2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その87(ロワール)
次はどこに行こうか、となった時、最優先事項は生理現象でした、笑。これについては、度々書いておりますが、マジ切実な問題ですよね。特に小さな町村だけ回っていると、バールすらないし、公衆トイレにもお目にかかれません。
この日は、早朝から動いて、この辺りで12時近くになっていましたが、一切チャンスがなく、厳しい状況だったのです。
そのため、近くて、比較的トイレにアクセスできそう、というポイントで決めました。
フェリエ―ル・アン・ガティネFerrieres-en-Gatinais という村です。
水場が村の中に散在し、何とも美しい村。
ここは是非、クルマを村の入り口に駐車して、ぶらぶら歩くべきですね。
ポイントごとに簡単な説明版が立てられていて、決して観光地ではないと思うのですが、町の誇りみたいなものを感じると言いますか、美しいのは、美しく保つ努力や住人の気持ちの反映なのだろと思わされます。
せっかくなので、説明版にあった村の歴史を記しておきます。
「町と修道院
ガティネのかつての宗教的中心であったフェリエールの誕生とその名前は、クレリー渓谷に露出した鉄鉱石に由来します。
この修道院は、アイルランドの修道士聖コロンバヌスの弟子たちによって 8 世紀半ばに設立され、センス教区の管轄下にありました。
9 世紀は、ベネディクト会の改革を採用した修道院の最も輝かしい時代でした。その先頭には、アーヘン宮廷に関連したカロリング世界の重要な人物、アクイン(794-804)、アルドリック(821-829)、ループ・セルヴァト(841-862)が列挙されています。その後、修道院は、その写本館 (写本師の工房) と、イギリス諸島との交易を可能にしたノルマンディーのカンシュ湾の交易所のおかげで、計り知れない精神的影響力を享受しました。
12 世紀から 13 世紀にかけて、修道院はサン ピエール教会とサン ポール教会の再建を特徴とする新たな繁栄の時代を迎えました。
百年戦争と 1427 年のイギリス人による修道院の焼き討ちの後、修道院の建物を再建したルイ ド ブランシュフォール(1478-1505)によって精神的および物質的な生活が再確立されました。宗教戦争の後、ノートルダムへの巡礼を再開したのは大修道院ドン・モーリンでした。そして、革命によりすべての僧侶が不在となり、建物は国有財産として売却され、一部が破壊された。
現在、歴史的建造物に分類されている 2 つの教会は、教区礼拝への割り当てによって救われています。
フェリエールの町の地図は、その歴史をよく反映しています。南側には、平面図が円形の修道院の囲いがあり、回廊や複数の修道院教会に囲まれたサンピエール・エ・サン・ポール教会、ノートルダム・ド・ベツリーム教会を保護しています。
僧たちによって人工的に作られた川が、城壁のふもとに沿って流れています。
フェリエールの町は後に、この最初の囲いに接して八角形のレイアウトで発展しました。1530 年から 1552 年の間、丸い塔を備えた囲いによって保護され、そのほとんどが今日でも保存されています。」
「フェリエ―ル・アン・ガティネの修道院全体像
修道院の中庭はかつてベネディクト会修道院の中心でした。実際、中央のオープンエリアは回廊のエリアにほぼ対応しており、当初は 4 つの屋根付き回廊で構成されていました (教会の南壁と東側の建物でこれらの柱がいくつか破れているのがわかります)。この回廊はコミュニティ生活の重要な場所として機能しました。
東側の建物の 1 階には、15 世紀末にルイ ド ブランシュフォール修道院長によって洗練と節度をもって再建された参事会室、食堂、厨房が残っています。
大階段は1階にある僧寮に続いていました。翼廊の南側の腕にあるドアからは、夜の礼拝のために教会に直接アクセスできました。
回廊の西側の翼に沿って、原始的なカペー朝の城があったと思われる場所に、修道院長ルイ・ド・バルンシュフォールによって建てられた修道院宮殿が拡張されており、華やかな扉だけが残っています。修道院の建物の後ろには、信徒の兄弟のために確保された小さな回廊の遺跡と、修道院長の家(17世紀)と呼ばれるパビリオンが今でも見ることができます。」
ざっとこういう感じで、立派な修道院であったことが分かります。
さて、目的は、その修道院の教会となります。
サン・ピエール・エ・サン・ポール教会Eglise Abbatiale Saint-Pierre-et-Saint-Paulです (教会のお隣りにあるメリーの裏に待望のトイレがあり、それもきれい!是非、お借りしましょう)。
「セント ピーター & セント ポール修道院教会は、その独創性で常に注目を集めてきました。12 世紀に再建された翼廊の交差点では、建築家はラテン十字の建物に例外的な八角形の計画を採用しました。これは間違いなく、修道院長アルドリックによって建てられたカロリング朝の教会の採用であり、それは、エクス・ラ・シャペルの王宮パラティーノ礼拝堂を模倣したものです。8 本の放射状のリブ付き枝で作られたヴォルト構造は非常に注目に値します。
正門に続く階段を上がる前に、現在は壁で覆われている小さな扉に注目してください。これはいわゆる「教皇」の扉です(教皇がフェリエールに来るときのみ開きます)。それは、現在は破壊されている側廊と連絡しており、そのアーケードは教会の内側に見ることができます。建物から独立した鐘楼は、プレロマネスク様式、ロマネスク様式、初期ゴシック様式、そして最盛期ゴシック様式の 4 段階で建てられました。」
説明版に図面がありました。
水色が4世紀以前、グレーが4世紀、ピンクが12世紀、黄色が12世紀初め、そして黄緑が15世紀とあります。ということは、後陣と付近の一部を除いて、ロマネスク時代の建築ということですね。
でも、実際の内部の様子は、あまりロマネスク・テイストは感じられないものとなってしまっています。
遺構はありますけれども。
例えば下の埋め込まれてしまったアーチ構造は、往時側廊があった名残でしょう。
なくなってしまった側廊が、教皇専用の扉とつながっていたということなのですね。そして何より、往時は、もっと広々とした本堂だっということですね。
現在は、開口部がやたら多く、本堂は狭いため、やたらに外光で明るいというロマネスクとは思えない様子になっています。
修復なのか、再建なのか、ロマネスクの柱頭もあります。
立派な祭壇がありましたけれど、これは確信はありませんが、ローマ時代の石棺ではないかと想像します。テイストから勝手に行ってるだけです、笑。少なくとも中世ではないですよね。
扉口には、とても繊細な柱頭が並んでいました。
