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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

植物誌的な…(パナギア・アヒロピートス聖堂 その2)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その4

アヒロピートス聖堂Church of Panagia Acheiropiitos(8-12/17-19)、続きです。

主に、現地で購入した二冊のガイド本英語版を参照していて、まずは各教会毎の解説をもって、写真の整理、というところなんですけれど、このアヒロピートスが初期キリスト教時代のバジリカである、というところで、え?と思って止まってしまい…。
ローマだったんですよね、それは分かるんですけど、そして土地的には、ローマの本拠地であるイタリア半島から遠いと言っても帝国の領土の中では比較的近いことになるのかとも思うんですけど、帝国内でのキリスト教の普及って、かなり一瞬的なことだったのかな?とか、ふと。

そのあたりの経緯というのは、割と分かってないと思うので、別途、教会の項とは別に調べてみたいと思います。

分かる人は若い時から分かって、それで歴史が好きです、とかなってるんだろうけど、私なんかはなんとなくの歴史好きというだけだったよなぁ、とつくづく情けなく思います。歴史っていうのは、ギリシャがあってローマがあって暗黒の中世でルネッサンスで、みたいな変遷的な印象っていうのか、本当はすべて同じ一つの時間軸の中でつながっているのに、それぞれが断ち切れているような、その中で自分が好きなとこだけ見ていたような。
美術史、という歴史の中の一つのテーマだけで見ると、すべてが複層的に絡み合ってつながっていて、過去とも未来ともつながっている中にその時のブツがあるっていうことが分かってきて。
人も文化もブチ切れるものではないのか、と気付くみたいな。アホですな。

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改めて、内部を見ていきます。
身廊を区切る左右それぞれ12本の円柱はコリント様式の柱頭をいただき、二段のアーカンサス葉装飾が彫りこまれています。

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透かし彫りは、テオドシウス風とか言うようです。
これって、確かにイメージはまんまラベンナ、つまりビザンチンです。
逆台形の形の副柱頭も、やはり植物文様で、渦巻き文様付きで、おおよそどれも同じモチーフが並んでいます。繊細です。

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柱頭に関しては、これはこれですごいと思うのですが、好物はシンプル系植物だったり、フィギュアだったりするので、ま、すごいわ、どまりなんですけど、実はこの柱頭の上のアーチ下に、素敵なモザイクがぎっしり。これは想像外の多さで、びっくりしました。

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身廊の仕切りアーチ、すでに紹介の通り、二段になっていますけれど、その上も下も、モザイクで装飾されているんです。全部が残っているわけではないのですが、ここまでやってるということは、他部分にももっともっとあったのかもしれません。この時代の財力、強烈です。

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主に植物モチーフが、黄金の背景に表されているんですけれど、とにかく美しいし、デザインもよいのですよ。ビザンチンのモザイクは、そうそう、こういう煌びやかで、独創的なデザイン性があって、色彩も面白い、こういうのじゃなきゃっていう。

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ラベンナを初めて訪ねたとき、聖書の場面だったり、後陣全体を使ったメインのテーマ的な場面のすごさに圧倒されつつ、その周辺の装飾的帯の美しさ面白さに、同じように感動したんですよね。モザイクのよさって、そういうところにもすごくあるから。
なので、こういった、まさに装飾のためのモザイクは大好物で、楽しくてたまりませんでした。

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植物に詳しい人なら、描かれた植物の名前が分かるかもしれないですね。私にわかるのはハスくらいかな。
あ、下のはユリっぽいですね。

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モザイクだから、ざっくりしてるかと思えば、かなり繊細なんですよね。そして、やはりどこかオリエントのテイストも感じます。

これまでのが、下段のアーチと思いますが、上段のはちょっと意匠の様子が変わっています。

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植物モチーフに並行して、宝石が置かれた赤い帯付。これもよく見るモチーフですが、フレスコ画よりも圧倒的に豪華さが匂ってきます。
こちらのデザインも、同じように素敵。今にも通用しますよね。

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黄金を使っているということは、石とともにガラスもすでに使われていたんですね、今更何って感じですが、笑。これまでに勉強したことも忘れまくるし、まるで今気付いたみたいに色々言ったりしてますが、ま、そんなもんですよね。

ちなみに、モザイクは、450年代と考えられているそうです。

その根拠は、私が撮影した中にはなかったのが残念ですが、南側アーチのモザイクに”Andreas”という名前が見られるそうなんです。このアンドレアスはこの教会のスポンサーであり、「テッサロニキの大司教を代表してChalkidon宗教会議に出席し、そして451年10月13日宗教会議の議事録に署名したアンドレアス神父である」ということです。
そのことから、モザイクは彼と同時代のものと特定されているみたいですね。あ、教会そのものも、447/8年頃創建とされています。そちらは、礎石に年号が入っていたらしいですが、ここでは西暦だったのかな。

さらに、「この特定はまた、この教会における柱頭と、コンスタンティノープルのStoudiou修道院のそれとの比較でも確認できる。なぜなら明らかに似ているからだ。とても重要なのは、アヒロピートスの彫刻が、特定の教会のために作られた彫刻の、完全なコレクションとなっているまれな例であることに注目すべきことだ。なぜなら、当時は、以前の建築から、お金と時間の節約のため、一部や全体の彫刻を再利用することが普通に行われていたからだ。」という解説もありました。
再利用じゃないということは、やはり資金が半端なかったんですね。

前の記事でも書いたと思いますが、テッサロニキのモザイクは、思ったよりは圧倒的に少なかったんですが、それはやはり資金の問題なんですよね。だから、このアヒロピートスは、かなり特別な教会だったんだろうと分かります。

写真が増えちゃったので、一旦切ります。


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  1. 2023/01/30(月) 12:39:25|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

一層100年?!(パナギア・アヒロピートス聖堂 その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その3

ホテルでもらった地図を頼りに、次に向かったのはアヒロピートス。と言っても、こちらも最初の訪問時は絶賛ミサ中だったので、パナギア・ハルケオン聖堂同様に、後から引き返して入場しています。

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アヒロピートス聖堂Church of Panagia Acheiropiitos(8-12/17-19)です。
早朝に開いて、昼休みがないなら助かるのですが、昼休みが5時間となると…。

ここは、パナギア・ハルケオン聖堂とは違って、街中に取り込まれているようなロケーションの上に、現在のレベルから相当下、ゆうに一回分は下が床面となっていて、入り口前のスペースもその段差との間の狭さで、全体の撮影ができませんでした。というわけで、上は本からのものとなりますが、後陣側ですね。こっち側、行けなかったように思いますが、行けたのかなぁ。

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分かりにくいと思いますが、鉄扉の先は階段になっていて、降りたところが、現在の入り口のある北側面になっています。

下も、本にあった、おそらく往時の想像図です。相当立派な複合施設という様子です。

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上の写真が、今教会の床面レベルになっている場所からですが、おそらく、南壁になるのかしら。プランと、本からの写真と見比べると、右側の通路的なものの向こうに、古い礼拝堂があるような感じ?やっぱりそっち側は行けなかったんだな(行けたのに見逃してたら悔しいから、行けなかったということで納得のフリ、笑)。

