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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

脱線メインです(トルチェッロ島 その2)

ベネチア島巡り(2018年12月)、その2

サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta、続きです。といっても、前回は、ほぼ歴史のうんちくに終始してしまいました。

ふと、これより前に行ったのはいつだったろう、と過去の記録を見たところ、2008年、ちょうど10年前でした。その時はまさに島巡りで、ムラノ島と合わせて、一人で突撃したんですけれど、その記録は、当時メインで今は亡きホームページに記していましたね。内容は、過去の自分をちゃんとほめてやりたいくらい、結構ちゃんとしたものでした(ホームページのコピーが手元にありますので、時々資料として見に行きます、笑)。今はブログですけれど、自分の頼りない記憶のよすがとして、大変役に立っているのは、ホームページとご同様、有難いことです。

ちなみに、トルチェッロは、当時から内部撮影禁止だったようですが、一方でムラノは、数年前に訪ねた際、写真撮影自由になっていました。
このSNSのご時世、撮影禁止の意味がどれだけあるのか分かりませんし、特にこのトルチェッロのカテドラルは、入場料も徴収される博物館状態になっているため、さらに納得しにくいです。

こういった不便な場所って、正直、入場料を徴収したところで、訪問者の数は相当限られているはずなので、収入としてはほとんど意味ないと思うんですよね。でも、鍵番さんも置けないだろうから、そのためだけの入場料は、ありだと思うですけど、それなら、撮影開放して、どんどん映え写真を普及させた方が、絶対に集客とか意味あると思います。

毎回記事の下の方に、インスタグラムのギャラリーリンクもいれているんですけれど、最近フォロワーさんも増えてきて、自分では何が違うのかよく分からないのですが、中世ファンの枠を超えて一般人に映える写真ってあって、時々すごく驚くんです。それが近所だったら、そういう映え写真に触発されて、本来中世なんて興味ない人が、行ってみようか、となることもあると思うんですよねぇ。特にインスタグラムって、写真を映えさせるアプリがよくて、実際よりも鮮明に見せたりできるで、インパクトもあるんですよね。

トルチェッロのカテドラルなども、とってもインスタ映えするアイテム満載なんで、ちょっと考えてほしいなぁ。

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例えば、後陣で、金色の中優雅にたたずむ聖母子。
これは、ムラノと同じ意匠なんですが、トルチェッロでは、その土地とも結びつけてしまうのか、より孤高な印象が強くて、オーラを感じます。
こんなのを、こそこそじゃなく、記憶にとどめられるようにしてほしい(こそこそ、やってたということです、ハイ、涙)。

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聖母に負けじと、脇後陣では、息子も頑張って祝福してるし、天使たちも、素敵なビザンチンを、バリバリ体現中なんですけどねぇ。

ここから、ちょっと脱線しますので、興味なさそうな方は、以下、飛ばして、次の写真まで、進んでくださいね。
先日、みうらじゅんと山田五郎さんの対談聞いていて、みうらじゅんさんの仏像鑑賞の原点っていうかね、スタンスっていうか、そういう話に、心底うなずけたもんで、書いときたくなっちゃって。彼はフェノロサ視点、といっていましたが、要はそれまで日本になかった、「宗教を離れた、純粋に美術観点からの鑑賞」ということだと思うんですけれどね。仏像を宗教から切り離してみる視点がなかった日本に、フェノロサが初めて体系的に仏教美術という視点を作ったという考え方。

それって、まさに自分がロマネスクでやっていることで、思わず膝をたたいたっていうか。言ってしまえば簡単単純なことなんだけど、それほど簡潔に表せなくて、もぞもぞ落ち着き悪かったこと。
宗教美術って、どうしても、宗教的な教えだったり、逸話だったり、そんなことと結びつく内容がベースになっているから、ロマネスクだったら、やはりキリスト教の知識って、いやでも知ることになるし、知ることで面白さが増したりもするし、切り離せない部分というのはあるんですよ。でも、実は、キリスト教が好きなわけでもなく、信者であるわけでもなく、信仰もないという私のような人間は、割り切っているつもりでも、時として、なんだかもやもやすることがあったりしてね。教会行っては、つい献金を一所懸命したりしてごまかす、みたいなこともあったわけです。
それが、フェノロサかぁ、と。
当時のお雇い外国人と逆の立場の私は、つまり、キリスト教から自由でいられるから、すっと美術として接することが出来て、そこだけ取り出して楽しめることに違和感がなかったのかな。ここでは、日本のロマネスクファンに比較すると、なかなか自由にキリスト教美術を語る人が少ないと感じることも多くあるのですが、そういう何かしらの縛りの中にいるからかなぁ、とかね、思ったりして。
いや、最近の動画の充実ぶりよ。もうユーチューブなしには生きられないわたくし、笑。

脱線終わりです。

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ここ、実はファサードの裏側のモザイクも、全面に施されており、すごいのですが、訪問時は、こんな有様でした。足場の隙間から、ちらちら見えるのが、逆に憎い、みたいなフラストレーション。

話をちょっと戻すと、後陣には、祝福するキリストを抱いた聖母マリアが、黄金の背景にたたずむ大変印象的なモザイク。その下には、十二使徒が並んでいる図です。この意匠は、ムラノ島の教会と同じなのですが、潔さがすごいですよね。どうしても、ごちゃごちゃと書き込みたくなるもんだと思うんですが、黄金、聖母子、すっきりくっきり。ミニマリストな職人さん。
その反対側は、しかし書き込みまくりの最後の審判の図となっているのです。
時代も同じようなので、同じビザンチン系の職人さん作と思われますが、共通項は黄金バックというところで、表現のコントラスト、面白いですね。

好物なアイテムとしては、イコノスタシスがあります。

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こそこそしているので、ひどいものですが、このライオンちゃんコンビ、初めてお会いしたとき、あまりの可愛さに、スケッチしたくらいです。
スケッチのおかげか、図像の記憶は残った割に場所を忘れまして、ローマのサンタ・サビーナと思い込んで、確かにあそこも素敵なイコノスタシスがあるんですけどね、再訪した時に、ライオンちゃんいないから落胆したというか、自分の記憶力、やっぱ信用できないって再確認したっていうか。

