アストゥリアス・ロマネスク3
サン・ミゲル教会に向かったものの、扉はしっかりと閉ざされており、掲示板には、オープン時間と注意書き「見学はガイド・ツアーのみで、ガイド・ツアーは有料。チケットは、ツアーの開始されるサンタ・マリア・デル・ナランコで。」とありました。
本来、見学時間は10時と思っていたし、ここでは、9時半となっているし、よくわからないまでも、この時点で9時55分。もしガイド・ツアーが10時に始まるとしたら…。
考えている暇もなく、アワアワして山道スタート地点に引き返すことに。
激しい下り坂を引き返さずとも、もっと楽にナランコに行ける車道があったし、もうちょっと冷静になっていれば、きっとそれに気付いたと思うんですけれど、あと5分、と思った時点で、そういう冷静な考えは吹き飛ぶんですよねぇ。
というわけで、息せき切ってナランコへ向かいました。
で、ネットなどでさんざん見て、いつか本物を見たいなぁ、と夢見るように思っていたこれに、いきなり、ぜえぜえ状態でご対面、という情けない状況になってしまいました。
思い入れのある場所は、一歩一歩踏みしめながら近付きたい、みたいな思いってあるんですが、結局、こういう、なんだか、取るものもとりあえず状況でアクセスって、多いような気がします。不徳のいたすところ。情けないなぁ。
正面入り口内部に、小さい事務所があり、まずはチケットを購入。ガイド・ツアーは、10時半から、ということでした。なんだろね?すべての情報が微妙に違うっていうこの感じは。とりあえず、よかったですが。
おかげで、ツアーの前に、外観をじっくりと撮影する余裕ができました。
トップは、西側、言ってみればファサード、そして、南側面の写真となります。
ファサードを反対の北側に回ると、そちらには、こういう階段がついています。
そして、東側。
縦長の四角形。サイズは、20メートルx6メートルということですから、かなり縦長の長方形になります。
ファサードとか便宜上言っていますが、でも、この建物って、いわゆる教会とは見えませんよね。そうなんです。本来は、アストゥリアス王国の王の夏の離宮。
前回も触れましたが、実はこの地域の中世時代についての知識、ほとんどなし。それも、実際に現地を訪ねる前も、西ゴートとかアストゥリアスとか、かなり表面的にさらったのみ。旅のあとも、まだちゃんと勉強していない状況。
そんなわけで、ブログごときに記事をアップするにも、あまりの知識のなさに、今更ながら付け焼刃状態で、「西ゴートの歴史」とか、「中世史」とか、現地で購入してきたスペイン語の本などを斜め読みしている情けなさです。
簡単に言ってしまえば、イスラムによる長い征服後に、キリスト教徒がじわじわと盛り返すその拠り所ともなったのがこの地域で、アストゥリアス王国というのは、レコンキスタ後のキリスト教徒の王国だったと、まぁ、そういうわけなんです。で、王国当時は、これは離宮だったらしいのですが、ロマネスク時代くらいに、近所の教会が破損した結果として、教会に転用されたりもしたことから、ちょっと教会的な要素も持ってしまった、という建物になっているわけです。
東側のテラスには、もともと近所の教会にあったという祭壇が置かれています。確かに、教会機能を担わされていた時代があった、ということです(テラス内にある白い四角いのが祭壇)。
ぱっと見、地味ですが、付け柱とか、柱頭とか、ちょっとしたレリーフなど、中世初期におなじみの装飾はしっかりあります。そういうものって、地味ながら、図像学的な意味とかすごくありそうで、興味深いものです。
柱に刻まれた線とか、絶対に意味があると思うのですが、今でも誰にも分からないんですよねぇ。そういうミステリアスな古代的な図像って言うのも魅力かも。
石に縦線が刻まれているのが分かるでしょうか。これが、建物中あちこちにあるんです。人為的なのは明らかで、でも装飾的というよりは、なんかナスカの地上絵的な、違うものを感じてしまいます。
柱のほとんどが、このらせん状の彫りこみなのも、気になりました。
これは、内部の柱もそうですし、全部、円柱でのっぺらぼうでもいいのに、というところ、こういう状態でした。ガイドの方に尋ねたところ、縄目模様だけど、意味とかは分かっていない、ということでした。これ、地域の他の教会でも多く見られたんですよ。元はこの王宮で、どこでも王宮の意匠をまねたもの、という理由付けがされていました。
確かに、ここの柱はすべてこのモチーフ。
一人の石工が考え出して、やってみたところ、なんかいいじゃん、ってな感じで、全部やっちゃったとか、他の人たちもいいと思ったとか、そういうこと?でもそれほどよくないしね。意味があってやるならともかく、全部同じってね。
という感じで、起源が古いだけに、突っ込みどころ満載の割りに、答えはないんですよ。そもそも王の離宮って言うけど、せまぜましいし、実のところはどうやって利用していたかすら、わかってないらしいです。
プレ・ロマネスクってその辺の古代風がよいのかもね。
ガイド・ツアーは次回。
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- 2014/08/30(土) 06:52:53|
- アストゥリアス中世
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| コメント:9
ありがとうございま~す。何も調べてませんので、どんな情報も勉強になります。いつか訪ねようと思っているところですので、しっかり読ませていただいた上で、同じ轍(←うっかりのところ)を踏まないように気を付けるようにいたしましょう。
友人を伴っての旅では巡礼の道を優先しちゃったので、パスせざるを得ませんでした。
- 2014/08/29(金) 23:52:00 |
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- otebox #79D/WHSg
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素敵な場所ですね~(≧∇≦)。
レコンキスタとか、島国日本人には国土を奪ったり奪われたりという経験があまりない遺伝子を持つ人種からすると、想像を絶する怖さがありますね。
イソップ物語のイソップ自身が奴隷だったなんて話を聞いてびっくりさせられる事が沢山あります。
日本ならある程度身分が高く、紙が入手できるような立場の人たちしか記録には残らないし。ハメルンの笛吹き男はドイツのハメルンで実際に子供達130人が忽然と消えた事件が土台となっているようですし、ヨーロッパの童話は事実に基づいている、庶民的な暮らしが記録に残るのが面白いですね。
柱一本ずつゆっくり見たいな!
