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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ブラタモリしてほしい…(カテドラル、サン・パンフィーロ-スルモナ)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その14

雨の中の苦行で若干疲れ、一服しながら、次の行先を考えました。すでにプランBの発動続きで、全体の予定がわやわや。方向的にも時間的にもどうかな、と思いましたが、せっかくなので、行くことにしたのが、次の教会です。

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スルモナSulmonaのサン・パンフィーロ大聖堂Duomo di San Panfiloです。

え?なにこれ?と思うような外観ですよね。でも、想定内だったので、驚きはせず、どんどん入場します。
あ、その前に、一見、腰が引けるようなファサードですが、ちょっと安心するアイテムもちゃんとありました。

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ガジガジ系のライオンちゃんが、入り口の両脇を守っています。が、朽ち方が半端なく、ほとんどシュールなお姿になっています。

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しかし、たてがみの細かい彫りから、かなり技術のある石工さんの作品ではないか、と思われます。
トップの写真から、とてもこじんまりしたサイズ感ですから、名称がドゥオモ、つまりカテドラルとはどういうことや?と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。いや、私は、そこについては、ちょっとびっくりしたんです。

というのも、旧市街に入って、まさに旧市街の中心に位置するすごい立派な教会がありまして。

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目的の教会には、外観に見るべきものはないという情報を持っていたため、躊躇なく、最初に出会ったこの教会に入りましたよ。すぐに、あれ?違うなって気付いたんですけどね。
でもさ、仮にもカテドラルだったら、この位置ではないですか。

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上がスルモナの町です。大きな川の中州みたいな様子なんですよね。その北端部分にカテドラルがあって、最初につい入ってしまった教会は、旧市街の建物がぎっしり並んでいる中心にあるAnnunziataというやつ。どう見ても、こっちがカテドラルと考えるのが普通ですよね。

ちょっと調べたんですけれど、分かりませんでした。
ただ、ぺスカラとローマを結ぶ道がこの辺にあった様子なこととか、鉄道駅が、このカテドラルのさらに北部の方にあることとか、そういうインフラ的なことを考えると、おそらく、中世当時は、この辺の方が栄えていたという理由がありそうです。
カテドラルの前が、大きな公園になっているのも、歴史的な何かがあるのかも、とブラタモリしたくなるような町です。

脱線がひどくなる前に、教会に戻りましょう。

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このファサードは、1706年に地震で倒壊した後、バロック様式が採用されてこうなったということです。やはりこの辺り一帯、地震がつきものですね。
内部は、これでもか!という、バロック様式の中でもかなり激しいやつ…。

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解説を読むと、柱頭はロマネスク時代のものがあり、とあるんですが、これはちょっと、たとえあるとしても、この様子を見ただけで、何かあるかもしれない、なんていう望みは一瞬にして粉々になってしまう破壊力のあるバロックです。
下を向いて、逃げるようにこそこそと、目的地に向かいます。

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ここにたどり着いた時、地下にもぐっているので、まったく逆なんですけれど、素潜りでぎりぎりまで呼吸を止めていた後、海面に浮かび上がって、新鮮な空気を思いっきり吸い込んだ、そういう気持ちでした。いや、素潜りなんて、人生で一回しかやったことないんですけどね、笑。
それにしても、素敵に古いクリプタです。そして、広いです。

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もともとは、16本の円柱が、幅の異なる六つの身廊を分割していていましたが、その後中央にある守護聖人の祭壇の建造のため、2本が壊されて14本となってしまいました。
どういうことかというと、この素朴感満載のクリプタのど真ん中に、どどん!とすごい建造物があるんですよ。

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すっごい違和感。おそらく、これ作っちゃったときは、他の円柱も、金ぴかのお化粧を施されていたんだと思います。それをはがすので、いくつかの柱頭が損壊したとありましたからね。なんということを…。それにしても、バロックの金ぴか至上主義って、ある意味執念的にすごいですよね。灰色の地味な暗い空間をものともせず、ここまでトランスフォームしちゃうわけですから。

