エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その3
トアーノToanoのサンタ・マリア・イン・カステッロ教会Pieve di Santa Maria in Castello、続きとなります。
教会からのアクセスは、後陣側からとなります。
結構な段差を登り、北側壁を回り込んで、ちょっと自分をじらすようなアクセス。
美しく広がる風景なんかも眺めながら、こうなるとM入ってる状態ですけども、笑、結構な長旅してきてますからねぇ、気持ち的には、「いよいよご対面だ!」と静かに興奮していて、そういうはやる気持ちを、「いや、あまり期待しすぎると裏切られたとき辛いから」という、なんというのか、一人どうどう、みたいな、笑、そういう心境の足取りです。
しかし、ここではそんな余計な心配は不要でした。
扉からの最初の眺め。想像以上によかったです。
南壁に開けられた入り口も解放されていたため、右側が神々しく輝き、明るいのも嬉しかったですねぇ。
シンプルな三身廊構造で、サイズの大きい柱のインパクトがなかなかすごいです。そして、まず目が吸い寄せられるのは、その円柱がいただく柱頭ですよね。なんかありそうって思っただけで嬉しくなります。
立派なサイズの円柱に比例して、柱頭もどっしりと存在感があります。手前二つは、気になりますよね。
向かって右側のは、植物モチーフをベースに、かなり細かい彫りが施されています。古典的な様子なんですが、なんと副柱頭には、怪物と、怪物に頭を食われている人が…。
全体に、ロンゴバルド後期のテイストを感じるものとされています。
時代が古いですからね、ロンゴバルドやビザンチンや、ロマネスクのみならずのテイストが盛り込まれているようですねぇ。
地図を見れば、結構な山の中だし、孤立していそうな場所のように感じてしまうのですが、それは現在の感覚なんですよね、おそらく。
お城まで作られて、そして当時ブイブイ言わせていたカノッサの土地なわけですから、孤立どころか、という土地だったりするわけで、つまり、人や物の往来が、戦争も含めて盛んだったということで。
内陣手前にある半柱頭も、とってもロンバルディアっぽい装飾彫り物です。正面部分はこんな様子ですが、脇の方は傷みが激しいので、正面に限って、修復されているのかもしれません。それにしてもかわいいですよねぇ。
現地でいただいた解説に、「ロマネスクのやり方に従って、どの柱頭も異なる意匠となっている」とあって、今更ながらそうだよなぁ、と思いました。もう、いつもそうだから、特段取り上げることもないことなんですけど、改めて言われると、ハッとするものです。
ローマはシンメトリー大好きだし、一糸乱れず一列に、みたいな感じで、一つの建物にあるものは柱も柱頭も同じ。ロマネスクは、時代的に、ローマのものを再利用したりという現実的な背景も関係するところがなくはないですが、あえてアシンメトリーとか、あえてバランス崩すとか、柱頭も一つ一つ違うとかなるわけですが、その後の時代は、また同じものずらり文化になるわけですよね。
なんかね、ロマネスクのそういうところが、日本のテイストにも通じるから、ロマネスクに惹かれる日本人が多いのかもなぁ、とか思ったりしました。洋食器と和食器の違いっていうか、笑、みんな違ってみんないい、みすず、っていうか。
同じ内陣手前にある半柱頭。こっちもとてもロンゴバルド。
そして、入場してからずっと気になっている、手前側の左側の柱頭です。
何やらごたごたとフィギュアが付いています。かなりプリミティブな手で彫られたヨスで、ダヴィデと鷲のストーリーとされています。頭が変な様子になっちゃってるけど、かわいらしい鷲がいますね。
と言って、ダビデと鷲のお話って何?
ダビデと言えば、ミケランジェロの彫ったゴリアテに立ち向かう姿が思い出されるわけなんですけど、なんだか色々と悪さもした人なんですね。それでも、神の恵みと哀れみによって、過去の失敗を糧に、前向きに生きることが出来る、鷲のように、寿命半ばにして、くちばしやつめ、毛などが新しくなって、再び雄々しく大空を飛び舞う、という旧約聖書の講和のようなものらしいですね。
反対側にも鷲がいました。でも、角っこのフィギュアは、ダビデには見えないタイプばかりですよね。
こっちの鷲が、お魚を捕まえている様子で気付いたけど、反対側のわしは、鶏みたいの持ってるかもね。
同じ柱頭の内側に向いた部分は、玉座に腰掛けた聖母子像とされています。
柱頭の他に、気になったアイテムがあります。
祭壇に並んでいたんですけどもね。
状態がとても良いので、新しいものかと思うんですけど、形からは、軒持ち送りっぽいですよね。
左の三体。
右の三体。
いただいた解説には言及がなく、現地にも何も置かれていませんでした。
おそらくこのお像の下にある祭壇に、戦後内陣の床下から発見されたという石版が使われていたのじゃないかと思うんですが、お像に気を取られて、そちらはちゃんと見てなかった…。
1109年または1189年という年代が彫られているそうです(文字で彫られているため、正確な年代が特定されていないようです)。
というわけで、エミリアロマーニャの週末、一つ目は大ヒットとなりました。この辺りは、マチルダゆかりの土地も多く、マチルダにいざなわれるようにぶらぶらするのも楽しそうです。今後も、ボローニャに遊びに行く機会は定期的にあると思うので、少しずつ攻略していきたいものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。最近のミラノでの展覧会や秋の味覚をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
2022/11/21(月) 15:49:30 |
エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
| コメント:0
エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その2
トアーノToanoのサンタ・マリア・イン・カステッロ教会Pieve di Santa Maria in Castello、続き、というより、本編となります。
名前に「In Castallo、城内にある」と付いているのですが、理由は、実際にお城の中に建設された教会だからです。
