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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

カンタベリー司教の足跡を感じる地味な教会(カブリオーロ)

カンタベリー司教の足跡を感じる地味な教会(カブリオーロ)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その1

前回の記事で思いついたように、一年どころかのスパンで眠っている写真も数多いのですが、お勉強観点からも、せっかくですから、同地域の教会をまとめてみます。その時は、ミラノとボローニャの間の土地しか回っていないので、地域としてはエミリアとなります。

この時も、ボローニャの友人と会うために、ボローニャを訪ねる一泊二日の週末旅でした。思えばその翌月、交通事故で大けが、というタイミングでしたねぇ。もし、そこでいなくなっていたとしたら、その後友人から、「あの時は…」と長年偲ばれる訪問になっていたことでしょうけれど、そうはならず、今年も訪問ができて、本当にありがたいことでした。折に触れ、事前事後に思いがいきます。

そういうわけで、行きは、ミラノから南下する道なりに見学をして行き、帰りは逆のパターンとなります。

エミリアは、ロマネスクにはまったものの、どこで何を見たらよいのか分からない時期に、よく出かけた地域ですが、当時は運転技術の問題もあったり、カーナビがなかったり、たどり着くことすら大冒険、みたいな状態だったので、あそこにある、と知っていても訪ねることが出来ていない教会が、まだ結構ある地域です。

さて、この時は、今回よりもちょっとだけ早い時期でしたが、記録を見ると、やはり霧がかなり出ていたようです。場合によっては、ボローニャ直行かと思うくらいでしたが、結局フィデンツァあたりで晴れてくれたので、無事、予定通りに高速を降りて、最初の目的地に向かいました。

しかし、路肩にあったPieve Romanicaの表示が目に付いてしまって、急ぐ旅でもなかったことから、わざわざ引き返して、表示のあった道に入ってみました。

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カブリオーロCabrioloのサン・トマス・ベケット教会Chiesa Parrocchiale di San Tommaso Becketです(ミサ、日祭日前日17時、日祭日10時、訪問は教区司祭Don Marek Jaszczakの携帯に連絡、またはOratorio di San Micheleに頼む 9-20)。

ここも訪ねる予定にしていた教会で、事前に電話番号を見つけて何度か連絡を試みたのですが、まったく通じず、でした。一応、昼休みを除いては開いていることになっていましたが、そういう様子は全く見られず、おそらくミサの時間だけのオープンと思われます。
教会前には、訪問方法が、割と細かく記されており、司祭さんの携帯電話番号もあったのですが、ただ、内部に何らかの装飾的アイテムがある様子はなかったので、ここでは、突撃する気にはならず、外観だけ見て、引き上げました。

さて、この教会、というかこの辺にある教会って、基本的にはVia FrancigenaまたはVia Romea、つまり欧州北部からローマに通じる巡礼路にあります。この教会が、カンタベリー司教だったサン・トマス・ベケットに捧げられているのも、おそらくそういうところと無縁ではないと思います。確かこの司教さん、巡礼路を歩かれているんじゃなかったですかね。

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ファサード側はこのような様子で、後代の修復再建が相当入っていて、ロマネスクとは思えない状態になっています。やはり見るべきは、後陣部分となります。

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レンガやテラコッタで作られていて、いかにもイタリア北部のロマネスク。
7本のつけ柱につながるブラインドアーチだけ、と装飾というには、あまりにも地味、というところでしょうか。
三つ、開口部がありますが、これは20世紀に行われた修復の賜物、いや、言い方によっては改悪にもなるのかな?

中央部のは、その時、閉ざされていたのだそうです。それを、再び開けたということです。

emilia 192

どういった形で閉ざされていたのかは不明ですが、構造はそのままに、石とか粘土とかを押し込んでたとかそういう感じですかね。構造はオリジナルっぽいですよね。地味ながら、隅切りの深さ、レンガや石積みの様子は、結構好きなやつです。

そんで、その際、両脇のやつは、開けちゃったんだそうです。

emilia 193

レンガの様子も違うし、すっきりしているけど味わいは、やはりオリジナルの方がだんちにありますよね。
それにしても、何もわざわざ開けなくても、と思うけれども、もっと光を!って要望があったんでしょうかね。

ま、そんな感じです。
鐘楼も、基部ができたのが15世紀初頭で、その後20世紀に鐘が作られたくらいに新しいもの。ロマネスク観点からは、後陣、そして巡礼の道にあること、カンタベリー司教に捧げられたこと、押さえることは。

サクサクと、次に進みます。

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  1. 2022/12/31(土) 13:12:32|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | コメント:0

日暮れから逃げるように…(サン・チェザリオ・スル・パナロ)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その11(最終回)

ヒッチハイクされちゃったので、余韻を楽しむ間もなくブリジゲッラを出発となってしまった顛末を、前回書きました。
結果、思ったよりは早く帰路に着くことになったため、行けたら行こうかな、と思っていた教会に寄っていこうと決めました。

実はこの時の旅、予定にも余裕があったので、あちこちでエコ運転を実践していました。ハイブリッド車なので、うまく運転すると、ガソリン代、相当節約できるんですよ。
で、ボローニャに向かう道だったり、ポレンタに向かう道だったりを、高速ではない一般道で、一定スピードを心掛けて走ってみたところ、リッター27キロとか、かなりのエコ運転となりまして、ちょっと楽しくなってしまいました。実際、ガソリンが全然減らなくて、びっくりするくらいだったんです。
それでいい気になって、ブリジゲッラからボローニャを超えた北上の途中にある教会目指して、ここでもエコ運転を実践することにしました。

調子よかったんですけどね、途中でハッと…。
うっかりしてたんですが、ちょうど、夏時間と冬時間が切り替わる週末だったんですよ。途中であれ?と不審に思い、あ~、そうだったよ!と自分の間抜けさに気付いたけれど、後の祭り。高速に乗ろうと思っても、今更意味がないところまで来てしまっていたので、後は日暮れ前に到着することを祈るのみ、みたいな状態で、急ぐ旅ではなかったのに、強制的に急ぐ旅にしてしまったのでした…。

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サン・チェザリオ・スル・パナロSan Cesario sul Panaroのサン・チェザリオ教会Basilica di San Cesario sul Panaroです(オープン8時/19時、教会脇に駐車可)。

写真だと、まだ結構明るく見えますが、すでにかなり暗闇が押し寄せ始めている状態での到着です。取るものもとりあえず、扉口に突進したのですが、突進した途端に、ライトを車に忘れたことに気付き、クルマに突進で引き返し、また扉口に突進。変な東洋人やってしまいました。

端正なたたずまいです。街中にあるのに、周囲は緑で整備されているのも、端正さをマシマシにしている感じかも。
後陣側は、工事の金網があったりしたので、道の整備だったかもしれないし、教会の外壁工事だったかもしれません。

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ファサードは20世紀半ばの再建ということですが、スタイルは、往時の様子をとどめたものとなっていますよね。側壁及び後陣部分はオリジナルのままをうまく修復したものということです。

ちょっと歴史の蘊蓄を語ると、これは現地の説明版にあったものですが、以下とありました。

「この地域は、中世のVia Romea上にあり、ベネディクト派修道院ノナントラに従属していた。ノナントラは、9世紀初頭、一つの修道院と、殉教者サン・チェザリオに捧げられた教会を創設した。」

