ミラノ近郊のロマネスク、もう一発行きますよ。
ここも、10年ほど前に、一度訪ねたことのある町です。
サン・サルバトーレ教会La Canonica di San Salvatore、バルツァノBarzano' (Lecco)。
夏休みに、ロンバルディア・ロマネスクの写真集をぱらぱら見ていたところ、ふと目に留まったフレスコ画がありました。教会のある町の名前には覚えがあります。
昔訪ねたときには、オープンしていなかったけれど、こんな素敵なフレスコ画があるんだ、とびっくりして、ネット検索をして、またびっくり。
なんと5月から10月の月初の日曜日に、ガイドツアーをしているということだったんです。早速ネットで予約をして、9月早々の日曜日に訪ねた次第。
前回紹介したオッジョーノもそうですが、今はネットがあるので、まめに検索しないとだめですね。せっかくこういうガイド・ツアーがあるなら、利用しない手はありません。
でも、黙っていても誰も教えてくれないので、せいぜいまめに調べないと、知りようもありません。
さて、そういうわけで、こんな場所、昔はナビもなくてよくたどり着けたものだ、と感心するような道をたどり、町に到着。教会の場所は、車が入れない道でした。それにしても、こんなに整備された場所だったかなぁ、と首をひねりました。
もしかすると、似たようなほかの教会の記憶と混ざっているかもしれないのですが、何かごたごた建物が立て込んだ場所だったような。記憶って本当にあてになりません。
外観は、かなりつまらない感じになっちゃってますが、ほんのわずか、ちょっとした装飾が残されています。
ふふ、なんだか愛らしいフィギュア。こういうの今の外観とまったくマッチしていないと思うのですが、なぜ残してくれたんでしょうね。
下の大理石版には、古そうな図像が引っかき傷みたいに残っていますね。これは、後付ではめ込んだものかもしれない。
ヘタウマを通り越して、ただの子供のいたずら書きみたいなもの。
アーキボルト根元の柱頭には、顔が並んでいます。
ちょっとモアイ風な?
特徴的な顔です。そのせいか、これは、よく記憶に残っているんです。砂岩らしいんですが、よくこんなに保存されてきたものですね。砂岩って言うと、すぐ崩れるような印象を抱きますが、実は花崗岩より、強いのかしら?
外観で、もうひとつ気になったのは、上方に開いた小さな三つの窓が、全体にアシンメトリーで変なんです。
後付の開口部でしょうから、工事とかの理由があったんでしょうけれどね、それにしても、こういうのって不安定で気持ち悪いです。
さて、見学の目的は、勿論、内部です。
びっくり。修復は激しくされているとは言え、フレスコがたくさん。
写真集で見たのは、これ。
どうやら、かなり最近、修復が終わったばかりみたいでした。だから、こういうガイド・ツアーも企画されたということらしい。
実際に見ると、それほど古いフレスコではないらしい、とわかります。わざと古びた感じの技術や表現、様式を使っているところが見られる、と、ガイドさんも言ってましたが、細かい技術はわからないけれど、12世紀後半とか13世紀とか、ぱっと見、そういう感じかなぁ。写真だと、そういうニュアンスが伝わりにくいんですよね。
この、キリストなんか、いろいろ考えて描いちゃってる感じあり。
ビザンチンのバリエーションみたいな。
彩色の色が、パステル系の淡さで、どれもすごくやさしいのが、印象的。元は、ハデハデにマットな色合いだったのかなぁ。あまりそういう感じがしないんだけども。
教会の起源は古くて、ロンゴバルド時代、8世紀半ばらしいです。地域のロンゴバルド王が、個人の礼拝堂として建てたのが最初。その建物は、今置かれている洗礼桶と、奥の上に上げられている場所の手前、要は、このキリストを囲むフレスコ画の描かれたクーポラの部分だけの大きさの、大変こじんまりした建物でした。そして、今も構造的には残っているクリプタがありました。
クリプタは今もありますが、すっかり整備されていて、倉庫とか、集会所として使われているようです。
その後、後陣が付け足され、前部も、オリジナルと同じ広さ分くらい、前の方に伸ばされる形で、広げられたもの。
その工事が、本当にとってつけたように実施されていて、跡がくっきりなのが、建築的には面白さがあり、そこもポイントかも。
この、キリストのいるクーポラ部分も、実は後付。
奥の壁との間に、しっかり境目があります。そして、下の壁には、別のフレスコ画が描かれています。この、南側壁の部分のフレスコ画は、一番古いものということでしたが、保存状態が悪く、絵はほとんどわかりません。
下の方では、かろうじて受胎告知らしい様子が、わかります。
手前側がアーチになっていますが、そこが、古い部分と、新しい部分、アーチが重なっているんです。よく見ると、こういう感じ。くっつけた場所の筋がそのまま、地面までそのまま残されていて、いかにも無理やりくっつけた構造。というか、くっついてないし。
というような話を、熱心にしてくれたガイドさん。イタリア人は薀蓄好きガイド好きなので、とっても熱心に聴いています。
時として、実物を見るより、説明に集中しちゃう人たちなんですよねぇ。意外でしょ。それが、すごくうるさくてうざったいことも多いです。すぐくだらない冗談とか言いたがるし。これは、どんぴしゃ、イタリア人イメージ通りですね。
北側壁の方には、明らかに14世紀以降のフレスコ画。苦手~!
どうやら、もっと古いフレスコ画の上に、重ねるようにして描いてしまっています。奥の方のは、もうちょっと古い時代風で、天井画も、同じ頃なのかな。わたし的には、やっぱり13世紀説が濃厚。説明では、古い部分は12世紀半ばということなんですけれども。
皆さんの質問も出尽くして、解散となりました。
その日は、町のお祭りだったということで、教会前で、旗振りに遭遇。
素敵なビロードの衣装に身を包むと、この人たち、一瞬にして中世人になっちゃうのがすごいですね。日本の場合は、すべてが変わりすぎちゃって、こうは行かないからな~。
りりしいよ、なんか。普段は、仕事の要領も悪い、ただのサッカー馬鹿だったりするかも知れないけど、そいでもってシャツにジーンズとかで過ごしてるんだろうけど、こういうカッコすると、やけに理知的に見えちゃったりするよね~。いや、本当に理知的な人かもしれないけどさ~。
子供たちの、ヘタな旗振りも、ご愛嬌でした。
というわけで、いろいろと中世を楽しむことの出来た、初秋の一日でした。
次回は、どこへ行こうか、思案中です。お楽しみに。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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- 2015/11/12(木) 07:12:33|
- ロンバルディア・ロマネスク
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山下さん
勝手なことほざいているだけで、すみませんね~。
旗振りは、中世以降ですね。都市国家が出来てから、あちこちで実施されるようになったものと思います。
イタリアでは多くの都市で、地区のシンボルというのがあって、お祭りでは、地区の旗が使用されるケースが多いです。
たとえばパリオで有名なシエナでも、旗振りは重要な要素ですが、市内17(だったかな)の地区が、優勝旗を争う競馬祭りです。そもそもパリオというのが、優勝旗のことです。確か。
- 2015/11/12(木) 23:20:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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