最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その27
サン・ジャン・サヴァーヌSan-Jean-Saverneのサン・ジャン・バプティスト修道院教会Ancienne Eglise Abbatiale Saint-Jean-Baptiste、続きです。
今は、後代の棟とポルティコに阻まれて、オリジナルのファサードが見えなくなっちゃってるけど、扉部分は残っていて、「アルザスにおけるロマネスク時代の鉄細工としては、唯一無二のマスターピースである」とあったんだけど、これかな。

多分、土台は新しくしているけど、この鋳鉄の装飾的なやつは当時のもの、ということなのかな。でも、古いものに見えにくくて、風情が感じられない。
中の様子も、構造はロマネスクなんだけど、風情は…。

天井がリブ付きのヴォルトで、これはアルザスでも最も古いものということらしいです。イタリアでは、ヴォルトは、せいぜい側廊に見られることは多いけれど、中央身廊は、木製天井だったところが多くて、それは好まない人もいるようだけど、私は、このリブ付きのヴォルトはあまり好まないかな。
全体に、何もなさそうなんだけど、丹念に見ていくと、それなりに見とくべき装飾があります。

幾何学系モチーフが、大胆に彫られた柱頭。素敵…。

きっぱりとした迷いのないまっすぐの線とか、なかなか良いですよね。
下のぐるぐるも、間にあるうにょうにょも、好きなタイプです。
あっちこっちの片隅に、情けない表情系のおっさんが複数下を見下ろしています。

みんな、ひげもじゃ系で、顔にも入れ墨みたいな模様がついてるし、髪の毛も髭もヘリンボーンでもじゃもじゃ感が半端ないの。これは何だろう?バイキング的な?ケルト的な?彫りは、そんな古い感じじゃなくて、すごくしっかりしているから、結構ちゃんとした技術の石工さんが、古典的な雰囲気で彫った、みたいな感じなのかな。
身廊は、ロマネスク時代のものとされているので、構造と一体化しているこのような彫り物も、同時代と思われますけれどもね。

そして、見逃してならないのが、内陣右側身廊にある、この扉です。

ロマネスク時代のもので、かつては、回廊とつながる扉だったそうです。1800年代の修復時に、祭具室の扉となったそうです。

全体にうにょうにょ感が強い植物モチーフは、なかなか好きなんですけど、子羊、ちょっと子羊感、なさすぎません?これじゃ、子供のフリした大人じゃん、みたいな、笑。
ちなみに、羊の上部両脇にあって、お花にしか見えないやつ、五芒星なんだって。これまでこの手の見たら、お花だと思ってたけど、星だったということだね。また一つお利口になりました。

扉両脇の柱のモチーフがちょっとかわいくて、特に、戸棚で半分近く隠されちゃっている左側のやつ。身をつけたブドウつると棕櫚を交互に彫ってるけど、ブドウの房がやけにかわいいんだよね。
この扉、向かって左上に、こんな人も。

アトラスですかね。相変わらずかわいくないなあっていうか、ここの石工さんって、フィギュア苦手だよね?ってか、外の人も、植物モチーフの方が得意っぽいし、それならお互い無理にフィギュア系彫らないで、植物系に特化しようってすればよかったのになぁ、とか余計なこと考えてしまいます。

これ、オリジナルなんだとしたら、ほらね、正確無比。
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- 2022/10/23(日) 11:32:51|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その26

サン・ジャン・サヴァーヌSan-Jean-Saverneのサン・ジャン・バプティスト修道院教会Ancienne Eglise Abbatiale Saint-Jean-Baptiste。
緑の中、アルザスらしい赤い石の後陣が映えますね。
村の高台と言ってよい場所にあり、眺めがある感じの場所。

創設は古い修道院教会のようですが、なんとなく場所邸にも雰囲気的にも、修道院のイメージがわきにくいたたずまいです。なんでかな。変に開けていて、勾配のある土地につながっているとかそういうことかな。
修道院って、それなりに耕作地が必要だよね、とか、水も必要だよね、というイメージから、孤高の場所でもなんとなくそういう生産性を必要とするっていうのもあって、それでの違和感なのかな。
いや、でもサン・ミッシェル系は、孤高のとんでもない場所に建てて、厳しい生活をするわけだから、必ずしも生産性は関係ないのか。