どっかで見た感じ、と思ったら、なるほど、ノナントラのスタイルに似ていますよね。特殊なスタイルではないけれど、でもノナントラ双子だわ。

「創設時、近くにあった公国が、9世紀後半に、カノッサ公の所有となり、その後、マチルダの所有となった。マチルダが、1112年、サン・チェザリオ教区に寄進した。」

マチルダさんは、本当にどこにでもかかわっていて、それはつまりカノッサの勢力がブイブイだったということなんですよね。カノッサって、結構山ですから場所が不便ということもあるのでしょうが、結局キリスト教にかかわらなかったら、当時如何に勢力を誇っていたとしても、これほど記録や記憶に残されることはなかったでしょうね。そう思うと、欧州の歴史は、やはりキリスト教徒二人三脚ということなんでしょうね。よくも悪くも、ですが。

個人的に感じたのは、地面が、今のレベルから結構下なんですけど、時間の流れに正確な段差って感じがしました。

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さて、中に入りますが…。真っ暗です…、涙。手持ちの明かりがなかったら、どうしようもない状態でした。明りを持たずに歩いていた時代だったら、残念ながら、すごすご引き返すしかない状態でした。

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現場の解説です。

「内部は壮大な三身廊、コリント様式の柱頭を持つ円柱。
最も古い場所である後陣は、5世紀、ローマの礼拝堂があり、そこに、ビザンチン及びロンゴバルドの時代に手が入り、それらが11世紀にロマネスク様式ですっきりと調和を取られる形になった、という仮説がある。一方で、中世初期にあった礼拝堂が壊され、12世紀にまったく新しい教会が建てられた、という説もある。
後陣部分と最初の柱間は1112年頃のもので、その他の身廊部分は1134年ごろ、教会が、ポリローネPolironeのベネディクト派修道院傘下に移管されたときとされている。この時代のものが、内部に保存されている。側壁の扉の近くだが、人の一部、ライオンの頭部、天使など。それらには、ブルゴーニュの影響がみられる。」

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柱頭は、横並びで対になっていたようで、すべて植物モチーフですが、並びごとにタイプは異なっているようでした。

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円柱のサイズに、圧倒されましたが、とにかく暗い!

壁に埋まっている角柱には、こういった古い時代のものらしいモチーフも彫られていました。

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こういうことから、最初の仮説の方がありそうだなと思います。

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内部では、レンガ多用されていました。やはりノナントラ・テイストですね。ちなみに、柱などは、再利用らしいです。それらが石のまま、ということになるのかな。

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再利用を証明するかのように、お足元は、様々な形の下駄ばき工作がなされておりました。

あまりの暗闇で、壁に貼られていたであろう装飾彫り物の名残などを確認するなどは、もちろん不可能でした。
それでもね、開いてなかったら、やっぱり悲しいし、入れてよかったと思います。
見学を終えて出たら、すでにほぼ真っ暗で、さすがにエコドライブは不可。幸いだったのは、この町から高速がすぐだったことでしょうか。

ということで、週末エミリア・ロマーニャ、終了となります。
この際なので、去年の同地への週末ドライブ修行も、続けてあげていこうかと思っております。この土地、地味なものが多いとはいえ、山間に隠れるようにして色々あるんですよね。
では、お楽しみに。

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  1. 2022/12/30(金) 17:48:17|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | コメント:0

問答無用のヒッチハイク(ブリジゲッラ その2)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その10

ブリジゲッラBrisighellaのサン・ジョバンニ・バッティスタ・イン・オッターヴォ教会Pieve di San Giovanni Battisuta in Ottavo、またの名をトー教会Pieve di Tho’続きです。

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前回は、延々と歴史を調べながら地下をうろうろしましたが、今回は本堂です。

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入場してすぐに地下に突進したのですが、この全景、良いですよね。何がどう、っていうのではないのですが、こういうロマネスクの典型的なスタイルが、自然な様子で保たれているだけで、おお、と感動してしまうそういった眺めです。
解説を使いながら、見ていきます。

「現在の建物は、軽くアシンメトリー(後陣に向かって、少し広がっている)な形で、三身廊が、6本の円柱と7つのアーチによって隔てられています。」

アシンメトリーということですが、これは現場では全く気付きませんでした。歪みではなくて、右側が、ちょっと広がっているということのようで(有料でいただいた来た冊子だと、広がりは左側の方になっていて。入り口から祭壇前が、ちょっと左にずれているような形に見えます。おそらくそっちの方が正しいのだろうと思いますが、いずれにしても、入り口からのずれはかなり少なく、気付きませんでした)。

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教会の後陣側は、トップの写真にあるように、今運動場のような広場になっているのですが、その運動場のレベルは、教会のレベルから、おそらく1メートル以上下にあります。その理由は不明なのですが、この歪みが、そういった土地の関連なのか、またはロマネスクによくある「不完全性」の具現化なのか、そのあたりは不明です。

上の図で、手前三分の一あたりに横線が入っていますが、それは、オリジナルの建物が、その線から後陣であったという事実を表すものです。詳しくは解説で。

「建物は、5つのアーチ構造、5本の柱の並ぶ二列によって身廊が三つに分割されていた。最初の円柱は、ファサードの壁に埋め込まれていた。おそらく、ファサード前にはポルティコがあった。
16世紀、正確には1570/1572に、教区司祭が、建物の拡張と修復を実施、現在の形となった。身廊は、各列一本の円柱を追加することで長くなった。そして、柱間アーチが二つ増えた。おそらくその際に、現在ある前室Pronaoが作られたろう。
付け足しは、当時あった様式的特徴を採用して、非常に注意深くなされた。そのためもあり、その当時に付け足された部分が、オリジナルの部分と乖離していることは、一見してわかるものではない。」

図を見ると、付け足された柱は、若干径が太いようですけれど、実際に何の違和感もなく、しっくりと溶け込んでいました。

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おそらく、柱頭を活用した聖水盤の右側にあるのが、その付け足しの柱と思います。

なぜ、そのような拡張が行われたかというと、もちろん信者が増えたり、経済的にも潤ったから、ということなのでしょう。
しかし、歴史というのは、時として皮肉なもので…。

「建物は、16世紀の終わりに最大の広さとなったものの、まさにその時から、教会の非常に素早く激しい斜陽が始まった。
教会はラモーネ谷の中央部に位置していた。13世紀に、その管理地は、22教会に及び、さらに二つの修道院も含まれた。Santa Maria di CrespinoとSanta Reparata di Marradi(11世紀創建)。
17世紀にはじまるブリジゲッラの重要な成長、そして大司教区に属する教会(San Pietro di Fognanoなど)によってもたらされた遠心的な作用によって、この地域の教会の多くが、役目を失い、廃寺の憂き目をもたらすこととなった。
そして、おそらくそのために、(また、収入が激しく減ったことにより)、教会は放置され、手を入れられることもなく、古い時代の姿を保ったということはあるのだ。」

気合を入れて拡張した途端、すべてがうまくいかなくなった、みたいな悲しい歴史があったのですよ。でもそのおかげで、その後の手が入ることなく、このような中世の姿を残すことになったとは、かなり皮肉ですよねぇ。私にとってはありがたいことですが、拡張工事を実施した当時の教区司祭さんのお立場、面目、丸つぶれ…。

装飾性の高いアイテムや柱は、どうやらローマ時代のものの再利用らしいです。再利用による建築は、初期キリスト教時代から、この教会が建てられた11/12世紀頃限定のため、建物の起源が特定できるということです。
柱頭は、ローマなので、いかにもなアーカンサス系です。どれも、主に3世紀から4世紀のものとされているようです。

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全体に装飾性は薄いのですが、唯一おっ、と思わされるのが、祭壇に貼られた浅浮彫です。

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「祭壇に置かれた浅浮彫。8世紀から9世紀のもの。現在の建物におけるキリスト教の継続性を象徴的に表す内容。」
この砂岩に彫られた浅浮彫、1979/1980年に祭壇が作られた際に、ここに置かれたようですが、それ以前は入り口扉の上に置かれていたようです。
二人の天使の間で祝福するキリストを中心に二匹の子羊、二つの十字架、二本の棕櫚が見られます。

