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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

丘の上の神殿跡(アルベ その1)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その28

前回まで長々と紹介したサンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclanetaですが、解説長々しちゃったんで、旅の状況とかは忘却の彼方と思います。ってか、おそらく、誰も興味ないわ!なんだけど、笑。

余計な復習をさせていただくと、宿泊地から教会のあるロショーロにたどり着くまで豪雨や曇天をくぐり抜け、たどり着いたら青空だった、という奇跡的な状況だったんですが、教会の見学を終えた頃、またかき曇ってきて、ポツポツ降ってくるという事態になったんです。
次の訪問予定地も、何もなさそうな場所に立つ教会だし、一瞬どうしようかと悩みながらロショーロの町へ向かい、でも本当に近い場所だから、と思って鍵番さんに電話しました。

そうしたら、今が今教会にいるから、すぐ来られる?ということで、もうそりゃ大急ぎでぶっ飛ばしました。
今グーグルマップで調べたところ、19分となっていますが、そこを20分で行けたので、普段にはないアドレナリンが出たんだと思います。グーグルの19分は、私の場合、ほぼ30分程度に相当するので、普段なら、笑。

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というわけで、目的地は、アルベAlbeです。

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マッサ・ダルべMassa d’Albeのサン・ピエトロ・イン・アルベ教会Chiesa di San Pietro in Albeです(見学は要事前予約。検索すると連絡先の電話番号が出て来ます。カギは最寄りの村の鍵番さんが管理しているので、都合さえつけば、割と自由なアポが可能)。

実はここ、アルベという小さい村の郊外にあるんですが、村よりもAlba Fucensというローマ遺跡が存在感大きいような土地です。教会は、遺跡を見下ろす高台に立っていて、遺跡を左手に見ながら緩やかに上るような素敵な立地です。
ローマの時代から神殿があるなどの神聖な場所だったに違いなく、教会へのアクセスの石畳も、ローマ時代のものであろうと思います。

息せき切ってたどり着いて、遺跡入り口みたいな駐車場で車を降りたときに、教会の方からやってきた様子の女性が目に留まったので、すかさず声をかけると、まさに彼女が電話で話した鍵番さんでした。
他の見学者がいた直後だったようで、大変申し訳なかったのですが、再び教会に引き返してもらうこととなりました。
この時、やばい!と思ったのは、この前の教会で本を買ったのと心づけで、小銭が心もとなかったことです。

もしかすると、他の記事にも書いたかもしれなくて、繰り返しになったら失礼ですが、この時の旅って、後にも先にもないくらいの頻度で、カギを求め続ける旅で、それも、鍵番さんが市町村などの公共施設ではなくて一般の方ばかりで、それはどういうことかというと、心づけの必要があるということなんですよね。
このようなケースで、一人いくらなど明朗なケースはまだ少なくて、強要されるものではないのですが、お布施的にわたすのが暗黙の了解的な感じ。いや、笑顔とお礼で済ます人もたくさんいるとは思うし、自分が気が利かなくてそれで済ましたことも数あるんですけれど、基本的にはわずかでも渡したいもんです。だって、鍵番さんがいなければ、どうしようもないわけで。

この時は、本堂見学中に、鍵番さんに見えないようにカバンを探って、小銭をかき集めて、少なくて悪いけどってじゃらじゃら渡したと記憶しています。
気持ちの問題ではありますが、5ユーロ紙幣をたくさん用意して、ポチ袋などに入れて備えておけば、スマートですよね。今後はポチ袋を携行しよう、と強く思ったのですが、いつも忘れて旅してます、笑。

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さて、遺跡は、上から眺めるだけで見学はしなかったのですが、割と広範囲に、町全体が残っているようで、劇場などの跡もあるようです。考えたらローマも結構近い立地なので、往時はそれなりに栄えていた町だったのかもね。

あまり興味はないかもですが、せっかくなので、歴史うんちくを調べてみました。

ここは、山に囲まれた上に、どの方面ともつながりやすい交通の要衝というポイントでもあったために古代から人々の定住があり、ローマの前にもそういった定住民族がいたらしいです。そんな幸せな土地に、ローマが目を付けないわけはなく、紀元前3世紀ごろ、激しい戦いの末にローマの支配下となりました。その後、ローマの前線として、多くの戦いにかかわったり、また立地的に繁栄もしたようですが、ローマの衰退と同時に、ここも衰退。中世には蛮族の侵攻や地震などの自然災害に見舞われたこともあり、町が崩壊していきます。
6世紀から11世紀にかけての、蛮族やサラセン人の侵攻で、見通しがよく攻撃を受けやすい平地から、高台へ住民が移動をしていき、村の様子が変わります。
おそらく、上の遺跡の写真で、丘の上にある廃墟が、当時できたお城ではないかと思うのですが、この辺りに人々が肩を寄せ合って暮らすようになったらしいです。
ロンゴバルド時代は、スポレートの管理下にあったそうです。
常に権力闘争に巻き込まれ、所属する領主が目まぐるしく変わっていく中で、ローマ時代の繫栄は見る影もなく、おそらく住人も移住したりで減っていって、村の存在がなくなっていくといった悲哀を含む歴史の結果が、今のアルバということのようです。
実際、現在の村は、遺跡の半分もないような規模ですからねぇ。

さて教会です。

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何がどうなってるの、といった外観ですよね。正直、面白み、まったく感じないです。
ローマ時代、紀元前3世紀に建てられたアポロ神殿があった場所をベースにしています。やっぱりですね。もしかしたら、ローマに蹴散らされたそれ以前の定住者たちにとっても、神聖な場所であった可能性が高いと思います。

神殿については、壁の一部がそのまま使われているようですが、それ以外多くの部分が、12世紀から13世紀にかけての建造物となるようです。
上写真の左側部分は、おそらく、修道院部分だと思われます。
また、ファサードっぽくない正面ですが、扉部分は鐘楼が付け足された結果の形のようです。おそらく、もうちょっと上に伸びていた、鐘楼がつけられていた部分が、なくなっているということなんだと思います。

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よくぞ、この地味な写真を撮った、と感心しますが、おそらく鍵番さんが説明してくれたのかもしれません。
先の方、つまり後陣側になるんですが、白っぽい正確な四角い切り石は石灰岩で、そこはローマ神殿の構造物となり、手前側の小さい位置積み部分が、中世12世紀のものとなります。
つまり、中世の大修理の際、本堂が、手前の方に延長されたのです。

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後陣は、きれいな円筒形となっています。
ローマの神殿同様に、同じ石で積まれていますが、これはもちろん、中世の付け足し部分となります。その基部のサイズもでかい灰色の石は、なんとなく古代チックなテイストなので、もしかすると遺跡の石の再利用が考えられますね。

自分の好みとしては、この後陣が最もロマネスクらしく、楽しめた部分ですが、現地の鍵番さんは、勝手に見学してくださいね、と放置でしたし、解説でも、12世紀に付け足されたもの以上の解説はなしです。

全体構造として後陣側は、こうなっています。

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手前側が、修道院部分だったのだと思われます。でも、最終的に完成したのは、中世以後みたいですから、ほぼ興味なし部分です。
後陣に戻ります。

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ほらほら、変な人たちが、アーチの付け根の部分にたくさんいらっしゃって。
そして、いろんな角度で、こんにちは状態で。