そういうわけで、この愛らしい、ちょっとお爺さん、いや、おばあさんかな?そんなテイストが入っているようなライオンちゃん健在で、再会が一番うれしいアイテムでした。

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内陣の床モザイクも素晴らしいです。
これはコスマーティじゃないと思います。ベネチアは、やはりビザンチン起源の装飾として、床モザイクもあるのだと思います。これは、内陣にあることもあるのでしょうが、保存状態がすごくよろしいですね。千年からの長期間、踏みつけられて、すり減ったり凸凹ったりしている床モザイクも、味があって対好きなんですけれど。

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モザイクは、しかしラベンナが近い割には、驚くようなものではなかったりします。技術にしても意匠にしても、残っているものとしては、ローマの方が圧倒的に迫力も数もあります。
これらはすでに12/13世紀のもので、ビザンチンの名残といった時期になると思うので、要は職人さんの技術力とか、継承が途切れつつあるみたいなことになるのかな。やはり、モザイクはラベンナに限るかもね。
イタリアにおけるモザイクは、個人的には、ラベンナ、そしてローマに価値があると思っています。

この教会、入場料を徴収しますが、それが、本堂、鐘楼、そして近所の博物館の共通チケットになっていたと思います。そのため、珍しく鐘楼にもアクセスしました。

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修復も施されており、一見結構新し目にも見えますが、11世紀建造ということです。内部はかなりきれいになっているし、正直大したことないのですが、この鐘楼に上る意義は、眺めだと思います。

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カテドラルの屋根と、お隣のサンタ・フォスカの様子がばっちり見えます。お天気が良かったら、潟の風景もオツなんでしょうねぇ。

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すっごく夢の跡的な風景で、ちょっと良くないですが。
どう見ても沼地になってしまっている先の方も、おそらく繁栄していた時期は、ちゃんと陸地で、建物がびっしり並んでいたりしたのかもしれません。そして、船が行きかって…。

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今なら、ドローンで、こういった鳥目線の眺めも簡単に撮影できてしまえるわけですが、私の場合は、いまだ人力ドローンというわけで、登る途中の一枚。
でも、実際に教会が稼働していたころには、鐘楼っておそらく関係者以外は登れなかったでしょうね?

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  1. 2022/05/27(金) 17:05:26|
  2. ヴェネト・ロマネスク
  3. | コメント:0

今更、勉強してみたイタリア北部の中世初期(トルチェッロ島 その1)

ベネチア島巡り(2018年12月)、その1

またまたずいぶん前の訪問記になります。
ブログを確認したところ、ロマネスク観点でのベネチアはアップしていないようなので、2018年12月に、久しぶりに訪ねたトルチェッロ島、そして、それより以前に訪ねたときのムラノ島の教会を、改めてまとめておきたいと思います。最近ほら、色々調べたい病になってますから、改めて、というのが肝です、笑。

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トルチェッロの遠景。うっすらと塔が見えると思いますが、それが目的の教会となります。と言って、この島には、他に見るべきものがあるわけではないんです。

なんというか、「空の青、海の青にも染まず漂う」白鳥の歌がありますが、これはそのグレーバージョンという感じですね。真冬の12月に行っていますから、何やら物悲しい風景です。
物悲しいですが、それがまんま、トルチェッロを物語る風景ともいえるのかと思います。

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この島、今では、畑と教会しかないような状態になっていますけど、15世紀も前には、今のベネチアの基礎となる土地だったんですよね。
639年、蛮族、というのも、今では抵抗ある言葉なんですけど、歴史上はそうなっているので使うわけですが、要はロンゴバルドなんですよね、その侵攻から逃れるために、本土の人たちが海に逃げて、それがベネチアの最初であるという由来は有名と思いますけど、それが、7世紀前半、このトルチェッロだったということなんです。
こうやって地図を見ると、今のベネチアに比べると、このトルチェッロのあたりは、本土とも距離が近くて、とぎれとぎれではあるけれど、より地続き的な土地となっていますから、そんなこともあったんでしょうね。埋め立てなどをするというより、とりあえず、島として定住可能な土地だったと。

7世紀から10世紀が、トルチェッロの繁栄期となりますが、最盛期には、2万人もの住人がいたんだそうです。でも、その後はベネチアが繫栄することで、多くの住人が移転し、交易など物流商売もどんどん移ってしまって、しょぼん、となっていくと同時に、どうやら、島として、というのか土地としてもダメになって、湿地沼地が増えてきて、住むに堪えないような自然環境の悪化、ということもあったようですね。

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で、結果、住むことを放棄された土地となってしまったということなのでしょう。今では、畑と、教会と、住人は数えるほど、ということらしいです。
上の写真が、結構衝撃的だと思うのは、左の方に、教会Basiliaというのが見えると思いますけれど、そのあたりが当時の中心地だったはずなので、おそらく、赤い屋根の建物が、今のベネチアがそうであるように、びっしり建っていたのでは、と想像できることです。
今は、教会から右の方に伸びている運河沿いの道、そこは整備されていますけれど、道だけです。

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ある意味、ポンペイ的な島なんですよね。いや、残っているのが教会だけで、繁栄した街並みがすっかり消えてしまって、もともとそうだったであろう原野のような様子に戻ってしまっているというところで、なんだろう、歴史は繰り返す的な、兵どもが夢の跡的な…。石の文化ですら、それも、古代のものでもない建造物が、きれいさっぱりなくなる、というのは、珍しい歴史ではないかと思います。本土からの避難民が生きた痕跡が、教会だけに残され、そして、その教会が廃墟になっていないにも関わらず、それ以外の建物が一切ないというのは…。

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色々話が前後してしまいますが、トルチェッロに避難した人々の多くは、本土のアルティーノという土地の出身者で、当時、アルティーノは、ビザンチンだったのですね。
イタリアも、結構色々錯綜してますから、何度おさらいしても、なかなか覚えられない中世史、涙。

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イタリア半島北東部ですが、赤で囲んだあたりが、6世紀から7世紀にかけての、ビザンチンとなります。ラベンナが近いですもんねぇ、このベネチアのあたりは。
5世紀ごろから、青い線でロンゴバルドが入ってきて、薄い緑のシマシマで囲んだあたりから征服して、どんどん半島を下って、北西部一帯から、ビザンチンを間において、南部、ベネベント辺りまで征服するんですよね。ロンゴバルドは、「蛮族の侵略」みたいな一言で簡単に片づけられちゃうし、世界史的に中世全体が、そういう扱いされている傾向が多いので、さらりと流されちゃうんですが、ローマ帝国亡き後、イタリア半島ほぼ全域を征服したというのは、もうちょっとよく認識されるべき歴史だと思うんですけどねぇ。

