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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ひと昔どころじゃなかった(ノナントラ 1)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その6

次は、結構おなじみの場所です。

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ノナントラNonantolaのサン・シルベストロ修道院教会Cattedrale di San Silvestroです(オープン9時-17時半、すぐ近くに駐車場あり)。

ここは何度か訪ねていると思っていたのですが、記録を確認すると、前回訪ねたのは2010年、電車やバスを利用して行っていたようです。ブログにも簡単な記事があります。公共交通機関を使って行こうと思う方がいたら、モデナからバスがありますので、簡単に行けるようです(他人事な言い方ですけど、笑、すっかり忘れているもんで…)。

元々、久しぶりの訪問だとは思っていましたが、それほど間が開いていたとは思っていなかったので、やけに違和感あるなぁ、と感じていました。12年ぶりなら、それも当然の感覚ですね。いや、それよりも、違和感あると感じるほど、記憶が残っていたのは、海馬よ、ほめてつかわそう…。

当時は、ブログは簡単な訪問記録媒体として活用していて、その後、HPに調べたことを詳しくまとめるという、我ながら素晴らしい仕事をしていましたので、ブログの記事はシンプルなものです。せっかくなので、ボローニャのサント・ステファノ同様、かつてのHPの内容を活用して、二度目でもありますから、きちんとまとめておきたいと思います。

ロマネスクは、数年で何かが変わるものでもないので、こういうときは楽ですな。もちろん、研究は連綿と行われ続けているだろうし、関連文書を読みながら、何かに気付いたりする研究者なんかもいたりするんでしょうけれど、考古学的なブツの発見でもない限り、そうそう学説に変更はないはずなので、10年ひと昔前の調べでも大丈夫でしょう、笑。

前置きが長くなりますが、自分の記憶に関連する違和感だけではなくて、実はここ、2015年の地震被害を結構受けたんだそうです。そのため、その後4年間は修理のためにクローズされ、その間に修理修復が実施されたということ。ということは2019年とか20年に再オープンしたばかりということです。全体に、壁もきれいに洗われたのではないでしょうか。

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以前は、本堂から、この後陣のある場所や、かつての修道院スペースへのアクセスが自由にできたと思うのですが、今は博物館が併設され、後陣へのアクセスは、博物館からしかできないようでした。博物館は有料ですが、5ユーロなので、妥当と言えそうです。

では、歴史から。

「ノナントラ修道院の創設者は、サンタンセルモ(Sant'Anselmo)。ロンゴバルド王アストルフォの義兄で、短期間フリウリ公だった時代もあるという、どちらかというと政治的なベースのある人物ながら、 転身を続けるのが面白い人です。軍の指揮官から修道士のまとめ役へと転身。フリウリのあとヴィチェンツァ郊外で、巡礼や病人収容施設を創設。その後も各地で同様の施設を作ったらしいので、政治的手腕が、福祉的にも多いに生かされたということですね。そして752年ごろ、ノナントラにベネディクト派修道院を創設し、最初の修道院長に就任します。しかしながらデジデリオ王との確執のため、長期にわたってモンテカッシーノでの隠遁生活を強いられ、デジデリオがフランクのイタリア征服で失脚した後、改めてノナントラに返り咲いたとか。それが8世紀の話で、ノナントラは繁栄の一途だった時代のこと (一時は、800人もの修道士が暮らしていたというので驚きます)。」

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「ノナントラはそこそこの規模の町ですけれど、今でも修道院をベースにした町であることがとてもよくわかる構造です。町の中で、 元修道院だった建物の占める割合が異常に大きい。つまり中世には、修道院がすべてだったのでしょうね。」

上、グーグルの地図ですけれど、幹線を中心として緑で囲んだ程度が、もともとの町だと思われるんですけど、オレンジの塗りつぶし部分が、現在の修道院の敷地(博物館なども含む)なんです。かつては、畑だったりの施設を持っていたわけですから、修道院の町だったとしか思えないですよね。今は、住居がびっしりで、モデナやボローニャで働く人たちも多いのではないでしょうか。

