2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その9(ベリー)
前回のヴェローの鍵待ちの間にも一つ。
キュフィーCuffyのサン・モーリス教会Eglise Saint-Mariceです(カギはメリーだが、メリーのオープンは限定的)。
鍵待ちのランチ・タイムに訪ねることになりまして、当然のようにクローズ。メリーで鍵を借りられるようではあったのですが、午後のメリーのオープンは15時からということで、まったく無理でした。
その上、この日は朝からお天気が不安定だったのですが、ここにきてざあぁあと降ってきまして、仕方なし、教会前に停めた車の中で、持参のサンドイッチをもさもさといただきました。こういう時は、本来楽しい修行旅も、まさに修行の様相を呈してきて、寂しく辛い気持ちになります、笑。
説明版でも読んでおきましょう。
「サン・モーリスは、騎士や兵士の守護聖人。建物全体は、12世紀初頭に建設されたもの。内陣は床面だけがオリジナル、鐘楼は19世紀の再建。
1860年に、とある研究者が、教会のオリジナル建築は1065年になされたと書かれた碑文を発見した。1786年に付け替えがされた鐘楼にも、その前の鐘楼は930だったという碑文が刻まれており、とするとカロリング時代にまで遡ることとなる。」
「建築様式は非常にシンプル、後陣は、Apremont産の石でなされているのが注目される。」
「開口部はしずくモチーフの帯装飾が施され、しずくはダイアモンド風の真珠で装飾されている。」
これ、よく分からない翻訳なんですが、ちょっといい加減にやってるもんで…、笑。でも、このアーチの下のポツポツとか、柱頭の上の副柱頭の部分の装飾かなぁ、と思ったり。
「西側扉は、装飾の施された小円柱を伴うが、リボンやつる草をモチーフとした柱頭を抱いている。」
内部は、まったく分かりませんが、以下のようになっているようです。
「本堂は一身廊で、木製天井。かつての翼廊は、16世紀に作り替えられた。巨大な角柱が、大きな鐘楼を支えている。」
そして、どっかに、割と最近発見された「祝福するキリストのフレスコ画」があるらしいです。
ヴェローの後、もう一度戻る選択肢もあるにはあったのですが、戻らずに先に進みました。今、地図を見直すと、15時過ぎに戻っても先への影響も少なかったので、なんで戻らなかったかな、と思いますが、おそらく外観であまりそそられず、中にも期待できないという印象を受けたからだと思います。ジェルミニーはゴーストタウンだったしな。あと、お天気の都合もあったかな。
ということで、大変地味な見学となりました。
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2023/04/28(金) 18:47:44 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その8(ベリー)
前回のヴェローの鍵待ちの間に訪ねたのはこちら。
ジェルミニー・レグザンGermigny-l'Exemptのノートルダム教会Eglise Notre-Dameです。
実は、この辺りの教会ってとても地味だし、ほぼ記憶がなくなっていたのですが、前回のヴェローで、近所の人に鍵を借りるくだりで、ぱあっと色々な情景がよみがえってきて、このジェルミニーの、何とも不思議な雰囲気もしっかりと思い出しました。
記憶って不思議ですよね。
認知症でも、昔のことは思い出すのに、今朝何を食べたか忘れる、みたいなことがありますから、記憶が消えることはないんでしょうけど、思い出せなくなるんですね。記憶の引き出しとかって、よく使われる表現だけど、ほんと、そういうことなのかと思います。
私など、実生活でも整理整頓ができない人間ですから、脳の整理整頓なんてとんでもないわけで、おそらく記憶のしまい方もぐじゃぐじゃなんじゃないかと。それが、割とつまらないことをきっかけにずるずると引きずり出される。
ヴェローの教会の中なんて、見るべきものはほとんどないし、印象薄いから忘れても不思議じゃないのに、ちゃんと引きずり出されるんだもんね、びっくりします。鍵守りのおじさんが、こうやって座って説明してくれたな、なんてどうでもいいことまで。
だから、常日頃、写真も必要以上に無関係なところまで撮影して置いたり、旅の間はなるべく詳細な日記をつけるようにしてます。写真だけでは難しくても、日記を読んでいて、色々思い出すのはすごくあるのですよね。それも、大体きっかけがどうでもいいこと、というケースが多いのが、記憶の不思議さを物語ります。
で、このジェルミニーですが、ここは、教会周囲の様子が、とても印象に深いのです。
まち並みから、ちょっと中に入るような場所が教会になっているんですけれど、私が訪ねたときは、町のあちこちが工事中だったんです。その先に教会があって、なんとなく入っていいのかどうなのか分からないような様相で、昼時ということもあったんでしょうけれど、人っ子一人いないし。
教会周りの住宅のほとんどに、売り家とか貸家の看板が出て、住人がいないゴーストタウンの様相で、ちょっと怖かったです。だから、毎日オープンと事前には調べていた教会がクローズなことも、当たり前に受け止めて、無理やり何かしようとは思いませんでした。
最も目をひかれたのは、ファサードの扉脇の柱頭です。
トップのファサード全体の写真と、一緒に見ていただくと分かりやすいかもしれませんが、なんかプロポーションが変なんです。全体の中で、やたらでかいし、低い位置にあるから、さらに変な感じ。
サイズだけ見れば、もっと大きな建物に使われていたローマ時代の柱頭の再利用かと思うんだけど。
でも、アーカンサスの中に顔があったりして、それってローマではないよね?と思うわけで。でも、この教会のために作ったというのは考えにくいサイズ。どうなってるんだろう。
もう一つ見所は、鐘楼。
ファサードと一体型の鐘楼というのは、フランスには結構あるスタイルと思いますが、ここでのあり方は、また独特です。背も以上に高いから、ここでもプロポーションがなんか変ってことになるのかな。
ここも、説明がほぼ見つからないのだけど、簡単な解説は以下。
「12世紀に建設され、1773年の大火で多くが損傷したもの。ポルティコと一体型の鐘楼は1108年以降に作られた。」
ポルティコとあるので、鐘楼の下は本堂前のスペースで、外から見える扉部分とは別に、本来の扉口があるということになるのかな。
「1215年の内部の扉の図像は、サン・ジル・デュ・ガール修道院教会の西側扉の北側ポルティコ、そして、ラオン大聖堂の西側扉の北側ポルティコを引き継いだもの」とあります。タンパンについても言及があるので、そうか、やはり中に本来の扉があるんですね。
なら、ここはやはりカギを探さなければいけなかったということみたいです。
現地にあった説明版は、汚れていて読める状態になかったうえに、撮影した写真もぼけていて話にならないのですが、タンパンの絵がありました。
とがった半円なので、もしかして時代がちょっと下るのかな。いずれにしてもびっしり系の彫り物があるようですね。ちっ。今更悔やんでも仕方ないけどさ、笑。