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自然光では細部が見えにくく、と言って手持ちのライトを当てると、写真はうまく取れず、ということで、あまりよい写真が撮れませんでした。
かなりの浅彫りですが、表情などにロンゴバルド・テイストが見えるようにも思えますね。そして、相当素朴、というのか、ヘタウマ以前の、未熟な石工さんって様子です。

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内陣近くの右側に小さな扉があり、そこを出ると、併設の建物とつながった中庭に出ます。

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ちなみにですが、この中庭に、清潔なトイレがありまして、有難く利用させてもらいました。地域の集会などに使われるような公共のスペースになっているようです。
そういえば、この教会、なぜに日曜午後しか見学できないかというと、それ以外は主に結婚式など催事優先に使われているからなんです。問い合わせた際、主に結婚式とおっしゃっていましたが、お隣が墓地なので、お葬式もあると思います。だからトイレもあるのでしょうし、教会としてはそれなりに潤っているのだと思います。
この扉から入りなおすと、美しい柱の風景となります。

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床が新しくてつるピカなのが、若干恨めしいですが、それにしても均整の取れた美しい建築です。
手前左側の柱は、どうやらローマのマイルストーンらしいです。
文字が、何とも言えない味に満ち溢れています。

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ゆったりと見学して、最後に道を隔てた反対がに広がるオリーヴの美しい林を愛でてから、さすがに空腹を覚えていたので、手持ちの食料をいただいてから、ミラノを目指そうと思いました。
で、クルマのトランクを開けて、食料を探していたら、おずおずと寄ってきた老婦人がいます。何?と思うと、いきなり身の上話が始まりました、笑。

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「数年前に夫を亡くして、ここの墓地に眠っていて、万聖節でもあるからどうしても会いたいと思って、頑張って歩いてきたんだけど、実は自分はちょっと前に自宅の階段で転んで足と背中が痛くて、来るのは本当に頑張って歩いてきたけど、また2キロの道を歩くのは絶対無理なの…。」

はぁはぁ、と聞きながら、見つけたミカンを食べるわたくし。

「で、あなたは上に行くの?下に行くの?」

は?どゆこと?私はこれからミラノに向かうので、ファエンツァ方面に行きますけど。

「それは素敵!ブリジゲッラの町の入り口まで、お願いします!」

問答無用で、ヒッチハイクされました、笑。
ばあちゃん、ほんと辛そうだったんで、こりゃ食べてる場合じゃないし、とすぐに出発せざるを得ず、その2キロ、数分のドライブでも、また人生を語られました。イタリア人ってホント語るよなぁ。会って5分くらいで結構人生見えちゃうくらい語るよなあ。

そんなわけで余韻を楽しむこともなく、強制帰路ドライブとなりました。予想外だった…。

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  1. 2022/12/26(月) 15:15:58|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | コメント:2

暗闇の中の歴史探検(ブリジゲッラ その1)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その9

ポレンタを楽しんだ後、もうお昼の時間ではあったけれども、朝ご飯がたっぷりの上遅かったので、まだ空腹も覚えず、お水だけ飲んで次の目的地に向かいました。
そして、その教会の午後のオープン時間14時の数分前に到着。

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ブリジゲッラBrisighellaのサン・ジョバンニ・バッティスタ・イン・オッターヴォ教会Pieve di San Giovanni Battisuta in Ottavo、またの名をトー教会Pieve di Tho’です(日曜午後のみ一般にオープン)。
何度も行くチャンスはあったものの、日曜午後のみ、という変則的な時間しか開いていないため、なかなか実際に訪ねることができなかった教会です。

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名前に着いたOttavoは8番目、という意味になりますが、それは古代のローマ街道の、エミリア街道からの分岐点から8マイルの距離に建つことからつけられた名称です。ローマ街道は、ファエンツァからラモーネ谷を通ってトスカーナへと続く古い街道です。上の地図に青で書いた線がその8マイル、約12キロ強という部分となります。

トップの写真のファサードは、正直さほど魅力的ではないのですが、ここ後陣がとても様子がよいです。

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レンガだし、装飾的にも、ちょっとロンバルディアの教会に見えたりしますよね。そういうイメージ持っていなかったので、ちょっと驚きました。

この教会は、かなり有名で、多くの研究もなされているためか、現地では数冊の本が売られていました。一応目を通したのですが、どれも”帯に短し…”的な内容で、私の求める情報に合致するものがなく、唯一これはいいと思った本は25ユーロだったかな、高額過ぎると思ったので、結局一番安易なペラ紙のものを1ユーロだったか2ユーロだったか、お布施と思って買ってきました。気の利いた教会なら、無料でいただけるようなものです。
実は25ユーロの本を手に取った時、お値段を聞いたら、みんな10ユーロだよ、と鍵番さんがおっしゃったので、そのまま買うということもできなくはなかったですが、そんなことしたら罰が当たりますよね、笑。ってか、鍵番さんもやる気ないよなぁ。

ペラ紙ではありますが、割とぎっしり、歴史情報が書かれていましたので、今回もその解説に関しては、鍵かっこ内で記していきますね。加えて、現場の説明版も充実していたので、そちらも適宜使います。

教会の創設に関しては、「伝説では、ガッラ・プラチディアと、彼女の福音書家ヨハネSan Giovanni Evangelistaへの強い信仰心に言及されている。
とはいえ、この教会は、創設当時から、福音書家ヨハネではなく、洗礼者ヨハネに捧げられている。中世の教会では、多く、福音書家ヨハネに捧げられることが多いのだが(二人のヨハネの混同は、頻繁に起こっている)」という文がありました。

またまた地図で恐縮ですが、このブリジゲッラ、エミリア側と思っていたら、ロマーニャ側のラベンナ県なのです。

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エミリアとロマーニャは、今は一つの州となっていますけれど、おそらくもともとは独立した州だったのだと思います。文化圏的には似通っていますから違和感はないのですが、とはいえ、ラベンナなガチ・ビザンチンの歴史を持っている土地なわけで、その点については、やはり大きな違いがあるはずなんですよね。

そして、創設の話に戻すと、ガラ・プラチディアはラベンナの人なわけです。ラベンナを訪問した人なら、彼女の霊廟とされている小さなお堂に必ず立ち寄ると思います。結構政治的な人生を送った女性らしいですけれど、熱心なキリスト教者で、沢山の寄進をしたようなので、彼女に言及される教会は、この地域には多いようですね。時代は全然違いますが、エミリアの方で有名な、カノッサのマチルダ的な。

で、創建に関しては11世紀から12世紀とされていますが、それは今ある建物に関することで、今の建物の前に、やはり教会やら時代によっては異教の神殿やらがあったということです。

というわけで、まずは歴史を探ってみます。すっごい地味だし、ロマネスクに関しては次回となりますので、興味のない方は、この辺でさようなら、ということで、笑。

本堂に入場すると、すぐ右手に、地下に降りる階段がありましたので、人の来ないうちに、と思って、すぐに降りました。
降りたら、クリプタのイメージは全くなくて、博物館のような展示会場になっていたので、拍子抜け。

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左が、現在の上物で、右がクリプタの図となります。
この教会では、近現代にわたり、多くの発掘調査が行われているようで、特に近年行われた発掘で、上図クリプタの大部分が明らかになったようです。

では、教会が今の姿になる前、この辺りがどういう土地だったかというと、まずは上に掲げた地図でも言及したように、ファエンツァからトスカーナに抜ける街道という交通の要衝であったわけですね。そして、豊富な農作物の収穫ができる土地ということで、交易も盛んな土地だったようです。それは、この地域から、農産物を保存するツボなどが発掘されていることで、分かったそうです。