「今、修道院の面影を、完璧な形で残すのは、サン・シルベストロ教会だけ。その教会すら、 後代に大きな改修工事がされ、オリジナルで残されたものはわずかです。例えば後陣部分ですが、実はここのほとんども、20世紀にオリジナルの姿を取り戻そうという修復で取り戻された姿で、近代まで、 バロック時期中心に手が入った、ロマネスクとは程遠い姿をさらしていたのです。」

後陣のすっきり感は、新しいレンガのせいですかね。

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陶器の皿が埋め込まれている装飾は、記録が残っていたから、再現したということなのでしょう。
2022年に回ったエミリアを、このシリーズの直前にまとめましたけれど、そこで訪ねたサン・チェザリオ・スル・パナロの教会、あそこが、このノナントラと似ているということを書いたと思いますが、ノナントラを模したような教会の姿も、再建にあたっては大いに参考にされたのでしょうね。

古いものが、僅か残されていて、これは、クリプタの明り取り部分です。

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アーチの浮彫、もともとここにあったかどうかは不明ですが、シンプルで好みです。上に置かれた人物フィギュアは、何だろうか。

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こっちなど、さらに地味ですが、意外とこういうの好物で、ついわくわくしちゃいます。
ベロだし君は、一人で寂しそうでした。

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この場所に、興味深い説明版がありました。

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なんだ、丸ごと再建ではないんでした。
黄色が近代の再建ですけれど、藤色とピンク色のところは12世紀ということ。もしかすると後代に、何か上から覆う構造になっていたとかそういうことがあるのかもね。

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南北の側壁も、再建も含めて時代が混ざっているそうです。
地震の修復で、そういう細かいことも解明したのかもしれないです。

この、ファサード向かって左、つまり北側ですが、かつて回廊があったのかな。

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井戸があるんですよね。
これ、以前来たときは気付いてないし、もしかするとこういうふうには整備されてなかったかもだし、でも明らかに回廊くさいですよね。

ほぼ通り道ではあったけど、どっちでもいいや気分でもあったけど、結果的には、再訪して本当によかったです。
続きます。

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  1. 2023/01/06(金) 16:47:30|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | コメント:0

アンテラーミに会いに行ったらマルタ騎士団が…(フォンテヴィーヴォ)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その5

次に訪ねた場所も、これまで何度か行こうと思いつつ、行けていなかったところです。

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フォンテヴィーヴォFontevivoのシトー派のちにベネディクト派修道院教会サン・ベルナルドBasilica di San Bernardoです(毎日8-12/14-19とありましたが、事前に電話で問い合わせたところ、昼休みなしというので、確か13時ごろ行ったところ、確かに開いておりました)。

この修道院の創設については文書にしっかりと記されているようで、1142年5月5日と日付まで分かっているようです。Chiaravalle della Colomba修道院から当時の修道院長Vivianoに率いられてやってきた12人の修道士たちが創設者となるようです。
この土地は、水があるなど、そしてもちろん戦略的な土地などの理由もあるのでしょうね、当時に権力者たちによって選定された土地のようですが、その当時は、主に沼地で使える土地ではなかったんだそうです。それが、修道士たちの働きで、生産性の高い土地へと変貌を遂げた、とありましたが、それって大変なことですよね。

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教会の裏側は、今運動場となっているのですが、修道院の建てられた時もきっと、こんな感じで何もなかったのではないかと思います。

沼地と言えば、過去に調べたことなのでうろ覚えですけれども、ローマの、テヴェレ川近くにあるサン・ジョルジョ・ヴェラブロ教会とか、トスカーナのアッバディア・イソラなども、沼地だった土地に建てられたんじゃなかったかな。
いくら水があるかもしれないからって、沼地に巨大建造物を建てるって、相当むちゃぶりな気がしますが、そういう土地を整備できる技術を持つ人がいたんだということなので、そう考えるとすごいことですね。

彼らはシトー派で、1546年までここにとどまりますが、その後ベネディクト派へと移ったそうです。

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教会は、全面的にレンガ作り。色は暗赤色とでも言いますが、レンガ造りだと黄色っぽい色が混じったりもしますけれど、ここは赤のバリエという様子です。スタイルはラテン十字、三身廊、交差ヴォルト、円柱構造。

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内部も赤レンガですが、つるつるで、10世紀あたりの建材とは全く異なるものですね。
トップの写真にファサードをあげましたが、バラ窓があります。8月15日に、太陽の光がまっすぐに、祭壇を照らすようになっているとありました。

