2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その74(ロワール・エ・シェール)
サンテニャン・シュル・シェールSaint-Aignan-sur-Cherのサンテニャン教会Eglise Saint-Aignan、続きです。解説が丁寧すぎて、訳が分からなくなっておりますが、今回は、地下聖堂です。
でもね、ここ、地下があるとは思えないの。内陣が上に上がってなくて、どゆこと?って感じなんだけど。

上は、冊子にあった側面からの全体図。左側が後陣で、地面が、ほんのわずか傾斜しているのかな?という様子はありますが、地面の高低差を使って、というほどのもんじゃないですよね。
では、どういうことかというと、これはクリプトではない、と。
「洞窟の聖ヨハネ教会以外にこれを何かと呼ぶ古代の文献はないため(注:どうやら洞窟の聖ヨハネ教会と呼ばれたりしてるようです)、これがそもそも地下室であるかどうかについてはかなりの疑問が投げかけられており、私たちはこれが本当に初期の教会であると考える傾向にあります。」
ということで、つまり、この地下聖堂のレベルが、もともとの地面だった、ということになるのでしょうね。中世から現代までは、大体どの土地でも数メートル単位で上に持ち上がっていますからね。まさに”塵も積もれば”の視覚化で、そういうのをしょっちゅう見ていると、なんとなく人生観に影響されることがあるような気もしたり、大げさかな、笑。
おっと、本格的に脱線する前に戻しましょう。
現場では、もちろんこういうことは知らないので、実際ちょっと驚いたのです。というのも、ここの地下は、まさに普通の教会のように、周歩廊と礼拝堂が並んでいる構造で、こんなクリプトがあるんだって。
実際、上の教会とほぼ同じ図面となっているようです。
その上、上の教会には、後代に相当手が入りましたが、こちらは手つかずに残っている部分が多くて、まさにタイムカプセル状態になっているということらしいです。
「上の建物とは異なり、修復家の熱意からほとんど逃れられています。
「ロワール渓谷のロマネスク芸術」を研究したベネディクト会は、下部教会から説明を始めます。上の教会の内陣と同じプランで建てられています。
彼らの言葉によれば、「この強烈なロマネスク様式の教会は、驚くべき純度の芸術作品」であり、その建築家は「当時の最も偉大な建築家の一つにランクされるべきであり」、彼の作品は「真の驚異とみなされるべきである」。」
ただ残念なことに、
「しかし、この驚異は、革命中、厩舎、牛舎、ワインセラーとして個人に使用され、その過程でフレスコ画に大きな損傷を与えられました。
このスキャンダルは、教会が歴史的建造物として分類された 1851 年に終わりました。上の教会とつながる階段は今世紀に入ってからようやく再び開けられました。」
という、イタリアでもありがちな使用に向けられていたことによる損傷があるのですね。
御託ばかり並べてないで、実際の様子を見ていきたいのですが、その前に、本当にびっくりしたことがありました。

これ。
入り口にね、照明のボタンと一緒に並んでたのだけど、なんと日本語。実はよく覚えてないけど、これを押すと、各国語で解説が流れるんだったと思う。日本語やってみたら、とてもちゃんとした日本語だった。
それにしても、イタリア語より上にあるというのは、日本人の方が来ているということになるのかな。そうはいっても、それほど来るわけじゃないだろうから、とても不思議でした。ただ、アジア人の中では、全体の統計からは逸脱して、日本人が圧倒的に多いだろうとは思うけど。
欧州に来る一般的な観光客については、もはや中国人や韓国人の方が多いと感じてるけど、こと、テーマを限定すると、やはり中国人や韓国人は、まだそこまで深入りしてないっていうか。それに日本人って、オタク的志向が強いからねぇ。
とか言いながらさ、何年か後に再訪したら、日本語のボタンがなくなっててChineseとかなってたりしてねぇ。

広いから、うまく撮影できず。これは周歩廊の様子ですね。

「ここの柱頭はすべてオリジナルの状態で、繊細な落ち着いた雰囲気を持ちながら、11 世紀の伝統を特徴としています。厚い葉で飾られたものもあれば、素朴な彫刻が斜めに描かれているものもあれば、元々塗られていた絵の具の痕跡が残っているものもあります。」

こういう植物系は、私も好物です。ここのは、素朴とは言い切れないものも多く、11世紀だとすれば、それなりの石工さんがかかわっていたのだろうと想像します。当時の典型的な渦巻きとかありながら、組粟絵も面白いですよね。ああ、すりすりと触りたくなるやつ、笑。
「教会の中心軸にある東礼拝堂は、狭い半円形の窓で飾られた壁によって他の礼拝堂から分離されています。そこには、12 世紀末にこの教会と上の教会のすべての壁とヴォルトを覆っていた絵画の見事な残骸が示されています。
最も専門性の高いある専門家は、全体として見ると、これらのフレスコ画がフランス芸術において主導的な位置を占めていることに同意します。「彼らの姿は、この熱心な信仰の時代の最も純粋な創造物から発せられる内面の生命の表現を明らかにしています。」「初期ゴシック絵画の特徴的な証人として、それらは宗教芸術における新しい態度の始まりを示しています。」
「その礼拝堂のフレスコ画は、この礼拝堂が完全に福音記者聖ヨハネに捧げられていることを示しています。福音史家聖ヨハネは、11 世紀に現存する教会にすでにその名を与えたと年代記で言われている聖人です。この「地下室」は「本の礼拝堂」と呼ぶことができる、つまり新約聖書が何度かそこに描かれているということは、非常に真実に指摘されています。」

「ヴォルトには神の子羊が見えます。」

「 彼の頭上では、黙示録の天使が聖ヨハネにその本を差し出し、聖ヨハネは象徴的な鷲の姿で、ラザロの墓の前でイエスを囲む聖なる民の一人の手にその本を持っています。(注:下で、左上に見えているのが、ヨハネの本だと思います)」

「しかし、これら 2 つの絵画は同じ時代のものではありません。鷲と天使は、その下の十字形のメダリオンとともに 12 世紀の壁画の名残ですが、ラザロの復活の場面は、より後になってより進化した壁画に属します。 おそらく 1 世紀後に遡るタイプの芸術が、初期のフレスコ画を部分的に覆っています。キリストの顔や態度の高貴さは、使徒たちにもまた死者の関係たちにとっても明らかであり、非常に印象的なものとなっている。」

実際ね、ここのキリストと使徒の部分が、冊子の拍子にも使われていることから、これが一連のフレスコの中での愁眉となるのでしょうね。
このキリストたちの顔がさ、なんせ鼻筋がすごいのよ、笑。一般ピープルの顔にはそんなことされてないけど、キリスト様御一考は、花にしろいハイライトがくっきり。

消えかかっている人たちも、鼻筋くっきり。残りやすい顔料だったのだろうか。それにしても効いてるよね。

これが、全体像です。
「南側の礼拝堂は、背中が光る子羊と二人の天使を表したメダリオンを中央に置いて装飾されています。」

「これは聖ジルに捧げられています。ヴォルトの半円の基部には、彼の歴史と彼による奇跡が描かれています。左側には、聖人が半裸の麻痺者に上着を与えているのが見えます。これは、ヘビに噛まれたばかりの人が回復して恩人に感謝するのと同じように、彼を回復させます。」
時代は全然新しいと思いますが、スイスのミュスタイアやロカルノにあるカロリングのフレスコ画を彷彿とします。何だろう。背景の色合いとか、こういう帯で描かれている様子とかですかね。

その後、聖ジルは、ドラゴンのような船首を持つ船とその乗客が沈みそうな荒れた海を祈りによって落ち着かせているのが見られます。4番目の絵はもう解読できません。3 つの窓で照らされた壁には、聖ジルに乳を与えた雌鹿を狩る男たちのフレスコ画が描かれています。狩りだけが目に見えて残ります - 雌鹿は消えました。
右側では、聖人が腕を上げ、両手の親指と人差し指を閉じてミサを唱えています。」

