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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

まさかの謎の飛行物体…(エプフィグ)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その13

次に訪ねた場所は、遠目にその様子が見えてきただけで、ほっとするような教会です。壮大建築ばかりだと胸やけするから、たまにはこういうのもないとね。

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エプフィグEpfigのサント・マルグリット礼拝堂Chapelle Sainte-Margueriteです。

こじんまりっていうのか、ちんまりっていうのか、美しいロケーション、それ自体もとってもこじんまりとしているんだけど、その中におとぎ話に出てくるような様子でたたずんでいて、やられます!
何だろね、この外壁漆喰って、結構古い建築に多くて、のっぺりした様子なのに、自分の中では、古い、中世初期、みたいなワードに直結していて、ときめくんですよねぇ。

うまく全体像をとらえた撮影はできなかったので、以下プランで。

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11世紀の建物がベースになっていますが、それはラテン十字型、上の図で、黒い壁の部分です。この、十字型というスタイルが、アルザスではとても珍しいモノらしいです。
十字の交差する部分に、塔が建てられています。
そして、その後12世紀に、右下部分に、ポーチ的回廊構造が付け加えられたもの。
これまた、アルザスでは大変珍しく、独創的なスタイルのようです。

漆喰塗の見た目から、すぐにピンとは来なかったのですが、考えたら、こういうポーチ構造って、スペインに多い?と気付きました。こんな漆喰のはないから、結びつかなかったけど、スペイン、割と広範囲で、側壁に入り口があり、その部分がこういった構造になっていること、ありますよね。
でも、フランスでは見ない。
古い構造なのかな。こういうルーラルっていうのか、田舎の小さい教会特有のスタイルなのかな。

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そっけないけど、漆喰って、なんかうにょっていう雰囲気、柔らかさとか、うまく説明できませんが、味があります。
十字型の教会の入り口は、西側にあり、この回廊構造はそちらまで囲んでいるので、これは、正面入り口につながる部分。ちょっと地味。

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横の方。
ね、スペインぽい。

それにしても、サイズ感がかわいい。

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この回廊が追加されても、基本、無装飾で地味な教会です。だからと言って、魅力が減ずるものではなく、これはこれでいいっていう存在ですねぇ。

ここでは、装飾とも言いかねる装飾的アイテム、柱頭ですが。

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上下逆になっているみたいな作り。こんな短い柱なのに、下の方が太くなっていて、その分、基部の方が、柱頭らしい大きさなんですよね。
柱頭の上が、すぐアーチではなくて、三角が組み込まれているのも、面白い。これはこれで、そういう装飾アイテムということなのでしょうね。ここの棟梁、ミニマリストだったかも?

で、この地味な入り口です。

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ちょっと面白いのが、扉を取り囲んでいる部分、ヘリンボーンの引っかき傷みたいなのが一面にありまして。

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扉上、横、内部の方にも続いているし、他の扉周りにもあるんです。
一見、ナスカの地上絵みたいです、笑。

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地域の共通性普遍性がすごく見られるということなのか、アルザスの解説では、どこそこの〇〇教会に似ている、とかいう記述が多いのだけど、ここでも、解説によれば、「魚の骨のモチーフの彫りは、1025年に建てられたストラスブールのカテドラルのクリプタと同じモチーフ」ということです。つまり11世紀初頭にはやったものなのか、何か意図があるのか分かりませんが、同時代には、ここだけではなく他の教会でも採用されたアイテムということ。
フレスコ画を乗せるような場所でもないし、やはり装飾的な模様なんでしょうかね。何かフィギュア的なものを彫るよりも、デザイン的で華やかみたいな考えでしょうか。やはり、ミニマリズムがはやってたのか。

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それほど古くはないのかとも思いますが、アイテムとしてチャーミングなので、扉の鍵穴も載せておきます。鍵穴萌え、という分野もありそうですよね。私は、萌えまでは行きませんが、結構好きなアイテムですねぇ。
昨今、電気式とか、色々便利になっている扉もあり、昔ながらの、ガチャガチャ何度やっても開かない扉よりも断然簡単で助かるわけですが、味わいは、やはり古くてやけにでかい鍵を差し入れて、ガチャガチャやるってやつですよね。

内部。

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さすがに小さいです。

内陣も身廊部分も、天井は筒型ヴォルトになっていて、この建築の特徴となっているようです。というか、アルザスには、この時期、特に11世紀とかロマネスクにしても初期の時期の、こういうタイプの田舎サイズの教会が少ないように思われるので、ここの特徴というよりも、他に例がないってことかな、とも思います。
こういった小さな教会が、壮大な教会に生まれ変わったりして、そうすると、時代的に交差ヴォルトになっちゃう、みたいなね。

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筒型だと、面全体使えて、フレスコなんかで飾るには使い勝手がよさそうだね。区切りがない分、かえって難しい部分もあるかもしれないけど。
ここの天井画は、キリストを中心に、四福音書家のシンボル、というお決まりの図像ですが、かなり新しそうです。
奥にステンドグラスがあり、これも新しそう。
なので、特に撮影はしなかったけれど、サンタ・バルバラが塔にいる図、というのは、この夏、どこかのフレスコ画の説明で聞いたばかりの話だったので、おお、と思いました。

今後訪ねる方のご参考までに、女性二人が表されていて、一人はサント・マルグリット、そしてサント・バルバラ。
マルグリットは、アンティオキアのマルグリット(イタリア語だとマルゲリータ)と呼ばれる聖女です。聖人辞典を紐解くと、この名前が、ギリシャ起源で、「真珠」を意味するんですってよ。そういえば、イタリア南部の洞窟教会などで、マルゲリータの図像は必ずありますが、ビザンチン的に信仰が強いということなんですね、きっと。

3世紀から4世紀の時期に、アンティオキアで非常に裕福な家庭に生まれ、父親の反対を押し切って洗礼を受け、キリスト教徒として成長。年頃になって地域の有力者に見初められ愛人になることを求められるが、それをキリスト教徒として拒絶したところ、壮絶な拷問の上、獄につながれ、獄中ではドラゴンに姿を変えた悪魔と戦い、最後には斬首されたという…。
というストーリーのため、彼女の姿は、ドラゴンを伴うことが多いそうです。

一方バルバラですが、彼女は王家に生まれた方。誰にも見られないように、父親に塔に閉じ込められてしまいます。キリスト教に改宗した彼女は、三位一体に準じて、三つ目の窓を開けるようお願いします。
改宗を知った父は激起こし、彼女を斬首させますが、その父親は雷に打たれ死んでしまいましたとさ。
ということから、バルバラの姿は、三つの窓を持つ塔を伴うことが多いようです。

