2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その41(ベリー)
ガルジレスGargilesseのノートル・ダム教会Eglise Notre-Dame、つづきです(毎日10時から18時)。
地下聖堂を無事見学できたので、落ち着いて本堂を見学します。

この教会も、全体の雰囲気はロマネスク後期、むしろゴシック・テイストが強かったりするのですが、柱頭には面白いものが沢山ありました。

いろんな時代が集積しちゃってる感のあるコーナー、笑。
そう、コーナーって感じですよね。後付構造みたいのもあったりさ。
柱頭の下が縄目帯だったり、古い雰囲気を醸し出している柱頭は、彩色の跡もうっすらと見えますね。そして、彫りが、かなり細かいです。右手が、ちゃんと祝福のポーズをしてるんですが、だれ?あまりキリストぽくないんですけど。

背景の建物は、もしかしてエルサレムなのかな。とすると、やはりキリスト?
あ、正面の人の右側にいる方に、手首をつかまれていますね?なんだろ?
こんなの、肉眼では、絶対に認識できないから、やはり後付でじっくり見る意義ありますねぇ。と言っても、意味が分からないし、読み解けないし、分かったからと言って何にもならなかったりはするんですが、笑。
ここの柱頭で注目すべきは、おそらくこの方々。

翼廊との交差部の柱頭に、黙示録の老人24人がずらり。数えてないけど、おそらくちゃんと24名いるんだと思います。一つの柱頭に三名ってことは、8つあるのかしら。すごいな。

彫りがえらい細かくてびっくりしますし、黙示録はフレスコ画ではよく見ますが、こんなずらりの彫り物は初めてかも?
その他、旧約聖書のエピソードとか、キリスト幼年時代のエピソードがあると解説にはあるんですが、とすると、これはエヴァの創造だったりする?

写実が強い感じで、時代が下るのかもね。
同じ柱頭の違う面にいるのは、長髪とライオンからサムソンかな?とも思えますが、どうでしょうか。

修復だったりお掃除されている柱頭とそうでない柱頭の状態の差が激しい…。この時放置されていた柱頭も、もしかしてその後きれいになったのかな。

人物の彫り方というか衣服とか身体つきとかに共通するから、同じ人だろうね?テーマが分からないんだけども。
変な動物に騎乗してる後ろの人、思いっきり前にいる女性っぽい身体つきの人の胸に手ピタ、笑。明らかな痴漢行為…。

これも、長老の石工さん系かな。真っ白になっとります。
キリストなのかな。

きれいにした方がよいんだろうけれども、なんかこのくらいすすけていた方が、魅力的な気がしてしまう私は、天邪鬼なんだろうか。
それにしても、ドラゴンとかと戦っている様子のこの方の衣服は、ちょっとオリエント入っておりますね?
後陣開口部の脇ですが、ここのはまた感じが違っていて、浮彫ではなくて飛び出す絵本系の、ほぼ彫刻が置いてある状態の柱頭ですね。

ほら、この人面、何だろう?

今でもそこらにいそうな顔だったりするから、妙に気持ち悪いわ、笑。
それにしてもお尻尾、すごいことになってますな。
ダニエルさんもいたけど、なんかロックギタリスト崩れみたいな様子だしライオンも、若干栄養失調気味で、襲い掛かる元気もなさそうなやつら、笑(交差部分の南側)。

私でも分かるエピソードがあると、ちょっと嬉しい。
受胎告知とエリザベス訪問がありました(北側、小後陣)。

こんな様子で、内容はバラエティーに富んでいるし数もたくさんあって、かなりじっくりと撮影時間、かかってしまいました。ちょっと想像外でした。解説によれば、他の教会でも活躍している複数の石工さんがかかわっているとのこと。やっぱりね。
外も見てみます。

この辺りの、軒持ち送りとか柱頭に彫り物が見られます。

全然分からないけど、なんか面白い。ストーリー性のある柱頭ですよね。
それにしても、あちこちつかみ系が多いのは、何だろうね。

これもなんだかすごいの、くねり具合が。
ひだひだの様子とか、上半身の線とか、独特の表現があります。躍動感というのか、動いてる感がすごい。
結構時間が押せ押せなのに、撮影やめられずって感じでした。
宿に戻る前に、慌てて次に移動です。
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- 2023/07/30(日) 15:56:28|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その40(ベリー)
一日の初めの方に、距離の近い町村をたどるようにして、ノロノロ移動しながらの見学でしたが、戻りは宿に向かって、長距離を一気に。
行程は色々な組み方があると思いますが、連泊を優先すると、どうしても、行って戻る、という部分が出来てしまい、よさげなホテルが見つかるなら、毎日オン・ザ・ロードの方が効率は良いと思うのですけれど、なかなか難しいものもありますよね。それに、お洗濯だったりの実務的な面を考えると、毎日移動は結構疲れます。
と言っても、この時の旅は、7泊8日で、連泊はこの時だけでした。広い範囲を回るには仕方ないことですね。
というわけで、お尻の時間にも押されながらたどり着いたのはこちら。

ガルジレスGargilesseのノートル・ダム教会Eglise Notre-Dameです(毎日10時から18時)。
この町は、ちょっと驚きました。ロケーションが独特なんですよ。

クルマの抜ける幹線道路は、赤線のD40で、それは丘の中腹を走るっていうか、ちょっと高い位置にあって、街並みを見下ろすようになるんですけど、教会やお城は、さらに低い谷底にあるような、確かそんなような不思議な様子で。

お城と教会にも高低差があって、私は多分、ストリートビューに画像がない方から来て、村の手前に駐車したと思うんだけど、登ったり下りたり状態でした。
そして、とても小さな村なんだけど、お城があって、教会があって、そして地図を見て気付いたのですが、ジョルジョ・サンドのおうちがあるみたいですね。「最も美しい村」にも登録されているようで、観光資源満載、山間の観光地という位置付けなのか、観光客が沢山いて、びっくりしました。
それにしても、サンドゆかりの土地は多くて、私など求めてもいないのに、結構遭遇しています。動くのが好きな方だったのですね。結果、現代の観光に一役かっていますね。

サンドのお家は現場では知る由もなく、写真もないですが、この高低差の激しいロケーションを視覚化したくて、私にしては珍しく、結構風景写真を撮っていました。
さて、教会です。

