カスティーリャ・エ・レオン、その22
サン・ファン・デ・ラバネラ教会Iglesia de San Juan de Rabanera続きです。
ソリアでは、ロマネスク時代の教会が、6つもあるということを、すでに記しました。そして、だからこそ、二泊することにしたのですが、日曜から火曜まで、というスケジュールで、多くの観光地がクローズとなる月曜日を挟んでいるため、見学のスケジュールを立てるのは、結構大変でした。 事前にクローズやオープンの時間がわかっていた場所もあるのですが、でも、教会の場合、ほとんどは実際に行ってみないとわからないのです。 そしてまた、時間的に余裕のある旅ではない、というより、隙間時間すら活用して、一つでも多くの教会を訪ねたい、という修行旅ですから、無駄な時間が許されません。いや、これは自分ルールなわけで、誰に強要されているわけでも、義務でもないわけですが、まぁ、そういうことです。わけわかりませんが。 というわけで、ソリアの町では、ほとんどがクローズしてしまうであろう月曜日は、ソリアの周辺を見て歩く予定にしており、二泊もする割には、町にいる時間は少ないのです。
幸い、ホテルのレセプションに、主だった教会のオープン時間が記されていましたので、自分で調べておいた事前情報とそれを参考に、到着後、町に出たという次第です。
で、この教会は、19時のミサのときしか入れない、ということは、ホテル情報でわかっていました。最初にたどり着いた夕方は、情報通り閉まっており、そのため、他を見学してから、また戻ってきたのです。 小さい町とはいえ、行ったり来たりで、本当にご苦労なことです。
18時半過ぎに戻ってきて、無事、本堂にアクセスできました。
全体に、修復の跡が著しく、良くも悪くもすっきりと美しく整えられています。嫌味はないですけどね。 ところどころに、オリジナルの教会の名残らしいものが見られます。
もともとは柱頭と思われますが、聖水盤として活用されているもの。よくありますが、このように、いかにもロマネスクの柱頭の使いまわしです、というタイプは、意外と少ないかも。
ここも、床がフローリングになっています。ソリアの前に訪ねたブルゴス県の教会も、一様にフローリング床になっていましたが、これは土地柄なのでしょうか。ブルゴス県は、確かに山の中森の中、という環境なので、なんとなく理解もできますが、ソリアは、そういう感じでもないので、ちょっと不思議。イタリアでは、修復があっても、フローリング床にすることは、ないような気がします。
ラテン十字の中心となる場所の、クーポラ構造。
ビザンチン風、と説明版にありましたが、そういえば、パレルモの教会をちょっと髣髴とさせますね。 下が、パレルモの中心地にある、サン・カタルド教会Chiesa di San Cataldoのクーポラです。南イタリアにはビザンチンの遺構も多いので、ご興味があれば、比較のためにも、下の方でリンクしている「ロマネスクのおと」のシチリア編やプーリア編へどうぞ。
また、ソリアに戻りますが、クーポラの周辺にも、細かい彫り物が見られます。
動物フィギュアなどが並んでいるかわいらしい帯ですが、ゴシック的なフィギュアで、12世紀末以降のものだと思われます。 柱頭も含めて、内部の装飾は、いまある教会になった時代以降のものみたいです。
後陣の、こういうアーチ装飾、その内側の帯装飾などは、やはりビザンチン的、ということになるのかな。装飾的ですよね。でも、フィギュアどさどさではなくて、幾何学的というか、数学的というか、そういう方向性の装飾。
私の好物は、大体、隠されているみたい。 これなども、きっとサン・ニコラス教会の名残ではないかと。
というわけで、この教会は、やはり外側の装飾が見どころだと思いました。
前回の記事で、ちょっと面白い出会いがあったと記しました。 それが、こちら。
旧市街の小路を行く、白いジャケットにハンチング、ちょっと年の行ったちょい悪おやじ風の後ろ姿、わかるでしょうか。 後陣を見上げて、夢中になって軒送りの撮影をしていて、声をかけられました。教会の名前の由来とか、本来は、南側に扉があったこととか、真面目にいろいろガイドしてくださったので、面白かったんですよね。もちろんスペイン語ですが、とてもわかりやすく話してくださいました。
上の写真は、さんざんガイドしてくれた挙句、さらりと、じゃあねと立ち去るその後ろ姿。記念に一枚、撮らせていただきました。