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かわいいのと不気味のと、色々バラエティーがあって、なかなか楽しい後陣ですよ。

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次回、内部です。


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  1. 2022/03/18(金) 18:17:20|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

芸術に言葉はいらない?(ロショーロ・ディ・マルシ その10)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その27

ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続きです。

今回は、丁寧な解説本が手元にあったこと、そして傷病休暇中で、普段よりも時間的余裕があったことで、珍しく専門ブログのように詳しい解説をしてしまい、そろそろ、どころかとっくに御退屈様状態かとも思いますが、その我慢も今日までですよ、笑。

ちょうど10回目となる最後は、取りこぼしの写真をさらって、しめたいと思います。

イコノスタシスなんですが、これだと、あり方が分かりやすいと思います。

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正面からの写真だと、この全体の構造が、建物に組み込まれている感が、分かりにくかったかと思いますが、こんな感じで、中央身廊と側身廊を区切るアーチ壁に、上から下までくっついているのです。と言って、建物と同時にできたわけではない唐突感も、やはりにじみますよね。
この角度だと、小円柱に乗っている梁の部分が、かなり高さのあるものだと分かりますね。ちょっとアンバランスなくらいのサイズです。

解説を読みながらだと、自分の写真を探すのも目的的になってしまって、何枚かはちゃんと見もしなかったやつがあるんですが、その中の一枚が下です。

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チボリオから、ファサード側を撮影しています。
チボリオの天蓋のことに、当該記事で触れて、撮影していません、ときっぱり書いたと思いますが、ここまで来たということは、やはり、ちゃんと見てはいるんですね。この端っこの部分だけでも、真っ白になっているので、天蓋部分も漆喰で白いだけだろうと想像つきますが。

面白いなと思ったのは、チボリオの位置が、ファサードの真ん中にあるはずの入り口の導線からずれているようなところ。ファサードの入り口とイコノスタシスに開けられた入り口はぴったり重なり、その一で撮影したんだと思うんですが、チボリオはずれていますよね。

念のため、改めて正面からの撮影を調べてみます。

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やっぱり、わずかにずれていますね。これは気付かなかったな。解説にも、位置のことは言及がなかったです。

スペインだと、ナルテックス構造が多くて、その入り口と教会本堂の入り口がずれていることがよくあります。身廊がゆがんだ構造になっていることもありますよね。土地に起因するケースも多いですが(斜面とかでそれしかできない、など)、そうじゃないケースだと、大抵「人の不完全さを表すもの」って解釈になるように思いますが、どうでしょうか。

ここはどうなんだろう。ファサードの開口部からの日差しの問題とか、なんかそういう意図があったりする可能性も無きにしも非ず(春分の日の光が当たる場所とかそういうやつ)、と思いますが、分かりません。いずれにしても、チボリオは教会と同時ではなく後付だから、何らかの意図があると考えるべきだとは思います。
同時だったら、設置した職人さんの「ずれてた?てへっ」みたいなミスということもあり得ると思っていますけど、笑。

解説で、特段の記述がなかった点は、こちらもです。

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チボリオは、一段高くなった位置に置かれており、このように階段となっています。
ん?祭壇が高くなっている?と一部の方は当然気付くことと思いますが、ハイ、その通り。

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どうやらクリプタがあるようですね。でも、残念ながら、ほぼ埋まっていて、おそらく何もない廃墟状態なのだと思われます。解説にほとんど記述なしでした。
板で覆っている部分は、階段なのでしょうね。
今なら、強力なヘッドランプを携行していますので、このわずかに開いた穴から中をのぞいて、様子が分かったと思うのですが、当時はそういう便利グッズは持っておらず、ここの様子も、あまり観察した記憶がないんです。
この教会は、現場でも見るべき詳細が多すぎて、普段だったら確認すべき大きなアイテムやポイントを抑えきれていないところがありますね、シュン。

階段のポイントは、他にもあって。

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こんな浮彫があるんです。
スペインはアストゥリアス地方にあるプレロマネスク教会を思い出しちゃったんですけど、これは、思うに、廃材、つまり他の遺跡などからの転用でしょうね。一段だけだし、それも、なんか取ってつけたような感があります。端っこも適当に切られてますし。
しかし、こういう美意識っていうのも、不思議です。

だって、階段のここって、結構目に付く場所です。せめて一番下の段だから、最上段よりはインパクトないにしても、いや、見えますよ。そこに、石材として、サイズだけ考慮して使うっていうセンス。

よく、技術や芸術に言葉はいらない、作品が語るから、的なことがいわれますけれど、じゃあ、現代の石工さんと中世の石工さんが、一緒に働いたら、以心伝心で理解できるのかしら?と、ちょっと飛躍したことを考えてしまいました。
日本人だと、石のバックグラウンドがないから、多分その時点でアウト。ヨーロッパの人ならどうかというと、ルネッサンス辺りなら、多分まだ行けそうだけど、その後だとどうかなぁ。ゴシック時代になると、もっと合理性とか技術の向上が出てくるから行けそうだけど、中世でもロマネスク辺りまでの職人さんは、すごく難しいように思えてなりません。
あ、本当にどうでもいいことでした。

でもね、こういった解説本を読むと、例えば浮彫のテーマなどについて取り上げる際に、複数の解釈がある、とされるケースが多くて、中世の文化や思想、人々の背景など、いまだに確たることが分かっていないという事実を再認識させられることはあるんですよね。
だから時々、妄想的なことを考えてしまいます。

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長々とお付き合いありがとうございました。
やっと移動します。


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  1. 2022/03/17(木) 10:26:09|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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フレスコ画は難しいです(ロショーロ・ディ・マルシ その9)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その26

ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続きです。

解説に従って、今回はフレスコ画の紹介となるのですが、ほとんどがロマネスク後の時代のものとなる、というより、実際は研究があまり進んでいないようなんです。研究によっては、最も古いものは、11世紀後半に遡るというのもあるようですが、私が現地で見た範囲では、正直、心惹かれるものはなく、結果、写真もあまり撮影していません。
柱だったり壁だったり、あちこち、数にすると結構あるのですが、かなりバラバラ感が強く、見た目の感じからも、時代がばらけている様子は明らかですし、いいな、と思える絵はなかったと言えましょう。

比較的時代が古いもの、12世紀の終わりまたは13世紀とされているもので、例えば、こんな感じです。

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大天使ミカエルのようです。残念ながら、足元の方はほとんど見えない状態です。印象としては、もしベースは本当に12世紀としても、加筆が激しい、という感じ。他の絵もそうなんですが、顔、表情が、11世紀とか12世紀にいは見えないんですよね。ま、フレスコあるあるですね。
ミカエルさんですから、ドラゴン退治しているようなんですが、ドラゴンは、うっすら過ぎるのか、どこに認めることもできないです。

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これも、ミカエルと同時代とされている、ナザレのマリア。
ミカエルもそうですが、この絵も、柱に描かれています。
すっごい淡々とした表情っていうか、むしろ冷たいような表情なんで、にわかに結びつかないんですが、これ、乳をあたえているんですね、服の間からおっぱいが出ていて。いわゆるMadonna del latteと呼ばれるやつ。ジェズは、んぐんぐ一生懸命飲んでる感があり、それはそれで珍しい感じもしますし、聖母が、「呼びました?何ですの?」みたいな様子っていうのも、なんか、静かにぷぷぷって笑ってしまいました。

