エミリア食い倒れ5 ミラノへと戻る道すがら、バッツアーノBazzanoという村に立ち寄りました。一応、わたしの専門のロマネスク教会があるということだったので。
小さな村に、今は博物館になっているお城と、その向かいに、目的の教会がありました。
教区教会サント・ステファノChiesa Parrochiale di Santo Stefano。 でも、教会にはかつての面影はほとんど見られない上に、修復中で、思いっきりクローズ。わずかに目を留めたのは、ファサードの地味な装飾。
ほとんど修復で、中世の面影が見られるのは、オリジナルの構造を生かしたアーチ部分くらい。そのアーチの根元に、小さな柱頭があります。
柱頭、なんか再建ぽいですし、特に興味を引かれるものではなかったので、小さく。どっちかと言うと、アーチの下に置かれた小さな円形装飾が、好みでした。ポンポーザに見られるような、レンガの遊び。考えたら、地域としては同州だし、あのあたりから持ち込まれた様式だとしても不思議なありません。
教会からはなれたところに建っている時計塔。中世時代は、塔だったようです。
これも、修復激しく、あまり風情を感じられません。中世初期の部分は、下部だけで、上部は13世紀以降の感じですね。町の門と並んでいるので、かつては、城壁の一部にある党だったのでしょう。門の上も、ツバメの尾の形になっていますから、やはり13世紀以降と思われ、同時期に、手が入ったということなのでしょう。または、近現代の再建。
なんとなく物足りないので、お城の博物館に入ってみることにしました。誰か見学者が来るんだろうか、というような地味な博物館ですが、ちゃんと録音ガイドがあるのにはびっくりしました。
中世のお城というのは、再建や改築があっても、基本構造は残していますから、どういうものでも、いきなり往時の空間に彷徨いこむ感じがあるので、結構好き。ここも激しく修復されているのですが、雰囲気ありました。ベンティヴォリオ城塞Rocca dei Bentivoglio。考古学博物館になっているので、考古学的な展示が主でしたが、フレスコの残った部屋などもあり、お城そのものの見学もできるのでした。
当時、紋章をやたらに並べるのがはやっていたらしくて、壁中にベンティヴォリオの紋章がリピートされていたり。録音ガイドの説明はとても丁寧で、聞いているときは面白くふんふん、と結構夢中になってしまったのですが、メモも取ってないし、すでにほぼ忘却の彼方です。情けない…。
考古学的なものでは、こんな素敵な浮き彫りのある古いお墓とかがありました。
エトルリアっぽかったです。そういえば、ボローニャ周辺にも、エトルリア人は居住していたんですね。考えたら、ずいぶんと広範囲にわたっていたんです、彼らの居住地は。ローマがことごとく破壊しちゃったから、びっくりするくらい残ってないので、どうしても点でしかなくて、全体のイメージが捉えにくいんですよねぇ。ローマ人、憎いなぁ。
というわけで、どんなところに出かけても、ついつい中世に走るわたし。同行者はみな、わかっていますから、何もいわずに付き合ってくれますが…。 それにしても、歴史の一部なんだから当たり前ではありますが、どこに行ってもみるべきものが必ずある、というのは、ありがたいことです。 こんなマイナーな教会ですら、見るまでは本当のところが分からないケースも多いので、こういう風に「ついで」状態で、とりあえず訪問できるのは、結構貴重なんですよね。
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2014/08/16(土) 06:28:15 |
エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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お早うございます。
考古学博物館!の文字に惹かれて覗きに来ました。
石棺の浮き彫りですか?
見事な彫り物ですね。
動物は何処かヒッタイトの描き方に似ている様に感じられるのですが・・・・
2014/08/15(金) 22:35:00 |
URL |
古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
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山下さん
古代でも中世でも、同じような時代のものって、似てる気がしません?土地が離れていても、何か年代的に共通する何かがあるのかしら。
わたしの場合は、中世のことを主に考えているのですが、古代もそんな気がちょっとしてるんです。
2014/08/16(土) 16:38:00 |
URL |
corsa #79D/WHSg
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