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2023/04/27(木) 18:42:59 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その7(ベリー)
前回のヌイイから30分弱のドライブで次の目的地に到着。
ヴェローVereauxのサン・マルタン教会Eglise Saint-Martinです。
事前に調べていたら、鍵はメリー(市役所)に頼むとありましたが、一応試してみると、クローズ。
とりあえず、教会近くにあったバールに行ってみます。
この村、これだけ、みたいな村なんだけど、バールがあって驚愕したんだよね。パン屋は割とあるけど、バールは割とないんだよ、フランスの村って。
で、鍵は、あの家の人、と親切に教えてくれたので、訪ねたんだけど、今はだめ!とにべもなく断られてしまいました。
それも仕方なくて、12時過ぎ、ランチたけなわの時間だったんです。でも、14時ごろならいいよ、ということだったので、近所を見てから戻ってくることにしました。実は、最悪、戻らなくてもいいか、と思いつつ、外観の写真は撮影しといて…。
でも、一応約束は約束だし、と戻ってきて、ほんっとよかった!
戻ってきてまず、鍵守りじいさんの自宅に、ほぼ14時ジャストに行ったら留守。えー、マジかよ、と思いつつ、一応教会に行ったら、おじいさん、すでに鍵を開けて、待っていてくれたのでした。行かなかったら、何だあの東洋人め!ってなっちゃうよね。
ということで、無事、入場できたんだけども、実は…。
中、入れなくて全然問題なかった…。
でも、仕方ないよね。長期の旅では、なかなか全部の教会のことを事前に調べるのは難しくて、一応最低限見所はチェックするんだけど、見ないでいいところまではチェックしきれないわけで…。
しかしこういう時、絶望失望を表情に表さずに地元の人とやり取りするのは、結構エネルギーいる。一刻も早く、お暇したい気持ちもあるし、とはいえ、わざわざ鍵を開けてくださった方に失礼はしたくない気持ちもあるし。
ここの見所は、一見しても二見しても、つまりどう見ても限りなく地味な、このファサードに尽きるということです。
構造そのものにも、相当手が入っている様子がありますけれど、まず、上部に開けられた開口部の上に、ちょこんとした彫り物がはめ込まれています。
フクロウに見えますが、猛禽類というより類人猿的なお顔…。
そして、開口部下に並ぶ軒持ち送りの彫り物。
これは写実が相当買っているので、時代が下るような気がします。私は好きじゃないやつ。
扉口のアーチには、繊細な彫り物が施されています。外側は植物モチーフで、内側はつる草モチーフに人やらなんやら色々。
彫りは細かいから、それなりにテクニックのある石工さんの作品なんだろうけど、可愛さはないし、やはり好みではないかな。上のフクロウ同様、なんかね、怖いんだよ。
で、一番重要視されているのが、おそらく側柱に建つ二人の女性の姿。
すらりとして、王冠のように柱頭を頭に抱いているの。面白いよね、装飾として。
右側の人は、シバの女王とか。
鍵守りさんは、色々説明してくださったけど、あまりメモも取れなくて、聞いてるときは分かった気になってたけど、後から思い出そうとしてもあまりわかってなかったことが分かって、という具合で。やはりフラ語はきついわ。
シバの女王って唐突な気もするんだけども、旧約聖書の人だから、こういった場面にえがかれても本来違和感はないんですかね。おそらく、イタリアではめったにないけど、フランスでは結構あるといったモチーフなのかもしれません。
僅かな解説によれば、ブールジュという、この後訪ねる町の教会装飾と呼応したもの、ということが書いてありました。確かに、立派な扉周囲の立派な装飾に、立像が沢山あるんですけれど、それのことかな。土地的には近いので、同じ石工さんとか工房が関係しているとかそういうことかもしれません。ブールジュは金があるから何体も、ここは二体がせいぜい、みたいなこともありそうです。
左の人の方が、保存状態がよくて、お顔もしっかり残ってる。これはすごいです。フランス革命の暴徒が来なかったのかな。
こっちの人の方が、立ち姿もきれいです。
左側、つまり北側壁に、一つだけ彫り物がはめ込まれています。
鍵守りさんは、アブラハムのエピソードという説もあるが、田舎の日常生活を描いた説もある、と説明してくださいました。だとすれば、農民の十二か月的な、一連のパネルがあった可能性もあるし、アブラハムのエピソードだったとしても、その人生を描く帯があったかもしれないし、一枚だけ、というのはちょっとね。
きっと外壁再建とかで、失われてしまったんだろうなぁ。
手持ちの資料が、現地で入手できたわずかなものしかなくて、一方でネットで検索しても、とてもざっくりとした短文の説明しか出てこない教会が多いため、このシリーズは、私が私見をほざくだけのものになりそうです。簡単にやりたいとは思ったものの、本当はもう少しディテールは知りたいんだけど…。
あ、最後に、一つだけ古いものが内部にありましたので、あげておきましょう。
祭壇かなんかに、古い石棺の上蓋の一部が使われているよ、ということでした。
左のは、よく教会本堂の床にある聖職者の墓のものって感じしますよね。せいぜい13世紀とかそういうあたりのものでしょうか。
というわけで、内部の発見はなかったですが、鍵守りおじさん、本当に親切にガイドしてくださって、そういうのはやはり嬉しいものですから、満足して、午後の旅を続けます。
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2023/04/26(水) 18:15:18 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その6(ベリー)
ヌイイ・アン・ダンNeuilly-en-Dunのサン・ロシュ教会Eglise Saint-Roch、続きです。外側を見ていきます。
サイズ小さめだし、ぱっと見、つるんとしてる感じもするんだけど、ディテールにごちゃごちゃしているのは、さすがおフランス産、笑。
まずは、後陣のつけ柱にのっけられているでかい柱頭ですかね。
サルですかね。左のは、何か加えている様子。
足指の繊細な彫りにびっくりしてしまいますが、それならアーカンサスだって、この程度の細かさは当たり前ってことでしょうね。
フランス人に限らず、欧州人全般に、手先が器用な人って現代では少数派な印象だけど、昔の職人さんはすごいですねぇ。あ、職人さんは、今もすごいのかな。
でもなんか、フランスって、モノづくりを外注している比率が高いような印象もあります。イタリアなどは、昔はパリのお針子さんとか馬鹿にされていたくらい、フランスのハイファッションの縫製とかを伝統的に請け負っていたようですけど、職人仕事がまだ結構残っているようにも思うんですけども、どうなんでしょうかねぇ。
それにしても、ごちゃごちゃ感は、外側も健在、笑。空間恐怖とは違った意味で、なんか埋めたい石工さんって感じなんだけど、それが、全体に統一感ない感じで
っていうのが特徴?