沢山の老人風。黙示録ですかね。それにしても、ごちゃごちゃとした彫り物、これよく破壊されなかったですね。内部の祭壇でも、顔が削られていたので、この柱頭が無傷というのが、ちょっと不思議。祭壇が、他から持ってこられたものなのかな。
外壁にも、側廊アーチの名残が見られました。
いくつか、楽しい軒持ち送りも見られましたが、装飾的な遺構は本当にわずかです。
ちなみに、すぐ向かいに、もう一つ教会があります。
サン・ピエールのファサードに向かって、円筒形の後陣があります。結構目と鼻の先。
ノートル・ダム・デ・ベツレーム教会Eglise Notre-Dame-de-Bethleemです。 見た感じ、ロマネスクっぽくないし、事前にもスルーしていたのですけど、この教会、歴史は相当古いようで、創建は5世紀に遡るみたいです。
その後、例によってフン族とか宗教戦争とかいろいろあって、損壊再建を繰り返しているため、全体としては魅力があるとは言えない建物となってしまったようなんです。が、軒持ち送りが面白いです。
装飾的アイテムとしては、この軒持ち送りが、一番魅力的かもしれないですね。気が付いてよかった。というか、事前にノーチェックだったから、正面になければ、まったく分からなかったです。
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2023/10/27(金) 20:44:47 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その86(ロワール)
今度は、7,8分南下します。
この辺りは、結構近い地域にいくつもあるので、最初からきっちり予定は決めず、いろんなことを考慮して、進んでいってます。
この修行旅では、大体そういう行程になるんですよね。教会の開いている時間が明確でなかったり、実際に行こうとすると、道がやばそうだからあきらめたり、常にプランBがスタンバっている状態です。
そして、運転もしながら、合間合間に、美しいもの楽しいものに出会って、感覚も刺激され…、ということは、結構左右の頭を使っているかもしれず、とすると、ボケ防止にも良いかもしれず…、笑。
と、期待しています。
ジロールGirollesのノートル・ダム・ド・ラサンプション教会Eglise Notre-Dame-de-l'Assomptionです 。
そして、ここもなんと。
さらにシンプルですが、ポルティコ構造でした!
前回の解説で、シャンパーニュ地方がどうとかありましたけど、この地域にも十分多いんじゃないのか?
現地にあった、非常に簡単な説明版には、やはり、プレフォンテーヌ同様の、Porche-Caquetoirという言葉で、このポルティコを説明していました。
ポルティコに続いて、またもや、というのが、実はここの教会も、しっかりと閉まっておりました。この日訪ねた教会四つ、すべて拒否されております。
入場不可が続くと、心が折れ曲がってきて、先に進む意欲もどんどん削られていきます…。
でも、実はこの教会は、強力なアイテムがありまして、だから、開いてなくて全然平気なんです。
「12 世紀に建てられたロマネスク様式の教会、Porche-Caquetoirを伴う。
ポータルの上には、神秘的な子羊を表す上品なタンパンがあります。聖ヨハネの黙示録にインスピレーションを得たこのシーンは、古い秩序の消滅と新しい世界の到来を思い起こさせます。これはガティネに現存する唯一のロマネスク時代のタンパンです。」
そう、このタンパン目的だったので、ここに関しては、クローズが全く苦にならなかったんです。
ただ、今写真を改めて見て、ちょっとびっくりしました。
現場での感想は、とにかくかわいい!萌え!的なものだったんですが、改めて見ると、結構いかついんじゃね?って思って、笑。
ディテールを見てみましょう。
キリスト、光背がすっごく立派に彫りこまれてますね。
でも、これって、怖い話するときの、下から懐中電灯当ててるやつ…?ちょっと怖いし、ずらをつけるときの頭カバーみたいのつけてる感じの線が走っているのも変…。
ただ、すごく意志が固そうな、俺は動かないぜ的な空気感がすごく出てます。
左手で握っているのはつる草。その下の方に、グリーンマンみたいなフィギュアがあって、頭がなぜか螺髪に見える…、笑。
実は、向かって右手の方にもグリーンマンがいて、吐きまくってるんだけど、螺髪っぽいのよね、この人も。
この人は歯並びもすごくて、消しゴムハンコ経験から言うと、こういう粒粒の規則的なモチーフにはまっちゃったのかもしれないなって。性格にも寄ると思うけど、そういう規則的な彫りって、時々はまると、次々やりたくなっちゃうのよ。で、頭も螺髪化したかと、笑。
消しゴムハンコと石工さんを一緒にしちゃいけないかもしれないけど、ま、いつもの妄想。
で、歯並び自慢のグリーンマンの下の方には、キメラがやっぱり吐いてる様子。
そして、真ん中に全然かわいくない神の子羊。
やっぱり、可愛さはあまり感じられないのよね。
でも現場のメモでは、”ロンゴバルド・テイストが感じられるフィギュアもあって、とにかくかわいい!このためだけに来る価値あり!」と絶賛してました。きっと、こうして写真として二次元になっちゃった状態で見るのと、現場でちゃんと三次元で見る違いというのがあるんだろうと思います。
植物モチーフなども、確かにロンゴバルド・テイスト、要は古びを感じさせるものがありますよね。端っこのキメラとかもね。多分そういうことなんだろう。
開口部が小さめで、こもり感のあるポルティコです。
柱頭の彫り物は、やはりシンプル。そして、お花で飾られているのも、前回と同じで、こういう心遣いが、教会のたたずまいを美しくしているのですね。村の人に、感謝したくなります。開いてないけどもさ、涙。
この教会は、丸い後陣を持っていました。ちょっとずんぐりしていて、童話の世界のテイストですね。かなり修復されているものと想像しますけれど。
ここの見学も10分足らずで終了です。
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2023/10/24(火) 20:44:52 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その85(ロワール)
オープンエアのタンパンは置いといて、朝から二連荘で入場を拒否されており、笑、まぁ、ありがちなことではありますが、若干ダウナー気分になりつつ、さらに東方面に20キロ強進みます。
おそらく、さほど重要な教会ではなく無理に行く必要はなかったと思うのですが、事前に調べた自分なりの見学ポイントが”たたずまい”とあり、なんとなく行ってみようかと思って訪ねた場所です。前回訪ねた教会のたたずまいが、予想外によかったことも後押しになったかもね。
プレフォンテーヌPrefontainesのサン・ジャン・バプティスト教会Eglise Saint-Jean-Baptisteです。 なんと!これまたポルティカーダでした!
