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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

サンダル履きで登山的な。(トレヴィアーナ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その16




ラ・リオハって、おいしいワイン産地なので、ちょっとイメージ違うかもだけど、基本、こういう平地がずっと続く土地。美しいです。
2年もたって、改めて写真を見直して、懐かしいというか、よくもまぁ、これだけ地味な教会の連続、覚えているもんだわ、とちょっとほっとしたりしています。

今回の村も、面白い記憶満載。行き当たりばったりだったり、親切に感涙したり。
まずは、村に向かう途中、いきなり出会ってしまったので、立ち寄らざるを得なかった教会。




トレヴィアーナTrevianaのヌエストラ・セニョーラ・デ・フンケーラ隠遁所Ermita de Nuestra Senora de Junquera。

ナビの行き先を、トレヴィアーナにしていたところ、道端に、すごくわかりやすい感じで表示があって、ちょっと入るとすぐ教会が目についたので、停まらざるを得なかったんです。
パッと見、全然面白くなさそうだったのですが、後陣は、これまでの教会にも似た、要は、この地域に共通する様式の、れっきとしたロマネスクの美しさが見られるものでした。




これだけなんですけれどね。
でも、この窓の装飾に、これを見つけたのは、結構嬉しくて!




かなり素朴ですが、これは、やはりあれ、私の好きなモチーフの一つ、ダニエルさんでしょうよねぇ。いやはや、これは、本当に飛び上がりたくなるくらい素朴でかわいらしいです。停まってよかったよ~!

ただし、向かいの柱頭のモチーフは、こちら。




これを見ると、もしかして、前者はダニエルではないのかも、と思いましたけれど。
これは、どちらかというと、コルシニャーノ系の、悪魔的なものにかまれて、悪魔的なものの言葉がわかるようになったとか、そういう寓意的な彫り物かもしれません。

さっさと見学を終え、村に向かいます。この後が傑作です。

当初、このトレヴィアーナという土地については、Ermita、つまり隠遁所というか礼拝所を、4つほど、メモしてあったんです。詳細はわからず向かったわけですが、まずは、このダニエルさんで、一つクリアしました。

そのあと、村に向かったものの、まったくナビが役に立たないのです。行ったり来たりした挙句に、そのあたりにたむろしていた老人グループに尋ねると、ああでもない、こうでもないと大騒ぎの挙句、墓地にある教会がそうではないかというので、行ってみると違う。

初心に戻って、道をゆっくり走っていると、ロマネスク教会、という表示があったので、近くの道端に駐車。
そのあたりにも老人がたまっていたので、尋ねたところ、またひとしきり大騒ぎとなりました。村の中心にある教会は美しいから、あそこだろう、といわれましたが、いやいや、バロックは興味がないし、先ほど、近くまで行って、私が探しているのはあれではなく、ConceptionというErmitaみたいなものらしいのです、というと、一人のおばあさんが、では、この奥のあれだろう!と、誇らしげに叫びました。

いや、これ大げさじゃないんですよ。本当に誇らしげに。
すべての会話がわかるわけじゃないんですけれどね、要所はわかります。
で、あそこだったらカギはないだろう、市庁舎に行かないとだめだろう、などなど、老人たちが協議しています。
最後に、最初のおばあさんが、よし、わかった、わかりにくいから、私、連れて行くから、と夫らしいおじいさんを制して、先導してくれたのです。

そこから、5分程度の林間の道を進むと、パッと開けたところに、いきなり、後陣が。




ラ・コンセプシオン・デ・トレヴィアーナ隠遁所Ermita de la Conseption de Treviana。

ひゃぁ、これはわからんわ~。ありがとうございます!とお礼を言うと、おばあさん、カギないしな、ちょっと大変だけどついてこい!と、サンダル履きで、この石垣をよじ登っていくではないですか!
それも、慣れた感じで、超素早い。って言うか、サンダル履きで登れるような場所じゃないので、マジ、毎日のようにやってるなって感じでした。
こっちは運動靴なのに、ついていくの精いっぱい。かなりの段差ですよ。

この高台、今は墓地になっていて、その一角に、この礼拝所が置かれている状態になっています。もともと、神聖な場所で会ったということなのでしょうね。
ただ、今は村の公共の墓地というステイタスであるため、この礼拝所のある一角も含め、カギがかかって、柵があるのです。鍵は、役所が管理しているため、常に開いていないので、こんな場所からよじ登るような感じで、アクセスすることが、実際に多いようなのです。

このおばあさんの先導なければ、まず、場所の特定も大変だったし、そもそも柵を乗り越えようと思ったか…。いやはや、ありがたい助けでした。

今は、この後陣だけが残っていて、前部はオープンになっています。ちょっと前の記事で紹介した湖沿いの隠遁所以上に、残っている部分が少ない遺構ですね。




この全部の方、および内部は、再建色が濃くて、せっかく不法侵入させていただいたのですが、面白みは薄いです。やはり、見るべきは後陣外部の装飾。
あ、ちなみに、この全部の右側が墓地になっています。




美しい窓部分。小さいけれど、珠玉の彫り物が残っています。

ハーピーっぽいフィギュアなんですが、ぷっくりしていて子供っぽくて、すごくかわいい柱頭の彫り物。




歯並びを見せびらかすような猿っぽい軒持ち送り。




おばあさんは、私がやたらを撮影しているのを見て、あきれていました。そして、村中の教会(バロック)が立派だからさ、あそこの方が、撮影の価値があると思うよ、というようなことを最後までつぶやいていました。

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  1. 2017/08/12(土) 06:38:03|
  2. ラ・リオハ・ロマネスク
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