面白いよね、モチーフが。
前脚カミカミされてて、自分もなんかカミカミしてて、連続してる帯。オリジナリティもあるし、すごいんだけど、彫りが細かい分、どうしてもごちゃごちゃ感もすごい。自分のテクニック自慢系の石工さんだったのかなぁ。または豚もおだてりゃ的な人だったのかなぁ。
塔の開口部のアーチ装飾もすごい。これは、でも好きだなぁ。イタリアには少ないタイプの連続装飾ですよね。
こんな、絶対肉眼では見えないような小円柱にまで、装飾。
こういうのがすごいなって感心しちゃうんですよね。そして普通に望遠鏡で見たり撮影できたりする現代ならともかく、当時はさ、作り上げたら、その後は屋根職人さんとか、鐘楼管理する人とか以外は、目の前で見ることはできない場所なのに、こうやってねぇ。
これが祈りってやつなんですかね。
っていうか、職人さんたちは、依頼にこたえるわけだから、スポンサーが、ここまでやらせた、という見栄だったりもあるんでしょうし、それがつまり信仰の可視化みたいなところもあったんでしょうし、宗教もある意味罪深いですよねぇ。
軒持ち送りは、オーヴェルニュも近い土地柄か、鉋屑バリエとか。
その、怖い系バリエとか。
これ、包帯ぐるぐるのやばい人みたいになってますけど、なんですかね。耳っぽいのが、なんだっけ、ピクサーとかのアニメの緑色のモンスターみたいなキャラ、あの耳みたいだし、歯が怖いし、なんといっても目が…。
カミカミ系は、お隣にも。
こっちは、普通に、でもないけど、上のやつに比べれば割と普通に肉食動物っぽいし、小動物ガジガジしてるおなじみな様子で、安心します、ってのも変だが。
小さいサイズの軒持ち送りは、結構溶けちゃっていて、よく分からないものが多いのが残念。小さいのは、建物い比しても小さすぎるくらい小さいんだよね。これも、下からは、いずれにしても見えないレベルの彫り物です。
最後に地味なやつ。
この、アーチを縁取る地味な石細工、分かりますかね。このタイプって、フランスではとてもよく見るけど、イタリアではないんです。石の先っぽとんがりっていうだけで、やけに装飾的になるやつ。本当に地味だけど、好物です。
モザイクに通じるはめ込み細工みたいのが好きなんで、そういうことかな。単純だけど、手がかかってますよね、おそらく。
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2023/04/25(火) 18:23:49 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その5(ベリー)
前回の教会前で決めた次の訪問地は、こちらです。
ヌイイ・アン・ダンNeuilly-en-Dunのサン・ロシュ教会Eglise Saint-Rochです(少なくとも夏は毎日オープン。万が一クローズの場合は、目の前にある市役所で鍵を開けてもらえるようです)。
ちょいとたたずまいがいい様子ですよね。
わたしか訪ねたときは、問題なく開いていましたので、さっそく入場しますが、一瞬絶句必至です。
ね。執拗なまでに白塗り、笑。なぜ梁まで、という徹底ぶりです。
でも、がっかりする必要はなし。いや、むしろ手前がこういうことになっている分、驚き喜びが衝撃的です。
衝撃に行く前に考察すると、往時の姿が残されているのは、後陣部分だけで、手前の方は全体再建ということなんでしょう。
ファサードもこんな感じだもんさ。
では、落ち着いて後陣部分を見学していきます。
ずんずんと内陣に向かっていくと、翼廊が突き出ていたら、そこと交差する場所の手前のアーチから、いきなり様相が変わります。立派な柱頭がドカン!
この柱頭が、それぞれ、なんかすごいんです。他の部分がつるんと無装飾だったりするから、落差に驚きます。
結構な浅浮彫だけど、細かい!肉眼で見ている現場では、細かさは分かるものの、細部まではよく見えないわけで、写真で見直して、さらにびっくりだよね。
角っこにいる人、歯をむいて、手には蛇をつかんでいますよね?
でもって、お向かいはもっと衝撃。
これ、私の好きなダニエルさんだよね?