上の写真で、左端、緑の中にポツンとあるのが教会で、右にあるトアーノの町からは離れているのが分かると思います。当時、起原1000年よりもちょっと前の時期、カノッサ伯であったボニファチオの時代に、ここにお城があり、同時に教会があったということです。
教会に関しては、最も古い文書記録は、起原980年10月14日となるそうです。その内容は、時の神聖ローマ皇帝オットー2世が、この教会を承認したとかいうことだったようですが、当時は、この近隣に散らばる多数の礼拝堂や小規模な教会を管轄する位置に置かれたようです。
このボニファチオの娘が、有名なマチルダとなりますが、信仰心の篤いマチルダによって、この地域には多くの教会が建てられたようで、今でも存続している場所も多数ありますが、往時の面影を残す教会はわずかです。
その一つが、このトアーノの教会となります。
とはいっても、長い歴史の中、お城と隣接していたことも関係すると思いますが、戦いに巻き込まれること多数。直近では大事に世界大戦中に、パルチザンを追い詰めようとするドイツ軍により、木造の一部が破壊されたり、一部火災被害にもあったということで、そういったことがある度に修理修復が行われてきた結果、変容してしまっているようです。しかし、それでも、オリジナルの場所にたたずむとは、まさに石の文化の真髄ですし、また、それを守ろうとする信仰心だったり、これまた石の文化における人々のしつこさっていうと言葉は悪いですが、やはり、木と紙の文化の人々との違いはあるに決まっていると感じます。
現地でいただいた解説を読みながら書いているのですが、「長年、様々な戦争に巻き込まれ、直近では第二次世界大戦の…」と、中世からいきなり近代に飛ぶっていうの?時系列が当たり前のようで当たり前じゃないっていうの?興味深い感覚です。
あ、京都の人が、「先の戦いで…」というのが応仁の乱のことだったりするやつと通じるのかな。いや、あれは、京都人のおごり発言だよね、笑。
今の姿は、大変シンプルなものです。
上のファサード、これ以上シンプルなスタイルはない、という様子ですよね。
土地で産する砂岩の切り石が、ぴっちりと積み上げられている建物は、積み上げに使われているモルタルの様子から、コモやカンピオーネ出身の石工と言われている人たちがかかわったものではないかと言われているようです。
つけ柱推しは、何度か書いてきておりますが、この、ぴっちりの切り石積み、というものも、何か惹かれるものがあるんですよねぇ。ぴっちりきっちりって、自分にはできない仕事だからなのかなぁ。
上のファサード側は、結構傷みが激しいですが、横の壁だと、ぴっちりぶりが分かりやすいかも。
ちょっと話を戻しますと、こういう技術を持った石工さんがかかわっていた様子なので、ロンバルディアテイストが、このアペニン地域と融合しているんじゃないか、という見方があるようです。
ファサード、シンプルですが、よく見ると、つけ柱の痕跡があったりします。分かるでしょうが、扉の両脇、端っことの全体の幅で見ると、3分の1分割した扉寄りのあたりです。
現場で、離れて全体を見て気付きましたが、写真だとかえって分かりにくいですね。上の写真、そのつけ柱の痕跡を左右ギリのところで切ってみました。
このつけ柱、そして、下部の、これは建築用語でなんというのかよくわかりませんけど、これは石ですけど副木的なアイテム。お家でも、床面に着いた壁の最下部に木を張り巡らせるじゃないですか。あれを、イタリア語だとZoccoloというんですけど、あれの石版構造なんですけどね。それとリュネッタ部分。その三つは、11世紀初頭から12世紀の頃の装飾だそうです。ということは、マチルダのかかわった改築なのかもしれません。というのも、マチルダの時代に、かなり大きな工事が行われたらしいのですよ。
南側の扉は、どうやらかなり新しいもののようですね。
上の写真の奥がファサードとなりますが、塔のようなものがあります。
これ、解説読んで、ぷっと笑ってしまいました。
教会には鐘楼がありません。で、トアーノの人たち、鐘楼あるといいよなぁ、ってんでお伺いを立てて、1819年のことですが、無事建設許可が下りたそうです。
ここはお城があった場所で、その崩壊したお城の壁材などを使用して、中世当時の再現的なイメージで工事を始めたそうなんですが、土台を作った時点で、激しい計算間違いに気付くことに。要は、建材がすでに終了しちゃったと…。
仕方なく、上部は木製で作ってお茶を濁し、今ある石造建築は、戦後に行われたそうです。トアーノの人たち、計算苦手…。
ということで、土台部分は、10世紀建造のお城の素材が使われているということ。
おそらく、大きくて正確な切り石がお城出自で、上の、ちょっとセメントでごまかしてる風のが、戦後近代の建材ではないでしょうか。
その塔の前には、考古学的発掘で見つかった、墓地の跡が見られます。9世紀に遡る埋葬物も見つかったそうです。
ということは、お城以前に、礼拝堂とか墓地だった可能性もあるのかもね。村からちょっと離れて、高台で、ネクロポリ的な位置ではあるので、もしかすると古代からそういう土地だったかもね。まぁ、トアーノの定住起源は調べてないので、どこまで古い土地なのか不明ですけれど。
後陣側は、かなり修復の跡も激しい様子で、スタイルは往時のままでしょうけれど、あまり魅力はないですね、残念ながら。
とは言いながら、こういったものを眺めながら、持参のおにぎりを頬張るというのも、なかなかオツなもんです。
次回、内部です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。最近のミラノでの展覧会や秋の味覚をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/20(日) 12:37:36 |
エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
| コメント:0
エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その1
やっとアルザスが終了したばかりですが、まとめないと、の過去の旅の記録、まだまだたっくさんあります。アルザス以降の2019年に限っても、フランス大修行旅、テッサロニキのビザンチン等々…。
でもでも、たまには、記憶がフレッシュな状態で書いてみたい!
