ラングドック・ロマネスクその12
ベジエBeziersもうちょっとだけ。
ここ、中世の記憶がある町だけに、マイナーな場所も含めると、見ておきたい場所が実は結構あります。とは言え、時間も限られていることだし、と回ったもうひとつの教会には、ずいぶんと迷わされました。
というのも、どうしてもここしかありえない、という場所が、こんなだったので。
小さな広場になっている住宅街の一角。いい加減うろうろした挙句に近寄ってみたら、何のことはない、まさにここでした。
わざわざ、ここが、教会の入り口だよ、と書いてあります。そりゃそうだ。こういうのがなければ絶対に分からないですから。
サント・アフロディース教会Basilique de Saint Aphrodise。
しかし、残念なことに、鉄扉は固く閉ざされており、どうも常に開いている気配もなかったです。
かつては教会だけがあったであろう場所に、後付でたくさん建物が建てこんでしまって、今では、教会へのアプローチに、後付の建物を潜り抜けないとたどり着けないような状態で、要は、教会が後付の建物の中庭に位置するような、そういう状態になっているようです。閉ざされた鉄扉から、教会入り口までは、かなり遠い…。
さえぎるものもないので、ズームアップ。
正面扉上部に、何か古そうな彫り物がはめ込まれています。使徒って感じなんですが、9人。顔の部分は磨耗が激しいけれど、身体は結構ちゃんと残っています。でもなんだろう。おなじみの中世という感じもなく。と言って、ローマにしては稚拙。装飾的にはゴシックでもなく。半端な時代のレプリカですかね。
脇の方に、古そうな浮き彫りが、いくつかはめ込まれているようでした。
20倍ズーム、威力発揮ですね。一眼レフでなくても、結構撮れるものです。
建物は、住宅と思いますが、鳥の糞害がかなりひどい状態で、公共の入り口をこういう状態で放置している住人に、びっくりしました。毎日帰る家の入り口が糞でびっしりって、最悪じゃないですか。っていうか、ありえない。
ベジエの町。ちょっと苦手な感を抱きながら歩いておりましたが、最初にイメージしたアラブとか南とか、そういうものの着たり来る元が、どうやらカタリ派にあったらしいと思うにつけ、もし事前のちょっとでも知識があれば、違う印象を持てたかもしれない、など思います。
そういう思いで、改めて写真を見れば、破壊されつくした町のところどころに、なんとなく歴史を感じされるものも垣間見られたり。
また、一度は再起はありえないほどに蹂躙された町であるはずなのに、今なお、ちゃんと生き延びている姿を、改めて認めたり。
カタリ派は、この地域を歩いている以上、必ずどこかでかかわらざるを得ない歴史ですが、その迫害の歴史に残るベジエで出会えたことは、よかったような気がします。
ロマネスク、ひいては中世をキーワードにヨーロッパを歩いていますが、いわゆる中世というのは、短い期間ではなく、決して、ローマからルネサンスへ続く過渡期というだけの時代ではなく、よい意味でも悪い意味でも、過去のいろいろを引きずって、次の時代へとつなげる時代であったわけで、だから、多くの場所で、そういうもろもろのかけらや希望に出会う旅ともなります。
ベジエの町に静かに沈殿するカタリ派の黒い歴史というのも、そういうもろもろのひとつで、それでも歴史は止まることなく続くのだという、その中世の意義みたいなものを感じさせる土地なのかな、などと思ったりします。
とか何とかまじめ顔をしつつ、そういえばこの町の地下駐車場を出るとき、ただでさえ狭い通路の辟易とした挙句、出口のバーが持ち上がらずに、バックする羽目になり、大騒ぎをしたことが、一番のベジエの思い出かも、などと苦笑しています。
入るも出るも、苦行のベジエ地下駐車場でした。
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- 2014/03/22(土) 06:51:04|
- ラングドック・ルシヨン
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