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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ポルティカーダ(アヴォン・レ・ロシュ37)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その53(アンドラ・エ・ロワール)

ここからは、資料もないので、サクサク行きたいと思います。現場でも、立ち寄りたい場所の多さに比して時間がないので、かなり先を急いだ移動をしていたと思います。

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というのも、この日は早朝に、前夜宿泊したLa Chatreを出発して、この時点で、すでに直線距離として3時間ほどの距離を走っており、すでに午後も半ば。そして、この後、この日の宿のある町に到着するまで、あと四か所回るので、強行軍もいいところです。

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アヴォン・レ・ロシュAvon-Les-Rochesのノートル・ダム教会Eglise Notre-Dameです(訪問時はクローズで、オープン関連の情報は現場に皆無。トイレあり)。

いきなり、なんていうんですかね、正確には。ナルテックスと言ってよいのかな。スペインでよくあるポルティカーダが髣髴として、なぜ唐突にポルティカーダ?と思いました。見所はまさにその部分の装飾と、事前に確認していましたので、扉が閉まっていたことに、さほどの失望は感じませんでした。
なんせ、この直前のタヴァンまでで、相当興奮したので、冷めやらず状態、この後続いていたようで、クローズに打ちのめされることがなかったようです。

到着早々、鍵穴から、内部の様子をわずかに確認していました。

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わずかに見えるもので決めつけはできないものの、この様子では、おそらく自分の好みの状態ではなかろう、という合理化がしやすく、これも打ちのめされなかった要因です。

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正面からはこういう様子です。教会本体は、ゴシックに様変わりしていて、このポルティカーダ部分だけが、古いままに残っている印象です。
ね、こう見ると、ポルティカーダの入り口アーチと、本堂の扉がずれている点も含めて、これはポルティカーダ、まるでスペインの教会みたいですよね。

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正面の入り口部分は、地味目な装飾で、アーキボルト外側に、幾何学的な装飾帯が置かれています。内側には、根元の方に人物フィギュアがあるだけなんですが、もしかして、他にも何等かフィギュアがついていたのかな。

向かって左の人は、十字架を持っているように見えます。

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右の人も、右手に何か持っているようですが、識別できず。

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どっちも、自然摩耗している様子ですね。顔は、例によって革命の暴行かもしれないけれど。

正面の写真の右側にちらっと写っている部分に、より装飾的な開口部があります。

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これ、真ん中開いていたとしても、窓の大きさですよね。ナルテックスではなく、本堂とつながっているような構造と思うのだけど、何でしょう。このアーチ部分は、どう見てもナルテックスと同じ時代だと思いますが、そもそも、教会のプランが、全然今と違った、ということもあり得るのかな。

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装飾の内容に、ちょっと古代テイストっていうか、中世初期の7/8世紀頃の、例えばイタリアだったらロンゴバルドの石膏装飾を彷彿とさせるようなものを感じます。単純だけど、整然とした様子が、ロマネスクよりもそっち寄りっていうか。内側のアーキボルトも、何なら柱頭にもそういうテイスト、ありませんか?

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雰囲気良いですよね。いい感じにすり減った床石の様子、かなり好きです。
柱頭の保存状態が、もう少し良ければ…。

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ほとんど溶けちゃっていて、内容は分からないものばかりで、残念ですよね。

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テーマ:フランス - ジャンル:海外情報

  1. 2023/08/30(水) 21:06:44|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:0

柱頭にも見所あり(タヴァン37 その4)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その52(アンドラ・エ・ロワール)

タヴァンTvantのサン・ニコラ教会Eglise Saint-Nicolas、続きです。きりがないので、今回で切り上げたいと思いますが、石の装飾について見ていきます。

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ファサード、シンプルです。
「ファサードの対称的な構成は、その入口が 2 つのブラインド半円アーチで囲まれており、アキテーヌからベリーまでの地域に見られるもの。このトゥーレーヌではいくつかの例が知られていますが、そのすぐ近くにある最良の例は、パルセ シュル ヴィエンヌParcay-Sur-Vienne(この後訪ねます)のサン ピエール教会のファサードに見られるもので、1130 年から 1140 年頃のものです。タヴァンの門の装飾は、11 世紀末または 12 世紀初頭に遡る、リル・ブシャールL’Ile-Bouchardのサン・ジル教会Eglise Saint-Gilles(行き忘れたところです、涙)の西側の門の装飾と非常に強い類似性を示しています。」

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「タンパンのないこの扉の様式は、両側に 2 つのブラインド アーチがあり、西洋諸国で広く使用されている方式が採用されていますが、このサントル地域ではほとんど使用されていません。アーチには3つの突き出した層からなり、1 つ目は、トーラスと溝の成形で、その上にねじれた紐がかけられます。2 つ目は、水平に配置された小さな松ぼっくりの列と、クーポラが並んだ帯を展開します。3 番目は、棕櫚の葉の上に置かれた松ぼっくりで飾られており、その根元にはダイアモンド形に尖った帯装飾が下線を引いています。同一の帯がアーキボルトを飾ります。
サン・ジル教会の同様の装飾は、11世紀最後の四半世紀のもの。」

ということで、サン・ジルの見逃し、大失敗ですね。

内部の柱頭も、ちょっと見ていきます。

「翼廊交差部の柱頭は全体を均質に形作ります。非常に凹んだ副柱頭、バスケット型の上部が明確に区切られ、中央の軸が強調されています。明確な地域独自性はありません。アダムとイブの誘惑などがあります。」

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「知識の木に巻きついた蛇は、すでにそれを手に持っているイブに禁断の果実を返します。彼の側のアダムも同じことをしようとしています。」

これら柱頭は、いずれも交差部を飾るものとなっています。

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「滑らかな葉を持つ 2 つの柱頭には、上向きの葉の冠が残されており、サン・ブノワに現れ、11 世紀末から 12 世紀にかけてベリーで広まった”ベリーの首飾り”と呼ばれる技法を彷彿とさせます。湾曲したシダの小葉のパターンで装飾された中央の彫り物がバスケットを垂直に分割します。」

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「同じ場所にある4 つの柱頭のグループは、規則的で同様の構成スキームに従って作成されます(一つはうまく撮影できていませんでした)。上部は紙を重ねて並べた意匠で作られ、葉の茂った茎やサイコロの形をした軸の両側に人物や動物が対称的に展開します。主題は伝統的なもので、人間を貪り食う二つ身体の怪物であるグリフィン、角にライオンの頭部がある中で一つのツボにくちばしを突っ込む二羽の鳥、そして、横並びの人魚。人魚のモチーフは、尾が二重であるかどうかにかかわらず、12 世紀に、扉口や教会の内部の両方で頻繁に表現されました。」

この他にも、変な形がいくつか見られ、撮影不可のクリプトにもあります。

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人魚辺りは、妙に写実性がある様子だったりするのに、アダムとイブでは、プリミティブな様子もあったりして、時代とか石工さんに寄るのかな、ちょっと不思議なラインナップなんですよね。

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建築全般とか、軒持ち送りなどの装飾ディテールに関して、それぞれ、これでもか、の解説があるんですが、全部詳細を見ていくと、全然終わらなくなってしまうので、今回はこの辺りで切り上げます。
翻訳、と言っても自動翻訳を使っているんだけどね、実はブラインドタッチで入力するのが結構好きだったりしてね。今回、久しぶりにフランス語を勉強した気分になりました。ほとんどイタリア語を日本語に意訳する作業だったんだけどね、笑。
少しは面白かったらよいのですが。

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  1. 2023/08/29(火) 20:21:44|
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  3. | コメント:0

アダムとイヴ、田舎の農民暮らし(タヴァン37 その3)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その51(アンドラ・エ・ロワール)

タヴァンTvantのサン・ニコラ教会Eglise Saint-Nicolas、クリプトの続きです。
解説を読んでいたら面白いので、興味ある方にもおすそ分けしたくなりました、けど、興味ある人、いるかな~。推定二人くらいかな、笑。

「クリプトの覆いは、縦方向と横方向の半円形の樽型ヴォールトの集合体で構成されており、画家がそれぞれのヴォールトに画像を配置することを選択したときに、画像の複雑な構成が引き起こされます。したがって、読み取り位置がそれぞれの正面で変わり、クリプトの軸に描かれた装飾の主な方向を見失いがちです。最初の 3 つの区画では、画家はこの分散効果を強調しています。彼は、各イメージを単純な 2 色の帯で構成されたフレーム内に配置し、ヴォールトの突き出たエッジを強調し、側廊でも繰り返されます。」

