2015.07.スペインの旅、ナヴァラNavarra編、その17
前回訪ねたオロリスでは、二つの目的地をメモしていました。実際に訪ねたサン・バルトロメの外に、礼拝所のような教会があるはず。Ermita de San Pedro in Vincula de Echanoという名前しかわかりませんでしたが、ほとんど無人かと思われるような人の気配のない村で、たまたま人の気配がした、かわいい三毛猫が出てきたおうちの人に尋ねてみると、「その礼拝所はとてもいいところなので、是非行くといい、カギはその辺の誰かが持っているはず。でも、行き方は、うーん、なんと説明したらよいのか…」。
これではお手上げ。 というわけで、再び気持ちを切り替え、オロリスに行く前に探していたエリスタインEristainという村方向に、再度トライしてみることにしました。
やはりわからなかったのですが、なんとなく道を進んでいくと、田舎家があり、ふと見ると、その奥の方に、なんだかそれらしいものがあるじゃないですか~!
多分、見つけられなかったときは、何度もその近くを行ったり来たりしていたんですが、手前にある家に遮られているので、気が付かなかったのでしょう。見つかるとは思っていなかったので、嬉しい驚きでした。
エリスタインEristain、サンタ・マリア教会Iglesia de Santa Maria。 こんな地味な姿ですけれど、すごく苦労してたどり着いているので、なんだか神々しいような、そういう気分で近寄りましたとも。
それにしても、外観は、本当に地味で、装飾的なものは何もないに等しいので、一回りすると、見るものは終わってしまいます。 このために教会に気付けなかったであろう、すぐ近くに立っている一軒家、カギはいくらなんでもここで持っているだろうと思い、ほとんど人の気配はしなかったのですが、ダメもとで呼び鈴を押してみることにしました。
すると、二階の窓から老女が顔を出し、カギを尋ねてみると、とても当たり前のように、「カギね、ハイハイ」と下に降りてきてくださるではありませんか。
突然ですが、私は二十数年異国に暮らしているので、人も含む周囲すべてが、私にとって異国であることがすでに当たり前となっています。でも、何年暮らそうが、私が日本人であること、特に外見については、どうしようもなく異質であることは、変わりようがありません。 こちらが異質な外見を持っているにも関わらず、何らの驚きや恐れも見せずに、普通に対応してくださる人がいるこういう状況において、自分の方は、比較的当たり前に受け入れてしまうのですが、後から考えると、いつも、不思議に思い、驚嘆してしまいます。
すごく田舎の方が、逆に、ひどく普通に接してくれるケースが多いような気もします。半端な町とかの方が、差別区別があるような。すごく田舎だと、家族や近所の人以外は、みな異国の人的な感覚があるのかしら。
ま、ともかく、上品な老婦人、降りてきてくださいました。 でも、ごそごそして、いつも置いてある場所に鍵がない、と慌てています。やっぱり、そんなうまい話はないか、とあきらめ半分、おしゃべり。その間も、彼女は、あっちをごそごそ、こっちをごそごそ。挙句、孫が来るはずだから、彼女が知っているはず、と結局孫娘さんが登場するまで、20分ほども待ったでしょうか。 彼女、来るなり、おばあちゃん、ここじゃーん、と家の前の石の下から、カギを引っ張り出しました。
え、そんなところに置いとくってことは、結構使用するのかな。不思議です。
ふふふ、こういうカギ。持ってうれしいし、自分で扉を開けるのは、ワクワクですよね。これだけでも、わたし的にはアトラクション的な嬉しさです。
再び近づきます。この地味な後陣をよく見てくださいね。
そして、この地味な扉。
入ると、構造は地味ながら、後陣、内部には、ちゃんと装飾があるんです。
後陣には、中央に、アーモンドの中のキリスト像、そして、四福音書家の姿(ライオンと天使だけが残っている)、6人ずつ並んでいる十二使徒。
手前には、相当幅広になっているアーチが置かれていて、その内側にもびっしりフレスコ画が。残念ながら、相当痛んでいて、あまりよくわからないんですけれど。
14世紀のフレスコ画で、直近では1994年に修復されたと書いてありましたが、それにしては、傷みが激しいですね。建物は結構全体がこぎれいになっているし、ポルティカーダのような部分は、まるで新しい家のようなありさまになっていることから、もしかすると、相当長い間、家畜小屋とか、物置とか、住居とか、そういう目的に使われて、こういったフレスコ画などは無視されてきた歴史があるかもしれません。
フレスコ画は、やはり何らかのケアをされないと、厳しいということですね。または逆に、漆喰で覆われてしまっていた方が、残る可能性がありますね。
他の部分は真っ白にぬられています。
でもこれは、傷みが進んだ挙句にぬられているはずなので、下には、かすかには残っているのでしょうが、たぶん、修復できない状況だったということなんだと思います。
それに比べると、やはり石は強いです。
超シンプル。でも一つでもこういう柱頭があれば、なんかほっとしますし、嬉しくなります。一つじゃないし~!