全体に再建も含めて新しい感が強くて、特段惹かれるものはないのですが、ここを訪ねた理由は、ロマネスク世界でのセレブ石工さんの作と言われる聖母子像です。

まずはそれを探したんですが、説明版はあるのに見当たりません。結局教会全体を一巡してから、実は入場してすぐ右の壁にあることを発見して、苦笑いでした。

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でもこれ、かなり高いんですよ、置かれている場所が。それもガラス張りだから、反射もあって、よく見えない位置もあるわけで(超言い訳、笑)。

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通称「バラの聖母」と呼ばれる聖母子像で、先述したようにアンテラーミBenedetto Antelamiの作とされているものです。アンテラーミはパルマのカテドラルにある彫り物などで有名なマエストロ。ロマネスク時代、石工さんはあくまで職人さんですから、名前を残している人は数少ないですが、おそらく比較的後期で、多くの職人さんを束ねるなどの大規模工房の棟梁だったり、一般の職人さんから抜きんでる人たちが出てきた時代なのかな。

考えたら、この時代のお像は、ほとんどが木彫りですよね。これは、ヴェローナ産の赤大理石なんだそうで、今更びっくりです。彼のパルマの浮彫も、もはやほとんど彫刻レベルの飛び出し方で浮彫をはみ出ていますけれど、それでも浮彫なわけで、背景のない純粋彫刻、この時代としてはかなりレアなのでは。
装飾として、オリジナルの場所から離された軒持ち送りとか、たとえ軒にあってもこれは彫刻だよね、という形のものもありますけれど、でも、本来軒にくっついているわけで、建物と一体型、というのがロマネスクの基本ですから、13世紀前半、すでに次の時代の過渡期ということにはなるのでしょうね。

ちなみに、「バラの聖母」の由来は、手に花を持っているからだそうです。

また、現場には、過去の修復の結果、分かったことなどが書かれた研究所の抜粋が置かれていました。
「彩色は、後代に何度も繰り返されたもので、それらのために、オリジナルの状態や正確な製作時期などが分かりにくくなっている。しかしながら、フィデンツァやパルマの洗礼堂の彫刻などとの比較から、13世紀初頭と特定。修復時に、明らかに後代のものとされる彩色を取り除く作業も行われたが、非常に繊細で困難を極めた。オリジナルのものだけを残すことも困難ではあったが、例外的に聖母の顔については、オリジナルがそのまま残されたものとされている。」

せっかくなので、どアップしてみましょう。

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なんか、すっきり顔で、ちょっと観音様みたいですね。目などは絶対加筆されていると思うんですけど、加筆があると、その時代の顔にされちゃうから、目は怪しい…。それにしても口がおちょぼですよねぇ。

奥の方に、こんなもんが。

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1301年に亡くなり、教会の警護をするマルタ騎士団の騎士であるグイドーネ・パッラビチーノの、ヴェローナの赤大理石による墓碑だそうです。
ということは、ここもまたマルタ騎士団とつながりがあるのね。

それで思ったのですけれど、柱頭の装飾が、ちょっと怪しい。

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怪しい、というのも変な言い方だけど、確かマルタ騎士団って、なんか色々記号に意味を込めるみたいなのがあったんじゃなかったっけか。
多くの柱頭が、記号っぽいんですよね。

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なんか、気になる感じ。
ということで、マルタ騎士団関係の書籍を二冊、引っ張り出しました。意外とすぐに見つかったのはびっくりです。去年、紙ものを結構処分整理した成果が出た感じで嬉しいことです。
と言って、イタリア語だと斜め読みもなかなか骨が折れるので、さて、出てきたのはいいけれど、といういつものパターンです。
いつか、追記できることがあればしてみます。

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  1. 2023/01/04(水) 18:07:51|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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再訪を誓う新年のご挨拶、今更…(サングイナーロとガイオーネ)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その4

この時訪ねたものの、残念ながら実りのなかった二つ、備忘録として記しておきたいと思います。

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サングイナーロSanguinaroのサンティ・シモーネ・エ・ジューダ教会Chiesa di Santi Simone e Giudaです。