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最初のスペースには、いきなりこんな構造物が。なんだか分かりますか?
お釜なんですね。
そういえば、この夏に訪ねたモリーゼの山奥の教会でも、発掘で床下にお釜が見つかった、ということで、床の一部がガラスで、それがちょっと見えるようになっている部分がありました。なんでお釜?教会でパン?みたいにイメージしてしまって、笑、その後別の説明も始まったので確認することもなく、よく分かってなかったんですけど、建材を作ったり、鐘を作ったり、とそういうことを現場でしていたということらしいですね。
ここでは鐘を作るためのお釜だそうです。

鐘に関する蘊蓄が解説版にあったので、以下、記しておきますね。
「鐘の使用はキリスト教で始まったのではなく、古くはギリシャやローマ時代にもあった。鐘を儀式に使うという点で、もっと古い記録は6世紀に遡るが、その鐘は、修道院で、信者を呼び集めるために鳴らす鐘だったので、かなりサイズの小さいものであったろう。その後7世紀から8世紀にかけて、特に北欧から、鐘は教会になくてはならないもの、というアイテムとなっていった。しかし、鐘の製造は大変複雑で、また高度な技術を必要とするものでもあり、時として一年もの歳月をかけて作られるものだった。そして、運送の手間や費用、また破損のリスクも考慮して、最終的に鐘が使われる現場近くで作られるものだった。しかし、作業場の建設は、大変注意深く行われた。それは、神聖な建物の内部でなければならず、まずは祝福される必要があった。鋳造の祝福は、一連の儀式として実施されるものあった。」

いや、面白いですね。やはりちゃんとこういったものを読んでいかないと、知らないまま流してしまいます。この夏の疑問も溶けて、ちょうどよかった!

お釜の先を進みますが、実は明りが来ていて、かなり暗い。ここは進んでもいいものなのかも不明ながら、手持ちのライトを頼りに進みました。
解説、続きます。本当に地味ですね。

「1900年代半ばの発掘で、食品保存用の大きな容器や、輸送用のアンフォラが出てきた。それらは当地の製造物であり、当時の交易、またこの土地の豊かさを物語るものである。」
「サン・ジョバンニ教会ができる前の定住では、ローマ時代の埋葬アイテムが見つかっており、それらは教会建造に再利用されてりもしている。それは、墓碑だったり、墓のモニュメントを飾る石版だったりだ(教会の壁の各所に、はめ込まれた碑文の破片が見られる)。それらが、この場所に定住のあったことを証明するものとなっている。」
「クリプタ近くには、埋葬が見られるが、それは教会につながっているというよりも、単純にこの地の定住者の存在を証明するものである。埋葬のスタイルは、Sepoltura alla cappuccinaというもので、単なる土葬ではなく、遺体の上にレンガの板で三角屋根を作るようなもの。これは、3世紀から中世まで使われたスタイル」

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上は、つい先日訪ねたパヴィアにある、ロンゴバルドの一般人のお墓。時代がちょっと下る分、石垣とか結構しっかりしてますけど、スタイルは同じです。私の中では、この形はロンゴバルド、と思い込んでいたところありますので、修正が出来ました。

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さて、依然暗闇の中をそろそろと進みます。時々、発掘されたらしいブツが展示されています。これは外壁にはめ込まれた窓の枠のようです。

そして、この先で、やっと本来の建築部分にアクセスすることとなります。暗闇に恐れて引き返さないでよかった!今や手持ちライトは必需品です。

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「このクリプタには、多くのアイテムが残されていた。装飾された説教壇の一部や祭壇の一部、また小さな角柱など。残念ながら、11世紀終わりごろの教会のそれらのアイテムの再建は不可能であったが、いくつかの破片については、どのような形であったものかを認識することはできた。」
「石はその多くが砂岩で、装飾モチーフは植物や幾何学。例外は、説教壇の破片で、それは、ブドウつるのモチーフに、光背を持った聖人の頭部が置かれているもの。それぞれの脇に、おそらく聖人の名前が記されているが、損壊がひどく読み取ることはできない。」

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こういった浮彫が完璧に残っていたら、感激ものですよね。しかし、こうやってつなぎ合わせるまで発掘するご苦労も大変なことですねぇ。
この教会では、階段数段の高さの、一人が登ればいっぱい、というような小さなサイズの説教壇があったと、装飾の浮彫のサイズから推定されているそうです。

クリプタに関する説明版も、せっかくなので読んでみます。
「クリプタは、西洋では7世紀ごろから普及し始めた。当初は聖遺物を納める目的であったが、その後10世紀ごろからは、特定の時間の儀式(夜明け、正午、日暮れ、就寝前)に使われる礼拝堂としての機能を主に持つようになった。この教会では、後者の目的で使われる場所だった。オリジナルは、それぞれ三本の柱、円か角かは不明、からなる二列で区切られていたもの。天井は交差ヴォルト。三つの小さな開口部から外光が入ってきていた。アクセスは、中央身廊から階段があったはず。」
どうやらこれが、その階段のようですね。

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一つだけ蘊蓄が書かれていたので、読んでみますと、階段の、写真で言うと左側の下の方の石だと思うんですけど、ちょっとひっかき傷的なものがあるの、分かるでしょうか。

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多分これだと思うんですけどね、これローマ人が遊びに使ったアイテムらしいんですよ。

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ピンポンみたいな?いや、ボードゲームなんですかね?
Tabula Lusoriaとありますけれど、ちょっともう調べる元気がないので、どなたかご興味あれば、是非調べてみてくださいね。

さて、最後にですが、クリプタの説明版に、地域の他のクリプタの写真がいくつか掲載されておりまして、うち一つについては全く知らないけれど、とても古い素朴な雰囲気がよさげでした。Faenza地域のCorletoという村の教会のようです。
実は、クルマで走っていてどこかの交差点で、この教会の表示は目にしていました。確か11世紀のクリプタ、とあったので、曲がってみようかとも思ったのですが、急に曲がるなんて高度な運転技術を持ち合わせていないもんで、笑、スーッと進んでしまったんですよね。まぁ、行ったところで開いていない可能性が高いとは思いますが、残念です。次回のお楽しみとしておきましょう。

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  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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略奪品満載(ポレンタ その3)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その8

ポレンタPolentaのサン・ドナート教会Pieve di San Donato、続きです。

前回ディテール見ましたが、もう一度全体見てみます。

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解説によれば、イレギュラーな四角だということです。内部にいると、どこら辺りがイレギュラーなのかは分からなかったです。
土地的には、後陣側が墓地になっているのですが、そちらに向かって高く傾斜している様子で、北側は、墓地の入り口に向かって結構な坂になっていますから、そういう土地の状況が関係しているのか、またはロマネスクによくある不完全さの具現化とかそういうことなのか、そのあたりは不明です。

外壁同様に、内部も、石とレンガのツートンカラー、なかなか執拗に繰り返されていますね。

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柱は、そろって丸くて、そろってツートンカラーだし、ここのオリジナル、と漠然と思うわけですが、下駄ばきが結構すごい。

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どの柱も、下駄のサイズや状況が異なっているし、柱もよく見ると微妙に太さが違うような様子もあり…。ということは、この柱、やはり他教会からの略奪品で、上を石とレンガで覆ったということなのかもね。かえって面倒な気もするんだけど、おそらくこれだけの円柱を一から作るよりは楽なんだろうなぁ。

三身廊スタイルで、中央身廊は、前回の記事でご案内した、教会がささげられているサン・ドナートさん、右が聖母に捧げられていて、そして、左側は、パドヴァ出身のサンタントニオSant’Antonioさんに捧げられた祭壇だということです。アントニオさんは、ドナートさんよりは全国区感がありますけれど、でもパドヴァの、という地域性があるということは、これもまたドナートさん同様に、パドヴァ出身の兵士とか石工とか、おらんちの聖人もいっちょ頼むわ、みたいなストーリーがあったのかもね、と思うと、なんだか楽しくなってきますね。