ここ、事前のイメージとか、最初の印象よりずっと面白くて、期待を上回りまして前回の教会同様、柱頭などの装飾にのめり込みました。
まずは、訪ねた順番で、地下聖堂から。
クリプタは、大好きな場所なので、クリプタあるというだけで行きたくなってしまうし、開いているならまずは入ってしまう、となります。というわけで、最初にアクセスすることが多いのです。
もうね、何が起こるか分かりませんから、好物は最初にいただく、が鉄則、笑。

教会の建つ場所は傾斜しているようで、地下聖堂は、傾斜に沿って作られているようです。フレスコ画は、13世紀から14世紀のもので、まさにそういったテイストとなっていました。構造的には、尖塔アーチだったりして、単純な知識しかない私などは、絵画のテイストと相まって、時代が下るかな、としか思えないのですが、どうでしょうか。
そうはいっても、雰囲気は良かったです。

絵画の内容は、キリスト幼年時代のストーリーとか、最後の審判など、新約聖書中心ということでしょうか。
一部の保存状態は良好です。

マギ、良いですよね。オリジナルはきっと彩色も激しかったりして、すごかったんだろうなぁ。お城の教会だから、一般の人は目にすることが出来なかったのかな。
小さいとはいえ、こういった装飾にはお金かけられるくらい、この村の領主様にはお金があったということだとしたら、何が財源だったのでしょうかねぇ。

フレスコ画は、いつどのような加筆修正が行われたのか、なかなか分からないと言われているようですが、これなんか、絶対されてますよね。なんか、手が、劇画しているっていうか…。
にしても、これの図像ってなんでしたか。
地下聖堂の祭壇には、素朴な様子の聖母子像が置かれています。

解説によれば、以下。
「祭壇には、ナイラックの領主が十字軍から持ち帰ったと言われている多色の木の美しい聖母子が玉座に置かれています。」
ということは、この土地ではなくて、十字軍遠征先のどこかで作られたものということなんでしょうね。イタリアとかかもしれないよね。とにかく素朴、という言葉がぴったり。幼子の顔だけ、美しく彩色があるんだけど、これは修復なのか、それとも奇跡的にこうなのか。

時代が下るにしても、このくらいの装飾性があると、なかなか満足度たかいです。
続きます。
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- 2023/07/27(木) 19:41:54|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その39(トゥレイン)
プレイリー・シュル・クレーズPreuilly-sur-Claiseのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint Pierre、続きです。

こんな様子で、わざとらしいくらい白塗りされていて、明るさもばっちりだと、なんか期待できない気分になるんですが、実際には、まだまだ面白い柱頭があるので、ずらずらとあげておきたいと思います。

頭がそっくり返っているのと、しっぽへのこだわりがある石工さんがいたような…。

下の二枚は、ぶれちゃっているんですが、何かエピソード的なものですよね。


戦っていると、カインとアベルくらいしか思いつかない聖書知識難民ですが、これはそうは見えませんよね。最初の一枚も、なんだか分からないし。それにしても、人物像に、妙に写実が入っている様子で、石工さんなのか、時代なのか、面白いです。
というのも、そういう写実ぽいものがあったかと思うと、いきなりこんなやつがあるんです。

角っこはサルですかね。その間のにやにや動物は?お尻の穴みたいのがぽっちりで、一体何を語るんでしょうか。
何度も言いますが、根がいい加減人間なので、撮影の順番は決まってないし、右に左にうろうろして、基本順不同になっちゃうんですが、とはいっても、入り口付近と内陣付近が、いきなり混ざることはなくて、やはり移動に沿って撮影するわけです。
そして、どこをどう撮影したとか、この柱頭はどこにあったなどのメモもしないため、実際にどこにあるかも不明なんですが、ただ、この記事へのアップは、詳細な解説にでも紐づけられることがない限りは、大抵時系列に沿ってアップしているため、上の写真としたの写真は、比較的近い場所にあるということになるんです。
全然タイプの違うモチーフの柱頭が、こうやって入り乱れている様子、やはり時代ですかねぇ。再建だったりの結果もあるんですかねぇ。

エクソシスト的ですよ。舌を究極まで出しているのは、嘘つきさん?
真ん中のグリーンアニマルに比べると、ヒトの頭部は写実的で現代彫刻的なだけに怖い…。

吐き出し系としては、秀逸なデザイン。マヤとかアステカの動物をも彷彿とさせます。そういう意味では、意外と再建作品だったりして?という疑惑も沸くような。
これもまた、しっぽこだわりがありますね。

それにしても、何これ?スフィンクス?
頭が植物化してて結ぼれちゃって…。オリジナリティすごすぎるわ。

ドラゴンぽいドラゴン。これはね、ありそうで意外とないですよ。
ワニっぽいのは多いけど、こうやって立っている様子、なかなかね。この人たちも、結局吐き出し系ですかね。先っぽに、そっくり返りの顔があるようで、もう何が何やら。身体がチュロスで頭があるハイブリッドですかね、笑。
まぁ、こんな感じで、想定外の大量柱頭。びっくりしました。
外側も一応見ておきます。

構造的には、もうロマネスク以降のスタイルになってしまっています。解説をちょこっと。
「内部では、そのオリジナルの要素を保っているが、外側は、三つの修復改修のそれぞれが明らかになっている。
ポワトー地域にある、いくつかの姉妹関係にある教会とは対照的に、この教会のファサードは極端にシンプルである。ポーチのつけ柱は、古い建物からの再利用であることは疑いなく、15世紀のブラインド・ギャラリーが注目される。15世紀の間、構造は固定化された。バットレスとフライング・バットレスが付け足された。十字部分や、ヴォルトが再構築された。そして、身廊の屋根と後陣がもちあげられ、激しく変更が入った。」
というわけで、色々変容が激しいのですが、随所に、軒持ち送りやブラインド・アーチの柱頭など、ロマネスク時代の名残や、またそのテイストを保った彫り物が見られるのですよ。


実は、時間的に結構押せ押せになっていて、一日の終わりにどうしても立ち寄るべき場所もあったりして、これ以上いると、間に合わなくなる状態だったので、最後は断腸の思いで、教会を後にしました。
撮影の時間を見ると、私にしては、相当時間を取った見学でした。
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- 2023/07/25(火) 19:00:12|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その38(トゥレイン)
お城推しのアゼ・ル・フェロンから、西に10分強移動して、次の教会を訪ねますが、ここはベリー県をちょっと出て、アンドル・エ・ロワールIndre-et-Loireという県になります。おそらく昔の行政区では、トゥレインTouraineと呼ばれていた地域ではないでしょうか。
ベリーに関しては、簡単な解説を持っているのですが、トゥレインに関しては、教会の現場での解説だけなので、簡単な記事となりそうです。