でも、ライオンは屍抱えてるし、ダニエルさんはともかく、神の手が巨大だし、左上の人は誰やら、とにかくやったら細かく彫りこまれてる。
左側回り込むと、天には天使が巨大サイズでいるかと思うと、地では麦でも刈ってる様子の人がいます。
同じ柱頭の右側面は、え?カインとアベル?みたいなのがあったり、鷲?なんだかもう。左上の天使がマッテオだったりして、福音書家のシンボルあしらった?とするとルカが足りんしなぁ。
とすると、左の麦刈りの人はカインなのかな。
数は多くなくとも、柱頭の彫り物は面白いし、残っているものは保存状態も良好で嬉しくなります。
残念なのは、内陣部分、向かって右、つまり南面になるのかな。
ここは、おそらく往時のまま、ブラインドアーチの構造が遺り、ここの柱頭も植物モチーフでなかなか良いのですよ。
ダイナミックと言ったらいいですかね。すごく思い切りの良い彫り物っていう様子で、結構好みです。上から垂れ下がっているのは何でだろう?
でね、この向かい側は、新しい構造になっちゃってるのが、残念でした。
これ、祭具室付け足しとかで、こうなっちゃったんでは。
外側もしっかり見ていきたいので、続きます。
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2023/04/24(月) 14:35:31 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その4(ベリー)
リヨンの後は、一路友人宅へ。久しぶりの再会を祝って乾杯し、翌日から、今回の主目的であるサントル地方へと出発です。
改めて、地理的なことに言及しますと、今回の主目的は、ここらとなります。
現在の区分けで言うと、白と薄いピンクの地域がCentre-Val de Loire州となりますが、かつては、白のベリー地域は独立した行政区だったものと思います。そしてこのベリー地域は、ほぼ右と左、という感じで、Indre県とCher県に分かれています。
この時の主な目的は、この二つの県だったのですが、最終的には、最北の県(28)を除いて、それ以外の県の主だった教会を駆けずり回るといったようなことになりました。最北では、Loiret県(45)のオルレアンとなるでしょうか。
まずしばらくは、ベリー地域の二県を回ることとなります。この辺り、ロマネスク密集地となり、地域のロマネスク推しもなかなかしっかりしていて、事前情報がそれなりに集めやすい場所となっています。
ベリーで検索するとwww.berryprovince.comというサイトがあり、ざっくりとロマネスク教会を紹介した冊子のPDF版をダウンロードすることが出来ます。冊子は、現地の教会でもいただくことが出来ました。もちろん、万全の情報が掲載されているわけではないですが、とりあえず行先を選定する大いなる助けになりますし、位置情報もわかるし、これは使える冊子です。
というわけで、オーヴェルニュの北部アリエ地方から出発し、2時間強で最初の目的地に到着。その後下図のようなルートの一日の始まりです。ルートと言っても、訪ねた先々で、時間や距離を測って、次の行先を決める、といった、大雑把な私の大雑把なルートです、笑。
というわけで、最初の目的地です。
サンタマン・モンロンSaint-Amand-Montrondのサンタマン教会Eglise Saint-Amandです(割と町なので、駐車場所は事前に調べておくのがお勧め。私はRue Corniereという通りに駐車しました)。
外観は、ほぼゴシック及びそれ以降な様子で、ぱっと見、特にファサード側にはないんですが、フランスには典型的な感じで、装飾的ディテールに面白さのある教会です。
ちなみに、教会の前にある白壁の手前の小さなスペースは、ローマのお風呂跡、とあり、ちょっと遺跡めいた石などが置かれたプチ公園になっていたのを、写真と当時の日記で思い出しました。見学後、ここで一服しながら、次の行先を考えたようです。
簡単な歴史は以下となっています。
「この建物は11世紀終わりまたは12世紀初めごろに、中世初期に建てられた修道院があった場所に、建設されたもの。翼廊の交差部にあるヴォルトは、12世紀の終わりに作られたもの。中央身廊の最初の柱間、西側の扉は、13世紀。
14世紀になって、祭具室が作られ、鐘楼の基部が作られた。
脇にある礼拝堂は、15世紀半ばから16世紀にかけて、順次作られたもの。
身廊の床面は、1687年になされ、屋根は、1747年、大工の棟梁による。1840年、祭具室は作り直され、トップが鐘楼に着けられた。19世紀半ばに、屋根や支え部分に関して、重要な修復作業が行われた。」
この教会に関して、いや、他についても、おそらくこのシリーズでは、解説はミニマムにして行こうと思っています。じゃないと、終わりが見えないので…。ただ、この教会に関しては、実際、検索しても、上記程度の情報しか出てこなかったんですよねぇ。なんせこの地域、星の数状態なんで、重要度の高い教会以外は、そういう感じになりそうなんです。
だからと言って、訪ねる意味がないわけではなくて、中に入れれば、楽しい教会ですよ。入った時の雰囲気も、よさげですよね。
植物系。
そして、そのすっごい古い時代風。
こんなやつは、もしかすると古い時代の建物から生き残っているやつかもしれないし、単純に地元の見習いさんの作品かもしれないし、でもどう考えてもハイテクニックな彫り物との差があり過ぎるものがあると、妄想膨らんで面白いですよね。面白くない?
勿論、例によって得体のしれない方々も頑張っていらっしゃいます。
いかにもやる気のないタイプのグリーンマンのお隣で、妙ににんまりしている人は…。スタイルはアトラスだけど、全裸っぽくて、ちょっとやばい人みたいですよね。
で、その向かいです。
これはまた何とも、エニグマティック。お花の中にお顔ですかね。皆さん目をつぶっているんです。
ついこの前、とげとげのアーカンサスはとてもよい香りがすることになっているので、天国的なポジティブ図像になるとかいう話を聞いたばかりなので、にわかにそういう系の表現かしらと思ったり。
だって、左の人の美しく穏やかな表情は、もう天国じゃないですか。
基本、植物と人、植物と動物って感じで、植物大好きな誰かがいたんでしょうか。
それにしても、それぞれ同じ手とは思いにくいくらい、モチーフや表現が異なりますね。
彫り物は、外側にも結構ありまして、最悪入れなくても楽しめるくらい、あるかもね。トップの写真で、モディリオンに気付いた人もいるかな。
建物とのプロポーションでは、ちょっと小さめだけど、沢山の軒持ち送りがあって、なかなかチャーミングな彫り物がありますよ。中央後陣は、グラインドアーチの様子も、素敵ですよね。
フィギュアは、典型的な様子のものが多いかもしれないけれど、数で勝負、ってとこもあるっていうか、沢山あると、それだけ楽しいっていうのはありますからね。
半魚人、二連発。
こういうの見ると、職人さん、楽しく仕事してたんだろうなぁ、と思ってしまいます。まったく、一体どこからこういう個性的な姿を思いついたもんだかねぇ。
これは知ってる!
