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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

外からは絶対に分からないやつ(アギオス・ニコラウス・オルファノス教会その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その24

テッサロニキの教会って、レンガ積みが美しい、見るからにビザンチン体現タイプと、一見普通の家屋にしか見えないタイプと、二つあるんですけど、次に訪ねたのは、後者のタイプ。

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アギオス・ニコラウス・オルファノス教会Agios Nikolaos Orfanosです。
確かに寺院っぽい様子はあるものの、建物の前はお庭になっていて、通りに面して門扉があったりして、おうちっぽいし、一見して、おおお、とは決してならないやつですよね。

そんな地味な外観なんだけど、一歩中に踏み込むと、声にならない声が出ちゃう、みたいな教会です。おそらく、外壁も屋根も、後代、むしろ近代に、中を守るためにも、大幅に改装されているんだと思います。

今回は、さっそく入場してみます。

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内部は、ほとんどの壁に、壁画が残されており、そのまんま美術館状態なんです。驚きました。例によって、ですが、事前準備が足りず、ここまでとは知らなかったんで、すさまじい状況に声が出ませんでした。

外から見た様子そのままに小さな教会です。

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内部は二重構造みたいになっていて、トップの写真は、入場してすぐでの一枚ですが、図面で、下の正面から入るとすぐ、内部構造の壁が立ちはだかるっていう作りです。
そして、その区切りの壁の、外もうちも、びっしりとフレスコ画があります。
おそらく、かつてはすべての壁面にあったかもしれませんが、今ではない壁面もあります。とはいえ、残された部分の状態は、びっくりするくらいに良いのです。

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冷静に、後付で分かるようにメモしたりして順番に撮影したらよいのだけど、例によって興奮した自分には、絶対無理、笑。
ということで、興奮状態で、夢遊病者のようにふらふらとさまよいながら、ハッと気づくと撮影する、といういつものパターンで撮影したものを、並べてみます。

上も下も、建物内部にある聖所部分の内壁になります。小さなスペースですが、三方向にアーチ壁となっているので、閉塞感はありません。

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写真だと、シャンデリアも煌々としており、明るそうですが、実際には、全体にもっと薄暗い感じで、特に、聖所外側部分は、結構暗闇感ありました。
二枚上のが、聖書の正面部分で、聖母の被昇天ぽいですね。すぐ上のは、正面左壁と思います。
そして、下が正面右になるようです。

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左手に見えているのは、イコノスタシス、障壁で、その向こうはアクセスできない例のアレです、笑。
このイコノスタシスは大理石製で、教会と同年代のもののようです。素敵な帯浮彫があり、いつもだったら好物のやつですが、ここでは壁画が優先してしまって、ちゃんと見た記憶もありません。

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とてもビザンチンって様子の浮彫ですね、今更感心するのもなんですが、笑。
天井、相当新しい様子ですよね。天井近くの部分は全体に剥落している様子なので、もしかすると建物の劣化でやられてしまったのかもしれませんね。全体がひどくなる前に修復修繕がされてよかった~。

ちなみに、この障壁のところ、ビロードのような布で仕切られていたのですが、そこに施されていた刺繡がとてもチャーミングでした。

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これは現代ものなんでしょうけれど、刺繍っていうのもすごい技術だし、こういうキラキラ効果が出せるのですね。こんなに愛らしい表情まで出せるって、すごい職人技。職人仕事は感心しかありません。

いくつかをアップで。

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戦闘系の聖人が何人かいましたが、ビザンチンでは、そういう系列の聖人信仰が強いような。他の場所でもあったように思います。これはジョルジョかミカエルか…。戦闘は置いといても、例によってイケメンです、笑。

こちらは、ラクダの皮衣っぽいので、洗礼者ヨハネかな。

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ここでも、全体が暗めの青で、とてもしっとりしているんだけど、もともとはもっと鮮やかな青だったかもしれないですね。縁取りの赤も褪せているし。
光背も、もしかすると、もっと金色感が強かったのかも。だとすると、本当に目もくらまんばかりに燦然としていたんだろうな。

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ビザンチン教会、残念なのは、イコノスタシスの向こう側が完全に隠されちゃっていることですよね。
ここも、今は布で見られない向こう側、こういう風になっているようです。

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世界遺産で観光地でも、そこはやはり宗教優先。仕方ないかな。

次回、解説を交えながら、他部分の壁画を紹介します。

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  1. 2023/03/27(月) 18:50:53|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

(実は)優しい司祭さんに導かれて(ヴラタドン修道院教会 その2)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その23

ヴラタドン修道院Monastery of Vlatades、続きです。

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付け足し部分とか、外壁とかに漆喰塗っちゃうと、なんか違うもんになるよね。構造的には、古いものが残されているように思われるんだけど。

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トップの写真のナルテックス部分は後付のようですね。入り口は、後陣と反対側にある小さなナルテックス風構造が書かれているところでした。

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構造的には四角の中に十字がイン、みたいな変則スタイルです。

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これはどうやら、14世紀に現在のような形で教会が建てられたとき、それよりも古い教会があったことに由来するようです。

さて、前回の記事に書いたように、最初に訪ねたときは絶賛昼休み中で、教会に入ることが出来ませんでした。幸いにも夕方、戻ってくることが出来たのですが、冬のことでもあり、すでに真っ暗です。そして、なんと!絶賛イベント中…。

扉は閉ざされていますが、その向こう側はキラキラに照明がともされています。のぞき込んで結婚式ぽかったので、前例(アギア・ソフィア)からしてアクセス可能と思い込んで、ドアを開けたところ、司祭さんが飛んできて、ノーノ―!とすごい勢いで怒られてしまいました。今でもよく覚えているんですけど、テニスのマリー選手を瘦せさせてしょぼくしたようなタイプ(かなり失礼な描写…)の司祭さんでしたけど、怖かった~。

