アストゥリアス・ロマネスク2
この地域は、少し前からとても気になっていました。正確には、ロマネスクのためではなく、プレ・ロマネスクの遺構のためです。 今度はどこに行こうかなぁ、と考えている際に、オヴィエド郊外にある、西ゴート時代の建造物の写真に出会ってからです。 正直、スペイン中世の歴史は表面的にしか知らず、特に中世初期、イタリアで言えば初期キリスト教時代からロンゴバルドの時代、スペインがどうだったかということはほとんどわかっていなかったのです。西ゴートの民族や文化についての認識はないも同然でした。改めて調べてみると、素朴な彫り物とか、大好きなロンゴバルドにも通じるにおいがあります。 というわけで、西ゴートに出会うために、何はともあれ向かったのが、オヴィエド。
オヴィエドは、サンタンデールをひたすら西に向かって、ちょっと南下したところにあります(サンタンデールから約180キロ)。上左地図にあるように、カンタブリア海からも近く、しかしまた海以外の方向はすべて山深い土地でもあり、スペイン北部には典型的な、自然に恵まれた、緑の美しい土地です。 そんな町の北西に、立派な西ゴートの大規模な遺構が、それも二つも、かなりよい状態で残っているのです。 サンタ・マリア・デル・ナランコSanta Maria del Narancoおよびサン・ミゲル・デ・リッリョ教会San Miguel de Lillo。
どちらも、オヴィエドを見晴るかす、丘の中腹に建てられていますので、車で、向かいます。
10時から、とあったので、それに合わせて向かいましたが、丘の麓にある立派な駐車場には、一台も車がありませんでした。
あとで分かりましたが、行こうと思えば、教会のすぐ近くまで車でアクセスする道はあるようで、多くの人が上の方まで車で来ていました。でも、とても美しい場所だし、建造物が緑に見え隠れする様子など、ここは絶対徒歩で行った方がよいと思います。
駐車場から、徒歩用の道が整備されています。
最初は、平坦で、林間の気持ちよい散歩道。このあたり特有の、高床建築に出会ったり。
こういう高足の建築は、ここよりもっと西のガリシア地方名物と思っていましたが、ここアストゥリアスでも、この後もよく眼にしました。歴史的には、このあたりも同じような気候なので、おそらく同じような建築様式が普及しているのでしょう。今でも残されている建築は、多くの場所で現役でした。下が駐車場で、上はきっと倉庫みたいに使っているのでしょうが、それにしても、建物を支える石の柱の先端が細いので、とっても不安定な感じがしてしまいます。
そして、異常に人懐こい猫に会ったり。
途中に、ビジター・センターがあります。
ここも10時からのはずですが、わたしが通過した9時47分には、人の気配すらありませんでした。こういう場所の職員さんって、皆さん、見事にぎりぎりにやってきますから、きっと10時にはオープンしたのでしょうけれどもね(ちなみに、帰りに寄りましたが、英語もうまいとても親切な女性がいらっしゃって、ここのみならず、地域の中世の遺構にかんして、いろいろと情報をいただけました。ただし、書籍などの資料の少ないのが、残念でした)。 そして、分かれ道になります。
左に行くとリッリョ、右に行くとナランコ。時間もあったので、より山道風のリッリョへの道を進んでみました。
結構、山道ですよ。坂は厳しいし、道は石がごろごろ。短い距離ですが、サンダル履きのわたしには、結構きつい道でした。 木々の隙間から、ナランコが垣間見えます。
そして、リッリョの建つ平地に到着。
駐車場から、のろのろ歩いて10分強ですけれど、意外と疲れて、ぜえぜえしました。そしてこの後、さらにぜえぜえする事態になりましたよ。 修行の旅って、どうしていつもこうなるんでしょうねぇ。車で回っているのに、なんでぜえぜえしちゃうんでしょうねぇ。
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2014/08/29(金) 07:14:02 |
アストゥリアス中世
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| コメント:7
なんだか期待感大!!の姿ですねぇ~、途中の小道も、人を誘うようで・・・・。
こういう場面になった時、一刻も早く中に入りたくて写真撮るのを忘れるのですが、いい感じの写真が残りましたね。Bravo!!
Germigny-des-Pres 、いつかと言わず、是非お早いうちに。
2014/08/29(金) 08:37:00 |
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テルマル #79D/WHSg
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テルマルさん
正直言えば、書きはじめたものの、目的地のことがよく分かってなくて、こんな旅行ガイドみたいな記事になってしまったんです~!情けない!
オーヴェルニュは、いろいろ見ていると、行きたくなるばかりなんですよ。やっぱり新車買おうかな、とか、思ったり。リヨンまでは近いんですよねぇ。行きたい!
2014/08/29(金) 22:56:00 |
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corsa #79D/WHSg
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サンティジャーナ・デル・マーレもオヴィエドも懐かしい。 私が行ったのは10年前。その後いらした方では二つの教会のうち一つは 修復中でいけなかった、とききました。 修復なったようですね。見かけすっきりしています。
2014/08/30(土) 08:06:00 |
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yk #79D/WHSg
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続きです。
余計なお世話ですが 私の習ったところでは西ゴート建築(410年~711年)とアストリア建築(718年~914年)(年代は考え方によって少し動きます)を区別していました。そのあとは レオンに遷都してモサラベの時代といわれるようです。
そうして西ゴート教会として現在残っているのは、去年私も行ったキンターニャ・デ・ラス・ピーニャス、 サン・ファン・デ・ロス・バーニョス、それから行きたいと思っている(現在修復中)サン・ペトロ・デ・ラ・ナーヴェ等 ポルトガルのものも含めて 6か所しかないといわれています(それでも後代の手は入っている)。
アストゥリアス王国は西ゴート王国の後継者を任じて出てきていますので、そういう点では西ゴートといえるかもしれませんが、このナランコ教会は9世紀(848年?)ですので、正確を期するには西ゴート、と言い切らない方がいいのではないかな、なんて思いましたが、どうでしょう。
2014/08/30(土) 08:07:00 |
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yk #79D/WHSg
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ykさん
おっしゃる通りです。へへ、いい加減な状態で書き始めちゃったんで、いい加減そのものです。これ以上かけないので、慌ててあちこち本を見て、あ、と思っていたところです。
ただ、アストゥリアスは、西ゴートから直径でつながっていますので、文化的には、分断されるものではないと思っていますよ。建築学的には、確かに、それまで、とその後、に明らかな違いが有るとしても(馬蹄形アーチの有無など)、やはりアストゥリアスは、西ゴートのその後、という風に捉えないように思います。だって、同じ土地で暮らし続けた同じ人々が、ただ後代の研究によって分断されるって言うのもへんな感じ。
このあたりの感覚は、研究者じゃないからこそ、感じたままに発現できる楽しさよ、と思っています。
いずれにしても、コメント、大変嬉しく思います。
2014/08/30(土) 23:06:00 |
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corsa #79D/WHSg
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ousyuehonさん
訪問+コメント、有難うございます。
西ゴート、アストゥリアスについては、もうまったく無知で、少し勉強しないと、というところなんです。プレ・ロマネスク、とっても面白くて、わたし好みですし。
本当に素敵な場所がたくさんあるので、ご興味があれば、お勧めです。ただ、ちょっと不便なので、日本からだと大変なのかも。
2014/10/05(日) 17:51:00 |
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corsa #79D/WHSg
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