トイストーリーのバズをゆがめたやつ、笑。どう考えても、被り物系になってますよね。
この人もやばい感じ~。
やっぱ、ディテールが楽しいのって、いいね。
ネットでもあまり情報出てこないけど、こういうのが好きな系なら食いつくよね。こういうのは、あまり図像学的に云々とか分からなくても楽しくてよし。
ただ、お花の中で瞑想している人たちのことは、どうしても気になるなぁ。
分かる人いたら、教えてください。
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2023/04/18(火) 17:59:43 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その3
サン・マルタン・デネ教会Eglise Saint Martin d’Ainay、続きです。
本来、これだけを目指して、突進したやつですが、内陣手前にある柱頭です。
まずは北側、とあるので、後陣向かって左側の正面、本堂に向いている面です(北と南、それぞれ三面彫り物があります)。
左側がカインとアベル。これ、すごく分かりやすいですよね。現場ではもちろん細部まで見られないので、特にこの時は見ている暇などないので、分かりませんでしたが、写真で見たらすぐ分かります。自分的には、これだけ分かりやすいカインとアベルは初めてかも。
右側も、とても分かりやすいですよね。ドラゴン退治の大天使ミカちゃん。
この左側の面も、カインとアベルがいてこちらは正面の後の場面となるのですね。
思いっきりぶれてますんで、小さめで。でも、今にもたたっ殺そうという緊迫した場面が分かります。恐ろしや。
右側はこちら。
織り機に座って書物を読む洗礼者ヨハネ、とありますが、織り機?なんでだっけ?
そして、南側の柱頭の正面。
「アダムとイヴ、そして双頭の蛇。頭の一つはイヴの手にあり、もう一つは二股の木の枝を加えたアヒルのくちばしにあり、善悪の知識の木の周囲にいる。」
と解説にあるんだけど、双頭の蛇の様子が分かりにくいです。アヒル?というよりも、蛇のしっぽにアヒルの頭って感じがするんですけど、どういうことなんでしょう。
「左側では、二つの場面が同時進行的に描かれている。アダムとイヴが禁断の木の実を食べて、罪の意識を持ち、裸を隠している。右側では、植物の後ろに隠れようとしている。キリストの姿をした神が現れ、天国から追い出す。」
アダムとイブのやっちまった感がすごいです!
後悔先に立たず、を絵にしたらこうなる?みたいな、笑。
南面。写真の解像度最低で、よく分かりませんけれど。
「告知の場面。腰掛けた処女が、預言者イザヤの本を読んでいるが、その上に、EVCEの四文字が見える。それはEcce virgo Concipiet l'Emanuel、つまり、処女がエマヌエルを懐妊する、という意味。」
「イヴの不服従に、マリアの受け入れが呼応している。受託は、彼女の右手に表されており、それは人の救いに寄与したものだ。」
なんで告知かと思ったら、そういう意味があったのですね。
つい先日、ピエモンテの田舎の教会に行った際、運よく地元のガイドさんのとても丁寧な説明を聞くチャンスがありまして、図像の説明をしてくださった際、中世の人々は、おそらくこれらの図像の意味するところ、訴えるところを、当たり前のように知っていたと考えられますが、現代では、解釈すら明確ではない」というようなことをおっしゃっていました。中世の図像に関して、よく言われることですよね。
この、アダムとイヴと、マリアの受胎告知の組み合わせなどは、もちろん聖書の知識も必要だし、動物の図像などを理解するのとはまた違うバックグラウンドが必要なのかとは思いますけれど、そういう教育もあったんだろうから、やっぱり多くの人が、ははぁ、とか思ったんですかね。
私など、思いもよらないことです。
北側。
これまた写真が悪くて分かりにくいですが、おそらく中央部にキリストがいて、四隅に福音書家のシンボルなのかな。
福音書家のシンボルの大きさがまちまちで、スペースをしめているので、分かりにくいですね。キリストの広げた本には、有名な「私は世界の光 Ego sum lux du mond」とあるようですよ。ほんと、キリストってやばいよな。こういうの見ると、やっぱり布教した弟子たちがすごかったんだろうなって思わされてしまいます。
失敗もありながら、とりあえず全部撮影はしていて、我ながらえらかったな。それに、ここはやはり、無理して行った甲斐があったな。
さて、外観もちょっとだけ。
元々は9世紀ごろのカロリング時代の教会だったそうですが、1100年前には大変容してしまい、9世紀当時のものは、何一つないし、その姿も不明とのこと。
この、塔をいただくファサード部分は、12世紀の終わりごろに建てられたもので、下部はナルテックスのような構造となっています。建材は、石灰石の切り石ですが、地域のローマ遺跡からの転用だそうです。この辺は、ゴロゴロしてただろうからね。
上の方に、十字架が見えますが、そこの動物フィギュアが彫られた帯があると。
確かにある!