「彼の後ろには、シャルトルのステンドグラスのように、王冠をかぶったシャルルマーニュとその甥がひざまずいています。」

後代の加筆などもあるかと思いますが、美しい絵ですよね。ただ、技巧に走っているというのか、構図や装飾ありき、という様子もあり、最初の高貴なキリストとは違うかもね。

「内陣は壁にある 3 つの低いドアによって周歩廊とつながっています。 後者の顕著な厚さは、その上に置かれている鐘楼の重量によって説明されます。
そのヴォルトは、アーモンド型の二重の光輪の中に玉座に座る威厳のあるキリストの巨大なフレスコ画で装飾されており、非常にビザンチン的なインスピレーションを与えています。彼は両腕を広げ、聖ペテロと聖ヤコブを通して足元の不自由な人たちに恵みを注ぎました。そのうちの1人は聖ペテロに供物を持ってきているようです。もう一人は松葉杖の助けを借りて這っているが、右側の者は松葉杖を投げ捨てて聖ヤコブの前にひれ伏している。
このキリストの絵は、この構図の中で唯一のロマネスク様式の要素です。 それはおそらく初期のフレスコ画を覆っていた奉納絵画(シャルル 6 世の治世末期、1420 年頃とされる)に囲まれています。」
続きます。
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- 2023/09/30(土) 20:37:16|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その73(ロワール・エ・シェール)
次は、前回に比べると段違いに大きな町となり、事前に駐車場を調べといて、ナイス、オレ!でした。そこそこの規模の町で、駐車場が分からないと、マジ悲劇だから~。グーグルのストリートビューさまさまだけどもさぁ。
ほんと、度々言ってしまって、今どきの人にはウルセーかもだけど、ナビもない、グーグルマップもない昔に、紙の地図だけであちこち行っていた人たち(含む自分)、マジ、すごすぎるよね。
サンテニャン・シュル・シェールSaint-Aignan-sur-Cherのサンテニャン教会Eglise Saint-Aignanです(駐車場は、メリーのある広場、Place du President Wilson)。
教会は、かなり街中にあり、全体像を撮影するのは不可能、といったロケーションでして、外観についてはろくな撮影ができませんでしたが、ここは、ディテールがすごいです。
まずね、いつもの余談ですけど、一応駐車場から徒歩で向かう際に、ほんの5分くらいで着くはずなんだけど、アナログ時代を経験している名残なのかなんなのか、スマホで地図を見ていても、つい人に聞く癖があります。ってか、そっちの方が信用できるっていうアナログ人間なんですな、おそらく、いまだに。
で、訪ねたおばちゃん、とても親切でした。
道を聞いて、スマホ情報と違いなく、ここを行けばいいということが分かって、安心して急ぎ足で向かったわけですが、教会内部で、そのおばちゃんとバッタリ再会。あらあら、どう?素敵でしょう?クリプトは見た?とどこまでも親切。親切なおばちゃんの親切さは本物だよね。
でね、おばちゃんといえば、教会内でも親切おばちゃん、いた。

こんな写真はいけないのかもしれないけど、驚いて撮っちゃったんだけど、内陣の床をね、ごしごしと掃除しているおばちゃんがいたんだよね。きっと、教会のケアをしている婦人会みたいな組織があると思うんだけどさ、そういうところのおばちゃんでしょう。それにしても、こうやってはいつくばってお掃除って、すごいよねぇ。
教会入り口に、有料パンフレットがあると書いてあったのだけど、本堂内部には売店らしきものもないので、ちょっと聞いてみた。そしたら、嬉しげに、それならこっちこっち、と教会の外に連れ出されて、向かいの建物にベルを鳴らして入り、まるで倉庫のようなところで埋もれていたおやじに引き渡されたんだよねぇ、笑。おいおい、なんだよ、これ?って感じだったんだけど、ちゃんと冊子があって、それも英語版まであって、その上たったの5ユーロという良心的な価格だったから、もちろん喜んで購入して、それが四年たった今、役立っている、とまぁそういう話なんだけどもさ。
でも、英語版はおそらく失敗だった。
英語でも、自分で読んでなんとなく訳すより、自動翻訳にかけた方が簡単と思ったんだけど、自動翻訳の場合は、おそらくフランス語からイタリア語の方が自然な翻訳ができるっていうか。英語にしている時点で、すでにフランス語が変な単語とかフレーズになっている様子もあって、ところどころ、すごく分かりにくいし、建築や美術の専門用語のフランス語原語が分からないのが意外と不便。
現地では、英語あってすごい、有難いと思ったけど、とんだ勘違いだったとさ。
というわけで、前振り長いですが、現地で仕入れた冊子の解説をもとに、ディテールを見ていきたいと思います。
「サンテニャン教会はフランスで最も優れたロマネスク様式の教会の 1 つと常に考えられており、シェール渓谷に関する限りではブールジュ大聖堂に次いで 2 番目です。
土手道と橋を経由してそこへの訪問を開始すると、小さな開口部と優雅な小さな柱でできた繊細なレース編みの (翼廊) 交差点にある堂々とした塔を鑑賞することができます。
熱心な中世愛好家だけが興味を持ちそうな詳細にはこだわらずに、まず外観、つまり玄関ポーチを覆う非常に広大な塔から訪問を始めるべきです。」

「この小冊子に掲載された図面からわかるように、それは最後に建設されました。 巨大な控え壁に囲まれた堂々としたこの建物は、トゥールのサン マルタン教会のレプリカであり、現代のものであると考えられています(注;ポーチは12世紀のものだけど、上部の鐘楼部分が、現代に付け足された部分ということらしいです)。それは防衛のために建てられました。 トゥールのものと同様に、参事会用の部屋としても使用されていた可能性があります。 シャトーと同様に、包囲された場合の避難場所として使用できます。」

「現在教会を覆っている鐘楼については、前世紀に遡り、30 年をかけて全体の重要な修復作業を行う必要がありました。鐘を設置することのみを目的として建てられ、交差点にあったかつての鐘楼のレプリカとして設計されました。
非常に明確なデザインの 3 つの尖ったアーチがポーチに通じています。 教会の扉だけが、いかなる装飾も施されておらず、鋭いエッジを備えた典型的なロマネスク様式の半円アーチを残しています。」

「ポーチに着く前に、かつて”ベリー様式の扉”と呼ばれていた南のドアを鑑賞することができます。このドアはまさに装飾の傑作です。花も動物も、かつての美しさを見事に復元されました。修復家の一人によると、この建物は 12 世紀半ばの最も純粋な装飾スタイルで作られたそうです。」

「エントランスタワーの1階には、ポーチの上に位置するホールが広がります。それは、アンジュヴァン・ゴシック様式のいくつかの教会の同じ後陣で使用される方法で、4 つの彫像の 4 つの角度のそれぞれに丸いモールディングを備えたリブ・ヴォールトを備えています。」
聖ペテロ、福音書を携えた聖ヨハネ、香水の小瓶を持ったマグダラのマリア、そしてマリア・サロメを認識することができます。 それは復活に関する一連の場面です。
オルガンがこの部屋に設置されているため、アクセスは許可されていません。」
5ユーロというお得感のあるお値段で入手した冊子は、さすがに簡易で、解説それぞれに写真が掲載されていないので、どこがどうなのかがよく分からないのでした。そして、例によって私は、手あたり次第、出会い頭に撮影しまくるタイプで、どこをどう撮影しているかは不明なので、笑、ディテールを解説と合わせて完全に理解しているのかどうか、我ながら不明なわけで…。そんな中、アクセスは許可されていない、とか書かれると、つまり、それは私もアクセスできてないってことよね?と思うしかないんだけど、もはや見学時、どういう様子だったか、覚えてないという二重苦三重苦状態で書いています。
そういう意味でも、詳細すぎる解説があるのも、ちょっと何度も書きすぎですが、辛いものがあります…。もっと早くに読んでいればねぇ、もうちょっと納得できる部分もあったかもだけど。
いずれにしても、この教会は内部のディテールが見どころと思うので、解説にも従って、本堂に入場していきましょう。

「身廊の中央に沿ってトランセプトに向かって進むと、「クリプト」とともに教会の最も古い部分である内陣と聖域の全体的な眺めを得ることができます。
同じ博学な解説者たちからも賞賛されているこの建築観は、彼らの目には「...その極度の威厳と、その力強さと調和の影響によってすぐに印象に残り、その上にある塔と同様に、ロマネスク芸術の最も顕著な成功の一つである。」 。
塔の下の交差点には、参事会が教会の創設者とみなした地元の土地の家族と世襲の支部長たちと共有する屋台が今でも並んでおり、2列のアーチを備えた4つの壮大な半円形のアーチが設けられています。 側柱のある十字形の柱の上に石が置かれています。それはペンデンティブで支えられたキューポラで覆われています。 通路の壁から開いたステンドグラスの窓から光が差し込みます。 窓は 14 世紀に拡大され、当初のスタイルは失われています。北側の窓の下には、サン=テニャン公ポール・ド・ボーヴィリエの未亡人アンリエット・コルベールの紋章が描かれた葬送画の痕跡が認められる。
宗教建築の傑作としても引用されるこの聖域は、まず正方形の湾によって内陣を延長し、次に翼廊と同様のアーチによって区切られた半円を描きます。
この半円形は 6 本の頑丈な丸い柱で構成されており、110 年前に改修され、同じく修復された柱頭が冠されています。」

「それらは、内陣から見ると、左から右へ、以下となる。
- ドラゴンを殺すサン・ミカエル

- 人の頭の中にまとめられたドラゴン
- 二頭の雌ライオンを引き離すダニエルだが、その腕にライオンの顎を抱えている
- 狩猟するいて座

- 雄鶏につつかれる人間の頭を持つ2頭の龍
- アブラハムの犠牲

これらの柱頭のうち 4 つはオリジナルをコピーしたものであり、後で説明します。」
自分が見学した流れとはちょっと違うので、解説に沿った写真を見つけるのも、結構難しいものですが、とにかくこの教会、柱頭総数250ということで、今更驚きました。確かに沢山あるんですけど、250とは、ちょっと驚愕する数字ですよね。
続きます。
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- 2023/09/29(金) 22:08:19|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その72(ロワール・エ・シェール)
しばらく、アンドル・エ・シェールという県をうろうろしていたのですが、ロワール・エ・シェール県の飛び地のような村に立ち寄ります。

ノワイエ・シュル・シェールNoyers-sur-Cherのサン・ラザール礼拝堂Chapelle Saint-Lazareです。
村のはずれにあり、街道沿いにありますから、見逃すことはないという素敵なランドマークになっていますし、教会の周囲は美しく整備されていて、嬉しくなるようなたたずまいですよね。
ここは、おそらくすでに教会としての機能はなく、イベント会場として使われているようで、イベントがある期間だけ、会期に合わせて入場できるようです。
私が訪ねたときは、絵の展覧会会場となっていたようで、オープンは毎日15時から17時。早朝の訪問でしたから、当然入れませんでしたし、展覧会中なら、鍵を探しても入れないだろうと思い、入場はすぐあきらめました。