処女つながりっていうか、狂信的とも言ってよい信仰の強さとかの共通性?そういうことから、このコンビ、一緒に描かれることも多いらしいです。
聖人辞典や黄金伝説、紐解いちゃいました。図像が分かると、ちょっと面白かったりするので、こういう機会に、少しでも覚えていきたいものですけど、これがまた、すぐ忘れちゃうのが情けない限り。

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内部で印象的なのは、この、極小の窓でしょうかね。
ちっちゃい窓は、下の写真で、水色で囲んだあたりに見えます。
今は、後代に開けられた開口部で、内部は自然光でも十分明るいですが、おそらく建設当時は、ほぼ真っ暗だったのでは、と思われます。

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ちなみに、写真を見ていて、不思議な飛行物を発見しました。赤い印のやつ。
拡大してみました。

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写真の写り具合からは、大型飛行機の高度かな、と思われるけれど、どう見ても飛行機じゃないし。普通の写真でこれだけうつるということは、スピードも大したことないし。軍の何かですかね。
もしかしてUFO…?

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  1. 2022/08/28(日) 10:29:24|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
  3. | コメント:5

塔の装飾と開口部(セレシュタ?/セレスタ? その2)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その12

セレスタSelestatのサント・フォワ教会Eglise Sainte-Foy、続きです。

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外側にも、ディテールに面白いものが結構あります。

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まずは、今のメインの入り口のひとつになっている、バリゴチックの扉は無視して、その右の方にある小さな扉。

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タンパンは、ちょっと新しいにおいがしますが、柱頭は、しっかりロマネスクでした。

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アーチ部分も凝っているし、左側のコビト・ドラゴンとでも名付けたくなるような仲良しペアは、思わず「エルマーと竜」を彷彿するような、悪の使いというよりはかわいらしさ満載。
今、ハッとしましたが、今どきの子だと、ドラゴンというと、とっさに思いつくのはハリーポッターだったりするのかしらん。エルマーなんて、今どきの子供は知らないのかしらん。

思えば、今どきの子供って大変ですよねぇ。文からイメージを想像する機会を大いに奪われちゃってさあ。ハリーポッター、最初の頃、私も夢中になりましたの。イタリア語版買って、読んじゃうほどに。でもああいったものがすぐ映画化されちゃうしね。ゲームだって、私がはまった頃のドラクエとかと違って、もうすごいもんね、映像とか。それはそれですごいことだと思うけれど、想像力大丈夫なのか、とか、ふと思ったりはします。わたしらの世代とは、違う方向に行くんだろうねぇ、きっと。
あ、でも考えたら、テレビが普通になった頃、当時の大人は同じようなことを感じたのかもねぇ。

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もう一つ、小さい扉がありました。例によって順不同、思うがままに撮影してるので、正確な場所は覚えてないけど、なんかお勝手口的な、笑。こういうのって、内陣に近い方に会ったりするよね、関係者御用達通用口みたいな。

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装飾は最低限で、いつのものか不明ですが、こういうシンプルなギザギザ、結構好きです。

通常なら、軒持ち送りで装飾されるような場所に、テラコッタでしょうか。いろんなフィギュアが並べてありました。

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ディテールを見ると、可愛さがないタイプだし、時代が下るのかな、という印象です。そういえば、こういう装飾って、時々見る気がします、フランスでは。壁に並べて貼るタイプ。どこだったかなぁ。ミディ・ピレネーのどっか有名なところとか。そこも時代は下る気がした。黄道十二宮のシンボルとかだったような。

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塔の装飾がなんかすごい。隙間が嫌い的な、粘着質な装飾傾向だよね。

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そういえば、イタリアでは、鐘楼って、下から上に向かって、開口部の数を増やしていくことによって、軽やかさの演出だったり、実際に物理学的な理由もあるのかなっていうスタイルになっていくけど、この装飾見たら、全然逆じゃんって気付きました。
まず、装飾の付き方がごつごつもさもさしていて、印象として重たいし、開口部の定石も全然違いますね。

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そもそも塔のあり方として、背は結構高いとはいえ、建物一体型だから、技術的にあまりごちゃごちゃ言わんでも自立する、というスタート地点の違いもあるのか。
本堂一体型だから、本堂とのバランス的に、装飾過多とかもありということか。
これは、初めて気付いた視点だな~。

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最後に、ファサードにあるメインの扉口です。前面がナルテックスのようになっていて、引っ込んだところに扉があります。見所は、そこの柱頭と、ナルテックスの手前、外側に面した部分の開口部の柱頭だと思います(鉄格子がはまっているところ)。

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なかなか立派な装飾なんですよ。

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柱頭もアーキボルトもびっしり彫り物です。これなら、おそらくタンパンにも彫り物だったでしょうね。今はかなり新しい絵になっています。
あ~ボルトには彩色がありますが、これは絵の時代にされたのかな、という印象を受けます。とはいえ、柱頭も彩色されていた可能性はあるわけで、とすると、かなり極彩色的な様子だったのかな、当時は。なんせ多く使われている石色が赤っぽいから、そこに色だと、かなり見た目きついかもね。

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三つ並んだ柱頭それぞれが、テイストの違うモチーフになっているので驚くんだけど、実は左右同じ、というのが分かり、ある意味さらに驚く。

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これは、珍しくない?カタログ販売かな。「これとこれと、えっとこれ!違うの選ぶのはうざったいので、両側同じで!」みたいな。
でもなぜか、足元は同じじゃなかった。

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これは一個ずつだから、選ぶ余裕があったのかもね、笑。

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扉を入る人を、角っこから見下ろすおじさん、これも左右とも同じスタイルのおじさん。座り姿勢が無理やりスタイルも同じなら、なんだか衣のひだひだをまとめて足の間スタイルも一緒で、これは何ですかね。
女子が、長いスカートを地面につけないために、足の間にまとめたりするけど、それかい?
ひだひだが、妙に写実的なのが、なんというか、写実だなぁって感じられて、石工は何を考えてたのか気になります。

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こそっと、小さい隙間にいるこういうやつは、ちょっとコンクっぽいような気もします。

開口部の方です。

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鉄骨グサリは、ちょっと思いきりましたね。でも、柱頭に刺されなくてよかったわ。この部分は、フィギュア満載で、ちょっと楽しい部分。お足元も忘れず、見てくださいね。

というわけで、ディテールに見るものが多く、最後はちょっと端折るくらい、写真満載となってしまいました。
建物一体型の塔への考察もできて、なかなか楽しい記事となりまして、やはり、ブログは、ロマネスク考察の源となっていると思いました。
次に進みます。