それにしても、稚拙な地図で、赤面です…、笑。

歴史の勉強をする場でもないんですが、あえて書いているのは、要はビザンチンだったということを納得するためです。トルチェッロに移住した人たちは、反ロンゴバルドだったと。

で、やっと教会の登場となります。

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そういうわけで、もともとはビザンチン仕様初期キリスト教様式の教会が建てられていたわけです。

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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta。
よく見る姿は、正面ファサードからの写真と思いますが、今回は、脇の方の草原に回り込んで、横から撮影することが出来ました。実は、訪ねたとき、あちこちが絶賛修復工事中で、見学にはベストとは言えない状況で、実はファサード側は、外も中も、完全に足場状態、また、この後陣側も、ほぼ同様の状況で、近くにアクセス不可でした。
ちょっと悲しかったのは、その工事の終わりが、ほんの1週間後とかに予定されていて、確かほぼその予定通りに足場が取れたことが、何かのきっかけで、あとから分かったことです。また行けばいいんですけどね、でもくやちいことでした。

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全体に、おそらく化粧直しだったり、破損の部分を交換したりとか、そういった修復っぽかったです。現場も、撤収が近い様子で、かなり片付いてはいましたが、あくまで「現場」でした。

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ファサードはこんな状態でした。
今思い出しましたが、ファサードの方は、確か水漏れとか、何か水被害を防ぐための工事とかなんとか言っていたような。

話を戻しますと、今あるカテドラルの姿は、11世紀初頭あたり、トルチェッロが最も繁栄していた時期に、再建された姿で、鐘楼も、その際に建てられたものということです。本堂は、側廊が付け足され、中央身廊は高く上に持ち上げられるというバジリカ様式が採用されました。

このファサード、前に、とても原初的な様子のナルテックスがあるんですけど、これ、どういうことになってるんだろう。後付?または、初期キリスト教時代、7世紀ごろにあった教会の名残という様子も見られる構造なんですけど。
というのも、柱頭が素敵で。

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波モチーフっぽいやつとか植物モチーフですが、なんとなくビザンチンなラベンナ・テイストを感じます。
しかし、とにかく絶賛工事中が絶賛過ぎて…。
このファサード前って、洗礼堂跡だったと思うのですが、なんだかもう。

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歴史をひもとくところから始めたら、改めて面白いと思うのですが、色々な記述が錯綜してしまって、まとめるのが大変になってしまいました。
次回は直球で教会に突き進みます。

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  1. 2022/05/25(水) 22:06:09|
  2. ヴェネト・ロマネスク
  3. | コメント:0

おフランスへのあこがれ(フォッサチェージア その3)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その53、そして最終回

フォサチェージアFossacisiaのサン・ジョバンニ・イン・ヴェネレ修道院教会Abbazia di San Giovanni in Venere続きです。

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前回、半端に切ってしまった回廊です。広大さがちょっと分かりますよね。これだけ大きな回廊って、なかなかないと思います。
極限までほっそりさせた様子の円柱に、こういう平たい逆三角形の柱頭スタイルです。

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このタイプの柱頭、どうしても南チロルを思い出してしまうのですが、確か昨年訪ねたサンタガタのクリプタとか、ベネベントの回廊もそうだったでしょうか。
体系的に調べたことがなく、南チロルのイメージから(あの地域にあるロマネスクは13世紀以降、他の地域がゴチックに移行している時期になされたものが多かったと記憶しています。確か財政的な問題が主な理由だったような)、比較的遅い時代のものなのかという印象だけがありますけれど、実際はどうなのでしょうか。
少なくともこの小円柱の拒食症的ほっそりさは、ロマネスク初期でないことは確実な気がしますね。

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ほんのわずか、おそらく他から持ってこられたものと思われる彫り物がありました。

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ここでは、足元がちょっと良かったです。

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かなり修復というか、再建されちゃってるのかもしれませんが、石色も、すり減った様子も、石ラバーだったら、うっとり必至です。
しかし、こんな凸凹ってると、年取った修道士は危ないのでは、とちょっと思っちゃったんですが、逆に、慎重に歩くかもだし、あと、足で縦線にはめられたレンガを認識して、まっすぐ歩けるのかもとか、余計なことを考えてしまいました。

石畳って、本当に邪魔くさくて、車で走行するとガタガタしてイラっとするんですが、見た目には実に魅力的。不便だけど、イタリアではいまだに各地にあるわけですが、実は持ちがいい、というのも理由にあるとか聞いたことがあります。おそらくもともと石畳の場所って、古い時代から石畳になっているから、地盤もしっかりしていて、時々張り替えメンテナンスとかしてればいい、みたいな。実際、石畳は、街中にしかないですしね、地下もそれほど活用されてないだろうし。
ミラノでも、我が家のあるちょっと町はずれ地域になると、当然アスファルトしかないのですが、穴ぼこがひどいです。特に雨が続くと、あっちにもこっちにも小型の陥没が出現して、車で走るの怖いくらい。ちゃんと地盤の整備をしてないんでしょうねぇ。

おっと、また激しく脱線してしまいました。

ここらで、教会前に建てられていた説明版を読んだので、ここまで勝手なことを書いていますけれど、ちゃんと整理しておくことにしたいと思います。いつものことですけど、説明版を撮影したのに気付かず、勝手な記事を書きまくった後で読んでますので、色々余計なことを書いていてもご勘弁です。ペコリ。

すでに言及したことは省くとして、触れておきたかったのは、以下です。
「修道院が最も繁栄したのは、1165年、修道院長オデリシオ2世OderisioIIの時代で、ブルゴーニュの傑作が見られる。この野心的な修道院長は、当時すでにフランスで普及していた巨大カテドラルを実現しようと、ここにある建築構造は残しながらも改築再建に邁進したのだ。そのようなわけで、このサン・ジョバンニ・インヴェネレは、アブルッツォで実現されたシトー派修道院の最初の一例となった。
シトー派建築として、内部のアーチがかすかにとんがったり、ブルゴーニュ風の無装飾の柱頭を持つ半円のつけ柱が置かれたり、壁を高くしたりなど、内部を軽快にするアイテムが取り入れられている。」

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なるほど、ですよね。
なんか、昔も今も、イタリア人はフランスが大好きなんだなぁって笑っちゃった。おしゃれはフランスから、的な何かがあるんですよねぇ。

