サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その28(最終回)。
帰りの時間も迫って来た中で、最後に、立ち寄りやすい場所にあった、超マイナーなサイトを二つ。 まずは、こちら。
ギラツルァGhilarzaのサン・パルメリオ教会Chiesa di San Palmerio。 事前に住所はわかっていたので、比較的容易にたどり着いたものの、最後は、とんでもない行き止まりの住宅地に入り込んでしまい、通りすがりのおばさんに助けてもらうことになりました。やっぱり、完璧にスムーズにいくことは、なかなかないもんです。
教会は、町はずれ、というより、おそらく中世期にはこちらの方が町の中心であっただろうと思われる場所ですが、今は、草原に道路が横断する殺風景な場所となっています。
教会の並びには、15世紀の塔らしい、なんだかごつい真四角の建物があります。
13世紀初頭に、もっと古い建物、おそらく聖パルメリオのお墓が礼拝堂となっていたものの上に建てられたそうです。時代が下る分、すっきりとしたスタイルになっているのかもしれません。 その当時、ここは、ベネディクト派の修道院となっていたそうです。
それにしても、パルメリオさんという聖人の名前は、初耳のような気がしました。案内してくれたおばさんは、7月の日曜日に、聖人のお祝いのお祭りがあって、その時には、教会も開くのよ、と言っていたので、この地域では、それなりに有名な方らしい(場所によっては、教会の名前、つまり誰にささげられたか、地元の人すら知らないケースは、よくあります)。
現場にあった説明版によれば、一つの伝説では、パルメリオは、ディオクレツィアーノ(ディオククレティアヌス)皇帝時代のローマの軍人で、キリスト教に改宗したことにより、むち打ち刑を受けたうえ、殺された殉教者だったと。もう一つは、パルメリオは、ペストで全滅した村の出身者で、その村のほかの人々同様にキリスト教に改宗し、軍役を捨てて、信仰に生きたことにより、殺されたというもの。 いずれにしても、ローマ時代の軍人だったことは、間違いなさそうですね。ただし、本当にこの場所に埋葬されたのかどうかは、不明。18世紀に、ある信者が夢に見て、掘り返したところ、教会地下にクリプタがあり、墓所があったので、パルメリオの墓であることになったらしいです。
それはさておき、今ある教会のほとんどは、後代に手が入っており、ほぼ唯一当時の姿を残しているのは、ファサードの石積み。グレーとピンクの石ですが、これは火山岩のようです。
どちらもとても優しい色合いで、好ましいです。そして、微妙な石積みの組み合わせ。センスを感じますね~。
オープンは先述したように、毎年7月だけということらしいです。残念。内部には、何があるということもなさそうでしたが、ただ、石積みの感じを見てみたかったです。
現地にあった写真ですが、やはり石色が、内部も美しそうですよね。
あっという間に見学終了で、次に向かいます。 このあたりは、緩やかな起伏の丘が続いているので、美しい風景も楽しめます。
何度も書いてしまいますが、旅をしたのは12月なのに、これでは紅葉狩りの写真ですね。気候的には、このころが紅葉狩りということになるのかな。改めて、美しい風景に感心しています。
さて、もう一つ。サルデーニャの修行旅、最後に訪ねたのは、本当にマイナーもマイナー、大きさもミクロなノルベッロNorbelloの、サンタ・マリア・デッラ・メルチェーデ教会Chiesa di Santa Maria della Mercede。
ひどい山奥にあるような見えますが、実は、村をちょっと降りたところで、村の車を置いて、徒歩3分程度の場所です。
こんな感じ。この石の門をくぐって、ちょっと上った先は、村の中心になっています。 この石の門や石垣は、おそらく後付けで作られたものなのだと思いますが、もしかすると、もともと残っていた石畳などをリスペクトした結果、こういう構造物をあえて作ったのかもしれません。 また、教会は、放置されていて、相当痛んでいたのを、修復したのだろうと想像します。そういうたたずまいなんですよ。
かなり小さい礼拝堂レベルの建物ですが、村も相当小さいので、土地には合った教会だったと思います。谷底へ向かう途中の斜面にひっそりあるんですが、教会の場所だけ、ちゃんと盛り土して、平地にしたんですね。
そこまで手をかけるなら、村の中心にちゃんと建てる場所があったはずなのに。ということは、もとは隠遁所みたいな場所だったのかな。 説明版には、残念ながら、そのあたりの説明はゼロ。残念ですが、今後、ちゃんと調べたいと思います。 ちなみに、サンタ・マリア・デッラ・メルチェーデという名前も、私には耳慣れないものでした。スペインでの女子の名前にメルチェデスって名前があるから、なぜスペイン語?と思っていたのですが、普通に聖母を表す名称なんですね。ただ、メルチェーデという単語は、スペイン語起源と思われるので、かつてアラゴン王国が入っていたサルデーニャだからかな、という感じもありますね。 どうせすぐに忘れちゃうんですけれど、自分の無知を知るというのも、修行旅の醍醐味。よくわかりませんが。
この後、夜道をオルビアの空港に向かいました。ちょっとした山越えコースがあり、何と霧の中を走るという恐ろしいおまけ付きとなりました。サルデーニャで霧は、予想外でした。霧はできる限り避けるようにしているのに、走るしかないという辛さ。半分泣きそうな気持で走りました(泣いちゃうと、道が見えなくなってもっとやばいので、ぐっと…)。
というわけで、サルデーニャ、急ぎ足のミニ修行旅、これで終了です。 ピサ地域をじっくりと歩いて以来、ピサ様式のファンになった私ですが、サルデーニャでは、新たなピサ様式に出会えて、大満足でした。見残しや、冬季であるが故のクローズも多かったので、再訪は約束されています。いつになるかはわかりませんが(また、冬季になる可能性大なのが、考え物ですが)。
お付き合いありがとうございました。サルデーニャに興味がわき、訪問を考えられる方がいれば、とても幸せです。何なりと必要な情報など、照会くださいね。 (番外、ごはん編、別途アップします。)
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2016/05/29(日) 20:08:55 |
サルデーニャ・ロマネスク
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