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「北側では、一般的な意構成に参加しながら、独立した2つのイメージが描かれました。西側の側面に描かれた像を特定したヘレン・トゥーベールの功績が認められます。彼女は、絵の層の劣化やさまざまな修復によって読みにくくなった物体を持ったこの 2 人の男性の登場人物が、時間の表現に属していることを証明しました。彼女はそこで、冬と春を認識することに思い至ったのです。一人の狩人は竿の先に鳥を捕まえていたが、修復や書き足しにより特定できなくなっており、他の 3 つの若い植物の芽は、多くの場合、中世の暦で 4 月を表している。」

これは面白いですね。でも、暦を表すとしたら、冬を春の二つの季節だけ、というのは、逆に不思議な気がします。とはいえ、スペース的に、12か月は勿論、最低でもあと一つ、夏と秋の絵を描く場所はなさそうなんですよね。いや、あったのかもね。
この暦の絵はイタリアでは、中部に多く見られるのですが、大抵は農民の農作暦みたいな性質です。各地域での微妙な違いがあるので、結構面白いと思いますが、おそらくそういう研究をされている方、いるでしょうねぇ。

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「一方、ヴォルトの東側に描かれた兵士は、すでに槍が折れて倒れつつある怪物を突き刺しているが、その人物は長い間特定されていた。それは悪徳と美徳の戦いを呼び起こすものであり、その文学的出典は400年頃にプルーデンスによって書かれたサイコマキアである。ここでの美徳は名前が付けられていない(またはもはや名前が付けられていない)が、この前の絵で、立っているライオンを殺すダビデと、さらにこの後に描かれた悪を倒す別の美徳に関連しているに違いありません。」

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この前に、アダムとイヴのリンゴの場面などがあるのですが、損傷激しいので省略、の次の絵となります。

「4番目の柱間の入り口に配置された、働いているアダムとイヴと射手座のイメージは、エピローグと考えることができます。原罪のあと、人類最初のカップルは衣服を着て、食事をするために働かなければなりません。伝統的な活動が忠実に表現されています。イブは当時のファッションに身を包んでいます。フレア袖の長いチュニックはぴったりとフィットし、ベルトは前で結ばれているだけで、長い結び目の糸のように伸びています。アダムは眼帯をつけて土を掘ります。
この部分は塗装が剥げていますが、木製の素材の金属補強が見えます。このようにしてシャベルは 12 世紀に作られました。この具体的でほとんど逸話的な側面を超えて、この画像の本質的なメッセージは、人間は死すべきものになったということです。」

読んでみるもんですねぇ。アダムとイヴのその後なんて、ちょっとびっくりです。そういう絵って結構あるもん?私がいつも適当に見てるから気付いてないだけ?きっとそうだと思う。
おばあさんおじいさん感めっちゃ強いし、全体に苦労しか見えない農民夫婦だよね。それでいてイヴばあさんは、きっと昔が忘れられず愚痴っぽくて、そんな愚痴を聞くのが嫌さに、アダムは労働に打ち込んでるよね、笑。

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「射手座は、黄道帯に関連する占星術的な意味がここではおそらく二の次であり、むしろ、蛇の形をした尾を持つ、半人半馬という男性的な性質に固有の否定的な価値を示しています。”Sagitarivs”という碑文は、塗装が摩耗しているにもかかわらず、非常にはっきりと読めます。」

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「二人の女性が、地下室の最初の 3 つの柱間スペースで展開された図像シーケンスのエピローグに対峙します。」

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上と下の女性の図像、この位置にあります。

「背景はほぼ完全に消失しており、左側に位置する女性(上の絵)のチュニックでは、筆運びで素早く再描画が行われ、あふれて3回も塗り直されています。この白はおそらく、通常「Luxure」と呼ばれる(下の絵の)女性の右腕の上に描かれた非常に使い古された「IRA」の碑文のような、元の装飾の痕跡を隠しているでしょう。」

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「頭を前に曲げ、脚を半屈曲させた 2 人の女性は、クリプトの軸に対して対称的に、同じ”S”の姿勢をとります。芸術家は、彼らの対立するものを強調するために、彼らを形式的に近づけた。ポジティブな価値を持つ光背をつけた女性は、死が引き起こす悲しみにもかかわらず、死を前にした希望を呼び起こします。
逆に、その相対者には 2 つの悪徳が同時に存在します。外見は乱れていて、だらしがない。その衣服はもはや正しく身につけられてなく、蛇に攻撃された裸の胸が露出しています。この図像の詳細は古代から知られており、中世では色欲の象徴となりました。さらに、研究者の誰もが、この女性が槍で胸を突き刺したことに気づいていたが、これまでこの行為が「IRA」という碑文と関連付けられていなかった。この自殺行為はまさに怒りと結びついており、絶望の表れとみなされる。」

「したがって、二人の女性は敵対関係にあります。悪徳の女性は、クリプトの絵画装飾の最初の部分とリンクし、彼女にとって究極の現実である死へとつながる。一方、光背のある女性はキリストへの信仰を持っており、描かれた絵画構成の後半を表す。」

いや、研究者ってすごいよね。私だったら、すぐ飽きちゃうような研究だしさ、笑。それにしても、自殺行為の老婆はともかく、希望の光にあふれたとされている光背のある女性も、なんかやっぱり怖いよね。

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「絵師は装飾性の強い要素に、より多くのスペースを使っています。それは、同心円で作られた王冠に刻まれた、おそらく神秘的な子羊である、消えた神の姿と、顕著に象徴的な数字である12本の光線を伴う円によって導入された威厳のあるキリストの姿を結びつけることによって、歴史的な装飾を構造化し、方向づけています。二重に折り畳まれたリボンは、小羊の犠牲から終わりのキリストの帰還までの期間を連想させます。これら 2 つの画像の間には、人間の救いの最も顕著な 2 つの瞬間が表されています。十字架からの降架よって示されたキリストの死と、煉獄への降下中の死に対するキリストの勝利。
豊富な色は、2 つの場面に再描画がなかったことを示唆していますが、実際にはその可能性は低いように思われます。もっともらしい再加工と多少の劣化にもかかわらず、これら 2 枚は、劇的なシーンの激しさを表現する際の絵師の卓越性を証明しており、その品質は彼が比喩表現ですでに実証してきた素晴らしいノウハウを完成させるものです。これらのシーンのいくつかの要素は特に素晴らしいです。十字架の片方の腕の下に座り、死んだ息子の頭を膝の上に抱えているマリアの細部は、後にそれ自体が、慈悲の聖母、つまりピエタのテーマになります。」

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これで最後にしますが、ちょっと、どう?
これは、キリストに違いないけど、どっちかと言えば、即身仏、断食修行で座禅のまま亡くなった修行僧のイメージなんだけど…。この祝福、有難さが薄いっていうか、辛いっす…みたいなっていうか…。
あとね、ジャコメッティを連想した。すべてをそぎ落としたような人物像っていう部分が共通するのかな。

「図像構成内容の性質が何であれ、重要なイメージは主の威厳です。上部の内陣と同様に、装飾の構成は、終末におけるキリストの再臨の表現につながります。クリプトにある絵師のイメージは従来のものです。座ったキリストは右腕を上げてキリスト教徒を祝福し、一方で左手で膝の上に垂直に置かれた本を保持しています。
絵画の保存状態が悪いため、一部の詳細がわかりません。彼の瞳は乾いた状態で消えており、まるで盲人のように見えます。本に書かれている文も同様です。最後に、下部の損傷は、1960 年代に修復によって部分的に補われます。」

瞳はほとんどの絵で白くなっていて、それも怖い要因の一つだと思うんだけど、なぜでしょうね。そこだけ剥落するのも変だし、白塗りした時に、なぜか塗っちゃったのか。絵師の好みなのか。
絵は好みじゃないけど、図像解説というのも面白いものですね。ここまで細かく解説してくれる本は、めったにないので、これは現地で購入して大正解でした。
少しは楽しんでもらえたらよいのですが。

というわけで、次回は、フレスコ画以外の部分をさらりと。

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  1. 2023/08/28(月) 18:16:00|
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顔が怖い魔法使いのおばあさん登場(タヴァン37 その2)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その50(アンドラ・エ・ロワール)

タヴァンTvantのサン・ニコラ教会Eglise Saint-Nicolas、続きです。今回は、ガイドツアーで見学したクリプタをフューチャーします。前回同様、解説書を読んでいるので、くそ真面目な内容となっています、笑。
ま、たまにはね、オレも学ぼうとしてるんだぜ!というところで。

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入り口は、こういった位置にあります。ガイドツアーだけでしか入場できないため、もちろんこの扉は固く施錠されています。ガイドツアーの最中も、しっかり施錠されていたと思います。

