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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ワグナーが客死した館

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その3

王道旅、としたものの、実は普通とはちょっと違う切り口の旅ではありました。テーマのひとつが、音楽だったんです。
というのも、友人はクラシック音楽で食べている人なので、音楽関係の場所を訪ねることが、旅の目的でもあったのです。

一体どういう場所を訪ねたかというと、そのひとつがベネチアのこちら。




カジノ?
そうなんです。今は、冬季のカジノとなっている建物に、その目的があったんです。
こちらが、その建物の裏口。




正門は大運河に面している、ヴェンドラミン・カレルジ宮Palazzo Vendramin Calergiという、由緒正しい建物です。
で、カジノのほかに何があるかというと、建物入り口にはめ込まれている、下の写真のプレートでわかると思います。あんまり関係ないのでびっくりしてしまいます。




リヒャルト・ワグナーに捧げられたプレートで、「この建物で、1883年2月13日に亡くなった」、と書かれております。

ベネチアには数え切れないくらい行っていますけれど、そしてワグナーは、スカラ座でオペラを鑑賞したこともありますし、ヴィスコンティの「ルードヴィヒ、神々の黄昏」は大好きな映画のひとつで、DVDも持っています。でも、ワグナーの生涯は、映画に描かれているルードヴィヒとの絡みくらいしか知らず、よもやベネチアで亡くなった、というのは、今の今まで知りませんでした。

ワグナーは、イタリアが大好きだったそうです。人生の最後の時期、多くの偶然が重なった結果として、このベンドラミン宮の2階部分を借り上げて、妻のコジマや子供たちとともに、家族で長期滞在していたのだそうです。そして、上述した日、書き物をしていた彼は、心臓発作に襲われ、69歳の生涯を、愛するコジマに抱かれて終えることとなったのです。
死亡後、遺骸は、ゴンドラに揺られて鉄道駅に向かい、そこから特別列車で生まれ故郷であり、既に第一回の音楽祭が開催された地でもあるバイロイトに送られ、葬儀が行われたそうです。
ワグナーは、大巨匠として知らない人のいない巨人だったことを考えると、ゴンドラで運ばれていく葬列というのは、さぞや荘厳で、劇的な風景だったのではないか、と想像されます。

その、ワグナーが住まっていた住居部分が、今、博物館として、一般公開されているのです。ワグナー愛好協会という団体が、博物館を管理し、ガイド・ツアーを実施し、コンサートの企画や講演会など、多くのイベントを通じて、ワグナーを啓蒙しているもの。

博物館の公開は、ネットで検索すると、「毎週土曜日の午前中10時半のみ」と限定的でしたが、問い合わせてみると、都合に合わせます、ということで、土曜日の午後にツアーをしてくれることとなりました。わくわくして、約束の時間に行くと、残念なことに、他に二組参加者がいらっしゃって、ツアーは英語で行われました。イタリア語の場合に比べると、半分方理解できなかったように思いますが、仕方ないですね。

館内は撮影禁止。でもこれだけは許してくれました。




リング四部作、イタリア初演のポスターです。ベネチアのフェニーチェ座で、1883年4月14日、15日、17日、18日と四日連続日替わりで、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリード」「神々の黄昏」が上演されたことが分かります。下の方に、4公演パスが、平土間75リラ、とありますね。一公演のみの天上桟敷は1.5リラ。当時の物価では、どのくらいの価値があったのでしょう。
それにしても、リングの四連荘とは、体力勝負のような公演です。

しばし考えたのは、まったく初めての音楽が、お披露目される場である初演について。今でももちろん、そういうことはあるわけですが、わたしはそういう公演に行ったことがありませんので、残念ながら本当のところは分かりません。
でも、シーズン開幕公演ですら、成否を考えるとぞっとするくらいの緊張が漂うスカラ座の雰囲気を思うと、本邦初演、という状況が、いかに恐ろしいものであっただろうか、という想像はできます。
命を削るような仕事ではあっただろうな、と。