他にも訪問者いたし(私と違って、おとなしく待っていました…)、せっかくなのでしばし待つことに。
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おそらく10分ほどで式は終わり、参列者が出てきて、ライス・シャワーをしようという状況の中、するりと入っていくと、先ほど激おこの司祭さん、柔和な笑顔で、アイム・ソーリーって言ってきたんです!
いや、びっくりした。すっげーいい人じゃん!貧相なマリーのくせに!とか、散々くさしてごめんよーと超反省しました、笑。

そして、結果的に結婚式直後というのは、すごくラッキーだったんです。

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堂内隅々まで光輝いており、燦然キラキラ、狭いスペースだけに、目もつぶれんばかりのヘヴンリー度なんですよ。
教会内のど派手なシャンデリアって、ローマのいくつかの教会で目にしたことがあり、どうにも違和感だったけど、あれビザンチン起源なんだね、おそらく。考えたら、テッサロニキでは、ほとんどの教会でシャンデリアあったと思います。現地ではローマと結びつかなかったけど、今気付きました。ビザンチンとシャンデリア、これも調べないといけないポイントかも。

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後陣部分を隠すように置かれた障壁は、キラキラのイコンの壁。イコンは、まったく興味の範疇外なんですが、これでもか状態で迫力あります。

そして、多くお壁や天井などに、フレスコ画があり、保存状態もなかなか良いのです。残念ながら、多くの絵に瑕がついているのは、おそらくモスク時代に、漆喰で覆われていたらしいということです。覆われていて、状態が良いということもあり、これは痛し痒しってやつですね。

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ビザンチン教会のドームは、縦長だったりするので、どうしても光が届きにくいのに、ここではよく見えました。と言っても、肉眼ではなかなか細かいところまでは無理でしたけど、撮影にも助かる煌々とした明りですよね。

フレスコ画は、1360/1380頃のものとされているようですが、おそらくそれ以外の時代のものも混じっているという感じです。

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このキリストなんかは後代に相当加筆されている様子。

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瑕が痛々しいですが、美しい青です。

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小さい後陣内にもびっしり。ということは、おそらくもともとは壁前面がフレスコ画でおおわれていた可能性が高いので、それも、こんな傷がなかったわけで、まさに天国のような空間だったと思われます。シャンデリアって、当時からあったのかな。とすれば当然ろうそくだったから、キラキラ感は落ちるかもしれないけれど、より荘厳な雰囲気があったかもね。

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結婚式はすでに終わっているわけだし、いつ明りがおとされるか分からない、という危機感、っていうのも変ですが、明り消えたら、ほぼ真っ暗闇になるので、焦りがあったわけで、少しでも撮影を、とアワアワしてしまい、実際に絵の内容を考えたり、味わったりする余裕は、ほぼなかったです。
明りを考えると、ギリシャに行くのは夏時間がベターですね、きっと。

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これは、預言者ですかね。右の着物柄みたいな人は、良くいますね。ギリシャ十字なんだろうけど、派手すぎます。

こっちは使徒でしょうかね。

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早朝から歩き詰めで、身体は相当きつかったのですが、戻って、本当によかったです。ここは、外観はあまり面白くないし、このフレスコ画見ないと始まらない教会だったので。
それにしても、こういったチャンスでもない限り、ここは日中でも暗いと思われるので、いや、ここに限らず暗い教会が多いので、テッサロニキに行く際は、手持ちの明かりが必携かもね。


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  1. 2023/03/26(日) 18:01:02|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

現役だけあって働き者(ヴラタドン修道院教会 その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その22

次に訪ねた教会は、修道院教会なのですが、ちょうどお昼休みの時間に当たってしまって、敷地内には入れるし、かなり立派なお土産屋さんもオープンしていて、今、まとめるにあたって大変役に立っている書籍を購入することが出来たんですが、肝心な教会は閉まっていたんです。

前に書いたと思うのですが、この町の教会、昼休みが長いです。ここも、夕方は17時か18時に開きます、と言われたのですが、実際に戻ってこられるかどうかはその時点では分かりませんでした。

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ヴラタドン修道院Monastery of Vlatadesです。ここも、様々な表記があって、正しいのはどれなのか、分かってません、笑。

たどり着くまでの道は、猫遭遇比率がめちゃくちゃ高い住宅地で、小路、坂道、いきなり崖があったりと、海に近い、碁盤の目状に整備された地域とは全く違って、まるでとんでもない田舎村を歩いているかのような錯覚に陥るような地域を縫っていくんですけども、この修道院の一角だけ、妙に整備荒れていて、なになに?と目が驚くような様子になっています。

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こんな立派な門扉から入場します。昼休みならクローズでも不思議はないのですが、現役修道院だから常時人がいることもあるのかな、ちゃんと開いているんです。

内部は、かなり広くて、目的の教会がどれなのかもよくわからず、うろうろしました。
敷地内入ってすぐ、こういう感じで、正面に小さくドームが見えていますが、それが教会。でも、この時点では、どこで何を見るのか、ほぼ分かってないでうろうろしていました。

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今更ですが、ビザンチン教会では、塔がないのですね。鐘は、大抵建物とは別の場所に、下の写真のように作られているか、または、建物の一部に、ちょっと鐘のスペースがあったりとか。でも塔はないですね。

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ここは修道院なので、内部の連絡用の鐘ということになるのかな。サイズが色々あるのは、目的別なのかな。しかし、このくらいのサイズの鐘なら、打つのも楽そうですし、置かれている高さからいっても、ガランガランと鳴らしまくるようなシチュエーションはなさそうに印象ですが、どうなのでしょうか。