2.5頭身。顔は超おやじで、身体は落花生みたいで、かわいい。リスみたいな手がすっごくチャーミングです。本を持っているということは殉教した聖人かなぁ。あ、これは先日プーリアでさんざん伺ってきた、ビザンチンの図像学の影響、笑。
どんな小さいものも見逃さず!
なんの変哲もない一枚板の説教壇も、とてもよかったです。浅浮彫付きでした。
何か浮彫プレートを彫ろうとしたけど、お花一個でやめちゃった、そういう石板なのかもしれませんよね。
1200年ごろのものと書かれていた聖母子像。衣装なんかは、後のものかもね。聖母のお顔がとてもきれいです。こういうピースは、博物館に持ってかれちゃうことが多いから、現地でこうやって置かれているのは貴重だな、と思ったら、やはりこれはコピーで、オリジナルはパンプローナの博物館だって。まぁ、フレスコ画と違って、こういうものは、博物館入りも仕方なさそうです。 この部分は、フレスコ画の模様もきれいですね。
というわけで、こんなに地味な教会でしたが、自分で鍵を開けて入った、という事実がうれしかったせいか、よーく覚えています。 やはり、何か事件性(というほどでもないけれど)とかないと、記憶に残らないんだな。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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2017/05/12(金) 05:51:06 |
ナヴァッラ・ロマネスク
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| コメント:10
鍵で扉を開ける!
その瞬間のドキドキ感は、何とも言えない物が在りますね?
見知らぬ物への期待感とでも言うべき物でしょうか?
フレスコ画の修復も原画が解らないなら、無理して修復は必要無いかもね? 修復師の想像で解らない部分を描く事は無いと思うけど‥‥経年変化も歴史の長さを物語る物ですからね?
人種差別と言うほどでもありませんが、日本でも田舎の方が外国の人には親切な様な気が致します。
ゆっくり見学出来て良かったですね。
鍵を預けると言うのは矢張り、信用性の表れだと思うのですよ!
その喜びが感じられますね!
2017/05/11(木) 23:18:00 |
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古代遺跡めぐり<山下亭> #79D/WHSg
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ありがとうございます。
やっとCJさんのことを知ることができました。
14年の2月までメールでの会話をさせていただいておりました。
CJさんのお名前も存じております。
やり取りのメールはそのまま大切にしております。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。
2017/05/13(土) 02:51:00 |
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mohatu #79D/WHSg
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アトリビュートについてはAtsuko様のおっしゃる通りだと思います。本をもっているので殉教者ではないと思います。ところで外見からの差別について、ツアーが多いのであまりないのですが、一人でバスに乗っていて混んできても私の隣に誰も座らないとき、最初は良かったと思い、そのうち悲しくなってきたことがあります。そうかと思うと電車でトイレに行くから荷物見てて、と頼む人もいたり、、。
そういうわけで、最近よくお隣の国の人たちのことが批判的に言われますが、あの国の人たちにも色々いるわけなので、私は〇〇人はどうのこうの、と言う気にはなれません。
2017/05/16(火) 13:36:00 |
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yk #79D/WHSg
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> Atsukoさん
一人で鍵を開けて入るのって、もうそれだけでうれしくなってしまうのですよね。なんだろう、これって。
まず、見つけるのが大変だった上に、外観がつまらない教会だっただけに、ますます嬉しかったわけですけれども、ここは。
2017/05/16(火) 21:30:00 |
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corsa #79D/WHSg
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> 古代遺跡めぐり<山下亭>さん
カギは、貸してくれないところも多いんです。考えたら、どこから湧いてきたか、みたいな東洋人を信用する理由はないわけなので、それも当たり前、と思うようになりました。それだけに、こういう鷹揚なカギの番人さんは、ありがたい存在です。
そう、無駄な修復はしない方がいいかも、というのはありますね。
2017/05/16(火) 21:31:00 |
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corsa #79D/WHSg
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> mohatuさん
すみません、そちら様のゲスブにメッセージ入れさせていただきますね。
2017/05/16(火) 21:32:00 |
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corsa #79D/WHSg
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> ガビィさん
複製とはいえ、聖母子像、かわいいでしょ。好みじゃないですか?
そういう問題じゃないかな。笑。
2017/05/16(火) 21:33:00 |
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corsa #79D/WHSg
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> ykさん
先日のプーリアで、ビザンチンの図像学をどっぷり伺ってきた影響であって、この彫り物がそうであるはずはないです、はい。
キリストは、聖書を皆に向けて持ち、聖職者は、キリストの言葉であるために、必ず、聖服の一部やストールで押し頂くように持ち、信者は、キリストの言葉を実践していることを示すために抱え込むように持つ、というように聞いたように思います。
ま、自分の記憶、信じてないので、これから改めて資料を読まないといけないんですけどね。
いずれにしても、クリスチャンとは、結構異なる図像が多かったのです。いろいろとお詳しいYKさんには、言わずもがなですね。笑。
2017/05/16(火) 21:36:00 |
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corsa #79D/WHSg
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