ファサード側は、塔のあるポルティコが18世紀に建てられてしまって、もともとのロマネスク時代のファサードは隠されてしまいました。なんという残念な。
そして、脇の方は、それと同時代に支え壁がずらずらっとつけられてしまったようです。そのおかげで、町からのアクセス側であるこのファサード側からの見てくれは、およそ中世の面影が感じられない建物となってしまっています。
なので、ここは素通りして、後陣にダイレクトアクセスした方がよいですね。

赤い石がアルザスであることを強調している感じですが、装飾はとてもロマネスクです。上の方の市松帯、垂れ下がりのアーチとその先の彫り物、つけ柱に窓脇の円柱など。

彫り物は、抽象モチーフと具象モチーフが混ざっている感じっていうのかな。
上のは、真ん中のが鳥のペアのようだけど、その脇は、葉っぱモチーフの抽象化とか渦巻きモチーフ。

牛っぽい頭と、グリーンマン的な柱頭と、にやけたモンスター。

組紐モチーフと人の頭。
頭モチーフ多めなのは、ケルト入っているのかな、ここも?
こいつらは、珍しいタイプ。

窓のとこに寝そべって外見てるけど、これは、後付かもね。なんか中世っぽくはないし、ましてやロマネスクのあり方からは外れすぎるよね。
ここも、例によってフランス革命で、建物の多くの部分が損傷したらしいんだけど、幸いにも、部分的には結構残っている方なんでしょうね。
宝探し的に、あっちこっちに分散して、変なものが建物を守ってる感じ。

こういう高いところに置かれる、ファサードだったらライオンが人をはみはみしてるような図像って、どうしてここに?と思うんだけど、どうして?

これなど、クマらしい。さすがに人をはみはみはしてなくて、チーズみたいなの持ってるけど、何持ってるんかな。
それに、なんか頭包帯状態なんだけど、なんだろね。
高いところの角っこ、もしかしてアルザスは多い?ような気もします。
日本の四神じゃないけど、何か意味ありそうだよね。
もしかすると、この位置、この雰囲気、すでにゴシック入っているということもあるのかな。
なんですかね、全体に記憶がめっちゃ薄くて、自分どんだけ入り込めなかったんだ、という様子が分かります。
今、来週末に出かける予定のエミリアのマイナー教会、どこに行こうか考えていて、2013年訪問の地ですら、そして結構駆け足で訪ねたにもかかわらず、写真を見てると何かしらよみがえってくるものがあるんですけども、アルザスはどうもそういうのがなくて…。
自分の中ではどうもそういう感じなんで、最初で最後の、というタイトルにしたわけなんですけれど、書いているうちに何かしら変わってくるかも、という多少の期待はあったんです。が、ダメです。どこまで行っても、本当に記憶が薄い…涙。
サン・ジャン、続きます。
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- 2022/10/21(金) 17:04:09|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その25
回っている地域で、実にマイナーで、なんでわざわざ来たんだっけ?と思わずメモにも書いてしまった二か所を、まとめてみます。

オベルシュタイゲンObersteigen(これはもうドイツ語読みしかできません、わたしには)の、サント・マリー・ド・ラソンション礼拝堂Chapelle Sainte-Marie-de-l'Assomptionです。
1220年から1225年創建で、ロマネスクからゴチックへの移行期の建物のよい例とされているようです。アルザスにおけるゴシック超初期の代表であると。

後陣、こんな様子ですし、なんだか頭混乱します。
この扉口のあるファサード側は、唯一のロマネスク時代の遺構となっており、確かに雰囲気はそうですが、柱頭も、すでにゴシック・テイストだし、アーキヴォルトの一部にらせん装飾が施されているような、そういうわずかな部分だけが、ロマネスク期の名残、というところですかね。

内部も、以下のようなので、ここ行って入れなくても、がっかりする必要は全くないです。いや、なんならそもそもとして、行かなくてよいと思います…。すまんが。

もし、現代的なステンドグラスが好きなら、主張は薄いけれど、嫌みのないかわいい現代ステンドグラスが見られます。

同じ作家さんの作品と思いますが、まさに嫌みのない感じの良い現代ステンドグラスで、好みでしたが、これはここに来なくても見られる代物と思います。
次も、比較的近い地域の教会です。