プレイリー・シュル・クレーズPreuilly-sur-Claiseのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint Pierreです。
見るからにでかくて、ゴシック臭も強いので、一瞬引けるのですけれど、起源はロマネスクだし、随所にその名残が見られるので、結構のめり込んで見学しました。
サイズがでかいだけあり、柱頭もかなり上です。

こういう時、内装が白いと、少しは明るさが増して、見えやすいのはあるかも知れない?とちょっと思いましたが、やはりよそよそしい様子を感じてしまい、どうしても好みじゃないな、やっぱり。
それはともかく、柱頭がね、なかなか面白いんです。

グリーン・アニマルとも合わせ技と思ったら、口から出てるみたいに見えるのは、ケンタウロスの前脚みたいですね。それにしても、ケンタウロスガジガジって珍しい感じ。そんでもって、ケンタウロスのおやじが、どっちも憂い顔で、何かこう人生に疲れている様子で、そんな状況だけに、腕一本暗いガジガジなんて、鷲にはどうでもええんよ、みたいなブルー感満載。

首がね、お弁当包のゴムみたいにキツキツのゴムでとめられている二人組。でも、ピッタリくっつかないで、なぜか必死に離れようという姿勢です。

これもまた、彫りが細かい上に、図像が複雑で、どうなってるの状態の二人組。
二人組ライオンをつなげるのは、一つ当た芽でもなくて、得体のしれないげじげじみたいなやつだし、角っこにいる人の頭部は、やけに気持ち悪いし。あ、よく見ると、ライオンじゃなくてキメラですね。
これなどは、現代のもの?みたいにも見えてしまうんですけど。

彫りなどは、似た技術も使っているけど、表情とかが中世を逸脱しているような。一体どういうことになっているのか、いろんな距離から見たりすると分かるんですね。ライオン上の動物が、腹をくっつけているのですね。一見では分からない。角の頭部の人が、しっぽを加えてる?すべて変です。

やばいレベル…、笑。
よく見ると、下部の植物モチーフのところにも、カエルみたいな顔がのぞいているのよね。それもかわいくないのが、なかなかやるじゃん。

これだって、相当やばいよ。右では手が出てきてるし、左のは、泣きそうな顔がのぞいてるし、飲みこんでる動物は嬉しくってたまらなそうだし。何なの、この発想は。なんだか、ゴシック臭が…、とか思ったのに、面白すぎます。
ここは、さらりと見学して、ちょっと休憩して、最後の長旅に備えるつもりだったのに、とんでもなかった。あまりの柱頭の数に、教会内小走り状態です。
ここらで、歴史などを。
現場の説明版、おそらく結構あったのじゃないかと思うのですが、教会名判別用に一枚撮影しただけで、ざっとした歴史しか記されていない場所でした。今となっては残念ですが、仕方ないですね。
それによれば、以下。
「1001年、プレイリー伯とその妻は、無事に千年紀を過ごすことが出来たことに感謝する気持ちを表すために、住まいである城から遠くない場所に、ベネディクト派の修道院を建立することを決めた。
1009年、Toursの大司教が、最初に奉納を行った。
15世紀以降大規模な修復や改装が行われたが、サン・ピエール修道院教会は、そのオリジナルの建築様式、及び、彫刻などの装飾的要素どちらについても、当地におけるロマネスク様式を保ってきた。」

細い側廊。この形は、フランスには結構あるように感じますが、イタリアにはないスタイルです。
「教会は、ベネディクト様式とよばれるスタイルで建築されたが、それは、中央身廊に並ぶ側廊を持ち、それぞれが翼廊を超えて周歩廊に至るスタイル。このトゥレイン地域、ベリー地域そしてポワトー地域それぞれの建築様式を融合して、12世紀初頭のロマネスク様式を形作る教会となったもの。」

身廊にも周歩廊にも、ほとんどの柱に、しっかりと浮彫の施された柱頭が載っていますので、目移りしてしまいます。
浮彫の内容は様々で、もしかして再建?のようなテイストのものもありますが、とにかくバラエティーがすごいし、数がこれだけあるとね、どんなに駆け足でも、結構大変です。

石工さんの違いだけではなく、時代が異なるものもあると思いました。

アワアワしている私を鎮めてくれたのは、優しい音楽でした。

コンサートのリハーサルみたいな感じで、三々五々集まってきたメンバーが、曲を奏でだして、大好きなチェロに、相当癒されました。こういう時、自分の旅が、いくら修行と銘打っているといっても、余裕なさすぎだろう?と反省気分になります。この時だって、癒されながら、チェロっていいなぁってうっとりしながらも、結構時間との闘い状態の焦りからは抜け出せなかったわけですから。情けないのぅ。
続きます。
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- 2023/07/24(月) 18:48:25|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その37(ベリー)
前回のポールネから、西に向かって10分足らず、という状況だったんで行ってみた村。

アゼ・ル・フェロンAzay-le-Ferronのサン・ナゼール教会Eglise Saint-Nazaireです(毎日9時から18時)。
村の中心に教会があって、その前が結構広い駐車場になっているんだけど、なんと満杯。どういうことか分からないながら、歩いて5分もかかる場所に駐車せざるを得ず、不審な気持ちで戻ってきたところ、まさに駐車場のある場所、教会を道を挟んだ反対側に立派なお城があるようで、この村のメイン・スポットはどうやらそのお城だったということでした。

周囲には、まるで修道院のように高い塀がめぐらされていて、覗き見ることもできなかったですが、小ぶりなお城と、幾何学庭園みたいのがあるようでした。
それなりの駐車場が満員だったので、結構訪問者来てたということ。お城好きって多いのね。
で、それだけの人が来ていて、教会は目と鼻の先だけど、誰一人、見事に誰一人教会に目をくれる人はおらんかった…。
まぁ、それも仕方あるまい、というのはあったんだけど。