若干、やりすぎ感ないでもないかな、笑。
見所は、軒持ち送り、柱頭、たたずまいと事前にチェックしておりましたが、まさにたたずまい、少なくとも入場できなかった私にしてみると、これが一番かもね。

どこから見ても美しいお姿です。
後陣や側壁に、軒持ち送りがずらりとあります。

後陣は全体としてすっきりと均整の取れた装飾で、お、というような浮彫などはないようです。
でも、上の方にあるシンプルなギザギザ帯、好きです。

そして、側壁の方は、市松帯となっていて、ご存じのように、これもわたしの好物です。

いくつか、楽しいやつらもおりますよ。

うさちゃんペア。
耳に、反射的に、かわいい、と思わされちゃうんだけど、意外と不気味タイプですね、笑。
ところで先日、多頭飼い飼育崩壊みたいなニュースドキュメンタリーを見ていたら、ウサギのケースが出てきて、ウサギ専門のレスキューボランティアをしている人が、「ウサギは、30秒雄雌を一緒にしといたら、もうできちゃいますから」とおっしゃっていて、たまげましたね。多産のシンボルに使われるわけが分かるっていうか、それほどとは…。ネズミ算に匹敵するか、もっとかもね。まぁ、そのくらい生まないとサバイバルできない被捕食動物ということでもあるのかな。
すごい脱線しました、ペコリ。

フクロウは、フランス好きだよね?
でもこのフクロウ、12世紀なのかな、もしかして再建?と思うくらい、現代っぽいんだけど。明らかにフクロウって分かり過ぎるっていうか…。

これは…。にゅるり感がかわいい…。そして、エルマーと竜を彷彿してしまった、にゅるりとした曲線からね。
最近、インスタグラムでフォローしている人が、エルマーの原画展かなんかの写真をアップしていたんだけどね、こんなにかわいかったんだっけ?!とわくわくするくらいかわいくて、絵本が欲しくなったところ。
いつの時代にも、誰もが愛さざるを得ない良い児童書や絵本があると思うんだけど、エルマーは間違いなくそういう本の一つだよねぇ。まぁ、世代が違うと通じないところもあるんだろうけど。

ワシだと思うけど、もしかするとペリカンかもねぇ。胸の下の方に、なんか傷ついてる風な様子もあるし。
と、動物ばかり、かわいいからあげたけど、他にも幾何学系が結構ありました。

おなじみの鉋屑もあるようですね。
そして、南側に入り口があり、扉の上にも軒持ち送り。

ここのは相当傷んでいて、鷲かペリカンのやつは、この並びに置かれているけど、おそらく再建と思います。

現場に、簡単な解説版が置かれていたので、見ておきます。
「サン・ラザール礼拝堂
礼拝堂は、サン=テニャンのホスピスに従属する、より大きなグループであるノワイエの「マラドリー(ハンセン病患者用病院施設)」の一部であった。
このマラドレリーは、ハンセン病患者、特にサン・シルヴァンの巡礼に参加した患者たちを歓迎した。
12 世紀半ばに建てられたこの礼拝堂は、1862 年に歴史的建造物に指定された。この礼拝堂の規模は、この地域で最も魅力的なロマネスク様式の建物の 1 つ。建物の側面にはエレガントな控え壁があり、その頂にはコーニスが付いていますが、その一部は身廊の屋根が変更されたときに消えてしまったに違いないだろう。身廊と内陣を隔てる切妻の頂上には 2 つのアーケードを備えた鐘楼があるが、おそらく礼拝堂の建設後のもの。」
最後に、大事なことを一つ。

この、地味なファサードを回り込むと、その先に小屋がありました。
結構切羽詰まっていたので、もしや?とすがる気持ちでのぞいてみたら、有難し!トイレがありました。
物置小屋兼トイレ、という様子で、鍵もかかっておらず、大変助かりました。
この辺り、朝は実に寒く、この日も雨模様でしたから、結構切実。
そんなこともあったのか、この教会、入れなかったにも関わらず、記憶が超鮮明です、笑。
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- 2023/09/28(木) 20:52:48|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その71(アンドル・エ・シェール)
新しい一日は、雨音で始まりました。このところお天気がいまいちで、どこでも寒かったのですが、夜半から結構激しい雨だったようで、5時ごろに目が覚めてしまい、結局二度目ができないまま、6時には起きだしてしまうことに。
元々早朝出発の予定だったので、朝食は不要としていたので、8時前には出立していました。
通り道にある町が最初の目的。
目的といっても、教会そのものは、あまり興味がなかったのですが、なんせ通過点なので、立ち寄ることにしました。
アンボワーズAmboiseのサン・ドニ教会Eglise Saint-Denisです。雨でもあったことだし、教会近くの駐車場に首尾よく止まれたのは何よりでしたが、早朝8時半ごろでしたから、もとより開いているとは期待しておらず、落ち着いてアクセスできます。
それにしても、かなり立派な教会ですね。教会の壁に掲げられた案内板には、以下のようにありました。
「1107 年にアンボワーズ領主ユーグ 1 世が、トゥール司教サン・マルタンによって建てられた教会の跡地に建てたもので、16世紀に拡張されました。」
きっと、サン・マルタンの建てたのは小さな教会で、その後12世紀にロマネスク様式のそれなりの教会になって、16世紀、町が繁栄しまくっていたころに、こういった巨大教会になったのでしょう。
さらりと見ていきます。

愛想のない、フランスっぽいと言えばぽいファサード。なにもないようです。

回り込むと、南側とか後陣部分に、いくらか古い様子が残され、軒持ち送りに面白いものが見られます。

事前の調べだと、内部には柱頭にも見るべきが残されているようなのですが、外側では、この軒持ち送りだけとなります。

サイズが大きめで、テイストとしては古典的な様子もあり、なかなか面白いので、内部の柱頭も気になるところですね。

街が大きく発展した時代にも、この古い軒持ち送り、よく残したな、と思います。
この辺り、ご存じの方はすぐにピンと来たと思うのですが、アンボワーズって、ロワールのお城群の中でも著名度の高いお城のある町です。
多分、これ。

アンボワーズ城Chateau Amboise(毎日9時から19時)。
この辺り、昔々あこがれたこともあったし、ほら、若い娘ってヨーロッパのお城とか好きじゃないですか。だから、お城一個くらい、見学してもいいな、とうっすらとは思っていたんです。
でも、お城って、見学しても、別に~、それで~?みたいなことも多いのを分かっているので、この巨大なお姿を見たら、もうこれでいいか、となっちゃいました。
でも、実はここにはもう一つ気になるお城がありまして。
それが、こちら。

クロ・ルセ城Chateau du Clos Luceです。
ここは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが、最後の日々を過ごしたお城で、私が訪ねた2019年、レオナルド没後500年ということで、かなり大規模な記念祭が行われていました。
一応、お城のところまでは行ってみたんですよ。早朝だったこともあったのでしょう、駐車場にも止まれて、お城の入り口の方まで行ってみたんです。
でも、まだオープンしてない時間だったし、雨だし、結局入り口だけ見て、引き返してしまった。
レオナルドの生家があるヴィンチ村は、シエナで学生していた時代に訪ねたことがあります。当時は本当の田舎で、観光客も少なく、のんびりと緑の中の散歩を楽しんだ記憶があります。また彼は、ミラノ候のルドヴィコ・イル・モーロとの生活も長かったから、スカラ座前には像が立っていて、しょっちゅうお目にかかっていますし、なんか近しい人出もある、笑。
そういう人の最後、こんな遥々来ちゃったんだなぁ、と感慨深いものがありました。ルネッサンス期は、当然、中世よりは交通も発達していたでしょうし、実際、人の往来も増えていたと思います。が、ルネッサンスで栄華を極めたフィレンツェからミラノへ、さらにフランスの田舎へ…っていうのは、やっぱりちょっと寂しいことでしたろう。
などと思いをはせながら、アンボワーズ、後にしました。
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- 2023/09/26(火) 20:29:58|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その70(アンドル・エ・シェール)
ロシェLochesのサン・トゥルス教会Eglise Saint-Ours、続きです(毎日9時から20時)。
前回、散々解説をあげましたので、今回は楽しい写真集にしたいと思います。

ポーチ扉口の、内側アーキボルト、楽しい浮彫が沢山ありますので、いくつかピックアップします。前回は自分の感想はあまり入れなかったのですが、全体として、若干ゴシックが入っているのではないか?というテイストを感じるものもありました。が、これだけ満載だと、ウキウキします。

特に、真ん中の帯のが、オリジナリティもあるっていうか、細かく分割されたパネルの形状に従ったはめ込みモチーフ的な様子も楽しくて、ずっと見てられる感じです。

この、両手をあげてる子、やばくないですか。

若い女性が躍っていたら、どうしたってサロメと思ってしまいますが、どうでしょうね。いずれにしても、この子はとても魅力的。もしかして踊っているわけじゃないかも。

きりがないので、この辺で。
扉の脇に置いてあったこれは、なんでしょう。現代ならさながら傘置きといったサイズ感です、笑。

浮彫のテイスト、古代っぽいし、もしかして近現代の再建井戸口だろうか?と思ったら、ローマ時代の祭壇だそうです。
ちょっと戻る感じで、ポーチの入り口にある柱頭です。

前回載せた解説で、ポーチは11世紀の建築とありましたが、この柱頭は、様子からして、扉口の浮彫と共通するような気がしますので、12世紀のものではないでしょうか。

内部にある柱頭です。

建物の、多分南側に当たるのかな?扉装飾は地味だし、溶けちゃっている様子ですが、うろこ状の浮彫とか、葉っぱモチーフの帯浮彫とか、好きなアイテムです。

内部にも、もちろん見るべきものはあります。

これは、ポーチに展示されていた図面ですが、各数字の説明がなかったかと。単なる撮影し忘れかな?だとしたら、すっごいあほじゃん、オレ、笑。
なんか、5番って、クリプトみたいな見えますが、そんなのなかったと思うんだけども。
にゅるっとか、つるっとした質感の、ちょっと面白い様子の柱頭。

内部は、基本白塗りです。

これ、よく見たら面白い!
ドラゴンが飲み込んでるのか吐き出してるのか分からないけど、サボテンみたいな身体の蛇状怪物の頭が、まるで、ジャンクなお菓子のキャラみたいじゃないですか?