ロータンブールReutenbourgのサン・シリアック教会Eglise Saint-Cyriaqueです。
こちらはさらに強烈と言いますが、ロマネスク遺構としては、塔のみとなります。
いくつか興味深い彫り物がある、と事前に調べていたけど、正確にいくつでどういうものかは調べていなかったので、それこそ目を皿のようにして、宝探ししましたです。だって、せっかく行っちゃったわけだしね。そんで塔しかみあたらないという絶望だしね、笑。
何があったかというと。

下の方は、二人の人物の頭部を両肩に背負う、というか、まぁ囲まれている状態なんですかね。そういう人の姿です。
そしてこの人物、解説なかったら絶対分からないと思うんですが、下半身がどうやら魚の二股で、それをつかんでいる、いわゆる二股人魚らしいです。
ということは誘惑的なやつとなりますかね。でも両脇の人は何でしょう。
そして右上の方は、王冠とかヘルメットとか、なんだかわけの分からない被り物をしたフィギュア、となっています。頭部は、アーチ部分とつながっているので、このフィギュアに属するのか、それとも建築的アイテムなのか、よく見わけもつかないようですね。それよりなにより、身体の部分が変ですよ。
もしかしてスフィンクス的なフィギュアなのかな。
それから他の場所。

おっと~、また出たよ、屋号丸十。
素朴な十字架、素朴に彫るとこうなるってことなんだろな。
解説にも、彫り物は三つ、とあったんで、無事コンプリート出来てよかったです。
その他、碑文みたいのもありました。

どの部分にはめ込まれていたかすら覚えてないんです。内容も、ざっと見ても読めないし、時代も不明です。読めないけど、明らかにゲルマン系の言葉だよね。

ここも、二股人魚ラヴァ―とか碑文フリークとかじゃない限り、行かなくてもいいと思う。
でもね、アルザス・ロマネスクのサイトでは、どちらも比較的大きく取り上げられている場所なんで、外せない、と思っちゃうんだよね。とすると、マイナー的に取り上げられている教会だと、どういう状態なんだろうね。ロマネスク・オリジナルとしての数はあるけど、一般的なロマネスク・ファンが楽しめるレベルの教会は、かなり少ない、ということなんだな~。
多分、ゲルマン系とラテン系とか、様式の伝播とか、そういう研究をしている人向きの地域なんですよ、アルザスって。
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- 2022/10/15(土) 17:00:25|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その24
マームティエMarmoutierのベネディクト派修道院サンテティエンヌ教会L'église abbatiale Saint-Etienne、続きです。

ナルテックスの下にある扉口だと思いますが、地味なりに、ちょっとした装飾はありますね。

柱頭は筋彫りだし、柱やアーキボルトには、超浅浮き彫りレベルのぐるぐる。再建と言われても、まったく違和感のない、ある意味スタイリッシュでデザイン的なミニマル装飾ですね。
そして、内部はというと。

全体は完全にゴチック以降の建築となっていますが、手前の部分だけ、古いものが残っているという形です。
上の本堂の手前部分が、こんな様子。

この様子で全体が残っていたら、味のあるロマネスクでしたけど、残念です。
本堂の大部分は、12世紀に再建され、内陣は18世紀後半ということです。
古い部分には、扉口にも見られた筋彫り的な柱頭が見られます。

柱頭の形が、縦割りの四つ割になっていて、独特です。モチーフが、ケルトぽいのかもしれないですね。四隅のはシャムロック的なものにも見えますし。
縦割りの溝部分にある、縄文土器みたいな、ぐるぐるうねうねしたらせんが、他の筋彫りのシャープさと比べると、やけに粘土細工っぽい質感なのが、興味深いです。
片隅に、こんなものがありました。8世紀、プレロマネスク時代の教会のタンパンの遺構のようです。