それは置いといて、例によって中世辞典なども見てるんですが、シトー派とベネディクト派、当時の修道院建築のもとになるのですね。どっちもよく出てくるし、イタリアではベネディクト派が主流だし個人的にもシトー派は装飾がなくて面白みがないと思っているのですが、これを機会に、せめて辞書の内容だけでも読んでみようと思いました。有名なサン・ベネデットの規則って、全然知らないし。
聖人辞典を見るだけでも、ベネデットは有名になって、嫉妬されてどうとかいう話も出てくるから、当時の(後の)聖人スキャンダルとかもありそうで、興味が出て来ました。
中世のセレブって、聖職者か権力者だもんね。聖職者も、明らかな腐敗が表立ってくる前だから、もしかするとよりドロドロしたスキャンダラスなこともあるかもねぇ。

あ、すみません。また脱線しましたね。

最後になりますが、ファサードです。

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ファサードへのアクセスは、ちょっとした階段ですが、これは、もともとの地形が丘で、その地形のままに本堂を建てたことによる結果らしいです。全体に、それなりに平地もあるけれど、後陣東向きとかの建築規則にのっとるために、こういうファサード高かったり、ファサード前が狭かったりという不具合な場所しかなかったということなのかもね。

このファサードも、下の部分は、大改築を行ったオデリシオさん時代のもので、そこは暗褐色の凝灰岩で作られています。
上の方、中央身廊の高さ部分っていうんですかね、そこから建材の色が変わりますが、そこは1346年に完成したもの。

中央の扉は、1225-1230年ごろ、当時の修道院長ライナルドRainaldoによるもので、洗礼者ヨハネの人生を語る浅浮彫装飾がほどこされています。

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こういう大きなサイズの浮彫を、扉口に飾るというのも、あまり見ないスタイルですが、スポレートのサン・ピエトロだったかな、そんなを思い出しました。あそこも13世紀とかでしたよね。

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テイストがかなりゴシックというか、ロマネスクじゃないので、個人的には好みじゃないのですが、この場所にあってこの保存状態って、すごいわ。
それにしても、ごちゃごちゃと、各時代に触った様子で、残念ながら、統一感がなくなっています。

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この後、時間に余裕があったので、高速ではなくて海沿いの普通の道を時速50キロでたらたら走りながら、アブルッツォの美しい海を堪能しながら、ぺスカラの空港に戻り、短いながら密度びちびちのアブルッツォ初上陸修行旅、終了です。

鍵が必要な場所が多く、事前にはすべての手配が出来なかったので、どうなるか心配していたのですが、18か所訪ねて、入れなかったのは二か所のみ。その二か所も、現場で頑張れた何とか入れた可能性も高かったので、なかなかの戦績となりました。インスタ通じた現地の友人情報にも大いに助けられましたし、今の時代、ネットの重要性を感じます。
と言っても、鍵はネットではなかなかアクセスできず、最後は電話なわけですけどね、笑。

地味で、わざわざ訪ねる人も少ないアブルッツォのロマネスク、自分にとっても新鮮でしたし、将来訪問を計画している方の、何らかの情報となればよいと思います。長々おつきあいありがとうございました。

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  1. 2022/05/21(土) 10:24:38|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:2

当時のミリオネア(フォッサチェージア その2)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その52

フォサチェージアFossacisiaのサン・ジョバンニ・イン・ヴェネレ修道院教会Abbazia di San Giovanni in Venere続きです。

修道院の名前なんですけど、イン・ヴェネレというのは、おそらくこの場所に、ローマ時代の異教の神殿が、ヴィーナスに捧げられていたことからつけられたものと考えられているそうです。ヴェネレはヴィーナスの意味です。
海を見下ろす素敵な場所ですから、まさに神殿にぴったり、それも海の泡から生まれたヴィーナスに捧げたくなるような場所でもあります。

その神殿については、形としてはほぼ何も残っていないんですが、名前に歴史が残るというのも、ロマンがありますよね。
今ある建物のおおもとは、9世紀に、地震でもともとの建物が損壊した後に、1015年に地域のキエーティの有力伯爵のトラスモンド2世という方が、教会の再建をして、その際に修道院を作ったそうです。その方は、今でも修道院のクリプタに埋葬されているとか。

回廊を二つも持ち、学校併設、図書館もあるという大変立派な施設だったようです。

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どん詰まりの内陣、かなり段差のある階段が分かるでしょうか。

手前には、いわゆる勝利のアーチというアイテムで、内陣が仕切られていますけれど、これが、かなり低い部分にアーチがありますよね。
もしかすると、これは、オリジナルのアーチで、内陣が後代に上に持ち上げられた結果という可能性もあります。だって、低すぎ。
あと、こういうアイテムにはフレスコ画がつきものだから、もともとはフレスコ画でおおわれていたかもねぇ。クリプタにも一部残っていますから、その可能性も大です。
いくら寄進したと言っても、寄進者がクリプタに埋葬されているわけですから、相当のお金を出したっていうことに違いないので、なんか金に糸目をつけずに作ったんじゃないのか、それでクリプタ埋葬権を得たのじゃないか、と妄想します。だから、全面フレスコ、笑。

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相当の高さの内陣となっているのがわかりますよね。
今ある建物は、その修道院創建時よりも後の1185年から1204年にかけて、複数の修道院長がかかわってなされ、1225年から1230年ごろに竣工したとあるので、トラスモンドさんがご存命のころとは、ずいぶん趣が変わっているのではないかと思われます。おそらく、ずいぶん立派で壮大な教会にされたのでは。

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件のクリプタも、かなり新しい様子で、すっきり風情はあまりない様子になっています。

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遺されているフレスコ画は、13世紀以降のテイストですが、結構よい雰囲気ではあります。もともとは、全面フレスコ画だったのではないでしょうかね。きらびやかなクリプタだったと想像します。
いくつかの柱頭や円柱は、神殿時代の再利用らしいですが、とてもきれいに再利用されていて、再利用とは思えない様子です。
再利用って、多くの場合、あるものをそのまま、あまり加工しないで使われるケースが多いと思います。柱なんかは、だから太さや長さを違うのを、つぎはぎ状態でつかっていますよね。
でもここは、古い時代のものを、純粋に建材として使うために、この建物に合わせてきちんと加工してしまったということなのかな。ここでも、金がかかっていますね。

