente(オープン毎日9/13時、目の前に駐車場あり)。

いきなり迷って、見当違いの方向にぐんぐんと行ってしまいました。というのも、ここ、住所だけで見ていると、カスティリオーネ・ア・カザウリアと出てくるので、その村をナビに入力したんです、なんの疑問もなく。そしたら、なんか行けども行けども、くねくね道が続くばかりで、さすがにおかしいと思ったので、カスティリオーネ・ア・カザウリアの村で、道端でおしゃべり中のおやじたちに尋ねて、大失敗に気付きました。

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黄色い高速を、右上の方からやってきて、出口は、サン・クレメンテと記されているあたり。高速を出てすぐに、右がTorre、左がCastiglioneという分かれ道があったのですが、もちろん何の疑問も持たずに左に行ったわけです。ところが、修道院のある場所は、カスティリオーネ・ア・カザウリアでも、そこに属するさらに小さな村で、それは、高速を出たらすぐそこにある村だったということで、いきなりの無駄走りでした、笑。
今後いかれる皆様においては、どうぞ、このような無駄走りをされませんように。

そのような事情により、予定よりかなり遅れての到着になってしまったので、ファサードは置いといて、まずは、慌てて入場します。

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がらーんとした内部。やけに白々と白塗りもまぶしくて、ちょっと気持ちが引ける様子です。とはいえ、ぼんやりしている時間はないので、アワアワしながら、いつものようにメモで、この教会で見るべきものを確認です。
そうだった、そうだったと思い、説教壇や柱頭が気になりますが、後陣に向かって突進です。

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目的の一つは、クリプタでした。

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やられました~!
アブルッツォ、いきなりこれですか!好きすぎてウルウルですよ、すでにして。
それにしても、上物とのイメージの差が激しいですよね。このクリプタは、かなり古い時代のものっぽいです。

ということで、ちょっと歴史を見ます。
教会の創建はとても古くて、871年、修道院教会としてのものだそうです。皇帝の後ろ盾があったことで、修道院は短期間に非常な権威を獲得し、有力修道院となりますが、920年、サラセンの略奪をうけ、繁栄が一時ストップ。その後、徐々に力を回復するも、11世紀後半にはノルマンによる度重なる略奪を受けます。

本来力があったのか、はたまたその時々に、優れた修道院長がいたのか、ちょっと不死鳥のような修道院だな、という歴史ですよ。
だって、何度も何度も、色々な略奪を受けながらも、12世紀に一番輝いたということなんです。
その繁栄の結果、多くの改修や工事が実施され、教会の姿が変容していくこととなったということ、納得です。

現地にあった図面ですが、変な歪みがあったりするのは、そういう長年の改築増築の結果なのだと思います。

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歴史の話を閉じておきますと、そのような繁栄もあったものの、1348年、地震により建物の多くが崩壊したことをきっかけに、急速な衰退が始まります。きっと住むこともままならないとかの理由で、多くの修道士が、離脱せざるを得ないという状況だったのでしょうね。

それにしても、この地域、なんせ訪ねるのが初めてなので、まったく知りませんでしたが、地震がない地域ではなかったようです。と言っても、この修道院の記録に残っているのは、1348年と1915年のようですが、その間にもなかったとは言えないので、周期としては300年とかだったりするのかも。それにしても直近が1915年とすると、最近に起こった地震とは一致しないので、近くが変動しているのか、実際に周期が短くなっているのか、ちょっと怖いな。

その後、15世紀の半ばになって、修道院が繁栄していたころの回廊が、一部修復されるも、全体の修復は、18世紀まで手が付けられることはなかったということです。

で、私が好きすぎるクリプタは。9世紀ということなので、おそらく現在遺されている唯一の創建時の建造物ですね。ひゃぁ、通りで、好きなわけだわ。

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いくつか、立派な柱頭がありますが、これらはどうやらローマの転用のようです。
現地での説明版に加えて、ネット検索もいくつかしたのですが、クリプタに関しての詳しい説明は、まだ見つかっていません。
どう見ても、高さおかしいし、何かしら説明が出てくるものと思ったのですが…。
おそらく、このクリプタ、ほぼ完全に埋まっていたんじゃなかろうか、と考えます。見つかって修復されたけど、下までは掘り下げられず、床面をこの高さにせざるを得なかったとか。
でも、祭壇はまさに床面レベルで置かれているんだよなぁ。
スペインはアラゴンにあるレイレ修道院と同じような高さですよね。

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とにかく雰囲気がよくて、短い滞在時間ではありましたが、どうにも後ろ髪がひかれてしまって、本堂をうろつきながら、ついまた降りてしまう、といったような状態でした。

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そこそこ先を急ぐ旅ではありますので、それを振り切って、本堂へ。
装飾的に、重点的に見るべきアイテムは、下の三点となります。

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右にある説教壇と、左のイースターのろうそく立てという言われるアイテム、そいから、奥に見えるチボリオ。
これらのアイテムは、この旅でたずねた多くの他の教会でも、非常に似通った形で供えられていて、この地域ですごくはやったのか、たまたまそういう専門の職人さんが巡回して、同じようなものを作ったのか、地域の美術史的には、ちょっと面白い点だと思います。
これらは次回として、内部にあるその他の装飾品を。

3世紀の聖遺物入れ。

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創建翌年に持ち込まれたというサン・クレメンテの遺物である骨が収められていたもの、とされています。アラバスター製で、1104年には、サン・パオロとサン・ピエトロの遺物も収められていたと言われているようです。
聖人のことは、あまりよく知りませんが、サン・クレメンテも、あちこちで祭られている有名聖人だし、サン・パオロとかサン・ピエトロさんは言わずもがなで、聖遺物と簡単に言われても、にわかには信じられませんけれども、でも、当時は、人々の世界はもっと狭かったはずだから、あの聖人の遺物ですよっていわれて、それも、骨ちょっぴりとかだったら、すごいなぁって素直に信じることができたんでしょうかね。
あ、でもサン・クレメンテさんみたいに、ローマの人だったりすると、身近な人的な認識で、遺物があることも不思議じゃなかったかもしれないですね。

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クラシカルな植物の中に今年の主役。
テイスト的に、いつのものなのか、分かりにくいです。
下のも、なんか変な味のある彫りです。

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グリーンマンですけど、なんか、ピカピカ度が違和感何ですかね。いずれにしても、私の好みではないです。

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続きます。

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