のこり方が、かなり寂しいです。保存状態もいまいちですしね。
でも、ひとつひとつのフィギュアが独立したものには見えず、この三体が一緒になっているようなんですが、とすると、なに?みたいな。
あまり統一感がないというか、三人がバラバラしてるっていうか。
現場の解説では以下と書かれていました。
「タンパンの一部:中央の人は、右手で十字架、左手で本を持っている様子。その左、つまり向かって右側の人は、髭を触っていて、それは基本、賢さや思慮深さを表す仕草。そしてもう一人は、トンスラで、本を持ってい(本は、神の言葉を表すシンボル)。その教会が建てられたときは、ピエールとポールに捧げられていたことから、おそらく、中央の人物は、修道院の創設者で、左右がピエールとポールではないか、と考えられる。おそらく、724年に創建された教会の遺構であり、一連の遺構が、考古学的調査で発掘されたクリプタにあるのではないかとされてはいるが、見つけられてはいない。」
1972年に、考古学的な調査の一環で、発掘が行われて、現在ある建物の基部を明らかにしたそうで、本来のクリプタではないのですけれど、クリプタとしてアクセスすることが出来るようになっています。

こういう発掘は、結構されていて、本来のクリプタとは違う面白さもありますよね。わが町ミラノのドゥオモでも、ファサード側と後陣側両方に、地下の遺構があり、それぞれ訪ねたことがありますが、まさにタイムマシンなんですよねぇ。歴史の重層を目の当たりにできるのが、石文化のすごいところで。

撮影があまりよろしくないですが、ここは結構説明版が置かれていて、博物館状態になっていて、好感持てました。
この、黒い線で表されているのが、おそらく8世紀の教会なのでしょう。今の教会に比べると、とても小さかったのですね。上の写真にある円筒形の構造物が、この古い教会の後陣だったようです。
この規模の教会だったとすると、修道院の規模もこじんまりだったのでしょうし、村も、門前町ということで成り立ったということになるのかもね。
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- 2022/10/13(木) 21:25:59|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その23

マームティエMarmoutierのベネディクト派修道院サンテティエンヌ教会L'église abbatiale Saint-Etienneです。
見るからに、典型的なアルザス教会って様子です。が、この教会、ロマネスク観点から見るべきは、この西側ファサード部分のみ、ということになります。
そういうことも、調べていっていないから、どこに行っても何を見るべきなのかよくわからずおろおろしてばかりでしたが、ここなんかもそうです。見た目が堂々とロマネスクだから、期待して入場して、あれあれあれ?みたいな腰砕けになって、どう評価したらいいの?と若干パニック入る、みたいな感じ、笑。

まず外側を見ていきます。
その前に、さらりと教会の変遷に触れておきます。
ここの歴史は古く、6世紀の終わりに建てられた修道院が起源となるようです。その後824年に、時の修道院長マウロという人が、ベネディクト派の規則を導入したあたりから繁栄をはじめ、12世紀、まさにロマネスク期がその絶頂、みたいなことだったようです。その時代、1150-1160頃、おそらくお金もザクザクだったのでしょうね、この立派な西側のファサードが建設されたようです。それは、アルザス一立派な西構えと言われていたようですから、村の人々も鼻高々だったでしょう。
アルザスの多くの教会で見られるような、多色の砂岩が使われていて、それだけで装飾的なのに、さらにつけ柱やロンバルディア帯、垂れ下がりのアーチの先っぽの彫り物など、かなり装飾的。ただ、壁面の大きさに対して、彫り物のサイズが小さかったり、とにかく壁面の色がカメレオンみたいな、なんだろう、彫り物とかが保護色の中に入っちゃって背景を見分けられない的な感じで、ちょっとセンス的にはうるささ推し、とでもいうのかな。そう、悪いけどうるさい、笑。

切り取って、それぞれのディテールを見ると、かわいかったりするんだけども、全体として見るとねぇ。
ま、そういう感じです。
はめ込みとかアーチ下に置かれた彫り物は、楽しいものも沢山あるので、ここはしっかりじっくり見る価値はありますが、もちろん望遠鏡とかないと見えないサイズです。

ヨーダ系の人。
これって、全体のイメージはよくあるやつだけど、この一本歯って、いつもこうだった?やけに気になる。

お仲間もいたけど、この人も。
ただ、よく見ると、これは歯ではなくて、髭っぽいものになっているけれど、なんだろうねぇ。いずれにしても、耳があるから動物なんだろうけど、これまで数多く見てきて、あ、これはあれか、と納得できる動物が思いついたことがないよなぁ。
ちなみに、上の方に並べられた三角、かわいいよね。
かわいいと言えば、これでしょう。

すごいオリジナリティ。しっぽの様子は肉食獣系の様子なのに、足が鳥。または虫。またはムツゴロウ的古代魚?