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全体が、見事にそろっていますよね。

訪ねたときは、そういう歴史は知らないで行っているので、ただあるものをカシャカシャ撮影していますが、これが、トラスモンドさんのお墓なのかもね。

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クリプタの大きさにしては、こじんまりしていますが、当初はこのクリプタももっと小さかった可能性がありますから、そこに合わせたサイズ感だったのかな。それに、おそらくか目にはめ込まれていたんじゃないかと想像します。

本堂に戻り、回廊に出ようと思います。多分その扉口だったのかな。扉状に、碑文が。

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こういうのが、即座にスラスラ読めるとかっこいいんですけど、全然ダメ。

回廊につながる扉の外側の装飾は、古いロンゴバルド系の彫り物でした。これもまさに再利用ですね。

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地震で損壊した建物にあった装飾だと思います。大好物。

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両側に、典型的な組紐モチーフがあり、見事な保存状態です。

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そして広大な回廊です。

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今は、一つの回廊が残されているのですが、僧房のあった時代は、そちらとつながる回廊もあったということなのかな。一派な修道院です。

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半端な切り方で恐縮ですが、碑文のこともあり、ちょっと資料を読んでみたら、妄想ごめんなさい、という感じなんで、改めてちゃんと読んで、もう一回、ファサード等含めて、記事にしますね。

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  1. 2022/05/15(日) 16:14:27|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:0

ノルマンが…(フォッサチェージア その1その1)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その51

いよいよ旅の最後の地へ向かいます。
他の教会と離れた場所なので、旅の状況によっては端折ってもいい、ということで、最後の場所として選んだと思います。

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右下ですね。

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フォサチェージアFossacisiaのサン・ジョバンニ・イン・ヴェネレ修道院教会Abbazia di San Giovanni in Venereです(ほぼ観光地のようになっているので、高速降りると表示が出てきて、アクセスは簡単。駐車場に車を置いて、遊歩道を登る感じ。入り口付近にトイレも完備)。

海を見下ろす高台にあり、晴れていればかなり気持ちの良いロケーションと思いますが、私が訪問した時は断続的に霧雨みたいな悲しい天候でした。

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季節が季節ですから、この程度の天候で済んで幸いくらいのもんですが、それにしても、真っ青に見えるはずの海が、うっすらぼけて、あるかないか分からないみたいな風景は、太陽の国イタリアだけに寂しさマシマシです。
でもね、ま、仕方ないやね。
最後の訪問地、確実に開いている場所を選んだのは、えらかったな、と思います、笑。しめも、それなりに重要だからね。

千秋楽を大切にする日本と違って、こっちは初日が重要で、舞台でもオペラでも、最後は尻つぼみ、みたいな感じになるんですけど、個人的には、もちろん初日はすっごく重要なんだけどね、旅の幸先みたいな意味でも、でも同時に、修行旅の最後は、それなりに盛り上がって終わりたい、という気持ちがあるんですよねぇ。
そういう気持ちで訪ねた最後の教会が、中に入らないとどうしようもないタイプなのに入れない、という言うリスクがある場所には、最後には行きたくない、というのが本音。
という意味では、正しい最後の教会。状況説明、長い。

見学としては、到着後、何はともあれ中に入ったのですが、紹介するにあたっては外観から。

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と言いながら、実はこの後陣が、一番衝撃だったかもね。
遠目には分かりにくいんで、クローズアップしますね。

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あれ?これ知ってる?
って思いませんか。
そうなんですよ。シチリアのパレルモあたりのノルマン建築に酷似の後陣なんですよね。パレルモのカテドラルとか、モンレアーレとか。
ちなみに、下が、パレルモのカテドラルとなります。

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この辺り、以前の記事でも、ロンゴバルドとの関係だったり、ノルマンやビザンチンや、とにかく通過する地域だったからね、色々入り込んでるっていう歴史は、歴史として認識してるわけだけど、こういう、ちょっとこれって印象としてアラブも入っているシチリアのスタイル、という印象しかなかったもんがあったりすると、紙の上だとやたら複雑に見える歴史が、目の前にあるこの後陣で、なんかすとんと腑に落ちるっていうのかねえ。

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ロマネスク的な重要度は、それほど高くないと思うんだけど、でも、ここは行ってよかったと思うのは、そういう部分も大いにあります。


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イタリアぼっち日記
  1. 2022/05/14(土) 21:06:34|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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丘の上の交差点(プロペッツァーノ)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その50

グアルディア・ヴォマーノが、予想外に開いていたこともあり、予定より早い時間に見学を終えることが出来たので、端折るつもりだった近所の教会にも立ち寄ることにしました。

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プロペッツァーノPropezzanoのサンタ・マリア修道院教会Abbazie Santa Mariaです。プロペッツァーノは、グアルディア・ヴォマーノから東方面に10分ほど走った村で、修道院は、その郊外の丘の上に、ポツンと立っている様子だったと記憶しています。

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ちょっとグーグルから写真をお借りしました。
そんな何もないところなんですけどね、こうやって、結構車が行きかっている不思議な場所で、なんと教会の道を隔てたお隣に、バールまであるんですよね。
周辺に町村が点在しているし、ちょうどあちこちへの道が交差しているとかそういう場所になるんでしょうかね。そして、周辺にはバールなどもほとんどないから、トイレ休憩的にも重要だったりするのかな。

で、嬉しいことに、このバール、開いていたんですよね。
なぜ嬉しかったかというと、以前にも言及した、地元のインスタ友達に、あそこの教会はいつも閉まっているけど、鍵は隣のバールにあるからって教えてもらっていたからなんです。
そのため、大満足で意気揚々とバールに飛び込んだわけですが、1秒で玉砕…。
というのも、もはや鍵は預かっておらず、教会の扉口に電話番号があるから、そこに電話してください、ということだったんです。

天国から地獄、大げさですけどね。

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というわけで、上がその番号です。訪問したい人は、夏季に電話すること、と書いてあり、左が固定電話、右が携帯電話の番号となります。
この日は夕方にミラノに戻るスケジュールであり、もう一か所、ちょっと離れた教会に立ちよる予定にしていたこと、鍵にかかる時間が読めないことから、私は、結局あきらめてしまったので、今後どなたかがトライしてくださることを期待して、あげておきます。

教会の起源は古く、8世紀とされているようです。その頃の教会の名残が、ファサードのところどころにはめ込まれた装飾的な浮彫のようです。

ファサードから一部突き出す感じで、ポルティコがあり、この辺りにちょっと古い名残が見られます。

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ポルティコの中に扉があり、その周辺は、14世紀風のフレスコ画がいくつか残っていますが、その下に、おそらく古い時代の浮彫が、縁取り装飾に使われていたりします。