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これもなんかすごいっていうか、めちゃ下手だし、バランス感悪い様子の絵。ベースとしては、10世紀の終わりまたは11世紀半ばと言われて、そういう様子もあるかと思うんですが、顔とか輪郭とか、もう絶対いろんなとこに、後代の加筆あるのは、間違いないと思いますね。
構図だったりポーズだったり、古い時代のものっぽいんだけどさ、ほらこんな様子。

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でも、これ、顔とか消えちゃったのを上から書いてますよね。わたしはそう思います。

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これ、私が好きなラクダの衣を来たヨハネではないかと思うんですが、どうです、この顔。頭髪もすっごい漫画チックで、なかなか今っぽかったりするのが、これはこれで結構いいですが。

この磔刑図の解説は、なかなか大きいこと言いますよ。
「この絵は、明らかにチマブエの有名な磔刑図を彷彿とさせるものである。どちらも、ビザンチンの影響を直球で受けている様子が明らか。」
そもそもチマブエがビザンチンの影響を受けていたことなども知らないです。13世紀ごろの人だったのかな、あり得るなとは思いましたけども。

上にアップした二人については、それが誰だか特定できないが、
「ピラトによる磔刑の命令書を抱えていることから、アリマティアのヨゼフ?預言者の本を持つのは、ニコデモ?」としています。
特定はできないまでも、降架の時にいたメンツということで、それでいんじゃね?

最後に、解説者は、このフレスコ画全体のスタイルが、ビザンチンの影響を受けていることを明確に表した特徴を持ち、また、ゴシックの香りもあるので、先述した時代というのですが、ビザンチンについてはオウケイと思いますが、ゴシックって?
他の部分の解説でも、すごくゴシックに言及していて、混乱していたのですが、もしかしてゴシックじゃなくてゴート的な意味で使っているのかしら。謎だわ。

最後にもう一枚だけ。

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左から、大天使ミカエル、聖母子、サン・レオナルドとなります。
まず、真ん中の聖母子が、上にアップした乳を上げてる聖母と同じ顔じゃないですか?とすると、時代は同じことと考えられますよね。

この三つは、もともと三枚組として、並べて描かれたもののようです。

大天使ミカエルは、戦う天使として、戦闘装束。トップのやつより、ミカエルらしさ全開のお姿です。
お隣に聖母子がいますが、ジェズの姿が、ちょっと分かりにくいですね。すっごく単純化して木彫りの人形みたいに直線化した姿になってます。そして、聖母の膝の上に立っている図で、これは珍しいと。そういわれれば、そうかも。

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写真加工のアプリを持ってないんで、陰影とかつけられず、非常に分かりにくいと思うのですが、ジェズ、左腕を、聖母の首に回して、聖母の左の方にお手々が見えています。で、右手は祝福ポーズで、ジェズの雰囲気ゼロ。
大人のフィギュアをただ縮尺だけ小さくしたみたいな様子と態度ですね。
いやでも、大人でも聖母の首を抱くみたいのって、ありますか?なさそうですよねぇ。

一番右にいるのは、(ノブラまたはノラNoblaの)サン・レオナルド。

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ひし形の模様がついている置物が、なんだか珍しいですねぇ。装飾的であることを強調しているにしては、大雑把だし。胸には、本を抱いています。
この聖人、どのレオナルド?って感じらしいですが、このNonblaというのは、フランスの小さい町らしいです。ということは、発音はノラとなるのでしょう。
その町は、その聖人の墓の周りにできたそうで、中世には多くの巡礼が訪れて寄進したことで、修道院のような組織が元なんだそうですよ。
一応手持ちの聖人辞典でも確認したところ、レオナルドとして、ちゃんと網羅されていたので、それなりに著名で、信仰のある聖人だと思われます。
イタリアでは、11世紀ごろ、主にノルマン人によって南部で人気があり、多くの教会やお像がささげられたようです。

古いのはこんなところだと思います。写真の状態も悪いですが、撮影もヘタで失礼しました!


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  1. 2022/03/16(水) 17:03:48|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:5

色々とバランスが難しい場所(ロショーロ・ディ・マルシ その8)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その25

ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続き、今回は、イコノスタシスとなります。

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これは、入場した時、すっごくびっくりでした。先述したけど、チヴィダーレ・ディ・フリウリのテンピエットを思い出しました。
イコノスタシスってギリシャ起源らしい。そしてチヴィダーレはロンゴバルドだけど、もっと時代の下る中世の一時期に置かれているのは、ビザンチン系ということになるのかな。すぐに思い出すのが、ローマです。真実の口があるコスメディンとかサント・ステファノ近くの、なんだったかな、あそこもモザイクがきれいなところ。

さて、今回は、さっそく解説に行きましょう。

「元々は、信者たちを収容する場所から区切られた、聖職者たち専用の部分を分割する機能を持っていたもの。7/8世紀において、聖像破壊論が、異教を抑え込んだころから、その作りが、鉄や木、また建物構造にくっつけられたようなシンプルなものから、より手の込んだものになってきて、あたかも勝利のアーチなど、神聖さや荘厳さを強調するアイテムとなっていった。」

「この教会では、全体の半分あたりに置かれ、左側で説教壇の階段とほとんど合体している。左右対称の真ん中に、幅約90センチの入り口が開けられている。構造としては、建物に埋め込まれているスタイルとなっており、四本の円柱が、木製のまぐさ構造としての梁を支えている。」

「専門家によれば、他に例が見られないスタイルとされている。構造物としては、長年にわたり手が入れられたものであり、ビザンチンの影響は明らか。また、オリエントの芸術全般、特にイスラム芸術の影響もみられる。とはいえ、説教壇やチボリオとは、タイプが異なるものだ。」

「11世紀半ばまたは12世紀の初めごろ、完成したもので、最後の作業は、円柱を立て、その上に木製の梁をのっけること。それが、現代までほぼ無傷で残っているのは、奇跡的である。」

そうそう、これはまさにそう思います。イコノスタシスは、結構単純な構造で、石造りの堅固なものですから、盗難などにあわなければ残りやすいものだと思うのですが、その上の円柱、特に木製の梁は、繊細だし強度もなさそうで、まぁよくもよくもと感心します。

「構造の石造り部分は、高さが1.7メートルあり、下部の石版状部分は、ほぼ間違いなく、この教会以前にあり、ここに転用されたものと考えられている。10世紀または11世紀の建物を飾っていたものとされる。この近くにある遺跡Alba Fucensにあったものと考える研究者もいる。」

Alba Fucensは、その近くにある教会を訪ねるため、この後遠くから見ることになりますが、ローマとか結構古い遺跡だったと思います。

「左右の石版には、浅浮彫がなされているが、その内容が左右でまったく異なり、隠されたつながり等も見えず、意図は不明。」

転用だとそういうこともあり得ますね。たまたま状態がよくて、サイズも似たようなのが二枚あるし、バランスどうよ、と思いながらも、石材という点だけに注目して使われたってことですかね。全体に結構装飾にこだわりがありそうなのに、ちょっと考えにくいのは確かなんですよね。
捏造的な想像では、棟梁がいつまでもこだ
わってるけど、そんなんじゃいつまでも仕事が終わらんじゃろ!とイラついた下請けが、この二つならサイズピッタリなんだから、これでいいじゃろ!と、棟梁に内緒で、がっちりはめつけちゃって、あとから知った棟梁は激怒りしたものの、職人の反乱はまずいということで涙をのんだ、とか考えられます、笑。お、この頃からアカが強かったのか、イタリア中部は?!

