フリウリの中世その5
次に訪問したのは、ますます地味な町、ファガーニャFagagnaです。 前回訪ねたジェモナ・デル・フリウリから、宿泊するチヴィダーレ・デル・フリウリへと向かう途中だったので、立ち寄ってみました。
しかし、ここは苦労しました。 まぁ、方向音痴のわたしには、特別なことではないですが、ナビゲーションがあっても、教会って住所がわからないので、町までは辿りつけても、イコール目的の教会にたどり着けるわけではないんですよね。 そういう場合の手段として、教会の名前を入力したりしますが、ここはだめでした。とりあえず、目に付いたバールでカフェをいただき、町の人に尋ねてみました。
目的は、サンタ・マリア・アッスンタという古い教会Pieve di Santa Maria Assuntaです。 その人の言うには、墓地の中だから、まずは墓地を目指して、あの道を高台に向かえば、表示があるはず、ということ。 その上り坂、確かに怪しい、とは思っていたのですが、どうしても上り坂は避けてしまう傾向にあるわたし。とは言え、せっかくここまで来たんだし、と坂道を登りました。
その途中、既に「墓地」というキーワードは消えていて、古い建物を探しながら、のろのろと登っていきました。 結構な高台。それらしい石壁がありますので、車を停めてみました。
違う教会の表示があります。
ち、ちがう~! 遠目に教会が見えましたけれど、明らかに探している時代とは違うものです。 近づいたけど、やっぱり違いました。 でも、本当に高台で、気持ちのよい場所でした。
どうやら、中世にあったお城跡で、公園のようになっているのでした。10世紀ごろこの地域を統括するお城があったんだそうです。 その中世の城よりずっと前、ローマ時代から中世初期にかけて、城壁があり、アクイレイアを避けて南下できるような街道だったのだと主張する研究者もいるようです。今でも、北方から南下する幹線ですから、交通の要衝であったのは確かでしょう。 お城は、17世紀頃まではあったようですが、ほとんど何も残っていません。 唐突にある塔のようなもの、お城または城壁の一部だったのかな。
車に戻る途中、もう少し、名残がありました。
丘の最も高い位置にあったはずのお城から、一段下がったレベルに、かつては城壁のすぐ外側だったのでは、と思われる古い石造りの、狭い道。 ほんの一部ですが、とっても中世な一角でした。
公園整備で働いているおじさん達がいたので、もう一度尋ねてみると、「古い教会、?思いつかないなぁ」と、これもよくあることです。生きている町の教会じゃない限り、地元の人にとっては、興味の対象でもなく必要性もないので、知らないことが多いのです。 仕方なく町に戻り、もう一度別の人に尋ねました。しつこいですね~、われながら。 やっぱり、丘の上にあるらしい、ということしか分かりません。 それでも、「この道を行って、途中、左に入って登ったところのあれじゃないかしらねぇ」、という言葉を信じて、言われたと思われる道を行ってみたものの、だめ。もういいや、とあきらめて、チヴィダーレに向かうことにしたその矢先、道端に、「墓地」の表示が!
ああ、そういえば、最初に聞いた人が、墓地にある、と言ってたじゃないか、と今更記憶が戻りまして、そっちに向かいます。 生垣を手入れしているおじさんがいたので、さらに尋ねると、「サンタ・マリア・アッスンタ?古い教会だったら、この道を登ったらあるよ」ということでしたので、細い登り道を、おっかなびっくり、のろのろと登ります。 あった!でも、全然古くない…!
表示は、間違いなく、探していたものでした。
名残は、後陣のスタイルと、塔の下の方だけ。すごくきれいに修復されてしまっていますが、下の方に、ちょっとだけそれらしいものがありました。
起源は10世紀と相当古いものです。でも外も中も15世紀以降に改築されてしまったようです。ただ、5世紀当時の床が残っている、という情報を得ていたので、入れなかったのは残念。鍵穴から見ることもかないませんでした。
ここ、スポーツ・センターというのか、テニス・コートとかグランドがあって、市民の憩いの場所の一角。教会は確かに墓地の中でした。そして、見晴らしは最高でした。
執念。というか、かなり無駄。でもね、せっかく訪ねていって出会えないと、損した気になるし、また行きたくなるので、やっぱりがんばって探し当てるのは重要なんですよね。こんな美しい景色にも出会えたし。 ということで、非常にすっきりした気持ちで、一日を終えることができましたとさ。
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2013/11/21(木) 06:20:28 |
フリウリの中世
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