本来はそうあるべきだけど、なんだか最近は、記憶がなくなっている状態での記録が多くて、おばちゃん、疲れちゃったよ…。それに、たまにはおなじみのイタリアもやっていきたいよ。
というわけで、今回は特別に、すべてをすっ飛ばして、つい二週間前に行ったばかりのほやほやを記録していきたいと思います。実は、同じエミリアロマーニャにしても、一年前の旅もまとめ待ちなんだけど…、ま、よかよか、笑。
というわけで(しつこい)、週末旅です。
一番の目的は、ボローニャの友人と会うこと。でも、せっかくボローニャまで遠征するんだから、往復で、未訪の教会を訪ねつつ、久しぶりにボローニャ市内の教会も、という毎度、わがまま企画で、お友達に感謝です。
前置き、終了。
トアーノToanoのサンタ・マリア・イン・カステッロ教会Pieve di Santa Maria in Castello、往路で寄り道して訪ねました。
(通常、日曜日の10時-17時にオープン。それ以外は、トアーノの有志グループに連絡し、都合が合えば開けてくれるようです。連絡先は、ネット検索で出てくる携帯電話となります。)
モデナから、南下してアペニン山脈に入り込んだような村なので、なかなか行きにくいんですよね。それで、これまで行けていなかったのです。トアーノの村で、すでに標高854メートルあり、村の1キロほど郊外にある教会は、なんと944メートルということで、霧が出たりするとアウトの土地なんですが、さすがの晴れ女発揮で、快晴に恵まれました。
とはいえ、実はミラノからの高速では、ピアチェンツァを過ぎたあたりだったでしょうか、濃霧に襲われたんですよ。濃霧で、ミラノを出るのに難儀するということは過去に経験がありますが、そのような場所での濃霧は、初めての経験でした。高速は、交通量が多いこともあるのでしょうが、かなりの濃霧でも、まぁまぁ視界は保たれますし、この時も、フォグランプをつけるべきかどうか、一応悩む余地のある程度の視界だったのですが、それでも、濃霧の前が、工事渋滞続きだったせいか、イタリア人も珍しく慎重な運転をしていて、結構詰まりました。
それに、かなり長い距離、霧が続いたので、目的のモデナまでに晴れてくれるだろうか、こんなじゃ、山の方は大丈夫なのか、と相当気をもみましたけれど、幸い、パルマあたりで晴れてきて、モデナで高速を降りるときは青空となりました。
そして、トアーノにたどり着くまでは、結構長いドライブとなるのですが、思いもかけず、紅葉を楽しむことが出来たのは、大変うれしいプレゼントでした。考えたらそういう時期だけど、気付いていなかったんで、色付いた木々の風景が見えてきて、とても癒されました。一人ドライブなので、撮影ができなかったのは残念です。
話を戻すと、上に記述したように、この教会、通常は日曜日に開いているようなのですが、今回日曜は他の予定があったため、どうしても行きの土曜日に訪問したくて、一応聞いてみたんです。そしたらいいよ、ということで、12時に約束をしていました。
ナビでは3時間強となっている道のり、自分の運転なら、うまくいって3時間半だな、と思いましたが、何があるか分からないので8時ごろ家を出たんです。当日に一応確認連絡をします、と言っていたので、出発時に、今から出る旨メッセージを入れたところ、鍵の人は、もし早く着くなら、連絡してくれれば行くから、いずれにしても15時くらいまでは開けておくから、と大変親切。
途中、これはとても12時には着きそうもない、という様子もあったのですが、結果的には12時5分ごろに、無事到着となりました。
やはり車は読めませんよねぇ。
ちなみに、追加情報として記しておきますけれども、ネット検索で出てくる携帯の人は、地域をプロモートする様々なイベントや企画をしているグループの人。今回、わざわざ一人のために鍵を手配するのは申し訳ないと思ったのですが、まったく問題ない、むしろ大歓迎だと言ってくださって、嬉しく訪問できました。
で、書いとこうかと思ったのが、連絡手段です。
イタリアを始め欧州では、通信系のアプリとしてはWhat'sUpが普及しており、電話通信にもこのアプリを利用する人が多数。なので、欧州に来られるなら、インストールお勧めします。
イタリア人って、知らない番号からの電話でも、意外ととるし、出なかった場合折り返してくれることも多いのですが、このアプリがあればこそ、電話してくれる、ということになると思いますので。
以前は、とりあえず行く、というスタンスでしたが、コロナを経て、予約必至の場所も増え、また田舎の場合は鍵の確保をしておけば確実のため、かなり予約することが増えたのですが、このアプリがあると、メールよりも気軽でメッセージもできますし、有益です。
あ、でも、フランスは、いまだにメールのやり取りが多いかもね。イタリアは、もともと電話の国だからこその普及なのかもね。
ああもう、長くなっちゃったな。
これ、プロローグということで、教会は次回にしますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/13(日) 17:47:21 |
エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、番外編2
旅の最後の方で、半端な時間があったので、いわゆる「美しい村」に立ち寄ってみました。アルザスは、すでに宿泊したカイゼルベルグなどについても、過去記事で、思わず教会無関係な観光写真をアップしましたけれど、そういうレベルの美しい町村が本当に沢山あるんですね。
まずはリボーヴィルRibeauville。アルザスをめぐるツアーだと、必ず立ち寄るようです。
街並みとしては、ドイツ・イメージだよね。木組みで土壁みたいな。こういう町村では、保存しましょうキャンペーンやってるんだろうけど、どこでもここでもだからすごい。京都があちこちにあるレベル。
結構高さがあるから、階段も大変だろうな。こういう家にエレベーターはつけられないだろうから、年取ったら住めないか、または一生閉じ込められることになるよね。
なんかさ、一段ごと、ギシギシするような狭い木の階段、イメージできるなぁ。
右手前にうつっているお店の看板。こういうのも、ドイツ語圏特有だと思うけど、どうだろう。鉄製のこういう感じだよね。鋳鉄とかの技術と原材料があるから、ということなのかな。かわいいんだよね、どこでも。
人生で初めて欧州に来たときは、こういうものに目を奪われて、当時はフイルムカメラで、現像代も高かったけど、何枚も何枚も撮影してたよなぁ、と懐かしく思い出すアイテムです。
観光客にも目が向いているこういうお店って、こういうディスプレイだよねってやつ。ミラノでも、なんでこんなところに八百屋さんが?と思うような通りに八百屋と乾物屋さんが一緒になったような小売店があったりするんだけど、ディスプレイがすっごくきれいで、野菜や果物の一つ一つがすごくきれいで、で、お値段馬鹿だか。でも、毎朝8時前からお店開けて、きれいに陳列しているから、ちゃんとお客さんもいるんだろうよね。栗なんてさ、私が近所のスーパーで買うやつの3倍くらいのサイズのを売ってたな。きっとお値段も3倍くらいするんだろうなぁ。
笑っちゃうのがね、これ。
町の入り口には、さすが人気の美しい村だけに、とても整備された美しい駐車場があるんだけど、その近くのロータリーが、やっぱりイースター仕様になってて。アルザスのイースターのお菓子、羊型のケーキみたいなやつ、朝食に出たって記事にしたけど、どうやらあの羊たちが並んでたよ。おそらくどこぞのお菓子屋さんがスポンサーなんだろうなぁ。
それにしてもさ、要にリアルで、お菓子としてもどうかと思ったんだけど、この絵看板は、さらにリアルさマシマシの上、粉砂糖かぶってるし、もうアルザスの人のセンスって…。
次に、わりと近所にある別の村、リクヴィルRiquewihlへ。
それぞれかわいいけど、こんなんばっかりだと、ちょっとさ、張りぼての遊園地みたいに見えてきちゃうってのもあるよね。あ、どうしてすぐこうやって、余計なことを、笑。
ここは、ブドウ畑ですかね、時期的にこんな様子だったけど、葉が茂っている季節は、美しい風景が広がりそうです。なだらかな丘の土地も多いので、それで美しさが増すというのはありますね。そういう意味では、確かにブドウには適しているのだろうけれどもねぇ。赤はダメなのかな。白であれだけずっしりどっしりができるなら、いっそ赤だったら、とも思うけれど…。
やけにかわいいと思った看板。
土地柄、こうのとりなのかな。それにしてはポさが薄いけど、でも、ちょっとレトロ感があって、愛嬌のある子。
愛嬌と言えば、こっちも。
クグロフ型とかを陶器で作ったもので、これは飾り用なんでしょう。モチーフはやっぱりコウノトリメインみたい。
それにしても、地元の土で云々とかかいてあると思うんだけど、飾りのクグロフ型が40ユーロ超とか、誰向き?というお値段なんですけど。いや、たとえ実用品としても、高すぎない?