そっか、自分、このスタイルが好物なんで、それで多分たたずまいよし、と記しておいたんだなって分かりました。
それにしても、このスタイル、多いですね。
残念ながら、現場には説明は一切なく、ただ、写真とともに、以下の看板が置かれていました。
”Eglise Saint-Jean-Baptiste au Porche-Caquetoire romane, classe du XIIeme siecle.”
12世紀のロマネスク様式のポルティコを持つ教会、ということですが、このPorche-Caquetoirというのが、どうやらその建築的名称になるようですが、うまい日本語訳は探せませんでした。こういう専門用語は、自動翻訳では、まず出て来ませんね。
私の手持ちの小さな日仏辞典では、Caquetが、鶏がコケコッコーと騒ぐみたいな意味なんですよね。ということはその派生語ではないのかな。鶏小屋みたいなイメージから来たのかな、とか、例によって妄想するしかありませんね。
日本の大きな書店で、大きな日仏辞典があったら、確かめてみようと思います。
いずれにしても、やはり手持ちの本に出ていたわずかな解説では、以下のように書かれていました。
「ここでは例外的なプレフォンテーヌのポーチは、シャンパーニュで一般的な同様の構造に似ているようです。」
シャンパーニュというのは、おそらくシャンパンの産地のあの、シャンパーニュですよね。確かロマネスク的にはあまり見るべきものがないと認識しているのですが…。
とてもシンプルな田舎の小さな教会ですが、とにかく美しく保たれている様子が、好感度高いです。
お花がきれいに飾られていて、いつでも結婚式スタンバイ状態、笑。
熱心にお世話している信者さんがいるということですよね。そういう気持ちが、全体に漂って、もともとかわいらしいたたずまいの格を、さらに上げているといった様子です。
そういった思いを反映しちゃってるのかもしれないのが、この扉で、木製の扉を閉めるだけでは飽き足らず、何ともいかつい鉄柵が、固く錠前で閉ざされていて、鍵穴にアクセスすることも不可!
確かに、奥にある木製扉は、しょぼい様子だから、頼りない、と思われたのでしょうし、実際に何か狼藉がなされたのかもしれないけど、教会という施設がこういった閉ざされ方をしていると、ちょっとどうよ、と思ってしまうところはあります。世の中には雷に打たれることをも恐れない悪い人がいるわけだから、仕方ないけどね。
あ、書きたかったのは、そういうわけで、入場はできなかったし、内部の様子をうかがうことも不可だったのですが、
引きの写真がなかったので、上はグーグルさんからお借りしたもの。
農村の中の教会という雰囲気が、よく分かると思います。
回り込んでみたら、鐘楼のでかさにびっくりです。
後陣は、平らで、面白みのないタイプです。
でも、どこから見ても、周囲の緑も整備されているので、とにかく美しいですよね。
ということで、見学は数分で終了しましたが、かわいかったので、それなりの満足感を得ることが出来ました。でも、入場不可、いよいよ三連発です。
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2023/10/19(木) 20:42:24 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その84(ロワール)
いろんな意味でがっかりした前回のピティヴィエから、さらに東に20キロ弱行ったところが、次の目的地です。
ボエスBoessesのサン・ジェルマン教会Eglise Saint-Germainです。 とても美しいファサードですよね。
前にも書きましたが、こういうスタイルって、私にはどうしてもポルティカーダってスペイン語が出てきてしまいますが、フランスにも結構あるのですね。
上の写真だと、自然の中にあるようにも見えてしまいますが、結構町中なんですよ。といっても、住宅しかないような、小さな村ではありますが。
住宅と変わらない規模のメリーがあって、その裏側に見えている塔が、教会となります。
決してアクセスしにくい場所とかではないのですよ、言いたいのは。
それなのに、この、私の好きなナルテックス構造の部分がね、鳩の住まいと化しておりまして、すさまじかったです。少なくとも私の訪ねた2019年夏は。
臭いし、このナルテックスに入って、本堂の扉にアクセスするほんのわずかの距離、時間でも、フンが降ってきそうで、すごくいやな感じでした。
こうして写真で見ると、まず匂いがないし、外側は結構整備されているから、とてもそんな様子には見えませんよね。
むしろ、小ぎれいで、きちんと維持管理されている様子に見えます。
確かに、構造物に関しては、修復もされているでしょうし、ちゃんとしてますよね。
でも内部は…。
といって、写真では、全然分かりませんから、ちょっと驚きました。
床面の白っぽい点々がすべて分ですから、本当にくさい…。そして、右側にある扉口に向かう道すべてがフンで真っ白状態なので、ぽっとんが危惧されたのも、分かっていただけるかと。
昔、どこだったですかね。後陣側に緑地が広がる素敵な要塞的な教会のファサードが、もっと背の高いナルテックス構造で、でも最初に訪ねたときは大修復中で、最後のフェーズだったですかね、すでに工事はほぼ完了していたようですが、おそらく工事の間に、ナルテックスが鳩の巣になってしまっていて、やはりすごく臭くて、いやだったことがありました。
数年後訪ねたら、修復が終わっていて、とてもきれいになっていましたけども。
という経験からは、もしかするとここも、修復工事が何かで、人のアクセスのない時期があったりして、それで鳩に乗っ取られたとか言う経緯があるのかなぁ。
まぁ、そんないやな思いをして、扉まで、なるべく素早く、またフンを避けて近寄りましたが、さらにがっかり感に追い打ちで、クローズでした。
扉脇の柱には、小さくて地味ながら、植物モチーフの柱頭が置かれています。それ以外はアーチもシンプルだし、、タンパンもないし、地味ですねぇ。
鍵穴があったので、内部を見て、撮影もしてみましたが、全体に白塗りで、のっぺりと全体に新しくぬりぬりされている様子でした。
扉が開いていれば飛び込めますが、ぽっとんが怖いので、扉からは瞬殺で離れました、笑。
ナルテックスの柱頭は、植物モチーフや、顔の浮彫が施されています。
北壁。
からの、後陣。
扁平だし、窓はとんがりなので、この辺りはすでにゴチックになっているようです。鐘楼も、上の方は新しそうですね。
酸っぱい葡萄じゃないですが、見所はナルテックスだけではないかと想像します。そういう意味で、鳩害は、さらに寂しいことですねぇ。
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2023/10/16(月) 20:41:19 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その83(ロワール)