実は、イタリア各地で、声をかけられて、何度か鐘撞体験してるんですけど、もちろんコツはあるんでしょうけど、塔の鐘を突くのって、結構大変なんですよ。肉体酷使。

ここのは、これだけ小ぶりだけど、よく見ると、電気線が通されているので、自動で鳴らされるようになっているようです。

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こんなかわいらしいチャペルがあって、まさかこれじゃないよね?なんて悩みながら先へ。
これは、結構新しく作られたものに見えました。祈りに没頭するには、よさげなサイズ感ですね。

その他、かなり大きな鳥小屋があったり、修道院だから、見えない場所に畑とかもあるのかもね。相当立派な修道院であることが分かります。

ちょっと歴史を。
「この教会は十二使徒教会の少し後、おそらく1320-1350くらいまでにたてられたものと考えられている。クレタ出身の二人の兄弟がテッサロニキで僧になり、彼らが創建したものとされる。兄弟の名前がVlatadesで、布地商人の家庭の一員であったことが分かっている。
オリジナルでは、全能のキリストに捧げられていたが、現在は変容のキリストに捧げられている。
ここは、テッサロニキでも唯一の、現在でも現役で稼働しているビザンチン修道院である。」

創建が、割と新し目のようです。他の本では、さらに遅く、1351/71頃ではないか、とありました。

向かう道で分かりますが、修道院のロケーションは、町の中ではかなり高い場所となります。それは生活面において優位で、というのも、町に向かって作られた水道橋が最初に利用できる場所なんだそうです。そのため、この修道院の地下には、今でも三つもの貯水槽があるらしいです。使われてはいないでしょうけどね。

昨年12月にローマに行ったとき、ローマ時代の貯水槽を訪ねたんですが、まぁあそこまで大きくないとしても、目的的には結構容量があるはずなので、遺跡として整備されたら立派なものではないかと思うんだけど、今はどうなっているのでしょうか。

おっと、余談多し、笑。
ここ、結局夕方戻ることが出来たんですけど、本当によかったです。中はいらないと、特段見るべきものもないわけで、でも入ってびっくり、のやつだったんです。
ということで、一旦切ります。

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  1. 2023/03/25(土) 10:04:31|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

ジュクジュクのやつ…(番外その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その番外

この辺りで、ちょっと面白いことがあったので、番外編にします。

次の教会を探しながら、住宅街の分かりにくい道にきて、通りすがりのおばさんに道を尋ねたのです。英語で聞いたのですが、立ち止まったおばさんから返ってきたのは、なんとイタリア語でした。
今でもよく分からないのですが、こちらの発言にイタリア語が入っていたのか、激しいイタリアなまりだったのか、笑、とにかくイタリア語で、道を教えてくれました。

そして、ありがとう、と別れようとすると、ちょっと待って!と、傍らの家に駆けこんで、すぐに戻ってきました。手に持っていたのは、なんと…。

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枝付の柿でした!

ここ私のうちなんだけど、立派な柿でしょう。食べきれないし、どうぞ持って行って、と三つも四つも実をつけている枝を渡されました。ちょっと戸惑っていると、家の入り口辺りで作業していたパートナーらしいおじさんが、「それは、まだ熟れてないから、今食べごろなのがあるから!」と、二つの柿をナプキンにくるんで、いそいそと渡しに来ました。

イタリアにも柿はありますが、食べ方が日本とは全く違います。日本から渡来した柿は、渋柿だったようで、イタリアでは、ぐじゅぐじゅに熟したものが柿です。渋柿は、干し柿にするか、ジュクジュクに熟すまで放置しとくと、脳天突き抜けるくらい甘くなるんだよね。で、どうやらギリシャでも同様だったらしい。
わたし、本来柿は苦手な果物で、特に少しでも熟したやつはダメ…。これ、絶対ダメなやつじゃん…。同行の友人も、ほぼ同じ。

でも、嬉しそうにプレゼントしてくれて、嬉しそうに見送ってくださっているご夫婦を見たら、若干ひきつっていたと思うけれども、ニコニコとお礼を言って、歩きながらひとなめ、二なめ…。
本当に脳天突き抜ける甘さで、体力回復の糖分として、若干役だったかもだけど、角を曲がって、ご夫婦の姿が見えなくなってから、速攻、道端のごみ箱に捨てさせていただきました。申し訳ないが、仕方ない…。

でも、枝付のしっかりしたやつは、捨てるに忍びなく、ホテルまで持ち帰って、レセプションのお兄さんにもらってもらいましたとさ。

テッサロニキの人たちは、英語堪能だし、イタリア語も結構いけるんかな。それにしても、感じの良いご夫婦だったなぁ。とはいえ、数日、どころか二日しかいない旅人に、熟すまで食べられない柿…。柿が日本起源だからとか、そういうわけでももちろんなかったし、不思議だよねぇ。いわゆるおもてなし、精いっぱいの気持ちってやつだったんかな。

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  1. 2023/03/21(火) 18:01:21|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

青黒く苦悩するジュゼッペ(オシオス・ダヴィッド教会 その2)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その21

オシオス・ダヴィッド教会(Osios David-Monastery of Latomou)、続きです。

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今ある形は、こういったシンプル極まりない様子で、図面右側にある小さな部分が入り口になっています。
元々は、左下にある点線部分も建物で、ギリシャ十字を形作っていたはず(多分、ミナレットがあった?)。その十字の中心には、ドームが持ち上げられるスタイル。

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今の入り口側からしか、建物の様子は見えないので、上は本からの借りものです。結構昔の写真ぽいですが、後陣の位置から、写真の奥の方が、今の入り口になるようですね。
解説には、以下のようにあります。
「ドームの形はいびつ。ペンデンティブによって形作られた円形を活用した半円ではなく、ラベンナのガラ・プラチディア例行にあるようなタイプのドーム。ギリシャ十字をベースにした十字の上に建つタイプ。」とありましたので、過去の写真を探してみました。