あ、どうしてもこうなっちゃうね。
アルザスとの相性は、どうやらあまりよろしくないようです、笑。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/12(土) 15:27:25 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その32
バーゼルから始めた旅、北上しつつ、あちこちを見て、最後は一気に南下してきました。と言っても、アルザス地方は、さほどの大きさではないので、距離は大したことなくて、これは意外でした。
そして、最後の見学地は、バーゼル近くのこちらとなります。到着時は、時間の関係で、あえて立ち寄らずに、最後に残しておいた場所です。
オットマールスハイムOttmarsheimのサン・ピエール・エ・ポール教会Eglise Saint-Pierre-et-Saint-Paulです。
クルマでアクセスすると、最初に見える教会の様子は、こういう感じで、何とも不思議な様子に見えます。この、手前に見える長方形の箱みたいな塔は、後付だと思うんですけども、正直、実際に見る姿よりも、こうやって写真で見ると、無粋さが際立ちます、笑。
では、反対側からだとどうか、というと。
これまた、後から色々付け足しがされちゃっている様子で、あきれるほどのごっちゃごちゃです。本来の姿、ほぼ分からないじゃないですかね。
これが、一番分かりやすいのかな。
ここ、アルザスでは非常に珍しい、円形スタイルということなんです。解説によれば、カロリング朝スタイルが、ロマネスクまたはオットー朝的に解釈された独特のもの、となっていますから、要は古いスタイルで、珍しい、ということらしく、それぞれの様式と言われてもどうなのか、私など浅学で分かりません。
ただ、円形スタイルというと、イタリアなどでは、間違いなくエルサレムを発祥としているのですけれど、ここではカロリングということで、ほぉ、となりました。エルサレム基本の円形スタイルだと、外観も、完全に円形になっていますから、その辺、違うんかな、というところですね。
カロリングは、勉強不足で、なかなかねぇ。中世の大きな基盤となっている文化なので、本当はもっと勉強しないといけないんだけども。
中に入ると、円形なのが分かりますけれど、サイズが大きいと、写真ではなかなか。
それにしても、明るいですよね。外光がよく取り入れられているし、中の、石灰岩らしいですけど、白い石も、明るさに一役買っているようです。
八角形のクーポラの、外から見るとお飾りみたいにミクロな窓が、意外とちゃんと窓として機能しているのですね。
もともとは修道院教会であり、1050年、アルザス出身の法王レオーネ9世によって奉納されたもの。この法王、他の地でも活躍していました。地方でブイブイ言わせた後に、国政に打って出て、地元にインフラ事業を引っ張って、地元潤す政治屋さんみたいなやつですかね、笑。
まぁさ、教皇庁の長い歴史の中でも、やはり現代になってすらイタリア人以外の法王は少ないわけで、そういう中でおらが村からが、おらが国からとなったら、本人にしても、出身地の人にしても、期待感、半端ないとこあるだろうし、あったんだろうとは想像します。
日本は、近代ではキリスト教の普及が全然進まなかった国だから、バチカンにもあまり興味のない国で、だから法王のことって、私は全然知らなかったしあまりニュースにもならなかったと思うんですけどね、それでも、ジョバンニ・パオロ2世の長いお勤めと政治が、結構いろんな印象を変えたかもね、と思ったりします。
私がイタリアに住み始めてからずっと、法王は彼だったから、なんかなじんだし、政治力がすごかったし、何かにつけて、法王の存在感というのが出てくる国にいるから、驚くことも多かったっていうか。誰もが信心深いわけではなく、むしろ定期的にミサに通う信者の方が少数派ではあるのが現実だけど、それでも、生活の根底にキリスト教があるから、そこはもう日本とは大いに違うところではあります。
バチカンは、大金持ちだし、ペドフィリアだったり闇経済だったり、色々なブラックな部分もあるし。そういう世界のトップなんだから、法王ってやはりすごい人なんですよね。そもそも、大抵のケースで、かなり高齢者、後期高齢者は当たり前っていう人だったりするのに、元気だし、それだけでも、神がかりな気もしますわ。
それにしても、人生で二回も、法王選出をテレビ中継で見るとは、夢にも思わないことでした。もしかすると三回目もあるかもだしなぁ。いかにジョバンニ・パオロが長かったか、ということなんだよねぇ。
おっと、長い脱線すみません。
全体に、やけに白くて、ピカピカしていて、中世的な魅力は、建築的には限定的です。一応、見所として、15世紀のフレスコ画があげられていますが、15世紀ですからねぇ…。
15世紀と言えど、それほど保存状態が良いわけではなく、多くは色あせています。
残されているのも、一部だけなので、おお1というインパクトにも欠けます。いや、別にそういうインパクト求めてないですけれど、なんか、これだけでかくて、変にピカピカしているとね、どこを見てどう感じればいいのか、戸惑うということで、せめて、フレスコ画でも結構残っていれば、15世紀の絵はうざいな、みたいなネガティブ・インパクトもあるんでしょうけれど、それすらないと、引っ掛かりどころがなくて。
とはいえ、アルザス最後の訪問教会なので、記憶には結構残っております。ただ、残念だったのが、これ。
アルザスのロマネスク・ルート、あまり詳しくはないけれど、簡潔に分かりやすいサイトがあり、この旅の時もまずはそこにお世話になったのですが、もしかしてそういうことをやっている本拠地が、ここだったのかもね。
この日は、残念ながらクローズでした。これは、今回の旅で一番残念だったかもねぇ。
ちなみに、教会裏には、とても広くて整備された無料駐車場と併設トイレがあって、大変ありがたい教会となっております。
最後にしては、若干しょぼい内容になってしまいましたが、これで、今回のアルザス・ロマネスク終了となります。最初で最後の、とタイトルにつけたように、今後のイタリア滞在の残り時間を考えても、まず間違いなく最後の、ということになりそうです。
全体として、好物感は少なかったのですが、でも、ロマネスク的にも、また一般的な土地としても興味があったので、行けたことはよかったと思っています。あ、ごはん的にも、もういいや、というのはありますね。
若干文句が多かったと思いますし、アルザスの良さをお伝えするためにも、もう一つ、番外編つけますけど、好意的な記事になりますかどうか、笑。
お付き合い、ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/11(金) 17:47:21 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その31
アグノーHaguenau(ハゲナウとしか読めなくて、ある種の人には発音しにくい名前だなぁ、という印象しかなかったです…)のサン・ジョルジョ教会Eglise Saint-Georgeです。
石はあるアルザスっぽい赤色だけど、何だろ、雰囲気が不思議なファサードです。
解説には、「イタリア風の、典型ロマネスクのファサード」とありましたが…。
どう見ても、上の方は、後付で変わっちゃった、ということなんでしょうけれど、イタリア風と言われても、下の方だけとしても、にわかに納得しにくいなぁ。どうでしょうか。