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  1. 2022/08/26(金) 15:01:40|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
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巡礼路の具体的な距離を考えると(セレシュタ?/セレスタ? その1)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その11

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セレスタSelestat(例によって正確な読み方不明のため、グーグルで出てきた表記としてます)のサント・フォワ教会Eglise Sainte-Foy。

長らくブログ見てくださっている方にはお判りでしょうが、こういう壮大タイプの教会、私の好みではないです。イメージとして、ゲルマン系ですよね。もともとドイツ・ロマネスクには全く興味がないのですが、アルザス来て、さらに実感したといいますが、合わないわぁ。
こういう好みって、やはり最初の刷り込みっていうか、好きになったきっかけによるのかな。私の場合はカタルーニャでのロンバルディア・タイプがきっかけなので、どうしたって南欧、それもタイプ的にはカテドラルではなくて田舎の礼拝堂レベルへの偏りが激しいです。

そういう意味で、アルザスでは、一見で気持ちが引けてしまい、投げやりな見学もしてしまった反省があり、この辺りからちゃんと宝探ししないといけないことが分かってきまして、それはもう徹底的に、なめるように、精神で突撃です。

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後陣側は、なんか安定の美しさで、ほっとします。
ところで、現地では気にも留めていなかったのですが、この教会、聖フォワに捧げられているんですよね。フォワさん推し教会って、基本フランスだし、基本、あそこしか知らない、っていう程度ですよね。あそこ、そう、コンク。

今、解説読んで知りましたよ。ここね、あのコンクのサント・フォワ修道院い従属する参事会修道院教会なんですってよ。
解説によるとですね、「1087年、Bürenのフリードリヒの未亡人であるイルデガルダが、サン・セポルクロの祈りのために礼拝堂を建て、その息子であるストラスブール司教オットーによって奉納されました。1092年、オットー、ホーエンシュタウフェンのフリードリヒ(有名なバルバロッサ=赤ひげ王らしい)とコンラッドが、サンチャゴ巡礼からの帰りに、コンクの修道院に泊まりました。大変な世話になったこともあり、母親のイルデガルダに、コンクの修道士たちに、新しい礼拝堂を寄進することを提案しました。1094年、コンクの修道士たちがセレスタに定住し、修道院長は、その本部から、サント・フォワの名前を受け取りました」ということで、ガチ、創設がサント・フォワとつながっていたということなんですよ。

ちょっとね、どのフリードリヒやらコンラッドやら混乱しますが、いずれもスヴェーヴォの人たちだと思います。この辺り、つまりホーエンシュタウフェンだっということなのね。

でさ、ファサードに二本の塔、翼廊の交差部分にもう一本の塔というスタイル、サント・フォワと同じとなるのかな。同じタイプ、アルザスでは、こことGuewillerだけだそうです。

エピソードのどこまでが真実で、どこから持っているのか不明ですが、サンチャゴまで行ったというのは、へーっと思いました。カンタベリーからローマ(1630キロくらいらしい)に巡礼したシジェリコは、確か900年代のことだったと思うけど、その100年後くらいの話だからありとは思うけど、聖職者じゃないしね。

ちなみに、このセレスタから、コンク経由でサンチャゴ行くと、1780キロ超。
すごいよね。
免許取り立てで、ミラノからスペインのカタルーニャまで行ったけど、それが約1000キロ。マイカーで行ったことはないけど、列車で直行したことあるパレルモが約1000キロなんで、そこまでのイメージはあって、しかしそこからさらに長い旅って、すごいよね。だってさ、行くのはいいけど、行ったら必ず帰らないといけないんだからね。疲れたから帰りは飛行機にしようってできないんだからねぇ。
あ~、脱線しまくり。

中に入ってみましょう。

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窓もこんなで、ゴシック風満載です。
でもね、全体見るとこんな様子で、割となじめるし、何かありそう。

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こういう写真見ると、事前事後、って感じちゃう。なにがってCovidです。今は、こうやって椅子が並んでいたとしても、間にバッテンがついていたりするしね、ひどい時は椅子が半減どころか、という数しか置いてなかった…。これは事前だから、当たり前の日常だった姿。

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シンプルな植物モチーフの柱頭がありました。

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解説には、アルザスの伝統的なモチーフが彫られているとあります。コンクとは違って、聖書エピソードなどもありませんし、あちらから石工さんを呼ぶということはなかったということになるのかな。

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シンプルさが身上、的な彫りが多いですね。

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幾何学テイストとフィギュアを合わせるというのが、アルザス風とあるので、この上のなどはそういう一つになるのかな。植物モチーフが、ちょっと幾何学的な様子で、面白いですよね。フィギュアは超プリミティブでかわいいし。

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時代も、石工さんも、複数というか多岐にわたる印象です。柱頭それぞれが、ずいぶん違うテイストなんですよね。どれもそれなりに面白いんです。
悪い癖で、気持ちがはやっちゃうんで、興奮すればするほど順不同で撮影しちゃうんで、いつもどこに何があったのか分からなくなっちゃうんですけど、そういうところ気を付けると、もうちょっと流れだったり意図だったり、そういうものも見えてくるのかもしれませんね。ま、そこは、研究者及び研究者体質の方にお任せしましょう。

下は、洗礼盤の脇の壁に掛けられていた石版。

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例のにっくきフランス革命ですかね。顔がなくなっていて、大変残念な彫りです。お二人、手をつかまれて、ご昇天ですね。どなたかしら?

で、ふと足元に目が行って…。

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久々のお足元注意!でした、笑。
忘れずに、確認くださいね!

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ちょっと長くなってしまったので、一旦切ってから外観いきます。好みじゃないとかほざきながら、お宝満載ですよね。


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  1. 2022/08/25(木) 11:54:49|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
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マネゴルトさんと叙任権闘争(マルバック修道院)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その10

さて、次に目指した場所は…、困惑の連続でした。

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行けども行けども、何もない土地で、この辺り?という場所で、やたら進入禁止、とか私有地、とか、びくびくするような看板多数。

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やっとそれらしき看板もあったので、そろそろと農道のような田舎道に入ります。これから芽を出すだろうブドウの畑なんかがのどかな、農道ドライブですが…。

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またかよ~の侵入禁止。
それも、注意書きは、フランス語、ドイツ語、そしてアルザス語なのかな?英語なしですからねぇ、こういうのは、とってもおフランス~、笑。

クルマをそこに停めるのはいいんですよ、もちろん。でも、ここまで明確に「私有地、進入禁止」、とかあると、人だって、入っちゃいけないのでは、と悩みませんか?