一日のトップが、予定外の村の訪問となりましたが、その後は、もともとの予定に従って、爆走です。
前回のタンパンの村から、ほぼ東に向かって40キロほどの町が、次の目的地だったのですが、ここは手こずりました。
目指したのは、
ピティヴィエPithiviersのサン・ジョルジュ参事会教会跡Vestiges de la Collegiale Saint-Georges でした。
住所も分かっていたし、目的地至近に駐車場もありそうというところまで分かっていたのですが、確か、まず目指していた駐車場がかなり街中っぽくて、アクセスをためらって、ちょっと離れた場所に停めたところから、つまずきだし…。
ま、歩いてアクセスも好きだし、とぶらぶら歩いて、目指す住所にたどり着くも。
なんか小ぎれいな駐車場の広場だし…。ぐるりとしても教会らしき影も形もなし。
どゆこと?と狐につままれた気持ちで、相当うろうろしたし、通行人の方、数人に尋ねたのだけど、誰一人として、私の目指すものを知っている人はおらんかった…。
最終的に、どうやらここか、と特定できたのは…。
公園でした。おそらく、この中に何らかの形で残されているのでは、と想像しましたが、なんと、訪ねた日曜はお休みで、この鉄柵で固く閉ざされていたのです、涙。
しかし、公園が日祝休みって、発想が理解できないんですけど…。
旧市街は高台にあるような感じで、これらの跡がありそうな公園も、もともとはダンジョンなんかもあったお城などの建物のあった場所らしくて、立派な城壁が残っていて、高低差があります。
そこで、何か見えないか、と城壁の下の道を歩いてみたり、同レベルの並行した道を歩いて(緑の線を入れたあたり)、隙間からの眺めも探ってみたのですが、まったくの無駄でした。トップの写真が、城壁の下の方から公園を見上げた様子です。
多分、清潔感あって、しっとりした素敵な町。でも、なんか、大した見所があるわけでもない中で、それなりの観光資源でもある場所を、町の人が誰も知らないっていうのは、ちょっと残念なことだし、実際、表示とかも何もなかったと思うので、それも残念ですよね。
確か、ピティヴィエって、お菓子があるよね?昔、ゲイのパティシエが出てくる西洋菓子店を舞台にした漫画で、知った気がします。甘いもの好きだったら、きっとお菓子も探したかもしれないけど、旧市街は死んだような様子で、お店も見当たらなかったよ。日曜だから、仕方ないと言えば仕方ないけど、フランスは日曜でもパン屋さんだけは、イタリアのバール並みに勤勉に働いている国だから、お菓子で有名なくせにそういうところもないっていうのは…。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態ですね、笑。
今更、ネットで確認したのだけど、やはりどこにあるかもよくわからなければ、アクセス可能なのかどうかも分からない半端な情報ばかりで、相変わらずらしい。でも、内部の様子は、ちょっと古そうで、つまり私が好きそうな…。
ぐやじい。
何より、何一つ見ていないのに、この町の記憶すごくあるのが、逆に悔しい、笑。
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2023/10/14(土) 20:07:20 |
未分類
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その83(ロワール)
次に訪ねた場所は、オルレアンでランデブーした、在フランスの友人に教えてもらわなければ、私には一生出会うことのできなかったところです。フランスのロマネスクに詳しい方々は、何らかの情報源をお持ちのようですが、ロマネスク情報のバイブルとされているゾディアックにも掲載されていないということでしたから、私など、情報にすらアクセスできなかったでしょう。
これがまた、すごい場所にありまして、事前に聞いてはいたわけですが、それでもかなり驚愕しました。
ジャンヴィル・アン・ボースJanville-en-Beauce (Allaines-Mervilliers) のメルヴィリエ教会のタンパンTympan et piedroits de l'ancienne eglise de Mervilliers です。
すごい場所です。友人に丁寧に教えてもらってなお、アクセスまではうろうろしてしまいました。といって、とても小さな村の小さな広場なので、うろうろする場所すらさしてないのですが、それでも、目視できない場所に隠されているので、あそこだ!と確信をもって突進するようなことが出来ないんですよ。その上、超早朝とかの変な時間でもないのに、住人がいるのかどうか、いや、住居らしい町並みがあるんですが、生活音もなく、人の気配ゼロ…。つまり、尋ねることも不可、という状況でした。
今後行かれる方の便宜のために、詳細を書いておきますね。
住所は、3 Place du Calvaire, Janville-en-Mervilliers(Allaines-Mervilliersと聞きましたが、今グーグルで検索すると、Janvilleと出て来ますので、ナビなら、どちらも試されるとよいかと)。
その住所で、私は車のナビでも、下の小さな広場にたどり着くことが出来ました。
真ん中に三角の緑地帯がある、とても小さな広場で、三角の一番短い辺の方が、農家らしき、とても大きな敷地となっています。鉄柵で閉ざされています。
この手前の車、マイカーですね。
マイカーの後ろにある建物が、まさに目指す場所なんです。
なーんにも書かれていませんよ。
鉄柵の方に行くと、右手に、古ぼけた扉があります(グーグルの地図上に、赤く印をつけたところ)。
相当傷んでる扉で、自転車のタイヤチューブみたいので、勝手に開閉しないようにとめてある。でも、こうして見た感じでも分かる通り、結構しっかりとめてあるんで、私有地感もすごくて、ほんとにここ?入っていいんだっけ?不法侵入で怒られん?と躊躇させる雰囲気満載ですよ。
でも大丈夫(多分、笑)。
チューブを外せば、扉が開きます。入れば、中は放置された原生園…。
いやもう、唖然でした。腰の高さ以上に、雑草が生い茂り、足の踏み場もない状態の土地なんですよ。なんだっけ、これ?と目が点になりました。
お宝は、すぐ目に入るので、すぐに覚醒しつつ、呆然自失の気持ちも消えないほどすごかったです。
そして、先走って記しておきますと、この、外と隔絶された一角、かなり高い塀で囲まれており、先ほどの扉が唯一のアクセス口となります。
扉を閉めているチューブ鍵は、外側の釘みたいのに引っ掛けるようになっていて、中からは閉められなかったんですよ、私が入った時には。風でバタンバタンしてたけど、どうにもならず。
万が一、一瞬の強風とか何かの拍子に扉が閉ざされてしまったら…、近所の人が、バタンバタンうるさい!と掛けだしてきて、外から扉を閉められてしまったら…、などと考えてしまいまして…。この辺は、おひとり様生活をしていることによる切実な問題意識でしょうかね?