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内部は丸いドームだけど、外側は丸くないっつーことかな。
ガラ・プラチディア、2015年に行ったのが最後みたい。もう8年たつのかと驚いた。再訪したいけど、行く度に観光地化がすごくて、それはそれでいやだったり、複雑…。
おっと脱線、戻します。

さらに解説。
「この教会は、建築史上、非常に重要な意味を持つのである。なぜなら、初期の十字型ドームを採用しているからだ。そのスタイルは、この後、10世紀以降、広く用いられるようになっていくのだ。」
ということ。起源古いから、古いってことよね、日本語変、笑。
トルコ人にモスクに転用された際に、ちょっと手が入ったりしているようで、それで、全体が分かりにくくなったりはしてるみたいですね。
でも、トルコ人って、驚くくらい手を入れないで、転用してるよね。様式的なことには、あまり興味がなかったんだね。

建築に関してはこのくらいで、内部の宝物、見ていきましょう。ここ、モザイクに加えて、この教会には、12世紀半ばとされる壁画があります。

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暗いのと、痛みで、かなり見にくくなっています、残念ながら。確か、モザイクの方は、明りがあったと思うけれど、こちらはなかったし、入り口からの外光が、逆にコントラストで暗闇を作ってしまう感じで、肉眼では、上の写真よりももっと暗い状態でした。

「近年、1973/76、モルタルの下に隠されていた壁画が発見された。
それらは、教会の多くの遺構よりは、かなり遅い時代、おそらく12世紀半ばから14せいきにかけて描かれたもので、この町において、他に存在しない時代の壁画であるために、大変重要なものだ。
内容はキリストの誕生と洗礼が、教会の南側アーチに描かれている。
ここから続く後の時代へと、絵画の大きな発展を彷彿とさせる要素について、今では認識されている絵画である。」

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確かに、相当写実が入っていて、12世紀でも後半以降だろうなってようすですよね。それにしても暗いので、書籍から拝借。

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おっと、キリストが妙なイケメンで、身体と顔のアンバランス感もすごいな。
後さ、マリアの腕の二本線、何だろうね?今どきのタトゥーみたいで不思議。

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これは被昇天かと思っちゃったら、お誕生の場面だった。見えなすぎ。
本の写真からは、こんな様子。

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キリストは、若干チアノーゼ的な顔色だけど、その向こうには、ちゃんと馬や牛もいるね。しかしチアノーゼはともかく、マリアも憂鬱そうで、全体が陰鬱なお誕生になってるのは、やっぱり暗い色になっちゃってるからかなぁ。

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こういう状態の中では、大変良く残っているヨゼフの苦悩が、全体を覆っているような…。辛そうだよね、端っこの方でひっそり自己主張してるけど。
実際は、すごく美しい青などが使われていて、鮮やかなフレスコ画だったとも想像します。もうちょっと明りサービスがあれば嬉しいんだよな、この町。

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牛や馬は、結構楽しそう。しかし、キリストの達観したチアノーゼ顔よ…。


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  1. 2023/03/20(月) 18:31:13|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0

おちゃめな預言者(オシオス・ダヴィッド教会 その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その21

次に向かう教会は、まさに住宅地の中に埋もれていて、小路をたどってしかたどり着けない場所にあります。それもアップダウン、結構激しいし。

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テッサロニキって、港近くの地域は平地だし、狭い地域に密集しているので、短時間でも回りやすいけれど、この丘の上の方は、かなり大変。
おなじみのにゃんことの遭遇率も高いけど、坂道行ったり来たりしてると、遊んでいる余裕もなくなります。かわいいいい、とかつぶやきながら、思考停止で脚は先に進む、みたいな状態に…。

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着いた時はびっくりしました。地図を見ながら進んだら、小路の突き当りに木戸があって、さすがにこれは違うよね、と引き返そうとしたら、木戸のところにいたおやじが来い来いと呼んでくれて。

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オシオス・ダヴィッド教会(Osios David-Monastery of Latomou)です。
半信半疑で木戸を入ってきたけど、この様子、疑惑マックス、じゃないですか、笑。

起源の古い古い教会ですが、もはや一般の一軒家にしか見えないたたずまいです。

(さらりと始めてますが、実は怒涛の年度末激務で、余裕のない日々を送っとり、約二週間書けなかったので、調子が出ないです…。)

話戻します。
そう、今や田舎の一軒家、それも結構しょぼい系にしか見えないたたずまいですが、実は、とても古い時代に建てられたものらしく、その創建の逸話もとてもドラマチックです。

「古文書の記載によれば、預言者ザカリアに捧げられた教会が5世紀終わりごろにできた。同時期にモザイクが作られ、装飾的な壁画も施された。資金は匿名の女性によって拠出されたと、モザイクの下部にある碑文に記されている。古文書によれば、その女性は、テオドラ、つまり、キリスト教迫害を行った皇帝Maximianの娘である。」

若い娘が親に背いて、内緒で改宗するというのは、聖人伝説などで、よくある話ですよね。若い娘、場合によっては少女だったりしますけど、そういうケースがなぜ多いのか、ふと考えてしまったんですけど、聖人伝説的なアピール目的もありそうですし、また、女性が抑圧されていた時代を写す面もあったかもしれない。
ローマ帝国は、男文化なんですよね。ローマが叩き潰したエトルリアでは、女性の権利も非常に守られていたようで、大変好ましい時代、民族なんですけれど、ローマで女性の権利はなくなって。
ローマで広く信仰されていたミトラ教は太陽神信仰で、ミトラはマッチョな男性像だし、あまり知らないので何とも言えないけれど、男性中心社会に合った信仰だったのかもしれなくて、そういうところでも女性には救いが少ないとか抑圧が激しくあった結果もあるのかもしれない、なんてね。