おかしかったのは、そのあと、他の教会を求めて、町のあちこちをうろうろしたのですが、どこに行っても、このおやじ、目につくんです。時として、やはり観光客風の人と話していたり、地元の友人らしい人と話してたり、とにかくうろついて、誰かにとっついては話をしている様子だったんですよ。 おそらく暇な年金生活者とか、そういう方なんでしょうねぇ。 そういえば、昔イタリアの田舎でイタリア語の勉強をしている時も、こういうタイプのおやじって、必ずいました。時には、この人やばいんじゃないか?という雰囲気の人もいないことはなかったですが、ほとんどは、善意だったり、暇つぶしだったり、そういう感じで。 そういう暇つぶしって、日本の老人には、なかなかできないことじゃないかと思うんですけど、悪くないですよね。もしかしたら、ただ色気や何らかの下心のある、ちょい悪おやじかもしれないですが、でも実害がなければ、オウケイですよね。
という、面白い出会いのあった一方で、もう一つは、ちょっと疲れる出会いでした。 最初に教会前の広場に着いた時、なんと、日本人の女性二人連れがいたんです。
私の修行旅は、時たま、一般観光客も来る修道院など訪ねる以外、ほとんどは、普通の人には興味がないだろう山奥とかど田舎ばかりなので、日本人と会う確率は、大変低いのです。夏休みは、1週間から10日程度歩くことが多いですが、その間、一回日本人と会うか会わないか、まったく会わないことの方が多いくらいです。 このソリアは、今回歩いた土地の中では、比較的大きい町とはいえ、日本人がわざわざ訪ねる町ではありませんから、かなりびっくりしました。
海外だと、やけに日本人を避けようとする日本人が多いように感じますが、私は、少なくとも挨拶等はするタイプです。こういう旅で出会う人とは、できれば情報交換などできれば、と思っていますので、基本的にはお話をしたいと思うタイプ。 このときも、先方は二人連れでしたので、日本人であることはすぐわかり、声をかけました。で、ちょっと立ち話をしたのですけれど…。 やはり、日本から来た人たちではなく、一人がマドリッドにお住まいで、もう一人は他の国から遊びに来たお友達だということだったのですが、何が疲れたって、会話が成り立たない…。 会話って、言葉のやり取りじゃないですか。しかし、彼女たちは、私が聞いたことには答える、それも、自分たちのことについては、必要以上に語るのですが、最初から最後まで、ひたすらこっちの質問に過剰な答えを返してくるだけで、向こうから、私への質問は一切ありませんでした。 話している段階で、すでに疲れ、後からなぜこんなに疲れたんだろう、と考えて、そういうことか、と納得した次第。
なんでしょう?会話ではなく、一方的な自己主張みたいな不思議なものでした。別に、自分のことを他人に話したいわけではないですが、会話って、適度に聞いたり聞かれたりじゃないと、成り立ちません、やはり。 いや、びっくりした。
そのあとで、先のおやじに会ったので、不自由なスペイン語でも、おやじとの方が会話が成り立っていて、安らぎました。 せっかく、たまにしか会えない日本人なのに、実は、こういうケース、少なくないです。芸術家の人とか、楽しい出会いも、会ったりしましたが、どうも、行く場所が特殊だからか、変わった人に会う確率が高いのか。
ミサの時間に戻った時、再会しましたが、目礼だけで。 なんだろなぁ。 これなら、話したくないオーラびんびんの人の方が、一貫性があって、いいのかもしれないですねぇ。
そして、この後は、もっと観光的な町にも立ち寄ったのですが、とうとう日本人とは出会わずじまいでした。
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2016/09/23(金) 05:52:36 |
カスティーリャ・エ・レオン
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| コメント:8
私が行った時もオジイサンいましたよ!記憶がうすれていますが、本人だか弟だかが日本にいったことがあるなど京都あたりの地名を言っていたような。おかしな人でした。ラヴァネラ教会、ミサ中で中はよくみられませんでしたが、目をこらせば面白いものがみつけられたのですね。それからオジイサンの上がっていく道、そこを上がっていくとパラドールでは?思い出がよみがえって楽しいです。ついでに自分のHPを見てタイプミスを直したりしています。
2016/09/22(木) 23:16:00 |
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yk #79D/WHSg
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この二人の日本人、海外での暮らしで大分ストレスが溜まってしまっているようですね。余裕を失ってしまっているのです。それから海外で同じ日本人を避けようとする人達は自意識過剰だと思います。やっぱり余裕のない人達ですね。
2016/09/23(金) 06:51:00 |
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門田 #79D/WHSg
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> ykさん