さて、ドナートさんに捧げられた主祭壇ですが、ここにも由来が略奪品とされるものがあります。なんだか蛮族感あふれる教会だなぁ。

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明り煌々の時に撮れればよかったのですが、残念ながら手持ち照明使わないと細部が見えない状態で、解像度悪くてすみません。
祭壇というか説教壇とありましたけれど、その装飾である浅浮彫です。
大理石に彫られていて、とてもすっきりしたものなので、かえって時代が分からないタイプ。

前、つまり本堂に向いた方は、解説によると、「8本の腕を持つギリシャ十字が彫られている。それは、二重の縁取りを持つ小盾に組み込まれている。そして、フィギュアの基部から、二本のリボンが横に向かって広がっている。それぞれの最後の部分は、とても図像的なセイヨウキヅタの葉っぱとなっており、ラテン十字を支えている。」とありました。確かに図像を説明していますが、その意味などは不明です。そこが知りたいんだけどもねぇ。真ん中の十字架から出てるリボンとか、その先っぽが、どう見ても矢印にしか見えないんだけど、それが葉っぱとあるわけで、それがラテン十字につながっている意味?ギリシャ十字だから、ビザンチン関連の何かがあるのかな。

それはそうかもしれなくて、これはどうやらギリシャ起源の彫り物で、7世紀ごろに遡り、ラベンナあたりの教会から略奪されたものとされているようなんですよ。
反対側には、シンプル極まりないラテン十字があります。

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ビザンチンって、イコンのイメージも強くて、きらびやかで空間恐怖的な装飾性をイメージしがちだけど、こういうすっきり感もまたビザンチン・テイストだったりするのですね。
このすっきり十字架で思い出したのは、ベネチアに点在する、黄金を背景にした青い衣の聖母子モザイクです。装飾性すごいけど、実はマットな黄金にただ一人の人物を置く図像は、究極にシンプルなんですよねえ。

それにしても、これ、7世紀まで遡るとは、現地では全く思わず…。知ってたら、もうちょっと念入りに見たんだけども…。そのあたり、素人の哀しさ、現場で学ぼうとしないいい加減さの情けなさです、涙。

こんなところでしょうか。
田舎の小さな教会ですが、解説のおかげで、写真を見ながら、現場での見学とは異なる楽しみ方が出来ました。以下のように、オープン時間は大変寛容になっているので、この辺りにいかれる際はぜひ行ってみるとよいと思います。

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  1. 2022/12/24(土) 17:06:06|
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ロンゴバルドとビザンチン、好物そろい踏み(ポレンタ その2)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その7

ポレンタPolentaのサン・ドナート教会Pieve di San Donato、続きです。

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前回記したように、現地で冊子をいただくことが出来たので、その冊子の記述を訳していきますね。
ファサードは、一見すると再建くさいんですが、再建は、ファサードに食い込んで建っている鐘楼だけということらしいです。ここにも蘊蓄があって、著名な詩人Carducciさんが、ある雑誌に発表した文の版権?なんていうんですかね。「ポレンタの教会」というものだったらしいんですが、それによって得た利益を、この鐘楼の再建資金に提供したんだそうです。で、一文学者がそこまでやるんだ的なことで、国も動いて、19世紀の終わりに、再建なった、といういい話らしいです。
Carducciって、よく高校の名前とかに使われているように思いま
すから、なんとなく知っているんですけど、詩人とは知らなんだ。
詩人が動いて国が追随するっていうのは、なんかイタリア的。イタリアって、文化遺産、歴史遺産にあふれていて、本当にそれらを維持保存するのは大変なことだと思うんですけど、その辺は結構ちゃんとやってるんですよね。ダメなところをあげたらきりのない国ではありますが、一方で、文化を大切にする姿勢は、なかなかすごいと感じることも多いです。

ファサード本体は、多孔質の石灰岩の切り石と、赤いレンガの列が交互に積まれていて、それだけで華やかな装飾となっているタイプ。これって、エミリア北部にもあるようなスタイルですね。
そういえば、あれは二年前だから、まだアップできていません…、反省。
その時は、鍵番さんが簡単にガイドもしてくださったのですが、石とレンガをこのように交互に積んだ意図として、1)装飾性、2)石だけだと凸凹してしまうために、レンガを入れることで安定性を作る、という二説あると伺いました。もちろん両方の可能性もあります。ここも、同じことかもね。
解説には、装飾性を求めた説しか書かれていませんでしたけれども。

このツートンカラー以外の装飾は乏しいのですが、扉口の上に、十字架があります。

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かつては、ファサードのトップに置かれていたそうなんです。そういわれればなるほど、と思いますが、50センチもあるって書かれていて、ちょっとびっくりしました。全体で見ると、それほど大きなものに見えませんよね。
解説には、「ラテン十字で、十字の横腕は、燕の尾っぽの形、交わる部分は、軽くくぼみ細長い盾の上に、小指と薬指が折り曲げられた祝福のポーズの手が彫られている。上部の腕は、10枚の花弁を持つバラで飾られている。この教会の中で、最も古い手作り品の一つである。」とあります。
燕のしっぽだったのが、欠けちゃったとかなんですかね?

現地では、白くてきれいな状態もあり、また、とてもすっきりとスタイリッシュなので、現代のものと思い込んでいました。まさか古いモノとはね。上部のバラなども、肉眼では気付けませんよ。ズームで撮影しといてよかったわ~。

前回、歴史的なことに言及したのですが、この教会が作られたとき、ロンゴバルドが各地で略奪してきたブツが結構使われたわけです。この十字架も、おそらく、どこぞの教会の装飾品だったものが、持ち込まれたという経緯で、ここにあるらしいです。
略奪の挙句、持ってきちゃったから、無事残ったのかもしれないけれど、キリスト教の歴史もなかなかに血なまぐさかったりしますよねえ。

では入場します。現在は、本堂右側、つまり南側の扉が使われています。

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前回書いたように、ちょうど団体のガイドツアーをやっていたので、入場時は明りが煌々とともされていました。細部までよく見えます。
かなり高くあげられている内陣が分かると思います。
電気が消されないうちに、と直感が働き、まずは、駆け込むようにクリプタにアクセスしました。

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煌々!
かなり修復されている様子が明らかなうえに、この明り全開状態で、風情はありませんが、細部を観察するチャンスです。

実際、団体がお帰りになった途端、明りが落とされ、クリプタはつけておくから、と言ってくれたものの、明りがあるのは祭壇だけで、こんなに真っ暗になりました。

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まぁこの方が本来の姿に近く、風情はありますけれど、手持ちの照明には限りがありますので、最初に明るい中で見学できたのはラッキーでした。

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うにょうにょが、柱頭と祭壇部分おそろいですね。うにょうにょしていますが、葉っぱモチーフみたいですね。独特です。

解説、以下となります。
「教会と同時期に作られたもので、起原はおそらく高貴な人または家族の墓に使用される目的であったろう。内陣にアクセスする階段の右わきに開けられた小さな扉からアクセス。1890年の修復でもたらされ、三つの小さな身廊に分割され、天井は後陣部分にあたり、六つの小さな交差ヴォルトからなる。それらは、中央の四本の円柱(3本の円筒系と1本の四角)、10本の壁に寄り添った半円柱によって支えられている。小円柱の柱頭は、教会のそれと共通するテイストだが、ラインはより調和性が高い。うち二つは、クリプタの中央に置かれ、とても優美な浅浮彫で装飾されている。
後陣の奥に、最近作られた小さな祭壇があり、教会で最も古い手作り品が置かれている。浅浮彫で装飾された石膏のアーチ。かつては、クリプタへアクセスする小さな扉の上にあったとされる。扉は、もともとは、内陣の右側に開けられており、それは今日でも確認できる。」

うにょうにょ浅浮彫が、もともとクリプタにアクセスする扉の装飾だったということなんでしょうね。

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全体に素朴で、柱も、角柱だったり円柱だったり多角だったりと、切り出したままみたいな様子で、いかにも古く、また地元の石工さん作なのかな、という様子も感じられます。

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本堂に戻り、こちらも慌てて見学します。ガイドツアーの人たちがいたこともあり、普段だと、ちょっとためらうんですが、躊躇なく階段をの登って祭壇にアクセスします。

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まずは目の端をとらえた柱頭の彫り物に突進です。内陣向かって左にあった愛らしいやつ!