地味、なんですわ、端的に。
その上、魅力薄い。
こうやって並んでたら、ただクルマ置ける場所、になっちゃうわよね。
てかさ、結構スペースあるんだから、せめて教会の扉前くらいは、駐車不可スペースにしてあげてくれよ、と涙目で訴えたくなるよね。
でも、もちろんわたし自身、わざわざ駐車場所探して、歩いて戻ってきて、最初に思ったのは、なぜ来たんだっけ、ここ?ってことでした。そういうことってあるんだけども、往々にして。わずかなロマネスク部分でも、ロマネスク教会にカテゴライズされちゃったりするし、場所的にアクセス良かったら、やはり訪ねてしまうからねぇ。
この教会のロマネスク的に、唯一見るべきは、南側にあります。

この、小さな扉の周囲の装飾となります。

危ないところだよね。おそらくゴシック時代につけられたであろう支え壁に、一部食われちゃって。せっかくの装飾を残すために、ほんのわずか、右側にずらすことは考えなかったのか。中世の人の感覚も、時として不明。興味なかったにしても、一部残すなら、全部残そうよ、と思う方が当たり前のように思えるんだけども、こういう半端なこと、よくやる人たち。。

ファサードは19世紀に修復されたということだし、全体にゴシック中もすごいから、ロマネスク時代のものは、本当にわずか残されているのみ。でも、ちゃんとした石工さんの作品です。隣町のポールネ、徒歩でも1時間余りの距離だから、ポールネの教会の石工さんとかぶっている可能性もあるのかな。

編み編み模様みたいな帯も素敵だと思います。

内部は、ポールネと同じような白塗りで、こちらは全体にゴチックとなっております。でもね、ちょっとかわいいモノなんかもあったりして。

内部の壁にあるって、ちょっと不思議なものたち。唐突な感じで、ロマネスク臭を発していました。
全体として、ゼロではないけれど、その土地最初のハードな修行旅で、わざわざ来なくていいよね、というやつでした。
それなのになぜかこの村、帰り道にも通過したんだよね。何か見なければいけないものが、あったのかなぁ。その時は勿論止まりませんでしたけども。
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- 2023/07/22(土) 12:00:27|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その36(ベリー)
夏休み第一弾で、ちょっと不在にしたため、間があいてしまいました。今回は、トスカーナでこれまで訪ね切れていない場所を、消し込むような訪問をしてきたのですが、想像以上に素晴らしい教会との出会いが複数あり、イタリアも奥が深いことよ、と感動しました。
いつかブログにもアップできると思いますが、いつになることやらですねぇ。
さて、フランスに戻しまして。
前回のヴィヨンから西方向に、約70キロほど移動します。ベリー地域の最西端といったロケーションとなります。

ポールネPaulnayのサンテティエンヌ教会Eglise Saint'Etienneです(毎日8時から19時となっていたものの、私が訪問した時、13時半ごろ、クローズでした)。
開いているはずなのにクローズって、がっかりしますよね。この時は、1時間くらいもドライブした後だったので、前回のようにあっさり「残念でした」、で立ち去る気にはならず、ちょっと粘りました。
とはいえ、ちょうど昼休みの時間なので、メリーはあてになりません。どうしようかなぁ、と思いながら教会をぐるりとすると、後陣側にあるお家の庭に人がいます。鍵のことを聞いてみると、夫らしき男性は、興味もなさそうに、さてねぇと庭いじりに夢中でしたが、奥さんがびっくりするくらい親切な方で、あちこち知り合いに電話をかけて、なんと鍵のありかを探してあててくださったのでした。
教会のはす向かいにお住いのシルヴィさんがその人で、しばらくしたら、杖を突きながら、来てくださいましたわ。有難いことでしたが、彼女は、超熱心な信者さんで、勧誘がすごかった~。
有難く、見学している最中も、ずっと勧誘のお話を続けられ、最後にも、まぁいつかはきっと信者になると思うわよ、とおっしゃいながら、帰宅されました。いやはや。
というわけで、無事入場もできたので、また現地にあった解説を、さらりと読みながら。
前振り長いので、早速、最も重要なポイントから行きたいと思います。

内部にはフレスコ画がありまして、この地域では大変重要なものとされているようです。上図にあるように、入り口入って、左手の壁、内陣に続くアーチの内側部分、そして、後陣の半円部分となっており、どうやら時代が異なるものとなっているようです。
全体は、こういう感じ、フランスにありがちな白塗りのシンプルな内装となっています。

まず、左壁、図面では1となっている部分ですが、ここは、痛みが激しくて、ほとんど絵としては認識できなかった状態です。何か描いてあるのは分かっても、内容まではちょっと、という意味で。

「1.地獄を表す絵
入り口入って左手にあるこのフレスコ画は、かなり傷みが激しいとはいえ、内容はよく分かるのである。それは、最後の審判、地獄を表している。
おそらく15世紀のもの。人々に、死や神による審判を思い起こさせるためのもの。炎が中心部に入り込み、そこでは、地獄に落ちた人々が身をよじっている。右手にいる悪魔が、それらを火の方に押しやっている。」
もしかすると、この現代の何十年の期間にも、痛みが進んでいる可能性はあります。でもこういうのってね、おそらく現場で、あれがこうで、と説明されれば、もっと見えてきたりするんだろうけれど、傷んだ状態での認識は、素人では難しい。それも、これしかない、となると、もうちょっと入れ込むんだけど、ここは、他の場所のフレスコ画が、もうちょっと状態が良いため、どうしてもそちらに行ってしまいます。

これが、フレスコ画の中で最も古い13世紀またはそれより前と考えられているものとなります。
「2.月々の暦
これは、一連のフレスコ画の中で、最も興味深い。保存状態が最もよく、時代は最も古い13世紀と考えられる。季節を通した農民や領主の仕事がわかります。
1月 テーブルにいる男性はヤヌス(新年への移行を象徴するローマの神)を表します
2月 農民が服を着たまま靴を脱ぎ、火のそばで足を温めている。」

「3月 ワイン生産者は樹液の上昇を防ぐためにブドウの木を剪定します。
4月 このキャラクターについてはいくつかの仮説が立てられています。彼はジャグリングをしているようだ、おそらく彼は巣の世話をしており、ミツバチが彼の周りを飛び回っている。
5月 手に高を持ち馬に乗った男性が狩に行く。」

「6月 農民は鎌を使って干し草作りを始めます。
7月 農民は鎌で刈り取ります。 それから彼は槍を後ろに置きます。」

「8月 それはブドウの収穫に関するもので、ブドウ作り手は樽の中にいてブドウを集めます。
9月 収穫の季節。人はチュニックをたくし上げ、ブドウをバケツに投げ入れます。
その先三か月分は消失。」