前の記事でちょっと触れたと思うのですが、テッサロニキの教会は、4世紀ごろから14世紀までと、かなり長い時期それぞれに建てられていて、それでこんなに多いんだってことなんですが、この教会は、最も古い初期キリスト教時代のものということです。で、当然バジリカ様式。
バジリカ様式って、スタイルとしては四角で面白みはないんですよね。巨大な四角でがらんとした感じ。ここはまさにそういう様子です。レンガ積みというところが、ローマにはないかなっていうところ。

入場して、そのがらーん度合いにびっくりさせられました。

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天井の高さはそうでもないけど、側廊との仕切りが、透けてるから、抜け感ってやつ?空間が広がりが半端ない。これはまさにローマにはないよね。
後代になって、側廊に二階部分が作られて、それでこういうスカスカ構造もあるけど、これ、側廊も天井だけだから、開口部からの明かりがすごいよ。

この教会、もともとはローマ時代の浴場があった場所に建てられたのだそうです。大邸宅(それも宗教に関係してるとかそういうやつ)とか、礼拝所とかはよくあるけど、お風呂の上に建つって、初めて聞いたと思います。
その浴場の痕跡がこれ。

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床モザイクが、北側身廊の下にあって、一部がガラス床面で見えるようになっています。よく見るとね、モザイク床も二重っていうか、二段重ねになってるんだよね。

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現地にあった写真だけど、発掘したら、こんなになってたらしい。かなりすごいし、さらに彫ればもっと広範囲でありそうだけど、それはしてなさそう。きりがないもんな。
解説版によれば、
「発掘調査の結果、ローマ浴場の、三層のモザイクが出てきて、その浴場は初期キリスト教時代の2世紀から4世紀まで使用されていたもの。最も上の床面は4世紀のもので、色彩豊かな幾何学モチーフが様々なパターンと組み合わされたもの。二層目は、白と緑の大理石で、モルタルに石が貼り付けてるタイプで、僅かして残されていない。三層目、もっと下層のものは、2世紀ごろと考えられ、白黒のみの幾何学モチーフとなっている。」

白黒のモザイクは、大好物ですが、それにしてもなんと贅沢な。浴場だからそれなりに消耗するだろうし、ちょっと状態悪くなったら、重ねる感じでモザイク床を刷新していたということなんですね。それにしてもローマの美意識たるや、おそるべし。

この教会、外側も、中も一見しただけでは分からないのですけれど、やっと見たかったものが、という装飾が沢山あります。期待していたビザンチンにあえる教会。
ということで、小刻みになってしまって申し訳ないですが、気長によろしくお願いします。

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  1. 2023/01/29(日) 18:17:36|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:2

天地創造歴6537年(パナギア・ハルケオン聖堂 その2)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その1

パナギア・ハルケオン聖堂Church of Panagia Chalkeon (7時半-21時半)、続きです。入場します。

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十字の真ん中部分、四角になっているところで、上のドームを見上げたもの。

まずは、ビザンチン教会ってどういうもんかほとんど分かってないから、見方も分からないというのが正直なところです。
そして、大変残念だったと思いますが、この頃はまだ手持ちのライトを使っていなかったこと。写真はISOというんですか、解像度を最大にしているので、明るい様子に見えますが、実際は薄暗くて、全体がぼんやりしていて、特にドームなどは、見えやしない状態です。

シャンデリアすごいし、あちこちに金ぴか極彩色系のイコンも飾ってあり、全体にきらびやかな様子で、何だろう、オリエントに通じるものがあるのかな、鮮やかな色使いとか、金ぴかとかね。

さて、自前の写真はそういうわけでよくないので、適宜本にあるものなども使って、見ていきます。

中央のドーム、四本の柱からそのままかと思いきや、一段置いて、一回り小さなサイズになるのですね。

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「祝福するキリストが円形のフレームに降り、二人の天使が支えている。その中央部のイメージの周囲に、さらに大きな円があり、中心部は同じで、祈る聖母が置かれている(彼女の手は横にあげられている)。彼女の両脇に天使。そして使徒たち。
下の方、窓との間、預言者。
ペンデンティブには、六つの翼をもつセラフィムが描かれていたが、今ではほとんど認識できない。後陣は聖母の姿、手は祈りの形。左右には、天使。」

解説には、このようにありますが、厳しいですよね。デジカメの写真のサイズで見ると、うっすらと識別できる部分もありますが、肉眼では、上の写真状態ですからね。

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こういったもののようですが、今はキリストのお顔や体の一部、そして周囲の人々のお顔や上半身の一部がうっすらと認識できる程度です。残念な保存状態ですね。

最大ズームで撮影した中に、キリストと、周囲の人の一部が、割とよく撮れておりましたが、さすがビザンチンですね。濃いソース顔のハンサム君(キリストの方は、特段濃いめではなく…)、笑。

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実は行く前、テッサロニキ、ビザンチンだし、どこもかしこもモザイクだらけ、と思い込んでいたんです。モザイク好きなので、その点でも長年あこがれていたわけなんですけれど、なんと、モザイク観点からは、ラベンナに敵うものなし。もちろんあるんですけれど、数は少ないです。
モザイク発祥やろうが!?と突っ込みたくなりますが、やはりモザイクは金がかかるんですね。ということで、テッサロニキの壁面装飾はフレスコ画中心でした。

考えたら、ラベンナは、町の規模はテッサロニキと同等またはちょっと小さいのかな、それでいてすごい教会の数があり、ほとんどどの教会にもモザイク装飾が施されていたというのは、おそるべし財力、ということになるのですねぇ。改めて感心しました。

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「聖所の高い壁には、左右に、最後の晩餐の図となっている。南壁に六人、北に六人の使徒。」

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やはりビザンチンのキリストは濃いね。それにしても美しい手です。
足元にはセラフィムが沢山並んでいて、そこだけはまぁまぁわかるけど、他は間違えた図像を載せていたら、ごめんなさい。
全体はこんな絵らしい。

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「教会の壁とアーチには、ペンテコステ、お誕生、マギ、紹介や十字架聖母の眠りなど、聖書の場面が描かれている。」

などともあるのですが、もう全然不明でした。うっすらと絵がありそうな場所は撮影したのですが、まったくダメ。
でも、本にはこんなすごい後陣らしきフレスコ画がのっていました。

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ありえんだろう?
あったのか?はがしたのか?