左側。

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「ブラインドアーチの周りに、植物モチーフが見られ、柱頭との共通性が感じられるが、技術的には、柱頭よりも高いとみられている。」
とあるんですが、でも他から持ってきたなら、共通性ってちょっと納得しかねます。もしかすると、柱頭などのアイテムも、転用だった、ということ?

そして右側。

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「こちらには、いわゆる伝説の獣たちが彫られている。下にライオンとドラゴン、上に鷲とグリフィン、鳩と二羽の長い首の白鳥。」

白鳥?と思いましたが、上の左の方で、首が絡まってグエッて言ってるやつですね。

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なんか、穴開いてますね。ここは解説ではノータッチでした。こういうのって大抵、木の棒とか板をはめ込む用のものだから、この石板が他と向かい合って、ここに柵があった?分からないけど、向かい合うペアの石版があったかもね。
もともとの装飾とか無視して、穴をあけてるのが結構あるけど、ここは、穴ありきの彫りになってるのが注目だよね。注目されてないんだけどね、涙。

「様式が、これは他のものと異なっている。全体の構図がゆがんでいる様子からは、もしかすると、長年にわたって彫りの作業がおこなわれたり、のちになって帰られたなどの理由が考えられる。」
「しかしながらアイテムは、伝統的な内容となっており、福音書家ヨハネSan Giovanni Evangelistaを表す鷲、悪や原罪を表すドラゴン、簡素さや救済を表す鳩、キリストがその血を恵んだ白鳥、サン・マルコのライオン等々。」

ごめん、一つ言えるのは、やっぱりかわいくないってことだよね。皆さんも絶対そう思ってると思うんだけど。鳥なんか、もう鳥嫌いの人に見せたら、だから嫌いなんだって~!このうろこ感とかぬめぬめ感が~!って遠ざかりそうなとこある。わたしもなんかやだもん、笑。職人さんに悪いけど…、ま、好き嫌いの感覚は、仕方ないよね。

「これらの上に、約1世紀の後(1240/1250)に、4本の円柱が建てられ、その上に梁が置かれた。この円柱は、教会構造の柱と同じ高さとなっている。端っこの柱は何もないが、中心部の日本は、表明に装飾加工が施されている。」

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結構過多気味の装飾で、こうなるとすでにロマネスク出ちゃってる感じですね。
というわけで、あとはさらりと行きたいですが、この円柱、お足元にライオンの頭部が彫られていたみたいで、現場では全く気付かず、当然撮影もしてません、シュン。もちろん、どうせかわいくないタイプなんで(決めつけ、同時に酸っぱい葡萄です、笑)、いいですけどね。今後いかれた方、ちゃんとチェックしてきたくださいね、如何に不細工だったか(しつこい)。

「柱の上の木製の梁については、現在のところ、研究がほとんどなされていない。地域的に樫の木が多いので、それでここにも使用されたのだろうことは、ほぼ明らかと言える。」

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「梁は三部分に分けられており、アーキトレーブ部分。帯、縁取りとなっている。アーキトレーブ部分には、絡まった装飾模様の中に、12枚のメダル。いわゆる組紐文様のロジックで、お花が中に入った装飾と順番に並べられています。」

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帯の部分はアーチ模様。それも半円アーチ。中央部は、サイズの大きいアーチ。

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とにかく細かいのはすごくて、これはイスラム系なのかなと感じます。空間恐怖に近いやつ。でも、アーチのとこは空白だね。
一番あきれるのが、てっぺんの縁取り部分で、びっくりするくらい細かく装飾モチーフと人物フィギュアが並んでいますよ。

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左側の上で、二枚上の全体拡大写真でもちょっと見えるかな。かなりちゃんとした、変に謹厳実直を表したような人物フィギュアがござるんですよ。等間隔でね。本を持っていたりする様子から、修道士か聖職者か、とありますが、絶対そうでしょ。それもね、タイプとしてはカドフェルさんとはそりがあわないだろ?っていう四角四面の人たちです、笑。

与太は置いといて、オリジナルでは、彩色もあったらしいとあります。木製だし、それは大いにありかもね。
この教会の項で、さんざっぱら名前が出てくるモンテカッシーノ修道院にあったとされるイコノスタシス(13世紀に火事で喪失)では、黄金に塗られていたということで、そして、スタイルからはそれがコピーされたものでは、という説もあるようです。とすると、最初に言及した説よりも、ずいぶん古いものだった可能性もあるようで、やっぱり何が何だか。

最後に、おそらく、というこの梁の意匠の説明は、「中央にはキリスト、聖母、洗礼者ヨハネが置かれ、それら天の玉座の上には二人のケルビム、それらすべてを持ち上げる位置には、大天使たちがいて、六枚の翼をもつセラフィムの間のアーチに置かれている。12使徒の上半身が、帯を飾っている。30のアーチは、おそらく地域でより著名な聖人に捧げられるためのもので、メダルは、おそらく旧約及び新約聖書のエピソードを表すもの。」

上の方の写真で、六枚の翼のセラフィムが二人いるのは見えるので、その上に、さらに造作があったということになるようですね。
最初からこの結論を読んどけば、くだらない与太話、書くこともなかったです、笑。

解説ばかりで、写真も少なく、面白みの少ない内容となったかもしれませんが、それなりに面白かったです。やはり、現場に行くときは、懐中電灯と双眼鏡、必携ということですよね。そして、あまり次々走り回らず、一つ一つのアイテムをじっくりと見ようよね、と改めて思いました。
もうちょっと続きます。


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  1. 2022/03/12(土) 21:17:10|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:4

語学力の問題がありすぎです(ロショーロ・ディ・マルシ その7)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その25

ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続き、今回は、チボリオとなります。

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それにしても、まばゆいほどの白さですね。
解説を読んでいる本の写真は、もっと古色蒼然とした雰囲気なんですが、もしかしたら、直近の地震の後なのかもしれませんが、ちょっとお掃除行き過ぎと感じるくらいの白さです。出来立てのころは、実際にこうだったんだろうけど、現代においてロマネスクを愛でる場合、千年の時間も含めて愛でたいタイプが多いのじゃないかと思うのですけど、どうでしょうか。わたしはそうなんで、あまりにわざとらしいくらいに白いと、ちょっと気持ちが入り込みにくかったりしてしまったりします。

なんでここまで白くなるかというと、ストゥッコStucco仕様だからじゃないかと思うんですけど、どうでしょうね。
そうなんですよ、ここでは、結構ストゥッコ、使われています。

漆喰は、古代以来使われてきた材料ながら、どうしても石に比べると耐久性が劣るという欠点があるため、石を超える素材になることはなかったようなんですが、利点としては、細工がしやすいということがあったようです。もちろん、コストがかからない、入手が容易、という現実的な側面もあり、この地域で、10/11世紀のころ、大理石などの入手が困難な時期があり、それで漆喰が使われたとされています。