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グリフィンですかねえ。でも頭がなんか、何だろう?状態になっているのがチャーミングっていうか、私はこんなタイプ、好きですねぇ。
グリフィンがあるなら、対面はキメラかな、と思ったんですが、こっち側は損壊激しく、ちょっと分からないことになっていました。

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柱頭に関しての解説は、以下となります。
「前部で10個。加えて、後陣にある半円柱の二つ。
それらは石膏または砂岩。ロンゴバルドに典型的なシンプルな彫りの技術で、7/8世紀に彫られたもの。明らかにラベンナのビザンチンテイストが見られる。」

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「いくつかの柱頭は、とてもシンプルなもので、いくつかはリボンやつる草、葉などで豊かに装飾されている。
右列の6番目にあるようなフィギュアものは珍しい。それは、幻獣、おそらく鷲の頭と蛇のしっぽ、鋭い爪を持つグリフィン。
角の石には、人の頭部が彫られている。」

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「後陣のもう一つの柱頭には、かわいらしい動物、鷲の頭とライオンの身体、その尻尾は蛇に噛まれている図。
祭壇の方を向いている角には、衣服や髭の様子から重要な人物と思われるフィギュアの上半身が見られる。
右四番目の柱頭は渦巻きで装飾されているが、動物の頭部のイメージを彷彿とさせる。内側面は、ギリシャ十字が明確である。その反対側は、フィギュアがあるが、理解しにくい。水を飲もうとしているガチョウ、一方で後ろでは犬が吠えているように見える。
人のフィギュアは、右一番目の柱頭に見られる。四つの粗雑な人の上半身が彫られているが、おそらく教会の最初の創設者ではないkと。
右二番目の柱頭の角にも、四人の人物が彫られている。

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祭壇に向かう角には、立っている人の姿。前に曲がっていて、肩をあげている。手には、おそらく笏しゃくを持っているように見える。他の角には腰掛けている三人の人物が、手の間に足を入れている。南向きの角には、人のフィギュアの近くにオオカミがいて、それはロンゴバルドの文化では、神の意志を肯定的に表すシンボルとされている。」

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結構撮影したんですけど、解説のすべてが合致しないというか、ちょっと分からなかったりするんですけど、とにかく素朴で愛らしいです。
ただ、明りが落とされたら、案の定細部が見えなくて、手持ちのライトを当てながらの撮影となり、なかなか本来の様子が分かりにくい写真になってしまったのが残念。あと20分ほど早く着いていたら、完璧でしたねぇ。

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あと少し、せっかくの解説、あげておきたいので、続きます。
アップが遅いのに、長々とすみません。


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  1. 2022/12/23(金) 17:40:35|
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まさかのダンテ(ポレンタ その1)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その6

数年前に行きたい場所の一つとしてピックアップしていた場所が、次の目的地です。

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ポレンタPolentaのサン・ドナート教会Pieve di San Donato。

街道沿いに数軒家があるだけの村のようですが、そのはずれにある墓地の教会です。墓地があるから、人の行き来があるのは不思議ではないのですが、それにしても多いな、と思っていたら、帰り道で気付きました。教会のすぐはす向かいにレストランがあり、そこに来る人たちが、教会前に駐車していたのでした。

到着時、正午あたりだったのかな。
ここは、昼休みもなく通しで開いている、という情報は得ていましたが、過去の様々な経験から、実際にたどり着くまでは信用できないものです。
とりあえず墓地向けのスペースに急いで駐車して、教会に近付くと、やけに人々がいるので、もしかして結婚式またはお葬式?とドキッとしてしまったのですが、単に、グループ見学者が来ていたのでした。

ガイドがいて、ちょうどツアーが終了して、解散直前というタイミングで、私が入り込んだ、という感じです。そのため、入った時は、教会全体に煌々と明りが灯されていました。一瞬にして状況を理解したので、もうそれは慌てて、バタバタとクリプタに降りたり、内陣に入り込んだりして、明りを最大限活用しようと小走りで動き回る東洋人、笑。

鍵番さんでしょうか。もう明り落とすからね、とおっしゃりながら、おそらくグループの方に用意したであろう冊子を、私にもくださいました。教会内に置いてある様子はなかったので、ラッキーでした。しっかりお布施をしてきましたよ。

というわけで、その冊子の説明を使って、見ていきたいと思います。

教会は、サン・ドナートに捧げられているのですが、それが、歴史の一端を物語るものとなっております。
なぜかというと、このドナートさんは、トスカーナはアレッツォの守護聖人なんだそうです。トスカーナの守護聖人の方が、なぜにこのポレンタで?となりますよね。
いただいた冊子の説明によると、以下となります。
「7世紀の終わり、ロンゴバルドがラベンナのビザンチンに対抗して、パダナ平野を征服した頃が、この教会の起源とされている。トスカーナから発し、ロマーニャの平野を通りながら略奪を行い、ロンゴバルドはこの地域までやってきた。
丘上には、地域を管理し、ビザンチンからのいかなる攻撃も防御するため、軍の施設が置かれた。
ロンゴバルドの兵士は、城塞を建築し、洗礼機能を持つ教会を作り、サン・ドナートに捧げた。サン・ドナートはアレッツォの守護聖人だが、要は、彼らの出身地だったのだ。教会は、その大部分を、地域産の石でなされ、略奪で得た品で装飾された。」

ドナートと言って、真っ先に思い出したのは、ベネチアはムラノ島にある後陣が美しい教会です。あそこにもこういったトスカーナの人たちが関係していたりするのかもしれず、こういう歴史の蘊蓄話は面白いですね。

ちなみに、ポレンタという町名に、あれ?と思われるかもしれません。
ポレンタと言えば、イタリア北部の貧乏食ですから、なぜロマーニャに、と不思議です。
100%正しいとされる説はないようですが、「パン用の麦粉」という意味のポレンタというラテン語起源というのが最も有力な説らしいです。それは貧乏人の食べ物で、この地域の人々の食べ物であったと。貧しい地域だったのですかね。
一方で、いや、そうじゃなくて、Polentiusという言葉が起源で、それは権力を持つ人という意味である、という説もあるそうですから、混とんとしています。

いずれにしても、ロンゴバルド起源で教会やお城が建てられていますし、すでにそれよりもずいぶん前に定住があったとされており、古い土地であることは間違いがないようです。

蘊蓄としては、もう一つびっくりの話が、冊子にありました。
なんとなんと、ダンテの神曲です。

神曲は、イタリア人ならば、誰でも一度は勉強しなければならない古典文学です。私は、ペルージャ大学でイタリア語を勉強した時に、文学の授業ですごく学びました。以前にも何かの記事に書いたように思いますが、その文学の教授、情熱的に熱狂的に神曲を語る方で、内容は半分くらいしか分からなかったのですけど、ダンテ愛が炸裂する授業で、非常に印象的だったんですよね。
中でも、それ以来、忘れられないパオロとフランチェスカの物語。涙なくしては語れない的な、今考えても、ほとんど浪曲状態で、語っておられたなぁ、あの教授。
なんとね、そのフランチェスカさんは、このポレンタ公の娘として1260年ポレンタ城で生まれ育ったというんです。