お仲間も撮影してましたが、こちらの方は、さらに魚イメージ、というより半魚人イメージ強いですよね。おちりからのラインが、なんならセクシーだったり。で、やっぱり極細お尻尾巻き巻き。
なんせ、肉眼ではよく分からないので、カメラ思いっきりズームにして撮影するわけですが、なかなか全貌は分からないから、撮影しきれない部分もあります。ここも、一つ一つ撮影したのかどうか…。もっとお仲間いたんだったら、全員にお会いしたかった、と、三年後に思ってもね、といういつものパターンです。
垂れ下がり部分以外にも、浮彫はめ込み系が、いくつか見られます。

精悍な、またはひもじそうな、笑、ライオン君。
尻尾の表現が、激かわ。先っぽが葉っぱスタイルで、真ん中に玉って、いいわあ。
そいから、頭が不思議ですよね、とってつけたような様子だし、張子の虎感すごい。
図像としては、よりライオンらしい様子のお仲間。

これから類推すると、ヨーダ顔の歯と思ったアイテムは、舌ベロリン、ということなんですかね。で、ここの表現の共通性で、このライオンとヨーダ顔は、おそらく同じ石工さん、少なくとも同じ工房だろうと思われるわけですね。
とすると、このライオンも、後はめ込みではなく、建設当時から、ここに置かれていた可能性が大ということになるんですな。なるほどな。
で、ライオンたちと同じファサード側なんですが、これは注目してね、という彫り物があります。

これ、強烈です。
目が一重じゃないのは、強調なのかしら。ロンゴバルドとも通じるような、プリミティブな印象ですよね。
解説では、これはケルトに由来する三つの頭を持つ怪物とされていました。
ケルトは興味があり、鶴岡真弓さんだったかな?ケルト文様の研究をされている方の本を読んだりもしたけど、残念ながら、ロマネスクやりだして以降にアイルランド渡航のチャンスがなかったりして、勉強もあまりできてないんです。
いつも、こうやって言及があると、付け焼刃で調べて、ちょっと納得して、ということを繰り返して、非常に断片的な知識しか持てないままです。
ま、今回も、とりあえず検索に頼りました。
で、分かったのが、トライアッド。三組神とされているものでした。なんでもケルトの神話や伝承では、三人の兄弟だったり息子の話が多かったり、三つ頭の怪物が頻繁に出てくるとか、3という数字が珍重されるっていうか、いろんなことの基本になっているということでした。
数を表すのに、3の20とか、3の50とかいう表現をするんだそうだ。衝撃。
三脚巴紋、三本の足が中心部につながっている図像で、あちこちでシンボル的に使われるものなども、どうやらここが起源らしいです。イタリアでも、サルデーニャとかシチリアで使われているけど、あれはケルトから流れてきたのかどうか。どちらも島国だということが、面白いですよね。
また、アイルランドのシンボルであるシャムロックというのがあるけれど、それも形状は三つ葉。ということで、ケルトの3推し、なかなか強烈だということで、これは認識なかったと思います。
もしかして、ギリシャ神話のケルベロスとも関連あり?と思ったのですが、ケルベロスが三つ頭なのは、冥界の門番として、一瞬たりとも寝落ちしてはいけないという単純な理由らしいですね。考えたら犬だしな、命令は忠実に守るだけで、考える頭脳は与えられてないだろうしな。
と考えちゃったのも、三人って、多数決ができるからかなとか、理由をね、ついこじつけようとしてしまって。
3はともかくとして、この図像の意味は諸説あるようですが、最も説得力が強いのが、女神ブリギドを表すのではないか、というものらしいです。ブリギドは詩文の才、治癒、鍛冶という三つの要素をつかさどるとされていて、そのそれぞれを三つの頭部に当てはめた、と。なぜ有力かというと、女性性、つまり出産のシーンも反映しているのではないか、という考え方から、女性ではないか、という帰納法らしいです。
というわけで、またいらん部分が長くなってしまいました。ちゃっちゃと写真だけアップしとけばいいのに、書いているとつい余計なことが気になるタイプ、笑。
しかし、面白いですよね。ロマネスクを考察することで、歴史の面白さを初めて理解しているように感じています。
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- 2022/10/09(日) 11:38:01|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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鍵推し(ダンペテ)
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その22
前回訪ねたアヴォルスハイムの村の近郊が、今回訪ねる場所となります。

