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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

修道院バレー

マルケ・ロマネスク、その15

マルケのこのあたりは、実に多くの修道院があったのですね。今は教会しか残っていない場所がほとんどですが、前身が修道院教会というものばかり。
サン・ベネディクトの出身地に、比較的近いこととか、関係あるのか、または、単に人里離れた場所が豊富だったからなのか、何か理由があるはず、と思うのです。
そういえば、修道院が密集する地域というのは、ありますね。「修道院の道」とか、「修道院谷」とか、そういう名称を使っている土地が結構あるような。
そういう切り口で見るのも、何か面白い発見がありそうです。

それはともかく、今回宿泊した村に程近い場所にも、立派な修道院がありました。今は、かなり観光地化していて、キャンプ場も付属するような巨大自然公園の中にあります。
フィアストラ修道院Abbadia di Fiastra。




公園内の観光施設として修道院があるため、大型バスも乗りつけちゃう規模の巨大駐車場があり、団体さんが次々と訪れています。人をいれずに撮影するのが難しいほど。

幸い、といいましょうか、われわれが到着した時間は、修道院クローズまで30分ほどしかなく、団体さんは観光をとっくに終了した時間でした。もともとここは、行かなくてもよい場所にリストに入っていたのですが、微妙な時間に脇を通ることとなったので、それなら、と立ち寄ったのです。

あと30分しかないから急いでね、といいながら、受付のおばさんは、入場料を半額にしてくれました。もともとたいした額ではないけれど、こういう気遣いってとても嬉しく、この場所のイメージが上がります。わたしが貧乏だからかな。




食堂。
この修道院の近くには、かなり大規模なローマの遺跡があります。そこから、多くの石材が運び込まれ、この修道院の資材として再利用されています。この食堂の柱や柱頭も、その多くが、ローマのもの。




回廊。
順路を辿り、修道院らしい風景を、急ぎ足で、見学していきます。途中掲示してある説明を斜め読みすると、これらの施設の多くは、19世紀初~半ばの時代に作られたもので、主な建築家の一人は、マチェラータの競技場と同じ人なんだそうです。そんなに新しいとは思いませんでした。
第二次世界大戦時には、これらの建物が、ユダヤ人や思想犯の収容所になっていたとか。そっちの方が、歴史としては面白そうな。

当初、被収容者は、公園を散歩したり、図書館を利用したり、音楽のできる人たちが独自にオーケストラを結成したりが許されていたのだそうです。お医者さんだった人は、診療所を開設して、収容所外の村の人々も利用できるようになっていました。英語やイタリア語などの語学講座や様々な講座が開かれ、内部にはシナゴーグまで作られたのです。
でも1943年11月30日、被収容者たちは、他の収容所経由で、アウシュヴィッツに移送され、唯一生き残った医師の方が、その思い出を今に伝えているということです。

話を修道院に戻します。
回廊に囲まれた庭には、お決まりの井戸があります。そこに井戸があることは自然で、あまり深くその存在について考えたことがなかったのですが、説明を読んで、なるほど、と思いました。
修道院にとって水はとても重要なものであるから、必ず、水のある場所が選ばれる、と。そのために、修道院の名称が、水と関係することも多いということで、ブルゴーニュのフォントニー修道院があげられていました。多くの人々が共同生活を行う場所だから、確かに水は基本ですね。なるほどな~。水のよい土地に、集積するっていうこともあるのかな。

修道院の一部は、石ものの博物館になっていました。





ロマネスクのかわいらしい浮き彫りが散見されました。
修道院で一番面白かったのは、地下施設。

ワインを作っていた場所から、地下に続きます。




かなり広くて、美しい建築でした。




ずいぶんと広いスペースがあり、整備もしっかり。他の見学者がいなかったのもあり、急ぎ足とは言え、のびのびと見ることができたのもよかったです。
こんな石段を登って、外に出ます。




そして、教会へ。




修道院の見学は19時で終了ですが、教会は閉まらないので、後回しにしたのです。
ファサードは、トップの写真のように、見るべきものもなく、内部も、ほとんどそういうものなんですが、柱頭部分に、わたしの好きなものが、結構ちゃんと残っているので、それが嬉しかったです。





かなり急ぎ足で、見学終了。慌てたせいか、急ぎすぎました。せっかくなので、お土産に、修道院産らしいリキュールを購入しましたが、実はその後甘いお酒を飲まなくなってしまったので、いまだに未開栓。

いつものロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

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  1. 2014/02/09(日) 03:39:24|
  2. マルケ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

No title

「シンドラーのリスト」やポーランド映画などを見るとユダヤ人の悲惨な歴史に今でも悲しい気持ちになりますね。
ライフイズビューティフルとかね。
ヨーロッパはどこもかしこも第二次大戦後の悲惨な歴史を語るものが残っていますから国境などの考え方も日本人のそれとは違います。日本は島国ですからなかなか「国境」への考え方も大陸とは違うな~と感じますね。
教会の柱、美しいですね~(≧∇≦)!

お医者さんが普通に収容所で診察をしていたというお話、とても興味深いです。映画だと悲惨なシーンばかりが多いので。本当は宗教など関係なくそれなりに調和がとれていたのでしょうね。
  1. 2014/02/12(水) 23:49:00 |
  2. URL |
  3. はなさん #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

洋吉ちゃん
遅れてごめんなさい。コメント有難う。
収容所の話は、なんか来ちゃうものがあります。人間の本質が出ちゃう辛さみたいのあって、本当に辛い一方で、美しい心を持つ人というのが、どこでもいるのであるよなぁ、と感心します。
宗教もね、うまく機能すると、本当に救いになるものではありますね、多分。わたしは、美術的な面白さに偏っているだけなんですけれども。
  1. 2014/02/18(火) 21:51:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

こんにちは。
彫刻など素晴らしいですね。ポチ
  1. 2014/02/19(水) 03:39:00 |
  2. URL |
  3. あるく #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

あるくさんとお呼びすればよいのかしらん。変だったらごめんなさい。方向性が違うと思いますが、歴史、という意味では共通する何かがありますよね~。
  1. 2014/02/19(水) 22:08:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
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