では、解説とともに、以下どうぞ。今回は写真もお借りしたものばかりとなります。

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「クリプトは、交互に接合された 4 つの大きな石積みの円筒形柱の 2 列によってなされた三身廊で、半円形の後陣につながっています。
非常に低いヴォルトは、真の交差ヴォルトではなく、縦方向と横方向の半円形のトンネルヴォルトが繰り返し交差することによって形成されます。
それらは円筒形の円筒柱の上に、そして横方向には半円柱の上に置かれています。
ある研究者は、”嵌め込まれた柱は周囲の石積みと接続されておらず、柱の基礎は、円形の壁の石積みの基礎より80cm低い位置にある”という事実を主張しています。
これは、柱が内陣の基礎壁と同時代のものではなく、後に建てられたことを明確に示しています。」

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全体構造。ヴォルト部分ほとんどにフレスコ画が施されていますが、内部は相当暗いです。

「この主張は別の観察によって確認されます。北への横通路が開いた後、おそらく内陣の通路と同様に、内陣の存在と関連していると思われるが、北側第 4 柱間の丸天井の一部が部分的に落下し、内陣の二番目の 柱の基部をあらわにした。縦断面図は、この柱のレベルが身廊および内陣の最初の列のレベルと一致していることを確認しており、したがって、地面が聖歌隊席から身廊に向かってわずかな傾斜を示していたことを示しています。
本体の目に見える部分全体が青みがかった灰色の塗装コーティングで覆われていることにも注意してください。 通路の右側では、もともと内陣の壁の基部だった部分に同じ塗装が続いているのがわかります。
したがって、これらの観察から、内陣は当初の高さではないと結論づけなければなりません。なぜなら、当時、それは身廊と同じ高さにあり、それは中断することなく続いていたからです。言い換えれば、クリプタは、建物の基盤となる内陣より前に建てられたのではなく、逆に後から建てられたのです。
しかしながら、一部の研究者は、現在の教会の前にあったであろう建物に属するクリプタの部分的な再利用の仮説を提起しておりが、それは内陣と関連付けられる後付ヴォルトや、絵画装飾と矛盾しないであろう。
この仮説は発掘調査による検証を必要とするが、可能性は低いと思われる。実際、私たちはマルセル・ディアーズとともに、クリプタの狭さは既存の石積みによって課せられた強いコントラストによるものであり、建築家は内陣の基礎壁の下を通過する危険を冒さなかったと信じています。
1825 年の見積もりは幸いにも実行されませんでしたが、19 世紀の建築家が「内陣のレベルを元の状態に戻す」ことを提案したゆえに、同じ結論に達していたことを裏付けています。
ついでに言っておきますが、この提案は無知、さらには 1862 年にのみ発表されるクリプタの絵画に対する無知を意味するものであることに注意してください。」

「アクセスの問題は、何度か議論されているが、完全には解明されていない。もし北側の通路が、内陣(壁の基部)とクリプタの絵画が完成するまで開かれなかったことが確かであるとすれば、支えがあったためである。一方、もう一方はこの開口部によって切断されましたが、その一方で、この通路が穿孔された日付や使用期間を正確に特定することはできません。
現在の西へのアクセスは 1896 年に大きく変更されましたが、残念ながら初期状態の様子は残されていません。
私たちが参照できるのは、1909 年に書かれたバジーレの記述だけであり、単一の階段が内陣に通じており、クリプタへのアクセスはこの階段の下の横に配置されたドアによって提供されていたことが示されています。」

疲れましたね。では、かんじんのフレスコ画です。

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クリプトに入ってすぐ、最初の柱が支えているヴォルトです。
「東に向かって進むと、同じ杖状のものを 2 つ持った光背を持つ 2 人の女性の間を通り過ぎることとなります。その杖状のものは対称であり、同じ数の渦巻きを持っています。」

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「この二人の女性は向かい合って、不思議なほどよく似ており、玉座に座り、一種の高貴な演壇のような足置き台に足を乗せています。手のしぐさだけが、二人を区別します。北では(最初の絵)、女性は両手を前に持って閉じた姿勢を示しますが、南では(すぐ上の絵)、女性は手を広げて開いた姿勢をとります。彼女らについての学術的な推測はなされていますが、それにもかかわらず、この 2 人の女性は匿名のままです。これらの図像が正の意図であることは、3 つの伝統的なサインによって証明されています。つまり、地面に足が触れていない姿勢で座っていること、否定的な意味合いを持つ人物の場合、横顔または四分の三の角度で表されるが、ここでは正面を向いていること、最後に、光背によって、ある種の神聖さを与えられていることです。」

こういう具体的な説明は面白いですね。それにしても、怖すぎます。魔法使いのおばあさんみたいな印象しか持てません。素敵な魔法の杖みたいのを、指先でちょん、と持っている様子も怪しいし、絶対に「変な人」にしか見えないところがすごいですね。
一部、漆喰が傷つけられているので、ここも上が覆われて、それで残ったということなのでしょうね。

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次は、オレンジの四か所にある絵です。ちなみに、怖い魔法使いは、笑、緑の部分にあります。

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次のスペースには、北に 2 つ(上二つの画像)、南に 2 つ(下二つの画像)の計 4 つの画像が向かい合って表示されます。

「タヴァンのクリプトにある絵画のスタイルは、ほとんどの場合、線の力強さ、スピード、そして自由な表現によって特徴づけることができます。しかし、これらの人物を背景からあまりにも孤立させてしまった白の塗り替えのため、今日、この表現を真の意味で評価することは、難しいように思われます。さらに、絵の具の表面層が磨耗することで、絵画作成の技術的プロセスをもう少しよく理解できるようになっています。例えば、踊る男の頭の高さで見える下絵のように。踊っている男の姿が劣化しているのは確かだ。彼が、しっかりと閉じて上げた右手に持っていたのは何でしょうか?彼は何を指さしているのでしょうか。」

なるほどね。背景が白塗りされてしまったということなんですね。これはとても珍しい気がします。なぜ白塗りの部分がはがせないのかも、ちょっと分からないですけれど、技術的な問題、または既に下にある絵は損傷が激しい可能性が高いのでしょうか。
確かに、人物だけを浮かび上がらせることで、一見洗練されたようにはなるのかもしれず、美意識がそういう方向に働いたのだとしたら、ちょっと現代的なことをやらかしてくれたもんですねぇ。

「後ろ足で立っている動物と戦う男は、ライオンを殺したダビデであるとする人もいれば、サムソンであるとする人もいます。」とありますが、私には、どうも俗世のヒトっぽすぎて、あまり旧約の人には見えなかったりするんですが、どうですか。

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南側の絵ですが、上の方は「満場一致で認められた唯一の人物で、ハープを演奏するダビデ王を表しています。(下の絵)サウル王に面した人物が誰であるかについては議論の余地があります。ただし、この仮説を支持する議論がいくつかあります。サウルのために演奏するダビデの象徴的なテーマは広く普及しています。座った姿勢と足台の上に置かれた足は、それが権力を持つ人物であることを示しています。一方、彼は王冠をかぶっておりません。それだけで彼のアイデンティティに疑問を投げかけるのに十分でしょうか? 彼が手に持っていた特定の個人を表すブツが消えていなかったら、これは確定または全否定された可能性があります。
これらは乾いた状態で塗装されているため、より壊れやすくなっています。さらに、白い塗装は、画像の背景に残っている痕跡を隠します。」

いわゆるフレスコ技法ではないということなのですね。そのために、普通だったらはがせるものもはがせないということになるのかな。
しかし、乾いた状態で描かれたということは、本当に表面にだけ絵の具があるということなので、相当繊細なわけで、よくぞこれだけ残ったものですね。驚きです。

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「2 番目の柱間にあるヴォルトには、2 人の光を運ぶ天使 が描かれています。しかし、彼らの前にある燭台には火のついたろうそくがありません。したがって、彼らの使命は、神の光を運ぶことではなく、その役割は謎に包まれています。彼らには光背がありますが、キリストが終末に戻ってくる方向である東に背を向けており、これを説明するのは困難です。」

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「これらの天使たちが神秘的に見えるとしても、三番目の柱間のの南側に描かれた、研究者誰しもが一様に”アトランティス人”と呼んでいる人物たちは、おそらくタヴァンの絵画が提起する謎を最も美しく表現しているでしょう。ここでは、理解に役立つ要素はありません。それらは、ある専門家が定規と言うほど十分に細長い長方形の物体を運び、他の専門家は梁と言う。 実際、この物体はまだ納得のいく特定がされていません。それは 1 つの楽器でしょうか、それとも 2 つの同じ物体が並んでいるのでしょうか? 言い換えれば、それぞれの重荷を負った各登場人物はそれぞれがそれぞれのレプリカなのでしょうか、それとも単一の重荷を背負うために協力し合っているのでしょうか?」

おもしろいですね。
適当に端折ろうと思っていたのですが、やはり意味を解説されると、面白いので、解説本に掲載されているだけ読んでみたいと思います。長くなっちゃってすみません。