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ここが後陣部分と覆うけれど、痕跡ないし、ビザンチン系は聖所に入れないよね。
もともと聖母にささげられた教会だったらしいから、そういう絵あっても不思議じゃないけど、何かなぁ。
フレスコ画以外は、ちょっとだけ彫り物装飾があります。

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「現在に残る彫刻的装飾は、四本の柱の柱頭だけ。柱頭は、下部では円形で、アーチを支える部分では四角になっている。柱頭の四面は緩やかにカーブしており、中央部にバラまたは十字が彫られている。」

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イコノスタシスにもかわいい彫り物がありましたが、これは現代の再建なんでしょうかね。

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で、初っ端からやらかしましたが、この教会でも最重要のアイテムの一つ、見忘れ、撮り忘れです、笑。
入り口の上部の枠に彫られている碑文のようなんですが、「この碑文によって、われわれは、教会が、世俗的な場所に建てられた(それ以前にキリスト教は無関係な場所)事実を知ることが出来るのである。また、創建者がChristophoros、この地域の高貴な立場の有力者であったことを。彼は、教会を聖母に捧げ、それは自らの罪と妻の罪のためであると。」

その碑文の内容は、
「この場所は、これまでは世俗の土地であったが、Christophorosそしてその妻マリア、二人の子供たちであるNikiphoros、Anna、そしてKatakaliによって、神の母に捧げられるのである。6537年9月」

でね、この6537年、という訳の分からないのが、今回の発見でした。Annus Mundiというビザンチンの年月カウント法があるのね。この6537年はキリスト教の暦では1028年に当たるということで、この教会の創建は1028年ということだそうです。

Annus Mundiというのは、この世が作られてからの年数を表すものなんだそうで、これまで聞いたこともなかったです。それによれば、キリストの誕生は、5508年から9年に当たるということで、ひよっこが、みたいな?

ちょっと検索したところ、天地創造歴(ビザンチン暦とも)と呼ばれるものだそうです。ビザンチン世界、知らないことばかりです。
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テーマ:建築 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2023/01/24(火) 18:49:27|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

いきなりビザンチン!(パナギア・ハルケオン聖堂 その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その1

次はどこをまとめようかと、過去写真を見ていて驚愕。実は、かなり古くなっているし、次は絶対やらないと、と思っていた2019年夏のフランス修行の写真、整理が全然できてなかった…。
多分3000枚くらいの写真が、フォルダ分けもされずに、ただ並んでいて、驚愕でした。いい加減にしろよ、自分!

というわけで、いくつかの小さな修行旅を片付けていく選択肢もあるのですが、こういうとんでもない事態を避けるためにも、ある程度古いものから片付けていくことは必要と思うので、3年ちょい温めていた、笑、ビザンチン修行編、やっていこうと思います。画面左スレッドに、ビザンチンというカテゴリーを設けていますので、プロローグはそちらで見られます。

プロローグに記し、またタイトルにもしていますが、弾丸修行でした。夜、現地到着し、翌日早朝から夜までの12時間ほど、歩きに歩きました。
たったの二泊二日という行程で、何を見ることが出来るのか不明でしたが、結果としては、どこまででも歩く体力があれば、丸一日で、主要な教会を回ることは可能ということが分かりました。とはいっても、もちろん、ほぼ休みなしで町を二周した状態ですから、おそらく誰にでもできる荒業ではなさそうです、笑。

本来なら、歴史的時系列に沿って紹介した方が分かりやすいと思うのですが、それは整理上、さらなる手間暇を必要としますので、いつものように、見学した順番にあげていくこととします。

というわけで、早朝8時には宿を出て、一発目に訪れたのは、こちらです。

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パナギア・ハルケオン聖堂Church of Panagia Chalkeon (7時半-21時半)

オープン時間、7時半ってすごくないですか。本当に開いているのか、半信半疑で訪ねたのですが、本当に開いていました!ただし、8時過ぎに着いたものの、ミサの真っ最中だったので、入場は見合わせ、他を回った後に、10時過ぎに戻って、入場しました。

ここテッサロニキでは、信者さんが熱心なようで、教会の開いている時間は長いものの、早朝のミサ、夕方のミサ、などにより、苦戦必至のところもあります。万聖節の週末だったことも、関係しているのかもしれません。あれ?ギリシャ正教にも万聖節って関係あるのかな?

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こういった張り紙があったりしても、ギリシャ語オンリーということも多く、ここでは完全文盲となります。デジタル世代なら、ギリシャ文字をスマホで読み取って翻訳、などという技もできるんかもしれませんが、私には無理…。色々大変でしたが、でも一方で、常々暮らしている欧州圏内ではありえないことなので、楽しかったです。
ちなみに、町の人々はほぼ英語が通じましたし、人によってはイタリア語もいけましたので、基本、大きな不自由はありません。

さて、この聖堂、なんといってもいかにもビザンチンって感じのレンガ積みがよろしいし、サイズ感もとってもチャーミング。

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緑の公園みたいな中にあって、結構木があるもので、全体を撮影するのが難しかったのですが、緑とレンガの相性もばっちりですね。上は、本にあった全体像で、解像度悪いけれど、かわいいという印象、分かってもらえるかと思います。

現地で、図版豊富な本を二冊入手してきましたので、今回はその本の解説をもとに、見ていきたいと思います。

歴史時系列で言うと、テッサロニキにある教会は、4から6世紀の初期キリスト教時代、暗黒時代と呼ばれる7及び8世紀、ビザンチン中期の9から12世紀、そしてビザンチン後期の13から14世紀、ビザンチン以降の15世紀から19世紀というそれぞれの時代に建てられたものが混在しています。加えて、トルコ人のオスマン帝国時代の遺構があったり、当時、モスクに転用されていた痕跡が、多くの教会で残されたりもしているというところです。

実際、このパナギア・ハルケオン聖堂も、1430年、トルコ人がテッサロニキを占領した後、モスクとなっていたそうです。当時のトルコ語の名称は、Kazantzilar Djamiで、それが単純にギリシャ語に訳されたのが、現在の名称であるパナギア・ハルケオンで、それは銅細工師のモスクという意味だそうですよ。当時からそういった職業の人々が集まる地域だったことに由来するそうですが、今でもその伝統は保たれているということです。銅に限らず、金属細工ですかね。
あまりに修行に邁進していたので、周辺のお店を見る余裕は正直、ほぼゼロという状態だったのですが、もしかすると、工房とかジュエリーショップなどが軒を連ねていたのかな。

話を少々戻すと、この聖堂の創建は、ビザンチン中期となります。テッサロニキには、実にびっくりするくらい数多くの教会があるのですが、そのほとんどは初期キリスト教時代と後期ビザンチン時代のものとなり、中期のものはこの聖堂くらいみたいです。

時代は違えど、多くの教会は、レンガ作りとなっており、外壁がすべてレンガなのは、ほぼ共通しています。イタリア南部にあるビザンチン教会も、確かレンガ造りでしたね。
なぜか?
というのは、非常に興味があるポイントですが、実はまだ読み切れていないです。単純に考えれば、良い石が産出しないとか、量が少ないとか、またはレンガが好まれたとか、工事が早くできるとか、その辺が理由として思いつきますが…。
解説本を読み進めるうちに、おいおい分かってくるかもしれないので、楽しみです。

それにしても、そのレンガ積みの技術、レンガによる装飾はすさまじく、感心します。

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軒送りなど、普段ワクワクの好物アイテムはないのですが、この、トップを飾るのこぎり歯というか、ライオン歯というか、レンガの端をうまく使った帯、かなり好物だし、これでもか状態のダメだし重ねとでも言いましょうか、なかなかの迫力ですよ。

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レンガ積みと言っても、モルタル?ツートンカラーですよね。
とにかくひたすら律儀に積んで、開口部周りのアーチ部分のバランスもすごく緻密で、自分には絶対できない仕事であるからこその羨望というか驚嘆というか…。今はあんなですけどね、ギリシャ人。すごい職人がいたんだなぁ、とか、笑。

ローマでもよく思ったことですが、中世を勉強して、ローマ帝国は一度完全に終わって、今のイタリアに直接通じてないことが分かって、なんか納得した感ありますが、ギリシャはどうなんでしょう。ビザンチンやオスマンなどの東方文化は、逆に技術や知識が上を言ってたんじゃないか疑惑もあり、ギリシャ文化が切断されてもよりよくなりそうな印象ですが、オスマンが終わって元に戻る過程で、もしかして違うものになっていったとか?