ここには、サン・パンフィーロさんが眠っていらっしゃるようです。
この教会、もともとは、パンフィーロさんのレリック、というか遺骸みたいですけど、それをコルフィニオからこの村に運ぶ際、運送している人が、ここで休憩をとって、という言い伝えがあるそうです。休憩中にお告げがあったとか、そういうことかもね。それだと、街道にある、という意味が成り立ちますが、どうやらそれは単なる言い伝えとされているようです。ただ、レリックは確かにあるみたい。

クリプタは、当初は12世紀、上物の教会と同じ時期とされていたようですが、今では、9世紀終わりから10世紀初頭の建造であることが、明らかなようです。柱頭のモチーフが多様なため、正確な年代を特定するのは難しいということですけれど、とにかく私の好きな時代のものであることは間違いなさそう。

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それにしても、装飾彫り物、シンプルすぎません?これなんか、ノミでちょっとひっかいただけ的な…。10世紀といっても、もっと彫れる人はすでにいる時代なのに。

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これなどは、まぁまあ。仕事に比べて、手が足りなかったんですかねぇ。棟梁が頑張り過ぎたっていうのもあるかもね。

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モチーフが、ほんと多様なんです。かなりプリミティブだけど、ちゃんと、とてもロマネスクな植物モチーフを、デザイン的な装飾的な様子にして、すごく頑張っているけど、細かい彫りをできる人は数が足りない、契約期限は来る、仕方ないから、お前、三角ひっかいとけ!みたいな、笑。

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謎の切込み。広いですし、なんか障壁みたいのを置いたりしてたのかな。
いずれにしても、この時代、アブルッツォにかかわらず、多くの教会で、他の建造物、多くの場合はローマの建造物になるわけですが、そこからの流用、再利用が多かったのですが、ここは、どうやら、ここのために作られた円柱、柱頭だったと考えられているようです。というのも、下駄がはかされていなかったりという実際的な状態もそうだし、太さやサイズがどれもぴったりで横並び、ということから。なるほど、そういわれてみれば、そうかもね。

その他、解説で気になった記述は、前回記事のコルフィニオのサンタレッサンドロ礼拝堂と共通することが多々あるということで、やはりコルフィニオは、とりあえず呼び鈴を鳴らしてみるべきでしたわ…。

さて、このクリプタ、ちょっと気になるアイテムが二つあります。
一つ目は、これ。

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気付いたものの、ちょっとかわいいけど、相当傷んでるし、近代の粘土細工っぽいものくらいに思っていたんです、情けないですけど…。ところがこれ、12世紀の石彫り聖母子像となっているから驚きです。
色々説があるようですが、この教会のために作られたものではない、ということは、どの説も一致しているようです。
一つには、近くのピンチャーロという村、当時は瓦工場などがあり、要は結構栄えていたらしいのですが、その村の教会にあったとするもの。より有力な説は、スルモナ内の、プレステージの低い教会にあったとするもの。そのほか、コルフィニオの教会にあったとか、カザウリアのリュネッタに飾られていた説などもあるようです。彩色は、こんな状態で残っているものと思いますが、カザウリアかどうかはともかく、リュネッタに置かれていたというのは、ちょっとうなずける感じ。石なら、やはり外ですよね。キリストのお顔がないのは残念ですね。

もう一つのアイテムは、司教座。

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もともとは本堂にあったものが、1706年の地震の後、この場所に移されたそうです。色々な素材が使われており、最も古い部分は、12/13世紀とありますが、例えば手前に見える浮彫装飾などは、その時代のものかもね。
だた、そういうものを組み合わせて作られているわけなので、クリプタよりは相当後の時代のものだし、これも正確な出自は不明らしいです。

ということで、ファサードからは想像もつかない楽しいクリプタなんです。

後ろ髪惹かれながら、外に出て、大回りをしまして、なんとか後陣見える場所へ。

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スタイルはロマネスクですが、全体すっごくきれいで、これも地震後の再建が多いのでしょう。