写真で見たら、決して複雑ではないようなのに、当時はナビでは出なかったのかなぁ、確か道が分かりにくくて、人に尋ねながらたどり着いたと記憶しています(というか、メモしてあります、笑)。
アヴォルスハイムが、そもそも村規模の集落で、中心部を一歩離れたら、何もない田舎道となる土地で、不安になるような様子だったんですね。今、改めてグーグルで見ると、納得です。
しかし、そこを進むと、ロマネスクを愛する人の多くが、これだよこれ!と思わず小躍りするような風景が。

アヴォルスハイム郊外のドンペテAvolsheim - Dompeterにある教会Eglise du Dompeterです(通年8時-20時)。
徒歩圏内で撮影している自分の写真よりも、全体のたたずまいが分かりやすいので、グーグルさんからお借りした写真です。
町中にあって、デイリーベースでご挨拶できる教会もいいですが、私はこういった場所に一人たたずむタイプの方に、より魅力を感じてしまいます。ただし、そういう教会は、閉まっていることも多いのですが、ここは常に8時から20時開いていました。コロナで、ちょっと変わった可能性はありますけれども。

ファサード側ですが、背は低いものの、かなり教会本体に迫った位置に壁があるため、全体像の撮影不可。
見ての通り、多くの部分が改築再建されているので、遠方からのたたずまいはよろしくても、近付くと、ロマネスク的な良さは薄いですね。
それでも、往時の遺構は、随所にあるのです。
今は使用されていない、ファサード側のポルティコにある扉。

サイズは小さいけれども、作りとして立派じゃないですか。扉の中央に柱があって、これなんというアイテムでしたっけね、フランスには多く用いられる構造と思います。通常は、この柱は彫り物などで装飾されますが、ここではのっぺらぼう。構造的には、オリジナルも公だったろうという様子ですが、今ある柱は明らかに後付風なので、もしかすると、今でもどこかでひっそりとオリジナルが生きていたり、という可能性はありますね。

上に置かれたお像は、教会のどこかになったであろうものを、後付でここに置いたのだろうと想像します。
それにしても、お顔がね、明らかにピエトロさんだと思って、感心しました。鍵を持っているから確認できてありがたいですが、今。写真で、鍵を見る前にお顔から見て、分かりましたもん。
前にも書いたと思いますが、絵画や彫り物で表される聖人の顔のイメージって、広く深く、共通しているのが面白いと思います。SNSどころか、写真すらなかった時代に、欧州大陸にあまねく、同じような顔が伝播するって、すごいことじゃないですか。それだけ、人々の往来があったということになります。
ちなみに、この教会は、サンチャゴの巡礼路に位置しているそうです。
ちょっと歴史を紐解くと、起原は古く、もともとはメロヴィング朝時代の礼拝所があった場所ということです。メロヴィングって、カロリングの前だから、相当古いですよね。
っていうか、礼拝所ができたのも、どうやら古代からの聖所だったらしい立地にあるようです。というのは、近くにSainte Petronillaの泉というのがあったらしく、それがルルドの水のように、頭痛や眼病に効く、とされていたようです。
教会として、きちんと奉納されたのが、アルザス出身の教皇レオーネ9世によって1049年になされたということで、その頃が最盛期となるのかな。時を同じくして、サンチャゴの巡礼路がイケイケになっていたことから、巡礼者激増、ということもあったらしいです。
その頃の教会の名残が、いくつか断片として残されていて、我々を楽しませてくれる、ということで、では、見学に戻ります。