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ちなみに、後陣、内部では半円の三つ後陣スタイルですが、外側は、中央後陣が円筒ではなく、三面の角ばったスタイルになっています。

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上が平面図で、後陣部分、分かるでしょうか。
そして、こじんまりとしている様子、分かるでしょうか。

このこじんまりさも、この時代ならでは、という感じがあるようで、この後の時代、つまりビザンチン後期になると、全体に大きくなっていく様子です。
ここは、四本の腕が同じ長さのギリシャ十字が基本で、その周囲への広がりがない分、こじんまり。
十字の真ん中部分がドームになっていて、四本の柱で持ち上げられているスタイルです。
入り口側、東向きの後陣の対面となる西側には、ナルテックス構造があります。

このナルテックスは、トップの写真で分かるように、二階部分があり、かつては、二つの小さなドームの天井の下にあった木製の階段でアクセスすることができたそうです。しかし、その上部構造のつながり方が、他の面の構造とは違う形となっており、建物の他の部分よりも跡付けて作られたものであると考えらているようです。

外観は地味目ですが、ビザンチンはやはり内部で勝負!
ですが、長くなったので、一旦切ります。

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  1. 2023/01/22(日) 17:05:44|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

勝手なご意見番は楽しいよね(バッツァーノ・ディ・パルマ 2)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その12

バッツァーノ・ディ・パルマBazzano di Parmaのサンタンブロージョ教会Pieve di Sant'Ambrogio、続きです。

鍵守りさんから頂いた冊子、かなり読み応えのある内容で、図版も豊富で面白いのですが、これを日本語訳しようとすると、私の語学力では膨大な時間がかかってしまいます。
一つのアイテムにのめり込むスタイルではございませんし、斜め読みして、もう十分、という気持ちですし、こちら読んだくださる方も、あまり詳しくてもつまらないのではないか、と自分に良きように解釈して、笑、深い追及は避けたいと思います。
とはいえ、前回の伝説を語るだけではちょっと…と思うので、もう少しだけ、抜粋していきたいと思います。

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そもそもですが「石灰岩の一つの塊から作られたもので、外側は、八角形、内側は円錐形。八面のすべての面で、角に円柱を置き、上部は植物モチーフの装飾アーチで区切っている。おそらくローマ時代の石棺装飾からインスパイアされたもの」。

洗礼盤は、円形や多角形など、様々な形が用いられますが、最も多いのか、またはいわゆる推奨?の形は八角形とされているようですね。

こういった知識は、各所で出会うのですが、記憶力悪いのですぐ忘れちゃったり、特にこちらで記事にしたことがあるかどうかというと、マジ覚えてないので、繰り返しになっちゃって、また同じこと書いてやがる、とうざったく思われるかもですが、お許しくださいね。

八角形は、キリストの死と復活を象徴する重要な八という数字から来ているもので、まさに洗礼盤にはうってつけな形、ということなんですね。

しかし、実際思い返すと、円形の洗礼盤とか、変な多角とかは思いつくのですが、八角形というのは、意外と思い出せません。全身浴時代のデカサイズのは、八角形が多いな、という印象ですが、こういった井戸の入り口みたいなスタイルになってからのは、なかなか思いつかないです。

さて、「洗礼盤は、信者が、洗礼を通じて、原罪によって決定された古い命を捨て、キリスト教の社会に守られて、生まれ変わるというのを意味する埋葬と、象徴的に組み合わせとなっている。もちろん、それらは、死、そしてキリストの復活と結びついている」とあります。この意味から、洗礼盤の装飾に、こういった内容と結びつく図像があしらわれたりするわけですが、このバッツァーノでは、伝説のお話でも分かるように、洗礼という儀式と直結した図像が施されたということになりますね。

なんとなくの意味は、伝説のお話でも通じるし、納得感ありますが、もうちょっと美術的な記述がありました。

「読解のカギは、主要な人物から明らかにされていく。洗礼者ヨハネ(光背、裸足の足、ベルトのタイプから認識できる)。キリストを洗礼するもの、そのため、洗礼盤が捧げられるもの。彼は、この図像の中で唯一、彫りこみのある円柱に囲まれている(ほかは彫りこみのないすべすべの円柱)。」

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「ヨハネは、祈り、そして挨拶のポーズで左手を挙げ、彼の最も有名な言葉を発している様子だ。”神の子羊がここにいる。彼が世界の原罪を取り払うだろう”。」

ちなみに、ヨハネのつま先が見えてるんですけど、すごくしっかりした足指に爪。

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これは、いかにも、ラクダの皮衣を着て砂漠生活していた人の足指的な!ラファエロのイケメン美脚ヨハネより、写実的!笑。脱線すみません。

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「八角形の対面となる面には、十字架の刺さった子羊が置かれている。それはもちろんキリストの殉教のシンボルである。
このように、それぞれの対面している図像方式で解読を進めると、他の図像に関しても、何らかを感じ取れることが分かる。
処女は、反対側にある図像の天使からのお告げを聞くために、手を耳にあてている(お告げのエピソード)。」

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現在、洗礼盤が置かれている場所では、本堂に向いた場所に聖母がある状態です。その反対側の面、つまりお告げしているガブリエルさんは、壁に近くて、残念ながら正面から見ることが出来ない位置となっていて、撮影も困難を極めます。
せっかく八面全部、保存状態の良い彫り物があるのだから、すべて見られるように配置してほしいもんですが、鉄柵の中に置きたい気持ちもわかるし、難しいですかね。
お告げの天使は、お顔がかわいそうなことになってはいるんですけどね。

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「同じように、祝福するキリスト(十字架の彫りこまれた光背が目印)には、洗礼準備者が組み合わされている。」

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この洗礼準備者のフィギュア、パルマ近郊のヴィコフェルティレVicofertileの洗礼盤のフィギュアをちょっと思い出したんです。で、過去の写真を調べてみたんですけど、全然違いました、笑。

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こっちは、そもそも聖職者だったし、石の材質も違うし、彫りの確かさとか、時代も下ってそうです。

で、バッツァーノの洗礼盤の作成時期のお話となります。 
これは、研究者の間でも種々議論はあるポイントだったようですよ。

「装飾的な要素の古さや人物像の硬直的な形から、初期キリスト教やロンゴバルド時代のテイストが読み取れる。しかしながら、図像の選択や、人物の衣服、また、人物のポーズ、フィギュアの占めるスペースなどから、総合的に考察すれば、10世紀から11世紀にかけて、つまりアンテラーミの時代には先立つものと考えられるのである。」

というのが、1999年に行われた修復プロジェクトのリーダーの見解です。

同じ冊子には、おそらく研究者と思われる方の分も掲載されているのですが、その方は、理由は上の方と同様ですが、「11世紀最後の四半期と12世紀の前半と考えられるのである。確証のポイントは、人物の衣(オリジナルは彩色があり、さらに分かりやすかったはず)で、例えば処女の衣は当時の典型的なもの、また、洗礼準備者も同様に、そう考えられるものなのだ。」という意見のようです。
1世紀の違いというと、ふーん、とは思いますが、結構な違いです。