そこまで考えておらず、面倒だから、自宅のトイレに入るときは、ドアを開けっぱにしていますが、ある時、何が起こるか分からないから、トイレのドアはきちんと閉めないおひとり様が多数いることを知り、びっくりしたことがあります。
実際に、何かの拍子に扉が開けられなくなって、閉じ込められて往生した、という話、結構あるみたいですよね。
まぁそんなことが、どうしても頭から離れず、怖くて、あまりゆっくりじっくりと、ブツを鑑賞できなかったのは痛恨でした…。でも、同行者がいたとしても、きっと交代で見ることになるから、いずれにしても落ち着いて見られなかったかな。もっと心ゆったりと余裕のある行動をとれる人になりたいもんですが、かといって、閉じ込められたらシャレにならんしねぇ…。
おっと、実用情報、長くなりましたが、こんなとんでもないところに、冒頭のタンパンがあるんですよぉ。
すごくないですか?
では、簡単な解説など。
「Saint-Fiacre教会の南壁に埋め込まれたタンパンは、今日では、農家の私有地になってしまっている。タンパンと扉の一部が残され、今では、農家の納屋の壁となっている。横幅173センチ、縦90センチに、浮彫が施されている。」
ということは、奥の方が後陣だったということになるので、教会の建物ごと、農家の所有となって、納屋として使われたということなのでしょう。反対側が農家の敷地に面しているようなので、こちら側の扉は不要のため、塗りこめたということかな。こちら側の建物の周囲も農家の土地なのでしょうから、それで高い塀があるし、それで、誰も気付かず、放置されたということかな。博物館等に持っていかれるからよしだけど、一般人の手にわたって、ひっくり返して石版として使われるなどということがなかったのは幸いでしたよねぇ。
タンパンは、上部と下部、二つの部分が横帯になっているようです。
上が天上、下が地上の絵巻です。
天井では、中央でキリストが祝福しており、両脇の天使は、香炉を振っているようです。
ぱっと見、全体の印象はプリミティブなのですが、よく見ると、顔の彫りなど、かなりしっかりとしていて、12世紀のものというのもうなずけます。
天使の上にあるのは、甲羅とか伊勢エビとか、いずれにしても甲殻類的な印象ですが、なんでしょうか。たなびく雲だったりするのかなぁ。
下は、寄付の場面とありました。
分かりやすい解説を見つけられなかったので、間違っているかもしれないのですが、左側にいるのは、全身鎖帷子の兵士。彼が、玉座に座った聖人に、教会への寄進をしているようです。聖人の右側にいるのが司祭のようで、その司祭に寄進のことを伝えて、許可しているシーンとありました。
騎士と司祭は、領土をつかさどる役割を担うフィギュアであると。
騎士の後ろには、その盾持ちが控えています。
司祭は、聖杯の置かれた祭壇側にいます。
そしてその脇の方では、場面に背を向ける書記がいて、垂れ幕になる字を書いた巻物に寄付の条件を書いています。
祭壇の上には、神の手が見えます。
そして、書記が手にしている巻物が面白いですよね。タンパンを取り囲んで書かれている碑文と融合していますね。この碑文に、寄進の内容が書かれている、ということになるようですから、このオリジナリティはすごいな。
碑文を読んでみようと思いましたが、やっぱり無理…。文さえ読み取れれば、今は自動翻訳でラテン語だってお茶の子だから、残念ですが、現代イタリア語でも、現地人の書く汚い字だともう読めない私には、手ごわすぎます。
それにしても、こんな素敵な彫り物が、南扉にあるということは、メインの扉とか、内部の柱頭とか、どれだけのものがあったか、ということなんですよ。夢の跡ですなぁ…。
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2023/10/13(金) 20:18:36 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
| コメント:2
2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その82(ロワール)
オルレアンOrleansでのガイド・ツアー、
クリプト・サンテニャンCripte Saint-Aignan 、続きです。
前回は、主に歴史のお話となってしまいましたが、今回は、本来の目的であるクリプトを見ていきます。
クリプトとはいえ、上部のように、普通の教会のような構造となっております。構造的には、まさに普通の教会同様で、内陣の内側に聖遺物が置かれ、信者は、その周囲を取り囲んでいる周歩廊から、レリックを拝む、ということになっていたようです。
クリプトは、どこでもやはり狭いものですから、全体を撮影するの、難しいですね。ということで、ポイントで押さえていきたいと思います。
ここで、最も面白いのは、隠されていた柱頭と思いますので、まずは大好物から頂く方式で、そこから始めます。
ちょっと分かりにくいのですが、これが、正面から内陣を見た様子と思います。
角柱がドカン、とあるわけですが、実はこれ、後代に補強のために、もともとの円柱を囲むような形で角柱にされてしまった、というやつ。上物の重さに耐えきれなかったとかそういうことらしいです。
カニグーのクリプトなども、確かそういうことがありましたし、補強によって、本来の姿が変容というのは、特に起源が古いクリプトでは多数見られますね。
「サンテニャンのクリプトは、11世紀に建てられた建造物の唯一の名残である。
クリプトの周辺は、11世紀の前半30年内とされている。上部の教会の再建工事が15世紀に実施された際に、強化工事がほどこされている。」
「現在の床面は2メートルほど持ち上げられているため、クリプトは半分ほど埋まってしまっている、そして、奥行きのある開口部からの光で照らされている。
北と南の二本の通路からアクセスし、南身廊への入り口は、15世紀に開通している。
そのサイズは、長さが17メートル、高さが4.5メートル。後陣は、五つの小後陣を持つ周歩廊を持つが、サンテニャンの祭壇の東に置かれている。プレロマネスクの時代に遡るこれは、おそらくこれ以前の建物の名残であろう。その床面は、クリプトのそれよりも60センチほど高いのだ。
長さは8メートル、幅は2メートル、高さは2.9メートル。トンネルヴォルトが使われており、小さな扉を通じてアクセスできる。小さな窓を通して、レリックを見ることが出来る。その壁、そして二本の円柱、内一つには装飾された柱頭が置かれているが、壁に埋め込まれているおそらくそれらは建築資材として再利用されたものであろう。
クリプトの東側は、半円の形をした小後陣を持つ交差ヴォルトで、完全なアーチ状となっている。三つの身廊を持つ中央の後陣は、もともとはそれぞれ6本の円柱の二列を擁していた。うち二本は埋め込まれてしまったが、強化工事は、それらを角柱に変容させた。発掘工事で、柱頭とオリジナルの円柱が見つかったのだ。」
角柱の中から、円柱が姿を現すくらいなら、お、程度でしょうが、なかなか興味深い彫り物のある柱頭が出てきた日には、おおおお!となったことでしょうねぇ。ちなみに、柱イン柱が発見されたのは1950年、ほぼ現代です。こんな町中でも、見つかっていない遺構があるんだから、ヨーロッパの歴史って、測り知れないですね。