でも考えたら、チヴィダーレのロンゴバルドの装飾は、やはり漆喰を使っているけど、8世紀とかのものが残っているわけで、必ずしも耐久性がないとも言えないとこ、ありますよね。

さて、チボリオですけれど、チボリオが出てくる度にしつこいですが、私が好むアイテムではないんです。けれど、ここのチボリオは、この教会の古色蒼然とした雰囲気の中で、なんかなじんでるなって思いました。

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奥の方に、チボリオくらいインパクトのあるものがないと、かえってバランス悪いっていうか、祭壇部分が、一番地味になっちゃうような、そういう作りじゃないですか。

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今回も、しっかりと解説を読んでいきますね。一部の方に、非常に楽しんでいただいているようなので、勇気が湧いてきました、笑。

チボリオの構造は、この地域産の石灰岩をベースに、漆喰の層を載せて、装飾がなされているものということです。石灰岩が、かなりもろいタイプだそうなので、そこに直接彫りこむことは難しかったのではないでしょうか。

四角形の土台の上に、小円柱が立ち上がるスタイルで、かご型の柱頭。柱頭は、一般的なアーカンサスの葉や実の装飾的モチーフに加え、人の顔や鷲などがこんにちはしてるやつ。説教壇の柱頭と、雰囲気は似ています。

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髭のおっさんたちのスクラムぶりがすごい。

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これらの彫りを、ビザンチン風、と解説はしていますが、オリエントの風味、という意味みたいです。モチーフの風味はともかく、彫りの技術は、11世紀前半のプレロマネスク時代とされています。

これらの柱頭が、丸くクローバー型のアーキトレーブを支えています。ここの部分も、説教壇と共通していますよね。

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装飾的な部分は、つる草にしても、アーチ縁取りの組紐にしても、なかなかすっきりとバランスが良くて、素晴らしいと思いますが、人や動物のフィギュアとなると、何か下手さが漂うっていうか、その辺も説教壇と重なります。

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ふと、トスカーナの下の方の、どこだったっけ?カッラーラだったかな?
やっぱり繊細な様子の彫りがあるけど、なんか可愛さが足りないなって感じさせるやつ。あれはでも、ロマネスクでも結構後期だったと思うんだけどな。

解説では、「オリエンタルな洋服を着た人、ヌードの人、またドラゴンやグリフィンなど動物のフィギュアなどの浅浮彫のある装飾」とあります。プレロマネスクの技術って、もしかすると、時代が下っているのに技術が劣っていたという意味?

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上の人の左の方には動物がいるので、狩をしているみたいな人。なんか、ポーズがちょっとオリエンタルっていうか、インドとかにありそうなクネリ感が。自分のひねりまくったポーズに夢中で、獲物見てないし、笑。
それにしても、枝豆みたいな形の弓、面白いですね。こんなの見たことないけど、当時、こういう形の弓があったのかしら?

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この、アーチの周辺の装飾の上に四角い幅広の縁取りが走り、この装飾もまた、それぞれが一つずつ異なる、規則的でありながら生き生きとした花モチーフで、面によって、その植物の絡まった中に、不思議な動物たちのフィギュアがのぞいていますよ。例によって、あまり可愛さないけどね。

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解説では、これら装飾は、アラブ様式から来たというよりも、それよりもはるか遠い北部の文化である伝説や言い伝えから来ている様子のフィギュアが見られるとしています。つまり、ケルトやゲルマンの文化で、ゴチック時代初期にインスピレーションを与えたもの。
ってことは、すでに、ゴチック期に差し掛かってるということかいな。それなら納得できるかもね。先述したカッラーラとかとの共通性も、あながちうがちすぎじゃないのかもね。

で、これら何層にも飾られた上に載ってるのは、八角形のクーポラ。

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これ、さらに二層になってるけど、八角形をずらして置いている感じになるのかな。パンドーロを横に切って、ずらしながら積んでいって、クリスマス・ツリーみたいにする感じで。イタリアにいないと分からない例かな。

「沢山の小円柱が透かし模様を作って華やかさを醸し出している。その天井に、ピラミッド構造の屋根があり、大きな花と、アニュス・デイAgnus Dai(神の子羊)によって持ち上げられている。残念ながら、それらは歴史の中で失われてしまった。」とあります。現地で、入れなかったのかもしれないけれど、ほら、そもそもチボリオに対する情熱が薄いもんで、無理くり入るほどのやる気はなかったから、どうだったか覚えてないんですが、残念ながら、中からの写真が見当たらないので、潜り込まなかったのは確かで、ピラミッド構造と言われても、ほぉ、そうですか、とうなずくしかないんですわ。

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それにしても、細工が細かいです。やはり漆喰ならでは、という部分はありそうだよね。漆喰だと石工じゃなくて左官になるのかな。そういう別があったんですかね、当時。漆喰職人って、存在を考えたことなかったけど、石を彫るのとはなんとなく違いそうな気もします。

解説は、装飾はともあれ、構造的な部分はオリエント発、としていて、この八角形のクーポラも、イランあたりの芸術を彷彿とさせるスタイルだから、明らかにビザンチン出身の職人さんの影響があるとしています(でも、ローマ辺りで、大変普及したらしい)。

この繊細で細かい技術は、刺繍様式とでも定義されるもので、奥行きを強調することで見た目の印象を強める効果を出しているということですが、そうですか?

このアラブ系のスタイルは、スペインとフランス経由でイタリアにもたらされたもので、ここで活躍したロベルトとニコデモによって、アブルッツォ地域では初めての試みであり、中でもロショーロがまさに最初の例となるようです。
うーん。ビザンチンといい、イスラムといい、あちこちからの影響があるらしいのは分かりましたが、これはモンテカッシーノ修道院を調べねば、という気持ちに拍車をかけられていますが、それにしても、結局よく分からないなぁ。読んで書いていても分からないので、私の読解力の問題と思います。あしからず。

最初の例と言っているのは、この棟梁とチームは、この地域の、サン・クレメンテ・アル・ヴォマーノ及びサンタ・マリア・デル・ラーゴでも、まったく同様のスタイルのチボリオを作っているからです。

ということで、内容がよく分からない分、今回は、写真を多めにアップしてごまかしてみます。

で、最後に、例によって解説によるうんちくを。

「チボリオは、その場所から聖体、永遠へと続くあゆみにおける魂の糧がもたらされる場所という意味で、チボリオCiborioと呼ばれるもの(チボCibo=食べ物)。
聖体は、地上においてはキリストである神であり、神秘的に隠されているものなので、芸術家にとっては、それにふさわしい豪華で荘厳な天蓋を持った玉座を作るのはその義務となる。それは、神の荘厳さを讃えるものであり、下にある祭壇上の捧げものを神聖なものとするのである。」

「一方で、神の言葉が発せられる場所、すなわち説教壇が装飾されると同様、キリストという形で具現化する神を本物とするために、装飾されるべきなのである。」

チボリオが、食べ物を表すCiboから来ているとは、今の今まで知りませんでしたので、大いに勉強になりました。やっぱり、分からないなりにでも、ちゃんと読めば、わずかでも知識は増えていくのかも。問題は海馬ですけど。


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  1. 2022/03/09(水) 21:53:02|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:8

神の摂理の可視化って大胆よね(ロショーロ・ディ・マルシ その5)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その23