ね、二人そろって嬉しそうにガジガジやってますね。

うろこがいっぱいあった。

最後は、全体の姿を眺めながら、後陣側も確認。

後陣側は、切り立った高台になっており、緑も多い美しい風景を眺めることが出来ます。また、教会も、鐘楼などのディテールに、まだ見るべきものもあるのですが、本当にきりがないので、この辺で切り上げます。
こういった大きな教会は、駆けずり回っても結構な時間がかかるので、一日の最後に持ってくるもんじゃないって思いながら、現場でも同じように、「もうきりがないから…」と自分に言い聞かせながら引き上げたとおもいます。
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- 2023/09/25(月) 20:16:44|
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その69(アンドル・エ・シェール)
この日最後に訪ねたのは、実は前夜宿泊した村の教会です。宿泊日、教会が開いている時間にたどり着けず、そしてこの日も例にもれず、教会が開く前の早朝出発で、結局最後に滑り込み、というスケジュールとなりました。
実際、宿泊する町村での教会見学、こういうことになりがちで、結構難しかったりします。
例によっての余談です。
そういう事情で時間が押せ押せの上に、とにかくここで見ておかなければ、もうチャンスはない、という状況だったので、ちょっと焦っておりました。ここ、城壁に囲まれた町なので、教会へのアクセスは徒歩となります。幸い、駐車場はすぐに見つかったのですが、間違えずに最短の道で行きたかったので、通りすがりの女性に声をかけたんです。とても感じの良い方で、「教会?ちょっと分かりにくいから、一緒に行きましょう!」と。
フランス語の会話だったんですが、秋田秋田と出てくるので、日本の秋田に行ったことがあるのか、なんで?お祭り好き?とか頓珍漢な理解をして、苦しかったのですが、会話が続くうちに、秋田犬が大好きで飼っている、という話だということが分かりましたとさ、笑。それで、最後はなんとなく話の帳尻を合わせることが出来ました。ほんの数分だったけど、脳が異常に疲れましたわ。
でも、こういうことって、異常に記憶に残るね、びっくりする。
ロシェLochesのサン・トゥルス教会Eglise Saint-Oursです(毎日9時から20時)。
ロシェの旧市街は、城壁に囲まれた町特有の、細い路地が迷路のようになっている構造なので、この教会も、迷路の先に唐突に出現する様子で、全体像を拝むのは難しい。ただ、このファサード見て、大きな期待は持てないですよね。なんて言ってますが、実はそれは大きな間違いでした。
現地で撮影しておいた解説版があったので、また読んでみます。お退屈さまですが、色々と勉強になる案内でした。
「ノートル・ダム参事会教会として、有名なフルク・ネッラ(*注)の父であるアンジュー伯 ジェフロイ・グリセゴネルによって、965年に建立されたものが元となっている。」
(注:私はフランス史は全く門外漢なので、Wikiを見たのですが、アンジュ―伯フルク・ネッラという人は、中世期における城の建築家としてのパイオニアとされている方のようです。地元であるロワールの谷に、およそ100ほども作ったとか。ロワール川流域は、数々のお城があることで有名だと思うのですが、もとはと言えばこの方なんですねぇ。歴史は、マクロで見ることでの面白さと同時に、こういったミクロな切り取りも面白いものです。が、すべてを勉強する時間も頭脳もないのが残念…)。
「そのノートルダム参事会教会は、貴重な聖遺物である聖母マリアのベルトを保管するために建てられました。11世紀に建てられたものが12世紀に拡張されました。
この建物には 3 つの注目すべき建築アイテムがあります。
主塔の建設と同時代の 11 世紀の塔と一体化したポーチ、中世の自由学芸(*注)の表現として優れた 12 世紀の多色彫刻で装飾された扉口、そして身廊を覆う 2 つの中空の八角錐です。」
(注:原文にあるarts liberauxは、自動翻訳だとリベラル・アーツと文字通りに訳されてしまい、なんのこっちゃ、となります。イタリア語で確認したところ、「中世の自由学芸で、三学四科をさす」とあり、中世の三学とは、文法、弁証、修辞であり、四科とは、算術、幾何、天文、音楽ということです。ギリシャやローマ起源のものらしいですが、最初に言葉があるところに、西洋の文化を感じさせられます。やっぱり、解説を読むのって勉強になるよねえ。ってか、こういうことやりながら、無知すぎやろう、オレ?と反省します。)
「地元では「デュベdubes」と呼ばれるこれらのピラミッドは、フランスにおける唯一のアイテムを形作っています。
フランス革命中、参事会教会はサントゥルズ教区教会となり、現在は破壊された教会の地位と遺産を引き継ぎました。」
なかなか面白いですよね。
ま、現地では、「結構無理してわざわざ来たけど、はしょってもよかったんじゃね?」くらいに思っていたわけで、大反省です、笑。
では、ポーチに隠されている、おそらくこの教会一番の見どころである扉口を見ます。

「1150 年から 1160 年にかけて建てられたロシュ参事会教会のナルテックスは、最初の西洋ゴシック様式の丸天井の 1 つで覆われています。このとてもクーポラ状となった丸天井は、キーストーンがさまざまな花のモチーフで装飾されている大きなリブの断面によって構成されています。
短い柱の柱頭には、内側と外側の両方に、アカンサスの葉、葉の巻物、モンスター、また、より現実的なシーンなどが表されています。扉の半円形アーチと、ヴォルトの最初の分断されたアーチの間の領域はレリーフで装飾されていますが、残念なことにひどく切断されています。しかし、私たちは次のように認識しています。

A.荘厳な聖母が幼子を膝の上に抱いています。
B,聖ヨセフは聖母のように栄光の玉座に座っています。

C.三人のマギの王は同じ毛布の下で寝ています。

D.賢者たちにヘロデのもとに戻らないように警告する天使。
E.幼子である神の前で崇拝する賢者たち。

これらのレリーフは、おそらくナルテックス建設以来、不格好に占めていた場所の上の、より広い場所に計画されたもので、4 つの柱像と、聖ペテロ (鍵を持つ) とアロンを表す 2 つの大きな彫像が添えられています。これらは、イル・ド・フランスの彫像柱門の彫刻と比較されるべきです。」

なまじ色あせた彩色が遺っているだけに、傷んだ様子が増長されているような様子もあり、痛々しい状態です。そして、これもまた革命の狼藉だと思われますが、ほとんどの像のお顔がなくなっているのも、それを増幅させていますよね。これは、修復しようにもどうしようもなさそうな状態で、残念でしかないです。
一方で、アーキボルトの方は、彫刻満載状態なんですが、なかなか保存状態が良いものも多くて、ディテールを見ていくのがなかなか楽しいことになっています。
「扉口の 3 つのアーチは、それぞれのキーストーンに特定のモチーフがあり、内部から外部への重要な進歩を示しています。
内部にむかって: モンスターの一大絵巻、恐ろしいものもあれば、ほとんど魅惑的なものもあります。
中間のアーチには、おなじみの動物が登場するほか、特定のモンスターの顔のような人物の顔が、自然主義とヒューマニズムの明らかな始まりを示しています。
外側のアーチでは、ごく最近、マーキュリーとの結婚式の際に美しいフィロロギアPhilologiaに同行した若い女性の中に、7つの中世の自由学芸の寓話(*注)が確認されました。