石の感じは、ここなど、適度に汚れ感もあったりして、バリエーションというかグラデーションは良くて、サルデーニャにこういう感じのあったなとか髣髴はしますけれども。
ま、それはともかく、これ見てしみじみ思ったのは、外光取り入れ、というのかな、窓、渇望してたんだろうな、みたいなこと。これだけ窓開けられたら、内部の明るさ、全然違いますよね。技術ができてきて、嬉しくてうれしくて、開けないでもいいところまで、もっともっと、とどこまでもやっちゃった、みたいなファサード、笑。
あまり期待なく入場しました。
が、おおお…、でしたね。
太くて背の低い円柱が、雰囲気をよく残しているんです。間違いなく、上は付け足しってわかる感じですが、そして、下の部分もシンプルだけど、この背が低くて太い円柱って、独特の味わいがあって、多分好物なんです。
装飾もほぼないキューブ型の柱頭ですが、執拗なリピートのリズム感があったりして、癖になる感じ、とでも言ったような。
外からも結構採光があるにも関わらず、室内の照明もかなりしっかりあって、ここはすごいですね。覚えてないけど、人もいるし、何かやっていたのかもね。普段からこれだけの明かりはつけてないだろうから。
全体が、上と下で完全に別物な作りになっているアンバランス、面白いです。上の方は、15世紀頃ということですから、200年くらいの違いがあるわけですから、それも当然。一つの建物を、そうやって長年月使い続けるって、そういうことなのよね。簡単に壊せないからこその石の文化。
柱頭は、これ以上ないっていうくらいのシンプルさ。
ただ、何か跡がありますね。一部金色の彩色が見られるし、もしかするとバロックとかで、余計な漆喰装飾などが付けられていたのを、後からはぎとったとかそういうことかもね。
いずれにしても、オリジナルの創建時、12世紀終わりから13世紀らしいですけど、その頃は、こういうすっきりシンプルなものだったのだと思います。
では、他には何もないのか?
と、いつもの宝探しです。
そしたら、お足元が、上品に飾られていたので、一つ一つ確認していきます。
どれも、まぁまぁ普通なモチーフだったんだけど、こ、こりは…。
私には、ちょっと悪魔くんとか怪物系が、水面から顔半分出しているやつに見えるんですけど、うがちすぎ?
ハリーポッターの靴下の子、何だっけか、あれの感じ。小鬼的なやつ?
暗闇でひっそりとヤンキー座りしている人なんかも発見した。
背負ってるのが金色だね。彩色は、やはり暗闇では分かりやすいな。
ここで目立った装飾は、なんといってもステンドグラス。
モチーフはモダンじゃないけど、表現はモダンなステンドグラスは、現代のものと思います。イラスト的で素敵だし、色のさし方がモダンですよね。
なかなか良いですよね。きっとそれなりの位置にいる作家さん作じゃないかと。
ロマネスクのものは限定的だけど、でも円柱のインパクトで結構満たされ、このステンドグラスも楽しく、それなりに好きではありました。
それにしてもさ、アルザスのセンスって、なんていうか、度し難いものがある。
どの町村でも、結構イースターのお飾りがあったんだけど、それがもう、ダサい…。あのウサギを、ここまでかわいくないものに作れるって、ある種才能…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/07(月) 17:04:47 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、番外
そろそろ佳境なので、終了前に、周辺情報として、ホテルや食事のことを記しておきたいと思います。
まず、食事についてですけれど、これは、ちょっと記事でも触れましたかね。
アルザスって、やっぱりフランスとドイツがミックスしていて、食文化は、かなりドイツ寄りだと思いました。有名だし、結構楽しみにしていたアルザスワインも、思いっきりドイツ寄りのテイストで、私はおいしさが見いだせなかった、というところです。
結果的に、旅を通して、一番満足したのは、旅の初っ端のランチでした。
Feldbachのシェヴァル・ブランRestaurant Cheval Branc
ミシュランにも載ってる、まぁまぁのレベルのお店のようでしたし、いかにも、という田舎の良いレストランというたたずまいで、地元の人たちでかなり混雑していました。観光地じゃないですし、イースターですしね。
イタリアだと、どんな安食堂でも、レストランとなれば、布のテーブルクロスは当たり前ですが、フランスでは意外とそうでもなくて、そこそこのレストランじゃないとお目にかかれない布のテーブルクロス、笑、そして生花。
ちょうどシーズンだったし、メニューに見つけて迷いなく選んだのが白アスパラ。若干ゆですぎ感はあったものの、これは大体どこでもそうなんで許容範囲。美味しかったし、お値段もそんなに高くなかったように思います。
白アスパラ、いつもはベネトとかトレンティーノ方面のグラッパ合宿で、大抵いただいていたものですが、コロナのおかげでそれが出来なくなって…。白アスパラって、なんとなく産地で食べたい食材なんですよね。
そしてもう一つフランスで嬉しいのが、これですね。
カフェ・グルモン。
仕事でパリに行ったときの会食で教えてもらって、感動したデザートです。要は盛り合わせなんですけど、ミニサイズで、どれもこれも食べられる楽しさ、そして見た目の美しさ。この時は同行者が甘いもの好きで、でもこういうデザートを知らない人だったので、感動を与えてあげました、笑。
しかし、この後、どんどん下降線に…。
初日の夜、いざ、地元名物を食べよう!と、いかにも地元っぽいレストランに入って、事前に調べといたメニューを発見してオーダーして、来たもの見て、目が点に…。
これ、シュークルートChoucrouteというお皿らしいですけど、なんなんですかね。量も半端ないし、なんかこれ食べれるの?みたいな変な生肉感あるし、何より、すべてにおいてまったくそそられない一品…。
ザワークラウト大好きなんですが、これは、どこで食べたものとも違う、まさにザワークラウトは発酵食品だった、と再確認させられるというか…。ドイツでも何度かいただいたと思うけど、それなりにおいしく食べた記憶しかないんだけども…。
せめて二人で一皿にしておけば、と後悔先に立たずで、二人とも半分も食せずでした。
それに加えて、日中我慢した分、飲むぞ~と気合が入っていたわたくし。まずは、お値段に目が点に。同行者は飲まないので、気軽にカラフで半リットル、と思ったんですが、確か16ユーロ。カラフ売りは、イタリアだとハウスワインなので、半リットル10ユーロを超えることはないですし、白ワインで、普通にボトルで16ユーロって、そこそこのもんですから、びっくりです。
それでも、昼間飲んでないし、と楽しみに注文したところ、なんか甘い…。
重いけど、甘みが強くて、確かにこういう料理に合うのかもしれないけれど、料理もダメだし、ワインも好みじゃないし、なんだか、損した気分でした。でも、のん兵衛としては、飲みましたけどね。
これに懲りたわけじゃないですけど、二日目のランチは、フレンチで。
セレスタSelestatのCrep'Ozというお店、目的の教会の後側にあり、とても落ち着いた場所で、静かでよかったです。
久しぶりのガレットは嬉しかったですが、今度は量がしょぼいし、なんていうんだろうなぁ、本拠地じゃない感満載。つまり、外国の料理っていうのかな、イタリア外でいただくピッツァ的な感じ?