クルマが入れないように柵は置かれていましたけれど、移動式の柵だったんで、人は普通に入れます。それでもしばらくたたずんで悩みました。まぁ、ここはアメリカではないので、たとえ不法侵入したところで、いきなりズドン!なんてことはないにしても、でも不審者に思われるのって嫌ですよね。

5分ほど悩んでいたら、幸い、自転車でぶらぶらとやってきた二人組の男性がいました。尋ねてみると、自動車はダメだけど、人は入っていいんだよ、ということで、安心して入場。

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マルバック修道院Abbaye de Marbachです。
この説明版を見ると、今でも色々あるように思えますが、実はほぼほぼ夢の跡状態の修道院なんです。

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外側とあまり変わらない敷地内の、美しい緑の風景を愛でながら散策していくと、唯一、中世往時のものが残されている建物があります。
赤い屋根の小さいやつです。

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反対側に、昔のナルテックスの跡が残されているようなんです。

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でも、実は、事前の調査がいい加減で、修道院の廃墟、ということは分かっていたものの、具体的に何が見られるのかまでは調べてなかったので、現場にいても、これ?これだけ?みたいな疑心暗鬼もありまして、見学が若干上の空だし、写真も、あまりちゃんと撮影していませんでした…。

外側のアーチの間は、ガラスがはめられていて、内部には入れませんが、ガラス越しに、内部の様子は見られます。

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中にも、柱とアーチは残っていますが、本当にそれだけです。正直、これだけかよ!感は半端ない…。

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考古学系の人なら、こういった石積みだけでも、想像がぶわ~っと広がって、目の前に再現図が繰り広げられたりするのかもしれないけれど、中世辺りまでの人は、そこまでの想像力、なくないですか?私はないどす…、涙。

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慰めも少しはありましたけどね、なんか、いつものように、「ちょっと小指たってそうな様子で十字架持ってるのが魅力的ですよね」なんてくだらないことを、調子よい文で書くような気力もなく…。でも、立ってそうですよね、笑。
縄目だったり、下の組紐だったり、古いアイテムが使われているのは興味深いですけどね。でもこれだけじゃぁ…。

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だからってわけでもないけど、ちょいと歴史を紐解きました。
そもそもは、もちろん修道院の歴史です。

創建は1089年で、地域のある男爵によるもの。すぐに信仰のよりどころとしても、また文化の発信基地としても繁栄をして行きます。多くの学校や、地方拠点みたいなネットワークを、アルザス以外も含む、かなり広範な地域も含めて構築したようなんです。
学校としては、いわゆる写本工房みたいなのが主だったようです。現存する最も古いものは1153年のCodex Guta Sintramという、Gutaさん、Sintramuさん二人の修道士による作品。今でもストラスブールに保管されているということですよ。

それほど繁栄した修道院ですけど、火事があったこと、そしてフランス革命において、かなり決定的に破壊されてしまって、結局残ったのは、ナルテックスだけだったということらしいです。

フランス革命ってさ、なんだったんだろうね?私はそのあたりの歴史はよく知らないけど、とにかくフランス各地の教会の多くで、彫り物が壊されたのを見てるから、フランスの民度って低かったのね、とあきれてしまいますわ。どの国でもそういう市民革命的なことが起こって、近代の幕開け、ということになるわけでしょうけども、なぜにして文化財破壊をしなければならなかったのか!!?許せん。

おっと、それは置いといて、歴史を紐解くと、出てくるのが、修道院を繁栄させた立役者としてのマネゴルトさんという修道士。この人は知らなかったな、って知らなくても当たり前な局所的な人物ではあるんだろうけどね。でも、叙任権闘争を研究している日本人研究家の本には、引用されているくらい、叙任権闘争史においては、それなりに重要な人らしいのです。ちょっと読んだけど、あまりに長い引用続きの結果出てきたんで、むずかった~。でもね、ちゃんと読んだら面白そうだったので、お時間と興味のある方にお願いしたいです。叙任権闘争、マネゴルト、で検索すると出て来ます。

このマネゴルトさんは、1084年に起こった、カノッサの屈辱にまつわる教皇グレゴリオ7世とハインリヒ4世の確執について、どうやらグレゴリオ7世を擁護する内容について、彼なりの真実に基づいた記述を残した人だそうです。それがハインリヒの逆鱗に触れて、結果マネゴルトさんはバイエルン地方にある修道院に逃れて、そこでキャリアを積んでいたそうなんだけど、どうしても彼が欲しかった、このマルバック修道院創設者の男爵が、マルバックに招へいしたらしい。
で、このマネゴルトさんが来てから、先述した繁栄を遂げるということらしいんだわ。

考えたら、この事実も、叙任権闘争に関連するところがあるのも、面白いですね。世俗の男爵が、要は修道院の人事権持っちゃってるわけだしね。
結局宗教は金になるということで、この辺りから、教皇の腐敗も激しく始まってくるということになるわけだな。

歴史はやはり面白いですね。
そして、お休みだと、時間気にせず、色々紐解けちゃったりするのが幸せ。
アルザスは、先述の通り、情報が少ないので、ロマネスク以外の記述が増えてますが、ご容赦ください。
あ、ちなみに、今回の記述、多くはウィキを見ているので、あまり信用しない方がよろしいかもね。私は面白いからよし、だけど、そこんところよろしくね。

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  1. 2022/08/24(水) 11:25:41|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
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愚かな女子は魅力的…(エグィスハイム/エギスアイム)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その9

今更、あ、すでにここでもやらかしていたか、と気付いて苦笑いしました。
実は、今回8月の旅は、行先が広範囲にわたったこともありまして、行程の最後の方に予定していたウンブリアに関しては、事前の調べが行きわたらないケースがあったんです。
いや、町の名前、教会の名前と住所、適切な駐車場、と最低必要限の調べはしてるんですけど、ついつい教会が町村の中心地、と言わないまでも、旧市街にある、という前提にしてしまっていた、ということが3件ほどあったんですよねぇ。
町について、首尾よく駐車して、旧市街に入り込んだところで、なんかおかしいな、と調べると、実は目的地は町から3キロ地点の修道院教会だった、みたいなやつ。ロマネスク関係ではありありだと思うんですが、笑、わざわざ日本からいらっしゃる方は、そんな間抜けなことはしないかもしれないですねぇ。

というわけで、この時も、旧市街の中心部にて。

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それらしい様子の見えた教会に、迷いなく突進したんですよ。

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それらしいアイテムもあるわけなんですが、どう見ても違う…。
おろおろしていると、旅行者らしき白人の団体が入ってきたんですが、やおら、朗々とした声で賛美歌を歌いだすという、カオスなことになってきました。私たちをはじめ、他にも人がいたのに、なんだか勝手にミサを始めだしたような…。何なんだ?変な宗教団体?

