最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その1
いきなり、最後、と決めつけるのもどうかとは思うのですが、でも、ほぼ間違いなくそうだと思うので、そういうことで、笑。
フランス・ロマネスクを語る以上、一度は行っとくべき地域であることは間違いないと思いますが、自分がちょっと食わず嫌いなドイツのロマネスク寄り、っていうか、そもそも文化圏的には、ゲルマン系要素が強いと思われる地域で、それは建築も風景も食べ物も人々もそういう感じで、ラテン要素は非常に乏しいと、想像はしていましたけれど、実際に訪ねてみて、やっぱりそういう印象でした。食わず嫌いの方向転換はなかった、と、そういうことなんです。

でも、一度行ってみた良かったのは間違いないです。特に、ドイツのロマネスク巡りをするつもりがないので、そのほんの上っ面をかすれたかもしれない、という意味でも、アルザスの食、特に気になっていた有名なアルザス・ワインをお試しできたこと、そしてまた、ここはちょっとノスタルジックというか、私の年代にとってのアルザスって、教科書に出ていた「最後の授業」なのではないかと思うんですよねぇ。
ドイツとフランスの境界線上にあって、その時々で境界線が出来たりずれたり、紛争に巻き込まれてしまう土地の哀しさっていうのか、アイデンティティっていうのか、そういう興味がどうしてもあったので、そこは本当に、のぞき見したいポイントだったというのもあります。
まさか将来自分が、国境を歩いて超えることが出来るような土地に暮らすとは思いもよらなかったですよねぇ。それに、今だって、陸続きの土地で、実際に戦争していたり、自分自身も、バルカン半島の紛争には若干巻き込まれたこともありますし。という意味で、ノスタルジーではあるんです。

まぁそういう諸々置いといて、なんとまぁ、日本人の娘さんたちが狂喜しそうなかわいらしい街並みが沢山あること(すっごいばばくさい発言ですが、それほど年寄りではありません、と言おうとして、いや、それほど年寄りだわ、と気付き愕然としています…)。

さて、出かけたのは、今を去ること三年前の2019年のイースター休暇です。その一年後にコロナに襲われることも知らず、何の憂いもなく外国に出かけることが出来た、最後の自由なイースター休暇でしたね、今思えば。
イースターは、四連休なので、それをフルに活用した三泊四日の旅で、当時は自身も同行者も、まだ車を買い替えていなかったため、あ、考えたら、この直後の6月に、二人そろってトヨタに買い替えたんだな。
つまり、二人とも、とても古い車に乗っていたので、長距離が怖かったため、ミラノからバーゼルまで列車で移動し、バーゼルのフランス側からレンタカーを借りて走りまくる、という行程です。
バーゼルって、スイス、フランスの国境にあり、駅中で国をまたげることになっています。エキナカ国境って、そうあるもんじゃないですね。イタリアから行くと、スイス側に到着して、フランス側に移動したと思います。
で、行程としては、バーゼルから北上して、最後は一気にバーゼルに戻るというもので、三泊移動しながら別ホテルに泊まりました。
全体は、こういう細長い地域なので、周遊がしにくく、直線で行って帰る、ということになります。

まず、バーゼル周辺。

そして北上。

さらに北上。

そして最後に一気に南下、という行程。

見るべきものは訪ねることが出来たと思いますが、修復中だったり、入れない場所もありました、残念ながら。そういうところも含めて22か所。3泊4日としては、まぁまぁだと思います。
3年もたってしまって記憶も曖昧だったり、ここはフランスなので、資料もあまり読めないと思いますので、サクサク軽快に行きたいと思います。
ゆっくりになると思いますが、お楽しみに!
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- 2022/06/20(月) 20:28:44|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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ベネチア島巡り(2018年12月)、その6(最終回)
ムラノ島Muranoのサンティ・マリア・エ・ドナート大聖堂Basilica di Santa Maria e San Donato、続きです。
とても華やかな後陣に目を奪われて、地味だけれども、ところどころに古い時代の浮彫がはめ込まれた側壁を回り込み、ファサードに来ると、一瞬目を疑うかも。
地味すぎて、笑。