扉脇の柱頭に、不思議な顔が彫られています。上部、アーキトレーブに続く場所には、ドラゴンぽい動物の、やはり頭部だけがあります。
例によって、かなり検索したのですが、納得感のある解説は見つからず、でした。
まぁ、図像としては、それなりにロマネスク的な、という様子ではあるのですが、個人的なイメージとしては古いなっていう。時代は、12世紀第四読ん半期とありましたので、ロマネスクとしては後期になるかと思いますが、イメージとしてはもっと古い時代の図像って感じがします。
頭部の上に置かれた組紐的なモチーフのせいもあるかもしれないし、角に置かれた顔は具象っぽいけど、間に置かれた小さいやつが、若干抽象的なシュールな印象を与えるからかもね。

左側の方は、残り方がもっと限定的で、さらに具象的。これを見ると、後期ね、とうなづけます。
少しだけ見つけた解説では、この手の柱頭は、12世紀第三四半期に、広く普及したものとありました。この近郊の教会でも見ることが出来るとありますが、それは彫られた図像ではなく、柱頭や副柱頭の形観点みたいです。
装飾としては、現在入り口として使われている脇にある小さな扉の方も、ちょっと面白いです。

元々ここにあったのかどうか、よく分かりませんけれど、まるで、屋号(丸十とか?)みたいなきっぱりとしてデザイン的な十字架の様子が、結構好き。
反対側だと思いますが、こっちも面白い。

こっちも丸十だから、やはりもともと置かれていたアーキトレーブ装飾、ということになるのでしょうかね。

この教会、一応ピエトロさんに捧げられているようだし、それで鍵なのかな。入場には鍵が必要よ、っていう注意書きみたいで、面白い。
開いているので、嬉しく入場しましたが、内部は例によって。

構造は残されているものの、漆喰塗バリバリなので、雰囲気はほぼなし。
唯一好ましかったのは、もしかしたら一部オリジナルもあるかも、と思わされた床石でした。

床が、地元産っぽい石っていうのはとても雰囲気に貢献しますよね。時々、墓石なんかがはまっているのも…。
ちなみに、トップの写真はグーグル撮影のもので、季節が違うと思いますが、私が行ったときは春爛漫で、こんなに明るくて美しいのでしたよ。

確か後から来た人たちに勧められて、珍しく同行者と一緒に写真を撮りました。どんなに長い旅を一緒にしても、記念撮影的なものは撮らないので、良い記念になりました。自分もいい年になってきたし、去年の交通事故じゃないですが、何があるか分からないから、たまには写真は撮っとかないと、いざというときに使える写真がないってのもありますよね、笑。
いや、そういう不吉なことを言ってはいかんのかな。いや、現実的になるもの必要よね。
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- 2022/10/08(土) 10:48:35|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その21
次に向かったのは、これまた小さな村でした。その村の中にあるこちらです。

アヴォルスハイムAvolsheimのサン・ウルリッヒ礼拝堂Chapelle Saint-Urrichです。
いや、正確には違います。
この村を目指していたのは確かにそうなんですけれど、教会は別の名前で、あれ?となりました。見学はしたのですが、正直、これは違うはず、という気がしていたので、かなりいい加減に見てましたが、今、解説を読むと、ここも一応見るべきではあったのだと分かり、反省はしております、笑。3年遅いよ。
全体にかなり新しくされているので、一見して、あまり魅力が感じられないのですが、実は創建はかなり古く11世紀に遡る礼拝堂です。そのフォルムや大きさから、長年、洗礼堂と呼ばれてきたそうなのですが、もともとは円形の集中型礼拝堂で、その後なのかな、十字型となって、十字のそれぞれの先っぽに小さな半円後陣もあったらしいのです。その後陣部分は切断されてしまって、真ん中に置かれた鐘楼の大きさと、とてもアンバランスな塩梅になってしまっています。
10世紀とか11世紀に、こういったフォルムの礼拝堂が、プラハやクラコーなどの地域で見られたようで、それで、時代的にはその頃ではないかとされているようです。