絶対違うので、そそくさと退場して、メモを確認して地図を確認して、やっぱり全然違う教会だと分かった次第。ちなみにこれは、村の中心広場にあるサン・レオン9世礼拝堂Chapelle Saint-Leon IXという代物のようでした。団体さんは、聖レオン信者だったんですかね。

ここでのレオンさんというのは、この村出身で、1049年にローマ法王レオーネ9世になられた方のようです。この方、在位は5年だったそうですが、在職中に欧州を縦横無尽に走りまくり、あちこちでキリスト教の普及や教会の改革など、精力的に行った方ということです。

気を取り直して、改めて目的地に向かいます。
旧市街の中ですが、あまり観光客などは来ない住宅地の方にありました。

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エグィスハイムEguisheimムのサン・ピエール・エ・サン・ポール教会Eglise Saint-Pierre-et-Saint-Paul。
外観は、撮影しても仕方のない様子ですが、この、ファサード右側にある塔の下に、お宝が残されているんですよ。
それがこちら。

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どうなってるかというと、教会の創設は1220年だけど、当時の教会の姿は、この鐘楼のベース部分だけに残されているもので、当時の扉口ですよね。洗礼堂部分の扉となっていますが、実際どういう状態だったのかは、よくわかりません。扉口にガラスをはめて、聖母子の展示ケースにしているので、イメージも沸きませんが、とにかく立派な装飾なので、本体の扉口だったのかな、という気もします。

残念なことに、アルザスの情報って、ネットで検索しても実に少ないです。もちろんフランス語で検索しているのですが、詳しい教会情報、全然出てこないんです。ここ行くといいよ、というサイトがあれば、是非ご教示願いたいものです。

創建がすでに13世紀に入ってしまっていることもあり、一見して、相当ゴシック・テイストを感じます。そうは言いながら、ロマネスク的な良さもしっかりとあり、結局こういう時代のこういうテイストが、アルザス・ロマネスクということなんだろうな、という気がいたします。

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タンパンは、祝福するキリスト、その両脇に、ピエールさんとポールさんがいる、という典型的な図像です。ピエールさんが、どでかい鍵を、ほぼほぼ担いでいるスタイル、田舎なアルザスだけに、なんとなく木こりスタイル、みたいな印象です。明らかに彩色が見られますね。

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鍵の、鍵穴に入れてぐりぐりする部分が、ひどく複雑で、まるで現代のカギみたいなんでびっくり。彫り師は、装飾的にすることだけを考えたんでしょうけど、なんだか今どきの複製不可の鍵みたいに見えますよね。
表情も、大変写実的ですし、彫りは細かいです。

その下にあるアーキトレーブがすごいと思います。

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高さっていうかサイズ感も半端なくて、そこにきっちりと彫られたテーマが、どうやら賢い乙女と愚かな乙女ってやつらしいんですけどね。
左の女子は賢い集団で、天国の扉をノックすると、ちゃんとキリストに迎えられているとこらしいけど、右側の愚かな女子は、扉が完全にクローズされちゃっている、ということらしい。

きまじめそうな女子グループ。

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ダメダメな方の女子グループ。

alsace 091

この、賢い乙女とダメな乙女のエピソードって、大抵ダメダメな方がイケてるんだよね。賢い子たちは、ここでも敬虔で地味で生真面目なイメージだけで描かれてるけど、右側の子たちは、アクセとかつけてちゃらちゃら感出てるし、ソワソワがやがや、落ち着きなし。でも遊ぶならこっちの女子だよねー、笑。

ちょっと面白いなって思ったのは。

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キリスト、ちっちぇえ…、その割に顔でけえ…。
罰当たり発言…。


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  1. 2022/08/23(火) 16:40:30|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
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張りぼて感が…(エグィスハイム/エギスアイム番外)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その8

次に向かった村エグィスハイムEguisheimは、これはもう間違いなく、「最も美しい村」とかでトップ10にランクインするようなタイプの村でしたね。そういえば、日本人の団体旅行の方々と会ったのも、この村だったと思います。

でも、なんていうか、結果として超観光村ってにおいプンプンで、村の入り口に、村の規模からしたら巨大な駐車場があるのはいいんだけど、それが駐車台、一律3ユーロだったんよ。
駐車場が分かりやすくあるのは、本当にありがたいことなんですわ。でも、わたしなんて、観光しないからね、教会一個見学するだけなら、長くても1時間でよいわけで、ちょっと納得感ない料金設定だったんですよ。せこいっちゃあせこいし、他にお金落とさないし、まぁいいんだけどもねぇ。

でね、旧市街から外れたその駐車場から旧市街に向かうと、この辺りワインの産地らしくて、ワイナリーがすごい。

alsace 076

現代的なたたずまいのものから、伝統的な建物のままのものから、売らんかな、な様子がすごいよ。

alsace 077

建物は、とてもケアされているけれど、されすぎちゃってる感もあり、ちょっと、張りぼて感すら漂ったりして、なんていうのかな、テーマパーク化してるとでも言ったらいいのかな。

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そういう清潔感みたいな部分が好きな人もおるんだろうが、私はちょっと…。同じ美しい村だったら、宿泊したカイセルベルグ、あちらの方が生活感ありの古びありの、という生きた様子の街並みになっていて、好感度は高いです。

本当に古い町並みが、そのままの場所もあるんです。小路でね、見通しも悪かったり、全体が傾いているような様子の。

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この村って、上から見ると、かなり印象的な様子になっていて。

alsace 075

旧市街は、この緩やかな四角の中なんですよね。昔は壁で囲まれていたりしたんでしょうね。その跡がしっかりと道になってるやつ。で、中心部が広場になっていて、それを取り囲むようにして、住居がびっしり並んでいて、その一角が、例えば上や下の写真だったりするんです。

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確かにきれいよ。ザ・アルザスって感じなのかな。でもちょっとディズニーランド・テイスト…。あ、アメリカ人とかすっごく好きかもね。

この村にも、例の方々が沢山いらっしゃいましたよ。

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ここは、巣の支えはありませんね。

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いや、こうのさんはいいですねぇ。大型の鳥が、ゆったりと飛ぶ姿、大好きなんですよね。こんな鳥がいる村に、ちょっと住んでみたいなと思ったりします。ミラノも東京も、カラスくらいしかいないからねぇ、涙。

ちなみに、グーグルマップを見ていて、今気付いたのですが、村の郊外に、コウノトリ公園Parc a cigognesというのがありました。どうやらそちらで、生育とかやっていたりするらしいです。それはちょっと面白そうでしたな。気付くの、3年ほど遅いです、笑。