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ここ、多分暗かったんで、仕方なくフラッシュをたいたんじゃないのかな。見えにくい写真ですみません。今ならヘッドライトなど装備も万全ですが、当時はそういうアイテム持ってなかったからねぇ。

他にはないのか、と、目を皿のようにして、文字通りなめるように探したら、ポルティコの上の方にも発見。

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分かりますかね?
下の、おそらく後代に開けられた丸窓の両脇に、こっそりと変な形の子たちが向き合っていましたよ。

左側の子。

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そして右側の子。

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シンプルだけど、味がある彫りです。サン・リベラトーレのアーキトレーブにも、ちょっと通じるものがあるかも?
それにしても、もともとはどこに置かれていた子たちなんでしょうね。絶対こんなとこじゃないよね。これは、普通誰も気が付かない場所で、だからひっそり楽しく往時のまま生きているのかもしれないけど~。

左側にある扉口も、装飾的にはちょっと時代下っているので、ふーん、という感じです。

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現在ある建物は、13世紀の終わりごろから建てられたものらしいのですが、正確にわかる資料はないようです。
内部は、三身廊、三後陣スタイルで、角柱で仕切られたスタイル。

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比較的新しい部分は、結構ちゃんと残されているらしく、内部には回廊もあるようでした。上にあげたポルティコの様子と同様、レンガ造りの回廊っぽいですね。

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何が何でも入りたい、と感じさせるようなほどのたたずまいではなかったので、あきらめるのも簡単ではありました。
興味深いのは、今でもこうやって車が行きかうっていうことかな。修道院があったからこそ、道もちゃんとできたというのはあるだろうし、歴史の中で生きてきた修道院なんだなって感じられたところ。今は生きてないわけだけども、ずっと人の往来を見てきたんだろうなっていう感慨があります。

いや、地味。
そういうのもたまにはあります。

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  1. 2022/05/12(木) 21:17:30|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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御開帳考察(グアルディア・ヴォマーノ その5)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その49

グアルディア・ヴォマーノGuardia Vomanoのサン・クレメンテ・アル・ヴォマーノ教会Chiesa di San Clemente al Vomano、本堂内部の続きです。

前回紹介したチボリオの下には、祭壇が置かれています。

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チポッリーノ大理石の板で作られ、シンプルな箱型ですが、注目すべきは前面の小食。はめ込み細工で、アラベスクモチーフがぎっしりと作られており、中央には神の子羊が置かれています。

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解説には、「チボリオに使用されたテラコッタの粉末や、アイジングラス(ゼラチン)や動物の骨などが、埋め込み用に使われている」とさらりと書かれていましたが、鍵番のおじさんの説明では、今でも正確な材質、そして技法は分かっていないということでした。

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両側面も、もっとずっとシンプルですが、同じ技法で飾られています。
脇の方のは、彫りがされている部分に、やはり何か詰め込むはずだったのがなされなかったのか、または詰め物が取れちゃっているか、ということなのでしょうか。

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そこは不明なのですが、シンプルなモチーフである分、逆にモダンな様子にもなっているのが興味深いです。

この祭壇は、レリック(聖遺物)入れを兼ね散るので、裏側は装飾なしで、聖遺物を収める穴が開いています。

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元々は、サン・クレメンテさんの何かが収められていたんでしょうね。いや、今もあるのかな。そこも不明です。

その、教会がささげられたサン・クレメンテさんですが、立派な木像がありましたよ。

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153センチもある、ほぼ等身大と言ってもよいような大きな木像です。1300年代初頭のものとされているようですが、ゴシック後期の技術による彫りと彩色に、ビザンチンテイストも盛り込まれているとあります。
ガラスケースに収められているのは、おそらく数年前に修復が施されてからなのではないでしょうかね。これほどの大きなお像で、保存状態も良好なので、重要度も高く、その修復がされたのちは、各地で巡回展示をされたそうです。

巡回ということで、ふと考えたのですが、日本の仏教だと、江戸時代に出張開帳というのがあったようですよね。いわゆる興行師が、お寺とコラボで儲けるために実施したような話が、落語にもありました(私の江戸の知識は、ほぼ落語経由、笑)。今、ググってみたら、東日本震災の際に、善光寺出開帳が両国の回向院で実施されたという記事が出て来ました。そうそう、回向院って、出開帳に使われるお寺だったんですよね。へぇ、今でもそういうのがあるんだって、ちょっと驚いたけれど、ご開帳という文化が残っている日本では、驚くことではないのかぁ。

キリスト教では、レリックを拝むけれど、お像をそこまで尊ぶ文化はないですよね。お参りはしますけれど、そこまで隠すことはないですね。製造禁止の歴史とかが関係してるんですかね?一神教、ということもありますかね。

このお像は、大きさのインパクトもありますし、表情もよく、とても良くて、思わず「あ、どうも、お邪魔してます」みたいな感じで、あいさつしてしまうタイプの方でしたね。

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その他、言及すべきアイテムとしては、いくつかのフレスコ画(正確には21)がありますが、全体に劣化損傷が激しいですし、時代的には、最も古くて13世紀後半のものとなるようです。
その、最も古い時代の一つが上の聖母子です。写真が悪くて分かりにくいと思いますが、ビザンチン・テイストが入っており、聖母の衣服の豪奢な様子が見られます。

その他は、私には興味が持てない、より時代の下るものだったので、割愛します。
脱線も多くて、また長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。やっと次に移動します。

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  1. 2022/05/07(土) 15:53:30|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
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父子の職人技を堪能(グアルディア・ヴォマーノ その4)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その48

グアルディア・ヴォマーノGuardia Vomanoのサン・クレメンテ・アル・ヴォマーノ教会Chiesa di San Clemente al Vomano、本堂内部の続きです。
この教会で、最も重要な装飾だと思われるチボリオ。

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え、また?
って感じですかね。チボリオと説教壇は、とにかくどこでもここでもというのがアブルッツォ、笑。

12世紀半ばのもので、他の教会でも活躍しているから、すでに何度も言及されているルッジェーロさんとロベルトさん父子の手になるものということです。帯に、「ANNI AB INCARNATIONE DOMINI NOSTRI JESU CHRISTI MCXXXIIII EST DEDICATA ECCLESIA S MARTINI TEMPORE OLDRII ABBATIS」と彫られていることからしっかりわかるわけですが、本当に、しっかりと明記しますわね、ここの人たち。