よくよく見ると、細かいレンガ積みが結構美しい色彩を作り出していて、あ、これはビザンチンぽいな、と昔訪ねたときには、ただ自分の無知のために見出すことが出来なかった美を感じるようになった今、ちょっと違う印象は受けます。といっても、地味なものは地味なんですけれど。
ラベンナ様式のファサードである、という解説を見ました。
ラベンナ様式、というのは、あまり認識していないのですが、ビザンチンをベースにした様式ということになりましょうかね。なるほどね。そういわれれば、ラベンナっぽいのかも。
中央部分が三分割されていて、トップは、二連のブラインドアーチ。そして中央部には小さな二連窓。
もしかすると、基礎部分の建材は、本土から人々が移住してきたときに、持ってきたものも使われているかもしれないそうです。

このファサードに向かって右側に、結構離れて、立派なサイズの鐘楼が建っています。12世紀の、こちらもレンガ性の四角い塔となります。
表面のつけ柱などの装飾で、三段になった上に、鐘のスペースが乗っけられています。一番下は、三つのブラインドアーチ、二番目と三番目は二つのブラインドアーチ、そして鐘の部分は、三連の開口部となってますね。これが、ローマだと、どの段も窓にして、スカスカというか、レースみたいな作りになりますね。
それにしても、教会とは結構距離があって、ちょっと不思議な位置関係です。
中に入ります。ここは、トルチェッロに比べたら、格段にアクセスもしやすい場所なので、訪ねた方も多いでしょうから、驚きはないと思いますが、後陣モザイクは、何度見ても、息をのむ神々しさがあります。

トルチェッロも同じような構図ですが、あちらは聖母子。一方こちらは、マリアが一人祝福もポーズを取っていて、その上、他に何もないすっきりさで、孤高で崇高な印象がより強いです。
衣の青の鮮やかさも、素晴らしいです。

アップにすると、表情だったりのビザンチン感がすごいです。遠目の方が、マリアの雰囲気は好きかも、笑。
それにしても光背の色使いとか、とにかく細かい鉄鎖らの一粒一粒が際立って、この執念には、なんというか、感心しますよねぇ、やっぱり。
で、今更ながら、点々で表現するモザイクの技法が、スーラの点々とか印象派の技法なんかにも影響を与えたのかも?とか、ふと考えたり。
この教会では、床モザイクもまた素敵なんです。

この手の具象モチーフが、一番古い時代のものと思います。1141年となっています。
オートラントを彷彿とさせるプリミティブなものですが、愛らしいですよね。そして、ここは踏み放題です。オートラントみたいに、椅子で隠す癖に柵も遠いみたいなタカビさゼロ。ってか、古いのは、踏めないように囲んでもいいじゃないか、と正直思うのですけどねぇ。

技法が色々混ざっているので、すごく複雑な、というか、ごちゃごちゃな床面になっているのが、また面白いです。

このグリフォンらしいペアの右とか上は、幾何学モチーフになっていますよね。ここは、グリフォン部分をリスペクトして、幾何学模様を入れていますけれど、場所によっては、具象部分を壊して、幾何学模様を優先したらしいところもあるんですよ。

ね、この手前のは、ライフ・ツリーとか、単なる植物か分かりませんが、そういう具象が、もっと大きなスペースであったはずなのに、幾何学模様に侵食されています。これは別にコスマーティではなくて、コスマーティより前に、こういうのがあったはずなんですよ、すでに。それが出始めた頃なのかな。あえて流行を取り入れよう的に、具象と組み合わせたのかなぁ。

ちょっとクールな幾何学模様と、ヘタウマみたいな変なモザイク、笑。これは楽しいですよね。

これなんかも、波っぽいモチーフはローマのテイストだけど、正確性に欠ける中世的なモザイクで、その周囲には、結構きちんとした幾何学模様なんだよねぇ。面白い。それにしても、パステルカラーの色石が、めっちゃ可愛い。

白黒モザイクも、ローマテイストに感じるんですが、やっぱりグネグネしてて、正確さがないのが、中世っぽい。でも、モチーフはセンスありますよね。そのグネグネも味になってるっていうか、ちょっと眩暈する的な。
不思議なのはさ、小円柱のたてはグネグネしてるけど、柱頭の上部、アーチが出るところ、横線がかなりそろってて、逆に変じゃない?なんでだろう。
まぁやっぱり、こんなのがたのしいですな。