農民だけではなくて、領主様なのか、そういう人も混じっているのが、イタリアにはないところです。

後陣部分は、半円の手前部分に、音楽を奏でる二人の天使がいて、これは16世紀とあったと思います。説明版がきちんと撮影できてなくて、残念ながらちゃんと読めませんでした。でも、様子からして新しいのは確かですよね。
そして、半円の部分は、二つの部分に分割されているとありますが、ちょっと微妙。
「4.サンテティエンヌとキリスト
後陣半円部分のフレスコ画は二つの部分に区切られている。最初の部分は、サンテティエンヌの石投げによる殉教。二つ目の部分は、福音書家のシンボルに囲まれた荘厳のキリスト。」
サンテティエンヌ、イタリア語ならサント・ステファノですが、その部分がすごく小さくて、縮尺的におかしいっていうか、どうしてこういうことになっているんですかね。
いずれにしても、全体新しいし、傷んでいるのを、彩色だけきれいにしときました的な修復となっていて、絵としてどうか、というとらえ方が難しいものとなっています。
内部は、見ての通りの一身廊というシンプルな作りで、フレスコの他には、いくつか植物モチーフの柱頭もありますが、特筆するほどでもないといったところでしょうか。
改めて外観を。

ファサード、ぱっと見はかなり地味なのですが、扉口周囲の装飾は、なかなか手が込んでいるんですよ。
「そのファサードはフォンゴンボーFontgombaultのファサードに由来しており、そこから直接派生した彫刻装飾(柱頭、門の側枠、アーチ)を示していますが、同じ工房によるものであるとは言えません。」
フォンゴンボーは、ちょっと前に記事にしているので、興味があったら遡って見てみてくださいね。イメージとしては、ポワトーやシャラントの流れって感じになるのかな。

これでもか!の装飾性はすごいです。こういったリピートモチーフの帯っていうのは、センスも技術も出ますよね。ここの石工さん、なかなかオリジナリティもあるようで、四番目のアーキボルト、かわいい…。

漠然と植物、と見てしまうんだけど、よく見たら鳥だった。なんというかわいらしさ。
側柱の柱頭の彫りも細かくてすごいです。

植物が多いのだけど、突然人魚がいたりして、それで、現場にも人魚の解説とかありましたけど、そもそも神話論みたいなところから始まって、「古代では、人魚は雌鳥の姿で現れます。 エジプトでは、墓の中で、それは体から分離された魂を象徴しています。ギリシャでは、彼女は葬儀の石碑や花瓶に、半分女性、半分魚という別の姿で現れます。当時の大衆の言い伝えでは、処女と埋葬の悪魔を象徴しているとされていた。ローマではモザイクのモチーフとして用いられた。」みたいな根本からの解説だったので、さすがにここでは割愛しますね。
なんか、この教会に会った解説は、そういった傾向の内容が多くて、個人的には、もっとロマネスクに特化した浅浮彫の詳細な解説なんかの方が読みたいんだけどねぇ。どうも、考古学者とか歴史学者がかかわってるなっていうか。
というのも、ここって、本当に古い場所ということのようで、ガロロマン時代にずいぶん定住もあり、発展していたらしいのです。この教会も、もともとは異教時代ん神殿があった場所に、初期キリスト教時代の教会を経て、ロマネスク様式の教会が建てられて、という長年の歴史を背負っているようで、教会前の広場では、大規模な考古学の発掘調査も実施されたんだそうです。

ご興味はないでしょうけれど、せっかく読んでしまったんで、忘備録として付け足しておきます。
「1988 年に教会広場の再開発工事の開始中に発見されたポールネーの中世の墓地は、1988 年 7 月に 考古学調査の対象となり、その後、サルベージ発掘が行われました。
重要とれている部分だけが研究されており、その場所は現在の村全体の下に広がり、数千の墓で構成されています。ポールネーでは、衣装や武器、道具と一緒に埋葬された人は一人もいませんでした。 女性たちは私物の宝石とともに埋葬されましたが、衣装の痕跡はありませんでした。したがって、墓で見つかった品物は少なく、指輪、ネックレス、洗面用具などの繰り返しです。
イヤリングは 6 世紀現在のモデルで、銀製でビーズで装飾されています。ネックレスのビーズはガラス、琥珀、または例外的に穴の開いた魚の椎骨でできています。これらの資料はすべて、この住民の質素な生活水準を証明しています。
唯一の例外は、カロリング時代の石棺装飾を再利用したと考えられるくちばしの付いたツボが見つかった墓です。
ポールネーの当初の教会は、この地域で最も古いキリスト教の名残の 1 つです。
この地域の保護はかなり早い段階にあるようです。 聖マルタンの時代、ルブルーではまだ異教の崇拝が行われていましたが、クリオンではすでに女性の宗教共同体が設立されていました。ポールネー教会のサンテティエンヌという名前は、その古さを証明しています。
ガロローマン時代の石は、元の位置に関係なく再利用されました。
したがって、礎石は壁の中央にあり、ブロックの上面は吊り上げ穴または封止穴によって証明されるように横に現れます。
帝国初期のローマ神殿を取り壊して切り出した石のブロックで建てられたポールネ教会には、幅 8 メートルの身廊が 1 つだけあります。長さは不明。入り口は西側。ほとんどの初期キリスト教の建物と同様に、教会の前には回覧ギャラリーがあります。建物の建設は、4世紀または5世紀。
その後、中世初期に再建がされ、サイズが変わった。そして、ロマネスク時代に、もともとあった教会が完全に建て替えられた。
その建物は、一身廊で翼廊なしのスタイル。扉の西側に、完成しなかった基礎工事の様子が見られる。鐘楼、そしてポーチ または追加のスパン。
このロマネスク様式の教会は、長年、建築的には大きな変容がなされることはなかった。」
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- 2023/07/21(金) 11:04:34|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その35(ベリー)
前回の村から、北西方向にほんの数分が、次の目的地です。

ヴィヨンVouillonのサン・サトゥルナン教会Eglise Saint-Saturninです(カギはメリーが管理。メリーのオープンは、火曜木曜が9時から11時40分、土曜が9時から12時となっていますが、8月の真ん中の一週間は完全クローズ)。
残念ながら、私の訪ねた8月、ちょうど役所の夏休みに当たっちゃって、取りつく島なし、でした。ここはクリプタがあるようだったので、入りたい教会の一つでしたので、とても残念でした。教会は幹線道路わきにあるので、見逃すことはありませんし、メリーは教会のちょっと先にあり、オープン時間などは、張り紙してありました。