アンテラーミへの言及がありますが、アンテラーミBenedetto Antelamiは、パルマで活躍した建築家彫刻家で、1150年ごろ、コモの石工として有名なコモ地域で生まれたとされる方です。おそらく最も有名な彼の作品は、パルマのカテドラルに置かれたキリスト降架の浅浮彫ですが、それは1178年、12世紀後半のものとなり、そのあたりが全盛期だった人。ロマネスクが、成熟した時期ですよね。まぁそのくらいにならないと、個人名は出てこない、つまり、ただの職人だった人たちが、専門家や芸術家として認められるようになってきた時代で、次の時代にうつるようなそういう感じになるのかな。

似てるんじゃないか、と一瞬思ったヴィコフェルティレなども、アンテラーミの時代ではないかと思うんですけれど、要は、そこからどれだけ遡るか、という点なんですね。
素人目線で言うと、修復リーダーに一票、ですかね。
フィギュアのプリミティブさも、装飾的なモチーフにも、それ以前の要素が満載な様子ですし、イメージとして、12世紀はないような…。

emilia 312

縁の上部に彫られた植物の帯モチーフとか、人物フィギュア上部のアーチのモチーフなど、とてもロンゴバルド風です。
こういったモチーフは、相当長い間使いまわされてきたもので、11世紀以降でも、各地で見られるということですが…。

いずれにしても、ロンバルディア風が散見されるということで、コモ地域の石工さんがかかわっていたのかというのは示唆されています。
彫りはかなりしっかりしていますから、地域の素人ではないのは間違いないですけれど、それにしても、寒村と言っていいような村なので、なぜこのように立派なものが、という謎は、冊子には言及されておりませんでした。

いつもと逆で、最後ですが、位置関係を。

emilia 313

パルマからは30キロだから、距離は大したことないけれど、クルマでもドキドキの山道ですから、なかなかの山奥状態です。でも、カノッサがすぐ近くにあるのね。もしかしてマチルダ、関係してるのかな。

ということで、昨年来のエミリア・ロマーニャ、一気に完結です。
この辺りは、長年懸案な場所も、まだまだ結構ありますので、今後も折を見て、地図をつぶしていく感覚で訪ねていきたいと思います。

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  1. 2023/01/21(土) 11:22:21|
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山奥の素晴らしいお宝(バッツァーノ・ディ・パルマ 1)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その11

次にご紹介するのは、これまでにも何度か行きたいと思いつつ、ポツンと一人立つ感じで、他の教会と組み合わせにくかったり、なんといっても山深そうな様子もありありだったので、怖いという気持ちもあり、なかなか実現できなかった場所です。
実際、かなりくねくねした山道を結構な時間走るので、相当手に汗をかきました、笑。オートマじゃなかったら、絶対行けなかったわ。

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バッツァーノ・ディ・パルマBazzano di Parmaのサンタンブロージョ教会Pieve di Sant'Ambrogioです(毎日祝9-12)。

教会本体は、見てわかる通り、ロマネスクの痕跡はなく、なんでわざわざ?と思われますよね。ここは、入場しない限り、訪ねる意味がないので、必ず事前に確認することをお勧めします。
というのも、基本的に日祝の午前中は開いていることになっているのですが、鍵番さんの都合で、結構いい加減だったりするようなのですよ。私は事前に鍵番さんにコンタクトして、開いている、という言質を取って訪ねたのですが、到着時11時15分で、しっかりクローズでした。
鍵番さんに電話すると、妻らしき方が、「夫に今すぐ戻るように言うから!」ということで、5分ほどで鍵がやってきました、笑。
きっと誰も来ないし、今日はもうやめやめ、とか勝手に帰宅しちゃったんだろな、と思います。私が到着するのと入れ違いに去っていった車があったので、多分あれだった…。

emilia 293

入場したからって、まずはこれ。え~、どゆこと?ですよね。
お宝は、脇の方にあります。じわじわ行きます、笑。

emilia 294

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
すんばらしい洗礼盤があるんです!
でも、鉄柵…。
と、一瞬がっかりしたら、全然カギなんかなくて、中に入れるのでしたよ。

鍵番さん、既定の時間前に帰っちゃった反省からなのか分かりませんが、おもむろに、豊富な図版が入った、実に素敵な冊子をくださいました。売っていたとしたら10ユーロ以下では絶対に買えなそうなやつ。おいくらか尋ねたら、取っときな、というぶっきらぼうな感じで押し付けられましたので、有難くいただきました。ちょびっと献金はしてきました、笑。

というわけで、盛りだくさんな解説が手元にありますので、これは読まねばなりません。嬉しい半面、正直ちょっと辛いです、笑。
どうやって読んでいこうかと悩むところですが、この八角形の洗礼盤、それぞれの面に彫り物があり、その分かりやすい解説にもなっている伝説的なお話から始めてみます。

―――――――――――――――――――――――――
バッツァーノの洗礼盤における最初の洗礼(歴史と伝説を交えた短い物語)
太陽は、すでに丘の後ろに姿を消した。最初の影が、パルマ地域のアペニン山脈にある小さな村バッツァーノの家々を覆いだす。ドン・ロレンツォは、祈りを捧げるために教会に入り、すぐに、身廊の奥、洗礼盤の近くにある隠れた姿に気付いた。近づくと、洗礼準備者であるステファノの姿であることが分かった。ステファノは、膝まづき、頭を垂れていた。
数時間後、聖なる土曜日の夜中に、ステファノは洗礼を受けることになっていた。その洗礼盤で、初めてとなる洗礼となるもので、それは、キリストが復活してから千年過ぎた1303年になって数か月後のことだった。

司祭は、「立ちなさい!」と声をかけた。「最後の教えのために、君はもう少し遅くに来るものと思っていたが、すでにいるならば、今話そう。」ステファノは、おそれのあまり、固まっていた。「神のおそれは、知識の一歩である。」ドン・ロレンツォは荘厳に大声で語り、ステファノが立つことを手伝った。「洗礼の儀式の意味を深く考えるために、一つ一つの彫刻の前に、立ち止まりましょう(司祭の声音は、父性あふれるものだった)」

「君の前に、最初の彫刻があります。白い衣をつけた洗礼準備者が、キリストが30歳の時にそうしたように、洗礼を待っています。親しいステファノ、そう、君のように。」

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「二番目の彫刻は、悪魔的な動物、悪の力を表している。

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洗礼は、それらに勝つことを助ける。君は、悪魔を拒否することを、三回宣誓しなければならないことを覚えておきなさい。」

「三番目の彫刻は、神の母となります。ごらん、ステファノ。耳の近くに置かれた聖母の左手が、とても大きく彫られているね。」

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「それは、我々に、祈ることは、神の言葉を聞くことである、という教えを伝えるものだよ。聖母のもう一方の手は、おなかに置かれているね。なぜなら彼女は、神の諭し(Il Verbo di Dio)を受け取ったからなんだ。そしてそれを守り、光に差し出したんだ。。」