このところ訪問していないので、どうなっているのかな。今も踏み放題かしら。まぁ、千年から持ったので、大丈夫でしょ、ということなのかなぁ。
それにしても、中は、ほとんど新しくて風情もなくなっているのに、床面と後陣モザイクは、よく残ったよな、と今更感心しています。
そうそう、このモザイクは、当時の芸術家技術者へ大きな影響を与えたもので、例えばポンポーザ修道院では同様の技法が使われている、と。そして、大理石と、色ガラスで作られたペーストによるものなんだそうです。だから、様々な色がつくれるんですね。
ポンポーザといえば、やはり幾何学系だから、12世紀の頃がそれ主流だったということで、やはり具象系はもっと古いということになりそうです。
駆け足でしたが、これにてベネチア島巡り終了です。
今度はどこ行こうかな。
今、フオリサローネのレポートで忙しいので、ちょっと間があくと思います。
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- 2022/06/18(土) 17:24:14|
- ヴェネト・ロマネスク
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ベネチア島巡り(2018年12月)、その5
以前あったホームページにはあげたことがあったのですが、ブログには、ちゃんと記事にしていないようなので、この島めぐりに合わせて、一応ムラノ島についても、書いておきたいと思います。
といっても、過去のホームページの記事がありますので、それを転用しつつ、加筆したりしたいと思います。ホームページの記述は2008年で、それが、どうやら、初めてのトルチェッロとムラノ島への訪問時期だったようです。すでに10年以上前になりますねぇ。
今回掲載する写真は、それよりはちょっと新しいものとなりますけど、それとて、一部10年前だったりします。そうちょくちょく行ける場所ではないってことなんですよねぇ、やはり。

ムラノ島Muranoのサンティ・マリア・エ・ドナート大聖堂Basilica di Santa Maria e San Donatoです。
ムラノ島は、トルチェッロよりも少しあとから栄えて、千年位には結構な人口があったようです。そして、1291年法律によって、 本島での火事の危険を回避するために、すべてのガラス工房がこの島に移され、それ以来、ムラノは現在に 至るまで、ガラスの島として世界中に有名です。
漠然と、ガラス産業を集約したのがムラノ、つまり、そのために繁栄した、みたいな印象を持っていたのですが、ガラスは後付だったのですね。
今でもガラス工房が沢山あり、観光客の数もすごいです。
昔「地球の歩き方」などで、悪質なガラスの押し売りに騙された、とかいう投稿がよく出ていましたが、私など、一度はそんな目にあってみたい、逆切れしてみたい、みたいな不穏なことを期待して、島に渡ったものですが、どう見ても金持ちには見えそうにもないいで立ちでも、大変親切な営業トークを受けたことはあっても、悪質な押し売りみたいなものはついぞ誘われたこともなく…、笑。
それはともかく、ここは島の規模が本島の何十分の一しかないような狭さで、建物の背も低く、全体にこじんまりとしていて、今のベネチアも当初はこういう感じだったかも、と思わせるような風情があります。といって、あまりの観光客の数に、あまりしみじみ、とはなれないのが残念なところです。
そのような島のほぼ中心に、ドゥオモはあります。
創建は7世紀だそうですが、今の建物は、12世紀ロマネスク様式です。どでかい、というほどの規模ではないのですが、とにかく立派だ、という印象を受けるのは、町の方からアクセスすると最初に運河の向こうに姿を見せる、その後陣の佇まいのせいか、と思われます。それがトップの一枚となります。
この後陣側には小さな運河があり、ベネチアらしい小さな太鼓橋がかかっていて、アクセスは、なんというか、格別な雰囲気となっています。

後陣、二階建てになっていて、実に美しいです。
連続半円アーチや三角モチーフ、ギザギザ軒送りなど、 とても細かい仕事が、また非常に美しく仕上げられているのです。
前回記事にした、トルチェッロのサンタ・フォスカの後陣とも共通する様式ですが、あちらは後陣が狭い場所に押し込められていて、どちらかというとファサードをフューチャーするポジショニングになっていましたよね。こちらは、真逆で、後陣フューチャー。
ふと、方角がどうなっているのか、確認したくなりました。
ムラノでは、後陣がきっちりと東向きになっており、サンタ・フォスカは、45度傾いていて、東南向きになっているようです。これは、お隣の創建が古いカテドラルと平行になっているので、異教時代の古い建物に合わせて、東後陣にこだわってなかったということなのかな。
そういう歴史の教会が多いローマなどでは、建築的には中世以降のものでも、後陣の向きが結構バラバラだったりするのと同じことなんでしょうね。
ただ、なんだろう、このムラノのカテドラルの後陣は、規模もそうだけど、完成形的な様子ですよね。ビザンチンのレンガに、当地の石の組み合わせ的なスタイル。