幹線道路とは反対側の壁の方が、ちょうど様子の良い木陰になっていたので、ここに車を停めて、手持ちのサンドイッチでランチとしました。そのあとで、すぐ近くにあったカフェでカフェをいただいたのですが、今思えば、なぜ鍵のことを聞いてみなかったのか、と疑問に思います。いや、当時も、夜日記を書いていて、なぜ?!と記しているんです。メリーにきっぱりとお休み!と言われたのと、ボミエで結構満足感が高かったから、執着がなかったのかな。
そういえば、ここの壁は、ボミエとそっくりな状態になっていますね。同じ時代ということなのか、ここも壁が傾いているのか。
一応外側だけはなめるように観察。

左右に分割されて、非対象になっているのは珍しいですね。解説には以下、書かれていました。
「ファサードは 12 世紀に特徴的な 2 分割で、小さな円柱が両側にある半円形の扉と、小さな丸太モチーフのアーキボルトを備えた小円柱の上に取り付けられた上部アーケードがあります。このファサードは明らかに南側部分から切断されています。ブイヨンの教会は隣接する城の包囲攻撃の影響を被らなければならなかったので、15 世紀から 16 世紀にかけて修復が行われたようです。」
というのは、もしかして、本来は、南側にもっと突き出ていたとかそういうことになるのかな。

つたない書き込みですみませんが、笑、こうだったということなのかしら。ありえますよね。
ちなみに丸太モチーフとあったので、確認してみたら、多分この地味と言えばあまりに地味なアーキボルトですよね?かまぼこが単独でてんてんと置かれてるやつ。

とはいえ、柱頭にも彫り物があるようだし、実は中の柱頭、よさげなんですよねぇ。扉口に隙間があったので、無理やり撮影しました。

これは、ちょっとそそられる…。ボミエのキリストとピエールとパオロの雰囲気もあり、もしかして石工さんの系統一緒?という様子もあり、見たかったなぁ。

それにしても、よくぞこんな隙間から…。涙ぐましいわ。
クリプタにも良い柱頭があるようなので、ここは再訪したい場所の一つです。
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- 2023/07/12(水) 18:29:11|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その34(ベリー)
次に訪ねた村では、教会に入るまでが大騒ぎで、ドタバタの一人珍道中でした。

ボミエーBommiersのサン・ピエール教会Eglise Saint-Pierreです(毎日9時-18時)。
11時過ぎに到着したものの、扉は固く閉ざされていました。

見ての通り、外観は面白くもない様子だし、内部の柱頭に見るべきものがあると事前に調べていたので、入りたいなぁと強く思い、近くでバイクをふかしていた青年に鍵のありかを知っているか、勇気を出して聞いてみたところ、「鍵は知らねーけど、メリーにいってみたらどうなの?」ともっともな意見をされたので、彼が教えてくれた道を、徒歩でメリーへ。

緑の道、200メートル程度ですかね。普段徒歩中心の生活なので、このくらいなら歩いた方が早い気がしてしまうんですよねぇ。
で、メリーについたら、おじさんが鍵を貸してくれて、なんか知らんがよもやま話が始まってしまいました。結構分かりやすいフランス語を話す人で、なんとなくは分かったんだけど、自分から話すのが難しくて、話を遮るきっかけが難しくて、こういう時、マジ困ります、笑。
何とかカギに話を戻したところ、やっと本題に戻ってくれて、開けるコツを教えてくれました。ということは、難しいのか?と不安になって尋ねると、「いや、これまでも何度も開けてるし、問題はない!」と断言されたんですが、いやな予感しかしなかった…。

昔は、安宿なんか、こういうタイプの鍵が多くて、開け閉めに四苦八苦したこと、何度もありますからねぇ。昔の鍵って、仕組み単純で、プロなら数秒で開けちゃうだろうけど、古くなると滑りが悪かったり、穴がずれたり、コツがいるようになるんだよねぇ。
とはいえ、こういう鍵を自分で開けるのは、結構わくわく感があり、ルンルンで道を逆戻りで教会へ、いわれたように鍵を差し込むけれど、開かんやん!
押しても引いてもびくともせず、そもそも鍵が回らん。それでも7,8分、トライしたんだけど、これはさすがに無理、と今度は車でメリーに戻り、先ほどのおやじに訴えたところ、「あ、やっぱりだめだった?」
最初から開かないって分かってるやん。なら最初からなんとかせいよ!
と思ったけど、表面的にはシュン、とがっかり感と申し訳ない感全開でいると、「仕方ないな、もうメリー閉めちゃおう」とかなんとかつぶやいて、一緒に来てくれたんでした、笑。
田舎だからね、そんなのもありかと思うし、どうせあと30分くらいで閉める時間だったんだろうけれど、フランスというよりは、イタリア的展開だったですねぇ。
いざおやじがトライしたところ、するっと開くのかと思いきや、かなり手こずってましたから、後ろ向いて笑っちゃいましたわ。なるほどね、最初に怪しいと感じた直感が正しかったということですな。
というわけで、教会にたどり着いてから、入場まで、、30分ほどかかりました。
でもね、それだけ大騒ぎした甲斐はあったと思いました。

内部はとてもシンプルな一身廊で、手前の部分は、かなり後代の手が入っている様子なのが分かります。左手、つまり教会の北側に当たるけど、埋め込まれたアーチがあるので、もともと扉があったのかもしれませんね。
そして、近年修復作業が行われていたということで、資材とか、まだあちこちに置かれている、ちょっと現場状態でしたが、工事そのものは終了しているようです。
実は、メリーのおやじ、もしかしたら市長さんなのかもしれないけど、ガイドしてくれたんですよ。半分も理解はできなかったし、すべて書き留めていないので、ほとんど忘れちゃってますけど、現場でも面白かったのです。ただ、かなり集中しないと話が聞けないので、撮影が思う存分できなかったのが残念ではありましたけれど、マンツーマンでお話を聞けるのは、とてもありがたいことですよね。
そして、そうやってガイドツアーみたいに見学している最中に、近所のおばさんがひょっこり入ってきたんです。
「珍しく開いてたから…」ということで、ツアーに参加してました。どうやら内外にわたる大修復で、相当長く閉まっていたらしい。ということは、かなりラッキーだったのかもしれない。
というわけで、冊子にあったシンプルな解説と、この時にメモっておいたおやじまたは市長さんのお話を混ぜながら、見ていきたいと思います。