- 2014/08/30(土) 00:31:00 |
- URL |
- はなさん #79D/WHSg
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思わず、タイトルに喰らい付いて、覗きに来ました。
大好きな見知らぬ古代遺跡や巨石建造物を訪れる時の心境と同じなんだ!
と、共感を覚えます。
ミステリアス!ですね。
線文字の流れを汲む物でしょうか?
古代推理ロマンの謎が広がりますね。
- 2014/08/30(土) 00:39:00 |
- URL |
- 古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
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あっ。タイトル、アストリアでしたね。 色々変なことをかいてしまいました。
ところで、内部カメラOKだったのですか?!!私の時はだめでした。メモ帳に 彫刻の絵など描いたりしました。でもいい本は手にはいりました。ショップなどなくただ台に何冊かおいてあっただけでした。
- 2014/08/30(土) 08:29:00 |
- URL |
- yk #79D/WHSg
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oteboxさん
うっかり!は合言葉みたいなもんですね。笑
お近くまでいらして、パスされたことがおありなのですね。それは勇気があります!わたしは、ここの写真を見て以来、歴史的にどの辺でどういうものなのかもよく分からないまま、我慢できず、ほとんどよく分かってないままに、行ってしまいました!結局、よく分からないままです!自慢することじゃないですが。
とにかく、一見の価値あり、という場所と思います。
- 2014/08/30(土) 23:09:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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洋吉ちゃん
古い時代の事実が見えてくると面白いって言うの、ありますよね。わたしが中世にはまったのって、多分その辺。いわゆる古代は遠すぎて、想像すらできない、かといって、ルネサンスくらいからって、あまりに現代につながりすぎ、みたいな。中世って、ぎりぎり想像可能で、かつミステリアスな感じが、わたしにとってはツボだったんですよ、多分。
だから、ロマネスクがメインとは言え、プレの方に、限りなく興味が向かっちゃうし、実際、プレは、よく分からない分、いっそう面白いんです。
- 2014/08/30(土) 23:12:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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山下さん
ふふ、おびき寄せたわけではないですが。
線状の彫り物ね、なんか他では見ない感じがして、古代っぽくて面白いなって思ったんですよ。西ゴートを元とするアストゥリアス王国の遺構って、これまで近づいたこともないので、資料的にもどの程度あるのか分からず、今は、実際に訪ねた場所、入手した書籍、撮影した写真を見て、ほぉ、と言っている段階です。いろいろ調べたら、何か分かってくるんでしょうかね。
- 2014/08/30(土) 23:15:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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ykさん
カメラは、ナランコはまったくオウケイでしたね。ただ、サン・ミゲルの方は、だめでした。どっちかと言うと、サン・ミゲルの方が、撮影したいものが多かったのですが。
ショップ、というかビジター・センターは、古い本(かさばるし高い)しかおいてなかったのが、ちょっと残念でしたが、ナランコでは、アストゥリアスのプレ・ロマネスクの本を売っていたのが、助かりました。このあたりの情報は、他で、なかなか入手できませんからね。でも、もちろんスペイン語なので、それがね。
- 2014/08/30(土) 23:18:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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柱の縄目、というか雙葉を連ねたような模様について、習ったな、と思いつつ、色々あって今になりました。
角柱(円柱みたいなのもあるようですが)にこのようにして細工して柱を二本あるようにみせて 軽やかさを狙った とメモ、とありました。またこのロープ状に柱を取り巻くのは 5世紀末のシリアに見られパレスティナにもある、とありましたが、手持ちの本では確認できていません。柱に一本だけロープを巻き付けた模様は石棺の浮彫にみつけました(古代ローマ)が。先生のおっしゃるように一本の角柱を縦tに分割して それぞれに縄目をつけ、つけるときに双葉型にした、とみるのがよさそうです。私の本の拡大写真にはそれがはっきりみてとれます。
- 2014/10/09(木) 02:10:00 |
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- yk #79D/WHSg
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