レンガは、とにかくきっちりと積み上げられて、遊びの余地がないのに、その積み上げやアーチによって、装飾的な効果をもたらし、またのこぎり歯帯などのバリエなどが、魅力的なんです。レンガの色も、微妙に違うのが面白いです。
レンガは、焼成温度とか、原料の土などで、最終的な色が結構変化するらしいんですけれど、中世当時のレンガっていうのは、色のバリエが豊富で、どういう風に作っていたか、分かっていないという話を、過去に研究者の方に伺ったことがあります。

歴史が長いと、修復される部分も出てくるから、その時々に焼かれたレンガも混じることになりますよね。それで、さらにバリエが出てきたりして、どんどん分からなくなってくる、みたいなこともあるのかな。
こんなさ、局面をレンガで組み合わせて作るとか、なんかすごいなって感心します。
これはきっとビザンチンの技術なんでしょうね。ここでも面白いのは、ビザンチンをベースに、当地での石の彫りなどの技術、そして、ラベンナで栄えた、純粋プラスアルファなビザンチンの要素が融合していること、と解説されるようですが、まさにね。

この三角部分は、石かと思ったけど、もしかすると漆喰の可能性もありますね?
そして、レンガの色、この黄色いタイプは、どこから来たのか。すごい色のバリエ。

よく思うことだけど、肉眼では絶対に細部まで見えるはずもない場所に、きっちり細かく装飾的な手を入れるっていうのがね、やはりすごいことです。
おそらく古い時代の教会にあったのであろうと考えられる石版彫り物が、ここでも壁のあちこちにはめ込まれています。

この手の彫り物は好きすぎて。
にょろにょろ的な波モチーフの帯、良いですよねぇ。全体ににゅるにゅるした様子が、何ともいいです。

この辺も、壁のようにはめ込まれていますが、おそらく古い時代の教会にあった装飾だと思います。
ちょっとね、レンガも含めてお掃除行き過ぎじゃないの、位にピカピカで、なんならわざとらしいくらいなんだけど、排ガスとかないから、一度徹底的にお掃除すると、持っちゃうのかもねぇ、どうなんだろう。

これなどは、ちょっと空間恐怖なイスラム的なテイストも感じてしまいますね。
わたしの好物は、やっぱりこっち系だな。

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- 2022/06/11(土) 16:57:55|
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ベネチア島巡り(2018年12月)、その4
サンタ・フォスカSanta Fosca、続きです。
ここって、全体のたたずまい、とっても魅力的なんですけど、中でも外側の後陣部分、びっくりします。正面からのイメージとかなり違うんで、初めて出会ったときは、意外感に打たれました。

レンガ積みで、その点だけでも、ファサード側からは相当イメージ違います。そして、レンガでの装飾ぶりが独特で、レンガの特色を生かしたっていうのか、すごく好きです。

下の方は、大理石の半円アーチ、つけ柱やアーチ部分の彫り物とか、ロマネスクな雰囲気です。往時はきっと、どのアーチ部分にも、このような繊細な彫り物装飾が施されていたと想像しますが、今に残っているのは、ほんの一部です。柱頭も、もしかしたら、彫り物があったのでは?と想像しますねぇ。

そして、お足元の方に、ちょこんと十字架が飾られていたのは、今気付きました。

こんな場所になぜ?です。
そして、上の方は、まさにレンガ装飾全開。

レンガって、自分の暮らすロンバルディアでも多用されていて、なんていうのかな、建材としてすごく好きかというと必ずしもそうじゃないんだけど、目は慣れているから受け入れやすいところはあるんだけど、建物によって、好き嫌いが分かれやすい建材なんですよね、私には。
以前は、そういう感覚的な見方しかなかったんですけど、そしてそういう見方で言えば、この地域で見られるレンガの後陣はすごく好きなんですけど、テッサロニキでビザンチン建築を固めてみる機会を得た今では、なるほどこれがビザンチンなのであるな、と建築学的な見方を獲得いたしました。
テッサロニキに数多くある教会建築のほとんどがレンガで、その装飾の面白さときたら。自分が苦手な幾何学的なモチーフも含めて、石や漆喰への彫り物装飾とは違う次元で、すごく好きだと思います。
で、ベネチアのビザンチン度合い、なるほど、と実感できる後陣です。