というわけで、多くは期待していなかったのですが、かなり見ごたえのあるクリプタでした。ちなみに、アブルッツォではクリプタは数がないようなので、貴重かもね。

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  1. 2021/11/14(日) 17:53:45|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

立ち枯れ野菜畑で苦行の巻(サン・ペリーノ教会-コルフィニオその2)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その13

コルフィニオCorfinioのサン・ペリーノ教会Basilica di San Pelinoです。
と、さらりと書いておりますが、この土地って、結構歴史の交錯するところみたいで、この教会も、Cattedrale Valvense di San Pelinoなんていうまたの名があって、なんだなんだ?って感じなんですよ。

もともとこの土地に定住していたのは、古代にCorfinium族と呼ばれる人々で、その当時はCorfiniumという村、その後ローマ時代にPentimaとなり、中世にはValvaという名称となりました。そのため、中世が創建の、いまのサン・ペリーノ教会を含む一群音建造物は、ヴァルヴァ時代のカテドラルとその他の建物群みたいな呼び方をされているようです。

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のっけに、地味な絵図ですみません、笑。
これ、上の主な部分が、サン・ペリーノとなるんですが、右側の方の建物が、サンタレッサンドロ礼拝堂となるみたいなんです。行くまで、そんな別建物があるとか、まったく分かってないし、実は、行ったときも、よくわかっていませんでした。

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このサン・ペリーノで見るべきものとチェックしていたのが後陣だったので、是非後ろにアクセスしたかったのですが、こうしてみて分かるように、向かって左側の方は建物がびっしりで、アクセスしようもない状態です。

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で、右の方はというと、ファサード前にある鉄柵が、延々と続いています。
サン・ペリーノのファサードにはアクセスできますが、そのお隣の方は、鉄柵の中からはアクセスできず、鉄柵の外側を行くしかないのでした。

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やっと、その横長に続いている建物、要は、サンタレッサンドロ礼拝堂と思うのですが、その終わりまで来ますが、鉄柵は折れ曲がって延々と続き、建物へのアクセスはかないません。その上、曲がりこんだ先は、冬枯れの荒れた畑となっており、もうすごい状態。

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それでもお天気が良ければまだしも、降雨継続中ですから、地面はぐちょぐちょじめじめ、傘なしでは無理程度の降雨。うぅ、泣きたい気持ちでした。上の写真、右側に鉄柵が見えますが、ほぼ道なき道ですから、立ち枯れの植物に行く手を阻まれ、刺され…。まさに苦行です。

一瞬冷静になって、オレ、何してるんだ?完全に変な人じゃないか?とかふと思いがよぎるのですが、でも鉄柵越しにちらちら建物が見えてくると、いや、ここでふんばらにゃあ!みたいな気持ちにもなって、立ち枯れ植物と戦いました。そしてやっと…。

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正直、肉眼では厳しいのですが、オペラグラスではしっかり、望遠撮影でもしっかりですよ。

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ディテールがかわいいんですよ。この時のカメラは、光学30倍だったかな、威力発揮ですよ。それも、コンパクトなので、傘を持ちつつ最悪の状況で、片手でも、なんとかズームできてしまうという優れもの。うう、あのデジカメちゃん、よく働いてくれたなぁ(去年盗まれたやつです)、なみだ ;∀;。

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古い時代の建物の装飾が、この後陣部分にはめ込まれたりしているようです。

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これは、近くにアクセスしてみたかったです。
おそらく、この時修復が入っていたようで、それで、アクセスできなかったんだと思います。

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あれから3年たっていますから、おそらく今ではすっきりきれいに整備されて、美しい緑の中にすっくと立つ、この後陣、苦行なしでアクセスできるものと思います。
上の写真でわかりやすいですが、左が、サンタレッサンドロ礼拝堂という古い部分で、装飾的な後陣が、サン・ペリーノ。その先にあるのは、おそらくかつての修道院の建物ということになるのかな。
メインの後陣を、真後ろから見られる場所まで行きたかったのですが、あまりに道なき道過ぎて、遭難しそうだったので、あきらめました。いやもう、私は風邪ひかない人なのでありですけれど、下半身、特に足は絞れるくらいに濡れましたから、普通の人だったら、風邪ひき決定ですよ。この上苦行したら、今度は、水のみならず、泥まみれ必至ですからね、それはさすがに…。