父子っていうと、頑固おやじのちゃぶ台返し、ではなくて、どうしてもおやじの仕事を息子が手伝うようなイメージを自動的に抱くと思うんですが、実際には、父ルッジェーロのアシストを受けながら、大部分の仕事は息子ロベルトがなしたもの、ということが、この碑文のおかげで分かるのです。つまりあれですかね、「お前も独り立ちせなあかん、ついてはここの仕事でいっちょやってみい」みたいな、千尋の谷的な仕事だったのかもですね(しょっぱなから妄想快調、笑)。

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アーチの上の帯の部分にあるのが、その碑文のようです。ロベルト自身が、誇りをもって彫ったのか、おやじが夜中にこそこそ彫ったのか…。妄想継続。

天蓋部分は、四本の石灰岩による小円柱で支えられています。二本ずつが同じモチーフの柱頭で飾られています。

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上は、横から撮影したもので、右側が正面、つまりファサードに向いている位置となります。信者側から見える二本は、ちょっと手の込んだ複雑な彫りの柱頭で、後ろ側二本の柱頭は、比較的シンプルな葉っぱモチーフとなっていますね。

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信者から見える側のは、こういう、いわゆるグリーンマンと棕櫚の葉っぱ。柱頭の下にも、古典的な組紐の帯が置かれ、ご丁寧にお顔がいくつか飛び出しています。全体に、力強い彫りという印象だし、古典的な装飾に自信があった様子も感じられますね。グリーンマンも、鬼的な?なんかすごく強いです。それでいて副柱頭みたいな場所に、ポツンと古典的な様子の花が置かれたのは、意図するものが何なんだろうか。

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同じ柱頭の他の面も同じテイストで、若干様子を違えてますが、やはり古典満載。
それにしてもこのおっさんは、鬼よりもなんだか「あんた、誰ですか?」って言いたくなる人だわ。葉っぱをガジガジしてますよね。ガジガジしたくて、藪から出てきたところ、たまたまそこにいた人と、ばっちり視線会っちゃって、固まってる様子にしか見えません、笑。
柱頭の下の組紐、こっち側は完成形だけど、もう一つの方は未完成なのか、破損したから差し替えてるのか…。いや、どう見ても未完成っぽいですね。ちょっと不思議。

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これは、もう一つの柱頭になるのかな。髭をつかんだ人のフィギュアは、あちこちで見られるやつですね。
こっちは、柱頭の下の部分の凝り方がすごくて、変形組紐みたいな複雑な帯になっているのが注目です。

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他の面だと、スタンダードな組紐もあり。自身の持つ過去の装飾文様への造形と、それを実現する実力を存分に見せつける作品ってとこかな。地域ではおそらく有名な工房だったのでしょうから、渡りの職人が入ったりとか、もしかすると工房からも各地に派遣とか留学とか、そんなことがあったんでしょうかね。古典もビザンチンも、またイスラム美術なども、知識なしに模倣できるものでもないし、当時は、やはりそれがある場所に行くなり、実際に見た人に学ぶなり、ということが必要だったわけで、職人さんや地域によって、その立ち位置の違いによる結果の違いがすごく大きそうですね。

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後ろ側の葉っぱモチーフも、古典臭が好きです。

これらに持ち上げられた天蓋は、こういったスタイル。

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柱で持ち上げられた側面は、馬蹄形の二つのアーチをつなげた形で、四面とも同様ですね。アーチの間に垂れ下がり部分があり、その最も低い先っぽに、二つの小さな動物の頭部があります。

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狛犬的なやつらですね。よく、扉口のノッカーみたいにつけられる金属製の動物の頭部があるけど、あれ傾向ですね、しわしわで、ちょっとチャウチャウ入ってます的な。上から押しつぶされているのに、相当ジェルで固めているのか、笑、たてがみのケアは万全な子たちです。

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場所によって、微妙に違うの、かわいいです。こっちの子たちは、鬼っぽい様子が強いです。ハリーポッターに出てくる靴下の人、なんだっけ、雰囲気似てますね。

ヨーダとかもそうですが、ファンタジーだったりSFだったりの原作を映像化する場合のモンスター系の外観を創造するときに、こういう中世の色々は、絶対に参考素材として使われてますよね。っていうか、デザイナーさんは、やっぱり美術史を勉強している人が多いだろうから、気付かずにインスピレーションを得ていたりもするのかもね。まぁ、モンスター系っていうのは、結局いつの時代も同じようなイメージになるということもあるのかもだけど。

今ミラノの近くで、「日本のモンスター展」みたいのをやってるんですけどね、イタリア各地所蔵の浮世絵なんかで色々怪物の図像を展示してるらしいです。ローカルニュースでちらっと紹介していて、猫又とかろくろ首とかのっぺらぼうとか、西洋でいうところのモンスターとの違いが面白いって解説していて、確かに、発想が全然違うよねって思いました。

そういうのも、文化人類学的な学問として、研究している人がいるのでしょうねえ。あれもこれも、興味深いテーマが沢山あるのに、私は相変わらずミーハーで、気付きだけで終わってしまって、残念だわ。時間が有り余るだろうと想像している老後に、期待したいところです、笑。

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側面部分は、ちょっとイスラム入ってる風の、空間恐怖状態で、彫りこみすごいです。これも、他のチボリオ同様ですね。
で、フィギュアが、なんとなしかわいくもなし、というのも、同様です。

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トップの写真で、全体の天蓋の様子が分かると思いますが、天蓋全部は、楕円形のヴォルトを持つ四角形から展開されています。
その上に、外は八角形、中は楕円形のドーム状になっている屋根が、二段重ねで、位置をずらして重ねられています。

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全体に、とにかく空間恐怖ですね。屋根部分のアーチ装飾とか、細かさすごいですね。
下側は、小円柱と交差アーチが連なり、間は貫通しています。

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ちぱちぱ開いているのが、そのアーチの間ということで、繊細な仕事ですよね。
外からは二階建てみたいに見えるわけですが、内部は、ドームつながりで、階層構造ではないんですね。
トップのドームについては、外側は、やはり円柱並びみたいになっているようですが、中までの穴は開いてませんね。
ここまで細部を見ると、これは相当勉強して作られたものだ、と改めて分かります。どうしても、彫り物に注目してしまって、構造物として、あまり細かく見たことがなかったのですが、サイズの小さい建築物なんですね。棟梁の腕が、色々な意味で問われるアイテムなのかも、と初めて気付きました。