夏季6月から9月の日祝日のみのオープンとあったので、行くつもりならば事前に連絡を取るなりしなければならなかったのですが、この時は時間も読めなかったりしたのでそこまではせず、とりあえず様子を見るために行ってみた、というところです。もちろん開いていませんでした。

見た目、すっごく地味ですが、この教会も10世紀あたりのクリプタを内包しているのですよ。そのため、ここは入場しないと意味はないのですよね。フィデンツァのちょっと先なので、十分日帰りで行ける場所ですから、今年リベンジしたいと思います。

そう、新年ですね~。遅ればせですが、おめでとうございます。
昨年の今頃は、先が見えない状態で病院に閉じ込められていたことを思うと、感無量。無事生き延びた感が非常に強いです。
なかなか厳しい世の中ではありますが、だからこそ、皆の幸せを祈りたいものです。
寿ぎ、終了、笑。

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古い教会です。創建は10世紀、1230年以降、マルタ騎士団の所有となり、現在はサングイナーロの教区教会となっています。
ここも巡礼路上という位置ですから、それでマルタなのかな。

マルタ騎士団は、イタリアではかなり言及されるし、現在でも生きている組織で、大変興味深いのですが、全然ちゃんと調べられていないです。直近では、ピエチェンツァのサンタ・サビーナだったかな、モザイクを見に行った教会で、マルタ騎士団の人たちが管理していることを知りました。ミサの時に、騎士のコスプレ、と言っては失礼なんでしょうか、まさにコスプレ以外の何物でもないいで立ちで、教会の前にいらっしゃって。今でも入団の儀式(剣を肩に置くやつ)ってやっているのか、とかミーハーな質問をした記憶があります、笑。

さて、教会に話を戻しますと、現在ある建物は、ほぼほぼ1915年後の再建となっており、オリジナルが残っているのが、上部写真の後陣と、そしていつか見に行く予定のクリプタということなんです。
ここもまたレンガ中心なんですけれども、もっとローカル色強めというのか、石を使っていますよね。皮の石らしいですけど、個人的にはこのタイプって割と好きだったりするんです。アバウトな様子っていうのか、それでいて秩序も適度にあって、色も面白かったりね。
ここ面白いなと思うのは、ブラインドアーチから上が、レンガでとても正確な様子になっていることです。つけ柱も、上の方だけちょびっとありますし、変わってます。

後陣に続く脇の壁の方は、ほぼレンガですが、ところどころに川石が挟まっているのが見られます。

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クリプタは、写真で見ると、とても古さ全開で、素朴で好物系。
今では、一部埋められてしまったりで、サイズが縮小しているようですが、それでも一般的なクリプタに比べれば、かなり広いようです。実際説明でも、三身廊、五柱間、それぞれの身廊に後陣があるとあったので、広そうな様子、感じられます。
で、そのサイズ感から、上物の教会も、往時は今よりもずっと大きなものだったろう、と考えられているそうです。

ではもう一つ。

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ガイオーネGaioneのサンティ・イッポリート・エ・カッシアーノ教会Pieve Santi Ippolito e Cassianoです。

日祭日は普通に開いているという情報をもとに訪ねたのですが、どうやらコロナの後変わってしまったみたいで、日曜学校だかなんだかで集まっていた子供連れの人たちによれば、今は日祭日の10時半のミサ、および日祭日の16時以降らしい、と伺いました。
道に立っていた看板には、日曜のミサは8時半からと11時で、土曜日は冬季が18時から、夏季が18時半という風になっていました。行く際には、事前に確認しないと無駄足になりそうですね。

ここは、構造が11世紀と古いこと、そして洗礼盤が気になって行ってみたのです。

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でも、外観は全く再建くさい様子で、見るべきものは何一つ発見できませんでした。内部は、この外観からは想像できないロマネスク初期の石推しみたいな様子なので、ここもいつかリベンジしたいと思っています。

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  1. 2023/01/03(火) 18:41:10|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | コメント:2