きっと同じおじさんですね?面白いです。
ところで、コメントいただいたよかったです!YKさんのブログにコメントをしようと、何度もトライしたのですが、できなかったので…。
ボローニャ滞在記、拝見しました!ほとんど一人旅でしたね。かなり遠方まで足を延ばされたようで、びっくりです。このところ、フィデンツァや、ヴィゴロなど、ロマネスク探訪初期に訪ねたっきりの場所を再訪しようと考えていたところなので、グッド・タイミングです。
それにしても、一年前の旅ですから、全然早いです!私など、すでに5年ほど、たまりにたまっています。
2016/09/24(土) 17:52:00 |
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corsa #79D/WHSg
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> 門田さん
コメントありがとうございます。
そうか、ストレスですかね。自分のことをお話するチャンスがあまりないのかもしれないですね。でも、そんなに自分のことを語りたいのか、というのが不思議ですが。
私は、旅先では、なるべく挨拶等するようにしています。日本から遠く離れた土地で、袖すりあうも他生の縁と思いますし、目も合わせないとか、会話をしようとしないとか、寂しいですよね。
2016/09/24(土) 17:55:00 |
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corsa #79D/WHSg
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Corsaさん、ロマネスクの教会の素朴な美しさと石の温かみ、わたしもと好きです。困った日本の方ですね。お互いに関心を持ち合うというのはマナーでしょうに。わたしはかつて同じことを南米出身の女性と話していてよく感じました。インスタグラム、スマートフォン用のページからではリンクが見つかりませんので、またパソコンが復活して分かるようになったら拝見しますね。
2016/09/27(火) 11:44:00 |
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なおこ #79D/WHSg
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なおこさん、コメントありがとうございます。
時々、会話のできない人っていますよね、確かに。言葉のレベルの問題じゃなくて、コミュニケーション能力ということになりましょうか。自分以外に興味がない人たちって、たくさんいるんですね。
インスタグラムでも、よろしくお願いします~!
2016/09/27(火) 22:22:00 |
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corsa #79D/WHSg
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ソリアはおろかロマネスク探訪では日本人に会う確率は非常に少ないですね。私は道産子で人懐っこいほうなので、たまに見かけると嬉しい~!と駆け寄りたいくらいなのですが、大抵は目を伏せられたリで、話しかける前に諦め・・・でも挨拶だけはこちらからしますが。現地に在住されてる方のほうが話しかけてくれて、情報も得られて、良い思い出の一コマになっています。
2016/10/08(土) 09:16:00 |
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alice #79D/WHSg
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> aliceさん
日本人ほど同胞を避ける民族はいないと思うのですが、どうでしょうね。目の前に私とイタリア人がいたら、たいていイタリア人に声をかけますね。不思議。
旅先や途上で出会って、お付き合いが続いたことって、過去には結構ありますが、そういうのが少なくなってきますね。昔はスマホもないし、人に聞くことが必要なことも多くて、結果、コミュニケーションがあったんですよね。今は、特に日本人は、ネットに頼ろうとして、コミュニケーションをますます拒否する傾向が強いかも。
ちょっと寂しい気がします。
2016/10/08(土) 16:21:00 |
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corsa #79D/WHSg
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