「四番目には、救済者を待つ洗礼者ヨハネが彫られている。」

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「”彼は、成長しなければならない。そして私は優しくしなければならない。”君の三度の洗礼のために、私はこの面で行うつもりだ。」
「そして、五番目。」

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「この面は東、つまり祭壇の方を向いている。祝福のポーズのキリストの姿だ。右手で三位一体(Trinita’)を表し、左手には、”私が道であり、真実であり、命である”という本を持っている。」

「六番目には、ジェズの約束が彫られている。」

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「魂の救済が、生命の樹にとまった鳩によってあらわされている。鳩は、聖なるツボから水を飲んでいる。」

「七番目は、装飾的に彫られている五つの花も目に留まるが、黙示録の五番目の天使である。」

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「最後の審判の予告をしている。座っており、右手で善人のリストを、左で悪人のリストを握っている。」

「最後、八番目はアンガス・ディとなる。」

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「君も知っているように、これはジェズを表している。十字架による死は人を死ぬことではなく、死から解き放した。神の子羊は、洗礼をもって始まる救済の道を、すべてに与えるために犠牲になったのだ。」

「八角形の聖なる場所で、君は洗礼を受けることとなる。それは、神の復活の日を思い出させるものだ。三回にわたって、君は水に浸かり、三回にわたって、象徴的な死を迎える。罪のために死ぬが、再び浸かることで、新しい命をもって生まれ変わるのだ。聖霊によって照らされた道を天井に向かって進むのだ。」

ステファノは、ドン・ロレンツォにお礼を言い、家に走りかえった。暗闇はもう怖いものではなかった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

続きます。

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  1. 2023/01/15(日) 17:03:14|
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棺じゃなかった…(ノナントラ 5)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その10

ノナントラNonantolaのサン・シルベストロ修道院教会Cattedrale di San Silvestro、続きです。
通常、大抵は時間がないから、と博物館や美術館は端折ることが多いのですが、今回は後陣に再会したかったし、過去の記憶を確かめる気持ちもあり、併設博物館を訪ねました。入り口は、教会からは結構離れた場所になります。

以前は本堂から中庭に出て、そこからアクセスできる建物だったはずですが、今は各物館経由でしか、中庭にはアクセスできないことになっていると思われます。

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見せている内容も大いに変わっていました。もともと修道院の建物を使っているのですが、以前は、その食堂だった場所を公開していたんです。壁に、修道院が最も繁栄していたとされる時代、11/12世紀のフレスコ画が残されており、それを見ることが出来たのです。

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上がそうなんですが、今回はそれが見られなくなっていました。当時のことをさほど覚えていたわけではなく、帰宅して写真を確認して気付いた次第で、なぜ今は見ることが出来ないのか、不明です。

過去の記載によれば「教会の南側に、かつての回廊のスペースを開けて並行して建っているのが、 修道院の食堂だった建物。今では市の所有物となっており、教会からはまったく別の入り口からアクセスする必要がありますが、必見。というのは、当時のフレスコ画が、わずかながらのこっているからなのです。当時大変高価だったラピスラズリの青が、各所に美しく見られることから、修道院がもっとも繁栄していた時代のものとされます(11/12世紀)。南壁にもっともよく残っていて、 使徒パオロのダマスカスからの脱出が描かれています」ということです。

現在の博物館は、まず文書アーカイブの説明から始まりました。修道院ですから、もちろん写本の歴史があるということですね。
デジタル化された写本と、そしていくつかオリジナルのものがありました。

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これなどすごいお宝。
11世紀最後の四半世紀、つまり1075年から1100年に書かれて、製本は12世紀早々になされたものとありました。カノッサのマチルダが使ったものとかあったけど、それは眉唾ですよね。
それにしても、こういう写本系は、わくわくしてしまいます。ベアトゥスとか、一部突出して有名な写真がありますけれど、特に有名でなくとも、なんか、派手な色使いとかね、ロマネスクの真髄的な絵の様子が楽しいし、ミニアチュール的な装飾も見てて飽きないです。
そういえば、かつてダブリンに三週間も滞在しながら、お宝見学もしないで戻りましたけど、有名なケルズの書、いつか目にしてみたいものですわ。テンプルバーばかり通って、本当にアホな女…。

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壁にはめ込まれていたお皿のオリジナルも展示されていました。
ビザンチン起源の陶器とあります。ピサだと、北アフリカから来たものが多かったと思うのですが、こちらは、アドリア海を渡ってきたというものになるのでしょうかね。

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袈裟、と呼んでもいいんですかね、聖職者の衣の装飾です。
ビザンチンの、9世紀から10世紀のものというから、すごいじゃないですか。
説明には、「横糸に、黄色、二種の緑、ピンク、二種の青、白、赤、縦糸は赤の絹糸を使って織られたもの。右を向いたワシは、オリエントを向き、ビザンチンの力を誇示するモチーフ」とありますが、それ以外にも図像学的なモチーフが織り込まれている、大変貴重なものとなっているようです。
なんといっても、それほど古い布物、というだけでもすごいし、保存状態もかなり良いです。
アナーニでしたか、あそこも博物館に確か多くの布物が保存されていて、アイテムとしてさほど興味があるわけじゃないのに、あまりにすごいモチーフだったり、それが織物である事実に圧倒されて食いついてしまったことがありました。
おそらく、当時手で行っていた織物技術って、コンピューター制御でできる現代でも、なかなか真似できないレベルだったりもするんでしょうねぇ。なんせコスト感覚違いますもんねぇ。

以前は見ることが出来なかったものが、こちら。

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サン・シルベストロの聖櫃Arca di San Silvestroです。

現地の説明は以下。
「長年にわたる歴史研究家たちの論争の結果、今では確実とされている伝説では、法王サン・シルベストロの遺体の骨の一部は、756年から、ノナントラ修道院で保管されてきた。756年に、ローマから、アンセルモ修道院長によって、運ばれたことによる。修道院の文書によれば、10世紀から11世紀にかけて、そのレリックは、聖なるツボの中に収められており、長年修道院に置かれていたが、近年博物館に移された。
1372年、ツボから右の前腕が取り出され、そのために作られた聖遺物入れに収められ、それ以降、修道院の宝物として取り扱われるようになった。
1475年、人々に公開された際、大理石で作られた入れ物、つまり、ここで展示されている聖櫃に収められた。」

元々は、教会の内陣部分に、サン・シルベストロのレリックを祭っていたのを、近年、博物館に移したということのようです。以前訪ねたときは、もしかしたら、まだ教会に会ったのかしら?または博物館が工事中だった記憶もあるので、まだ置き場所が確定できない状態だったかもしれません。

実は見学した時は、大抵そうなんですけど、あまりじっくり説明を読まないもんで、笑、形が棺なのに、なんでこんなに小さいのか疑問だったんですが、今、謎がとけました。聖遺物入れ、聖櫃だったなら納得です。だって、かなり小さくて、言い方悪いですけれど、子供の棺サイズなんです。

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聖櫃の上には、ここには、ノナントラの守護聖人であるサン・シルベストロの聖遺物が収められている、と記されていますが、彫られたのは割と新し目な様子でした。