今の今まで気付いてなかったし、解説読まなかったら、写真で見ても見逃してるやつだよね。15枚の板に彫られているようだけど、この場所に置くには小さすぎるよ。せめて、扉周りとかにしてほしかったなぁ。
赤色はテラコッタらしいですが、これまたかわいいですねぇ。それにしても、なぜギリシャ十字なんだろう。
一応、後ろの方も見てみました。
なんだかもう、いろんな付け足しがあって、わけが分からないですが、左の一部に、テラコッタ色で美しい模様が施されていますね。
後は、ファサードの向かって左の方の壁だったと思うけれど、このようなものがはめ込まれています。
下に碑文みたいのもはめ込まれているんだけど、もちろん読めないし、周辺に説明がなかったんだよね。
おそらく、古い時代のタンパンなんだろうけど、説明してくれてもいいよねぇ。かなり朽ちてはいるけど、いい感じの面白いモノなんですよ。
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2023/04/16(日) 16:15:00 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その2
というわけで、飛び込んだ教会は、こちらです。
サン・マルタン・デネ教会Eglise Saint Martin d’Ainay。
訪問したのはコロナ前ですが、今でもオープン時間はその当時に戻っているようです。
とにかく駆け込んで、柱頭彫刻目指して突進して、目に付くものを撮影しまくっている数分でした。バターン!と大きな音がしてハッと我に返りまして、それが正面の扉をしめた音だと気付いて大慌て…。
しかし、病気ですからね、それしきでひるんではいられないのです。拍車がかかったアワアワ状態で撮影を続けていたのですが、ミサの跡片付け中の方も、特に慌てる様子もなかったのはありがたかったです。
でも明りを落とされたら、もう出るしかないので、通用門の方にいざなわれながら、一応午後の時間を尋ねると、日曜日は、午後クローズです、ということで、速やかに追い出されました。
人々の安息である日曜日、教会は開いてなくてよいのか?!平日はクローズでも、週末は開いている、というケースがほとんどの中で、まさかの現実で、本当にびっくりでした。
昼休みが1時間程度なら、ランチを取ってから戻ってもよいな、と軽く考えていたので、ショックもありましたが、ほんの5分でも入れたのは幸いでした。
そういう事情なので、いつに増して、手あたり次第の撮影となっております。
内陣に良い柱頭がある、という漠とした情報を得ていたので、そればかり目指していたんですが、他にも見るべきものはあったようです。と言って、私に与えられたのは5分程度の時間でしたので、何でもかんでもは無理だったので、漠とした情報しかもってなくて、かえって良かったような気がします。
一見してかなり新しい様子に見えます。それもそのはずで、この教会、起源はとても古いけれど、繁栄も斜陽も味わいながら結構長生きしたせいで、時代時代に手が入り、近代になって、いっそ壊してしまうか、大修理をするか、という選択を迫られるまでになったらしいです。
結果、有難くも修復が選択され、その上、ここが最も繁栄した時代の様式であるロマネスクを最大限に再建修復するという素晴らしい決断がなされたことで、今の姿があるということなんです。
建築的には、そういうわけで再建部分が多いのですが、有難いことに、古い時代の彫り物装飾が生き延びているのですね。
というわけで、後陣部分から。
開口部の間に、彫り物が施されたつけ柱状のものが三本置かれているんですが、それぞれモチーフが異なる装飾性の高い内容となっています。
これは追っかけ動物系ですね。トスカーナのどこだったかな、海沿いの土地の教会に、こういう追っかけ系のモザイク帯があったなぁ、とか、ルッカの教会だったかに、これ系の副柱頭があったかもなぁ、とか、彷彿としましたが、ここの動物は、デッサンがとても優れていて、デザイン的ながら写実性もある感じで、素晴らしい。そして、お尻尾の先が、茶葉の紅茶入れみたいな、または魚とりのびくのような…。これまた独創的です。
普通なら、とにかく撮影しまくるところですが、やはりこの時は枚数も少なくて…。つる草模様の中に、こんなおちゃめなリーゼント野郎。
全体をお見せできないのに、あまり解説的なことを書くのもどうかと思いますが、こんな愛らしいような彫り物だったりするんですが、黙示録とか新旧訳聖書とかを織り込んでいるとかの説明もありまして、どひゃぁ、です。上の方に、神の子羊ちゃんなんかもいるようです。
この縦長彫り物、こんなに素晴らしいのに、ついおざなりになった理由は、お足元にありました。
こういう、彫りもしっかりした何かしら興味深い感じの人のフィギュ
アがありまして、保存もよくて、ついそちらに注目しちゃったんですよねぇ。
上の人は巡礼者らしいです。神に選ばれた印の王冠を持ってるとか。テニスのラケット的なもの、またはぺろぺろキャンディー的なものにしか…、笑。
何かドラマを感じさせるたたずまいじゃないですか。
上の人は、なぜか錨を持ってるわけですが、希望のシンボライズではないかとあります。顔つきが、これから大海原に冒険の旅に出る人、ですよね。かっけー!
ハープを抱えて神を讃える歌を歌っている人。まさに。何かが入っちゃってる怖い目をしていますよね。トランス状態っていうか。
一方この方は本を持っていて、キリストのメッセージを伝える人だって。
この人は、トランス足りない様子かな、笑。やはり音楽と書籍では、音楽の方が入り込みやすいからな。
とまぁ、こういう方たちに、ちょっと惹かれてしまって、全体とらえるのが疎かになっちゃったんです。しかしディテールにこだわったハイテクニックな装飾ですよね。
でね、これ後陣なわけですが、思いっきり見逃ししました。基本上ばっかり見てたからさ。
これさ、まったく見てなかったんだけど、何さってことなんです。このキラキラぶりはどゆこと?当時こうだったからこうだと再現?