1.弁証法-論理と、腰の周りの蛇。

2.花瓶を持ったレトリック(レトリックの花を意図したものです!)
3.小学生が恐れる文法。
4.算術とその本

5.音楽とそのハープ

6.大きなコンパスを携えた幾何学模様。

8.二つの星に手を伸ばす天文学

(*注:おそらく、皆さんの方が詳しいと思いますが、備忘として調べたことを書いておきます。「”メルクリウスとフィロロギアの結婚”は、マルティヌス・カペラという5世紀頃に活躍したアフリカ出身のローマの著述家であり、弁護士をしていたとされる知識人。全9編からなる本書は、中世における自由七科の地位を確立し、後の学問に大きな栄養を与えた書物として知られる。アレゴリーを用いて学問を論じた、いわば百科全書。最初の二編は、擬人化されたフィロロギアとメルクリウスの婚約と結婚を描き、残りの七編は自由七科がフィロロギアの召使として現れ、それぞれが自らを説明する。カペラは、自由七科目を、文法、論理、修辞、幾何、算術、天文、音楽に限った。」すごいですね。5世紀にローマで書かれた本の内容が、どのように伝播していったのか。いや、単純に自由学芸がすでに浸透していたし、アレゴリーというのもまた表現手段としては普通だったから、すでに人口に膾炙していた?いずれにしても、学のある発注者、建築家や職人さんの仕事に違いないですね。)
何とか写真を見つけられたものを、貼ってみましたが、表現も分かりにくくて、あっているのかどうか。
サクサクと終了したいのに、どうしても長くなってしまいます。続きます。
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- 2023/09/24(日) 20:15:12|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その68(アンドル・エ・シェール)
リニエール・ド・トゥレーヌLignieres-de-Touraineのサン・マルタン教会Eglise Saint-Martin、続きです(毎日8時から19時)。
今回は、寄り道脱線排除で、フレスコ画、見ていきます。
まず、壁画に関しての総論的解説です。二種類の解説を読んでいますので、前回の解説と重複する部分もあるかと思います。
「教会の内陣を飾る一連のフレスコ画は、中世の素晴らしいアンサンブルです。後陣の半円ドームには栄光のキリストが描かれています。

中央の窓のくぼみで、アベルとカインが神に捧げ物をします。トンネル・ヴォルトには 3 つの異なるエピソードが描かれています。北側は、創世記の場面、ラザロと悪い金持ちの寓話、南側は、キリストの洗礼と誘惑。この下には、間違いなく第 4 のエピソードが表現されていました。最後に、内陣と身廊を隔てるアーチの内部には、月ごとの労働のカレンダーがあります。
これらのフレスコ画は主に 12 世紀後半に制作され、13 世紀と 14 世紀にも繰り返されたため、ラザロと悪徳金持ちの絵は 14 世紀のものであり、おそらくロマネスク時代に遡る同様の表現を踏襲していると考えられます。
18世紀に、ロマネスク時代のフレスコ画は、他の絵によって完全に覆い隠されてしまいました。
1872 年の教会修復計画で内陣の完全な再建が推奨されたため、かろうじて破壊を免れました。しかし、このプロジェクトの発案者である修道院長ブリサシエは、ロマネスク様式のフレスコ画を発見し、修復することを決定した最初の修復者になります。実際、これらの修復は中世のモチーフを使用して修正を加えて再建となっています。この修復によって、9月から11月の月の絵がなされています。
2008 年、教会の修復中にロマネスク様式のフレスコ画が再発見されました。
その後、この一連の図像の優れた品質を復元するために、それらを掃除して復元するという決定が下されます。
壁画はフレスコ画で描かれています。 塗料は石灰と砂からなるモルタルの層に塗布されます。色の適用は、モルタルが完全に乾く前の短時間でしか実行できません。 したがって、シーンは一気に描きあげられています。
したがって、一連の壁画の各シーンは、その象徴的意味と視覚的意味の両方において厳密に考慮されました。したがって、表現は一貫した全体性を提供し、その展開は内陣の構造と密接に関連しています。栄光のキリストの表現は顕著な例です。信者に捧げられた内陣の最初のビジョンであり、その高さいっぱいに展開することで、半円ドームの象徴的な重要性を強調しています。
装飾的なフレスコ画、白い空白のシンプルな黄土色と赤の帯、またはより複雑な幾何学模様や陰気な装飾が、各シーンを縁取るだけでなく、建築の境界線も強調します。
フレスコ画に使用される色の種類は少なく、イエローからブラウン、レッドオークルまでのオークルのパレット。緑色の顔料はマラカイトを使用して得られます。誘惑のキリストの光輪には、非常に高価な顔料であるラピスラズリが使用されていることにも注意する必要があります。
画家は、それぞれの歴史的な場面のエピソードを区切るために、色と装飾的アイテム (木、建築物) を配置します。フレスコ画のスタイルは非常に直線的なデザインが特徴です。明確な線が輪郭を定義し、顔の詳細を示します。創世記の場面における解剖学的な詳細は、登場人物のほっそりとしたシルエットや楕円形の顔と同様に、12 世紀の特徴です。髪の毛や衣服のボリュームは、より明るい色やより暗い色の反映で表されています。
12世紀に描かれた場面と14世紀に描かれたラザロと悪人の場面の顔の違いははっきりと見えます。後者はより複雑な表現を使用してより詳細に説明されています。
画家たちは、色の使用だけでなく、登場人物のプロポーション、位置、身振りにも繊細でした。これらすべての要素は体系的に象徴的な価値を持っています。明るい背景に描かれた絵、直線的なスタイル、空間描写の欠如は、トゥーレーヌのロマネスク絵画の特徴です。タヴァント教会の地下室では、まったく異なるスタイルのそれらが見つかります。」

まず、後陣手前に展開される天井画の、北側、つまり、後陣に向かって左側の、天辺近くにある帯を見ていきます。

「天井ヴォルトの北側上部の帯には、木で分割された五つの場面があり、右から左に読み取るようになっており、創世記の最初の三章の物語となっている。いくつかのシーンの上には、ラテン語の碑文が各エピソードの意味を強調しています。
・創造:「神は人間を自分の姿に似せて創造した」。若々しいひげ、十字架の光背を持つ神はキリストを装って、左の手のひらを開き、右手で祝福の輪郭を示すジェスチャーで、アダムに命を与えます。

・訓戒;「善悪の知識の木からは食べてはならない」。神は片手で知識の木を示し、もう一方の手で教えるジェスチャーをしながらアダムとイブに語りかけます。彼らの下がった目は彼らの従順を表しています。アダムは右手で神の言葉を歓迎するしぐさをします。

・誘惑と原罪;このシーンには引用がありません。それは蛇によるイブとイブによるアダムの二重の誘惑を表しています。アダムは片手で顎を押さえながらためらう。
・懲戒処分:主なる神はアダムを呼んで言われました、「あなたはどこにいるのですか?」 「ご主人様の声が聞こえたので隠れました。」。神はその権威に身を包んでアダムとイブを見つけます。彼女は態度を通して悔悟の意を表し、彼はそれを自分自身の無罪を証明するものとみなしている。ド・ガランベール伯爵の発言を考慮すると、ここでの引用文の再構成において、ブリザシエの介入が顕著である。

・楽園追放:「そして主なる神は彼を楽園から追い出されました。」と書いてある。皮のチュニックを着たアダムとイブは、左手で前回のエピソードの結果として行動していることを示す剣で武装した天使によって楽園から追い出されます。それは、神の命令を実行する責任を負う天使と、今後の立ち入りを禁止するために楽園の門に置かれたケルビムの1人の2つの人物を組み合わせています。イブは悔い改めを表明し、アダムは絶望します。今では木々は裸になっています。
登場人物たちは特徴的なジェスチャーを通じて自分の感情を表現します。たとえば、アダムは、左腕を前に組みながら右手を挙げて、「知識の木には触れない」と神に誓います。イブは彼の後ろで、頭を少し下げ、腕を前に組んで受け入れのサインを示しています。彼女は創造主への服従を示しています。
植物には多くの注意が払われています。 善悪の知識の木は、その丸くて黄色い果実でわかります。木々は天国の楽園を想起させるように差別化されています。この区別は、アダムとイブの誕生の木から堕落時の裸の木に至るまで、象徴的な価値を帯びます。」
という場面となります。アダムとイブの肉体が、妙に筋肉質っていうか、ここまで線いらないよね、とか、顔が場面によってやけにはっきりしてたり、この辺り、加筆なのかな、と思います。とはいえ、土台はこういう構成だったのでしょうから、とすると、大変分かりやすく描かれた絵巻ですよね。
そのすぐ下の帯には、悪い金持ちと貧しいラザロのたとえ(ルカ書16,19-31)が、やはり絵巻となって描かれています。
「ラザロと金持ちのたとえ
紫と上質の亜麻布を着て、毎日楽しく輝かしい生活を送っていた金持ちの男がいました。ラザロという名の貧しい男が、潰瘍だらけになって玄関先に横たわり、金持ちの食卓から落ちたパンくずで満足しようとしていました。そして犬さえも彼の潰瘍を舐めに来ました。哀れな男は死に、天使たちによってアブラハムの胸に運ばれました。金持ちも死んで埋葬された。地獄の中で彼は目を上げた。 そして彼が苦しみの中にある間、彼は遠くにアブラハムと彼の胸にラザロを見た。彼は叫びました。「アブラハム父よ、私を憐れんでください。そしてラザロを送ってください。指先を水に浸して私の舌を冷やしてください。」 なぜなら私はこの火事でひどい目に遭っているからです。アブラハムは答えました。「わが子よ、あなたは生涯に良いものを受け、ラザロは生涯に悪を経験したことを覚えておいてください。 今彼はここにいて慰めを受けていて、そしてあなたは苦しんでいます」
ここでも時系列は、右から左です。

「1.悪い金持ちの宴会
2.貧しいラザロの死
3.悪い金持ちの死
4.アブラハムの胸の中のラザロ
1.悪い金持ちが宴会の中心に立ち、服を着て、手には富を示す指輪をしています。複雑な建築と宴会のテーブルも豊かさと過剰さをほのめかしています。外ではラザロが棒にもたれかかり、手にひょうたんを持っています。傷をなめる犬が描かれていますが、これは聖書からの忠実な引用です。使用人は彼を見つめ、拒否のしぐさで地面を指さした。