普通のサイズの聖遺物入れなど、工芸品も展示されています。

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ベネト地方の工房作と言われている12世紀から13世紀にかけての聖遺物入れ。高さが8センチとあります。Senesioさん、Teopompoさんという、私などには全く知らない聖人のための聖遺物入れだそうですよTeopompoさんって、名前がかわいすぎますが、感じとしてギリシャ、つまりビザンチン系ですかね。

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さらに古くて、10世紀から11世紀にかけて作られたもので、起原は不明ながら、コンスタンティノープルあたりと考えられているそうです。
腕の先っぽの方には、七宝で聖人の顔がはめ込まれていて、それぞれの聖人のレリック入れなんでしょうか。とにかく手が細かいですね。まさにコスト無視の仕事です。まぁ、貴金属は表面を覆っているにすぎず、本体は木製らしいですけれど。

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左も右も、キリスト磔刑の十字架という、聖遺物でも最重要なやつを納めるために作られた、特殊用途の聖遺物入れStaurotecaというものらしいです。やはり、何でも調べるもんですよね、初めて知った言葉です。11世紀とか12世紀のもの。
やはり、装飾もすごいです。

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すっごくビザンチンですよ。
女性など、オリエント、インド辺りまでも通じるような様子ありますよねぇ。

いつも余裕がなくて、博物館系は端折ってしまうことも多いのですが、ここでは時間があったし、入場料も5ユーロと安かったし、結構楽しく見学しました。そして、たまにこういった宝物を見るのも、とても勉強になります。
以上、ノナントラ、終了。ここは、結構通り道的な場所にあるので、今後もふと立ち寄る機会はあるかもしれませんが、積極的にはいかないだろうなあ。


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  1. 2023/01/14(土) 13:20:45|
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ヤンキー天使(ノナントラ 4)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その9

ノナントラNonantolaのサン・シルベストロ修道院教会Cattedrale di San Silvestro、続きです。こんなに細かく書こうとはおもっていなかったのですが…。

やっと入場しようと思ったのですが、前回の、扉周りの記事で、うっかりしておりましたよ、涙。

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うっかりしすぎだろうって話なんですが、側柱の浮彫についてまとめるのが結構大変だったもので、つい達成感に浸ってしまって、リュネッタに関しての記載を忘れておりました。過去のHPでも触れていなかったのも原因ですが、おそらく当時、調べ忘れみたいなことかと思います。

実は、ちょっと気になることがあったので、今更現地で買った本を引っ張り出したんですよ。で、改めて、ちゃんと書いていなかったこともあったので、追記的に記します。

リュネッタの下、いわゆるアーキトレーブ部分に文字が彫りこまれているのが認識できるでしょうか。なにが書いてあるかというと、「1117年にパダナ平野を襲った大地震の際、教会が損壊し、その四年後に再建が始まった」という記録的な文が彫られているのだそうです。

過去にも何度か言及していますが、1117年の大地震で損壊した北イタリアの教会は数多くあるようです。あちこちで、この年の地震で損壊、という記述は目にしていますから。
昨今、イタリアでも定期的に地震が発生しており、特に中部ウンブリアでの地震以来、エミリアでも頻発と言ってよいような状況です。今のところ、ミラノを含むロンバルディア州では、大きな揺れは来ていないものの、過去に揺れたことがないわけではないので、もし千年周期だったら?そろそろやばい?みたいなところもあるわけで、ちょっと怖いものはあります。
おっと、脱線しました。

このリュネッタ、もともと説教壇を飾っていた浮彫を集めて組み合わせて作られたものではないか、とされているようです。説教壇に関しては、現在影も形もないのですが、地域のいくつかの教会(Quarantoli、Carpi-残念ながら、どちらも未訪)で見られる説教壇と似たタイプのものであった可能性が高いと言われています。
中央に、祝福するキリスト、両脇に花を持った天使、そして四人の福音書家のシンボルという構図。アーモンドの中のキリストを支える二人の天使、というオーソドックスなものじゃなく、独立した天使二人、独特です。そして、天使がそれぞれ、ヤンキーがバットを持ってるように花を持ってるんですよ、笑。

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それにしても、ここでも手が美しいこと。感心いたします。

行ったり来たりですみませんが、入場しましょう。

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「教会内部に入ると、奥に、かなり高く持ち上げられた内陣が目に入ります。もちろん、その下にクリプタが あるためです。実はこの持ち上げられた内陣も、20世紀に行われた修復工事の賜物。クリプタは15世紀に水がしみだしたことでクローズされてしまい、その後内陣が下げられてしまったのです。
 クリプタは、1121年作。一部がオリジナルである64本の円柱で、レンガのアーチ、漆喰塗りのヴォルトを支えています。」

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「柱頭のうち36個は様々な古い時代のもの(その場にあったもの、美術館に 収められていたもの、近郊の別の場所のもの等)が使われ、それぞれ異なるモチーフになっています。」

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パッと全体を見たときは、”柱の森”状態はすごいものの、床も新しいし、かなり保存状態が良いために、つるんとした新しい印象もあって、ふーん、というのか、若干感動が薄かったりもするかもしれないんですけど、丹念に見ていくと、いかにも再利用な様子のバラツキとか古さがあって、じわじわと時間や歴史を感じさせるような仕組み、というのも変だけど、そういうクリプタかと思います。
いずれにしても、広さ、半端なくて、さぞや立派な修道院だったのだろうと考えさせられます。

「祭壇は新しいものになっていますが、その中には、サンタンセルモやサンタドリアーノIII世のレリックが 今でも収められているそうです(かつてここにあったサン・シルベストロのレリックは、現在、本堂内陣の祭壇)。」

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ちなみに、本堂にある祭壇は、すっかり新しいのですが、こんな様子です。これだけ見ると、中世の教会には見えないですよね。

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磔刑図は、ちょっとオリジナルはいつごろか不明です。
衣がまっすぐに十字架をはみ出していて、やけにゆったりと長いのが、特徴的なのかな。どう考えても、両腕長すぎなのも、アンバランス感高めていて、キリストの困惑的表情の頭部と全体が、なんとなく合ってないみたいな。新しいのかな。

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オリジナルの壁からはがされて、現在絵画のように壁に掲げられたフレスコ画(下の方)は、15世紀半ば過ぎ、1450/1475頃に、無名のマエストロとされる絵師の作品となるそうです。その時代についての知識は限りなくないに等しいので名前を見ても分からないのですけれど、Erri派とされているそうです。
磔刑図、受胎告知、そして7人の聖人が並ぶ三段だて。

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聖人図は、一番左にマントを貧しい人に与えるサン・マルティーノ、サン・グレゴリオ・マーニョ、福音書家ヨハネ、中央部にサン・ジャコモ、法王サン・シルベストロ、その右に、修道院長サンタントニオ、そしてサン・グレゴリオ。

漆喰に覆われていたおかげで、保存状態が良いようですが、特に受胎告知は、この時代の絵画としての評価がとても高いものだそうです。技法がちょっとミニアチュールっぽくて、私も結構いいなと思いました。

教会内の見るべきはこんなところと思います。
今更ですが、ここはやはり一度は訪ねるべき場所ですね。

併設の博物館について、次回。


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  1. 2023/01/09(月) 17:55:16|
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唐突なサムソン(ノナントラ 3)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その8