ちょっと長くなってしまったので、教会は、続きで。


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  1. 2022/08/23(火) 11:59:31|
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ばり、カメラ目線(シゴロスハイム)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その7

次に訪ねたのは、こちらです。

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シゴロスハイムSigolsheimのサン・ピエール・エ・サン・ポール教会Eglise Saint-Pierre-et-Saint-Paulです。

ちなみにですが、もともとフランス語の読みが完全に分かっていない上に、アルザスでは固有名詞がドイツ語発って感じなんで、本当にどう発音したらいいのか分からなくて、色々混じっちゃってると思うんだけど、そこはご勘弁ください。なるべくアルファベット表記の方をご参照いただけたら、と思います。

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さて、この町の起源は古く、メロヴィング朝時代まで遡るそうです。その当時から、ブドウの品質の良さが認められていたらしいですから、よほど、土地に適したワイン種があって、良い農民がいたのでしょうね。

ところで、別途書きますが、アルザス・ワインって有名ですよね。実は、非常に、いや、もしかすると過剰に期待してたんですよ、アルザスの白。おそらくちゃんと飲んだことないし。ところがさぁ、これがとんだブラフっていうか、いや、おいしいということなんでしょうけれど、私の好みではなくて、がっかりの連続でした。最後の夕べには、ブルゴーニュの赤とか飲んじゃったくらい…、笑。食事については、ワインも含めてフランスじゃないでした、涙。

当時から有名だったのは、やはり白中心のゲルマン圏において、あそこまでどっしり、なんなら赤にとって代わるようなタイプの白っていうのは、なかなか貴重だったのかもねぇ。今でもそういうところがあるのかしら。

話戻しますと、そのメロヴィング時代に、すでに礼拝堂があったようですが、それは跡形もない模様。聖地なんて、大抵同じ場所なんで、おそらく今教会がある場所にあったのではないかと思いますけれど。

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印ついているのが教会の場所ですが、町、というより村全体、一辺500メートルの四角に収まる程度の大きさ。で、周囲は平地で、ブドウ育てる環境としては、あまり適切ではないような様子もありますよね。もしかして、ちょっとした凸凹を平地化したとかそういうこともあり得るのかな。
ということで、グーグルさんストリートビューで確認したところ、非常に緩やかな凹凸があるような土地ではあるようでした。

すいません、つい話が脱線します。

今ある教会の建物は、12世紀に建設されたものということですが、実は19世紀になって、かなり手が入れられた上に、第二次世界大戦で爆撃損壊、という悲しいことも重なり、相当部分が再建となるようです。

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緑と青空を背景にすると美しい後陣ですが、確かにつるつるですよね。この後陣は、古い時代の教会では、一回りも大きかったというその跡が、戦後再建時に、発見されているようですが、遺跡みたいな様子はなかったと思います。
鐘楼も、大戦後の再建ということなんです。装飾的なアイテムは、一部活用されているようですが、往時の雰囲気を伝えているのは、ファサードの扉口の装飾がメインとなります。
アルザスは、国境地域ということで、戦災的には不運な土地だったのでしょうね。

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扉部分は、遠目にも期待できるごちゃごちゃ感があります。ファサード全体の様子もよいですよね。
なんといっても、まず目に留まるのは、タンパンです。

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中央にキリストが表され、右のサン・ピエールに鍵を、そして左のサン・ポールには本を渡しています。そして、その外側に彫られたのは二人の寄進者。それぞれが、寄進するもの(一人はカバン、要は金ということかな、一人はワインの樽)を持っているようです。

キリストの手がすっごく大きくて厚みがあることとか、衣のひだひだへのこだわりとか、ワインを寄進している人以外の衣の豪華な様子が見て取れます。

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キリストは、その玉座まで、なんだか装飾的ですごいですね。
両脇に開けられた穴は何なのかなぁ。後代に、何かやらかした跡なのかと想像します。攻めても、彫り物を傷つけない位置でホッとしますね。

タンパンの下のアーキトレーブには、神の子羊と、福音書家のシンボルが横並びです。

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またくだらないこと言っちゃいますけどね、特にアーキトレーブの方々見て思ったんですけど、みんなすっごい緊張したカメラ目線なんですよね!
キリスト中心のタンパンも、全員固い表情でこっちを見つめてますよね。あ、金の寄進者は、顔がえぐれていて、ちょっと表情分かりにくいけど、ワイン農家の方は、しっかり目線くれてます。
そんでね、アーキトレーブの方々も、しっかりまっすぐ、真面目な固い表情でこっち見てます。

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マルコなんて、かなり真剣にポーズ取って、慣れない様子だし。ルカなんて、緊張に耐えられずに笑っちゃってるし、笑。

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ふふ。
でも、タンパンの方は、場面もすごく考えられていて、実際スナップ写真だけど記念写真的な構図っていうのかな。つまりすごく計算された図像に思えます。

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扉脇にある柱頭は、かなりごちゃごちゃとした彫り物となっています。動物植物がわんさと。
タンパンやアーキトレーブとは、手が異なるようにも感じられますが、副柱頭の細かい植物彫り物は、タンパンの登場人々の衣の細かい装飾表現に通じるところもあるのかな。

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いずれにしても、これだけのものが、よく残されたとありがたく思います。

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内部はとてもシンプルで、きらきらしていないだけまし、というところです。
相当よーく観察する必要はありますけれど、ちょっぴりは名残もありました。

alsace 070

教会って本来暗いし、一見何もなさそうなシンプルな作りだと、普通はさらりと見て見学おしまいってなるんだろうけど、とにかく扉にあれだけのものあるとなると、絶対に何かあるはず、という確信を持ってしまうロマネスク病患者は、やっぱりちょっと病的ですよね。
まさになめるように、目を皿のようにして眺めまわして、こういうものを見つけると、肉眼ではよく見えないのに、心が躍ってしまいますね。

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解説では、ヴォルト構造の説明がやけに詳しくありましたけれど、そこまでの建築学的興味はないので、割愛。
その代わり、これはあげておきます。

alsace 072

現代風のステンドグラス。ここのは色合いと言いデザインと言い、かなり好みの作品でした。これはフランスならではのアイテム。

最後に、去り際に気付いた、扉口以外のファサードの装飾。扉に気を取られて、見上げてなかった、笑。

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チェッカー模様が好きなことは、再三書いているけれど、上部にあるギザギザ系も好きです。
そして、チェッカー帯の下に置かれたブラインドアーチの垂れ下がり部分にも、かわいい名残が並んでいたんでした。

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ここは、推しだな~。


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  1. 2022/08/22(月) 15:55:26|
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鳥に優しい?単に汚されたくないだけ?(カイセルベルグ、番外)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その6