2.哀れなラザロの魂は、純粋さと再生を象徴する裸の子供の姿をとります。二人の天使が彼を楽園に迎えます。魂と最初の天使は抱き合おうとしているような印象を与え、これは一体化を示唆しています。ラザロの遺体は地面に置かれた赤いシートの上に置かれています。彼の死は、その後のシーンで貧しい金持ちの死の際に示された威厳と対照的である。

3.その邪悪さと貪欲さのため、貧しい金持ちの魂はラザロの魂と同じ形をとりません。胸からは血が噴き出すだけだ。3人の悪魔が彼を地獄に連れて行く準備をしています。彼らの非人間性は、動物的または幽霊的な顔つきによって強調されます。

4.アブラハムは、教会の代表者と信者との交わりを証言するラザロの魂を懐に迎えます。このシーンは信仰がもたらすものの一例です。哀れなラザロは、善良なクリスチャンと同じように、苦しみの生涯を報われます。逆に、悪いクリスチャンは悪い金持ちと同じように罰せられます。
このたとえ話は、中世において、慈善の教訓である見本として読まれていました。また、すべての人が自分の人生と行動に対して責任を負うことになる最後の審判も告げられます。 それは貧しい人々に死後の幸せな生活の希望を与えることで支援します。ポンス・シュル・ル・ロワール(サルト)の教会では、堕落とこの寓話が同じ壁に同じように共存しています。福音派の声明は、処罰の脅威を倍増させる一方で、イブとアダムの子孫の苦しみは無駄ではないという慰めの希望を与えている。」
こういった、ある意味分かりやすいような、それでいて、本当に意味するところを考えてしまうような、聖書って難しいというか、決して文字通りじゃなかったりして、手ごわいですよね。
手元に、複数の聖書や、読み解き本を持っています。フレスコ画だったり浮彫だったりに表されたエピソードを確認したくなって、時々引っ張り出すと、結構読み込んじゃって、さっぱり分からねぇ、となること多々あります。そういう意味では、奥の深いものだし、視覚化するのも難しいものだと思うのに、あえてそうしたのはすごいと思ったり。
さて、また脱線になる前に、フレスコ画に戻ります。
今度は、天井の南側にある帯です。ここは、左から右に展開します。先述した北側と反対向きに置かれているので、時系列は北も南も同じになっているということですね。

「キリストの洗礼と誘惑を表しています。これは、洗礼によって”生まれた”(ルカ 3:22)人たちにとって、さらに明確な励ましです。彼らは御霊によって生かされ、キリストに倣い、その創造主よりも多くの誘惑をはね返すことができるでしょう。その後に続くテキストは、ルカの福音書(3、21-22、4、1-13)よりもマタイの福音書(3、16-17、4、1-11)に近いです(マルコはキリストの誘惑のエピソードをそれほど展開していません: 1、9-13)。
1.キリストの洗礼
2.最初の誘惑
3.続く誘惑
4.最後の誘惑

1.「これが私の愛する息子です、私のすべての好意を持っています」とある。キリストは洗礼者聖ヨハネから洗礼を受け、その謙虚さの証しとなります。彼の裸と性的属性の欠如は、キリストが決して罪を犯さなかったという事実を示しています。洗礼を通して、彼は人類の罪を担う者となり、救い主としての使命が明らかになります。胸に置かれた右手は、神の言葉に仕え、神の戒めに従うという神への誓いを表しています。
伝統的な図像要素がひとつにまとめられています。 御霊の鳩、福音に従って天からの声、衣を整える天使。
2.砂漠での飢えの誘惑:「これらの石がパンに変わるように命令します」とある。論争のしぐさ、うつむいた目によって特徴づけられるキリストの謙虚さに注目することができます。

3.神殿の頂点の誘惑:「神の子なら身を投げなさい」とある。天使は支えるしぐさをします。 キリストは引用した本を持ち、手の甲に物を持っています。

4.山頂での誘惑:「あなたがひれ伏して私を崇拝するとき、私はこれをすべてあなたに与えます - 悪魔よ、去れ!」とある。このシーンには、以前に覆われた文を発見していない限り、修道院長ブリサシエによる新たな修正が含まれています。ド・ガランベール伯爵はVADE SATNAのみを読んでいます
それぞれの場面で、悪魔は獣の姿でキリストの前に現れ、彼が成し遂げてほしいことを身ぶり手ぶりで示します。テキストは悪魔の言葉を繰り返しています。「これらの石をパンに変えるように命じなさい」、「もしあなたが神の子なら、私を崇拝しなさい」、「ひれ伏して私を崇拝してくれたら、これをすべてあげましょう」。
キリストは、覆われた手に持っている本に頼って、これらの誘いを拒否します。最後のシーン「Va satan」の碑文は、悪魔に対するキリストの勝利を示しています。
このエピソードは、人間が聖書に頼れば、アダムの堕落を引き起こした誘惑に抵抗できるという救いの可能性を示しています。」
これら三つの帯で描かれた内容が、どうして選ばれたのか、について、以下の解説がありました。
「ヴォルトの 3 つのフレスコ画は、人間の堕落 (創世記の場面) と彼の救いの可能性 (キリストの誘惑) を示し、人間の行動の模範 (ラザロと悪い金持ち) を提供しています。表現の位置、登場人物のジェスチャー、テキストの存在は、一連の絵巻の非常に複雑な象徴的な読み取りを提供します。これは、おそらく宗教施設ではあるものの、未だに不明のままであるこれらのフレスコ画の共通所有者が博学であることを証明しています。」
やはり、難しい。
聖書って、読み物としてはさらりと読めるけど、その意味を理解していくのは難しいわけで、それを行ったうえで、このように具体的に表現をする人がいて、それもまたきっちりと教えを読み込んでいるんですよねぇ。
ここのように、オリジナルの絵と、その後の解釈等まで詰め込まれているケースだと、さらに表現にも複雑性が増すわけですよ、解釈者が複数入っているわけだしね。
聖書をちゃんと勉強して、そういうところまで踏み込むと、また違う面白さも見えてくるのでしょうが、ま、信者でもないし、そこまではね。あくまで、ロマネスク美術のアマ鑑賞家、というあいまいでいい加減な立場で行きたいと思います。たまにはこうやって勉強しているふりなんかしながらね。
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- 2023/09/23(土) 20:20:31|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その68(アンドル・エ・シェール)
次々訪ねる教会がフレスコで飾られていて、そして、詳細な解説が入手出来て…。ありがたいし楽しいんですが、詳細になると、翻訳しながら読んでまとめるの、結構大変…、涙。でも、手元に解説があったりしたら、やはり読みたくなるのが人情ってもんで、今月は、すごい時間をロマネスクに、というかフランス語翻訳に捧げています。で、月初は快調に飛ばしたんですが、ここへきて更新が停滞しているのは、貯金がなくなったうえに、翻訳量が激増していたからです。
昔、本業の傍ら、いわゆる副業的にイタリア語翻訳をやってたことがあります。当時、本業のお給料が安かったこともあり、その副業収入はかなりありがたかったのですけど、それにしても、本来苦手な作業だから、楽しいことはほとんどなかったのです。そういえば、本業でもちょっとやらされていたな。もちろん本業でやらされるやつは、収入にも結びつかない上に、責任も負わされる感が強くて、さらに苦痛だったな~。
という経験を持ちながらの今、私にとってはイタリア語よりも段違いに面倒なフランス語翻訳なんだけど、すごいよねぇ、好きなことだと、面倒だけど苦痛はないわけで。
どんな分野でも人でも、推しは持つべし、だとしみじみ思います。生活が潤うし、努力とか苦労が喜びに変わるし、素晴らしいことですよね~。
前置き長いですが、というわけで、今回もフレスコ満載解説満載の、苦痛が喜びへ系教会です、笑。

リニエール・ド・トゥレーヌLignieres-de-Touraineのサン・マルタン教会Eglise Saint-Martinです(毎日8時から19時)。
この教会は、外観とか建築は、潔いほど触れることなしなので、入場できないなら行く価値はない、と言ってよいと思います。