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でも、事前情報通り、これは見ないといけない後陣でした。
この旅で、一番の苦行だったかもね。

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  1. 2021/11/13(土) 18:58:01|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

また落書きが…(サン・ペリーノ教会-コルフィニオ)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その12

考えたら、このアブルッツォ旅行は、3年前のちょうど今頃だったんですね。
この秋は雨が多く、イタリア各地で洪水被害が出ているのですけれど、3年前も大雨続きで、結構似たような状況だったかも。

最近は、自然災害があるとすぐに、温暖化大変だのガソリン使うなだの大騒ぎになりがち。現在の生活スタイルとの因果関係はあるのだとは思いますが、3年前はそういう方向の話はここまで出ていなかったように思われ、うっすらとではありますが、世の動きというものを考えたりします。

わたしはもはや、早く年金生活に入りたいものだなぁ、それまで仕事をクビにならないといいなぁ(といっても、年金生活まではまだ相当長い道のりですが…)、程度の終わりつつある人間なので、若い人々が色々声を上げたりすることに何の反対もないのですが、唯一どうなのかと思っているのが、結構近い将来になくなることになっているガソリン車のことです。
これについても、逃げ切ることができると思っているので、直接関係はないいし、だからどうぞお好きなように、という立場なんですが、電気オンリー時代になったら、少なくとも当初は、車という楽しくて便利なツールが、今と同じようには使えなくなるんだろうなぁ、と思います。
特に最近、コロナのこともあり、車で長距離移動することが多かったのですが、車って、日々の生活における便利さもありますけれど、自力で長距離移動できてしまうというのがだいご味かもって思うんですよね。わたしの車は、満タンで600キロほど走るので、この夏も、途中給油することなく、フランスの友人宅まで一気に走りました。これ、今の電気車にはおそらく無理。車の性能はともかくとしても、充電のインフラを整えるのは、そう簡単なことではなさそうな気がします。
それにさあ、化石燃料は地球を破壊するといっても、発電だって全くクリーンとは言えない中で、突っ走っていくのも、なんか違和感…。

あ、でも、そもそも論として、日本では、高速料金が高いので、特に一人の場合は、自宅から目的地まで車で行く発想は薄いかもね。だったら、あまり関係ないのかもなぁ。欧州、特にイタリア人は、長距離運転を何とも思っていない人が多いので、1000キロくらいは車移動当たり前、という感覚があるので、私もずれているかもね、笑。

おっとっと、いきなり脱線しました。

前回の記事に続き、雨の中、次に移動です。本来行きたかった教会は、標高が高いのでとても無理なので、プランB続行です。

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コルフィニオCorfinioのサン・ペリーノ教会Basilica di San Pelinoです。

ラクイラからの道が、カーブの多い対向二車線で、その上坂道で、後続車が来ても、脇によけることもできない状態。大体、そんな道を走るのは、毎日のように走っている地元の人しかいないわけで、そりゃ、いつもの道をいつもの調子で走りたいのに、恐る恐るこわごわノロノロ走っている車にイラつくのは、よーくわかりますが、いや、怖かったなぁ。
それでも無事につきまして、街中のバールで教会の所在を確かめ、町はずれの教会に、無事到着。

本来、開いているはずの時間だったのですが、扉は固く閉ざされていました。教会のお隣に、住居らしい建物があったのですけれど、呼び鈴にはなんの表示もなく、人の気配もゼロで、なぜかこの時は非常にためらってしまい、とうとう呼び鈴を押すこともしなかったのです。

アポなし突撃って、自然にやっちゃうときと、なんとなくためらうときがあります。ためらったり、まぁいいや、と思うときの理由の多くは、事前にある程度調べていて、中は何もなさそうだと分かっているときなんですけど、この時も、多分それが大きかったのかな。
でも、あとからネットで写真を見ると、中もそれなりに雰囲気があって、せっかくなら無理しても入るべきだったのだと分かりました。大失敗ですね。

トップの写真で分かるように、外観的には、相当地味です。が、ここもね、他の教会であったように、なんか、色々見つかるんです。

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ファサードには、扉は一つで、周囲の彫り物は、それなりに繊細で手が込んでいますが、これだけ感が漂います。角っこに、ちょっと好きな子たちがいるとしても。

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これだけかぁ、と思って、上を仰ぐと。

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のっぺりと扁平な壁に、なんかいるよね?