博物館内部は、実は当時のままではなく、博物館として公開する際に、ワグナーの生きた時代の家具備品が集められて設置され、楽譜や直筆の手紙、オペラをモチーフにした版画作品などが飾られて、当時をしのぶようになっています。古い時代のピアノも二台置かれておりました。
一台は「触れないように」という注意書きがされていたのですが、一台は、ガイドの女性が、鍵盤に触れたので、触ってもいいか尋ねたところ、「いいですよ、なんなら弾いても」と言うではないですか。友人を促し、一曲披露してもらうことができました。
1700年代、確かオーストリア製のピアノでした。ワグナーの住まっていた場所で、ワグナーも触ったかもしれない同時代のピアノの音を楽しむ、なんて贅沢な時間でしょう。博物館の寛大さにもびっくりでした。
後から友人に感想を聞くと、ピアノを味わうどころではなく、強く弾くと壊れそうな感じで、怖かった、ということでした。聴いている方が楽しませてもらったようです。

ツアーの最後に、大運河側の玄関にも案内してもらえました。




当時は、ゴンドラに乗って、こちらから乗り付けたのでしょう。
裏側は地味ですが、表は大運河に面しているだけあって、実に立派な建物です。




建物の横は、小さな庭になっていて、ベネチアでは非常に貴重な緑の滴るスペース。ワグナーはそういうささやかな空間にも、気持ちを癒されていたようです。石と人造物ばかりのベネチアにいると、緑って、実に癒されるんですよね。

建物の壁に、ワグナーのプロフィールの入ったプレートがありました。




ツアーに参加した方々は、それぞれに何らかの思い入れがある様子でした。そうですよねぇ、こんな場所、思い入れがないと、気が付きもしないし、来ないですよ。
それにしてもワグナー協会のおかげ。ガイドの女性は、初老の、元学校の先生風の方でしたが、英語も堪能で、慣れていらっしゃるご様子で、ガイドをするのが楽しそうでした。そしてなんと、見学料は無料です。まさにボランティア。もちろん寄付は大歓迎というので、心ばかりの寄付を置いてきましたが。
愛好家であれば、見学者が来るのも喜びかと思いますので、どうぞご興味の向きは、お訪ねしてみてください。

おなじみのロマネスクは、こちらへどうぞ。
ロマネスクのおと

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  1. 2014/04/24(木) 05:29:49|
  2. 旅歩き
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  4. | コメント:4
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コメント

No title

タイトルに惹かれて覗きに参りました。

先日テレビで、ストラディヴァリウスの歴史を見て興味を持ったものですから・・・・
作曲家の最後の場所と言う事で、興味が湧きました。

ベネチアは一度訪れた事があるのですが・・・・・
  1. 2014/04/24(木) 06:49:00 |
  2. URL |
  3. 古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

山下さん
こんにちは。ワグナーが、ベネチアでなくなったなんて、わたし全然知らなかったんですよ。たまには、切り口を変えた旅も、楽しいもんです。英語は辛いけど…。笑。
ストラディヴァリウスだと、クレモナとか出てきましたか。
  1. 2014/04/24(木) 21:38:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

クレモナの弦楽器博物館や丸太を運んだ川など、楽器の材質や水質までも違うのではという事でしたが・・・・

一時間半の素晴らしい番組でした。
http://blogs.yahoo.co.jp/kodaiiseki2000/68859873.html
  1. 2014/04/25(金) 03:38:00 |
  2. URL |
  3. 古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

山下さん
その番組のこと、友人からも聞きました。比較的最近、ヴァイオリンの博物館ができたとか言うことですね。住んでいても、他の町のことって分からないから、日本にいる人の方が、たくさん情報をもっていたりすることがおこりますね。笑。
その番組、私もみたいなぁ。
  1. 2014/04/27(日) 20:24:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

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