ここでは、大理石の帯装飾が加わるのもよいですねぇ。
レンガの端っこをギザギザに出したり、三角で模様を作ったり。こういうのって、光が差すと陰影ができて、光と影の遊び的な部分も考えられているのでしょうねぇ。現代だと、人工的なライトアップなどでも、とても面白い姿になるやつです。
前回の記事でもちょっと触れたフォスカ、暗闇をも意味するお名前のフォスカさんにも、ちょっと触れておきますね。
フォスカさん、というよりフォスカちゃん、かな。彼女はラベンナの異教の家に生まれたのですが、15歳にして、キリスト教者になることを望み、それを乳母のマウラさんに打ち明けて賛同を得て、二人して洗礼を受けてしまうのです。しかしながら父親はそれを許さず、二人を訴え出ます。
官憲が、二人を捕まえに来るのですが、守護天使に邪魔されて、捕まえることが出来ませんでした。しかし二人は、自分たちの信念につき、逃げも隠れもする必要を感じずに、自ら出頭し、殉教することを覚悟します。その後拷問を受け、最後は斬首刑を受け、遺骸は海に投げ込まれてしまいます。遺骸は、シリアに流され、その地で埋葬されていたのですが、1011年、あるキリスト教者である船員が、霊感を得て、遺骸をトルチェッロに運んだということです。
稚い少女が、盲目的に信仰に走るということで、ローマのサンタ・アニェーゼを思い出しました。

上は、ローマのサンタ・アニェーゼにある彼女の姿です。奇しくも、黄金の背景に、すっくとたたずむ少女、というより、ずいぶん大人の女みたいですが、彼女も10代の少女だったと記憶します。
サンタ・フォスカも、こういうモザイクがあったとしても不思議じゃないのになって、ちらと思ったんです。
でも、お隣のカテドラルに、同じようなスタイルで聖母がいるから、それはできなかったのかな。いずれにしても、サンタ・フォスカの内部には、モザイクのかけらも残っていないので、やはりないもなかったのか、でもでもビザンチンなんだし…、と妄想が膨らみます。
もう一度、正面の方に回ります。

ちょっとつるんとするくらいに修復もされちゃっていますが、ここの柱頭もかなり古そうなものです。

こういう場所って、どうしても妄想が暴走しますよね。って、こんな場所、めったにないと思うんですけども。
人が少ないせいなのか、なんだかね、こんな野生の子が、後陣見学に、ずっとついて回ってくれたりしたのも、夢の跡にふさわしいようなことでした。

そして、こういう場所にはお似合いな子も、もれなくおりました、笑。

ベネチアはいつか沈むと言われて久しいですが、そしてそれを防ぐために高波防止のモーゼシステムとか莫大な投資をしてもあまりうまくいってなかったりもするようですが、そうは言いつつ、イタリアも結構色々頑張っているようですな。
実は先日ピサに行ってきて、久しぶりに奇跡の広場を訪問しまして、斜塔の斜塔ぶりにあきれたんですけれど、絶対倒れるようなものを食い止めている執念みたいな文化財保護には感服したんですよね。
というわけで、おそらく私が生きてイタリアにいるうちに、ベネチアがなくなることはなさそうだし、トルチェッロにももう一度くらいは行けるかな、と期待しています。やはり、カテドラルのファサード裏のモザイクは、もう一度見ときたいものです。

教会の向かいに、かつての司教館かな?
そちらは、博物館になっていて、確か共通チケットで入場できるんだったと思います。忘れず、見学してくださいね。

また会える日まで、しばしのお別れです。

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- 2022/06/04(土) 15:13:19|
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ベネチア島巡り(2018年12月)、その3
今回は、カテドラルのお隣にある、サンタ・フォスカSanta Foscaです。トルチェッロといえばイメージとしては、こちらの教会かも。見た目が印象的なスタイルなので、カテドラルより百倍フォトジェニックですし。