そのアンバランスのもととなっている八角形の鐘楼は、ロマネスク時代12世紀半ばのものということです。
その内部に、フレスコ画を隠し持っています。
入って、結構な部分に絵があるので、おお、とは思うのですが、かなり傷んでいるというか、薄まってしまっていることもあるし、絵の様子からはロマネスクより後の時代のものだろうという印象が強く、それもあまり一所懸命見なかった理由ですが、現場にある解説では、12世紀のものとされています。
撮影の様子を見ると、最初に、これは違うわ、と思って、その後解説を斜め読みして、慌てて再び内部に戻った自分の行動が分かります。
12世紀とされてはいるし、そうなんでしょうけれど、間違いなく後代の加筆がかなりあると思います。それで、自分的にはあまり魅力を感じなかったのですが…。
その時代と特定されているのは、アルザス得意の、他との相似性によるようです。ドイツのヒルデスハイムの祭壇が、そして、フランスはサン・ドニにあるステンドグラスとの相似性が根拠であると。それらどちらも12世紀と特定されているようですね。どちらも見たことがないので、不明ですが、例えばステンドグラスって、イメージとしてはゴシック以降で、12世紀半ばのものもあるというのは、認識しておりませんで、え?という感じ。そうなんですか?
絵は、三段構えとなっていて、鐘楼の真下、クーポラの部分。その周りの筒の部分、そして、開口部のあるレベル部分となります。
てっぺんの部分は、三位一体のシンボルとか色々書いてあったのですが、とてもよく分かりませんね。キリストの姿を借りた天の父なる神の姿、ということらしいですけれど。お顔の様子が、加筆っぽくないですか。

とにかく薄いですよね。全体の感じ、色の様子では、カロリング時代のものにも通じるようなわびさび系ですが、単純に退色したということなんでしょう。いずれにしても、緑、赤、オークルが主体の色彩とはなっているようです。それぞれが鮮やかであれば、それなりに華やかになるのかな。
その下部分が、四人の福音書家とそのシンボルとなっています。

もしかして、これ、ライオンのマルコ?
金魚鉢みたいなものにライオン入ってる?もしかしてかなり斬新な表現?

とすると、これは天使の姿のマッテオ、もといマタイ?金魚鉢と相まって、クリオネみたいな天使、めっちゃかわゆし。
ここまでちゃんと解説を読んでいたら、もうちょっと頑張って撮影したなぁ。ただ、この痛みぶりだから、現場ではほぼ見えてない状態なんで、仕方ないですね。
ちょっと驚いたんですけども、一応現地にあったフランス語の解説を読んだんですけど、福音書家のシンボルが間違ってたと思う。ルカが天使でマタイが雄牛って。自分の記憶に自信がないもんで、え?と思いながら調べて、自分の記憶が正しくてホッとしました。自分の読み間違いかもしれないけどさ。
一番下の段は、四つの画面が、ロマネスク時代の四つの開口部に区切られているとあって、実際そうだと思うんだけど、傷み具合で、なかなか絵は分かりにくいです。

本当によく分からないけど、これがどうやらヨナの物語らしい。解説見ても分からないけど、多分右上の横長のが人のフィギュアで、水に落ちてくヨナではないかと、めっちゃ想像力だけで理解しました、笑。

これは、ゴリアテを倒すために、王様がダヴィデを召喚した場面らしい。玉座に座って王冠をかぶっている感じはちょっとわかるかな。その右が従者で、左がダビデか?

これは、光背を背負っている人物がキリストで洗礼図?それは簡単すぎる解釈だから、違う説もあるみたい。
3人の人物に囲まれている、ともありますが、私には認識できないわ。

これは扉の上にあるやつで、二人の聖人、とありますが、三人見えますよね。一人は長いマントに鍵、とあるので、ピエールさんで決まりでしょうが、私には鍵は分からないし、右側の人は裸に見えるし、もう何が何やら、ですわ。
最後に全体像を。

こういったものを、日々読みとかそうと努力している研究者の方もいるんだろうよねぇ。いや、頭下がるっていうか、もういいよ、やめて、と言いたくもなる、笑。分からなすぎるもん。こうやって書くだけで、かなりストレスだった!
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- 2022/10/01(土) 17:13:13|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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