入場しても、信者席部分は、見るものなしで、前回訪ねた教会と様相が似ていますよね。ここリニエールは、見所が内陣集中です。
考えたら、基本構造のせいもあるけれど、フランスの教会は往々にして内陣部分のスペースが大きく、装飾もそちらに集中しているケースが大きいのかな?イタリアは、バジリカ様式をもとにしたスタイルが多いからかな、信者席と内陣の区切りが薄いというか、翼廊との交差部みたいなワンクッションないですよね。
まずは、起源などを解説から。
「サン マルタン教会はロマネスク様式の教会です。 この建物の歴史は 11 世紀にまで遡る可能性があります。その世紀のスタイルを思い起こさせるデザインの開口部は、身廊の北壁の外に今も見えます。
最初に証明された建物は 12 世紀に建てられました。大きな身廊、内陣、鐘楼の基部の一部がこの時代から残っています。
16世紀以降。大きな手が入り、18世紀まで、断続的に回収や変更が実施されてきた。」
で、フレスコ画ですが、大きくわけて、二つあります。
一つは、内陣手前、いわゆる勝利のアーチの内側に描かれた、月々の仕事をテーマにした連作。これは、イタリアだったら中部地域に多いなど、モチーフとしては地域の好みであるなしが決まるっていうか、農民の多い地域に多くある、ということになるのかな。
そしてもう一つは、天井のトンネルヴォルトみたいな場所に、左右二分割された横長のフレスコ画となります。
全般的な解説、行っときます。
「フレスコ画と壁画
ロマネスク様式のフレスコ画は 19 世紀に再発見されました。その当時、壁画は、18世紀に上塗りで描かれた絵の下にありました。内陣には紺碧の空と星が、後陣には天使の冠が表現されています。この装飾の劣化により、ロマネスク様式のフレスコ画がのぞくようになり、当時のブリサシエ修道院長が取り除いて修復することを決めたのです。
修道院長は、発見して再解釈した一連の図像に基づいてフレスコ画を描き直します。絵画は後陣を除いて内陣の天井に油絵の具で描かれています。
凹凸のある表面のため、修道院長はキャンバスに絵画をものし、後陣の半円ドームに取り付けました。これらの絵画は、マンドルラの中の荘厳のキリストを表しており、その周囲には 4 人の福音記者のシンボルが描かれています。全体の構成はネオゴシック様式に従い、中世の理想的なビジョンを与えています。」
正直、解説多すぎて、どうまとめたものか、と困っています、笑。
現場でも、例によって、システマティックな撮影をしていませんし全体撮影もないし、難しい…。訥々と、アバウトに行きたいと思います。解説も、おそらく色々前後しちゃいそうで、ややこしいですが、ご寛恕くださいね。
まず、月々の仕事の部分から。

手前のアーチの部分となります。
絵画として、優れているかというとそういうことはないと思われますし、後代の加筆や修正などが明らかなようで、歴史的にはそういう部分の方がちょっと面白いのかな、というところもあり。ということで、退屈でしょうから、ご興味ない方は飛ばしていただくということで、以下、あまり手を入れていないので、分かりにくい翻訳で申し訳ないのですが、解説を載せておきます。

「1162 年の憲章に引用されているリニエールの教区女子修道院の教会は、拡張のために連続して設立された 3 つの部分で構成されています。半円ドームのヴォルトを持つ後陣、トンネル・ヴォルトの内陣、高い中央身廊、鐘楼の基部は 12 世紀後半のものです。低い身廊と鐘楼は 13 世紀のものと思われます。
15 世紀から 16 世紀にかけて、側廊が高くなり、鐘楼の東と西には 2 つの側廊がその下に建てられたスパンで接続されました。2 つの切妻のある西側のファサードも 16 世紀のものです。
リニエール教区教会の内陣を飾るロマネスク絵画の近代初の分析は、画家であり、かつてトゥーレーヌ考古学協会の副会長を務めたガランベール伯爵(1813-1891)によるものである。ロマネスク芸術に関するいくつかの研究の著者である彼は、田舎の教会を装飾するための新しい芸術であるフレスコ画を支持する運動を積極的に行い、そのために”壁画による田舎の教会の装飾について” (1860 年) を出版しました。
彼はこの理想に動かされて同胞団を設立し、1864 年から 1872 年にかけてサン グレゴワール協会の歴史通知に記載されている数多くの勲章を執行しました。
1857 年、ド ガランベール氏は、身廊と内陣を隔てる二重アーチに 3 つの「月の作品」があり、数字の欄に 12 世紀の文字で名前が書かれていることに気づきました。3月(MARCIVS、ブドウ畑の剪定をするフード付きスモックを着たワイン生産者)、4月(APRILIS、両手に花を運ぶ若い女の子)、8月(AVGVSTVS、フレイルで小麦を脱穀する男、裸の胴体、脇が開いたパンツ)。
彼は記録をトゥーレーヌ考古学協会の回想録に 2 枚の版で出版しました。
4 月 (現在のシリーズでは、右側の下から三番目) と 8 月 (7 番目、左側の上から7番目) という点のリズミカルな枠組みを正確に復元しながら、人為的な方法で結びつけています。もう 1 つは、見開きページで 3 月を 3 分の 1 のサイズに縮小して表示します (下から 2 番目のシーン、右側)。
私たちが今日目にしているものは、リニエール出身の修道院長アッベ・ブリザシエ(1831-1923)による急進的な「修復」の結果です。司祭であり芸術家でもある彼は、建物の改修の建築家でもありました(1874~1877年)。彼のフレスコ画の作品は、その後、教区での奉仕活動 (1883 ~ 1907 年) に遡ります。
E・クインカレは、1898年4月に大司教のリニエール訪問について報告し、次のように書いている。「1857年、これらの絵画のうち、修復しなければならないことを恐れて、モルタルで半分覆われた断片が数枚だけ残っていた。ド・ガランベール氏は、その報告の中で、残りを知りたいという正しい欲求を刺激するいくつかのスケッチを提供しました。しかし、それは優れた芸術家の指導と監督の下でのみ実行できる困難な作業でした。しかし、ブリザシエ神父が治療法を手に入れるとすぐに、これが誘惑されたのです。彼が取り組んでいる仕事について説明するために、彼が私に送った手紙からの抜粋で彼自身の言葉を引用することを許可します。
”内陣のこれらの絵は、皆さんが賞賛することができるこれらの素朴で繊細な場面のために本当に注目に値します。そして、エチケットを忠実に尊重しながら、この厚い漆喰の下にそれらを発見し、釉薬で忠実に蘇らせるのに何ヶ月もかかりました。
それらが何を表すかの詳細は次のとおりです
最初に勝利のアーチがあり、そこには 1 年の 10 か月に相当する畑の仕事が 10 個のメダリオンで再現されています。
実際、右から左に向かって、以下がある。

2月奇妙な肘掛け椅子に座り、左足と手を火で乾かしている男性

3月ブドウを刈り取る髭面の男

4月枝を振り回す若い娘

5月ハヤブサ狩りに行く騎馬の人

6月大鎌で干し草を切っている男性

7月鎌で収穫する男性

8月殻竿で小麦を脱穀する男性

9月ブドウを砕く男

10月リンゴを摘む女性
11月イノシシに弓を向けている男性
ロマネスク美術において、装飾される空間の寸法に応じて順序付けられた、さまざまな数の少数の作品を見ることは珍しいことではありません。 したがって、失われたシーンを後悔すべきかどうかは定かではありません。これが事実であれば、おそらく 2 月に芝の束を作る人物が登場し、火のそばのシーンは 1 月に登場することが多かったでしょう。
どのような場合でも構成は一貫していなければなりません。
弧状に配置された月は 2 つのグループに分けられ、1 つは昇順で、もう 1 つは降順です。キリストに面した内陣の軸の天頂、「征服されざる太陽」は、一年で最も日が長い夏至である。ガランベール伯爵は、プリッツ (マイエンヌ) の礼拝堂の「月々の仕事」との類似点を確立しています。別の類似点は、リニエールの 3 月のブドウの剪定作業員と、サン・サヴァンの同じ活動に従事するノアの姿との比較に現れます。」
「1857 年の記録と今日見られる様子を比較すると、2 つの疑問が生じます。
最初のものは速すぎませんでしたか?ブリサシエ修道院長は自分が発掘したものを自分なりに解釈したのではないか?
ここでの答えは肯定的です。碑文は移動され(APRILIS は少女の腰ではなく髪を囲んでいます)、再構成され(AVGVSTVS が人物の右側に完全に復元されています)、さらには修正されています(MARTIVS があまり古典的ではない MARCiVS に置き換わります)。ヘアスタイルと衣服は明らかに変更され、装飾は完了し(より厚い小麦、追加の低木)、道具と「アクセサリー」は位置が変更され、意味を変えるリスクを冒してさえも変更されています(花束またはAPRILISの挿し木用の小枝)。」
とりあえず、機械的に訳して読んだんですが、この部分のみならず、多くの絵が、後代の加筆や修正をされている、ということが、キモかと。
古い時代のフレスコ画が見つかり、それを何とかしたい、という強い気持ちのあまりに手を加えてしまった、みたいな、ことがあったみたいで、そういうのって、現代でもありましたよね。世界各地で、素人が手を加えて変になっちゃった過去の作品、みたいのって。そういうことが、ここでもひっそりと、いや、ひっそりかどうかは分からないけれど、ちょっとあったようです。
割と近代の話だけに、驚く部分もありますけれど、そんなことってきっと普通にあったんだろうなぁ。修復という名の再建、みたいなね。
そういう現実を思うと、傷んでいてもオリジナルのままだったり、たまたま土地や気候やすべてのファクターのおかげでオリジナルのままだったりするものが、千年からの長きにわたって残されていることは、やはり奇跡といってよいのだろうなぁ、としみじみ思いますねぇ。
続きます。退屈でしょうけど、笑。
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- 2023/09/22(金) 21:18:34|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その67(ロワール・エ・シェール)
サン・ジャック・デ・ゲレSaint-Jacques-des-Gueretsサン・ジャック教会Eglise
Saint-Jacquesです(毎日9時から18時)。

続けてフレスコ画をみていきます。
後塵に向かって右手側壁の上の方です。

「サン・ニコラスの奇跡。聖なる司教は3人の少女を売春から救うために3人の少女の父親に3枚の金貨を贈った。小屋の下で、父親は眠っている娘の近くに座っており、それぞれが丁寧に表現されたひだの毛布を持っています。右の方で、マリアが場面を見守っています。」
父親の背景には、結構長い文が書かれているんですが、もちろん肉眼では気付けませんし、写真で見ても読めません。他すべて、顔は消えてしまっているのに、父親だけはうっすらと線画状態で表情が残っていることから、もしかすると、文も含めて、後代の加筆かもね。
その下となります。