「二つの怪物が両脇にいて、裸体のフィギュアが置かれている。怪物は、おそらくライオンで、その頭は火を噴いている。脇に、やはり裸体の男が二人、内一人は、剣を構えていて、怪物の一人を攻撃しようとしているようでもあり。一方、もう一人は、逃げようとしている。」
「壁に埋め込まれてしまった柱頭には、すべての四つに彫り物がなされている。一つは、彩色がされており、黄色、赤茶が黒い背景の上に置かれ、印象を強めている。いくつかの彫刻は11世紀半ばを彷彿させる。」
彩色が、一部だけど鮮やかなのは、やはりずっと覆われていたからなんでしょうか。一筆書きのような彫りを、彩色で印象付けるっていうか、ある意味プリミティブな技術ということもあるのかもしれませんが、そのくせ、お手々が指のスジスジまで彩色で書いたりする繊細さがあって、面白いですよね。
これなど、スペイン北部カンタブリアにあるプレロマネスクの教会装飾を彷彿とする縄目模様ですね。古さが伝わってきます。
「他の柱頭には、いくつかはシンプルなパネルだけ、他は棕櫚モチーフ、バラ、ヘリンボーンモチーフ、またはとてもプリミティブな様子のモチーフとなっている。」
それにしても、見えそうで全容が見えないストレスたるや…。
チラリズムというのか、日活ロマンポルノ的というのか、じらされて、さらに見たくなるやつっていう…、笑。
なんせ補強ですから、簡単に取り除くことはできないんでしょうけれど、現代の技術をもってすれば、可能な気もしますよね。とはいえ、この武骨な補強を取り除いても、結局何らかの支えは必要なわけだから、鉄骨なりが入るとなると、同じことなのかもね。
そうそう、上の方で、内陣を取り囲む壁に開口部が設けられていて、そこからレリックを拝んだ、と書きましたが、それは多分、これだったかな。
違うかもしれません。
いずれにしても、当時の人たちは、身体が小さかったと思うので、ずいぶん高いところにあるんだな、と思ったんですよね。というのも、162センチの私が、やっとのぞけるくらいの高さだったんです。
この辺の人たちは、北方からの人を起源に持っていたりして、意外と大きかったのかな。あ、バイキングとかにも襲われているとありましたから、そういう血も入っていたりしてね?
こんなに狭い場所なのに、例によってシステマティックな撮影をしていないから、ちょっとしたことも分からなくなっちゃうのは、困ったものです。図解入りのメモを残しているのに、それでもなお分からないとは…。
ガイドの説明がもうちょっと分かれば、理解が深まったとも思うのですが、仕方ないです。余計な地下都市ツアー的な説明も多いですが、そういったことを我慢してツアーに参加する意義はあったと思います。
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2023/10/10(火) 20:54:42 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その81(ロワール)
オルレアンOrleansでのガイド・ツアー続きます。次は期待の大きかったクリプトとなります。
オルレアンOrleansのクリプト、サンテニャンCrypte Saint-Aignan です(オルレアンの観光庁または他組織を経由して、ガイドツアーに参加する必要あり)。
前回のクリプトよりは、サイズ的には普通なアクセスですが、知らなければまったく分からない様子なのは同じですね。まぁ、こちらは、ゴシックバリバリの後陣がお隣りにあるんですけど。
ここは上物教会があるのですが、教会内部からのアクセスはないのです。
そして、現地では、教会の話も、もしかするとガイドさんからあったのかもしれませんが、フランス語なのでほとんど聞いてなくて、今回初めて歴史的なことを読んで、ちょっと哀れを覚えたものです。
古い建物は教会にかかわらず、歴史に翻弄されてきておりますけれど、このサンテニャン教会は、翻弄され度合い相当激しい…。
歴史にご興味なければ、今回の記事はここで閉じて、次回をお楽しみに…。
「歴史
史実と伝説が混ざった言い伝えでは、年老いた司教エニャンが、ロワール川の一握りの砂をスズメバチの一群に変身させるという奇跡を起こしたことで、フン族が、サン・ピエール教会(ローマ時代の神殿跡に建てられた教会)の壁の下で進軍をやめたとされている。伝説では、スズメバチが、フン族の軍隊を敗走させたこととなっている。
その後エニャンはローマの将軍フラヴィオ・エツィオの軍に征服される(ローマ帝国が崩壊する時期であり、帝国の権力が無力化している中、ローマ軍の到着は非常に遅かった)。オルレアンの司教がするべきことは、虐殺を回避し、すでに実施していた助けを求めることだけだったのだ。ローマ軍の到着が、すでに終わったという状況の中、奇跡を起こすこととなった。
エニャンは、453年11月17日のあたりに亡くなり。この教会に葬られた。その後福音され、町の守護聖人、そしてオルレアン教区の守護聖人となった。」
ちょっと前の記事で、サンテニャン・シュル・シュエールという町の立派な教会を訪ねましたが、サンテニャンという耳慣れない聖人のことはスルーしたと思います。が、ここにきて、改めて御目文字を得た、というところですね。
ということは、あそこ近かったんだっけ?と改めて地図を確認しましたら。
決して近くないですね。100キロ離れておりまして、徒歩なら20時間超の距離、中世なら道も悪いでしょうから、もっとかかるでしょうね(グーグルに、徒歩に加えて乗馬での時間とか分かると面白いのに、とふと思いました、笑)。
ここの項でも、また、件のサンテニャン・シュル・シェールでも引用されていたトゥールも掲載してみましたら、オルレアンとロワール川でつながっているのですね。そして地図をよく見たところ、トゥールからサンテニャンも、ロワール川よりは小さな川でつながっているんです(地図上ではロワール川より相当細いですが、ストリートビューで確認したら、結構な川のようです)。おそらくそういう土地の関係で、石工さんの移動が容易だったことがあるんだろうな。
「最初の修道院と参事会
7世紀まで、サンテニャンは、サン・ベネディクト派とサン・コロンブス派によって管理される修道院であった。
9世紀に修道士たちが参事会の資格を得ることで、サン・ベネディクト派の規則の対象から外れた。参事会の生活は、完全な自営権を獲得するまで発展した。それは、一部は、オルレアンの司教であり、シャルル・マーニュの参謀でもあったテオドルフによるところが大きい。
規則によれば、メンバー全員が全体会議に参加しなければならず、ミサを行う待祭も含め、誰もが発言権を持つ(往時の待祭の役割は、現在とは異なり、教会のプロ合唱団に置いて歌うことであった。そのため、合唱団で歌う子供という意味の言葉となっている)。まとめられた人々の意見は、参事会代表者によって協議され、決議がなされたのだ。」
翻弄の歴史を理解しやすいように、箇条書きでまとめてみたいと思います。自然災害から蛮族系、宗教、といじめっ子要因は枚挙にいとまなし!
