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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

山奥で、テンプル騎士団の遺構に会う

マルケ・ロマネスク、その11

サン・ジネシオSan Ginesio続きです。本来の目的である教会を訪ねます。




村の中心の広場に面して建っています。聖アヌンツィアータ参事会教会Chiesa Collegiata di SS Annunziata。ここでもまた、よいガイドさんと出会ったおかげで、面白い発見があったんですよ。というか、そういうお話が聞けなかったら、絶対に気付かなかったことをみることができて、かなり得した気分でした。

開いていたので入ったところ、全体に新しくなっちゃって、面白くもない(というのも失礼ですが、あくまでロマネスク的に、ということなので、お許しを)本堂。




その上、生演奏の練習中で、うるさいこと。




でも、うろうろしていたら、「あれ?もしかしてクリプタ探していますか?ここですよ、ここ」と教えてくれて、いざなってくれたのも楽団員でしたので、そこは文句もなく。上の写真の左下の門扉が、クリプタへの入り口。
事前の学習でも、サン・ビアジョ礼拝堂Oratorio di San Biagioというのは、チェックしていました。どうも、事前チェックでは分かりにくかったのですが、この教会、斜面に建てられていて、時代とともに、数層式になってしまった、という建物らしいのです。
前回の記事の、救護所の方から来ると、まず、下層部分、要は古い教会部分に出会うのです。




この写真の、右側の方が、トップの写真のファサードとなります。標高でいえば、この写真を撮ったところからは、数メートルは上になります。この写真の高さにあるのが、サン・ビアージョという11世紀の教会部分で、そこに、15世紀頭に描かれたフレスコ画が、おそらく現在の最も観光的な資産となっているもの。複雑。

下層の方の入り口は閉ざされていましたので、入れないもの、と思っていたら、なんと今の教会から入れることが分かったと、それも、これからある結婚式の生演奏練習で一生懸命の楽団の若者が教えてくれたと、振り出しに戻ります。

それでアクセスしたクリプタ。




わたしの場合、13世紀以降のフレスコ画は、基本的に本当に苦手なもので、あ、あれだ、と思うだけで、目が見ることを拒否してしまうんですよね。時代というより、タッチとか表現?13世紀以降でも、これは好きだなっていう絵もあるんですけれども、とにかく12世紀後半から13世紀くらい、本当に苦手なタイプの絵があって、そうなるともうだめで、このサン・ジネシオは、残念ながら、まさにそういう、わたしにとってだめな絵だったので、さらりと。
ここがなぜそれなりに観光資源となっているかといえば、比較的最近発見されたこと(1960年代まで、漆喰かなんかで覆われていたために、湿度などにやられずに、よく残ったらしいです)、あと、何かあったような。聖母が笑っているとか?忘れちゃいました。フレスコ画の質と内容で、有名みたいです。興味ないんで…。

ロマネスク的には、なぁんだ、ということで、教会をいったん後にしました。
教会のある、同じ広場に観光案内所がありましたので、一応興味を持って、訪ねてみました。そこで、この人が?観光案内所の人?ホームレスじゃなくて?と、かなり失礼な言い方ですが、思わずそう思ってしまうようなおじさんがいらしたんです。でも話し始めると、どうやら地史には相当詳しい方のようで、いろいろと面白いお話が。
カロリングの時代とか、十字軍の時代とか、そういうお話がぽんぽんと出てくるんです。こっちも興味があるものだから、合いの手を入れるととどまるところなしっていう感じで。とうとう、テンプル騎士団の本を購入して、改めて教会本堂に戻りました。

詳しいお話と本の内容は、いつかサイト(下記、ロマネスクのおと)を作るときにしっかりとまとめることとしますが、なぜ教会に戻ったかというと、何の変哲もない修復されすぎの本堂の中に、実は中世の跡がしっかりと残されている事実を知ったから。それも、テンプル騎士団ゆかりの跡。





この、柱の上の角っこのところのシンボルが、テンプル騎士団の何からしいんですよ~。そそられますよね。

なんかそう思って歩いたら、どうも細部が気になって。
改めて見たファサードの扉周囲。




あれ、やっぱり気になるものがあります。





これは、ちょっとカロリング系かな。
いやはや、やはり資料の少ない田舎の教会は、地元の人に限りますね。マルケは、本当にこういう出会いでお話を聞けることが多くて、それが面白かったです。人とかかわるのが好きな同行者のおかげも大きいかな。私自身はかなり人見知りで、遠慮しがちなものですから。

それにしても、十字軍のあたりのお話というのは、十字軍そのものの発想はばかばかしいと思いつつも、歴史上、なんかロマンというか、物語的な何かを感じてしまいます。海辺の町ならともかくとして、こんな山奥の田舎町にテンプル騎士団のなにか、というのはかなり歴史ロマンです。

いつものロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

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  1. 2014/02/03(月) 07:10:22|
  2. マルケ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

No title

テンプル騎士団に興味があるので、タイトルに惹かれて覗きに来ました。

歴史を感じる建物ですね!
タイムスリップをしたみたいな写真ですね。
  1. 2014/02/03(月) 03:14:00 |
  2. URL |
  3. 古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

私、この参事会聖堂のクリプタは場所がわからなくて、入れなかったんです。一度外に出るんですね。入口の写真の場所は通った記憶があるので、残念な事しちゃったな。事前に調べた沿革にもテンプル騎士団の事はなかったので、興味深いですね。またロマネスクのおとへの記載が楽しみになっちゃた。
まってますよ~~~
  1. 2014/02/03(月) 10:43:00 |
  2. URL |
  3. クリス #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

続けてすみません。
マルケの男って、トスカーナで見かけるような紳士然とした方はほとんどいなくて、老若を問わず誰もがほぼジャージ姿で、薄汚い田舎者というイメージなんですが、けっこう人懐こくて、まじめで誠実な感じなんですよね。ここでも、良い人にあったなと思いますよ。
  1. 2014/02/03(月) 10:48:00 |
  2. URL |
  3. クリス #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

山下さん
テンプル騎士団、なんかドラマですよね、既に名称が。
当地で購入した本を斜め読みしましたが、どうも、この町におけるテンプル騎士団の存在というのは、学術的にというか、歴史的にというか、まだ確と認められてものではないらしいんですよ。でも面白そうなんで、ちゃんと読んでみたいです。これがね、骨が折れます、イタリア語だとね。
  1. 2014/02/04(火) 22:41:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
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No title

クリスさん
クリプタは、本堂から入れるようになっていましたよ。外の入り口は固く閉ざされていて、常に開いているようにも思えませんでした。
残念でしたね。
マルケは田舎ですからね、素朴で親切ですね、確かに。どこでも、史跡に詳しい人や、明るい人や、楽しい出会いがとても多かったように思います。
  1. 2014/02/04(火) 22:43:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

エジンバラ郊外にある「ロズリン教会」を訪れてテンプル騎士団に興味を持ちました。

教会は一部が修復中で、白いテントが掛けられていました。
ダン・ブラウンの小説で有名な「ダビンチ・コード」が世に出る前の話です。

路線バスの終点で、何度かこの教会は訪れています。
長い修復作業が終わった事は、日本帰国後に知りました。
(10年以上の修復かも・・・・・)

テンプル騎士団で、エジンバラのロズリン教会を思い出しました。
corsaさんが興味を持ちそうな教会ですよ!
  1. 2014/02/05(水) 00:49:00 |
  2. URL |
  3. 古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
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