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  1. 2023/08/27(日) 18:02:56|
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聖体ホスティア(タヴァン37 その1)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その49(アンドラ・エ・ロワール)

さて、写真撮影の順番から行くと、次に訪ねたのは、この地域で間違いなく最も重要な教会の一つで、印象も非常に強かったのですが、何でしょうね?あまりに光が強くて、逆に見失う太陽のような、そういうことがメンタルに響いたのか、記憶力保持目的で現地で着けている備忘録に、ほとんど最低限のメモしか残っておらず、我ながら首をひねりました。

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タヴァンTvantのサン・ニコラ教会Eglise Saint-Nicolasです(2019年当時、水曜から日曜の10時半-12時半/+13時半-18時、水曜は午後飲み。クリプトはガイド・ツアーで、午前中3回、午後5回組まれていました)。

私は、確か午後、割と早めにつきましたが、その時13時半のツアーを行っていたのだったと記憶しています。その後14時15分のツアーに参加できたのですが、一人だったか、他の人がいたとしても二人程度の小さなツアーで、その後のツアーでは、かなりぞろぞろと人が集まっていたので、ラッキーでした。ガイドの方は英語も堪能とメモしているので、英語でガイドしてもらえたようですし。

ただし、クリプトは撮影厳禁となっているため、本を求めました。撮影禁止は、辛いところもあるのですが、でも、写真満載の本を販売しているなら、大いにありだと思います。というのも、撮影できないことで、現場での集中度が高まることがあるのか、クリプトの情景が、今でも思い出せるんですよね。記憶力に難ありの私には、これはなかなかすごいことです。

というわけで、その本を読みだしてしまいました。もちろんフランス語ですから、自動翻訳を駆使して、というわけで、とても時間がかかっています。でも、せっかくなので、一部は紹介したいし、ノロノロ進めていきます。

ただ、私の印象では、結構分かりにくい書き方をした解説書です。一義的に自動翻訳で日本語にしたものを、イタリア語翻訳の内容で調整するようにして読んだのですが、特にイタリア語だと、文字を置き換えるだけなので、日本語よりはかなり分かりやすくなることも多いのですが、どうも文の構成というのか、単語の使い方というのか。いわゆる読みにくいタイプの文章のような気が大いにしました。あとね、なんといってもだらだら長文すぎ、笑。
ま、そこは置いといて。

めったに気にもしない土地情報から。

「白亜紀の石灰岩の大きな露頭の存在がこの渓谷の主な地質学的特徴であり、地元のほとんどの建築物に使用される凝灰岩と白亜が豊富に供給されました。
中世期から代表的なブドウの文化は大きく発展し、今日では地域の経済活動に不可欠なものとなっています。
1997 年に行われた発掘調査により、新石器時代中期、そして新石器時代後期に定住生活があった最初の痕跡を見つけることが可能になりました。同じ調査で、帝国初期のローマ遺跡も明らかになりました(1から3世紀)。
一方、中世盛期については何の痕跡も文書も残っておらず、372年頃にトゥール近郊にサン・マルタンのために設立された修道院の憲章文書に、10世紀末頃タヴァンについての言及がある程度です。」

この辺りで白い石が産出するという事実は、メモしておこうかな、と思った次第です。また、定住地としては古いのに、記録がない、というのも、ローマ以降、4/5世紀にわたって、一度村として死んでしまったのかなど、面白い気がします。

「中世には、地域に、 2 つの宗教の中心地が共存していたことがわかっています。
Vienne川のほとりにあるノートルダムに捧げられ、マルムティエ修道院に属していた修道院と、サン・ニコラに捧げられた教区教会です。」

この修道院の歴史についての記述は省略しますが、土地の有力者間の闘争の歴史でもあり、結果、11世紀に一度焼失しているようです。
一方、我らがサン・ニコラについては、以下。

「修道院教会と聖ニコラに捧げられた教区教会の間には顕著な類似点が見られるため、ノートルダム教会の再建がサン・ニコラの建設のほんの少し前であったことを考慮すると、サン・ニコラは 11 世紀末のものとされることがほとんどです。
さらに、教区教会の奉献は、1087 年にノルマン人によって聖ニコラスの聖遺物がバーリに移された後、11 世紀末以降の西側における聖ニコラス崇拝の発展と関連しているはずです。サン・ニコラ教区教会について言及した最初の文書は 1223 年のもので、おそらく建設から 1 世紀以上後です。」

まさかとも思いましたが、やはりバーリの二コラさんだったのですね。フランスでは珍しいようにも思いますが、ノルマン人が噛んでいることで、何らかのつながりが持たれたということなのでしょうかね。二コラさんは、確か東方の方だと記憶しており、バーリの聖遺物についても略奪系ではなかったかと思うのですが、それでも、イタリアで人気のある聖人が遥々こんな遠方に奉られていると思うと、何かしら親しみを感じたりします。

御託多いですよね、ペコリ。
本堂入って、最初に駆け寄ってしまう内陣のフレスコ画、見ていきますね。

france vari 666

この写真のイメージより、実際はもっとこじんまりしていると思いますが、真っ白な中、奥まった内陣部分だけに、フレスコ画が残されています。本来は、全体に描かれていた様子です。やはりベリーっぽいのかな。

「絵画装飾は、教会の建設が完了した直後に施工されました。様式を分析すると、12 世紀前半から半ばにかけてのいくつかの壁画に近い様子です。
これらの絵画はおそらく 17 世紀か 18 世紀に上から覆われ、研究者によって明るみに出たのは 20 世紀半ばの少し前になってからでした。1990年、特に深刻な亀裂が生じたため、修復が開始されました。建物が安定すると、石積みの乱れを修正することは不可能だったため、修復者の使命は特にこれらの亀裂を埋め、絵画の明瞭性を回復することでした。1990 年に後陣で、その直後に内陣の第一柱間でそれを行いました。
過剰な損失のため、全体としての絵画の構成や内容はもはや把握できなくなっていますが、一部を理解することは可能です。」

france vari 667

「最初から、それはロマネスク様式の教会の内陣でおなじみな内容となっており、 半円ドームでは、キリストが栄光の中で玉座に降り、その栄光の姿の周りには、4 人の福音書家のシンボルが伴われています。」

france vari 668

「最初の柱間のヴォルトでは、黙示録から取られたこのビジョンの前に、キリストの托身を表すシーンが続きます。」

france vari 669

「受胎告知、訪問、キリスト降誕は南側の上部で描かれているが、全体構成から、損傷が激しいにもかかわらず、下部にある幼児虐殺を認識することが可能である。また、側面、上部の羊飼いへのお告げとエジプトへの逃避、最後に神殿の奉献の祭壇が下部に見られる。」

france vari 670

以下は、読んでいてもさっぱり、という内容となりますので、キリスト教の教義?いや典礼?儀式?それに興味がなければ、飛ばしてください。
御ミサの時に、聖体拝領のパンがありますけれど、あの意味ということになるみたいです。色々な教派があって、取り扱いが変わるようですねぇ。本来、興味がない部分ではあるのですが、せっかく読んだので、載せて置く次第です。

それにしても、僅かに遺されたフレスコ画で、こういった点まで追求しようとする研究者の執念というのか視点というのか、自分と如何に遠い人たちか、という実感、改めて感じました。
同時に、意味はほぼ分からないけれど、さらりと読むには面白い内容ではあるんですよね。すぐにきれいさっぱり忘れちゃうとは言え。研究者って、本当にすごいですよね。

「しかし、この図像には微妙な点があり、車輪の上に立っている天使の珍しい表現によって証明されるように、メッセージは一般の信者よりも学識のある人々に向けられたものと考えられます。
神の存在を明らかにすることを目的とした画像は、通常、Chalivoy-MilonやBrocでのように、マジェスタ・ドミニと黙示録の24人の長老たちとを結びつけますが、しかし、老人たちはここには存在せず、その独創性のためにそのしぐさが注目を集めるに違いない、崇拝する天使たちに取って代わられています。
絵画の損傷により、その意味を完全に理解することはできませんが、それでも、聖体祭儀の典礼に関連して仮説としての解釈をすることは可能です。
この解釈はまた、西フランスにおける 11 世紀末から 12 世紀初頭の歴史的および宗教的文脈において、特定の側面を帯びています。
この時期、西ヨーロッパでは当時最も重要な神学論争の一つが行われていました。
トゥールのベレンゲルBerenger de Tours (1000-1088) は聖体に関する異端的な理論を展開しました。
彼は聖体のパンであるホスティアの中にキリストの体と血の象徴しか見なかったのに対し、神学的正統派は逆に、聖なる種をキリストの体と血に変換または変換する実体変化の教義を肯定しました。偉大な神学者たちはこれに反対し、いくつかの評議会はそれを非難した。
それにもかかわらず、彼の考えは彼の死後も十分に広まったため、この教義の真実性を定期的に再確認する必要があると感じられました。
そのようなわけで、パルセ=メスレParcay-Meslay(アンドル=エ=ロワール)では、以前と同じ知的環境かつ同時に考えられた例を挙げると、威厳のあるキリストの像は、右手のデザインに顕著な変化を示している。
図像には著しい損傷があるにもかかわらず、最初の通常の祝福のしぐさは、ホスティアを表す手続きの間に、置き換えられたようです。
この表現の例外的な性質は、ホスティアをキリストに明確に結び付けたいという願望を証明しています。
タヴァンでは、絵画の構成者は絵画をなすアーティストに、フランス西部で新たに設立された典礼を説明するよう依頼することもできたはずです。典礼では、司祭が信者の集まりにホスティアを頭上に掲げて示しましたが、この習慣は、中世後期に西洋社会で広まりました。」

