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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

フランス風の後陣

マルケ・ロマネスク、その8

年末年始にかけて、ずいぶんと長いお休みになってしまいましたが、また本来の中世探訪に戻ります。すっかり忘却の彼方という感も無きにしも非ずですが、マルケの旅を再開しましょう。

アスコリ・ピチェーノで、「町のロマネスク」を堪能した後に立ち寄ったのは、何もない場所で一人佇む、サンタ・マリア・ア・ピエ・ディ・キエンティ修道院Abbazia di Santa Maria a Pie' di Chienti。




美しく修復されていますが、かなり地味なファサードと側壁。付け柱とブラインド・アーチがうっとりしますが、ファサードなどは後の時代のものとなっていて、ぱっと見たら、「なぁんだ、こんなもんか」と思うこと請け合い。
でも、そこであきらめずに、全体を確かめます。

実はこのとき、雨が結構降っていて、足場も相当悪かったのですが、そんなこと構っちゃいられません。側面に回ります(でも、同行の友人は、多分靴が汚れるのも嫌って、ついてきてくれませんでした。深く興味のない場合は、正しい選択…)。




近くから見ると、やはりかなり新しくなってしまっています。これは多分向かって右側ですね。一方で左側の方に、古い部分が残っていたと思います。




軒送りに、ぎざぎざにレンガの角を出した装飾。その下にも飛び石装飾で、ブラインド・アーチ。修復をしていても、オリジナルに忠実なのか、はたまた修復の腕なのか、その辺、実はよくわからないんですが、アーチがまちまちだったりするケース、よくありますね。ここもそのひとつで、わたしはこの不ぞろいのアーチを見ると、なんか当時の職人さんが一つ一つレンガを置いていった様子が彷彿とするというのか、なんとなくニッコリしてしまいます。
設計監督をするマエストロは、学問のあるそれなりの棟梁だったんでしょうけれど、このような土地柄を考えると、実際の作業をする職人さんは地元の人たちでしょうし、教会専門というか、大規模構造物専門というような人たちではなかったのかも知れませんよね。いや、勝手な想像ですけれども。それって、本当のところどうなんでしょう。

脱線しますが、今回一時帰国の東京の古本屋さんで、「大聖堂」という白水社の新書(文庫クセジュ)を購入したんですが、「建築様式の変遷から棟梁の報酬にいたるまで、徹底解説」というその帯の言葉に惹かれたんです。こんなニッチな本が出版されているのがすごいし、そんなものを置いている古本屋さんもすごい。そしてそれを見つけてしまう自分にも感心。いつ読むのかは不明ですが、楽しみですね。

さて、本題に戻りますが、裏に回って、びっくりです。




え~、なんと立派な後陣!
フランスはブルゴーニュの、パレ・ル・モニアルとか彷彿としてしまいました。この構造は、周回廊があるということだから、イタリアというよりフランス様式ですよね。ちょっとずんぐりして田舎っぽいですが。




装飾性はかなり控えめで、やはり付け柱とブラインド・アーチだけです。

ここは、もともと修道院で、創建は千年より以前と、かなり古いです。時代とともに、様々は改修や修復やつけたしがされて、今の姿の基礎となっていますが、おそらく周囲の建物も、当時の建物の跡の上に建っているんだと思います。かなり規模が大きく、繁栄していた時期には、修道院そのものがひとつの町のようなものだったとか。今は本当に何もないところなので、想像もしにくいのですが、定期的な市が開かれて、近隣の人々が集う商業的な場所でもあったのだそうです。

その当時の姿は、外観よりも、内部に多く感じ取ることができます。
続きます。

いつものロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

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  1. 2014/01/30(木) 06:18:39|
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