巡礼者のお好みで…(コンティニャーコ)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その3

とても地味な教会が続きます。

わざわざ行かなくてもよいけど、ロマネスク、と聞いたら、やはり行きたくなっちゃうよね。でも例えば日本から来る人だったら、優先順位とか時間的余裕とか色々考えて計画建てる必要もあると思うし、実際に、見るべきものを優先で見てほしいと思うので、そういう意味で、私が細かいマイナー案件は確認する義務っていうか意義はあるよな、とか、まぁ別に善人ぶるわけじゃないけれど、住んでいるからこそ、無駄走りも時間の無駄使いもしやすいので、マイナー物件はお任せください、という気持ちはあるんです。
とはいっても、そういうマイナー物件って、やっぱり在住で、何度も行く機会があるとしても、なかなかカバーしにくいのも現実なんですけどもね。

この時の週末旅は、結構そういうところばっかり回った感じです。

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コンティニャーコContignacoのサン・ジョバンニ教会Pieve di San Giovanniです。

ここに行く時もナビがおかしくなって、結構迷いそうになって、自分の勘を信じたら、珍しくうまくいった、というのを覚えています。強烈なレベルの方向音痴なんで、そんなことはめったにないんで、逆に落ち着かなかった…、笑。それにしてもなんなん?この辺り、GPSダメなんかい。

まず言っときますけど、この場所におけるもっとも見るべきは、おそらく、その美しい風景だと…。

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教会、ちょっとした丘のトップに建っていて、そこからの緑の風景、癒しです。

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こういう教会は、蘊蓄をあまり調べても仕方ないと思うので、前回同様に、現地にあった説明版の解説だけ、読んでいきたいと思います。多少の由来とか歴史は、常に面白いとこあるしね。

「この教会は、アペニン山脈を横切る道上にあり、それはVia Francigenaのメイン・ルートの跡と並行する道となる。」

とあったので、さっそく地図で確認。

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メイン・ルートは、現在高速道路が通っているところになるのかな。この高速は、パルマの北部でアペニン山脈に入って、ラ・スペツィアに抜けるんだけど、途中、巡礼路らしい教会が点々とあります。
Via Francigenaは、何度も言及していますが、欧州北部からローマ、さらにエルサレムへと続く中世の巡礼路ですが、イタリアの中部この辺りでは、何本も支線があるみたいなんですよね。アペニン山脈は難所となるし、ローマも近付いたこの辺りでは巡礼者の数も増えるのかもしれないから、遠回りだけど緩やかな道だったり、宿などのファシリティーがよい道だったり、巡礼者それぞれに応じた選択肢が提供されていたということなのかも。いや、知らないんだけど、そういう研究って、きっとあるだろうね。サンチャゴの道に比べると、こちらはマイナーだし、整備も全域できているわけじゃないと思うので、研究の余地はあるのかな。

グーグルの地図があてになるわけではありませんが、それの上では、比較的大きな道にあるね。これを航空写真で見ると、なるほど、という感じです。

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フィデンツァ側にあるサルソマッジョーレ・テルメSalsomaggiore Termeは文字通り温泉。中世の頃、温泉ってどうだったんだろうか。でも温泉があるっていうことは、ちょっと風光明媚だったり気候がよかったりする可能性高いから、保養地的な土地だったかもしれないし、その先に、ペッレグリーノ・パルメンセPellegrino Parmense(直訳するとパルマの巡礼者)という名前の町があるのも興味深いね。
支線でも、大きい道だったのかもね。

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「1179年の記録における言及が最も古いもので、1196年には、すでに教会Pieveとして言及されている。
そのオリジナルのロマネスクは、20世紀に実施された修復の結果として、明らかにされた。それにより、シンプルな切り石による構造が明らかになった。
内部は、三身廊、四角い三つの角柱をもち、キューブ型柱頭を持つ一つの円柱からなる。後陣の円筒の奥行きはない。
現在洗礼盤が置かれている鐘楼下の礼拝堂には、15世紀ゴチック後期のフレスコ画。
中央身廊の突き当りには洗礼者ヨハネを伴う、アーモンドの中のキリストというフレスコ画があり、左身廊には、キリストの磔刑と、天使や聖人の姿のフレスコ画。
右一本目の角柱には、サンタ・ルチア。」

内部の説明はこれだけですが、十分かな。
全体に手が入り過ぎた結果、近年、ロマネスク様式に戻すような修復が行われたタイプの教会で、装飾は、14世紀以降のフレスコ画で、今はオリジナルの場所とは違う場所に並んでいる感じです。ロマネスク観点からは絶対に好きじゃないやつがほとんどでしたが、若干ロマネスクを感じさせる中世テイストがあるかも、というものが僅かありました。