france vari 671

「したがって、この一見単純な構成には 3 つのテーマがまとめられています。托身の肯定、終末におけるキリストの輝かしい再臨の表現、そして間違いなく、聖体を中心に新たに確立された典礼の説明です。アーティストが、単純な並置手法を取りながらも、これら 3 つのテーマを結びつけているのは熟練の技です。
受肉を表すシーンは、あたかも人のように地上的な要素で表されています。それらは栄光のキリスト像の神聖で時代を超越したイメージを導入しており、画家は派手な装飾を通じてこの 2 つの間のつながりを確立することに成功しています。それは内陣の第一柱間のヴォルトの上部のラインを飾り、読み解く意味と内容の両方を与えています。
彼は、従来のロマネスクの言語によれば、雲を想起させる起伏を伴うことによって、この装飾を意図的に天の秩序の中に配置しています。同様に、あたかも人のような外観の、動く円盤の形で表された星をそこに配置します。
彼らのキリストへの方向性は、信者たちもキリストに向かうよう促し、また、地上の時間から天上の時間へ、そして永遠へ、いつの間にか過ぎていくのです。
最後に、画家が天使たちを智天使ケルビムと福音書家の象徴の間に配置することによって、典礼への暗示をどのように導入したかを見てきました。
教会の他の部分を飾っていた絵画がすべて消えてしまったのは残念です。彼らの知識があれば、描かれた絵画構成の一般的な方向だけでなく、内部空間の構成、さらにはおそらくクリプタになされたの後期の内容さえも、よりよく理解することが可能になったでしょう。」

france vari 672

きゃわいいだの推しだの、ろくでもない低レベルの感想を述べるいつもの記事とは一転、笑、学術的にやってみました。いや、どうだろう?日本語変だしな。
続きます。


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  1. 2023/08/26(土) 18:45:47|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:2

今回は、住宅街に隠された宝石(リル・ブシャール37)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その48(アンドラ・エ・ロワール)

次は久しぶりに本気で困りました!そして、やはり最後の頼みは紙の地図、となった次第。
というのも、前回の礼拝堂の後、ほぼ真西に50分ほどの村を目指したのですが、その村の手前の村でお祭り開催中のため、通り抜けが出来なかったのです。

france vari 649

右の方から来て、パルセという村を目指したんですが、その手前のPouzayという絶賛お祭り中の村に入れない、ということは、川を渡れないんです。
最初はナビの言う通り走っていて、通行止めなので道を変えるのだけど、右に行っても左に行っても、結局どうにもならず、一体何が起こっているのか頭を抱えて、紙の地図を見て、一目で状況が理解できた、というわけです。
それで、行程を一部変更して、先にあるリル・ブシャールへと向かいました。

こういうことがあるから、紙の地図は手放せず、地域限定の地図や、フランスだと全土地図(重量結構あり)を持っていくこともあります。デジタル世代には分かってもらえないのかもしれないけれど、紙の地図だと全体像がつかみやすいし、行程づくりにはもちろん、プランBにも欠かせないんです。まぁ目的的な旅をしてなければ、スマホのグーグルで十分なのかもしれませんけれども。
今回の夏の旅でも、フランス全土地図、もう20年近く前のものなので、時々違う道があったりもするんですが、笑、ながくて広範囲な移動だったこともあり、やはり役立ちましたよ。

そんなわけで、早々にプランB発動となったわけです。

france vari 650

リル・ブシャールL'Ile Bouchardのサン・レオナール修道院跡Prieure Saint-Leonardです(毎日オープン)。

廃墟みたいになっているらしい、という情報は持っていたので、たたずまいそのものは、なるほどね、だったんだけど、なんといっても驚いたのは、とてつもなく普通の住宅街に埋もれている状況でした。

france vari 651

え、マジ?って感じでしたよ。
でもって、こんな状態だから、いつでもオープンっていうのも当然ではあるけれど、でもさ、柱頭泥棒だって実際にいるわけだから、このあけっぴろげ感は、すごくちゃんとした田舎、っていうのも変だけど、犯罪とか無縁の村なんだろうねぇ。

これだけになっちゃってるけど、もとは修道院だったらしいから、この村だって、もともとは修道院の門前町で始まったようなとこかもしれないよね。

現地の解説をちょろりと。
英語版を撮影したんだけど、翻訳がめちゃくちゃ悪い気がします。こんななら、フランス語も撮影するんだったよ。

「1067年ごろ、同じ村にあるサン・ジル教会Saint-Gilles(今更気付いたのですが、事前にちゃんとリストアップしており、扉にロマネスクの遺構があると調べていたのに、行くのを忘れたようです)と同時期に建設された。サン・レオナールは修道院で、修道僧が暮らしていたが、ベリーはシャトールー郊外のDeolsにあるBourg-Dieu修道院に属していた。13世紀半ばに教区教会となった。」

ここは、すでにベリーではないですが、当時はベリーの文化圏だったということですね。Deolsの修道院の勢力たるや、至る所で配下の教会が出て来ますよね。
ということは、ベリー様式の教会だったということになるのかな、きっと。
でもね、さらに解説によれば、「元々大規模な教会であった。周歩廊と、三つの礼拝堂が半円内陣を取り囲むスタイル。礼拝堂の端は消失してしまった。南側にある一つは。三つの小さなリブ縁取りのある窓がある。身廊がどのようなものだったのか、また翼廊があったのかどうかなど、知ることは不可能である。記録が全くないのだ。」

記録が全くないってすごいね。ということは、かなり早い時期に、建物のほとんどが損壊していたということになるのかな。廃墟程度で残っていれば、普通、17世紀頃の版画とかあるもんね。
とすると、よくもまぁ、これだけの柱頭が遺ったもんだと、感心するわ。革命の破壊にも合わなかったのかなぁ。住宅街に埋もれてるしね、なんか地元の人とかが柱頭を守ったとか、そういうストーリーがあっても不思議じゃないなぁ。

おっと、御託が多い。
その貴重な柱頭を見ていくことにしましょう。

大きな柱頭がずらりと六つあります。現地の解説は、ちょっと分かりにくかったんですけど、ざっくりと。

一番左、これはキメラですかね。
ライオンにしか見えないしサイズが小さいから、大きい柱頭のキメラは、別だったかもしれません。本当に撮影がいい加減で、困ったもんです。

france vari 652

一番右には、ドラゴン。

france vari 653

キメラもドラゴンも、悪魔的なスピリチュアルを表現する怪物。両脇に置いたのは、教会入り口だったりに置かれる怪物のように、聖所への入り口的を守る的な意味があるのかな。

その間の四つに、新約聖書のストーリーが盛り込まれた柱頭があります。
最初のが、ご生誕にまつわる一連のストーリーですかね。

france vari 654

全部撮影しきれていないのですが、おそらく、受胎告知、エリザベス訪問、から、お誕生の場面、そして左側にはマギの訪問まで、ぐるりと彫られた絵巻柱頭ですね。

france vari 655

これが裏側と思うのだけど、横たわっているのがマリアで、その上の方のゆりかごとあるけど、なんだか籠みたいのに顔だけ出してるのが幼子ジェズですかね。ロバと牛もいるみたい。
右側の方のは、「天使がヨゼフに、マリアをめとるように助言している」とかそういうところかな。
解説には、マギの様子が、「頬骨が突き出し、吊り上がった目をして、アジア系の顔」とありましたが、どうですか。顔でかいから、その点はかなりアジア的かも、笑。

次のは、正面にキリストの洗礼があるようです。

france vari 656

聖マタイが、マリアに幼子を連れて、エジプトに逃げるよう進言しているのは、これかな。

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そして、磔刑があります。

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十字架の左右に彫られた天使は、「太陽と月を表すように描かれています。それらは中世ではしばしば磔刑と結び付けられている。」と解説にありました。
どの柱頭にも、僅かに彩色が残っていますが、この十字架は、赤く塗られていたのでしょうか。