「この教会は、ベリーに於けるロマネスク教会のすべての特徴を備えている。」と冊子にありますが、「一身廊だけのスタイル、内陣に続く脇の通路、交差部のクーポラなど」がそれらしく、おやじも、内陣に続く勝利のアーチ両脇の小さなアーチ通路は、ベリー・ロマネスクの大きな特徴とおっしゃっていました(現地で理解できたんだな、オレ、と感心してます、ニンマリ)。
内陣部分には、素晴らしい彫りの施された柱頭がいくつかあります。

旧約聖書を代表して、アブラハムの犠牲。
そして対面には、新約聖書を代表するものとして、キリストが聖ピエールに権威の象徴である鍵を、聖パウルに経典を手渡す場面。

目に穴が開いているのは、光る石が入っていたんでしょうかね。
それにしても、うまくてしっかりとした技術が感じられる彫りですよね。アブラハムの方は写真のピントが合ってないのが残念ですが、今まさに、アブラハムの腕をつかむ天使だと思うのですが、気高くて、同時に、足元にいる羊ちゃん?妙に愛らしかったり、緊迫感すら漂う場面となっています。
ね、全体ぐるりと撮影できてないのが惜しすぎます。でも説明聞いちゃってたんだよな。
その他にも、頭部共有ライオンちゃんとか。

よくわかんないけど、いかにもロマネスクなモチーフとか。

装飾的な帯も含めて、なかなかの石工さんなんですよ。
やっぱり、こういう柱頭あると、気持ちが爆上がりするわ。特に入場に手こずっただけに、感激ひとしお。
おやじの説明によると。

本堂の両脇の、壁の下部分なんだけど、ここには、修復時に出てきた石版、主に石棺関連の門らしいけども、それを敷き詰めている、ということだったんです。

確かに、墓碑的な、何か彫ったものも見えるのがありました。
オリジナルは土間になっていたとか言ってたけど、理解があってるかどうか不明。ただ、修道院教会だった様子もあり、とすると、この教会は墓所に使われていた可能性もあり、とすると、土間のままで、埋葬しやすくしていたとか、あるのかもね。勝手に想像してるだけですが。
も一つおやじ情報では、壁が外側に傾いていると。

確か、ローマのどこかの教会で聞いたかな?目を集中させるための仕掛けとして、わざとそういう風に作る様式もあると。でもここは多分違っていて、それで、外側の支え柱が、結構早い時期につけられているのかも。この辺りは、よく分かりませんでしたけど(2枚目の写真で、側壁の外側の様子が分かります)。
とりあえず、おやじさんを記念にのっけておきました、笑。

こんな珍道中だったので、記憶の残り方もよくて、アワアワした甲斐がありました、笑。それにしても今は昔だなぁ、もうフラ語そこまで理解できないような気がします、涙。
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- 2023/07/10(月) 18:35:31|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その33(ベリー)
アルドントArdentesのサン・マルタン教会Eglise Saint-Martin、続きです(毎日オープン)。

内部は一身廊でこじんまりした白塗り。壁にも後陣にもイコンがずらりと並べられているので、ギリシャ正教の教会になっている様子です。
ついイコンに目が行ってしまうのですが、壁に施されたブラインドアーチが面白いと思います。こういう構造というか仕掛けというか、内陣部分ではお目にかかるものですが、一身廊の教会の壁、というのは、珍しいように思います。

両壁に加えて、ファサードの裏側の東壁まであるのだから、徹底しています。
そこにイコンがぴったりしているので、違和感なくて。

後陣にもイコンが並んでいますが、上の方にフレスコ画がちょっとだけ。
「内部の半円ドームには、最近発見された壁画 (福音書家のシンボル) の遺構を見ることができます。」
へっ?福音書家のシンボル?

福音書家とすれば、真ん中にはキリストがいるものと相場が決まっていますが、そういう図像には見えないですよね?もしかして違うところに違う絵があったのかしら?間抜けな私には、見逃しなんて、日常茶飯事だからね、笑。
現場で認識したのは、フレスコ画はこれだけで、ふーんって程度だったんですが、実はここ、柱頭がいいんですよ。だから、フレスコ画逃しても、全然大丈夫です。酸っぱいブドウ、大得意とするところです、笑。

近年、丁寧な修復がされたようなことが書かれていましたが、おそらくその成果で柱頭がきれいになっています。と言っても、どうやら本来は彩色があったのでしょうから、このように真っ白な状態というのは、当時は石工さんや工事関係の人しか目にしていない状態ということになりますよね。

ファサードにある柱頭のキースへリングにも通じるプリミティブなタイプもあり。

外の軒持ち送り同様、柱頭でも、オリジナリティがいかんなく発揮されています。

すごくないですか。
角っこの顔は頭部の様子から、まるでギリシャ彫刻にも通じるような様子があるし、これだけ装飾的なアイテムを持ち込みながら、もりもりにいろんなフィギュアも持ち込んで、現代の歓声も知識も鈍ってしまった人間には分からないメッセージを物語っているいるわけですから、ただ感心しかありません。

「非常にシンプルな身廊の下部は、柱頭が取り付けられたブラインド アーケードで飾られています。
大きな変化が施された二もかかわらず、全体は大きな統一性を保っており、サントンジュの影響がベリーに深く浸透していることを示しています。」
確かに、こういった柱頭を見ると、サントンジュとかポワトーとか、そうかもしれない、と思いました。実はまだよく分かってないんだけど、要は装飾的だということだと思います。教会のつくりはシンプルだけど、その中でいかに装飾性を作っていくか、ということに注力してる感じ。

両側からお魚にガジガジされてたり、タコにしか見えないグリーンマンがいたり、めっちゃ楽しい。いや、楽しむアイテムじゃないとは思うんだけど、かわいすぎませんか。
下部に、小さいかまぼこ並べるみたいな意匠が、古典的な様子なのも好みです。

角っこの人好きすぎて、こんなにアップでも撮影してしまいました。ご本人辛そうですが、お魚たちは、これが仕事じゃけん、みたいな様子で取り組んでいる様子。と言いながら、しっぽの方はまるでルアーのような形になっているのも面白いですね。