イタリア外では、日本と南チロル方面でしかいただいたことないですけどね。日本は、イタ飯のレベル高いし、南チロルは、一応イタリアなんで、まぁまぁです。でも、フランスなどのピッツァは、見るだけでうんざりするような代物だったりが多いように思うんですよね。で、このガレットも、ちょっとその系統に近いところがあるような。
まずくはなかったですよ、でも、ボリュームなさすぎ…、文句多し。
二日目の夜は、ストラスブール郊外のホテルに泊まったので、確かトラムで都心に出て、レストランを物色して、ステーキハウスに決めました。
SteakHouse District, Strasbourg
ここは、普通に美味しかった。かなりのボリューム感もあり、これで20ユーロくらいだったから、肉は安いみたいですね。
そして、しつこくアルザス・ワインにトライして、先日はピノ・グリ、ここではゲブルツトラミネールという北方種、イタリアだと南チロルで産する白をいただいたのですが、やっぱり好みじゃなかったです。ここでは前日の轍を踏まず、カラフ4分の1にしときました、笑。
三日目のお昼。
Aux deux Clefs, Marmoutier
町にあるホテルのレストランだったようですが、ここは大変感じがよかったです。
時間があまりなかったので、早く食べられる料理を聞いたところ、前菜をグレードアップして、一皿盛りでもボリューム出るような感じにしてくれたんです。
上の写真見ても、これは何の料理なのか、よく分からないけど、笑。
でね、また性懲りなく、なるべくドライの頂戴って、グラスワインをお願いして、リースリングをもってきてくれたんですが、もうね、同じ。結局どの種でも、ベースっていうか、作る方向性が同じだと、飲み口同じになるんだ、という発見でしたけど、もういいわ、とアルザスワイン、打ち止め。
なんか、昔ながらの旅籠って様子がいいね。
そして、夜は再びストラスブールで、別の店で、懲りずに地元料理にトライした。
Il Journale, Strasbourg
有名なカテドラルすぐ近くだし、かなり観光客向けな様子もありましたが、店の雰囲気は悪くなかったな。
ポトフ、というのを頼んだけどね、それが、深皿の入ってる何かの肉の塊で、再び驚愕だよ。ポトフって、野菜のスープじゃないんか?このぱさぱさで、出汁を取るためみたいな肉の塊は、何?食べろと?といった代物でしたよ。そんでもって、肉と一緒に汁に使っている野菜は、なんと生…。どゆこと?もうね、アルザスの食文化の真髄が、まったくわかりません。
ワインは、ブルゴーニュかどこかの赤、潔くね。間違いなくこれはおいしかったよ。
最後の日のランチは、同行者が調子悪かったのと、時間がなかったので、カフェみたいな安直な店で軽食としました。
こんなんでいいんだよね、実際。修行旅だと、食べないことも多いわけで。
ホテルは、以下でした。
Hotel Kle - Kaysersberg, 10 Rue du Pere Kohlmann(1泊)
Hotel Athena Spa - Strasbourg, 1 Rue Armande Bejart(2泊)
カイセルベルグは街中で観光には便利なものの、駐車場は旧市街の外側にあるので、ちょっと面倒なことでした。でも小さい町だしね。
改装ほやほや、ということで、清潔感はありましたし、オーナーさんは英語が堪能だったので、楽ではありました。
ホテルの朝ご飯に、イースターのお菓子が並んでいましたけど、こういうのでも分かるよね、センスが。羊の形をした、内容は、名物のクグロフと同じと思うんですけど、特に美味しいとは思いませんでした。なんか、身体を切って食べるというのも、どうなの?って思っちゃうしねぇ。
クグロフも並んでいたと思うけど、見た目はイタリアのパネットーネにも似ていますが、まったく違うもので、私は好みではなかったです。
食は置いといて、ストラスブールのホテルでは、ちょっとした事件を起こしてしまいました。
ホテルの地下に駐車場があって、我々の場所は、一番入り口に近い端っこだったんです。両日とも、朝は私が運転したんですけど(ランチでアルコールを入れたら交代、笑)、二日目に、後進でクルマを出そうとしたところ、入り口のセンサーに引っかかってしまったらしく、いきなり、入り口が開きだしてしまったんです。
クルマの置いてあった場所からだとこういう感じ。要は、下がり過ぎて(日本の方に、駐車時におしりから入れる習慣ないので、頭から壁に突っ込んで駐車しています)、扉のセンサーが働く部分まで行ってしまって、それで、この扉の端っこが、クルマの窓のところにがきっとはまっちゃって、身動き取れなくなったんです。
どうなったのか、よく分からないけどさ。
同時刻に、何台か、出発しようとしている車もいたんだけど、みんな固まっちゃって、誰一人何一つしてくれない。私は車を動かそうにも怖くて動かせないし、固まっちゃって呆然。やっと気を取り直して、同行者にレセプションに行ってもらったりしているうちに、お客さんの一人が、とにかくそろそろと動かして、クルマをどけないと仕方ない、というので、瑕がひどくなりそうでいやだなぁ、と思いながら動かし、無事、クルマは外れました。
写真で見ても大したことなさそうだけど、結構な瑕でした。
これはともかく、その後扉が動かなくなって、それでしばらく大騒ぎでした。イースターだから業者も呼べない云々、とホテルもかなりタカビだし、他の宿泊客の目も辛かった~、涙。
正直、ちょっとびっくりした。これ、イタリアなんかだと、ホテル訴えるぞ、と思ったから。だって、ホテルの表示が不足しているとかそういうことが原因たり得るから、訴えたら、こっちが勝つもん、確実に。それなのに、すごいタカビなのは、社会が違うんだなぁ、ということ、同時に、こっちがアジア人だから、というのもあったかもね。
まぁ、結果的には、無事解決して、さほどの時間をロスすることなく、出発することが出来ました。保険のこともずっと気になっていたんだけど、フルカバーつけてたのかな、請求来なかったしね。しばらくの間、ドキドキしてたけどね。
そういえば、この車は、最初の頃にも、タイヤの空気圧アラームが出てきて、同行者とおろおろもしたんだよね。ガソリンスタンドで、手伝ってくれそうな人を見つけて、警官だったんだけどね、空気、入れてもらったりしたわ。
なんか色々面倒なレンタカーだった。
旅って、ほんと色々あるよね。だから面白いってのもあるけど、その時々はマジ辛かったり。それでもまた出かけるんだから、面白いが勝つってことなんだろうな。