だから何、ということではないのですが、なんていうんですかねぇ、遠い歴史上の一記述に過ぎない神曲が、いきなり身近に迫ってきたみたいな感じ?
そして、たまたまこの日のこの時に訪ねたからもらえた冊子で、それがなかったら、一生知らなかったかもしれないっていう僥倖にあったような感じ?
知らなくても何も変わらないけどもね、なんかさ、ポレンタ、というちょっとばかり間抜けな印象の村が、いきなり悲劇の舞台に様変わりみたいな…。

おっと、脱線長すぎ。
一旦切ります。

ちなみに、パオロとフランチェスカのお話は、日本語でもいくらでも出てくると思うので、ご興味あれば、ネットで検索してくださいね。

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  1. 2022/12/19(月) 16:01:51|
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再訪の意義(ボローニャその2)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その5

激しく間があいてしまってすみません。
ボローニャBolognaのサント・ステファノ教会群Complesso di Santo Stefano - Sette Chiese、続きです。

前回同様、かつてホームページにあげていた解説を中心にまとめたいと思います。鍵かっこ内が、HPでの解説になります。
前回ご紹介したサン・セポルクロ教会を広場と逆の方向に出ると、建物に囲まれたぽっかりとした広場に出ますが、そこはピラトの中庭と呼ばれています。

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しつこいようですが、この場所が、このように大勢の人に占拠されているのは、初めてです、涙。
正面が、サン・セポルクロ教会となります。
この広場で注目すべきは、まずは、そのサン・セポルクロ教会の外壁です。

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「この、レンガの微妙な色の違いを利用して、ここまで装飾的なことができるということが、 初めて見たときは、本当に仰天しました。とにかく美しく、そしてかわいらしい。このようなレンガ装飾は、ほかで見たことがありません。」

最初に訪ねたときには、まだポンポーザなどにも未訪だったと思います。しかし、たとえレンガの印象的な教会を他に見たとしても、ここの壁面は、やはり印象的ですよね。

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「庭の中央部には、ロンゴバルド時代の堂々とした水盤(730頃)が置かれています。かつては献金に使われたということですが、 水盤のふちに文章が彫られていることから、ロンゴバルドのリウトプランド王がこの地にかかわっていることがわかるのです。」

もう一度、サン・セポルクロの中に戻り、内部から直接つながっているお隣の建物に向かいます。

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「聖ヴィターレ・アグリーコラ教会。 この教会は、ロンバルディア・ロマネスク様式をかなり忠実に保っていて、この教会群の中でもっともロマネスクの香り高い場所。」

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「とはいえ、教会の起源はもっとずっと古くて、 サンタンブロージョによって発見された殉教者二人の亡骸を納めるための礼拝堂ですから、4世紀のこと(かつて亡骸が納められたいたと考えられる石棺が、今でも左右後陣に 置かれています)。」

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永遠のシンボル、孔雀が、仲良くお水を飲んでいる石棺の一つ。おそらくサン・ヴィターレさんが収められていたもの。
そして、下のは、サン・アグリーコラさんのようです。

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8世紀から9世紀のものとされています。特にアグリーコラさんの方の石棺浮彫が、非常によく保たれていますが、なんせ、暗い!
これだけ多くの人が来るのだから、有料のライトアップ施設くらい備えろよ、と思うんですけどねぇ。または、入場を有料にして、もうちょっとライトアップするとか。イタリアは、フランスに比べると、有料無料含めて、明りが乏しいです。それと、バチカンのバックアップが潤沢にあるのかどうか知りませんが、教会入場への有料化に、抵抗が大きい様子があります。それもよし悪しですが、個人的には、こういう都市の教会は、有料化してもよい、というか、すべきだと考えます。当該市民は無料にしてほしいですけれども…。
でもきっと、有料化すると、税金がどうの、チケット販売がどうの、かえってややこしくて難しい問題が山積みになるんですよねぇ、この国は。だから、はした金を徴収するなら、無料の方がよい、という考え方があり、過去は多くの遺跡やモニュメントが無料で公開されていたんですよねぇ。例えばラベンナとかアグリジェントとか、最初に訪ねたときは無料でした。でも、頑張って有料化したら、それでも見学者は来るし、より整備もできるようになるわけだし、やっぱり有料化の意義は大きいと思うんですが…。

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「身廊を分割する柱やそれを装飾する柱頭は、さまざまな時代のものが使われていますが、どれもロマネスク初期またはそれ以前の時代のもの。」

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この教会の壁面もまた、美しいレンガと石の組み合わせ装飾となっています。また、浮彫は、ロンゴバルド・テイスト満載。

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右奥のは、マリアとエリザベツにも見えますが、手前はいきなりドラゴン。舌を引っ張って無力化してるのかな、笑。あ、昔漫画で、犬に襲われたら、舌を引っ張れば、犬は何もできないって読んだんで…。でも、そもそも舌を引っ張る行為をする前にやられると思う…。

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実はつい昨日、久しぶりにパヴィアに行ってきたんですが、あそこはロンゴバルド総本山的な街で、サン・ミケーレという素敵な教会があります。そこの浮彫に、似たテイストのものがあったと思うのですが、なんと現在、絶賛修復中で、ファサードの3分の2が覆われていたので、柱頭再会ならず、でした。

さて、再び中に入り、この教会抜けて、サン・セポルクロ教会経由でピラトの中庭に出て、先に進みます。

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「水盤を挟んで、サン・セポルクロ教会と 向かい合った位置に、トリニタ教会があります。この教会については、その歴史がほとんどわかっていません。当初は、殉教者の墓所にある礼拝堂として 使われた場所で、ロマネスク時代には、洗礼堂となったなど、諸説あるようですが、14世紀のフレスコがあったり、床も新しかったりしますが、明らかにロマネスク時代の柱頭 (私の好きな二股人魚がいらっしゃいます)が見られますので、その時代に何かに使われていたのは確実です。」

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この場所、教会とはいえ、現在は、建物と建物をつなぐ通路的な位置付けとなってしまっていますので、もともとどういう形だったのか、想像するのも難しい感じですよ。

ということで、駆け足気味のサント・ステファノ見学、終了です。
実は、ボローニャ市内には、もう一つ絶対に訪ねなければならないクリプタがあるのですが、それは、先のお楽しみとしました。今後も友人を訪ねることは多々あると思いますので、一つずつクリアしていくのも、楽しいかな、と思いまして。

今回は、以前不可だった撮影可、という福音がありましたが、同時に訪問者の多さに辟易するというマイナスもありました。ただ、過去と比べて、あるもの自体の変化はなかったと思います。
このところちょこちょことお出かけしていて、数年たつと、修復が進んでいたり、結果、以前見られなかったものが見られるとか、様々な変化が、意外とあることに気付きましたので、行きやすい場所は、ある程度の時期を置いて再訪するのも、大いに意義があるのだと思っています。
では、ボローニャの町を見ながら、終了。

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  1. 2022/12/18(日) 11:20:08|
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撮影可でもこれでは…涙(ボローニャその1)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その4

ボローニャの友人のところヘは、度々行っているのに、あまり町に出ることがありませんでした。今回は、久しぶりに、市内にある教会を再訪しようと思い立ち、友人も誘って、出かけてみました。