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ロンゴバルド感満載の、細かい彫りが施された孔雀っぽいやつとか。

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目つきに色気が漂う鷲っぽいやつとか。
なんだろ、これ。落書き?
ファサードできてから彫ったもんではなかろうし、後付で、そこらに転がっていたものをはっつけたとか?

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正面向かって左側、つまり後陣が東だとすると、北側の壁になりますが、こっちもかなりすっきり系ですが、なんかいるんだよ。

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垂れ下がりのブラインドアーチとかは、再建かと思うけれど、ピサ様式みたいなひし形開口部みたいのも再建ですかね。
後さ、びっくりなのが、これ。

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明らかに彫りかけなんですが、これ、いつの?
割と新しっポイ様子もあるんだけど、なんか現場で彫ってるとすると、落書きだったのよ、と言いたいのか?ちょっと謎。
この落書き系の彫り物貼り付けについては、今のところ、ちょっと不明です。

脱線長すぎ。のため、続きます。

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  1. 2021/11/13(土) 17:37:54|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

エニグマなファサード(サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会-ラクイラ)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その11

ここから、旅の二日目となります。
最初の方の記事で触れたかと思うのですが、この連休は、お天気が最悪という予報でした。ミラノの出発時も、豪雨で難儀したもんです。ぺスカラの空港に着いた時も、レンタカーで出発することに降ってきて、予定を変更せざるを得なくなりました。なんせ、このアブルッツォって、多くの地域がアペニン山脈域で、結構山なんですよね。行く前は、明確なイメージ持っていなかったんですが、行ってみたら、ほぼ山間を縫って移動するような状況。教会によっては、標高数百メートル、というような立地だったりもするので、相当お天気に左右されるということが分かりました。

でも、初日は、主に車での移動中に降ってくれて、教会見学中は辛うじて持つ、というような、晴れ女ぶりがギリギリのところで稼働しているようなありがたい状態だったのですが、この二日目は、朝っぱらからかなりの雨でした。
山間部の雨ですから、当然霧も伴うわけで、視界もかなり悪そうで、とても山間部に入るわけにはいきません。
というわけで、本来はもっと早くに出発する予定でしたが、霧が怖かったので、自分なりに許せるぎりぎりまで出発を見合わせざるを得ませんでした。その上、もともと計画していた教会に、ダイレクトに向かうのはあきらめ、再びプランB発動となりました。

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ラクイラL'Aquilaのサンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会Basilica di Santa Maria di Collemagg(Piazzale Collemaggio 5、ラクイラの町はずれの高台)です。

この緑に映える美しいファサードは、アブルッツォを代表する風景の一つだと思います。青空だったら、もっとずっと美しいと思うのですけれど、ほんと大雨でしたね。芝生も、かなり水を吸っている状態が分かると思います。
芝生とファサードのコントラストを求めて、果敢にも芝生に足を踏み入れて、あまりの水浸し状態に唖然としましたが、入ってしまったからには仕方なく、靴から下半身、文字通り水浸し状態で濡れました、涙。絞ったらじゃ~とお水が落ちるレベルですよ。

この教会、もともとは私のターゲットではありません。先に言及したように、アブルッツォを代表するアイテムの一つでもありますので、メモはしてありましたが、ついでがあれば行くかもしれないレベルでした。

創建は1288年と、中世後期なんです。
中も、時代から分かるように、明るくて、解放感があって、いつもの教会とは全く違う雰囲気です。

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それにしても、この床面は素敵です。

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お家の床面、フローリングも好きなんですが、こんな淡い色彩の石というのも、とても良いですよね。いや、お家に石など、もはや使えない時代になってしまいましたけれどね。