このところ、うんちく全開マニアック度全開で、ますます誰も読まなくなるわ~という自己満足ブログになっているかと思いますが、せっかくのチャンスなので、今回もじっくりと解説と向き合い、美術史を捏造するべく(笑)頑張ってみたいと思います、笑。

というわけで、ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続き、今回は、説教壇となります。

abruzzo 291

解説本のおかげで、おそらく初めて、いや、これまでもチャンスはちゃんとあったはずだし斜め読みはしてると思うんですが、簡潔にして分かりやすい説教壇についての説明を知るができたので、記しておきたいと思います。これ、チボリオの項(今後書く予定)でも、同じこと言いそうです。

以下、時折自分の文を挟みつつ、基本的に解説されていることを書いてみますね。分かりにくいのは、私の翻訳も悪いですが、地の文も、あまり分かりやすい分ではないせいだと思います。言っちゃなんですが、この方の文は、結構読みにくいです、笑。

「説教壇、Amboneは、ギリシャ語起源の言葉で、同じ意味でラテン語起源のものが、どうやらPulpitoとなるようです(イタリア語辞書によると、Pulpitoはシンプルに説教壇とありますが、Amboneは、初期の教会にある説教壇、と限定的な解釈になっています。教会によって好きに使っているような印象があり、今のところ、その厳密は違いは私には不明)。
説教壇は、人々へ神のメッセージを伝えるための場所なので、特に中世においては、人々が神に近付く場所とも理解されていたもの(ギリシャ語のAmboneには、登る、到達するなどの意味があります。」

「そういう観点から説教壇を見ていくと、円柱は、人々の姿を表す部分、装飾された柱頭はその魂を、はめ込み装飾のされた小アーチは、人々が重さを支え持ち上げる困難を表し、階段は、昇天を助けるためのアイテムという見たとおりの意味を持ちます。
また、説教壇は床面から立ち上げられていることで、サン・ジョバンニ、つまりサン・ヨハネの福音書にあるように、天からもたらされる言葉の告知、魂の光が、地上にいる人々に対して、言葉が光であり托身であるという意味を明確にするものとなっています。そのため、説教壇の足元に、小さな祭壇が置かれることがあり、この教会ではまさに祭壇が置かれています。」
 
前置きが長くてすみませんが、もうちょっとだけ。
この説教壇、前回まで紹介した柱頭とは、彫りの様子など見るからに違うのが分かると思います。ニッコロ棟梁の時代から、100年ほど後の装飾となるようです。

「この、ニッコロ後の時代の装飾の製作者であり棟梁は、ロベルト及びニコデモで、名前が、説教壇の階段に彫りこまれていることから明らかになっています。おそらく、他の名前や年代なども彫りこまれていた可能性はありますが、今はそれだけしか残されていません。」

「ロベルトは、おそらくルッジェーロまたはロジェリオという人の息子で、この親子は、1150年以前に、サン・クレメンテ・アル・ヴォマノ教会のチボリオを作りました。明らかなのは、1150年から1166年の間に、ニコデモが棟梁として、三つの説教壇にサインをしていること。Rogerioが亡くなった後、最初にニコデモとロベルトの名前が見られるのが、ここの説教壇ということ。」

「いくつかの説があり、主な説は以下。

・ロジェリオ、ロベルト、ニコデモは、このアブルッツォ生まれで、その根拠は、彼らの作品が、この地域でしか見られないこと。
・南部出身者。理由は、ニコデモというギリシャ風の名前だけではなく、彼らの作品のビザンチン風味から。
・南部といっても、ノルマンの影響を受けた人々。それはロジェリオ及びロベルトという名前、そして、作品の風味から。

など。
いずれにしても、残された作品におけるオリエントの風味は、モンテカッシーノ修道院の棟梁たちを介してもたらされたものであろうとされる。」

「出身がどこであろうとも、彼らの作品はアブルッツォでしか目にすることはできず、間違いなくモンテカッシーノ修道院の影響下で行われたもの。当時のモンテカッシーノ修道院は、ビザンチン、アマルフィ(カンパーニャ地域やアラビア)、ローマ(古典)、北部(ロンバルディア、ゴチック)などあらゆる地域のあらゆる技術やモチーフを持った職人・芸術家が集まっていたので、その影響の方向性というのは多様となります。」

ふぅ、長かったね~。ほんとイタリア語読むの、すっごい苦手。読書は早い方だけど、日本語に限るし、日本語だと早く読めちゃうタイプなんで、外国語で読むのが同じように行かないことで、必要以上にストレスを感じちゃって、さらに外国語で読むのが嫌になるタイプ。すっごい言い訳、笑。

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正面からは、こういう感じであります。左側に、イコノスタシスにくっついて階段があり、正面を向いた面は、のっぺらぼうとなってしまっているのが分かるとおもいます。最後に行われた修復でこうなってしまったとありますが、ま、ボロボロだったんでしょうね。

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上は、中央身廊を向いている部分で、この面も、ファサード側はのっぺらぼうです。真ん中に飛び出た円筒形の部分は、説教者が聖書を置く場所になりますが、支えには翼のある雄牛。残念ながら、大きく損壊してしまっています。
雄牛の上には、左右それぞれ聖職者が彫られていて、左は福音書を読んでいます(下の写真となります)。福音書の下に鷲がいるので、福音書家のシンボルとして、この人はサン・ジョバンニ、つまりヨハネと考えられます。
上の写真でも見える右側は、光背を持った聖職者が、お香を振りまいている姿です。

abruzzo 295

やったら写真を撮った記憶があるんですが、やはりすべては撮り切れていないもんですね。それも、例によって、皆さんすでによくご存じの通り、システマティックに冷静に撮影できないタイプなんで、順番もめちゃくちゃに撮影しているので、こうやって整理していても大変なんです。で、すっかり終わった後に、あ、こんなところに!という発見なんかもあったりして。ほんと、撮影一つにも、性格というか生活習慣というか、出ますよねぇ、しみじみ。
(実は、写真、撮ってないと思って、長々言い訳をしたんですが、まさに書いたとおり、記事を書き終えた頃に発見したので、無理くり挿入しました。後付で記事を書き直すのも大変なんで、とってつけ感があると思いますが、ご勘弁。)

でね、この二人の聖職者を表すことで、それはそれはたくさんの意味づけをしているんではないか、と解説では20行ほども費やして説明しているけれど、さすがに割愛します。キリスト教者として、教条的な話なんでね。

abruzzo 294

その右側です。
上の図では、玉座に座る人と脇に二人の人物、そして、リュートの調べで踊りをする女性が描かれています。シンプルにヘロデ王とサロメと思いますけれど、違う説もあるんだってさ(研究者ってやつに、ちょっと疲れてきてる)。

玉座に座る王は、ダビデで、自分を讃える歌を寿ぐ踊りを楽しんでいる、だってさ。それってどう?ダビデ王の逸話なんて、ほとんど知らんけど、音楽好きだったとかあるんかいな?
その他、ソロモン王で、自分が創建した教会を祝うお祭りのシーンだって。
ちょっと~、ここはサロメでいいじゃん。あんまりごたごた言ってるんじゃねぇ、という気持ちになります。

