フリウリの中世 プロローグ
夏休み、終了です~!
今年は、1週間を細切れで3回、という変則夏休みで、「やっぱり最低でも2週間は連続でとらないと休んだ気がしない」などと、日本で働いている普通の人だったら切れそうなことを思っていたのですが、細切れ3週間もありかも、と終わってみれば思ったり(これはこれで、日本で普通に働いている人には切れそうな発言かも)。
最初はフランスで過ごし、二番目は姉との王道(実際はかなり外れていますが)旅、そして今回のフリウリの旅、と、それぞれかなり異なるタイプの旅のあり方で、それぞれに自分としては面白く、おなか一杯状態となりました。切り替える意味でも、1週間という単位はわかりやすくて。ただ、仕事感覚のお休みで、なんだか仕事しているんだかお休みの延長だかわからないという意味では、ちょっとメリハリがどうだったんだろう、ということはあったかも。
ということで、この週末は最後の夏休み、本来の意味でのお休みを堪能というところです。
なんですが、最後の旅の後遺症というか、とにかく激しく疲れる結末だったもので、そのリハビリしているところって言うか。
フリウリからの帰り道に、激しい渋滞に巻き込まれてしまったんです。それが、この記事のタイトル。
アクイレイアから高速に乗る際、ベネチア線は入るな、という表示が出ていたのですが、「入るなって何だよ」、位の気持ちで、別に大きく気にすることもなく、普通に入っちゃったら、その場から身動きできず…。
何それ~、と思ったものの、もうどうしようもなし。
じりじりと進むうちに、ウーディネ方向に進む分岐点があり、すいすいと流れていくし一瞬迷ったけれど、これまで渋滞と言っても、日本の渋滞に比べたら高が知れている程度の渋滞しか知らないわたしは、素直に行列に並んでいたのですが、後になって、これが大きな失敗だったと知るわけです。
そこをすぎたら、もう選択肢なし。そこにとどまるしかない状態で、とにかく進まず。途中、完全に止まります。エンジンも止めて、外に出るとか、なんだかすることもなし。突然動き出したりしますけれど、慌ててエンジンかけても、進むのは数メートルとかそういう状態。あっという間に数時間がすぎて。
途中、友人に電話をかけて状況を説明して調べてもらったところ、事態判明。事故渋滞で、何でも小麦粉とかそういう粉ものを運んでいたトラックが事故って、登り二車線全面通行止め、反対車線も二車線のうち一車線しか通れないという事態だったようです。
わたしが高速に乗ったのは2時。事故は昼直後だったということで、それなら、通行止めと表示するべきなのに、これまた後からわかったのは、高速道路会社の悪意です。
というのも、友人がすぐに見てくれた高速道路のサイトには、事故後数時間たつのに、何の表示もなくて、その地域の市のページで事故状況が出ていたというんですから。あきれました。
ま、事実を知って、なんとなくすっきりした気持ちで、待つこと。ひたすら待つこと。びっくりするのは、周囲の人々の冷静な状態。もちろん、スマホもタブレットも情報端末ゼロのわたしに比べれば、情報については皆さん、さっさと知るところとなっていたのでしょうけれども、それにしても、イライラ怒るわけでもなく、停まるたびにトランクを開けては、水やら食べ物を出す前の車とか、着替えをする子供たちとか、走り回り歩き回り、ニコニコすごくイタリア人の余裕はなんなんだ~!
渋滞に巻き込まれた風景って、たまにニュースで見ていましたけれど、なんか現場はのんびりしていて、イライラ感ゼロ。イタリア人ってこういうとき強いよな~と思いながら、私自身も、ガソリンは満タン、トイレの必要もなし、水もある、とにかく自宅に帰り着けばいい、せめて本日中に、という状況だったので、事態を受け止め、考えるべきことなどを考えて、時々友人に電話などして、気が付いたら5時間たっていたのでした。
お天気が怪しくなってきたりして、空がとっても美しかったのですが、そういう眺めも、こんなにゆっくりじっくり空を見ることもないよなぁ、と思いながら、いつまでも見ていたり。
いわゆるヤコブの階段がでまくりで、このときの空は、本当に美しかったんですよ。
事故現場を通り過ぎたら、後は皆さん、わたしを含めてきちがいのようにかっとび状態で、夜のドライブは久しぶりだったのですが、わたしも、自分としてはかなり飛ばして、360キロ3時間半、とナビの予定通りのタイムで帰宅しました。
途中、やはり工事中でスピードの出せない部分があったことを考えれば、自分的には記録的な早さだったかも。
それにしても、目が疲れました。
ちなみに、地図だとこんな感じ。
右の方にあるPalmanovaではいったんですが、次の出口であるS.Giorgio直後で、事故があったようで、正確に言えば、わたしは、PalmanovaからS.Giorgioまでの8.5キロプラスアルファの距離に5時間かかったことになります。うへぇ。考えるだに、信じがたい。その間、ケア何もなし。
こんな渋滞を経験することはそうないことと思いますので、よい経験となったと思っています。危なそうなお知らせがあるときはとにかく気をつけること。これは肝に銘じました。高速会社のサイトでは一切情報がなかったり、入り口の表示もあいまいだったり、高速会社としては、状況がどうあれ、高速に乗ってほしい、ということを優先しているのが明らかだったので、彼ら側のお知らせを、ポジティブに解釈したらいけないということがわかりました。高速会社だって、鉄道航空その他と同様、公共の役割的な側面が強いと思うのですが、こういうことがあっても、高速料金還付とか、無料になるとかないですから、営利視点が強い分、まったく信用ならん!
今回のように、いろんな意味で余裕のある場合はともかく、そうでない場合が本来はほとんどと思いますので、この経験は、きっと役に立つかと思っています。
それにしても、翌日になって疲れがひどく、今日は一日眠くて仕方ありませんでした。そういえば、運動による筋肉痛も、翌日でなくて2日後に出るようになったのが、いつの頃からか…。嫌ですねぇ。
ということで、フリウリの話は、いつになることやら、ですが、本編をお待ちくださいね。中世も、食い倒れも、充実の旅でしたので、お楽しみに。
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- 2013/08/31(土) 07:28:39|
- フリウリの中世
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