「ラザロの復活。中央にあるストリギル(Sの形をした波モチーフで、主に石棺の装飾に使われたモチーフ。これは確かによくあります)で装飾された石棺は、ラザロの使用人の一人によって開けられ、座ったままのラザロはまだ包帯で囲まれています。キリストは彼に向かって手を差し伸べ、彼を生き返らせるよう招きます。右側で、ラザロの姉妹たちは、驚きに包まれています。左側では、二人の使徒が、場面を見守っています。」

生気のないラザロ、そして祈るような表情で枯れの頭を支える姉妹。ここはよく残っています。手が面白い。

ここのキリスト、光背の彩色から何から、よく残っています。
次は、右側壁の上部全体を占める記念碑的なシーンとされる大判の絵。

「煉獄に降臨するキリスト。右側に、キリストは壮大な姿で天使たちを従え、アダムとイブを煉獄から解放し、楽園へと導きます。」

「上には、天上の至福の中で並んで座る族長たち。」

「中央、煉獄、待ちと苦しみの場所。」

「下、地獄にて、有罪判決を受けた者は悪魔や茶色のまだらの毛並みをした獣によって拷問を受けます。」

この、ちょっと激しい場面の対面には、お誕生です。

「誕生。中央には編み籠に入った幼子イエスがロバと牛に見守られています。聖ヨゼフは右側に建っています。下には、マリアがよこたわっています。星と吊り下げられたランプは、シーンを隔離する小屋を伴います。」
色合いとか構図とか、対面のシーンを描いた人とは違う感じします。フレスコ画、12世紀と13世紀が混じっているから、当然職人さんもまちまちだろうし、これはちょっとなんていうか余白も多くて、面白い絵です。時代が下るのかな。下った上のヘタウマ系にも見えます。
血なまぐさいのは対面で、と思ったら、お誕生の上にもありました。

「幼児虐殺が上部を覆っています。子どもたちを捕まえる兵士たち、地面にひれ伏し、殺された子どもたちの近くで懇願し泣き叫ぶ女性たち。」
左側壁は、お誕生からの場面がずらりだったのかもしれませんよねぇ
手前の方はほとんど断片しか残っていないのは残念です。
その他も、ちゃんと撮影できなかったものがいくつかあります。また窓のところにもいくつか。これは時代が下るやつっぽいです。

「建物全体に規則的に配置された奉献の十字架がいくつかの場所で見られます。
軸方向の窓には、神の祝福の両側に、聖ジョルジュと聖オーギュスティンが描かれています(この教会は、聖オーギュスティンの規律に従ったサン・ジョルジュ・デ・ボワ修道院に属しています)。」
それにしても、これだけ内容が分かると、現場でももっと楽しいから、今が今、現地に行きたい!どこでもドア、切実に欲しいですねぇ。
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- 2023/09/17(日) 20:26:42|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その66(ロワール・エ・シェール)
この日は、比較的時間に余裕があると思って回っていたのですが、さながらフレスコ三昧で、やっぱり押せ押せになっていました。今回もまた、素晴らしいフレスコ画に出会える教会です。

サン・ジャック・デ・ゲレSaint-Jacques-des-Gueretsサン・ジャック教会Eglise Saint-Jacquesです(毎日9時から18時)。
ちょっと驚くのは、ここ、実に小さな村なんですね。

改めて地図で確認すると、川向うにもうちょっと大きな町があるので、その町のはずれかと思ったんですが、ちゃんと独立した村で、教会の近くにメリーもあるようでした。とても小さな村の墓地にある教会です。
そういったたたずまいだし、見ての通りの地味な様子だし、訪ねたのは、確かに開いているはずの時間内ではあるものの、開いていたことにちょっと意外感も持ち、有難い気持ちになりました。だって、ほんとにすごい田舎なんですよ。ポツンぽつんと住宅が立ち並んでいるだけの。
小さい村だからこそ、というのもあるかもしれないですけどね。墓地も、清潔感漂い、美しく管理されている様子でしたし。
教会が捧げられているのはサン・ジャック、つまりサンチャゴさんです。ということは、川向うではなくて、ここに巡礼路があったということになるのかな。
今回も、現地でいただいたフライヤーの解説を読んでいきます。
「13世紀に創建されたシンプルな教会は、サン・ジョルジュ・デ・ボワ修道院に属するもの。壁画は、12から13世紀になされたもので、1890/91に発見されました。場面のバラエティーさ、そしてその豊かな色彩は、この地域でも、最も重要な作品の一つとなっています。ラピス・ラズリが、単独でも、また他の色との混合でも、赤や黄土色によって強調された青、エメラルド色、緑そして紫などの色を際立たせています。」
建築は、後代に手が入ったものなので、それに関しては割愛。ここではフレスコ画が目的となりますので、開いているときに訪ねなければ意味がありません。
中も、もはやフレスコ画だけのためにあるような、超絶シンプルな様子となっています。

いやもう、感動、いや、感謝ですかね。
よくぞ残ってくれたものよ、と。
信者さんが教会を訪れるのとはまた違う、でも一種の信仰心というのか、愛他精神というのか、この趣味をやっていると、とても大きな何かに感謝する純粋な気持ちみたいなものを持つことが出来るのですよねぇ。その土地の歴史、人々の営みや生活、そういったすべての結果、千年からのものが残るということですから、”有難い!”と文字通り思うんです。
ウクライナに限らず、現代になっても戦争戦闘は絶えませんし、同時に避けることのできない天災もあります。昨今も、モロッコやリビアで、多くの命とともに、これまで生きながらえてきた多くの歴史遺産も失われたことと想像します。そういうことと思い合わせると、こうして訪ねて、出会えることが出来る喜びというのは、そういうものすべてを背景にしているということになるので、時々はっとさせられるんですよね。ちょっと大げさかな、笑。
おっと、余計な私見でした。
細長い一つだけの身廊で、余計な構造物は一切ないという潔さです。
さて、今回もきちんと撮影できているのか不安ですが、笑、解説とともに見ていきたいと思います。
私の撮影は、例によって思うままの順番超無視なので、後陣側から手間に向けてなされている解説に沿って、写真を探してみますね。
まずは、正面の右側です。

「アーモンドの中の荘厳のキリストは、四人の福音書家のシンボルに囲まれている。多彩な色彩の衣装には、小さな模様が緻密に刺繍された生地が裏地に施されています。」

ちょっとぼけてる写真ですが、衣の様子、拡大すると、確かに細かい装飾性が分かりますよね。
それにしても、正面に窓が開けられていて、その両脇に均等な大きさで絵が描かれていて、ちょっと不思議な様子です。と言って、窓はこの絵が描かれたときにはすでに開いていたのでしょう。
もしかして、今は木製で吹かれている天井部分、もっと壁があったのかなぁと思ったり、いや、荘厳のキリストが置かれているということは、そんなはずもないかと思ったり。解説にはないですが、さらに古い時代に建物があった可能性もゼロではないのかもね。

「その下の方には、最後の晩餐。キリストとその使徒たちが、一堂に、テーブルを囲んで腰掛けています。テーブルの上には、パン、魚、皿、ピッチャー、そしてボールが明確に描かれています。」
大きなカギをこれ見よがしに担いで自己主張に余念のないピエトロさんが見所でしょうか、笑。
荘厳のキリストの向かって左。

「磔刑。キリストは、両端が広がった形の十字架(Pattee)の上に描かれており、一部はエメラルド、一部は黒で、獣脂の雫のエメラルドで装飾されています。マリアとヨハネが両側にいます。上部には、空には雲が広がって、太陽と月が隠されています。」

太陽と月は擬人化されていて、とても素敵。そして、各所に使われている青の色がとても良いですね。

磔刑ではありますが、マリアとヨハネの配置は、ビザンチンのデイシスの影響があるでしょうか。
かなり傷んでいるのですが、ここでのマリア、とても素敵。

ちょっとヒト的というか、合わせた手と、そして瞳がなくなっているんですけど表情が悲しみにあふれている様子で、改めて良い絵だと思います。
下の、天使の衣も美しい青です。

「下の方には、死者の復活。ひだの多い青いマントを着ている天使が付き添っています。」

「上の方に、12世紀のものですが、天国の様子が描かれ、サン・ペテロが選ばれた二人を護衛しています。」

「下の方に、聖ジャックの殉教。3 人の登場人物 (ヘロデ王、死刑執行人、殉教者) が、致命的な行為の瞬間性に対する恐怖に捕らわれているかのように見える大きなシーン。一人の天使の頭部が、王の頭の右側に見えます。それは、かつてなされていた絵の名残のアイテムとなっています。」
建物については不明ですが、フレスコ画は、これ以前にもあったということですね。それはどういうものだったでしょうね。
ところで下世話なこと言いますが、脚線美ですよね、笑。
ヘロデ王なんかマントをはねのけて、ほっそりした長いふくらはぎをこれ見よがしに見せてます。死刑執行人も、黒のレギンスに覆われた素敵なおみ足。なぜ、男性の脚線美推しはなくなってしまったのでしょう。
ということで、写真が多くなったので、続きます。
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- 2023/09/16(土) 20:21:18|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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