下の図は、サムソン、またはダビデが、ライオンまたはクマと戦う図。
サムソンの図は、大抵ライオンにまたがって、ライオンの口に手をかけているという迫真の瞬間が彫られることが多いし、イケメンが多いので、私のお気に入りの図像の一つ。というわけで、ここの図はダビデとしときましょう。

abruzzo 296

各所に、幾何学的だったり、植物モチーフをベースにしていたり、とっても華やかに装飾的な彫りものが見られます。
見た感じは、すべてのスペースにこれでもか!と闇雲に詰め込むというよりは、全体のバランスが考えられて、冷静に配置されて彫られている様子があって、時代がある程度下るんだろうし、それが、この石工さんたちのスタイルということになるんでしょうかね。

abruzzo 297

よくあるぶどうの蔓ベースに、いろんなフィギュアがこんにちわってやつ。
でもね、この人、人とか動物とかの形、あまりうまくないし、顔もダメだよね?かなりヘタといってよくない?

abruzzo 298

葉っぱとかすごくきれいに惚れてるし、円も完璧で、すっきりしてるけど、ほらね、フィギュアが、なんか、わ~いいじゃん~となりにくい感じ…。

柱頭は、中央側と側廊側と、それぞれ二組同じモチーフ。

abruzzo 299

それも変わってますね。
奥の方は、アーカンサスの葉っぱモチーフを、かなり粘着質的に細かく彫っていて、手前のも葉っぱモチーフなんだけど、真ん中におじさんの顔がありますね。

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髭を引っ張るというよくあるやつじゃないし、なんか出て来かたが漫画っぽいっていうか、この人の表情は、上の彫りとは違っていいです。とんがり帽子みたいのかぶって、なんていうのかな。ガンダルフの寝起きっぽい。ガンダルフって指輪物語の白髪のね、笑。

でも、この辺まで来て、解説者疲れたみたいで、「謎ですねぇ」で済ましています。

説教壇に上る階段の手すり部分、中央身廊向けの場所にあるのは、私でも分かるヨナの物語。

abruzzo 301

二つに分かれているけれど、お魚のしっぽがつながっていたりするのが、ご愛敬です。
左の部分で飲み込まれて足だけ彫られて、右の部分で吐き出されて上半身だけって、なかなかしゃれてます。

言われなければ、どんな拡大で見ても気付かなかったやつ。

abruzzo 302

これぞ、解説うんちくの醍醐味ですね。
ヨナを飲み込んでる怪魚のおなかに、光背に囲まれた手が見えます。これは、おそらく、人々のことを常に見守る神の摂理を表しているとしていて、ヨナの理不尽は話はともかく、なるほどね、と思いました。飲み込まれても、俺が見てるから心配するな、的な神の手だとしたら、有難いけど、意地悪いなぁ、とも思っちゃえるし。

abruzzo 303

下の方では、怪魚から吐き出されたヨナが、石だらけの地面に腰掛け、近くに多くのヒマの木(ひまし油を取るのかな?初めて知ったわ、ヒマ)。その枝は、沢山の葉と細長い実がなっています。下の方には、小さい蛇が木にかみついています。

ヨナは、他のすべてを救うために犠牲となることから、伝統的にキリストを象徴するもので、そのために、この、人々と天をつなげる重要な位置に置かれたのではないか、ということになるのかな。
ヨナっていうと、時々、クジラに飲み込まれてる場面があるけど、吐き出された後までちゃんと描いてあるのは初めて見たかもなぁ。


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  1. 2022/03/05(土) 18:36:05|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:6

美術史捏造?(ロショーロ・ディ・マルシ その4)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その22

ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続きです。

前回同様に、柱頭を見ていきます。
右側の柱を、入り口側から順番に見ていますが、最後のやつ。つまり、祭壇の脇にあるやつとなります。

abruzzo 286

他の面は、これまでとタイプの似た植物モチーフですが、こいつには、ラテン語がひっくり返しで刻まれているようです。
書かれているのは、「GRATA DNI NOSTRI IHI」で、Gratia Domini Nostri Jesu Chiristiと読めて、意味は、我々の救世主ジェズ・キリスト恩恵とでもいったもの。

いわゆる鏡文字的な?レオナルド的な?なんでかは不明です。解説者は、ここでもまた見習の練習という解釈をイチ推ししていますが、同時に、型取りのためのたまたま置かれた、という説と、置かれている場所、つまり祭壇の脇なので、聖職者、そして信者たちが、祈りの儀式の際に読めるように置かれたもの、という説も紹介しています。
いや、でも、反転文字にする必要がないですから、ちょっと納得しかねます。と言って、この、ヨタヨタした文字が、型取りのために彫られて、使用目的があったとも思えないですねぇ。ロマネスクにありがちな謎。

左側の柱頭を見ていきますが、右側に比べると、出来がさらにプリミティブになるようです。

abruzzo 287

一番内陣寄りのだと思いますけど、すっごくかわいいですよね。
タイプとしては、まさにプリミティブ、かつ謎めいたやつです。
目を見開いて、手をかかげる当惑の姿勢で横たわっているような人物の上に、顔のない頭部が彫られており、それは、死の神秘を可視化しているもの。また、動物たちは自然の可視化。これらにより、死や自然を前にした人の無力さや恐怖といったものを描いているのでは、という解釈です。
また、千年紀の終わりにある恐怖を、中世初期に特有の表現でなされたものとも考えられると。

いずれにしても、子供がいて、動物がその息で子供を温め、顔のない頭部は、光背で囲まれた天の聖母で、全部合わせて、御托身の神秘におけるキリスト教の希望を表したものではないか、といったところのようですが、ちょっとそこまで行くと、ついていけないわ~。

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解説なしだったら、なんか分からんけど、めっちゃ可愛いですよね、で終わってますよね、笑。
それにしても、子供らしいフィギュアのおててが…。ちゃんと五本指丁寧に彫られていますけど、ほとんどカエル…。
動物も、ほとんど両棲類的な顔です、笑。

次は、あまり鮮明でなくて申し訳ないです。

abruzzo 289

マルゲリータが二つ並んだ向こう側に、広げた掌があるの、分かるでしょうか。一番奥の方が親指になるようで、手前の小指が短いっていうか、変ですよね。日本だったら、その筋の人の何か?って感じですけど、笑、これもまた解釈以上のことは分からないみたい。書かれている解釈も、大したことなくて、石工さんがこういう手の人だったか、人々の注目を集めるため、とか。

ありがちな解釈は、不完全性の可視化、ですよね。ロマネスクによく出てきますよね。でもそれも、あまりに陳腐な気がすることも多いから、この解説者は嫌いじゃないな。
不完全な人も大丈夫、ここは誰もが受け入れられる場所ですよ、という意味の方が納得感あるかな。その筋の人もさ。

解説の最後に、次の柱頭に注意を向けるためかもしれないとあるんですが、次のも、写真があまりよくなくて。この辺り、ちょっと目移りしていた感じで、あちこち向いてはパシャパシャやってた気がします。落ち着きのないオレ…。

abruzzo 290

この面が内陣を向いています。
ザクザクとした彫りで、人の半身。服装などから女性ではないか、という解釈もあるようですが、有力なのは、石工さんの自画像ではないか、ということなんですってよ。衝撃!
頭のあたりに、誰それがやった、という文が彫られているということなんだけど、解像度悪くて、分かりません。