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ボローニャBolognaのサント・ステファノ教会群Complesso di Santo Stefano - Sette Chieseです。
訪問は、三度目くらいになりますか。前回の訪問からかなり時間がたっていること、そして、どうやら最近、以前撮影不可だった内部一部が撮影可になったらしいことが分かったことから、再訪したくなったのです。

しかし…、びっくりしました。

月曜をお休みにすれば、ブリッジ・ホリデーで4連休という週末ではありましたけれども、すでに観光シーズンからは外れているし、そもそもボローニャという町は、観光都市ではないはずなんですよね。それがあなた…。
イタリアは、もう本当にどこもかしこもオーバーツーリズムです。ミラノだって、昔はビジネス関係しか人が来なかったし、だから、夏休みなどホテルもレストランもお休みになったものなのに、2015年の万博以来、観光客もどっさり訪れるようになって、正直、うざったい…。
いや、そんなこと言っては罰が当たりますね。観光業界、コロナで大変だったわけだから、嬉しい悲鳴といったとこだろうし。

とはいっても…。
この教会群、確かに市内の良い場所にありますけれど、過去訪ねていて、この広場に人がいることがないような場所だったんです。それがもう、満員状態。上の写真の手前の方は、ずらりとカフェのテーブルが出ていて、満席ですよ。
そして、教会も、出入りする人が行列になっている有様…。
興味ない人が大多数のはずだけど、とりあえず入ってみる…。すぐ出てくる…。というわけで、入り口付近は常に人だかり状態。
中に入ると、ガイドツアーなどもしているから、人がひしめいているし、静寂とは反対の状況…。
せっかく撮影可となっても、これじゃ良い写真は取れないし、ざわめきがうるさくて見学にも集中できないし、Silenzio!と叫びたくなりました…。観光地化している教会であっても、例えばアッシジのサン・フランチェスコ聖地教会などは、シーンとしていましたよねぇ。まぁボローニャにはフランチェスコはおらんし、仕方ないか…。

というわけで、見学はさらりと。
以下、解説は、今は亡きブログの記事を活用したいと思います。「」内がそれで、それ以外の文は、今回の書き足しとなります。

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「サント・ステファノという名前がついているにもかかわらず、実はここにサント・ステファノにささげられた教会はないという不思議な教会です。起源はとても古くて、1世紀頃に 富裕な市民が、市壁のすぐ外側に自分たち専用の神殿を建てたというもの。いわゆる異教の時代。なぜこの場所に建てられたかというと、どうやら、儀式や身を清めるために、 なくてはならないものであった泉が湧いていたことが要因らしいです。その後、ミラノ司教だったサンタンブロージョが、4世紀早々に殉教した地域の聖人VitaleとAgricolaの 亡骸を発見し、それらが収められる建物が作られたようです。また5世紀には、後に聖人となるボローニャ司教ペトロニウスにより、小さな礼拝堂が、カテドラルの地位にまで 格上げされたのです。今ある教会の姿の基礎は、そのペトロニウスの時代の建物です。その後、ロンゴバルドの時代、740年頃、リウトプランド王がこの地に侵攻し、 このサント・ステファノを信仰の拠点としました。ロンゴバルドの時代は短命に終わり、その後のカール大帝支配時代を経て、973年にクリュニー改革の影響を受けた ベネディクト派修道士が居住を始めて、修道院となり、この頃2世紀にわたり、教会全体の修復改築が行われたことで、往時のロマネスク様式が、現在の建物の基礎になっている のです。」

ホームページ作成時に参照した図版があったので、掲載してみますね。

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建物のベースが残されているなどで、建物のおおよその変遷は分かるんだと思いますけれど、面白いですよね。
何もないところにできた小さな礼拝堂が、一つの町のような集積になっていく姿。こうやって見てしまえば、立った5枚の図版ですけど、千年以上かかって、集積していく、つまり、それだけの長い間、聖地として守られ愛されてきた土地であり建物であるというのは、宗教の驚異でもあります。

結果、今ではこんな複雑な構造で、それぞれがくっつきまくって…、笑、お土産屋までできちゃって…。

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「今では、7つほどの建物が集積する、歴史の生き証人 のような一角になっています。まず入り口となっているクロチフィッソ教会(トップの写真の、右端の建物)。 ファサードはロマネスク様式ですが、これは近代の修復で元に戻されたもの。内部は、修復しきれずに、 中世以降に変えられてしまった姿が、ほとんどそのままになっています。内陣下にクリプタがあり、そこに殉教者VitaleとAgricolaのレリックが収められています。」

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上が主祭壇で、かなり高くなっています。
撮影可だったり、見学の自由度が増した分、制限もあって、クリプタは、以前は入ることが出来たのではないかと思うのですが、今は、入り口から眺めることが出来るだけです。

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「この 教会の北側に、お隣にある集中型のサン・セポルクロ教会へつながる扉があります。こちらは、建設された 12世紀の雰囲気をかなり色濃く残しています。十二角形で、中心部がギリシャ神殿様式となっていて、真ん中にマトロネオがあります。円柱や柱頭は、そのいくつかがローマ時代の ものの再利用。中央部の神殿は、13世紀のものなので、ゴシック・テイストが感じられるように思いました。」

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「12角形は、内部にある12本の柱と対応していますが、これは、十二使徒の数でもあり、イスラエルの12部族の数でもあります。中央部の礼拝堂は、エルサレムのもののコピー。この地からも、結構な数の騎士が十字軍に参加しているようで、聖地の情報が、 多くもたらされたのでしょうね。」

emilia 116

この円形の建物は、とても雰囲気があるのだけど、以前は撮影不可だったので大変悔しい思いをしました。
今回は撮り放題ではあったわけですが、いかんせん見学者がすごい数で、良い写真を撮れるわけもなく、複雑な気持ちでした。

emilia 117

建物の中央に、この堂々とした祭壇があります。特にゴシックっぽい浮彫のある下が墓所となっているようで、ガイドツアーの皆が穴から中を覗き込んでいました。
私も真似してのぞき込みましたが、中の造作は新しくて、興味を惹かれるものはありませんでした。確か、守護聖人のペトロニウスさんが眠られているのでは。

思ったより長くなっているので、一旦切ります。続きます。

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  1. 2022/12/04(日) 17:38:47|
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クリスマスカードのことなど

師走に入ってしまいました。
なんだか忙しくて、全然ブログも更新できないでおり、もはやご心配をおかけするペースとなっておりますが、忙しいだけで、元気にしております。
来週は、とうとうサンタンブロージョの連休にもなってしまって、さらに更新が滞りそうです…。

altri 502

忙しい原因の一つが、実はクリスマスカード作成だったりします。
金にもならないのに、笑、なんだか毎年変な気合が入ってしまい、とにかく時間を取られます。手仕事好きって、DNAに何か入っているらしいですよね。私の場合は、おそらく母から受け継いだものだと思うのですが、面白いもので、姉はボタン付けもろくにできないような手仕事音痴だったりするんですよね。

ま、それは置いといて、今回は、普段よりも早くから準備を始めたのですけれども、想定以上に手間がかかること、最終段階で気付きまして、大わらわになっているところです。というのも、発送は郵便局に行く必要があるので、その時間的な手間もあって、焦りまくっています。

でね、どうせ忙しいのは同じなので、いつも拙ブログを訪問くださる数少ない読者様にも、御礼ということで送らせていただこうかと思いつきました。
中世テーマの手作りカードにご興味ある方、どうぞコメント欄にてご連絡ください。ご連絡くださる方はほとんどいない、と思っておりますが、万が一想定外の反響がある場合は、抽選など考えますが…、まぁないでしょう。
手に取ってみていただければ、忙しい理由も分かってもらえるかも、と思う次第で…。

では、どうぞよろしく。
頑張って更新もしていきたいと思います。

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  1. 2022/12/03(土) 16:45:28|
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