でも、これだけは言える。食を求めてアルザスには行けないし行かない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/06(日) 13:05:49 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その30
とりとめのない、笑、ノーヴィレ・レ・サヴァーヌNeuwiller-lès-Saverne訪問、続きです。
二つ目の教会です。
サンタデルフォ元参事会教会Eglise Saint'Adepheです。
フランス語のリエゾンが、いまだによくわかりませんが、この場合、サント・アデルフォになるのかもしれません。
前回までの記事で、このアデルフォさんのことは触れました。この方のレリックを受け入れ、増大した巡礼者をうまくさばくために12世紀、正確には1190/1225年に建てられた教会となります。
時代的には、ロマネスクからゴシックへの移行期となり、ここでも、もはやゴシック・テイスト満載という感じでしょうか。
ファサードには、かなりこじんまりとしていますが、二本の円柱が組み込まれたスタイルです。他年の、大規模な教会同様、こちらも赤い砂岩が使われていますが、二本の巨大角柱ドカン!のスタイルに比べると、全体に小ぶりで、共通性があるようでないですね。
この二本の塔、あえてアシンメトリーになっていると、解説にあったのだけど、そうですか?私にはシンメトリーにしか見えないけど、僅かにサイズ感とか高さが違ったりするのかしら。または、開口部のあるなしだったり?
ちなみに、とんがり帽子は、19世紀の超後付だそうです。
内部は、もうロマネスク的な様子は希薄で、構造だけ、というところでしょうか。
一応、いつもの宝探しはルーティンですので行うと、ちょっとだけね。
彩色がなかったら、目につかなかったかもね。
これは、ぼけちゃって…。
それにしても、こういう色をさすって、どうなんだろう?
柱に、こういうすじぼり的なシンプルなやつ。これは、なんだろう?下の帯は、それなりに装飾的で意味があると思うけど、上のは、とりあえず彫ってみたけど、完成してない感全開ですよね。練習?
後代にかなり手が入って、もともとの内陣はなくなっちゃってるそうです。
この、身廊を区切るアーチ構造は、往時のままなんだろうけども、かなり修復されちゃってるから、イメージがわかない。
後陣側、外からだとぺったんこでした。もともとは三つの身廊と呼応する三つ後陣スタイルだったらしいけど、13世紀終わりまたは14世紀初頭に、取っ払われちゃったようです。残念ね。
そこらのお足元に、ちょっとチャーミングな人がいた。
衣が違う気もするけど、巡礼なのかな。脚がかわいいよね。
以上、ちょっと長くなりましたが、この町おしまい。書きながらも、ストレスな見学で、読んでもストレスだったと思いますが、お付き合いありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/03(木) 16:40:21 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その29
ノーヴィレ・レ・サヴァーヌNeuwiller-lès-Saverne、続きです。
サン・ピエール・エ・サン・ポール修道院教会Eglise Abbatiale Saint-Pierre-et-Saint-Paulです。
愛想のない図ですけれど、全体像が分かりやすいかと。主な部分は、以下となります。
1.修道院教会
2.サン・ニコラス礼拝堂(10/11世紀にあった礼拝堂で、私領に基づいて、基部を再建したもの)
3.かつての墓地
6.12世紀の参事会会員室と、修道院の居住地域
前回の記事に載せた、町の地図も参照いただけると、位置関係が分かりやすいかと思います。
この教会は、修道院の創設9世紀に建てられたものがベースとなっていますけれど、延々と19世紀まで、何かしら手が入っているので、様式もバラバラで、ちょっととりとめのない様子になってしまっています。
解説を見ながら、ロマネスクの部分をフューチャーしていこうと思いますが、結構難しい…。というのも、一応事前に、奥の方の礼拝堂を見ることというメモはしていたんですが、全体になるをどう見るべきか、ということが、よく分かっていなくて、見学もめちゃくちゃなので、写真もとりとめがなくて、今改めて解説を読んでも、何を見たのか見てないのか、正直よく分からないというところです。
唯一確かなことは、クリプタは鍵がなくて、はいれなかったことです。観光局が鍵の管理をしていて、訪ねたのは時間的には合うはずの午後だったのですが、なぜ鍵が見つけられなかったのかは不明です。いずれにしても、すごく頑張らなかったんだと思います。
えてして、同行者がいると、頑張り切れないこともままあるんですよね。私の場合、同行者が同好の士であることはめったにないため、修行突き進みがやりにくいケースも多いのです。ここがそうだったかは記憶にないし、メモにもかいてないけれど、時間的な制約も考えて、観光局を探してまではきついかも、という結論だったかもしれません。
おそらくですが、その部分が、ロマネスクの遺構となるみたいなんですよ。
解説では、クリプタと、その上の礼拝堂が11世紀のものとありますので、この扉を入った先が、必見ということだったのだと思います。
現在の中央身廊は、こんな感じで、ロマネスク的には見るものないですよね。一番奥まったあたりだけに、ロマネスクのものが残されているようですが、いずれにしても、ゴシックへの移行時期の12世紀後半から13世紀初頭にに作られているため、本来好みとは言えないタイプの様子です。
こんな柱頭などが、おそらくその時代のものとなるのでしょう。
半端な彩色があって、ちょっと不思議なんですが、この下のもそうでしょうね。再建かもしれないけど。
それにしても、彩色の仕方が半端過ぎて、なんなんだろう?って感じです。
不思議つながりで行くと、この洗礼盤も…。
下からにゅっとフィギュアが出てくるっていうの、すっごい変わっていますよね。それも、左のは人だし、右のは、人を抱え込んでるライオンと思うのですけど、鬣がパスタみたいだし、笑い、変に擬人化した様子が不気味…。
で、表に出ますと、トップで全体を紹介した際に言及した、サン・ニコラス礼拝堂の再建された基部が広がっています。
改めて、遺構を探すと、この扉はロマネスクのもの、とありました。
どうだろう?まぁ、一部、ロマネスクの時のものとなるのかしらん。
ここから、回廊跡に抜けられたと思います。
そして、おそらく回廊から本堂への扉口、ということになるのかな。