ヴォマーノ、もう一回だけ、続きます。


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  1. 2022/05/06(金) 10:20:45|
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同僚との折り合い?(グアルディア・ヴォマーノ その3)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その47

グアルディア・ヴォマーノGuardia Vomanoのサン・クレメンテ・アル・ヴォマーノ教会Chiesa di San Clemente al Vomano、入場します。

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内陣がかなり高く持ち上げられているのが、写真でも分かると思います。全体の古びた様子、見るからに再利用の柱、好みな世界です。
三身廊で、三つ後陣スタイルですが、側廊がかなり狭いです。イタリアでは、身廊の広さが極端に異なるということは、割と少ないと思うので、これは特殊かもね。

扉入ってすぐの部分、写真でもよく見えますが、床面が透明ガラスとなっています。これは、修復とかで発見されたのだと思いますが、地下が埋葬に使われていたことが分かり、それを見えるように、こういう床面にしたそうです。

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中世後期とか、床面に寝てる人が結構いますよね。寝てるって、要は、床面に墓碑がはめ込まれたりしてる司教だったりです。教会は、墓地の集積でもあり、重要な人のためにはクリプタが作られたりしたわけでしょうけど、そこまででもない人は、直接地下に埋められたってことになるのでしょう。
でも、なんていうか、クリプタみたいな、実際に人々が訪れていた場所だったり、同様にカタコンベとかだったら、訪問可能にしてくれるのは、興味もあり楽しいんですが、このように、踏みつける床面をガラスにするっていう考えは、ちょっとなじめないところありますな。味噌もくそも一緒的に、屋内も靴ですごく西洋人の文化っていうのかさ。
30年超イタリア暮らしをしていても、家の中では靴を脱ぐ生活をしたい私は、こういう場所を踏みつけて歩くのに、抵抗を感じてしまうんですねぇ。埋めとけよって思っちゃいます。

個人的に好きなポイントにうつりますね。

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ここの柱頭もまた、地味なんですけれど、古典的なモチーフで、かなり好きなものです。

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餃子っぽい葉っぱモチーフに縄目くねくね。縄目を見ると、なんだか古典的な感じがしてしまって、うっとりする癖があります、笑。

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一つ一つ違うモチーフが、全体にとてもまじめに、なんていうか優等生的に彫られている様子あるんですけれど、いきなりこんにちわなんてされちゃうと…。

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おばちゃんメロメロって、笑。この子の無垢なこんにちわ感、不意を突かれますよね。
こっちでは、無垢とは反対の、ちょっと邪悪な表情をしたヤギが、しめしめ的な様子ですね。

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葉っぱモチーフには優等生的な技術をもって、きっちり計算づくな様子の彫りをする石工さんが、動物になると、なんだかおもしろい顔を作っちゃうって…。

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動物は専門の同僚がいたんだろうか。
だとしたら、仕事に関しては、絶対合わないはずだから、けんかしながらやってたんだろうか。でも、仕事終わると、友達に戻って、お疲れ~なんて言いながら、一緒に家路についたんだろうか。ああ、またどうでもよい妄想が…。

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個性あふれる柱頭に、再利用のため各々自由奔放に異なる柱。古い教会って、そんなところに魅力があるんですよねぇ。
相当補強されている様子ですが、地震の影響かもしれないですね。ちょっと痛々しい補強具。

そうそう、本堂には、一つ面白いアイテムがあります。

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入り口近辺の壁にはめ込まれていたと思います。
サン・マルティーノ・ディ・カステルバッソ教会から持ち込まれた石版で、「ANNI AB INCARNATIONE DOMINI NOSTRI JESU CHRISTI MCXXXIIII EST DEDICATA ECCLESIA S MARTINI TEMPORE OLDRII ABBATIS」つまり、「我々の主の誕生から1134年、サン・マルティーノ教会が、オルドリオ修道院長に捧げられた」とあります。

カステルバッソCastelbassoは、このグアルディア・ヴォマーノから西に10キロ弱の小さな村のようです。調べてみると、ロンゴバルド起源の古い村のようです。とても小さい岳上都市というような構造で、観光地としても面白そうな村でした。
件のサン・マルティーノは今は姿を消し、その上に建てられたサン・ピエトロ・エサン・アンドレア・アポストり教会となっているようでした。内部はキラキラですが、扉口にかわいらしいライオンちゃんとか聖母子など、おそらくサン・マルティーノ時代の遺構と思われる彫り物があるようです。

以前にも記したと思いますが、この旅の時は、意外と情報収集が難しかったこと、また日程が限られているので、なるべく見るべくを見る、という方針で、マイナーな教会にこだわらなかったこともあり、今回、記録している中で、次々とチェックしていなかった場所が出て来ます。
やっぱり、なかなか一回で済む場所はありませんねぇ。当然ではありますが、一体どうやって時間を作ったらよいのか、別に義務でもないのに、頭を抱えたりしてしまいます。

おっと、脱線です。
なぜ、他の村の教会の碑文が、ここにもたらされたのか。という点については、見つからなかったんですが、カステルバッソがロンゴバルドの村だったとすると、何らかの政争に巻き込まれたりとか、そういう結果として、サン・マルティーノが損壊してしまった可能性もあるかと思います。
教会が損壊したりすると、たとえ碑文が彫られてり、装飾的な彫りものがあっても、結構建材として再利用されることも多かった時代に、ちゃんと他の教会に持ってこられたというのは、ちゃんとした理由があると思うのですよね。

この教会では、地下の墓所への封印として使われたとありました。

そうそう、地下と言えば、本堂入ってすぐに、クリプタの存在は分かりますから、期待してたんですよね。先客が、クリプタに入って、鍵番とおしゃべりしていたし、私も慌てて降りたんですけども。

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古い構造物だと思うのですが、全体にすっごく修復されてしまっていて、もう全く風情なし。つるん、って感じで、一瞥してすぐ出てしまいました。近年は、そういう古いものの修復は、もう全く古いままに補強だけするわけですが、以前は、ちゃんと使うための修復してただろうから、ちゃんとしすぎちゃって、仕方ないけど残念。

前回の記事、扉口の部分に、一点追記していますので、良かったら確認くださいね~。


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  1. 2022/05/01(日) 12:13:46|
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