夏休みの残り一週間、ひさしぶちにガンガンやっていこうと思います。スピードアップしないと、記憶は薄れるし、今後コロナ規制が解除されて、旅も増えそうな予感もありますから、そうなると、さらに大変なことになってしまいますからね~!
というわけで、間が空いてしまって恐縮ですが、さらりとアルザス、再開します。

カイセルベルグKaysersberg、実にかわいらしい町だったので、アルザスの典型的な町の様子、ちょっとあげておこうと思います。日本からのアルザス・ツアーみたいので、必ず立ち寄る町の一つと思います。

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川が流れていて、雰囲気が大変よろしい。お家も、木組みの古いたたずまいのものが多くて、本当に昔から変わらない風景が、どこでも楽しめる町なんで、きっと映画やプロモーションの撮影でも使われるんだろうねぇ。

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こういう風景って、パッと見たら、やっぱりゲルマン系の国と思うよねぇ。でさ、歴史的にもゲルマンと行ったり来たりなわけだし、どっちかというとドイツ気質っていうイメージも強くて、とすると、メンタルもそうなんかもね。ごみ一つ落ちてないみたいな。もしかすると、町の規制もドイツ的に厳しい可能性あるよね(でね、ドイツ人は、イタリア来ると、すぐ裸になるし、ごみ捨てまくりますよ)。

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作りは古いけれど、かなりケアしている様子が分かるよね。
木組みの、気の入り方も面白いね。家によって、しっかり三角だったり、ずれた三角だったり、色々ある。棟梁によるのかな。

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看板もかわいらしくて、こりゃもうクリスマス。
あ、クリスマス頃来たら、電飾ちかちかで、すっごくかわいいかもね。

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街並みの愛らしさに加えて、さらに嬉しくなるのが、この方々の存在。

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こうのさん!
あちこちに巣があるんですよ。これさ、よく見たら、巣が作りやすいような支えがあるよね。きっと毎年同じ場所に巣を作るこうのさん一家がいるんだろうよね。

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写真で見たらわかるけど、ここも支えがあったわ。
スペインでは、こうのさんよくお見かけしたけど、こんな親切な支えなんて見たことないとおもうな。
この町さ、こんなのもあった。

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燕さん専用マンション。
おそらくテラコッタかなんかで作られた人工アパートなんだよね。これは、燕に作らせると汚れるから?天然巣だと建物を傷めるから?それとも燕さんたちの労力温存用?

ちょっと検索してみたら、汚されてもいい場所にうまく誘導するため、という理由が主なようです。確かに、この建物の軒下は、前部燕マンションになっていて、その代わり他の建物にはついてなかったと思うので、毎年少しづつ誘導していった結果なのかな。
でも、燕が巣作りできない人になってしまわないんだろうか?

alsace 056

その、燕マンションのお隣の建物だったかと思うんだけどね、これね。
プレートが貼ってあって。
ここで、かのシュバイツァー博士が生まれたんだそうだよ。今は彼の博物館になってるようだったけど、入らなかった観光に興味のないオレでした。
しかし、シュバイツァー博士って、名前は知ってるけど、何をした人か、記憶なし、笑。こういうときのウィキ。
「アルザス人の医師、神学者、哲学者、オルガニスト、音楽学者、博学者。通称密林の聖者。」ようなマルチな人だったのだね。それにしても、通称密林の聖者とはなんぞや?
そしてね、目に付いたのが、「ドイツで生まれフランスで活動した」っていう一文。
シュバイツァー博士が生まれた1875年時点では、カイゼルベルグはドイツだったということみたいだね。
なんか妙に、アルザスの近代史の複雑さを感じた気がしました。

というわけで、また中世に戻りますね。


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  1. 2022/08/22(月) 11:05:45|
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終わってしまいました~涙

モリーセ、初上陸-先史から中世、現代ごたまぜ旅(2022年8月)、プロローグ

夏休み第二弾、一昨年、昨年に続き、イタリア再発見的な旅をしてきました。
今回もまた、キッチン付きのアパートをメインに滞在して、一人では行きにくい場所を中心に、いつもと同じ同行者との二人旅です。

一番の目的は、未踏の地であったモリーセ州の中世でしたが、モリーセは遠方のため、往復の道中のことも手配しなければならず、そうこうするうちに、昨年の面白さがよみがえり、ついつい洞窟系の教会を求めることにもなってしまいまして、正直、メインがどこにあったのか、分かりにくいほど、ごたまぜな旅となってしまいました。

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とはいえ、誰にとっても、なかなかハードルが高い教会も多く訪ねることが出来たので、満足感、というか、達成感が結構あります。とにかく、コンタクトするべき電話番号にたどり着くのも一苦労なら、そこからのアポ取りも一苦労。最後までコンタクトができず、ダメもとで行ってみたら、とんとん拍子で見学できてしまった場所もありました。

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いずれにしても、今回ほどお天気に悩んだ夏の旅はなかったと思います。8月は、雨なんて降らない月なんですよ、通常は。しかし今年はおかしくて、5月ごろから以上は暑さとなり、まったく雨が降らず、各地水不足に山火事対応で大わらわ、という状況だったのに、イタリア中誰もがお休み、という8月の二週目から、各地で雷雨が…。

我々も、旅の前半は、午後になると雷雨にやられて、立ち往生、ということが数日ありました。

molise 003

ヒョウを伴うような、恐ろしいほどの雷雨でした。さすがのイタリア人も、路肩で停車する人多数という場面もありましたね。それでいて、夜になると星月夜だったりして、そのあたり、北部とは違う様子というのか。

そんな陽気だったので、日に日に暑さが薄らいで、だんだん気候的には楽になりましたが、しかし、やはり雨はいやですねぇ。

とは言いながら、歩かなければならないような訪問先で、雨に降られることもなく、毎日おにぎりをもって出かけたのですが、外でおにぎりが食べられないこともなかったので、晴れ女は健在だったようで、それは本当に幸いでした。

molise 004

ミラノから南下して、ウンブリア、ラツィオ、それぞれで多様な中世を楽しみ、モリーセでも、予想以上に面白い中世に出会い、ついでに足を伸ばしたプーリアでは、これまで訪問がかなわなかった、結構著名ないくつかのサイトにアクセス。
帰りは、ウンブリア経由、ロマーニャにまで手を出して、という行程となりました。その辺は、雨のせいでもあります。

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例によって、記憶力が弱っているし、一気にアップしたいところですが、過去の写真が溜まり過ぎているので、いつになることやら、なのは残念ですが、気長に整理していきたいと思います。
特に、数年前から少しずつ訪問している各地の洞窟教会(主にビザンチン絵画が目的)については、いつか、それだけをまとめてみたいなぁ、と思いますが…、さて…。