反対側は、最後の晩餐の場面でしょうか。

france vari 659

その脇の方は、イエスの奇跡が彫られているようですが、正直よくわかりません。
現場にあった解説、福音書に紐づけて書かれているようなのですが、とにかく分かりにくくて…。解説なんだから詩的に書かんでも、というような文なんですよねぇ。

ストーリー物の最後に、エルサレム入場です。

france vari 660

主にルカの福音書が引用されているようです。

france vari 661

毎度、聖書の話が出るたびに、新約聖書を引っ張り出して、斜め読むするのですが、もう細かいエピソードになるとさっぱり。一度きちんと通読しないといけないとは思うのですが、なかなかできませんねぇ。聖書は、表現が抽象的で、なかなか難しいですよね。
でも、中世の人々は、こういったエピソードを具現化する石工さんや建築を行う人たちも、それを見る一般の信者も、きっとちゃんと意味を分かったんだろうと思われますので、もしかすると多くの人は文盲だったりするとしても、実際は当時の生活に必要な知識をたっぷりと持ち合わせていたのですよねぇ。

france vari 662

周歩廊がこのような様子で、これだけ見ると、ここだけしか残っていないことが不思議になります。
無残な様子ですが、かつてここには周歩廊を取り巻くように礼拝堂があったのでしょう。

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奥は、本来なら内陣の向こうに本堂があるはずの位置となります。すかっと住宅地です。

france vari 664

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  1. 2023/08/25(金) 18:50:28|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:0

林道に隠された宝石(サン・ジャン・バプティスト礼拝堂37)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その47(アンドラ・エ・ロワール)

この辺りから、一旦ベリー地域を離れ、北上する行程となります。まず、足を踏み入れるのは、アンドラ・エ・ロワールIndre-et-Loireという県となりますが、かつての分類では、トゥレインTouraineと呼ばれる地域だったのではないかと思います。

france vari 632

ラ・シャトリューズ・ドゥ・リジェLa Chartreuse du Ligetのサン・ジャン・バプティスト礼拝堂Chapelle Saint Jean Baptiste du Ligetです。
名前もだらだら長くて面倒な感じですが、笑、ここの見学過程は、結構面倒くさいですよ(9時-12時半、14時-19時)。

france vari 633

まずは、礼拝堂を通過して、その先の方にあるお城を訪ね、そこで鍵を借りる必要があるんです。
お城の入り口はこんな感じで、結構立派な門構えになっていますし、事前にある程度調べていたとはいえ、何が何やらの巨大さにおろおろさせられるやつです、笑。

france vari 634

とりあえず建物に近付いていくと12世紀の教会の遺構が残っていたりもします。残念ながら、見所はないです。

france vari 635

そして、その遺構の後ろに、受付がありました。
こんなに巨大な広大な場所なのに、受付はこじんまりしていて、ギャップがおかしかったです。

実はこのシステム訪ねたときは知らなかったのです。走っていて、礼拝堂の表示は気付いたのですが、グーグルマップを見ていただけば分かるように、直線道路で、結構スピードが出ていた上に後続車がいたことから、脇道に曲がるのが難しかったのです。そのため、Uターンするつもりで先に進んだら、このお城があったと。そして入り口に、12世紀の教会の遺構、とあったので、とりあえずのぞいてみることにしたのです。

私が訪ねたときは、12時近く。ここから礼拝堂までは、クルマで2,3分とはいえ、ちょっと押せ押せな時間でした。受付の方は、鍵やら解説書の挟まった見学キットのようなホルダーをくださり、戻ってくるときにここが閉まっていたら、この箱に入れてくれたらいいから、と大変親切でした。
パスポートのコピーなどを取られた記憶もありませんから、ずいぶんと寛大なものですよね。今は変わっているかもしれませんね。

嬉しい気持ちで、チャペルに戻り、トップの写真の風景に出会い、なんだか感動いたしました。

france vari 636

林を抜けた先に、このような開けたスペースが広がり、緑の中にある白いチャペル。何とも言えない非現実感があります。
クルマは道端に停めて、歩いてアプローチしますが、わくわく感、すごかったです。その後他の人が来ましたが、最初は全くの一人。
こんな何もない場所で一人って怖くないのか?と思われそうですが、こういったケースで怖さを感じることは少ないのですよね。高揚感とか期待度が勝つからかな?そして、オープンなスペースで、明るい、というのも、怖さを感じにくい要因です、多分。

解説を読んでて分かりましたが、ここはカルトゥジオという派の拠点で、カルトゥジオがフランス語だとChartreuseとなるのですね。イタリア語だとチェルトーザCertosaとなり、ミラノ近郊ではパヴィアのチェルトーザCertosa di Paviaというのがあります。
石鹸やはちみつなど、修道院産土産が充実している観光地でもあって、ミラノからちょっと車で出かけるのによい場所なので、結構何度も訪ねている修道院なのですが、チェルトーザ・ディ・パヴィアという名称としか認識しておらず、今更びっくりです。

改めてネットで調べてみたら、WIKIに分かりやすくまとめられておりました。どの周波でも納得できなかったケルン出身の修道僧が、自ら山奥に引きこもって設立した会派ということで、基本一人で黙々、会話は極力避けるなど。これは、チェルトーザ・ディ・パヴィアのガイドツアーでも、何度もお話を伺いましたし、実際、修道僧の暮らす個室を見ることもできるのですが、その外観との遮断感がなかなかえぐいんですよね。

まぁそういった修道僧たちが、ここに修道院を建てて暮らしていた、と。そしてこの礼拝堂は、その遺構であると、そういったことらしいです。修道院は、16世紀までは活動をしていたようですが、今では、この小さな礼拝堂だけが、その修道院の
遺構となっているということ。
土地的には、平地ではありますが、緑がうっそうとしたど田舎で、確かに修道院があっても不思議じゃないけれど、それにしても、これだけ何もない土地にも関わらず、建物跡が何も残っていない、というのは、かえって不思議な気も致しますね。

さて、せっかくなので、貸していただいた解説を真面目に読みました。それに沿って、写真を見ていきます。

外側

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「礼拝堂は、ブラインドアーチで囲まれており、その根元には彫刻された持ち送りが置かれている。アーチの内側と、根元部分には、その多くが修復を施された装飾が繰り返して復元されている。魚、蛇、しかめ面の人、市松模様や、幾何学的な花模様。」

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大規模な修復が20世紀に行われているようで、真っ白感なかなかですよね。彫り物は、オリジナルと再建が混ざっているような様子もあり、よく分からないです。が、基本、かわいいです。

内部

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鍵で、表の扉は開けられますが、中には鉄柵があり、そこから内部を眺めるシステムです。若干歯がゆさがありますが、このシステムのおかげで、常駐の管理者がいなくても見られるわけで、有難いのは有難いですよね。

「サン ジャン デュ リジェの内部は、12 世紀末か 13 世紀初頭のフレスコ画で全面的に覆われていたに違いありません。
これらは、身廊とロタンダの間のアーケードの内部にペイントの痕跡があることからわかるように、ロタンダだけでなく身廊にも広がっていました。
フリーズはほとんど残っていないが、ドームの基部には床から窓枠まで装飾的なバンドが張られており、これらによって聖母の生涯の場面を表す6枚の大きな不均等なパネルが額装されていた。窓の手前部分は、その高さいっぱいまで立像が描かれています。南では、太祖や預言者などの人物が聖書の伝説を記した経典を持っているのが見えます。
中央のとすぐ右側の窓の間で、今でも読むことができます:ラテン語「彼らが拒否した石。 彼は私を目印にしました。」次の窓の上;「見よ、あなたは倒れようとしている。」入り口近くで、運命のアブラハムが掲げた横断幕を広げる:「あなたの種が祝福されれば、それは生まれます。 ジェシーの種族の。」これは、1869年にはまだ見ることができましたが、現在は存在しません。

france vari 640

窓の部分は、撮影は難しく、かなりもどかしい気持ちになりました。光の加減もあり、肉眼でも、距離があるので、細かいところまでは見られません。

「入って右側の最初の窓には、2人の助祭、サンクトゥス・ステファヌスとサンクトゥス・ラウレンティウスがダルマティック(司祭や助祭が白麻の祭服の上につける寛衣、助祭団祭服)を着ています。
ラウレンティウスは顔の一部だけがそのまま残っており、しかも非常に表情豊かです。
サンクトゥス・ロベルトゥス、またはサンクトゥス・ヘベルトゥスとサンクトゥス・ベネディクトゥス、左手に司教杖、小脇に巻物を抱え、二人とも祝福している。右手を高く上げているベネディクトゥスと、胸の高さで右手を上げているロベルトゥス。
三番目の窓では、サンクトゥスニコラウスが、カズラ(ミサ聖祭り用の袖のない上衣)と大司教用肩衣を身に着け、司教杖を持っている。
前の窓と同様に、sanctus hilariusイラリウス、祝福し、手を胸の真ん中に置きます。」

france vari 641
これはニコラスっぽいですよ。

ニコラウスは右手を上げ、指が細くて長い。薬指と小指を折り、親指を手から遠ざけます。ギリシャ風に祝福されたベネディクトゥスは、親指を手のひらで折り畳んでいます。4番目の隙間では、聖ペテロと聖パウロの頭だけが残っています。聖ペテロは顔の近くで象徴的な鍵を掲げています。2枚の肖像画の間では、栄光はかなり消え去っている。」

france vari 642
頭部だけ、というところから、おそらく鍵がないのでパウロかな。

france vari 643
こちらはベネディクトだったりしますかね。

「続く 2 つの窓のフレスコ画は非常に劣化しています。5 番目の窓で、最も損傷したキャラクターがサン ドニであるとされ、もう 1 人はサンクトゥス ベニグナスです。」