その他は、儀式を行う聖職者、という解釈もあるそうです。

なんか、こういうなみなみの模様って、巡礼の衣装を表すって、どっかで読んだことあるんだけど、いずれにしても石工さんぽくはないな、と思います。

そして、あまりにプリミティブなので、8世紀ごろのものではないかという研究者もいるそうです。
でも、これって時代というより手、つまり石工さんのレベルなんじゃね?って気もするんですけどねぇ。

ということで、柱頭終わりです。

この章(どの章?笑)のまとめ。ほとんどだれも読んでない、という前提で、笑。

今ある教会については、1050年以降、ニッコロ棟梁のもとで作られていて、柱頭類は、おそらくその時代のものとされているとは先述しました。多くの彫りが非常にプリミティブであることから、棟梁の指示によって、地元の職人さんたちが、教えられる技術を、言われるままに練習的な感じで彫ったのではないか、という解釈もされているようです。
わたしが読んでいる本の著者は、ほとんどその解釈って感じです。でもニッコロという人は、建築家だったわけだし、当時は石工も兼ねていただろうからそれなりの技術を持っていたでしょうに、あまりにも初心者レベルの人たちに任すでしょうかね。
それに、時代はすでに11世紀だというのに、この地域、どうなっていたんだろ?土地的には、それなりに交易路というか、オリエントから来た人たちが通過もしているんじゃないか、と思うんだけども。
か、ロマネスク時代後期に発展したものの(主に残っているのは、どっちかというと後期のものだし)、初期は本当にド田舎だったのかな。ニッコロさんレベルの人は少なくて、地元のトンデモ石工を使っていくしかなかったのかな。
などと考えてます。

一介のシロートはいいよね。言いたい放題。

解説読みながらなので、ついつい時間がかかってしまって、コンパクトにまとまらず、この後、説教壇、チボリオ、イコノスタシス、と続きますので、気長にお付き合いください。


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  1. 2022/03/03(木) 17:24:11|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:2

解説三昧(ロショーロ・ディ・マルシ その3)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その21

ロショーロ・ディ・マルシRosciolo di Marsiの、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会Chiesa di Santa Maria in Valle Proclaneta、続きです。

入ります!

abruzzo 276

どどーん、というような衝撃でした。
いきなりイコノスタシス、それも木製の装飾部分とかあるし、狭さも相まって、まるでチヴィダーレ・デル・フリウリのテンピエットみたいじゃないですか。ずいぶんと後代の手が入ったりしているはずなのに、とにかく古い古い雰囲気で、いきなりトリップですよ。

今あるたたずまいというのが、前回の記事で触れた棟梁のニッコロさんによるものなんだと思ったら、どうやら装飾アイテムに関しては、ニッコロさんよりも後の時代の職人さんの作品らしいのです。
本があると、色々と勉強にはなるんですが、いい加減なこと言えなくなっちゃって、大変だわ。ニッコロさんは、入れ物を作った棟梁、ということになるようですね。

本の説明順路が、なんとなく自分の撮影と合うような様子があるので、素直にその順番で行ってみますね。

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入ってすぐ、右身廊の外側壁に引っ付いた位置にある、これはどうやら墓みたいです。1400年代のものらしいのですが、棟梁ニッコロが作ったものをもとにして、後の時代に他の職人さんが作ったとかそういうことらしいです。一応、そのニッコロさんの墓ということになっているらしいです。

一見して、自分に興味のない時代のものだな、と思ったのですが、よく見ると、それらしい浅浮彫がはめ込まれていたので、それが気になりました。

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テイスト的には、ちょっとプレロマネスクも入っているような、いや、単なるヘタウマ?というような、彫りものじゃないですか。
この脇にも、落書きみたいなロマネスク・テイストの超浅浮彫がはまっています。

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解説によれば、これら浮彫は、1080年までさかのぼり、他の場所に置かれていたものが再利用されているとあります。そんな気もするし、そうじゃない気もするし、というところですねぇ。

ちなみに、この変なフィギュアは、オリエントの影響あり、とされていて、上のやつは右側にあるんですが、髭面の顔でフリジア帽(フリジア人は、どうやら古代トルコあたりの民族みたいですが、間違ってるかも、です)をかぶったスフィンクス、この下のは、真ん中の天使たちを挟んで反対側にありますが、トサカも尾っぽも巨大な雄鶏。

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もともとこんな組み合わせじゃなかった可能性も高いし、全部の意味なんてなさそうだけど、雄鶏とスフィンクス?手は似てるようにも思うし、なんだろうね。

ロマネスク的には、他に気を取られて、見逃されちゃいそうなアイテムでした。

では、ロマネスク的に、もうちょっとわくわくするアイテム、柱頭を見てみます。

トップの写真で見られるように、あ、あまり見えないかな。もうちょっと分かりやすい全体写真。

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かなりシンプルな角柱が並んでおります。その上に柱頭があるんですが、これがかなりシンプル・イズ・ベスト的な。
単純に装飾的な植物文様やと、意味がありそうな図像学入ってるやつが混じっています。これらは、ニッコロ棟梁の時代のものとなるようです。つまり、10世紀の終わりごろとなりますが、研究者によっては、8世紀ごろまでさかのぼるとしている人もいるようです。

全部の柱頭を撮影したかどうか、定かではないのですが、説明があるものがあれば、頑張って解説してみたいと思います。
入場してすぐ右側の壁に引っ付いているやつ。

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彫りが本当に浅いし、これ、おそらく肉眼では厳しいと思いますが、写真でも結構分かりにくそうです。
左側の方の松ぼっくり状のぶつぶつは、ブドウの房。これはね、何度も学習したからね、分かります、笑。それを、右側からつついている鳩の姿、分かるでしょうか。で、右端の方でニョロっとしているのが蛇。拡大してみると、すっごくチャーミングなお顔してます。それぞれのフィギュアは、二重の星のフィギュアで分かれています。蛇は原罪、鳩は魂の象徴で、ブドウをついばむ鳩は、救世主の血液による恵みをのシンボルということになっているようです(ブドウ=葡萄酒=血液)。
もう、解説見ちゃうと面白いけど、日が暮れますな。

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四面とも渦巻き文様です。例によって永遠のシンボルとかあるかと思ったら、彫りの練習?的なことが記されており、拍子抜け。
10世紀頃だと、やはり、わたし的には、永遠、ということで、お願いします。勝手に言うやつなんで、賛同は不要です、笑。

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ここは、植物文様で、普通に装飾的なモチーフ、ということで、私も納得。これは、彫りがしっかりしている印象です。このくらいなら浅浮彫といっても、肉眼でも結構見えるくらいの陰影を作れる深さなんですよね。あまりに浅いと、光を当てても分かりにくいです。

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お花はマルゲリータと特定しているみたいです。
左側のやつは、真ん中の円の中に、恐竜の赤ちゃんみたいな子がくるりんとしててたり、上の方も隙間を埋めるようにヤモリみたいのがキツキツでいたりして。
スペースに合わせた装飾デザインというところ。
解説読んじゃうと、いつもみたいに単純に、ラブリー💛とか言って終われなくなっちゃうなあ。ちょっと後悔中。終わらんで。
でも、面白いっちゃ面白いんで、読む方は退屈かもしれませんが、いや、ほとんどの方は、ここまで読んでないと思うんで、じっくりやろうと思います。

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  1. 2022/03/01(火) 16:42:28|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:2
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