おっと、脱線しました。

何はともあれ、テオドラは改宗して、祈りの場を欲しいと思って、健康のためとかなんとか理由をつけて、親に自分専用のバスルームをおねだりしたんだそうです。祈りの場にふさわしく、モザイクで装飾もしたものの、親にばれたら困るので、せっかくのモザイクを隠すような工夫をせざるを得なかったとか。

詳しい記述はなかったのですが、テオドラさんは、どうやら殉教したようですが、この祈りの場は長く残り、あ、もちろん家屋の一部としてですけどもね、それが、800年代早々に発生した地震の際、倒壊によってモザイクが発見されたんだそうです。

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モザイクの保存状態は、現在の建物の状態を思うと、びっくりするくらい良いのです。それは、長い歴史の中でも、おそらく覆われていた時代が長かったから、ということにつきそうです。上の逸話の真偽は定かではないにせよ、当初も300年くらい覆われて放置されていたようだし、その後、トルコ人占領下でも、モスクへの転用があったことから覆われていて、最終的に1921年に発見されるまで、誰一人、このモザイクのことは気付かなかったということなんです。

では、後陣全体を覆うモザイクを見ていきます。テーマとしては、預言者エゼキエルの視点での場面ということらしいんですが、中央に、大変若々しい様子のキリストがいます。

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髭のないキリスト像は、大変珍しいようですね。つるん、としたちょっと中世的な様子もあるお顔。そして、ノーブルで品があって、威厳というよりも、高貴な人、という印象が強くあります。
キリストの左上の方に天使がいますけれど、これまで見てきたモザイクでも、こういう強めの、ビザンチン的な表情というのか、造作というのか、いずれもイケメンだけど、はっきりしたお顔が多いですよね。

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そういう中で、ここのキリストの顔は、いわゆる甘いマスク、となるのかな。でもそれよりも天井の人的なふわふわした高貴さが半端ない。

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この天使は、羽根にたくさんの目があるので、セラフィムのようです。
キリストは、バブルのような球に包まれて、虹の橋に腰掛けて、全力で天国感出しています。
球の周囲に、四人の福音書家のシンボルがありますが、これがまたかわいいんですよ。
ちなみに、左上のセラフィムは、一応マッテオということらしい。

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左下にいるマルコ。美しい福音書を持っているけど、どうにも人間臭い顔が、妙に親しみを感じるやつ。

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こんな愛らしいルカを見たことがあっただろうか?!いや、なかろう、という構文的な感想が出てしまうくらい、チャーミングなルカが右下にいます。こんな目でお願いされたら、もうなんでも言うこと聞いちゃうよね、という少女漫画の目をしてるんだもん、びっくりする。その上、上目遣いで舌ペロンよ。これはほとんどの人がやられちゃうよね。

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こういう中では、至極普通な様子で描かれているヨハネ。鷲のくせに、笑、セラフィムの翼をもってますね。

限りなく高貴な様子のキリストを囲む福音書家は、とっても世俗な様子で、その落差も面白いところ。解説では、「動物を描く写実性は、ギリシャやローマの流れをくむもので、そこからも作られた時代が考察されている。」とありました。

個人的に最も面白かったのが、実はテーマのもととなっている預言者さん。

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やばくない?
赤ちゃんにベロベロバーとか、変顔して遊んでいるとしか思えなくない?

でもね、これはどうやら忘我の様子を表すポーズらしい。
この預言者が見た風景、解説はこうなってます。

「エデンの川であるPhyson,Geon,Tigrisそしてユーフラテスが、キリストの足の下をHobar川に流れこんでいる。それらが、全体図の下部に、素晴らしい青色を挿入している。
下の左側に、預言者エゼキエルがいる。川岸にいて、奇跡の前に忘我の様子。そして右側には預言者ハバククが、威厳のある様子で瞑想している。」

右側にいる預言者ハバククさんは、どうかというと、まさに解説通りのたたずまいでいらっしゃいます。

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ね。
これに比べて、エゼキエルのおちゃめぶり、笑。
こんなおちゃめなエゼキエルが他にあるだろうか、いや、ないだろう。構文、笑。

ちなみに、エデンの四つの川って、割と出てくるアイテムだけど、ちゃんと抑えてないことに気付きました。ちょっと勉強してみよう(ググるだけですけど…、笑)。

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大変こじんまりした教会ですが、見所他にもありますので、続きます。

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  1. 2023/03/18(土) 12:20:42|
  2. ビザンチン
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にゃんこまみれゾーンに突入(預言者エリア聖堂)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その20

さて、ここからは、町の中でも高台になっている地域となります。

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港側一帯は、東西にまっすぐの大通りが何本か走っているので、比較的方向が分かりやすいのですが、上の簡略地図でも分かる通り、港から離れた地域はかなりぐじゃぐじゃ。その上、全体が斜面なので、上り下りもありまして、方向音痴には相当むずいウォーキングとなります。
一方で、どこもかしこも、基本住宅地ということもあり、猫遭遇率すごいんです。

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飼い猫風も混じっていますが、ほとんどはノラちゃんぽく、住人の人がご飯をあげている様子でした。だからなのか、皆さんくつろいでいて、人なれしています。

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カリカリが、実際に猫が食べる分以上って感じの量が豪快に置かれています。どのにゃんこも、しっかりと育っている様子。テッサロニキには猫好きしかいないんかな。

とにかく、迷いながら歩いて、あ、間違えた、となっても、どの小路でもにゃんこが迎えてくれるので、決して間違えを後悔する必要もなく、その点では楽しいウォーキングができる町です。猫が好きな人なら、あ、きっと岩合さんも行ってるだろうねぇ。猫と遊ぶためだけに行っても、楽しいハズ。

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そんなお散歩をしながら、丘のかなり上の方の教会にたどり着きました。

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預言者エリア教会Church of Profitis Ilias / Prophet Eliasです。
ここもまた、英語名称でも、なんだか複数出てくるからややこしいですが、預言者の名前は、おそらく日本では一般的にエリアだと思うので、そういう表記にしておきます。