「パネルを左から右に向かって飾るフレスコ画は、以下を表している。
・キリストの誕生
・教会奉納、
・降架
・キリストの埋葬
・聖母の死
・聖母の系図」

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「最初のフレスコは、キリストの誕生。聖母はベッドに横たわり、ヨゼフは、寝台の足元に座っています。顔が苦しんでいた。 処女の顔には何も残っていません。右に傾いた聖ヨセフの姿は、瞑想、調停を表しています。」

france vari 645

「2 番目のフレスコ画は神殿への献上を象徴しています。処女は幼子イエスをシメオンに差し出します。聖ヨセフは聖母の後ろに立っています。シメオンは右側で腕を広げています(名前は縦書きです)。」

france vari 646

「十字架から降りる際、キリストはニコデモによってタウから降ろされ、苦痛そうに頭を右肩に下げました。惨めに垂れ下がった右腕を母親が支えている。アリマタヤのヨセフは巨大なペンチで左腕の固定を外します。サン・ジャンはその場面を熟考する。 絵が下手でプロポーションが足りない。
このことと、あまりにも明白なぎこちなさにもかかわらず、フレスコ画の作者は、シンプルさをもって、たぐいまれな悲哀の印象を与えることに成功しました。
次のパネルの中央に、Seplchrum D.N.Iと書かれています。
右側では、3人のマリア(マリー・マドレーヌ、マリー・ジャコビ、マリー・サロメ)が注意深く落ち着いて、左側で復活について説明する天使の話を聞いています。頭の上には、事実であるかのように、画家はエルサレムの街と聖墳墓を表現しようとしました。」

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「聖母の死を想起させる次のフレスコ画は、その大きさと人々の数という点で最も重要です。それは最も鮮やかだが、おそらく最も保存状態が良いためです(正午です)。低いベッドの上で聖母は背を伸ばし、頭には王冠をかぶり、体は大きなひだのある豪華な布地で覆われています。端正で高貴な顔立ちの整った整った顔立ちは、優しさと穏やかさをたたえています。使徒たちは 2 つのグループに分かれており、1 群は聖母の頭、もう 一群は足元にいます。最初のグループはピエール、ジャック、バルテルミー、マチュー、ジュード、シモン。他は立っているトマス、フィリップ、アンドレ、ジャック、そしてベッドの足元に膝まづき、開いた本を読んでいるジャン。
中央では、キリストが母親の魂を天に差し出し、天使が両手を広げて受け取る子供によって象徴されています。キリストの像の両側には、XRS と THS のクリスモンがあります。 使徒たちは頭の上にイニシャルを持っています。まだ左から右に読むことができます、IA=Jacques, AN=Andre, PH=Phlippe, TO=Thomas, PR=Pierre, BA=Barthelemy, ここから二つは読めないが(Mathieu, Simon)、最後にVI=Jude。」

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「最後のパネルは処女の系図に捧げられています。右側に座っているジェシーは、裸でほとんど成長していない象徴的な木を右手に掲げていました。左側には聖母が激しく消されている様子だが、その光背は幼子キリストの顔によって持ち上げられている。」

「テーマから見て、これらの絵画はすべて、信仰と才能のすべてを注いだカルトゥジオ会の、おそらくただ 1 人の手によるものです (構図と様式の統一性があります)。私たちは彼の名前が何であろうと気にしません。 彼は確かに匿名性を望んでいましたし、何世紀も経ってのちに、自分の作品を見つめられるとは思っていませんでした。」

解説に沿って、自分で撮影した写真をアップしたので、あまり解像度もよろしくないのですが、保存状態が良好といえる部分もあるんです。ロケーションとも相まって、離れがたくなるような魅力にあふれた礼拝堂だと思います。

訪ねられる際は、お城の前にとりあえず立ち寄るのがお勧めかも。たまたま誰かがカギを借りていれば、ちゃっかりご相伴にあずかることができますからね!

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  1. 2023/08/24(木) 18:52:12|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:0

横たわりベートーヴェンと頑固マエストロ(シャティヨン・シュル・アンドル36 その2)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その46(ベリー)

シャティヨン・シュル・アンドルChatillon-sur-Indreのノートル・ダム教会Eglise Notre-Dame(Ancienne collegiale Saint-Outrlle)、続きです。

france vari 617

ファサードはこんな様子で、言ってみたらフランスによくあるタイプで、ロマネスク的な魅力は、あまり感じられないのですが、でも、外部全般のディテールには、見るべき装飾が沢山あります。時代のレンジは幅広いように思いますけれど。

france vari 618

翼廊の突き出した部分。
一見武骨な要塞のような作りで、下の方は実際要塞的ですよね。背も高くて、要塞的なお城と教会が混ざったようにも感じられます。が、上の方、よく見ると、すごく装飾的で、アーチの中に浮彫があり、軒持ち送りもずらり。そして、開口部のアーチにも装飾が施されていて、下の部分とのギャップが大きいです。

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例によって、肉眼ではほぼ識別すらできないような位置に置かれている彫り物にも関わらず、なんという細かさ!
本当の本当は、どこかほかの場所に置かれていた可能性もあるかと思いますが、いずれにしても、お顔が皆無事なところを見ると、フランス革命の時代にはすでにこの高さにあったということなんでしょうね。暴れん坊どもも、この高さには手が出なかったということ。
頬骨が高くて、妙に親しみやすいおっちゃんみたいなキリスト、そしてアーモンドを支える天使二人が、翼の重さや邪魔くささに辟易としてるような様子が見えるのが楽しい。支えるというよりも、すがってるみたいに見えますよね、笑。

下にある地獄図らしいのも、怪物が暴れまくりな様子、臨場感あって好きですわ。

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この窓のアーキボルト装飾も、好みのタイプです。

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後陣には、ちょっとだけ軒持ち送りがあります。真っ白で、新しく漆喰で作ったんじゃないか疑惑も持ってしまうような見た目ですね。

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側壁の上の方に、またやけに装飾的な様子が見えます。どうなってるかというと。

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一つ一つのアーチの中、そして垂れ下がり部分に彫り物が。でも、写実性から言って、後代のもの、何なら現代の再建もあり得るかもね。これは好きじゃないやつです。

ファサードの扉周りの装飾も、傷みはありますが、なかなかすごいです。

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柱頭やその上の帯みたいなところの彫り物、面白いです。

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テイスト的には、若干ゴシックが入ってきているような様子も感じますが、空間恐怖的にこれでもか的詰め込み具合はなかなか。
上が向かって左で、下が向かって右となります。

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中央に向かっている人魚だったり、一番扉近くの二人組だったり、目線を扉に集める風なのが面白いし、お花モチーフとか装飾性も激しいです。こちらもやはりゴシックテイストを感じるけど、でも嫌いじゃないなぁ。

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柱頭は、アダムとイブですかね。傷んでいるのを差し置いても、副柱頭で横向きになっているベートーヴェン風の二人とはタイプが相当異なりますね。この位置関係で、時代が違うというのはちょっとないかな、と思うので、単に手の違いですかね。ゴシックの時代なのにそれ以前のやり方にこだわる老職人が、「わしは伝統的なアダムとイヴを彫るんじゃ」と頑固に彫り上げたんですかね。とか勝手なことを妄想します、笑。

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地獄とか悪魔図らしきも結構多くて、ガジガジしてる人多数。

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横っちょの方にある扉も、装飾性ではなかなかです。
久しぶりにかまぼこ並べアーキボルト、出ました。

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この、スタンプみたいなのも、スタンプ出来たら簡便で装飾的で最高じゃん!という代物だけど、石だからやっぱり彫るしかないわけで、それなりに手がかかっているわけですよね。でもアイディアとしては良いよな。単純で彫りやすいしリピートすればよいし。
こういうものって、誰かが考えて、良いから広がるということがあったのだろうなぁ。特許もない時代だし、署名さえないけど、知らない間に広まっていった意匠もあったことだろうよね。
旅する石工が、とんでもないところで、自分が昔数多く彫った意匠に出会ってびっくりしたりって小説にできそうな…。いや、そういうことがあったら面白いよねぇ。