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困り果ててる様子の人が、切ない…。

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こうなると、私はもうだめ。
ただ、後代の加筆がかなり入っているのかもしれませんねぇ。どうなのかな。フレスコ画は、時代の特定が難しいと聞いたことあるし。

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サンタ・ルチア。そろそろルネサンス風ですかね。

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この人は、ちょいとピエロ・デッラ・フランチェスカ風で、好みかも。でも、不敵なほほえみが、とても天使には見えない…。何か悪だくみを考えてニヤッとしている俗世まみれの人にしか…、笑。

他に何かないのかとうろうろ。

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唯一の円柱、味はありますね。
そして、壁に置かれていたお像。

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ここだけ、ちょっと古いもの集めてみましたコーナーみたいになってました。ファサードの裏側です。

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元々、ファサードはこうなってました、というオリジナルの姿が、内側に再現されているのかもね。上のお像も、確かに今のファサードの外側にあるんです。

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その、外に置いてあるのはレプリカなのかもね。
しかし、ファサード裏以外に、側廊の、フレスコ画が並べられているところにも、同じっぽいお像が置かれてて、それが一番摩耗激しくて、オリジナルなのか?って感じだったけど、何の説明もないからまったく不明でした。

というところでしょうか。ロマネスク的な興味はなかなか薄いですけれど、どんなところも行ったり調べたりすると、それなりに興味深いことは出てくるってやつですね。地形だったり往時の道のことは、結構興味あるので、そこは面白いと思いました。

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  1. 2023/01/02(月) 18:23:52|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | コメント:0

グーグルがあってしても…(サン・ニコメデ)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その2

前回の記事でも書いたのですが、この辺りは、過去に何度もうろうろしているんです。でも、行ったと思い込んでいた教会が、実は行けていなかった、ということも結構ある、ということ、この時気付いた感じでした。
おそらくですが、ロマネスク修行初期は、カーナビもスマホもなかったから、行こうと思ってうろうろしても、結局たどり着けなかった場所も、結構あるのかな、と思います。
実際、田舎だと住所が曖昧だったりするし、スマホのグーグルだって、以前はこれほど教会が登録されていなかったしね。

というわけで、今回の教会も、まず間違いなく、探したことはあるけど、たどり着けなかった場所の一つです。

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サン・ニコメデLocalita' San Nicomedeのサン・ニコメデ教会Pieve di San Nicomedeです(土日のみ、8時-12時/15時-18時。敷地内に住まわれている方が鍵番さん)。

フィデンツァFidenzaからも近く、地図的にはさほど難しい場所には見えないんですけれど、サン・ニコメデの村には何もなく、そして激しく一本道で、停まるのも難しい状況。やっと停まれた場所で、スマホで検索したら、なんだか反対方向を指示されて、また村に戻ったりなど繰り返し、やっとたどり着くことが出来ました。
先日のローマでも、なぜか完全な逆方向を指示する、ということがあって、スマホの問題なのか、接続の問題なのか分かりませんが、なんか泣きたくなります。

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村、と言っても、数軒の民家が道沿いに並んでいる程度の村なんですけれど、そこを通り過ぎたあたりの様子はこんなです。路肩もないし、こういう時、困りますよね。
こんな道を、何度か行ったり来たりして、ここに違いない、という場所は分かったのです。それが、こんな門構えがあって、いかにも個人宅、というたたずまいなんで、また何度か行ったり来たりして。

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意を決して、侵入した次第です。そしたら、正面奥に、木に隠れるようにして、教会があったのでした。

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いいのかな?とびくびくしながら停まっているマイカー、笑。

教会の扉には、上記した時間、開いていることになっていましたが、開いていません。実は、教会の手前、道路側には、教会関連風の建物があり、一部民家というか、人が住んでいる気配濃厚な建物がありますが、どうしようかなぁ、と教会周りをぐるぐるとしていました。

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すると、おばさんが出てきたのです。慌てて駆け付けて、怪しいものではないことを強調するために、小走りで近寄りつつ、「教会見学したいのです~!」と叫んだのですが、考えたら怖いよ…。
おばさんは幸い動じず、「扉、開いてますよ」と冷静に返してきた…。アホなのか、俺は。確かに開いている時間書いてあったけど、あんまりぴっちりと閉まっていたので、開いているわけがない、という思い込みで開けようともせなんだ…。