全体にかなり新しいイメージがあるわけですが、これはおそらく、直近2009年にあった地震の名残ということになるのだと思います。創建以来、度重なる地震、二つの大戦を含む人為的な破壊行為などによって、何度も損壊と修復や再建が繰り返されてきたのが、この教会の歴史となるようです。
それにしても、2009年の地震による被害は、相当激しいものだったようで、修復が終了して扉が再び開けられたのは、なんと2017年12月20日だったそうです。つまり、わたしが訪ねた日から、たったの一年未満前のことだったのですね。それで、ピカピカしていたというわけです。

あの地震は、本当にびっくりしました。
イタリアは、南部では過去にも大きな地震が起こっているのですが、中部での地震があるということを認識していなかったのですよね。実際には、スパンが長いとはいえ、繰り返し発生しているわけなんですけれども。
2009年は、ラクイラが震源地ということで、地域で300名を超える被害者も出るようなひどいものだったのです。
しかし、本堂に掲げられた碑文によれば、1915年にも大きな地震被害があり、その際、ファサードの上部半分が再建されたようです。

内部には、ところどころにフレスコ画が見られるのですが、オリジナルではおそらく多くの壁がフレスコ画で飾られていたのではないか、と想像できます。

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一番古いものとしても、13世紀後半のものとなりますので、私の好みではないのですが、でも、度重なる不運で剥落や損壊があったのだと思うと、歴史の儚さが感じられます。

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残された者たちも、もしかすると漆喰の下で生き延びたのかもしれないですね。
端正で美しい絵だと思います。

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わたしが訪ねたときにも、一部足場があり、修復作業が行われていました。

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火花が飛び散ったりしていたので、フレスコ画ではなく、何らかの構造物の修理だったようです。唐突な様子ですが、この一角に、何か古い柱のある構造物があるようです。

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コリント式の柱頭や立派な柱は、ローマの遺跡出自の使いまわしアイテムでしょうね。あれから3年たちますから、今ではもうすっかり修復が終わっていることでしょう。

そういうわけで、自分の好きな時代の好きなアイテムには乏しい教会ですが、その中で、この床面は、時代とか無関係に魅力的でした。

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おそらくオリジナルで残された部分を参照して、今の姿に再建された部分も多いのでしょうが、色もよいし、地味なモザイク状の模様も、とても素敵です。

で、この床面の模様とか、まっすぐな線上にない後陣とか、左右の身廊の幅が違うとか、この教会には様々な謎があり、ちょっとしたミステリーとされていたりするらしいんです。まぁ、そういう不完全的なものって、中世の教会にはあまねくみられるものなので、偶然の失敗とか計算違いの結果ではない、というように解釈されているようで、ここもやはりそういうことだという解説を読みました。
その中で、この床面にしろ、ファサードにしろ、激しくしつこい二色遣いで、かなり印象が強いのですが、その強さのために、何かシンボル的な意味が隠されているのではないか、というように考える人もいるようです。

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どうなんでしょうね。
ある意味とてもモダンなテイストも感じますし、これを作り出した職人さんのセンス、すごいと思いますけれど、シンボリズムはどうなんだろう。

このファサードですけどね、ある研究者の解説が以下のようにありました。

「毎年8月15日のマリア被昇天の日、また、夏至である洗礼者ヨハネの記念日もだが、太陽の光が、最も大きなバラ窓を通して、後陣に開けられた大きな二連窓に、床面のラビリンスとなっている二色遣いのデザインにも差し込む。その光によって明るくなった二連窓の上に、私は聖母を見るわけではないが、何かしら、神聖な祈りと神との邂逅を感じさせられるのだ。
しかし、その、後陣まで差し込む光の遊びが楽しめたのは、創建からとても短い時間、せいぜいが1世紀のことだった。というのも、1500年代後半には、バラ窓と後陣の開口部をつなぐ線は、1589年内陣に置かれた背の高い黄金に塗られた木製の祭壇によって遮られてしまったからだ。そして、その後バロック時代の改装により、バラ窓は、1970年ごろまで、閉ざされていたのだ。そういったことを考えると、この光の効果というものが、何らかのシンボリズムを含めて建設者によって考えられたものかどうかについては、本来のことは不明という見解だ。」