・865年:カール大帝のカロリング朝消滅の後、参事会は、バイキングに襲われる。
・999年:町の多くを焼失させた大火により、教会も、サンテニャンのレリックを保管する現在のクリプト以外焼失。
・1029年:ロマネスク様式のバジリカが、フランス王ロバート2世によって、12年の歳月をかけた後、再建された。
・1358年:百年戦争の最中、オルレアンは英国人に包囲された。人々は、英軍が、町の外にある教会を、塹壕のように使用するのではないかと恐れ、多くの教会をあえて破壊し、中にサンテニャンも含まれた。土地をならすのに、8日間かかった。
・1420年:再び再建された。
・1428年:町が再び英軍に包囲されたとき、これまた再びすべての教会が壊されてしまった。
・1439年:再び再建される。
・1562年:宗教戦争の間、革命者Giovanni Calvinoの信奉者であるユグノー教徒による略奪を受けた。彼らは、金のために、黄金が使われた聖域を占拠したのだ。その5年後、教会のほとんどは崩壊した。
・1563年:サンテニャンのレリックは、当時町を占拠していたユグノー教徒たちによる放火で、燃やされた。教会も火事となり一部が焼失。聖人のいくつかの骨は炭化したが、一人の合唱団員によって救い出された。守護聖人のレリックなしでは、教会は、その力や信仰を失ってしまう。
こういう変遷を見ると、ロマネスクの教会が、現在まで生き延びていることが奇跡のように思えてきませんか。まぁ、オルレアンは山間の村ではなく、交通の要衝でもある都会であったことが災いしているところもあるのでしょうけれど、満身創痍、いや、建物が建てられては壊され、略奪され、どこまでもいためつけられていて、辛い歴史を背負っていて、考えたら、それが町の歴史を反映しているのだろうから、オルレアンって、ジャンヌ・ダルクが出てくる何かがあったのかも、というところにたどり着きます。
歴史の面白さって、そういうところにありますよね。そういうことを膨らませていくと、時代小説みたいなことになって、わくわく感マシマシ、となるわけですね、笑。大好きな時代小説は、日本の江戸ものとなるわけですが、欧州を舞台にした時代小説だったら中世が面白いなぁ。修道士カドフェルあたりの時代物、面白い小説書いてくれる人いませんかねぇ。
ちなみに、歴史の中で参事会の言及があり、ちゃんと調べてみたんですよね、今回。といっても、手持ちの中世辞典の中で、参事会、参事会規則、参事員などの単語を調べた程度ですけれど。
参事会教会というのは各地にあり、これまでにいくつも訪問してますが、”参事会を創設することで、ベネディクト規則から離れることが出来る”、といったような記述がとても新鮮だったので、気になってしまって。
で、なるほどね、ということになりました。分かってなかったです。まだね、それを創設する過程とか詳細は分からないので、おいおい調べるチャンスがありますように、と思っています。
ちょっと長くなってしまったので、一旦切ります。次回は美術に戻りましょう。
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2023/10/09(月) 20:34:00 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
| コメント:0
2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その80(ロワール)
この時期、周遊していた地域のお天気はいまいちだったのだけど、持って生まれた晴れ女発揮しまくりで、何とか雨具を使わざるを得ないほどの雨は回避できてきたのですが、前回のサンテニャンを出るころから本格的な降りとなり、次の目的地に向かう道で、かなりやられてしまいました。雨で視界がけぶり、ぼんやりと運転していると、強烈な眠気に襲われ、という流れで、慌ててドライブインに飛び込むと、豪雨のために駐車場は満杯…。
こういう時、無秩序スタンダードなイタリアに住んでいてよかった、と思ったりするんですよね。駐車スペースにはなってないけど、ま、ここならよかろ、と割と当たり前のように堂々と駐車することに躊躇がない…、笑。
なんとか辿り着いた目的地は、久しぶりの大都会です。
オルレアンOrleansです。ジャンヌ・ダルクで有名な、あのオルレアン。
こんなばりゴシックのカテドラルがありますが、もちろん目的は全然違うところにあります。この、カテドラル近くの駐車場に入ろうと思ったのですが、大都会の印象に恐れをなして、中心部から1きろほども離れた住宅街の小路に無料駐車して、小雨の中てくてく歩いてアクセスしました。相変わらず、都会での運転は、気持ちがね、ダメなんですよね。どうしても避けてしまいます。
その上、トイレを借りようとしてカフェに入ったのですが、これだけ通ってなお、フランスの都会生活に慣れていないもんで、どうふるまったらよいのか分からず、カフェだけでよいですか?とかおどおど尋ねる有様…、笑。カフェなんだから、カフェでよいに決まっておろう?