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単なる頭一つのライオン系なんだろうけど、溶けちゃってる影響で、悪魔くんに見えちゃったやつ、笑。

というわけで、彫り物が楽しい教会でした。ミサに追われない状況で、じっくり見たいものです。

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  1. 2023/08/23(水) 18:55:51|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:0

御ミサとの戦い(シャティヨン・シュル・アンドル36 その1)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その46(ベリー)

次に訪ねた教会は、ナビが無駄なく教会に連れて行ってくれて、スムーズに駐車もできました。同じようなタイミングで、路肩に駐車して、教会に向かう坂道を登りだしたのが。

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ほぼ90度腰の曲がったおばあさん!
こ、これはもしや、と小走りで教会にアクセスすると、まさにミサ開始直前状態で、すでに結構な人々が集まっており、あまつさえ合唱団が練習を開始しています。

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シャティヨン・シュル・アンドルChatillon-sur-Indreのノートル・ダム教会Eglise Notre-Dame(Ancienne collegiale Saint-Outrlle)です

時間的に滑り込みセーフですが、信者さんが続々と集まってくるので、多少の遠慮はせざるを得ず、内陣辺りを堂々とうろうろはできなかったので、撮影は控えめとなりましたが、とにもかくにもありがたい10分間でした。
実際、ほんの数分遅れていたら、続々とやってくる信者さんたちの車で周辺が溢れ、私など駐車すらできなかった可能性大だったので、おそらく相当の幸運を使ってしまったはず、笑。

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相当に背が高く、柱頭の位置も高いですから、もともと撮影も難しい状況に加えて、ミサ直前という特殊な状況では、良い写真を撮るのは不可能に近く、正直手振れも多くて、ろくな写真がございませんです、シュン。

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このように、見所の柱頭を紹介してくれている親切な図解も現地にあるので、ミサに当たらなければ、一つ一つ確認できると思います。私は、順不同のアワアワ撮影でしたから、さて、どれだけキャッチできているのかな。

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鳥が並んでいる上に、ヒトの顔があり、棕櫚の葉状のものを吐き出している、いわゆるグリーンマンということみたいですね。

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ケンタウロス。

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これは分かりやすいダニエルさんですね。
グリーンマンやケンタウロスと違って、背景に空白地帯のある彫りで、手が違うように感じます。

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左側がアリストテレスの説教、右がサルの調教師、とあります。

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サン・セポルクロ訪問。
なんか天国感に満ち溢れているように感じます。
物語的なモチーフの石工さんは、物語性を強調する気持ちで、余白を取ったのかな。わたし的には、結構成功しているように思えます。ドラマを感じるよね、余白があった方が。

一応一通りの撮影はしたようですが、寂しいのは、撮影だけしたってことですよね。とにかく時間ないから、見るよりも何よりも撮影になっちゃうわけで…。

france vari 616

簡単な解説を。

「以前にあったより古い教会の跡に、この教会が12世紀に建てられたもの。
後陣から西側ファサードまで、訪問者は、この素晴らしい建造物の建設の変遷をたどることとなる。それはロマネスク様式から始まりゴシック様式が花開くまでの変遷となるのだ。
建築の過程の中での変更(交差部と翼廊を持ち上げること、西側に向かって切れ目を入れている身廊にある横断アーチなど)については注意深く見るべきものであるが、特にシャティヨン参事会の高度な技術力の結果としての、素晴らしい彫刻装飾は称賛に値する。
まずは、交差部に置かれた素晴らしい柱頭の数々、
ライオンの穴のダニエルが、イースターの朝、墓地に走る聖女たちの方を向いている。ラザロのストーリー、善悪、そして参事会の守護聖人である聖オートリールの伝説など。
身廊には、Petrus Janitorisと署名された柱頭も見られるが、ロマネスクの時代における署名は、大変珍しいものである。」

イースターの朝に走る聖女って何だろう?
現場の解説にもそんなのなかったし、私が変な翻訳してるのかしらね。
ま、いいや、どうせちゃんと見れてないしね。

署名も、興味深いですが、そんなの見えるわけもなし、ですね。
現地にあった説明では、翼廊部の持ち上げ部分が、ゴチックの時代の遺構ということでした。

外観にもちょっと面白いものがあるので、続きます。

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  1. 2023/08/22(火) 15:50:53|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:0

夏休みでした

最終目的ピレネーの、大周遊ドライブ(2023年8月)、プロローグ

御無沙汰でした。二週間、夏休みの修行旅に出ておりました。
今回は、ピレネーの中世を目指す大周遊ドライブ旅。

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我が家から最も遠いピレネーの山間までの最短距離は、千キロ強ですが、途中ふらふらとしているため、総走行距離は、3500キロを超えるロング・ドライブでした!

ピレネー以前及び以後に、フランスの各地も回ったので、結果、訪問地は多岐に渡ります。

まずは、暴動のため、イースターに断念したプロヴァンス。

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そして、ラングドッグ。この地域については、珍しくゾディアックを持っているのですが、地域が後代すぎて選択が難しく、とりあえず主要な教会だけを訪ねることとしたのですが、それがまた広大な地域に広がっていて、無駄走りした感が半端ありません。

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そこから、あこがれのアンドラへ、山道をひたすら登りました。フランスとの国境に向かう道は、素晴らしい山岳パノラマで、渋滞していたために、車窓風景が楽しめたのは幸いだったかもね。

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アンドラの教会は、夏以外はクローズということを聞いておりましたが、夏に関しては、オーガナイズがよく、各教会に、学生さんぽい若者がガイドとして常駐しており、多くの方が英語も堪能で、ガイドもしてくださり、ロマネスク以外のこと、例えばアンドラの一般的な知識などについても教えてもらうことが出来て、楽しかったです。
場所によっては、ガイドさんの話が本当に面白くて、撮影が疎かになったりもしたくらいです。正直、やる気のないような人も、ゼロではなかったですけど…。

アンドラからアランの谷へ移る際の通り道でもあるので、何十年ぶり?というラ・セウ・デ・ウルヘルLa Seu d'Urgellにも立ち寄ることが出来たのは、嬉しかったですねぇ。

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昔訪ねたときは、まだロマネスクをやってない時代だったはずなんだけど、それでもベアトゥス写本の楽しさにびっくりしたんですよねぇ。その頃の見せ方に比べたら、ビデオで沢山見せてくれるようになっていたり、オリジナルの写本も、数ページ展示してあったり、工夫が感じられました。
そして、その当時、修道院部分を破壊しまくって建設中だったパラドールが、すっかり町の一部となっておりましたね。
パラドールは高いけど泊る価値があると思っていたものですが、実際の工事を目の当たりにして、再建するにしても壊し方が半端ない様子に、ちょっと引けてしまった記憶があります。

その後、移動しながら、アネウの谷にあるいくつかの教会巡りをします。

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もし、この時見られなくても、移動先のアランの谷では時間があるから戻ってみてもよい、と思ったのですが、このアネウとアランの間には、結構な峠があるんですね。この峠を行ったり来たりはしたくなかったので、アネウの谷は移動中に見学するにとどめ、その後4日間、アランの谷に滞在しました。

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アランの谷では、ハイキングも楽しみました。
今回も、毎年おなじみの同行者がいたため、一般的なお楽しみも混ぜたんですよね。だから修行はいつもに比べると、かなりゆるめです。とはいえ、暑い日が続いたので、スケジュールはゆるめでも結構きつかったですけど。

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そして、折り返しは、違う国境でフランス入りして、ルション地域でどうしても行きたかった教会に行ったりしてから、ラングドッグ経由、プロヴァンスにも宿泊して、ミラノに戻ってくるという、なかなかに壮大で、そしてまとめるのが大変そうな旅となりました。
とはいえ、長年あこがれてたアンドラ、そしてアランの谷の教会を、ほぼ制覇することが出来たのは、大きな喜びです。早くブログにアップして、記憶の喪失を食い止めたいところですが、まだまだあげなければいけない過去の記録が多すぎて、この旅はいつになったらまとめることが出来るのか…。
どうぞ気長にお楽しみに…。

実は、旅の間にぶつけられ事故がありまして、幸い旅への影響もない、非常に軽いボコりだったのですけれど、まずはその後始末もなんとかしないといけなかったり、面倒なことがいくつかあります。
今週はお休みが続いていますので、いつまでも遊んでいないで、そういったことをチャンチャンと済ませていきつつ、ブログも早々にあげていきたいと思います。

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  1. 2023/08/21(月) 17:26:42|
  2. アンドラ・ロマネスク
  3. | コメント:2
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