こういうのって、多くの研究者が考えたりするわけだけど、実際本当のことなんてわかることの方が少ないわけで、きっとこの地域の市井の研究者とかが、夏至や春分なんかの節目に、現場を訪ねて、フムフム、なんて仮説を考えたりして、色々考察したりしてるんだろうなって思います。
この辺りのロマネスクは、メインストリームじゃないから、アブルッツォ・ロマネスクと言ったところで、さほど研究されているわけでもないと思いますしね。そして、このファサードを見ると、やはり何か意味があるんじゃないか、とか、考えたくなるような代物ですしね。

お天気が崩れなかったら行かなかったかもしれませんが、そして濡れネズミになって大変でしたが、行ってよかったと思いました。

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  1. 2021/11/07(日) 16:42:22|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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学んだ知識を見せびらかしたい?(サン・ペッレグリーノ礼拝堂-ボミナコ、その3)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その10

ボミナコには、前回の記事で紹介した教会のお隣にもう一つ、中世的には必見の物件があります。物件、というのも変ですけどね。

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サン・ペッレグリーノ礼拝堂Oratorio di San Pellegrinoです。

この場所には、もともと修道院があり、前回のサンタ・マリア・アッスンタ教会は修道院の教会で、この礼拝堂も、もちろん修道院に属するものだったのですが、修道院のほとんどが消滅する中で、教会と、この礼拝堂だけが残った、ということらしいです。ただし、この礼拝堂の方は、一度ほとんど消滅状態だったのを、1260年、時の修道院長が再建したということで、今残っている内容は、教会に比べると、ちょっと時代が新しいということになります。

いずれにしても、外観は超の付く地味な様子ですし、この時は、細かいことについては事前にほとんど調べる暇もなく行っているため、この地に、教会と礼拝堂があることは知っているものの、見るべきアイテムについては、白紙でした。
それで、この地味な、なんなら結構新しそうな建物ですから、せっかくだから見ていきましょう、程度の気楽な気持ちで、鍵を開けていただいたわけです。

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鍵番さんがいないと、この鉄柵、そして礼拝堂の二つのカギでブロックされてしまうので、直接コンタクトすることもなく、その上、本来の公開時間を過ぎているのに鍵が開けてもらえた、ということは、まさに僥倖でした。
それに、事前のインプットなしにいきなり遭遇、というのは、結構得難いことだと思いますので、それもある意味幸福だったのでは、と思います。

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鍵晩餐が扉を大きく開けて、中にいざなってくださったとき、文字通り、息を飲みました。
内部のほとんどの壁がフレスコ画でおおわれているんです。それも、非常に色鮮やかで、保存状態も良好です。

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(入り口方向を向いたもの。)

照明も考えられていて、まさに燦然と輝いていて、往時の人たちも、これほどくっきりと明瞭に見ることはできなかっただろう、という状態で、しばし、ここはどこ?という気持ちになること必定です。
いやこれ、事前に調べていれば、というか、ほとんどの人は何があるかちゃんとわかってくるのでしょうから、あ、想像以上にすごいな、ということはあっても、ここはどこ状態にはならないと思うんですよね。だから、白紙で行ったおかげで、なんというのか、常にない衝撃的な眺めを、衝撃とともに、ポカーン、と眺めることができたので、そういうのは面白かったな、と思います。

礼拝堂は、見ての通り一つのスペースからなり、天井は、とんがりのあるアーチ構造となっています。スペースとしては18x5.80メートルで、105平米ということですが、フレスコ画の施されている部分は、なんと470平米にもわたるんだそうです。