プランを見ると、結構シンプルで小さな教会かな、と思ってしまいます。

salonicco 211

でも、実際は、全体にごてごて、長年の間にいろんなものが付け足された結果何ですかね、上のプランのような単純なスタイルには見えない様子になっていると思います。

salonicco 212

自分では、西側からしか撮影できていないようなので、上の写真は本にあったもの。これは後陣側と思いますが、南側の翼廊みたいな部分が突き出しているのと東の後陣との間に、ミニチュア教会みたいなのがくっついてたり、こういうのがわけわかんなくしてるんだよね、全体像を。
カトリックの教会は、シンプルな四角とか、すごく分かりやすい十字とかが多いし、付け足すにしても、側廊に礼拝堂作るとか、後陣一回り広げて周歩廊とか、元も外枠は割と守る感じがあるけど、ビザンチンの付け足しは、なんか激しいのかなぁ。あ、オスマン・トルコの改変もあったりするから、複雑になるのか。

それはともかく、この教会は、外壁のレンガ装飾が素晴らしいです。

salonicco 213

ほれぼれする緻密で独創的な装飾です。
軒送りののこぎり歯、これは、特に私の住まう北イタリアのロマネスク教会でもよく見られるものですが、二段で、執拗なまでのギザギザぶりとか、その下の、ミニチュア円柱が並んでいるみたいな帯とか、なんかすごい職人技です。

salonicco 214

小さなドームに開けられたほっそり窓の上の部分、三つそれぞれが違うモチーフっていうのもすごいです。いやもう、職人さんが楽しんで作っているとしか思えないけど、どうなんだろうか。

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これは、見ていて飽きないやつですわ。現場だと、目移りしちゃうから、じっとしてられずに次に次に行っちゃうけど、こうやって写真で改めて見ていると、一枚一枚、ずっと見てられるくらい面白いです。消しゴムハンコのモチーフにもなりそうです。

これは解説でも語られていて、実は内部は割と稚拙な建築となっているが、外側に使われた技術は素晴らしい、と書かれていました。

「修復の責任者だった研究者は、教会の基礎も建築も、不器用な技術でなされているが、しかし、陶器の装飾が施された教会の外側は、熟練した技術者の仕事であるとしている。
装飾は、ビザンチン中期の典型。
三つの大きい後陣の開口部やブラインド部分、そしてドームは、一連の装飾的アーチが施されている。すべてのラインが、カーブしているものもまっすぐなものも、その外側が、のこぎり歯状のタイルまたはその他の陶器によって強調される装飾が施されている。
この装飾は、トルコの占領時代、大きなバットレスの下となり、消失してしまった。
バットレスは、ドームの下の構造物を支えるため置かれたもの。」

中の工事やった人、プンプンしちゃいますね、笑。

内部が稚拙かどうかなど、私にはもちろん分かるはずもありません。壁の傷みが激しかったのか、今はかなりの部分、真っ白の漆喰塗で、風情がないのはまちがいなし。

salonicco 216

「預言者エリヤは、十字架スタイルで、四つのトンネル・ヴォルトに支えられたドームを中央にしている。これらトンネルヴォルトは、オリジナルでは、四本の円柱の上に建つものであったが、それは、このタイプの教会のための建築規則であった。しかし、後代に、東側の二本の円柱が、建物を支えるために付け足された薄い壁の中に取り込まれて消失、そしてトンネルヴォルトは、あたかも教会の壁から立ち上がっているような状態となってしまったのだ。」
「修復作業により、東側の二本の円柱が見つけられた。
ドームの東のトンネルヴォルトと東側後陣の間に、追加されたトンネルヴォルトがあり、それは、聖所の後陣のある東方向に拡大している。その後陣に加えて、教会は、その北及び南に、同じような後陣を持つ。それによって、プランは、三つ葉、アトス山の教会の形となっているのである。
南と北の後陣は、内陣席の僧のためのもの。」

よく分からないながら、各後陣が聖職者に向けられたものだとすると、一般信者のいる場所はナルテックスになっちゃうのかな。

ここの起源ですが、今の定説は、修道院の教会だったというもののようです。

「預言者エリアは、中世の修道院Nea Moniのメイン教会であったと考えられている。その修道院は14世紀に、当時有名だった僧侶Makarios Humnosと、その弟子である僧ガブリエルによって創建されたとされている。
ガブリエルは、Makariosがテッサロニキを去ったあと、修道院を統率した。
その説を唱えた研究者は、Nea Moni修道院が、古い宮殿のあった場所に建てられたという証拠があることを考察した。宮殿は、ローマ帝国(ガレリウス)のものではなく、ビザンチンの建物であった。
トルコ人が、預言者エリアをモスクに転換した時、それを”古い宮殿のモスク”と呼んだ。」

創建は14世紀とのことです。
高台で、往時は、周りに何もないような、いかにも修道院にお似合いの場所だったのかな。

ちなみに、漆喰塗がない壁には、壁画が結構あるのですが、痛みが激しいのです。

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外壁の一部にも。

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聖人のお姿が多いようですが…。

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本には、こんな立派な写真が掲載されていました。幼児虐殺の場面らしいです。全然分かりませんよ、現場では、涙。

外付けの礼拝堂みたいな場所だったのではなかったかと思うんですが、不思議なものがありました。

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お灯明をあげる場所だと思うんだけど、なぜ、外において、こんな御大層な様子になっているのやら。


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  1. 2023/03/05(日) 18:47:04|
  2. ビザンチン
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最後に大好物を(サン・デメトリアス聖堂 その4)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その19

アギオス・ディミトリオス聖堂Agios Dimitrios/Basilica of St Demetrius、最終回です。今回は、好物は最後にいただく方式で、大変お待たせでした、笑。

