マルケ・ロマネスク、その6
アスコリ・ピチェーノの旧市街は、大変こじんまりとしているのですが、ロマネスク当時の教会がたくさんあります。中世に繁栄したということは、今にまで残る多数の塔で明らかですが、教会の数だけを取っても、その証拠となりますね。
とは言え、内外に置いて、中世の面影を残しているかというと、やはりなかなかそういうわけにはいかず、というのは、他の多くの土地と同じです。
サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタシオ教会Chiesa dei Santi Vincenzo e Anastasio。
中世時期にあった三つの大広場の中で、最も外側、川にも近い場所に位置し、非対称、無計画に作られたらしいヴェンティディオ・バッソ広場、またの名をヴェンティディオ・デッレ・ドンネ広場。ローマ時代は、ほぼ町の外側だったようですが、ちょうど町の内外を隔てる線上で、市場がたったり、出入りの人々が行きかい、とにかく常に往来の激しい場所が、必然的に広場になったということらしいです。
広場の名前にドンネ=女性とあるのは、かつてこの場所にベネディクト派の女子修道院が面していたことから。
そして、この変な形の広場の一角に、この教会があります。
一角を占めていますが、広場に面しているのではなく、広場の一部を半端な形で占拠しているのです。アクセスもしにくい変な立地です。
もともと6世紀にあった地下墳墓の上に、教会が建てられたのは12世紀。その教会が最終的に完成したのは、14世紀も後半ということで、ぱっと見、ロマネスク?ん?というたたずまいになってしまったのですね。
この碁盤目の不思議なファサードも、完成時のもので、オリジナルには旧約新約聖書の物語が、各面に、フレスコ画で描かれていたそうです。
このように区切ったファサードって、アンコナで、修復中だったためにわたしが全貌を見られなかった教会を思い出します。あちらは、ロマネスクの王道的なアーチ多用の石の装飾でしたが、発想には共通項があるような。同じマルケというのも、何かあるかもですねぇ。
フレスコ画は、「貧しい人々の聖書」と呼ばれていたそうです。残っていたら、素晴らしいインパクトがあったことでしょうが、なんといっても露天だから、保存は難しかったのでしょうね。
正面扉は、古い教会のものが再利用されているようです。リュネッタには、聖母と、教会が捧げられた聖人二人のフィギュアが、飛び出す絵本状態で置かれています。
内部は地味で、やはり時代が下るな、という印象。ここでみておきたいのは、内陣下の小さなクリプタ。と言っても、保存されているだけで、使用はされていないようです。
全体に床は新しいし、すべてがこぎれいで、なんとなくなじめない空間になってしまっている内陣。両脇に、クリプタへの階段がありますが、閉ざされています。確か監視の人に尋ねたら、入っていいよ、ということだったので、入場しましたが、真っ暗…。
このクリプタには、かつて、サン・シルベストロの井戸Pozzo di San Silvestro、と呼ばれる湧水があったのだそうです。その水が奇跡を起こしたとかどうとか…。でも本当に奇跡があったなら、今でも巡礼の地になっていますね、きっと。19世紀に整備されて湧水がなくなっちゃったということは…。
壁には、聖人のエピソードを描いた14世紀のフレスコ画があります。このときは、小さな懐中電灯を携帯していたので、わずかに見ることができました。
14世紀の割には、素朴で、ロマネスク時代を引きずるような絵でした。
小さな明かりを頼りに、内陣の最奥部、祭壇脇の階段から生還。
有料式の明かりをなぜつけないんでしょう。
って言うか、この状態で入れてくれるのはすごい。祭壇脇の階段は、かなり細くて急で、転げ落ちそうな不安定なものでしたし、滑って転んで怪我して、裁判起こすアメリカ人とかいたら大変なのに…。
地味だけど、この、たった数分の地下旅冒険が、印象深い教会です。
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- 2013/12/29(日) 02:25:13|
- マルケ・ロマネスク
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