左右に置かれた彫り物が、それらしいですね。
向かって右の人は相当傷んでいますが、左の人は、結構保存状態よし。
すっごくキツキツの場所に置かれていたんでしょうね。姿勢が難しそうなことになっています。下半身はヨガ状態。
しかし、そのおなじみな様子、ちょっとほっとするテイストです。
長くなっちゃいますけど、もう一つの扉。
ぱっと見傷みが激しく見えるんですが、クローズアップで見ると、それなりに残っていて、たとえば、左端の人がカギ持ってるのでピエールさんって分かりますね。イメージがちょっと違うけど。とすると、右端がポールさんということになります。
でね、赤色になっているアーキボルト、これは彩色なのか、石色なのかにわかによく分からないんですが、ちょっとキッチュなグリーンアニマル風がいましたね。左側の方ですが、これは、今更気付きました。
この扉口周りの装飾は、全体に保存がよいようです。
この柱頭、かなり独特な図像ですよね。
左のは、普通なら角で頭一つにするけれど、これはお互い頭を絡めている様子で、こういうのが要はゴシックのやり方なのかな、という時代を感じさせられたり。カベスタニー風の足の彫り方だけど、全体にもう移行期って様子が漂います。
右側の天使も、ポーズがすごくかわいいのに、顔は写実で、勘弁してよって様子になってます。ロマネスク全盛時代だったら、絶対にかわいいやつになっていたと思うんですよ。
右側のも、こんな感じで、可愛さありません。
一方、扉を見下ろす位置にいるのは、いがちなおやじなんだけど、お、懐かしい、という様子で、ここでも髭引っ張り系の人ですね。
それにしても、姿勢が独特で気になります、笑。
後ね、どっちの人も、手が妙にリアルな職人とか農民系のごつごつ感もあって、怖い…。
ということで、とりとめのない見学となりましたが…。やはり、ある程度目星をつけて訪問することは重要だと思います。アルザスには申し訳ないけど、どうも準備不足で行ってしまった感が否めない…。それでも、多分再訪はないと思ってしまうのも、正しくないとは思うけど…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/02(水) 16:11:10 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0
最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その28
次に訪ねたのは、ノーヴィレ・レ・サヴァーヌNeuwiller-lès-Saverne
という村です。
小さな村で、一見して、いかにも門前町起源だろう、と想像がつく様子ですよね。しかし、こんな小さな村に、今も生きている教会が二つもあるのは、びっくりしますね。
上の地図の3番と4番がそれで、3がサン・ピエール・エ・サン・ポール修道院教会、4がサンタデルフォ元参事会教会です。
手前がサン・ピエール・エ・ポールで、奥の方に見えているとんがり帽子が、サンタデルフォのはず。
この村、全体が後代っていうか、広々してて、そういえば駐車場がやけに広くて開放的だったのを思い出しました。
いかにも駐車場なんだけど、がらんとしていて、え?ここ、停めていいんだっけ?みたいな不安に襲われるような場所でした、笑。
そして、この町のこの荒涼とした駐車場で最初に出迎えてくれたのは…。
あちこちの煙突でくつろぐコーノさんでした!
すごい数の巣があって、休憩タイムだったんですかね、多くの方が巣でくつろいでいて、ついつい興奮して、やたら撮影してしまいましたとさ。
コーノさんは、本当に良いですねぇ。イタリアではまず見ることがないので、いや、ミラノには、カラス以外の大型の鳥がいないので、コーノさんのみならず、ちょっと町を出て、畑でサギを見るだけでもうれしくなりますから、もうね、コーノさんに会えたら、どうしても興奮してしまいます。
最近友人に教えてもらったのですが、実はイタリアにもコーノさんは飛来してくるらしいのですが、全国でも300ペア程度しかいないそうで、そりゃ目にするわけがないっていう数字ですよね。
アルザスに来るのに、そして暑いスペインにもいるのに、なぜイタリアには来ないのだろう?距離的にも、さほど違いがあるとは思えないんだけどな。
おっとっと、これは鳥ブログではありませんでした、笑。
教会の話に戻ります。
なぜ、こうして二つもの教会があるかというお話です。
まずは846年、この地にベネディクト派修道院が創設されました。その修道院教会が、今日のサン・ピエール・エ・ポール教会なわけですが、創建から1世紀が過ぎた頃、サンタデルフォさんのレリックが持ち込まれたのです。
アデルフォさん、どういう方かと思い、一応調べたのですが、手持ちの聖人辞典に、中世辞典にも記述なし。ローカル聖人ぽいです。検索すると、5世紀に生きた方でMetzの第10代司教と務めた方、と出て来ました。一方で、そういう普及してしまった出自やタイトルは信用ならん説もあるようで、実際は3世紀の人らしいというより確かに記録もあるとかないとか。
いずれにしても、9世紀に、そのレリックがこの村に持ち込まれ、巡礼者を引き付けた、ということはかなり信ぴょう性が高いということらしいです。
そう、その巡礼の増加が、レリックを収めるための教会を必要としたのです。それで、まさに聖人に捧げられた教会が誕生した、という経緯。それは、12世紀のことでした。
レリックがもたらされた時点から、いくつかの奇跡が起こったことで、信仰が高まったらしいんですが、奇跡の内容は見当たらず、でした。しかし、考えたら面白いですよね。テレビもネットもない時代、この小さな村で奇跡が起こりました、ということが、おそらく旅人や商人やそんな人の口コミで広がって、巡礼者が増えるってさ。信仰ももちろん根底にあるのでしょうけれど、ちょっと怖いもの見たさ、観光的要素強めで出かける人もきっといたんだろうなぁ、とか思うと、にんまりしちゃうっていうか。
いや、中世当時の信仰は、江戸時代の物見遊山なお伊勢参りとは違うのかな。
ちょっと脱線気味なんで、一旦切って、次回教会の話としますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ベネチア・ビエンナーレ2022訪問記をつづっています。
イタリアぼっち日記 ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
2022/11/01(火) 12:16:09 |
アルザス・ロマネスク 67-68
| コメント:0