でもさ、フランスのカフェって、総じてすごく立派で、特にこういった大都会のカフェは、サロン的なビストロ的なムード満載で、トイレ休憩の場合、イタリアのバールで立ち飲みが定番の私には、難しいのよ、カフェ一杯で座り込む、という習慣がさ。
イタリアのバールって、慣れてしまえば本当に便利なのよね。
立ち飲みだから安いし、私のように常に時間に追われる修行者は、正直有料でいいからトイレを借りたいだけ、ということが多く、座ることには興味がないので、さっとエスプレッソを頼んで、さっとトイレを借りて、ぐっとエスプレッソを飲み干して去る、というのが理想的。
その上、エスプレッソは、イタリア外ではダメなんだよね。これだけは、イタ飯のレベルが高い日本でもダメですな。将来日本に永久帰国したら、バールでのエスプレッソは恋しくなるものの一つだろうと想像します。
おっと、例によっての余談、長し。
本題へ行きましょう。
オルレアン、二つあるクリプトを訪問するガイド・ツアーに参加することが目的でした。事前に予約する必要があり、当時フランスにお住いの友人も参加するということで、現地でランデブーをすることとなっていました。
この旅の最初の晩にお世話になった友人との再会も、嬉しい予定でした。
このツアーは、オルレアンの観光局が主催しているもので、立派なサイトもあります。サンテニャンのクリプトCrypte Saint-Aignanと、サンタヴィのクリプトCrypte Saint-Avit二つがツアーのメインですが、地下都市探訪といった感じで、特に中世美術などに興味がない人たちが楽しめる内容となっていた感じです。いずれにしても、もちろん英語のみで、我々日本人が三名いても、フランス語大丈夫ですか、の気遣いは一切なしです。お約束ですけど、それにしても、どこに行っても同じなフランス人。人によって、多少親切な場合もあるのだろうけど、毎度毎度、なんだろね、この世界の中心カルチャーは、とあきれますわ。
今はかなりの広範囲で住宅も含めた街並みが広がっていますが、おそらく、環状線みたいのと川に囲われた地域が、往時のオルレアンの市外と思いますから、さほど広いわけではありません。
二つのクリプトの位置関係は、上の地図の通りで、もちろんかつては宗教施設が上物としてあったのですが、今は色々変わってしまっています。
ツアーは、まずは
Saint-Avitのクリプト からです。ちょっとびっくりしました。
このいたって普通の家並み。え?と思いませんか?教会など、影も形もありませんし。
グーグルさんからお借りした上の写真右側の壁に、小さな入り口のようなものがありますが、実はそれがクリプタの入り口となっています。
まるで茶室の入り口のような小さな入場口。お相撲さんなら入れそうもないですよね。
ここは、修復によって、かなり整備されちゃっていて、中世の面影がちょっと薄い。赤いレンガも、もちろん修復の結果です。
簡単な解説を。ネット検索したのですが、ほとんど何も出て来ませんでした。
「このサンタヴィのクリプトは、病を治す力を持ち、また預言者でもあった聖人Avitの聖遺物を保管する目的で、989年に起こった大火事の後、サン・ジョルジョ教会の地下に建設されたもの。」
レンガですっきり新しくなってしまっていますが、おそらく、オリジナルも、同じように積みあげられていたようです。
赤いレンガではなかった様子だけど。
こういう様子は、他のクリプタにも重なるイメージで、確かに11世紀だなというプリミティブさが感じられます。装飾性がなくても、好物なやつです。
赤いレンガ多用の修復は、ちょっとやりすぎ感強いですね。もうちょっとさりげなくできなかったものか?
一応プランとしては、周歩廊の付いた半円の内陣になっていて、信者は、周歩廊から聖人のレリックをありがたく拝んでいたらしいです。その周歩廊側が、古い様子で残された部分となります。
ガイドツアーなので、現地での説明があり、多少は自分で書いた図解も含めて目盛っているのですが、やはりフランス語をすべて理解できませんので、思った以上にメモが少なかったです。図解に注力しちゃったからな、笑。でも、おかげで自分の理解・記憶はばっちりです。
確か、クリプトに限らず、オルレアンの地下都市はなかなかの広範囲に広がっているという話だったと記憶しているのですが、具体的なメモが見つからず、です。
次回ご案内するもう一つのクリプトであるサンテニャンは、もう少し情報をゲットできたので、歴史も含めて読んでいきたいと思います。
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2023/10/08(日) 20:00:08 |
サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
| コメント:0
2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その79(ロワール・エ・シェール)
セル・シュル・シェールSelles-sur-Cherのサン・ユーシス教会Eglise Saint-EuisiceまたはAbbatiale Notre-Dames-la-Blancheです (重要情報:周囲にトイレあります、笑)。
外側を見ていきす。ファサードはこんな様子で、僅かにロマネスクのテイストも残るものの、例によって、ありがちな修復再建等々の後付要素が色濃くて、ふーん、と通り過ぎるだけ。
内部も、基本的にそういうリアクションとなってしまったので、さてさて、と大きな期待はせずに後陣の方へと回り込みます。
で、あれ?と。
何か、ありますよね。
まさかこんなところにお宝が?
後陣、彫り物、と事前に調べてあったけど、てっきり内部だと思い込んでいて、でもそれらしきものがなかったので、?と思ってたのが、まさか外側だった?
まさに!
求めていた浮彫、こんな場所に、かなり派手にあったわ!ちょっと想定外の場所だったので、びっくりしましたよ。だってね、修復してるにしても、ほぞんじょうたいも良いのですから、一人でどよめいでいました、笑。
一番突き出ている後陣は、植え込みとかあって、無理やり分け入るっていうか、この浮彫を気持ちよく見学できるような仕様にはなってないっていうか、そういうところをうろうろして、一人快哉を叫ぶ変な東洋人にならざるを得ないロケーションっていうか。いじわるされてる気分ですよ。
解説によれば、上のフレーズには、例の超ローカル聖人ユーシスEusiceさん?あまりにローカルで、読み方も分かってない聖人のエピソードが語られ、下の方は、キリストのエピソードが語られているということです。
ちょっと検索してみましたけれど、この聖人は、殉教した方のようですが、数多くの奇跡を起こしたことで、信仰が深まったというようなことがあるみたいです。でも、具体的な奇跡の話とかは出てこなくて、彫り物のエピソードも、想像力を働かせるしかない感じ。
結構な深彫りで、浮彫というよりほどんと彫刻ですね。一部、こうやって溶けちゃってはいますけれど。
すごく物語性を感じますがお話が分からないから内容分からず。
この聖人のエピソード、ここで見られますよ、というのを見つけたら、どうぞ教えてくださいね。
下のフリーズは、キリストらしいので、もうちょっと分かりやすいかな。
悪魔退治、エクソシスト的な働きでしょうかね?誘惑を退けてる感じかな。
奇跡って、大抵病人を治したとか、生き返らせたとか、そういう分かりやすいものが多いし定番ですが…。
これなど、なんかすごく意味がありそうな場面に見えるんだけど、分からないなぁ。想像力なくて…。
天使のお迎えかしらん。
これは絶対に病気を治しちゃうか、死者を蘇らせるかどっちかの奇跡だよね。ラザロかな。
これはユダの接吻だろうよね。
キリストの光背が、なんか強調されすぎてすごいな。
これは、足を洗っているやつですよね。
なんか、みんな目に特徴がありますね。それにしても、よく、これだけきれいに保存されたものですねぇ。こんな見えやすい場所にあるのに。
あっちにもこっちにも、色々はめ込まれているので、まさに目を皿のようにして、なめるように見ないといけません。
ちょっとさ、モチーフ見本帳みたいなものもあって、面白い。下のなんか、おそらくドラゴン退治の大天使ミカエルとか、キメラみたいのやライオンやら、人気モチーフ並べてみました、っていう様子。
目をさらにしないと見逃してしまいそうな場所に、エリザベスご訪問らしきものがありました。手が細かいねぇ。
これら彫り物に関しては、現地でも多くの解説もなくて、それもちょっと不思議なくらい、立派なお宝でした。中ではテンション低かったけど、外では心の叫びうぉおおの連続でした。
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2023/10/06(金) 20:47:25 |
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