ノナントラNonantolaのサン・シルベストロ修道院教会Cattedrale di San Silvestro、続きです。細かい内容が続きますが、ま、たまにはね、ということで、正面扉周りの彫り物、続きです。

向かって左側の側柱の正面向き部分の浅浮彫です。

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右側が、キリストの生誕物語であることに対して、こちら側は修道院の歴史絵巻となっているようです。こちらも、時系列は下から上、となっています。

「1)アンセルモとアストルフォ王、2)王がアンセルモに土地を寄贈」

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「3)アンセルモと修道院の模型」

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ここ、修道院の模型というのが、ちょっと気になりますね。バジリカ様式で、ファサード前にポルティコがあるようなスタイル。ちょっとポンポーザとか彷彿とさせるようなスタイルっていうのかな。昨夏に久しぶりに訪ねたウンブリアはずれのルニャーノ・イン・テヴェリーナでしたかね、そんなのも思い出させられる構え。穴には陶器のお皿ですかね。どこの教会をイメージしたのか、考えると面白いですよね。

「4)アンセルモその他が法王にサン・シルベストロの亡骸を求める、 5)馬で同聖人の亡骸を運ぶ、6)ノナントラに亡骸を埋葬」
亡骸を運ぶ図と埋葬の場は、残念ながら、一部失われています。他部分の保存状態がびっくりするくらい良いので、なぜ?と思ってしまいますが、良すぎるんですよね、おそらく。

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「7)サンタドリアーノIII世の死、8)修道士が同亡骸をノナントラに運ぶ)、9)サンタドリアーノの埋葬、」

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「10)サムソンがライオンにまたがっている」

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「最後の一枚が唐突な感じですが、これは当時有名ななぞなぞで、「蜂蜜より甘いものはなくライオンより強いものはない」という意味となり、寓意は、「教会までも奪い取って土地を支配するものたち (ロンゴバルド)は、修道士に食物を与える(アストルフォの寄贈)」ということなんだそうです。中世の人たちは、そういうことがすぐわかったんでしょうか。
 これは、モデナ同様、ヴィリジェルモの 作とされています。預言者スタイルではなくて、使徒スタイル。より親しみやすい雰囲気のフィギュアと思います。」

浮彫の上下に文字が彫られていますが、それがことわざというか、上述のはちみつより云々の意味なんでしょうね。EDFOREDVLCED DCOMEDNTECIBVS?さっぱり分かりませんが…。

「左右の側柱の場面の数が違うことで、水平のラインが途中でずれていきます。なぜあえてアシンメトリーにしているかというと、シンメトリーは完璧を意味し、それは神のものであるゆえに、あえて、 人間の不完全さを表すアシンメトリーとし、人間の作品であることを強調したんだとか。」

でた!
このアシンメトリー理論は、結構あちこちで出会う説明なんですけど、ほんとのところどうなんだろう?と思う今日この頃です。本当にそこまで考えてアシンメトリーにしたのか?例えばここの場合だと、単純に、この場面は削れなかろう!とかで数が合わなかっただけとか、そういう可能性もないことはないような気がしないでもないっていうか。

次回、やっと内部に。

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  1. 2023/01/08(日) 17:04:18|
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マエストロの力作をじっくりと(ノナントラ 2)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その7

ノナントラNonantolaのサン・シルベストロ修道院教会Cattedrale di San Silvestro、続きです(オープン9時-17時半、すぐ近くに駐車場あり)。

emilia 248

前回の記事で書いたのですが、この時の再訪、以前からそれほど時間がたっているとは思ってもおらず、前回の訪問時にかなり撮影したというのがあったので、つい抑え気味に撮影していて、数が少ないのです。というわけで、適宜、前回2010年の写真も活用していきたいと思います。ちなみに、トップは、2010年のもの。

これまた、前回言及したように、長い歴史の中で多くの手が入っている教会ですが、以下、かつてのHPの記述となります。
「(そのような歴史の中で)奇跡的に残されたロマネスクのオリジナルが、教会ファサードの扉周りの装飾です。 ファサード自体も、同時期にオリジナルの姿に戻されたものです。
側柱の、表に向いた部分と、扉側の部分に浅浮き彫りが施されていて、どれもヴィリジェルモ派の作品です。 扉側には、ロマネスク彫刻に典型的な葡萄蔓とさまざまなフィギュア。」

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「これはリュネッタまで続き、周囲を取り囲み、生命の樹を表しています。」

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モチーフとしてはありがちなものですけど、ここのは、人物フィギュアの主張がなんかすごくないですか?目力も半端ないし、ブドウツルや葉っぱをかき分けてのオレオレ状態が、目覚ましいっていうか。
あちこちぽつぽつと穴が開いているのは、光る石とか埋め込まれていたんですかね?

「側柱表向き部分には、物語が彫りこまれていて、右側がキリストの 誕生(9場面)、左側がノナントラ修道院の歴史(10場面)となっています。」
「キリストの誕生は、下から上に見て、1)受胎告知、2)聖母のエリザベツ訪問」

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各場面の下に、人物の名前が彫られているんですよね、結構保存状態も良いのです。この時代の識字率っておそらくかなり低いと思うのですが、修道院教会だから、修道院関係者は、識字率高かったということにも関係があるのかしら。

「3)出産後の聖母と盥の中のキリスト」

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これは傑作じゃないですか?っていうか、珍しい図像にも思うのですけれど、そうでもないのかな。盥のキリスト…、産湯ってことですよね。そのくせ、キリストのおっさん感たるや、笑。嬉しげな一方で、ちょっとこの子どうなの?という困惑を隠せない様子のマリア…。

「4)牛とロバのための秣桶に入れられたキリスト、5)羊の群れ、6)羊飼いたちへのキリスト誕生のお告げ」
(ここの写真から、2021年撮影となります。石色が白いので、どうやら修復時に洗浄されたようですね。)

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お告げのところで、羊飼いをシンメトリーに配置したりして、場面一つ一つも全体としてのバランスを考えて図像が彫られている様子があり、さすが、)当時ブイブイ言わせていたであろう人気)マエストロの工房作なのかなって思ったり。

「7)マギの祝福、8)神殿にいるキリスト」

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余談ですが、2010年の時は、撮影が全くシステマティックではなくて、目に付いたものをアワアワ撮影している様子で、記録するというよりも自分の興奮がわかるような撮影内容になっているのが、ちょっと苦笑いです。2021年では、初めてじゃない冷静さもあるとはいえ、撮影数を抑えながらも、すべての彫り物をちゃんと撮影していて、ある意味成長?を感じたりしました。

右側、最もトップにあるのが、「9)天使がヨゼフに、エジプトへの脱出を薦める」図像となっています。

emilia 258

石工さんによって、時代によって、というのもあるのかな。頭部がでかい、手がでかい、と色々ありますけれど、ここのは全体の均整がとれていますね。手も普通のサイズで、そして、誰も、手仕事していない美しい手をしていますね。さすが天使や聖人だわ。

これらが、扉口右側にあるキリスト生誕の物語となります。

emilia 259

写真が多くなってしまうので、左側は次回。

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イタリアぼっち日記

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