趣がありますよね。
本島からの水上バスで島に来て、この、かつての島の中心部まで細い運河沿いを歩いて、最初に目に入ってくるのが、サンタ・フォスカなんです。カテドラルはその後ろ側にあるという位置関係なんです。
この、サンタ・フォスカの前面は何もない空間で、今の教会が、実に孤高な状態になっているのが、いやでも全体として見えることで、なんというか、諸行無常的な?夢の跡的な?風で消えてしまう砂絵的な?
どっちかというと日本人が好むような、そういう儚いイメージと結びつきやすいので、冷静な愛着を感じる一瞬です。あ、なんかかっこいいこと言ってますが、実際に行かれると、この印象、分かっていただけるかと。
そういうイメージに合うのは、やはり比較的人の少ない冬がお勧めかもね。ちなみに、この時12月ですが、トルチェッロよりも本島よりのムラノやブラノは、相変わらずの大混雑でした。トルチェッロは時間がかかるので、一般的なツーリストは、なかなか足を延ばせないという事情もあるのです。
実際、私もベネチアは年に一度は訪問しているものの、島に行く時間があることはないですからね~。

人が多い時期には、手前の道に、お土産屋が回転しているのだと思います。昔はそんなのもなかったと思いますが、ということは、やはりよい季節は、それなりに訪問者もあるということでしょう。

前回の記事で登った鐘楼からの写真ですが、残念ながら、全体の俯瞰図を撮影するには鐘楼は若干低くて、こういう時ドローンがあれば、面白いのになぁ、と思うわけですが…。
建築プランはギリシャ十字型ですが、トップの写真で見られるように、周囲がポルティコで囲まれている構造となっています。
ポルティコと本堂はつながっている構造なのですが、正面からのスタイルは、一見、スペインのエウナーテだったかな?あんな様子にも見えますね。
正面には、美しい彫り物装飾がいくつかあります。

美しい十字架。うっとりするやつ。
入り口扉脇にも、いくつか、どっか他から持ってきた風のものがあります。

この肉色系ピンクの壁は、古色蒼然な雰囲気も出ていて、緑と空の自然色の中では、意外とマッチしているのだけど、こういう風に見ると、ちょっとダサい感じがしますね、笑。
でも、この系統の色って、なぜか私は古い雰囲気に感じてしまいます。ガルダ湖畔のバルドリーノだっけか?あそこにあるロンゴバルドの教会なんかも、色としてこういうイメージ。なんでだろうね?

すっごい好きなやつ。ロンゴバルドですよね。初期キリスト教とかなのかな。

かわいすぎます。
この、縁取りになっている波文様と勝手に読んでるやつの帯装飾、すごく好きなんですよねぇ。こういうの、サイズが5分の1くらいでいいから、欲しいなぁ、と常々思っています。
漆喰固めて、彫ればいいのかな?将来、暇が出来たらやってみっか?
さて、ここで、実際の訪問時同様に、本堂に入ります。

あれ?と思われるかもしれませんが、内部は四角なんです。外側、上部がクーポラだし、規模的にも全体が円形と普通だったら考えるところ。実際、このようなスタイルは非常に珍しいようです。建築的には、異教の神殿を彷彿とさせるというところもあるようです。
教会の起源は11世紀となっていますが、彫り物装飾などからも、それ以前にやはり何かあったのでは?という感じですね。

十字が交差する部分に、クーポラが乗っかっているわけですが、その直下で、四角が円形に変容することになり、上の写真で、円形の周囲にボコっている縦置き二つの穴が、その変容のためのアイテム。

非常にシンプルで、内部に限って言えば、まるでシトー派的な。
ちなみに、教会がささげられているフォスカさんですが、その生涯については次回記すつもりですが、FoscaはOscura(薄暗闇)という意味も持つのだそうです。ある解説では、この教会の暗さと、小さな開口部から漏れてくるわずかな明りとがもたらす光と影の遊びが印象的なことは、その名前から偶然ではない、とありました。
確かに、本来なら相当な薄闇であっても当然な様子のつくりで、目立つ開口部はないも同然なのに、適切に光が入ってくる構造にはなっているんですよね。

わたしは、よほどのことがなければフラッシュはたかず、ISOを最高に上げて、普通のオートモードで撮影します。自然光がほとんど入らないとか、入ってきても窓がアラバスターであったりすると、さすがにぶれることも多いのですが、ここでは、結構鮮明ですから、光量は十分だったということになります。ちなみに、こういう時、現場では、もっと薄暗い状態です(写真の方が明るくなる感じ)。
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イタリアぼっち日記
- 2022/06/02(木) 09:48:31|
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