せっかくなので、ちょっと立ち話したら、おばさんいわく、「昔は教区司祭がここに生活していたけど、今はフィデンツァで生活していて、ミサの時しか来ないので、私が鍵番と管理をしてます」ということで、確かその時も娘がどこそこに住んでいてどうのこうの、という自分語りを聞いたような。いずれにしても、鍵への感謝がありますから、お話を伺うのも礼儀ってもんで。

前置き長いですね、すみません。

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たたずまいは、ちょっといい感じですけれど、前回のカブリオーロ同様レンガで、好き嫌いは分かれるタイプかもね。そしてここも、外観的には再建修復部分がかっている様子で、さしたる魅力は感じられないのですが、中にお宝あるので、入らないことにはどうしようもないのです。

ちょっとだけ蘊蓄を。

「教会の記録は、古くは9世紀からある。イタリア北部において、サン・ニコメデに捧げられた中では、最も古い教会であり、同殉教聖人への信仰の中心地であった。
現在ある建物は、長年になされてきた様々な建築の結果である。
教会の中で最も古いクリプタは、おそらく9世紀の建造物。後陣は1200年代、本堂部分は、入り口上部に置かれた記録から14世紀。
1909年の修復で、いくつかの手が入り、その際、本堂の二色使い装飾がおこなわれ、鐘楼が15世紀の様式で作られ、ファサードも再建され、その際に、ファサード前に小さなポルティコ、バラ窓、ライオン歯の軒送りなどが付け足された。」

ということです。サン・ニコメデって、それほど有名聖人ではないように思いますが、ローマ出身の方らしく、そのため、ローカル色が強かったりするのか、北部では数も少ないのかもしれませんね。でも、ローマで、サン・ニコメデ教会というのは、おそらくあるのでしょうけれど、行ったことはないので、より古い時代に信仰が厚かったとかそういう方かもしれません(要は教会があるとしても中世様式ではなかろう、と思うのです)。

では、入ってみましょう。

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内陣脇に階段があり、ちゃんと照明もつけられるようになっているとおばさんから教えてもらっています。

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おおお、めっちゃ好きなタイプ!

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「クリプタは、中世初期に広く普及した方式で作られたことがわかる。つまり、その時代以前の建物の建材の再利用である。おそらく9世紀の建造で、三つの小さな身廊が4本の円柱でつくられている。円柱の二本は溝が彫られたローマ時代のもので、他二本はロンゴバルドの時代のもの。クリプタの後陣には、井戸があり、その水は奇跡を起こすものとされていた。クリプタの床材となっている大理石版や井戸の縁石なども、ローマ時代の建物から回収された再利用品。」

スジスジがローマで、プリミティブな装飾的彫り物がロンゴバルド時代、って、とてもイタリアらしいっていうか、歴史の視覚化、面白いですよね。それぞれの柱の出自に、4世紀とかの差があるわけで、それらが9世紀に一緒になって…。

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床材も古いもの、というのが、好感度めちゃくちゃ高いです。全体は古いままでも、床は新しくなっている例が多いですからね。もちろん、傷んでぼこぼこになっちゃったりしてると、どうしても整備せざるを得ないですから、仕方ないんですけど、こういうのは萌えます。

井戸は、訪問時こんな感じで、修復してたのかするのか、そんな古いもんだと思わなくて、ビニールめくったりもしなかった…。大後悔。

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レンガ積みの雰囲気、そして床の雰囲気からかな、ピエモンテ、と言ってもミラノにすごく近い地域にあるブレーメのクリプタを思い出しました。あっちは石だったかもしれないけど、やはり9世紀とか10世紀の古さに、共通するものがあるように感じます。

すごくうっとりしちゃって、何度も何度もぐるぐるしたり、本堂に戻ってまた降りてみたり。

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去りがたくて、明りのない状態でも、一人でシーンと佇んでみたり。

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はは、ビニールがの無粋さに目が覚めますね、笑。

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日々の生活をつづる別ブログです。最近のミラノの様子などをつづっています。
イタリアぼっち日記

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インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
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  1. 2023/01/01(日) 16:53:34|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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