見ていくモザイクは、内陣域の柱に置かれた以下となります。
これまでの記事で書いてきたように、この教会、長い歴史の中で多くの手が入っていますし、建物自体もほぼ再建状態のため、これらモザイクが、もともとどこにあったかは不明のはずです。

salonicco 193

では、まずは3番のモザイクから。
聖デメトリアスと、教会の創設者二人の図像。残念ながら、必ずしも正面から撮影できる位置にあるわけじゃなくて、これなど、相当苦労していますね。

salonicco 194

「デメトリアスが、教会の創設者二人と並んでいる。彼の右には司教Ioannisがあり、左には、役人Leontios。寄進の碑文は、”あなた方は、蛮族を撃退し町を救った聖デメトリアスの両脇にいる、この栄光ある教会を建てた人々を目にしています"。」

彼らは、7世紀の教会損壊後に、再建を実施した正式なメンバーとなります。聖人が、両人の肩に手を置くことで、彼らを承認していることを表しているそうです。
司教と役人は、光背ではなく四角い何かを背負っていますが、これは生存者の印なのかな。ローマだと、この四角は、大抵水色の濃い色で、創建時の司教とかにつけられていて、それはその当時生存していたことを表すと読んだことがあるのですが、ここではどうなんでしょう。

salonicco 195

左側のこの人は、世俗の人で、いかにもそういう様子で表されていますよね。見方によっては山賊…、笑。聖人に肩を抱かれて、ちょっと困ったな、落ち着かないな、という様子まで見て取れるとは、モザイクなのに微妙な表現力すごいです。いや、勝手にそう思ってみてるだけなんですけどね、笑。

次4番は、上のモザイクと同じ柱の右隣となります。

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祈りのポーズの聖Sergios。この方は、紀元296年にローマで殉教された聖人ということです。このモザイクについては、詳しい説明は見当たらないのですが、紫の上位をまとい、首には、軍人の勲章が描かれているとありました。
お召し物にある大胆なモチーフと混ざって、よく分かりませんでしたが、アップすると、なるほど、勲章っぽいものを首から下げています。

salonicco 197

ということは軍人で聖人なのですね。なんか軍属出身聖人比率、高い?

それにしても、クラッセの色を彷彿とします。あそこは後陣にある大きなモザイクが素晴らしいのですが、特に緑と青の美しさ、暖かさに魅力を感じます。ここでも、やはり緑や青の使い方が、美しいし、青など本来寒色なのに、緑との組み合わせの妙なんでしょうか、暖かいように感じるんですよね。

5番は、デメトリアスとある聖職者の、いわゆるツーショットです。

salonicco 198

ここは詳細な解説があったので、以下。

「これは、1917年の火災の跡、最後の再建の間に発見されたもの。聖デメトリアスの司教に対する尊敬が、その右腕を聖職者の肩にかけていることからうかがえる。
聖人の頭部の周囲に置かれた明るい色の四角い背景は、光背としてあらわされているようだ。
これらフィギュアは、市壁の外側に建っているように表されていると。そのため、四角い光背の周りの四角い模様は、テッサロニキの戦いを表していると考える向きもある。
二人の足元にある碑文は、”キリストの殉教者に祝福を。あなたが愛する町、その市民、そして訪問者ともに大切にしよう”」

ここで、四角い光背の話が出て来ましたが、そのものについては、分からず仕舞ですね。
それにしても、デメトリアス、肩を組むのが好きだったんですかね、笑。というよりは、きっとこのモザイクの時代、そういう仕草が、信頼を表すものだったのでしょうね。面白いのは、この肩を抱かれた聖職者さんも、上述した役人さんのように、ちょっと困ったような表情をしているし、身体もカチカチに緊張している様子が見られることです、笑。

一方ここでは正面から見られて、デメちゃんの様子もばっちり、保存状態もばっちりな中、その自信たっぷりな、何なら映え写真ポーズにも見えそうな様子はさすが、大都市の守護聖人だけある聖人です。

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次は6番。

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「二人の子供と一緒の聖ジョージ
おそらく子供の親が、子供が病気から治るなど、聖人によって救われたことに対して、寄進されたものと考えられる。聖人の右手は、祈りのポーズとなっている。人々のために祈るポーズ。モザイクの製作は、聖ジョージと教会創設者のモザイク、また聖ジョージと司教のモザイクと同様、モザイクの中では最も古い時代のものと考えられる。7世紀、損壊と再建の後ではないか。
これらモザイクの中で聖ジョージは、未来を見るようなスタイルで表されている。彼はチュニックChitonをまとい、豪華なマントChlamysを常に右肩にバックルでとめている。」

このモザイクは、解説が混乱していて、現地で入手して、主に今回の参考としている本では、上のようにジョージ、となっているのですが、もう一冊の本では、これもまたデメちゃんとなっているのです。

そちらの解説は以下。
「聖デメトリアスと男女の子供。子供たちは、身にまとっている衣装から、高貴な家庭の子供であることが分かる。聖人は、右手で祈りのポーズを取り、左手は女の子の肩に置いている。」

さてね。

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髪型もすごく違うし、顔立ちも違いますけど、これは寄進ベースで作られているわけですから、モザイク職人も違えば、寄進者の意向も反映されている可能性もあって、何とも言えないですね。
ただ、まさにその寄進、というポイントから言えば、それも子供が救われた的な非常に卑近な理由による寄進であるならば、やはり当地で身近だった聖人デメちゃんをフューチャーしている方が理にかなっているように思われますので、ここはデメちゃん説を取りたいと思います。ま、どっちでもよかろ、ということですけどね、笑。

ちなみに、ジョージとした方の本は、1913年に書かれた書籍を改定したもの、とあり、もう一冊は1997年発行とあるので、20世紀初頭あたりはジョージ説だったということだったのかもね。