壁のブラインドアーチのところにも、地味目ですが、柱頭があります。

ちょうど肩の高さくらいだったのかな。肉眼で間近に彫りを見ることが出来るのって、結構興奮します。
ところで、私の身長は160センチなんですが、先日会社が手配してくれた、いわゆる人間ドックというやつ、行ってきたんですよ。そしたらなんと、162センチになっていました。
年取ったら縮むことはあるようだけど、2センチも伸びてるってあるの~?でも、考えたら、体重はともかく、身長ってはかる機会ありませんよね?一体いつから測ってないのかなぁ、と考えても、思い出せないんですよ。だから、実はずいぶん昔から162センチだったのかもしれないんですよね。己のことを、身長すら分かってないのか、と愕然としました、という話でした、笑。

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- 2023/07/08(土) 18:15:13|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その32(ベリー)
前回のおとぎの村から、北西部に幹線道路で20キロほど移動します。

アルドントArdentesのサン・マルタン教会Eglise Saint-Martinです(毎日オープン)。
ここは住所が不明だったので、村の名前をナビに入力して、まずメリーに到着。メリーの前が駐車場になっていたので、駐車したところ、すぐ近くに教会がありましたが、どう見ても新しいため違うと判断し、通りすがりの女性に尋ねると、まぁ親切な方。とても丁寧に対応してくださり、実はそれがあだになり…。
というのも、私のフランス語はとてつもなくレベルが低いので、話されていることが半分も分かりませんから、彼女が、どの道を教えたら一番分かりやすいか迷いながら伝えてくれる状況では、危険以外の何物でもないんです。
「そこに行くと橋があるから、渡ったらすぐ左、いや、それよりもマルシェの方を左の方がいいかな」みたいなことを言われているのが断片的に分かるものの、確信ゼロ。結局、行き過ぎて、5分くらい余計にかかってしまいました。
それにしても、後付けでストリートビューを見て、この道を余計に歩いちゃったんだな、なんて振り返りできるのは、楽しいですね。
なんという時代になったことか。だから、実際に行かなくても行って気になっちゃったり、それで十分、なんて思う人も出て来ちゃうんだろうね。でも写真やビデオと、実際に現地にいることは、全然違うからね、是非動いてほしいものです、特に若者たちには、動いてほしいもんだと思います。

村には川が流れていて、実に美しい田舎の風景。
そして教会は、旧市街の街並みに埋もれているので、結構見つけにくかったのですよ。
ここ、トップの写真で分かるように、ぱっと見、じみなんですけど、外も内もディテールがとってもチャーミングで、嬉しくなりますよ。建物がかわいらしいのもよいのですが、全体に楽しいディテールがあるのは、さらに嬉しくなりますねぇ。逆に言えば、見た目がとてもよくても、装飾的なアイテムが一個もないと、ちょっとがっかりすることあります。どこまで欲張りなんだか、笑。
外から見ていきます。今回は、現地に説明版等ありませんでしたので、さらりと写真中心で行きます。

冊子にあったわずかな解説だけ、引用していきます。
「半円形の後陣の外側は、付け柱と小さな円柱が交互に並ぶ美しいアーケードで飾られています。」
教会そのものはこじんまりとしているんだけど、一つ後陣ということもあるのか、この後陣のサイズは割と大きめで、その割には装飾されている上部の占める割合が少ない感じ?そのせいで、すごくすっきりしていますね。

ここにある軒持ち送りは、比較的地味な様子です。この動物は、なんだかちょっと現代アートも入っているような、ミニマリズム的な雰囲気ですよね?ファサード側とか横壁の軒持ち送りとは、ちょっと雰囲気が違うんです。
で、外側装飾としては、北の扉口が見どころとなっています。トップのファサードにも扉があるのですが、北側にもあるんです。

「主な彫刻は三重のアーチを備えた北の扉口にあり、そこには、十字架を背負った子羊の両側に、ラテン語の碑文を伴って、エルノーHernaudの署名が刻まれています。」

「この扉口は、その複雑な図像によって、悪そして死に対するキリストの勝利を象徴するものとなっています。」

「その上には半円形の開口部があり、その両側には柱頭と優美な軒持ち送りをいただく小円柱が並んでいます。」
子羊ちゃんは、頭部がもげていて、ちょっと悲惨な様子なんですが、言われなければ気付かないだろう小ささで、碑文が彫られているのですね。不勉強で分かりませんが、エルノーって、石工さんなんでしょうかね。羊の彫りは、かなり写実で細かいですが、字はうまくないかも、笑。味があるというよりも、ヘタですよね、ごめん。
子羊同様、扉脇の柱頭も、かなり傷みが激しいです。

左側は、ダニエルさんに見えます。右の方は、ちょっと分からないけれど、物語ですよね、おそらく。

反対側の柱頭も、溶け具合が激しいけど、何か分かりますか?左のは、誘惑されちゃってる感じ?でも、説明にある、悪や死にたいするキリストの勝利を象徴するからには、何かそれらしいエピソードなはずだよね?

扉の上、そして優美な開口部の下に並ぶ軒持ち送りは、後陣につけられたシュッとしたミニマリズムとは全然違って、相当彫りこまれたタイプだし、何ならアフリカとか南米の土俗的な仮面にも通じるような泥臭いような…。

獅子舞の獅子っぽいし、これなんて。

やばいよ、これは。ありえないオリジナリティ…。口らしきものに入れてるの、手?それとも全然違う風に見るのかな。

東側ファサードの扉についての言及はなかったんだけども、こちらもちょっと装飾あるんです。地味だけど、プリミティブでかわいいの。キース・へリング入ってます。

下のも、動物なのかな。ゲージツかどうかと言われると、うーんって感じで、ちゃんとした石工さんの作品ではなさそうだけど、こういうのって何だろうね?地元の人がちょっと彫ってみたなんてことはあり得るのかどうか。北側の扉がメインでこっちはサブとしても、とりあえずファサードなんだしねぇ。
謎のピクトグラム的な、笑。

後陣側と、ファサードと、それ以外と、少なくとも三人の石工さんがかかわっている様子ですが、時代が違うのかもしれないし。北側扉にわざわざ碑文を残しているエルノーさんは、もしかすると、俺はここだけだかんね!と言いたかったのかも…?
ちょっと写真が増えたので、内部は続きで。
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- 2023/07/07(金) 17:21:01|
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