旅はちょうど二週間で終了しましたが、お休みはまだ一週間ありますので、お休みしていたブログ、なんとかまとめて上げていきたいと思いますので、よろしくお願いします!
お休みの間にも、訪問くださった方には、ご迷惑をおかけしました、ペコリ。


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  1. 2022/08/21(日) 16:25:41|
  2. モリーセ・ロマネスク
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自画自賛?の美化自画像(カイセルベルグ)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その5

アルザスでの初夜、笑、実にかわいらしいアルザスらしい町となりました。

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カイセルベルグKaysersbergのサント・クロワ教会Eglise Sainte-Croixです(8-18時ということでしたが、イースターの週末ということもあったのか、夜はかなり遅くまで開いていました)。

町の中心部にあり、宿泊のホテルとも近かったので、到着して荷物を放り込んですぐ、訪ねました。

カイセルベルグの町の歴史は比較的新しいようで、最初に記録に出るのは、1227年、ホーヘンシュタウフェンのフェデリコの息子であるヘンリー7世、フランス語だとアンリになるのかな、各国語が混じって恐縮ですが、名前まで各国読みにできちゃうラテン語起源の欧州語は、そういう意味で厄介ですね。
そのヘンリ7世が、ここにお城を購入した、というのが、その記録なんですって。

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この場所、一つの谷から他の谷(Weisse Valley)へとつながる、戦略的な土地なようなんです。Waiss Vallayは、アルザスの北部方面へとつながるという意味で、重要だったようです。上の地図で、カイセルベルグって、その右の方は結構広い谷となっていて、というのも、ライン川の河川敷的な谷なんですね。そして、もうすぐにドイツになるんですね。
地理とか弱いんですが、でも、この辺りでは、多くの戦いが行われたことなんでしょう。そして、小競り合いの度に、境界線が微妙に移動したりしてね、そういう土地なんだろうってことが、想像できますねぇ。

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そういうことから、すでに町村は多くあって、お城だって、もともとあったわけですけれど、カイセルベルグは、そういう城塞だけの土地だったということなんですかね。このヘンリさんが常駐して、町として発展した、ということになるのかな。
家並みの合間から、町を見下ろす高台に建つ古い塔が見えました。

もうちょっと歴史解説を見ると、確かに、彼が、城の入手に続いて、市壁の建設などを行った、とあります。

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現地では、美しい家並みに目を奪われて、そういう風景写真を結構撮影したのですが、この右側の奥にうつっているのが、当時の壁かもしれないですね。まったく気が付いていませんでしたけど、笑。

そして、このルートは、ローマへ向かう古い街道でもあったということ。シジェリコでしたか、古い記録を確かめたくなるような記述ですね。

その流れで、この教会も建設された、ということになるようです。だから、ロマネスクとしては、かなり後代のものとなるのでしょうね。その上、15世紀に大きく変容してしまって、建築としてのロマネスク要素は、ほぼなくなってしまっているのです。
一応、教会周囲をぐるりとしましたけれど、ほんとになんにもでした。
ただ、有難いことに、扉口の装飾だけは、ほぼ無傷で残されたんですよねぇ。

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タンパンと、側柱に置かれた柱頭、遠目でも期待できますよね。

タンパンは、1235年ごろのものとされてますが、その割には古風なテイストを持つということです。

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聖母の戴冠が、キリストの左に置かれ、その左右には大天使ミカエルとガブリエルが置かれ、それを見守る様子の図像です。

解説には、「様式は、この地域の石工によるもので、ロマネスクの伝統的なものだが、ゴチックの重要かつ革命的な作品をコピーしている。とはいえ、人物の高さは、同じとなっている。ストラスブールの南扉のタンパンからインスピレーションを得ている。また、バーゼルやシゴルスハイムのタンパンとの共通性も感じられるのである。」とあります。
確かにね、ロマネスク的なスペースに合わせた無理やりな姿勢とかデフォルメ感が少なくて、結構のびのびと普通な様子の彫り方で、その辺、すでに時代出ちゃってるかな、と思うんだけど、でもさ、何よりちょっとかわいいんだよね。下に並んだお花とお団子なんかも含めて、全体に愛らしさが漂うんです。

でね、写真見直して、解説読んで、改めてすっごく受けたのが、左端にいるこの方よ。

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なんかさ、ちょっとツン!みたいな様子で、それもすっごく美化した感が否めないイケメンだとは思いませんか?
これね、ここを担当した建築家?石工?とにかく地元の棟梁らしいよ。自分をこれだけの大きさで入れるのもすごいし、その上、手に抱えてるのは、自分の名前だってよ。Conradusだって。ちょっとすごくね?金持ちの発注者を入れるならともかく、自分…。え?もしかして棟梁自ら発注者?それはないよねぇ。
いや、よくわかりませんが、ちょっとすごいわ。

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扉口左右の人たち、ちょっと情けないような表情で、細腕で支えてるのが、なんというか、くすぐられる。この人の腕の細さとそのお人形的なプラスティック感が、ちょっといいのよ。現代人形作家とかに訴えるものがあるように感じます。

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そして、柱頭の彫りも、なかなかに楽しいですよ。

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タンパンよりも、ずっと古いテイスト感じる人魚ちゃん。お約束の両性具有的にでべそちゃん。誘惑とかのアイコンの割に、全然色気がないってのもすごいし。

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ぷっくりお腹がかわいいけれど、お顔は鋭くて怖いですね。
背景に逆さハート?と思ったら、葉っぱなんですかねぇ。こういう小物的アイテムもかわいい。
これら以外は、植物の古典的モチーフの柱頭です。再建も混じってるのかな。

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遠目だと、逆さハートにしか見えなくないですか、笑。

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中はこういう様子。古色蒼然とした雰囲気は悪くないです。そして、目を凝らすと、ところどころに古いものが隠れています。

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こういうところに人がいると、どうしても、千年もこんな隅っこ暮らしで、あまり注目されることもなく、こっそり、目に入る数少ないものだけ、ずーっと見てきたんか、君は、とか思っちゃって、そういう人に出会えた希少価値とか感じないわけでもないけど、若干いたたまれない気持ちになったり…。病気か、これは。

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変だよね、こんなとこに。
これって、石工さんの遊びなんかな。遊びで押し込まれちゃって、それも結構いい加減な仕事っぽかったり。どういう受難…?
Conradusさん、絶対ここまで監督してないよな。

どうやら、中央身廊部分が、扉と同時期のまま、残されたようで、それで、こういった柱頭も、少し残っているようでした。

カイセルベルグ、かわいいので、ちょっと町の様子など、次回。

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