祭壇のことは、解説にちょっと出てたんです。
(解説、信頼できそうなサイトで二つばかり引っ張ってきたんだけど、なんからちの開かない内容で、どう使ってよいのやら、なんです。)
「当時1100年のこと、カンタベリー大司教は、英国王から逃れて、エネAinayに滞在していた。その影響のもと、エネの修道僧は、マリアに祭壇を捧げることとなる。これが、リヨンにおける無原罪の宿り信仰の最初となるのである。それは、当時の法王パスクワーレ2世によって祝福された。その、1107年1月29日に行われた奉納だが、その祭壇は、ロマネスク時代の教会では数少ないものとなり、この教会の地域における権威を明確にするものである。」
その前段階の歴史は、以下となってます。
「(古い教会があったのだが、多く手が入っており、当時におけるもっとも重大な)大工事は、11世紀の終わり。当時の修道院長Gaucerandがバジリカ様式での修道院教会の建設のために実施。当時リヨンの司教だったAurelienは、修道院を創建することを決心。Bonnevalからやってきたベネディクト派修道僧を送り込むことを決心。彼らは、サン・マルタン信仰をもってリヨンに、そのレリックとその習慣をもってやってきた。その際、教会に名前が与えられた。その結果、10世紀に、修道院には21人の僧がいた。」
そんな流れの中カンタベリー司教まで滞在しちゃうし、その後はさらに、繁栄したみたい。
「13世紀にインノケンティウス4世が、リヨンで初めての公会議を招集。目的は皇帝フェデリコ2世の破門。その頃、エネの修道院は、169もの教会や修道院を傘下にもつフランスでも最も権威のある場所の一つとなっていたのである。」
色々前後しましたけれど、まぁまぁ繁栄してたようだから、職人さんなどにもお金をかけて頼めたのだろうなと。
祭壇の他にも、床モザイクというのも思いっきり見逃してて、おそらく、今ある教会の中では最も古いとされるサンタ・ブランティン礼拝堂la chapelle Sainte-Blandineの床にあるらしく、それが、先に出てきたパスクワーレ2世の姿とかそういうことらしいです。
今、現場の説明版とか見て、チクショーとか思っているわけです。
おっと、こんなに写真も少ないのになんですが、長々余計な脱線ばかりしてるので、もう一回続きます。
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2023/04/15(土) 12:05:24 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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構っちゃいられねぇ!(リヨン69 その1)
2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その1
頭出ししたのが、修行直後の2019年8月末。それから3年半超が過ぎてしまった今頃になって、旅の振り返りをしようという、ある意味暴挙…。
この旅はかなり盛沢山で、訪問地が複数の州にわたるとか、なんと、写真がきっちり整理されていないことに今頃気付くとか、なんせ長丁場になるから、とか、様々な理由で、さらに先延ばししたい気持ちもあるのですが、それをやっていると、先に進めないのも確実なので、何とか頑張ってみたいと思います。
と思って、写真の整理を始めていたところ、一部、というよりほぼ半分くらいの写真がないことに気付き、真っ青になりました。私はデジカメ派=メモリカード使用派なんですが、旅の途中で番号が最大の9999になって、その後の写真番号が0001に戻ってしまったことで、整理が煩雑になり、違う場所に保管してしまったようで、本当に慌てました。
過去の写真紛失とか間違って消去とか、撮影できてなかったとか、こういうことやっている人は、きっと一度くらいはそういう経験もあるのじゃないかと想像しますが、辛いですよね。でも実は、すでに三年もたっているので、痛みは比較的薄く、また行く理由ができたな、くらいの前向きな気持ちもあったり、一方で、写真が半端だから、やっぱりまとめるなってことかな、と後ろ向きだったり、笑、自分の中で悲喜こもごもの半日でした。
なにはともあれ、無事発掘できましたので、何とか教会毎にフォルダにまとめたのですが、今回はミラノの自宅からダイレクトでフランス・インしていること、オーヴェルニュの友人宅にもお世話になって、一緒に旅したりしたこともあって、行先がかなり広範囲になっています。州としては、オーヴェルニュ、サントルが混ざっています。
まずはリヨンに寄り道して、オーヴェルニュ材の友人宅を訪ねて一泊。その後、サントル地域(紫のあたり、正確にはCentre Val de loire州)を周遊。一旦オーヴェルニュ友人宅へ戻り、そこを拠点に、オーヴェルニュの未訪地域(緑のあたり、大雑把ですが、笑)を周遊という行程です。後半は、友人にガイドツアーしてもらったような形です。
州とか地域でまとめた方が、情報としては有意義だと思うのですが、旅の臨場感だったり感覚を求めて、いつものように行程の順番で書いていくことにします。
コロナ前の最後の夏です。
8月の日曜日、早朝6時過ぎに出発し、フレジュスFrejusのトンネルを抜けてフランスへ。マイカーで、トンネルでの国境越えは初めての経験だったので、相当身構えていたのですが、夏休み真っ最中だというのに渋滞は一切なく、すいすいでびっくりしましたっけ。
ただ、トンネルだけで、通行料が50ユーロくらい取られるのですよね。数人乗車していればともかく、一人だと高いです。7日以内に戻るなら、往復割引がありますが、それ以上だと往復で100ユーロですから、トンネルだけで格安航空券より高かったりしますね。
友人宅ダイレクトもありですが、せっかく通り道でもあるので、まずはリヨンに立ち寄ることとしました。高速を降りるまでは順調で、予定よりも早い時間に着けそうだったのですが、リヨンの町に入った途端に、すごい渋滞にはまってしまいました。わずか数キロの道に1時間以上…。これ、後で影響出ます。
なんとか、予定していた駐車場に向かったところ、なんと、駐車場は工事中で入れず…。そこに駐車して、最寄りの地下鉄で、教会を訪ねるつもりだったのですが…。どうしようかと道なりに進むと、でも、路肩が駐車場になっています。夏休み時期のせいか、スペースもあったので駐車。通りすがりの人に料金のことを聞いたら、8月は無料ということだったので、瓢箪から駒、ではありました。
地図上で、緑とピンク、メトロを二本乗り継いで、街中の教会にアクセスするつもりでした。しかし、知らない町って、何から何まで分からないじゃないですか。まず切符を買うのに手こずり、そして方向を確信するのに手こずり、たったの三駅とかなのに、えらい時間を食いました、笑。
無事、目的の駅に着いても、今度は出口が分からず、出たところで方向音痴全開!地図でも、地下鉄駅から至近にあるのが分かりますが、出てから3人くらいの人に尋ねる有様です、笑。方向音痴って、マジやばいです。
最後は、尋ねている最中に鐘が鳴っていたので、それを頼りに走りました。鐘が鳴るって、いやな予感しかしない…。
ファサードについたら、人がぞろぞろ出てきていて、ミサが終わったところだったようです。
なんせ、渋滞のおかげと駐車場工事のおかげで、大幅に遅れていて、もしそれなかりせば、余裕でミサの前に来られたはず…。とにかく飛び込みました、出てくる人を突き飛ばす勢いで!
