サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その23
朝から、千年もの歴史を妄想したのも、いきなり今は昔状態で、次への途上でまた、ナビがおかしくなって、しばし、現実にばたばた。アップデートしてないわたしが悪いとは言え、何とかしてくれ~! 結局、例によってのマニュアル走行。紙の地図を見て、人に聞き、訪ね当てたのが、こちら。 ミッリスMillis, サン・パオロ教会Chiesa di San Paolo。
町外れにある、墓地教会でした。
というわけで、どなたかをお参りするわけでもないけれど、必然的に、墓地に入ることになりました。
ファサード側は、典型的なピサ様式で、白黒二色使いですが、後陣側は、ロンバルディア様式で、とっても墓地。 こういう時って、なんとなくメンタル的に、ごめんなさい~、気分で一杯になってしまいます。 だって、わたしの興味は後陣。
おお、美しい!と、どうしても自然に鑑賞してしまいます。 でも、現役の墓地教会って、文字通り、足元まで墓地。
鑑賞気分で近づいても、どうしても、おぉっ!ってか、戸惑ってしまいます。 とか、言いながらも、鑑賞してるんですけどね。
次元も立場も全然違うんですけどね、ただ、ミーハー的にロバート・キャパが好きである、それも、「ちょっとピンボケ」(多分、文春文庫)が好きであるという限定的な好きだけで言うと、写真ってさぁ、なんか不思議ですよね。いまだに、その立ち位置って、あいまいな感じが。 だってね、写真という芸術分野が確立されている現代にして、やはり、絵画的な内容と、写りこんでいる内容の意味や意図と、どっちに重きを置かれているのかわからないわけです、本人の意図が明らかでないと。
写真の本質は、きっと、写真家の意図なんだと思うけれど、でも、見た目のインパクトが大きい分、わたしなど素人は、写りこんでいる映像に、簡単に動かされちゃって、見えているものだけしか見なかったりします。
おっと、何をえらそうなことを。 なんか、後陣足元まで墓地になっている現役教会を目の当たりにして、ちょっと考えるものがあったかと、そういうことです。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
インスタグラム
スポンサーサイト
2016/05/16(月) 06:41:30 |
サルデーニャ・ロマネスク
| トラックバック:0
| コメント:0