建てられている場所は、サンタ・マリア・アッスンタ教会の後陣の写真でも気付かれた方がいるかと思いますが、土台がちょっとした高低差のある、結構な岩場です。そのため、この礼拝堂も、その地形のままにたてられているようで、後陣に当たる部分は、平地ではないのですね。

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それなら、もうちょっと前の方に建てたらよさそうなものなのに、あえてその岩場をそのままに立てているようで、奥の方は、階段構造になっています。

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そういうのって、なぜ?と不思議に思うのですが、神聖な場所はここだから!となると、融通利かないんでしょうね、きっと。

構造的なところに注目すると、最初の内部の写真で、スコラ・カントラムのように見える障壁状のものが分かると思います。勝手にスコラ・カントラム、と思っていましたよ、なんか彫り物のモチーフも、古典的でとってもスコラ・カントラム的に思えたので。でもこれ、説教壇となっていますね。内側から見ると、確かにそういう構造みたいです(内部二枚目の写真で、彫り物の反対側が見えますが、人が建つような場所が作ってあるように見えますよね)。

左にドラゴン、そして右にグリフィン。

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さて、フレスコ画は、お誕生と復活メインで、その他使徒や複数の聖人が描かれているようです。上の方に、お誕生ストーリーがあるようです。

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時代的に、すでにゴシックが入っていています。アブルッツォにおいても、最初のゴシックの一つとされているようです。でも、まだ走りの時代だからでしょうか。フレスコ画も含めて、ゴシック苦手の私にも、さほど抵抗がない程度です。

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下の方には、復活に至るまでのストーリー、

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例によって、目移りしちゃって、おろおろうろうろ、撮影もめっちゃくちゃ。
この時は、教会同様、鍵番さんを、時間外拘束しているということも気になっていますから、さらにとりとめもなくうろうろしていたように思います。
鍵番さんは、親切にも、外に出て、掃き掃除などしていて、邪魔にならないように、というか、時間の無駄にならないように、でしょうかね? 

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うまい絵とは思えないのですが、いろんなテイストを無理やり盛り込んで、なんか一所懸命形にしているっていうような感じで、嫌みはあまりないんですよね。オリジナリティは少ないけど、とにかく努力家の方、みたいな。相変わらず、失礼発言、笑。

障壁の内側の方は、預言者などが描かれているようです。

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それぞれの場面の縁取りなども、結構派手なんですが、古典的なモチーフも使われていますよね。

こちらは、ファサードの裏側でしたでしょうか。

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絵の下の方が、傷つけられているところを見ると、このフレスコ画、少なくとも部分的には、漆喰に覆われていたのでしょうか。
よく、後代の上塗りしてフレスコを施す際、上塗りの漆喰が定着するように、こういう傷つけ方をしますよね。でも、ごく一部にとどまっているので、そういう計画があったものの、幸い実行されなかった、とかそういうことなのかもね。

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脛を出して、いかにも川を渡る様子のクリストフォロさんがいますね。彼の衣装が、とても装飾的でビザンチン的。
装飾的モチーフに、ビザンチン風も取り入れているみたいです。あたかもモザイクのようなタイプのやつ。

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フレスコ画の作者は、修道士たちであったとされているようです。よくは分かりませんが、修道士には、各地に滞在している人などもいますから、それで色々なテイストを学んだ人などがいたのではないでしょうか。
当時の知識人とか芸術家的な職人さんは、ほとんど聖職者が担っていたわけですけれど、技術偏執タイプとか、表現力偏執タイプとか、とにかく聖書教条一本やりタイプとか、いろんな人がいたんじゃないかなぁ、とか思うんですよねぇ。そういうのって、時代が下るにつれて、さらに方向性が分かれていくっていうか。
ロマネスクのあたりまでは、職人さんと同レベルで、とにかく形にすること優先なのが、徐々に個性とかやりたいこととか強くなるっていうか。
もしかすると、ゴシックというのは、そういう方向への過渡期となるのだとしたら結構見方が面白くなるかもね。

ということで、せっかく購入した本を、ろくに読まずに、また勝手なことを書いてしまいました。

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  1. 2021/11/01(月) 16:53:34|
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