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2023/04/12(水) 18:16:56 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その28(最終回)
本来なら、最初の方にまとめるべきことかもしれませんが、最後になって言及します。無計画人間だからね~、基本が。だからイタリアなんかに来て、30年も暮らしちゃうんだよな、笑。
何かといえば、これ、ビザンチン・ウォールです。
壁そのものの正確な起源は不明ながら、現存する壁の多くは、中世起源ということらしいです。町を取り囲む壁なので、町はずれに、色々な形で残っています。
すでに住宅地と一体化しているようなところもありました。
解説をちゃんと読もうとしたんだけど、歴史の話が長くなるので、正直面倒だなというのが勝ちまして、割愛することにしました。ただ、現地では、本当にあちこちに残されていて、結構面白い風景になっていたりするため、撮影はしていたので、ここに簡単に言及しとこうと思います。
で、今回は、テッサロニキにある二つの重要な博物館めぐりです。
予想外に、一日で、目的の教会をコンプリート出来てしまったので、帰る日は余裕があり、博物館まで訪問できてしまったんですよね。
ビザンチン文化博物館Museum of Byzanthine Cultureです。
入場料高かったら迷ったかもしれないんですが、なんと、訪ねた日は無料ということで、とてもお得気分になって、すんなり入場。
教会にも、ほとんどお金を落としてないのに、なんという閉まり具合か、我ながらあきれますけど、笑。
無料というのに、訪問者は少なく、ゆったりと見学できました。まぁ、こういう博物館って、住んでいる人はそうそう来るものでもなさそうだしな。
テッサロニキやその周辺のものも含めたビザンチン文化にかかわる遺構が、多数展示されています。
5世紀頃のバジリカの床を飾っていたモザイクだったり。
壁画だったり。
すごくでかい、いかにもビザンチン的浮彫装飾の柱頭が、こういう風に置いてあって、すごくリアルに構造を認識できました。
柱頭って、こんな感じなのね。そりゃ、浮彫するんだし、よく柱頭だけ盗まれるなんて話もあるし、柱頭が独立したアイテムだってことは分かってるんだけど、なんか柱とアーチとつながって一体化した様子になっているから、独立したものとしてとらえにくいところあるよね。たまに、聖水盤載せたり建材的に使われているケースもあるけど、逆置きってあまり見ないような。
でさ、こうやって見ると、円柱にすぽっとはめて、アーチを支える役目があるわけだから、柱との一体化は必至なわけで、このサイズ決めも大変な職人技なんだ、と実感したんですよ。
そういうのって、完成形を見ても、なかなか気持ちが行かないところじゃないでしょうか。
これは、4/5世紀ごろのお墓の装飾だったと思います。
お墓って、古代から中世まで、装飾すごいよね。もちろん身分のある人限定だろうけど。そう考えると、現代は、地位や金があっても、お墓って大したことなかったりするのかもねぇ。
そして、時代が下って12世紀の壁画。
こうなると、この数年南イタリアで回っている洞窟教会のビザンチン壁画を彷彿とする感じになる。
これは、12世紀にしたら、かなりヘタな…、笑。
ライオンと戦ってる感じだと、サムソンとかになるけど長髪じゃないし、なんかすべてにおいてダメな様子?
これもおなじみ感あるけど、何だろうね。可愛さは薄いし、オリエント的な雰囲気もありの、リアクションどうしたらいいのか…。いや、リアクションいらんかも知らんが。
上のとこのワシは、10世紀とあったけど、確かにプリミティブということなのかな。それにしても、このグラサンちょい悪系は…、笑。超浅浮彫っていうのも、地元の見習い作、的なやつにしか思えない…。執拗なまでの職人仕事ビザンチン人はどこに…。
確かに緻密で空間恐怖的なビザンチンとは違うものもあるってことで、面白いので、載せておきます。
なんだかおおらかだよねぇ。職人ではなくて、アーティストが一筆書き的にすいっと描いたものを、そのまま彫ったみたいな。
10世紀くらいってこういう感じだったのかな。
おなじみっぽい彫り物もあります。
そして、13世紀ごろからは、イコンの世界になってきて。
これはこれでおなじみ感ですね、もはや、笑。
美術館博物館で、きちんと保存していくのは、非常に大切なことなんですけど、教会美術って、やはり現場で見てなんぼ、みたいな気持ちが強くて、博物館で見るのって気持ちが入りにくいところがありますなぁ。現地に置かれて朽ちてしまいました、というのは残念なことかもしれないけれど、かといって、博物館でピカピカ、現地でレプリカきらきら、というのも、なんか違和感あったり。難しいところです。
ところで、この博物館、実は一番気に入ったのは、これだったかも。言い過ぎか、笑。
廊下に赤い棚があってね、その前にこれ。消火器のピクトグラムですよね。
かわいい!と感動したら、受付では、同じモザイクのピクトグラムで、館内説明がありました。
なかなかしゃれてますよね。
ちなみに、テッサロニキには、もう一つ重要な博物館がありまして、ここビザンチン博物館とも近かったので、無料の勢いで行ってみました。考古学博物館Archaeological Museumというのですが、そちらは、まぁいわゆるギリシャ彫刻とかモザイクとか、視点が考古学のため、割愛します。我々の見学も、本当にさーっと駆け足だったしね。
というわけで、二泊二日の日程としては、驚くばかりというよりあきれるような密度の濃い旅でした。見慣れた中世とは違う風景が広がっていたからか、3年超過ぎているのですが、その時々の眺めが結構鮮明で、それもまた、自分的には嬉しいことでもありました。
この間に、世界はあり方を変えて、そしてまた、以前の状況を取り戻しつつあると思うと、感慨無量です。といったことを、まだまだ古い修行旅の整理が待っているために、今後も同じようなことを言ってしまいそうですが…。
いずれにしても、ビザンチンは、もうちょい深めてみたい、ということが認識できた旅でした。次回を楽しみに。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
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2023/04/11(火) 17:54:37 |
ビザンチン
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