最後は7番、子供のモザイクの右隣にあるやつ。

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これまた、撮影がむずい場所だったのと、見た目、あまり好物じゃなかったんですね、私、笑。例によって、研究者じゃないし、好き嫌いベースで見ておりますから、撮影内容は好悪をもろに反映してて、我ながらあきれるときがあります。フィルムカメラの時代ならともかく、デジタルなんて何枚撮ったって痛くもかゆくもないのに、時々変に節約するんですよね。ってか、好物じゃないと、さらっとしちゃう。それで、三年もたって、ちっとかしてるの、我ながらやめてほしいわ、笑。

「聖母と聖人のモザイク
聖母及び聖人とも、片手、または両手で祈りのポーズを取っている。二人のフィギュアの上に、天国から彼らの言うことを聞き、右手で祝福を送るキリストの姿がある。」

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この細かさよ!ビザンチンの技術力見たり!って感じ。キリストの右手なんて、どれだけ小さいテッセラなんでしょう…。職人さんに尊敬しかないです。

「聖母は、手にパピルスの一冊を持ち、そこには以下の言葉が書かれている。”素晴らしい神よ、人々のために祈る私の祈りを聞いてください。”
このモザイクは、信仰篤いテッサロニキの市民が、病気快癒のために寄進したもので、寄進の碑文は、最初の部分が消失しているが、”人々の中で私は希望を失ったが、しかしあなたはあなたの力を私の人生に与えてくれた。私はこの寄進をすることで、感謝の気持ちを表します。”
聖人は、聖Theodorusと考えられる。」

これら以外にも、大部分が損壊してしまったものとか、壁画、見逃しもあるんですけど、きりがないのでこの辺にしておきます。

salonicco 205

丹念に見ていけば、やはり、一日では見切れないということが分かります。どうしても余裕がないから、気持ち的にも次へ次へとなってしまうし。
まだ、欧州内の航空券事情はあまり見ていないのですが、以前のように激安チケットがあるなら、また週末利用で行ってみたいと考えています。

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  1. 2023/03/04(土) 18:35:23|
  2. ビザンチン
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気象と工芸(サン・デメトリアス聖堂 その3)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その18

アギオス・ディミトリオス聖堂Agios Dimitrios/Basilica of St Demetrius、続きです。

地下から本堂に戻りまして、色々混在した装飾を見ていきましょう。

salonicco 187

建物の多くの部分が再建のため、全体としての魅力は乏しく、その結果、全体の写真をほとんど撮影していませんでしたが、以下のように説明されています。

「各身廊の上に、二階部分があり、ナルテックスも同様。主身廊と各身廊は分割した屋根を持つ。
修理修復、また再建が後代に多くなされたが、モニュメントのプランは、基本的に大きな変更なく残されている。アヒロピートス同様、身廊と側廊の屋根は、両方とも、木製。」

「身廊の円柱の列の上の壁、壁の表面、ナルテックスの壁は、色大理石によっておおわれていた。この覆われた部分は、モザイクのために、他にうつされた。白、緑または暗い赤の大理石の円柱は、しばしば古い建物からの転用。それらは、長さが異なるため、柱頭がそろうように、基部に工夫が凝らされている。」

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正直あまり細かい記憶はないのですが、柱の基部は、かなり凸凹していたのだと思います。写真でも分かるように、おそらく石材も、表面の加工もそれぞれ異なりますよね。長さが違うのも当然です。

「アーチの天井は、小さな白、黒または赤の大理石の片を使った幾何学モチーフで飾られている。」

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「アーチの正面は、身廊の北と南側の表面だが、暗い色と明るい色の石版を交互に置いた装飾になっており、主に暗い青、白、緑が使われている。」

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柱頭も、古い時代のものの再利用が多いようです。損傷の激しいアーカンサス系は、どうやらそういったものらしい。
ここでも、風に吹かれるアーカンサスの葉モチーフの柱頭があったようなんdすが、残念ながら、私は撮影してなかったみたい。

「この教会の柱頭は、多様である。最も魅力的なものは、アギア・ソフィアでも見られた風に吹かれて同じ向きを向いたアーカンサスの葉のモチーフであろう。このモチーフは、5世紀ごろ、非常に強風が日常的に吹いていたことからもたらされたものと考えられている。ラベンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会でも見られるのである。」

こういう、変に具体的なっていうか、およそ想像もしない観点、気象情報なんかから語られると、がぜん興味が湧き上がってきます。テッサロニキは、割と内海的な場所にあるし、イタリアの地勢を考えても、そういうところって強風が吹くのかもしれないとかね。
でも、ラベンナと強風はあまり結びつかないのよ。ただあそこは、ローマと一緒で、長年に間、かなり内陸になってるというのか、海が遠くなった事実もあるから、5世紀頃はもっと海に近くて、風もビュンビュンしてたのかもしれないと想像はできます。クラッセは本来港町だったはずだし。
テッサロニキも、要はそういう風に、少し内陸になってたりするのかな。

salonicco 191

いかにもビザンチンらしい透かし彫りもありました。
スタイルの異なる柱頭が並んでいて、時代も手も、それぞれ異なるんでしょうね。かなり古いタイプ以外は、いつのものなのかもよく分かりません。

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「アギオス・デメトリアスでは、また他のタイプの柱頭もある。古代コリント様式にも似たタイプであるが、上を向いた二段の葉の列があり、トップが下に垂れ下がっている手、葉には穴が開けられ、縁はのこぎり歯状。角には、渦巻き模様があり、それらの上には四角い石がのり、アーチの根元のサイズよりも大きなサイズ形となっている。角には、渦巻きモチーフの代わりに、羊の頭部が置かれている。また、他では鷲だったり、異なるモチーフ。」

この教会を訪ねる主な目的はモザイクと思いますので、次回まとめてアップしたいと思います。


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  1. 2023/03/03(金) 16:51:16|
  2. ビザンチン
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